2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
結婚をして子供ができると、夫婦の生活の中心が「子育て」へとシフトチェンジしていきます。欧米ではそうでもない部分もあるようで、早くから子供を別室で寝かせるとかいう話も聞いたことがあります。夫婦関係を優先させるそうです。日本人はそうではなく、子供を中心とした生活になりやすいのではないでしょうか。個人的にはそれでいいと思います。ところが、専業主婦の場合、子育てを全面的に引き受けることになってしまい、それが孤独や不全感を深めてしまう原因になっているように思います。妻が子育てに重点を置き始めると、夫も家族からの疎外感を覚え、夫婦の疎遠がさらに孤独と不全感へと向かってしまうようなパターンがけっこうあるのではないかと思います。そうなると妻は、子供への依存を強めていきます。特に子供が男児であった場合、「恋人は息子」という状態が生まれます。女児であった場合、「親友は娘」でしょうか。夫からの疎外または夫へのあきらめが夫とは違って血がつながっている子供への愛情となり、子供への過干渉にと発展していきます。この状況は母子家庭の親子関係の中にも見られることがあるように感じます。1980年の初めぐらいに 久徳重盛氏が命名した「母原病」、1992年ぐらいには「母子カプセル」という言葉が出てきました。それらの言葉が指摘していた母と子の密着による悪影響は今もなお続いているように思います。子供を大事にすることについては大賛成なのですが、親のいびつなつながりが、子供をダメにしてしまっているのではないでしょうか。少しでも自分の子供に不利な状況に我慢がならない、少しでも子供に負荷がかかるとかわいそうで仕方がなく、自分の痛みのように感じてしまう。これでは子どもは育ちません。特に男の子に覇気がなく、1990年代の後半ぐらいから男子のリーダーが育たなくなったことが指摘されています。女同士の牽制が働く「母親---娘」間より、恋仲になってしまう「母親---息子」間の方が重症化しやすいことなのだろうと思います。子供を虐待する親がいる一方では、こういった子供と自分の分離ができない親もいます。子供との分離ができていない母親は、子供を独立した社会の構成員という視点からも見る感覚をみにつけて、育てていけるといいのですが・・・
May 30, 2009
コメント(10)
家族は大切であると思います。遺伝子的に自分に最も近い人たちを大事にすることは、自分を大事にすることと同様に、大切なことだと思います。自分や家族を大切にすることは、他人も大切にすることの第一歩だと思います。家族を大切にする、それはそれでいいのですが、前回のエントリーで書いたように、メディアで家族愛や絆・つながりが強調される裏には、家族の崩壊や人のつながりの崩壊がそうとう進んでいることの証なんだろうなと思います。孤立・孤独への不安を、家族賛歌や友達賛歌が映している部分もあるのだろうと。我が身の孤立感・孤独感を埋める存在に過度の期待を寄せてしまっているようなところがあるのでは。期待を子供に求めたとき、何かしらひずみを生んでしまっているのではないかという気がしてなりません。特に親にとっては子供が自分の孤立感や孤独感を埋める対象になりやすいのではないでしょうか。学校に対してひどく否定的な態度を示す母親が増えています。子供に対する些細なトラブルにも神経をとがらせ、自分の子供に少しでも不利な状況があると、居ても立ってもいられないという様子で、クレームをつけに来ます。現行犯で掃除をさぼっていた子供を叱ると、「どうしてうちの子供だけ叱るのですか」と、電話がかかってきます。まるで子供と同じ反応です。「いや、私が見たのはN君だけでしたので、まず、N君を叱りました。その後、まわりにいた児童にも、クラス全体にも同じような行動をしている子供がいるようだから、お互いに注意をしていくように、指導しました」と、話をしますが、納得ができないようです。昔はこういう親の態度は、単にわがままになっているのだろうと思っていました。でも、今はそれだけでもないのかもしれないと、思っています。「叱られたこと=立ち直るいいきっかけ」と、とらえることができず、子供の痛みをわが痛みの如く感じてしまって、その苦しさに耐えきれなくなってしまう母親。もちろん、父親にもこの傾向はあります。親の孤独化も進んでいるため、必要以上にわが子に対する絆を感じてしまい、いつの間にか子供に自分を投影して、自分と子供を同一視しているのではないかというような気がします。そうなると、ついつい子供に負荷をかけることを避けるようになってしまいます。この辺りのことは「保護者問題」のカテゴリの中で、けっこう延々と書いていますので、興味があったらご覧ください。現代子育て事情1「子供の荷物をしょってしまう」 孤独な殻に閉じこもって自分を防御することに重きを置いてしまうと、子供は自分だけのものではなく、社会的な財産であるのだという客観的な視点から物事を見ることができなくなってしまいます。子供と自分を同一視してしまう親の数も度合いも、年々増えていく気がしています。
May 19, 2009
コメント(8)
![]()
