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ネットではすでに評判らしいので、遅いよ今頃といわれそうだけど。でも、こないだダンナが持って帰ってきた日本一有名なフリーペーパー「R25」にのってたの。 さっそくネット検索してつくってみたー。おもしろーい。世の中には、暇なやつとか、不思議なやつがいるもんだよね。わかりますか。これ、千円札で、作ってるの。これは一年前に名古屋のインディーズバンドの人が作ったそうです。でもって、ネット公開して、今話題なんだって。私はぜんぜん知らんかった。ターバン野口の作り方ターバン野口の世界他にも、「湯上り諭吉」とか、「飯炊き女おイチ」とか、「三度笠野口」とか、いろいろある。んだって。
2007年04月30日
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東京は文京区根津神社では、四月から五月までつつじまつりの真っ最中です。ひろーい境内の傾斜部分が一面つつじだらけ。都内でも、有数のつつじの名所です。拝観料200円で、季節の見事なつつじをたっぷりと堪能できます。いい天気でしたぁ。かっくいーのぼりですね。さて、入りましょう。ここのおまつりは出店がすごく多い。へへへ。この誘惑を振り切って、まずつつじとおまいりをすませないとね。こういうの見るとやっぱり絶対潜り抜けたくなるでしょ。でもダンナは頭ぶつかっちゃうのでつらそうでした。根津神社のおいなりさまです。どわー。ここのおうちの人たちがうらやましくなるんだよね。借景ですものね。でもこの時期うるさいだろうなあ。混んでました。とっても。でも、いらいらはしない。ゆっくり歩いてもかまわないわけだから。みんなのーんびりしてる。こんな真っ赤なつつじってめずらしい。緑色のお太鼓橋ってのも、めずらしい。お能やってました。めずらし。演目は…思い出せない。普段はただの建物の能舞台がちゃんと役に立ってるのはすばらしい。こういうことのためにあるはずなんだものねえ。最近はどこも、混んでますね。並ばないと。神様に会うのも楽じゃないなあ。神様はうれしいかもしれない。おみくじ百円。私が「末吉」なのに、ダンナはまたまた「大吉」むきーっ!!最近は昔なつかしい「猿回し」も見られるのですね。さて、待ちに待ったお昼。ここのお好み焼きは異様にでかい!でもって、たこ焼きもでかい。はいってる蛸もでかい。これでおなかいっぱいになるので、他のものまでたべられない。(ToT)ごちそうさまでしたあ。あとは、焼き鳥食べて、カルメ焼きとチョコバナナ買って帰ってきました。娘のおみやげだよん。ゴールデンウィークはどこいっても混んでるから、出かけるのも大変ですね、その中で割りにすいてそうなところいきましょね。
2007年04月29日
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人はやはり、畏怖するものをもとめているのだろうか。 物語は、ブレアがイギリスの首相として、就任し、エリザベス女王と謁見するところから始まる。その後すぐにチャールズと離婚した元プリンセスのダイアナの事故。イギリスは国中が彼女の死を悲しみ、政府と王室は彼女の死と、葬儀に対しての意見統一を決められずに、国を挙げての騒動となっていく。 長い専制君主時代を乗り越えて、民主主義になった現在でも、王室を残す国は多い。「あんなものは税金の無駄遣いで要らないのじゃないか」と、そんな声がある中で、それでも、王家の人たちへの憧れをもつ人々は多い。 プリンセスダイアナは世界でも、特に有名で人気の高かった女性だけれど、もし、彼女がチャールズ皇太子と結婚するわけでなく、ただの普通の貴族の娘のままだったら、世界の人々はあれほどダイアナに注目しただろうか。 紀子様も、雅子様も、プリンセスダイアナもプリンセスであるからこその存在であり、人々の憧れ、畏怖するものなのだ。それは、クイーン・エリザベスもまた、しかりである。 民主主義と合理化が言われる中で直、存在し続けるもの。それがロイヤル・ファミリーというものであるからこそ、クイーンエリザベスは、政治の実権をなくして直、英国を統べる存在として、あり続けるのだろう。 開かれた王室、今までのしきたりにとらわれない自由な生き方をもとめて、「庶民のプリンセス」として、あり続けたダイアナの死を、イギリス国民が嘆き悲しんだのも、また、プリンセスであったればこそ。王室の威厳を守ろうとして、対立した、エリザベスとダイアナなのだけれど、やはりダイアナもまた、イギリス国民にとって畏怖すべきものだったのだろう。 ダイアナの死後、ロンドンに帰らずに、女王領で、二人の孫のためにい続けるエリザベス。周りのひとびとから、「マム」とよばれ、自ら、ランチの支度をして皿を並べたり、自分で自分の車を運転して出かける女王は、ごくごく普通の人間だ。けれど、国民はダイアナのためにエリザベスがロンドンに戻ることを望み、それをしない女王に失望し始める。王室なんていらないのじゃないかと。 そんな中で、森に出かけたある日、エリザベスは一匹の鹿に出会う。まるで森の主のような神々しい美しさにエリザベスは、神のような畏怖を感じる。けれど、数日後、その鹿は隣の領地で狩られてしまう。彼女は、隣の領地の屋敷まで、撃たれた鹿の死体を見に行く。自分が畏怖するものを失う心の痛みと、つらさ、喪失感を味わった時、彼女は、自分はやはり、イギリスにとっての畏怖する存在、クイーンであらねばならないのだと、感じたのではないのだろうか。 ロンドンに戻ったエリザベスが見たもの。それは、プリンセスダイアナを慕う国民がささげた公園いっぱいの花束だった。王室を開き、庶民のものとして、権威と威厳を失わせようとしたはずのダイアナもまた、イギリス国民にとっての畏怖するものだったのだ。 そして、そこで、女王としての彼女に渡される少女からの花束。クイーンへの、愛と尊敬と、畏怖と。 エリザベスは、女王として、ダイアナへの弔辞の言葉をささげ、元王室の女性として、未来のイギリス国王の母として、葬儀を行う。 英国首相ブレアもまた、エリザベスの威厳に心を打たれ、畏怖と、尊敬の念をいだく。 イギリスという国の国民の心を王室という存在への憧れと尊敬と畏怖によって統一するもの、統べるものとしての女王である自分。エリザベスは不本意なまま、50年という長い歳月、女王としてあり続けたのだ。 水曜なので、混んでました。満席でした。何しろ、都内は二館くらいしか、上映してないのですもの。日比谷シャンテで見ました。ぜひ、お早目の来場または、予約をどうぞ。 クィーン@映画生活
2007年04月27日
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うちの娘も中三なので全国統一学力試験うけました。いろいろと、賛否両論だけど、私はいいと思うよ。ぜひきっちり採点して、結果発表してほしいです。そして、全国の公立の学校ごとの成績を公表してほしいですね。だって、みんな税金払って、日本国民として、教育うけてるのに、自分の子の行ってる学校がレベル低いんだったらもお国はちゃんとてこ入れしてほしい。小学校にしろ、中学校にしろ、今、自由に選べるようになってはいるけれど、自転車通学は禁止だし、子供の足で通える学校なんてたかが知れてるし、見た目はみんな同じなんだから、やっぱり大概は校区内のところ、近いところに行くしかないじゃん。それなのに、わが子の通ってる学校がレベル低かったら、あんまりです。そういうのきちんと判別してですね、でもって、あまりに学力低い学校はきちんとてこ入れして、せめて、ほぼ平均値くらいにしてほしいですね。うちの子の学校も、雰囲気落ち着いてはいるけど、なんか今いちレベル低そうなんだもの。うわさでレベル高そうな学校は人気あるから、校区外だと、まず入れないのが事実。結局選択制といっても、学区内の生徒優先だから、いいところは、倍率高くては入れない。でもって、レベル低めのところは、あいてるんだよね。日本全国どこでも同じ教育が受けられるのが、日本の義務教育の売りなんだし。 ちなみに、長男の私立はやったのかしら。うちは中三じゃないから、わかんないなあ。
2007年04月26日
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最近の高校受験のシステムってむずかしーい。わけわかんないよ。 単願推薦とか、併願推薦とか、いろいろあって複雑すぎる~。 塾からもらった受験案内は、中高一緒なので、みずらいし。よくわからないから、もう、高校受験用の学校案内と受験雑誌買ってきました。最近の私立は、中学しかとらない所と、中高それぞれでとる所と、高校だけとる所があって、見分けをつけずらい。あー。お兄ちゃんの時の中学受験は、ひたすら、学力試験だけなので、楽でよかったなーとため息が出ます。それに、全落ちしても、公立中っていう確実な押さえがあったわけだし。大学受験なら、全落ちしたら、もうやめるとか、浪人するとか、手があるけど、高校はとにかくどこかに行き先を見つけなくちゃならないから、そういう部分でのプレッシャーが大きいなあ。 中学受験は、毎日のように試験があって、その気なら、一気に9校くらい受けることもできたから、挑戦校と、志望校と適正校と、押さえなんてふうにもいろいろと受けわけできた。でも高校受験だと、いろいろな制約があるし、都立は一つしか受けられないし、都立の推薦はまず受からないらしいし、(最も、私の周りのお子さん、結構受かってるんですよね。推薦で)私立の受験は一日しかない。実際には、二日から、三日あるらしいが、それらの日に実施している学校はかなりかぎられてくるのだから、チャンスがすくない。しかも、私立は半分が推薦できまるらしいし。私立の単願なら、試験もなく、早い時期に決まるのだから、そちらに流れやすいし。どうしても、私立優先なんだよね。都立をさきに決めてほしいなあ。周りが私立の単願を決めていく中で、最後の都立試験までがんばるのはしんどそうだなあ。だからまあ、東京と、千葉の私立といれると、ぜんぶで、六回くらいはチャンスあるかもしれないけど。 とにかく、買ってきた受験雑誌。読んでみたら、なかなかよかったです。学校案内だけではよくわからない、細かい情報がいろいろと書いてありました。ちょうど塾で薦められた併願用の私立が載っていたので。便利。便利♪ 買ったのは、早稲田アカデミー協賛の『サクセス15』ってやつです。ほかにも、栄光ゼミナールが出してる『私立高校進学ナビ』なんてのもありました。 あとは、インターエデュの掲示板ひさしぶりに読みに行ったら、高校受験の掲示板も結構書き込み増えてますね。参考になります。すごく。
