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きのう見ていた美輪明宏のスペシャル。三原じゅん子が二度結婚して、二度とも夫の浮気で別れてしまうという人生相談。 「男はね。みんな浮気するの。しょうがないのよ。」と、三輪さんはいっていたけれど、うーん。 たぶん、彼女は浮気するようなタイプの男がほれるタイプの女なのだろう。そして、彼女もまた、浮気するようなタイプの男にほれてしまうのだろうと、思う。けれど、テレビ番組のあの場面で、あなたはそういう女だというわけにもいかないだろうし。だとすると、「男はみんな浮気する。」というしかない。正確には、「あなたにほれるような男はみんな浮気する。」ということなんじゃないかなと思う。 だとしたら、何度結婚しなおしても、かならず、夫には浮気されるわけで、浮気をしてほしくないなら、見合い結婚で、周りのすすめる浮気しないようなタイプの男と結婚するしかないと思う。でも、彼女はたぶん、そういう男は好みじゃないだろうし、嫌だろう。だとしたら、やっぱり、美輪のいうように夫が浮気するのを我慢して、浮気できなくなる歳になるまで待つしかないのかもしれない。 それがいやならもう、結婚すること、夫に浮気されることのない生活は、あきらめるしかない。 だから、最後に、あなたは結婚より他にすること、使命があるんだからと(だからもう結婚はあきらめなさい)と、いったのだろうと思う。 そして、彼女自身は自分のそういう部分に気づいていないだろう。あのアドバイスをうけてもやっぱり、わかっていないだろう。もしかして、また、結婚し、浮気されてわかれてしまうかもしれない。それでも、別れるまでの時間とりあえず、夫との幸せな時間がもてるのなら、それはもうそれで、いいのじゃないかと思うしかない。結果悪くても、すべて悪しではない。と、思うしかないんじゃないかな。 最後に三輪さん自身のカミングアウトにまつわるお話。なかなかすごかったですね。世間に、ホモセクシャルに対しての理解を得るためにがんばってるそうですが、彼の若い頃の知り合いの自殺してしまった話。すごかったですね。 そういえばこないだ読んだ漫画の『真夜中の庭』でも、主人公の弟が家族に自分が同性愛者であることを知られることをおそれ、最後に死んでしまう話があったけれど。 アメリカでは、最近、男性同士の結婚も許可されるようになって、一昔前よりは、社会の意識もだいぶ変わってきたけれど、やっぱりまだまだなんですね。最近の漫画は、息子が同性愛だと知って、どう対応すればいいのかわからない家族の困ったぶりを書いてあるものもあるし。 こういうのは、むずかしいなあ。
2007年12月29日
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うちの家族はなぜかドラマの『白い巨塔』が大好き。唐沢利明が財前五郎を演じた新しい方のやつである。今も長男が勉強しながら、テーマ曲の鼻歌を歌っている。 三年前私が入院していた時も、ちょうど再放送をやっていたらしく、家族で見ていたらしい。入院見舞いに来た家族の話題が「白い巨塔」で、盛り上がっていた。私の入院していたのは、大学病院なんてすごいところじゃなくて、中規模のところだけど、院長の総回診はあったよーん。 あのドラマは、「財前教授の総回診です。」ってところが一番たのしいもんね。 大阪大学にも医学部はあるけど、白い巨塔の大学は難波大学だ。やっぱり、あのドラマは大阪大学や京都大学じゃなくて、難波大学じゃないとね。だって、難波の商人の婿養子の話だもんね。なんて、話をしていたら、そういえば、あの東教授って、関西に対抗する、関東を代表した人物だったんだね。ってことに気がついた。東教授がドラマの中で、財前教授にぎりぎりするシーンが何度もある。財前が教授になった途端に、それ以外の以前彼の部下だった医者たちほとんどが財前側について、財前の見方になってしまう。教授を退いた途端に医局の人心がつかめず、自分の思い通りに運ばないことにイラつく東教授の姿が何度も出てくる。考えてみれば、東、つまり、関東ないしは、東京、ないしは、東京大学を意味しているのかもしれない。東大の医学部は医学界の中でも、特に力があるらしく、東大医学部出身でない、医者たちが、東大出身の医者の威光の強さにぎりぎりしているらしい。 その東大出の医者への恨みが、財前に味方する難波大学の医者たちの行動になっていたのか。 どうりで、東教授がドラマの中でいじめられまくるわけだ。 と、思わず納得したりして。 また、『白い巨塔』みたいよーと、うちの家族がのたまっている。韓国版の『白い巨塔』なら、ちょうど今ギャオで見られるみたいだけど、韓国版じゃ嫌だそうだ。 ビデオ借りるのもお金かかるしねえ。
2007年12月28日
