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ギリシャ首相「返済できない」初めて明らかにギリシャの債務問題でチプラス首相は、30日に期限が迫ったIMFへの債務の返済について、「実現可能な合意に至ることができなければ、返済はできない」と述べ、ギリシャはおよそ2000億円の債務を返済できないという見方を、みずから初めて明らかにしました。ギリシャの抱える多額の債務のうち、30日はIMFからのおよそ2000億円の返済期限となっていますが、ユーロ圏各国は27日、今月末の期限を延長せずに金融支援を終了する方針を示しています。このため、ギリシャ政府は必要な資金を確保できず、債務を返済できない見通しとなっていましたが、期限を翌日に控えた29日、チプラス首相はテレビに出演し「返済できる唯一の方法は30日までに実現可能な合意に至ることで、それがなければ返済はできない」と述べ、IMFへの債務の返済はできないという見方を、みずから初めて明らかにしました。その一方で、チプラス首相は「ユーロ圏各国などの債権者が、ギリシャをユーロの外に追い出してしまいたいわけではなく、そうすることもない」と述べ、ユーロ圏への残留に強気の姿勢を見せました。また、ギリシャ政府が来月5日に実施する、財政緊縮策の賛否を問う国民投票については「結果を尊重する。何が何でも首相でいたいわけではない」と述べ、ユーロ圏各国が金融支援の条件として求めている緊縮策を、国民が受け入れる結果が出れば首相を辞任する可能性も示唆しました。--- 昨日は、ギリシャがついに銀行閉鎖に至ったということで、日本の株式市場もだいぶ影響を受けたようです。非常に残念な結果ですが、それでもユーロ圏から自ら離脱することは考えていないようです。以前から何度か取り上げているアルゼンチンの破綻(2001年)の場合は、アルゼンチンは、IMFの指導に従って財政を運営したメネム大統領の路線が破綻にいたり、IMFの指導を拒否した左派のキルチネル大統領の下で奇跡の復活を果たしました。破綻によって自国通貨が暴落したことで、対外輸出力が復活したのが、大きな要因です。日本も、アベノミクスで円を大きく下落させる手を使いました。アルゼンチンと違って輸出だけで生きている国ではないので、弊害も目立ち、どこまで復活したのかは定かではありませんけど。でも、ギリシャはユーロを使い続けたいのだと。そうすると、通貨が暴落しないので、対外輸出力の復活もない、ということになります。ユーロ圏に残って緊縮財政を強いられるのがよいか、離脱して通貨暴落をさせるのがよいか、このあたりは一概には言えないかもしれません。ただ、元々アルゼンチンのように資源大国ではなく、日本のように工業大国でもないので、輸出力自体がそれほど期待は出来ないとすると、ユーロ圏に残る方がよい、ということになるのでしょうか。IMFのやっていることは間違ってばかりです。が、しかし放漫財政でよい、というわけでもありません。アルゼンチンのキルチネル政権は、右派からはバラマキだ何だと非難されがちでしたが、デフォルト後のアルゼンチンは実質的に国債の新規発行ができなかった中でやってきたことですから、同列には見られません。で、日本はどうでしょうか。日本も莫大な財政赤字を抱えています。ただ、その財政赤字はほとんど国内の金融機関が引き受けていて、対外債務は事実上ない点が、アルゼンチンやギリシャとは違うところです。国民一人当たりの借金が何百万円と言われますが、それは国民一人当たりの貸付金、ということでもあるわけです。とは言え、国内の金融機関だって、未来永劫日本国債を購入し続けられるわけではありません。どこかに限界はある。私は、歴史認識の問題、平和の問題、原発の是非などはともかく、福祉とか年金に関する問題については、最近、かなり左翼「崩れ」になってきたなと自覚しているとこです。社会保障は大事ですけど、ない袖は振りようがない。財政赤字がどんどん膨らんでいるのに、福祉や年金をびた一文後退させてはならぬ、というのでは、いつかは破綻してしまいます。もちろん、だからと言って何でも削ればよいのではないことも、いうまでもありませんが。
2015.06.30
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先週の途中までは、この週末は天気が悪い予報でしたが、週末が近づいたら、急に今日だけ晴れの予報に変わりました。昨日は予報どおりの悪天候だったし、私も用事があったのですが、今日は6月に入ってまだ山に登っていなかったので、急遽高尾山に登ってきました。(高尾山を「山に登った」とは言いにくいですけど)場所が高尾山なので、全然早起きをせずに京王線高尾山口駅には11時5分着。最近しばらくは表参道からしか登っていなかったので、今回は久しぶりに自然研究路6号路(琵琶滝)から登ってみました。今日は晴天ですけど昨日までは雨、そして谷筋のルートなので、登山道は濡れています。高尾山なので、登山靴ではなくジョギングシューズで来ましたが、足元はやや滑りやすい。でも、飛ばしました。高尾山口駅を出たところから、山頂到着まで、丁度1時間。写真左手遠方に新宿の高層ビル群がかすかに見えます。高尾山から見る東京というのは、なかなか圧巻です。山頂の混み具合。まあまあ混んでいますけど、梅雨時という時期のせいでしょうか、秋の週末に比べると人はやや少ないかな。で、実は自宅で保温ポットに氷入りの麦茶を入れ、近所のコンビニで昼食を仕入れて出かけてきたのですが、何と、昼飯を食べて、さあ冷たい飲み物を、と思ったら・・・・・・、リュックの中に保温ポットがない!!家に置き忘れてしまったのです。もっと早く気付けよと思いますが、じつは高尾山口から山頂まで所要時間が1時間しかかかっていないので、無休憩で水を飲もうとも思わなかったので、そこまで気が付かなかったんですよね。でも、高尾山は山頂に売店があって、飲料の自販機もあるので助かりました。高かったけど。(500ccのペットボトルが210円)しかし、我ながら忘れ物がとても多いなあ。修験者でしょうか、団体さんで登ってきて、一人がほら貝を吹いていました。私も対抗してケーナを・・・・・・さすがに、この場では吹きませんでした。ただ、実は今日の山登りは、山登りが半分、山で笛の練習をしてこよう、というのが半分でした。だから、どこかで笛の練習をしようとは思ったのですが、山頂は人が多すぎて、ちょっと具合がよくない。この写真の方向に富士山があるのですが、残念ながら晴れとはいえ雲は多くて、富士山は見えませんでした。裏高尾のほうまで足を伸ばせば、人は減るかなと思ってもみじ台まで来ましたが、やっぱり人は多い。どこまで行けば人が減るかな、陣場山まで行ったって、人は多いだろうな、と思い、裏高尾に笛の練習場所を求めることはあきらめて引き返しました。で、結局どうしたかというと、自然研究路4号路から日影方面に下る道に少し入ったところで、練習しました。時々人は通るのですが、それでも格段に少ないので。さすがに高尾山といえども、表参道だけを歩く気はなかったので、いつも笛を入れているハードケースは持ってきませんでした。ケーナ2本、ケナーチョ1本、サンポーニャ2組(マルタとサンカ)、それにフルートまで持ってきた。結構みっちりと練習しましたよ。1時間近く吹いたんじゃないかな。下界の救急車の音とかが案外よく聞こえていて、ということは、私の笛の音も結構響いていたのかな?山にケーナはよくもって行くけれど、高尾山とはいえ、山にフルートを持ってきたのは初めてです。そのまま日影に下りるか、ちょっと考えたけど、結局自然研究路4号路に引き返して高尾山口に下山しました。足元は、やや滑りやすい。23区内では、アジサイもそろそろ終わりに近い感じですが、高尾山ではまだまだ咲き乱れています。下りは、途中で笛の練習に時間を費やしたりしたので、時間は計っていませんけど、リフトの終点に「高尾山口駅まで40分」という表示があったんですね。それを見て、じゃあその半分の時間で下ってやろう、と思いまして、そこからは猛ダッシュで歩きました。表参道は舗装されているので、滑らないのです。でも、どうしても途中で何回か写真を撮るために足を止めるので、結局高尾山口駅に着いたのは、21分後でした。ギリギリ、半分の時間は超えてしまった。で、帰宅してみたら、やっぱりテーブルの上に保温ポットが置きっ放しになっていました。何で気が付かないんだろうね、俺。なお、今回はフイルム一眼レフは待っていかなかったので、デジカメの写真のみです。
