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この日は、畑の片付けを兼ねて自然薯掘りに挑戦しました。実家から、タケノコ掘り用の鉄ノミを借りてきました。 掘っていくと、50cm程で堅い粘土質の赤土が出てきました。何とか上手く掘れたのです。 そしてもう1本に挑戦。汗びっしょりになりながらの孤独な挑戦。例年は同僚が手伝いに来てくれるのですが・・・・。 悪戦苦闘での収穫物です。途中で切ってしまったものも。これは血液型B型の宿命? 太さ5~6cmのものも何本か。 早速、この日の夕飯に、妻がまぐろの山かけを作ってくれました。軽く醤油をかけました。トッピングは海苔と山葵。 ごはんにのっけて美味しく食べたのです。
2014.11.30
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この日は羽田空港から山形・庄内空港へ。バスにて羽田空港へ向かう。途中、横浜マリンタワーが青空をバックに。 横浜ベイブリッジ。 横浜みなとみらい21。遠くに丹沢の山々も。 横浜ランドマークタワーとその左に頂上が白くなった富士山の姿も。 Hanzevast Shipping社のバラ積船"HANZE GOSLAR"。横浜港に入港していました。結構ハデめなカラーリング。 友人が社長を務める製鉄所の巨大タンク。 太陽光発電の設置現場か。 風力発電。 羽田空港から定刻に山形・庄内空港へ。 眼下に越谷レイクタウンが見えた。 利根川。 渡良瀬遊水池。渡良瀬遊水地は、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県の県境にまたがる面積33km2(東京ドームの約700倍)の日本最大の遊水地池。 現在のハート型の谷中湖(渡良瀬貯水池)は平成 2年(1990)渡良瀬遊水池総合開発事業によって建設。五十里湖であろうか? そして山形・庄内空港に到着。滑走路端でUターン。滑走路長さ2,000m×45m幅。 空港ビルディング。 利用機はANA。 庄内空港前の広場の石柱のモニュメント。空にかける階段 ’91-XXXV。御影石の作品で寸法H1100×W110×D180 2本。既に雪吊りの準備も完了。 そして迎えに来てくれた同僚の車で現場へ向かったのであった。
2014.11.29
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緑と水の市民カレッジ。市民カレッジ横のモニュメント。 市民カレッジ食堂にてカツカレイに挑戦。雲形池とその中央に鶴の噴水。祝田通りに面した霞門からいったん外へ。 祝田通りは日比谷公園の西端を南北に走る道路で、霞門は公園の西端のほぼ中央。公園南西角にある「かもめの広場」は1986年に公開された新しいゾーンで、それ以前は東京地方裁判所分室があった場所とのこと。「郷土の森」として全国各地の樹木が植えられているほか、噴水池がつくられていました。 池の真ん中には「鷗」と題する彫刻も。日比谷公会堂。戦前から政治演説会や国民(人民)大会が数多く行なわた場所。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事。 烏帽子石と言って、もともとは市ヶ谷門に使われていた石。市ヶ谷門が明治になって壊される際、この石は立派だったので、破壊するのを惜しんでここに移されたと。ソーラー発電式大時計。十字形のパネルの中に太陽電池が組み込まれている。 帝国ホテル。日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」。 日比谷花壇。 日比谷見附石垣・心字池の南端付近にフィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士の像。「フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士 1888年この地東京ホテルに滞在す」と銘文に記されていた。心字池には白鳥が2羽。 何処から飛来したのであろうか?日比谷見附跡は江戸城を囲む「江戸城三十六見附」のひとつで、日比谷御門があったところ。見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外堀(外濠)および内堀(内濠)に沿って、36の見附があったと。その36の見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っているのです。心字池全景。第一花壇 ペリカン噴水。 キリンの仔の像。鋳鉄製の水飲み。陸上交通の重要な部分をになっていた馬が、水を飲んだと。水道の蛇口の下に受け皿がついていました。これは人だけでなく馬も水を飲めるように取り付けたもの。馬車の時代ならではの水飲み場で、歴史を感じたのです。 ル-パロマ-ナ(ローマの牝狼)昭和13年日独伊三国同盟の頃、イタリアから東京市に寄贈されたと。再び中央広場の噴水と小音楽堂。 欅や様々な木が紅葉の真っ盛り。 銀杏の木の下は黄色の世界。 そして目的地である日比谷図書館に到着。
2014.11.28
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皇居散策の後は、日比谷公園へ。祝田門から入る。 日比谷公園 案内図。2003年に開園100周年を迎えた公園。元々は松平肥前守などの屋敷地であったが、明治時代に陸軍練兵場となりその後、日本初の「洋風近代式公園」として 誕生した公園。園内には公会堂や音楽堂、東京都図書館、テニスコートが。また、園内の花壇には一年中四季折々の花が咲き、ビジネス街に努め る人々の憩いの場となっているのです。 三笠山への階段を上る。山頂付近はゴツゴツした岩場になっていた。山頂からの眺望はなかなかのもの。北東側には公園の緑の向こうに銀座・有楽町方面のビル群が。三笠山を下り、少し行くと、その奥に何やら大きな建造物が見えてきた。近くに行ってみると何やら「自由の鐘」と書かれた看板が。アメリカ独立宣言に際して自由の喜びを告げた鐘の複製を戦後アメリカから寄贈されたものとのこと。 草地広場では、東京都観光菊花大会が行われていた。 毎年、この時期の恒例の催し。 1年間手塩にかけた見事な菊の大輪。 様々な色の小菊も広場中央に。 菊の盆栽風も見事な力作の数々。 黄色の巨大な懸がい造り。 日本菊花教協会の展示コーナー。 日比谷公園 サービスセンター。 第一花壇 自由の女神像これは『松石』と呼ばれる松の木の化石。昭和初期、福岡県外亀山炭鉱の深さ300m地点で長い木のまま発見されたもの一部と。銀杏の木も真っ黄色に青空に映えていた。 