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ジュネーブ発、朝9時の電車に乗ってベルンへ行ってきた。本当は、ラテと二人でちょっぴり遠出をする予定で、((o(▽ ̄*)oワクワクo(* ̄▽)o))していたけど、急な用事でラテキャンセル。よって、行く先は未定だったけど、ベルンに行くことにした。スイスの電車賃は高いらしい。まだ、遠出をしたことが無いから価格はわからなかったけど、今回のチケットは、市役所で購入したので、さらに「高い電車賃」というのがわかっていないモカ。おもしろいことに、スイスでは市役所で、枚数限定の格安チケットが購入できる。市役所保有のチケット自体、数に限りがあるので、人気の日(例えば週末などかな?)は、即完売してしまうらしい。ジュネーブだけじゃないと思う。どこの州にもそういう制度があるのかな。モカラテは、只今無職で、時間はたくさんあるので、ここぞとばかりにチケットを購入した。(でも、ラテは結局行けなかったんだけど。)ジュネーブからベルンって、意外と近い。それに、とってもきれいな街で、お散歩には最高だった。天気がよかったの後押ししてくれた。ベルンって、スイスの首都。首都といえば、モカの頭の中は「東京」でも、とってもかわいらしい首都だった。古い石畳と建物が連なる街並みは、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。なんだか、長崎のハウステンボスの世界に迷い込んだような、そう、そう、ようやくヨーロッパに来た!という感覚になった。ジュネーブに住んで2ヶ月が過ぎたが、ジュネーブは、いい意味でモダーンなので、アパートが立ち並ぶ様は、東京からの移住にとってはそれほど違和感の無いところ。ステンドグラスがとってもきれいだった大聖堂の螺旋階段を、ぐるぐると350段上って天辺まであがった。足が疲れるよりも、目が回るほうが怖かった。しかも、上に行くほど、石の壁が無くなり、階段を上りながらそのまま下が見える。ガラス張りにもなっていない。もちろん柵はついているけど、視点を変えれば、地面に吸い込まれそうになる。ベルンの街はかわいらしく、そして、いつもそうなのか、あるいはたまたまなのか、人通りもほとんどない。日本も首都村でも作っちゃえばいいのに。大江戸温泉風に。ベルンへ到着した電車もとても静かだったし、街もとっても静か。東京から、ジュネーブへ引っ越してきて、なんて静かな街なんだろうと思ったけど、スイスの首都はもっともっと安らげる風が吹いていた。かと思えば・・・街中に生熊もいた。( ̄□ ̄;)ギョッもちろん囲いの中にいたけど、本物の熊に匂いをはじめて鼻にした。囲いの中の熊は、いつでも誰でもみれる。なんだか、人間が中に入って着ぐるみでも着てるんじゃないかって思ってしまった。モカのイメージにある熊の登場シーンは、いつだって猛獣。お話の世界だし、あるいは、家畜を食い散らす悪。こんな街中で、みんなに見守られて、無防備に昼寝しておやつ食べさせてもらって・・・いいのか、おまえ?ベルンで一番お気に入りになったのがバラ公園。今、5月6月はバラが満開のちょうど見ごろ。芝生の広い公園には、カフェがあって、小さな本屋さん?があって、子どもたちがたくさん遊べる遊具が合って、あちらこちらのベンチがあって、そしてもちろん満開に咲き誇るバラ。バラ以外にも水仙なんかも紫、黄色、青、ピンク、赤と色とりどり。衝撃的だったのが、時折やわらかく流れる風にのって、バラの香りが公園に広がること。アロマのローズはわかる。でも、小道を歩いていて、こんなにバラの香りが自然と香るのって初めて^^バラに囲まれて、芝生に寝転がる人。ベンチに腰掛けておしゃべりに花を咲かせるおばあちゃん。モカが腰掛けた芝生のすぐ隣で、3人のお母さんが遊んでいる子どもたちに目をやりながら、日本語でお話をしていた。そしてモカに気がついて、「一緒にお茶でもいかが?」と話しかけてくれた。陽気な太陽も手伝って、なんだか心躍った。ジュネーブに戻って、ラテにベルン旅の話をした。ラテが「で、写真撮った?」と聞く。写真・・・写真か・・・それがねー、ラテよ。妙なことに、モカが今朝家を出るときに、昨日、テーブルに準備したカメラが無くなっててさ、その辺を一生懸命探したんだけど、全然見つかんなくて。だから、カメラもって行けなかったんだ・・・ラテ「あ。。。それ、俺が昨日片付けちゃった。ごめん。」えええええええ!せっかく、準備したのにぃ。ブー (((( ------- ε ------- )))) ブーところで、こうして初ベルンを堪能してきたわけだが、実は、今週の日曜日にまたベルンへ行く。今度は、ラテの用事のついでにお供する。でも、ラテは用事なので、日中モカはまたしても一人旅。またショップを覗いたりして、散歩するよ~・・・と思ったけど、ハタと気がつく。そういえば、スイスって、日曜日はどこもかしこも閉まってるんじゃないの?(゚◇゚)~ガーンそうかも。日曜日のベルンの過ごし方、どうすりゃいい?
2007年06月07日
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ラテかーちゃん夫婦が、約1週間の旅行から帰国した。・・・帰国っていっても、陸のつながっているEU圏内に行ってきたわけで、日本で言うほどの「海外旅行からの帰国」ほどのイメージは無い。たぶん( ̄m ̄* )ムフッ♪ラテの実家に暮らすモカラテは、両親の居ない間、羽目を外しまくることこのうえないのはもちろんだが、喜ぶだろうと思い、あちこちお掃除をしていた。洗濯、掃除に始まり、物で埋もれたキッチンの戸棚の中を整理し、物で埋もれたガレージのお片づけの続きをし、これまた物で埋もれた冷蔵庫の中を整理した・・・ってか、物多すぎよ!どこもかしこも物で埋まってるじゃないの~( ̄□ ̄;)んで、最もびっくりしたのが、ジャム。ラテかーちゃん、どうやらジャム作りが好きらしい。そんな気配は漂わせていたが、「ジャム作り!」の好きさが突っ走ってて、消費している傾向はあまり見られなかった。つまり・・・ジャムが異様なほど増えている( ̄■ ̄;)!?どうみても多すぎよ、これ。ということで、棚の中からジャムの瓶をひっぱりだして、ラテとふたりで棚のお掃除をすることにした。そして、もちろん数えてみた。1・2・3・4・5・・・ ・・・108個!!!ええ、108個もの手作りジャムが出てきたのよ~!!ええかげんにせい!( #` ¬´#) ノコラ!・・・とは、もちろん、居候の身でご本人様の前ではいいませんが( ̄m ̄* )ムフッ♪あふれるあふれるジャムの瓶。でも食すると本当においしいから、憎めない^^手作りならではで、フルーツが盛りだくさん。甘さ加減もお好み次第。ラテと一つひとつ、瓶を磨いて、作られた年月日(が記されているので)が、古い順から前に出してすぐに取り出せるようにきれいに整理した。棚もジャムの種類ごとに区分けして、名札を貼った。一番古いもの・・・うっそ~ん、1992年製の日付だよこれ。なんで、梅酒をつけておいてくれなかったのよかーちゃん。梅酒だったら心行くまで放置してくれてて良かったのに~今頃15年物の梅酒ができていたことでしょう・・・もとい、只今、15年もののジャム、うちにあります。( ̄m ̄* )ムフッ♪磨きに磨いて、ジャム棚の整理が終わった。駄目になったジャムは、手を突っ込んで瓶から出して、瓶もきれいに洗った。(゚o゚;) ハッそういえば、ラテかーちゃんとは、今年の夏に一緒にジャム作りをしようと約束している。かーちゃん。。。こんなにたくさんジャムどうする?ジャム作りに使うための、カシスやラズベリーは、只今、家庭菜園で植えております。旅行中もしっかり水をあげておいたし、そろそろ、実が大きくなり始めている。無農薬のベリー達ラテかーちゃんのジャムは、本当に天然手作りジャム。おいしいのは間違いない。そして、旅行から戻ってきたかーちゃんに、棚の中を披露した。発掘したジャムの数を伝えたら、「あら~、そんなにあったの~。おほほほほほ・・・」と。笑顔。いや、なぜか爆笑。かーちゃんかわいいから、提案してみた。「かーちゃん、ジャム屋でもしてみる?」「きゃ~ やりた~い^^」あら、意外と乗り気である・・・ちなみに、以前、モカパパにプレゼントした手作りジャム。 ↓ 意外と好評でしたv( ̄ー ̄)v ちなみに2、ジャム棚の片付けの後、ワインセラーを見に行ったら、、、あったよ、まだ。ジャム。かーちゃんの手作りジャムが、あと20個出てきました。さらに、ちなみに3、作るのはかーちゃん。全部食べなきゃいけないのは、モカラテです。。。おいしいけど、でも・・・ボトル128個。誰か、手伝って~( ┰_┰) シクシク
2007年05月29日
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ジュネーブにいるモカラテの友人。連絡しなきゃと思ってはいるもののついつい月日は流れ、気がつけば最後にメールのやり取りをしたのは10ヶ月前。体力勝負のアルバイトをしながら、何人かで部屋を学生シェアし、生涯学習を求めて大学生をしていた彼女。なんだやかんやとドタバタで、ジュネーブに移住してきたモカラテ。彼女と連絡を取り損ねていた10ヶ月という期間は短いようで、長いようで。最後にやり取りをしたメールで、モカラテの結婚の話題にまでは触れていたけど、実際、11月に結婚し、それから半年が経ち、未だに実感は無いものの、心境の変化、環境の変化(大あり^^)があったことは否めない。ジュネーブへ移住してきて、一息ついたころ、「いいかげん、彼女にも引っ越してきたこと、連絡しなきゃね」と二人で話し合っているところに、10ヶ月ぶりに彼女からメールが届いた。あらららら・・・先にメールしようと思ってたのに、なんだか申し訳ないぞ。そう思いつつ、届いたメールをクリックして、目が点になった。一枚の写真だけが添付されたメール。笑顔の友人と腕に抱えた小さな赤ちゃん。は?なに?この写真・・・続いて、次のメール・・・「間違えて写真だけ送っちゃった。 数日前に、元気な赤ちゃんが生まれました^^」・・って、生まれた~?!ええええええ?結婚は?仕事は?大学は?????モカラテの結婚を喜ぶ10ヶ月前の彼女のメールには、そーんな話はちっともない。いや、実際のところそんな予定すらなかった。モカラテの結婚を祝福された次のメールで、彼女の出産報告だなんて。一気に、先を越された^^音沙汰なしにしていた申し訳なさと、びっくりがなんだか気恥ずかしい。今後は、友人との連絡は、10ヶ月以内に返信することにしよっと。また一人増えていたらかなわんから^^そんな彼女のかわいらしいベイビーには、こっそり日本語の童謡でも聴いてもらおうと、贈り物をしこむことにした^^持ち運び便利なピンクのミュージックプレーヤー。日本語の歌、うたわせよ~っと。
2007年05月27日
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東京から3月に送った引越しの荷物がようやく届き終えた。でも、おそらく二人分の引越し荷物としては少ないほうだと思う。東京でほとんど処分してきた。もともとお部屋の片づけがそんなに得意ではなかったモカ。不得意だった原因は、「もったいない。」という感情の邪魔だった。使っていないのに、着ていないのに、同じものがあるのに、古いのに、挙句の果てには、しまいっぱなしで、存在すら忘れていたものなのに、いざ手に取ると「何かに使えるかもしれない。」「せっかく持ってるんだから捨てることは無いなんじゃないか」「いつか使えるときが来るかもしれない。」と、魔がさす。必要が無いから使わなかったのだろう。着る必要が無いから、気に入っている訳ではないから着ないのだろう。自分の持ち物が把握しきれないくらいものがあるから同じものが再びでてくるのだろう。思い出や懐かしさだけで、使いもしないのに持っているのだろう。しまいっぱなしってことは、押入れの肥やしじゃないの。ゴミじゃないの。で、実は一人暮らしを始めて、大小合わせて引越しが10回以上過ぎたころ、だんだんとイヤになった。この箱・・・前回の引越しのときに持ってきたけど、結局開けてないし、使ってないし。なら、なんで、また未開封のまま次のところへ持って行くのだろう?そうこうしているうちに、引越しを期に「必要ない」と定義できるものは捨てるようになった。捨てると案外気持ちがスッキリするものである。で、さらに、そうこうしているうちに、引越しでもないのに、普段から「引越しを想定して」スッキリ捨てられるようになった。で、スイス引越しのとき。ほとんど処分した。処分していないものは、衣類で言えば、今年の夏に着るTシャツとジーンズと、喪服。スーツとシャツ、数着。1年以内に購入し、かつ現役で使っている服、数点。靴も同様。使い慣れている薬。これが使い終わる前に、スイスで自分にあう薬を探す予定。他、小物、諸事情物幾点か。それ以外で言うなら、「これだけは絶対に必要不可欠!」と思うものを厳選し、あらたに新品を購入してスイスに送った。ま、引越し荷物のほとんどがこれだっただろう。使い続けてきたもので、そのまま引き続き使う予定で持ってきたものはほとんど無い。どうせ、物なんて必ず増える。絶対増える。だから、断固として、減らしてきた。コレクションしていたTシャツも、切手類も。今後コレクションが続けられないために、全部処分してきた。ちなみに、長年集め続けた未使用切手は、スイス行きの船便にペタペタ張りまくった。1円切手、2円切手、などなど細かいものももりだくさん。所狭しと郵送荷物に張りまくった。郵便局の集荷のおっちゃんは数えるのに苦労してたけど、おかげさまで、だいぶ派手な外装の箱がスイスに届いた^^泣く泣く処分したけど、処分した後はスッキリした。変な話だけど、「もう集めなくていいんだ!」「もう管理しなくていいんだ!」って思えた。コレクションしているうちは、やっぱり大事だったから。大事だったからこそ、気負いもあったんだろう。まったく、変な話だ。挙句の果てにスイスに着てまで「ガレージ掃除」に明け暮れたりしている。ちなみに、前回のガレージ掃除日記から8割ほど片付いた。まだまだ先は遠い。でも、処分に処分を重ねて、そして厳選された書籍類は7箱にのぼった。普通の荷物よりも、書籍類の方が圧倒的に重い。。。ところでだ。だいぶ気になっていることがある。日本から船便で送った荷物は、港の無いジュネーブにはどうやって届くのだろう。海のあと、川?海のあと、空路?←これって船便じゃないよね・・・。海のあと、トラック?どこから?マルセイユから?デンマークから?モカラテの荷物はいったいどこを旅してジュネーブに届いたのだろうか。気になり始めたら考えすぎて頭がくらくらしてきた・・・
2007年05月23日
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モカラテ、ただいま二人っきりの生活を楽しみ中です。親は、国外に旅行に行ってしまいました。親が居ないと子どもは羽目をはずすもの。羽目をはずしたがっているモカラテは、やっぱりまだ大人じゃないのね・・・親が居なくなってやりたいこと、1.リビングのでかいテレビにテレビゲームをつなげ、宅配ピザを頼んでコーラ一気飲みして、思いっきりスピーカーの音量でゲーム対決がしたいこと。2.一日中ソファーに寝転がって、お菓子やご飯をだらしなく食べながらずーーっと映画を見続けること。3.キッチン使い放題なので、ケーキを焼くまくること。 自分たちだけでおいしい料理を食べまくること。4.好きな時間に好きなご飯を食べれること。(基本的にラテ家のご飯はいつもおいしいので味に関しては全然文句は無いけど)・・・ま、たいしたアイディアはありません。所詮こんなものですモカラテ。あんまり欲はありません。しかも実際は、畑に植えた食べ物らそれらがそろそろいい感じなのです。最近実がなり始めたイチゴやブルーベリーやカシスの世話をするだけで大忙し。先々週植えた青じそやひまわりが芽を出し始めたので、天敵デンデンムシの駆除。愛車モカ・ラテ号のチェーンのメンテナンスをやり始めたが、逆にこんがらがって手間がかかって途方に暮れ。ここぞとばかりにあちこち掃除をし始めては途方に暮れ。そして。子どもといえば・・・本日、ジュネーブは、美術館無料の日。自転車に乗って美術館をハシゴしました。Zizi Jeanmaire et Roland Petitというダンサーについて。彼ら、彼女らのステージ衣装が、美しく展示され、似顔絵やダンスシーンの絵、衣装の手書きの絵などなど。飾られたステージ衣装をみて、101匹わんちゃんのクルエラを思い出すモカラテ。プププッ (*^m^)o==3鳥の羽がどっさりついた派手な帽子にラテは「すげー」と言ったが、モカは、大晦日の小林幸子の衣装の方が「すげー」と思った。次に自転車に飛び乗り向かうは、現代美術の館。入館するとまず真っ白が続く廊下の壁に、穴があいている。みんな、片目を閉じて壁の向こうを覗いて、時々首をかしげたり、時々噴出したりしている。何だろう?もちろん、モカラテ順番に覗き穴に顔を近づける。みえたのは、ストレッチ体操をしているような女性。大きいのか小さいのかよくわからない靴。タバコをくゆらせる男性。わけのわからないパターンなどなど・・・。誰も覗けなんて言ってないし、自分で覗き穴に近づいたくせに、「なんでこんなのを見せられているんだろう?」と、思わず笑ってしまった。奥へ進むと、とある部屋の前で靴を脱がなければならなかった。入り口の前に子どもの靴、大人の靴がいっぱいバラバラ。日本では、よく見る光景かもしれない。でも、スイスでは入り口でみんなが靴を脱いでいる様子を見ることは、なかなかチャンスが無い。(と、みんなの靴をみているときに、気がついた)部屋の中は、森だった。といっても、茶色の大きな柱がたくさあって、でもふかふかしてやわらかい。たぶん、フェルトの森なのかな?部屋の明かりは薄暗いし、足元もふかふかの生地で覆われていて、少し歩きづらくて、それがまた森の中を歩いているみたい。今日は美術館無料ということもあってか、小さな子どもたちがたくさんいて、森の中を走り回っている。広い一室全体が現代アートの森になっている。薄暗さも手伝ってなんだか愉快になった。モカラテも子どもらに混ざってキャーキャー走り回ってみた。転んでも、ぶつかっても、ぜんぜん痛くない森。親に抱っこされた1歳くらいの子ども。5-6歳くらいの子ども。子どもたちが楽しそうだった。しばらくして、このアートの森の奥で、モカラテ、座り込んでみた。なんだか居心地が良かったのでつい座りたくなった。すると、周りに子どもたちや、その親たちが座り始めた。どうしたんだろう?すると、おにいさん(おじさん?!)が立ち上がって、語り始めた。どうやら、これからメルヘンの世界へ連れて行ってくれるとのこと。お話の森。目の前で、お兄さんが、モカラテを含む子どもたちの円に向かって語り始めた。ちょうど絵本の読み聞かせを想像する。モカの両親は、自宅の玄関を開放して子どもたちに絵本を提供している。おかげさまで自宅の玄関には常に3000冊もの絵本が並べられている^^そして、朝学校の始業時間の前に小学校や中学校にでかけて、絵本の読み聞かせをしている。モカも帰省する時は子どもたちへの読み聞かせを行う。前回、2月に帰省したときは、ラテと二人で、朝の小学校に読み聞かせをしに行った。読み聞かせをすると子どもたちは目をきらきらさせて、いつのまにかお話の世界に入っていく。時々、質問をしたり、一緒に大声を出したり、そうしていくうちに子どもたちが絵本と一緒に旅をしてくれるのだ。なんだか、その雰囲気を思い出した。そういえば、モカが子どもたちに読み聞かせをすることはあるが、絵本を読んでもらったのなんてもうずっとずっと前、いや、そういえば記憶にすらないのかもしれない。私たちの前で立ち上がって話し始めた彼は、子どもたちに問いかけ、照れくさそうな子どもたちから発言を引き出し、そして物語の世界へと大人まで巻き込んでいった。語るテンポもいいし、身振り手振りのパフォーマンスも交えてとっても楽しい。一緒に参加している親たちも、そしてラテも、いつのまにか、子どもたちと一緒になって、叫びながらお話の世界に引き込まれていった。いつか、モカラテの2世が現れたら、たくさんたくさん一緒に物語の世界に出かけたいなって思った。只今、モカラテ、親が帰ってくるまで、羽目外し期間中です。ちなみに。読み聞かせの業界では、子どもの時期に絵本の読み聞かせをしてやらないことは、前頭葉をハンマーで叩き潰しているのと同じくらいかわいそうなことをしていると、表現されています。そのうちモカのジュネーブ読み聞かせ隊も結成せねば^^
2007年05月21日
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話は、また結婚式の頃に戻るのですが、、、。最近はご祝儀袋がだいぶ派手になっておりまして、いや、派手というよりも本当にきれいになりました。外装の絵柄もさることながら、水引のアートにも思わず見とれてしまいます。でも、そんなに威勢の良い御祝儀袋を差し出すからには、内容もそれなりのものでないと格好がつかない!と、気になってしまうモカです。さて、モカラテ結婚式でもとてもきれいな御祝儀袋をいただいて、見ているだけでキラキラな気分になりましたが、頂いた御祝儀袋の中には、不思議なものが入っていました。華やかな御祝儀袋からでてきたもの、、、それは、3枚のクーポン券なんだこれ?不思議に思った。かなり予想外のものがでてきたから。クーポンに書かれている絵をラテと解読してみた。そして、その結果、先週末、ラテ号・モカ号を手に入れた。24段ギアのとても軽い自転車。光の当たり具合によって色が変化する車体。乗り心地も、足が軽やかで、モカラテかなりお気に入りになった。実は、ラテかーちゃん夫婦から送られたクーポンその1は、「ラテ用新しい二人乗りバイク&モカ用1年間のバス定期券」の引き換え券。でも、話し合った結果、当初の「新しい二人乗りバイク」案を、「自転車2台と二人分のバス定期券」に変更してもらった。今までジュネーブに滞在する際は、ラテが長年愛用していたバイクに二人で乗っかってお出かけしていたが、これからは、二人で自転車でジュネーブを駆け回れる!さっそく、あっちにこっちに朝から晩まで自転車で走り回っております、モカラテ・・・それにしても、自転車って高いのね・・・結婚祝いだから^^なんて言ってくれたけど、ちょっと申し訳ない気持ちも膨らんだ。大事にしなきゃ。さて、2枚目のクーポン。実は、ジュネーブに到着したその日から、このクーポンはありがたく使わせていただいている。クーポンその2は「半年間パラサイトカップルの権利」だった。つまりだ、ジュネーブで半年間なら実家に居候をしてもいいという。万々歳である。モカラテ、東京での仕事を3月末ですっぱり離れて、二人でジュネーブにやってきた。東京での仕事を止めてはきたものの、特にジュネーブでの仕事が決まっているわけでもない。現在も、ラテの実家で、ほのぼのと朝から自転車で走り回ったり、散歩したりして、優雅にお世話になっている。二人して仕事もせず、学校も行かず。家の掃除は、お掃除屋さんが来てくれるので、特に気にかけるわけでもなく、ソファーに転がって映画を見て一日が過ぎたりする。俗に言うニートなのかもしれない。こうして、三食昼寝尽きの生活が半年間保障されているわけだが、半年後には追い出されるので、仕事は探さなければならない。そして、まだ探していない・・・見通しがつかない。気ままなパラサイト生活。半年後、谷底へ落ちるのか、ここから優雅に上りあがるのか、見ものである。ちなみに、半年後の新居はすでに決まっているので、やっぱり、なんとしてでも収入源は確保せねばなりません・・・orzだいぶ夢のようなクーポン生活を送っている最中である。ちなみにクーポン3は、「新婚旅行券」である。二人で旅行に行っておいでという粋なクーポン。まだ使っていないので、これからゆっくり考えて使う。それにしても、御祝儀袋の内容は、ある意味贅沢にアンバランスだったのかもしれない^^かーちゃん、とーちゃん、後で幸せにしますから、今だけ甘えさせてくださいと、祈るしかなかろう。追伸:結婚式Tシャツの写真は発掘しました。が、、、モカ、そういえば、写真をアップロードしたことがない。しかも、長い間写真のアップロードせずまま楽天のシステムが変わってる。ということで、アップロードの準備をしますので、しばしお待ちを。
2007年04月20日
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今日はキッチンに、これといっての食材が無かった。金曜日だから食料が尽きている。毎週土曜日の朝は、国境を越えてお隣フランス・フェルネの朝市とスーパーで、一週間の基本となる食材を購入する。だから、金曜日には食料が尽きかけているのだと思う。野菜の箱をごそごそ探していたらりんごが出てきた。りんごかぁ。。。くぅ~ラーーテーーーーー!!「お腹すいたよっ!アップルパイが食べたいよ!」ちょっとわがままを言ってみた。1時間後。モーーーーカーーーーーー!!「アップルパイできたよ~!!」へ?アップルパイ?ラテがアップルパイを持って部屋にやってきた。ものすっごく甘い香りが部屋中に広がった。どしたのこれ?「りんごがあったから今作ったよ。モカ、アップルパイ食べたいんでしょ?やっぱりいいね~ オーブンのあるうちは^^」ルンルンのラテ。へーー。アップルパイ作っちゃったんだぁ。しかもモカ専用で、苦手のシナモン抜き。どうやら、冷蔵庫にあったなにかをリサイクルして作った模様。ラテ、すばらし。只今、熱々すぎて食べれないので、アップルパイがさめるのを待っているところ。わ~い。*******さらに30分後*******びっくりするくらいおいしかった!く~、せっかくだから、誰かにお届けしたい。
2007年04月13日
