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You got a smile so brightYou know you could have been a candle I'm holding you so tight You know you could have been a handleThe way you swept me off my feet You know you could've been a broomAnd baby you smell so sweet You know you could've been some perfume Well you could of been anything that you wanted toI can tell The way you do the things you do As pretty as you are You know you could've been a flower If good looks were minutes You know you could have been an hourThe way you stole my heart You know you could have been a crookAnd baby your so smart You know you could have been a school book Well you could of been anything that you wanted toI can tell The way you do the things you doYou make my life so rich You know you could've been some money And baby you're so sweet You know you could have been some honey Well you could of been anything that you wanted toI can tell The way you do the things you doこれは、私の大好きなUB40の ”The Way You Do The Things You Do” という曲です。今日ネットサーフィンしていたら、たまたまこの曲を見かけてここで紹介したくなってしまいました。この曲って、すごくかわいい歌詞だと思わない??教科書になれたり、香水になれたり、お金になれたり。『○○だから○○になれるよ』って言われるモノが職業じゃなくて ”モノ” なんだよね。私が自分の恋人からこんな風に誉められたら嬉しくて楽しくて、きっと笑い出してしまうと思うの。聞くたびについ微笑んでしまうそんな Sweet Song なのです♪
2004年08月31日
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大好きなカーレースを観ながらBが憮然とつぶやいた。『なんでレースクイーンって雨でもないのに傘さしてるの?』さあ・・・・・日傘?*************************************************************かつて、我が家は至る所車のおもちゃだらけでした。ピクニックバスケットに溢れんばかりのミニカーと大きめサイズの車のおもちゃがゴロゴロ。車関係の絵本もごっそり。車を駐車するようなダンボールもどっさり。6畳間の約3分の1は、それらおもちゃたちで占領されておりました。子供たちが小学生になり、そのおもちゃがゲームボーイに取って代わりやっと少しずつ処分して、人間の居場所が広がってきたのもつかの間。なぜかこの年になって復活する兆しが見えています・・・・・(--)それもミニカーなんてかわいいサイズじゃありません。1/18とか1/20なんて大きめのディスプレイ用サイズが家の中にごろごろし始めたのです。ディスプレイ用って言っても飾っとくわけでもありませんことよ。それでミニカーばりに遊ぶんです。せせこましいリビングにでかい体が寝そべりでかい車をゴロゴロと動かす・・・・・ああ、うっとうしい・・・・・・・(怒)もともと、Bの車好きは小さい頃からず~~っと、ず~~~っと、ず~~~~~~~~っと続いていました。ミニカーこそ卒業していましたが車の絵本から車図鑑にランクアップしネットで逐一HPをチェックするようになり今は月一で『ホリデーオート』なる雑誌を嬉しそうに買ってきて、逐一突っ込みいれながら読み込んでおります。もちろん好きな場所は車のショールーム。近所の車屋へのチェックも欠かしません。マニア道 健在。ってか、ますますパワーアップ。で、そのマニア雑誌を読んでいるうちに彼は試してみたくなっちゃったわけですよ。車の改造ってやつを。もちろんどこぞのご子息ではないのでホンモノを改造できる金銭的余裕があるわけもなく彼に手が届くのがいわゆる本物のミニチュアっちゅうわけです。いそいそと2000円の赤い車を買ってきて速攻白い塗料を塗り始める彼。『とりあえず窓はガムテープでカバーして・・・っと♪』『一回塗ったから、これが乾いたらも一回塗らなきゃ~♪』彼がかなり苦心して改造を試みた結果は・・・・・撃沈・・・・・・見るも無残な姿となり、車はゴミと化したのでした。2000円が一瞬でパー。なかなか豪勢な遊び方をする奴です。これで懲りたかと思いきやそこは筋金入りのマニア。今まで貯めたお小遣いをはたいて数千円単位の車集めを続けております。マニアとバ○につける薬はない。そう確信する今日この頃。どうせ集めるなら場所取らないものにして欲しい・・・・。
