imimiのリトリーバル日記

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2010.08.19
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こんなご質問がありました。以下整理したうえでご紹介し、その後私見を述べたいと思います。

六爻占術に傾倒していて、あまりに的中するのでやめられない。

占いが当たるのは、自分が信じた世界(信念領域)を占いで見ているからであって、言い換えれば占いを信じているから的中する現実を自分で作りだしている、というのは本当なのか?

自分のありたい状況をイメージするというが、突発的な事件や事故で亡くなることも、集合意識や潜在意識等も含めた広い意味での「自分」が作り出しているということの意味がわかっているようでわからないし、理解できない。

むしろ自分としては、運命のほとんどは決まっているのではという信念が刷り込まれていて、運命を占いで言い当てることで生活をより良いものにしていきたいと考えている。

現在はヘミを体験することにより、陰の世界へアクセスしやすくなり的中率も更にUpする、という触れ込みもあり、それがヘミを続けている理由である。

私(imimi)の占いに対するスタンスと意見を聞きたい。



ご質問者のrubyさんは、占いを誰かに頼むのではなく自分でされているということですので、その点を考慮したうえで以下私なりの見解を述べさせていただきたいと思います。

まず、結論から申し上げるならば、私は自分では占いはしませんし、誰かに頼むつもりも一切ありません。

信じるか信じないかというレベルではなく、興味がないといったほうが的を得ているような気がします。

仮に100%10年後の私の未来がわかる人に、「あなたの10年後をただで教えて差し上げます。」と言われても、お断りすると思います。

なんとなくですが、それではずるい気がするからというのと、それでは面白くないだろうと思ってしまうからです。

ただ、人それぞれですから、占いを信じる人はやったらいいんでしょう。誰にもそれを止める権利はありませんしね。

お好きなように。

以上が私の占いに対するスタンスと意見です。

と、これで終わってしまうとあまりにも味気なさすぎますから(笑)、ご質問者のコメントの中から引用しつつ、もうちょっと詳細にお答えしたいと思います。




>占いが当たるのは自分が信じた世界(信念領域)を見る=占いを信じているから的中する現実を作りだすと言われてしまえばそれまでですが、ほんとうにそうなのでしょうか?


私はご質問者が言われるような占いというものを全く知りませんから、それはご了承いただきたいのですが、上記の点が本当にそうかと言われても、正直わかりません。

多次元的にみれば、「そういった現実を作っている人にはそうなる可能性はあるけれども、そうではない人には必ずしもそうとは限らない」、ぐらいの認識が妥当な気がします。

言い方を変えると、種明かしのある手品で、「ほら、こうすればこうなるんだよ。」というのをやって見せてくれるのが、占いのような印象があります。

つまり、最初から、答えは自分の潜在意識の可能性レベルの中にあるんです。

あとは、そうなるように自分を占いの理論を用いつつ誘導していき、最終的に現実世界の事象と適合させていきます。

その際、潜在意識下にあるものを現実化させるわけですから、自分の行動をコントロールしやすいですし、そういった自分の行動に関わるものについては占いが実現されやすいのではないでしょうか。

ですが、自分のコントロールの及ばない北朝鮮等のことは、占いが当たりにくい。

こんな感じではないですか?やったことないのでよくわからないんですけど。





思うに、占いがあたるかどうかが問題ではなく、自分にとって人生を幸せに送れるかどうかが問題な気がします。

何か自分にとってハッピーになれるかどうかを占うために占いをするんじゃないでしょうか。

占いとは占うこと自体を研究しているわけではないですよね。

それとも、占いによって世の中の出来事を思い通りにコントロールしたいから占うのでしょうか。

あるいは、すべての事象が決まっているという運命論を前提とした上で、自分にとって都合のいいことをすべて占いで言い当てることで幸せになりたいのでしょうか。



現実世界を生きる中で、占いのような当たり外れのある博打(ばくち)的なものを追い求めるよりも、当たり外れのない、人間としての思いやりや、やさしさ、喜び、感動、そういったことを体験を通じて学ぶこと自体に大きな意味があるように思います。

