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カメラもって行くのわすれちゃったよ。もう閉幕まで後三日というきのう。やっといってきました。東西線木場駅から歩いて15分くらい。美術館に着くとすでに長蛇の列。40分まちでした。どひゃー。実際にはもう少しはやかったですが。 あのジブリアニメの背景を書いた人です。でも、実際には日本アニメの有名な数々の名作にもかかわっていたのですね。「あしたのジョー」とか、「幻魔大戦」とか、「ユニコ」、「ガンバの冒険」なんかも。 都会のすさんだ町並みや、壊れたビル郡、などから、のどかな自然の山並みまで何でも描けるんですねえ。背景ですから、実際のアニメでは、登場人物に目が行ってしまうし、瞬時に画面がかわっていくので、チラッとしか見ないのだけど、それにもかかわらず、一木一草まで非常に細かく書かれていて、すごいよー。私なんか飽きっぽいから、とってもできないもの。 そういうアニメの背景画が、こうして展示されると一つの芸術作品として、十分鑑賞に堪えうるほどのものをもっているのですねえ。最近はディズニーアニメのセル画なんかも一枚ずつが結構な値段で売られるようになってきたし、世界的にも、アニメの評価が高まっているので、ジブリアニメの背景として、かなりな価値がつきそうです。そのうち、男鹿和雄作品として、世に出回って高額で取引されそうな気配を感じました。ただ、あくまで背景画であって、個人作品ではないので、書いた人のサインとかもないし、どうやって、男鹿作品として。保障されるのか、どこあたりから、価値をつけて、線切りするかは、微妙です。 それと、普通の画家の作品とちがうのは、個人の芸術作品ではなくて、多くの人の手もはいっていること。また、絵をかくコンセプトとして、どういった場面のどんな絵という指示が周りのほかの人間によって要求された上で書かれている絵なんですね。画家個人の作品は最初から最期まで画家本人の意識と思想と要求で描かれる訳だけど、アニメの背景なわけだから、スタッフからどんな場面でどんな風に使うから、こんな雰囲気でこんな色調でと、指定されてかかれていたりすめるわけで。しかも、アニメのためだから、普通の画家に比べてものすごい多作。 でも、それらの状況をのりこえてなお、その精密で緻密で、そして、背景画というだけではない、見事さ。原画ですから、印刷した画集やポスターではわからない発色のよさやナマの絵がもつ迫力なんかも、原画展ならではのものとして、味わうことができます。会場ではほかに、アニメの作り方や背景とセルが重ねられた様子や、ハイレベルの撮影方法の紹介などもありました。最後にアニメーションと、ととろの折り紙がありました。子供向けの企画だったとおもうのですが、会場は平日のこともあり大人の方が多くて、でもってそのだいの大人がみんな必死にととろの折り紙を折ってるんですねー。青、緑、オレンジの三色あったんだけど、一人一枚までなので、私はオレンジのをもらってきました。 これが裏。ほらね。ほんもの。 男鹿和雄氏自身はすでにジブリをやめて独立して、今個人で仕事をされているようです。いくつかのもっと素朴なアニメや絵本などを出版されているようです。 その中で「ねずてん」という絵本が面白そうだったので、しかも、会場の売店で売られていたので、買ってきてしまいました。 そのほかにまっくろくろすけが売っていたので買ってきましたー。 「おーい」 すでに、美術展は日曜までですが、あまりの人気のせいか、夜8時までの会場だそうです。平日でもあの混みようですから、土日は入れないかもね。
2007年09月29日
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福田さん組閣しましたね。ほとんどの大臣が据え置きということで多少の批判がありますね。そのあたりの是非は私にはわからないけど、でも、私がいつも思うのは、首相が変わるたんびに組閣だとかいって、大臣いれかえすぎるなんじゃないのということです。 しょっちゅう大臣が変わる。だから、結局大臣というものが頭のすげ替えで、名誉職になりはてていて、実際の各省庁の仕事をしているのが事務次官以下の官僚になっている。大臣は省のトップで一番えらいはずなのに、実際には、よくわからないまま、ほとんどのことは官僚まかせで、やっと少しわかってきた頃には、もう次のポストに移ってしまう。大臣でありながら、ひな壇の上のお殿様でしかなくて、実権も内実も実情も果ては、汚職もみーんな官僚まかせ。事務の現場の人たちまかせ。 政治家さんたちは、自分の出世のための名誉職として、大臣職を渡り歩いていくだけ。こんななんだから、年金のお金が現場の事務の人たちの懐に入っても、わからないし、修正されないし、暴かれないし。 省に仕事で証明書類なんかもらいに行くと、書類の大臣の名前のところが前大臣のまま。その名前に二重線を引っ張ってその下の余白に用意してある現大臣の名前のはんこを押して、それを提出して、それで、証明をもらうんですよねえ。スタンプインクなんかも用意してあるし。そのくらい大臣て、入れ替えが激しい。激しすぎる。いちいち総理が変わるたんびに各大臣まで入れ替えるのってどうよって私は思うので、今回の大臣据え置きは悪くないと思いますけどね。 大臣職を総理とは少し離してもいいんじゃないのかな。総理が変わるたんびに大臣を入れ替えるより、大臣は少し長くもっと責任を持ってその省の仕事にかかわってチャンと仕事してほしいです。だって、国会中継とか見てたって、大臣の答弁て、結局後ろの事務担当の人がこそこそ教えてたり、資料用意して渡してたり、大臣本人は実はぜんぜんわかってなかったり。そういうの何とかすべき何じゃないの。と思う組閣ニュースでした。
2007年09月27日
