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「西岳華山の旅2」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。前日に旅行社が用意してくれていた、 入山チケットとロープウェイの往復チケットを、カメラバッグに入れ、ロープーウェイ乗り場まで、歩いて行ったが、間もなくオートバイが、警笛を鳴らしながら追いかけてきた。ロープーウェイ乗り場まで500mもないが、ホテルのサービスなのだろうと思ったが、オートバイの後に乗ることは気が引け断った。何度も、乗って下さいと懇願されたが、手を横に振り断った。オートバイの人も、仕方なくオートバイを押して私に付き添った。ゴンドラ乗り場へ着くと握手をして若い運転手は、大きなエンジン音を轟かせながら急ぎ去った。ゴンドラ乗り場では150人ほどの人が待っていた。20分ほどしてゴンドラに乗ることができた。私は一人だったので、2人と3人のグループに、紛れ、15人ほど追い越し乗ることができた。
2010.06.30
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「西岳華山の旅1」 「中国写真ライフ」では、陝西省西山華山の写真を公開しています。中国陝西省華陰市にある険しい山の、華山へ行って来たが、華山は、道教の、修道院があり、中国五岳の一つである。中国の五岳とは、山東省の泰山東岳、陝西省の華山西岳、湖南省の衡山南岳。山西省の恒山北岳、河南省の嵩山中岳。今回は、陝西省の華山西岳への旅。 上海から西安飛行場に行き、西安旅行社に、行くため、西安駅前までバスに乗って行った。西安駅前に着く頃に携帯から連絡したところ、華山まではバスで行って頂きますとのことで、旅行社事務所でお茶を飲ませてもらった。午後3時のバスに乗り、5時半ごろに着いた。山麓バス停から、旅行社が手配したホテルへ。市内のホテルより粗末な造りのホテルだが、宿泊料金は市内のホテル並みだった。翌朝、ゆっくりと起き出し、遅い朝食後に、身を軽くするため、フロントに荷物を預け 華山のロープーウェイ乗り場まで行った。一人旅とはいえ、のんびりし過ぎた感がした。
2010.06.29
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「杭州郊外の旅13」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺の歴史は古く1680年あまり前に、建立されたが、唐代(690年頃)には、すでに僧侶の宿舎である大伽藍が存在した。だが霊隠寺は何度も焼き打ちに遭っていた。天王殿と羅漢堂を除いて、破壊された時代もある。孫中山(孫文)の中華民国の初頭に再建。だが毛沢東の新中国成立直後に大雄宝殿が倒壊。中の仏像も壊されたが3年の歳月をかけて再建。現在の霊隠寺の仏閣殿は清朝以降に再建された。写真の五百羅漢を安置する羅漢堂は壊されずに、守られてきたが、1998年に新しく建てられた。多くの大きな建物が新しく建立されたが、大雄宝殿の脇に置かれた石塔などは、1500年の歴史があり、また飛来峰には、500年の間、掘られてきた石窟がある。 私は、僧侶にもう5時過ぎたからと催促され、出口でもシャッターを切り、上の窓の扉が、開いていますよと余計な事を言い時間を稼いだ。
2010.06.28
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「杭州郊外の旅12」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州の霊隠寺は夕方5時には閉門になる。もし、時間超過ですでに門が閉まった場合、僧侶の詰所へ行き開けてもらうことは出来る。私が、羅漢堂に造られた五百羅漢の中に、入ったころには、すでに4時45分を回っていた。観光客は、ほとんどいなかったので、誰はばかる事なくシャッターを切っていた所、後から低い声で「あまり撮らないように」と、不意を突かれた僧侶の声に、かなり驚いた。私は咄嗟に「この中には何体の羅漢が・・」と、意味不明な質問を僧侶にしていた。僧侶は「五百羅漢と言うほどだから500体」と、手には、いくつもの鍵が握られており、早く見終わってくれないかなというような表情。私は、見るより写真を撮りたいのですがと言うと、早くして下さいよと許可されたと理解した。五百羅漢のどれ一つとっても同じ顔がない。何となく中国の友人にも似ている顔に、レンズを向けシャッターを切っていた。
2010.06.27
