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「誤解していた事を反省」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。怡紅院で昼寝をする宝玉のわきで襲人が針仕事している所へ、薛宝釵が訪れる。襲人が作っているのは宝玉の腹掛けだった。襲人が所用で出かけた後、宝釵が針を取り刺繍を続ける。その時、林黛玉と湘雲が怡紅院を訪れ、宝玉と宝釵を見て驚き帰ってしまう。場面は詩社結成で招請状を手に宝玉は喜んで秋爽斎へやって来る。黛玉の提案で別号を考え、宝玉は怡紅公子、黛玉は瀟湘妃子、宝釵は衡蕪君、他も別名を決め、詩社結成の名も海棠社と決める。宝釵は黛玉を衡蕪苑に連れて行き、酒令の席の句はどこかで聞いたと、質問するが、黛玉も盗作だったと話して、詫びをいれる黛玉だった。体の弱い黛玉は咳き込み床につき、宝釵が見舞いに上がり海燕の巣を、お粥に入れ食べると良いと言う。黛玉は宝釵の事を誤解していたと、反省する。場面は王熙鳳の誕生祝いのあと部屋に帰ると夫の賈蓮が、女を連れ込んでいると聞かされ、中を伺うと女と賈蓮の話し声がする。妻が死ねば、お前と一緒になるよなどと聞いた王熙鳳は激怒して戸を、蹴破り中へ入るなり平手打ち、逆ギレした賈蓮は剣を持って追いかけ、熙鳳は史太君のところへ逃げ込み、賈蓮を見て史太君は大激怒する。 「尤二姐と尤三姐の悲劇」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。紅楼夢で忘れてならない人物は尤二姐と尤三姐だ。王熙鳳の夫の、賈蓮は何とかして尤二姐を妾にしようと躍起だったが熙鳳には、内緒で婚礼までたどり着く。尤三姐は、柳湘蓮に心を寄せており、賈蓮は柳湘蓮が肌身放さず持ち歩いていた鴛鴦剣を渡され、その鴛鴦剣を手渡された尤三姐は、毎日千秋の思いで彼を待った。しかし、やっと柳湘蓮に会えたが、結婚できないから鴛鴦剣を、返してほしいと現れる。尤三姐は剣を手に湘蓮を訪ね結納の品を、返し大粒の涙を零しながら、自分の首を切り自害してしまった。 ある日、王熙鳳は尤二姐を訪ね、夫の賈蓮の女の尤二姐への怒りを、抑えて大観園へ誘い込んだ。王熙鳳は二姐を許す事が出来ずに、軟禁し、最後には食事も満足に与えなくなり、二姐は病気になる。病床の彼女の夢枕に、自害した尤三姐が立ち、剣で熙鳳を殺すよう、言うが、二姐は辛くても我慢すると答える。だが、その後、医者の、手で堕胎させられた二姐は、終に覚悟を決め、地金の塊を呑み込み、急ぎ晴れ着を着て、髪も整え、床に横たわり翌朝遺体で発見される。
2010.02.28
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「昏睡状態に陥ってしまう」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。賈元春妃より灯謎が届けられた。灯謎とは読んで字の如く、灯篭や提灯の上に謎々(なぞなぞ)を書いて当てさせる遊びで、中国の伝統的な元宵節(旧暦の正月15日)の遊びである。現在でも中国春節に帰省した従業員たちは、元宵節を家庭で過ごし、その後、工場へ向け出発するので、旧正月が終わっても直ぐには、作業員が集まらない工場も多いので、商品納期に誤算が出る。灯謎は、賈迎春・賈環以外は皆正解し、宴席は盛り上がりを見せた。賈環は、王夫人に言われ写経をしている所へ、結婚祝より、賈宝玉が帰ってきたが、まだ酔いがさめずに、はしゃいでいる。写経をしていた賈環は、堪らずに宝玉に熱油を浴びせた。左の頬に火膨れをし、帰った宝玉を見て、襲人たちは慌てる。林黛玉は知らせを聞いて見舞いに駆けつけたが顔を隠して見せない。容態が急激に悪化し、3日もたつと昏睡状態に陥ってしまった。 「後悔し詫びを入れる」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。賈宝玉は暑さのため寝込んでしまった林黛玉を見舞ったが黛玉は、卑屈になっており、私など居ない方が良いとまで言いだす始末。今までの思いが一気に噴き出し宝玉もどうして良いか分からずに、思わず通霊玉を床に叩きつけるが、襲人と紫鵑が割って入った。宝玉は怒りのあまり歩きまわり、黛玉は悲しみのあまりに、飲んだばかりの薬湯を全部もどしてしまった。さらに黛玉は、宝玉の通霊玉のふさをハサミでズタズタに切り刻んでしまった。宝玉と黛玉は後悔し宝玉は黛玉に詫びを入れる。黛玉は宝玉の姿に、私たち二人はやはり親しい仲だったのだと気付き泣きだしてしまう。黛玉が私が死んだらと宝玉に言うと、その時は坊主になると言い返す。 ある日、突然の雨でずぶ濡れになった宝玉は、一目散に怡紅院に、駆け戻り門を何度も叩くが誰も出て来ないので、門を叩き続ける。やっと門が開けられる音に逆上した宝玉が思い切り蹴り上げた所、襲人だった。その晩、襲人は咳き込んで血痰を吐いてしまう。
2010.02.27