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クリスマスもおわっちゃいましたね。今年はケーキは作らなかったけど、ローストチキンは焼きました。でも、写真撮り忘れました。食べ終わった残骸を撮ったけど、やっぱりそれをアップするのは、あんまりなのでやめました。今年食べたケーキの画像を残しておきます。うふふ。まずは、23日。シャトレーゼのアイスケーキ。かわいくて買ったけど、凍ったイチゴはやはり食べずらい。のが難点ですね。上がバニラで下がチョコアイス。その下が、ビスケットタイプのパイ皿でした。口やすめになって、おいしかったけどね。次は24日。シャトレーゼの普通にイチゴショートタイプのケーキ。シャトレーゼのは、食べた後に口の中に変なものが残らなくて、さっぱり。胃もたれも胸焼けもないので、だんな様が感心してました。そういうところがいいんだよね。でもちょっと、薄味慣れした私には甘すぎ。ちょっとだけだけどね。最後に25日。娘が学校で作ってきたケーキ。一人1ホール作らせてくれたらしいのです。なんて太っ腹な家庭科の先生でしょう。感謝感謝。おかげで今年は私がつくる必要はぜんぜんなかった。そのまんま持ってかえるということだったので、私はひよこのひなよろしくおうちでコタツに入りながら、口をあけて待ってました。スポンジもやわらかくて、私が作ったより、おいしかったです。デコレーションもかわいいし。ラッキー♪というわけで、おいしいクリスマスでした~~~~~
2007年12月26日
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昨今の高校はほぼ高校二年から進学を希望する大学のコースによって、文系コースと、理系コースに振り分けられる。コースによって、授業内容が大幅に変わってくるのだ。一見効率的に見えるこの制度だが、実際には子供を高校に通わせた段階で、文系にするか、理系にするかで悩まされた。 たしかに、確実な理系学部を志望する場合は、問題ないかも知れない。文学部などのはっきり文系な学部志望であれば、きらいな数学を高二からやらなくなるのだから、こんなラッキーなことはない。しかし、高一の段階でどちらの学部にするかを決めなければならないというのは、はっきりいって、厳しい。数学がきらいとか、絶対理科が好きだから、という生徒なら、いいかもしれないが、実際には、私立大学の社会科系の学部では、入試における科目が、かつての国語、英語、社会から、数学選択へと、大幅に移行してきている。いろいろな私立大学のサイトで、入試関係の部分を見ればわかるのだが、社会か、数学のどちらかを選ぶというシステムがこの数年でどんどん増えてきていて、しかも、数学選択のコースの方が募集人数枠が多いところもある。大学側は、社会科の暗記を地道にやってきた生徒より、数学の得意な頭の回転のいい生徒がほしいと考えているように見える。 にもかかわらず、未だに、高校の文系コースは、数学がないまたは、あっても、時間数が少なくなおざり。数学のきらいな生徒が多く、数学の時間はうるさくて授業にならなかったりすることすらある。 いったい、高校側は、この事実に対して、いつ、対処するのだろう。 長男の経済学部受験に当たって、文系コースに行くことに躊躇せざるをえなかった。また、下の娘の高校受験に当たって、各私立高校のカリキュラムを吟味しても、文系コースは、数学がなおざりなままだ。かといって、理系コースを選べば、確実に理科の授業を受けざるを得ない。時間のおしい受験学年に必要のない理科をやるのは、歯がゆい。 数学をきっちり盛り込んだ文系学部対応コースをぜひ対処していただきたいと、願っております。 コンピューターの普及した現在。文系コースといえども、数学が重要科目であることは当然だと思えるのですが、いかがでしょう。 高校の先生方におねがいしたいです。
2007年12月25日
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ディカプリオが主演じゃあんまり期待できないけど、とりあえず話題作だしと、思ってみたんですけど。意外と面白かったです。監督の解説つきなので、それも見てたら、合計4時間もとられてしまってちょっと痛かったですけど。ディカプリオは役作りにかなりいろいろ頑張っていたようです。なかなかいい男っぷりでした。見直しました。 最近はアフリカを舞台にした映画が増えてきました。普段はほとんど接点のない、情報もあまりないアフリカ。でも、アフリカのいろんな国が、まだまだ国としてまとまらず、内戦にあえいでいる様子は、胸に迫るものがあります。日本の太平洋戦争をテーマにした映画だと、もう何度もいろんな映画で使われていて、しかも、その後の日本の繁栄をしっているので、いまひとつ説得力がないのですが、アフリカの内戦や戦争の映画は、まさに今現在のことで、しかもこの先どうなるかもわからない、登場してくる兵器や銃も今現在のものなので、迫力もあり、戦争や内戦の怖さがぐっと説得力を持っている気がします。 アフリカのシエラレオネ共和国で産出されるダイヤをめぐって、国際的に不正取りひきが行われている。その密輸ダイヤで得た金が兵器にかわり、内戦が続く。 