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「杭州郊外の旅11」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は霊隠山のふもとにある寺院。秀麗な山々を仏教修行者の心霊の、隠れ住む処と「霊隠寺」と名付けた。10世紀の全盛期には、9階建ての宿舎が、二棟あり1200室ほどに僧侶3千人いた。現在の宿舎は清朝の頃に建て替えられた。だが、時代と共に仏教は道教に押され、僧侶の数も300人ほどになり、現在では、250人ほどまでになっているが、それでも、すごい人数の僧侶が修行している。霊隠寺の大仏殿の「大雄宝殿」は高さが、34mほどあり、中に安置された金箔張りの、釈迦如来像は高さ20mほどで、その高さは、中国の各寺院の坐像としてはトップクラス。「大雄宝殿」から「天王殿」へ向け歩き、「天王殿」の中へ入ると、高さ8mほどある、きれいな色で塗られた四天王像がある。写真では、広目天と多聞天を撮影しており、持国天と増長天の画像は貼り付けていない。
2010.06.26
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「杭州郊外の旅10」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隱禅寺のスケールは大きく、「東南第一禅院」と呼ばれている。中国各地の禅寺を見て回ったが、ほとんどが大音量のカセットテープで、お経を流し続けているものだった。私が訪問した時間帯が僧侶の読経時間とは、違ったのか、法要の日ではなかったのか?分らないが、ここ霊隱寺の本堂では、僧侶たちが読経する声が響き渡り、なんとも言い知れない雰囲気だった。私が撮影する後ろ側では、手に数珠を、持った中国人信者たちが手を合わせているので、シャッターを切るたびに、罪悪感さえ感じた。荘厳な雰囲気の中で僧侶たちの読経は、いつまでも続いており、写真を撮り終えては、いなかったが、入口付近に立つ人たちを、かき分けて外へ出て、大きく深呼吸した。大きな香炉越しに線香を炊くことで、願い事を叶えて貰おうと真剣な参拝客の、姿を撮影したが、私は手一つ合わせていないので、何となく悪くも感じたが日本でも手を、合せた事がないと言い訳がましく思った。
2010.06.25
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「杭州郊外の旅9」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隠寺は、著名な五山の一であり、古刹の多い杭州近辺でも目立つ存在である。その霊隠寺の本堂の中の撮影には気を遣った。本来なら、撮影すら許可されない本堂内である。いくら住職の手書きの撮影許可証があっても、ジーパンの後のポケットに入っており、何もアピールしていなく外部から見た感じは、やはり不審者が撮影していると映っただろう。写真を整理している時にも、同じショットが、ランダムで出て来るので、撮影した本人が、戸惑うほど、あちらこちらへ急ぎ足で動き、僧侶たちの目を盗んで撮影していた事が窺える。撮影にはフラッシュを用いないと内部は、薄暗く困ってしまったものの、フラッシュは、遠くからでも撮影をしていると分かってしまうため、フラッシュを使わず、ISO感度を上げて撮影した。内部には200人ほどの僧侶の大きなお経の声が、耳に入ったが、私のレンズを見る僧侶は少なく、寺の保安係が、私の肩を何度もたたいていた。
2010.06.24
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「杭州郊外の旅8」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は326年にインドの慧理により、建立され、10世紀頃はは3000人以上の、僧が修行に励んでいた。唐の武帝の時代には仏教やキリスト教など、外来宗教の国外追放がなされ徐々に衰退。中国は元々道教の国であり、民間宗教に、取り入れられ、仏教も民間から忘れ去られた。歴代の皇帝は、仏教を別格扱いして、民間から切り離していた時代を通り過ぎた。200年前頃から中国での仏教は庶民の間からも、忘れ去られ、文化大革命の始まりと同時に、仏教寺院は風前の灯となってしまった。まだ40年ほど前の中国での出来事である。だが、信教の自由となり規制されない。霊隠寺も信仰深い信者たちにより改築され、現在の寺に生まれ変わり、多くの信者を迎える。写真の釈迦如来像や殿内は撮影禁止であり、撮影すると寺の管理者から大きな声で注意をされる。私は住職に何度もお願いをして200元のお布施をし、やっと手書きの撮影許可証をもらい撮影したが、やはり、カメラを向けると手で静止され、その度に、手書きの撮影許可証を見せなければならず苦労した。
2010.06.23
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「杭州郊外の旅7」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。日本での禅寺に限らず他の寺院の、参拝方法は、あまりよくは知らない。私は中国へ来る前までは、中国仏教が、これほどまでに盛んとは思ってもみなかった。中国の仏教は200年前に衰退しており、法輪講などが盛んであると聞いていた。だが実際に中国各地の寺院へ行ってみると、写真のような若い人たちが祈りを捧げている。若い人たちの中には、祈りの作法を先輩から、いろいろと教わっている姿も見受けられた。日本の祈りの作法から比べるとオーバーとも、感じる作法には、一生懸命さが感じられ、一体何を祈っているのかと思うほどである。