2004年08月29日
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1ヶ月ほど前から、アジア諸国を放浪しています。まずインドに入ってからカンボジアに飛びその後またインドに戻り、パキスタンへ。そこでしばらくゆっくりしてからつい最近バングラディシュに入りました。ジャムアさん、日本にいるんじゃないの??ええ、残念ながら日本であくせく働いてます。実は、アジア放浪は本の中での話。上にあげた国々の作家の短編集をここ最近読み続けているのです。一口にアジアと言っても、その文化はそれぞれ。物語の中に垣間見える宗教観、性モラル、家族の繋がりそれぞれまったく違う価値観が繰り広げられています。一口にアフリカと言ってもそれぞれ違うのと一緒ですね。さて、その中でパキスタンの作品として私が何冊か読んでいたのがマントーという作家のものなのですが、彼はちょうどインドとパキスタンが分断された頃の作家なので、その頃が舞台となる物語が多く書かれています。本の話はまた今度ということにして今回は彼の本を読みながら私が思い出したインド映画をひとつ紹介しましょう。インド映画『ボンベイ』この映画の主人公は、mixed marriage を選んだ二人の男女。二人ともインド人ですが、二人とも違う宗教を持っているのです。男はヒンドゥー教、女はイスラム教。お互いの家族は大反対。でも二人はそれを押し切って結婚してしまいます。二人の男の子にも恵まれ、幸せな日々を送る二人。その孫たち可愛さに、二人の親もしぶしぶながらお互いへの敵外心を解いていきます。時代はおりしも、インドでヒンドゥ教とイスラム教の関係が一触即発となっていた頃。ある事件をきっかけに、2つの宗教関係は悪化し暴動が起きてしまいます。幸せに暮らしていた二人と子供達もこれに巻き込まれてしまうのですが・・・・・。インド映画ならではのエンターテイメント性も溢れてますが話の中では、宗教の違いによる排除の愚かさが全般に渡って貫かれています。宗教の違い、人種の違い、階級の違い、文化の違い・・・・そういったものを抱えている人は、この映画をみて何か感じられるのではないでしょうか。お勧めです^^秋の夜長にぜひどうぞ♪
2004年08月28日
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『ワタシの国には面白いフルーツがあるんだよ』おもしろいって、どんな?『それを食べると、苦いものが苦くなくなっちゃうんだ』よくよく聞くと、それはグミくらいの大きさの実で夫の国には至る所に成っているものらしい。へ~、なんで苦くなくなるの?『知らないけど、苦くなくなるんだ』なんて名前?『英語の名前は知らないなあ・・・・マジックフルーツって呼んでるよ』マジックフルーツ・・・・・なんてイカガワシゲな名前なんだ(笑)そばで話を聞いてたBが何か思い出したらしい。『それってさ~、日本のテレビでみたことあるよね?ミラクルフルーツっていうの』あ~~~、そういえば見たことあるかも。レモンとか食べても酸っぱくないんだよね?夫&B『そうそうそう!』でもそのテレビ観たのって、数年前だよね。じゃ、もしかしたらネットで検索すれば出てくるかも?・・・ちゅーことで検索し出したら出てくる出てくる『出て来いシャザーン!』ばりにゾロゾロ出てくるミラクルフルーツ関連のサイトたち。なになに?なるほど・・・・思いっきりはしょって言うと、つまりその実を食べると舌の味覚に膜が張られ、酸っぱいものを食べると甘いモノを食べる時に反応するところが刺激されるために脳が「あ、今甘いモノ食ってる」と錯覚するらしい。いや~・・・人間の脳ってアバウトだね(笑)で、面白いのが、その実には特にビタミンみたいな栄養が含まれていないってこと。暑い場所で欠かせないのがビタミンCの摂取。すっぱいビタミンCを取りやすくするためにその実は存在するらしい。『そ~そ~、その実の後にオレンジ食いすぎて子供はお腹壊したりするんだよな~(笑)』・・・・・オレンジの酸味の強さはそのままだからね・・・・・(笑)自然ってホント、至れりつくせりでよく出来てますよね。夫の話は続きます。『じゃあさ~、コーラノットって知ってる?』コーラノット?????それもフルーツなの?『そうそう、コーラの原料になるんだよ』あの、飲むコーラ???へ~~~~~~!ってことで検索検索。コーラノット・・・・・・ないなあ・・・・・・『そう?ない?やっぱりみんな知らないのかなあ』とりあえずコーラから調べてみるか。