その渦中に大粒のピンクダイヤが発掘され、そのダイヤをめぐって、密輸商人アーチャー(レオナルド・デカプリオ)、シエラレオネの猟師ソロモン(ジャイモン・フスー)、イギリスのジャーナリストのマディー(ジェニファー・コネリー)がアフリカ中を駆け巡っていく。 ピンクダイヤを手に入れて、アフリカを脱出し、落ち着いた生活を手に入れたいアーチャーと、そのお金で家族を救い出すために、アーチャーとともに隠したダイヤを探しにいくソロモン。そして、見つけたダイヤをふところにしまいこむアーチャー。 けれど、最後の脱出の手前で銃による傷で命を失うアーチャー。彼は、死の間際にダイヤをソロモンに手渡し、マディーに自分の死後のソロモンのことを頼む。 アフリカに生まれ、傭兵となり、その後は密輸ダイヤと兵器の売買をしていた、悪人のアーチャーが死の間際に善人にかわる。 人を殺してでも、手に入れたいダイヤ。巨万の富。それは、だれでも、生きていかなければ、ならないのだから、食べるために住む家を手に入れるために、生きていくために誰だってお金が必要なはずで。そんな欲望を否定することは出来ない。けれど、死を目の前にして、生きていくためのお金を必要としなくなった時、アーチャーはすっぱりと欲望から抜け出して、ソロモンにダイヤを渡す。そして、アフリカを出た後のソロモンのために、マディーに彼のことを頼みすらする。 どんな人間にも、善と悪の部分があって、一人の人間がすべて悪でありきることはありえない。 アーチャーもまた、最後の瞬間に彼の善の部分を見せて、死んでいく。 内戦に染まるアフリカもいつか、悪や戦争の洗礼から、抜け出すことが出来るんだろうか。今現在もアフリカのどこかで、内戦が続いているのだろうか。地球からいつか、戦争がひとつもなくなることがあるんだろうか。アフリカに内戦がおきるのは、営利目的でアフリカに武器や兵器を売りつける西欧諸国の企業のせいだ。アフリカを苦しめのは、西欧先進諸国だけれど、その不正を正そうとするのもまた、西欧諸国の人たちだ。人を傷つけるのは、人だけれど、人を救うのもまた、人だ。西欧諸国から、戦争の仕方を学び、私利私欲に走ることを学び、兵器を買って内戦をするのは、アフリカの人たち自身だけれど、西欧の正義や文化や思想を学び、内戦を終らせ、国を豊かで平和にすることのできるのもまた、アフリカの人たち自身なのだ。戦争のない自然の豊かで平和で美しいアフリカの大地に、いつか安心して私たちが訪れることが出来るようになる日が来ることを祈りたい。 イギリスにわたった、ソロモンと、ジャーナリストのマディーの努力によって、密輸ダイヤは、規制され始め、シエラレオネに平和は戻った。一人ひとりの勇気と努力がすこしづつ実を結んでいく。 同じ女の身であんな危険なアフリカの地に渡り、真実をもとめて命がけの仕事をするマディーがうらやましくて素敵だった。 次は、『ダーウィンの悪夢』でも、見ましょうか。 参考サイト「血のダイヤモンド」 ブラッド・ダイヤモンド@映画生活
2007年12月22日
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イギリスの最古の伝承勇者譚。前半は巨人グレンデルを倒す話。後半は金色のドラゴンを倒す話。というと、単純なんですが、いろいろと含みのある設定で、どう解釈するかによって、物語がずいぶん変わってきます。 原作はものすごく古くて、しかも、失われている部分も多く、作者不明。長い時間をかけて、転記を繰り返しているうちにすこしづつ物語が省略されたり、足されたりされていそうです。 それゆえに現代の小説のような登場人物の細かい設定がなかったわけで、それを映画製作の段階で、原案者、脚本家、監督らによって、付け加えられているわけです。 つまり、物語にでてくる怪物と、ベオウルフや、そのほかの王たちが実は、父と子であったのではないかということ。それはつまり、グレンデルや、飛竜が、アンジェリーナ・ジョリー演じるところの「モンスターの母」によって、生み出されてそして、その怪物の母は、英雄たちを誘惑して、子供である怪物を生み出している。 そこに、父と息子の葛藤が描かれている話なのではないかという解釈が一番それらしいようです。 父と息子の葛藤や、和解を描いた文学作品や小説、絵画などが数多くあることを思うとまあ、よくあるネタともいえます。 でも、私は女なので、どうして、父と息子が親子でありながら、お互いに反感をもったり、いがみ合ったりするのか、その心情は理屈ではわかっても、実感としては、わからないです。 けれど、勇者ベオウルフを誘惑する美しい美女が実は怪物を生み出す妖女であったり、その妖女の産む子供が巨人や竜で、父親であるベオウルフの住む世界を破壊しに来るというのは、男にとって、女や子供っていとしい存在というよりは、醜くて、じゃまで自分の人生を破壊する恐ろしく怖い存在なんだろうかと思わされる。 あるいは、正妃をもつベオウルフにとっては、浮気の相手であり、その子供、つまり私生児なわけで、一時の誘惑に負けて浮気したつけが後になって大きな付けとなって彼の人生を破壊しにくる怖い存在でもあるわけで、ベオウルフの私生児である竜がなんどもなんども、正妃と側室を襲うシーンがあって、こわいですねえ。