2010.06.22
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「杭州郊外の旅6」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州にある霊隱禅寺のスケールは大きく、「東南第一禅院」と呼ばれ多くの人が訪れる。寺の前に御碑亭が有り、清の皇帝の乾隆帝が、6回訪れ、多くの詩を詠み御碑に刻んであった。この天王殿の入り口の額には清の第4代皇帝の、康煕帝によって「雲林禅寺」と書かれている。大雄殿の入り口脇には、理公塔と同じような、塔が置かれ、中には何体もの石仏が彫られていた。本殿の前には大きな香炉が置かれ、長い線香に、観光客が火を点けるために来ているが、次から次へと人が来ては、急がせるので、線香に火が点いているのか何度も、確認するためスムーズに、火が点けられない人の姿もあった。日本で使われる線香の太さとは違い、中国では花火のように長い線香もあり、長いものでは1mの線香もみられる。
2010.06.21
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「杭州郊外の旅5」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠寺は中国禅宗十大古刹の一つであり、326年にインドの高僧・慧理によって建立。その歴史は1684年以上で、最盛期の、10世紀頃はは3000人以上の僧が居たという。中国最大の木彫り釈迦弁尼の座像は圧巻である。現在の寺院は19世紀後再建された建物である。境内を歩いて行くと多くの観光客がひしめく。皆の手には、それぞれに太い線香があり、その線香を額につけて、まっすぐ前方に伸ばし、祈りを捧げる姿は実に豪快と言うよりオーバー。祈りの方法もいろいろあり、お寺の周りを、ぐるぐる回る方法もあるから驚く、それも、中には靴を脱ぎ捨て素足で回っている人もいる。
2010.06.20
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「杭州郊外の旅4」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隠山の麓にある霊隠寺は、インドの僧慧理が、東晋時代(326年)に建立し、仙霊が多く、隠れ住んでいる所として霊隠寺と命名した。五代の呉越の頃、最も栄えるが、その後何度も、興亡を繰り返し、現存するのは19世紀の建築物。東西に2つの山門があり、中央に天王殿が並ぶ。天王殿には南宋時代の楠木造りの韋駄天像が、大雄宝殿には金箔を貼った釈迦如来像が、安置されていた。中は撮影禁止であるが、何とか撮影したので、後日貼り付けたい。閉門時間が5時までだが、開門時間も、5時までと勘違いすると、せっかく、ここまで来て何も見ずに、飛来峰の石窟のみで、終わってしまうので、4時までには入門したい。
2010.06.19
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「杭州郊外の旅3」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州霊隠寺入り口ゲートを入り道なりに、歩いて行くと参道に出るが、参道の敷石が、取り壊され、工事中であり、皆歩き辛かった。しばらく進むと、参道の左手に飛来峰の、石窟造像群が見えてくるが、つい足を止めるほど。すでに霊隱寺観光(参拝)を終えた人達が、帰って来る中でも、多くの人が足を止めて、飛来峰に彫られた石窟や石仏を眺める姿が見える。この山には、幻想的な洞穴が70以上ある。その洞穴内には五代から宋、元代までに、造られた石刻像が330体以上安置されている。宋代に造られた石像は、唐代以後中国北方の、石窟芸術が衰えた後に造られており、石窟群として貴重な資料と研究者には堪らない。観光客も石窟をもっと近くで見ようと、石窟の近くで記念写真を撮っている姿が目に付く。私は時間が押し迫っており、望遠レンズで、石仏や観光客を撮影するだけに留めた。
2010.06.18
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「杭州郊外の旅2」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。霊隱禅寺は西湖の西北の北高峰にあり、別名「雲林禅寺」とも呼ばれている。西湖湖畔に建てられた六和塔と同じく、インドの僧であった彗理が東晋の時代、326年に創建し、1674年以上の歴史がある。霊隠寺駐車場から門をくぐり中へ入ると、石畳の参道は工事中で石が乱雑に置かれていた。まだ工事中の参道を歩いていくと、写真の、理公塔が建っていた。1590年に建て直した。風雨に晒され彫られた石仏群も古く感じる。霊隠寺を訪れた多くの観光客は飛来峰に、彫られた石仏を眺めながらゆっくりと歩いた。敦煌の石窟や洛陽の石窟よりも規模は小さいが、中国禅宗十大古刹の一つだけあり、石窟群も、時間があれば、見て回りたいものだと思った。飛来峰の由来はインド天竺から来た慧理が、インドから飛来してきたと語ったことから、飛来峰と呼ぶ名が付けられたという。