団塊の世代を筆頭にして戦後世代は新しい人間関係を作り上げていきました。本人たちが意識的に変えていった部分もあれば、知らず知らずのうちにそうなっていった部分もあるでしょう。産業構造の変化や一億総中流化やテレビやポップソングや小説等々、相互に影響を与えながら、好む、好まざるに関わらず、人間関係は大きく変化していきました。新しいコミュニティ、新しい恋愛関係、新しい家族関係・・・コミュニティ・・・村社会のしがらみから逃れた。めんどうな宗教とも関わらなくっていい。会社社会からの拘束からも逃れた。学校だって国家だって相対化されてしまった。恋愛・・・結婚は家同士がするものといった地域や階級に縛られた政略的結婚からのがれた。離婚や再婚、婚前交渉や婚外の性交渉への抵抗が薄れ、婚姻の束縛はゆるくなった。家族関係・・・核家族化。「親は子の肥し」「子供は労働力」「夫唱婦随」などと考える人はもはや皆無。友達親子は増え、家族内のジェンダー化が進んだ。確かに、人間関係と言う点において、私たちはずいぶん自由になりました。自由を得た代償に、失ったものも多い気はします。クールで快適に過ごせているような気がする一方で、孤独で温かみのない日々を送っているような気もします。こういった変化がよかったのか悪かったのか、一言で片づけられるものではないでしょう。私にもよくわかりません。家族志向と言う現象があるそうです。ポップ音楽界の巨匠、小田和正がヒップホップ系のグループとともに、「Dear mama」という母親賛歌のシングルを出しています。 TVCMやドラマでも家族愛を強調したものが目につきます。香山リカさんも、「親子という病」という本の中で、家族礼賛が強まっているとの指摘をしています。親子という病多分、そういった家族志向の裏側には、社会が孤独化しているという現実があるのではないかと思います。人間関係が希薄化していく中で、何をもって人がが「つながり」であるのかが分からなくなってしまっているのでは?「つながっている」と感じられる場は会社でもない、ご近所でもない、同級生や同窓生でもない。時々、たとえばWBCを観戦している時に、「日本」でつながっているような気もするけれど、それが終われば「はて、日本って私を守ってくれるの?」という気分に戻ってしまう。「つながり」や「絆」と言った言葉がポップソングの歌詞や題名になることも多くなりました。YAHOOで歌詞検索をかけると「つながり」が111曲、「絆」が693曲、引っ掛かりました。多分、もっとたくさんあります。ほとんどが最近の曲です。もろ題名が「絆」の曲もあります。道/絆 - GReeeeNそれは結局、「つながり」や「絆」を実感できていないことの裏返しなのだろうと思います。そして、なんとか「つながり」や「絆」を主張できる最後の「場」が家族であり、そこで家族志向が生まれているのだろうと・・・。そして、その家族という血縁のつながりも保つことが難しくなってきています。何とか保っている家族だって、家族志向の歪み(依存や不安)が妙な事件となって表出しているのでしょう。一億総孤独化。昨年の秋葉原無差別殺傷事件も最終的に「キレた」のは、作業服がなかった時点であるように言われることもありますが、私はどちらかというと、ネットで無視されたことも相当大きな要因になっているのではないかと思います。そして、単に、ネットで無視されたのにかっとなったのではない。彼はきっとこう思ったのでしょう。「自分は誰とも、何処ともつながっていない・・・」
May 9, 2009
コメント(8)
![]()
某大手CDショップで、拓郎とユーミンの新譜が並んで平積みされていました。ちょっと感慨深い組み合わせです。63歳でオリジナルアルバムがトップ10入りをするなんて記録(午前中に・・・)は、ユーミンか小田和正ぐらいしか塗りかえれそうにないかも・・・ミスチルやドリカムやBzだって、あと20年かかります。20年後にオリジナルアルバムなんてあるのかどうかさえ分からないような状況です。 午前中に... そしてもう一度夢見るだろうこの二人、相容れないような気がする人も多いと思いますが、拓郎の75年つま恋野外コンサートには、ユーミンもピアノで参加していて、けっこうラブラブムードもあったようです。本人たちも、「私たち、結婚していたかもしれない」と対談で語っていました。実現していたら、どんだけ濃い夫婦やねん。(現実ユーミンは75年つま恋でキーボードを担当していた松任谷正隆と結婚)二人とも、戦後世代の新しいライフスタイルを引っ張ってきたという意味では、ブルドーザー的な役割を果たしてきました。拓郎は旧世代社会のしがらみを壊し、逃れてきたのだろうし、ユーミンはおしゃれな都会的センスを提示してきました。2人は多くのフォロアーを生み出したし、たくさんの若者がまたそれに影響を受け、便乗しました。私も乗っかったうちの1人だと思います。(まあ、実際はもっと複雑な「思い」や「いきさつ」の中で作品は作られてきたわけで、そんな単純な図式で語ることはできないとは思います。すべてが拓郎とユーミンが「影響」を仕組んだわけでもないだろうし、時代の流れだった部分もあるでしょう。)他人から束縛されず、自由に生きる。そんなライフスタイルが広がっていったことはすばらしいと思います。しかし、一方では、コミュニティーが「生き残る」ために機能していた暑苦しい人間関係は薄れていき、結果的にコミュニティーは弱体化してしまいました。戦後間もなくはまだ、コミュニティーは「結婚」を結束を保つための制度(見合いやいいなずけ)としていたようです。こんなのは今の時代から見るととてつもなく窮屈な話です。そんな窮屈さに反発するように「恋愛の自由」が謳歌され、その旗印の下では、コミュニティーどころか家庭さえ崩壊(不倫→離婚)の危機にさらされてしまっています。どうなんだろう?どうだったんだろう?ユーミンはソングス(NHK)に出演して、中学生の卒業式に参加、歌い継がれる「やさしさにつつまれたなら」に涙を流していました。NEWアルバムの中の「夜空でつながっている」等では、人の孤独について言及しています。拓郎も「求めすぎずに」といったことを歌にしています。どうなんだろう?どうだったんだろう?---------------------------------------- 忌野清志郎さんが亡くなられました。彼も壊し屋でしたが、過激でありながらも、弱者の立ち位置から書かれた曲には励まされてきました。シングルマン「夜の散歩をしないかね 」、すばらしい作品でした。ご冥福をお祈りします。
May 3, 2009
コメント(2)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
![]()