2007年04月25日
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面白い人は面白いらしいのだけれど、私には、どうもあんまりはまれませんでした。 要所要所にでてくる笑いのつぼが、なぜおかしいのかわからなかった。登場人物たちが群れてけらけら笑うのだが、なぜなのか、なにがおかしいのかわからない時が何回かあって、これはやはり、アメリカ人じゃないとわからないんだろうなと。しかも、この映画みごとに白人しかでてこない。 昔は、面白かったアメリカ映画が最近は、時代の流れとともに、アメリカという国のあり方が世界的にも反感を買うことが多くなったことや、実際のアメリカ国内の人種による階級格差の現実をしるにつけ、なんでも夢のかなうアメリカという国が所詮アメリカの中の白人社会に限定された話だと思うに付け、見ていてしらじらしく感じられるようになってしまった。アメリカ人じゃないとわからないような部分が多かったように思える。 『プラダを着た悪魔』でも、成功を目指しているのは、白人の女の子だし、この映画でも、見事に白人だけの町。どのシーンにも白人以外の人種が見られなかったように思える。それとも、でていたのだろうか。 それでも、映画通、音楽通には、面白い部分があるらしいのですが、私は、あまりその辺りは詳しくないのではまりませんでした。 それでも、今までの映画では見たことのなかった、大会場を借り切っての葬儀の告別式のシーンなんか、すごく以外。ピンクのドレスのおばさんはいるし、みんな黒い服も着てないし、まるで、結婚式とみわけつきませんでした。 ところで、この中で、主人公ドリューの母親と父親が知り合ったのが、28年前の東京。二人ともそれぞれに婚約者がいたのに、それを振り切っての一目ぼれ。ふたりは、そのままディズニーランドに行ってしまったのだそうだ。 えっ? 東京ディズニーランドはこの時まだ出来ていないはず。 ということは二人がいったのは、東京ディズニーランドではなく、カリフォルニアのディズニーランドなのか? なかなかトリックなエピソードですね。作中「オレゴン」に住んでいるはずの主人公ドリューの家族に対して、エリザベスタウンの人たちがなんども、「カリフォルニア」という。母親の故郷がカリフォルニアで、その後彼らはオレゴンに引越したらしい。それでも、父親の故郷エリザベスタウンの人たちは彼らの住まいを「カリフォルニア」といって、通す。もしかして、東京で出会った二人はそのまま、母親のふるさとカリフォルニアディズニーランドに行ってしまったのだろうか。それぞれに婚約者がいたのに、カリファルニアに父親ミッチ連れて行ってしまった母親に、エリザベスタウンの人たちがよくおもっているはずはないと、思っている母。でも、そんなことはなかったようだ。母親のセリフの中で突然二人の出会いの場が東京というとっぴな場所であったことには、東京と、カリフォルニアと二つのディズニーランドを使ったトリックが隠されていたんだと思う。 仕事の失敗から、自殺をしようとするドリューを助けたのは、父の死を知らせる妹からの電話だった。この時のドリューは、それほど絶望しているようにも見えないし、悲嘆にくれているようにも、うつになっているようにも見えない。それでも、自殺を止められるのは、家族からの「貴方が必要だ」という言葉なのだろう。そして、父の葬儀のためにエリザベスタウンを訪れたドリューは、クレアにであう。この女の子すごく素敵。ドレスがかわいいなあ。自分の失敗を打ち明けたドリューに、「そんなことたいしたことじゃないわ。」とクレアは、あっけらかんと言う。 クレアは機中であった時、ドリューに一目ぼれしたんだと思うんだけど、すごく積極的だ。話しかけて、自分の電話番号を教えたりする。でも、だからといって相手の気持ちを無視して自分の気持ちを押し付けるようなごり押しはしない。ホテルの部屋で携帯に向かってなってくれと祈るドリューは、心底さびしかったのかもしれない。クレアと電話しながら、何度も入るキャッチホンのあいだ、ドリューは決して、クレアとの電話を切らないし、それだけ、携帯でまたされても、クレアは怒り出さない。ドリューがどうしても彼女との電話を続けたいと思っていることを察して、朝まで続けようよと言う。森の中で再会した二人は一緒に夜明けをながめる。ドリューの絶望を知って、彼のためにオリジナルトリップのための地図を作る。これはたぶん、想像するよりはるかに大変な作業だったはずだ。葬儀の後、ドリューは、クレアのつくった地図の通りに旅をする。10億ドルにも及ぶ損失を出して、会社をクビになり、死を考えたドリューのために、彼の失敗の載った雑誌を見せて、現実を直視させて、キング牧師の最後の場所やカーネル・サンダースの墓を見て、偉業を成し遂げた人たちの人生に思いをはせて、ファーマーズ・マーケットで、実際に彼の失敗作の靴が売られているのを目にしてもらう。ファーマーズ・マーケットでは、赤い帽子をかぶったクレアが待っていた。こんな風に相手の気持ちを汲んで心に沿うように救い上げてくれる女の子っていいな。 クレアもまた、彼の母と同じように、ドリューを夢の旅路に導いた果てに自分の下に導いてしまう。彼らの恋は両親とおなじなのだろうか。両親の恋とドリューの恋がきれいに重なってシンクロする。 さわやかで軽快に描かれているために重さ、暗さを感じさせないけれど、ビジネスでの失敗で自殺するアメリカ人は多いのだろう。日本もだけど。家族や恋人が救いなってるんだよ、なりたいねというそんな部分もありな映画なんでした。 ファーマーズ・マーケットもやっぱり、アメリカの夢と希望と魔法の場所なんですね。 エリザベスタウン@映画生活外国映画、洋画
2007年04月24日
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うどんの話なのに、冒頭からニューヨークでのコメディアン修行。何でかなあと思っていたら、ラストにつながっていたのですね。 人を笑顔にさせたい。それぞれ違うことをしていても、父と息子、二人が目指していたものは同じだったんだ。渋い顔でうどんを打つ父親の目指していたものが、人の笑顔であったことがわかる終盤のシーン。いつも仏頂面の父親の笑顔がみたくて、コメディアンをめざす主人公コースケが、失意のまま故郷にもどって、もう一度父親の生き様を見直した時、人を笑わせるのに必要なものが何なのか、わかったのかもしれない。 故郷に戻ったコースケが父のあとをつぐのかと思っていたけれど、それでは話はありきたりだ。うどん以外のものを目指して故郷を出たはずのコースケが、もう一度、うどんを見つめなおす。彼の人生にうどんの持つ意味は大きい。さぬきじゅうのうどん屋をめぐり歩いて、うどんのうまさ、うどんよさ、さぬきうどんってなんなのと問い直し、見つめなおした後に、彼はもう一度父の人生をたどっていく。 最後に彼はうどん屋をつぐわけでなく、ふたび故郷をたって、コメディアン修行の旅に出る。何か、『シェーン』みたいだった。
2007年04月23日
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春はねー。多いですよね。自殺。 自殺って根性ないからって一般には思われています。でもね。そうじゃないんだって。病気みたいなもの。自分ではとめられないらしい。この本はあの有名なホラー映画『SAW』の解説レポートを書いた精神科の先生の書いた本です。シカゴでうつ病の研究をしてたらしいです。ブロガーにもうつの人意外といますよね。 自殺ってどうやら脳内のセロトニンが以上に減少した時におこるらしい。で、そうなるともう本人は死ぬことしか考えない。だから、周りが気づいてとめるしかない。のだそうです。 日本は世界でも有数の自殺大国なんだって。自慢できない。全然。 何でかって言うと、日本人の価値観の中には、切腹とか、武士道とか、生き恥をさらすくらいなら、死んでお詫びをとか、責任とって自殺とか、自分なんかいても迷惑だからいなくなりますとか、人に迷惑をかけないとか、そういう価値観が重要視されているから。外国とか、他宗教では、自殺は絶対禁止されているのに。なんだって。 根性がないとか、弱いとか、まじめとかいうことじゃなくて、どんなおおらかな人でも、人生の中で背負いきれないような苦しいこと、つらいこと、大変なことなんかがいくつも重なると、だんだんうつになってきて、その途中で本人には止められないような心理状態、精神状態になって自殺になってしまうらしいです。 だから私たちはうつについてよくまなんで自分の周りの人間がうつになっているようなら、助けてあげなくてはいけない。それが自殺を減らしていくのだそうです。 まして、家族に自殺された後の家族のつらさ。そのためにも、自殺をとめられるのは、身内、かぞく、妻、夫なんだそうで、そのためにもいろいろと勉強して、知っておいたこといろいろあるようです。 私も父や夫がごくごく軽いうつになって辛そうだったとき、うつのことを書いた本をかってきたりも借りてきたりして読んでもらいました。本を読んで知識を得ることでずいぶん気持ちが楽になるそうです。後は、家族が説教しないで、本人の話を聞いてあげること。そして、やはりなんといってもお医者さんに行くこと。薬をきちんと飲めばちゃんと直るのだそうです。 人生には、いろいろあるからねー。 かなりためになりました。