2015.06.28
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百田尚樹氏に一問一答 「沖縄2紙は嫌い」「つぶれてほしい」作家の百田尚樹氏が、自民党の会合で発言した米軍普天間飛行場の成り立ちや沖縄の2紙に対する内容について26日、沖縄タイムスの電話取材に応じ、発言の真意と持論を説明した。―米軍普天間飛行場の成り立ちについての発言は。「住民が騒音などの精神的に苦痛があり、補償しろと言う。苦しみは当事者にしか分からないこともあるだろう。それを踏まえた上で、違和感を覚えると発言した。なぜかと言えば、住んでいた場所に基地が引っ越してきたわけではない」―普天間の現状認識は。「地権者には、膨大な地代が払われている。六本木ヒルズに住んでいる大金持ちと同じ。それはメルマガで書いた話だ。普天間が返還されたら、あっという間にまちは閑散とする。ぬくぬく暮らしていた地権者も困るはずだ」「滑走路のそばに小学校があるが、いまだに移転していない。移転に反対の運動も起きているが、本末転倒。基地批判のために小学校を置いている。何がしたいのか分からない」―「沖縄の島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」の発言の真意は。「絶対、あってはならないことで仮定の話をした。沖縄の人は中国を歓迎している。(辺野古の新基地建設反対など)翁長雄志知事が言っていることも意味が分からない。沖縄の人の総意は何なのか。中国の危機意識がない人も見受けられる」―沖縄戦について。「沖縄は戦争で犠牲になったと言うが、東京も大空襲があり、犠牲を払っている。沖縄だけが犠牲になったわけではない。大阪も大空襲で多くの人が死んだ」―「沖縄2紙をつぶさないと」の発言について。「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはないが、ネットで読むと、私と歴史認識が違う。全体の記事の印象から私が嫌いな新聞だ」「オフレコに近い発言で、冗談として言った。公権力、圧力でつぶすとの趣旨ではない。私も言論人。言論は自由であるべきだ。私と意見が違う2紙を誰も読まなくなり、誰も読者がいなくなってつぶれてほしいという意味での発言だ」---思想心情は人それぞれであり、沖縄の2紙が嫌いだというなら、それはそれでひとつの考え方ではあろうと思います。その限りにおいては、私も百田が嫌いだ。ただ、それを無名のいち市民である私がネット上で発言するのと、有名作家が与党の国会議員を並べた前で発言するのでは、意味合いはまったく違うと言うしかないでしょう。米軍普天間飛行場の成り立ちについて、住んでいた場所に基地が引っ越してきたわけではないと称しているようです。「元は田んぼで何もなかったところに飛行場ができて、後から非飛行場の周りに人が集まってきた」という趣旨のことも発言しているようです。果たして本当にそうなのか。沖縄タイムスが検証しています。百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する現在の宜野湾市は戦前は宜野湾村、普天間飛行場のある地域はには10の字があり、その人口は1925年時点で9022人、宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった、ということです。そりゃ確かに、沖縄戦の最中、普天間飛行場のあたりはいったんは無人になったのでしょう。「鉄の暴風」が吹き荒れて人家という人家が瓦礫と化して何もなくなれば、人は住めませんから。生き残った住民がみんな収容所に放り込まれている間に、基地が建設されたとのことです。もともと沖縄は、北部は山岳地帯でうっそうとした森であり、平坦地が多い南部に人口が集中しています。沖縄本島では名護市(真ん中よりやや北寄り)より北に市はありません。その、元々人口の集中する南部の中でも、嘉手納基地や那覇空港(自衛隊那覇基地)は、島の幅が比較的広いところに位置しているのですが、普天間基地は島の幅がかなり狭くくびれたところ(幅約4kmあまりしかない)に位置しています。しかも、普天間のすぐ北側には海兵隊のキャンプ・フォスターがある。引用記事によれば、戦前は宜野湾並松と呼ばれた街道が今の普天間基地を縦断するように走っていた、とのこと。現在は、普天間基地を避けるようにして、沖縄自動車道と3本の国道がこのあたりを走っています。要するに、交通の要衝なのです。古今東西、交通の要衝というのは人が集まるものなのです。しかも、沖縄の人口そのものが戦前よりずっと増えています。戦前の沖縄の人口は60万人以下でしたが、現在は140万人以上なので、2.5倍くらいに増えています。その中で、普天間基地の周辺という沖縄の南北交通の要衝近辺に人が集まるのは、当たり前の話なのです。その他、こまごましたところに突っ込みどころは満載です。「滑走路のそばに小学校があるが、いまだに移転していない。移転に反対の運動も起きているが、本末転倒。」この話は、それこそネット上にゴロゴロ転がっているのですが、滑走路そばの小学校が移転できない真相は、反対運動ではなく、移転費用が捻出できない(国が出してくれない)ということのようですけど?「沖縄の人は中国を歓迎している。翁長雄志知事が言っていることも意味が分からない。沖縄の人の総意は何なのか。中国の危機意識がない人も見受けられる」自分の危機意識を他人が共有してくれないからなんだというのです。私だって、百田の危機意識を共有などしたいとは思いません。それにしたって、自分の考える「危機意識」の目を覚まさせるために中国にどこかの島が占領されれば、つまり目的のために中国が攻めてくればよいという発想は、彼ら自身の非難する「売国」とどこが違うのか。自分たちの売国はよい売国、とでも言うつもりなんでしょうか。「沖縄は戦争で犠牲になったと言うが、東京も大空襲があり、犠牲を払っている。沖縄だけが犠牲になったわけではない。大阪も大空襲で多くの人が死んだ」別に、誰も沖縄「だけ」が犠牲になったなんて言っていないと思いますけどね。百田の脳内では、「サヨク」は沖縄「だけ」が犠牲になったと主張していることになっているんでしょうか。東京大空襲を詳細に記録した早乙女勝元なども、左翼の一員であろうと思うんですけどね。それはともかく、戦争の犠牲はどこにでもあったのは確かです。ただ、沖縄は実質的には日本唯一の地上戦が展開された場所(厳密には、硫黄島と北方領土もそうだけど)であり、単に空襲だけの被害とは、性質が違うこともまた事実なのです。先の記事にも触れたように、沖縄住民の少なくとも1/4が亡くなっている。ただし、沖縄戦の民間人の犠牲者数は過小評価である可能性が高く、実際には1/3が亡くなっている可能性も否定できません。原爆も、広島市・長崎市の当時の人口に対してはそのくらいの死亡率になっているようです。東京大空襲は、そこまでの死亡率にはなっていませんし、大阪の空襲は、東京大空襲より犠牲者数は1桁少ないです。「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはないが、ネットで読むと、私と歴史認識が違う。全体の記事の印象から私が嫌いな新聞だ」これって、まじめに検証せずに、ただ印象論で語っているだけ、ということですよね。要するに床屋政談の類、2ちゃんねらーのノリで、ろくに検証もせずにしゃべっているだけ、ということです。「オフレコに近い発言で、冗談として言った。公権力、圧力でつぶすとの趣旨ではない。」ある意味、一連の発言の中でももっとも低レベルかつ噴飯ものの発言がこれ。自民党の議員約40人をあつめて、少なくとも、集会の冒頭部分はマスコミに公開しておこなった集会です。