2010.06.17
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「杭州郊外の旅1」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州郊外の写真を公開しています。杭州の茶畑を通り過ぎると茶楼に着いた。ガイドブックには茶摘み風景が見られるとの、内容が書かれてあったが、時期外れの為に、茶楼にてお茶の試飲と説明が行われた。中国茶と言っても烏龍茶やプーアル茶とか、ジャスミン茶、緑茶などが知られている。写真は杭州付近で知られているのは龍井茶だ。特に清明節前に摘まれた明前龍井と呼ばれる、お茶が非常に高値で取引されている。下の写真は、丸いお茶缶に龍井茶を軽く山盛りに、入れて、お客にアピールしたあと、缶を小刻みに、机の上で叩き、詰め込んでしまい好感を持たせた。杭州西湖のほとりから山間部に茶楼はある。龍井茶の精錬方法などの説明を聞いていると、お茶がたてられ、配られたので一口のみした。透明な一口飲みグラスで飲むと、量も少ないせいか、香ばしく甘みさえ感じるお茶を味わった。写真の龍井茶は1缶100元(1400円)ほどだった。一人で3缶を買う人もいたが、私は買わなかった。この時点、上海のマンションには旅に出るたび、お茶の葉を購入していたので、購入は控えた。
2010.06.16
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「杭州宋城の旅15」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。宋城の散策も終わりに近づき、顔見知りの中国人が、私に声をかけて来た。私はひとり単独行動だった。上の写真は「月下老人祠」の画像を用いた。「月老祠」と呼ぶ祠の中を散策した。中国語の「月老」は、日本語では「仲人」の意味。縁結びの神が祭られている「月老祠」の中へ入り、急ぎ写真に収めたが、シャッターを切ってより、撮影禁止ですよと保安の人から言われたが、既にシャッターを切った後なので、笑うしかなかった。「月下老人」は唐代に韋固(い ご)という人が、月夜に老人が書物をひもといているのに出会った。その書物を見ても1字たりとも読めなかったので、老人に尋ねたところ、それは天下の人の縁組みを、克明に記した本で、老人は縁組みを司る神であり、その内容が書かれていたという伝説から、「月下老人」の名前が付けられたという。下の写真が、撮影禁止ですと言われた「月下老人」なぜ撮影が禁止されているのか後で分かった事だが、観光客が多い中、立ち止まって写真を撮っていると、人がスムーズに流れないからとの理由だった。
2010.06.15
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「杭州宋城の旅14」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。日本の観光地の写真館にあるのかどうか、分からないが中国の観光地には物語の、衣装が並べられ、それを着て写真を撮る。衣装を着用し写真撮影して現像までしてくれて、20元から30元の値段がするが、高いか安いかは、その人の価値観に拠る所が多いにある。デジカメで撮影し、パソコンで操作をし、カラープリンターでプリントアウトし、写真を真空パックするが、手慣れたものである。上の写真は、野外ステージであるが、土日の観光客の多い日に演奏するようだ。千島湖は杭州から安徽省よりにある湖。千島湖でとれる野生の包頭魚を使って、料理した濃厚な八宝魚頭スープが名物。しかし、最近では養殖魚を使うようになり、地元の人は味が落ちたと言うが、旅行客には、味など分からず名物料理と評判が良い。私は焼き魚が好きなのだが、中国では焼き魚の、習慣があまりなく、日本料理店で食べている。
2010.06.14