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申し送り事項:Tシャツの写真は、ただいま発掘中であります。スイスでは、賃貸のアパートでも、きちんと核シェルターが備えられている。でも、だいたい、倉庫になってしまう。通常は物がツメツメになっていて、もし何かあったとしても、きっとシェルターは使えない。ラテ実家のシェルターも例に及ばず満員御礼。いや、むしろ、扉を開けるのすら拒否してしまうくらい。どーして、こうなるまでほっておいたんだか。いや、実のところ、問題は、その「ひどい」シェルターの方ではなく、別にあるガレージが、シェルターよりももっとありえない状態になっている。2年前に、ジュネーブに来たときも「片付けたい、片付けたいと思ってあっという間に時が過ぎてしまって・・・」と、みんなで嘆いていた。嘆いていた、という割りには、やっぱりみんな重い腰を引きづるだけで、時間は過ぎ去る。ま、掃除というものはそんなものである。・・・という気持ちはわかるが、そこは心を鬼にして、「片付けよーよ!」と、せっついてみた。ラテん家のガレージに詰まっているもの。それは、子ども頃の思い出・・・等々なら、まだわからんでもないが、25年前、引っ越してきたときの前のマンションからの家具一式がそのまま詰まっているorzそう。。。ガレージのお片づけは、25年前から先送りにされ続けてきた模様。でっかい食器棚、リビングセット、ベッドやマットレス、でかいバイク、オーブンレンジ。もったいない。ひじょーーーにもったいないよ!このスペース。東京の普通のワンルームマンションよりもでかいよこのガレージ!なのに!!!!!!使えない。もちろんシェルターも同様の理由により使えない。金・土・日・月、と連休だったこのイースターに片付けよ~!と言ったら、了解はしたものの、25年も動かなかった腰がそう簡単に動くはずも無く、金曜日は、なぜかフランスのアヌシーにドライブに連れて行かれた。(まぁ楽しかったけど。)土曜日は、午前中はフランスのフェルネの市場にお買い物をし、家のシャッターの掃除をすることになった。ちなみにシャッターは35年間一度も洗ったことが無かったらしい・・・(まぁそれじゃしょうがない)日曜日、今日こそは!と思ったのに、もかのタンスの色塗りを始めた。そして長いランチを経た後、長距離散歩に連れて行かれた。月曜日、さすがに今日は、、、と思ったのに、朝から大量の洗濯をやることになった。なぜだ・・・なぜだよ。なんか、お掃除の予定をあえて阻んでいる気がしてならない。連休最終日の月曜日の夕方。もか、ついにしびれをきらした。ガレージの掃除するって言ったじゃないの!今しなきゃいつするのよ!!!!!で、月曜日の18時過ぎ。しぶしぶ、みんなでガレージに向かうことになった。v(o ̄∇ ̄o) ヤリィ♪ガレージよ。これから何日かかるのやら。お願いだから。片付いてくれ。・・・って、なんでモカが一番盛り上がっているんだろうかガレージ掃除。
2007年04月09日
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先の結婚祭では、数々の手作り談があったが、モカ、ラテにとってもTシャツはかなり満足のいくものだった。もちろん、みんなのウケもよくてそれだけで大満足の代物だった。Tシャツを購入する店を探し、生地の質や色を選び、文字の大きさ、文字の形、文字のデザイン、Tシャツ全体のデザイン、文字をかたどる生地の質を選び、ラッピング方法を選び、選び、選び、選び・・・*ポイントは、この人はこんな色は、まず着ないだろうという色をあえて選んでみたところだ^^気合の一番、千秋楽という感じだった。さて、そのTシャツ。実は、結婚式の後、注文が入った。しかも2度。1度目は、数もそう多くなかったのでもちろんボランティアで作りました。ところが、2度目の注文が入った。披露宴でTシャツを着てくれた人が、またどこぞで着てくれて、それを見た人が欲しいと・・・。まぁ、苦笑いしつつも、うれしいやらの話。でも、実際、2度目のTシャツのオーダーは数も多くなったし、結果的に納品したのも、スイスへ発つ3日前。そんな事情も重なったので、丁寧に、料金をいただくことにしました。もちろん、手作りの一品だし、時間もかなりかかるので、単価は少し張りましたが、でも、それでも納得して購入していただきました。ありがたや~稼いだお金は、もちろん引越しの費用に回しました。もしかすると、ジュネーブまでオーダーが入るかもしれんな・・・^^
2007年04月08日
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前回の日記、かの「結婚祭」から5ヶ月が経とうとしております。ご無沙汰しております。脱独身のモカでございます。かのお祭りは、ヨーロッパから東京からと友達が30人ほどかけつけてくれました。今思っても天国のような1週間でした。モカの友達・家族、ラテの友達・家族が、宿を貸しきって、ずーーーっと一緒に過ごし、毎日みんなでお弁当もってピクニックして、ドライブしたり、海で泳いだり、夜遅くまでみんなで転がっておしゃべりしたり。お互いの家族、お互いの友達が、モカラテを介してつながった瞬間だった。もちろん、マラソンも参加し、参加したメンバー全員が完走。モカとラテは、式の準備などに追われてかなり調整不足で参加したので、走りながら「く~・・・なんでこんなマラソン企画なんてしちゃったんだろ~」と、半泣き状態でした^^が、なんとか完走し、みんなと一緒に感動を分かち合うことができた。しかも、、、このマラソン大会。スタート直前に、放送席マイクで、モカラテの名前が呼ばれ、「Wedding Runの二人で~す!」などと、紹介されてしまったもんだから、走りながら、道行く人々に「おめでと~!!」を連発され、、、途中で止めるわけにはいかなくなった、とういうのが正直なところ。( ̄m ̄〃)!フィナーレの結婚式・披露宴は、ジーンズで参加してもらって、そして、みんなに着てもらった。モカ、ラテ、手作りオリジナルのTシャツ。34色、65枚のTシャツは、作るのは本当に本当に大変だったけど、でも、Tシャツを着たときのみんなの笑顔と、色とりどりのBBQ会場と、最高の瞬間だった!Tシャツは、背中に、一人ひとりのニックネームを施して、お互いの友達や家族同士が、そのニックネームで呼び合えるようにした。特に家族のTシャツには、仏語と日本語で、「おやじ」「母」「いとこ」「甥」「姪」などなど、モカラテとの関係を施した。これなら、みんな名前で呼べるし、なによりもいろんな方向から誰が写真をとっても、ばっちり後姿に名前がついていて、顔が見えなくても誰なのかがわかる。そして、手作りの缶バッチを胸元につけもらった。缶バッチ。実は、一つ一つに意味のある缶バッチで、人によって缶バッチの数が違うし、絵柄も違う。なにかしらの共通点を含んだ缶バッチをみながら、友人同士で話題を見つけてほしかったから。かなり、凝った手作りの結婚式・披露宴。乾杯グラスもモカラテのデザイン。欧州メンバーからは、3ヶ国語で書かれた、モカラテ結婚式用の号外新聞。集まった友人からは、モカラテをあしらったウチワを全員でもってパタパタするという演出。そして、念願のBBQ食べ放題。飲み放題。スイスからこれなかった友人ともインターネット中継をするつもりで用意していたが、時間を間違えて失敗^^とにかく、たくさんの手作りと、たくさんのサプライズと、たくさんの笑い声が入り混じった。・・・そして、この披露宴、実は、フジテレビの取材が入った。「南の島の国際カップル」として、スーパーニュースで放映された。披露宴では、撮影隊が入り、インタビューを受けたりと、とってもいい思い出になった。モカラテにとっても、そして、友人や家族にとっても。後日、この放送を見て「モカちゃん結婚したの?!」との問い合わせが相次いだ。あら、、、見てる人は見てるのね~。東京に戻って後夜祭をし、そして・・・先週、モカ・ラテは東京を発った。ようやく時差ぼけが直りました。スイスに引っ越してきました。これから、またブログを整えていけたらなと思います。
2007年04月06日
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ブログを書け~・・・という軽い恐喝を幾度となく受けておりますモカ。(裏から表から、ブログ視聴者がいてくださったということで嬉しい限り^^)よいこらせっ。と。そういえば、しばし、とまってる。ブログ。11月。もう、あっというまに来月になってしまいましたが。婚約から1年2ヶ月。婚約宣言→「遠距離恋愛ずーっとずーっと」 もか、らて、結婚します。(///o///)ゞ テレテレということで、最近は結婚式の仕込をしております。ブログ止まりの言い訳?・・・うん、そうかも(_ _。)・・・シュンさておき。結婚ということで、8月にご案内を発送し、加えて、ウェディングメルマガを発行し始めた。案内状を受け取った時点から、もう結婚式の一部として参加してほしかったから。(そう、ブログは書いてないけど、メルマガ発行してたから、 なんだかいつもなにかを書いている気分になってた。)というのも、これから開催するのは、俗に言う「結婚式」ではないから^^題して、5泊6日「Wedding Festival2006」5日目のフィナーレが結婚式&披露宴という魂胆。案内状を受け取った人。苦笑い?わくわく?…o(;-_-;)oドキドキ?( ̄m ̄* )ムフッ♪みんなそろって本土から孤島へ、民族大移動状態。目的地は、沖縄のちっこい島。ただいま、フジテレビのドラマ撮影の真っ最中。そのちっこい島。東京から、8月現在の往復交通費は16万円越え。高い・・・遠い。( ┰_┰) シクシクということで、金と時間の都合がつくセレブ(?)しか参加できない・・・か?^^挙句の果てに、この「Wedding Festival2006」島到着の翌日は、モカ・ラテはもちろん、都合のついた人全員で島一周マラソンに参加する。ラテの両親、モカの妹も含め、友人らも巻き込み作戦。今年14回目を迎える栄えある島一周マラソン大会で、毎年、国内各地からの参加者が増えている。ということもあってか、他の選手との兼ね合いで、「Wedding Festival2006」メンバーの航空チケットの入手困難もあったが、なんとか大半の人がクリア。(入手できていない人もいるが・・・)そんな、東京から離れた端の端にある島がモカの生まれ育ったふるさと。結婚式なんていったら、島民が600人、700人と駆けつけてくるような、そんなあったかい島。教会で結婚式をして、それから役所に入籍に行く。そして、披露宴はモカの実家を開放して催すBBQ大会。「結婚式では絶対BBQ!」これがモカとラテの願いだった。ということで、参加者にはジーンズで参加してもらうことにした。Tシャツはモカラテオリジナル。お宿は、3つの民宿を貸しきって、5泊6日間、モカもラテも友達とずーーーっと一緒。題して、バックパッカーズ&修学旅行プランもちろん 夫婦で参加の友人いる。ラテの友人も家族も、スイス、フランス、ノルウェー等々から、やってくる。それもみんな一緒の宿で朝から晩まで一緒。モカの友人もラテの友人もみんなで、ずっと、飲みっぱなしか?!島の外人率が一気に上がるんだろう。ちなみに、人口1700人のこの島には外国人が1人いる。かなり、珍しい。かなり珍しいのに!・・・なぜかこの人、スイス人。海のないスイスから島にやってきて、ダイビングショップを経営している。不思議な話だ。そんなこんなの「Wedding Festival2006」準備はどこまで間に合うやら。開催まで秒読み開始。ぜったい、みんなを楽しませてやる!・・・というよりも、仕掛けているモカ・ラテが一番楽しい^^成功を祈って。結婚宣言でした^^これからもよろしくお願いします。
2006年10月28日
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週末は、結婚式場でお仕事していましたモカ。エージェントからの依頼で、ウェディングパーティでのBGMの生演奏。実は最近自分の音楽感に変化があった。それを受けての結婚式でのお仕事は、さらにモカの音楽に対する姿勢を吟味するものとなった。その大きなきっかけとなったのが・・・下記*****さて、前回の日記から、伸ばしに伸ばしてしまった続きだが。本当はこんなに引き伸ばすつもりはなかった。が、書くに書けない胸のうちが生じて結局書けず。単に、モカ自身の興奮がなかなか冷めずで文字にできなかった。そういうこった。(前回の日記から)東京駅を後にしたモカが向かったは都内スタジオ。上原ひろみ。JAZZピアニスト。去年のライブ→「興奮しすぎて眠れない☆上原ひろみ」 生放送の撮影がある。スタジオでは内覧できる抽選会があった。抽選会に間に合うようにスタジオに到着したら、ちょうどリハーサルをしていた。hiromiはピアノ・ベース・ドラムのトリオでJAZZを奏でる。スタジオ内には、ライブセットが調整されていた。ということはということは、、、わお~、今日は目の前でライブか?!!!うおっしゃ!!叫べないけど、ガッツポーズ。スタジオ内で観覧するためには当日抽選を突端しなければいけない。ひとまず抽選所へ向かった。でもでもでも( ┰_┰) シクシク列を作って並んでいるとやってくるのよ~部外者が。「あら、なんか並んでるわ。 なにかしら、並んでみましょうかしら。」「なんかスタジオ内観覧の抽選があるみたいよ。 せっかくだから並んでみましょうかしら。」なんで~!!!!!!なんで、目的もなく並ぶんじゃ~!!!!!並ぶなよ~!!( ┰_┰) シクシクと、思ったが、ものめずらしさも手伝ってあっという間に人の列。もぉぉぉぉぉぉ。( ┰_┰) シクシク通常は30人ほどスタジオ内で観覧できるらしい。しかし、今回はライブセットが組まれるため、10人程しか選出されない。席の確立が明らかに減った。で、抽選。結果は・・・ハズレ。ち-----くしょ-----!!!アイツのせいだ、ソイツのせいだ-------!!しかし、叫んでいる場合じゃないので、すかさず、スタジオ中央に位置するガラス窓に張り付いて場所の確保をする。当選した人は、生放送が始まる少し前にスタジオに戻ってこれば、係員の誘導で中へ入れる。抽選に漏れたモカは外から見るしかないので、しかたない、撮影終了までこの場所を動くもんか!と、強固になる。ということで、リハーサルから本番終了まで数時間ほど、ガラスの前で立ち尽くすことになった。でも、よくよくみると、その日はライブの都合で、スタジオ内観覧に当選した方々の席は、カメラクルーの後ろの奥。あれ?なーんだ。じゃあ、モカの立ち位置のほうが、スピーカーの真下だし、カメラクルーも目の前にいないし、しかもライブも、ゲストとの歓談席もめちゃ真正面じゃないの(*^m^*) ムフッスタジオ内で隅に追いやられるよりもだんぜんこっちの方がベストポジション!はたと気がつくと、モカの両サイドにも窓に張り付く人々が増えてきた。さらに背後にもわさわさわさ~っと、人の気配がした。ぜったい、ココを離れまい。本番はまだまだだけど、放送が終了するまでトイレも我慢する!そんな甲斐もあって(?)生放送が始まったときは、足もガクガク痛かったけど、でも、距離にして数M先という最高にドキドキ高まる場所で見れた。hiromiトリオは、翌日から始まる東京JAZZ2006に先駆けて生放送でライブ演奏をした。なによりも、その至近距離でライブが見れたということ。うれしかった。さて、、、上原ひろみトリオといえば、モカの胸にずきゅーーんとくるのはベースのトニー。トニーといえば、去年、品川で行われたライブで、ステージ上の彼と目が合って一緒にノリノリした(と、自己満足した)あのベーシスト!!!トニーはもう忘れてしまっただろうとは思うものの、一方的にトニーを目で追ってしまう。ぐふぐふ( ̄m ̄* )ムフッ♪トニーからのメッセージ→「二つの連絡」 スタジオ内では、hiromiの歓談。演奏。また、歓談、演奏。・・・。そして、1時間番組は淡々とプログラムをこなし、いつしか終了した。さてさて、ライブも堪能できたし。歓談も間近で見れたし。もう、思い残すことはない。モカの両サイド、後方の野次馬(モカももちろん野次馬)も、次第に消えた。演奏を終えたベーシストもドラマーもすでにスタジオにはいない。スタジオ内では、後片付けをしている。モカは満足。スタジオ内の抽選に外れたことがかなりラッキーだった。こんなに近くで堪能できたんだから。さて、この後は、どうしようかな。せっかくなのでスタジオ付近を散策してみようか。その前に、トイレ。。。生番組と生演奏の余韻に浸りつつ、トイレを出ると。ん!??!?!?!?!?目の前に、ベースのトニーとドラムのマーティンがいる!と・と・とに~!!!!!!!思わず、じーーーーっと見つめてしまう。ふと、トニーが顔を上げて、目があった!!!キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッートニーがあの優しい目でにこっと笑った。(*/∇\*)キャ今度は絶対、ちゃんと目があった!!!!ああ、もう気絶してもいい・・・けど、ここで気絶するにはもったいない。と、モカ、ふらふらふら~っと、目の前でお話をしている3人組に割って入って、トニーに声をかけた。「トニー、さっきのライブかなりうれしかったよ。ありがとう!」「いや~、喜んでくれてよかったありがとう!」「実は、去年、品川ライブの二日目に最前列にいたんだよ。」そういうと、トニーは、「ああああ!たぶんわかる!」と、言い始めた。「髪のないヤツ一緒にいた?」そうそうそうそう、まさにそれ、去年一緒にライブに行ったクリ坊。もう、そこからモカの気持ちは高まる。「なにか音楽やってるの?」と聞かれる。モカ、自分の音楽と楽器について説明する。するとトニー興味津々。「本当?僕、最近そういう民族音楽にすっごく興味があるんだ!!」「トニー、興味があるのってもしかしてこういうリズム?」ひやささ♪はいや~♪はいや♪ひやささ~♪歌うとトニーが喜ぶ。話はさらに盛り上がる。そして、トニー「ねー、メアド教えてよ!」へ? メアド・・・軽くパニックモカ。えー・・・っと今書くやつ持ってないよ~「OK.じゃ、ちょっとまって、これ僕のメアドだからメール頂戴!」トニーはメアドを差し出した。もか。。。そろそろノックアウト。うっそ~、トニー!マジで、興味もってくれた?!「うん、最近さ、民俗音楽に興味があるんだ。」トニーの笑顔がくすぐったい。トニーのメアドを受け取る。一緒に写真を撮ることになった。トニーの手がモカの肩に回る。モカも左手をトニーの腰にかける。メアドを握り締める手が震えているのをトニーに気づかれないように必死。「ねー、明日の東京JAZZは見に来る?」トニーはそういってニコニコした。「あと、ごめん覚えられなくて。もう一回名前おしえて。」「モカだよ。hiromiの名前は日本ではポピュラーなんだけど、モカの名前は日本ではレアなんだ。」「そうなんだ。実は、トニーっていうのは本名じゃなくてさ。本名はこうなんだ。僕の本名も珍しいんだよ。俺達レア名前仲間じゃん!!」トニーーーーーー!!!!!!よくわからんけど、もか。。。鼻血出そ。あああ、妙な楽器だけど、やっててよかった~!!!もう、これは誰に感謝すればいいのだ。誰なら喜びを分かち合ってくれるんだ!喜びすぎて、息が苦しくなった。これ以上耐えられなくなったから、トニーと"(@´▽`@)ノ""" バイバーイ することにした。これ以上トニーと一緒にいたら、心臓麻痺起こしそう。そして、トニーに"(@´▽`@)ノ""" バイバーイ トニーのそばを離れたものの、手のひらに握り締めたトニーのアドレスをみるたび動悸がとまらない。翌日、トニーはもちろん、上原ひろみトリオは東京JAZZ2006の観客を大歓声に包んだ。
2006年09月11日
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朝、ラテが出勤してまもなく電話が鳴った。 なんざましょ?ヽ(~~~ )ノ ハテ?「モカ~ 今日これから大使が皇居に行くんだけど、 東京駅に馬車が迎えに来るって言うから、見に行かない~? 行くなら早く着替えて、来~い。」・・・は? 大使が皇居? 東京駅と馬車? ラテよ~ どうも意味がわからんのだが・・・。「今から一緒に行くよ~早く着替えておいで~」・・・げ、なんで、まだ着替えてないとばれているのだ(-_-;)とにかくおもしろそうなので、行くことにした。特急で着替えてラテと猫ちゃんの元へ走るモカ。猫ちゃんていうのはラテのボス。モカ、ラテは密かに彼を猫ちゃんと呼んでいる。で、、、時々、本人の前でついうっかり言ってしまうが、「猫とは自分のことだ」と気づかれているかどうかは謎。それから合流して、ラテと猫ちゃんと3人で東京駅へ向かった。東京駅。古い建物がかなりかっこいい。( ̄。 ̄)ホーーォ。駅にはびしっと制服を着た男性が何人かならんでいる。ほほ~、やっぱり今日は何か特別なことがあるんだろうな~東京駅の古い建物とユニフォーム姿がまたかっこよく映える。でも、野次馬はいない。東京駅は、いつもとかわらない。どうやら、これは内々にしか通達されていないことらしい。ラテも猫ちゃんも今朝偶然入手した情報だという。というか、、、別にたいしたイベントでもないようだ。さて、東京駅に到着したものの、肝心の大使はどこにいるのだろうか。制服の男性にきいてみた。「本日は2カ国あります。一カ国目はニジェールです。」と言い、大使の到着時間、と馬車の出発時刻をおしえてくれた。へーーー。2カ国ありますっだって。っていうか、これって普通に行われてることなの?!へ~モカが知らないだけか・・・。本当に馬車が来るの?どこから、くるんだろ。目を細めて遠くを眺めてみた。目の前の大通りには、いつものようにたくさんの車が行ったり来たり。馬なんて見えない。馬車ね~。馬車と呼ばれているだけの儀式なのか。いったい、これから何が始まるんだろう。時間までもう少し余裕があったので、ラテと猫ちゃんとモカは3人でうろうろした。うろうろしてたら、男性が近づいてきた。「私、宮内庁の者ですが、こちらのスペースに馬が到着しますので、 もう少し後ろによっていただきたいんですが・・・」ひえ~・・・宮内庁の職員さんですか。てか、馬ってやっぱり本物が来るのか~!!本日の儀式。先日、新任の大使が日本に到着した。今日は、この就任を天皇陛下に伝えに行くのだ。それで、東京駅に天皇の使いが、馬車に乗って大使とディプロマ達を迎えにくる。馬車にのって皇居へつれられ、正式に在日大使館の大使として任命される。ラテは説明を加えた「つまり、大使は、先日来日したけど、今はまだ、ただのおじさん。 で、今日、皇居にいって天皇陛下と挨拶をしたらやっと大使となるんだ。」大使=ただのおじさん・・・(-_-;)そわそわしていたら、ポコポコと音が聞こえてきた。あ~!!! 皇居から馬が・・・本物の、あのでかい馬にまたがって指揮を執る人。西郷どんみたい^^びしっと敬礼!そして、引き続き8頭の馬が東京駅の前に勢ぞろい。続いて三台の馬車が到着した。うっわ~、なんだこの不思議な空間。馬が到着すると、東京駅前に人が群がり始めた。ビルが立ち並ぶ東京駅前。ビルの前に並ぶ馬と馬車。なんか、タイムスリップをしたような感覚。まずはニジェール大使が、馬車に乗って皇居に出発した。それから、10分後、いつもの大使館の車が東京駅に到着し、先日お目にかかった大使と、5人のディプロマ、大使婦人、そして大使館スタッフが数名が到着した。5人のディプロマの方々。いつも大使館で会うときよりも、黒のモーニングでかっこいい!ひえ~、本当に偉い人だったんだ~、あの方々は。w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!5人のディプロマと大使は、ひとまず東京駅内の馬車待ちロビーに降りる。馬車到着まで15分ほど待機する。他、大使館スタッフと大使婦人はモカたちと一緒に待機。あら、、、大使婦人は一緒に皇居には行かないんだね。そして、ぽこぽこ、ぽこぽこ・・・。来た~~~~!!第二段目の9頭の馬と3台の馬車の音が、皇居方面から聞こえてきた。w( ̄△ ̄;)wおおっ!本日二度目だけど、やっぱり不思議な感覚。東京のビルの谷間に、馬。大通りに馬だよ~!!普通にアスファルトを横断してるんだよ~馬!戦国時代だよこれ。またしても、東京駅の周りは人だかりになってしまった。今日はじめて東京駅に降り立った外国人は、「東京駅にはタクシーの変わりに馬がいる」と思ったに違いない。んなわけないか・・・(-_-;)そして、準備が整うと、次の敬礼で大使とディプロマを載せた馬車は皇居へと向かった。さて~、終わった~。と思ったら、再び宮内庁の方が寄ってくる。「1時間ほどで、お帰りの馬車が到着します。 そのころ、またこちらでお待ちください。」とのこと。ということで、モカは朝ごはんを食べ損ねたのでカフェをすることにした。そして、通達の時間を少し回ったころ、皇居から馬に護衛された馬車にのった大使とディプロマが東京駅に帰ってきた。任務終了した大使は、ラテに向かって、「結婚するんだって?おめでとう♪」と言ったらしい・・・大使館に書類を提出してからというものの、モカ、ラテの結婚ニュースは大使館内を飛び交っている。ついに大使の耳にも入ったらしい・・・やばい、案内状、ださなきゃ・・・。さて、実は大使が到着するころ、モカは、ラテをおいてすでに東京駅を後にしていた。この日は、大使任命式の送り迎えをできたことが、一番の貴重な思い出になるかと思いきや、もっともっともっと、手がふるえるほどの展開がこの後待っていた。もちろん、この時点では「やっぱり大使のお迎えまでちゃんとラテと一緒にいればよかったかな~」って、後悔しつつ地下鉄に揺られていたのだが・・・。
2006年08月31日
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今週半ばからラテが夏休み。ヤッホー(ノ^∇^)ノ深いこと考えずにとった夏休みだったけど、今にして思えば、一般的なお盆休みが終わったと同時にラテは夏休み入り。来週前半までお休み。よかれ。(o ̄ー ̄o) ムフフそんな夏休み直前のラテへ一通のメールが届いた。「着任を記念して、皆様と交流を図るべく、 官邸でカクテルパーティなどいかがでしょうか。 パートナーもお誘いあわせの上、どうぞ。」スイス大使だ。ヽ(*⌒∇⌒*)ノ::・'゚☆。.::・'゚★。.::・'゚☆。ワーイ!!前任のスイス大使が7月末に定年退職をし、今週、新しい大使が在日大使館に着任した。まだ、来日したてホヤホヤの大使夫婦。ラテは、時々、官邸でのパーティに顔を出す機会がある。大使のお誘いに便乗してこっそり忍び込んだり(?)する。モカは時々官邸の敷地内にお邪魔することがあるけど、それは、自転車をとめるため。・・・ええ、時々、官邸の門を潜り抜けて駐輪場として利用していましたモカ。そんなメールをもらったラテ。「モカ~、せっかくの夏休み第一日目なんだけど、どうする?」 むふふ。モカ:「もちろん、行こうよ♪」ラテ:「そだね。モカも時々大使とすれ違うこともあるから、今のうちに顔を合わせておくのはいいかも!」実は、前任の大使には、初めて会った際に箱に入ったトマトを差し出されて「食べる?」と聞かれたことがある。糖度10%のあま~いまるごとトマト。おいしかった~。でも、差し出されたときはまさか大使だとは知らず。トマトのおじちゃん、と、モカは呼んでいた。後で、ラテから「トマトのおじちゃん」は「大使」であることを知らされたわけだ。ということで、そんなアクシデントを回避するためにも、軽めにおしゃれして行ってきました、大使官邸。わほ~。建物の中にお邪魔する機会はあんまりないから、社会見学のつもりモカ。でも、、、出掛けに雨が降ってきて、で、こんなときに限って、バタバタと、結局ぎりぎりの出発。ということは、、、くそ~、遅刻する~。自宅から官邸まで走る~。到着するころはヘトヘトで、雨にぬれたサンダルと小指が擦れて両足とも水ぶくれ。( >_
2006年08月20日