コーラ、コーラ・・・・・・・あ、あった!!!!でもそこにあったのは、 コーラノット ではなく Cola Nuts。そーいや、この人、nuts を ノット って発音するんだったっけ。すっかり忘れてたよ、はっはっは。こっちのコーラナッツってやつは、ホントにコーラの原料となってて(←疑ってた)あのコーラの赤色はこのナッツの色らしい。カフェインが含まれてるので、ある種の覚醒作用、興奮剤のような作用がある。お酒飲んだ時みたいな感覚が味わえるってことね。『そうそう、食べるとハイになるんだよね~』でもさ、こういうのばっかり食べてると、みんな興奮して気が荒くならないの?『そーいや、たくさん食べてる人達って、酔っ払いみたいにしょっちゅう喧嘩してるかも・・・』・・・・やっぱりねえ・・・・・『そっか~、そういうもんが含まれるからああいう状態になるのか~』科学的解明に心底感心してる夫。とうがらしも似たような成分が含まれるっていうしね。人の精神状態と食べ物は切り離して考えられないっすね。ちなみに日本人が好きなワサビは、逆に鎮静作用があるみたいですよ。さて、さらにさらに夫の話は続きます。『それとね、食べてるとガムになっちゃうフルーツもあるんだ』え?ガムですか???『そうそう。噛んでるうちにね、チューインガムみたいな食感になるんだ。 アナタの知り合いに知ってる人いないの?』アフリカのわけのわからんフルーツについてなんてマニアックな会話はしておりません。ガム・・・・・ガム・・・・・・こちらはさすがに検索不能です。知っている方、実際食べたことある方、情報求ム。
2004年08月27日
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子供たちが小さい時、こんな話を聞いたことがある。『大人はよく子供に月を黄色で描かせようとするけれど よく見て御覧なさい。月は黄色ではないでしょう?』夜空で月を見上げてみると、たしかにそうだ。絵本にのっているような、きれいなレモン色には見えない。試しにAに聞いてみた。『ねえ、お月様って何色にみえる?』間髪いれずにAは答えた。『桃缶のモモ色』私は小さい頃、ぬり絵が大好きな子供だった。塗っても塗っても飽きることがなく一冊がすぐに終わってしまうので、根をあげた母は一日に塗るページの数を制限するという技に出た。私の周りには、嫁入り前の裁縫好きの叔母達がいつも私の子守役にいて、塗り絵にももちろん付き合わされた。叔母達は塗り絵をしている私にタブーの色の組み合わせというものを教えた。『この色とこの色は組み合わせてはヘンよ』私はその色が好きだったし、好きな色同士が隣合わせになったらさぞかしキレイだろうと塗っていたのだが色の組み合わせとしてはヘンだと言われそれから色同士の組み合わせにかなり頭を使うことになった。その時の教えというのは、骨の髄まで染み込んでしまっているらしくて今でもその時のタブーな組み合わせというやつは知らず知らずのうちに避けるようになっている。今はそんな組み合わせは、皆当たり前のように使っているというのに。幼い頃に刷り込まれた教えというのは恐ろしいものだ。ぬり絵のページ数を制限された私は代わりに色を塗れる物を探しまわった。大抵はチラシの白い部分に色を埋めていった。白い部分が少ない紙は大嫌いだった。祖父母の家でチラシにぬり絵をしている時ビーバーの絵が描いてあるチラシを見つけた。そのビーバーにはもう色が塗ってあったのだが(ちぇっ、残念)2本の前歯はまだ白のままだった。私は、その歯をピンクと水色で塗った。その組み合わせがとても好きだったから。そのピンクと水色の歯を見て、まず祖母が噴き出した。『あらあら、歯をピンクと水色で塗っちゃったの?』その場に居合わせた大人全員が私の塗ったビーバーの歯を見て笑っていた。でも、水色とピンクが好きだからそう塗ったのに。白い紙に白色で塗っても意味ないじゃない?きれいな色ねって誉めてもらいたかったのに。私は大人達の笑いにとうてい納得いかなかったがそれに異議を言うほどの言語能力もなかった。ただ『歯をピンクと水色で塗ると笑われる』というショックが残っただけだった。歯は白いのだから、白色で塗らなければならないんだと。そうしなければ笑われてしまうのだ。コンサバな環境で育った私は運命のいたずらかなる様になったのかコンサバな夫を持つ身となってしまったようだ。夫は子供たちの絵を見て言う。『なんでこんな色を使うの?』子供たちは答えない。困ったような顔をするだけだ。代わりに私が答える。いいじゃない。その色が使いたかったからその色を使っただけよ。そう、ただ使いたかったから使っただけなのだ。それ以上でもそれ以下でもないんだよ。ただそういう気分だっただけ。
2004年08月26日