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「食べ物の恨み」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。寧国邸での芝居見物に飽きた宝玉は、宿下がりした花襲人を訪ね、生家に戻っていた襲人は、母と兄から買い戻す話をしていたが、襲人は家には戻りたくない意志が強く、どんな事をしても戻らないと、話している最中に、宝玉が突然現れ、驚きながらも彼の世話をする。その姿を見た母と兄は襲人を連れ戻す事を思いなおす。宝玉とともに、邸に戻った襲人は、宝玉に実家へ帰る事を告げ、我が儘な行いを、諌めよう考えた。涙を浮かべてベットに横たわる宝玉を見て、クスッと、笑いながら襲人は、あなたが私の言う事を守ってくれたら帰らないと、宝玉に告げた途端に、何でも言う事を聞くとベットから起き上った。林黛玉の部屋でキャーキャー言いながら宝玉がじゃれ合っている。宝玉は自分の部屋で誰か騒いでいるのを聞きつけ、駆けつけた。宝玉の李乳母が宝玉をたぶらかし、好き放題の事をするなら下男の、嫁にしてしまうよと襲人が叱られており、襲人も涙にくれていた。事の起こりは蒸ケーキを食べようと楽しみにしていたら、宝玉が、先に食べてしまっており、それで今までの鬱憤が一気に出たようだった。この件は、林黛玉や薛宝釵では収まりが着かず王熙鳳が来て収まった。 「別居生活を始める」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。巧姐が疱瘡にかかり、隔離するため賈蓮は外で別居生活を始める。しかし、賈蓮は別の女と寝てしまう。巧姐の病も癒え、賈蓮は、邸に戻った折に、平児が荷物の整理をすると、黒髪が出て来る。平児は、早速賈蓮に向かって誰の黒髪か聞くが、賈蓮はスキを見て、平児から髪の毛を奪い返した。怒る平児の姿に欲情した賈蓮は平児を抱こうとするが、平児はその手を払って庭に逃げた。宝釵の誕生日に芝居をする事になり、子役の一人を指していた所、王熙鳳が一人の子役を指して、誰かに似ていると言うと、史湘雲が、林黛玉姉さんに似ていると話す。林黛玉と聞いて宝玉は慌てている。林黛玉も軽はずみに目配せするなんてと怒っている。何となく好意が、仇となり二人の機嫌を損ねてしまった宝玉は、部屋に戻ると筆で、何か悟りを開いたようで一つの偈陀を書くのだった。
2010.02.26
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「持前の采配で取り仕切る」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。紅楼夢の秦可卿を演じた唐一菲を初めて見た時、私は中森明菜を、連想してしまうほどによく似ていた。秦可卿は夫がある身で、密通に溺れ、不運にも自らの命を終えてしまった。秦氏の一人が、秦可卿の死を痛み、柱に頭を打ちつけて殉死した。賈珍は、殉死した侍女を孫娘として葬った。そんな中、王熙鳳は秦可卿の、葬儀の手配で大勢の人が自分勝手に振る舞い乱れ、それを持前の、采配で取り仕切った。葬送の日を迎え菩提寺である鉄檻寺に柩を、安置し王熙鳳と賈宝玉、秦鐘の3人は水月庵に宿をとった。菩提寺である鉄檻寺は、寧栄二公が建立された寺で一族の柩は、鉄檻寺に預けられ野辺送りの人々が寝泊りする用意も整っていた。だが、鉄檻寺では殺風景で不便なため、王熙鳳は他の人々が、鉄檻寺に宿泊する中、自分は近くの水月庵に二間ばかり部屋を、用意させ鉄檻寺に泊まらず、水月庵に宿をとっていた。秦鐘は、暗くなったのを幸い、皿を洗っている智能に飛びつき灯りを消し、智能を抱こうとしていたが、突然賈宝玉が入って来て未遂に終わる。 「追い剥ぎに遭う」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。賈元春が皇帝の貴妃となって程なく元春妃の帰省の許可を出す。栄寧邸内に豪華絢爛な大観園が造成され、賈一族の長の賈政は、賈宝玉を連れ、お客様と共に完成した大観園の検分に出かけたが、正殿前に造られた牌楼を見て宝玉は、どこかで見たことがあると、気になっている時、大観園から帰る途中に追い剥ぎに着ている服を、剥ぎ取られ、その事を知った林黛玉は、宝玉を心配するよりも自分が、作った巾着袋を盗られて腹を立て、作りかけの匂袋を切り裂いてしまう。 それを見た宝玉は懐から黛玉の巾着袋を取り出して林黛玉に見せる。そして、黛玉からもらった巾着袋を返してしまう。間をおいて黛玉は、涙を流しながら、折角作って宝玉にプレゼントした巾着袋にハサミを、入れようとするので、賈宝玉はあわてて林黛玉に許しを乞うシーン。 旧暦の1月15日の元宵節に、元春妃を乗せた籠が到着し史太君の正室に、入ると、史太君と王熙鳳と抱き合い感極まり、むせび泣いてしまう。
2010.02.25
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「約束の時間に待っていた罠」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。常日頃から王熙鳳を慕っていた賈瑞は憧れの熙鳳に接近することができた。色目を使う賈瑞に微笑みを見せながらも、心では憤慨し不愉快感を見せる、王熙鳳は、賈瑞を殺害する計画を練り始め、実行に移す日がやってきた。門の鍵を開けておくから、自分で入って穿堂(ベランダ)で待つように、話してあったが、約束の時間通りに賈瑞は、やって来て王熙鳳の名を呼ぶ。暗闇の中、王熙鳳の姿を探すが、いきなり門が閉められてしまったかと、その時に塀の上から汚物が賈瑞の頭から、何度も掛けられてしまう。一晩中真冬の寒風の中に置かれ、凍え死にそうで朝を迎える賈瑞は、急ぎ、祖父の賈代儒の元へ帰り、井戸水で汚物を洗い流すが寒さの為、失神して床に着いてしまい高熱にうなされる日々が続く。祖父は、道士が置いて行った手鏡を賈瑞に渡すが、手鏡に映った王熙鳳の姿が、頭蓋骨に変わった瞬間に心臓発作で、他界してしまう。 「秦可卿の死」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。王熙鳳は寧国邸の賈蓉の妻秦可卿の病を見舞い、すっかり、痩せているのを見て、共に見舞いに来た賈宝玉も思わず、涙を流してしまうが、王熙鳳は賈宝玉をたしなめ、秦可卿を、励ます。父の秦業は半ば病は治らないと諦めている表情。だが秦可卿の病は実際は賈珍との密通の所を侍女の宝珠と、瑞珠に見られ、恥じて首を吊ったためという事だった。そんなある夜のこと、眠りについた王煕鳳の夢枕に秦可卿が立った。秦可卿は世話になった王煕鳳に別れを告げるためと賈一族の将来を、告げるために枕元へ立った。秦可卿は賈一族は近い将来滅亡すると、予言し、その時のためや起こってからの事に備えるよう話すが、王煕鳳が更に尋ねようとした時、秦可卿の死を告げる雲板の音が、邸内に響き渡ると同時に秦可卿の姿は消えてしまった。