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今年4月から開講していたモカの日本語教室。プライベートレッスンの生徒はスイス人のカエルくん。1回1時間半~2時間のレッスンで、週2回。この5月末まで努めていた仕事は、毎日11時からだったから、レッスンの日はいつもより2時間早く出勤して、勤務前にスターバックスで待ち合わせ。レッスンを開始したころのモカの仕事は、日本語とも教育ともぜんぜん関係のない職場でのマネージャー職。経営陣の一人だった。(今はやめちまったけど、詳しくはちょいと前の日記参照)それが、先週ようやく終わった。日本語ゼロレベルからはじめたカエルくんは、初級前半レベルに到達した。レッスン開始のころは、ひらがなもカタカナも書けないし、読めない。自分の名前すら書けなかったし、読めなかった。でも、漢字も少しずつ覚えてくれたし、興味をもってくれた。大変だっただろうけど、根気強くがんばってくれた。なんど説明しても忘れる文型、何度でてきても覚えられない単語。もちろん、初級前半レベルに到達したとは言うものの、完璧!というわけでもない。本当は、やってきたことの半分も身に染み付いていない。穴だらけの初級前半レベル。でも、カエル君に限らず、多くの外国語学習者は、一回ですべてのことを覚えられるわけではない。何度も忘れて、何度もやりなおして、そして、何度やっても覚えられない自分にイライラする。何度言い直してもちゃんと口をついてでない外国語に悲しみでいっぱいになる。この4ヶ月間のレッスンで、カエル君の身についたこと。それは、日本語を推測する力。聞こえた単語から推測する。話している会話のトーンから推測する。推測したことをつなげる。そして、なんとなくでもいい、概要がつかめる。今までは雑音としてしか耳を通過しなかった日本語だったけど、日本語の音がつかめるようになった。そして、日本語で会話ができるようになった。モカのレッスンは1回約2時間。その間中、ほとんど日本語で会話ができるようになった。これは大きな財産だ。カエルくんは、4ヶ月間のプライベートレッスンを終えて、明日スイスへと戻る。そして、今月末から、オランダの学校へ3年間行く。カエルくんは夢を追っかけている。学校の入学許可はすでにもらっているものの、これからオランダ語も勉強することになるらしい。せっかくがんばった日本語を続けることができるか、それはわからない。今後の日本語学習の続け方を、とりあえず伝えたけれど、日本語は忘れたっていいかもしれない。外国語学習なんて何回忘れてなんぼの世界なんだろう。いや、それは外国語に限らずだ。普段話している日本語だってそう。仕事だってそう。何度も忘れて何度もやり直して、そしてようやくこなれてくる。教師・・・モカが一番なりたくない職業だった。もっとも避けてきた道だった。毎年毎年おんなじこと教えて、おんなじ環境にいて、なんだかつまんない仕事。誰かになにかを教えること。指導すること。ぜんぜんおもしろくない。学校で出会った先生、思い出に残る大事な出会いもあったけど、「あんなやつたいしたことない」って思える人って多かった。モカが出会ってきた人たち。あの教師たちは、なんでこんな仕事を選んだんだろう。他にやることなかったから?・・・なんでだろう。小学生ながらに、そう思っていた。そう思い続けてきた職業なのに、いつのまにか、モカは教育の世界に足を突っ込んでいた。でも、教師という世界に近づく自分が嫌だった。「あんなつまんない世界に人生の軸なんておけるかっつーの。」それが本音だった。でもその傍らで、本当はわかっていた。モカがもっとも苦手な「努力」の裏に教師は成り立つのだと。教師こそ、毎日が「同じになる日なんてない」仕事。毎日、毎日教えることも違う。毎年、毎ターンで教える相手も違う。教える相手もレベルも違う。そして、、、教える側に立たされた人-教師-のレベルもアイディアも日々変わらなければならない。他人の人生に大きく関与する立場なのだから。極めようとすればするほど、「同じまま」ではありえない職業。いろんなスタイルの「教師」がいる。金八みたいな教師。GTOみたいな教師。あんなもんドラマだから。そう思いたいけど、実際そうでもないんだよな・・・。なにげに、あれって現実の世界。もっともっと楽しませたい、がんばらせたい。理解させてやりたい。できるようにさせてやりたい。達成感に満ちた顔で笑わせてやりたい。そう思えば思うほど、レッスン前の準備は時間がかかる。レッスンの前日は、何時間もかかって教案を作ったり、レッスンの朝はバタバタしながらも、テキストを見直して、指導の仕方を考える。たった1時間のレッスンでも、準備にかかる時間は2時間だったり5時間だったり。そして、最後にカエル君が言った。「日本語が読めるようになった。書けるようになった。 日本語もわかるようになったし、日本人の友達も僕の日本語にびっくりした。 とっても嬉しい。 本当にありがとう。ありがとう。」素直に、最高に嬉しかった。たぶんこれを「教師冥利に尽きる」というのだろうか。4ヶ月間、カエル君と一緒にがんばってこれたこと。よかった。そして、なんだかんだいって、次の日本語レッスン希望の生徒がすでにいる。またしてもスイス人。学校絡みの生活に飽き飽きして、しばし封印してたけど、日本語教師モカ。復活かな。
2006年08月14日
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浴衣で横浜。8月1日。江ノ島の花火大会・・・っていうイベントがあるのは、横浜駅の改札を出て、ポスターを目にしてから知った。(ーー;)そうじゃない。浴衣は花火大会のためじゃなくて、横浜そごうで開催されている「大人もたのしめる万華鏡展」に行くため。隅田川花火大会にすら浴衣で行かなかったのに・・・。(ーー;)モカは、先日、青と紫のグラデーションが美しい絞りの高級浴衣を、友人にもらった。でも、浴衣は一人で着たことがない。自宅で過ごしていた子供のころは、モカばあが、着物も浴衣も帯を結んでくれた。でも、んなこといったって、モカばあはもういない。 自分でやらな。いつまでも人を頼るな~モカ!このさい、きちんと着方を教えていただくことにした。着付けの先生を自宅に招きいれる。ご指導の下、浴衣のいろはを教えていただいた。なんでも、やってみるもんだな。浴衣って予想外に涼しくて、とっても着心地がいい。かなり気に入った。たぶんこれから意味もなく普段から浴衣を着て歩いていると思うモカv( ̄ー ̄)v横浜は、恵比寿から湘南新宿ラインでものの20分。ずいぶんと便利。そして、横浜駅で、モカ・ラテは、アサと待ち合わせをした。アサは、5月末でスタッフが総辞職をした例のスタッフの一人。仕事をしているときは、毎日毎日逢っていた。今は、たまにしか逢えない。そんなアサは、ただいま、2度目の大学生を堪能中。アサとモカの出会いは、職場だったけど、実は、それ以前に、大学の先輩・後輩。そして、ただいまアサは2度目の大学生として大学に復活したが、モカは、そのアサが通う大学で、去年から秋学期だけ非常勤としてクラスを担当している。なんだか(ёё。)(。ёё)。うふうふ♪の関係だ。で・・・そんな3人で浴衣♪歩いていると、まるで花火大会へ行く雰囲気。でも、向かうは横浜そごうの6階。エスカレーターで、ずずずずずい~とあがる。探す。キョロ (T∇T Ξ T∇T) キョロあった~♪万華鏡~♪テーブルに載ってる!!スキップで駆け寄る。今回は、12名の日本人万華鏡作家の作品展。その中のお一人から展示会のご案内をいただいていた。その作家さんが、展示会のご案内役としていらしていた。作家さんと久しぶりのご対面モカ。しばし、歓談。そして、作家さん。「あれ?今日は花火?」と疑問。イエイエ((~∇~ )( ~∇~))イエイエなにをおっしゃいます。展示会のためざます。この浴衣。そして、モカ・ラテ、一押しの偏光版入りの万華鏡。これをアサにどうしても見せたかった。、、、いや、本当はうちらが見たいだけなんだけど。とにかく、衝撃的な偏光版万華鏡。そして、予想通り、偏光版万華鏡はアサに大うけ。ワーイッ \( ̄ー\)(/ー ̄)/ワーイッ去年の夏、ラテは愛知万博で仕事をしていた。モカもついでに名古屋に棲みついていたあのとき。名古屋で出会って、思わず買ってしまった偏光版の万華鏡。万華鏡って万単位の金額で買うのだよ・・・作家物作品ってかなり高い。ラテがあまりにも気に入ったから、思い切って二人で購入してラテ母のお誕生日にプレゼントした。。。。のに、予想していたような感動の声は聞けなかった。最初に普通の万華鏡を見せるべきだった・・・。ちょっと残念。それはさておき、横浜そごうでは、小さなスペースなのに、12名の作家色があふれかえっていた。モカ・ラテ・アサは、片っ端からすべての万華鏡を堪能した。長引いた梅雨がようやく去った東京。遅い夏が始まる8月1日。ご存知、スイス建国記念日。ラテは仕事がお休み。ラテの仕事は、スイスと日本の両方の祝日のおいしいところどりでおやすみがある。GWもあるけれど、イースター休みもある。ラテは、日本にいて、日本で働いているわけではないらしい。スイス建国記念日は、万華鏡で感性いっぱい。カフェでお腹いっぱいいっぱい。笑顔いっぱいで、浴衣陣は、横浜駅を後にした。涼しい風が首元を掠めた。
2006年08月01日
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昨夜、隅田川2万発の華が咲いた。(⌒^⌒)b うん。そう。まさに、ひゅ~~~~ドン!ぱっ ぱっ ぱっ ぱっ ぱっ ぱっ ぱった~まや~ってな感じよ、隅田川。ということで、でかい花火を追い求め、ラテとモカ、行ってきました隅田川。わっほ~い。日本国内でも最大級の隅田川花火大会。2万発のたまが飛ぶ。飛ぶ。モカもラテも実は今まで、隅田川に限らずまじめに花火大会へ行ったことがない。だって。。。人が多いから。orz今まで避けてた。でも、今年は意を決して行ってきました隅田川。ぜったい人波につぶされるだろう。人の頭しか見えないのだろう。並ばされた足が痛くなるだろう。花火なんてビルの陰に隠れて見えないのだろう。なーんて、一応、あとでショックを受けないために、最悪の事態を想定しつつ浅草へ向かった。ええ。ええ。(*'')(*,,)(''*)(,,*)いっぱいいましたとも。人の頭。頭。頭。浴衣を着た女の子達。甚平をきた男ども。うちわをパタパタ。とうもろこしかじる。やきとりをほうばる。冷たい缶ビールを首の裏に当てる。うっ。。。つめたぁい。く~、いいね~。この祭りの雰囲気。大道路も小道も信号機は消えてる。たくさんの人が、道のど真ん中に敷物を敷いて、ちゃぶだいまでもってきて、花火見ながらビールに枝豆。下町のおっちゃんが良く映える。浴衣を着たカップルがあっちこっちでペタペタする。こどもが走る。お母さんがおっかける^^楽しい。でも、買ったばかりのペットボトルを、気がつけばラテがどっか置き忘れてきて水も飲めず・・・。ラテよ、またしでかしやがった、、、コノヤロウ。ま、ラテに持たせたモカが悪いということで。。。そうこう微笑んでいるうちに、音が聞こえてきた。ひゅ~ ひゅ~ ひゅ~お?始まった!ど~~~ん!! ん~!! 一度陣取った場所からは、目の前のビルが邪魔で花火の尻尾しかみえない。ということで、即移動!どこまでいけばちゃんと花火が見えるのかよくわからない。でも、とにかく人の波に沿って歩いてみる。そして、歩いて歩いて着いた先には行列が・・・( ̄□ ̄;)ギョッ隅田川を超える橋の上に行くための順番待ちの列だ。警察隊が「しばらくお待ちください」と「前へお進みください」の看板を掲げている。実際のところ、橋の上で花火が見えると楽しい。だって、隅田川沿線にある、花火の第一会場と第二会場。橋はその間にあるから、両方の会場で打ち上げられる花火が、両手に見えるから。右を見ても花火。左を見ても花火。そんな贅沢な状況になれるのだ。( ̄m ̄* )ムフッ♪しか~し。。。くぅ~、この列に並んだら花火が見えるかと思ったけど、そうでもなかった。花火の音はドンドン聞こえてるのに、ビルの後ろが明るく光るくらいで、みえない。ビルしかみえな~い(_TдT) シクシクアイーン“o(>ω< )o”ヤダヤダ!!“o( >ω<)o”見たいのはビルの後光じゃないってば!花火開始から1時間が経った。まだ列に並んでいる。ああ、花火~(_πдπ) シクシク アイーンと、そのとき、ようやく並んでいた列が動いた。少しずつ少しずつ前進し始めた。時々、「お待ちください」の看板を掲げられて、とどまる。少しずつ少しずつ。ここでだれかがこけたら踏み潰されるのだろうか・・・。と、考えたりした。そしてついに~ た~まや~!見えた見えた!列に並んで少しずつ進んでいったら、ビルとビルの間に満開の華がついにみえた。うっほ~い。まずは生花火を堪能。時折打ち上げられる「夜空満開」の怒涛のような噴射花火。くっくっくっく。めっちゃ綺麗。はぁ~、とにかくヨは満足じゃ。・・・と、思ったが、最後のご褒美が待っていた。こうやって花火を見ている間も、うちらは警察隊の交通規制により、時々ゆっくり進まされたり、時々留められたりしていた。そして・・・花火大会の最後を飾るめちゃくちゃ気合の入ったフィナーレの花火。なんと、それが打ち上げられたとき、うちらは、ちょうど隅田川を渡る橋の上にいた。交通規制の都合上。あの行列に並んで、少しずつ進まされた結果。いいタイミングで橋の上。第一会場、第二会場、橋の両サイドでかざるフィナーレを見ることができた。隅田川に結集する100万人の人にもまれて、花火も見れずに疲れてアウトで帰宅するのかと思いきや。かなり楽しかった。ほくほくついでにラテが大好きなマグロをふたりでほうばって帰路についた^^そのうちスイスで花火大会を見るようになるのかな。
2006年07月30日
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冬場ならまだしも、こんな湿気くさい夏の日に・・・週2回しかない生ゴミの回収日。今朝、捨て損ねたから、来週の月曜日までキッチンの生ゴミは放置。。。うっそでしょ~( ̄□ ̄;)はぁ、、、生ゴミは明日だと思ってた。でも、収集日は今日だった。明日は、「燃やさないゴミの日」プチ勘違い。なんで週に2回しか生ゴミは捨てられないんすか、東京。しかも、家の中に溜め込んでおかなければならないんか。以前、「生ゴミは冷凍庫に入れて固めておけば、臭いもでないし、いいよ♪」なんていうテレビ番組を見たことがあるが、ただでさえ、忘れかけるゴミ捨ての日。冷凍庫なんかにいれた日にゃ、二度と取り出さないんじゃないかと思ってしまう。キッチンに、生ゴミが溜まったら水分を切って、米袋とか、ビニール袋とかに入れて、収集日に捨て忘れないように、玄関先においておく。来客予定があったら、ゴミ類はもろともバスルームに片付ける。もっとステキな生ゴミ対策をしりたい。(T▽T)尸~~SOS!!ちなみに、ラテはゴミ分類マニア。ペットボトルは丁寧に中を洗い、キャップと外装をはがしてそれぞれ分類して捨てる。いちいち、細かいことにこだわって分類する。分類票をチェックして分類する。時々、分類表に表記されていないゴミもある。頭を抱える。考えて考えて、モカに相談に来る。楽しいらしい。ゴミ箱もずいぶんとこだわってラテが買ってきた。ラテのお気に入りゴミ箱。こだわりのゴミ箱を捜し求めて、買うまでに何日もかかった。買う直前には、お店からゴミ箱の写メを送ってきた。モカも気に入っているゴミ箱。いずれスイスに行くときもこのゴミ箱はお供に連れて行きたいらしい。エコ・ラテ君。お気に入りなのはわかるけど、こんなでかいゴミ箱シリーズは、きっとスイスへ持っていけないと思うよ^^
2006年07月20日
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モチベーションのコントロールができれば、人生はずいぶんと楽しいものになるんじゃないかと思う。そう簡単にはいかんのが現実だけど。そう思うからこそ、ナカタだって、プロのサッカー界を退くんじゃないのか。。。。って、モカとナカタを同等に考えるなって?そりゃそうだ、失敬(・o・)ゞ先日、精魂注ぎ込んでいた仕事を手放した旨を書き記した。それとは別に、自分自身のけじめとして、お取引をしていたすべての会社とアーティストへ離職の旨とこれまでのお礼をあわせてご挨拶の手紙を書いた。たくさんの方から、心温まるメッセージをいただいた。ブログに遊びに来てくれるみんなから丁寧なコメントをたくさんいただいた。仕事をやめたあと、いくつかの取引先の社長から、電話やメールをいただいた。「お店に行ったら毎日いるはずのモカちゃんがいなかったからびっくりしたよ?!」って。「あんなに楽しそうに掃除してたモカちゃんが忘れられなくて。」って。作品を扱っていたアーティストから直にお電話をいただいた。世界大会でグランプリを受賞されたアーティストから丁寧な直筆のお手紙が届けられた。大好きだった作品のアーティストからメールをいただいた。一人ひとりの暖かいお言葉が、次へのやる気につながるのかもしれない。「人」の存在ってすごい。憎ったらしくもなるし(・・・誰のこと?)愛らしくもなるし(ぐふ。。。)人を動かす力にもなる。(⌒^⌒)b うん。一つ一つのメッセージを読み返して、思い返しているうちに、「よし!またやったる!」って、メラメラ燃えてくる。やっぱり、やりがいのある大好きな仕事を手放すことは、それなりに覚悟も納得もあるけど、それと同時にぽかーんとした喪失感もある。でも、モチベーションをがーんとひっぱり下げられたら、もう動けないって。どんなにやりがいがあったものでも、もろとも消え去る。次に進みたいのに、給料のことでゴタゴタが続いていて、未だにちゃんとフィニッシュできない。すぐに片付くと思ったから、その報告を兼ねてまたブログを書こうって思ってたのに、やっぱりまだ片付かない・・・ま、しょうがない。もともと、そういうところをしっかりしない会社だから、みんな愛想付かして辞めちゃったんだし。そこらへんがキチンとできる会社なら、辞めてないってね。ということで、もうしばし、戦うことに腹をくくる。でもさ♪自分の時間があるってすごい。自分がコントロールできる時間があることの幸せってのを最近満喫している。でもさ、「時間がある」ことと「暇なこと」は違う。今頃実感するモカ。あんだけみっちりだった仕事を辞めて、すべての時間が自分のものとなった。な・の・に!くぅぅ。やりたいこといっぱい♪やらなければいけないこともいっぱい♪今までよくこれだけの物事をほっぽり出したまま生きてきたもんだとある意味感心する。ラテと一緒にすごす時間も圧倒的に増えた。ずいぶんと贅沢だと思う。そして、そろそろ、、、いや、いい加減、とっとと動き始めないといけないので、ようやく重い腰をあげて(嫌なのか?!)、先週は、法務局へ行ってきた。国際結婚をされた方にはご存知の方も多いかもしれない。法務局へ「婚姻用件具備証明書」を作成しにいった。実は、婚姻届に必要な書類というリストは、今年の1月にすでにスイス大使館から受け取っていたが、今まで放置(ーー;)今朝、ラテが、その「婚姻用件具備証明書」やら「住民票」やら「戸籍抄本」やら、モカの書類をスイス大使館に持っていった。これにOKが出れば、スイスへ送ってラテの「結婚してもいいですよ」の証明書を取り寄せるらしい。その後は、またモカの書類をかき集めて、そして婚姻届書類を作成するらしい。うまく網を潜り抜けてくれよ~書類君たち。さ、次へ行こか~
2006年07月18日
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2005年3月に大学院を卒業。そのままフリーター。正社員としての就職経歴なし。正社員じゃない働き人、すなわちフリーターのままで、年収1000万円を目指す。自称「スーパーフリーター」として1年が過ぎた。卒業して最初の1ヶ月はヨーロッパ行って、ふらふら遊んで、5月からフリーター業を始めたので、厳密には、今年の5月で1年が過ぎたところ。大学院時代は、学生とバイトと両方をフル回転でし続けていた。家賃・学費・生活費をまかなわなければならんので、やらなきゃならんかった。だから、卒業して学業がなくなったら、すべての時間を「稼ぎ」に注ぐことができた。もしかしたら、やりすぎだったかもしれない。週7日間、毎日10時間前後を労働時間に費やしてきた。でも、楽しかった。仕事が生きがいだった。大学院を卒業して手がけた仕事は、取得した学位とはまったく別の分野。だからこそ、業界を理解するためにも仕事漬けになっていった。仕事はいろんなものを読んで、見て、調査して、企画して、、、って、動けば動くほど、結果が目に見えてついてきた。モカの場合、物販の専門店をしていたから、仕事の結果は、取引先の社長やお客様の笑顔で目に見えて返ってきた。だから、お客様の笑顔見たさにがんばれた。それともう1つ、働いている会社の社長を喜ばせたかった。やっぱり、誰かに認められるのってすごくうれしい。「モカがいてくれて助かったよ♪ モカのおかげでみんなが喜んでくれるよ♪」そんな風に、社長に認められたら最高にうれしい。昨年5月に、仕事を始めてすぐに売り上げが上がり始めた。半年後には、50倍近くになった。そして、もかもマネージャーとして本格的に経営にかかわるようになった。会社幹部会議に参加し、データーをまとめたり報告したり、在庫管理、仕入れ、経理、ディスプレイ、人員配置等々。。。責任もいっぱい抱えてたけど、でも、どの仕事も楽しい。仕事を始めて11ヵ月後、日本国内最大のショッピングモール「楽天市場」に新店舗をオープンさせた。通常の業務を終えて、夜10時に帰宅して、その後に毎日少しずつWEBショップを作り上げた結果だ。当の楽天からは、「3ヶ月から半年間は売り上げが0円と言うこともあるので、 それでもあきらめずにがんばってください。」と。「でも、やるだけやったろ!」そう決めたモカ。実店舗の経営とインターネットショップの2店舗の経営をつなぐために、ひたすら突っ走っていたら、結果的にオープン初月から、黒字が出た。さらに翌月は初月の2倍となった。最終的に、実店舗の売り上げは1年前の100倍を超えるまでになった。一緒にがんばってくれたスタッフと喜びを分かち合った。自己満足だったかな?でも、最高にうれしかった。そしてもっともっと仕事が楽しくなった。と、これが、モカが担っていた仕事の1つだ。年収1000万を目指すスーパーフリーター。と言う気合いだから、実はこの他にも仕事を持っていたが、ひとまず今回はこっちの仕事の話。さてさて、気合入れから1年が過ぎた。モカの仕事はどうなっているのか!1年前、モカ自身もものすごく期待を膨らませていた。「1年後、どうなっているかなぁ。」では、答え。1年後のもかの収入は・・・・0円。・・・そんな大好きだった仕事を、やめちゃった。ちょうど1年と1ヶ月。(その前は週1~2程度のアルバイトをしていたので、実際は2年半ほど。)2006年5月をもって辞めてやりました。今、無職。収入ほぼ無し。なーんでだよっ。(" ̄д ̄)けっ!世の中、納得いかないこといっぱいある。最後の最後まで、この仕事、モカは大好きだった。会社を動かして、経営して、お客さんと直に話して笑って、会社と取引をしたり、扱っていた作品の作家さんと取引をしたり。とっても楽しかった。楽しかったけど、だんだんとこの会社で働き続けることの「意味の無さ」を感じていた。この社長の下で働き続けることの「時間の無駄さ」を感じていた。そして、働けば働くほど、「犠牲になるのはがんばった人」ということを痛感した。一番がんばる人が、一番バカを見る職場であることがあらわになってきた。そして、それは、モカだけではなくほかのスタッフも日に日にその気持ちが増していた。いろんなことが積もり積もった。ほんっとうにいろんな「がまん」が積もり積もった。がんばってもがんばっても給料は数ヶ月遅れる。でも、それはまだいい。とにかく払ってくれればいいわけだし、モカは仕事と家との往復しかないから、そんなにすぐに大金が必要なわけでもないし。ま、職場から帰宅した後に他の仕事も抱えていたからなんとか生活できる。しかし、止めを刺された。遅れた給料について数ヶ月ほど文句も言わないでいたら、「給料が遅れているのに文句も言わないスタッフというのは、きっと売り上げを横領しているのだろう」とよからぬ噂を社長自ら立てる。社長に仕事を認められるどころか、この一言。実はこの社長、お店の経営にはあまり思い入れがない模様。店には一切来ないのだ。悔し涙があふれてきた。考えても考えても、悔しくて。眠れない日々が続いた。そんなに言うんだったら、だったら、あんたが経営やれよ!店にも来いよ。売り上げも自分で確認しろよ!店にある商品の情報を自分で勉強しろよ!枕に涙をなすりつけながら、なんども叫んだ。で、あほらしい。辞めてやった。そして、モカが辞めると宣言すると、他のスタッフも全員辞めてしまった。みんな同じ気持ちだった。それぞれが、今までずっと会社の動きを、そして社長の動きを、見てきた結果だ。スタッフ全員が辞めるっていうこの異常事態。それだけでこの会社の状態を物語っているかの出来事だった。その後の会社は、、、しらない。モカらが辞めた直後あたりに、社長が替わったらしいという噂もある。でも、どっちでもいい。だって、5月末に辞めたのに、未だにきちんと支払うべきものを払ってくれないのだから。言いたことはいっぱいある。でも、しばらくはぐっと飲み込んでみる。そのうち爆発するかもしれん・・・てなわけで、スーパーフリーター、ただいま、無職。収入0円。いい機会なので、人生の仕切りなおしだ。
2006年07月07日