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Aが3歳くらいの頃、夫の同郷の人達が開くパーティに連れて行ったことがある。ちょうどそこにAくらいの男の子がいた。お父さんもお母さんも夫と同じ国の人。Aとその男の子、Bの3人は大人そっちのけで3人で追いかけっこをして遊び始めた。かれこれ1時間は一緒に遊んでいたのではなかろうか。帰りの車の中で、Aにその男の子のことを聞いてみた。『A、よく遊んでた子いるでしょ?あの子、お名前なんていうの?』Aは特に変わった風もなく答えた。『あの子、お口きけなかった』本当にあの子が口がきけなかったわけではない。ただ、Aにはあの子の話してる言葉が理解できなかったのだ。『こいつの話してることはさっぱりわからん』とお互いに思いながらも、彼らは一緒に遊んでいたのだろう。話は変わって、息子達を夫の国に連れて行った時の事。Aが小学4年生、Bが3年生の時、彼らは初めて父親の国の土を踏んだ。そのちょっと前から英語の勉強を始めてはいたもののとうてい意思疎通できるレベルには到達していなかった。あちらの家には、住み込みで家を管理してくれている男の人がいた。彼は元運転手だったというだけあって、車のことならなんでも知っている人。Bはすっかり彼になついてしまった。彼の方も、Bのことをとても可愛がってくれ何かにつけBと行動を共にしてくれていた。彼らの朝は早い。日が昇ると起き出して朝の6時ともなれば車を洗い始める。朝が苦手なBは、彼と一緒に車を洗うのが楽しくて楽しくて毎日彼に負けないように早起きしていた。彼は英語を話していたが、Bにはほとんど理解できなかったはずだ。でも、彼らには言葉は必要なかったらしい。一緒に時間を過ごす、ただそれだけでよかったのだ。帰国寸前の数日、Bはそれまでの疲れが溜まってしまったらしくどうしても朝早く起きることが出来なかった。Bが起きる頃には、彼はすでに車を洗い終わっている。『明日こそ間に合うように起きよう』そうBは思いながら、起きられずに帰国の日は来た。空港についてから、Bはポロポロこぼれる涙を必死になって拭いていた。彼と別れるのが悲しくて悲しくてそれでも彼の前では涙を拭きながら耐えていた。彼と別れて飛行機に乗ってからもBの涙は止まらなかった。毛布を頭からかぶって、声を押し殺して泣く彼が泣き疲れて眠るまでそれは続いた。言葉って何だろう。この2つの話を思い浮かべるたび、私はそう考える。
2004年08月23日
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あなたは占いを信じますか?巷に溢れる数々の占い。ネットの中にもいろんな変り種があって私もたまに遊ばせてもらってます。面白サイトで有名所と言えば『寿命占い』。私は『人の恋路を邪魔して馬に蹴られて死ぬ』そうです。死ぬ瞬間に、走馬灯のように『あの占い、当たってた・・・』と思うんでしょうか。ああ、とっても楽しみ(笑)そもそも、私の小学校から高校までの時代はいわゆる『オカルト&占い』ブームでした。学校には必ず誰かが心霊写真の本を持ち込み(笑)年頃の女の子が読む雑誌は占い専門誌。私もこの時期にいろんな占い知識を詰め込んだ思い出があります。今ではまったく占いに関心がない私ですが当時は一日が占いに始まって占いで終わってました。なんでそこまでのめりこんだかと言えば今思えば、十代の頃って自分を一番知らない時期で一番自分を知りたい時期。自分について何か教えてくれるものが占いだったんじゃないかなと思います。で、今は自分についてもよくわかってるし未来についてもあんまり興味ないので占いにもあんまり興味がないというわけ。そーいえば、あの頃ってコックリさんブームもすごかったなあ。今の子もああいうの、やってるのかしら?おっと、横道にそれた。ところで、占い。当たった事ありますか?私には『もしかして当たったのかも?』と思う出来事がふたつあります。ひとつ目は、私が18歳の時に占ってもらった時。友達と面白半分、付き合い半分でデパートの一角で占ってもらった結果は『あなたは、今年と来年の2年間、恋愛運が最上昇の位置に来ていますよ』でした。当時は「へえ、そうなんだ」で終わっていた出来事。10年後に思い返してみれば、その最上昇中の19歳の時に私は今の夫と出会ってました。で、今に至ってます(笑)『それって当たりなの?』という意見もあるでしょうが(笑)私的には『当たり』だと思ってます。で、もうひとつ。こっちは当たって欲しくないなって思ってること。ある時、ネットで姓名判断のサイトを見つけたんです。実は、私の本名は、初孫のためにおじいちゃんが頭を捻りに捻ってつけた名前だそうで姓名判断サイトでは、大抵『最高の運勢』と出ます。まずそれが大ハズレなので、私は姓名判断ってものにまったく信用を置いてなかったのです。で、その私が見つけたサイト。ちょっと面白半分に私の名前を入れてみたら・・・・・当たってる・・・・・かなり興味が沸いて、いろんな人の名前で試してみたら一番『!!!』な結果が出たのが次男坊Bの名前。『この名前は、健康運が悪く、怪我や病気が絶えません』・・・・・・・・。実は、Bはそうなんです。しょっちゅう具合を悪くするし、怪我も絶えない。それも、擦り傷くらいならいいですが、縫う怪我や骨折レベルの怪我が、です。子供達の名前は、思い切り私のインスピレーションで付けちゃいましたがそれが裏目に出ちゃったのかなあ・・・・?私としては、それが『Bの年齢のせいである』と願うばかりです。だって、いまさら責任取れないもん~~~~~~~!