2007年04月22日
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「習い事やめたい。塾やめたい。クラブやめたい。」 昨日は娘が愚痴をこぼした。 「部長なのに、やめちゃうの?」「だって週四日もあるんだもの。」 「塾なんて、中一から気合いれすぎだったからだよ。」「でも最初から、嫌だけど、やってただけだもの。」 勉強さえきちんとやってれば、別に後は普通でいいと思うのだけれど、それを娘に何度言ってもなかなかわからないらしい。漢検とか、英検とか、委員の仕事をやればポイントが稼げると、学校の先輩たちから聞いてきて、本音はやりたくないのに、彼女の力量以上をこなしているようにも見える。それよりも、普通の勉強をきちんとしないと受からないんでけどねえ。 それも一年二年なら続くのだけれど、三年になってさすがにうんざりしてきたようだ。今は三科しかいっていない塾も五科行くようにいっているのだけれど、しんどいから嫌だという。そのくせ彼女の行きたい学校はレベルの高いところなのだ。 夢と現実にずれがあって、自分ではうまくバランスをとって行動できない。 習い事というのは彼女が好きで初めたものなのだけれど、その時はまだクラブが週一か二日くらいでものたりなかったからはじめたものが、その後クラブの日数が増えて、塾も増えてきて、だから、土曜の朝に起きるのがつらいのだろう。習い事自体はやめてもいいのだけれど。 でも、娘がここまで愚痴を言ったきっかけは、クラブの合同製作で、なにをやればいいか決められず、顧問は何も考えてくれず、副部長からも催促がかかり、まだ、中学生の女の子にそこまでは、本人の能力を超えているのだろう。たぶん、愚痴のきっかけはそのあたりだ。もちろん、こんなことをちゃちゃーってこなしちゃう子もいるんだけれどね。 私の頃は中学に部活なんてなかったし、高校の部活だって、二年の秋には受験の為に引退したものなのに、なぜ最近の中学は三年まで部活をやるのか。しかも、受験のはいる三年生が部長でクラブをまとめたり、長時間拘束されたりするのが不思議だ。 高校受験のシステムも、本当は、勉強だけでない、子供たちのいろいろな能力を評価するためのシステムが空回りして、かえって子供たちの心の負担を増やしているだけなのだろう。 高校というのは、学力別に勉強を教えるために振り分けるのが本体なのに、その選定に子供のそれ以外の部分で評価点を加えること自体が本来おかしいのだ。性格が良かろうが悪かろうが、その子供にあったレベルの難しい勉強をさせるためにあるのが高校の上位校であって、それ以外の部分は関係ない。性格の悪さは、その中で、人の中、社会の中で、いずれ振り分けられたり、成長して大人になることで修正されていく部分だってあるのに、まだ未成年の未成熟な段階で、人間性を振り分けのポイントに使うのもおかしいのだ。それでも、社会的評価が上位校ほど、高いためにどうしても、上位校に行く子供に高評価がかかってしまう。それが子供の負担になる。そして、推薦で上の学校に入ったはいいけれど、ついていくのもしんどいという子も多い。 けれど、社会に出れば、それだけではないのも事実だ。子供なりに子供なりの人生を、全ての人間が送れるような世の中になってくれれば、いいのにと、思う。 ところで、娘の最大のプレッシャーはクラブの合同製作なので、少しネットなどを調べて、大人の知恵を貸して、アドバイスを入れた。クラブに不参加だったり、あんまり出ない子たちとの合同でも、なんとかなるようなものを、考えてみた。 さて、これから、少しは良くなっていくかな。 ただ、私がこういう時、思うのは、子供が愚痴をこぼした時、「そくらいでなにいってるの。がんばりなさい。」と、頭ごなしに怒ったりしないで、なるべく、まいってる子供の気持ちを聞いてアドバイスしてあげたいと思うことだ。 私自身が子供の頃、頭ごなしの親の言葉が嫌で仕方なかったからだ。でも、こうこいう頭ごなしの叱り方で、たくましく育つ場合もあるのだから、どっちがいいかはわからない。ただ、私の子供の頃って、受験戦争とか騒がれていたけど、私自身はあんまり感じていなかったかな。塾も、クラブも、なかったし。学校が終れば、全部自分時間だったからだ。 クラブというのは、高校に入ったらできるということが、高校に行く一つの楽しみだったんだけどね。 さてさて、子供たちは元気に学校に行きました。
2007年04月20日
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モネ展をみるために車をとめたのがここです。新国立美術館まで徒歩数分。近い。東京ミッドタウンです。ここは、むかし、防衛庁があったところ。高層のオフィスビル。外には公園。さらに、サントリー美術館。そしてあの、世界屈指のホテル。リッツカールトンホテル東京ができました。すごいね。でもわたしは、見に行ってご飯食べてくるだけですけどね。人が多かった。なんせオープンしたばかりなので。中央通りには竹があったりする。 今回のランチは、ハンバーガーやさん。Baker Bounceです。でも、マックとは違うんだよ。ここのお店に行くなら、カウンターに座るべき。なんと、カウンターの席ごしにハンバーグを炭火で焼いているのがみられるのです。このハンバーガーがでかいのよ。直径15センチはあるね。最も焼くと縮んじゃいますけど。ただね。火のそばだから、熱い!でも、大きいから、よっぽどなじんだカップルで行かないと。焼肉やとおんなじ。おっきなくちあけてたべるわけですから。隣のカップルがサラダ取ってました。アボガドいりだった。でも、ハンバーガーにも少しだけど、コルスローサラダとポテトがついてます。外人さんもいたよ。 ここのケチャップがねー。おいしいの。からくないんです。甘いのとすっぱいあじとだけなのです。豊洲のララポートとかも食べたけど、ここのもうまい。っていうか、炭火で目の前で焼いてるのをわくわくしながら待ってたので、余計おいしく感じたのでしょう。 それに、こんな風なんて知らなかったしい。意外性がうまさの秘訣ですね。これを読んでから、よさそうと思っていくともうおいしさが目減りしてしまいます。期待しちゃうからね。でもでも、おいしかったです♪ジャムとかだと思うけど、とにかく色がきれい♪ 余計おいしそうに見えちゃいます。高いだろうなあ。こういう高級果物は。マンゴーの季節なのね。しかし、食べ物さん関係しか写真とってないとは…。
2007年04月19日
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モネ展にいきました。国立新美術館です。六本木にあたらしくできた美術館なのです。すごくきれいなんだよ~。隣には政策研究院まである。ここは昔東大の研究所があったところ。すごい近代的なビル。なんかSFの中にいるようです。美術館の方も前面ガラスばりできれいです。しかも広い。同時に三つくらいの展覧会ができる。かなり広いので、見終わるとくたくたです。 モネは「睡蓮」の絵で有名ですが、今回はこれだーって言うのは少なかったかも。でも、彼の初期の作品から始まって、だんだん絵が洗練されて、無駄な書き込みや線や塗りが減っていくのがわかります。日本の浮世絵を見た彼はそれまでの徹底的に書き込んでいく西洋絵画とは違った世界を見つけたのだそうです。晩年は睡蓮の絵ばかりです。筆のあとが残っているのがわかるほど、大雑把な書きぶりなのに、睡蓮の花は、はっきりと立体的に見えるのです。 中期の作品では、彼は、それまでの暗い西洋画とは違う、現実にある光を、絵の中に描こうとしたようです。だから、風景画のほとんどが早朝か夕方の太陽光線が斜めにさしている風景です。建物や山肌がほんのり赤っぽく輝いている。そして、日陰はうす青くて暗い。そんな世界です。油絵って、あんまり絵の具を混ぜると、すぐ暗くて汚い色になりやすい。それなのに、モネの絵は、白絵の具を多用したパステルカラーのやさしい色を基本にした、ふんわりとやさしい色で書かれています。見ていてやさしい気持ちになるような絵です。いかにも日本人受けする感じですね~。美術館の前庭。春なので、花だらけ~♪展覧会は撮影禁止なので、モネの芸術がお見せできないのが残念です~。
2007年04月18日
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先週は保護者会が二件。また、上の子の高校の役員をひきうけてしまった。どうしよう。今年は下の子の高校受験があって、二学期はいろいろと学校の説明会とか、相談会とかあるのに。だから、土曜日はおちおちしてられないのに。 高校の役員の仕事は、年二回のお食事会。みんな都内のばらばらのところに住んでいるので、こんなイベントでもしないと、親同士が顔を合わす機会がない。それと、コドモノクラスで何かあったとき、親同士で相談したり、しらない情報を入手したりする。学校への要望なんかも話し合って意見を学校にお伝えする。 だから、半分楽しみ、半分必要だからなんだけどね。こんな機会がないと、フランス料理なんて食べられないもの♪それはそれでいいんですが。今学期はいいけど、来学期はどうしよう。 なんか胃が痛い。 うーん。胃がいたいのは高校受験のせいだな。ちゃんと行き先決まるかなあ。都立入試がおわっても行き先決まらなかったりとか、あるらしいし。心配~。 高望みしなけりゃいいんだけど。ちゃんと私立を抑えられるかしら。わかんないよー。 でも、公立と私立ってちがう。公立の校長先生は「学校は真ん中の成績の子に勉強のレベルを合わせています。物足りないまたは、上を目指す場合は、塾にしくか、家庭教師を頼んでください。」とはっきり言う。 私立の校長先生は「塾は先取りをしているだけなのだから、ごく一部の超成績のいい人意外は塾にいかせないように。」という。 ぜんぜんちがうよ~。 今の時代は公立といえども、お金かかる。かなわない。 などといろいろ悩んでいたら、娘が昨日中学のPTA役員就任のプリントを渡してくれました。受験と役員がダブル!?高校の役員と中学の役員両方なんてできるかなあ。なんとも最悪のタイミングです。中学はもうないだろうと思って高校の方をひきうけたのにー! もう、なんか、頭も、痛い。やりたいことだけやって生きていきたいなあ。
