教育って、子どもから自信を奪い去るもの?
だったら、要らないんじゃない?
勉強ができない子は、もちろん自信を失います。
でも、それ以上に、勉強ができる子から自信を奪い取っていることに
気づいていますか?
それは、自分の外に作られた基準に
一体化してしまうからです。
本当の自分を出す芽を殺されてしまうからです。
勉強ができない子は、かえって、別なところで勝負しようとします。
だから、本来の自分に目覚めやすい。
しかし、できる子は、飼い殺されてしまいます。
世の中のスターを見渡してみてください。
学校の評価基準と合ってますか?
とんでもない人たちばかりですよね。
本物のスターほど、学校の基準とは別の基準をもってることがわかります。
少なくとも、人マネではありません。
オリジナルな、それでいて、本来の自分を自然に生かした
自分だけの基準です。
人は一人ずつが生まれながらにスターです。
もう、何も要らないくらいスターとして必要なものは、すでに持っています。
小さい子には、小さい子なりの。
大人には大人なりの。
それなのに、スターと呼ばれる人が
ほんの一部なのは、なぜ?
社会は、大いなるワナを仕掛けて、
子どもたちを、そして人類の光を奪い去っています。
「こうしなければ、スターになれないんだ。」
「社会は厳しいんだ。」
「これができなければ、君は生きていけなくなるんだ。」
そして、
「ぼくには、あれができない。」
「あの人にほめられるようになりたい。」
と思うようになります。
誰も、その子がもってる光をほめたたえる人がいません。
だれ一人として同じでない、オリジナルな光は
か細く弱々しく内側にともっています。
何かを付け加えることではないのです。
それでは、かえって光を隠してしまいます。
覆いを取ってやればいいだけなのです。
昔、あるとき、ある人が、勝手に作った基準が、
いつの間にか、モンスターに成長して、
みんなで合わせようとします。
そして、みんなで自分の判断を放棄してます。
人の判断を自分の判断だと思いこんで一体化してます。
考えてみてください。
特殊学級の子に、受験勉強させる意味を。
どんなに頑張ったって、普通学級の子にやっと追いつくかどうか。
じゃあ、この子は、「できない子」とレッテルを貼っていいのか?
いわゆる「かわいそうな子」なのか?
一生、人様に面倒を見てもらわなければならないから、
「一人前」ではないのか?
特殊学級の中でも、優劣が如実に出ます。
できる子は、優越感をもち、できない子は、
「自分ってやっぱりダメなんだ。」
でも、実は、普通学級の子も、
特殊学級の子と、本質的に何も変わらないんです。
外側の基準をのさばらせておく限り、
み~んなが被害者なのです。
誰もが、人様に支えられて生きていくのです。
絶対的な自分への自信。
自分本来への信頼を覆い隠すものは、すべて敵。
特殊学級の子こそ、スターに育ちやすい。
少なくとも、そう手助けをする存在でありたい。
教育の常識を疑おう 2009.09.26
反抗的な子が、授業に参加した! 2009.05.26
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