2004年08月20日
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いきなりだが、Aは優れた美貌の持ち主だと思う。『親バカが何言ってんだか』と思われるかもしれないが親の贔屓目を引いても余りあるものが彼には備わっている。『美形とは一種の奇形。だから人の目を引き付ける』という言葉があるが、彼はまさにそれなのだ。人と違う何かがあるから、人はそれに目を奪われる。まだAが生まれる前、健気にも私は『人は外見より中身』だと信じていたが、それはただの戯言だとAは思い知らしてくれた。外見が優れていたって、それは最初のうちだけ。付き合いが深くなるに連れて中身の方が大事になる。まったくの正論だ。中身が空っぽな人形に人は興味を持たない。だが、人が接触する大部分は、そこまで深い付き合いにならない人達だ。一瞬すれ違う人達、一時同じ場所で過ごす人達。そういう人の方が圧倒的に多いのだ。そして、美の威力が発揮されるのは、まさにそういう場なのである。人は美しい人には優しい。『美しい』ということは、ただそれだけで得なのだ。Aがかなりの天然ボケでも『A君ってそういうとこがまたいいのよね♪』と思ってもらえるのも、ひとえに彼の外見ゆえの恩恵なのだ。これが、普通の日本人の平面顔だったら『ただのトロイ奴』で終わっているに違いない。何しろ彼は小さい頃から誰かに会えば『可愛い』だの『ハンサム』だの『ゴージャス』だの誉め言葉を一身に浴びて育ってきた。そして、私はそれが嫌だった。こんなに蝶よ花よと育てていたら、どんなに鼻高々な奴になるか。それがとっても心配だったのだ。そして13年後。褒めちぎられて育った男がどうなっているかと言えば髪はぼさぼさ、服は洋服ダンスの一番上にあるもの適当に着て靴はビーサン。鏡なんていつ見てるの?顔洗ってる時くらい見てるんでしょうね?という有様。彼にとって自分の顔はただの顔でしかなくきれいな肢体はただの体でしかない。そして相変わらず彼の周りの美しくない人達に世の不条理さを考えさせる機会を与え続けている。やーねー・・・・・・。
2004年08月19日
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坊主二人が揃ってお出かけしてしまった休日の朝。夫婦での~~~~~んびり過ごしていたらいきなりPCを見ている私に夫が『見て見て!』と大声を出した。視線を向けた先にあったものはテレビに映し出された日本のオカルト映画のCM。どうやら首のない死体が映っていて怖い話好きな私が気に入るだろうと思って声をかけてくれたらしい。別に首なし死体は好きじゃないんだけど、どうもありがと。この映像の後の、夫からの『幽霊とお化けってどう違うの?』という素朴な質問を皮切りになぜか幽霊話が始まってしまった。夏に日本のテレビがやるものと言えば『ホントにあった怖い話』系の体験談。夫は、子供たちと毎朝、某番組でそれ系の番組をずっと観てたらしい。その内容を嬉しそうに(?)私に説明してくれる夫。そして、その内容も特に不思議なことだとも思ってないらしい。『人間は死んでから、40日くらいはまだこの世にいるんだ』という彼。日本の49日の発想ととても似ていて宗教って元はひとつなんだなあ、と改めて思ったりする。彼の国の死にまつわる不思議な話を聞いていても内容が日本と変わらないのもまた興味深い。例えば、死んだ人がその死の瞬間にまったく違う場所でいろんな人に見かけられていたとか。例えば、死に際に自分の親が枕元にたって、細々自分の葬式について指示を出したとか。例えば、死んだ人が自分が死んだかどうか友人に尋ねに来たとか。どうやら、死に向き合う瞬間というのはどこも一緒らしい。ここまでは大差なし。それじゃ、その後に行く世界も一緒??それこそ「神のみぞ知る」ってやつだよね。
2004年08月15日
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この頃息子たちから向けられる言葉は非常に暖かいものが多い。『ママの腕って太いね~』『ママの足って太いね~』『ママって太ってるよね』一週間ほど飢えたいか?お前ら(怒)しかし、事実なだけに反論できない・・・・。毎年夏になって水着姿になると『来年こそはナイスバディになって夏を迎えよう!』と思ってるのに(その夏は捨てる根性なし)イザ来年の夏になってみると・・・・・・去年より太ってる・・・・・・・・おかしい!今年はナイスバディのはずではないか!!!そんな悩ましい夏をここ数年迎えてる気がする・・・・(--;なぜだ?なぜなんだ???毎年夏はビールに明け暮れるからか?(でも冬でも明け暮れてる)でもでも、私はアイスもチョコも甘いものもほとんど食べないのに~~~~!これが中年になるということなのだろうか・・・・・(悲)そんな私の今日1日の食事と言えばバームクーヘン 1切れリンゴとカスタードが入った菓子パン 1個チョコチップいりメロンパン 1個ビール 1缶・・・・・・・・・。ダイエットは食生活から。いつまでも高校生レベルじゃやっぱりイカンらしい。ら、来年こそは・・・・・・(汗)
2004年08月14日