「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」と記された説明サインには、政宗が1601年に徳川家康から江戸城に近い外桜田に江戸屋敷を与えられ、1661年まで伊達家の上屋敷として使用されていたことや、政宗が家康、秀忠、家光の 三代の将軍をこの屋敷でもてなしたことなどが、日本語と英語で紹介されていた。 心字池 日比谷公園はいたるところに不思議なものが置かれていた。ひとつは古代スカンジナビアで使われていたルーン文字の石碑。これはスカンジナビア航空が日本就航を記念して寄贈したものと。 南極の石。昭和41年4月南極観測船「ふじ」から寄贈を受けた、南極・東オングル島の慎太郎山で採取された石。重さ150kg。 ミクロネシアの石のお金とのこと。 少音楽堂。 日比谷公園の最大のシンボル「大噴水」は毎日午前8時から午後9時まで稼動。28分間周期で24景を楽しめると。噴水池は上中下段 の三段構造。池の直径は30m。主噴水の吹き上げ高さは12m。埴輪。1965年(昭和40年)宮崎県にある平和台公園とここ日比谷公園が姉妹公園なったのを記念して、この埴輪が寄贈されたと。松本楼。1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼としてオープン。当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まったと。黄色く色づいた大銀杏。この大銀杏は推定樹齢400年。『首かけイチョウ』とよばれ、元は、日比谷見附(日比谷交差点付近)にあったと。1899年(明治36年)、道路拡張のためこの大銀杏を切ろうとしたところ、日比谷公園を設計した本多静六博士が「首をかけても移植させる!!」といい、この地に移されたことから、『首かけイチョウ』と呼ばれるようになったとのこと。雲形池も紅葉が始まっていた。大きな亀が池の端の石の上で日向ぼっこ中。
2014.11.27
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江戸城本丸御殿を歩く。既に紅葉を始めているモミジ。 赤が青空に映える。 黄色の葉も負けじと。 竹林。正確には竹林というより、竹の種類毎の坪庭。各種の珍しい竹が栽培され、名称付きで紹介されていた。石室。どの様に使われていたのか?諸説あるが火災など非常の際の、道具類の一時避難場所だったという説が有力とのこと。富士見多聞。多聞とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれていたと。鉄砲や弓矢が納められ、戦時のときには格子窓を開けて狙い撃つことが出来たのだと。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万が一に備えられていた名残の建築物。 石蕗 (つわぶき)が満開。きれいな、そして鮮やかな黄色の花。本丸跡左手の、現在は木立となっているところに、本丸大広間と白書院(将軍との対面所)を結ぶL字形の廊下があったとのこと。これが日本人には有名な「松の大廊下」 。松の廊下は本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約19メートル、北へ約31メートル、幅は約5メートルであったと。ここが「忠臣蔵」で有名な元禄14年(1701)3月14日、赤穂藩主の浅野匠頭長矩が高家衆筆頭の吉良上野介義央に斬りかかる刃傷事件が起きた場所。 皇居勤労奉仕の団体の方々??が説明を受けていた。 再び天守台方面を望む。 再び大手門から出ることを決める。大手休憩所で一休み。皇居関連の各種の土産物が販売されていた 入場札を返し、大手門・唐門を再びくぐる。お堀・桔梗濠を右折し濠に沿って日比谷方面に歩を進める。お堀越しには桜田巽櫓。皇居外苑に面しているところからかなり目立つ櫓。しかし水面はアオコ?が大繁殖中。 桔梗門。桔梗門は皇居参観者や勤労奉仕者などが出入りする門で、「内桜田門」とも。昔この門の瓦に太田道灌の家紋が(桔梗)ついていたことから桔梗門と呼ばれるようになったとも伝えられていると。 ここからは一般客は入場禁止で警備の方が。松の枝には大きなカラスが。外人観光客の女性のカメラ撮影で気がつく。カラスの色が白かったら、カラスももっと可愛がられている事間違いなし。 蛤濠から坂下門が見えた。こちらも全面にアオコが。かつて濠には、玉川上水からの水が供給されていたが、昭和40年初めにはその水供給が停止され、以降は水源をもっぱら雨水に頼る状況になり水質汚染が進んでいるのである。濠を見て回ってつくづく感じたのは、皇居のお堀は「観光資源の宝庫」であること。風光明媚な景観、重厚で秀麗な石垣、江戸の名残を感じさせる数々の遺構など、外苑堀とその周辺は魅力ある観光資源にあふれているのである。遊歩道などのインフラ整備と合わせて、唯一のネックとも言うべきこの「水の問題」を解決すれば、内外からさらに多くの観光客を呼び寄せることができ、「日本の顔」のイメージアップにもつながるのであろうが・・・・・・・。宮内庁の建物。 坂下門正面。西の丸大手門と桔梗門(内桜田門)との間にあり、宮内庁への出入り口。 二重橋濠沿いに歩く。芝生の中に多くの松が、そしてその先に丸の内のビル群が。 左手が西の丸大手門で皇居正門。 二重橋??。 「皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称」 である事をこの歳になって恥ずかしながら初めて知る。「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」 だとばかり・・・・・・。よってこの橋の名は「正門石橋」。桜田濠と桜田門。 桜田門 正面。桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財に指定。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合にはこの門。 凱旋濠手前には「特別史跡 江戸城跡」 の案内板が凱旋濠。桜田門から祝田橋までの濠が凱旋濠。桜田濠が自然の地形を生かした曲線美をみせていたのに対して、こちらは石垣に囲まれた直線的な濠。 そして久しぶりの皇居散策を終え、日比谷公園へ。
2014.11.26