何でも百田の言い分によれば、マスコミをシャットアウトしたあとも、ガラスに耳を当てて「盗聴」していた記者がいるのだそうですけど、少なくともガラスの向こう側に記者がいることは見えているわけです。会場は自民党本部だったそうですから、その気であれば建物への立入自体を拒否したり、そのフロアから退去させたりすることもできたんじゃないですか?それをせずに、「盗聴された」とか、しかも、「盗聴」されていることを目視しながらしゃべっているんだから、それで今更「盗聴」とか何とか、馬っ鹿じゃねーの?です。要するに、基本的には自分たちの集会のことをマスコミにアピールしたいのです。だから記者を集めたんでしょう。しかし、自分たちにとって都合のよい部分だけを報じてはくれなかった、だから盗聴だ何だと吹きあがっているわけですけど、そんなに何でも自分たちの都合のとおりにマスコミが動いてくれるかっていう話です。で、基本的に、与党の国会議員を集めて、部屋の外にはマスコミ関係者も呼び集めてあって、著名人である百田が講演しているわけです。それのどこが「オフレコ」ですか?冗談と言いますが、立場によっては許される冗談と許されない冗談があります。医者が患者の前で「あんなたんか病死しちゃえ」などと「冗談」を言ったら、許されますか?曲がりなりにも言論活動で飯を食べている人間が、政権与党の国会議員の前で「沖縄の2紙を潰してしまえ」と放言した挙句、「公権力、圧力でつぶすとの趣旨ではない」だそうです。「李下に冠を正さず」ということわざをご存知ないんですかね。だとすれば、小説家として、著しくレベルが低いんじゃないでしょうか。でも、実際には、文筆業者としてそこまでレベルの低い人間がベストセラー作家になれるはずはありません※。※私は百田の作品は読んだことがないし、読もうとも思いませんので、百田の発言内容の批評はしますが、著作の内容については批評しません。ただ、ベストセラー作家であるからには、読み物としてのレベルはそれなりに高いはずであろう、とは予想しています。実際には、議員の側から「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」などという発言があったと報じられています。これなど、圧力で潰せという発想そのものじゃないですか。文化人が経団連に、なんて言っていますが、いち文化人が経団連にそんなことを言って効果があるかどうかは1年生議員にだって分かりそうなもの。「与党国会議員の数の力」を背後にして文化人が経団連に、という意味であろうことは火を見るより明らかというものです。つまり、公権力をかさにきて、ということです。つまり、本当は「公権力、圧力でつぶしたい」という願望があるのに、とりあえず表向きそれを否定して見せただけ、ということはありありとしています。言論で飯を食べている人間が、こういう言論の自由を否定するようなことを言うのは、言語道断としか思えないのです。百田という輩が話しにならない極右ごろつきだということは、まあ以前から明らかではあったのですが、それに加えて、言論人としてまるっきり失格であるということも、一連の騒動ではっきりしたように思います。
2015.06.27
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作家・百田氏「沖縄の新聞つぶさないと」 自民改憲派の勉強会で主張安倍晋三首相に近い自民党の若手議員約40人が25日、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合を党本部で開いた。安全保障関連法案に対する国民の理解が広がらない現状を踏まえ、報道機関を批判する意見が噴出した。講師として招いた作家の百田尚樹氏に助言を求める場面も目立った。出席者によると、百田氏は集団的自衛権の行使容認に賛成の立場を表明した上で、政府の対応について「国民に対するアピールが下手だ。気持ちにいかに訴えるかが大事だ」と指摘した。出席議員からは、安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との声が上がった。沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見が出たのに対し、百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張した。懇話会は木原稔青年局長が代表で、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一・党総裁特別補佐も参加した。出席者の一連の発言について、自民党中堅は「自分たちの言動が国民からどのような目で見られるか理解していない。安保法案の審議にマイナスだ」と指摘。公明党幹部は「気に入らない報道を圧力でつぶそうとするのは情けない。言葉を尽くして理解を求めるのが基本だ」と苦言を呈した。---別報道によれば、この会合は、百田の講演の最初の部分だけ外部公開で、マスコミを締め出した後で問題の発言が飛び出したようです。でも、そんなことをしても、その内容はたちどころに外部に知られることになったわけです。当然、「安倍に近い自民党の若手議員約40人」という参加者の誰かがしゃべったわけです。この内容はさすがに問題すぎると思って話したのか、それとも当然の話だと思ってアピールのつもりで話したか、果たしてどちらでしょうか。私の想像では、安倍に近いという時点で、前者ではなく後者であろうという気がするのですが。政治家、それも与党という位置にいる政治家が、自党と相容れない主張のマスコミを「こらしめるために広告収入をなくせば」とか、「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。」(この発言は議員ではなく百田だそうですが)などというのは、民主主義の根幹をなす言論の自由に対する重大な挑戦です。しかし、この場に集った安倍信者どものほとんどは、そんな意識など欠片ほどもないのでしょう。自分たちの主張は愛国で、敵対する主張は反日だ、売国だ、だから潰してしまうことは正義だと思っているのでしょう。愛国者である自分に酔って、客観的な視点を持てなくなっているのだと思います。こういう連中の好き放題に国政を壟断されたら、日本はとんでもない方向に行くことになる。いや、すでにかなりとんでもない方向に進んでしまっていますけど。そして、「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」だそうです。自分たちの主張が支持を得るために、沖縄のどこかの島が中国に取られることを期待するがごとき発言は、「売国」とどこが違うのか。結局、百田にしても、この会合に出席した自民党の若手議員にしても、性根がネトウヨとまったく同じということです。実質的に、在特会がそのまま国会議員をやっているようなものです。そんなのが、自民党の若手議員の中で一大勢力になっているとしたら、本当に日本の将来は暗いと言わざるを得ません。
2015.06.26