男の人にとっては。 というように私には見えたわけですが。 さて、私もこの話を民俗学風に解釈してみました。 巨人のグレンデルは、ほとんど皮膚らしいものがないので、昔は、たぶん、皮膚の疾患をもった奇形の子供とその母親を村びとたちが気味悪がって村から追い出した。追い出された親子は仕方なく村はずれの洞窟に住んでいた。生まれた時に既に身体的な疾患があって、怪物のようにしか見えない子供だったのか、あるいは、生後の病気で(たとえば水疱瘡のような)、非常に醜い姿になったために、村から追い出されて、やむなく村の外の洞窟に住んでいた母子。その子が成長して、自分たちを追い出した村に仕返しにきたり、冬場で食べ物がなくて、村に盗みに来て、村人に攻撃されてしかたなくやり返していたり。その子供が体格がたまたまとてもよくて、大きかった。村びとのイメージの中で巨人化していたのかもしれません。 そこにたまたまやってきた旅の勇者が村びとたちの頼みをきいて、その母子を殺した。そしてそのままその村に村長として残ったのかもしれません。 その話が、伝承されていくうちに話が肥大化して、巨人というとになり、後世でいつのまにか、竜をやっつける英雄の話とつながって、(竜をやっつける騎士の話はイギリスにはよくありますからね)、同じベオウルフという人物による物語になってしまったのかもしれません。あるいは、巨人をやっつけたベオウルフと、竜をやっつけたベオウルフは親子なのかも。父と息子で同じ名前をつけるのは、外国にはよくあることだし。その村の村長は代々ベオウルフという名前なのかも。あるいは、その村の名前がベオウルフなのかも。この二つの話には50年もの時間差がある。巨人をやっつけたベオウルフが20歳として、50年たったら、70歳。いくらなんでも、あんなすごい竜を一人で倒せるとは思えません。あるいは、孫かも。 とすると、奇形児とその子を産んだ母親が村から追い出され、最後は殺されてしまうかわいそうな話がいつのまにか、英雄物語に摩り替わってしまったのでしょうか。 あるいはまた、男にとって息子というのは、自分の人生や存在を脅かす怖い存在なんだという物語と、私には思えます。だからこそ、正妃ウィール・ソーは最後までけっして、子供を産まないのかもしれません。それは、たまたま生まれないのか。それとも、彼女が意図的に産もうとしないのか。前王フロースガールの子供を作ろうという誘いを拒否する場面があります。もしかすると、ベオウルフとも、彼の正妃になった後も、実際には、子供を作りたくなくて、肉体関係を持たなかったのかもしれません。そうすることで逆に夫の愛を維持し続けたのかもしれません。物語の中で、正妃ウィールソーとベオウルフの愛人が仲がいいのは、だからかもしれません。そして、年をとったベオウルフがなおも愛しているのはお前だけだとウィール・ソーに告げるシーンがあるのです。 女は子供を産めば、夫より子供を優先させてしまいます。そして、子供が生まれた途端、自分のことをないがしろにし、自分の存在をあやうくする子供は、夫にとっていとしい存在というよりは、怖い存在なのかもしれません。だとしたら、子供が出来たと恋人に告げられた途端に嫌な顔をする男は、恋人を愛しているかどうかというよりも、男として当然の反応をしただけかもしれません。あるいは、子育てに無関心であったりする夫たちも、しごく当たり前の行動をとっているだけかもしれません。 だとしたら、妻たちは、夫に子供をかわいがってもらうには、夫に優しくしたり、夫を立てたりするしかないのかもしれません。それはまさに昔の女たちがやけにうやうやしく夫たちを、男たちを立てていたその封建社会が実は、男たちが子殺しをしないようにして社会維持し、繁栄させるためのひじょうに巧妙に仕組まれ伝承され続けた社会のシステムだったのかもしれません。なにしろ封建社会になる前の戦国時代には下克上という、親子が殺しあうのが日常的に行われていた社会であったことを思えば納得できるかもしれません。妻たちは、夫がいかに子供の存在を恐れているものか、理解してもいいかもしれないと、そう、考えさせられた映画でした。 さらにまた、醜いグレンデルは、出来の悪い息子、後半に出てくる美しい金色の飛竜は出来のいい優秀な息子。こんな優秀な息子が成長したら、確かに父親としては、自分の人生や社会的地位を脅かす怖い存在であることは間違いないかも。そして、不出来で、村を破壊するグレンデルを息子とはいえ殺さなければならないフロースガールは、自分の子供を手にかけるのが忍びなくて、グレンデルを殺してくれる勇者を募集します。そして、ベオウルフがグレンデルを倒そうとする晩にフロースガールは息子が殺されるのを見るに忍びないからゆえに、先に寝てしまうのです。さらに、ベオウルフの息子はグレンデルとは対照的に優秀な息子であったようです。 そしてまた、この息子である竜が塔の上の正妃と側室を何度も何度も攻撃するシーンがあります。物語にでてくる黄金のホーンは、実は男の生殖能力を象徴しているのかもしれません。このホーンを「怪物の母」がもっていることで、ベオウルフは、子供を作ることが出来ません。