2007年04月17日
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ここしばらくはブログにはまってゲームからは遠のいていた。ような。でも、どうもいらいらする。のはなんでかなーと思って。春休みで毎日子供がいるせいなのか。体力あまってるのに家にばかりいるせいなのか。 最近はゲームのハードが次々発売され続けていて、こちとらそんなにどんどん買ってらんないです。しかも、プレステ2以降どうもいまいち面白いゲームが減ったきがします。これだとはまれるものが少ない。私は特にRPGが好きなので。 さいきんいいソフトがほんとにないー。 それで、退屈だから、インフォシークのゲームをやってみたり、ヤフーのブロキシーをやってみたけど、それもある程度まで行くともうスコアも上がらないのであきました。 で、さすがにいままで敬遠していたオンラインゲームを始めてしまった。でも、いきなり、すごいのはちょっとひくので、お手軽そうなやつ。 で、はじめてでしたが、おもしろい。 ハンゲームの『チョコットランド』 でも、オンラインやってて思うのは、ネットの中もブログと同じで、人間が出るんだよね。 助けてあげたり、助けてもらったり、アイテムの交換や譲り合いとかもあるし、かとおもうとずるいことする人もいるし。ゲームといえども、実社会の人間性が出るし、実社会と同じようなルールがあるんだと思ったのです。 でも、子供も大人もおじさんもおばさんも、みんなカワイイキャラクターになるので、ゲームの中だけ子供に戻ったような気がします。相手がリアルで、何歳なのかどんな人なのか全然わかんないから、不思議だ。 でも、ゲームってやっぱり頭にわるい~。ゲームをやり始めると、文章がかけなくなる。普段は、いろんな家事をしたりしながらぼーっといろいろ考えるんだけど、ゲームをしてる間ってそれほど頭使ってるわけじゃないのに、文章のネタトカゼンゼンウカバナクテ、ブログが停滞するんだもの。やっぱりゲーム脳はあるのか?びちょー。
2007年04月16日
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アニメーションの新たな地平を描く。 鬼才新海誠の新作アニメーションを上映してると知って、行ってきました。渋谷まで。渋谷まで行くのに、普段スーパーに行くのと同じ格好。だっていまさらおしゃれしてもー。というか、渋谷ってあまりにもいろんな人たちがいるのでどんな格好をしても、めだたない! いままでは、ほとんどSF作品だったのに、今回は珍しく、ごくごく普通のお話。現代日本に暮らす普通の男の子の話。 でもでもやっぱり新海誠だ! だって種子島の宇宙センターから、ロケットが打ち上げられるシーンがあるんだもの。必見です。 それにしても、もし、もう少し昔なら、新海誠は、小説家になっていたかもしれない。だって、シナリオは彼が書いているんだけど、その表現がすごいです。現代の都市の空気やにおい、現代都市が現代の人間にとって心の原風景になっていることを描き出すのがすごくうまい。SFとか、どうとかっていうより、彼のすごいところは現代の都市が原風景になっているこの部分を文章やすごく緻密な絵によって表現しうるところだ。 彼はなんと、国文科卒業なんですね。だから、世が世なら小説家になっていたかもしれない。そして、彼が描き出すものすごーく美しい風景を考えると、画家になっていたかもしれない。しかし、文も絵もうまい彼はいままさにこの現代でアニメーション作家という職業によって自己表現をする方法を選んだのだ。 ただ、人物がいまいちかなあ。一話目の「桜花抄」では、緻密で細密な絵のわりに人物がラフすぎてアンバランスなかんじがしました。それでも、二話、三話と進むうちに人物描写が細かくなっていった。これは、ダンダン書いていくうちに調節されたのか、それとも登場人物の年齢にあわせてだんだん細かく書き込むようにしたのか。疑問であります。 感想はいまいちと、いう部分もあります。でも、もう一回よーく観たいかも。第三話めがカットが早すぎて気持ちがついていけなかったかも。というか、一話目であれほどのシンパシーをみせてくれた二人が、三話目であっさり、離れてしまうのがなぜなのか。 でも、ちょっとうるっときましたよ。秒速5センチメートルとは、桜の花びらがおちる速度です。『秒速5センチメートル』ヤフーサイト 新海誠のサイト 秒速5センチメートル@映画生活
2007年04月15日
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「ソウ」シリーズももういくらなんでもこれで締めですよね。 わけわかんなかった『ソウ1』でしたが、完全解説を読んで納得で見た『ソウ2』のラストが納得いかなかった。だけど、この『ソウ3』を観て「なるほど」と思いました。 「命をたいせつにしろ」とか、「医者は死を宣告される患者の気持ちをわかってほしい」というようなメッセージをこめて、次々に奇怪な殺人を犯してきたジグソウですが、『ソウ3』では、「赦し」をメッセージのテーマにしていたようです。 それはまさにジグソウ自身が『赦し』を求めていたように思います。 彼のゲームによって生き残った唯一の被験者アマンダは、そのあとジグソウによってジグソウの二代目になるはずでした。しかし、ジグソウの願いとは裏腹に、アマンダは殺人鬼へと変貌してしまったのです。 『ソウ2』をみると、『ソウ1』で出てきたゲームの参加者の一人アダムは殺されていました。私にはちょっと不思議でした。『ソウ1』のゲームの後でアダムは助かったのではないかと思っていたからです。でも、アダムを殺したのは、なんとアマンダでした。 そして、『ソウ2』のラストで刑事が捕まってしまったのも不思議でした。とらわれた息子を探して必死になっている刑事を見て、少なくとも、ジグソウは気がすんだのじゃないかと思ったからです。にもかかわらず、刑事は囚われてしまった。 これも、アマンダの狂気ゆえだったのですね。そして、そのあと、刑事もまたアマンダに殺されています。ケリーが殺されたのも不思議でした。ケリーは自分を粗末にしてもいないし、ひどいこともしていない。それでも殺されたのは、エリック刑事がアマンダにひどいことをしたことへの仕返しでしょうか。 アマンダはゲームのあとでも、ジグソウの「メッセージ」を受け取っていないようでした。彼女の自傷行為は直っていなかったからです。ジグソウのゲームの中で珍しくアマンダの受けたゲームは彼女自身が痛みを味わうのではなく、他人を傷つけることでクリアできるゲームでした。自分を傷つけることが出来る人間が人を傷つけたり、殺したりすることにためらいのあるはずもないようです。 ジグソーは自分の二代目として選んだアマンダが、自分の趣旨とは全く逆の殺人者に変貌してしまったことに、大きな絶望を感じたのでしょうか。 彼は『命の大切さ』を説いているはずなのに。それで、人を殺しているわけで、そこにすでに矛盾があるように思えます。 そして、その結果アマンダのような人間を生んでしまった自分自身の行為は「間違っていたのかもしれない」という後悔の元に今回のゲームでは、「赦し」を求めています。愛する息子を殺されて、復讐心をどうしても捨てきれずにいる男。息子を殺した犯人、犯人に軽い刑しか下さなかった判事、事件を目撃していたのに証言しなかった女。彼がもし、この三人を許すことが出来るのなら、ジグソーは彼自身の罪もまた、赦されるのではないかと考えたのではないでしょうか。 ジグソーが求めていたのは、自分自身が許される事。そしてまた、アマンダが悔い改めてくれること。殺人をやめてくれること。でした。 しかし、ラストは過酷にも二人の死をもって閉じるのです。彼によって許されたはずの女医リンもまた、夫ジェフの怒りによって殺されてしまいました。 ジグソウは言います。「怒りは自分にかえってくるぞ。」と。それは彼自身が数々のゲームの果てに実体験したことだったからなのでしょう。 彼のおこした事件は、彼のところにしっかりかえってきたようです。そして、ジグソーやアマンダを赦せなかったジェフにも。 妻リンが人の命を救う医師という仕事についていながら、ジェフが息子を殺した犯人を許せなかったのは、やはり、夫婦の会話がなかったからなんだろうなと思います。妻がもし、普段自分の仕事のことを語り、人の命を救うことがどれだけ大変か夫ジェフに語っていれば、あるいは、夫はこんな怒りと復讐心に何年もとらわれ続けなかったかもしれません。 命を大切にしてほしい。医者は病気の宣告をする時もっと患者の気持ちを考えてほしい。そして、仕事のために家族を犠牲にしないでほしい。ひどいことをされても、その相手を許してほしい。そしてまた、自分ももっと寛大な心で人を赦すべきだった。 ジグソウの願いはなかなかかなわないようですねぇ。 ところで監督はこの後も「ソウ4」、「ソウ5」、「ソウ6」、「ソウ7」、と、ずーっとこのシリーズを続けたいらしいです。ジグソウモ、アマンダも死んじゃったのに、どうやって作るんでしょう。 ソウ3@映画生活ホラー映画
2007年04月13日
