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>一つ目は、ヘミシンクをするときの姿勢についてです。
というのも、クンダリーニって言うのでしょうか?何かしらエネルギーのようなものが上がっていくときに、背筋をまっすぐにしていないと、上手く上がらないような気がするのです。こんな感覚は、私だけのことなのでしょうか?
ヘミシンクでは、「力を抜いて楽な姿勢で」というガイダンスがあったり、どなたかのブログでも「慣れてくれば横になっていても良い」とかあったような気がするのですが、いみみさんは、どうしていらっしゃいますか?
瞑想は真っ直ぐな姿勢で、ヘミシンクはどんな姿勢でも構わない・・・これこそ、瞑想とヘミシンクの違いなんでしょうか?
私の場合は、その時にもよりますが、最近はほぼ横になってする場合が多いですね。
ただ、たとえ横になっていても、変性意識下では座禅をしていたり、立った姿勢でマカバの中に入っていたりします。
マカバの作り方や状態については、悪用されるといけませんので、公開できませんが。
最近は、かなりはっきりと知覚できるようになりました。
瞑想なんかの場合には、背筋を伸ばしてすると、頭頂部が上に引き上げられるような感覚を伴ったりしますが、私見ですが、あれも我々の信念に即したものなんじゃないかなと個人的には思います。
つまり、寝ていようが、座っていようが、立っていようか、我々がいかなる体勢であるかということと、エネルギーを受けやすいか、そうでないかということとは、別の問題ではないかなという気がしますね。
ただ、自分にとってうまくいけばそれでいいという問題にすぎませんから、いろいろ実験してみて一番エネルギーが得られる姿勢を取られるのがいいのではないでしょうか。
人間は自分自身のもつ信念体系に、非物質的にも影響を受けますから。
そのくらい、自分自身の持つ信念というのは強烈なんです。
空を飛べないという強い思い込みが非物質的にも妥当すると考えると、非物質界でもそれが現実化します。
>二つ目は、原発の問題を発端に。。ときどき私がふと思うことです。
原発に関して、私は反対です。新たに造るなんて、もってのほかだと思っていますし、大飯原発の再稼働についても、絶対反対です。
ならば、反対署名をして、そういう運動の機会があれば参加するかと言われれば、それは、しません。というか、できません。。
原発を推進しようとするトップの方々がどのような見解を持っているのか、わかりませんが、もしも自分たちの利欲のためにそうしているのだとしたら、そこに気づいて方向転換してもらうしか、仕方がありません。
しかし、原発に関わりながら、下々で生活している人たちにとって、原発が稼働しないということは、生活の術をなくしてしまうことになりはしないかと思えるのです。
福島原発では被害者が今後も出てくる可能性があるようです。それを懸念して、住み慣れた土地を離れて遠くへ移住する人たちもいます。また、津波で家を失った人たちもいます。
その人たちのことを考えると、今現在、原発を支えにしている人たちが自分の考えを見直して、そこから離れるべきなのかもしれません。
しかし、そんなことが、私に言えるでしょうか?もしも、自分がそういう立場だったら、それこそ苦渋の決断になるでしょうし、断腸の思いででも離れることができるものかしら?
若い人なら、多少のリスクは、跳ね返せるだけの力があるかもしれません。しかし、うちのように、連れ合いが今の会社を定年になるまでに、今まで働いてきた年数よりも短い期間しかないのです。せめて、定年までは、なんとか今の職場でいてもらいたいと思うのが普通ではないですか?
もうどうしようもない。。。そして、それぞれが、それぞれの役割をこの世界で演じているのかも。。。そこで、私は考えを止めてしまいます。
原発だけでなく、私は全てにおいて、そうかもしれません。
自分に降りかかってくる災難?以外に関心を持とうとしない。。私は、この社会に生きていながら、世の中のゴタゴタに巻き込まれることもなく、自分だけの世界で、自分の生活を楽しんでいる。。
自分は、なんて幸せなんだろうと思いつつ、毎日、感謝して生きている。。
もちろん、肉体をもって生きているのですから、辛いことがないというわけではありません。。
しかしながら、ほとんどの人がそうかもしれません。。
それがダメだと言われたとしても、、、そもそも、いったい、誰がダメだというのでしょうか?
原発のことだけでなく、世の中には、医療問題にしても世界中にある貧困にしても、臓器提供の問題にしても高齢者の孤独死にしても、日本の経済の問題にしても、関わろうと思えば、数限りなく問題はあるように思えます。
キリがないんです。。
自分がどんなふうに生きたいかということを日々模索すれば、あとは、どんな問題があろうとも、関係がなければ関係ないよというスタンスで生きていたとしても良いのかしらって。。。
いみみさんは、どんなふうに思われますか?
日々の生活に追われている人ならば、原発反対運動に関わろうにも関われないという事情があります。
じゃあ、時間がある人は、そういった反対運動などに関わるべきなのでしょうか。
ただ、おっしゃるように、原発で生計を立てておられる方もいることでしょう。
そういった方にとっては、原発がなくなれば困るわけで・・・
以前もこのようなコメントをいただいたことがあったんですが、その時私は、それでも人類全体のためには、原発はなくすべきだという風に言った記憶があります。
我々だけで済む問題ではなく、子供達やその子供達、そしてその子供達・・・・といったように、ずっと影響が続いていく問題だからです。
ですから、賛成、反対いずれにしても、まずは自分で出来る範囲で始められるのがいいのではないでしょうか。
私事ですが、私も普段の自分の仕事に追われていますし、他にできることと言えば、ブログで各地にある原発の危険性等についてリーディングしたり、放射能の現状や今後予想される状況について見てそれを記事として書くことなどが手一杯です。
他にしていることと言えば、原発反対の署名をしたことぐらいでしょうか。
自分にできる範囲でいいのだと思いますよ。
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