それゆえに、ホーンがベオウルフの手元に戻った途端に、彼のただ一人の息子である竜は、自分以外にベオウルフの子供が出来ることで自分の立場が危うくなることをおそれ、塔にいる正妃と側室を殺しにきます。 父と子の葛藤。男と女の駆け引き。どんなに醜くても子供を愛する母の愛。そして、兄弟間の葛藤までがえがかれた、人間世界、家族関係の内的闘争を描いた物語ともいえるのではないでしょうか。ベオウルフは息子の存在を恐れて殺してしまいましたが、本当は竜なんかではなくて、金色に輝く美しい優秀な息子であり、彼の作った王国を彼の死後も引き継いでくれるすばらしい存在であったはずなのに。真っ暗な洞窟を照らす光輝く金色のホーン。子供を作り育てるということは、決して自分の存在を脅かすものではなく、見ることの出来ない暗闇のような未来を照らし、彼を救い、助けるものなのだということを男たちは理解すべきなのではないのでしょうか。 久しぶりにみた3D映画。人物が、実写なのか、CGなのか、微妙に混ざっているのか。なにか、プレステのゲームをやっているような感じがしました。少し変なんだけれど、その変さがグレンデルや、竜が出て来たときに、逆に違和感なく混ざりこんでいくので、微妙な映像効果になっていたような感じがしました。 ただ、レディースデーでも、2000円という、スペシャル価格なのです。 でもけっこう面白かった。竜が好きなので、竜さえ出てくればなんでもいいし。 ベオウルフ/呪われし勇者@映画生活
2007年12月20日
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願書は12月になったら書こうというか、書かなくちゃと思っていました。でもなかなか怖くて。今日やっと書きましたが、二枚つまり、二校分書いたら、つかれちゃったので、おしまい。一度に全部は無理だよね。一校づつ、いろんなルールがみんな違うので、一校書こうとするたんびにその大学の応募要項をいろいろと見ながら書かねばなりません。それぞれに試験日も、写真のサイズも、願書の細かい規則も違うので大変です。頭がこんがらがってきます。目の前で勉強をしている息子の勉強時間を削りたくないので、私が、書いてるんですよね。時間が惜しいんだもの。でもその息子。今日帰りが遅いと思ったら、学校の過去問をコピーしてたらしい。うーん。時間が惜しいとかいいながら、そんなことしてたんですか。センター試験の受験票は先週もらって帰ってきました。緑色なんです。しかも、写真を二枚も貼らなくちゃならない。焼き増ししてこなくちゃ。でも、最近はすごい。受験用の証明写真はみんな学校でとってくれるんですよ。でも、枚数がたらないので、もらったネガで焼き増しです。しかも、最近はデジタル写真なので、ネガも、デジタルダーテになってて、CDに入ってるの。そんなのも最近の写真屋さんは焼き増ししてくれるんですよ。しかも、塾でも、証明写真を写真屋さんより安くとってくれるなんていうサービスまである。なんか、すごいよねえ。手取り足取りって感じですかね。でも、年末は写真屋さんも年賀状で忙しいから。で、願書を年内に書いて、年があけたら、郵送出願です。ドキドキ
2007年12月17日
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既に20年弱使ってぼろぼろになった我が家のダイニングチェア。近所に修理屋さんを見つけて、修理を頼もうということにしました。いくらぐらいかかるかなあとネットで調べてみるとだいたい一客5000円から一万円くらい。うーん。と、思っていたら、だんな様が「自分でやる。」と、言い出したんですねー。えー。でも、そんなのの材料なんてあるの?で、またまたネットで探してみたけど、修理屋さんのサイトで、修理の方法とネット販売がありました。うーん。近所のホームセンターで売ってないかな。と、行ってみたけど、島忠にはないし。もう、一軒、行って見たドイトに。ありました!!!!!イス修理セットなるものが。ところが我が家のイスは普通のものより大きいので、そのセットだと小さくてだめ。でも、その横に、ばら売りで大き目のウレタンスポンジと、張り替え用の布地もありましたーーーーー♪あとは、ホチキスを大きくしたようなタッカーと針と、スプレーのりも買って、さあ張替えです。ほらね。こーんなにぼろぼろ。既に布地は切れて、中のスポンジもボロボロこぼれてくる状態。さすがに限界です。 まずは、ねじを緩めて座る部分の台をイスの足からはずします。張ってある布を切って、 新しいウレタンスポンジを台の大きさに切って、はって、うすいスポンジもはって、布をタッカーでとめて、余った布を切って、元通りにねじを締めてはい、できあがり。途中経過も写真にとればよかった。 こんなにきれいに出来ました。シロートでもできるんですねー。すごいすごい。 こんなに違うのですう。感激ー。なにしろいろいろお金のかかるご時勢。世間の景気は良くなったらしいけど、我が家にまではまだ届いてませんもの。きれいになったダイニングチェアで春からまた、おいしくご飯がたべられます。ふふふ。
