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久しぶりにへミシンクを聞きました。
ひとつの物語として読んでいただければ幸いです。
見えてきたのは、島のようでもあり、大陸のようでもあるところです。
海に浮かぶ円形の形に見えました。
島か大陸か区別がつかないのは、どの程度の規模なのかわからないからです。
超古代のようです。
広い土地を進んでいくと遠くのほうで巨大な祭殿で何か祭祀をしている集団がいます。
祭壇の一番高いところには、巫女さんがいるようです。
場面が変わり、目の前に小さな男の子と女の子がいます。
しばらくして、一人の女性と男性の姿が見えてきました。
女性の髪形が印象的で、以前お話しした卑弥呼の髪形に似ています。
髪を結ってあって、頭の両脇でくるっと丸まっているような感じです。
ふと気がつくと、私は先ほど見えた男性と一体化して女性と一緒に歩き始めていました。
これから私たちが住んでいる家に向かうみたいです。
高床式倉庫のような建築物が見えてきました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/5/51/%E7%AB%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E4%BD%8F%E5%B1%85.JPG
(写真はWikipediaからで、三内丸山遺跡の高床式倉庫の復元です。)
ここは太古の日本だといわれてもおかしくない、建物の感じからいってそんな印象があります。
今見ている場所を現代の地形に照らして特定するのは難しいですが、しいて言えば、今の群馬、岐阜あたりだという印象がありました。
太古のムー大陸の一部をなしているような感じでした。
家の中に入ってみると、大家族です。20~30人は軽くいる感じです。当時はこれが普通だったのだといいます。
私は、ムー大陸と現代の文明とのつながりを探っていました。
すると、突然、「海女族」の印象が浮かび上がってきました。
(海女族というのは、太古の日本に存在した、高度な文明をもった航海術に長けた集団、くらいの意味で考えてください。)
現代でも残されている海女族の家系としては、「丹波国造」すなわち、二ギハヤヒにゆかりのある籠神社との関係があります。
これが現代において残されている唯一の家系らしいです。
実は、これ以外にも海女族の系譜はいくつも存在していて、そのそれぞれが霊的にみてムー大陸に由来するものだったようです。
卑弥呼は「丹波国造」に由来するものが海部氏の系図によって存在したことが伝えられていますが、卑弥呼は他にもいくつかの家系において存在していたのだそうです。
それらはすべて、海女族の系譜に所属する人物でした。
つまり、卑弥呼とは、古代ムー大陸の流れをくむ海女族出身のシャーマンだったのだということのようです。
天孫降臨について。
現代において伝えれられている天孫降臨は、「高千穂」と「丹波」ですが(高千穂よりも古いとされる丹波の天孫降臨伝説については、先日お話しました)、「高千穂」「丹波」共に、海女族が降り立った場所だったということです。
それを「天孫降臨」と呼んだのだそうです。
ちなみに、高千穂のあたりは、昔は海だったそうです。
おそらくは、幣立神宮のあたりもそうだったのでしょう。
ですから、高千穂に伝わる天孫降臨伝説とは、当時のあのあたりの海岸に海女族が上陸したことを指しているということのようです。
幣立神宮は、今の天皇家の流れと深いかかわりがあるのだそうです。
古来の海女族の流れで重要なのは、海部氏と、物部氏だそうです。
そのうち、物部氏の一部から今の天皇家の流れは派生しているのだとか。
(歴史的事実ではなく、あくまで私のヘミ体験にもとづく情報です)
つまり、
幣立神宮(海女族?) → 物部氏(出雲系?海女族?)→ 天皇家
こうなります。
まだはっきりしないのですが、伊勢神宮の背後には、太古の出雲の流れがあり、それは太古の海女族、ムー大陸につながっていくみたいです。
へミシンク終了後に面白い記事をネットで見つけました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1209.html
それは、物部氏と天皇家とが密接な関わりがあるのではないかというものです。
また、伝説上の神武天皇率いる天孫族と大和地方にすでに存在していた出雲系の古代王朝が、同じ起源をもつのではないかと思わせる伝承がありました(神武天皇と長髄彦(ナガスネヒコ)にまつわる話です)。
その辺についてもご紹介したURLに詳しく載っていましたので、興味ある方はぜひ読んでみていただければと思います。
ちなみに、そういった事情については全く私自身は知りませんでしたし、物部氏という一族がどういう一族なのかも全く知りませんでした。