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「緑の泉」という噴水池のはずであるが、この日は池に水はなかった。本丸休憩所でトイレ休憩。 休憩所内には売店、江戸城の模型や古い写真などが展示され、ミニ博物館の如し。 大嘗祭(皇位継承の儀式)が営まれた大嘗宮の模型が。平成2年に本丸大芝生の上に建てられたものの75分の1模型だそうです。 舞踊の姿も。 本丸休憩所前の芝生から本丸、天守閣を望む。 天守閣をズームで。 冬桜であろうか?各種の椿の花も迎えてくれた。 「桃華楽堂(とうかがくどう)」。 昭和41年に香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦を記念して建てられた音楽堂で建物の屋根は テッセンの花を模し 八角の外壁には有田焼・信楽焼などの陶片が用いられているほか 玄関には鬼瓦の代わりに金色の雛人形が飾られていると。 鉄仙の花弁を形どつた屋根と八面体の珍らしい建物。ホール外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅と八面の正面から左へ順に陶片で描かれていました。日月星の画。衣食住。 松竹梅。 天守閣跡 。江戸城には我が国最大の5層の天守閣がありました。しかし1657年に焼失した後は再建されることなく石垣だけが残っているのです。 現在の石垣の高さは 一般公開に伴う整地等により約10mになっていますが当初の石垣の高さは 約14mもあったとのこと。石垣隅角部は算木積みと呼ばれる美しい積み方。この積み方は関が原の戦い以後造られた新しい石垣の積み方と。長辺と短辺を互い違いに組む事により石垣の強度を保つ他、見た目が大変豪華。天守台への坂道を上る。天守台。整地されていたが礎石等は見る事が出来なかった。「天守閣(寛永度天守)」 は国内最大の 「独立式層塔型5重5階地下1階」。 高さは地上から 「58m」。 【http://blog.goo.ne.jp/akyamamoto1959/e/723515fb61fd5817f60fd581e7df4529】より天守台から先日訪れた武道館の屋根が見えたのであった。 天守閣から江戸城本丸御殿の跡を見る。 「江戸城本丸御殿」の案内板。 「本丸御殿」は「3つ」に分かれていて、「表」 ・・・将軍の謁見の場、役人の執務の場「中奥」・・・将軍の日常生活、執務の場「大奥」・・・女性の生活の場とのこと。 天守台の排水口。雨やごみ等が逆流しないような工夫がされていました。 「北桔橋門」 。ここからも皇居東御苑に入園 可能。途中、何回か出会った、東御苑内警備のパトカーが巡回中。 天守台の片隅の見事な老松。
2014.11.25
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皇居東御苑は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので,昭和43年(1968)から公開されているのです。月曜日・金曜日そして 12月28日から翌年1月3日までは入場できませんがそれ以外は、特別行事が無い限り無料で入場できるのです。出入りは、大手門・平川門・北桔橋門から。もちろんこの日は大手門から。大手門左のお堀には白鳥がのんびりと。嘴の色からコブハクチョウ?。扁平なくちばしはオレンジ色。くちばし上部の付け根に黒いコブのような裸出部が。大手門に向かって左側のお堀。 大手門は、旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成したそうです。 1945年(昭和20年)4月、戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱。大手門渡櫓は瓦葺き替え,壁の打ち替え等の工事中の為、周囲は足場パイプ、シートで覆われていました。大手門渡櫓を入ると受付があり、プラスティックの小さなネームプレート位の入場券を貰って中に入りました。退出の際は何処から出ても良いがこの券を返却しなさいとの指示。三の丸尚蔵館天皇陛下傘寿記念特別展「天皇陛下 昭和28年欧米14か国の旅~新たな感動と出会い~」が行われていた。展示は,昭和28年のご旅行に於ける陛下のご様子を,日程を追いながら,写真を中心に新聞記事などの資料を加えて紹介されていました。 東御苑の中に向かう。 左手垣根の向こうには済寧館(さいねいかん)という建物が。旧宮内省、現皇宮警察本部が所管する武道の稽古・競技場そして手前には見事な姿の松の大木が。同心番所。同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当たっていたと。 百人番所の対面の石垣には縦の筋が全面に。 本丸大手門(大手三の門)の渡櫓門石垣の間を抜けると、長さ50メートルを超える百人番所が。ここは本丸の入口にあたる門であることから、江戸城最大の検問所。百人番所には「百人組(鉄砲百人組)」と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていたそうです。同心100人ずつで警護していたので、百人番所と呼ばれているとのこと。中之門の石垣は、丁寧に加工された大形の石材が隙間なく積む「切込みはぎ」と呼ばれる技法で積まれていると。また、石垣に使われているのは、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩で、西国大名から献上されたと考えられているとのこと。こうした石垣は、大名の登城路や天守台主要な部分だけにみられるもの。中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣 。大番所。「番所」とは、警備の詰所のこと。現在、百人番所、同心番所とこの大番所の三つが残っています。大番所は大手中之門の内側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていたといわれています。江戸城本丸へは最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要な番所とのこと。 果樹古品種園の果樹はビニール温室の施工中。天皇皇后両陛下は,果樹古品種園の整備を記念して,平成20年4月に、この場所に植樹をされたとのこと。
2014.11.24
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昨夜22時過ぎにテレビを見ていると、突然、緊急地震速報(警報)のテロップが流れる。大きな地震発生の際に、強く揺れる地域をより適切に予想するシステム情報。22:08 長野県北部で震度6弱の発生したと。そして我が部屋も静かに揺れ出した。蛍光灯の紐が左右に20cm程の揺れ。急いで窓、雨戸の1枚を開ける。震源地情報。地震発生時の長野市内の様子も放送された。我が家は震度3と。全国の震度分布。携帯に我が社の白馬村を含めた長野県内の事業所の被害状況の連絡が次々に緊急連絡網にて同僚から入る。白馬村にある事業所にて一部設備の損傷が発生している模様。事業所長が確認中であるが、余震の発生、道路脇の土砂崩れ等も発生している模様。幸い事業所所員、家族に怪我は無い模様との報告も。 テレビでは白馬村で住宅が倒壊し複数の怪我人が出ている模様だと。そして住宅3棟の全壊現場から15人が全員救出されたと。そして震源地の詳細情報が。長野県北部の地震が起きた場所は、活断層の糸魚川―静岡構造線の北部あたりに位置。気象庁によると、付近には神城断層という活断層があるとのこと。全長140〜150キロに及ぶ国内最大級の活断層であると。この活断層は平成16年に新潟県中越地震(M6・8)、19年に新潟県中越沖地震(M6・8)が発生。しかし今回の震源地付近では過去約90年間、M6以上は起きていなかったと。