2010.02.24
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「塾生達の交際が乱れる」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。今度は秦可卿が病気になり医者に診せるが一向に良くならないので、賈珍は張友士に診察してもらい、助かる見込みがあると処方箋を書く。 その後、寧国邸で賈敬の誕生祝の折、王煕鳳と賈宝玉が可卿を見舞う。秦可卿は彼らに、私の病気では年は越せないと、か細く言う言葉に、胸を突かれ、感情多感な賈宝玉は大粒の涙をこぼす。賈宝玉が塾に上る日が来たので身支度を整えて、邸内を挨拶に回る。日頃の宝玉の言動を聞いている宝玉の父の賈政は、宝玉が真面目に、勉学に励むとも思われず、挨拶に来た宝玉を叱り追い出してしまう。家塾とは、賈一族の中に貧しく家庭教師を雇えない者のため子弟を、一堂に集めて教育する機関であり、栄国邸から500mの所にある。だが元々常識に欠けた塾生達の交際は乱れ勉学どころではなかった。
2010.02.23
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「劉婆は王熙鳳と面会する」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。紅楼夢では金陵十二釵の12人のヒロインの侍女たちの存在も、紅楼夢物語を引き立たせ、彼女らの生きて来た不運さも心を引く。そんな中、紅楼夢のヒロインの中で75歳という一番の年配役。長安郊外に住んでいる農家の王狗児の義母で、名を劉姥姥と呼び、通称劉婆と呼ばれ身の上は、その冬も越せそうにない貧困ぶり。顔見知りの紹介で王熙鳳と面会でき劉婆は、栄国邸を訪れる。王熙鳳に物をねだろうとするが、劉婆は床に手をつき頭を下げるしか、仕方なかったが、紅楼夢の最終場面では、賈家は滅亡の一途をたどり、十二釵の12人は次々と離散し中でも王熙鳳は他界する。その場面で、心配して来た劉婆だが、貧乏で物乞いに来た10年前と10年後の、世の移り変わりに驚き、馬車で帰って行く劉婆の表情は、未来の事は一寸先闇と言うような厳しい表情が印象的だった。 「欲望の赴くままに」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。賈家の寧国邸で王煕鳳と賈宝玉は、秦可卿の義弟を紹介される。賈宝玉と義弟の秦鐘は賈家が一族の少年たちを教育するために、開いている私塾に通い始めたが、香憐と玉愛二人の男子塾生と、心を通わせあうが、賈宝玉と秦鐘が13歳のころだった。ある日、秦鐘と香憐が二人になった現場を、のぞき見し吹聴して回る。賈宝玉や秦鐘たちは、女の子が大好きだったが男の子も好きで、その辺の教育が出来ていないような、自制が利かないというか、欲望の赴くままに行動しても大貴族の貴公子で誰も咎める者がなく、塾でも投げ合いや殴り合いが始まり、書童たちは物を振り回して、暴れまわったが、罪悪感は全く残らないのが不思議でもある。
2010.02.22
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「誰にも命運は分からない」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。大貴族の賈家の造園した大観園に集まった登場人物の運命は、太虚幻境の薄命司に納められた「金陵十二釵正冊」の中で、定められていた事だった。我々が今の人間関係の中で生活し、将来また新たな人間関係や出来事なども、既に定められており、誰にもその定めが分からないからこそ生きて行けるのかも知れない。だが、過去は変えることが出来ないが未来は変えられるのではと、信じて疑わないが、それも哲学の書物から、そう思うだけである。寧国邸の梅の花を観る宴に招かれた賈宝玉は、秦可卿の部屋で、昼寝をしていたとき、夢の中で太虚幻境を訪れ、薄命司に、納められている金陵十二釵の女性たちの運命が克明に記された、金陵十二釵正冊を目にする。この時点では書かれている意味を、深く考えなかったが、薛宝釵と結婚をすると同時に、林黛玉が、他界したことや、頑なに拒否していた科挙試験の勉学に勤しみ、合格したが無情さを感じ、また太虚幻境を訪ね正冊を見た時に、何かを悟った賈宝玉は、薛宝釵と子供を捨てて出家をしてしまう。 「賈宝玉と金陵十二釵」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。金陵十二釵といわれる十二人のヒロインの名を挙げてみたい。林黛玉---宝玉の従妹で、詩才と機知に富む一方病弱で繊細。薛宝釵---宝玉の従姉で、健康で明晰、円やか、優等生型少女。賈元春---宝玉の同母姉。皇帝に召されて貴妃となった。史湘雲---賈母の実家の史家一族で、両親を早くに亡くしている。王煕鳳---宝玉の伯父賈赦の息子の妻。宝玉の母方の従妹でもある。秦可卿---宝玉の曾祖父初代栄国公の兄初代寧国公の玄孫の妻。賈迎春---賈赦の娘で宝玉の従姉。善良だが無力な人物。 賈探春---宝玉の異母妹で、賢明で詩才のある美少女。 賈惜春---賈珍の妹で絵心があり大観園の絵図を描いたことがある。賈巧姐---王煕鳳と賈蓮の娘で王煕鳳が他界する前に劉婆に託す。妙玉---有髪の尼僧。聡明にして文筆の才あり大観園内の草庵の庵主。李丸---賈元春の夫である賈珠の妹。一番年上で海棠詩社の代表。