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PCが使えなかった数週間の間、私が何をしていたかと言えば家事にいそしんでいたわけでも子供の相手をしていたわけでもなくただひたすら読書にいそしんでおりました。図書館からごっそり借りてきてそれこそむさぼるようにすごい量を読みました。なんだか、今まで乾いていた部分に水を与えられた感じ。やっぱり読書っていいですね。今回は、その中で私の目からウロコをとってくれたような一冊を紹介したいと思います。それは、『スカートの風(チマパラム)』という一冊。著者は、日本在住の韓国人、呉 善花(お そんふぁ)氏。韓国で反日教育を受け、日本に渡ってきた後にいろんな経験をしながら感じた日韓の違いに触れて書かれています。面白いのは、日本を見る彼女は韓国人の視点を持ち韓国を見る時は日本人の視点を持っているところ。日韓それぞれの良い所・悪い所・相違点を挙げながらお互いがどういう場面で誤解を生じてしまうかにも逐一触れています。書かれたのは10年前なので、今とはちょっと状況が違う点もありますが、韓国人との付き合いに疑問がある人にはもってこいの参考書となるのではないでしょうか。さて、なぜ私がこの本にこれほど衝撃を受けてしまったのかと言えば「今まで私が抱いていた信念は間違っていたのではないだろうか?」と思わせられる場面が何度も出てきたからです。例えば『韓国人からのプレゼントは、その気持ちと値段が比例して表される』という部分。日本人のプレゼントと言えば、値段があまり張らないようなものを贈ります。それは、相手に負担を感じさせないためです。でも、その常識が韓国人相手ではマイナスの意味で取られてしまう。このささやかなプレゼントに喜んでくれるのは、日本の常識に通じてる人位でしょう。よく『心がこもっていれば、文化が違っても通じるはず』と言いますよね。私も今までそう思ってました。でも、いくら心を込めてみても、相手の文化への理解がなければその心は通じないのではないだろうか。文化の違いというのは、人が思っている以上に大きい壁なのではないだろうか。この本の内容は、日韓の違いだけでなく『常識の違いがもたらす壁』と『違う文化を持つ人との付き合いの基本』のようなものを改めて私に見せ付けて、考えさせてくれたのでした。最初に一冊と書きましたが、実はあと2冊の続編があります。『続 スカートの風』と『新 スカートの風』です。「新 スカートの風」は、どこかの雑誌に読みきりのエッセイスタイルで書かれたものがまとまった形になっていて、在日外国人への日本で生活するいろんな事柄に対するアドバイスになっています。日本人にとっても耳の痛い話がたくさんありますが、違う視点から日本を眺めるにはいい内容だと思います。つい最近起こった韓国の餃子事件。これもこの本を読むと「なるほど!」と思えますよ3冊ともお勧めです。
2004年08月13日
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「もうひとり子供が欲しい」つい最近まで、この突き動かされるような衝動と子育ての煩わしさを思い起こさせる理性の間で本気で悩んでました。もともと若い頃から子供嫌いだった私。二人の子を産んだからってそれが治るわけでもなくほんのつい数年前までは、赤ちゃんをみても特に可愛いと思うわけでもなく「大変ねえ。私はやっとあと少しで子供から解放されるわ♪」って心底子供の親離れを楽しみにしてたんです。なのに、いざ手が離れた今、なんでまた始めたがる?私もそれなりに年を取って女性の本能とやらが出てきたってことなのかしらねえ・・・・・??本能なら逆らわずにそれに乗っかっちゃおうかしら?夫ももう一人欲しがってることだし・・・・(4月4日日記参照)なにしろタイムリミットは目の前。悠長に悩んでる時間はないのです。そんな感じで気持ちがグラグラしていた時何気なくテレビを見ていて、ハッとしました。テレビに映ってる日本人の赤ちゃんを見ても、何にも感じない・・・・そう、思い起こしてみれば私が「子供が欲しい!」と思う時は決まって2,3歳の黒人の男の子を見た後。そーか、そーだったのか!なぜ私が急に子供が欲しくなってしまったのか。テレビの日本人の赤ちゃんを見た瞬間その謎が解けました。どうやら、私はAの子育てのやり直しをしたかったようなのです。私が過剰に反応していた2,3歳の黒人の男の子は私があまり相手をしてあげてなかった頃のAの姿だったのでした。Aは昔からとても手のかからない子でした。それをいいことに、人一倍手のかかるBの世話を優先してしまっていた私。今でも2歳の頃のAの写真を見ると無性にせつなくなって、タイムマシンに乗ってその頃のAに会いにいきたくなります。当時忙しかった私の代わりに、Aを思い切り抱きしめてあげるために。忙しさの中で、心のどこかで凍ってうずもれていた後悔が時間の余裕とともに解けて流れ出してきたのでしょう。私は、新しい赤ちゃんを、Aの代わりにたくさん抱きしめてあげたかったのです。当時の埋め合わせをするように。だから、新しい赤ちゃんは「黒人の男の子」でなければならなかったのです。じゃあ、新しい赤ちゃんをたくさん抱っこしてあげれば私の今の気持ちはさっぱりするのでしょうか。いいえ。逆に、抱っこすればするほど、Aにそうしてやれなかった後悔の気持ちが強くなるだけでしょう。それに、理由がわかった途端に私の中の「赤ちゃん欲しい病」は姿を消してしまいました。まるで私が本当に目を向けなきゃいけないものを教えたので役目は終わったとでも言うように。