2014.11.23
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久しぶりに東京駅丸の内北口を利用しました。駅周辺の地図。左側の緑の地域は皇居、そいてお堀の下には日比谷公園が。東京駅北口の駅舎の外観。2012年10月、東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事が完了し、約100年前の東京駅の姿が再現されたのです。ドーム型屋根を備えた美しい「赤レンガ駅舎」。 丸の内北口の高層ビル群。 再び丸の内北口駅舎内へ。 北口 ドーム天井には八角形のレリーフと白き鷲の姿が。鷲の大きさは2.4mと巨大だが下からは小さく見えるのであった。天井画はないもののヨーロッパの教会を思わせるような天井。天井を見上げると、8角形の天井の下に、復刻された干支のレリーフが。ちなみに飾られている干支は、丑(北東)、寅(北東)、辰(南東)、巳(南東)、未(南西)、申(南西)、戌(北西)、亥(北西)。一方省かれているのは卯、酉、午、子(東西南北)とのこと。 大手町の「さわり大黒」(三菱東京UFJ銀行前) 東京 大手町、千代田線 大手町駅を出てすぐ、「将門首塚」の向かいに三菱東京UFJ銀行東京営業部はあり、「さわり大黒」はその日比谷通り側に祀られていた。体を触ると金持ちになれるそうで、そのせいか像の一部がテカッていたのであった。もちろん私もナゼナぜ、しかし既に時遅しか。パレスホテル東京入り口。今月末に長男が結婚式、披露宴を行うホテル。 1961年10月1日、丸の内の皇居前にパレスホテルとして開業。施設の老朽化に伴い2009年1月末で一時休館。解体後、地上23階・地下1階建ての最高級ホテルとして建て替えし、2012年5月にパレスホテル東京としてグランドオープンしたのです。
2014.11.22
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我が家の裏からの丹沢山塊の夕焼けです。 そして富士山の勇姿。 飛行機雲も赤く染まっていました。山端の赤から青へのグラデュエーションが美しかったのです。山端を「やまのは」と呼ぶのを知ったのは中学生の時。左から箱根の駒ヶ岳,陣笠山,神山,冠ヶ岳,早雲山。上空にも飛行機雲が。富士山と右には日本大学 生物資源科学部校舎。富士山の麓に雲が。
2014.11.21
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武道館の公演終了後、外へ溢れ出てくる人々。 次の14時からの2回目の公演に既に2時間前から長蛇の列。最後尾の看板表示も掲げられていた。吉田茂元首相の像が日本武道館と北の丸公園の間に。 レインボーブリッジが見えてきた。高速11号台場線を利用し、レインボーブリッジを渡る。左手眼下には東京港と月島臨海地区。 有明JCTを通過。 シーリアお台場1番街1&2号棟が正面に。ザ・トーキョータワーズのツインタワーは外観のデザインがユニーク。朝やけを受けて浮かびあがるヨットの帆をイメージしたタワー外壁の大きな曲線で誘導される、錆浅葱色など日本古来の伝統色を用いる自然色彩によるグラデーションとフィンは、遠くからも目を引く、新しい都市景観を創出。そしてその右手には中央清掃工場の高い煙突が。有明スポーツセンター。 お台場にあるパレットタウン観覧車。高さ115m、リング直径は100m。そして東京港トンネルへ。お台場側の坑門と換気塔。全長は1,325mの海底トンネル。 羽田空港横を通過。2本の管制塔の姿が。 羽田空港の第一と第二ターミナルを渡す赤い橋、 鶴見つばさ橋。 横浜ベイブリッジが前方に。横浜ベイブリッジも渋滞無く順調に。 横浜マリンタワー。 Sさんに自宅まで送ってもらい、農園にて野菜の収穫そしてプレゼント。
2014.11.20
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最終章 「for Japan」の幕開け。自衛太鼓 「陣」 。自衛太鼓は、自衛隊員としての任務は別にあり、いわばクラブ活動のような形で練習を行っている有志達の演技。観客席からも突然の登場。 大太鼓は圧巻。 隊員がポケットマネーを出し合って太鼓やユニフォームをそろえているのだとか。 松本 アルプス太鼓。船岡 さくら太鼓。 旭川 北鎮太鼓。 信太菊水太鼓。 入間修武太鼓。 全員の演奏するフィナーレへと。これだけの大小の太鼓が同時に響き渡ると、広い武道館がまるでそれ自体太鼓の皮のように共振し、振動し、地鳴りに身体がつつまれているように。 そしてフィナーレへ。全出演音楽隊の演奏。 全出演舞台大合唱 「RESTART」 最後まで盛り上がる超満員の観客席。 全出演舞台退場 「タラのテーマ」 エピローグ 「家路」 初めての体験であったが、全国の基地・駐屯地から集合した合計約200人の和太鼓チーム(自衛太鼓)の演奏は感動そのもの。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の音楽隊による迫力ある演奏が行われる自衛隊最大の音楽イベント。毎年この時期に、日本武道館で3日間にわたって開催されるが、自衛隊のイベントの中でもエンターテインメント性が高く、チケットの入手もかなり困難なイベントとして知られているとのこと。とにかく参加者の全員が自衛隊員。演奏者のみならず、大道具も小道具も縁の下の力持ちもみーんな自衛隊員。ユーモアあり感動あり、全員がとても自衛隊員とは思えぬほど芸達者なのであった。そして来年もチケットを入手し、再び訪ねたいと想いながら武道館を後にしたのであった。
2014.11.19
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第二章は「to Asia」。 尺八の演奏も。 一躍有名になった海上自衛隊東京音楽隊所属の三宅 由佳莉3等海曹も、見事な歌声を披露。 放送席にも多くの人の姿が。 そして第3章は「to the World」。 オーストラリア陸軍音楽隊も女性ボーカリストを起用。陸上自衛隊5方面音楽隊演奏は「A SONG FOR JAPAN」 日本列島と5部隊を影絵で表示。 そして第3章「to the World」のフィナーレは陸海空自衛隊音楽隊、米、フィリピンオーストラリア各音楽隊の合同演奏。 正面のウルトラビジョンに映し出された三宅 由佳莉3等海曹。アリーナ後方にあるステージを見ると、各種楽器が演奏をバックアップしていたのであった。