2010.02.21
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「英蓮が行方不明になる」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。紅楼夢の物語は一度見たからと言って直ぐに理解できなかった。私が見た連続テレビドラマ紅楼夢が字幕もない中国語だったので、理解に苦労したのかも知れない。これより簡単に物語の内容を、紹介して行きたいと思うが、出て来る人物の名前を書くのが大変。なぜならば、中国語の簡体字で書かれた名前は、楽天では使えない。また中国語の読み方は分かるが、日本語の読み方がまた苦労する。そんな言い訳をまず先にしておけば、私も気が楽になると言うもの。蘇州で甄士隠の一人娘の英蓮を元宵節(1月15日)の日に家人の霍啓に、娘を託し提灯を見に行かせたが、霍啓が目を離した隙に英蓮が、行方不明になる。霍啓も罰を恐れて失踪する。士隠夫婦は泣き暮らし、また隣の葫蘆廟から出火し屋敷が全焼してしまう。甄士隠は、通りすがりの道士の後を追い、逃げ出す。出火した葫蘆廟には、貧乏書生の賈雨村が寄宿していたが甄士隠と友人関係で甄士隠の、援助を受け科挙に合格し、甄士隠の父が居る地の府知事として赴任。だが上司に弾がいされ数年で罷免され、その後諸国を旅していた折、揚州の林如海より娘林黛玉の家庭教師を頼まれる事となる。 「林黛玉と薛宝釵が上京」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。林如海の妻であり林黛玉の母は病気のため他界し林如海は林黛玉を、妻方の実家である賈家へ送ることを決め、賈雨村に同伴を頼んだ。長安の賈家は大貴族であり栄国邸に到着した晩、林黛玉は賈宝玉と、初めて顔を合わせるが、以前に出会った事があると林黛玉は驚く。その一方で豪商の薛蟠は、妹の薛宝釵を都へ送り届けるため出立の、用意をしていた所へ行方不明になった甄英蓮を誘拐犯が売りに来る。 薛宝釵の兄薛蟠は人に命じ誘拐犯馮淵を討ち果たす。法的な罪は、府知事になった賈雨村が薛蟠を救った。英蓮は薛宝釵により香菱と、名を改め薛宝釵らと共に上京する。薛宝釵たちを呼んだ薛未亡人は、賈宝玉の母の妹にあたり、栄国邸へ出て来たが、薛宝釵の母である、薛未亡人は林黛玉の母親代わりとなり一時期、瀟湘館に住んでいた。 紅楼夢は、複雑に交差した人間関係を理解するとより面白くなる。
2010.02.20
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「賈宝玉と林黛玉が碁を打つ」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。門楼を抜けて正面の右側に怡紅院へ入る内門があり、通霊や、絳芸軒や東廂房、後廂房の4室からなっている。宝玉の、日常生活の場である絳芸軒の東側は宝玉の寝室で、酔っぱらった劉婆さんと板児の人形が置かれてる。その隣は襲人と晴文の寝室で、東廂房は宝玉の静養室である。 賈宝玉の住居である怡紅院の書斎である通霊の中に入ると、賈宝玉と林黛玉が碁を打っている場面の蝋人形と、賈宝玉の、身のまわりの世話をする付人である襲人と林黛玉の付人の、紫鵑だが、林黛玉が上京してきた時に侍女としてついた。写真は通霊で宝玉の書斎で碁を打つ宝玉と黛玉の姿だ。 「驚くほど豊満な女性が増加」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。古来より中国では美人の条件として腰が細く雪のように肌が白い事。また美人には2つのタイプがあり、楊貴妃のような豊満な美人と、前漢成帝の皇后の趙飛燕のような痩せ形の陽柳美人で、紅楼夢でも、薛宝釵は豊満美人で、林黛玉はやせ細った低血圧美人という感じだ。中国人全体像は、ほっそり形の美人を好んでおり、豊満な人は、グラビアなどでは重宝されるものの恋人や妻には敬遠されがちである。 楊貴妃などは別格で多くの皇帝が、細腰を好んだため女性たちは、痩せるために食事も満足に摂らなかったという話が伝わっている。だが今の中国の若い人の中には、日本と同様ファーストフードを好み、驚くほど豊満な女性が増加した。紅楼夢に出演したヒロインも、柳腰の美人が多く採用されて、林黛玉は典型的な柳腰美人だ。
2010.02.19
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「賈宝玉の住居怡紅院」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。炎帝神農氏の子孫の共工と呼ぶ古代中国神話に登場する神の、姿は人面蛇身に朱色の髪を持ち、洪水を起こす水神とされ、天地を打ち崩すほどの怪力をもち、共工は神話上の帝王の高陽と、帝の地位を争ったが敗れ、怒りにまかせて暴れ回った末に、天を支える柱がある不周山に激突したため天柱が折れてしまった。中国の河川が東南方向に流れている理由に関して神話の中に、天は傾き西北が低くなり、地は東南がへ込んでしまっため、女禍が、補修した天は再び破れ、地もひび割れたが、直す神はあらわれず、太古の昔、中国の河川が東南方向に流れるようになったとされる。 写真は、怡紅院の入り口で賈宝玉の住居で絳芸軒など4部屋ある。
