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インカレの引率を一足早く上がり、後期の時間割の修正手配なんかもして……働いてるなぁ、自分(涙)。午後は職場から神保町の講堂へ。免許更新制の説明会だ。まわりは事務部の上司&部下という構図らしき人々。私は1人、教員……ひゅるる~。 さて、肝心の免許更新制だが、昨年末あたり、この話題が盛り上がったのでご存じの向きも多かろうが、2009年4月1日以降に教員免許を取得した者は、10年ごとの更新を受けないと免許が消える。昨年末、運転免許と同じような論調で語られていたように、更新講習を受けないと、免許が消えるのである。では、それ以前の免許取得者は問題ないのかと言えば、そうではなく、10年ごとの講習を受けないと、その免許も失効扱いになる。現職教員は年齢で刻んで、順次講習を受けさせるらしい。 では、免許更新の講習を受ければいいかというと、この受講資格が“現職教員に限る”というのだ。つまり、学校教育法に挙がっている現職教員(但し大学を除く)しか講習を受ける資格がないという形でスタートするらしい。例えば、現在、大学の教員であるけれども、何らかの事情で高等学校や中学校の教員になるといったとき、この講習を受けていないので、大学教員(勿論大学の教員自体に免許はない)A氏は免許失効になるのである。もちろん、予備校や日本語学校・専門学校の採用条件として教員免許を持っていた人も、受講資格はないので、10年で免許が失効になる。自分も「それはまずいだろうよ」と思ったが、案の定、事前質問でも当日質問でもその点での質問があった。が、回答は変わらなかった。あくまでも現職教員のための講習なのだ。 講習時間は30時間(1800分)で行うと決まったらしい。ただし、どのような領域のものを行うかは未定であった。教職全般に関わるものと今日的な課題、教科教育などで領域数は4つになるらしい。その内容は年度内もしくは年度末にわかるということだ。2種免許(短大卒)、1種免許(大学卒)、専修免許(修士課程)の区分も未確定だ。たとえば、2種免許の課程を持つ本務校でも、1種や専修免の人を受け入れられるのか、などもはっきりしない。 結局のところ、今回の説明会でわかったことは、ナマの問題をわからない人々が勢いで打ち上げてしまって、それが動き出している現状把握という点だけであった(コッカイ答弁議事録を読むと失笑)。 世論でも運転免許と同列にした論調があったけれども、現場の先生はあれやこれや研修があるわけで、運転免許とは同質ではない。こういうことで振り回される文部科学省のお役人さんたちも気の毒である。 今春からスタートした、助教制度。「助手」と「専任講師」の間に「助教」が置かれることになり、事務部に近い「助手」と教員に近い「助教」が置かれることになった。また、「助教授」は教授を助けるのではないので、「准教授」になった。この制度導入で、これまで「助手」として採用されていた人々が「助手」留任で“任期制”のおまけ付きなどという、びっくりするような処置を執った大学もある。本務校はそういうひどいことのない所だが、他所の話を聞くとこういう悪用もまかり通っている。そういう現状を予測して導入したのだろうか? 今度の免許更新制も教育現場をひどくしなければいいのだが。 インカレ引率の方が充実してたと思うよ、はっきり言って。
2007.08.09
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インカレは個人戦が残っているけれども、事情があって一足早く帰京。帰宅すると大きな荷物が届いていた。『筑波大学平家部会論集』第12集だ。12集の下にカッコ書きで“終刊号”の文字が。佐藤がここの大学にお世話になったときには第2集だった論集が、“12”という平家的に意義深い数字で閉じたわけである。 お師匠の元でメンバと読んでいたのは部会の名称通り『平家物語』。当初は覚一本(古典大系本)で、それが終わると遠距離通学者にして病み上がりの誰かさんのためか、ひらがな百二十句本(古典集成本)へと引き継がれていった。ん~、確かに「小さいサイズの本がいい」などと主張した気もする……。 ここで初めて発表の場を与えていただいた宗尊親王の論文は、ツクバという世界を大きくはみ出していった。勿論自分の論考が優れていたわけではなく(今読み返しても「あちゃ~」と思う)、それはここの論集のブランドゆえなのであるが、様々な先生から身に余るお言葉を頂戴した。この時の拙論を御覧になって、小学館の辞典編集室で御所蔵本を貸してくださった先生、遠い地から宅配便で御所蔵本を送ってくださった先生もいらっしゃる。いずれも「見せてください」などとお願い申し上げる前に、「これも見なさい」と貸してくださったのであった。これは一介の大学院生としては奇跡的なスタートであり、それは偏に『部会論集』執筆者という通行手形を持ったからに他ならない。他にも、この論文を通じて広がった輪は極めて大きい。 今回もそういう気持ちを思い出して、宗尊親王のものを書こうと思ったのだが、それとは別の思惑でどうしても書きたいものがあり、そちらを書くことにした。タイトルは「飛鳥井雅有の奈良・伊勢逍遙―『仏道の記』の作品化について―」。構想を練ったのは12年前、3部作がこれで一応完結したことになる。 手元に届いた論集を拝読すると、やはりお師匠のカラーでの手堅いアプローチが多く、末席に名を連ねた自分としては、そうした方法で書きたかったなぁ、などと思ったりもするのだが、佐藤なりのけじめとしてこの論文で良かったと思っている(難産だったけど)。
2007.08.08
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