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とうとうセンター試験の出願の時期なのですが。 つくづくうちの息子はアホたれだなーと思う。てか、昔からアホなのだが。 どんなに一生懸命勉強したって、願書ださなかったら、大学には入れないんだよ。 で、土曜が学校の指定する振込みの締め切りだったのに、まだやってない。そのあとは、きのう今日と、休みだしぃ。金曜の朝にハタと思い出して、お金を渡したのだが、どうにも心配でやっぱり「私がふりこんでくる!!!」といったのだが、本人のどうしても自分が行きたいというコトバに負けてやつに任せてしまったのが間違いだった。帰ってきてきいてみるとやっぱり出来なかったそうだ。授業が終ってあわてていっても、まにあうわけないんだよ。 彼とよくよく話してみると、銀行や郵便局の営業時間も知らない。土曜日や日曜でも、振込みが出来ると、思っていたりする。えんえんえんえんえんえん説明したのに、覚えてない。 あのね。願書出して、受理してもらわないと、大学にはいかれないんだよ。 でもってですね。ニュースではよく聞いてても、実際にはなかなか知ることのないセンター試験のお値段は、なんと、18800円です。たかっ!!!!!帰ってきた息子に聞いてみたら、無事願書は学校に提出されたそうです。よかったよかった。あとは、学校が願書を提出するだけ。おまかせ!!!なのだ。
2007年09月25日
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昨日今日と久しぶりに地下鉄に乗ったら、電車の中の中吊り広告が、福田さんの悪口だらけですごかった。普段しょっちゅう本屋に行っていても、週刊誌なんてめったに見ないし、新聞の広告も見ないので、初めて見たかんじ。 ひどいなーと思った。 わたしは、福田さんが好きだから、こういう誹謗中傷に近いような売らんかなの内容ばかりを記事にした週刊誌の書いてることなんて、真に受けたくない。実際よく読んでみると、重箱の隅をつつくようなどうでもいい事まで書いてあって、そこまでけちのつけドコロを探してこないとならないほどけなしたいのだろうか。けなして、評価を下げて福田さんを引き摺り下ろしたいと考えているのは、いったい誰なのだろう。 この記事の後ろに誰かいるのか。それとも、週刊誌が売り上げを伸ばすためにあることないことなんでもかんでも書きまくっているのか。 なにしろ、今一番話題の人物なんだから、しかも、ほめるよりけなした方が話題性も興味をひく力も高い。 でも、雑誌を売るためなら、なんでもかんでも、なにしてもなに買いてもいいやという姿勢はどうかと思う。 いまや、インターネットの普及で、情報の入手先は雑誌なんかにたよる必要もない。雑誌の売り上げは落ちているのかいないのか。もちろん、インターネット内の情報だって、何処までが本当かなんてわかんないけど。 でも、あんなくだらない記事ばっかり書いてると、インターネットに負けちゃうよう。そりゃもちろん週刊誌がガセネタ釣り記事嘘八百なのは今に始まったことでもないけどね。ただ、こんなのを毎日満員電車に乗りながら見てたら、無意識に洗脳されていくだろうこともあるわけで。マスメディアはもう少し自分たちのもつ権利と影響力を自覚して、正しい使い方をしてほしい。インターネットでは出来ないものをもっているはずなのだから。 ま、それはそれとして、福田さん、総理になるんですねえ。総裁選の勝利オメデトウなのだ。 これから、せっせと国会中継をみなければ。あいかわらず、素敵な笑顔だ。 親子二代っていっても、別に親の七光りでも、世襲でもないんだから、そんなこと気にすることないじゃん。 今度の官房長官はだれだろう。でもって、福田さんはどんな仕事をするのだろう。ドキドキ。
2007年09月23日
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昨日娘が修学旅行から帰ってきました。楽しかったそうです。よかったね。 最近の修学旅行は地方から来るとみんな必ずディズニーランドに行くようですが、それと同じように東京からの修学旅行生は、USJに行くようです。昔は修学旅行といえば、京都奈良と決まっていたものですが、ずいぶん贅沢になったものだなあとびっくりでございます。まったく。 地方からの生徒がディズニーランドというのは、わからないでもないです。せっかく東京まで来たんだし、普段めったに行かれない有名なディズニーランド。家族で来れば人数分かかる旅費も、学校で連れて行ってくれるのなら、一人分ですみますからね。 でも、東京に住んでいてその気になればいつでも、ディズニーランドにいける状態なのに、京都奈良への修学旅行でまで、わざわざ娯楽施設にいく必要なんてあるのかなあ。 地方の子達がディズニーに行くように自分たちも修学旅行で娯楽施設に行きたい。ちょっと遠くて、普段いけなくて、しかも京都奈良から近い大坂にちょうどUSJがあるし。 てことでなんだかいつのまにか、そんなことになったみたいです。なんだかねえ。 しかも、USJのオフィシャルホテルに泊まったらしいです。窓からは、レインボーブリッジのような橋と、USJが見えたそうです。三人部屋でソファもある角部屋。たまたま適当に選んだ部屋が他のお友達よりいい部屋だったみたいと、本人はとてもうれしそう。 こっちは、湯水のようにでていく生活費と教育費、塾代、模試代、問題集代で、ひやひやしてて、旅行も娯楽も外食も節約節約だというのに。 いい気なものですねえ。 でも、私の親も節約しながら、私の修学旅行費や、クラブの合宿費なんか出してくれたんだなあと、思ったら、ちょっとだけ親の苦労がわかりました。 普段はいろいろ恩着せがましく子育ての大変さを私にくどくどという母にうんざりして、何処が?、それくらい私だってやってるし、てか、私のほうがよっぽど頑張ってるよと思ってたくらいなんだけどね。 あー。それにしてもお金かかる。 でもでも、娘が無事に帰ってきて楽しかったよといってくれたので良かった。 行くまでは班編成やら、部屋わけやら、いろいろと大変だったので。行く寸前まで気疲れでげんなりして、「いきたくなーい」の連発だったんですから。 行ってみると楽しいんだなということがわかってよかった。 私の好きなスヌーピーのお土産と八橋をくれました。