2007年12月13日
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とうとう長男の期末試験が始まった。これから毎日毎日毎日毎日、長男が家にいるかと思うと憂鬱である。しかも、今回はこれまでで最長の長さだ。なんたって、長男が来年の四月に大学に行き始めるまでずーっと何だから。途中三学期に二週間ほど学校があるけれど、それ意外は、終業式とか、始業式とか、本番の試験とか、卒業式以外、特に予定なし。こんなの長男が幼稚園に入る前の時みたいだ。げっ。 これから毎日毎日偏食家の長男に昼飯を食べさせなきゃならない。彼が好きなのは、カレーとラーメンだったりするけど、いくらなんでも毎日インスタントラーメンとレトルトカレーというわけにもいかないし。お弁当だったら、何を入れようと、持たせてしまえば目の前で食べるわけじゃないんだから、残そうが、まずかろうが、どってことなかったのに。 しかも、冬間にしている和室兼リビングで勉強しているから、同じ部屋にいる家族に、テレビをつけるなとか、パソコンがうるさいとか、しゃべるなとか、うっとおしくてしょうがない。 はー。 塾の自習室まで行くのは遠くて大変で面倒だし、図書館もうるさいしってことで、結局うちで勉強してる。 早く四月にならないかなあ。 それにしても、浪人とかになったら、その先一年間も家で勉強するんだろうか。 うるさすぎるう。 ま、頑張ってくれたまえ。
2007年12月11日
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我が家の近くにも「シャトレーゼ」ができた。早速行って、アイスとシュークリームとお団子を買ってきた。 シャトレーゼは郊外型の無添加のアイスやお菓子を売っているお店。昔、旅行に行くと必ず、最低一回は田舎の道端にみかけたことのあるお店。 その頃は、チェーン系のいなかのお菓子やさんというイメージで特に立ち寄って買うこともなかった。郊外型なので、かならず、ある程度の駐車場があって、車で行って一週間分くらいまとめ買いできる。しかし、不思議と目について、なぜか印象に残っていたのはなぜだろう。 そのシャトレーゼが家から車で20分くらいの他県にあったので、以前何回かアイスをまとめ買いしに行ったこともあるけれど、まさかうちの近所に出店してくるようになるとは、思ってなかった。 最近は、郊外型の出店展開をしているチェーン店が都市部に出店しはじめているらしい。あの「シマムラ」もちっょと前に近所にできた。それも二店舗がかなり近い時期にできた。 しかしこのてのお店は車で買いにくるのが前提だから、駐車場のないところだと果たしてどこまで売れるのか。 うちの隣の区にできた、「ヤマダ電気」はいつのまにか、なくなっていた。いつ見ても、パーキングに入るのに並んでいた。あんなに駐車に手間がかかるようじゃめんどくさくなっていかなくなるだろう。なにしろ、ショッピングセンターと違って電気屋しかないのに、そんなに時間をかけて並ぶなんてあほらしい。 こんどのシャトレーゼは大手スーパーのすぐそばだし、普段自転車で行く主婦がいっぱいいる場所だから、駐車場がなくても困らないのかな。 シャトレーゼは、食品添加物無添加で、さっぱりしていて、後味がスッキリしている。食べ終った後に口の中に変な味が残らない。食パンもイーストのみでつくられていて、イースイフードは使われていない。基本的においしいと思う。アイスはすべて4個以上のパッキングでまとめ買い用になっている。こんどケーキ買ってこよう。 都心部などでたまに買う高級を売りにしているお高めのケーキは、サイズも小さいし、いろいろ手をかけてあるらしいのだけれど、サイズが小さくてすぐ食べおわっちゃうし、「すごくおいしい」とも思えない。食べ終わった後、何がどう高級でどうおいしかったのかよくわからなかったりする。あくまで脱ヤマザキのスタンスのケーキなわけで、そろそろその役目は終ったのかもしれない。 これからは、安くて、はっきりおいしいとわかるケーキの方がよっぽどいいかもしれない。 開店の日には娘の学校でも、シャトレーゼの話題でいっぱいで、その前からシャトレーゼのアイスを毎日たべてたくせに、そのアイスがシャトレーゼだと知らなかった娘は、「それってなに?」だったそうだけど。 このまま都心部にむけて出店展開していって、シャトレーゼは「不二屋」を駆逐したりするだろうか。うーん。 ところで都市型の「スタバ」や「ドトール」は郊外に出店展開したりするんだろうか。ちなみにもドトールは高速道路のパーキングにお店が増え始めているね。 今年のクリスマスケーキは自作はやめてシャトレーゼにしようかなぁ。
2007年12月08日