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4月29日、ラテのお誕生日でした。5月1日、モカのお誕生日でした。モカは、毎年、誕生日には、必ず両親にメッセージを送っていた。人生いろいろ、きついこともいやなこともたくさんあるけど、でも、いろんな出会いがあっていろんな楽しいことがあって。。。それって最高。だから、この1年を振り返って必ず両親にメッセーを送るのが習慣になっていた。でも。。。今年は、いろいろ仕事に熱を入れてたりして、すっかりスルーしてしまった。そして、家族もまたモカの誕生日を忘れてしまったかのように、なんの反応もない。。。。ま、モカは誕生日の前日から頭痛・腹痛で、お腹壊したりしてから、それどころでもなかったんだけど。しかし、スイスのラテの両親からはたくさんの贈り物が届いた。ありがたや~いろいろアレンジしてくれて洋服やらアクセサリーやらをたくさんいただいた。しかも~なんとなんと~ウィーンのホテルサッハーから、2個目のザッハトルテが届いた!!うわ~、この1ヶ月で2個目のザッハトルテだよ~1個目のザッハトルテはラテのお誕生日用2個目のザッハトルテはモカのお誕生日用 ということなのか。いかんせん、おおはしゃぎのモカ。ラテ。ちなみに、ラテの両親から、去年のモカ、ラテのお誕生日の贈り物は、フランス旅行とバースデーパーティだった。かなり大きなサプライズプレゼントだったのに。今年もすごい。さて、モカの誕生日の日の夕方。いつものように仕事をしていたら、友人がふらりと店内に入ってきた。おおおおおお♪最近、忙しすぎてほったらかしにしていたフランス人のクリ坊♪ひさびさの登場だ。「もか~ お誕生日おめでとう~」そう叫びながら店内に入ってきたクリ坊は、にこっと笑って、包みをモカに手渡した。仲良しのクリ坊に久々に会えただけでもかなり嬉しかったのに、クリ坊から贈り物をもらえるなんて。泣ける・・・さらに、泣けることに、包みを開けたら・・・・おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお♪iPod nanoぉぉぉぉぉお。うすっぺらぺらiPod~クリ坊がにやっと笑った。最高だよ~クリ坊ぉぉ(T0T)/~~~「GWに時間を作るから、バースデーの食事をしに行こうな♪」って。かっこつけクリ坊ぉぉ(T0T)/~~~ちなみに、クリ坊、二日前にラテに電話をして、モカがiPodをまだもっていないかどうか確認してくれていたようだ。もか「んで?クリ坊。GWは誰のバースデーパーティ?ラテの?」クリ坊「もかのに決まってるジャン。なんでラテなんだよ~」もか「あ、いや、ほら、もかはiPodもらったしさ、今度はラテのパーティかなぁって」クリ坊「なんで、ラテなんだよ~。関係ないんジャン。」もか「あ、そうなの?」クリ坊「ラテの誕生日って?」もか「二日前だよ」クリ坊「・・・・。うそぉ(T0T) しらなかった。 もか~、なんで早く言わないんだよ~。 やべ~。俺今日何にも用意してないよ~。」そう。。。クリ坊は、ラテの誕生日にラテに電話しておきながら、おめでとうも言わずに、もかのお誕生日プレゼントの相談をしていたのだ・・・ちなみに。。。クリ坊はモカと親しくしていたことから、最近、ラテともお友達になりつつあるが、歴史をさかのぼるとラテとは同じ高校の同級生である。お互い、「どうやらあいつも同じ高校にいたらしい。」ということは知っているようだが、つきあいはなかった。クリ坊ショック・・・しかも、もうすぐラテがバースデーのモカを迎えに仕事場にやってくる。クリ坊焦る(T0T)・・・そして、ラテ到着。クリ坊。。。ばつが悪くて、むすっとする。ラテにあたる「この間電話したとき、何で言わなかったんだよ!」ラテ「あははは。。。って、いえるわけないんジャン。 自分のプレゼントのPRなんて。」まー。まー。まー。とにかく、クリ坊とは日を改めてバースデーランチをすることにした。5月1日の夜。ラテは1週間前からモカに予定を空けるようにと散々言っていた。でも、なにがあるのかは、ずっと秘密だった。そして。。。。仕事が終わったモカを、ラテが連れ出した。六本木から地下鉄に揺られて、ついたところは日比谷。おお、もしや帝国ホテル?ではなくて、、、丸の内のおしゃれなビルに、ラテはモカをエスコートする。本日の衣装はラテご両親からの贈り物。とにかく、なにがあるのかは内緒内緒のラテ。そして~最終的にご案内されたところは、COTTON CLUB。すなわち、ブルーノートの最新版高級JAZZクラブとでもいおうか。ラテはあらかじめ二人席のいい場所を確保していてくれた。わ~~~さらに・・・なんと本日の演奏者は、モカが愛してやまない、かのジャズピアニスト上原ひろみ」も絶賛するピアニスト、アーマッドだった!(いつぞやのモカの日記をみてやってください。なぜか今日はリンクが貼れないんだ。無念。)ラテ~(T0T)やるじゃん~もちろん、お食事だってまさに「口のなかでとろけるような~」の肉やスープや、、、ああ、もう最高!巨匠JAZZピアニストの生演奏に、おいしい料理。そして、食後には二人で日比谷街を散歩。ちょっとオトナの世界を二人で味わった。がんばってセッティングしてくれたラテに感謝。ちなみに、4月29日のラテの誕生日には、光麺というラーメン屋さんでラテの大好きなシソ餃子を5枚と生ビールという、これまた普段はなかなかやらない豪快餃子体験をした。・・・ラテとモカ、祝いのレベルが違うってのね~。でも、どちら誕生日も、二人でおいしい時間を過ごせたことがなによりも贅沢な1ページとなりました。後日、モカパパに電話したときのこと「ちょと~、ぱぱちゃぁ、モカの誕生日忘れてたでしょ~。 誰も電話すらくれなかったよ~」パパチャ「いやいや、忘れてないよぉ。 ちゃんとカレンダーに書いてあるよ。5月1日って。」・・・あそ。
2006年05月07日
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・・・って、モカじゃなくて、「あいのり♪」が。ピンクのラブワゴン♪念願かなってついにスイス入り~♪毎週月曜日の夜11時のフジテレビ。・・・「あいのり」を見始めた頃は、ラブワゴンがスイスに到着したくらいでこんなに喜ぶなんて思わんかったわ・・・。もちろん、ラブワゴンスイス入りの際は、最近あいのり鑑賞巻き込んだラテと二人で、番組をダビングまでしてはしゃいだ。あいのり様。もうここであいのりの旅を終えてくだされ。「あいのりスイス滞在」・・・って、そうなるのもなんか悔しいな。。。。って、まさか、そのままドイツに抜けたりせんだろうな~まさかイタリアに抜けたりせんだろうな~お願いだからちゃんとジュネーブを通過して~やっぱりちょっとジュネーブびいきのモカ、ラテだったりする。ジュネーブといえば。ジュネーブに住むラテの両親。時々、東京に贈り物をしてくれる。多種類のカレーのスパイスチョコレートパルメザンチーズの塊 ・ ・ ・妙なものも送ってくるけどやっぱり贈り物は嬉しいものだ。ラテとスイス-日本で遠距離していたときも時々届いていたあのスイスの派手な黄色の郵送ボックスを、モカは「幸せの黄色い箱」と呼んでいた。あいのりに関連して言うならば、先週は、ウィーンから贈り物が届いた。(←あいのりに関連?)なんと送り主は「ホテルサッハー」きゃっほ~いウィーンの名物ケーキのザッハトルテ~去年のクリスマス、ウィーンに行った際に、モカとラテのバースデーをめっちゃアピールしてきたら、ウィーンのおばちゃんが手配してくれたようだ。でも、、、ザッハトルテ一個だけ。くそ~ 誕生日が二日違いのモカラテ、まとめて祝われた。・・・んな贅沢言ってる場合じゃないけど。本当は、一個でもかなりありがたい。なにせ、ザッハトルテ本体の値段よりウィーンから送られてくる送料の方が高いのだから。本当は、来週のお誕生日に二人で食べるつもりだったけど、そこまで待っていたらせっかくのザッハトルテがパサパサになっちゃうので、毎日少しずつ食べることにした。そして、もうそろそろザッハトルテがなくなる。そんなところに、引き続きジュネーブの両親から「幸せの黄色い箱」が届いた。まさしくお誕生日プレゼントの模様。モカ、すぐに開けようと思った。でも、ラテが黄色い箱ごと押入れに一番上に隠してしまった。ラテは、モカに取られたくないものは、モカの身長では手が届かないところに隠す習性を持っている。部屋には、踏み台が無いので、ラテが下ろしてくれるまで黄色い箱は取れない。誕生日まで・・・お預け。では、来週のあいのりを見ながらプレゼントをあけるとするか。
2006年04月26日
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そういえば。いつのまにか、楽天ブログを初めて1年が過ぎた。大学院を卒業した直後にブログを始めたから、なるほど・・・学生を離れて1年が経ったのか。一言で言うと、「移動」に明け暮れた1年だった。大学院を卒業してすぐ成田→ロンドン→ジュネーブ に飛んだ。1ヵ月後、帰国と同時に祖母が亡くなりスイスから実家へぶっ飛ぶことになった。ジュネーブ→ロンドン→東京成田→東京羽田→沖縄那覇→石垣島→与那国島てなことから始まり、この1年間で、じっちゃんばっちゃん立て続けに亡くなるしで、東京-沖縄5回。もかの学位取得祝いとラテの学位取得祝いで、東京-スイス2回。愛知万博に通うこと、東京-名古屋3回金かかり過ぎって・・・でも、そのうちの2回は、貯めた飛行機のマイレージで飛んだけど。そして、おかげさまで、すでにヨーロッパが余裕で往復できるほどのマイルも貯まった。そのうちファーストクラスでジュネーブまで飛んでみようかな~♪ところで、ファーストクラスってほんとに快適なんだろうか。っていうか、モカの実家遠すぎって。っていうか、ラテんちも遠すぎって。小さいころから、飛行機の移動ってバスみたいなもんだったけど。これがちっこい離島に住むものの日常生活。歯医者にいくのも飛行機、買い物に行くのも飛行機、なんでも飛行機。飛行機はみんなの足だったけど。でも、最近ようやく気がついた。どこにいくにも飛行機を乗り継ぐことが当たり前って、、、なんか、モカの感覚ずれてる。どこに行くにも、2時間、3時間はざらに飛行機に座り続けるのが当たり前って、やっぱり、モカの感覚ずれてる。時に、モカんちからラテんちって・・・果てしなく遠い。なんで、東京経由でスイスにいかにゃならんのよ。モカの実家、台湾の隣だから、ほんとは、台湾経由で、そのままポンポンと西へ向かった方が早いような気がする。今のところ、沖縄那覇発-上海経由 ってのが有りだけど・・・どっちにしても、飛行機を5つほど乗り継がなきゃならんのね。こんなモカ。8歳のころは、フライトアテンダントに憧れていた。いっぱいいろんなところにいけるから♪飛行機いっぱい乗れるから♪って・・・夢をかなえたということで、愚痴るのはやめよう。楽天ブログ2年目。たのしもうっと。ついでに、楽天市場にお店なんて作ってしまった。明日オープン。なんだかんだいって、楽天生活だな。。。
2006年04月02日
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今のシーズンといえば、春の高校野球。今回の目玉となっているのが沖縄代表の『八重山商工高校』高校野球の初出場高校なんていくらでもあるのに、高校野球の常連高校もいっぱいあるのに、甲子園が始まる前から、『八重山商工』は、いろんなワイドショーや各局のドキュメンタリーで特集されまくりだった。ヤフーでも、八重山商工の試合状況について速報がどんどんトップ記事で出てくる。さらには、八重山商工の応援状況についても速報がどんどんトップ記事にアップされるという丁重な扱い。もかも、テレビやネットの中継を見ながら、かなり盛り上がった。その裏には、全国初、離島の高校が実力で、野球界の登竜門の『甲子園への切符』を勝ち取ったというかっこいい青春話がついてくる。離島--この響き。どうだろうか。ゆったりとした時間、競争相手のない社会、そんなイメージをもたないだろうか。そう、まさしく。離島ってそんなところ。八重山商工高校のある、沖縄県八重山郡。ここには、八重山商工を含めて3つの高校がある。いや、3つの高校しかないのかもしれない。そんななかでは、練習相手も限られたものとなる。他の高校との練習試合にだって、飛行機で沖縄本島へ移動しなきゃいけない。金はかかるし 時間もかかるし、なかなか練習試合すらできない。そして、そんな野球に不都合な環境を避けるように、実力のある生徒は沖縄本島や県外の野球実力高校に進学するのが通例になってきていた。そんななかでのトレーニングは、他校との練習試合に勝つという、目に見えた勝利ではなく、野球部員一人ひとりが「自分との戦い」を勝ち抜くという勝利をいくつ積み重ねるかがポイントになるんじゃないのかと思う。最近、ジムに通うもかにとっては、この「自分に勝つ」ということがどれほどの忍耐と根性とを要するものかを切に感じる。トレーニング中は、体力的な疲労感が伴うのはもちろんのことだが、最大の敵は、自分自身であることが大きい。「もう疲れた~、もういいじゃん、今日はもうやめようよ。」自分自身に問いかける自分自身の声。なにせ、自分の中でつぶやいている言葉なのだから、耳をふさいだってきこえてくる。でも、体力の限界かっていうと、ほんとのところそういうわけでもない。単に、もうめんどくさいからやめようよ。っていう、弱い気持ちってだけのこと。離島郡八重山の高校野球部。もかが高校生の頃も、地元八重山からの甲子園出場を夢見て、野球部たちは日々練習をしていた。早朝に学校に行っても、野球部はすでにグランドで練習をしてたし、真っ暗になっても野球部は練習をし続けていた。正直言って、そんな彼らを、「あほか・・・」と思ったこともあった。だって、どんなにがんばってもがんばっても、甲子園というのは遠い夢のまた夢でしかなく、あんなに練習をし続けているのに、大きな結果も見えない。でも、今となれば、「あほ」なのは、モカの方だ。結果が出ないのなら、出るようにどうにかしたらいいのだ。結果が出ない、だから、やめる。だから、やっても無駄。もかは、いつもそうやって自分に言い訳をし続けてきた。八重山商工高校野球部。もかと同じ離島出身の高校生として、そして、同じ八重山出身の高校生として、彼らの活躍には「がんばろうよ♪」っていう激励をたくさんもらった。先週、八重山商工は初出場ながら1回戦を突破した。そして、つい20分前、2回戦、対横浜高校との試合が終わった。結果的には負けてしまったけど、高校野球優勝常連高校のあの横浜高校に最後の最後まで、点を取り合って、追い詰めて、いい試合展開があった。ヒット数は、横浜高校を超えた。負けてしまったことに対する残念な気持ちはもちろんあるけど、でも、「自分に勝つ」経験を積み上げてやってきた彼らに、そして、八重山に甲子園という夢をもたらした彼らに、満足している。3回戦へ進んだら、甲子園へ応援に行こうかなって、そんな気持ちは封印することになった。「自分に勝つ」もかも、ぜひその勝利を手にしたいものだ。
2006年03月29日
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モカとラテ、先月、ジムのフィットネスチェックを受けて1ヶ月が過ぎた。フィットネスチェックとは、モカ、ラテ、所属ジムのチェックシステムで、自分の体重や体脂肪率、筋肉量などを測定し、今後、どのような体型を目指していくのかの目安にするものだ。それをもとに、モカは、もっと筋肉量を増やして、体脂肪を少々落としたいなという目標を立てた。ラテは、体重、体脂肪率、筋肉量が激しく標準以下。身長だけが標準を飛び越えている。。。って、どこの国の標準身長だよこれ。たぶん、ニッポン国民の標準ですな。いずれにせよ、ラテは体脂肪も、筋肉量も今後大量につけなければいけなくなった。そんなラテに下った指令は、「たんぱく質をかなり大量に取ること」てなわけで、先月からラテの毎日のランチボックスにはたんぱく質系を多く詰め込むことに専念した。夕食もたんぱく質系を大量に取り込むことにした。脂肪も少ないラテは、寝る前にお菓子を食べたりしている。そして、週3~4回を目標に、一緒にジムでマシントレーニングを行う。トレーニング後は、プロティンの粉まで溶かしてわざわざ摂取する始末。でも、どんなに気を使って、大量にたんぱく質を与えても、脂肪分を与えても、ラテの体重は減るのだ。1月に来日してから、2ヵ月半で、ラテは体重が5キロも減った。ベルトの穴は2つ減った。そして、とうとうベルトは最後の穴にたどり着いてしまった。以前、履いていたパンツが腰で止まらなくてストンと落ちてしまう。病気かよ、おい。「あと1キロ減ったら病院行こうかな。」と、ラテはほざく。その一方で、もかは、まったく体型に変化はない。むしろ、少し腹ができたかのようにも感じる。(気のせいであってくれ、気のせいで・・・)かなりショッキングだ。ラテももかのでっぱりをみて唖然とする。「もかちゃん!一人でこっそり何食べたの!」・・・いや、食べてないって。。。たぶん。そういえば、仕事しながら、つまんでたりもするけど、それがいけんのかもしれない。たしかに・・・。一緒に頑張る者同士。一人は、減らしたいのに減らないばかりか、さらに悪化。一人は、増やしたいのに、減ってばかり。これもある意味悪化。がう~~~!!どうすりゃいいんじゃい!と思うが、ひとまず、1ヶ月ちょこっとやったくらいで、減っただの、減らないだの、ガタガタいってること自体、ただの根性無しだ。せめて3ヶ月は続けなよ!ってな感じだろ?とにかく。前回のフィットネスチェックから1ヶ月がたっている。よって今週あたり、1ヶ月検診でもしてみようかと思う。果たして、本当に身体の数値的によい変化はみられないのだろうか。。。楽しみであり、かつ、聞きたくない知りたくない・・・そんな心理。さて、そんなこんなのモカはさておき、ある日、ジムのトレーニングの後にめっちゃのどが渇いたラテ。飲み物でも買お~ぉ♪っと、スキップして自販機に直進したその直後!泣きそうになって帰ってきた。もか:「どしたのラテ、飲まないの?」ラテ:「もか~・・・飲むものがないよ。」もか:「ん?全部売り切れ?」ラテ:「んーん。ちがう。全部あるけど、 どの缶にも『体脂肪を燃やす!ドリンク』って書かれてる・・・ラテは飲んじゃダメだよね。」たしかに、「体脂肪を燃やす!」を売りにしている缶は最近多い。・・・。かわいそうにラテ。そうよ、あなたは体脂肪を燃やしちゃいけないのよ。そして、今日もトレーニング後の一杯をがまんするラテなのでした。
2006年03月28日
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1週間の中で、唯一、ぜったい欠かさずみる番組。それは、フジテレビの「あいのり」(・o・)ノ ハーイ!!修士論文を執筆中の最後の半年間は、テレビを一切禁止していたが、唯一、週一回のあいのりだけは、例外扱いをしていた。どんなに時間が空いたとしても、月曜日の夜にはバイトはいれなかったし、今でも絶対に残業はしない。好きなライブに行っても、あいのりの時間までには帰宅する。友達とも約束を入れない。あいのりを見た後には、かならずあいのりのWEBをチェックしなおす。「今週のあらすじ」が、だ~っと書かれているので、翌週、あいのりを見る前に、一度見返したりする。というくらい、もかはあいのりが大好きだ。(・o・)ノ ハーイ!!あいのりに参加したいと何度思ったことか。。。(今でも思ってるけど)恋愛バラエティ番組と称し、4人の男性と3人の女性が、ワゴン車に乗って、各国を貧乏旅行をする。その過程で、自己を見つめなおし、友情が芽生え、恋愛が芽生え、みごと恋愛が成就したら、カップルになって帰国する。いろんな人間像が描かれているところももちろんおもしろい。恋愛渦中の心の動き、嫉妬、愛憎、恋しい、楽しい、うれしい、そんな気持ちもとてもなじみがあるもの。なによりも、いろんな国々への「貧乏」旅行ってのがいいのかもしれない。庶民的だし、旅行の貧乏度合いからは、もかも旅をしているような錯覚もまた楽しいからだ。そして、おいしかおいしくないかは、わかなんないけど、これまた、現地のフレッシュな料理とそれを食べた反応が直に見えるってとこかもしれない。なんだかんだいっても、人生、食が一番ですから~♪ モカの場合。でも、実際のところ、あいのりは、ただの恋愛バラエティにとどまらなくなっている。食文化をはじめとして、人種差別の現場へ訪れることもあるし、環境問題、家族の問題・・・参加しているメンバーももかとは違う世界で生きてきている人。いろんな価値観を持った人間の、内省的日記に垣間見られる各々の思考のバラエティ。地球上のどこかで、毎日いろんな問題が起こり続けている。その現場へ目を向けるチャンスを提示してくれる。そして、映像の編集テクがまた参考になる。モカ、ラテにとって、映像編集技術は、興味のあるもので、仕事や趣味でも使ったりするし、編集者のユニークな突っ込みどころが、気に入っている。最近は、ラテも一緒にあいのりをみている。そして、ラテもはまってきた。さらに、今週のあいのりは、なんとヨーロッパのオーストリアに突入したのだ。オーストリアといえば、ウィーン!ウィーンといえば!そ~ もか、らて、昨年のクリスマスはウィーンだった。そして、はまってしまったシュニッツェル(薄っぺらぺらカツ)を毎日食べた日々。ラテは、旅の二日目から体調を壊して、ずーーっとホテルで寝ていたけど。→ウィーンにてリベンジ失敗ウィーンに突入したピンクのあいのりワゴン車をみて、モカ、ラテ、ハイタッチ♪して喜んだ。しかも~なんとなんと、あいのりのワゴン車が進んでいる地図を見てみると、ハンガリーから、オーストリアに入り、さらにそこから西に向かっているではないか!オーストリアの西!って、もしやもしや、次はスイス~♪?かなり心が躍ってきた、モカとラテ。スイスでの貧乏旅行っていったいいくら?いったいどんな?キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッー・・・と、期待させておいて、いきなりドイツ方面に行ったりして(=;ェ;=) シクシク今週のあいのりは、オーストリアに入国したばかりだから、しばらくオーストリアが続くのだろう。次のあいのりの行き先が気になる、モカラテ。実際のピンクのラブワゴン車は、放映よりももっともっと先に行っている。だから、もし次がスイスなら、すでにスイスに入国しているころだろう。以前、モカの友人が南米でラブワゴンに遭遇したことがある。ということで、スイス在住の皆様、どなたかスイスでピンクのワゴンを発見していませんか?ヨロシクヨロシク
2006年03月15日
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学生から社会人になること。大きく何が変わるのか。モカの場合、何が変わったのか。昨年3月に学生という籍を抜けた。そして、「仕事のことばっかり考えてもいい♪」という好条件になったということだ。それまでは、仕事をしていても、研究のことが常に思いのどこかにあった。仕事のスケジュールと研究のスケジュール。両方の管理をいつも強いられた。卒業して、今まで抱えていた研究に一段落つけられると、とても楽になった。そしてその結果、仕事が楽しくて楽しくて。もかは仕事人間だということが判明した・・・現在、東京で仕事生活をしているモカ、ラテ。もかは、3つの仕事を掛け持っている。ラテは、2つの仕事を掛け持っている。モカ、ラテともに、昼間の仕事が終わったら、一度帰宅して、そこから次の仕事が始まる。結局、仕事って、社会現場での学びなんだなと実感する日々。大変だけど、疲れるけど、でも、人として自分自身に何らかの学びがあること、なんらかの技術が身についていくことを実感できること、それが「やりがい」につながり、その「やりがい」が満足を満たすみたい。お互い「がんばれ~」って言い合いながら出勤することが、最大の支え。どっちか一方だけが、成長したくましくなっていくなんて、成長する方も、取り残される方も、双方が、悔しいからさ。そんなラテは、正確にはまだ学生。在籍中だ。そして、昨夜、ラテの大学の成績発表がWEBで公開された。スイスを離れているラテは、もちろん早速WEBで確認した。そして・・・ラテ、無事卒業決定!最後の論文審査も、満点で通過していた。このさい、論文が満点なのはおまけの喜びで、やっぱり結果的に、二人とも無事学生生活を終えられたという確約がとても嬉しかった。二人で、ハイタッチして、缶ビールを分け合って乾杯をした。初めてであった日。あのころは、二人ともまだまだ学生だった。あれから、3年半。モカが学生生活を終え、そして、ついにラテも学生を終えた。モカ、ラテ、長い学生生活だった。1月に来日して、自分の仕事ポジションを全うしているラテにとって、「卒業確定」のニュースが、しばらくの生活の影響を及ぼすことは無いだろう。でも、ラテの中で学びとして蓄積されたことは、いつか、おもしろい形で還元されるんじゃないかなと期待も膨らむ。もか、らて、共に、学生脱出。一つの大きな物事に区切りがつけられたという事実、これこそが、大きな喜びだ。頑張ったラテに♪尊敬を込めて。乾杯♪
2006年03月09日
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引越しするときにやっかいなのが敷金・礼金。まー、敷金は、「何もなかったら返すよ」ってな決まりが一応あるから、納得できないこともないが、礼金のシステムがいまひとつ納得いかない。大屋さんだって、空き部屋を抱えるよりは、誰かが住んでくれる方がいいでしょうに。空いてるところに誰かが住んで、毎月決まった額を入金するんだからいいでしょ~。なんで、大家への感謝の気持ちを強制的に徴収されるんだよ。と、文句の一つも言いたくなる。ようするに、借りる方の立場での言い分だが。しかし、貸す方の大家にしてみれば、ボーナスみたいなもんなんだろうけど。臨時収入ってヤツよね。きっと。さてほて、もか、東京へ出てきて住処が何度も変わった。最初に住んだところでは、なんと敷金は返してもらえなかったばかりか、+9万円も請求された。あの時は、そんなものなのか・・・と、ただひたすら哀しかったんだけど、でも、今思うと、あれはおかしかったのかもしれない。最初にマンションを借りていたときは、初めての賃貸物件生活ということもあり、勝手もわからないので、かなり気を使って、壁に押しピン一つもささなかったし、フロアも浴室も毎日過敏に気遣った。唯一つ、問題だったのは、引越しの手伝いをしてくれたモカバニラちゃんが、引越しの2日前に冷蔵庫を磨いていて、それがゆえに、壊れてしまったこと。それは哀しかった。敷金+9万+冷蔵庫代2万になった。結局、その最初の引越し以降は、「どうせ、どんなに丁寧に使っても敷金は取られるんだから」という気持ちになって、特に気遣うことなく使っていた。なのに!あれ以降、都内で3度引越しをしたが、3回とも敷金はほぼ全額返金。おかしい・・・最初のマンション。あれは、なんで、あんなにとられたのだろう。どう考えても考えられない。いまさらながら納得できない気持ちが沸々とわいてきている。まー、あのころは、社会ってこういうものだろうなって、無理やり学んだつもりにもなった。でも、本当は、おかしいと思ったのなら、ちゃんと確認すればよかったんだ。人ってそうやって成長していくんだろう。そうやってだんだん賢くもなりずる賢くもなるんだろうな。さて、実はモカ、敷金が返ってくるときは、必ず資金全額以上の金額が返ってくることになっている。なぜなら、普段から家賃は2ヶ月前の分を払うようにしているからだ。つまり、通常は3月末までに、4月分を払うところ、3月末までに、5月分を払い終わるのだ。自称スーパーフリーターもか。すなわち、社会保障ほとんど無し。ということは、いつなにか問題があって入院してしまったり、あるいは職を失ったり、はたまた実家に帰ったり、海外に出て行ったりすると稼ぎが無くなるであろう。そんなときに、家賃が払えないのはとても嫌だ。だらしない自分もいやだし、大屋さんに迷惑をかけるのも嫌だし、なによりも、お金の管理くらいきちんとできないことが嫌だ。だから、1ヶ月間の猶予を自分自身に課すことにしている。だから、結局、お引越しをするときは、最期に払いすぎた1か月分多い家賃まで返金されることになる。大屋さんも最初はモカが2か月分先に支払うから不思議がるのだけど、でも、いづれ払わなきゃいけない2ヶ月先の家賃。それをただ先に繰り越して払っているだけなのに、それだけで、大屋さんからの信頼度はあがるのだ。なんか、なにもしていないのに得した気分だ。今回も敷金2か月分全額+1か月分先に払った家賃 が 返金された。自分のお金なのに、なんだか宝くじにでも当たった気分だ。素直に喜んでおこうっと。
