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「愛について聞きたいのですが。あなたはシリウスファイルの中で愛についてあまり語らなかったと半田さんが述べられているのですが・・・そして、愛とは単なる始まりにすぎないなどといって愛を軽視するかのような印象も読み取れましたが。」
「彼にとって受け入れられやすい形で情報提供する必要があったからだ。愛そのものを軽視しているわけではない。愛とは空気のようなものだ。あって当たり前のものなのだ。この宇宙は愛というエネルギーによって作られているのは紛れもない事実だ。すべては愛によって始まり、やがてはすべての存在が愛に返っていく。」
「やはりそうなのですね。」
「そうだ。」
ただ、この辺は、私の先入観や間に入ってくれている高次の私への配慮があるように思います。
つまり、「愛」を重視するのは、その存在がこの宇宙に存在しているからで、いわば「我々」の視点から物事の本質を見ています。
それに対して、オコツトはこの宇宙には存在しておらずわれわれとは全く異なったエネルギー系に属しています。ですから、オコツトにとっては「愛」すらも中立的な視点から見ることができる、こういうことなのかもしれません。
それに対して、通訳をしてくれている高次の存在は、いわば私の目線に立って物事を解説してくれている、こういった大きな違いがあるという点をご理解ください。
「あなたは先ほどこの世界が前時代の人間によって作られたと言っていましたよね?その編のことをもう少し説明してもらえますか?」
ここでオコツトが地面に模式的に図を書いて説明してくれることに。地面に円を描いて、円の上のほうに「アトランティス」と書かれていて、円の下のほうに「ムー」と書かれてありました。
「つまりこういうことだ。ムーは定質系の流れ(おおざっぱに言うと陽のエネルギーの流れ)、すなわち人間の進化の方向性を示している。
それに対して、アトランティスは性質系の流れ(おおざっぱに言うと陰のエネルギーの流れ)、すなわち人間の退化の方向性を示している。
今の地球は、前時代の進化の方向性に向かった人間によって作られたものだ。そして、それを享受しているのが、退化の方向性に向かった人類だ。
そして、これから進化の方向性に向かうことになる人類は、新たな地球を生み出し、それを再び退化の方向性に向かった人類が享受する、こういうことだ。
つまり、人類とは常に、自分で自分の住む世界を創造しながら生活している、こういうことなんだ。」
このことは、高校の生物の時間になんかに習うような、エネルギーの循環モデルを念頭においてみるとわかりやすいかもしれません。
つまり、エネルギーというのは常に循環しているといった話です。つまり、エネルギーの形態は常に移り変わっていくけれども、常にどこかで存在していて、ぐるぐる回っているみたいな感じでしょうか。
1滴の水が地表から蒸発し、雲になり、やがては雨となって再び地表に返ってくる、みたいな。そういった水、エネルギーの循環のようなものが、人間にも起こっている。それが、上でオコツトが言っているムーの定質系の流れとアトランティスの性質系の流れなのです。
ちなみに、「進化」、「退化」それ自体には、われわれが想像しているような良い、悪いといったニュアンスはまったくないという点にご注意ください。
オコツトはあらゆる事象を中立的に見ています。オコツトがあまり愛を重視しないのも、われわれとは全く異なる次元にいて全く異なる価値観をもって存在しているからだと思います。
すべては自分で選択して決めたことですから。基本的にはどの道にも進むことができます。
また、ムーとかアトランティスという言葉にもご注意ください。
現代考古学上、ムーやアトランティスは伝説上の大陸であると考えられているようですが、オコツトはこれらはかつて地球上に実在していたと考えているのみならず、人間精神の進化の方向性としてムーの話が、退化の方向性としてアトランティスの話が出てくる、こういうことのようです。
しかも、それ自体に良い、悪いという価値観は一切含まれていないという点にご注意ください。ムー(進化の方向性)が良くてアトランティス(退化の方向性)が悪いわけではないみたいです。
もちろん、ムーが進化でアトランティスが退化というのも、あくまで全てをエネルギーの作用としてみるオコツトの視点から見た話ですので。
最後にオコツトはいったいどこから来たのかについて聞いてみました。