2014.11.18
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旅友のSさんに誘われて、武道館で開催される『自衛隊音楽まつりとは2014』に行ってきました。早朝7時にSさんが、愛車で我が家へ迎えに来て下さいました。首都高を使い武道館に向かう。チケットは、協力会社の 会長が送ってくださいました。平成26年11月13日(木)から15日(土)の3日間、日本武道館で開催されているのです。自衛隊音楽まつり50回目、自衛隊創隊60周年の大きな節目の年とのこと。 いずれも一般公開公演と招待公演の1日3回。ちなみに会場は恒例となった日本武道館ですが、第1回は現在の東京体育館(千駄ヶ谷)だったそうです。北の丸公園の駐車場に車を駐め、武道館まで歩く。久しぶりの武道館 入り口で持ち物検査。 第1入り口より入場。 既に館内席上部には多くの客が。 天井には大きな日の丸が掲げられていた。 「 前へ MOVE ON ~強き、絆の響き。熱き、仁の力動~」。サブタイトルの「強き、絆の響き」は、陸海空統合の絆、同盟国や世界との絆及び自衛隊と国民との絆を表現。「熱き、仁の力動」は、人間関係の基本である「仁(他人に対する親愛の情、優しさ)」をもって力強く前へと進む様子を表現していると。 『仁の力動』の言葉に感激。防衛大臣政務官の挨拶。 そしていいいよ音楽まつり開催のカウントダウンが始まる。オ-プニングセレモニー。 海上自衛隊東京音楽隊。 国旗入場、国歌斉唱。 この祭りに参加する、外国の国旗も入場。 ゲストバンドとして、海外からは米海兵隊第3機動展開部隊音楽隊、在日米軍軍楽隊、フィリピン海兵隊音楽隊(こちらは初出場)、オーストラリア陸軍軍楽隊(2回目)の4隊が出演しました。オープニング後の、第一章は「from Japan」、第二章は「to Asia」、第三章は「to the World」、第四章が「from Japan」(自衛太鼓:陣)という構成。第一章は「from Japan」のスタート。隊列を変化させながら演奏するドリル演技が中心。軍隊のバンドなので、統制美はさすがに見事な動き。会場は照明がめまぐるしく色彩が変わり、アリーナの明るさが常に変化。その中で統制のとれたドリルは、真に圧巻。「季節の中で」、「故郷」で静かにスタート。そして「虹と雪のバラード」 へ。 「上を向いて歩こう」を歌う。そして「Hey Jude」の演奏披露。
2014.11.17
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今年も我が家の横の農園の片隅の皇帝ダリアがピンクの花を開かせています。今年も台風の強風が2回ほど襲いましたが、幹を紐で結束したこともあり大きな倒れもなく、見事に開花してくれました。木立ダリアですが、成長し3~4mにもなる事から皇帝ダリアと名付けられたのです。花はピンク色で直径約20センチメートルの 大輪の花を茎の頂上につけています。晩秋のこの時期、青空にそびえて立つ姿は圧巻そのもの。 青空には、半月の姿も。 我が家も昨日は初霜が降りました。皇帝ダリアは霜に弱いので、気温が3度以下の朝が続くと黒変し枯れてしまいます。強風で倒れた幹にも、大きな見事な花が咲いています。中心はの雄しべ、雌しべも丸く大きく、ひまわり(向日葵)の如し。八重咲きの皇帝ダリアもありますが、こちらは開花時期が遅いため、毎年、霜にやられてしまい開花に辿り着かないのですが、今年は何とか花を見せて欲しいのです。
2014.11.16
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大阪に出張した帰りに、新幹線・新大阪駅にて柿の葉寿司を購入してきました。 蓋を開けてみると。丁寧に割り箸、濡れナプキン、ショウガ、醤油が入っていました。 購入した柿の葉寿司は、4種類の種が2個ずつ入ったもの。丁寧に配置図も。たい、あじ、さけ、さば が2列に並んでいました。 ネットで調べてみると『柿の葉すしのはじまりは、酢をつかわずに発酵させて酸味をつくる<生なれずし>でした。浜塩をした鯖を薄くそぎ、ご飯を大きく握ったものを抱かせ、どこの家にも植えられていた渋柿の初夏の青々とした葉で包む。1枚の葉では包みきれない場合は、葉を2枚で包むこともありました。それを四角い木の寿司桶に隙間なく入れ、重石をおき、1ヶ月ほど熟成させると酸味が生まれ、すしができたというわけです。柿の葉に含まれるタンニンには、抗菌作用や防腐作用、蛋白質を凝固させる性質もあって、サバの身を締めてくれます。また柿の葉の香りは魚臭みを消す作用をするなど、さまざまな効用があり、先人の知恵に感心させられます。山里にあっては、白いご飯も鯖も貴重なもの、ハレの日の贅沢なご馳走でした。』と。こちらにも柿の葉寿司の由来が説明されていました。 ひとつずつ順番に楽しみました。さば(鯖)。 さけ(鮭) たい(鯛)。 あじ(鯵) 柿の葉寿司は、「柿食えば……」という有名な俳句にもある通り、奈良地方には柿の木が多いところから、その葉を利用したのだと。柿の葉寿司の定番「鮭・鯖・鯛」に「鯵」を加えて4種類の味が大いに楽しめたのです。『かきのはの すしをさかなの ゆうげかな』 ・・・・・詠み人知らず。
2014.11.15
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立冬も過ぎ、朝晩の気温も下がってきましたので、我がミツバチの越冬対策を行いました。今年の養蜂は比較的順調で、現在8群が残っています。この日は、追加で購入した保温箱用発泡スチロールが到着しました。昨年より格安で購入できるメーカーさんを同僚が紹介してくれました。50mmの板厚の発泡スチロール板を寸法を指定して切断してもらったものを購入。早速、養蜂場へ車で運び、発泡スチロール用接着剤で保温箱を組み立てました。 そして1ヶ所、Φ20mm程の蜂の出入り口を作りました。 そして、2段であった巣箱も1段として発泡スチロールの保温箱で覆いました。 完成した越冬用保温箱です。 箱の上にはプラスチック製波板を。そして重しの石板も。 発泡スチロール板に多くの働き蜂が。入り口を探しているようでした。 全群が無事に冬の寒さを乗り越え、春の女王蜂の産卵に辿り着いて欲しいのです。
2014.11.14