2007年09月21日
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こんなことを暴露するとちょっと怒られそうだけど、実は今年の夏の旅行に受験生である息子を連れて行ったのである。娘も受験生だけど、彼女は所詮高校受験だし、難関校狙いのわけでもないし。でも、超難関校狙いの長男を、本人の嫌がり度を無視して連れて行ったので、塾の先生がこれを読んだら、あんた何考えてるのって怒られそうなんだけど。 そういってもねえ。年に一度のお泊りの旅行。何をおいても、たとえ一泊でも、やっぱり行かないと一年分のストレスが清算されないんだよねえ。もう高三なんだから、置いていけるものなら置いていきたい。別に連れて行きたいわけでもない。それでも、連れて行くのは、家に彼を一人で置いていくのがあまりにも怖いからだ。それというのもあいつ、18にもなってるのに、家の治安保安に関しての認識がまったくないからだ。夜の7時になっても、雨戸も閉めないし、夏の昼間だと、下の窓が全部開いてる状態で家の中は自分ひとりしかいないというのに、二階にそのまんま行っちゃって昼寝し始めたりするのである。 泥棒に入られるとか、家の財産盗まれたらいかに困るかなんてことは、全く考えていないのである。 でもってね。そのことを指摘してもう少し防犯意識を持つように言っても、「金なんかなくなるなら使っちゃえばいいじゃん」なんていう信じられないほど頭の悪い発言なんかをする。 でもって、二日も旅行につき合わさせられたおかげで勉強時間がことごとく減ったと文句言い放題。もっとも、そんな風に怒っている割には、その前のオープンカレッジの帰りに友達とジブリ美術館に寄ってきているのだけれどねえ。 まってく自分のことしか考えないあの傲慢ぶりは何とかならないのだろうか。 それはそれとして仕方ないとしても、来年もし大学入ったとして、バイトなんか始めればいくらなんでも、ダンナと休みがあうわけないし、本当にもう家族旅行は無理だろうなあ。 でもって、やつを一人で残していったとして、家に泥棒が入った時、やつが怪我しようがどうなろうがかまわないんだけど、その防犯意識の低さのせいで家の財産とか盗まれたりしたらどうしようかとかそっちの方がよっぽど心配。 「旅行に来ないんなら、家の鍵は閉めていくから、あんたは外で暮らしてなさいね。」と言ったら、「別にいいよ」とのたまうのだ。車庫も一切入っちゃだめ。車庫もかぎ閉めてくからね。と言ったら、さすがに少したじろいでたけどね。 自分ちだと思って住んでるけど、実は親の私有財産に住まわせてもらってるんだという大人的認識は全然ないのだ。自分はこの家に住んでいいというか、当然と思っているらしい。やっぱりつくづく子供だよなあ。 こんな社会性のないやつの書いた小論文なんてどんなえらそうなことが書いてあったって、説得力ゼロだと思うんだけど。 まー。マンションなら、とにかく、玄関の鍵さえかけとけば窓が開けっ放しだろーが何だろーがかまわないのに、一軒家っていうのは、本当に治安防犯においてはつくづく不便で困るのである。 さて、来年はどうしようかなあ。やっぱり、ばばさまたちにお願いするしかないのだろうね。旅行の間、本人が飢え死にしようがどうなろうがそんなのはかまわないんですけどね。 子供の野球やサッカーのせいで、家族全員旅行にいけないというご家庭なんか考えてみれば、私のほうがよっぽど、わがままなのかもしれないけど。 それがいやで、子供には絶対野球やサッカーをやらせなかったくらいですからぁ。 それにしても、子供はどんどん大きくなる。親と一緒に旅行なんて嫌だというのも、ごもっとも。成長してる証拠だが、困るのはこっち。きちんと大人になってくれれば、別にかまわないのだが。中途半端に成長するから、たまったもんじゃないのだ。 旅行がいやなら、おいといても大丈夫だと親に思わせられるように、戸締りや防犯にもっと気を使いなさいと説教したんだけど、やーっパリわからないみたい。 しつけって難しいです。しっかりしてる子はもうとっくにしっかりしてるんですけどね
2007年09月20日
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私の大好きな福田さんがとうとう総理大臣になるらしい。 一時はアベさんに席をゆずってもう年だからってことで、あきらめたみたいだったけど。 その時しょぼーんとしてて、あの官房長官の頃の福田さんはどうしちゃったの。って感じだったけど。 安倍さんがやめちゃって、今度こそって立候補してきた福田さんはきらきらきらきらしてて、にこにこにこにこしてて、官房長官の頃の福田さんとおんなじだ。 おかげで最近は毎日テレビで福田さんが見られる。一応福田さん優勢だけど、麻生太朗さんも頑張っているので、なかなかどうして油断できない。 でも、麻生さんは若いんだし、次でいいじゃん。 とにかくこんどの総理は福田さんだ。 わが『ふつうの生活 ふつうのパラダイス』では、全精力をそそいで福田さんを応援したい。といっても、別に何をするわけでもないのだが。 福田さん。がんばれ~~~~~~~~~~~~~~~~。
2007年09月17日
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よくいく豊洲のララポートのお菓子屋さんスウィートファクトリー・プラスで買うチョコレート。おいしいミルクチョコレートなんだけど、食べるとミントの香りがたっぷりなんです。一度買ったら、気に入っちゃって、行く度に買ってしまう。豊洲には映画を観によく行くので、シアターを出てすぐのところにあるこのお店で、いつも娘へのお土産のグミと一緒に買ってしまいます。アイスのチョコミントはよくあるけど、チョコレートのミントはめずらしいし、他ではまず売ってないものね。イギリスからの輸入物みたいなのです。チョコレートだけだと甘ったるいのが、ミントの香りでさわやか~~~。だけど、やっぱり、ミルクチョコなのだ。