そしてそれらの神我に根差した神性さの種々の表現は、かならず巡り巡って自分自身に返ってきます。

それは決して裏切りません。

たとえ占いの結果には裏切られることがあったとしてもです。



そういった、裏切りのない神我に根差した人間として当たり前の体験だけが、死んだ後あの世に持ち帰ることができると言われています。

喜怒哀楽を通じた体験ですね。人間関係を通じた体験を通した学びからです。

ですから、短期的に見て人間に裏切られることがあったとしても(長期的にはかならず自分に良いことが返ってきます)、そういった人間同士の喜怒哀楽を体験を通じた学びのほうが、占いに裏切られるだけよりもはるかに霊的にみれば価値が高いと言わざるを得ません。

というのも、我々はこの世に生れてくる前に、すでにどのような人と出会いそこでどんな学びをするのかを、大まかではありますが、あらかじめ決めてきていると言われているからです。

それこそが、いわばクリアすべき課題なわけです。

占いに当たる、外れるかではなく。

そういった意味においても、占いに人生を左右されるような生き方は、この世での目標課題の克服という点からすれば本末転倒というか、目的と手段が入れ替わってしまっている感じがします。

なぜなら、占いは単なる余興にすぎず、そこから先に、例えば人間同士の出会いの中で何か学ぶべき課題が設定されていたりするからです。

起こりうる事象にはすべて意味があるとしても、その全貌をあえて知らないほうが鮮烈な体験として記憶に残りますし、より一層神性さを発揮することにもつながるように思います。


以前ご紹介した、セスの壮絶な過去生(極貧の中で10人くらいの子供を抱えながらも歓喜に満ち溢れて生き抜いた人生)を思い起こしてみてください。

むしろそのために、我々はすべての記憶をなくしてこの世に生まれてくるともいえます。

そこから鮮烈な体験、感動、歓喜を得るためです。

ですから、そういった見地からすれば、占いはむしろマイナスに作用する可能性のほうが大きいですし、自分自身の学ぶべき課題をまるで理解できていないということになってしまうように思います。

ご質問から離れて占いをする意義にまで話が広がってしまった観がありますが、いわゆる霊的見地からすれば、占いに依存するのはナンセンスと言わざるを得ません。

ヒーリング、オーラ診断、除霊、超能力等による問題解決、前世診断・・・そういったものの根底にも、占いと同様の問題点が潜んでいるように思います。

依存心です。

自分の人生を何かに依存するのではなく、自分の人生は自分で決めるという前提があるからこそ、我々は「自分で決めてきた課題に真正面から精一杯取り組むことができます。」

その前提を覆しかねないのです。

もっとも、程度の問題もあるでしょう。どの程度そういったものに依存するのかという点です。

しかし、ここで言いたいのは程度ではなく方向性の問題です。

霊的見地から見て、依存に向かうのか、それとも、一歩ずつでも自立に向かうのか、という方向性です。

そういった観点からみれば、ヘミシンクも同様の依存関係を生む恐れがあります。

ヘミシンクがうまくなってガイドと自由に交信できるようにし、ガイドからなんでも聞き出してやろう、とか。

あるいはご質問者のように、ヘミシンクがうまくなって、占いがもっと当たるようになろう、とか。

ですが、その前に、なぜそれを求めるのかを考えていただきたいです。

占いの的中率を上げることで何をしたいのでしょうか。

それで人間関係のすべてはうまくいくのでしょうか。

占いに当たっても、人間関係で失敗する可能性もあります。

占いで金もうけをしても、ドン底の人生を味わう可能性もあります。

それよりも、

当たり外れのない、前述したような人間としての思いやり、心の豊かさ、愛情、

魂からくる喜び、感動、人生を生き抜くことから生じる美しさ、

そういったものを求めるほうが、最終的には幸福な人生を送れる気がするように私は思います。

以上が私の占いに対するスタンスと意見です。






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Last updated  2010.08.19 21:36:41


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