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「女の成長を止めるような愛し方はするな。」 おとといのの『ただ、君を愛してる』の記事を書いていて、思い出した。かつて大ヒットした、山本鈴美香のテニス漫画『エースをねらえ!』で、宗像コーチが藤堂さんに言ったセリフだ。ひろみが藤堂さんを好きになって、藤堂さんもひろみが好きになって、そのせいでひろみのテニスがおかしくなってしまった。それに気づいた宗像コーチが二人の恋にストップをかけた。このあと岡ひろみは世界的名テニスプレーヤーになっていくわけだけど、そのひろみのために藤堂さん自身は、裏方に回る決心をするんだよね。彼自身結構すごいプレーヤーだったのに。この後、二人はちゃんと恋人同士になれるけれど、そのかわり藤堂さん自身は自分の人生を全て岡ひろみのために使うことにしちゃうわけで、つまり、セカンドになるわけですね。誰かがトップになろうとする影にはやっぱりそれを支える裏方の人間がいるわけです。 今までは、男女のカップルや夫婦の場合、それは大概男の方で、男は「女は俺について来い」ってわけです。それでそのために、大概の奥さんたちは、自分の仕事をやめて、ダンナの転勤についていったり、ほとんど家にいて、家のことや子供のことをして、だんなの仕事を支えたわけなんですけど。でも、世の中の男が全て、一番タイプなわけじゃなくて、セカンドの方が向いてる男だっているし、裏方になっちゃもったいないようなすごく能力のある女の人だっているわけです。だから、必ずしも男が一番じゃなくて、女が一番になって自分の人生と能力を充実させようとするようなありかたもあっていいと思います。これからは。でもって自分が一番の女だってそう思ったら、やっぱりパートナーには、セカンドタイプの男を選んだ方がいいと思う。 だから、芸能人なんかよく離婚するけど、あれってまあ、喧嘩したとかすれ違いだとか言うより、どちらも一番の人間同士でカップル組むから間違いなんだよね。一人が一番の人間だったら、そりゃ忙しくてほとんど時間ないんだから、もうひとりのほうが一日中家にいたりして、相手を待ってないと、まず二人が同じ時間を共有できるわけないし、だから、片っ方がセカンドじゃないと関係はぜったい成り立たない。だから、夫婦であろうとするなら、セカンドタイプの人間を選ぶべきなのに、一番の人間同士でくっつくから無理があるの。 森進一なんかが二回も別れちゃったのだって、毎回トップにいるような女性を奥さんにして、しかも、そういうタイプの人間を「大人しく家にいておれをささえろ」なんていうから無理があるんだよ。家にいて自分をささえてくれるようなパートナーがほしいなら、もっと極普通の一般的な女性を奥さんにしないとうまくいきませんから。そのあたり、森進一は全然わかっていないわけです。で、子育てが一段落してみると、森昌子さんは我慢できなくなっちゃったわけ。あんまり美人じゃなくて、地味だから、家にいるタイプにも見えるけど、彼女の才能を考えれば絶対セカンドの女じゃないもの。 しかし、セカンドの人って自分の人生はある意味犠牲にしてパートナーに尽くすような部分が要求されるわけだから、時にはすごくむなしくなったりしそうなんだけど、それにたえうる忍耐力とか、相手を支える包容力や度量が必要なわけで、それはそれでそれなりのものが要求されるんだから大変だと思う。でも、意外とセカンドタイプの人間てそういうことが苦にならなかったりするし、逆に前に出て、周りを引っ張っていけ、自己実現しろっていわれるとどうしていいかわかんなくなってすごく困ったりするみたい。 まあ、優秀な人間の影には必ずそれを支える人間が必要なのも事実で、だから、『フラガール』を育てようとした段階でまどか先生は自分が裏方になる覚悟をしなきゃいけなかったわけだし。まだ自分が前に出て現役のつもりでいる間はフラガールたちもなかなか成長しきれなかったし、周囲の賛成も得られなかったし、ラストでまどか先生は「あんたたちと一緒踊りたいよ。」っていうけど、絶対ステージには立たなかったでしょ。一線をしりぞいてセカンドになる決心をしたんだよね。そういうまどか先生の変化の境目を描いたのがあの駅のシーン。 まあ、大概優秀な人材がその才能を伸ばそうとすればその陰には必ず、それを支える人間がいるものです。すごく優秀な子供なんかを持っちゃった場合、親はもうほとんどその子供に自分の時間とエネルギーの全てを奉仕するようになったりする。子ども自身に凄いパワーがあるからやっばり引っ張られちゃうんですよね。だから、勉強とか、スポーツとか芸能なんかでも、優秀な子供がいると、親はもうその子の日常のために毎日車で送迎するとか、マネージメントのために一日はりついてるとかしなくちゃならなくなってくる。福原愛ちゃんのお母さんとか、宮沢りえのママとかね。宮里愛とかもね。 でもって、もし、子供が優秀とは程遠いような場合は、勉強しなさいとか怒ってないで親は自分の人生を充実させて自分が一番になるためにエネルギー使ったほうがいいんじゃないの、とか思うわけです。 いまは、女も自分の人生を生きろとか、自分探しとか、自己実現とかいろいろうるさいけど、みんながみんな一番な要素をもってるわけじゃないんだから、自分が一番なのか、セカンドで人を支える方がむいてるのか、よく考えた方がいいんじゃないかと思うし、すごい人間がいてがんばってると、周りの人間はひきつけられてつい助けたり、ささえたりしてあげたくなっちゃうもので、要するに人間にもいろんなタイプがいるだけのことだと思う。 そういうのは犠牲になるとか、自分がないなんてことじゃないと思うの。だから、そんなに自分探しに必死にならんでもいいんじゃないのとか、思う。
2007年04月12日
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おいおい、千秋先輩とななが恋愛してるぜ。 まるで田淵由美子の漫画を読んでいるような映画でした。 ストーリーがいかにも少女マンガで、私的には面白かったけど、男の人が見るとどうなんだろう。 成長すると死んでしまうために成長抑制剤を飲んでいる(たぶん)静流(宮崎あおい)と、腹部の皮膚疾患のためにコンプレックスを持つ誠人(玉木宏)が大学で出会う。薬のせいで大学生にしては、未熟な静流(しずる)は、誠人(まこと)に出会って恋をする。誠人のために死を覚悟で女らしくなりたい静流は薬を飲むのをやめてしまったのだろう。(たぶん) 無為なままの長い人生より、短くてもきれいになって恋をして人間らしく生きる方がいい。 成長した後の静流の美しさはそれはそれはもう!!! これはもうなにをどう見ても少女マンガそのもののお話だなあと思う。 誠人は、主人公のはずなのに、意外と受けみな生き方しかしていない。静流から告白されても、据え膳くわないし、自分が好きなはずのみゆき(黒木メイサ)にも自分からは告白できない。他人の気持ちは察しがつくのに、静流や、みゆきが自分を好きなことに最後まできづかないし、自分が誰を好きなのかすらきづかない。 誠人が主人公のように見えるけれど、これはあきらかに、本当の主人公は静流だ。静流は彼に出会って、それまでの「ただ命をながらえるだけの生き方」から、たとえ、自分の命が縮んでもいいから、もっと積極的に「短くても濃くて意味のある人生」を生きようとする。 それに対して、誠人は、自分からはほとんど告白もしないし、いなくなった静流を探しに行こうともしない。ただそのまま、今までと同じ家にいて、いつ静流が帰ってきてもわかるようにと、い続ける。 誠人は男の側から見れば、受身で覇気のない男だけど、たぶんこれからの女の子たちにとっては、理想の男かもしれない。誠人は、静流に自分の流儀や価値観を押し付けないし、自分が前に出ることもない。彼女に告白もしない。だから、静流は自分から彼に告白しなければならなかったし、自分で自分の行き方を問い直さなければならなかったし、誠人との時間の先にもっと前へ進むことを自分で考えた。そして、輝くような美しい彼女自身の人生を自分の力で手に入れて燃え尽きていった。誠人はそんな彼女にほんの少し勇気を上げて、きっかけをあげて、そして、少し引いて、裏方に回って、見守っていてあげたのだ。 こんな頼りなげな男のどこがいいんだろうと不思議だったけれど、だからこそ、静流も、みゆきも誠人が好きになったんだろうと思う。 女を守るために前に出て戦い、女を自分のつごうのいい道具としか見ていなかったようないままでの男性像と一線を画しているのかもしれない。 それが出来たのは、彼もまた、ほんのちょっとしたコンプレックスを持っていて、だから、人の心の後ろ側がわかる、本当にやさしい、包容力のある忍耐強い度量の広い男だったからなんだろう。 この物語に出てくる人たちはみんな驚くほどにやさしい。そして、物語り全体のトーンもものすごくやさしいくてフワフワしてて、夢の中にいるようなのだけれど、でも、それでも、悲しい結末が待っていて、最後まで油断ならない。学生時代までは、夢の時間だ。でもそこから先は、現実を受け入れて生きていかなければならない。 大学の近くのものすごく美しい森の景色だけでもう、すごく素敵なんだけど、現実にはこんなのありえない。でも、物語の中の女の子たちの生き方も男の子達の生き方もこれから現実になっていくはずの物語だ。 俺様キャラそのものの千秋先輩を演じていた玉木宏さんが誠人を演じていて、対極の役どころなんだけれど、全然違和感なくて、素敵な物語でした。少女マンガが好きな女の子なら、必ず面白いと思うよ。 しかも、この原作を書いているのは男の人で(ありえない)、そして、映画の中に時々出てくる言葉がすごくいい!!! 「好きな人が好きな人を好きになりたかったの。」とか。 「男の子は女の子一人分の幸せをもってるの」とか。 「少しは愛はあったかな。」とか。 男性の書く小説は男にとって都合のいい女しか出てこないなあと思ってたけど、そんなことはないみたい。とても、男の人が書いてるとは思えないような、物語でした。 でもって、とにかく、静流役の宮崎あおいちゃんがめちゃくちゃかわいい。変身前も変身後もとにかくかわいい。主人公は誠人みたいだけど、あきらかにあおいちゃんのための映画だ! 男の子はなにをしてくれなくてもいい。ただ愛してくれて、やさしく見守っていてほしい。そうしたら女の子はがんばって前に進んでいける。がんばっていけるんだよ。自分の人生を。 ただ、君を愛してる@映画生活恋愛映画
