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>確かに 自我と真我のバランスは 紙一重といったところでしょうか。
自我は真我に向かって言い訳をする。
真我はそれを冷静にみている。
感情的なのが自我で、真我は その逆ですね。
感情的になるほどにトラブルになりますから、自我の状態も分かると思います。
興味深い考察だと思います。
われわれは普段、自我をメインに生きていますから、なかなか両方の視点から見るということができないんですよね。
これは推測ですが、進化が進んでいけばいくほど、自我と真我とのバランスがよりうまく取れるようになっていく気がしますね。
あと、依存と検証作業についての興味深いコメントもいただきました。
>非物質的な情報(特に対人面の心得等ではなく、宇宙がどうなっているか等の知識的な事)は、私のように自分で探索できない人にとっては、本やimimiさんのブログ等から仕入れる他ないと思います(ちゃんと訓練しろよって感じですが)。
私ができる検証作業といえば、「自分のハートに聞く」というのが良く分からないので、他にチャネルしてる人の情報と比較することぐらいです。学校でも最初は教科書を鵜呑みにして勉強するのだから・・・と思っていましたが、これは外部情報に依存していることになるのかなぁと思いました。
依存すると自分の中心感覚が外れる感じがします。
宇宙がどうできたかという情報ならまだしも、どういう心得で生きれば成長できるのか等は特に、自分自身の経験(そういうものの見方が感覚的に受け入れられるか)をベースにして、その情報が自分にとって正しいかどうかを吟味する必要があるように感じます。これがハートに聞くということかもしれませんが・・。
私は知識情報を優先しすぎて、せっかく積んだ経験を疎かにしていた気がします。こういう生き方をしないと魂が消されますよ!ということを言われていたからなのですが・・^^;
その反面、大事なのはバランスで、自分の意見に意固地になりすぎると苦しみが長くなるパターンもありそうですね。何かを言い切ることは難しいかもしれません。
検証作業は、なれないと大変かもしれません。ハートに聞くといってもいったいどういうことなのかわからないのは、普通の社会生活を送っておられる方であれば、むしろ当然ともいえると思います。
ハートで考えるとは、「直観的にどう思うか」ということです。動物的カン、その他、なんとでも置き換えていただいて結構ですが、左脳による理論的推論あるいは何らかのデータからの推論等によって導くやり方とは異なっています。
なぜこれが必要かと言いますと、非物質的情報というのは、基本的には直感によって得られる情報だからです。論理的推論ではなく。
したがって、現代社会で生きる上で用いる論理を用いて非物質的情報を考察すると、大きな誤解を生む余地が出てきます。そこはきちんと分けてとらえる必要があるわけです。
直感の鍛え方も、以前は記事でご紹介したことがありました(「直感力」で記事検索してみてください)。
私は、直観を用いる他に補助的道具としてペンデュラムを推奨しています。その理由は、比較的簡単に行えるからです。他の方は、Oリングテストやキネシオロジ―テストなども紹介されています。
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