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国会が、昨日95日にも及ぶ大幅な会期延長をおこないました。安保法案という名の戦争法案を何が何でも成立させたい、ということです。冗談ではありません。ただ、安保法案に関してはこれまでも何度となく記事を書いて行きましたが、その陰に隠れて、他にいくつもとんでもない法案が提案されています。そのひとつがカジノ法案です。私は、伝統的なタイプの右翼はカジノみたいなものを容認はしないだろうと以前は思っていたのですが、どうも私の考えは甘かったようで、自民党、維新の党、次世代の党が共同提案だそうです。私は、日本でカジノを合法化することには断固として反対です。そんなに儲からないであろう、ということと、負の影響が大きすぎることの二つが理由です。カジノの成功例としてマカオの例がいわれますが、マカオのカジノは実は中国の様々な闇資金のマネーローダリングのための偽装という側面があり、単純な賭け事として繁盛しているわけではないようです。つまり、たとえば贈賄側が収賄側をカジノに招待して、わざと負けてやる、収賄側は賄賂を受け取ったのではなく、「カジノで勝った」という体面で大金を手にする、というわけです。それを可能にするような、不公正な勝負が可能、ということでもあります。では、日本のカジノも同じことをやるんですか?マネーロンダリングの場として活用させるんですか?曲がりなりにも先進国の一員として、カジノを合法化しようとするなら、そんなことに手を染めるわけには行かないでしょうし、染めてしまったら、それこそ反社会的勢力の巣窟となることは確実です。マネーロンダリングの場として使わせない、とするなら、世界中にあるカジノの中で日本だけが突出できる理由など、あるとは思えません。そもそも、日本には競馬・競輪・競艇・宝くじ、それに最近はサッカーくじまで、すでに多くのギャンブルが存在します。実質的にはパチンコだってギャンブルですし。その上にさらにカジノを付け加えることの積極的な意味が私には見出せません。前述のとおり、海外からそれほど集客は望めず、既存のほかの公営ギャンブルから客を移動させるだけの話に過ぎません。元手がタダならともかく、カジノの施設を建設するのだってお金がかかるわけです。それも、他国より魅力的なカジノにしようと思えば、それだけお金がかかる。その結果大赤字が出たり、そうでなくても他の公営ギャンブルから客が移動してくるだけでは、日本全体としては何の利益にもなりません。それでは、日本国内で新たな顧客を開拓すればいいのか。それはそれで問題があります。ギャンブル依存症です。公営ギャンブルの顧客が全体として増えるということは、ギャンブル依存症の絶対数も増えるということを意味します。私は宝くじをたまに買うことがある以外はギャンブルをまったくしませんが、ギャンブル依存症の人と接する機会がないわけでもありません。実は、日本はギャンブル依存症、あるいはその予備軍が非常に多い国です。Wikipediaの記述によりますが、米国では1975年にミシガン大学の調査では、成人の0.77%がギャンブル依存症、2.33%が予備軍、1980年代に5つの州で行われた調査では、成人人口の0.1%から2.3%がギャンブル依存者、2008年調査では成人の0.6%がギャンブル依存症、2.3%が予備軍と報告されています。それに対して日本では、長らくそういう調査はおこなわれていませんでしたが、2007年の調査では成人男性の9.6%、女性の1.6%、全体平均で5.6%がギャンブル依存症のリスクがある、というのです。上記米国の数字と比べても非常に高いことが分かります。なぜ日本にそれほどギャンブル依存症が多いのか。原因は定かではありませんけど、依存症全般に、ストレスの存在と無関係ではないので、日本人一般にストレスが多い、ということの反映かもしれません。それに加えて、簡単にギャンブルができてしまう環境もそれに拍車をかけているのではないでしょうか。具体的にいえばパチンコです。結局、カジノができても、日本国内で他の公営ギャンブルから客を奪うだけだったら、カジノからの「あがり」が増えた分他の公営ギャンブルからの「あがり」が減るだけだから(そうでなくても地方競馬などは赤字が多い)、意味がない。新たな顧客を開拓して「あがり」が増えたら、今度はギャンブル依存症が増えて社会的な害悪が増大する。何がどうなっても、カジノでいいことが一つもないのです。日本国内の集客はほとんどなく、海外からの客だけが増える、という場合だけ、カジノが日本の利益になる。でも、前述のとおり、マネーロンダリングの片棒担ぎをしない限りは、そんなことは起こりえません。起こりえないことに期待して皮算用などすべきではありません。それに、制度としてひとたび始めてしまうと、それが失敗だったと気が付いてもやめることは非常に難しくなります。様々な権益の発生すること、投資した資金が未回収となるリスクがあることなどが原因です。パチンコのあの三店方式だって、非常に問題があることは明らかですが、禁止することはまず不可能でしょう。はじめてしまってから「失敗だった」と気付いても、もう手遅れなのです。だから、こんなものは、手を付けてはいけないのです。話は変わりますが、認知症的な症状というのは、金銭管理の面に真っ先に出てくる例が少なからずあるようです。とすると、高齢者のギャンブル依存症というのも少なくないのかもしれません。前述のとおり、私は宝くじを除いてギャンブルはまったくやりませが、高齢者になって山登りも、フォルクローレの演奏もできなくなったとしたら。それでも、外に出歩く程度の体力はあって、しかし金銭管理ができなくなっていたら、果たして・・・・・・と考えると、ひょっとすると私自身も含め、誰にでもギャンブル依存症のリスクはあるのかもしれません。
2015.06.25
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沖縄戦70年 「悲劇」繰り返さぬ努力を沖縄戦の終結から70年の慰霊の日を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園では、全戦没者追悼式が営まれた。大戦末期、沖縄本島に上陸してきた米軍を迎え撃った戦いは、凄惨を極めた。沖縄戦とは、国民が決して忘れてはならない「日本の悲劇」である。謹んで哀悼の意をささげたい。(中略)70年前を振り返り、今、もっとも大切なことは何か。それは、あの悲劇を繰り返してはならないという決意であり、行動である。それこそ、今に生きる日本人すべての責務である。沖縄をはじめとする日本に、二度と戦火が及んではならない。中国公船は尖閣諸島周辺で領海への侵入を繰り返している。軍拡も著しく、南シナ海での勢力拡張も急だ。こうした環境下、安倍政権は安全保障関連法制の整備、日米防衛協力の新指針(ガイドライン)の制定、米軍普天間飛行場の辺野古移設などを進めている。翁長知事は追悼式の平和宣言で政府に、移設作業の中止を求めた。しかし辺野古移設こそが、普天間の危険性を除去しつつ、日米同盟の抑止力を保つ方策であることを理解してほしい。沖縄の重い米軍基地負担を国民が認識し、深く感謝すべきであることは当然だ。一方で、沖縄を含む日本の安全保障に責任を持つのは政府である。真の平和と安定のために必要なことは何か。日本国民全員が真剣に考えなくてはならない。---あの悲劇を繰り返してはならないという決意と行動が大事と、それはまったくそのとおりです。真の平和と安定のために必要なことは何か。日本国民全員が真剣に考えなくてはならない、と、それもまたそのとおりです。が、しかし、その具体論が「辺野古移設こそが、普天間の危険性を除去しつつ、日米同盟の抑止力を保つ方策である」というのでは、まるっきり話にならないといわざるを得ません。沖縄戦から汲み取られる教訓は、いくつかあると私は思います。第一に、世界有数の強力な軍隊でも、国を守ることはできなかった、ということです。何しろ、戦前の日本は、世界三大海軍国などといわれていましたが、その軍事力が暴走して無謀な戦争に突入した挙句、無残な敗北を喫しました。沖縄では、土壇場で1個師団が台湾に引き抜かれたとはいえ、歩兵2個師団と独立混成1個旅団、総兵力11万人にも達していました。戦車部隊はきわめて貧弱だったものの、戦車が大活躍できるような地形でもなく、一方で砲兵は当時の日本軍としては異例と言っていいくらいに極めて充実していました。それでも負けたのです。第二に、軍隊は必ずしも国民(民間人)を守らなかった、ということです。昨日の記事でも指摘したように、沖縄戦では、日本軍が民間人に集団自決を強要したり、戦闘中に壕から追い出したり、スパイ容疑で処刑したりといった事例が多数発生しています。もちろん、すべての日本軍がそうだったというわけではありません。極限状態のなかで、日本軍の兵士もまた平常心ではいられなかった、という事情もあるでしょう。でも、とにかく強力な武器を持つものは、戦場の極限状態の中で、より強力な敵に対してその銃口を向けるだけでなく、より弱い立場の民間人同胞に対して牙を向くこともある、ということです。第三に、激しい地上戦は、その舞台となった土地に、恐るべき被害をもたらす、ということです。昨日の記事に書いたように、沖縄戦における民間人の犠牲者は、少なくとも9万4千人、ひょっとしたら15万人くらいに達する可能性はあります。国土が戦場になる、というのはそういうことなのです。これらのことから言えるのは、強力な武力を持つことで平和と安定を維持することはできない、ということです。こちらが強力な武力を持てば、相手はもっと強力な武力を持とうとする、際限のない軍拡競争になるだけです。完全に非武装でよいかと言うと、残念ながらなかなか難しいところはありますが、少なくとも、過剰な武力は何もよい結果を生み出さないということはいえる。「日米同盟の抑止力」が沖縄を守るとは、私には思えない。より正確に言えば、沖縄を守るというメリットと、そのために沖縄が負うデメリットを比較して、前者のほうが大きいとは思えないのです。要するに、大して役に立つとは思えない保険なのに、保険料が高すぎる。これらのことを総合して考えれば、「辺野古移設こそが、普天間の危険性を除去しつつ、日米同盟の抑止力を保つ方策」なんてのは、翁長知事のいうとおり、固定観念に過ぎないとしか思えません。