2010.02.18
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「全ての因果を悟る」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。賈宝玉や金陵十二釵の彼女らの運命は、太虚幻境の薄命司の、中に納められた「金陵十二釵正冊」に未来の事が書かれていた。賈宝玉には父方の林黛玉と母方の薛宝釵の二人の女性がた。二人は境遇や性格は対照的で、薛宝釵の家庭は商人で裕福だが、林黛玉は父母を亡くし、賈家に身を寄せて生活していた。薛宝釵は商人の家に育ったのか周囲に配慮が行き届くのに対し、林黛玉は過敏で疑い深く、自分の運命に不安を感じ日々泣き暮す。林黛玉は前世の因縁により賈宝玉のもとに生まれ心から尽くしたが、薛宝釵と結ばれる運命にあり林黛玉と賈宝玉は結ばれる事はなかった。林黛玉は一生で流す涙を流し、その使命を終え、賈宝玉と薛宝釵の、結婚の時刻に息を引き取る。賈宝玉は再び夢に太虚幻境を訪ね、全ての因果を悟り、薛宝釵を捨てて出家し行方知れずになる。
2010.02.17
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「封神演義での神々の戦い」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。封神演義でも知られる神々の戦いで世界がボロボロになった時、神話の中では、女禍氏の石を使って天のほころびを補った。その中の使われなかった一個の石を大荒山に捨ててしまう。その捨てられた石は自分の不遇に毎日泣き悲しんでいたという。 小説には僧侶と道士が現れ石の前に腰を下ろし人間界の話をし、その話に興味をそそられ、女禍氏の石は下界に下りたいと頼んだ。この場面は詩が縦に現れ、静かに朗読する所で、場面は変わった。そして通霊宝玉が口に女禍氏の石を入れたまま人間界に生まれ落ちた。後に天上界に帰り、人生遍歴を語ったのが「紅楼夢」の物語である。
2010.02.16
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「プラトニックに徹した」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。1966年から10年間続いた文化大革命で古典の多くが迫害された。水滸伝では宋江を悪とし宋江重ね合わせトウ小平を失脚させた。だが、紅楼夢は毛沢東が「歴史小説」として読むように勧め、毛沢東自身も紅楼夢を手放さなかったと言う事も有名な話である。紅楼夢は貴族上流階級の日常生活が描かれ、登場人物も350人を、超える人々を起用し大きな規模だが、細部まで克明に描かれ、1984年にテレビで放映されてより更に文化史的価値があるとされる。男女の人情を描いた中国の古典長篇小説として恋愛模様が、プラトニックに徹し情感も洗練を極めている点に人気を集めた。
2010.02.15
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「寂しくこの世を去った」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。小説紅楼夢の特徴はストーリーに織り込んだロマンではなく、大貴族の息子や娘の揺れ動く心が繊細に描写されている事である。三国志や水滸伝対して紅楼夢の文学は男女の情を追求している。また賈宝玉たちは儒教道徳や官僚の腐敗、不正に対する痛烈な、批判を口にし科挙試験を何度も拒否し受験しなかった。だが賈宝玉は薛宝釵を妻に決め、挙式の当日に病床の林黛玉は、寂しくこの世を去った。この頃から、無常を感じた賈宝玉は、科挙試験の勉学に打ち込み、官吏登用試験の科挙に合格する。最後には薛宝釵を家に残して家を出て姿を消してしまった。
2010.02.14
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「紅楼夢を奨励するほどだった」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。古典小説である紅楼夢は上流階級の賈家の賈宝玉を主人公とし、繊細な神経で涙にもろい美少女の林黛玉と賈宝玉の妻となる、薛宝釵の三角関係の中で物語は展開して行き、物語は中国貴族の、上流階級の生活を描きながら主人公たちの交わりを書いている。ヒロインである賈宝玉、林黛玉、薛宝釵の関わりの中で克明に、描写している。私は中国版の紅楼夢のVCDを何度も見ながら、覚えた人間関係であるが、三国志などに比べると少し難しい。清代末期から紅楼夢を専門に研究する学問を紅学と言うが、この言葉は現代でも使用され文化革命時代の毛沢東も愛読し、水滸伝などを読む事に関しては制限したが紅楼夢は奨励した。
2010.02.14