2007年09月15日
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マリーアントワネットと、フェルゼンの関係ってもしかして、側近の策略だったんじゃないの。 って考えちゃった。 『ベルばら』では、ルイの身体的欠陥のせいで子供ができなかったって書いてあったし。そのあと、手術して、子供のできる体になったそうですね。そう書いてあった。確か。 で、マリーが嫁いできたのは、14歳。14歳でいきなり、初夜ってことはないと思うのですよ。映画では、マリーがベルサイユに来てすぐ、いきなり、ルイと同じベットのシーンになりますが、実際には、二人がもう少し年齢いってからだったんじゃないのかなあ。『べるばら』にもそんなこと書いてあった気がします。だって、14で妊娠したってチャンと子供産めないと思うのよね。まだ、子宮だって育ちきってないだろうし。だから、マリーが子供が出来ないことで悩んだのって7年もないと思うんだけど。 で、映画では、ルイには身体的欠陥はないってことになってて、だから、子供が出来ないのは、二人が不器用で上手にできないからだという結論になってるんですよね。 大体世継ぎを産む大事な体なのは、王子様の方もおんなじで。お国や時代や場合によっては、夜のそういうテクニックを王子様に教える仕事をする女の人なんかが用意されて、あてがわれてたりする場合もあるわけですが。ルイの場合はなかったんですかね。そういうの。 有名なポンパドール夫人っていうのは、最初から王様の愛人にするつもりで教育されて、用意されたそうだし。もっとも、ポパドール夫人自体がそのあと、王様の相手をやりきりなくて、彼女自身が王様の相手をする女性を用意したそうですから。 フランスの王様って元気ですよね。奥さん亡き後、死の間際までそばに愛人のデュバリー夫人を置いといたルイ15世とか。 『とはずがたり』読んでいても、将来の天皇のために、ベッドテクをおしえる貴族の女性がいたようですから。 でも、どうも、ルイ16世はかなり、晩生のオタクのとっちゃん坊やだったみたいだし、初めての対面でマリーアントワネットもルイのことを「こどもだなー」って思ったくらいだから。一応ルイのほうが年上なのにね。 で、ルイのほうはたぶんそういうの嫌がったんでしょうね。 となると、世継ぎを作るには、もう女の側のマリーにうでを上げてもらうしかない。でも、女性だし、そんなに公然とは出来なかったんでしょうね。で、たぶん、側近とかがいろいろ考えた末に恋愛を見えればいいんじゃないかと。 で、マリーの相手として考え選ばれたのが、フェルゼン何じゃなかなーと。だって、外国人のほうがいいよね。あとくされなさそうだし。めんどうになったら、国外退去できるし。もちろん顔が良くないとマリーがその気にならないだろうし。で、プレイボーイで女のあつかいがうまくて、そっちの方も上手な男ってことでフェルゼンが選ばれたんじゃないでしょうか。 もちろん二人はそんなこと知らないでしょうが。 だって、王太子夫妻がおしのびで仮面舞踏会なんていけるものなのでしょうかねえ。しかも、フェルゼンだけ、仮面つけてないし、わざとらしく、二人が対面してるし。「あれは誰」ってマリーが聞いた途端に名前が答えられてるし。ぜったいマリーが目を付けるように惹かれるようにセッティングしてあったとしても不思議じゃないですよね。 宮殿に帰ってきた時も門のところで側近が待ってたし。 仮面舞踏会ってマリーとフェルゼンを出会わせるためのものだったのでは。 さて、そのあと。ベルサイユ宮殿の中では、いくらなんでも、二人を密会させるのは無理そうなので。なにしろまだ世継ぎの王子も産んでいない正式な王妃なんだから。世間に知れたらまずいしね。で、二人が会えるようにつくられたのがプチトリアノンだとしたら。 王女様は生まれたけど、王子はまだだし、もう一度ルイをその気にさせるのは難しそうだし。一回くらいで子供はできないし。 というわけで、本人たちは恋愛のつもりだけれど、わざとらしく、プチトリアノンにやってきたフェルゼンは、その熟練の腕前をたっぷりと王妃様に仕込んでくれたのでしょう。 そののち、めでたく王子さま誕生します。未来のルイ17世。予定だったけど。 そんな苦労して王子様産ませたのに、そののち、フランスは革命になっちゃって。ルイ17世は戴冠できずに終っちゃったんですねえ。 下世話なお話でしたー。すいません。 『ベルばら』って結構真に受けてほとんどそのまま信じて読んでたけど、映画の『マリー・アントワネット』を見ると、いろんなところが違っていて、ショックでした。怖いなって思いました。かなりまじめに書いてあったけど、フェルゼンの人物像とかぜんぜん違うし、本当はどうなんでしょうねえ。少女マンガだし、ある程度倫理規定の制約とかあったでしょうし。映画のほうも全部真実ではないでしょうし。 ↑フェルゼンを誘惑するマリー。 いやー。上手になってますねー。 マリー・アントワネット@映画生活
2007年09月12日
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マリー・アントワネットといえば、イコール『ベルサイユのばら』で、私たちの世代に知らない人はいないくらい。 そして、贅沢三昧の生活で国庫の財政を破綻させ、フランス革命勃発のきっかけをつくった極悪の美女ってイメージなんだけど。けれど、この映画では、そんな描かれ方はしていないようでした。 フランス王妃といえば、周りにかしずかれ、敬われて暮らしているというイメージなんだけれど、映画の中では主演のマリーアントワネットのヌードシーンが何度も出てくるのだ。マリーは、貴族たちの前で全裸にされて、着替える。食事も回りに大勢いる貴族の前で行わなくてはならない。羞恥心もプライバシーも持つことを許されない。 14歳でフランスに嫁いだ彼女は国境の地で全裸にされて、すべてフランス製の衣類に着替えさせられ、オーストリアからは、何一つ私物をフランスに持ち込むことを許されない。