2015.06.24
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沖縄慰霊の日 翁長知事、平和宣言で「辺野古反対」表明沖縄は23日、沖縄戦の犠牲者らを悼む慰霊の日を迎えた。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では同日昼、沖縄全戦没者追悼式が開かれた。翁長知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場の辺野古移設の中止を求め、計画を進める安倍政権の姿勢を批判した。日米が普天間返還に合意し辺野古が候補地に浮上した1996年以降、慰霊の日の平和宣言で県知事が明確に辺野古移設計画の中止を訴えるのは初めてだ。翁長知事は、平和宣言の多くを基地問題に割いた。「反対の民意は示されており、辺野古に新基地を建設することは困難だ」と指摘。「政府は固定観念に縛られず、辺野古へ移設する作業の中止を決断し、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直すことを強く求める」と訴えた。また「沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題だ」と指摘。「辺野古移設が進まないと普天間が固定化する」とする政権の姿勢を「『(普天間の)危険性除去のため辺野古に移設する』『嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、到底県民には許容できない」と批判した。これに対し、安倍首相はあいさつで、沖縄戦について「胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かにこうべを垂れたい」と述べつつ、沖縄の振興策を進める考えを強調。基地負担については「永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている。今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく」と語る一方、辺野古移設については触れなかった。沖縄戦は軍民が入り乱れた激しい地上戦となり、日米合わせて20万人以上、県民の4人に1人が命を落としたとされる。(要旨)---安倍のあいさつをYouTubeで見ましたけど、全然心に響かない。と私には感じられました。「御霊」「御霊」と、本当に御霊という言葉が好きなんだなという点に、どうも強い違和感を感じます。それはともかく、かなりの野次があったようです。途中から次第に野次が減っていったのは、聴衆が感銘したからではなく、野次を飛ばした参列者が会場からつまみ出されてしまったため、のようです。それはともかく、引用記事には「日米合わせて20万人以上、県民の4人に1人が命を落とした」とあります。これは、沖縄戦の犠牲者数についての一応の公式見解である、日本側約18万8千人、米軍側約1万4千人という数字に基づいています。このうち、民間人の犠牲者は9万4千人とされています。ただし、実際の犠牲者数は、この数字よりは大きい可能性が高いようです。軍人の犠牲者数については、日米ともに比較的正確(誤差はあるはずですが、何万もの差ではない)と推定されています。問題は民間人の犠牲者数です。民間人の犠牲者数は、じつは調査されていません。1944年と46年の人口統計の数字の差を基にして、そこから県外への疎開者数を引いて、先島諸島での犠牲者数(これも、沖縄本島の犠牲者数の1割という、きわめてアバウトな推定)を足してはじき出したのが民間人の犠牲者数です。つまり、簡単に言えば、人口統計で減った分が犠牲者だ、というわけです。ところが、ここにいくつかの問題があります。まず、1944年の人口統計には、軍人軍属は含まれていないのに対して、1946年の統計には復員した元軍人軍属は含まれています。島外への疎開者は、全員が生きている前提での計算ですが、実際は対馬丸撃沈など、島外疎開者から多くの犠牲者が出ています。また、1944年時点では沖縄に在住していなかったが、46年には在住していた人もある程度の人数存在します。戦前、サイパンなど南洋諸島には多くの沖縄住民が移民していましたが、その多くは1944年には沖縄におらず、46年には帰ってきていました。島外に出征していた沖縄出身の元軍人も同様です。さらにいえば、1946年の人口統計は数字の水増しがあった可能性が指摘されています。食糧の配給が、人口統計の数字によって決められたため、人口を多く報告するほうが多くの食料がもらえたためです。そしてもちろん、この間2年間の人口の自然増というものもあります。これらの要素を加味すると、44年と46年の人口統計の差より、実際の犠牲者数のほうがはるかに多い可能性が高いのです。民間人の犠牲者は15万人以上ではないか、という研究者もいます。1944年の時点での沖縄の人口は約49万人ですから、民間人の犠牲者を9万4千人としても、人口の1/5近く、沖縄出身の軍人軍属2万8千人を加えれば、引用記事にあるように、人口の1/4が亡くなっています。しかし、もし民間人の犠牲者を15万人とすれば、軍人2万8千人とあわせて18万人近く、全人口の1/3以上が犠牲になったことになります。これがどれほどすさまじい数字か。当時日本の人口は7千万人ほどでしたが、沖縄と同じ割合で犠牲者が出ていたとすれば、1700万人から2500万人という数字になってしまうのです。実際の犠牲者数は310万人とされていますが。あの東京大空襲ですら、東京の全人口の1/4もの犠牲者は出ていないでしょう。狭い面積の島で逃げ場が乏しかったこと、そこに猛烈な砲爆撃が加えられたこと、さらに地上戦となったこと、住民の避難がほとんど行われなかったこと(子どもと高齢者以外は疎開が禁じられていた)、それに、日本軍が「住民を守る」という方向の戦闘を行わなかった、それどころかむしろ、自決強要、スパイ容疑での殺害、避難豪からの追い出しなど、住民に犠牲を強いる方向の戦闘を行ったことなどが原因です。本質的には、やはり住民を巻き添えにした地上戦というところに本質的な原因があったといえるでしょう。ドイツでも旧ソ連でも中国でも、住民のいる場所での激しい地上戦は、すさまじい人的被害を伴っています。たとえば南京大虐殺がそうです。それほどの犠牲者を出した沖縄戦は、日本軍にとっては本土決戦への時間稼ぎのための捨石作戦に過ぎなかったのです。沖縄戦の直前に、沖縄に配備されていた部隊の中では最精鋭だった第9師団(もっとも、米軍相手の実戦経験はなかった)が台湾に配置換えとなったことからも、それは明らかです。米軍が沖縄に上陸を開始した1945年4月時点で、太平洋戦争における日本の敗戦は、もはや確定した事実でした。何をどうやったって、戦局を逆転などできるはずがなかった。その時点でなお、敗北という結果を受け入れず、ズルズルと勝ち目のない戦争を長引かせた挙句の沖縄戦であり、その後の広島長崎の原爆、ソ連の対日参戦と続きます。米軍が沖縄に上陸した時点で手を上げていれば、死者の数は史実より100万人以上少なくて済んだでしょう。沖縄は、太平洋戦争で捨石にされ、戦後は米国の世界戦略の人身御供として、やはり捨石にされてきたわけです。それでもなお足らず、普天間基地の移設先を同じ沖縄本島内とする、つまり今後も沖縄は永続的に人身御供であり続けろ、というわけです。いい加減にしろ、という声が沸きあがるのも当然でしょう。その声に対して、安倍政権が誠実に対応しているとはとても思えないのです。だから、野次も起こるわけです。
