森田先生は、達磨大師の仏性論にある「故に至人は、その前を謀らず、その後を慮らず、念念道に帰す」を取り上げて説明されています。
この文字に拘泥したら、なかなか解釈は難しいが、至人、すなわち達人で・悟った人は、金をなくしたとかいって、以前のことの繰り言をいったり、「来年のことを言うと鬼が笑う」というように、当てにもならぬ未来のことを空想するようなことをしない。
ただ念念道に帰して、その時どきの現在に対して、全力を尽くすというくらいの事であろうと思うのである。
この「現在にある」という事が、ちょっと言葉や屁理屈では分からない。
ただ体験するよりほかに会得はできない。
(森田全集 第5巻 385ページ)
香取さんも、、17歳のお嬢さんを亡くし、僕も20歳の一人子を亡くした。
僕も悲しみのあまり慟哭した。こんな悲しいことはない。絶対です。
ただそれきりです。どうする事もできない。
その後も思い出すたびに、最大限の悲しみがある。
ただそれだけであって、僕には繰り言もなければ、この気持ちを否定したり・曲げたりする事は毛頭ない。
「ああ苦しい。どうすればよかろう」とか、あきらめよう・思い開こう・気を紛らせようとかいう事は、全く考えないのである。
私たちは過去の失敗や恥ずかしい行動を思い出しては後悔したり、罪悪感で苦しみます。未来のことに取り越し苦労ばかりして体が動きません。
森田先生は、「念念道に帰す」というのは、「現在になりきる」「目の前のことに一心不乱となる」ことだと言われています。
過去の記憶や将来への不安が湧き上がってくるのは、天気と同じ自然現象です。
頭のなかでついネガティブな思考をくり返してしまうのもどうする事もできません。台風や地震が襲ってきたときは、できる限りの対策を取った後はなすすべはありません。
自然現象への対応はそれなりに上手にできていますが、ネガティブな感情や思考への対応は上手にできません。
それは意志の力でなんとでもなるという気持ちを持っているからではないでしょうか。
過去の後悔や罪悪感に苛まれている場合、それらの感情と戦うのではなく「そう感じている自分」をあるがままに受け入れたうえで、今できること、なすべきことに目を向けて行動していくことが必要です。
気になるままに、不安や症状抱えたまま、生の欲望に向かって行動していくのが一番理にかなっています。
行動することによって、新しい感情が生まれてきます。その時後悔や罪悪感の感情は変化して薄まっているか、消えてなくなっているかのどちらかです。
また折にふれてネガティブな感情か出てくるでしょうが、その時もまた同じような対応で凌いでいくのが森田的な対応となります。
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