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つい先日は、「地中の生き物たちが春と勘違いして出てきてしまうのでは?」と感じるぐらいの陽気だったのに、また かなり冷えてきましたね。今更で、大変恐縮なのではありますが、とうとうガラケーからスマホに変えることになりました。それに伴い、携帯電話の番号と 携帯のメールアドレスが変更となります、関係各所の方々には、順次 連絡させていただいておりますので、予めご承知ください。また PCのメールアドレスの変更はありません、そのまま使用しております。正直なところ、かなり礼を逸してこれまで生きてきてしまいましたが、こんな機会にだけ連絡する自分に対し、非難のひとつでもあってもおかしくないところを、(トマトをぶつけられたって おかしくないのに・・)「久しぶり!」などと 言っていただけることには全く 心から感謝する次第です。今後ともよろしくお願い致します。渕崎昭彦
2018.01.11
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先日、小学校時代の恩師が上京するということで、首都圏に生活している当時の同級生数名と共に再会する機会に恵まれた。今では、SNSのある種の恩恵というべきか、以前に比べると旧知の方々と連絡を取ることは飛躍的に容易になった感がある。とはいえ、実際に「その人に会いたい」という気持ちや、実際にそれを「行動」に起こさなければ実現はしない。当時からすでに30年以上が経過した今、それらが実現するというのは、僕にとっては、やはり嬉しいことだ、「ある時」「ある場所」でたまたま出逢っただけ・・と言ってしまえばそれまでだけど、それが緩やかではあるけども現在までつながってきた事はやはり愛しいものであるし、またそういう恩師や同級生がいることに心から感謝したい。そんな彼ら彼女たちと交わす、「当時の記憶」、「あれから現在までどう生きてきたか」「これからどうしていくのか」という 極々自然発生的なテーマが興味深いことはもちろんで、それを語りつくすには時間が足りなかったわけなのだけど、今回、僕が特に関心をもったのは、自分が当時の自分を俯瞰するときの認識と、当時の自分を知る他者が僕を(あるいは彼を)俯瞰する認識の視点の差 というものだったかもしれない。記憶の誤差や、「自分」が覚えていて「相手」が忘れている、またはその逆、というのはよくある事なのだけど、それより一歩進んで、単なる「過去の思い出話」というレベルから、もう一歩進んで「それ」を眺めた時の「自分ではない誰か」からの視点と認識、それらの言葉を聞くことで、現在まで、見えていなかった、或いは気が付くことのできなかった「自分」との出逢い。同級生の一人がポツリとこう述べた「もしタイムマシンがあるなら 当時の自分に こう言ってあげたいと・・」以前の僕なら、笑いながらも「もし」という仮定の言葉や「過去を振り返る」というニュアンスに対して特に反応すらしなかったかもしれない。経験は人を成長させると同時に、余計な「刷り込みによる垢」みたいものも無意識に付着し堆積させてしまう、それは、些細なもので終わることもあれば、時に重大なものとして顔を出す場合もある、「もし・・・」と思う事そのもので、すでに浄化作用は働き、そして、また新しい自分との出逢いが開始されているのではないかと・・と考えるようになったのは 比較的最近なのかもしれない。「時が巡ることでしか出逢えないものがある」そして 今回の再会は僕自身の中身を少しだけ「更新」してくれたようだ当時に出逢った「時」と「人」と少しだけ「その時の自分」に感謝を込めて
2018.01.08
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謹賀新年少々、出遅れてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます宵の空を見上げてみると 何かしら大切な事を思い出させてくれるぐらいの、大きく、そして少し恐怖するくらいに輝いた月が目に飛び込んできました、「輝き」と「闇」もし 時と環境が許すなら ちょっとだけ窓から覗いてみてください。あなたは 何を感じますか?本年が、皆様にとって素敵な一年になりますように平成30年(2018年)1月渕崎 昭彦注・・・月の写真はさすがに撮れなかったので(撮ることすら思いつかなかったので・・・・)元旦に甥っ子たちと「かくれんぼ」して遊んだ(遊んでもらった?!)公園の写真を一枚!頭も体も、そして心も全てが柔軟な子供たちから 学ばされているのは、むしろ大人の方かもしれませんね・・
2018.01.03
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