2015.06.23
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昨年から断続的に、南米とメキシコの旅行記を書いてきました。とうとう全部書き終わってしまいましたが、長期にわたり、途中他の記事を挟みながらの連載だったため、整理する必要がありそうです。カテゴリーで「ラテンアメリカ」を選択していただくと、比較的分かりやすいのですが、それでも他の記事が途中に入っているところもあるので、目次を作ることにしました。(掲載順ではなく、行った年順に整理しなおしました)メキシコ旅行 1988年その1メキシコ旅行 1988年その21989年、南米旅行1(ペルー編1)1989年、南米旅行2(ペルー編2)1989年、南米旅行3(ペルー編3)1989年、南米旅行4(ペルー編4)1989年、南米旅行5(ボリビア編)チリ、そしてサンティアゴのこと(後半は1994年の旅行について)1989年、南米旅行6(チリ編2)1994年南米旅行(アルゼンチン編)チリ、そしてサンティアゴのこと(後半部分のみが94年のことを書いています)1994年南米旅行(ボリビア編1)チリの鉱山事故(タイトルはチリですが中身はボリビア旅行記)1994年南米旅行(ボリビア編2) 1994年南米旅行(ボリビア編3)メキシコ旅行 1996年1メキシコ旅行 1996年2メキシコ旅行 1996年3ボリビア旅行2001年 その1ボリビア旅行2001年 その2ボリビア旅行2001年 その3ボリビア旅行2001年 その4ボリビア旅行2001年 その5 チャカルタヤ山5395mボリビア旅行2001年 その6ボリビア旅行2001年 その7メキシコ旅行 2002年この続編が書ける(つまり、次にラテンアメリカを旅行できる)のはいつのことやら・・・・・・。少なくともこれから何年かは、目処が立ちそうにありません。でも、いつかまた、必ず行くぞ。
2015.06.22
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前回より続きです。チチカカ湖の日帰りツアーから帰ってきたところ、宿の窓からふと外を眺めたら、イリマニ山が姿を現しているではないですか!何度も書いているように、ボリビアは11月末から3月までは雨季です。この旅行は12月中旬だったので、雨季のど真ん中だったわけです。私の旅行期間中、ずっと雨というわけではなかったものの、雲が多くて、ラパスの象徴イリマニ山はなかなかその姿を現してくれなかったのです。ラパスに着いた日、雲のかなたにシルエットを撮影して以来、まともなイリマニ山の写真が撮れていない・・・・・と、思っていたところ、帰国の2日前になって、ついにその姿を現したのです。夕方、雲は相変わらず多い状態で、写真撮影の条件はあまりよくなかったのですが、夢中でシャッターを押しました。標高6439m、レアル山群の最高峰で、ボリビア全体でも2番目の高さの山です。それにしても、アップで撮影しようと思うと、向こうのビルのLGの看板が邪魔です。何とか、LGの看板を外すように撮影しました。(LGの製品は好きでよく使っていますが、わざわざボリビアで看板を見なくてもね)日没、ちょっと待て!!という感じです。翌日、朝はこんないい天気でした。こんな天気が良いなら、イリマニ山だってきれいな写真が撮れたはずですが、何でこの日に撮らなかったんだろう・・・・・・。多分、そちらの方向は雲に隠れていたのでしょう。そうでなくとも、イリマニ山はラパスの東側にあるので、午前中は逆光になります。ムリージョ広場近辺を歩きます。大統領府や国会議事堂が並ぶ一角のすぐ近くは、ショッピング街になっています。東京でいえば永田町と銀座が隣接している感じ。プレイステーション(この当時は初代ですかね)のソフトを屋台でたくさん売ってました。裏側が青や緑のCD-ROM(笑)大統領府の目の前で海賊版ソフトを売っている、それがまあラテンアメリカであるわけですが。この写真は違いますが、結構立派なショッピングモールもありました。でも、私はもっぱらサガルナガ通り近辺の楽器屋で、楽器を買いあさっておりましたが。実は、時系列の記憶がかなりあいまいになっているのですが、おそらくチチカカ湖に行った翌日の夕方、だったと思うのですが、文化センターに行ったら、何か音楽の公演があるというので、切符を見たところ、どこかの学校の学芸会的な内容(要するに、あまり上手くなかった)で、ちょっとがっかりして、公演が終わって文化センターの外に出てみたら、ものすごい大雨が降っていました。大通りが完全に水没して、川になっている。この大通りを越えないと、宿に帰れないんだけど・・・・・・。ラテンアメリカの諸都市は、下水が貧弱だからちょっと大雨が降るとすぐに下水があふれかえって、道路が冠水してしまうのです。さて、どうしたものか。何か、大通りをうまく渡れる場所を見つけ出した記憶があるのですが、それでも、どうしても1箇所だけ冠水した道路を渡らないといけなかったのです。その幅が、多分3メートルか4メートルくらい。助走してジャンプしたのですが、どうしても届かなかった。冠水した道路に片足だけ突っ込んで渡った。下水から逆流した水です(笑)もちろん、宿に帰って靴下は捨てました。サガルナガ通りの坂の上のほうです。ラパスは、道は入り組んでいて、あまり広くもないところに、車の交通量は多いので、いつも渋滞、ノロノロ運転。しかし、車があまりスピードを出せないおかげで、小さな交通事故は非常に多いものの、大事故は比較的少ないようです。ただし、一歩ラパスの外に出ると、車はスピードを出す、しかし道は悪く、断崖絶壁みたいなところも多い、ということで、悲惨な大事故もかなり多いのです。有名なのは、ラパスとコロイコという低地の町を結ぶ道で、断崖の下には転落したバスや乗用車が転々と転がっているとか、毎週車が落ちるとか・・・・・・。ラパス滞在最終日、コレクテイーボ(乗り合いタクシー)でラパスの下、つまりさらに谷底の標高の低い町に行きました。何しに行ったのかというと、そこに、ラパス滞在中お世話になった杉山さんのご自宅があるからです。ラパスから、コレクティーボで20分くらいだったかなあ。着いたところは住宅街ですが、ラパスの中心地より、両側の壁はもっと斜度がありました。杉山さんのご自宅は、笛の材料であふれかえっていました。場所柄としては、中流層の多い街らしいです。当時は、娘さんが幼稚園だったかな。(それから13年半経った今は・・・・・・)とうとう、ラパスで向かえる最後の夜になってしまいました。宿から夜景を撮影しました。三脚もないのに、シャッタースピード2秒。窓枠にカメラを押し付けて動かないようにしてシャッターを押したら、2枚撮影したうちの1枚が、ぶれずにうまく撮れました。その後、何回か同じ手で夜景の撮影を試みたのですが、二度と成功していません。翌朝、アメリカン航空のマイアミ行き便は朝7時か7時半頃出発です。国際線だから2時間前にチェックイン、余裕を見て2時間半前、なんてことで、朝の4時半くらいに宿をチェックアウトして、前日に予約しておいたタクシーで空港に向かいます。で、エル・アルト空港に着いたら、なんと一番乗り。空港内は清掃員がいるだけで、チェックインカウンターには人っ子一人いません。早すぎたようです。しばらく待っていると、やっと他の乗客が姿を現しました。それが、何と日本人の団体(仕事で出張のような様子)。それから、日本人以外の外国人(米国人が多いのかな?)