愛するペットの犬も、なじんだ侍女も。 ベルサイユに着いた彼女は貴族たちの並ぶ中を宮殿にはいる。貴族たちへの顔見世の場面だ。まるで見世物のように。 新郎新婦は貴族たちの見守る中で、自分たちの初夜のベッドに入る。ベルサイユ宮殿の部屋はドアがなく、プライバシーもない。彼らのベッドに天蓋がついているのは、部屋にはいってくる人たちからの視線を防ぐため。私室といえども、多くの人々が出入りするのだ。唯一のプライベートな空間はベッドの天蓋の中だけなのだ。しかも、初夜の翌日には、マリーとルイの間に何もなかったことが既に宮殿中に知られているのだ。 朝の着替えの時も、いきなり貴族の婦人たちの見守る中で全裸にされる。寒くて凍える彼女のことは二の次で次々と順繰りに高位の夫人が現れるために、マリーはいつまでも裸のまま待たされるのだ。彼らにとってマリーが寒いかどうか、快適かどうかなんていうのは関係ないのだ。貴族の夫人たちは、マリーの着替えを手渡すという重要な仕事をする権利を持つことで自分の存在と地位が守られる。そのことのほうが大事なことであって、彼女にかしづいて世話をしているわけではない。マリーは王太子妃として、敬われて、かしずかれて、世話を受けているわけではないのだ。 毎朝、天蓋をあけて、大勢の貴族たちが彼女の起床を見守る。そして、マリーに着替えを手渡すのは、貴族の上位の夫人たちの仕事。特権なのだ。貴族たちは、マリーに着替えを渡す仕事をすることで自分たちの存在意義を確保するのだ。王太子妃、王妃の世話をするために存在する。そういう言い訳を用意することで、貴族たちは、王の周りに群がり自分たちの存在意義を確保し、既得権益を行使することで、甘い汁を吸い、働くことも民衆のことを考えることもなく、日々を快楽の追求だけに送る。 だから、彼らにとって、王、王妃の存在は絶対であり、王も王妃も、そのあとをつぐ、王太子も王太子妃も、彼らの生活と、地位の確保のために絶対に必要な存在なのだ。 それゆえに、世継ぎの王子を産まないマリーは、王からも、実母のマリア・テレジアからも、貴族たちからも、攻め立てられ続ける。 宮廷で一番高位のはずの彼女は実は貴族たちのための存在でしかない。その寂しさとストレスゆえにやがてマリーは、ファッションや服、靴、食べ物、ギャンブルへと走っていく。国庫の財政をおびやかすほどに。 けれど、やっとのことで第一子の王女を産んだ彼女は、現代の私たちが子供を産んだ途端、自然食や無農薬野菜、無添加食品、公園などの屋外での遊びや、自然や虫や動物に関心をむけはじめるように、王女のためにフランスの農家を模したプチトリアノンに住み始め、やがてすっかりそこにこもって、数人のお気に入りの友人以外とは接触しなくなる。マリーにかかわることで自分たちの存在意義を確保していた貴族たちとの接点を一切切り始めるのだ。 プライバシーの一切ないベルサイユ宮殿の生活からのがれて、プチトリアノンにこもり、王妃としての責務を果たさない彼女はやがて、貴族からも切り捨てられてしまうのだ。 「ベルばら」では、ハンサムで誠実そうに描かれていたフェルゼンはこの映画ではイケメンで女ったらしのプレイボーイであり、マリーとの一時の恋の相手でしかない。フェルゼンとの関係ののち、マリーは世継ぎ王子をやっと出産することが出来るのだが。 王妃にとっては、世継ぎを産むことこそが最重要事項。けれど、すでに、貴族たちは彼女を見放し始めていたのだ。 物語の前半では、オペラをみて感動した彼女の拍手に賛同して、貴族たちが劇場中に響き渡るような拍手をする。ところが、物語の後半では、マリーの拍手に誰も賛同しない。ただ、シーンと静まり返り、マリーただ一人の拍手だけがむなしく響く。劇場の中で、マリーは自分が既に貴族たちを敵にしていることを知る。 いままで、一般的には、マリーアントワネットの贅沢ゆえにフランスの財政は破綻し、税金がどんどん増やされ、それに怒った市民たちによってフランス革命が始まったといわれてきた。けれど、マリーが贅沢な暮らしをしたのは、王女が生まれるまでのほんの一時期だし、財政破綻の実際の原因はアメリカ独立戦争への支援金のせいである部分も多そうなのだし、ルイは側近のいうがままに、国民の生活より、アメリカへの援助を優先させてしまう。マリーはそういった一連の事件のフランス革命のネタ作りのために利用されたに過ぎない。 王のルイも王妃のマリーも若すぎて、国のリーダーとしては、無力すぎた。 おしゃれをし、おいしいものを食べ、夜な夜な遊びに行くなんて、いまどきの普通の若者の普通の生活に過ぎない。現代であれば。それが、王妃であるゆえに責められる。常に衆人環視の中での生活。人々の見守る中で全裸にされての着替え。出産すら、貴族の男女の見守る中でなのだ。 普通の女性なら、そんなところから逃げ出して、普通のプライバシーのある生活をしたとしても不思議ではない。けれど、それが許されなかったのが、当時のフランス王室であり、社会体制だったのだ。 貴族社会から逃げ出したマリーはやがて、貴族たちから見捨てられる。貴族たちにとってマリーの存在が必要だったように、マリーの地位もまた、貴族たちによって守られていたのだ。 フランス革命はマリーや貴族の贅沢と、財政破綻とロベスピエールなどの革命をうったえる思想家の出現ゆえだと、いわれてきたけれど、もし、マリーが貴族たちとのプライバシーのない生活から逃げ出さず、王妃としての自分の務めをはたしていたのなら、フランス革命はおこらなかったかもしれない。 フランス革命は思想家によっておきたのではなく、マリーを守ることを貴族たちが辞めてしまったことでおきたのかもしれない。 社会は長い時間の間に成熟し、爛熟し、やがて腐り始める。腐りはじめた社会の上層がその利権にたかっていった時、革命がおきて、社会構造はリセットされる。 けれど、フランス革命は実際には早すぎたのかもしれない。革命によってフランスの社会はリセットされたけれど、結局民主的な政治形態にはなりえず、もう一度皇帝による帝政になってしまったのだから。 