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「封建社会を批判した小説」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。紅楼夢の作者は曹雪芹で、彼が書き上げた石頭記(紅楼夢)は、1720年当初、110回まで存在していたとされる原稿のうち、なぜか80回以降を紛失、その後曹雪芹は他界してしまう。その30年後に出版者程偉元の要請で高鶚が40回を書き上げ、1754年出版後、ベストセラーとなり四大古典小説となった。中国では熱狂的な紅楼夢ファンを生み出し、日本をはじめ、英語、ドイツ語、ロシア語など翻訳され出版されている。また紅楼夢の研究は多くの紅学者の手で進められ1950年代の、紅楼夢論争では、紅楼夢は曹雪芹自身の半生を通じ、封建社会を批判するために執筆したのはないかとされた。
2010.02.13
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「改革へ向け動き出した頃」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。上海大観園を建設されたのは1978年に入ってからの事で、2年の歳月を掛けて上海園林部門によって建設された。中国四大古典小説「紅楼夢」の中に出てくる庭園を再現し、清代の貴族の暮らしを垣間見る事ができる古風な建築であり、また清代の古典的な庭園と現代的な庭園が交錯している。中国では政治や思想また文化の革命運動の筈だったが実際には、1000万人以上の犠牲者を出した革命は、中国の発展を20年以上、後らせてしまった。日中国交が正常化されてより4年後の1976年に、文化大革命が終結を迎え、大観園が建設されたのは、それから、2年後の事で、世の中も改革へ向け動き出した頃だった。
2010.02.12
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「北京大観園から上海へ」 「中国写真ライフ」では、上海「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。北京の大観園で紅楼夢の物語や背景などを自分自身の目で、確認できたが、1984年に中国の歴史ドラマとして放映され、その古典小説のドラマは、北京で撮影され、紅楼夢の建物は、上海の大観園で撮影されたと語ってくれた。上海西南部の「淀山湖」東岸にある紅楼夢撮影セットの、大観園は、市中心部から65キロの距離にありバスに乗り約、1時間半で着く。大観園風景旅遊区の中にある大観園は、1984年に一般公開された紅楼夢で一躍有名になった。最近でも映画やテレビドラマの撮影でよく使われている。
2010.02.11
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「北京大観園」 「中国写真ライフ」では、北京「大観園(紅楼夢)」の写真を公開しています。7年ほど前に北京の大観園へ行き、その時撮影した写真を、探したがデータを紛失し7枚しか見つからなかった。北京へは万里の長城や故宮など有名な観光地を見た後、北京大観園へ市バスを乗り継いで行った。写真は紅楼水車。1983年に北京と上海大観園で紅楼夢の撮影が行なわれた。中国に来てより、1984年にテレビで放映VCDを購入して、もう4回は見ただろうか?名前も覚えたが、7年過ぎた今、殆ど忘れてしまった。紅楼夢は曹雪芹によって書かれた。過去世・現世・未来世を匂わせ、莫大な富も権力もやがては、滅び去る事を説き、また自分の自叙伝のような紅楼夢・・。志し半ばにして未来世に旅立った曹雪芹、そのあとを、程偉元・高蘭墅らが書き綴り完成させた紅楼夢ではあるが、曹雪芹の真意は受け継がれたかは永遠の謎ではある。紅楼夢の最終章は曹雪芹の心を写しているのではないか・・。テレビドラマとして撮影された紅楼夢は1984年放送され、1985年より大観園は一般公開された好評を博した。
2010.02.10
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「犬肉店の犬の悲しげな眼」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。「獣偏に句」と書いて「gou3ゴウ」と呼び、犬を表す。湖南省の最後に行ったところは、チベットの薬屋さん。そこで上手く7600元(110000円)ほどの薬を買わされてしまった。私は温度差アレルギーがあり、少しの温度差(低温)で鼻水や、くしゃみが出てしまい、風邪の症状になってしまう。首を掌でバシッと叩かれ、私の血を吸盤で取り出して見せた。血の色はドス黒く、相当悪くなっていると告げる。そのあと、紹介された薬が3種類、これを飲めば治るからと、その言葉のペースに乗せられた。またガイドは7600元?と、何やら計算機で計算し終わり、私のレシートを持ってレジへ。あとで分かった事だが、マージンがガイドに入るらしい。また私の首から出した血は、犬の血だったと言われ力が抜けた。その横の店が、写真の犬肉店だったという訳であるが、間もなく、殺され食べられてしまう事を分かっているかのような犬は、鉄格子の檻の中から助けてよって言う目で見つめられた。 「一人旅でまた良い思い出」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。中国でよく目立つ落書きと言えば携帯の電話番号だろう。都会でも都心から少し離れた建物の壁に描かれているのに出会う。工場の外壁や守衛所の壁、病院の外壁など至る所に書いてある。写真の商店街の壁にも、隙間なく電話番号が書かれている。漢字の意味は黒車は白タクで、下の代款は貸款と書かれている。意味は貸款で金貸しということであるが、結構達筆である。湖南省の長沙空港へ着き、誰もいない空港待合室の椅子を撮影。今回も、一人旅であったが、ホテルの従業員の人たちも、私を病院へ送り、診察が済むまで待っていてくれた。診察を受けるのも日本語は全く通じないし、ペニシリンの、アレルギーでショックを起こし、電気ショックを施した事があり、注射は止めて、薬だけにして頂いた。ホテルでは昼も夜も、食事を部屋まで運んで頂いた。一人旅でまた良い思い出になった。