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この日の午前中は、長年お世話になっている伊万里にある工場へ。そして帰路は、唐津、呼子経由で福岡空港へ。唐津・松浦橋からの唐津城。 唐津城全景。唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置。唐津湾に突き出た満島山上に本丸が配され、その西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の平山城。別名は舞鶴城。しかし何故か日本百名城には入っていないのです。九州電力、唐津火力発電所の前を通り呼子へ。 呼子港に到着。 港にはフェリー 『どんがめ』 が停泊中。船体が黒く少し迫力がありますが、近隣の離島へダンプカー等工事用の車両を運ぶ優れものとのこと。漁業が盛んで新鮮な海産物と「呼子の朝市」で知られ、観光客も多い港。 呼子大橋。 呼子から加部島に通じる全長約728mのPC斜長橋。 遅い昼食に呼子イカをどの店で食べようかと、同僚がネットであれこれ検索しながら、最終『河太郎』に決定。しかし40分待ちとのことで飛行機の時間もあり断念し、隣の呼子台場 大漁鮮華へ。隣は呼子台場の湯。 店内には獲れたての鮮魚の数々が。 目的のイカの生け簀。 イカの活き造りを各自で注文。 見事な手さばきで、イカを生きたまま、手早く調理してくれました。待つこと10分。 隣の呼子台場の湯の一部屋で昼食。醤油をかけると、切り身が動き出したのでした。イカの足を口に入れると、吸盤が上顎の内側にくっつくのであった。アオリイカ?肉質は弾力性に富み、甘みが口の中に拡がったのであった。 併せて栗入り赤飯を購入。 大満足し呼子を後に。道路左にはイカの回転式乾燥機が回っていました。一夜干しのイカがいたるところで干されていますが、やはり呼子といえばコレ。呼子町はイカの看板ばかりだったのです。帰路の唐津・虹の松原。唐津湾の海浜に続く虹の松原は、国の特別名勝で、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原のひとつに数えられる景勝地。長さ約4.5km、幅約1kmにわたり、約100万本のクロマツが群生。 そして高さ234mの福岡タワーが前方に。外観は8000枚のハーフミラーで覆われた正三角柱の形状。 そして福岡ヤフードームが。そしては福岡空港でレンタカーを返し、ANA便で羽田空港へ。
2014.11.13
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佐賀のビジネスホテルの我が部屋からの朝焼け、そして日の出です。時間は6:31。以下。時間と共に変わる朝焼けの光景です。 そして光が空全面に放射状に。
2014.11.12
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佐賀空港からバスで佐賀駅に近づくと道路の両脇に美しいイルミネーションが続いていた。晩秋の佐賀の風物詩として多くの人々に親しまれている「サガ・ライトファンタジー」。中央大通りの各所に設置された幻想的なスポット電飾、歩く人をあたたかく包み込む通り沿いの店舗電飾、市民が趣向を凝らして制作した「光のオブジェ」など、170万球のLED電球が佐賀の街中をあざやかに彩っているのであった。 街路樹の銀杏の木も黄色く色づき、黄色のイルミネーションの如し。 今年で26回目をむかえる『サガ・ライトファンタジー』とのこと。 ピンクのハートが心温まる。 店頭にも。 佐賀銀行のイルミネーション。 金、銀の鋭い刃物の如し。この日の疲れを癒してくれる街頭イルミネーションに、地域の人の気持ちが表れているように感じるのであった。佐賀の名物、気球のイルミネーションも。 店々により、イルミネーションを工夫。ここにも既にクリスマスの輝きが。巨大なネコも。 こちらは洋服店のショーウィンドウ。 駅前交番西交差点。正月の門松の如し。 佐賀駅前の青色のLED。 駅間広場。 頂上にはハートが。 佐賀駅をバックに。 そしてホテルに戻る。 再び銀杏の黄金色が。
2014.11.11
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この日は佐賀市への出張で羽田空港から久しぶりの佐賀空港へ。離陸後殆どは雲海の上をひたすら飛行。 九州に近づくに連れ、雲間から瀬戸内海の島々が。 そして窓の下には放射状の地形が。竹田市付近か。 そして前方に白き噴煙が。 8月30日に阿蘇山には火口周辺警報(噴火警戒レベル2)が発表されたのです。よって現在、中岳火口から概ね1kmの範囲は立ち入ることができず、火口見学することができないのです。有明海方面にたなびく噴煙。 阿蘇山は東西18km、南北25km、周囲128kmにも及ぶ世界最大のカルデラを持つ複式活火山。中央に安山岩から成る中央火口丘の高岳・中岳・根子岳・烏帽子岳・杵島岳の阿蘇五岳が。噴煙をあげる中岳の大噴火口は直径は約600m、深さ約130m程あり、吹き上がる溶岩の温度は1000度~1200度に達しているとのこと。 そして次には遠く天草の上島と下島が見えて来た。 雲仙岳の姿も。 1991年(平成3年)6月3日の午後に発生した火砕流で、取材に当たっていた報道関係者16名火山学者ら4名他地元の被害者を含めて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった雲仙普賢岳。 玉名市を流れ蛇行する菊池川。 熊本市三池港。 手前から筑後川、そして早津江川、そしてその先に海と平行に佐賀空港が。 着陸前に再び遠く雲仙岳の姿が、 佐賀空港に着陸。 空港ラウンジへの通路には小さなバルーンが。 10月30日(木)~11月3日にわたり、今年で35回目の開催となる「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が開催され、国内外から100機を超えるバルーンが集まりアジア最大の熱気球大会が行われたとのこと。佐賀駅前バスセンター行きのバスに乗りホテルへ。
2014.11.10
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地元の寺の境内で開かれている菊花展を見に早朝に行ってきました。 我が家から車で5分ほどの雲昌寺。 相摸國風土記稿によれ、建保年間(1213年~1219年)に鎌倉幕府二代執権北条義時が唐より帰朝後、藤沢今田村の地に建立した瑞龍寺を起源とすると。慶長元年(1596年)7月水害で罹災した後、鎌倉市植木の龍宝寺四世玖山宗順和尚を開山に迎え、現在地亀井野に移り寺号を曹洞宗光輝山雲昌寺と改めたとのこと。関東大震災で倒壊した後に、再建した本堂を昭和61年に増改築し、現在に至っているとのこと。 境内入り口には菊花展と開山忌のポスターが貼られていた。 曹洞宗光輝山雲昌寺の本堂。 本尊は如意輪観世音菩薩。ところが、雲昌寺の山門を潜った境内の菊花展会場は緑のシートで覆われていたのでした。早朝のためかと思いましたが、帰宅後近所の出展者に話をしてみると前夜の強風で菊鉢が倒れる恐れがあったため、急遽シートを設置したとのこと。 シートの繋ぎ目から写真を撮らせて頂きました。様々な色の厚物の三本仕立て。 各隙間からパチリ。こちらも。 多数の花弁が中心に向かってこんもりと美しく盛り上がっていました。 こちらは濃い黄色の管物。花弁が管状になり、直線的に放射状に見事に伸びていました。菊花展会場の奥には多くの小菊が。 展示販売用に置かれている模様。 様々な種類の小菊の花を接写。 境内には木魚に座り微睡む小坊主の像が。 肩には何か動物が。境内の石仏。 本殿手前、釣鐘堂全景。本堂前には黄色の菊の懸崖づくり。そして山門近くには、赤い帽子を被ったお地蔵さんが並んでいました。