2004年08月12日
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今日、久しぶりにキリンのビールを飲んで「そーいえばSpicyのおじーちゃんはキリンの人だって言ってたっけ」なんて考えてたら、私の周りの親戚の中にはいわゆる『スーツ着て働くサラリーマン』な人が皆無なことに気がついた。母方も父方も、農家、職人、工場務め、デパートの売り子、大学教授、警察官などなどいわゆる「オフィスで働く人」がいない。母が再婚した義父も鉄骨職人だったし、実父は体操選手を目指していたらしい。私はサラリーマンが皆無な環境に育ったのだ。と同時に、うちの子達も同じ環境で育つのだ。私の母方の祖父は農家だった。彼が腕のいい農家のおかげで、私はおいしいお米とともに育った。父方の祖父は染物職人だった。自分で工場を持つ事業主だったので私は小さい頃、染められた布たちと育った。白い布に模様がつけられ、大きな水槽で洗われ高い高い鉄塔の上から吊るされてたなびく。その頃の記憶が染み付いていることは今でも古典的な和柄にとても惹かれることからわかる。二人の職人の祖父を持つ私にはやはりその血が流れているらしい。私もモノを作るという作業にとても魅せられる。私が今まで携わってきた仕事の中でも何かを作れる仕事は飽きることがなかった。今の仕事に何か違和感を感じてしまうのもこの「モノ作り」の部分が皆無だからだ。この事に気づくまでに、あちこち遠回りしてきた。やっと自分の進むべき道がわかってきたような気がする。祖父から受け継がれたモノ作りの血は私を通してBに引き継がれたらしい。Bもとても小さい頃から暇さえあれば何か作っている。彼のすごいところは、作ったものを惜しげもなくガンガン壊すその潔さだ。そして、自分にとってモノを作るという行為が大事であることを自覚している。きっと彼の将来も、モノ作りから切り離せない生活になるだろう。今の私のように。
2004年08月11日
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さて、そろそろ夫の夕飯の準備をしなきゃ。今日使いたい食材は、豚ロースの薄切りとピーマン。主食はご飯。いつもなら、ピーマンと豚肉の炒め物ってとこだけど・・・・・いつも同じメニューっちゅうのもねえ・・・・・・・作る方は楽だけど、食べる方は飽きるよね。この食材で何か出来ないかなあ・・・・・・☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ってことで思いついたのがコレ。題して『ピーマンのご飯詰め肉巻き焼き』(そのまんま)久しぶりにヒットだったんで、ここで紹介しますね♪(料理コーナーには、また後ほどアップしときます)材料は、二口で食べられるような小ぶりなピーマンとピーマン半個に対して豚ロースの薄切り2枚そしてピーマンに詰めるだけのご飯。まず、ご飯に味をつけます。我が家は市販のサフランパウダーを使いましたが、ケチャップでもおしょうゆでもコンソメでもお好みの物でOKです。お米同士がくっつくのを邪魔しないものがベター。それをご飯全体に混ぜます。次にピーマンを縦半分に切り、種をきれいに取り出してさらっと洗ってから、サッと水を切ります。水分が残ってると、ご飯がべちょべちょになりますよ。そのピーマンの中に、先ほど味をつけたご飯を端から端まできっちり詰めます。隙間は作らないように、ちょっとこんもりするくらいに。ピーマンの肉詰めと同じ要領です。それが終わったら、今度はそれを肉で巻いていきます。薄切り肉を2枚、縦につなげたら、スパイラル状態で端から少しずつ重ねながら巻いていきます。ご飯をきっちりカバーするように気をつけてね。最後は必ずご飯側になるように。お肉でピーマンが全部隠れるような感じで巻ければ最高です。巻き終わったら軽く塩・コショウをふります。さて、いよいよフライパンで焼きます。油をひいたフライパンの中に、お肉の端がある方(ご飯側)から中火で焼き色がつくくらいに焼いたら反対にひっくり返し(今度はピーマン側が下になってますね?)弱火で蓋をしてじっくり焼きます。ピーマンの硬さにもよりますが、だいたい5~7分くらいかな?ピーマンがしんなりしてきた状態になったら出来上がりです。ピーマンが硬めだったら、焼かずにスープの中でちょっと煮てもいいし(この場合は楊枝で端をとめてね)そのままか衣をつけて揚げてもまたおいしいと思います。牛肉、豚バラなど、料理方法で肉の種類を変えてみてね。ベーコンで作ったものもおいしかったですがこの場合は端がくっつかないので、ピーマンを横から串刺しにするように楊枝を2本刺して端を固定してみてください。さあ、あなたならどうアレンジする?ぜひぜひお試しあれ♪
2004年08月10日