2010.02.09
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「悲しい結末を暗示」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。「黄色い大地」の監督は「張藝謀」で、北京オリンピックの、開会式や閉会式またパラリンピックの総指揮を担当した監督だ。監督の代表作の1つである「初恋のきた道」も田舎に住む、純朴な赤い服を着た娘が、知識ある中央の青年と知り合い、恋が生まれてくる男女の関係の形は少し共通するものがある。「黄色い大地」はハッピーエンドで終わるものではなく、むしろ悲しい結末を暗示させて終わる作品で見る者に投げかけ、中国内陸部の耐えてきた苦しい時代を残している。何度見ても飽きない映画だが、日本語で見るならば更に、心に残る物語であり、映画であったのではと思う。
2010.02.08
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「日本に追い付き追い越せ」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。映画「黄色い大地」は中国の田舎の貧しさが大きなテーマに、なっており、長年続いてきた田舎の習慣や飢饉で作物が育たず、農民が、飢えてしまうことなどを目の当たりにした顧青は、八路軍は、この貧しさから人々を解放するのだと語るが、この当時は理想でしかないが、八路軍から解放軍に変わった、今の国民総生産量は日本に追い付き、追い越す勢いである。映画「黄色い大地」のような内陸部は現在でもまだある。この映画は1939年の貧しい農村の様子を、1984年に、作成されたが、45年も前の時代を映画化したものの、1984年当時は文化大革命が、終息して6年ほどで、まだまだ映画のような状態であったと思う。つづく
2010.02.08
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「杭州西湖」 「中国写真ライフ」では、浙江省「杭州西湖」の写真を公開しています。あと3・4回ほどで湖南の旅が終わるので、浙江省の写真を編集しているが、これはテスト公開である。バックアップの写真から引っぱり出し、アップロードしてより、ページに公開した場合、縦方向写真の画像劣化をテスト。
2010.02.07
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「感情が渦巻き駆け抜けた」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。顧青が話した事に対して翠巧が驚いた事は、男女の結婚も田舎の、風習とは違い、2人の感情が大切だと言う事、さらに時代は、大きく変わっていくと熱っぽく翠巧に語った事だったが、翠巧の、心は何とも言えない感情が渦巻き駆け抜けた。翠巧は顧青の、姿を通して心は揺れ動くが、そんな中、顧青は明日には、八路軍へ戻らなければならない事を告げた。翠巧の父親は翠巧に対して、心を許せる男の家に嫁ぐようにと、告げるが、翠巧は延安に戻る顧青に対して、自分を八路軍に、入れてくれと懇願するが、顧青は翠巧に、入隊するためには、申請しないといけないからとか、少し時間が掛かると言い、顧青は翠巧が嫁ぐ日までに必ず迎えに来ると約束して戻った。だが、月日は無駄に過ぎ去ったが顧青は戻って来なかった。つづく 「嫁ぎ先を逃げ出す」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。遂に嫁入りの日を迎え、花駕籠に乗り赤い服と赤いベールの、花嫁衣装で、嫁ぎ先に入った翠巧を待っていた男は酒びたりで、暴力を振るい、見ている私まで何とも悲しい気持ちになる。無力な少女には勝手に実家に戻って生活するわけにもいかず、翠巧は堪りかねて嫁ぎ先を逃げ出してしまった。自力で黄河を渡り姉に代わって黄河に水を汲みに来ていた弟と、共に実家の前まで帰った翠巧は、バッサリと切った長い髪を、弟に手渡し、父への親不孝の想いを弟に話し、1人小さな舟を、漕いで黄河を渡り八路軍へ参加しようとしたが、顧青というと、約束を守って村に翠巧を迎えに来たものの顧青が来る前に、翠巧はすでに村を去っていた。つづく
2010.02.07
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「嫁ぎ先に入っていく姿を描く」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。顧青が民謡を集めにやって来た目的は、八路軍の兵士に歌わせ、指揮を高めるためだった。赤い花駕籠に乗り赤い服を着た花嫁が、表れピッコロトランペットやロータリーチューバやシンバルで、はやし立てられながら、嫁ぎ先に入っていく姿が描かれている。八路軍の兵士・顧青は村人と共にこの婚礼の式に入って酒を飲み、食事をしながら民謡の歌詞を集めようとしていた。顧青の近くで嫁入りの様子をじっと見ていたのが、村で一番、貧しい家の娘の翠巧という名の娘であった。つづく
2010.02.06