2014.11.09
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先週の日曜日に開催された『tサイクルチャレンジカップ藤沢』という自転車ロードレースの応援に妻と近くにある慶応大学湘南藤沢キャンパスに行ってきました。バスにて小田急線湘南台から慶応大学へ。途中には交通規制の案内表示が。慶応大学湘南藤沢キャンパスの案内図。大学校内の歩道には多くの枯れ葉が。 校内の街路樹は紅葉が始まっていました。 何と言う木なのでしょうか、葉が真っ赤に色づき出していました。 低木の街路樹の上には様々な色の落ち葉が。その一枚を拾って。 湘南藤沢キャンパス(SFC)正門(北門)から本館(アルファ館)方面へ続く「タロー坂」の中腹脇、木立に囲まれてそびえ立つ「ステンレスの樹」。「青年が何か希望に向かって叫んでいるような」立体彫刻として表現していると。そして『サイクルチャレンジカップ藤沢』 のSTART地点に到着。表彰台も準備済み。 キャンパス内には様々な露店が出ていました。 START地点には、多くのレース参加選手が集まってきました。実は、長女のパートナーがこのサイクルチャレンジカップ藤沢のクリテリウム中級クラスに参加するとのことで妻と応援に来たのでした。既に長女も1才になった娘と一緒に到着済み。 開会式には地元のプロの競輪選手も来賓として参加していました。 スタート直前、50名程度がこのレースに参加している模様。 応援場所を移動して1週目の選手を応援。スタート後1周目はパレードで、2週目からが本格レースとのこと。1周2.23kmのコースを8周するレース。 我が応援選手H君は2週目から3位につける。 坂道を必死に登るH君。 前を風よけに使っているのであろうか? そして8週目、ゴール直前のスプリント。3位から追い上げ首位に肉薄した瞬間に後ろの選手がH君の自転車に接触。何とH君の自転車の後ろが破損し、チェーンが外れてしまい走行不能に。 やむなく、降車し自転車を持って坂道のゴールに向かうH君。 そしてゴールへ。しかし30m程歩いても順位は一桁。追突さえなければ、表彰台は確実であったのだが・・・・・・残念無念。しかし大健闘に感激。壊れた自転車の部分。レース終了後に早速翌週のレース参加に向けて修理工場にこの自転車を愛車に乗せて向かったのであった。娘と初孫と一緒に我が家に戻り、H君の帰りを待ったのであった。
2014.11.08
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名古屋からの帰路にみよし市にある我が事業所に立ち寄りました。事業所の植栽の中にある四季咲き桜は既に満開。花が4月上旬頃と10月末頃の年二回開花するのです。花は五枚一重で、薄く淡い紅色が青空を背景に。 そして昼食は所長の勧めで車で30分の香嵐渓の人気の店へ。 店頭には『うなぎ』が旧字体で。「うなぎ」の「な」が「奈」を崩した「変体仮名」。 フクロウの石彫り。 店の名は『川安』 。既に満席で、順番を待つこと約10分程度。 中にはテーブル席と畳席が。 畳席の一つに案内されました。壁にはメニューが。勇気を出して?『うな丼特上吸付』を注文。待つ事15分程、香り豊かな鰻丼がテーブルに運ばれてきました。 食感はなんと言えばいいでしょうか・・・弾力はあまり感じず皮はサクサク?カリッ?っと焼き加減も絶妙。タレは甘めで結構多めに掛かっていましたがクドさは無く御飯の量も比較的多いのでOK。 そして吸い物も美味しかったのです。 食べ進んでいくと、御飯の中にフタ切れの鰻が隠れているのを発見。これが御飯にいい具合に蒸されてサクサク感が消されふわふわ感いっぱい。 奮発して楽しんだ甲斐が十分あったのでした。帰りの香嵐渓の風景は未だ紅葉が始まったばかり。 毎年11月の最後の3連休に紅葉見物に訪れること連続6~7年。しかし今年は長男の結婚式があるのです。しかし今年もこの香嵐渓に来てしまいました。『うなぎおいし香嵐渓、もみじ未だ彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き香嵐渓』
2014.11.07
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2014年は9月8日が中秋の名月(十五夜月)で、10月6日が十三夜月でした。例年だと名月はこれで終わりですが、2014年は3度目の名月があると先日のニュースで。十三夜月は旧暦の9月13日に見られる月のことですが、稀に閏(うるう)9月が存在することがあるとのこと。このような場合、閏9月13日に見られる月を『後の十三夜月』とよばれており、3度目の名月となるとのこと。『後の十三夜月』が見られるのは久しぶりで、1843年以来、実に171年ぶりなのだと。もちろん私の生涯で最初で最後の『後の十三夜月』ですので、もちろん写真撮影しました。カメラを固定しズームで『後の十三夜』を撮影しました。十五夜(中秋の名月)から約1か月後に巡ってくる十三夜は、十五夜に次いで美しい月だといわれ、昔から大切にされていたのです。十五夜または十三夜のどちらか一方のお月見しかしないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いと忌み嫌われていたと。 あくまでも日本の昔人は自然の変化に繊細だったのです。
2014.11.06
