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>以前お邪魔した避難母です。imimiさん、コメントいただいた方ありがとうございます。
前回imimiさんが下さった意見はその通りと思いながらも、まだ実生活において自分のものにできていない状態でのコメントをお許しください。
瓦礫を受け入れた島田市では焼却施設横の小学校で1970bq/kgの土壌汚染という記者クラブでの発言がありました。
セシウムは死の毒だということですがなぜ瓦礫は心配ないのでしょうか。
危険性の疑わしいものは受け入れないのが予防原則ですし、仮に瓦礫が人体に有害なものだとすれば、それを共有することがいいことなのでしょうか。
私が今住んでいる地域は幸い瓦礫は発生していませんが、仮に被災して瓦礫処理に困ったとしても、いま汚染されてない地域に汚染を広げることは良心が許さないと思うのです。阪神ではアスベストの問題があったため広域処理されなかったと言いますし。
imimiさんがおっしゃりたいであろう趣旨からすれば、いま述べたことは的外れで怖がる事自体が身体や心に悪そうなことも想像できます。
「与えられた環境を受け入れ、今の自分にできることを精一杯していればいいのだ」とも思います。というよりそうするしかない。
それでもとにかく怖れを手放せない自分は頭がおかしいのでしょうか。
前回から全く進んでいなくて申し訳ありません。
まず、私の言ったことでご自分の信念と合わないことがあれば、ご自分の信念のほうを優先なさってくださいね。
そこで新たな葛藤を生みだす必要はないですから。
あと、記事を読む際には、文脈を意識してくださいね。
セシウムが死の毒であぶないといったのは、福島近海のあぶない魚を食べないでくださいという文脈でのことです。
ご存じのように、セシウムは自然界にもあるものですから、そこでがんじがらめになってしまうと、地球上で生活できなくなってしまいます。
葛藤を抱えながら生きることも、それはそれで一つの選択ですし、葛藤を手放したいのであれば、葛藤が生じないように「ご自分で」判断されてください。
何が「自分にとって」正しいのか、間違っているのか。そういったことを含め、人に葛藤を手放す方法を聞くことは、どうかなと思います。
それがダメとは言いません。あなたのご自由ですから。
私に解決策を求めることではないと思います。
一つの案として聞いてください。
葛藤を手放さずに逃げて楽に生きたいのであれば、より安全なところに再度引っ越されてはいかがですか?
ご家族の方ともその辺しっかり話された上で。
他方で、葛藤を抱えつつ生きるという選択を選ぶ場合、葛藤をその上で手放すには、自分自身と向き合う以外にないです。
つまり、引っ越さずに今おられる場所で現実世界と向き合いつつ、葛藤を抱えず(もしくは抱えたまま)生き抜くという選択肢のことをお話しています。
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