、最後にボリビア人の乗客が集まりました。この飛行機に乗ったわけではありません。いまはなき、アエロスールのB727。当時、ボリビア最大の航空会社は、ロイド・ボリビア航空でした。かつてのナショナル・フラッグ・キャリアです。しかし、新興の航空会社であるこのアエロスールによってその立場は脅かされ、最終的にロイド・ボリビア航空は倒産してしまいました。ところが、勝ったアエロスールもまた、2012年には倒産してしまったのです。南米では近年、かつての名門も含めて、実に多くの航空会社が倒産しました。アメリカン航空でサンタクルス経由マイアミへ。ここで1泊したのですが、翌朝空港に遅刻して、今度は出発1時間半前に到着したら、絶望的な長蛇の列。これは乗り遅れると真っ青になったのですが、チェックインカウンターで「シアトル行き搭乗の人!」と叫んでいるので(成田行きはシアトル経由)「はい!!」と一挙に1000人抜きか2000人抜きくらいでチェックインして、何とか間に合いました。このときは冷や汗をかいた。シアトル・タコマ空港です。雪山が見えたのでシャッターを切りました。目下のところ、これが最後の南米旅行です。メキシコには、その翌年新婚旅行で行きましたが(以前に写真は紹介済み)、それ以来海外にはまつたく行っていません。また行きたいなー。というわけで、これまでの私のラテンアメリカ旅行、全部の写真の紹介は、これにて最終回となれました。
2015.06.21
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前回からの続きです。話はまったく変わりますが、この旅行の際に泊まったホテル・サガルナガは、日本の一般規準で言えばともかく、ラテンアメリカバックパック旅行で泊まる宿としては、かなり高級でした。なんてったって1泊20ドル近い値段ですから(そんな高い宿は泊まったことがありません)、部屋にテレビがあって、衛星放送が見られるようになっていました。そうしたら、結構日本のアニメなども放送しているんですね。日本語の台詞のまま、スペイン語の字幕をつけて放送しているアニメもありました。それはともかく、この2001年12月というのは、ちょうどボリビアの隣国アルゼンチンが経済破綻でデフォルトに追い込まれたときなのです。CNNのスペイン語放送を見ると、ひたすらアルゼンチン一色の報道でした。(テレビのスペイン語がみんな理解できるわけでは、もちろんありません。1/3くらいですかね)朝からテレビに見入ってしまい、「いかんいかん、俺はボリビアまで何しに来たんだ」と、あわててテレビを切ってホテルを出た日が、何日かありました。ボリビアは政情不安なことが多い国ですが、このときだけは隣国アルゼンチンが蜂の巣をつついたような騒ぎの中で、落ち着いていました。さて、本題に戻りますが、チャカルタヤ山に「登頂」(というほど大げさな山ではないですが)した翌日は、チチカカ湖に行きました。このときは、現地の旅行代理店に申し込んで日帰りツアーに参加しました。以前、1989年の旅行の写真で説明したことがありますが、チチカカ湖は面積8000平方キロ以上の巨大な湖ですが、狭い海峡(いや、湖だから湖峡かな?)で北西と南東に分断されています。北西の湖が大きく、南東の湖は小さい。2001年の旅行で行ったのは、南東の小さいほうの湖でした。チチカカ湖は海抜3800mくらい。この高さでも人々は農業をおこなっており、だから湖畔にも畑があります。天気は相変わらずよくありません。それでもこのあたりの時間は晴れ間もあったのですが、時間が経つにつれて天気がどんどん悪くなっていくのは、前日のチャカルタヤと同じでした。ヨットが浮かんでいます。完全にどんよりした曇り空になってしまいました。チチカカ湖の小さいほう、と言っても、たとえば日本の琵琶湖よりはずっと大きな湖です。対岸は、見えなくはないけど遠いです。チチカカ湖上の湖、スリキ島に向かいました。スリキ島と、確かもう一つの島に行ったような記憶があります。ところが、島の写真を撮っていません。おそらく、雨が降り出して傘をさしたためカメラが構えられなかったのだと思います。(正確なところは覚えていません)スリキ島は、ペルーのプノ沖合いのウロス島のような浮島ではなく、普通の島です。確か小さな博物館みたいなものがあったように記憶しています。ガイド氏が携帯電話を操作していたので、「ここで使えるの?」と聞いたら、目の前にアンテナが立っていた。いんな、湖上の島でも携帯のアンテナがあるのかとびっくりした記憶があります。まるっきり余談ですが、スリキ島の名は曲の名前にも使われています。Jacha Mallkuというグループの曲Suriquiチチカカ湖の名は、多分1曲ならず、多くの曲に使われているはずですが、日本で一番有名なのは、多分この曲でしょう。チリのグループ、キラパジュンの演奏です。彼らのオリジナル曲か、ボリビアの伝承曲をアレンジしたのか、おそらく後者だと思うのですが、正確なところは分かりません。ただ、この曲はボリビアのグループも含めていろいろな演奏がありますが、キラパジュンの演奏がいちばん古そうです。今聞くと、サンポーニャの音は、ちょっとスカスカ気味ですが、弦楽器が、今聞いても私の琴線に触れるんですね。私自身も、この曲は何回もサンポーニャを吹いているのですが、どういうわけか、この曲は一度も録音したことがなくて、音源が残っていないのです。雲が多いながらも晴れ間が広がってきました。この写真は、Wikipediaの「チチカカ湖」の生地にも使っています。(この写真より解像度は小さいですが)確か、昼食を食べたレストランの近辺で撮影したような。チチカカ湖への日帰りツアーは、往路はワゴン車か何かで行ったような記憶がありますが、復路は何故かバスでした。乗っていたのは観光客ばかりだったので、チチカカ湖周辺のいろいろなツアーをまとめて送迎するバスかなと思ったのですが、後から考えるとペルーのプノから来たバスかもしれません。チチカカ湖からラパスに戻るバスから撮影しました。(最前列に座っていたのかな?よく覚えていません)1989年と94年の旅行の際は、チチカカ湖(94年の際は、チチカカ湖近くのティワナク遺跡)とラパスの間の道路は舗装されておらず、車はものすごく揺れた記憶があるのですが、その後舗装されたようで、このとおりです。快適なバスの旅でした。空模様は相変わらずで、遠方の雪をまとったアンデスの高峰も、山麓しか見えません。バスに乗ってしばらくしてから、昼食を食べた食堂に折り畳み傘を置き忘れてきたことに気が付きましたが、後の祭りです。エル・アルトからラパスに下る縁まで来ました。ラパスに着いた日に撮影したのと同じ構図ですが、あの時は晴天、このときは曇天です。ということは、雲に隠れている雪山はワイナ・ポトシなのでしょう。以下、次回に続きます。次が最終回の予定です。
2015.06.20
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前回の続きです。前回紹介した写真と1枚だけ重複しますが・・・・・・5395mのチャカルタヤ山に登ります。ただし、5300m近くまで自動車道があり、自力で登るのは標高差たった100mあまりに過ぎません。登山道もなだらかで、危険なところは一切ありません。技術的には、高尾山並に近いくらい簡単な山です。しかし、問題はそこが5000mを超える高さだということ。歩き出すと、半分過ぎあたりまでは、瞬発力でスタスタと登れるのです。しかし、そこで息が乱れて、足がいったん止まった。そうすると、その後はもうよれよれです。10歩歩くごとに立ち止まって、膝に手をかけてゼイゼイと肩で息をして、やっと山頂に到着しました。標高差たった100mですが、感覚的には北アルプスにテントを担いで標高差1000m以上を登って、テント場までの最後の100m、という感じでした。きつかったです。ただし、高山病に特有の頭痛などの症状(1994年のボリビア旅行では、ポトシの鉱山でやられた)は、現れませんでした。ラパスにすでに何日も滞在して、一度4000mのエル・アルトに行って笛を吹いてまたラバスに戻って、ある程度高地順応ができていたこと、夜行バス明けなど体力的に無理な日程ではなかったこと、が原因でしょう。