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「誇大自己症候群」岡田尊司今週号の週刊ポストの「秋葉原通り魔事件」の記事の中で、岡田さんがメディアによる「脳内汚染」について言及されています。また、「脳内汚染」に関する話題は、後ほどエントリーします。さて、誇大自己症候群という言葉は、作者の造語のようで、1 現実感の乏しさ、自己愛的な空想2 低い自己評価とそれを補う幼児的万能感3 他者に対する共感性の乏しさ、罪悪感の欠如4 突発的に出現する激しい怒りや過激な行動5 傷つきやすさ、傷つきへのとらわれなどの現代人の特徴的な病理をさしているそうです。従来の精神医学が規定する「疾患」という枠組みでは捉えきれないとして、底部を横断する共通の病理を「誇大自己症候群」と呼ぶことにしたようです。別のページでは、1 肥大した万能感や病的な驕り2 ファンタジー有意な傾向3 他者の痛みに対する共感性の乏しさ4 反省や自己制御の欠如といった表現でも説明されています。おそらく現代人である私たちに、これらの病理は多かれ少なかれ、当てはまる部分があるでしょう。私も結構当てはまり、この本を読みながら苦い思いをする箇所が結構ありました(汗汗)。加藤容疑者の事件が、他の事件に比べてマスコミによる取り扱いが長いのは、おそらく、この「誇大自己症候群」が規定しているような現代人の危機的部分がより多く感じられるからなのではないかと思うのです。多くの連鎖や共感、同情が沸き起こったのは、社会全体が「誇大自己症候群」に侵されていることを裏付けているのではないかと思ってしまいます。この本について詳しく述べていくと、とてつもなく長い文章になってしまいそうです。岡田さんに対しては批判の声も少なくないようですが、私は岡田さんの論に賛同します。最終章には、「誇大自己症候群を防ぐ」として、具体的な対策を挙げてくださっています。項目だけ。1 傷つきに打ち勝つ力を育てる2 愛情と叱ることのバランス3 個性よりも人としての基本を4 ぬくもりのある体験の回復5 自立を促す社会システムの必要性6 公平なチャンスと格差の制御ぜひ、やっていかなくてはならないことばかりだと思います。
Jun 30, 2008
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先日、NHKスペシャルで、秋葉原の通り魔事件を取り上げていました。途中から見たので全体の流れがどうだったか分からないのが残念です。NHKのアンケートに対して、「気持ちはわかる気がする」と回答している人が多かった(加藤容疑者のしたことは許せないとした上で)のに、私は不思議というより「ああ、そうなんだな」という感覚の方が強いです。加藤容疑者のように孤独や焦燥、そして狂気に陥る人が出ることは、今の社会ではどうしても避けがたい部分があるのではないかと思うのです。もちろん、孤独や焦燥に陥ったからといって、 みんながみんな、ナイフを振り回すということではありません。ある人は誰かに救われることもあるだろうし、ある人は自ら転機を見出すだろうし、ある人は鬱に沈むのだろうし、ある人は自殺に走るのだと思います。加藤容疑者が事件直前に「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり」 と掲示板に書き込んでいたとおり、数%の危うい人のうちの、数%が本当に犯罪や自殺に走るのだろうと思うのです。NHKは「家族の崩壊」「"派遣"労働の不安」「社会からの孤立」をキーワードに挙げていたようです。その中で、「"派遣"労働の不安」は、若い人たちにとっては、本当に申し訳ないくらい厳しいものだと思います。派遣制度そのものが全面的に悪いとも思いませんが、都合のよい首切り制度になってしまっているという面は否めません。働くということは、生きていくうえで自己存在感を得る大きな要素ではないかと思うのです。会社勤めをしている同世代の人たちの話を聞いていると、職場の厳しさに驚かされることがあります。厳しい雇用状態があり、そこにさえ受け入れてもらえない若い人たちが増えていることについて、実に痛々しく思ってしまいます。正社員を続ける我慢ができない人には、「派遣」「フリーター」という逃げ場を社会が用意してくれているわけです。しかし、その逃げ場にはそれほどのそこからの展望があるわけでもなく・・・。自分が教えてきた子供たちが、そんな逃げ場に足を踏み入れ、動けなくなってしまっているとしたら、実に悲しく思います。実際、そうなっている教え子を何人か知っています。新学力観(児童中心主義)の下、たくさんの選択肢があるかのように育てられた彼ら。耐性に乏しい彼ら。仲間作りが苦手な彼ら・・・。とは言うものの、25歳前後世代だけがこう ↑ だと言うのではありません。その後の世代はもっとその傾向を強めています。加えて、「家族の崩壊」という状態は、ここ10年で極めて悪化しています。このままでは、いきつくところは社会の大崩壊ではないかと思ってしまいます。 私の世代、「宮崎勤-オウム」世代あたりから加速している社会の崩壊は、まだ中盤にさしかかっているぐらいだと思います。終盤へ突入する前に、なんとか手を打っていかなくてはならないと思います。働くということだけをとっても、私の世代で「ピーターパンシンドローム(大人になれない、なることを拒否、就職拒否)」と「男女雇用機会均等法(男尊社会の崩壊)」が始まっています。そこから「終身雇用の崩壊」「年功序列の崩壊」と、立て続けに起こる変化に、社会が十分に対応できないまま来てしまっているように思えます。世代間の不平等もずいぶんあります。そういった歪をもろに受けるのが耐性がどんどん落ちていきつつある若い世代であるとすれば、実に悲惨な状況ではないでしょうか。