王室とその周りでうまい汁を吸う貴族。そんな貴族社会が嫌で、メイフラワー号に乗って新大陸に渡った人々の子孫は、そののち、アメリカの中で、貴族社会に似た上流階級となり、ヨーロッパと似たような貴族社会をアメリカの中に作り上げている。 あるいは、先日見た『SiCKO』のように、保険会社の利権に群がり、保険加入者がどんな目にあおうとかまわず、保険金を払わずに、その収入を自分たちの懐に入れてしまうような人々のいる構造を作り上げているというのは、革命当時のフランスの貴族社会とかわらないのではないか。 あるいは、日本の社会の上層部で誰にも知られないように、汚職を繰り返す人々は、貴族となんら、変わらない。世界は専制君主政治から民主主義にかわったけれど、いなくなったはずの貴族たちはやっぱりぞろぞろといて、国民の生活などおかまいなしに自分たちの利益だけを吸い取っている。 普通にオーストリアの貴族と結婚していれば、幸せに暮らせたかもしれないマリーアントワネット。 そんなマリーが王妃として、王妃らしい行動をとったのが、有名な「民衆の前でのバルコニーからのお辞儀のシーン」なのだ。マリーはこの時初めて王妃になったのだ。 ラストシーンで市民に馬車にのせられ、ベルサイユからパリに護送される時よりも、ベルサイユ宮殿でたった一人、しゃがみこんで部屋の片隅で泣きくれるマリーのほうがよっぽど、かわいそうで痛々しかった。 王妃というのは、国で一番えらいはずの女性なのだけれど、本当は貴族たちのための着せ替え人形でしかなかったのか。 『ベルばら』では、専制君主制から民主主義社会への変革と、思想を描いているけれど、実際には今現在もあいかわらず、社会には擬似貴族が存在し続けているのではないのだろうか。 政治形態が専制君主制でも、民主主義でも、結局甘い汁を吸って自分たちだけがいい思いをするような擬似貴族は必ず現れるのだとしたら、この先いったいわれわれはどんな社会をつくっていけばいいのだろう。 とにかく、主演のキルスティン・ダンストのヌードシーンが多い。最近『ベルばら』を読んだ娘が見たがって途中まで一緒にみたり、そのあと彼女一人で見たんだけど、フェルゼンと関係するシーンでも、ヌードだったりして、これR指定じゃなかったっけかなと考えてしまった。でも、娘のクラスメートは劇場まで見に行ったというから、子供オーケーだったわけだ。跡継ぎを作るために夫をその気にさせるのは妻のつとめだなんて母親のマリア・テレジアに手紙で説教されるシーンや、ルイ15世とその愛人がベッドでじゃれて遊ぶシーンもあるし。いいのかなあ。本人が見たいというので見せてるけど。テレビや、劇場での宣伝フィルムは、マリーがおしゃれしたり、かわいい靴やおいしそうですっごくおしゃれでポッブなケーキなんかがいっぱい出てくるので、そういう映画かなと思っちゃうけど、実際には映画のほとんどが子供作るの作らないのという内容で、こどもにはどうかと思います。それでも、いマドキのおしゃれな音楽やかわいい生地のおしゃれなドレスはなかなかにすてきでした。 追記もあります。 マリー・アントワネット@映画生活
2007年09月10日
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このタイトル日本人にはちょっとなー。わかっててつけたんですか?監督ーーーーー!!! まあようするに、『shick 0』(病気ゼロ)って意味ですかねえ。 先進国で唯一国民健康保険のないアメリカの実態が描かれてるわけですが。 国民健康保険がないので、大体は民間の医療保険会社に入っている。ところが、これ、いざ医者にかかろうとすると、いちいちいちいち、保険会社に医者にかかっていいか、救急車をよんでいいか、お伺いを立てないとならないのだ。病気怪我として、「治療費を払ってもいいですよ」という保険会社のお許しが出ないと医者にもかかれないという恐ろしい現実。しかも、保険会社はなるべく保険金を払いたくないから、なんだかんだと言いがかりをつけて、「これは病気じゃない」と言い出して、ちっとも保険金を払わないらしい。そして、アメリカの医療費の信じられないくらい法外な値段。やむなく、切断した2本の指のうち指を1本だけ直すしかなかったり。治療費のために我が家を売り払って、娘の家の物置に住まわせてもらうという老後。治療費がでないからという理由で、病人を街中に捨てる大病院。 アメリカの現実って本当にこんななんでしょうか。日本でも、保険会社の保険金不払いは問題になってるけどね。 後半は、国民健康保健のあるイギリスやフランスを訪れ、国民健康保健がいかにありがたいものかその現実をリポートしている。しかし、フランスの待遇は良すぎるきがする。そのせいで税金が高いんじゃないかというわけで、普通の家庭を取材して、普通の家庭が普通に豊かに暮らしている場面も出てくる。もっとも、共稼ぎとはいえ、月収96万円なんて家が普通とは思えない。実例としては、金持ちすぎる気がするんだけどね。 でもって、何でアメリカで国民健康保険が出来なかったかといえば、大統領の陰謀ということらしい。結局社会の上の方が自分たちの都合のいいようにしたくて、その結果国民健康保険を作らなかったらしい。 そして、医療保険会社は保険はやっても、保険金は払わない。そのお金は要するに、上のほうにいる金持ちのところに行くんだろうな。保険加入者がどんな目にあっても自分たちが豊かな生活さえ出来ればいいらしい。その結果、今のアメリカの医療はとてもひどいことになっていて、医療費はどんどん高くなっているようなのだ。 そして、国民健康保健をやりたくない理由の一つとしてあげられているのが、国民健康保険は社会主義のシステムだから。でも、イギリスもフランスも民主主義の国だけど、チャンと国保はあるしおかしくない。 アメリカにだって、公共の図書館やいろいろな公共のサービスがあるのに、なぜ健康保険だけが、実現しないのか。 かつて、実現しようという動きがあった時、国保は社会主義だという理由の元になしつぶしになったそうだ。