へんなモノをヤフオクに出品してしまいました。
ベンハムのコマの謎って、知ってます?
お正月の実験で、コマの科学の時に、
よく子どもたちにさせて、喜ばれる実験ですが、
右図のような白黒模様のコマ(ベンハムのコマ)を回すと、縞が色づいて見えるのです。
個人差がありますが、時計回りに回した場合、
内側から外側にいくにつれておよそ赤→黄→緑→青の順に色づいて見えます。
不思議なことに、反時計回りに回した場合、色の順番が反転します。
これは目の錯覚によるもので「主観色」と呼ばれる現象ですが、
発見から100年経つ今でも、その仕組みは明らかにされていません。
網膜には赤、緑、青の波長にそれぞれ感度を持つ3種類の色覚細胞があり、
これらが受け取る信号のバランスで人間は色を感じます。
科学者は、これらの細胞の動きをモデル化した等価回路を作り、
主観色を説明しようとしています。
しかし、残念ながらすべての観測結果を説明するにはいたっていません。
そもそも私たちの認識は、すべて錯覚と言ってもいいかもしれません。
物理、化学などの基礎的な科学の実験観測も、
脳が作る錯覚にもとづいています。
錯覚の存在感で得られた空間と時間の感覚にそって、
データを観察し理論を作っていきます。
科学者が使っている錯覚が
現実にうまく対応していなければ、間違った結論が出るだけです。
ただ科学者は、同じことを何度も繰り返し理論モデルと照らし合わせながら、
慎重に再現性を確認して実験観察を進めます。
さらに多数の科学者の共同作業によって、
繰りかえし実験や視点の移動、
多面的観測事実の統合などを行って錯覚を相殺し、
修正し、理論モデルと観測結果を合わせ込んで総合的に判断することで、
観察者の作る錯覚から独立した
物質に普遍の法則を発見していくわけです。
でも、 錯覚はふだんは、人間の生活に役立っています。
不可欠なものです。
私たち人間は、自分の脳が自動的に作り出す錯覚が映し出している世界を
現実と思い込んで、便利に暮らしているといえます。
五感で感知した感覚データの入力情報を組み合わせて
現実にうまく対応する錯覚を作り出し、
それを目の前の物質世界の存在感として感じ取っています。
問題なのは、
同時に錯覚の組み合わせによって、
物質に対応しない錯覚も作ってしまうことです。
さらに、それを仲間どうしで共感し、
その記憶を共有することで、錯覚を言葉として固定させていきます。
実態の無いもの、たとえば、「命」、「心」、「自分」・・・なども、
大きな人間集団が、共通の言語として、
その錯覚を生成する神経活動を集団的に記憶し、
共感を通じて共有することで、その錯覚の存在感はゆるぎないものとなります。
しかしながら、抽象概念を表す言語の基底になっているそれらの錯覚は、
脳神経系における内部だけでの情報処理でしかありません。
脳の外側の物質世界の中には具体的な対応物を見つけられるものではありません。
それなのにこれらの抽象概念は、妙に存在感が強いのです。
なぜでしょう?
これら脳内だけで作られる錯覚の存在感が強いのは、
それが脳の感情回路に結びつく仕組みになっているからでしょう。
それが錯覚であろうとも、「自分の命」あるいは「地獄」など、
神経活動を感情回路に導いて存在感と恐怖感、期待感を発生させ、
仲間とその感情を共感することでそれを共有し、
集団行動に結びつける脳の機能は、
しかし、現代、そして未来、
未体験の難問を解決していかなければならない人類にとって、
錯覚に基づいた認識構造の欠陥は、常に意識していなければならない
基本中の基本のこととなるでしょう。
これからの教育の土台もここに置くことが当然となると思います。
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