2006年02月26日
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何年もの間、ご無沙汰だったが、もともとアスリートもどきだったモカとラテ。新居に引っ越してから入会したジムのジャグジーに、毎日通う。なら、筋トレだってしたくなる。というか、『したほうがいいんじゃないの?この萎えた筋肉。』てな結論には、もう何年も前から同意していたので、少しずつマシントレーニングに首を突っ込みはじめていた。来週は、モカもラテもそれぞれフィットネスチェックを行う。つまり、個人の身体機能や目的に合わせたトレーニングスケジュールの調整を行う。いよいよ、本格的に筋トレ開始?てな、流れもありで、そろそろちゃんとしたランニングシューズが欲しくなった土曜日の午後。モカとラテ、新宿へ買出しにでた。ランニングシューズとなると、モカの足にはNIKEの細長いタイプはフィットしないはず。NIKEって、シンプルなロゴでちょっとかっこいいいけど。中学生のころから、NIKEシューズの構造とはフィーリングが悪かった。NIKEシューズと相性が悪いとはいえ、もかの靴探しはそんなに問題はないだろう。色やデザインで妥協さえすれば、いくらでも候補はある。もかは、足の感覚はそんなに繊細じゃない。毎日、トレーニングをしていた過去の時代を思えば、そりゃ履き心地こだわったこともあるだろうが、もう何年もスポーツ界を離れている。過去のことは過去のこと。スポーツの感覚もまたゼロからやりなおせばいい。ところが、ちょいと立ち寄ったNIKEシューズセクション。ラテが靴探しをしている最中に、面白半分で足を突っ込んでみた靴が、なんともまあ爽快なのだ。今まで、NIKEシューズに「爽快」なんて言葉はありえなかった。いや、むしろ、どんな靴であれ、買う靴にフィット感なんて感じたことないっていうのが事実。いつも「多少のことは、履き続ければ足にフィットしてくるよ」てな体制をとっていたから。足にぴったり合う靴。そりゃもう羽が生えたみたいに足と一体になるもんだ。感動した。感動したら、買う予定のなかった色でも、かっこよく見えてしまうもので・・・買っちゃったよ。ナイキエアーマックス -NIKE AIR MAX意外なところでモカの靴選びは、あっけなく終了した。買い物にはあまり時間をかけたくないモカ。これは、ラッキ~!・・・よろこんだのもつかの間。問題は、ラテの靴。・・・みつからん。ラテ。まず、好きな色を探す。好きなデザインを探す。ディスプレイされている靴を履いてみる。ちょっとサイズが合わない。店員にサイズを探してもらう。 ここで、ラテの靴選びが終了すること、もう何回やったことか・・・「この靴、サイズ30cmをください」って言ったとたん、店員がぎょっとする。そして、無駄と思いつつ30cmを探してもらうも、やっぱり無駄に終わる。ためしに、いくつかの店で、29と29.5の靴は試してみた。メーカーさえ違えば履けることもあるから。でも、29.5だとラテの足にはとても小さすぎる。靴に足を入れてみた瞬間から、眉間にしわ寄せる。「もか~、座ったままでも、もう足が痛いよ~」だんだん哀しくなるラテ。アディダスでは、都内のNIKE直営店全部に電話をしてもらったけど無い。工場から取り寄せることはできるらしいが、そうなると、キャンセルはダメらしい。でも、靴なんて履いてみないことにはなんともいえない。一か八かで工場から取り寄せて、それでたとえフィット感が悪くてもキャンセルできないのは負担が大きすぎる。ちょっと諦めかけたままフラリと立ち寄ったのがNIKE。もかは、ここで靴ゲット。ラテの靴に関しては、もう好みの色とデザインは探さない。すぐに店員を呼んで、「30cmのサイズがあるランニングシューズはどれですか?」と訊ねる戦法。でも、やっぱり29.5cmまでしかない。またか・・・ラテも願いを託して、29cm、29.5cmと靴を試してみる。でも、やっぱりダメだ。小さい靴を履きすぎて、足が痛いラテ。好きな色が選べなくて、哀しいラテ。好きなデザインが選べなくて、不満なラテ。ラテのシオレた心は、さらに下降する。大きい足の悩み。ラテはスイスにいても靴選びに苦労する。しょうがない、そんな星の下に生まれたんだ。「そんな大きな足がラテのチャームポイントなんだよね。」なーんて。・・・ぜんぜん励ましにならない。余計にラテを凹ませてみたモカ。もうダメかとあきらめたとき事情を理解してくれた店員さんが、「30cm靴が工場にあるかどうか確認してみます。 もし、履いてみてダメならキャンセルしてもいいですよ」って。やった~!それだけでラテは嬉しかった。注文ついでに、ラテの大好きなオレンジのラインがはいった靴があるかどうかを確認して欲しい旨を伝えた。結果・・・あった!30cmの靴があった!しかもオレンジの靴があった!ラテが笑った。到着まで、3,4日かかるが、大した問題じゃない。こうして、30cmの靴探しはひとまず中断した。
2006年02月19日
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モカとラテ、新しい城に引っ越して10日がたった。かなり気に入っている。旧もか邸より、倍の広さ。バスルームも倍の広さになった。キッチンも広くなった。2つの沿線が使えるようになった。にもかかわらず、どちらの駅も旧モカ邸から駅までの距離より短くなった。通勤に電車が要らなくなった。1階から2階になった。和式トイレが洋式トイレになった。部屋の外でしていた洗濯が、部屋の内でできるようになった。小高いところにあるため窓全面から見晴らしがいい。夜には、東京タワーのライティングが見えちゃう。持ってきた家具がイチイチぴたりと納まってくれる。とかとかとか・・・他にも書き上げられないほど、最高の条件が整った。ラテと生活し始めて格段に生活満足度があがった。たぶん、これがモカラテ人生における最高の時だろう・・・と、確信した。ある意味、/(-_-)\ コマッタァ・・・ さて、バスルームは倍の広さになったが、実は、一度もバスルームとして機能させたことがない。引越しの契約が済んでから判明したのだが、部屋から徒歩2分でスポーツジムにいけるのだ。もちろん、広いお風呂に、サウナ&ミストサウナルーム付き。ここ、入会金が5万とか10万とかするせいかどうかしらんが、年配の方が多い。静かで品があってよい感じ。モカ、ラテ、引越し日にあわせて入会した。てことは~、、、ぐふふ。今や、出勤前にも帰宅後にも。サウナ~ジャグジー~リラクゼーション~マッサージ~・・・なんてことが、毎日堪能できるってこった。せこい話をすれば、お風呂用具もそこですべて使い放題なわけで、自宅のバスルームもきれいさっぱり~ジムにはレンタル料を支払ってプライベートロッカーをキープすることもできるんだけど、なにせ、自宅は徒歩2分。常時、でかいプライベートロッカーを引っさげているようなものだ。・・・ところが、なにもかもがすばらしいように思えるこの生活にも、実は引越しするまで気がつかなかった落とし穴があった。ここいら一帯、坂道ばっかり。のぼって、おりて、のぼって、おりて・・・出勤するにも帰宅するにも、必ず急な斜面を2度のぼり&おり買い物に行くにも、のぼり&おり食事をしにいくにも、のぼり&おりま、、、モカ、ラテともに、自宅も職場も遊ぶ場所も同じ範囲になってしまい、行動範囲が縮小されてしまった今となっては、これくらいしか運動する場所がないので、ある意味、ありがたいのかもしれない。今はまだ引越し荷物をすべて片付けきっていない。モカ、ラテともに、仕事が楽しくて楽しくて・・・それどころじゃない。仕事が終わったあとに、二人ででかけるライブも、グルメツアーも楽しくて楽しくて・・・それどころじゃない。もか、らて、お互いの職場の中間地点は、たぶん、六本木ヒルズ。引っ越したら、もっともっとおもしろい生活になった。せっかくだから、使えるうちに一生分のラッキー、使い切ってやる~
2006年02月16日
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東京に5年ぶりの大雪が降った1月21日、午前3時。真夜中なのに、軽快なJAZZが夢見心地に水をさした。普段、寝るときには切っている携帯電話。どうやら、ボリュームを切り損ねたらしい。暗闇で左手を伸ばし、携帯電話のありかを探る。寝ぼけ眼ながらも、「ついにこの日が来た」と直感した。「ごめんね。起こした?」携帯電話の向こうから、妹モカバニラちゃんの声がする。もか:「大丈夫だよ。」モカバニラ:「今、ばーちゃんが亡くなったんだって。 ばーちゃんね、一人で逝っちゃったんだって。 ばーちゃん、一人で死んじゃったんだよ。」涙でふやけていくモカバニラちゃんの声が、覚悟はできていたものの、もかの心臓を見事にぶち抜いた。昨年4月、母方ばーちゃんが亡くなり、昨年11月、父方もかGが亡くなった。そして、年が明けて1月。父方もかばあ昇天。11月にもかGが亡くなった時は、もかばあはまだ元気で、自分で食事だってしてたし、お風呂だってしてた。もかGの死も、しかと受け止め、90歳の身体から奮い立たせた声を張り上げて唄い、喪主としてでーんと構えていたもかばあ。90歳超えた人間とは思えないほど、耳が達者で、ぜんぜん衰え知らず。隣の隣の部屋からでも会話が出来るほどの超人だった。ありえん・・・(゚◇゚)~この9ヶ月のうちに、3人の祖父母は、この世での使命を全うし終えた。一つ屋根の下で住んでいた祖父母。もかが生まれたときから一緒に住んでいた。90歳になるまで、風邪一つ引いたことのないもかばあ。病院なんてまったく無縁で、鋼鉄の身体をもつ無敵のばーちゃんだった。気が強くて、意地も強くて、身体も頑丈で、男性よりも男勝りのもかばあ。それがゆえに、たくさんの人に好かれたし、嫌われもした。そんなもかばあが人生初めて病院ってもんを体験したがの、昨年の12月。理由は脳梗塞。もかGが亡くなって2週間後のことだった。最初で最後の病院体験は、長年住んだ家も島も離れての入院。そして、そのまま自宅へ帰ることなく息を引き取った。もかの地元には病院が無い。病院へ行くには、飛行機で隣の島へ渡るしかない。もかばあが亡くなる前夜、医師から連絡がはいった。「入院した当初は、2,3日は持たないだろうとお伝えしました。 しかし、入院してすでに1ヵ月半が過ぎました。 正直言って我々も驚いております。」さすがは、鋼鉄もかばあ。根性で生き抜いた。「でも、もうそろそろ限度です。」もかGには延命装置はつけない選択をした。もちろん、もかばあにも、延命装置はつけない。自然でいい。生きたいと思う本人の力で生きれないのなら、延命装置は酷なだけだ。そんな電話を受けて、もか母ともか父は、その翌朝、飛行機で病院へ向かう予定を組んだ。しかし、もかばあは、中途半端な時間に逝ってしまった。大好きな我が家にも戻れず、真っ暗で無機質な病室で、一人で逝ってしまった。もかの電話で起こされたラテは、事情を察知していた。モカバニラちゃんからの電話に応対しつつ、片手でインターネットを立ち上げるモカ。飛行機の座席確認、チケットの手配と火葬、告別式、納骨式等の日程を調整。帰省の準備を進める。部屋の外は真っ白な雪が積もっていた。真夜中なのに、街灯が雪に反射して、あたりが明るい。雪の光を頼りに、ラテは洗濯を始めた。帰省したらいつ戻ってこれるのかわからないから。もかばあのいない淋しさを味わうよりも現実を整えることのほうが先になる。夜が明けるのを待って、ラテの上司に忌引き休暇のお願いをした。こころよく承諾していただいた。実はこの前日、すなわち、数時間前まで、ラテの上司のお誘いを受けて、パーティに参加しており、つい顔見知りになったばかりだったのも幸運だったのかもしれない。それから、大まかな荷物をまとめあげ、もかは先に家を出発した。この日、午前10時から、不動産屋さんで新居の契約手続きの約束があったから。ラテに自宅での細かい作業を託した。部屋に残ったラテは、家事を済ませて、バッグに詰め込みを完了させて、羽田空港への道すがら、恵比寿の不動産に立ち寄った。新居の大家と不動産には、あらかじめ事情を説明し、ラテが到着すると同時に、二人で新居の契約書に署名をして、すぐに急ぎ足で羽田空港へ向かった。山手線に乗り込む。出発手続きの時刻が迫る。この日大雪の東京は、電車のダイヤが乱れていた。空港までの最後の乗り継ぎ駅まで来ないことには、正確なダイヤ情報が読めない。品川駅で羽田空港行きの京急線改札を通り抜けてホームへ出ると、電車のスケジュールが目に止まった。ようやくほっと一息をついた。次の電車に乗れば出発時間の40分前には到着できる。搭乗手続きに十分間に合う。思い返せば、9ヶ月前、スイスから成田空港へ降り立ったその足で、母方ばーちゃんのお葬式のために向かった羽田空港。9ヶ月前の日記→「スイスから沖縄へ」 2ヶ月前、父方もかGのお葬式のために向かった羽田空港。2ヶ月前の日記→「人生の締めくくり」 羽田空港行きの電車を待つ品川駅のホームは、まるで、デジャブ。品川駅のホームで、一息ついたモカの頭に、大粒の雪が降り注いだ。左手の手のひらをひろげ、舞い落ちる雪が一粒ずつ載るのを見ていた。雪の粒があまりにも大きいので、3つ目が載ると、もかの小さな手のひらは雪でいっぱいになった。雪は止む気配はまったくない。「デジャブじゃないじゃん」4月にも11月にも、品川駅で雪なんて見なかった。「デジャブじゃないじゃん」これが、実際に目の前に起きている、現実なんだ。人ってホントに死ぬんだ。頑固で、強気で、気性が荒くて、、、人ってホントに死ぬんだ。あんな鋼のウルトラばーちゃんでも、ホントに死ぬんだ。・・・死ぬんだな。なんだか可笑しくなった。死ぬ気配は無くても90歳を越えた人。いつまでも長くないであろうもかGともかばあと遊ぶために、モカとラテ、昨年9月、二人で強行帰省をした。家族で、BBQをし、婚約なんてことになってしまったあの旅。あの時は、もかGも、もかばあも、モカとラテと一緒に笑っておしゃべりしてた。あの日、常夏の沖縄で、もかばあと何気なく話題にした『雪』。駅のホームに降り注ぐ雪を見ていたら、あの日のモカばあの笑い声がこだました。「もかちゃん、らてちゃん。 ばーちゃんはね、90歳になるけど、まだ一度も雪を見たことがないんだよね。 一度くらいは、雪を見たいね。見に行こうかな。ははははは♪」 もかばあ、今日は大雪だよ。これからこの雪、沖縄にもって帰ろっか。この雪持って、隣の島に迎えに行くから、一緒にふるさとの島に帰ろう。お家に帰ろうね。消えることは分かってたけど、左手に積もる大粒の雪をポケットにいれてみた。なんだかんだ言って、もかばあって、もかGのこと大好きなんだね。あんなに強気に生きてきたもかばあなのに、すぐに後を追って逝っちゃった。かわいい。・・・さて、9ヶ月の間に3人の祖父母が相次いで去っていった。毎度のことですが、今回はいつも以上に腰を抜かしそうになったお葬式にまつわる怖い話をひとつ。ラテとモカ、モカの地元までの往復運賃は、25万円。。。当日の予約には、ほぼ割引なしの航空運賃。お願いだから、お葬式割引をどうにかしてくれ。(_πдπ) シクシク そっちのほうが泣けるわい。
2006年01月31日
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昨年9月、沖縄にてモカ両親との婚約会見。昨年12月、ウィーンにて、ラテ母へ婚約の報告。そして・・・2006年1月1日。ジュネーブ友人宅にての『年越し乾杯』から数時間後の早朝5時。ラテとモカ。ジュネーブ空港に走った。°°┏(;;; ̄Q ̄)┛°°・ゼェゼェハァハァロンドン経由成田行き。ロンドンとユーラシア大陸の上空で元日を丸潰しして、1月2日夕方、成田空港に到着。2006年初日から新生活が始まった@東京.☆.+:^ヽ(∇⌒ヽ)はじまりぃ~♪(ノ⌒∇)ノ.+:^☆昨年、ラテは「愛・地球博」のスタッフとして名古屋に3ヶ月間滞在した。業務期間が終わると、引き続き数ヶ月ほど日本に滞在することが可能だった。何人もの万博スタッフが滞在期間満了まで引き続き日本を楽しんだ。そりゃそうだろな。なんたって航空券はスイス国持ちですから。・・……(-。-) ボソッしかし、ラテが滞在したのは万博終了後1週間。もか、ラテ、お互いにとっとと人生を前にすすませたかったがゆえに、せっかくの滞在許可をもったいないと思いつつも、万博終了後、早めにラテ帰国の道を選んだ。もかも、ラテも、まず先に、東京とスイスにて、それぞれの立場を全うすることにした。万博終了後の1週間はめまぐるしく過ぎ去っていった。その間、もからて、一箇所だけラテの職探しを検討した。といっても、もう1年以上も前から、ある場所への応募を検討しており、昨年、公募が始まったと同時に書類を作成して提出したのだ。その面接ためにも、万博スタッフとしては不要のスーツまで持って来日していた。そしてスイス帰国の前に、何度かの面接も行い、結果待ちの状態で、東京から2000キロ離れたもかの実家へ二人で飛んだ。夏といえば!どうしてもBBQがしたかったのだ。( ̄m ̄* )ムフッ♪ということで、もか実家にて、家族水入らずのBBQ。もかパパからの「じゃ、ラテさんは、もかの婚約者ととらえていいのかな?」てな提案により、もからて「婚約」となった。(///∇//)テレテレ多少、緊張感漂ったものの、大半は爆笑の楽しい婚約会見だった。なぜかモカパパとラテのボケ突っ込み大会が始まるし・・・でも、本当はモカ両親にとっても…o(;-_-;)oドキドキ♪もんだったみたい。とくに、モカパパチャとかさ・・・そんな婚約会見中にかかってきた一本の電話はめでたい報告だった。書類選考から始まり、東京からもかの実家に帰省する直前には、最終選考に残っていたラテ。なんと!採用決定。もか、らて、無事、婚約をした直後に受けた報告であったため、その場で、もか両親にも報告し、仕事開始の1月から東京で新生活を始めることにした。もし、婚約が先でなければ、一緒に住むことはなかったのかもしれない。特に、外国人の相手だからこそ、日本に住むために、宿を確保するために「婚約する」という結果を導き出すのは、なんだか嫌だったから。そんな考えは、ちょっとだらしない気さえする。もう少ししっかりしろよ!ってな気になるだろう。(といっても、切羽詰ったらそうも言ってられなかっただろうけど・・・)同様の考えからいくと「できちゃった婚」なんてもってのほかだ。それぞれいろんな事情もあるのだろうが、「意図しない妊娠」を報告するカップルを、残念ながらだらしなく感じてしまう。「自分の人生、もう少し計画的に進められないものだろうか?」と。そこを乗り越えていけるカップルももちろんいる。何年かたって、あの時は若かったなぁって、笑えるカップルもいるけど、今のところのモカラテは一つずつ段階を経た喜びを噛み締めていける生活を望んでいる。とにかく、もからて、結婚なんて急いでなかったけど、けじめとして、2006年のラテ来日までには、ラテの家族にも挨拶をすることになった。どうやら、人生には予期せぬタイミングとういものが存在するようだ。さて、今回のラテの採用活動には、実は思わぬ落とし穴があった。応募当初、「もし採用しても、うちはビザの手配はしませんので、自分で何とかしてください。 それができるようなら応募してください。」といいやがる。冗談じゃない。もか「違法労働をさせるつもり?ビザを出さないならこの仕事は断る。」でも、ラテに適している仕事だということはわかっていたし、ラテがこの仕事に興味を持っていることもわかってた。そして、きっと相手もラテを欲しいかもしれないという想像も付いていた。だから、もかラテ、ビザを出してもらうための駆け引きをいろいろ企てた。面接に行っては、ちょいちょいとあちらさんを突いて交渉してみた。そんなこんなのやりとりが続いた。そして最終的に、ビザの手配を受け入れてもらっての採用となった。採用報告の電話では「前例は無いが、今回はビザの手配も行います。」とのこと。もか、らて、勝った~♪(^ー゚)ノヤッタ♪(ー゚ ノ)クル(゚ ノ)クルヽ() クル( ゚ー)クル(゚-^v) ブイ♪やってみるもんだな。っていうか、法律を引っ張り出したら、そりゃあちらさんも何もいえないだろう。基本的に、間違ったことはしたくない、って、それ一点張りなだけなんだけどね。とにもかくにも、そうしてラテは再び日本滞在許可を手にした。しかも今回は滞在期限が限定されていないビザ。かっこいい。ひとまず1年間はこの仕事を全うすることにした。ラテの日本滞在を推奨する理由。もかは、今すぐに日本を離れるつもりがない。今の仕事でもっと結果を出していきたいし、なによりも、もっともっと結果を出していける自信があるから、今放棄したくない。それに、スーパーフリーターとしてのしあがってやる!と決意して一歩踏み出した社会人生活。もかの人生において、こんなにやりがいのあるチャンスを1年そこらで捨てるには、もったいない!そんなたぐいだ。なので、2年前、ラテに聞いてみた。もか:「学生を卒業してもしばらく日本で生活するから、チャンスがあったらラテ来てみない?」ラテ:「いいよ。チャンスを探してみるね」そうして、もからて、ラテの来日計画が少しずつ始動していた。しかし、そうはいうものの、ラテが日本にいてこそ意味のある仕事っていうのをやってほしかった。スイスにいたほうがいい仕事なら、日本でやる必要はないし、ラテの将来のためには日本では十分ではないというのなら、日本にくる必要もない。そして、最初に挑戦してみたチャンスが、愛知万博スイス館スタッフへの応募。さらに、今回得たものは、日本にいるからこそ意味があり、ラテのむちゃくちゃな経歴がすべて必要とされる仕事なのだ。ってことは、つまり、採用の基準も結構むちゃくちゃだったっていうことなのだが・・・。いや、これほんと。その採用基準を満たしているスイス人ってのも、人口割合を考えるといないことはないけれどちょっと稀かもしれないってな枠だった。とにかくラテが今まで積み上げてきた人生は無駄じゃなかったってあらためて思わせる職場だ。1月2日に成田に帰国して、1月3日から、さっそく二人とも出勤した。そして、、、偶然にも、もかの職場、らての職場は、歩いて15分程度。2年3ヶ月の遠距離恋愛の結末として、こんなおもしろい生活が、今、東京で始動しはじめたのだ。
2006年01月13日
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寒空の長い暗闇を抜けるとそこは...ウィーンだった。( ̄ ̄ ̄ ̄□ ̄ ̄ ̄ ̄)チッ・・・残念。本当は雪国を期待して、夜行列車の窓のカーテンを開いたのに。ジュネーブから15時間かけて、東方、ウィーンに到着したクリスマスイブの朝。一面の銀世界はなかったけど、それでも十分寒い。そして「こんなに寒いのをがまんしているに雪景色が見れない」ことに憤りを覚えた。南の島で育ったもかにとっては、未だに、真っ白な雪景色はやっぱり憧れなのだ。そして、先日のパリ4泊5日の旅をモカの吐き下しで潰したモカラテ。これから始まる4泊5日の旅に、リベンジを心に誓っていた。前日、電車に乗る前までモカのお腹は少しくだり気味だった。ちょっと気になっていたけど、ウィーンに着いた朝、もうお腹は元気になっていた。ゴロゴロもしてない。(´▽`)はぁぁ・・♪ステキ~♪よかったぁ、これでパリ旅行の雪辱を果たせるね~♪ラテ♪に報告・・・と・・・事実は小説より生成りとは、こういうことも言えるのだろうか。ベッドから顔を出したラテの顔が心なしか、曇ってる。もか「ラテ?気分悪いの?」らて「う、う~ん。いや・・・なんか喉が変な感じが…するようなしないような。」あら。ラテ・・・。そしてとにかく、電車はウィーン駅に到着した。ホテルに到着し、部屋の扉を開けると、もか、呆然。ん?部屋のなかに部屋がある・・・って、これがうわさのスイートルームってやつ?!w( ̄o ̄)w オオー!すいーとるーむ。初めての宿泊。部屋の中にドアが付いた部屋がある。キッチンがある。リビングルームがある。かっこいいいいいい。すげーーーーー。ところで、数年前に知った衝撃の事実だが、スイートルームって「SWEET ROOM」だと思っていたのはモカだけではないことを願いたい・・・(* v v)。 ハズカシそれはさておき、夜はクリスマスディナーで親戚宅へ集合することになっている。それまでにクリスマスギフトを買い求めて、ホテルでラッピング大会をしなければいけないらしい。センター街まで歩いていく。その道すがら、もかの視線はずっと高いほうに釘付けになっていた。ウィーンの町並みはバロックの建物が所狭しと並んでいる。重々しい外観には、丁寧に人物のデザインが施されている。この街の景色は古いまま時間が止まってしまったように感じる。ジュネーブでは感じることができないこの感覚。まさに「ついにヨーロッパに来た」という圧迫のある景色だ。そして、、、上を見続けていたもかの首は疲れた(;-_-) =3 フゥそんななか、途中の美術館でトイレに駆け込んだラテが顔を歪めて帰ってきた。ラテ「下痢だ・・・」あら・・・お腹のゴロゴロはどうやらラテにうつったらしい。まぁ、モカ用の下痢止めを持ってきたから、なんとかなるでしょう。そんな気持ちでラテを見守った。そして、ラテは・・・「でも大丈夫。v(・_・) ブイッ」と笑った。実は、ラテにはどうしても今潰れるわけにはいかない大きな理由があった。ウィーンの伝統料理シュニッツェル。ラテの大好物。ようするに、薄っぺらいトンカツなのだが。これがめちゃうまいらしい。実は、ラテ、これを目当てに、毎年ウィーンに来ている模様。「モカと一緒に食べたい」という2年越しの思いがラテを支えていたようだ。そして、無事クリスマスギフトを確保して、シュニッツェルとやらを食べに行った。なんとみなさん行列を作っている。ほほー。なるほど。これは食うておかねば。並び続けて並び続けて、ついに席に案内された。そして、ついに!シュニッツェルとやらが目の前に置かれた。w( ̄△ ̄;)wおおっ!なんと、皿からはみ出てる。皿はまるで見えない。皿の、2回りも3回りも大きなぺらぺらトンカツ。んで・・・おいしーー!(T▽T)!うますぎるよこのシュニッツェル~る~る~♪モカが喜び、ラテは満足。そして、この日からもかは毎日、毎日シュニッツェルを食べ続けた。かつてのラテ少年が、ウィーンで毎日食べて周りの人を呆れさせたように・・・。シュニッツェルを食したラテは、その顔に血の気が戻った。食事の後、ホテルで束の間の休息。夕方、親戚宅へ向かった。ウィーン郊外にたたずむログハウス。あったかい暖炉が絵本で見たクリスマスのイメージを彷彿させる。ここがラテ家族が毎年帰ってくるクリスマスの本拠地だ。到着したら、みんなもかのことを知っていた。いや、、、約一名、モカをみて手を合わせ、深々とお辞儀をするラテのいとこがいる。どうやらインド人と間違えているようだ・・・ラテも戸惑ったけど、とりあえず彼には彼がやりたいようにさせることにした。その結果、その日も翌日も、彼はモカに対して手を合わせ、深々とお辞儀をすることになった。いつか、もかがインド人ではないことに気が付いた日、彼は衝撃を受けるかもしれない。。。とにかく、みんなもかに逢えることを心待ちにしていてくれたらしい。クリスマスギフトまで用意されていた。ぐふふ♪ウィーンといえば・・・の、名物中の名物。世界に誇るホテルサッハーの「サッハトルテ」を丸々一個とホテルディナーのレシピ集をラテモカへといただいた。うほほほ♪と、、、大喜びしたいところだが。実は非常に気まずい。もか。クリスマスディナーが済み、みんなでキャンドルを灯す。クリスマスギフトを目の前にして、心躍りつつも、みんなでクリスマスソングを大合唱した。そんななか、もか、(p.-)(ρ.-)(p.-)(ρ.-)ねむねむ。寝ちゃダメ!そういいつつ、足をつねったりしてみたけど、ゆらゆらゆれるキャンドルとメロディが疲労に心地よく、ついに、みんなが歌っている最中に寝てしまった・・・そして、次にハタと目が覚めたときは、部屋に電気がついており、もかの足元にもかへのプレゼントを配り終えたところだった。もか、さいて~・・・歌も歌わずに、プレゼントが配られた瞬間に目覚めるなんて。かっこ悪い・・・ていうか、気まずい・・・ありがとうを言うチャンスも逃してしまった・・・そして、そのまま半分寝たままラテに引っ張られて帰宅についた。きっとみんなももかがプレゼントに大喜びをすることを期待したかもしれないのに。(してないかもしれないけど)そして、帰宅したホテルで翌朝待っていたのは、扁桃腺がパンパンに腫れたラテだった。どうやらシュニッツェルを食したことでラテのウィーン滞在の目的は果たされたようであった。ここからラテの体調急降下。熱がでるラテ。とにかく、クリスマス当日なので、また昨夜のログハウスへ行く。しかし、もうラテはぐったりしている。なんとか、ランチは済ませたものの。久しぶりの従兄弟や姪っ子たちとの再会なのに、ラテは動きたくない。そして、熱はどんどん上がる。扁桃腺はどんどん腫れる。喉の両脇から腫れてきたので、ラテは呼吸をするも辛くなっていた。夕方ホテルに帰宅したら、ついにお医者さんを呼んだ。ラテ、ウィーン二日目にてダウン。先日のパリ旅行に引き続き、ウィーンにて、ラテは最終日までホテルのベッドでおやすみすることになった。。。モカラテ、またしても旅行を潰してしまった・・・。ラテ・・・・・( ̄。 ̄ )ボソ...「でも、シュニッツェルまではなんとかセーフだったからとにかくよかった・・・」・・・ラテ。もかは、そんなあんたが、大好きだ。