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「杭州宋城の旅13」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。「天下無敵」と書かれた下に「擂」の文字。「擂」の意味は、マッチを擂るや墨を擂るまた、擂鉢の中でゴマを擂るや、競馬で擂ったなどと、擂る(する)という意味で使われる。だが、宋城天下無敵と書かれた台の上に「擂」と、書かれているが、「擂台」ととらえると意味が分かる。擂台とは、武術の試合をするための高い壇で、競技や競争の場との意味である。また競技や競争への、参加を呼びかける事でもあり、人に挑戦を申し込む事。競技や競争に参加することや人の挑戦を受けて立つ。このように考えると天下無敵の文字も引き立つ。写真は「月下老人祠」であり、略して月老祠と呼ぶ。月老は日本語「仲人」の意味で縁結びの人でもある。その月下老人祠向かい側を少し歩いて行くと、財神殿につく、財の神であるので、金儲けの神。中国の庶民は日本と比べても、お金に対して、執着心が強いように感じるが、今まで苦労して、来たからであろうし、まず他人が持つ物に対して、幾らしたの?と必ず聞いてくる。これも悪気があるのではなく、彼らの習慣で、初めて接する人は閉口してしまう人も多いようだ。
2010.06.13
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「杭州宋城の旅12」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。下の写真は墨絵を展示販売してある店。この店では買わなかったが、以前桂林で、14年前に購入した墨絵が日本の故郷にある。その当時で12万円ほどし、騙されたと思って、故郷の床の間に掛けてあるが、母が1万円で、買ったという掛け軸は、私の掛け軸より、縦に3倍ほどの長さだった。掛け軸などは、余程目の肥えた人でないと、偽物を掴まされたり、4倍もの値段で買わされる。上の掛け軸の写真などは、中国南宋代の画家が、描いた墨絵と言う事だったが、眉唾物である。中国宋代の掛け軸が真新しい色の筈がない。宋代の牧渓筆の墨絵と言われても信じられない。墨絵の山水画と言えば中国お手の物ではある。江戸時代の茶人の間では中国山水風景を選んで、画材とし多くの画家の水墨画があり珍重された。また長い間所有していたと言うからマニアには、耐えられない一物なのかもしれない。だが、母は高価な掛け軸の価値も分からず大きな、掛け軸を床の間に掛け、私のは棚の上に置いていた。
2010.06.12
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「杭州宋城の旅11」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。宋の小旗が軒下に吊るしてある建物へ向かった。その建物は、大きなレストランであったが、食事をしたばかりの私は、食事をするより、レストランの外に吊るしてある爆竹に関心が行った。飾りもののようにも見える爆竹の上には、古代の金で造られたお金で、その下に爆竹が、一つ一つ繋がれてぶら下がっていた。爆竹と言えば、中国では夜中でも平気で鳴らす。夜中熟睡している時にも、バチバチ!という音で、目を覚ました事が数え切れないほどある。花火もそうで、夜中でも立て続けに打ち上げる。中国庶民の常識は日本で育った私には理解できない。だが、時が過ぎ去り、中国で爆竹禁止令が出た時、これで静かになると思ったが、何となく物足りない。私がそう思うのであるから中国人ならひとしおだろう。禁止令が出ても、それは直ぐに破られてしまった。
2010.06.11
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「杭州宋城の旅10」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。写真は南宋代の一人の有名な王安石で、政治史上で改革家として有名な人物である。 だが失敗した改革者としても世に知られている。また下の写真は、宋代武将の鎧でもある。昔より歩兵用の甲冑である歩人甲は特徴として、鎧が足下まで長く有る事で、中国の甲冑の中でも、最強の物との紹介もあるほどである。小さな金属板を革ひもで編む方法は紀元前から有る。だが、枚数が多くなり重量が30キロ超えるものもあった。騎馬用の甲冑は馬に乗るため、短い物が使われていた。宋城の女性たちが身に付けた飾りものも置かれ、売られていたものの金額は結構張った。しかし、偽物作りには長けた中国ならではの精巧な物。でも、宋城の外へ出れば、もっと安く売っている。土産物として買うならば、同じ偽物安いに越したことはない。
2010.06.10
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「杭州宋城の旅9」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。上の写真は、宋代朱子学の朱熹の石像の写真。少し歩くと、軽食店が立ち並ぶ通りへ出た。メニューの中に「雲南過橋米綫」を見つけた。私が「過橋米綫」を知ったのは、今から、9年ほど前の事で、それまでは知らなかった。独学で中国語の本を学習している時に、「雲南過橋米綫」の文字を取り入れた項目を、辞書をひも解きながら、その意味を理解した。また私が初めて雲南へ行ったのも、「雲南過橋米綫」を食べたい為に行った。だが、「雲南過橋米綫」は上海にもあり、その事を知らないまま、雲南へ行って食べた。雲南の昆明で宿を取ったが、大理に美味しい、「雲南過橋米綫」を食べさせてくれる所が、あると聞き、そこまで探しに行き食べた。元々、「雲南過橋米綫」がどんな味なのかを、知らずに出かけた私にとって、美味しいのかは、何とも言い難いものであった。上海にあるのであるならば、上海で食べてより、雲南へ行き、比較してみるべきだった。その後、3回の雲南旅行をし、上海でも、「雲南過橋米綫」を食べ、コシのある麺が、好物になってしまい、上海でもよく食べたものだった。下の写真は、中国結びのアクセサリー類が並ぶ。