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おととい久しぶりに朝のラッシュの電車に乗りました。当然満員です。ふっと気づくと、隣の男性がしきりに咳をしている。思わず私は声に出して、「風邪がうつるなぁ。」と言ってしまいました。しかもそのあとさらに、「マスクしないのかなぁ。」と、とどめの一言。娘が一緒の時、こんなことすると娘に怒られるんだけど。うわぁ。 だってねえ。その人は、座席の前に立っていて、ずーっと咳してたのょねえ。手で覆うとか、顔をずらすとかもないし。私はその席に座ってなくてよかったけど、その席の人は嫌だろうなあ。 これだけ風邪やインフルエンザが騒がれているのに、ずいぶん配慮がないなあって思って。後半のマスクのセリフはかなり聞こえよがしに言いました。 普通なら、まあ、ここまで気にしないかもしれないのだけど、受験生を二人も抱えてる母としては、極力風邪をひきたくなかったんだもの。 いやだから、その人から離れようとしたんだけど、なにしろ満員なので、ぜんぜん移動できず。そのあと、目的の駅まで内心はらはらしながら、じっと我慢でした。 そのあと、その人は少し咳をするのを我慢してたらしく、それまでより、咳の回数が減っていました。それはそれで咳を我慢するのってつらいんだよね。 そのあと、目的の駅に着いて電車をおりまして、エスカレーターに乗ってふと振り返ると、さっき男の人が上ってきました。うわぁ。怖いので、目を合わせる前にぱっと目線を前に戻しちゃいました。そのあとは、特に何もなし。よかった。たまたまだろうしところで、そのあと、午後からいつもの薬をもらうために、かかりつけのお医者様のところに行きまして。ここ数日どうも痰がからんで鼻が出るんですといったら、抗生剤とか、トランサミンとか、風邪薬を出されてしまった。 うわぉ。私、風邪ひいてたんだ。熱もないし、だるくもなかったから、あんまり自覚してなかったけど、喘息だから、風邪ひくと痰が増えるんだよね。 自分が風邪ひいてたのに、他人の風邪を責めてしまったんだ。うわあ。 いやでも、私は、咳はしなかったからね。咳がいかに他人に風邪をうつすものか。健康な若い男の人って、わりとそういうこと考えないんだよなぁ。自分が元気だから。 でも、これからは電車乗る時は、飴持っていこうかな。咳してる人にあげたら、なめてくれるかしら。
2007年12月06日
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私は漢字の書き取りとか計算問題なんて大きらいだった。 一つ十個づつなんページにもわたって書かないきゃならない漢字の書き取りの宿題や、わら半紙一枚に小さな字でえんえんと続く三桁、四桁もある数字の足し算や引き算や掛け算をごっそりとやらされて、小学校のそういう勉強や宿題が大きらいで、いつも、うんざりしていたものだ。私は、計算が苦手で、計算式のいっぱい書いてあるテスト用紙をみながら、数分間思考が停止していたことが何度もあるし、単調で面白くない漢字をえんえんと練習するのも大きらいだった。 当時今はやりの公文があったかどうか、覚えていないけれど、その手のものに行かされなくて良かった。当時流行っていたそろばん塾も私は特に行かされなかった。兄は行っていたのだけれど、女の子の私には母は特に気合も入れてなかったようで、その手の習い事を私に強制しなかった両親に私は今でも感謝している。その当時流行っていたそろばん塾だけれど、私の父は「こんなもの習わなくたって、そのうち計算機とかいろいろ出てきて、そろばんなんか必要なくなるんだから、かまわない」と言っていた。そして、私が大人になった今、計算機どころか、パソコンの普及で簿記の細かい計算もみんな、簿記ソフトや、計算ソフトがやってくれて、ソロバンの出番なんか全然ない。父の言ったことはどうやら本当だったようだ。 もっとも、私が会社員だった頃は、まだ、ソロバンも使っていた。けれど、簿記に必要なソロバンなんて、割と簡単な足し算と引き算くらいで、それらは、大人になるまでになんとなく、身につけてしまったのだから、つくづくそろばん塾なんていかなくて良かった。 そのうえ、中学に入ってみれば、方程式なんてのは、せいぜい一桁か二桁の計算しかしない。三桁四桁の計算なんていらないのだから、つくづく、小学校の頃のあのめんどくさい計算の練習なんていらない。漢字はきらいだったけれど、漫画や本はよく読んでいたから、漢字の読みは覚えたし、漢字の練習に使う時間に本を読んだり友達とあそんだりしていた方が、よっぽど国語の読解力は育つと思うし、漢字なんてどんなに覚えても、知らない字が出題されれば書けないし、100点満点のテストで漢字の配点なんて、せいぜい10点程度。読解問題は80点は配点されているんだから、漢字よりそっちにエネルギー使った方がよっぽどいいと思う。 もちろんそれは、ある程度の漢字は覚えていくべきだけれど、そんなのは高校までには並くらいには覚えられるのだから、なにも小学生のころに完璧を目指して何度も何度もやることもないと思う。 それなのに、なぜか、最近は漢字や、百ます計算なんかが幅を利かせて、あいかわらず、子供の勉強はまず、漢字と計算からということになっているようだ。 しかも、中学受験の塾でも、まず、漢字と計算をやらされる。この方法はなかなかうまい。