2005年12月30日
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19日深夜、ジュネーブ到着。のモカとラテ。はぁぁぁぁ。15日のお昼にパリ入りし、遠距離終了の記念旅行、4泊5日のパリ旅行だったのに、3日目のお昼に食べたラザニアにあたって、吐き下し、パリの大半をトイレとベッドで過ごした。本日、ジュネーブに来て5日目。胃の調子は戻ったけれど、腸は相変わらず不調。昨日まではエライ下痢だったけど、今日はどうかな。ヨーロッパの薬はモカにはあわないらしい。一昨日は、そろそろ元気になったかと思い、友人宅への夕食のご招待にラテといってきたが、、、食後に撃沈。友人のベッドで朝を迎えました。もか、さいてーーー。精魂込めて夕食を作ってくれた友よ、料理は本当においしかった。撃沈したのは料理のせいではないことを、声を大にして伝えたい!・・・もう遅いかも。ぐぅぅぅ。ちなみに、今回の「遠距離終了記念 パリ4泊5日の旅」はラテのプレゼント。なのに、、、またもや、もか、さいてーーー。まぁ、しかし。お腹がゲロゲロしてても、昨夜は、ラテ家家族でクリスマスディナーラテん家のシェフはすご腕。毎晩のように気合の入った食事を作ってくれる。外で食べに行くよりも、お家にいたほうが確実においしいものにありつけるこの幸せ。てなことで、クリスマスディナーに登場した鳥の丸焼きもいい感じ。すご腕シェフが、料理に熱を入れている最中、他の家族は家のあちこちで隠れてごそごそやっている。モカは、ロフトに上がりこんで、、、ラテは自分の机で、、、ラテ母は、自分の部屋で、、、ぐふ。そう、クリスマスプレゼントのラッピング大会だ。そして、ラッピングができたものから順番に、ツリーの下に並べた。あらまぁ、たくさんのクリスマスプレゼントが並んだけれど、なにやら、リボンやらラッピングペーパーやらがみんなおそろいだ。そりゃそうだ、家の中にあるリボンやラッピングペーパーを使ってますからみなさん。でも、なんだかわくわくするね。どれが誰のかなぁ。どれがなにかなぁ。じーっとみつめたら卑しそうだから、時々、チラリとツリーの下のプレゼントたちに目をやるモカ。むふふん。たのし。用意が整ったら、さぁ、ワインを注いで、クリスマスディナーが始まる。もか、初めてフォアグラを食す。続いて、ほろほろ鳥の丸焼きが登場。それに、焼きりんご。デザートは、カシスのアイスクリームケーキだ。甘酸っぱい。でも、ブラックジェリービーンズの味がする・・・そして・・・本日、二つ目のパーティへ。今度は、お食事の場所を移動する。ディナーを食したデーブル席から、クリスマスツリーのある、ソファールームへ。部屋の電気を消して、クリスマスツリーにキャンドルをともす。みな、ソファーにゆったりと腰掛ける。そして、、、まるまる太ったシャンパン登場!あは。四月を思い出すなぁ。あの時は、モカラテのバースデーディナー。今回のクリスマスディナーよりも鮮烈な思い出がある。あのバースデーディナーの後も、こうして、ソファーに腰掛けてシャンパンが登場した。あのときは、もかの論文合格の祝い。そして、今回はラテの論文合格の祝い。ちょうど昨日、ラテの論文冊子が仕上がったばかりだ。10日前に論文の口頭審査を受けたラテは、満点で審査を通過したらしい。いやぁ、めでたい、めでたい。これで、今年は、モカ、ラテ、二人そろって、晴れて、学位ゲット。いやぁ、ここまでの道のり。正直言って長かったよ。二人とも、自分のふがいなさにいっぱいいっぱいイライラしたし、難しい論文、大量の論文を読み続けることにも嫌気がさしてたし、学位はもう捨てようかと何度も思ったし、時間に追われて、締め切りに追われて、何度も昼よる逆転生活だったし、泣き崩れたし。「もう、しばらくは研究や論文から離れようね。もう論文には触りたくない! 」ってなとこで、モカ、ラテ意見が合致♪長い学生生活も一時休戦です。・・・一時休戦?そうね、、、一時休戦かも。なんだかんだ言って、いつか二人とも戻ってくるのかなぁこの世界。今は考えたくないけどさ。今は別のことがしたけどさ。そして、ラテが論文合格を高らかに報告してシャンパンが開け放たれた。グラスに注いで、乾杯。感無量じゃ。そして~シャンパンに酔いしれながら、クリスマスツリーの下のプレゼント達が次々と配られる。わお~もか、いっぱいもらっちゃったよ~。予想外にいっぱいいっぱいもらっちゃったよ~。yupanquiのCD(スペイン語)×2枚映画のDVD(フランス語)×3枚オペラDVD(ドイツ語)×1枚服アクセサリー・・・・。えーっと。外国語が多すぎますけど、もし。どないせぇっちゅーの。今日はこのクリスマスディナーの前にもすでにいっぱいもらってる。でも、なんだかんだいって、やっぱりプレゼントってうれしいね。でも、やっぱり一番うれしいクリスマスプレゼントはラテの論文合格の知らせなのかもしれないな。がんばったラテを心から尊敬します。こうして、夜は更けていった・・・そして23日今夜、モカ、ラテ、ラテ母の三人はウィーンへ向かいます。ラテご両親の本家のあるウィーンにはクリスマス休暇に親戚一同が集結する。ラテパパは、、、あほなことに、二日前に道路の穴に足を突っ込んで足の靭帯損傷。ウィーン行きをキャンセルすることに決めた。さて、困った。モカの今回のスイス訪問は、ラテ家への婚約の挨拶が目的だ。まずはじめにラテ親に挨拶を。。。と思っていたが、いまだにチャンスを確保していない。なんかねー、実際に「挨拶を」となると、モカもラテもどうきりだしていいのかタイミングがつかめない。もかの実家での挨拶は、うまくいったけど、今は、ラテ自身もなんとなく照れくさいらしく、切り出せないのだ。さ、どうなる、モカラテ。無事、挨拶を済ませることができるのだろうか。そして、ラテ家にとってのハッピークリスマスプレゼントになってくれるといいんだけど。なによりも、みなみなさま、先日は、裏から表から、たくさんのたくさんの本当に暖かいお祝いのメッセージをありがとうございます。もかもラテもメッセージを一つひとつを何度も読み返して、喜びにあふれております。今後とも、かわいがってくださいますようよろしくお願いします。いつも応援してくださる楽天の友へメリークリスマス2005 ジュネーブから愛を込めて もか らて
2005年12月23日
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2003年9月:国際線が飛び交う空港(2年3カ月前)モカをぎゅーーっと掴んだラテの頬を伝わる涙がもかの肩に降ってきた。ラテのバーカ。泣いてやがる。泣くなよ、バーカ。ラテの背中をポンポンしたけど、モカももうどうしようもなくなった。海の中に顔を突っ込んだように、目の前は見えなくなってしまった。出発ゲートの前で、ずーーーとずーーーっと、二人で涙が枯れないことを不思議に思った。嫌だよ。行きたくないよ。ずーーっとずーーっと思い続けた。そして、出発ゲートに消えていった。最後まで最後まで、腕がしびれるほど手を振り続けた。ラテもモカも、もう声にならなかった。滑走路を走る飛行機。そして・・・離陸。時間が経てばたつほど、空高く上っていくほど、距離が離れていくことが悔しくて悔しくてたまらなかった。2004年1月:成田空港(1年11ヶ月前)離れて初めて会えたのが丁度4ヵ月後。成田空港で、4ヶ月ぶりのラテを見つけて、走って飛びついた。ラテも荷物をほったらかしにして、モカを抱え挙げた。4ヶ月間、WEBカメラを通して触ってみたラテの顔は、いつもスクリーンの薄っぺらい感触。凹凸のアルお互いの顔を触って、二人で大笑いした。ラテ、一ヶ月間の日本滞在。2004年2月:成田空港(1年10ヶ月前)4ヶ月逢えないのって、つらいね。もう4ヶ月も逢えないことはやめようね。4ヶ月以上逢えないなんてこと、そんな酷なことは絶対にやめようね。そう約束して離れた二度目の空港。今度は、二人とも笑った。二人とも思いっきり笑って手を振り続けた出発ゲートだったけど、二人とも声は出さなかった。お互い、涙が頬を伝っていたこと、わかっていたから。2004年3月:もかスイス行きキャンセル(1年9ヶ月前)2004年5月:もかスイス行きキャンセル(1年8ヶ月前)2004年6月:もかスイス行きキャンセル(1年7ヶ月前)2004年7月:もかスイス行きキャンセル(1年6ヶ月前)2004年8月:もかスイス行きキャンセル(1年5ヶ月前)2004年9月:もかスイス行きキャンセル(1年4ヶ月前)2004年10月:もかスイス行きキャンセル(1年3ヶ月前)7回連続スイス行きをキャンセルした。もかのわがままだったのかもしれないけど、でも、目の前に積み上げられた自分自身の試練を投げ捨ててスイスへ行こうとはどうしても思えなかった。どうしても、乗り越える目処が付いてから、スイスへ行きたかった。でも、目処なんてそんな簡単に付くものじゃなかった。学生だったもかにとっては、行き詰れば行き詰るほど、研究をし続けることのほうが大事だと感じていた。これが本来のもかの目的だからだ。やるべきこともやらずしてスイスへ行くことは、行き詰まった自分自身から逃げることと思えた。モカのスイス行きを楽しみにしてくれていたラテの家族。ラテの親友。みんなの期待を何度も踏みにじってしまった。モカのスイス訪問を楽しみにして、おおはしゃぎで、みんなに何度も報告を重ねたラテ。キャンセルを重ねるごとに、ラテの心の傷は深くなる。キャンセルするモカは、自分のふがいなさに何度も涙をこらえた。もかが泣いちゃ筋違いだ。そう言い聞かせながら、何度も歯を食いしばった。何度も何度も悩み続けた。モカは自分の責務を果たさずしてまで、ラテのところに行くべきなのだろうか?いや、それはできない。でも、このままラテを傷つけたままでいいのか?・・・わからない。わからないよ。そして最後にもかを救ってくれたのは、これだけのドタキャンをラテがすべて受け入れてくれたことだった。2004年12月:ラテの申し出(1年前)「4ヶ月離れているのはもう辞めよう」と約束してから9ヶ月が過ぎた。「ねえ、クリスマスには東京へ行ってもいいかな?」ラテが提案した。嬉しかった。とっても、嬉しかった。嬉しかったけど、とても悔しかったけど、ごめん。ラテ。今は来ないでほしい。逢いたい気持ちは本当に大きいけど、でも、ごめんなさい。もう少しだけ、一人でがんばりたいから。だから、もう少しだけ、お願い。もう少しだけ、一人でがんばらせてほしい。ラテの気持ちを考えると、もかも消えてしまいたいような気分だった。そして、、、「ここまでもかが一人でがんばってきたんだから、 あとは、モカが納得がいくようにしたらいいよ」と、ラテは唇を噛んで引き下がった。2005年3月:ジュネーブ空港(9ヶ月前)「4ヶ月離れているのはもう辞めよう」と約束してから13ヵ月後。もかはスイスへ飛んだ。ジュネーブ空港に降り立ったもかは、到着ロビーのガラス戸に張り付いて待機しているラテと本当に、本当に、再開を果たした。13ヶ月ぶりの再会に、お互い戸惑った。照れくささもあって、なかなか近づけない。握手もできない。13ヶ月もの時を経て再会できたことの感動があまりにも大きすぎて、お互いの顔を見ることさえできなかった。なんだか、恥ずかしかったから。もか、一ヶ月間のスイス滞在2005年6月:愛知万博(6ヶ月前)愛知万博のスタッフとしてラテが来日した。3ヶ月間の期間限定、名古屋-東京の近距離生活。ラテが名古屋に来て3週間後。3ヶ月ぶりの再会。初めて4ヶ月以内に会えた。ほぼ2週間おきに、名古屋-東京 行ったり来たり。ラテ4回東京へもか3回名古屋へ今年は、いっぱい会いすぎかな。去年一年間逢えなかったことが嘘のようだ。2005年10月:成田空港(2ヵ月半前)愛知万博終了。ラテ、スイスへ帰国。今回初めて、笑って出発ゲートにラテを見送った。ラテも笑った。「いってきまーす」そういってラテは笑顔でスイスへ旅立った。丁度2年前、出発ゲートの前で声が枯れるまで、二人で泣き通した日を思い出した。あれから2年。あれから2年が経ったのか。今、この2年3ヶ月間もの遠距離生活を一日一日遡って思い出しているモカがいる。だから、溢れくる思い出をブログに書き留めておこうと思って、楽天を開いた。2005年12月15日(木):もかあと数時間の後、たくさんのチョコレートをかばんにつめて、成田空港へ向かう。日本時間の今夜、パリでラテと2ヵ月半ぶりの再会の予定。モカラテ、パリにて、2年3ヶ月の遠距離恋愛に終止符を打ちます。遠距離恋愛ですごす夜は、今日で最後。これからは、ずっと近くにいる。ずーーっとずーーーっと近くにいる。もか、らて、2005年。婚約しました。
2005年12月14日
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「上原ひろみトリオ」に悩殺されて早一週間が過ぎた。なのに・・・あのライブの興奮が今も引き続いている。重症だよ、もかこ。といっても、日々興奮を引きずってばかりはいられないんだね。先日、妹のモカバニラちゃんから電話があった。めずらし。こんなお昼にお電話とは。もか「はぁい。どしたの?」モカバニ「あのさ~。心配しなくてもいいけど。一応、報告なんだけど。 さっき、ばーちゃんが動かなくなっちゃって、ヘリコプターで搬送された。」(; ̄Д ̄)なんじゃと?ばーちゃん とは、 こちらもまた90歳を超えた大御所で、先月召されたもかGとセットのもかばぁだ。もかGの件で帰宅したときは、まだ自分でトイレに行ってたし、ご飯も食べてたし、口も耳も達者だし、、、でも、もかGがいなくなってからは、暇になっていたもかばぁ。歌が大好きなもかばぁだったけど、唄を歌い始めると、だんだんとお葬式の唄なんか歌いだすようになっていたらしい。とまぁ、そんなことよりも、病気、怪我とは無縁の無敵もかばぁがヘリコプター? 病院? 入院?モカバニラちゃんよ・・・悪いけど、もかにはさっぱり想像が付かんよ。モカバニ「そうそう。私も意味がわからん。ぜんぜーーん想像がつかないんだよね。 でも、さっきお昼ごはん食べてたら急にぶっ倒れて動かなくなっちゃった。」さて、フジテレビのドラマ「ドクターコトー診療所」を見た方はご存知だろうが、モカの地元はあれそのもの。病院は無いのだ。ということで、地元では手の施しようがなくなったもかばぁは、父上が同乗して、ヘリコプターで病院のある都会へ搬送された。そして、母上は、飛行機で先に移送先へ移動して待機した。あんなに動いていたもかばぁが、たった一瞬の出来事で半身不随になり、言語障害が出てしまったのだ。検査の結果、脳梗塞。現在、意識はあるが脳内出血を起こしているらしい。ついに、もかばぁがお年寄りになってしまった。もかGももかばぁも、そして父上も母上もいなくなってしまった我が家でお留守番中のモカバニラちゃんに、再び電話をしてみた。もかGも、もかばぁも一緒に住んでいた実家では、こんなに家の中がガラーンとすることは今まで無かったはず。しかも、もかんち、、、広い。もか「どう?お家、広いんじゃない?」モカバニ「広いし、静かだね~ と思ったので、久しぶりにピアノを弾いてみたよ。」w( ̄o ̄)w オオー!もか「いやぁ、しかし、もかばぁが入院ってやっぱり想像が付かないよ。」モカバニ「ほんと、そうなんだよね~」話は終始、「もかばぁが入院?ありえない!」系の話。もかGが亡くなってから、少し元気がなくなっていたもかばぁ。もかばぁ:「なんで、もかGは私を一緒に連れて行ってくれなかったのかね~」父上:「じゃ、タクシー呼ぶ?」もかばぁ:「いやぁ、タクシーでは行けないよ~」なんの会話じゃこりゃ。。。もかばぁ、もってあと1ヶ月らしい。てな、ところへ、ご近所のフランス人クリ坊からメールがきた。ほいほい。なんですかいな?『もかぁ。今、トニーグレイからメールもらったよ。トニーが、ライブのとき、モカがノリノリになってくれたのをみてすっごく嬉しかった。ライブを楽しめてくれてたらいいな。って言ってたよ』ぎょえ~~~~!!マジ?!ヘ(X_X ;)/ ヘロヘロー。。。(lll __ __)バタッと・・とにぃ~~~♪トニーグレイ。はいはい。そうそう。上原ひろみトリオのベーシストさんだ。ここで一気にもかの興奮度が上がる。オフィスにいるクリ坊に電話。もか:『クリ坊~!! メール見たよ~!! もう、もかどうしようどうしよ~!! また鼻血でそう~!』クリ坊:『(o ̄∇ ̄o)ヘヘッ♪ おいおいおい。落ち着けってば。 今、メールもらったから、もかに送ったよ。 だーかーらー、落ち着けってば! (* T-)ヾ( ̄▽ ̄;) ヨシヨシ じゃ、明日かあさって、また電話するからゆっくり話そう。』はぁーもぉー。もぉーもぉーもぉー最高だよ~さて、なんでクリ坊がトニーからのお返事をくれたのか。それは、クリ坊が上原ひろみのCDのレビューをブログで書いたら、それを偶然見た彼がメールをくれたのだ。これは、ライブへ行く1ヵ月半ほど前のこと。そして、ライブが終わってからクリ坊はまたメールをしてみたら、返答してくれのだ。ライブのときは、うちらが最前列に座っていたことはトニーグレイは知らなかった。あーーーもーーー。偶然が偶然を呼び、もかの興奮は増すばかり!これは運命かも!と言ったら、ラテがブー (((( ------- ε ------- )))) ブーと膨れた。あら、、、ラテのヤキモチはじめてみた。プププッ (*^m^)o==3あ、そういえば、もかばぁのこと、忘れそうになってた。。。
2005年12月11日
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只今頭ん中ヽ(@◇@)ノ グルグル状態のモカ。ピアノの鍵盤をたたきつける激しい連打がガンガン響きまくっている。実際のところ、あまりにも興奮しすぎて気が狂いそうなのだ。脳みそ崩壊中。ピアノであんな音が出せるものなのか?鋭い音の中にやわらかさがモカの耳を包み込んでいる。この興奮状態のおかげで、今夜から当分寝れないかも( ̄m ̄* )ムフッ♪でも、このままでいい。醒めないでほしい。ホシィッ☆O(> <)o☆o(> <)O☆ホシィッ溺れたままでいい!ついさっきまで、品川プリンスホテルのステラボールで「上原ひろみとその仲間達」〈勝手に命名してもた。(・o・)ゞ失敬!〉のJAZZライブを堪能していた。上原ひろみ :日本人の女の子。JAZZピアニスト。 背もちっこい。だから、もって生まれたフィジカルインパクトの乏しさをカバーするために、あえて振り乱しヘアを自分で作って強烈な頭を作る。でも、こんな見てくれなんてほんとに飾り物でしかなくて、そんなことよりももっともっともっと・・・何者なんだ?ヒロミは。アメリカの、良くも悪くも選りすぐりの音楽バカが集結するバークリー音楽院を主席で卒業しちゃって、JAZZのNYブルーノートでも連日満員御礼の記録。引き連れているイギリス人ベーシストとスロバキアドラマーがまたかわいいのよ~!てか、こやつらもバークリー。あるいみ完全に逝っちゃってるトリオ。とにかく、何が何でも「ピアノを弾くのってなんて楽しいんだ!」と、客席を惑わしてしまうあのなんと表現できるものか考え付かないほどの笑みの耐えないステージ。た、た、たまんな~い。( ̄¬ ̄*)じゅるぅううううさてさて、真っ赤な椅子がずらりと並ぶステラボール。観客3000人で埋め尽くされたこの会場は、チケットも発売と同時にさっさと完売だったのだ。実は、もかのこの興奮醒めぬ状況はただ事じゃないのだ。モカ、この3000人が埋め尽くす最高のライブを、ステージ目の前、中央最前列で堪能してしまったのだ!はぁ~、たまらんよ~。キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッーだって、目の前に誰の頭も無いんだよ~。視界はすべてステージのアーティストにのみ捧げられるんだよ~キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッーチケットは2ヶ月前に購入。発売開始とともに連打で予約して手に入れたチケット。このチケットで配置されている席が、中央の最前列。しかも、舞台に向かって中央から少々右寄り。これって、会場内で一番最高なポジション!・・・だと思う(>▽<;; なんせ、第一目的のJAZZピアニストウエハラヒロミは、舞台左側にピアノをでーんと構えている。ということは、もかの舞台右寄りの座席は、ヒロミピアノと平行な位置関係にあり、ウエハラヒロミの笑顔と全貌が丸見え。同じ最前列でもピアノと同じ位置の左寄りの人だとヒロミの背中しか見えないのだ。おまけにベースとドラムも全身丸見え&全貌ばればれ状態。もかの真ん前には、デーンとドラムスなのだ。ステージとは1Mくらいしか離れてない。演奏も、そのまま目の前のステージから生音が聞こえてくるのだ。もかはいつものように、ご近所のフランス人クリ坊とステラボールに出向いていた。クリ坊と二人で最前列( ̄m ̄* )ムフッ♪はぁぁぁ、もう、メンバーがステージに上がる前から、かなり興奮状態のモカ。クリ坊:「もか、落ち着けってば~。」何度も隣のクリ坊になだめられる。そしてステラボールがライトダウンして、メンバーステージに現る!うっひょ~!そして、演奏が、、、ついに始まった。と、思ったら、あ、あかん。。。第1曲目から、よだれ出てきた。( ̄¬ ̄*)じゅるぅうううう2曲目、3曲目、もう限界~~!ということで、ステラボール最前列に腰掛けながら、目の前から直に溢れでてくるリズムに、もかも上半身を揺さぶって、リズムをとらずにはいられない♪両足もビートを刻まずにはいられない♪♪でも、ふとあたりを見回すと、みんな、とても静かに、身動き一つなく真剣にステージの上を凝視している。え?・・・JAZZライブってノリノリは禁止?ふと、戸惑ってしまうが、隣のJAZZ男クリ坊もモカと同様にノリノリになっていたので、問題ないはず。では、あとはモカの好きにさせていただきます!はい。しかし、なにゆえ、みながそんなにおとなしく聞いていられるのか不思議で不思議で仕方が無かった。おそらく、彼女のピアノの弾き方に見入っているのかもしれない。彼女もプレイにおいてはまたかなりのパフォーマーなのだ。とはいっても、モカはあのパフォーマンスを見たら、笑いが止まらなくなるのだ。もう楽しくて楽しくてしょうがないのだ。笑顔、はち切れんばかりとは本当ににこういうことを言うのだろう。笑っても笑っても全然自分の笑顔完成度に満足できない。おかしい・・・。なにか、もか自身の、人間としての機能がどこか壊れているような気がしてくる。だから、リズムに耳を傾けたとしても、パフォーマンスに目を向けたとしても、どちらにしても、おとなしく笑いもせず動きもせず聞き入るというのはモカには大変難しいことなのだ。みなおとなしくて、ある意味えらい。さて、だんだんノリノリになってくると、気分的に、もかまでミュージシャンになったような状態になる。そして、ステージ上のベーシストさんがモカを見て笑っているような気さえするのだ。目が合っているような気さえするのだ。もかがd(*⌒▽⌒*)b ニコニコッとするとベーシストさんもd(*⌒▽⌒*)b ニコニコッ。もかが、。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイルをするとベーシストさんも。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイルモカが上半身を揺らしてリズムを取ると、ベーシストさんも同じ動きをし始める。誰が誰をまねっこしているかわかんない状態。おいおいおい。もかよ、完全に、頭が逝ってるな。ステージ上と目が合うのは、まぁステージとの距離も近いからあるとしても、んな、じーーーっと目が合いっぱなしなんて。そう見えるかも知れんけど、、、んなアホな。。。自分でツッコミ。ひとまず冷静に戻るモカ。ま、でも、いいのだ。「ベーシストと目があっちゃった。」ってモカだけの心に留めておけばいいのだ。自己満足。自己満足。ところが休憩時間にクリ坊が言う「あのベーシストどうやらもかのこと気に入ってるようだね」「え?なんで?」「だって、ほら、さっきからずっともかのこと見てるし、それにもかとあのベーシスト、さっきからずっと目が合ってたでしょ?」って。あら、クリ坊も気が付いてたのか。ならもかの思い過ごしじゃないのか。o(*^▽^*)oあはっ♪もしや、モカ・・・動きすぎ?(///∇//)テレテレとにかく、ミュージシャンと一緒にノレるなんて、ほんっと最高なライブだ。19時に始まったライブは、いつのまにか21時を過ぎていた。アンコールにもかっこよくこたえてくれた。ウエハラヒロミのライブに行ったと言っておきながら、妙な話なのですが、アンコール演奏中にしてくれたドラマーのソロ、ドラムさばき。あれは、なんつーのか?なんつーってか、あのー、そのー、右腕、左腕、右足、左足、この4本が、ずーーーとずーーーーっとバラバラに違う速さ、違う方向で、動きっぱなし&ビート刻みっぱなし。しかも、ものすごくすばやい動きを長い時間をかけて見せ付けてくれた。( ´△`)アァ-かっこよすぎる。そして、こんなブログを書いてしまったから、興奮度は増すばかり。そして、、、今夜はやっぱり寝れない。