2007年04月10日
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怖かったです。だってホラーだし。しかも見てたのが夜の10時から12時くらいなので、なおさら。娘と隣り合ってどきどきしながら見てましたの。だってほんとに幽霊でてくるんだもの。 夜トイレに行けなくなったらどうしようとか思ったけど、幽霊があの有名な女優さんとわかって、それほどでもなくなった。こういうのは、正体がわからないから怖いんだよねえ。 奇妙奇天烈不思議なお話です。ミイラが出てきて、作家志望のヒロインとミイラが大好きな大学教授がラブラブで、そこにかつて彼に殺された幽霊が出てくる。 登場人物たちの行動の一つ一つがわけわかんなくて、しかも彼らはさらに最後まで良くわからない行動をとっていく。何でヒロインは大学教授の吉岡に惚れたのかとか。 でもって製作した監督まで、「人間は理由なく行動するもんだ」とか言ってるので、もうこの時点ですでに理由なんかなく、不可思議なストーリーであるわけです。でも、怖い。 だから要するにこの映画は決定的な解明は無理なんだけど、でもだからこそ、いろいろと謎を解明してみたり、いろいろと解釈してみたりすることを楽しむ映画なんじゃないかとか、観客はそういう楽しみ方をすることがいいのかなとか、考えてみたりする。 冒頭から新人小説家のヒロイン礼子(中谷美紀)が真っ黒い泥をはくシーンがありまして。 要するにこれは大学教授の吉岡(豊川悦史)に発掘された千年前のミイラが、発掘されたことでそのミイラの魂が吉岡から、礼子の編集者木島(西島秀俊)を通って礼子のところまでやってきて彼女の中に入ろうとしているということです。でも、沼から離れすぎてしまったために礼子の中に入れないミイラは、彼女の意識を操作して自分のいた沼の近くのロフトじゃなくて山荘?(って言うか山の中の一軒家なんだけど)に行かせる事に成功します。 礼子が引っ越した家の隣の家屋の中には、吉岡がいて、しかもミイラである自分の本体もありますのでますますやりやすくなってくるんですけど、礼子は意外としっかりしているのでやっぱりいまひとつ礼子の中に入れません。礼子の中に入り込んで美しい肉体を手に入れれば、吉岡と愛し合うことが出来るのに。 沼に身を投げて死のうとした女の体は、偶然その沼の不思議な成分によってミイラ化してしまい、千年後にうっかり沼から引き上げられ、ミイラとして研究と展示をするために大学の研究室に運ばれてしまう。醜くなった自分の姿をさらしたくないミイラの魂は沼に戻るために研究室にいた教授の吉岡の意識を操作して、何とか、研究室から運び出してもらう。 ところが途中で吉岡に惚れちゃったミイラは、そこで隣の一軒家に越して来た女(安達裕美)の体に乗り移ろうと考える。ちょうどその時、編集者木島と喧嘩してもみ合いの末、死んだあるいは意識を失った女の中に、入り込むことに成功します。 ところが女が死んだと思った木島は彼女の体を土の中に埋めてしまいます。たいへん!!せっかく美しい女の体を手に入れたのに。 そこで、吉岡に彼女の体を掘り起こさせる。うまく掘り起こしてもらったと思ったら、今度は吉岡によって女が殺されてしまい、元の沼に又沈められてしまいます。こんなばかな! ミイラ研究家の吉岡は、この女の体を使って自分もミイラを作ろうと考えたのです。千年もミイラを保存できた微生物を含むドロのあるこの沼に女の体を沈めればもしかしてミイラを作れるかもしれません。それに、もし、女を殺したのが自分なら、あのまま埋めておいて、うっかりみつかったら、自分にも捜査の手が伸びてくるかもしれません。危ない危ない。 さて、せっかく女の体を手に入れたと思ったミイラですが、仕方ないので、吉岡や木島にくっついていると、あらたに一人、美しい女性礼子を発見。この作家志望の女の体がほしいと思ったのです。 しかし、どうしても礼子の中に入れず困ったミイラは、木島を操って礼子の首を絞めて殺すか意識を失わせて、その隙に自分が中に入ろうとしました。ところが、あともうちょっとというところで、木島を追いかけていた警察が現れて、礼子は助けられてしまいます。 仕方なく、元の自分のミイラの体に戻り、吉岡に迫るミイラですが、そこはそれ。なにしろ千年もたっている体ですから、吉岡にあえなくぼろぼろにされてしまうのでした。残念。 さて、彼らにいいようにされて殺されてしまった作家志望の女(安達)の魂もまた、さまよっています。そして、礼子に、自分が殺されたことと自分の死体の場所を伝えようと、礼子に夢を見せたり、幽霊になって現れて、自分が埋められた場所や、沈められた沼、殺された場所を礼子に伝えようとします。 二人の女の霊にいろいろとメッセージを送られ続けた礼子は、さすがにことの真相をはっきりさせようと、吉岡に迫って彼の秘密を聞き出し、やっと、沼に沈められた女の死体を見つけ出すことに成功するのです。 サラシモノ(ミイラ展の展示物)にされそうになったミイラの体もちゃんと燃やしてあげてますしね。 ひどい男達に復讐する美女三人のお話でした。チャンチャン。 あ、考えてみると、結構つじつまが合うじゃん。 このお話。普通に見てるとミイラはあんまり活躍しないし、ミイラまで出す意味あるのかと思いますが、これだけミイラを強調してるんですから、ミイラが関係ないはずない。と考えてみるといろいろと面白いでしょう。 千年後に生まれ変わって再び愛し合おうと約束して沼に身を投げた二人。それが吉岡と礼子。千年後女はミイラとして出現し、二人が出会うきっかけを作ろうとする。ところがうっかり吉岡が女(安達)を殺してしまったために女の霊魂が二人の関係を邪魔する。そのために本来一つであるはずのミイラの魂と礼子の魂がなかなか融合できない。ミイラの体を燃やし、やっと一つの意識に戻った礼子は、吉岡とともに女の霊と対決していく。とかね。 中谷美紀さんの花模様のワンピースが素敵。きれい~。わたし、こういうドレス大好きなんだ。視覚的にも楽しめた映画でした。 LOFT ロフト@映画生活 ホラー映画
2007年04月08日
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泣けました。見ている間涙がぼろぼろこぼれました。 日本映画っておもしろくないよなー。日本人には本当にいい映画は作れない。と思っていたけど、こんないい邦画ができるじゃないか!と、思っていたのだけど、エンドロールをずーっとみていたら、監督は…韓国人? がーん。やっぱり日本人にはいい映画なんてできないのかな。 昭和40年代の貧乏な炭鉱から、これから産業発展していく日本への過渡期を描き出した、昭和世代には共感ばりばりの心にしみる日本の原風景を描いた邦画!と、思っていたら、その昭和の日本のよさを外国人に描かれちゃって、しかも映画のカテゴリは一応「邦画」って。 何か情けない。 一緒に見てた息子が「やっぱり日本人にはいい映画なんて作れないのね。」と、ダメダシ!李監督のことを「外国人」というと語弊がありますね。でも、監督と企画が韓国系の人なわけで、つまり韓国系のセンスが入って初めてこれだけのいい映画が出来たということはやはり私にはちょいショックでした。彼らはすでに日本に住んで三代目くらいらしいのですが、やはり朝鮮学校に通っていて、名前も韓国の名前なままということは、彼らが育った家庭内での文化やセンスや価値観や思考法もまた韓国のものが残っていて、ゆえに韓国の感性がこの映画の中に現れているわけで、やっぱり純粋に日本人だけだと、これだけの映画は作れなかったのかというのはちょっと口惜しい。日本人の監督だともっとつまんないものになってたかもしれない。どうも日本のおじさんたちの感性は泥臭いんだもの。韓国は今すごいものね。大学受験への国家を挙げての対策とか、韓国映画のハリウッドをしのぐような勢いとか、経済政策とか。やっぱ負けてるなあ。やばいっすね。最も、いつまでも邦画とか、外国映画とかっていうより、これからは、『墨攻』のようないろんな国のスタッフが共同で作るような無国籍映画がどんどん作られていくようになるかもしれないですね。ただ、そうなる直前の今の段階でこれはすごいと思うような日本人スタッフだけの邦画を作ってほしかったなあと思うわけです。 まあ、それはそれとして、面白い、いい映画でした。泣けました。こんな貧乏な時代もあったんだよなあと思いだしました。今は日本人もずいぶん贅沢になれて傲慢になったねえ。『捨てる技術』なんて本が売れるんだから。ものあまりが悩みのネタなんだから。 閉山目前の炭鉱が再起をかけて、新規のリゾート施設を新設。はたして、成功するのか? 私たちはその後のハワイアンセンターを知ってるから、いいけど、もしこの後を知らないと、「田舎の泥臭い娘たちにフラダンスなんか踊らせて客寄せなんてできるの?馬鹿みたい」としか見えないだろう。この時点でこの企画が成功するかどうか、まさに海千山千だったんだから、この企画を立てた人たちはすごいですよね。まさに『プロジェクトX』の世界。 それでも成功しちゃったんだからさらにすごいよね。そのあとの夕張炭鉱とは対極ですね。娘のフラガール志望を否定して、夕張炭鉱に引っ越していったお父さん。暗に語るものがあります。 とにかくラストシーンの「オープンしたハワイアンセンターでの初めてのフラダンスショー」は圧巻です。すっごくきれいですっごく素敵だった。必見のシーンですよ。 静ちゃんも子持ちのお母さんも蒼井優ちゃんもみんなすっごくきれいにメイクして、きれいなドレス着て、女の人って誰でもきれいになれるんだなーと思いました。