資本主義をうたうアメリカのこわーい現実は、国内にいないとわからない。けれど、国内にいるとわからない。アメリカという国の中身をアメリカに行ってねなおかつ外側から見ないとわからない。 ところで、アメリカの医療のひどさをうったえる対象として、イギリスやフランスの国保が上げられているけれど、実際には、医療負担ゼロの変わりに、イギリスでは、風邪などの軽い病気では、薬なんか出してもらえないらしい。そして、日本だって、国保の充実はあるけれど、赤字続きでだんだん患者負担額は増えていく一方。老人医療費の負担の多さに、いつつぶれるかわからないのが実情だ。 そういう実情が描いてないんだよね。 でもって、ラスト近くでは、アメリカの宿敵のはずのキューバに行く。で、911事件のせいで病気になった人たちを医者にかけて治療するシーンがある。おそろしーい国だったはずのキューバは、社会主義だけど、医療費はものすごく安いし、きちんと直してもらえるし。実は天国みたいなところだった。でも、この映画を見て、アメリカ人がみんなキューバに押しかけちゃったら、キューバの医療システムだって、破綻しちゃうだろーなーと、ちょっと心配になっちっゃた。でも、そんなに売れてる映画じゃなさそうだから、大丈夫だろうか。だって、豊洲で見た時もかなり小さいシアターだったし。あんまり宣伝も見ないし。 医療問題とともに、民主主義を歌い上げて、社会主義を否定して国民を洗脳しているアメリカ国内の実態をも描いているような映画でした。 それにしても、あそこまでひどくなってると、ちかぢかアメリカの保健医療システムは崩壊するんじゃないのか。だって、だれも、医療保険にはいらなくなるでしょう。まっ、そんな簡単じゃないか。 シッコ@映画生活
2007年09月07日
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うちの娘は実は毎回学級委員をやっているのだが、去年から続いて担任をしている先生に面談で話をするたんびにそこはかと伝わってくるのが、「大して能力がないのに、受験の点数稼ぎのために学級委員なんかやってくれちゃって、迷惑だ。計算高くていやらしいやつ。」というメッセージなんである。 実際うちの娘はボーっとしているし、昔のように頭脳明晰で気が利いて、先生の変わりにちゃちゃーっとクラスをまとめて、相手の言う前に動いてくれるなんてタイプじゃないのは事実だし、娘本人に聞くとやっぱり「受験のための点数稼ぎでひきうけてるから、もしそういう得点がないならもちろん引き受けたりなんかしない」そうだ。 最も、学級委員という仕事は本人はそれはそれでそれなりに楽しいらしいのだが。私の性格だと、絶対そんなものはやりたくないから、すごく以外なんだけど。 でもって、「そんなの引き受けるのやめたら?貴方よりもっと適任者がいるんじゃないの」と言うと、「でも、学級委員選ぶときに他に誰も手を上げないんだよ。」ということ。 だーれも学級委員なんてやりたがらないのはごもっともな話で。なにしろ無料奉仕の仕事だし、先生にへんな責任は押し付けられるし、昔だって別に積極的にやりたいなんてやつはいなくて、まいど自薦を確認した後に選挙があって投票の結果、大体がクラスの中であいつは頭がいいと目されているやつが選ばれたものだけど。 ただね。今は私立中学受験の流行のおかげで、本当に役に立つ頭のいい学級委員むけのやつなんて、ほとんど私立中学にいっちっゃてて、公立中になんていないから、実際、うちの娘のような子以外学級委員なんて、やるやついないのも事実。高校受験のための内申点稼ぎなんていう特典のおかげで、なんとか委員を引き受けようじゃないかと考えるやつがいるおかげでなんとか、治安が保たれてるのが公立中学だとしたら、うちの子の計算高さを非難するのは、間違ってませんか先生って思う。 問題は、優秀な子が私立に抜けちゃってるという現実であって、高校受験のために委員引き受けてる子供たちのせいじゃないし、それがなくて、うちの子のような子達が委員を引き受けないからって、他に先生の役に立つ気のきくやつがいて、委員をやってくれるわけでもないと思うんだけどねえ。
2007年09月05日
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卒論を代行しますという会社があって、ネット上で広告を出していたらしい。で、けしからんということで、大学はわかった段階で単位取り消ししか、それなりの処分をするんだそうです。でもって、ゴーグルでも、曽野手の広告は消すらしいんだけど。もっとも、卒論代行なんてのは、昔からあって、昔の卒論を探してきて、そのまま写して、依頼主に渡す。インターネットが普及した今。それがネットがらみで行われて、ネット上に公に広告なんか出すからばれるわけだけど。インターネットの普及のおかげで、大学そのほか、レポートなんかの宿題はネット上のものを写して出せばいい時代になっちゃって。でも、それが生徒本人の書いたものか、ネットのものかなんて判断できない。ネット上にはものすごくたくさんの文章があるんだから。 娘の今年の宿題は『人権』と『税』がテーマで。ネットで検索したり、模範の作文を見てみたり。そのくらいは普通のことだけど、2チャンネルには、宿題を代行してくれるスレッドもあるらしいし。いろいろ探すと作文の書き方の書いてあるところもあれば、ちょっとだけ直して丸写しできるようなサイトもあったりする。 かつてのテスト、テスト、テストで暗記ばかりが問われた時代から、子供の頭の良さは暗記だけでは計れなくなってきて、記述式のような文章を書かせる問題が増えた。 でも、大学院の博士も大学院に行かずに企業に勤めながら、論文を書いて博士の学位を取れたこれまでの制度をやめにするらしい。だってね。ネットでいくらでも、文章写せるのなら、論文提出での学位はだせないでしょうねえ。これから。 大学のレポートだって、高校のレポートだってネットの丸写しが出来る今のご時勢。 これからいったい、どんな宿題を出せばいいんだろう。文章ではもう頭の良さは計れなくて、文章の宿題も出す意味がなくなってきている時代。 文章がだめとなればこれから先次は、どうするのだろう。計算問題や漢字の書き取りや、暗記物にまだ戻っちゃうんだろうか。