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今日、修理先から我が家にPCが戻ってきました。実は1週間前程に、修理先から故障箇所と金額の提示の連絡を受けた時「え?????」と思うようなあっけない経過報告だったのであの症状がその修理で直るんかい?と思い切り疑ってたのですがどうやらこうやらちゃんと動いています。でも、やっぱり疑心暗鬼だったりするので(笑)保証の利く間に思い切り使い込んで同じ症状が出ないか試してみるつもりです。このままちゃんと直ってくれてたらそれが一番なんだけどね。さて、久しぶりの楽天参加なのですが家主のいない間に思い切り模様替えされちゃってるのでそこから手を加えないといけないようです。楽天さん、今週末の仕事を増やしてくれてありがとう(怒)***************************************************************さて、話は変わってつい最近、子供たちのリクエストにより一家で日本のハワイに行ってまいりました。そう、あのスパリゾートハワイアンズです。独身の時は『日本のハワイ~~~~~?!?!?』と思いっきりバカにしていた記憶があるのですがよもや自分がそこに行くことになろうとは人生何が起こるかわかりません(笑)さて、日本のハワイの感想は?南国風大型室内プールって感じでした(そのまんまや・・・・)ハワイと言い切るのはかなり苦しい。が、『南国風』ならなんとかいけるかも。そんなレベルです。話のネタに一回行ってみても損はない(かもしれない・・・・)行くからにはハワイアンズのホテルに一泊してポリネシアンショー見てムームー着てトロピカルジュース(?)なんか飲んでと目論んでいたのですがなんせ思いついたのが夏休み入ってからなのでホテルなんて取れるわけもなく近場のビジネスホテルで我慢とあいなりました。ポリネシアンショーもなし(涙)その代わり(?)ボリジョイサーカスの空中ブランコを堪能して帰ってきました。時期限定の出し物のようでしたが実はこれが一番私的には楽しかった(笑)夏休みということもあってかなり広いスパとプールゾーンがすべてイモ洗い状態だったのですが子供たちはそれなりに楽しんだようです。一日スライダーに乗り続けてフリーチケットの元をきっちり取っておりました(笑)でもね、これだけの人が使用しているプールだからやっぱり塩素の量もすごかったと思うの。次の日から、私達の体にはあちこちに湿疹が出てて数日間ひっこみませんでした。しょーがないって言えばしょーがないんだけどね。さて、その後、予約していたビジネスホテルへ。今回、ここでも初の試みをしてみました。部屋を2つ取って、親と子供がそれぞれ別々の部屋に泊まることにしたの。ビジネスホテルって、大抵許容人数が2人だから家族4人がひとつの部屋に泊まるのはどう考えても不可能。体のサイズもすでに大人4人分だし、シャワーやトイレの稼働率を考えてもかなり厳しい。他の一般的なホテルも探してみたんだけど大抵2食か1食付になっていて、どうせ夫も子供も大して手が出ないメニューになってしまうんだろうからこれももったいない。なので今回は、海外旅行風に食事は外のファミレスで適当にすませてホテルは寝るのみを重視するスタイルを選んでみました。そしたら、実はこのスタイルが我が家には一番合っていることがわかって自分でもびっくり。変に食事つきのホテルに固執する必要はないんだと気づきました。子供たちも、自分たちの部屋でゆったり過ごせたようだしね。大きくなると、やっぱり楽ですね。ただ、これだけは気をつけようと思ったことがひとつ。それは、子供の部屋の鍵は親の部屋に置いておかなければいけないということ。最近のホテルはドアが自動ロックされますよね。親の部屋に鍵を置いておかないと、夜中に子供の様子を見にいくことが出来ないんです。自分たちだけで寝れるとはいえエアコンちゃんと弱くしたかしら?テレビちゃんと消したかしら?というような細々した心配はまだまだしなきゃいけないのです。また、子供がうっかり自分たちの部屋に鍵を忘れて親の部屋に来てたりすると、そのまま締め出しを食らってしまいます。(今回、思い切りやっちゃってました)こういう心配事が無縁になる頃には親とは旅行にはこない年頃になるんでしょうね。嬉しいような寂しいような(笑)もう数えるくらいしか残されていないだろうけど今のうちに彼らと一緒の旅行をしっかり味わおうと思います。いろんなことを教えてくれた今回の旅行。次の旅ではどんなことに気づくのでしょうね。
2004年08月09日
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みなさん、お久しぶりです。まだ我が家のPCは帰ってきていないので相変わらずPC難民の日々を送っています。でも、自分でも意外なほどにPCなしライフを謳歌しています。PCって自分でも気づかないほどにいろんな時間を私から奪っていたのですね(笑)さて、今日は久々に日記を書こうかと思ったのですが楽天っていつの間にやら、またいろいろいじくってたのですね。おかげで昼休みにアップするつもりが時間切れとなりました。時間があれば、また明日にでもトライしてみようかと思います。(明日もこんな感じだったら無理だけど・・・・・)というわけで、また明日。
2004年08月04日
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