そして、誰でもがんばると出来るようになるものなんですね。最後の蒼井優ちゃんのソロダンスもきれいでした。最後まで涙、涙、涙、の映画でした。 私も子供の頃親に連れられて、ハワイアンセンター行ったことがあります。私はフラダンスなんて興味なかったので泳いでばかりいて、見なかったんだけど、こういう楽しい室内温水プールなんて当時はすごく珍しかったし、プールや椰子の木だらけのドームや華やかなフラダンスショーっていうような、きれいな部分しか知らなかった。けれど、その裏でまずしい炭鉱の町並みや、泥だらけすすだらけの炭鉱の現場なんてのがあったわけで、そういう、裏の部分が映画では描かれていて、日本が産業発展していく過渡期の日本人のがんばりや心理や価値観の変化がすごくうまく描かれているんですよね。 こんな風に日本が変わっていったんだというまさにその時代がうまく常磐炭鉱のリゾート建設の場を通して描かれていて、みごとでした。 私はこの映画を、普通のストーリーなのに、二回見てしまいました。普段、込み入った話なんかだと一度ではわからないし、ブログの記事を書くため、謎解きのためなんかに二回くらい見たりするんだけど、こういう素直なストーリーで二回も見たのははじめてかもしれない。そのくらいいいお話でした。二度目ですら、泣けました。さすが、2006年度の映画賞をとりまくっただけのことありますね。 特にまどか先生を演じた松雪泰子が当時のファッションを泥臭くなく、素敵に着こなしていて見とれちゃった。また、序盤では濃かった化粧がだんだん話が進んでいくうちにほぼ素顔になっていくんですね。自分が主役だった彼女がだんだん裏方としての自分になっていく。まどか先生は、「それなら貴方が踊ればいいじゃない」と、彼女がダンスを教える生徒たちに何度か言われるんですよね。主役から裏方へと変わっていく彼女と、だんだんきれいになっていくフラガールたちの変化の描かれ方が面白いですよね。本物のまどか先生は今だに現役で先生を続けていて、フラガールたちを育て続けているそうです。 この映画は誰が主役かわからない。全ての登場人物たちがみんな見せ場があって、いい役をしてます。どのキャラも見せる。そして、一人ひとりがいろんなことを訴えていて、語っていて、謎解きのない込み入ってないストレートなストーリーなのに、非常に深いものがあるんです。 いい映画でしたぁ。 フラガール@映画生活日本映画、邦画
2007年04月07日
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春のあたたかな一日にほっとする今日このごろ。またまたバトンをいただきました。「あの人の事をもっと知りたいバトン!」1 そんな6人にバトンを回す(回す人を最初に6人書いておく)指名するのはこのさいパスしておきましょう。 2 お名前は?civakaでーす。 3 おいくつですか?え?4 ご職業は?ばりばりの専業主婦。私働くのきらいですから。家でできる仕事がいいなあと昔思ってたら、主婦ってまさにそうだよね。でもね収入がないのが難点ですね。気をつけないと一歩も外に出ずに一日が終ってしまう。やばい。北欧には専業主婦に給料をくれる国もあるというのに…。5 ご趣味は?ブログ書き。読書。漫画。映画。絵画。子育て。ブロキシー。ゲーム。おでかけ。花見。旅行。6 好きな異性のタイプは?ものすごく頭のいい人。かっこいい人。イケメン。いまさら性格がいいとか、おもいやりがあるとかいっても始まらないし、性格のいいのはもう、あきたし。7 特技は?あったかしらそんなもの。私無芸大食ですからぁ。8 資格は?何か持っているものはありますか?簿記2級。自動車運転免許。資格なんて役に立たないねえ。9 悩みはありますか?子供の受験。親族間の形骸化された儀式にどう対処するか。持病。10 好きな食べ物と嫌いな食べ物は?好き:メロン。桃。嫌い:きゅーり11 好きな人はいますか?息子と娘。一匹づつなの。かわいいの。毎日見てても飽きないの。だんな?どうでもいい~~~。12 貴方が好きな人へ一言あそんで~。13 送り主の名前は?毎日ミナコさん14 送り主の第一印象は?写真がうまい。うますぎるよ。理系の女の人ってすき。本の趣味が私の範疇とまるで違うのでいろいろとインスパイアしてくれます。おもしろい。15 送り主に一回やらせてみたいことは?ご馳走を作って私に食べさせて。ってちがうか。質問と。 もう家族のご飯作るの飽きたよ~。ただでさえ、食欲魔人のようなダンナの腹を満たすのに大変なのに、近頃は成長してきて、ものすごく食べるようになった二匹のハムスターズ、もとい子供たちのために、私は食料の買出しだけでよれよれです。しかも、好き嫌いはすごくあるし。二人で食の好みがばらばらだし。涙16 送り主を動物に例えると かわいい子供のキタキツネ 猫もいいかな。ワイルドキャットもいいかな。昔見た「キタキツネ物語」かわいかったですね~。17 送り主の良いところ 写真がうまい。理系で知的な人って好き。 このバトンは、質問が難しいです。そろそろなにを答えればいいのかわかんなくなってきました。これを考えたのはだれダ?でも、前にザンスーさんのところでもっと大変なバトンを見かけたことがあります。しかし、最近はバトンを回しても放置される率が高いですから、バトンを作る人は勇気があるよね~。これを作るのって結構大変そうじゃん。18 送り主の悪いところわかんないなあ。ないと思う。いや。ご飯をつくるのがうまい。いい男を捕まえている。若い。パソコンができる。ん~~~~?19 送り主が捨て犬だったら拾う?見捨てる?送り主が犬なら…どうしよう。 だって、犬を飼ったことないもの。でも、拾わずに見捨てて通り過ぎたら、そのあと罪悪感でずーっずーっともんもんと悩む羽目になりそうだし、どうしようかな。私的には、犬って苦手。しかも、姑が犬きらいだしさあ。拾った後で人間に戻ってください。猫だったら迷わず拾います。でも、このブログの製作者は犬がすきなのか?この質問は99パーセントまで、ひろうと答えることが予想されているような気がするぞ。いったいどうすればいいんだあ。でも、こんなこと現実にありえないんだから、そんなに悩まないで、素直に無難に拾うとか書いといた方が絶対得だよね。こういう場合。それが処世術ってもんだよね。わかってるのに、こんなこと書いてるのが私の私たるゆえんである。えっとぉ…。20 送り主と一緒にやりたいスポーツは?運動はだめです。逃げます。まして、ぎっくり腰の後遺症ですぐ腰にくるのでもうだめです。かんべんして。21 送り主がもし自分の前にいきなり現れた時、最初に言いたいこと。始めまして。私が本人です。いつもお世話になっております。これからもよろしくお願いします。小心者なので、リアルの世界は苦手なんだよ~。22 送り主が岡村隆史と戦っていたらどうする?岡村隆史って誰?23 送り主とライブに行くなら何のライブがいい?ライブっていったことないのよ。24 最後に何か一言このバトンを作った人は手を上げてください。岡村隆史と音楽と動物と犬と、スポーツが好きなんですね。しかし、私はバトンを作ってまわす勇気はないぞ。だって最近ブログ界では、バトンは敬遠されてるんだもの。 えっそうでもない?どうなのかなー。わからん。私はそんなにきらいじゃないんだけどね。でも、最近へりまし種。バトン。25 次に回す6人。その人達は自分にとってどんな人?というわけで指名はパスしときます。本当は指名してもいいんだけど、まあそれはそれ。どんな人かなんて私にはわかんないよそんなこと。みなさますばらしいです。と、無難にほめておく。それが処世術ってやつさ。いつもお世話になっております。これからもよろしくおねがいします。やはりステレオタイプの社交辞令的セリフは便利だ。でも、本音ですよー。 いい加減なことばっかり書いてますが、私は真剣に一生懸命真摯に書きました。バトン製作者の貴方。ここまでたどりつきましたか? さて、次のバトンはどんなかなー♪ やったぞ。来週からは新学期も始まって、一日中ご飯作る生活とはおさらばだぜい。やったあ♪でも早起きして、おべんと作って、息子をたたき起こさなければなりません。神様よろしくお願いします。
2007年04月06日
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プロ棋士の屋敷伸之は16歳でプロ棋士となった非常に優秀な将棋指しです。しかし、プロになった後、伸び悩んだのです。そのあとが苦しかったようです。それで、伸び悩んだ彼はどうしたかというと、賭け事としての競艇にはまったのだそうです。毎日競艇ばっかりやっていた。一応プロ棋士なのでお金はあったのでしょうね。仕事で書く文章の中身まで競艇のことばかり書いてあったそうです。将棋雑誌に載せる将棋がらみの仕事の文までそうだったらしいです。そのまま屋敷は競艇にのめりこんでだめになってしまったのでしょうか。いな。競艇ばかりやって遊んでいたはずの彼は、その後将棋の腕も上がっていったのです。壁を乗り越えることが出来たのです。本来プロの棋士なんですから、もっと将棋の勉強をやって腕を上げていかなければならないはずの屋敷が、なぜ競艇によって腕をあげることが出来たのでしょう。そこには余白の時間によって彼が人間的に成長していく過程があったのだと思うのです。 目指すものがあるとしてそればっかりやっていたのではいつかどこかでゆきずまって、壁にぶち当たるものです。どんな世界でも。一つの世界で頂点に立つ、あるいは、トップクラスまで上り詰めるには、技術だけではなく、人間的な成長、人間としての厚みが必要とされるのだろうと思います。 この『Do Da Dancin’!』は、踊りの世界をテーマにした物語です。主人公鯛子はバレリーナをめざす途中で母を失い、それをきっかけにして、自分の目指す道を外れてしまった。やる気のないまま無為に八年という歳月を送り、もはやプリマへの道は閉ざされてしまった。 