2007年09月04日
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アメリカ版『海猿』だよなと思い、そんなに面白いとも思えなくて、かりずにいたのに、見てみてたら、面白くって! 飽き性でいつも、映画の中盤あたりで飽きてくるのに、この映画は飽きませんでした。そして、荒れ狂う海でのすっごいハードな救助シーンの数々。劇場で見なかったことを後悔しました。しかし、ものすごーい寒い海にわざわざ自分から飛び込んでいくような仕事に自分の意志でつくなんて私にはありえない。 USコーストガード(アメリカ海難救助隊)で救助員の仕事をするコスナーがかっこいいですね。ケビン・コスナーの映画といえば、。『ダンス・ウィズ・ウルブス』がなんといっても好きなんですがー。 今回の『守護神』も良かった。 救助の時のちょっとした事件で心に傷をおって仕事が出来なくなってしまうベン・ランドール(ケビン・コスナー)。救助員養成学校の教官として、候補生たちを鍛えていくシーンも圧巻ですね。一時間プールで浮いてなきゃだめとか、氷水の中に生徒と一緒に入って、冬のつめたーい海がいかに冷たくて体と思考を麻痺させるかの体験学習とか。 優秀なんだけれど、人間的にいまひとつの生徒ジェイク・フィッシャー(アシュトン・カッチャー)が、いつの間にかコスナーの主役の座を入れ替わっていく。 ジェイクは、普通主人公のライバル役っぽい性格してるんだけどね。ちっょと情に欠けてて、自分勝手で、でもすごくハンサムで優秀。それがなぜか今回は準主役。でもってラストは、主役。 ベンの能力も仕事もトラウマも全部引き受けて、代替わりしていくみたいでした。 優秀だけれど、人間的に欠けた未熟な部分もあるジェイクを自分の手元で育てようと、ベンは、養成学校卒業後、自分の職場にジェイクを配属させ、一緒に海に出て行きます。けれど、ベンの中のトラウマはやっぱり消えていなくて、逆にジェイクに助けられてしまう。そして、ラストでは、決してベンの手を離すまいとするジェイクを見て、十分に成長した彼に安心したのかもとちょっと考えてしまいます。ジェィクを助けるため、ベンは自分の手袋をほどいて、自ら海に落ちていきます。 彼は、やっぱりどうしても、海から離れることは出来なかったのでしょうか。 成長して一人前になったカッチャーを残して、ベンは海に沈んでいく。「守護神」というタイトルはこういう意味だったのかと納得のラストでした。 ベンは、今でも海の中にいて、遭難者たちを励ましている。死んでも、成仏しないで海にい続けて幽霊どころか神様になっちゃうというのも、すごいですよねえ。奥さんほっとくどころか死んだ後天国に行くのも嫌というほど海に体も心もとらわれているんですねえ。ここまで好きなんですか。海のお仕事。過労死なんてレベルじゃないもんなあ。 それこそ命がけのお仕事です。 仕事にはまり込んで奥さんが、二の次になったベンですが、ジェイクは、きちんと海も妻も大事に出来るのでしょうか。そうであってほしいですね。 さて、伝説のレスキュー・スイマーといわれ、自分が助けた人の数もおぼえていないほど優秀で、きびしい荒海での仕事を何十年もこなしてきたベンが、なぜ、救助の場での友人の死をきっかけに、現場の仕事が出来ないほどのトラウマを持ってしまったのか。ちょっと不思議だったのだが、考えてみればそれは結局、妻に去られたからなのだろう。 仕事仕事で家庭も妻も顧みない夫ベンに嫌気がさして、家をでてしまう彼の妻。けれど、実は見えない力でベンを支えてくれていたのが妻だったのだ。優秀であればあるほど、エリートの男というのは、自分の能力ゆえだと過信してしまう。けれど、実はその後ろで彼らを支えている妻、あるいは友人の存在が彼らの心を支えるうえでどれほど大きな意味をもつか。彼らの仕事に対して、それほどの技術的な援助をするわけではないけれど、彼らの心を支える上でどれほど大きな力となっているか。 物語の後半でベンはやっとそのことにきずく。自分は救助現場で妻の体の上に乗っかってまで助かろうとしたあの夫(物語冒頭の救助シーンの夫婦)と同じだったのだと。自分の人生は妻の上に乗っていたようなものなのだと。 養成学校で、優秀にもかかわらず、人をいたわらないジェイク。彼をみながら、それが自分自身と同じだったことにきずいていくベン。高校水泳のチャンピオンだったジェイクがなぜ、オリンピックをめざして水泳選手にならずにコーストガードにやってきたのか。それは、やはり、彼の過失で友人を死なせてしまったトラウマゆえだった。 エリートは、優秀であればあるほど、それが自分ひとりの力であると、思い込みやすいけれど、実は周りの人たちに支えられているのだ、と、きずいた時、ジャイクは、別れたはずの恋人のもとを訪れプロポーズする。ジェイクは自分をささえる存在が必要なことにきずいたのだろう。そして、恋人にもまた自分の存在が大切なことにきずいたろうか。ジェイクは妻を大切にして、こののち、優秀なコーストガードとしてはたらいていってくれるだろうか。 彼が優秀なコーストガートとしてあるために、妻の存在がきっと大切なものになるはずで。今度はベンのように妻をなおざりにせずに、仕事と同じように大切にしてあげてほしいですね。自分自身のためにも。 数々の救助をしてきたベンは最期に自分自身を犠牲にして、ジェイクを助ける。多くの人の命を助けてはきたけれど、彼自身が誰かの犠牲になったのは、実は後にも先にもこの時だけだったと思う。そして、海の守護神となった彼は、多くの遭難者たちのこころのささえとなっていくのだろうか。まさに伝説の男。ベン・ランドール。 守護神@映画生活
2007年09月03日
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