2010.06.09
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「杭州宋城の旅8」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。宋城の土産物屋から少し歩いてきた所に、水遊び場として作られたところがあり、暫しの間、足を止めて眺めていた。観光客の子供や大人まで混じって、水面に並べられた発泡スチロールの上を、渡り終える遊びをしていた。大きな発泡スチロールであるならば、水上の上でも安定感はあるだろうが、写真のように小さな発泡スチロールでは、素早く渡っても水の中へ落ちてしまう。観光客たちは、宋城へ来るのに着替えなどは、持参していなく、ずぶ濡れになった衣類が、乾くまで、待っているのだろうか?私の横に立つ父親らしい中国人に聞いてみると、乾かしている時間などないので、絞って、水気を取った後、着用して、歩くうちに、自然に乾いているとの事だった。夏場ならではの遊びだとも思いながら、各地の料理店が立ち並ぶ通りに出て、色々な香りを味わったが、四川料理店の前で、唐辛子が鼻を突き、くしゃみが出そうになった。
2010.06.07
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「杭州宋城の旅7」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。池の中には蓮の花がチラホラ咲き始め、蓮根も沢山出来るのだろうかなどと、思いながら歩き、またシャッターを切った。宋城撥水広場には30あまりの立体式噴水と、8メートル高さの大型連動式噴水がある。私が撮影したのは水車を回している水の流れと、その流れの調和と相まって力強く回っていた。水車へ2メートルほど寄って撮影した。写真のように水がほとばしるほどの力で回る水車。近くに宋城の作業員が居たので聞いてみると、手延べ麺の元になる小麦粉を臼で突いているとの事。この水車で突いた小麦粉は、宋城飲食店業界に配達、中央ポイントから皆さんへ配られるとの事。しかし、不足するので外部からも仕入れているとの事。だが外部よりも、中の水車で作った小麦粉の方が、伸びも良く、味も外部より美味いようである。裏手には小高い丘があり、水が豊富なため、水路への水の供給にも不足しないとの事だった。
2010.06.06
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「杭州宋城の旅6」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。下の画像は、何となく箸で作ったような簪。湖南省鳳凰鎮を旅した折に、土産物用の、簪を見つけ画像にした。その時の添え書き。蔓で編んだ笠へ無造作に挿した「かんざし」が粋で、斬新な印象を受け撮影したが、中国の簪の歴史も古い。ドラマ「jin」で見た花魁の野風が、挿していた鼈甲の簪も見事だったが、写真の簪は、別の意味で、とても可愛い感じがした。ちなみに中国女性に、重宝がられるのが日本の箸で、髪の毛を束ね日本の箸で止めつけると粋だそうだ。昼食は、レストランのような食堂もあったが、そんなに多くはなく、覗くと席が空いていなかった。私一人だったので、焼いた太いソーセージを3本と、ポップコーンを買って食べたが、お世辞にも、美味しいとは感じなかった。だが腹の足しにはなった。下の画像の右側で、50歳位の男性が30歳位の女性を、あれこれ指図しながらポートレートを撮影していた。しかし、女性の表情が硬すぎるので、対話形式の、撮影方法を1分ほど指導したが、お節介が過ぎたかも。女性との距離が5mほど離れており、レンズを見ると、50ミリの標準レンズで、女性に大きな声で指示していた。女性はかなり緊張しているように見えたので、私は、モデルに2mほど近づき、対話するようにすれば、自然な笑顔が得られるようになりますよとお節介。
2010.06.05