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翌朝は水道展会場のあるポートメッセ名古屋まで、名古屋営業所の社用車で向かいました。ホテル近くのサンシャイン栄の建物の外側に設置されている観覧車。スカイボートと呼ばれる直径約42mの観覧車。夜にはライトアップなどの演出も見ることができるとのこと。名古屋高速4号東海線、伊勢湾岸自動車道を進む。名古屋トリトンの最初の橋 、名港東大橋。延長 700m。名港中央大橋。 橋長1,170m、中央径間590mの規模を誇る鋼斜張橋。名港西大橋。橋長758m、中央径間405mの鋼斜張橋。構造がほかの2つの大橋と違ってI期線(東京方面行き車線)とII期線(大阪方面行き車線)で2橋に分離されている。名港中央ICで降りる。 駐車場に車を駐め、ポートメッセ名古屋へ向かう。 水道展の今年のポスター。 全国会議も併せて行われるのであった。会場入り口。水道展の開会式。テープカット。 会場内部。 エンジニアリングメーカーが自社の差別化商品を展示PR。 会場内も大部見学者で賑やかになってきた。 ユニークな屋根構造の建物も。 全国会議に参加。 式次第。 関係省庁、自治体の来賓者。 功労表彰式。 その後も各社の展示ブースを訪ね、水道産業界における最新の技術、製品や管理システム等を学んだのであった。
2014.11.05
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名古屋で開かれる水道展に前夜泊にて行ってきました。ホテルは栄のテレビ塔近くにあるビジネスホテル。チェックイン後同僚と夕飯に。テレビ塔は綺麗にライトアップされていました。 久屋大通公園に立つ日本で最初に完成した集約電波塔(高さ180m)名古屋テレビ塔開業60周年を記念して、LED1万以上使用し、ダイヤモンドの輝きをイメージした「煌(きらめき)」 。テレビ塔の下には多くの女性達が行列を作っていました。テレビ塔の展望台に上る人でしょうか?それとも何かの催し物があるのでしょうか? オアシス21のシンボル「水の宇宙船」もライトアップされていました。食事を終え戻るときには、人っ子一人いなくなっていました。 しかしライトアップは未だ継続中。 公園の水面にもライトアップされたテレビ塔が美しく映っていたのでした。
2014.11.04
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今朝、養蜂場のある農園に行ってみると、見事な富士山の雄姿が。斜めの筋雲の下に頂上を白く飾った富士山の姿が。電柱が無ければなんて言ってはいけませんが・・・・。富士山の初冠雪は確か10月16日。食用菊の間から。菊と富士山は日本の象徴。
2014.11.03
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この日の目的地の湯梨浜町へ国道9号線で向かう。白兎海岸付近。道の駅 神話の里白うさぎの表示板が。長尾鼻は海釣りのメッカ。そして湯梨浜町に到着し現場確認と挨拶回り。その後は次の目的地の日吉津村へさらに9号線を西に進む。道路沿いには北栄町の風力発電が。日吉津事業所での仕事を終え、この日の帰路は米子空港。予約した飛行機までは時間の余裕があるので、月山富田城へ行くことを決断。安来節園芸館、足立美術館の横を通り月山富田場跡へ到着。赤門。富田橋を渡ったところにある巌倉寺の門で、富田城への登城口。月山富田城の麓に位置する広瀬絣センター。広瀬絣伝習所、物産コーナー、喫茶室で構成され、広瀬絣の伝統を知ることができるのでした。 安来市立歴史資料館。展示で城の歴史などが学べるとともに、パンフレットや100名城スタンプを置く。遅い昼食は蕎麦SET。月山富田城・花の壇。車で富田城跡へ向かうが、道路が狭く断念。 月山富田城の対岸に建つ尼子経久の銅像。富田城は尼子家三代の戦国武将によって最盛期を迎え、江戸時代の初期まで多くの変遷を繰り返したのであった。尼子氏は大内氏、陶氏、毛利氏との戦を繰り返しながら、因幡、石見、備後など11ヵ国にも及ぶ広大な領地を有した。しかし、その尼子氏も毛利元就に攻められ、1年半もの間富田城に立て籠もっていたにもかかわらず、富田城は毛利氏の手に渡ってしまう。1600年関ヶ原の戦いで徳川家に敗れた毛利氏は富田城を追われ、替わって徳川家康に味方していた堀尾吉晴が富田城に入る。しかし山奥にある富田が出雲支配に不便なことから、堀尾氏は城を現在の松江城に移してしまうのであった。難攻不落と言われ、数々の武勇を生んだ名城富田城は、その後二度と城として使われることはなかったと。城跡には短歌の石碑が。米子空港への帰路、前方に雲の合間から大山が。米子空港にロビー内には足立美術館が所蔵する作品ポスターが。横山大観の【紅葉】の一部。横山大観の【無我】美人画の巨匠・上村松園の【娘深雪】。足立美術館の庭園の紅葉風景もそして米子鬼太郎空港から帰路へ。
2014.11.02
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鳥取城中腹からの仁風閣。1907年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸。フレンチルネッサンス様式の西洋館。中国地方屈指の明治建築として名高く、1973年6月2日には国の重要文化財に指定されている。 正門からの入城は9時からしか出来ないので、諦めていたが、鳥取城中腹の細い山道に「⇒仁風閣」の案内板が。この道を下っていくと、仁風閣の裏の日本庭園前に出られたのであった。池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園。この名園は、十一代藩主・池田慶栄の未亡人・宝隆院のために十二代藩主・池田慶徳が扇御殿とともに作った池泉回遊式の庭園。久松山を背景に自然林を活かした渓流の岩組、滝口がなる景色は美しいのです。鶴をかたどった池には、豪壮な亀島を浮かべ、地形の変化に富み、徳川末期の造園の味をよく残しているとのこと。仁風閣の裏側2階はガラス張りのバルコニー構造であることが解った。 左側の塔は内部に螺旋階段のはいっている部分。8角形の塔が、外観を特徴づけています。ガラスはところどころ、波打った表面の古いもの。レトロないい味を出していました。ここだけ銅版葺きの仕上げ。 前庭からの鳥取城の全景。山の名は久松山(きゅうしょうざん)で標高263mの山。山頂付近に「山上(さんじょう)ノ丸=山城」、山麓に「山下(さんげ)ノ丸=平城」が築かれ、中世の山城遺構と近世の城郭遺構が併存しているとのこと。一つの城地に戦国時代から幕末までの築城技術が残る城として貴重であると。中央に御三階櫓台の石垣がどっしりと。昔の鳥取城の姿。『山頂の天守は軍事的には重要であったが、平和な時代が続くと次第に役割を失い、元禄年間の焼失以後再建されなかった。逆に、山麓の郭が整備され、藩政の中心としての役所が整備されてくる。二の丸が政治を行う場であり、三の丸が藩主の居住する場所であった。鳥取・津和野など古い時代には山頂に城を築く山城が多く、松江城のような平城は関ヶ原の戦い後の平和な時代の築城である。』と(パンフレットより)そして何故か9時前であったが正門が開いていたので、ここからでて駐車場へ。 入り口には仁風閣の白い案内板が。
2014.11.01
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