2005年12月02日
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前回のマラソン日記のちょうど一週間前の朝、祖父が亡くなったという知らせを受けた。文字通り「飛んで」(飛行機ですが・・・)地元にむかった。もかの地元は、遠い。正規料金で東京から帰省すると、往復13万円ほどする。もかのじーちゃん(略してもかG)は、20年前からそろそろ死ぬと宣言し続けて,すでに、90歳を越えてしまっていたので、死亡予定日の予測もつけられず、高い航空チケットを手に入れるしかなかった。。。早死に願望が強かったもかGだが、残念ながら(ん?)長生きしてしまったのだ。読書と英語の勉強が大好きだったもかGは、「歩くより勉強した方がいい!」派だったので、ベッドと机から離れない生活を続けて、結果的に早く足腰が弱くなってしまった。でも、知恵も知識も豊富になったもかGは、亡くなる直前まで、知的なギャグを連発して、みんなを楽しませてくれた。誰がどうみても、明らかにもかをひいきにかわいがっていたもかG。もかGの机には、もかの写真だけが貼られている。大学合格祝いにと、もかに30万円くれたもかG。他の兄弟には3万しかくれずブーイングもしばしば・・・( ̄m ̄* )ムフッ♪水泳、柔道、空手の選手として抜擢されていたもかG。Gちゃんのくせに、息子らよりも孫らよりも一番背が高かった。沖縄人らしくサンシンもバンバン弾きこなし、4つの言語を自在に操り、口も達者なもかGは、はっきり言ってプレイボーイだった・・・。喜劇の脚本を書き、作詞家でもあった。もかが卒業した中学校。広く綺麗に整備された庭園には、「作詞 もかG」と彫られた校歌の石碑がある。そして、ここの中学校でも教鞭を振るった鬼教師でもあった。。。らしい。さて、お葬式とはいっても、そう簡単にはいかないんだ。なぜなら、地元には火葬場が無い。地元では土葬が基本なのだ。しかし、火葬をしたい。ならばどうする?もかGを貨物にして飛行機に乗せる。ほいで、隣の島へ移動して火葬場へ行くのだ。親戚一同、まず飛行機で隣の島集合。もかも、東京から隣の島へ向かった。東京からの始発便に乗ったもかは、まず第一号で空港に到着した。次第に国内のあちらこちらから到着する親戚を迎えた。そして、貨物になったもかGともかの家族も地元から飛行機で到着した。火葬まで時間があるので、一度、葬儀屋さんに向かった。そして、もかGと対面した。顔をあちこち指してみたら、やわらかかった。四月に亡くなったもかの母方ばーちゃんと顔がよく似ている。もかGの顔を見た瞬間、なんだか微笑ましくて笑っちゃった。父に『もかの大好きなもかG、 そして、誰よりももかをかわいがってくれたもかGを、 ずっとずっとずっと看てくれて本当にありがとう』 と、 改めて、感謝の気持ちを伝えた。そして、もかGの棺を生花でたくさん埋め尽くした。ミントの香りがするもかG♪今年は、大好きなばーちゃんとGちゃんが亡くなった。今年亡くなってくれてよかったと思う。もかは、すでに実家から遠く離れた東京で生活をしている。もかがフリーターを続けているのは、実は、まだ健在だった3人の祖父母になにかあったときにすぐに駆けつけられるためにということもあった。でも、ラテと遠距離をしていると、海外へ出てしまうこともしばしば。そして、海外へ移住してしまうことにも踏ん切りがつかない。東京からなら、なんとか地元にたどり着けるが、これが欧州なら、絶対に間に合わない。ちなみに、4月にモカの母方ばーちゃんが亡くなった時は、間一髪だった。暇な方は『スイスから沖縄へ:帰国もまたドラマ』 を参照くだせ。とにかく、モカが国内にとどまっている今年で本当によかった。もちろん亡くなったばーちゃん、Gちゃんのお骨を抱いたときは、たくさんの思い出がよみがえってたくさん泣いたけど、でも、大好きなばーちゃんとGちゃんをちゃんと見送ることができて、今年は大満足だ。さて、もかGとの対面を果たして数時間後、火葬場へ向かった。火葬場の釜の音ってあまり好きじゃない。ごぉーーーっという怒涛音に圧迫感を覚える。そして、燃えているGちゃんを一人残して、葬儀屋さんへ戻った。この日は、もう地元に帰れないので葬儀屋さんで雑魚寝する。夜中目覚めると父が寝れずにいた。もかのフリーページを見た方はご存知だろう。父の精一杯の親孝行が、終わってしまったのだ。父は、やるだけやってきたから満足だと言ったけど、やっぱり目を閉じると涙がでてきて眠れないんだと言った。もかも起きて父と語った。いろんな話、もかGの話、ラテの話、将来の話、たわいもないことを語った。そして、父と語りながら、夜が明けた。それから、家族も起きだし、準備を整えて、朝8時には火葬場へ向かった。もかGは真っ白で綺麗な骨になっていた。家族みんなで、もかGを骨壷に詰め、火葬場から空港へ向かった。そして、、、こんなときですが、空港で青木さやかを見かけてしまった。ま、それはおいといて、、、。骨になったもかGと一緒に親戚一同、地元へ飛んだ。告別式には、たくさんのたくさんの人、300人近くの方々が集まった。もかG。たくさんの人が見送ってくれた。もかGの人生、最高に締めくくれたと思う。
2005年11月27日
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実は一週間前から沖縄にいる。っていうか、実家。( ̄m ̄* )ムフッ♪なんで、いきなり実家にいるのか。。。それは、次の日記で書くかも・・・アハハ、、、☆:・.*・.ヽ(T-T )ノ ヽ( T-T)ノ .・*.・:☆、、、アハハさておき。連日、気温は30度近いもかの地元。11月もそろそろ中旬にさしかかるというのに、夜はクーラーつけて寝ている。本日は朝から「島一週マラソン」なるものが開催されている。一週ったって、24kmだ。でも、アップダウンの激しいこのマラソンコースは、フルマラソンよりもきつい。第13回をむかえるこの大会は、フジテレビの人気ドラマ「ドクターコトー診療所」の撮影のおかげで、さらに人気になった。しかし、よりにもよって、本日は30度。天気が崩れることを望んだが、ダメだった。あづいってば・・・。~~(*/>_
2005年11月13日
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最近のもかのツボは近所のフランス人・クリ坊だ。( ̄m ̄* )ムフッ♪クリ坊と話していると、反応がいちいちおもしろい。話せば話すほど、クリ坊のイメージがガラガラと崩れ去るのだ。それがおもしろくておもしろくて。笑いが止まらんヾ(>▽<)oきゃはははっ!だから、よく一緒に出かけている。最近のモカとクリ坊は、もっぱら週末に六本木・西麻布界隈を散策してフィーリングディナーをしている。前回は西洋チックなタイ料理屋さんを選抜したが、今回は、スペイン料理屋さんを( ̄ー『+』)発見。地下への階段を駆け下りるとそこは怪しげな、、、いかにも怪しげな雰囲気。でも、そのスペイン屋さんに乗り込むモカとクリ坊。ちいさな空間だったけど、隠れ家的存在で結構落ち着く。壁一面にスペイン写真。ここは、もともとは、ママさんが一人で楽しくお客様とコミュニケーションをとるような、そんなスナックだったのかもしれないな。ってな、雰囲気をかもし出していた。さて、モカとクリ坊。スペイン酒のサングリア~ で、(*  ̄▽)o□☆□o(▽ ̄ *) カンパァーイッ♪。いつものようにくつろぎつつ笑いに馳せ参じておりました。ていうか、クリ坊かわいすぎる!めちゃツボ。プププッ(* ̄m ̄)ノ彡☆ばんばん!!てかさ、クリ坊、、、ソファーに腰掛けた瞬間。「俺、実は昨日もスペイン料理」って、、、ぼそっと呟くんじゃないよ~♪(o_ _)ノ彡☆ギャノヽノヽノヽノヽ!! ノヾンノヾン!そして~ガスパッチョ~トルティ~ヤ~カルパッチョ~生ハム~チーズ~うはうは。典型的に「スペイン料理屋に行きました!」って感じのこのメニュ~。でもでも、おいしかったのYO.昨日に引き続きスペイン三昧のクリ坊も、絶賛YO.そして、夜は更け、だんだんノリノリになってきたモカとクリ坊の向かい側のテーブルに、5人組の若いオトコノコグループ、登場。5人組君たち席を通されて、そこへスペイン人マスター登場。そして、おしゃべりに花咲かせているモカとクリ坊の耳に彼らの会話が飛び込んできた。マスター:では、どうしましょうか?オトコグループ1:あ、俺パスタ食べたい。パスタ!オトコグループ2:お、いいじゃん。パスタ。モカ&クリ坊、一瞬固まる。モカ&クリ坊: ん? ぱすたぁ~?(それはイタリア料理だってば。)マスターが苦笑いをしている。そして、マスター:もし、私に任せてくれるのなら、順番にいろいろ出しますよ。オトコノコグループ:あ、それっていいんじゃない?オトコノコグループ:いいね~いいね~笑顔笑顔。そして、マスターが彼らのテーブルを去ろうとしたそのとき、数人が、満面の笑顔で口々に叫んだ。ペルファボーレ~♪(だからそれはイタリア語だってば。)もか&クリ坊、隣でみていたこっちが急に恥ずかしくなった。ひえ~スペイン人マスター大丈夫かいな~そしてマスタ-苦笑い。アメリカのコメディドラマをご存知だろうか?偽の笑い声が入っているギャグ番組があるだろう。モカ&クリ坊 あの撮影現場を生で観戦している気分になった。ある意味、楽しませていただきました。^^スペインとイタリアとごちゃごちゃになっている方、、、まぁ、日本からすればどちらも遠い国だしなぁ。このネタがあまりにも衝撃的だったもんだから、翌日、アメリカで大学院を卒業後、しばらく放浪している友達バンピに、MSNで話しかけてみた。MSN:もか「なーなー、おもしろい話があるのよ~。 昨日さ、クリ坊とスペイン料理にいったのよ~。そしたらさ~・・・」バンビ「おお、スペイン料理か~。いいなぁ~。 ティラミス食った~?」おい~~!だから、ティラミスもイタリアだってば~!どうやら、アメリカでもイタリアとスペインは遠い国らしい・・・そして、今日もまたクリ坊に・・・(○`。 ´○)ボソッっと呟かれる。ったく、日本人ってヤツは・・・ by クリ坊そんなクリ坊は、今日もカワイイ。_(▼∀▼)ノ彡☆ バンバン!!
2005年10月30日
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もかの自慢は歯だ。。。った。(´- `)フッ(´ー `)フフッ(´ー+`)キラッ歯のコンクールで優勝したこともあったし、(な、なんだよ、、、このコンクール・・・。)歯医者さんに行くと、「矯正してもこんな綺麗にはならないよ!」と絶賛される。v( ̄ー ̄)v高校生のころまで、虫歯のない健全歯だった。今の時代、高校生になっても健全歯だなんて、めずらしいらしいらしい。y( ̄ー ̄)yピースピースが、、、その栄光は、高校卒業1年後には崩れ去った。大学へ入学した1年後、もかの歯には大小あわせて18本の虫歯ができてしまった。まぁ、まだそんなに大事に至る状態ではなかったが、かなりショックだった。東京の食べ物はもかの歯と相性が悪いようだ。。。と悟った。そして、、、今日は一日やる気を失っております。前日、夜中に帰宅した時、歯に違和感を覚えた。ん~。これは、もしかすると明日あたり痛くなりそうだぞ。そんな違和感。寝る前に、痛み止めを呑んで布団にもぐった。朝おきたら、そんなに痛くはなかったけど、でも、歯磨きしたら、水が少ししみた。実は、4月ごろから気が付いていたんだけど、右上の歯と歯の隙間に黒い筋のようなものがみえていた。海苔でも引っかかっているのかと思ってたけど、やっぱりあれは虫歯だった。それから、なんども歯医者に行こうと思ったけど、なにせ、普段、働き蜂のように週7労働を続けるもかには、なかなか、歯科に行く時間が取れなかった。まずいなと思ってはいたものの、結果的にまずいことになりそうになった。。。朝は、仕事を遅刻することに決め、歯科にむかった。診察結果は、やっぱり虫歯。(゚◇゚)~ガーンまぁ、でも削っちゃえば終わりだろう。と、思った。しかし・・・実は、虫歯は内部で繁殖していたため、おそらく歯の中身は手遅れ。そして、歯と歯の接触部分から浸透していたので、結局隣同士の二本とも。さらに、神経まで虫歯が浸透しているため、神経処置が必要とのこと。はぁ、、、がっくり。保険の範囲内での治療なら、金属を詰め込んで処置を行い、そんなに値段はかからないで済むそうだ。でも、、、でもでも、もかは、~~~~~(ノ≧ρ≦)ノいやじゃぁぁぁぁ!!にっこり笑った笑顔から金属見えるなんて・・・いやだよ。ということで、「金属は嫌だ」と訴えてみた。そしたら、「保険対象外になるけど、白にすることもできる」という。ほ~。ほ~。でも、高いんだろうな~。でも、4、5万くらいならがんばって出すかな~。いくらか聞いてみた。歯医者さん「そうですね~。結構大きな治療になると、5万くらいですね」もか「五万か。。。むぅ、どうするかな」歯医者さん「一本で5万ですね。もし今回必要なら2本になるので、、、」もか「10万かいな~」=( ̄□ ̄;)⇒歯医者さん「まぁ、もう少し歯の状態を見てみないとわかりませんし、 今すぐにというわけでもないので、一応検討してみたらいかがでしょ。」む~。お休みをせずに、毎日毎日、週7日間働いて、こつこつ貯めた貯金は、忙しすぎて歯医者にいけなかったが故の治療費に根こそぎとられるとは。。。なんのために、貯め続けていたのか・・・なんか悔しい気がする。くそ、、、1本5万円の歯が2本。。。今回の治療で必要になるんだろうか。そして、その治療に踏み切るのかモカ!っていうか、、、今朝処置してもらった麻酔が切れてきたので、今は、痛くて痛くて。。。やる気なし。ダメモカ。夜、ラテに事情を説明した。モカ歯ファンのラテも||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||ラテ「10万かぁ。なんで、モカほど歯磨きする子がそんなことになるの。。。」モカの手抜き歯磨きが明らかになったっつーことで。でも、ポジティブラテ「でも、笑うたびに口元を手で覆って笑ったら、モカも女性っぽくなるかも!」よし、、、では、その案にしたがおうか。って、、、ラテ~( ┰_┰) シクシクでも、「モカが今まで通りにニコニコできないことの代償として支払う10万と考えれば、白がいいんじゃないかな。白にしなよ。」って。ああ、高いのに~ 高いものをモカが買ったらそのしわ寄せはラテんところにくるのに~。ラテ「(⌒^⌒)b うん。いいよいいよ。大丈夫」ああ、8020のモカのじいちゃんごめんよ。。。モカは、親知らずが4本あるから、その分だけは貯「歯」があるけど。。。*8020(ハチマルニーマル) → 80歳の時点で20本の自分の歯を!という運動。
2005年10月29日
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先日、仕事をしていたら電話が一本。「もしもし、カジクですけど。 19時半からのライブで、笛を・・・」ふと時計を見ると、19時20分。「(・◇・)ゞリョウカイッ~」と電話を切ると、たまたま仕事場に通りすがった社長に店仕舞いを任せて、もかは、いそいそとライブへでかけた。本日は、加治工勇さんのライブで横笛を吹くことになった。加治工さんは、沖縄に、無数にある島々の一つ、鳩間島出身の民謡歌手。豆知識:鳩間島人口:50人くらいアクセス:石垣島から船小さい小さい島。島外からこどもを受け入れたりする、おもしろいシステムがあります。とにかく、かわいらしい島なのよ。( ̄m ̄* )ムフッ♪時々、鳩間島からひょっこり現れて、日本全国でツアーを行っているのだが、これがまたいつも大盛況。時々、彼のライブを見る機会があるのだけど、いつもいつも満席。鳩間島はとても小さな島。加治工さんは、その、島の祭りを、ライブ会場に持ち込んでしまうのだ。島の祭りがそのまま東京に移動してきたような、そんなムードに包まれて、お客さんも錯覚を起こしてしまうのか、毎回、ライブは異常な盛り上がりをみせてくれる。ほんっとに、異常なんすよ。ほんとに。そんな加治工さんのライブに今回お呼ばれすることになったのは、3週間ほど前、高円寺にある沖縄料理屋さんに、うちの社長と、もかの仕事を手伝ってくれたスタッフのちーたんとの3人で、仕事の打ち上げに行ったことからだ。お酒飲み飲みしていると、ふと、仕切り越しの隣の小部屋から、三線の音色が耳に飛び込んできた。「おや?」と思ったが最後、もう、隣のおっちゃんグループが気になって気になって仕方がない、もか。おっちゃんたち、酒を飲み飲み、サンシン弾き弾き、いい気分~うずうずしてきたもか。ついに、耐えられなくなって、仕切りから顔を出して、「おっちゃん!ちょっと仲間にいれて♪」「おうおうおう、来い来い来い♪こっちこ~い♪」てなことで、もか、隣のテーブルへ移動。しばらくして、もかのテーブルに置き去りにしてきた、社長とスタッフのちーたんも、移動してきた。しばらく、おっちゃんのサンシンにノリノリになっていたが、ここのお店に横笛が飾ってあることが判明し、もかは、おっちゃん達のサンシンに合わせて、横笛で乱入してみた。横笛は、もかの専門分野ですから・・・そしたら、おっちゃん達、大興奮よ~「おおおおおおおおお♪ こんなところに横笛ができるこがいるなんて~♪」って、 いっそうサンシンは激しさを増した。大盛況♪大盛況♪おっちゃん達、ここで笛妓ちゃんに出会えたことに感激してくれて、しばしの談笑になった。もちろん、こんなにもりあがってもらえて、もか、もう大興奮♪聞けば、このおっちゃん達(3人組みっす)、もかの高校の先輩というじゃないですか!先輩をおっちゃん呼ばわりするもか。。。ヾ(_ _。)ハンセイ…(でも、おっちゃんに見えるものをおっちゃんって呼んでなにが悪いん?!)あくまで、自己主張もか・・・( ̄‥ ̄)=3 フンで、そのおっちゃんの一人が、加治工さんという。つまり、加治工勇さんの弟さんだった。そして、盛り上がった、加治工さんが、「今度、東京で加治工勇(兄)のライブがあるんだけど、横笛をやってくれないか?」と。その場で話がまとまった。そんな妙な出会いから、この日のライブ出演が予期されていたのだ。しかし、この前日から、もかは喉の調子が変だった。「ん~~、、、なんか風邪を引きそうな嫌な感じだなぁ。」電話で呼び出された後、加治工さんと、そのバンドメンバーと顔合わせをして、そして、ライブに挑むことになった。いつものごとく、会場は満席。いや~、満席、素敵。あっぱれ、加治工さん。ちなみに、この日初めて、バンドメンバーとも顔合わせをしたわけですがモカ。バンドメンバーの構成にうけた。。。(*≧m≦*)ププッ一人は、高校の後輩だった。。。一人は、もかの高校の同級生のパパで、かつ、教員だったもかのじいちゃんの教え子だった。。。一人は、もかが、時々おっかけをしているバンドのドラマーさんだった。。。ラッキー\(^^\)(/^^)/チャチャチャなんとまぁ、身近なやつが集結してて、親戚みたいなバンドだなぁ。てか、年齢層もすさまじく、バラバラ。( ̄m ̄〃)ぷぷっ!おもしろすぎ。この人事。さて、そんな中、ライブは始まった。もう、さいっしょからどえらい盛り上がり。実は、もか、久々のライブ。最近、仕事のほうにはまってて、なかなか音楽の時間がもうけられずにいた。どうにか、ライブの時間を、、、と、願ってはいたけど、なかなかうまくいかず。でも、でも、でも~はぁ~、やっぱりステージは気持ちいね~と、思っていたのもつかのま。ステージ上では、笑っているもかですが、実は、次第にジリジリと腰が痛くなっていた。う、、、これは、きっと風邪だ。昨日から、喉が変だった。今朝はもっと変だった。そして、夕方になるにつれて、だんだん悪化していたんだろう。ライブが盛り上がれば盛り上がるほど、腰に痛みが走る。くっそ~・・・と、そんな思いのまま、ステージにいると、目の前に座っている方、、、どっかで見たことがある。む~、知り合い?いやいや、どっちかっていうと、テレビでみたことあるような人なんだけど。む~。でも、似てるけど、いやいや、まさか、ふつーにこんなところにまぎれてないだろ?てなことを、考えつつ、腰の痛さに耐えられず、時々、お客様の盛り上がり度にまぎれて、こっそりステージを降りて休憩しているもかに、お店のスタッフが耳打ちした。スタッフ:「もかちゃん。 大丈夫?顔色悪いよ。 でも、あっちの席みてごらんよ。 元気になるかもよ!!」ん?あっちの席?あっちの席を気にしつつ、次の曲に合わせて、またこっそりステージに戻るもか。んで、ライブしながら、みつけちゃった~!!あっちの席!あっちの席からひょいと顔を出してステージを見ている彼!うほほ~竹之内豊♪うっひょ~本物だよ~めちゃ、かっこいい~♪もか、竹之内豊・・・・・・・・・((* ・・*)(*・・* ) スキスキィ昔からめちゃ・・・・・・・・・((* ・・*)(*・・* ) スキスキィでも、クールなモカを貫くために、あえてはしゃがない。つか、、、ほんとは、腰が痛くてそれどころじゃない。頭まで痛くなるし、咳まででてくるし、、、事態は最悪。でもぉ、腰は痛いが、視線はずっと竹之内豊さまさまに注ぎならライブ続行のもか。ぐふふ。勝手に目が合ったと思っている。もか。だって、竹之内さまさま、ステージをずっと見てるんだもん♪うほ。余談ですが。先日まで、日本テレビでやっていた「瑠璃の島」というドラマをご存知だろうか。その撮影舞台となったのは、鳩間島。加治工さんバンドの出身地なのだ。そのご縁で、なんと、あのドラマメンバーがライブにかけつけてくれたようだ。そして、ライブの最後には、加治工さん、竹之内豊をはじめ、俳優さんたちをステージに呼んじゃいました!うひょ~、偶然とはいえ、もか、竹之内豊♪との距離2M弱。一緒にステージ踏んじゃったよ~♪内心めちゃ嬉しいけど、あくまでもクールに振舞うもか。ってか、、、腰、痛すぎ。本当は、ライブの終盤なんて立っているのがやっとの状態。もう、嬉しいのか、イライラしてるのかわからない。そんなこんなのライブは、大盛り上がりのうちに終わった。終わったら、みなさん、飲みまくり大会ですな。もちろん、「瑠璃の島」メンバーを交えて。時刻は23時。でも、もか、実は、仕事に戻らなきゃいけない。さっき、中途半端に放ってきたし。かつ、腰痛い。少し不機嫌。竹之内豊さまさまに、挨拶だけ交わして、ライブ後の盛り上がりを後にした。ぶーーー。ほんとは、もかだって、もっと一緒におしゃべりしたかった。少し話したけど。本物の竹之内豊。優しい話し方をするんだな~って、((((o゚▽゚)o))) ドキドキ♪ あぁ、、、さらに、ほれそう。こんなお得な思いをするのなら、今日から。やっぱり音楽に力いれようかなぁ。。。動機不順もか。。。ええじゃろ!べつに・・・( ̄‥ ̄)=3 フン
2005年10月12日
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ああ、パルメザン・・・ああ、ああ、パルメザン・・・・・・以前も申し上げましたが、もか、チーズが大嫌い!・・・だった。おっきい声では言いたくないけど。チーズ~~~~~(ノ≧ρ≦)ノいやじゃぁぁぁぁって、言ってたくせに。スイスでは、チーズフォンデュにはまるし・・・あ、さて~先日、ラテと帰宅中、以前から気になっていたラーメン屋さんにはいった。唐辛子好きのモカラテは、間髪いれずに、辛い系ラーメンを頼、、、もうとしたら、ふと、モカの視界に「チーズ味噌ラーメン」なる壁紙が飛び込んできた。目の前には、いざ、注文しようとしているラテ。「ラテ~。すとーーーーっぷ。 注文すとっぷ! ラテ、チーズ食べれるよね? もか、あれが気になるんだけど、チーズ食べれんかもしれんから、 もしだめだったらラテ食べてくれる?」ラテの視線をぐいっと壁の張り紙にやらせた。ラテ:うわ・・・。 なんじゃあれ。 ま、いいか。 じゃ、ひとつはチーズラーメンにしようね。 モカが無理なら、食べたるよ。大丈夫。v(・_・) ブイッまんまとラテを巻き込む。( ̄m ̄* )ムフッ♪モカに甘いラテ・・・。ワーイ ( ^-^)o-o
2005年10月05日