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「杭州宋城の旅5」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。杭州宋城の中には九龍広場や宋城広場など、その他、南宋時代の建物なども再現されている。中央に面した土産物通りでは、布製の手提げの、バッグが売られ、中に入るとシルクのワンピースも、売られていたが、縫製の品質はあまり良くなかった。シルク生地の縫い方には余程注意をしないと、パッカリング(ピリつき)が起こってしまう。また下に置いたシルク布がイサリ現象を起こしてしまい、脇などを見ると、右側前身頃が吊っていれば、左側は後身頃が吊っている現象が起こっている。これは、右脇縫いで後身頃を上に置くためと、左脇縫いで前身頃を上に置いている場合に起こる。 また左右共に後身頃がイサっている場合は、両脇共に前身頃を上にして出来る現象である。この場合の特徴として、裾側から縫った脇は、後身頃の裾側10センチ位にイセが入り、袖ぐりから、縫った反対側は、アームホールから10センチほど、イセが入っている事が多い。これは、手慣れていない、6か月前の作業員や経験3年あっても、初めて縫う、個所に不慣れさが残るので注意をしなければならない。私は、どこの観光地へ行っても、百貨店へ出向き、出来るだけ商品を見るようにしている。最近の中国生地も高級感が出て来ているし縫製技術面も、向上してきたと思うものの指導に終止符はない。
2010.06.04
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「杭州宋城の旅4」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。宋城には大型舞踊歌劇「宋城千古情」がある。1億元(140億円)余りを投資し造られた。中国の各地に大型舞踊歌劇の劇場が出来ている。入場料は80元から160元と規模により様々である。本番を成功させるため、夜の開演まで練習が続き、昨日より今日、今日より明日と向上を目指している。3色LED方式と首振り式ランプなどの先端技術で、宋代の杭州の繁栄ぶりを表現している事でも有名。フラッシュ撮影が禁止されおり、誤って発行させない。宋城の中に入り、少し歩いて行くと、中心辺りに、土産物売り場が並び、手作りの工芸品も並ぶ。毎年7・8月に訪れると、水かけ祭りが見れる。水かけ祭りはタイ族の女性により演技される。以前、雲南シーサンバンナへ旅行した折に、シーサンバンナ水かけ祭りを見た。私はシーズンがズレており3回の杭州旅行で、一度も見る事が出来なかったが、家族、友達と、水をかけ合う姿を楽しむ事が出来るとの事だった。手提げの布で出来た袋の土産物が所狭しと、売られていたが、観光客が中に入り品定めしていた。
2010.06.03
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「杭州宋城の旅3」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。黄色の旗に茶と書かれているが、ここに入りお茶を、飲んだが、緑茶の香りも味も杭州では有名である。宋城はテーマパークで、宋の時代を再現している。女真族の金(満州族の祖先)の勢力が伸びてくると、北宋は金と結んで遼の内モンゴル東部を滅ぼした。しかし、今度は宋が手を組んだ金が新たな脅威となり、1126年に政治的中心地であった華北を失った事件の、靖康の変が勃発し、翌年皇帝らが捕虜になってしまい、北方に連れ去られ、ここに北宋は滅んだ。漢民族の北宋が、満州族の前身である女真族を、支配していた金に敗れてしまった。靖康は宋の年号。その後、難を逃れた皇弟が新たに南京で即位し、江南地方を領土とする南宋を建国した事になる。北方は金に占領され、国土は半分になり軍事力も、相当落ちてしまったが、経済力は維持していた。何故、北宋が敗れたにもかかわらず経済力が、落ちなかったのは、以前より北の王朝は、江南地方の、経済で成り立っていたと言っても過言ではない。
2010.06.02
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「杭州宋城の旅2」 「中国写真ライフ」では、浙江省の杭州宋城の写真を公開しています。杭州の気候は日本と同様の四季があり、温帯性湿潤気候に属しており、日本の本州の、気候とよく似ているのではないだろうか。杭州の年間平均気温は16.2℃。最も暑い月は、7月の平均温度は約34℃と日本の37℃より涼しい。冬場の1月の平均温度は約4℃で雪も少ない。宋代は封建社会が発展し、成熟した時代であり、その経済、技術、文化の発展は当時の全世界の、先端を行くものであり、宋城は北宋、南宋の両文化を、取り入れ、杭州の宋文化観光を定着させた。趣のある歴史の深さを感じさせる遊歴空間を、作り出しており、見るもの全てが深みを感じさせた。宋城は杭州宋城集団有限公司が投資、建設した。愛知万博の中国パビリオンでも展示された。北宋時代の有名な画家が画いた「清明上河図」を、再現した中国最大の宋代文化テーマパークと言えよう。宋城は浙江省及び杭州の有名観光地として、中国人は勿論、日本や韓国からも観光客が訪れている。
2010.06.01
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