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「砂や岩を砕いて描いた絵画」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。鳳凰古城に行った翌日に20年前日本で見た文化大革命の縮図を、映画化した「芙蓉鎮」のロケ地に行く予定だったが、ホテルに、帰り着いてより疲れから扁桃腺が腫れ高熱を出してしまった。仕方なく、王村行きは断念して病院へ行き、ホテルで寝ていた。昨日ホテルへ着く前に画家「李軍声」の軍声書院へ寄った。李軍声は家が貧乏で画材が買えず、色々な所の砂や岩を集めては、自分で絵の具を作り描いた作品が展示されており直販もしていた。名古屋万博の中国館の中にも展示されていたようであるが値段は、李軍声の作品が30万円ほどで弟子たちの作品でも3万円ほどだった。私は、絵を見ながら中国の黄土地の映画を思い出しながら鑑賞した。つづく
2010.02.05
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「幾らなら買いますか」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。鳳凰古城の石畳を更に歩いて行くと蚤の市のような感じで、骨董品が並べて展示してあり、声高らかに販売していた。中国人の中には、骨董品に興味があるのか2体買っていた。私は骨董品が偽物であると決めてかかり値段180元(2600円)と、書いてある骨董品を手に持ったり、意味もなく手で叩いて、鳴らして音を聞き分けている素振りをしたりしていた。露天店主は、その骨董品を、幾らなら買いますかと聞くので、私は手に取り黙っていると、店主から130元(1900円)に下げるから、買わないかと・・。私は10元(140円)なら買ってもいいと話すと、話にならないと手で行って下さいというように振ったので、去ろうとすると100元(1400円)でいらないかと頑張って売ろうと、しているので8元(112円)なら買ってもいいと駆け引きをし最終、中国人は130元で買ったが、私は60元で買ってきた。
2010.02.04
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「万寿宮から石段を降り船着場へ」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。鳳凰古城の万寿宮から石段を降り船着場から対岸を撮影。向かいの建物はレストランや簡易ホテルなどが並んでいる。船着場からは、旅人を乗せて500m程の景色を見せて回る。沱江の500mほどの遊覧ならば40元(550円)であった。船着場から石段を上がり左へ折れ、そのまま堤防沿いを歩くと、石畳の道の両脇には、観光客を相手に川で捕れた蟹やエビを、串に刺し、から揚げにして一本5元(70円)ほどで売っている。中国人の中にも不衛生と買わない人も多いが食べると美味い。買う場合は、から揚げにして積んであるものは避けたほうがよい。
2010.02.03
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「モン族の麻で仕立てたスカート」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。写真はミャオ族の女性が穿く沢山のヒダのついた民族衣装。モン族の麻で仕立てたアコーディオンプリーツスカートの事で、ミャオ族自身はモン族だという事を嫌う人もいるが、モン族の、衣裳が鳳凰古城の民族博物館に展示されているのもうなずけた。私が学生時代にプリーツの型紙を作成して、生地を購入段階で、苦学生の私には生地を購入するお金が足りずに、タイトスカートに換えた事を思い出した。タイトスカートの用尺は110cm巾生地で丈の2倍と縫い代分でよい。だが、アコーディオンプリーツの用尺は110cm巾生地で丈の4倍以上、またヒップからウエストにかけて別布を使用しなければならない。裏地に関しては両脇の裾にスリットを入れればよいが、スカートの、運動量分のタック巾が必要になってくる。またプリーツは、ただの、アイロンでは折り目が取れてしまうために、細かいヒダ加工が必要で、1着分の加工代に相当分の費用が必要な為、苦学生の私はテーマを、断念してタイトスカートにしてしまった事が、懐かしく蘇った。
2010.02.02
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「東晋時代の著名な道士」 「中国写真ライフ」では、湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。鳳凰古城の万名塔の裏手に万寿宮と民族博物館とが、一緒になっていたが、一階に万寿宮があり写真の許真君と、呼ばれる道教の道士であり、道教とは長生不死と道を得て、仙人なることを追及した教えでもある。道家の創始者は、老子であり、春秋時代末期の思想家である。紀元前500年以上前なので歴史は古い。写真の許真君の本名は、許遜と呼び、東晋時代の著名な道士で享年135才の長寿である。湖北省で生まれで四川省で活躍した官吏だった許遜が湖南省の、鳳凰に何故、祭られているのかを調べた結果、許遜は官吏を辞職し、水害の闘争に一生を奉げた人物と分かり、水害を防ぐために民衆の、寄付で建てた万名塔の裏に許真君を安置するつながりを納得した。
2010.02.01
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