Jun 23, 2008
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立て続けに起こるひどい事件のニュースの中でも、なぜかこの事件には最初から強い関心を持ちました。どの事件も社会を映し出しているのでしょうけれども、おそらくこの事件は「社会」が生み出したという性格がより強いのではないかと思います。この一週間、次々に事件・容疑者にまつわる情報が流れました。・友達や彼女をほしがっていた。---現代人の孤独の問題・青森県という地方性---容疑者の家族・地方というしがらみからの脱却と挫折・ネット上でさえ孤独に陥り暴発?・容疑者は教職志望をしていた時期もあり、会社の後輩からは兄貴分的存在という証言もあった。・犯人が酒鬼薔薇世代、犯行日は池田小学校殺傷事件と同一日---母親は酒鬼薔薇事件当時から息子を怖いと思っていた・オタク要素の強い犯人が秋葉原という場所を選んだ---犯人のオタク要素に関する報道・両親の謝罪---泣き崩れる母親を映すTV・携帯サイトへの異様な書き込み・ネット上での容疑者への憎悪的書き込み(「世の中が嫌になったら自殺するべきだった」等)と同情論と同情論への反発・事故現場を携帯で映す群集と携帯で写す群集への非難---野次馬の写真がネットで晒される・派遣社員---派遣先はトヨタ関連の関東自動車工業株式会社、この会社は事件に関するリリースをHPで発表している→http://www.kanto-aw.co.jp/などの断片的な情報が、私の印象に強く残っています。孤独であった、格差社会の弱者であったなどという背景があるからといって、容疑者に同情するわけにはいきません。それでも、この事件が問いかけていることは大きいように思います。十数年前、私はこの容疑者の世代を担任し、キレル子供に初めて遭遇しました。それまでの暴力的な子供とは異なった、その後の世代に多く見られる様相です。自己愛、万能感、孤独感、意外な優しさを持ち合わせる、親が子供の土俵に降りてしまい兄弟げんか状態になる・・・・戦後、私たちは鬱陶しいしがらみからの脱却を図ってきたように思います。クールに個人主義を通すことが容易になってきて、脱却には一部成功したものの、しがらみに代わる人間の繋がり方を見つけられないまま、現代人は危ない社会の中を彷徨しているようなイメージがあります。社会全体が多機能不全に陥っているような・・・残念ながら今回の事件が起こったことに対して、それほど不思議に思えない自分がいます。教育現場にいると、彷徨する群れから脱落していきそうな可能性のある子供たちがたくさんみかけられます。確かにひどい事件ではあるものの、「こんな社会であれば、いつかはこんな事件も起こってしまうだろうなあ。」と、思ってしまいます。背景は複雑で、「はい、解決されました」という次元の問題ではないと思います。それでも、私たちはこの事件の社会的背景について、ひとつひとつ、じっくり考え直す必要があるのではないかと思います。
Jun 14, 2008
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このエントリー、アップしたての6月6・7日に読まれた方、失礼しました。もともと慎重さに欠けている性格の上に、グタグタで疲れた状態で書いているため、ひどく間違いの多い文章になっていました。これで、3回目の書き直しです。もう少し、きちんと見直してアップするようにします。団塊の世代が大量に退職をし出して、世代交代が進んでいます。職場の雰囲気も変わりつつあります。管理職の雰囲気も昔とは違ってきています。昔はとにかく偉そうにしている校長教頭や、なんだか隠居した爺さんみたいな校長教頭が多かったです。教師としての能力が優れているというよりも、出世する能力に長けているという感じの方が出世しているような雰囲気もありました。それが、だんだんと変わってきて、職員の先頭に立って働こうという姿勢の管理職が増えてきています。昔は、学級崩壊を起こすと、全部担任のせいにして、「俺が担任だったら学級崩壊などさせない」とうそぶく校長教頭がいたものです。最近はもう、担任時代の記憶を美化して、自分は優れた教師であったかのように語る校長教頭はいなくなってきました。管理職も世代交代が進み、ずいぶん、現代の担任のたいへんさを理解できるように変化しつつあります。学級崩壊は10年ほど前からどこの学校でも顕著になってきていたので、50代前半の校長教師は学級崩壊に担任として遭遇した経験がある人が多いのです。以前の校長教頭のように、「右を向け」と言ったら1時間中右を向いているような子供たちと過ごしてきたわけではなく、厳しい状況を経験している人が多いと思います。それに、「俺なら学級崩壊などしない」なんて豪語していても、担任が2回交代するような事態が発生すれば、次は教頭が担任をせざるを得なくなってきます。実際に身近な知り合いの学校で教頭を担任に登用という事態が3件起きています。2人も担任をノックアウトした子供を任せられるのは、大変な事態です。えらそうにだけ言っていると、そんな危機が降りかかってくることになりかねない現状を、今の教頭は理解しはじめています。校長だって、いつ、PTAがモンスターPTAに変貌してきついクレームをつけにくるかわからないので、安全圏に身を置いて大きな口をたたいていればいいという時代ではなくなっているのです。校長教頭が現実を理解し、現実的な対応ができるようになりつつある今、ある意味、学校を変えていくチャンスが来ているのかもしれません。
Jun 6, 2008
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