鯛子は長年お世話になったバレエ団をやめ、フリーのダンサーとしての道を模索し始める。北海道のバレエ団の公演に参加したり、友人四人でジャズダンスの公演をやってみたり。けれど、やはり自分が本当に求めるのはクラシックバレエのプリマになることであることを再確認した彼女はもう一度プリマを目指しはじめる。 いろいろな踊りの場を回っていく中で彼女はたくさんの人間関係をくぐり抜け、その人間的なやさしさと度量の深さで、その場の人間関係をまとめていくほどに人間的な成長をし、大人になっていく。 プロのプリマを目指すバレエエリートの少女たちが、時間の全てをバレエの練習に打ち込むあまり、それ以外の時間がとれず、人間的には未熟なまま成長し、芸術家ゆえのヒステリックでわがままな、バレエしかできないダンサーとなってしまう。そこには、また、干渉型の母親によって生き方をしばられ、あるいは、精神的にもろすぎて本番がこなせずにいるような、そんなプリマたちが多い。その中で、鯛子はしっかりと一人の大人の女として自己を主張し、自らの踊りの中に昇華させていく。ダンサーは踊りの技術だけではなく、一人の人間としての成長が自らの中で熟成したとき初めて、一つの完成された芸術になりうるのだろう。 すでにプリマとしては、時期をはずし、年齢的に機を逸してしまったようにみえる鯛子が、実は無駄に思えたその八年,九年という時間のなかで、あるいは戸惑い、あるいはさまよい、いろいろな場所や世界や人間を見ていく中で得たものが、やがて彼女の中で結晶し、一つの美しい芸術作品としての桜庭鯛子というダンサーを作り上げるという物語なのである。 プロのはずのプリマたちが青春の時間を全てバレエにつぎ込むことで失ってしまった人間的成長ゆえに、精神的に未熟なままで、周りからのフォローによってやっと仕事をこなしていき、どこかでかならずぶち当たるはずの壁をこえなければならないという一般的なコースとは逆に、鯛子はまず人として成長し、その後に一気にプロのプリマへの道を駆け上がっていこうとするそのマライマックス直前で彼女の成功を見せる前にこの物語は終る。 プロのプリマとなった彼女の大人としての踊りは私たち読者の想像に任されてしまったようだ。 無駄に思える寄り道の時間は決して無駄ではない。その余白こそが人を成長させる大切な時間なのだと私は思うし、この物語もまたそう語っているようだ。 少女マンガ
2007年04月04日
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『Life is beautiful』というブログに載っていた記事の中からビル・ゲイツ(正確にはマイクロソフト?)の面接試験の問題。↓あなた(=Aさん)とBさんにジャンケンを連続で1000回してもらいます。あなたもBさんも、パーで勝つたびに500円、チョキで勝つたびに200円の賞金を主催者からもらえます。グーで勝ったり、アイコになった場合には一円ももらえません。この条件で、あなたの賞金を最大化するために、どんな戦略を採りますか?ただし、Bさんと前もって相談することはできないし、試合中はしゃべったり身振りで合図を送ってはいけません。表情も見えないように、ミラーガラスのヘルメットを被ってもらいます。試合中に見えるのは相手が何を出したかだけです。この問題の回答は一つではないわけだけど、それでも一番最良な方法は「グーとパーを交互に出す」というものだ。これによって最高の賞金を獲得することが出来る。そのほかのパターンとしては、 1)ひたすらグーを出し続けて終了後に半額25,000円もらえるようB君に交渉する 2)チョキばかり出す 3)グー・チョキ・パーを適当にまぜてだす なんかがあると思う。ビルゲイツの面接試験-ジャンケン編ビルゲイツの面接試験-ジャンケン編 解説ビルゲイツの面接試験 別解 この問題を見て思うのは、このコミュニケーションゲームはそれなりに頭のいい人たちでなければ出来ないだろうということだ。優秀な人たちの世界でだけ通用するコミュニケーション問題だいうことだ。 こちらがグーとパーを出し続けてこちら側の意図が理解できる人間はたぶん、この人たちが想像するよりずっと少ないのではないかと思う。 世の中には実際には頭の悪い人間の方が絶対的に多い。このジャンケンゲームが通用するのはあくまでマイクロソフトに入社しようとするようなレベルの人たちだけの話であって、この問題によって試されるのは、そういう回答が出せる頭のよさがあるかどうかを大学受験なんかよりずっと確実に見分けられること、このくらい頭のいい人たちでなければ経済界の上層部をしきっていくことはできないということだ。普通のあるいはそれ以下の人たちは、こちらがどんなにグーとパーを出し続けても、最後までこちら側の意図を理解しないまま終ることがかなりありうるのじゃないかということだ。 経済界はこのくらいのゲームが理解できるくらいの頭の良さがなければできないし、経済の上の方の世界はこういう人たちだけで成り立っているのだということがわかる。実際にこのゲームを入社試験でやらせれば経済界に向く人材が一発でわかるだろうけれど、こんなことをいちいちやらせているのも面倒なので、出題形式にして解決法を書かせるのはかなり手堅いやり方であり、その人材にどの程度のコミュニケーション能力があるかわかる試験でもあるわけで、つくづくビル・ゲイツがなぜ成功したのかとってもよくわかる話でもある。 ところで私はアホなので、この回答が思いつかなかった。というか大して考えなかったのですけれど。それで私としての回答は『チョキを出し続ける』というものだった。これはつまり賞金を獲得をするということを捨てているということだ。儲けようという発想がない。それはつまり、ボランティアとか、中国の仙人さまとか、金儲けをしようという発想がない人間たちの感覚なのだが。これに対してどういう対処法があるのだろうか。 お互いにグーとパーを出すということは協力してでも賞金を得よう儲けを出そうというまさに経済人の考え方なわけだけれど、それに対して、チョキを出し続ける人間に対面した場合、彼らはどの手を出しても、決して賞金を獲得できないのだ。チョキに対してグーとチョキでは儲けはないし、パーを出せば相手に500円がわたってしまうのだ。 欲を捨てた人間には、どれほどの頭脳も知力も戦略もかなわないというところだろうか。でも、この場合まずパーはでてこないだろうね。 最も私がチョキを出し続けることを考えた段階ではそこまでは考えていない。お互い何ももらえなくても、痛みわけでそれでいいじゃないかと思った。つくづく無欲な人間にはかなわない。 最もこの問題には、「あなたの賞金を最大化するために」という規定があるから、賞金は要らないなんて考えちゃいけないんだろうね。 ついでに言うと、 『ひたすらグーを出し続けて終了後に半額25,000円もらえるようB君に交渉する』というのは、明らかに談合的発想だよね。
2007年04月03日
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昨日の日曜日はとってもいいお天気で、よく晴れてて、お花見日和でしたね。というわけで私もだんな様とお花見にいきました~。今回は国立。国立駅の南側は南にマーっすぐ道路が通ってまして、そこがずずずいーっとずっとずっと桜の並木道なのです。それも昨日今日植えられたものじゃなくて、ずいぶん昔からのものらしくて、年季はいってるんですよ。だから桜がみんなそれなりに大きな木で、一本ずつでも見ごたえあるのが、地平線のかなたまでまーっすぐに桜並木なの。すごいよね。これをかなり昔に作ったわけだから、国立の文化レベルの高さがわかろうというものです。このあたりは文教地区ということで、一橋大学、私立桐朋学園、国立学園、都立国立高校というように名門の学校も林立しているわけです。さてじゃあ、お花見に行きましょう。見てみてほらずーっと続いてるの。一本ずつが十分大きいのです。左にある赤いのは高級スーパーの『キノクニヤ』さんです。帰りにお買い物したけど、たかかったー!!!ちょっと普段気楽に買い物はできないなあ。歩道もゆったりしててゆっくりのんびりお花見できます。いやあ。今年は全国的に一気に咲いたので、どの桜もすごく豪快で、みごたえありますね~。きれいなんだけど、絵になるように撮るのが意外とむずかしかったです。後、天気良かったんだけど、撮った写真がどうも暗くて。光度調整が難しいです。まだまだカメラを使いこなせてないなあ。こういうのは光の加減がものをいいますからねえ。つかれたのでスタバでお茶。わんこもお花見です。うちの子じゃないのよ。よそのおうちのわんこ。お花見のあとはランチです。スープカレーって始めて。私が食べたのは、14種類の野菜のカレー。えっとー入ってたのは、ゆで卵、ジャガイモ、キャベツ、サツマイモ、ベビーコーン、生トマト、おくら、枝豆、ニンジン、ピーマン、たけのこ、いんげん、なす、ウウウ、後一つはなんだろう…。辛さは0から100まであって選べるのです。でも、ふつうは、30くらいまでが限界で、それ以上は限界への挑戦!というか、100ってどれほどなの?中辛は3ということなので、私は2にしました。ちょうど良かったです。ダンナはなんと20を選んでました。かなり辛かったのでは。わたしよりご飯の減り方が早かったですからね。ご飯は玄米もあったので私は玄米を選びました。お肉が入ってなくて、野菜たっぷりに玄米なので、すごくヘルシー。ダイエットにもよさそうなので、こころおきなくバクバク食べられます。最後の方はもうおなかいっぱいでした。具がなくなったら、ご飯をスープに入れるとスープも残さずおいしくいただけます。うまかった。ごちそーさま♪ってわけで帰宅後はお昼寝ー。バイバイ。
2007年04月02日
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