オコツトは私にはすぐ眼の前に見えていましたが、オコツトの「主(ぬし)」は別のところにあるとのことです(「主」(ぬし)という言い方をしました)。
はっきりとそういった印象が感じられました。つまり、オコツトは別次元にエネルギーとして存在していて、厳密には今私の目の前にはいない、こういうことです。
オコツトによれば、自分は「『系』のはざまに存在している」みたいな印象を投げかけてきました。
このときに見せられたビジョンは、宇宙球がたくさんあって、その宇宙球同士を何らかのエネルギーによって調整している様子でした。
オコツトは宇宙球の中に入ることはないみたいです。常に外にいて宇宙球相互を調整している感じです。
オコツトは、自分は「調整役」だと言いました。
オコツトのいう「系」とは「エネルギー系」のことで、それぞれの意識が織りなす「次元」、「宇宙」と言い換えてもよいみたいです。
つまり、オコツトは、「系」と「系」のはざまにあまねく存在する「ある種の意識をもったエネルギー」だというのです(オコツトのいう「系」というのは、「宇宙」のことのようです。これには物質的宇宙もあれば、非物質的宇宙もあるようです。)。
「それは、愛のエネルギーとは別のものですか?」
「それとは別だ。」
実際、オコツトからは我々の高次(たとえば「本来の自分」)のような生命エネルギーは全く感じられません。
中性的なのです。
オコツトはマクロレベルでも宇宙球相互の調整をしていますが、ミクロレベルでも同様の調整役をしているみたいです。
オコツトによれば、この世界は、マクロレベルとミクロレベルにおいて相似形をなしていて、今我々が外の世界(マクロレベルの宇宙)としてみているものはすべてミクロの世界(内宇宙)にも存在しています。
つまり、私達は、内宇宙にあるものと同じものを今外宇宙として「見ている」わけです。両者は本質的には同質なわけです。
ですから、オコツトの役割は、外宇宙球同士の相互の調整役にとどまらず、内宇宙球(我々の意識が顕現した各人のエネルギーフィールド)相互の調整役もしているらしく、あらゆる場面において緩衝剤、ないしは調整役というエネルギー相互間の調整役をすることにあるみたいですね。
言葉にすると複雑なんですが、気にせずスルーしてください。
ちょっと補足しますと、ここら辺は私の理解を越えているのですが、われわれのいう非物質界というのは、F21以上の世界では時間や場所の拘束を受けないと教わってきました。
シルバーバーチなんかも、非物質界も物質界もすべてが融合しており、どこか特定の場所に非物質界があるわけではないということを以前言っていました。
ですから、私はずっとその理解できたわけです。
しかし、オコツトの話によれば、物質的宇宙球と非物質的宇宙球、そして、非物質的宇宙球同士、これらは一応区別して領域として存在していると理解しているのかもしれません。
あるいは、シルバーバーチのように全てが融合していると理解したとしても、オコツトの話は一応説明できるようにも思います(シルバーバーチの考えは、あるのは一つの世界のみで、そこにあらゆるバイブレーション(振動数)に応じた世界が融合して存在しているという考えです)。
シルバーバーチの考えによったとしても、バイブレーションに応じた無数の世界が一応存在していると考えることができるので(すべて重なるように融合はしているものの振動数に応じた別世界が別個に存在していると考えますから)、そのそれぞれの世界を各宇宙と考えれば、オコツトの調整役をしているという話も同じように理解して考えることができるからです。
この辺はちょっとわかりづらいですから、そのままスルーしてください。
「意識が織りなすこういった宇宙、次元というのは、ほかにも無数に存在すると考えてもいいわけですね?」
「そうだ。」
「それは入れ子構造になっているのですか?つまり、あなたが『シリウスファイル』の中で伝えているようなホロニック・ペンターブのことですが。」
「違う。すべて並列的に存在している。それが無限に続いているのだ。」
ホロニック・ペンターブというのは、オコツト独自の空間認識のことで、入れ子構造のようなもののことを指しています。
要は、この宇宙の外には無数の宇宙があり、それらはさらにひとくくりになって大きな一団を形成し、さらにその大きな一団が無数にあってそれらがさらに大きな一団となり・・・といった構造、つまり、入れ子構造には宇宙球同士はなっていないということです。