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本日、二つ目の日記です。思い起こせば1年前。渋谷駅前にでかでかとかがげられている万博開幕カウントダウン版をみて、ふと思いついた。あ!EXPO2005って、もしやスタッフ募集とかしてない?そんなことから、ラテ来日計画が開始した。そして、ラテが来日。そして、、、終了。ラテはこうしてEXPO愛知2005に携わった。もかは、前回のハノーバーEXPO2000の企画で、一ヶ月ドイツでインターンをしていたことがあるので、これで、二人そろってEXPOびいきになりそうだ。ということは~、めざせ、上海!さて、夜も更け、一般の方々が別れを惜しんで万博会場を後にしていく。さて、スタッフはここからがパーティだ。まず、モカラテ、スイスパビリオンに駆け戻る。スタッフが続々と集まってきた。顔見知りになったスタッフ達と、わいわいやった。それから、お決まりに、偉いスイス人がご挨拶をし、みんなでワインでかんぱーいをした。 ほんと、みんなお疲れ様~(* ̄∀ ̄)ノ■☆■ヾ( ̄∀ ̄*) ノムゾォー!!飲み物・食べ物わんさかわんさか。寿司やら、チーズやら、カップめんやら、パンやら、スナック菓子やら、もうこれは、まさしく、パーティですな。しばらくスイススタッフだけだったパビリオン内だったが、すぐにいろんなパビリオンのスタッフが押し寄せて、ものすごい人。人。人。になった。DJが登場して、パーティはいよいよ盛り上がった。躍る クルリン♪ヽ( ゚▽゚)ノヽ(^* )ヾ(*゚▽゚(^-^*)ノクルクルヽ(゚▽゚o )ヾ(*^ー^)/クルリン♪跳ねる ★.。・:*:・゚'☆ヽ(´▽`*)人(*´▽`)人(´▽`*)人(*´▽`)ノ★.。・:*:・゚'☆溺れる イエーィ♪♪(((б(`・´)∂)))♪♪ノリノリダゼィいやっほ~♪そして、異常なくらいの人の多さで、すし詰め状態。なんで、こんなに人がいるんだ?その理由はすぐにあきらかになった。12時を回るころ、ミスター&ミスコンが始まった。ミスター&ミス リトアニア館ミスター&ミス スイス館ミスター&ミス イタリア館 ・ ・ ・てな感じで、ミスター&ミス万博を決定するのだ。あ、もちろん、ノリのいいパビリオンだけが参加しているイベントですが。。。イタリア館なんて、もう国旗振り回し、大フィーバーよ。みんな、走り回る、飛び回る、押される、つぶされる。もう、すごいの~そして、このパビリオンだって本日でお役目終了。スイスパビリオン内2階、3階にあるスタッフルーム、スタッフカフェ、スタッフ事務所など、など、などの真っ白の壁が、どんどんどんどん、カラフルなペンの落書きで埋め尽くされる。もちろん、モカラテも書きまくりました。こんな大胆に壁に落書きをするなんて、何年ぶりだろう。いや、今までにあっただろうか。。。紙吹雪が舞うし、氷が飛ぶし、ビールはあふれるし、大・大・大フィーバーま、でも、あれだな、こういうのって、楽しいのと、はた迷惑なのってかなり背中合わせなのだ。飲んで、酔っ払って盛り上がる人って、結構無茶なことをする。しらふの人はそれを放っておくわけにはいかないから、とめなきゃいけない。モカラテ、ビールのみながらもしらふなので、結局、あほなことをしでかす連中を取り締まる仕事をすることになってしまった。ということで、飲んでも飲まれるなをモットーにしようとあらためて心に誓ったモカラテ。他人に迷惑をかけるのはやめましょう。でもまあ、もう、大変なお祭り騒ぎ。メディア関係の方もたくさんきている。そして、もか、、、酔っ払いメディア人に口説かれる。( )ノ_...オエェ...ま、祭りですから。でも、この祭りの後を片付けることを想像すると。。。ひえ~ 大変。多くのスタッフは、万博終了後もまだまだ名古屋に残ったりする。でも、ラテは翌日東京へ行くことになっていた。モカラテ、明け方タクシーで撤収しました。撤収前には、逢えるだけのスタッフに会って、ラテは別れを惜しんだ。仕事は大変だったけど、でも、いい仲間との出会いもあっただろうし、よい経験にもなったし、いいネタにもなっただろうし。ま、きっとスイスでまたみんな集合したりするのだろう。もかのハノーバー2000のインターン仲間もいまだに連絡を取り合ってたりするし、今回の愛知2005でも、NPOとして参加してた。いい出会いだったと思う。帰宅後、そのまま明け方から二人で引越し準備。ある程度片付けて、仮眠をとり、目覚めたら、もかの出勤にあわせて、ラテと一緒に東京へ戻った。愛知万博2005。モカラテにとって、ほんとに、ほんとに、よい思い出で、よい機会だった。愛知万博さま様だった。たくさんの人にありがとうといいたい。
2005年09月27日
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愛・地球博いや~終わったね~愛・地球博。EXPO2005 9月25日のフィナーレをむかえました。特に行く予定はなかったんだけど、その前日、珍しく気がめいることがあったもんだから、寝つきが悪く、夜中も布団に包まってごろごろしていた。そして、朝6時・・・もぉぉぉぉ、気分が沈んでいるのに嫌気が差した。よし!と、気分転換を期待して、新幹線の駅に向かった。駅から、ラテに電話したら、寝てた・・・が、「今から名古屋行くよ。」と伝えた。「ええええええ、今?来るの!?」って、、、そりゃ、寝起きに、「今行くぜ。」といわれて意味わからんだろうが。まぁ、がんばって起きてもらって準備をしてもらった。名古屋到着後。万博には、そのまま行かない。だって、朝から万博に行ったら、、、疲れる(>_
2005年09月27日
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ついに\(o⌒∇⌒o)/「ギャラリー presented by もか」がスタートしました。中目黒に、9月18日(日)~11月19日(土)の約二ヶ月間の限定です!思い起こせば、8月末に名古屋の裏万博から戻り!押入れに作業スペースを作り!(まだ、使ったこと無いが・・・)プレゼンの資料を準備し!(結局使わなかったけど・・・)現場を下見し!(出かけて、コーヒーもらってくつろいでただけだけど・・・)何度か、打ち合わせに行き!(シャンプーしてもらいながら打ち合わせしたけど・・・やる気あんのかこりゃ!)画して、セッティングにこぎつけました。中目黒のギャラリー!!タイトル:「みてみて ~ 覗き穴のファンタジー ~」なんのギャラリー?むふふふ。それは・・・こっちをみてみて-"-)/~~ ココジャァ 『TUCCI』開催場所のサイトです。TOPページの下の方にある9月のギャラリーのインフォメーションってとこを確認すべし!え、、、ちなみに、もかのアーティストネームでの提供となっております。さてさて、ギャラリーを企画・準備・開催することは、もかにとって初の試みでした。テーマを決めたり、キャッチコピーを考えたり、撮影したり、夜中までDMを作ったり、みんなみんな手作りで仕上げた。大学時代の友人が在籍している研究室に、仕事が終わってから、DM作りのために通ったり、ロケをしたり。もう学園祭気分。予想外に、細かくて、そして大掛かりな作業がたくさんあったけど、すっごく楽しかった。ギャラリーといったら、なにやら厳かなイメージがあるかもしれないが、実は、今回の開催場所は、中目黒にあるさわやか~なヘアーサロン。ガラス張りの壁面が道路に面していて、内壁は真っ白。すっごく明るい。もうギャラリーに最適。ここでは、いらしてくださるお客様だけではなく、道行く方、通りすがりの方々にも、ゆっくりくつろいでいただける空間ってのを提供しているのだ。ギャラリーの中で、誰かが髪の毛切られているとでも思ってくだせ。ギャラリー目的で訪れる方もたくさんいる。昼間とか、ゆっくりしていける時間があるのなら、スタッフが本格的なカフェをサービスしてくれるよ。ちなみに、モカのお気に入りは「ハニーラテ」(*^m^*) ムフッ(ラテに、モカのお気に入りは「ハニーラテ」といったら、 勝手に照れてやがる・・・いやいや、ラテ君のことじゃないって。(*^m^*) ムフッ)もかの目的は一般の方々にも広く触れてほしいということ。だから、とっても最適なイベントなのだ。しかもね~しかもね~なんと!初日から、大好評で、さっそくお買い求めになる方がいて。もう(T-T)ダラダラ(T^T)ズルズルーたくさんの方に、見て喜んでいただければって思ってたのに、まさか、引き連れて帰る方がいらっしゃるなんて。みなさんが喜んでいるのを見るだけで、もう、やってよかった~ってσ( ̄。 ̄) オイラもため息がでるじゃ。今回のこの企画。実は、ここのスタイリストさんの一人が、もかの専属スタイリストさんで、仲良しさんなんだ。そんなことから、ギャラリーの話が浮上し、友情からビジネスレベルにお話を発展させたということだ。お客様ばかりじゃなく、スタッフみんなが覗き穴を覗いては大喜びで大盛況。おかげさまで、通常1ヶ月ほどの開催が、2ヶ月間の開催となりました。もし、近くまで行く機会がある方。立ち寄ってみてください。時々、もかもそっちにいるし、プチ手作り教室も企画しているよ。なんなら、裏で連絡くだせ。情報流出しまっせ。んで、一緒に行こうよ。
2005年09月22日
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週末、ラテが東京に来ていたので、仕事の後、仲良しのクリ坊を誘って、ラテと3人で「ブルーノート」へ行った。JAZZ狂が集うここブルーノート。ラテもクリ坊もJAZZは好きだ。少し早めに出向いたけど、渡されたのは結構、後の番号だった。ブルーノートは学割がきく。おかげさまで、学生らしきグループもわさわさいた。もかも、学生時代は何度か誘われた。でも、学割がきいたとしても、もかには出す気になれる金額ではなかった。今回は、ラテのご招待。ラテ一押しのサックスのおっちゃん。でも、食い気のほうが勝るモカ。「ブルーノートより、築地の鮨の方がいいんじゃない?」って、一瞬頭をよぎったのは、正直な話だ。でも、もちろん、ラテオススメということなので、半分楽しみにブルーノートへ向かった。JAZZ---ブルーノート。くぅぅぅぅ。実は、ここ数年間の色恋沙汰、、、思い出したくないけど、JAZZ系がばっかりだった。JAZZのトランペッターとJAZZのドラマー。それぞれ、今もどこかでがんばっているようだ。とても一生懸命で、成果を残してはいるものの、モカにとってこの二人はしょうもないやつだった・・・前者は、世界的に活躍しているJAZZピアニストと二人で、一般の人もJAZZに親しめるようにとラフなコンサートを定期的に企画していた。もかは、縁あってそのピアニストさんとも何度かお話しをすることもあったが、とても、気さくに話してくれる方で、モカの沖縄音楽にも関心を示してくれた。時々、彼の娘さんが、飛び入りでJAZZを数曲歌ってくれたこともあった。娘さんは、将来はお父さんと一緒にJAZZをやりたいって話してた。ちなみに、ミニモニのあの子のことなんだけど。後者のドラマーは、、、ふぅぅぅ。実は、先週、もかの仕事場に訪ねてきたのだ。3年半ぶりの再会。びっくりしたけど。久しぶりだし、顔見たくなったんだと。仕事終わって、お茶しにいった。最近の様子などいろいろ話したけど、話せば話すほど、考え方があわない。言葉を投げ交わすタイミングが合わない。・・・なんだか、つまんないのだ。がんばり屋さんだったそいつは今も変わらじで、先日、タワレコのインディーズで1位をとったらしいけど、・・・気づかんかった。インディーズって1位とっても、お金入らないんだって。なーんて話とここ数年間の出来事が、ブルーノートで素敵なJAZZを耳にしている間、頭の中を駆け巡っていた。そして、、、もかはだんだん不機嫌になった。不機嫌になったモカにラテは気付いていた。そして、どうやら、頭の中も読み取っていたらしい。さすが、ラテ。で、モカを元気にしようと気を使ってくれた。なんていいやつなんだ。ラテ。でも、さすがラテのオススメさん。めちゃかっこよかった。ライブが終わるころには、モカの気持ちも晴れ晴れすっきりしていた。後ろに座っていたラテを振り返って、にっこり笑ったとたん、ラテはホッと一安心したらしい。もかにとって、今回が初のブルーノートだった。ラテもクリ坊もJAZZ好きなので、これからも、ブルーノートに来る機会はたくさんあるだろう。そんなことを考えたたら、あああ、よかった。もし、今までブルーノートにご縁があったら、きっと来るたびにいろんなこと思い出して憂鬱になっていたかもしれないなって思った。鮨は築地。JAZZはブルーノート。やっぱり、高いものにはわけがあるのかもしれない・・・ごちそうさまでした。
2005年09月12日
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先日、ラテがいる名古屋へ10日間滞在した。で、ずーーーっとウハウハ、ゴロゴロ、ラブラブ~♪と思った方。残念。もかは、パソコン持参でお仕事してました。ラテも、ずーーーっとパソコンとお見合いしてました。ただいまモカラテ自分への投資期間中。只今っていっても、ここ数年間という比較的なが~い期間を指しているんですがね。名古屋から東京へ戻り、気合入れて10日ぶりに職場復帰したもか。10日もごっそり休めるなんて、この辺は「フリーター」と書かれた印籠をちらつかせまくりの結果っす。ありがたや~普段は週7で仕事しておりますゆえ、10日間のリラックス付きお仕事で、パワー全開になりました。てなわけで~名古屋から20時に帰宅後、翌日からの職場復帰に向けて、押入れにスペースを作りたくなりました。もかん家、お勉強したり作業したりする素敵な机はありません。机、つくろうじゃないか!押入れってところは、だいたい邪魔なものを入れておくところだ。なので、邪魔物がたくさんあるのは確か。「今使わないけど、後で使うと思う」という品の宝庫なのだ。この中から、「過去にも使ってないが、今も使ってないだろーが!」てな代物を発掘する。でも、作業場になるようなスペースを確保したいんなら、ちまちま捨ててちゃだめなんす。どーーんと捨てなきゃ。どーーーーーーんと。今大事なものは『スペース』!もったいないのは、捨てられる「物」の方じゃなくて、物で埋まってしまっている「スペース」の方だ!ということで、でかいものを掘り出そうじゃないか!えーと、1年半前に引っ越してきたが、2組ある敷布団がフル活動しているのを見たことがない。本当は誰かがお泊りに来るはずだったんだが(もかんちは、よくホームパーティしてたから、たまり場よ)学生時代は、モカるなんて言葉もあった。モカる=もかん家でゴロゴロする。最近は、働き尽くめでそんな時間が無かった。あげくのはてに、今年の1月くらいから、忙しさのあまり、布団を引かずにそのまま床に転がって寝るようになっていた。じゃ、敷布団いらないじゃん。ということで、一組の布団セットともう1枚の敷布団を捨てた。ま、どうせ押入れの中で湿気吸ってたから、お勤めご苦労様ということで、吸収してくれた湿気と共に、外に出した。おおおお♪だいぶ広い~そして、次なるでかいもの。もかん家は、押入れの中の一部を区切って洋服ダンスにしてある。そこで、たくさん愛した分たくさん毛玉もついているセーターを取り出して、キレイにたたんで、外に放り投げた。ばいばい。セーター。10年間ありがとう。こうして数枚のセーターが眠りについた。でも、セーターって場所取るから、いなくなると結構すっきり爽快♪この「物がごっそり無くなる感」って、はまるとやめられんのよ~♪あちらこちら、空いたスペースを、組み替えなおして、、、新たなスペースができました~そこへ、カラーボックスを設置しなおす。今回は、大物処分と大物移動でひとまず作業スペースができあがった。そのうち、押入れの細かい物どもの捨て作業をしよう。一気に全部やろうとすると、途中で力尽きるので、これくらいでいいのだ。そして・・・成果ありかな。作業スペースができて2日後。仕事で新企画をやることがきまった!9月後半 中目黒でギャラリーを開催します。さらに、9月後半から掛け持つ新たな職場のOJTが始まった。新しい職場はインターネット上にある。当然OJTもネット上。世界中どこででもプロとして仕事をしたい!そんな、もかの夢、に向かって着々とすすむ。(あ、フリーページを少し更新したので見てね)捨てて部屋も身も心も頭もすっきり。さぁ、時間はあるようでないぞ~!
2005年09月02日
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ぎょ・・・ブログ放置、またしても1ヶ月。結構、やること極端である。もか。(ΦωΦ)ふふふ・・・・実は、この1ヶ月の間に、万博のスタッフとして名古屋滞在中のラテが2回も!東京へきた。そして、モカも10日間名古屋を訪問した。遠距離中とは思えない・・・この距離感。似非遠距離恋愛中のモカラテ。さて、名古屋といえば、当然、万博。v( ̄ー ̄)vモカとラテ、万博のパビリオン巡りのときは、みんなが入り口でながーーい列を作っているさなか、時々、秘密の通路からこっそり入れてもらうことがある。みなには、申し訳ないけど、爽快である。(ΦωΦ)ふふふ・・・・ラテ、スタッフパスをちらつかせ、パビリオンのスタッフを捕まえておしゃべりしつつ裏取引をしてみる。ヨーロッパ系のパビリオンなら、時々成功する。でも、日本人が仕切っているパビリオンは、、、ほぼ無理。かたくなに断られる。。。ブー (((( ------- ε ------- )))) ブーこんな万博ですが、実は夕方18時以降に行くと、いろんなパビリオンを見ることができるのだ。たぶん、朝から来て疲れた人が引き上げるのだろう。あるいは、子どもがぐずったりして引き上げるのだろう。どっちにしろ、夕方って並ぶ時間が極端に短いのだ。昼間行ったスペイン館で、待ち時間2時間と言われたのに、夕方行ったら5分だった。しかし、日本系パビリオンは、開園早々予約も品切れるので、これは、無理。さて~。万博は連日22時に終了する。22時には、一人残らず一般人は追い出されるのだ。そう『一般人』は。もかも、例に及ばず『一般人』の一人。22時が近づくと警備体制が厳しくなって、万博内では何度も何度も首から提げたIDをチェックされる。これをもっていない人は、『一般人』ということで、徹底的に排除されるのだ。しか~し、実はこの22時以降に、万博内ではパーティがしばしば開催されているのだ。万博スタッフの多くは、大学生とか、20代の若い子。国を挙げての合コンパーティみたいになるらしい。今日は、フランスパビリオン内でパーティ。明日は○○パビリオン内でパーティ・・・と、ノリノリのスタッフたちは、夜通し、万博内をさまよったりするのだ。酒も、食べ物ももちろんあり。さて、もかが名古屋滞在中に開催された裏万博は、グローバルコモン4=ヨーロッパエリアのパビリオンが一堂に会したパーティだった。普段は、パビリオン単位でパーティを開催するらしいが、倹約的(ケチ!)なスイスパビリオンが、経費を押さえようぜとたくらんで(たぶん?)、『スイスパビリオンのパーティ』を大きくして『グローバルコモン4のパーティ』と化させてしまったのだ。もかも、行きたい!ラテも、モカを連れて行きたい!でも、どうあがいてもモカは『一般人』として扱われる。過去に、スタッフがいろいろごまかして恋人を22時以降のパーティに連れ込んだことがあったらしいが、警備員にこっぴどく叱られたそうだ。これ以外にも、いろんなスタッフがいろいろと知恵を絞ったらしいが、ことごとく失敗に終わっているらしい。( ̄Θ ̄;) ムゥーむぅう~~~ん・・・(( ( ( ̄  ̄メ) ) ))(≧ヘ≦) ムー無理なのか・・・モカが名古屋へ到着した日、ラテも、夏休みに突入した。よって、誰かに確認することも難しくなってきた。どうにかしたいが、どうすりゃいいんだ~~~~!ってな感じだった。そうこうしているうちに、とうとう裏万博の祭典グローバルコモン4のパーティの日がやってきた。夕方万博へ向かった。そして・・・もかの首には、なんと!IDがぶら下がることになった。\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄) ̄) ̄)))/ヤッター!!なにが、どうなったのか、誰が何をしたのか、モカもラテもよくわからないのだが、いろんな人を巡りめぐって、スイスパビリオンからのご招待パスが発行されたのだ!しかも、モカが東京へ帰る日まで、いつでも万博園内に出入り可能なパス!もちろん、スタッフと同じ扱いで、22時以降だって居残れちゃう!おおおおおおお。モカラテ2人で大感激!スタッフのみんなもびっくり!「ええええええ! どうやって、そのID手に入れたの? ええええ! しかも、もかちゃんの名前がちゃんとはいってる~! ええええええええ! どうして?どうして?」質問攻めに会いました、モカとラテ。でも、、、うちらも、しりません。つい、ポロっと、「どうやったらモカが裏万博パーティに出られるかなぁ」って、ラテが洗濯を干しながら隣の部屋の人に、つぶやいたことで、いろんな人が動いてくれて、人づて+人づてでID発行担当者さんを動かしてしまったようだ。実は、このID発行に関しても、トライしてみたスタッフもいたが、それも失敗に終わっていた。ほんと、偶然が奇跡を生んでくれたようなものだ。とにかく!ああああ、たのしかったぁ。万博に行ったことのある人ならご存知、グローバルコモン4にある野外ステージに、夜10時、若者が終結した。「ヨーロッパ系のパビリオンのパーティには、 日本人の女の子スタッフがたくさん遊びに来るぞ」と、聞いてはいたが、いるいるいるいる。わさわさわさわさ、うわ~ キタキタキタ。女の子たち。ラテにも寄ってきた。おもしろいから、ラテからちょっと離れてナンパされかけ中のラテを観察モカ。(ΦωΦ)ふふふ・・・・少女A「うわ~、それおいしい?何食べてるの?」ラテ「サラミ」少女B「うわ~、すご~い。日本語上手~」ラテ「・・・。」(今、サラミ ってしか言ってないのに。。。)複雑な心境のラテでした。( ̄m ̄* )ムフッ♪ステージに、特設されたプロジェクターには、スタッフの顔が一人ひとり映し出される。次々とDJが入れ替わり、サウンドがバンバン響く。テクノ・テクノ・テクノ♪ラテもモカもみんなも、飲む、跳ねる、叫ぶ、、、崩れる・・・夜中の野外ステージなのに、暑い!大盛り上がり。夜が更けるほど、あちこちで、~~~-y( -)^^) ブチュッチュッ (*  ̄)( ̄ *) チュッ♪って。。。こりゃ、えらいこっちゃ。耳を澄ませば「ね~、浮気しようよ~」と誘う声。「キスくらいいいじゃん~」と迫る声。ええ、ええ、結構、危ない展開がいっぱいありました。もちろん、正常な人もたくさんいました。夜中、タクシーで帰る人。朝まで片付けに徹した人。そして、おそらく救急車で帰ったであろう人。おいおい、意識不明になるまで飲むなよ~。まったく。モカラテ午前4時に帰宅しました。タクシー代。スイスパビリオンが出してくれました。いやぁ、夜中の万博ステージ。いやぁ、いろんな国籍の若者が集った。おもしろかった。
2005年08月30日
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帰宅時間は22時を回っていた。む~。。。。でも、捨てるのだ。本日のターゲットは冷蔵庫。もか、最近は仕事の都合上、自宅ではあんまり食事を作る機会がない。毎日外食三昧?いや、、、そういうわけでもないけど。帰宅が遅いから、たっぷり食べる気が失せる。そいうことだ。でも、腹減へる。。。なので、そんなとき、食べるのは、もずく&めかぶ たまにトーフヨー。なので、冷蔵庫にもずく&めかぶが入っているのはいつものことだけど、いわゆる、ふつーの食材はほとんど入っていない。だから、捨てるものも少なかろう。な~んだ、ある意味やりがいのないセクションだなぁ。と、思っていたから、冷蔵庫ひっくり返しの回数はほかの場所に比べて少ない。そんな冷蔵庫を、今日は久々に観察してみた。☆ めかぶのパッケージ・・・これは普通にゴミ☆ アルトバイエルン・・・ああああ、1ヶ月前に賞味期限切れてる。がーーん、やっぱり、一ヶ月間では自宅で食べつくせないらしい。未開封だけど、、、(T∇T)ノ~(T-T)ノ~(T∇T)ノ~(T-T)ノ~ サヨーナラー☆瓶の黒ビール・・・石垣島の地ビール。 普段は1年くらい賞味期限が切れてもだいたいのものは気にせず口に入れるが、今回は、大丈夫とか大丈夫じゃないとかそういう問題以前に、あっても飲まなかったじゃん!1年以上も!という視点から、廃棄決定。。。そう、賞味期限2004年4月だった。。。☆ ラフランスジャム・・・はいはい、次から次へと出てきますよ~一年以上切れた食群が~ 賞味期限2004年9月☆ドレッシング・・・2003年切れ 有無を言わず退場~☆醤油・・・時々使ってたけど、2004年9月切れ 今度は欲張らずにちっこいもの買いましょう。☆パンに塗る黒ゴマクリーム・・・2004年4月切れ 見栄はって黒ゴマ製品なんか買うんじゃないの!☆生卵3個・・・2005年6月切れ 捨てよう。次は新しい卵が食べたいし。☆ゴマドレッシング・・・2004年10月 またゴマかよ。なんか沈殿したやつが固まってるから、・・・・・・・・~~~ヽ(^◇^))) ほな、さいなら!☆インスタントラーメンのスープ・・・7つ。インスタントラーメン食べるときでさえ粉スープは使わないんだから、いったい、ほかの用途のいつ使うっての・・・はい、捨て。☆ねりわさび・・・だって、わさびダメなんだし。絶対食べないじゃん。だいたい、なんで、こいつ、もかの冷蔵庫に存在してるんだよ・・・意外と多かった。意外と捨てた。意外と多かったのは、1年ほど期限切れているもの。やっぱり、おうちで食事を作る機会がへったんだろうなぁ。今そういうスタイルで生活してるんだなぁ。。。冷蔵庫の中身で食生活をざっと分析。今度から調味料は、小さいやつにしよう。今の生活にはそれくらいがいいだろう。よくばって、大きくて安い方買うから結局使い切らないのよ・・・反省。せっかくなので、すっきりしたもかの冷蔵庫。ただいま入っている主なもの。★ 生ブラックベリー・・・楽天親友のショコラちゃんが育てたの。残りわずか!(ショコラちゃ~ん追加しなきゃ~)★トーフヨーマイルド&トーフヨー辛口・・・スイスチックな豆腐と思ってください。数ヶ月前までは大嫌いだったのに、スイスから帰国して以来大好き!先日、ショコラちゃんの友人スイス人にも大好評だった。スイスへの土産にいかが~。沖縄物ですが。★もずく&めかぶ・・・これはどうせ毎日食べるから、いつもスーパーで処分品を大量に買い込んでいる。★唐辛子・・・生唐辛子、ドライ唐辛子、コーレーグースー(唐辛子泡盛漬け)、練り唐辛子、保存用唐辛子、唐辛子ふりかけ。。。あ、唐辛子ありすぎ。でも、好きなの。★にがり・・・去年のはやりに便乗してか化粧水作ってた。★歯磨きセット・・・冷蔵庫だとぜったいゴッキーに舐められることないから、安心。★冷凍物・・・餃子、ほうれん草、ブルーベリー★食器類・・・ゴッキー対策で、冷蔵庫の野菜室は食器棚になっております。★チョコレート・・・5種類★モロゾフのチョコレートケーキ・・・2箱目。((((((〃 ̄З ̄)ノ ウヒヒヒヒ♪★ゆず酢&ゆずコショウ・・・餃子にはゆず酢!+島唐辛子のラー油・・・ああ、食いたい。★カマンベール・・・奥から発見した。★リエット&コーニッション・・・バゲットにのせて食べるとおいしいのよ~。泣ける~。こんな感じ。すっきりしたので、冷蔵庫の冷えがよい。電気代も浮いてるね~。あ~こりゃこりゃ。さて、今夜は22時を過ぎて帰宅したのに、なんで「捨て」に走ったのか・・・実は、ラテが明後日東京に来ることになったのだ。~(^◇^)/ ウホホホこの1週間、モカは体調を壊していた。腹痛が毎日続いていたのだ。もかの腹痛は今に始まったことではないんじゃが、昨日は一日中、頭痛と吐き気でもう起き上がるのが辛くて、週7日間働き通しだった仕事を、あえなく休んでしまった。てなこともあって、もかも気分的に弱くなっていた。「ラテ~、仕事終わったら名古屋駅から新幹線つかまえてよ~」ってメールした。半分冗談だったけど、たぶん半分は本気だったかも。そんなモカの微妙な変化にラテはいつものように、気がついた。そして、明後日の仕事の後、東京へ二日間きてくれることになったのだ。ふわぁぁぁぁ。なんだかんだ言ってても、ラテに会えるのは、(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーー!!。ラテに逢ったのって三週間前。なのに、もう逢っていいのかぁ。東京-名古屋♪近いね。
2005年07月31日
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