ぶーたろうと車いす
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あの大地震、11日金曜日、14時46分からもう一週間がたちました。 あんなひどい揺れは初めて。 最初「ん?地震?」とゆら~と揺れ始め、ゆっくりゆっくり船のように傾くのです。すごく長く感じました。家中が悲鳴を上げるのを始めて聞きました。 テーブルの下が一番安全といつも言っていたのに、あわててるぶうは倒れるかもしれない本棚の影に行ってしまって、「ぶう!そっちじゃない!!!」と叫んで引き戻し、私も、まじでテーブルの下にもぐってガシャガシャ家や外が叫ぶのをぶうとしがみつきあって「信じられない!すごい!すごい!」と耐えていたくらい長かったのです。 能天気な関東育ちのうちの家族には、何もかも初めての体験です。幸運なことに、うちはライフラインも問題なく、家族も親族も無事でした。 11日は、ぶうはたまたま定期テスト期間中で早帰りでした。いつもでしたら、授業か部活動で学校にいる時間ですから、帰れなくなったら、彼に必要な排泄セット(カテーテル、紙パンツ)が足りず、私が徒歩で25キロの道を歩いて届けるしかなかったと思うと、本当にラッキーでした。 市内ではたくさんの生徒・学生さんが帰れず、学校に泊まったそうですから、他市他県の学校に泊まったお子さんもたくさんいたことでしょう。 おとうは、帰宅難民に。会社泊でした。おとうの勤め先は、地区一番の昭和のぼろビル、なんでもなかったのは奇跡です(^^;。ほとんどの社員が難民になりましたから、すぐコンビニに行って食料をキープし、まあまあ恵まれたほうだったと思います、帰宅難民のなかでも。 近所の女性でたまたま東京に用があった方は、東京駅の近くのビルの壁にもたれて座り込んでいたら、見かねたホテルがロビーに入れてくれたそうですが、みるみる人が増えて、殺気だってとても怖かったそうです。 津波の被害は、私の脳の理解の器をはるかに超えるものです・・・。さらに長野・新潟、静岡でも大きな地震。ここも震度4クラスの余震が続いています。さらに大きな地震の可能性もテレビでは、プレートの図を見せながら解説しています。 福島原発は次々と壊れるし。 いったいどうなるんでしょう・・・。地球規模の大陸大移動期なんでしょうか・・・。 スーパーは、入場制限が出るほどの買出しの人、ホームセンターでは災害に少しでも関係ありそうなものは何一つ残っていません。トイレットペーパーが高く積んであったのに、がらんと棚があいています。 今は、かならずお風呂には水をたっぷり入れた状態にし、キャンプ用18リットルタンクにも水キープです。懐中電灯も枕元においておきます。 月曜日からははじめて聞く「輪番停電」。おとうは、帰ってきたら今度は輪番停電の影響で「通勤難民」です。私鉄もJRも突然すべてストップ。会社に出勤できたのは5分の1くらいの社員だったようです。車もガソリンが足りず、出せないのです。 「次の日は、休むわけにはいかない」と電車が動いている駅まで20キロ、「自転車ででも行く!」と言ってましたが、朝8時まで~夜8時からという不思議なタイムテーブルで電車が動くことになり、通勤はしています。ぶうは、もうずっと休校です。 実際の停電がおきると、道路は怖いです。信号が止まります。大きな交差点はおまわりさんが立ちますが、小さなところはそのまま。ほとんどがゆっくり、譲り合いで進んでいますが、中にはカリカリ右折、左折突っ込んでくる車もあるんです。(男性が多いです) ガソリンは泣かされています。開店一時間前には並んでいます。おとうが並んで、貴重な満タンに一度しました。もうあとは大切に大切に、です。 家族は無事で、家もあります。被災されたり、原発の危機から逃げている方々のつらさ、悲しさには、言葉もありません。どうしたらいいんでしょう。 どうか少しでも暖かく!一人でも多く無事で! どうかこれ以上何もおきませんように! 少しでも良い方向に歩めますように!
2011年03月18日
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