どんな馬鹿でも、というか、普通の子供でも、漢字とか計算はとにかく量さえこなせば、かならず出来るようになるし、とりあえず、それで、点を取っておけば零点にはならない。塾の側もとにかくまず漢字と計算ですといっておけば、できない子供でも、塾に通わせて塾代を稼ぐことが出来る。そうこうしているうちに学年が上がって、それまでの苦労と書けたお金がもったいなくて、すでに上位校は無理なことに気づいても、塾と受験をやめられなくなっていく。そして、日々勉強におわれ、子供はどんどん勉強きらいになっていく。 あるいは、中学受験をしなくても、小学生くらいだと、勉強なんてまず漢字と計算なので、子供に勉強させなくちゃと思う母親が、子供に怖い顔をして、どなり散らしながら、漢字ドリルや計算ドリルを強制する。怖い顔で怒鳴られて勉強する中で子供は勉強とは、嫌なもの、つらいもの、というイメージが出来上がっていく。 こうして、中学に行く頃には、これらの子供はすっかり勉強ぎらいになっていく。せっかく頑張って入れた私立中学ですっかり勉強きらいになって勉強しなくなった子供は、泥沼の底に沈んでいく。 小学生の頃は、勉強にうるさかった母親も子供が高校生くらいになると、さすがにどう勉強させていいかわからず、勉強しなくなった子供をただ怒るばかり。あるいは、ただ、放置するばかり。こんなときこそ、手をかけるべきなのではと、私なんかは思うんだけど。 小学生くらいの子供にそれほどの勉強なんて出来ない。だから、身につかなくても、いいから、すこしづつゆっくりとやっているだけなんだけど、その時点で漢字や計算を必要以上にやらせることは、子供のためにも、勉強のためにもあんまりいい事とは思えない。 早くからの勉強や塾通いなんていらない。高校からが勉強の正念場だと思う。 そして、勉強のことを、学問のことをよくしっている親たちは、子供が勉強を好きになるようなこつをとてもよく知っていて、子供を勉強好きにするのがうまい。 とにかくまずは、遊びいこう。いろんなところに行って、いろんなものを見て、楽しい経験をいっぱい作ろう。勉強なんてそれからだ。
2007年12月05日
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雪の北アルプスが美しくて、たっぷりと堪能しました。 吹雪の北アルプス山中に核爆弾を搭載したアメリカ軍のステルス機が墜落した。核爆弾を起爆させようと吹雪の山に登る北朝鮮の工作員たち、そして、それを止めようと山に登る日本の自衛隊員たち。そしてさらに、それをスクープしようとして入山するジャーナリストと、カメラマン。 めずらしく、初日に見に行ってしまった。 どうせ邦画だし、退屈かもと思いつつ見たんだけど、これが思いのほか面白くて、二時間ちょっと飽きることなくはらはらしながら、ストーリーを追ってしまった。面白かったです。邦画にしては、久々のヒット。ストーリー構成、登場人物の設定に無駄がなく、最初は別々にいた、けれど実は全員つながっていた人物たちが物語の進行とともに集約されていった、見事なつくり。うまい。 ただ、一つだけ難点として、あんな重要な機密情報を誰もが簡単にきける無線でやり取りしちゃっていいのかなということでした。返事はしなくても、だまってきいてるやつなんていくらでもいるんだから、実際には、あの事件の渦中には既に、この機密情報は巷に流れちゃっていただろうし、事件の後は、国際問題として大騒ぎになっていたはずだと思うのだが。そのあたりどうなのだろう。いい話なのに、ココだけが落ち度で、疑問が残ってしまいます。 でも、竹内結子がすごくきれいだった。 それから、佐伯三佐がかっこよかった。「誰だろうこの人」と、映画を見ながら、ずーっとわかんなくて、ラストくらいで、「そうだ吉田栄作だ、」ときづいたのですが、とにかくすごくやさしげですごくいい中年のおじさんになっいた。吉田栄作を見たのはかなり久しぶりだ。ナイス。 ソ連がなくなって以来、世界の悪役は中東のテロ組織と、北朝鮮なので、その北朝鮮が敵としていじめる相手は日本なわけで、だから日本を舞台にして、アメリカも少しプラスしての戦争ものは、なかなか作りドコロだ。 ただ、主人公西崎の心理描写かいまひとつぬるい。彼の心理の変化がこの話の重要なポイントなので、底が徹底しないとラストがしまらなくなってしまう。 それでも、「愛する家族のために戦場で命をかける男」という戦争もの特有のテーマを思わず納得させられてしまったのだから、やっぱりこの映画は成功しているのかもしれない。 最近の大沢たかおは、やけに渋いなぁ。 ミッドナイトイーグル http://www.midnighteagle.jp/ ミッドナイトイーグル ▼映画"ミッドナイトイーグル"で玉木宏が着用▼気圧・高度・温度を計測"ツインセンサー"【CASIO - カシオ】PROTREKPRG-100J-1JF ツインセンサーソーラー/樹脂ベルト CP19 映画「ミッドナイトイーグル」1/288 B-5ミッドナイト イーグル@映画生活
2007年12月03日
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