(このときの旅行は、全泊ラバスに滞在で、このチャカルタヤ山も、この後のチチカカ湖もすべてラパスからの日帰りでした)ついに来た、。5000m峰・・・・・・と、言いたいところなのですが、ここが最高峰ではないのは、私の背後を見れば分かりますね。チャカルタヤの山頂は3つに別れているのですが、ここは、そのうち一番手前のピークです。一番高いのは中央のピークです。なので、中央のピークに向かいます。もっとも、ここから登山道の斜度もゆるくなるので、それほどきつかった記憶はありません。ここが正真正銘の山頂です。このとき、登山用の装備など一切持っていませんでした。雪がありますが、アイゼンどころか登山靴さえはいていません。ジョギングシューズです。さすがに寒くてセーターを着ていますが、手袋も帽子もしていません。最初のピークがだいぶ下に見えます。それほどの標高差はないはずなのですが。となりの山。名前は分かりません。こちらより高さがあるように見えますし、すぐ近くのように見えるのですが、地図で見る限り、近くにチャカルタヤより高い山はなさそうです。はてさて。ラパスから車で登ってきた道路が見えます。大して登っていないのですが、こうやって見ると、たった標高差100mでも、結構高さがあるな、と。自分自身の写真が何枚もありますが、このとき同行してくれた運転手のオスカルさんが撮影してくれたものです。チャカルタヤの3つのピークのうち、一番奥のピークからの撮影です。天気はどんどん悪くなってきました。写真は撮っていませんが、ここには、確か気象観測機器が設置されていて、その周囲を囲う金網に海老の尻尾(強風によって着氷が海老の尻尾のような形状になったもの)がついていたような、おぼろげな記憶があります。ただ、写真がないので、八ヶ岳の硫黄岳(ここにも、そのような観測機器があったはず)と記憶が混同しているような気もして、ちょっと自信がありません。もう、ワイナ・ポトシはほとんど雲の中です。湖は、ハンコ・コタという名前のようです。手元にある1995年発行の地図(紙ベース)と、グーグルマップでは、ローマ字のつづりが違うんですけど・・・・・・。はるかかなたの下界を見下ろして。奥の湖は先の写真とおなじものです。手前の湖は、手元にある1995年の地図には、湖の記載はありますが、名前はありません。しかし、グーグルマップには、名前どころか湖の存在自体が載っていません。どういうことでしょうか。干上がって消滅したのでしょうか。もと来た道を引き返してきて、振り返って1枚。技術的には、超簡単な山ではありますけど、一応は5000m峰。当然、これまで私が登った山の中では、圧倒的な最高高度です。富士山より1500m以上高いですから。いつかは、6000m峰のワイナ・ポトシにも登りたいです。こちらは、本格的な雪山で、アイゼン・ピッケルなど冬山のフル装備が必要です。ただし、冬山としては、技術面では、そんなに難易度の高い部類ではない。ラパスから1~2泊、費用2~3万円程度の登山ツアーも出ているようです。問題は、高地順応できるかどうか、にかかっています。それができれば、多分、今の体力なら行ける。問題は、今の家庭環境、仕事の環境だと、チャカルタヤどころかラテンアメリカに行くこと自体が難しい、ということです。でも、いつか登るぞ。次回に続きます。
2015.06.19
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安保関連法案 安倍首相、憲法解釈変更の正当性を強調衆議院の予算委員会は18日、年金と安全保障をテーマに集中審議を行い、安倍首相は、安全保障関連法案に関し、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を一部認めることは、国際情勢をふまえた、必要な自衛の措置だとの考えを重ねて強調した。安倍首相は「国際情勢にも目をつぶって、その責任を放棄して、従来の解釈に固執をするというのは、まさに政治家としての責任の放棄だ」と述べた。安倍首相は、集団的自衛権の限定的な行使を可能にする安全保障関連法案に関し、「その時々の内閣が、必要な自衛の措置とは何かを考えるのは当然だ」と述べ、憲法解釈変更の正当性を訴えた。そのうえで、北朝鮮を念頭に「近隣では、弾道ミサイルを持ち、核兵器を載せる能力を開発している」として、日本の平和と安全を維持し、存立を全うするために必要な措置として、安全保障法制の整備が必要だとの考えを重ねて示した。また、民主党の玉木 雄一郎氏が「国民の多くが、法案の合憲性について、まだ確信を持てないでいる」と指摘したのに対し、安倍首相は、「最高裁の判決で、わが国の平和と安全を維持する必要な自衛の措置を取りうることは、国家固有の権能の行使として当然だとの判断がある」として、憲法違反にはあたらないとの考えを強調した。(以下略)---北朝鮮の核を持ち出せば、どんな滅茶苦茶な憲法解釈も押し通せるということでしょうか。仮に北朝鮮が弾道弾を日本に向けて発射したとすれば、それを迎撃することは集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の問題でしょう。そうではなくて、日本の頭上を飛び越えて米国などに向かう弾道弾を迎撃するとしたら、どうでしょうか。集団的自衛権の範疇に当たるかどうかは、微妙なところですが、確実に言えることは、そんなものを迎撃する能力はない、ということです。例のパトリオット・ミサイルの最大射程は35kmほどだといわれます。ということは、射高はそれより低い。日本上空、おそらく数百キロを通過する弾道弾を迎撃できるミサイルなんて、存在しません。(人工衛星を撃墜する実験自体は過去に行われたことはありますが、実用兵器にはなっていない)安倍は、「朝鮮半島有事で米軍艦船が攻撃された場合、日本が防護しなくていいのか」ということも言ったそうです。しかし、一口に「朝鮮半島有事」と言っても、様々なパターンが想定できます。純軍事的な能力で言えば、北朝鮮の兵器はほとんどが旧式であり、しかも燃料が決定的に不足しています。近代戦で米韓に勝てる可能性は皆無と言っていい。もちろん、北朝鮮の指導部が発狂して、無謀な戦争に突入する可能性がないとは言いませんが(今だって、発狂しているようなもの、ともいえます)、イラク戦争のように、いろいろと理由をつけて米国の側から攻撃をかける、という可能性だって少なくはありません。また、米艦艇に攻撃をかけるにしても、北朝鮮のもつ対艦攻撃能力はそうとうに限定されます。そんなこんなを考えると、安倍の言うような状況は、「絶対に」と断定はしませんけど、あまり起こりそうにはない状況ばかりです。それに対して、安保法制によって日本が海外の戦争に参加するようになると、確実に高まるリスクもたくさんある。自衛隊員が海外で戦死するリスクが高まるのは当たり前です。しかしそれだけではない。日本そのもの、あるいは国外にいる日本人を標的にしたテロ、破壊活動などのリスクも、確実に高まります。安倍が主張するような事態の発生するリスクと、安保法制によって日本が海外の戦争に参加することで発生するリスク、どちらのほうがより高いリスクか、ということです。私には、間違いなく後者のリスクのほうがはるかに高いと思えます。
2015.06.18
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前回の続きです。結婚式参加の翌日は、結婚式の演奏にも参加していたオスカルさんの運転で、チャカルタヤ山日帰り登頂ツアーでした。チャカルタヤ山は、この旅行記の第1回でも写真を紹介しましたが、海抜5395m(資料により標高の表示はまちまちで、5400mとするものもある)のれっきとした5000m峰。ただし、山頂直下まで自動車道が開通しており、おそらく世界で最も簡単に登れる5000m峰だと思われます。チャカルタヤ山は、直線距離ではラパスの中心から約20kmという至近距離にあります。ただ、道はよくないので、時間はかかります。写真は、ラパスの谷間を登りきって、4000mの高原に出でたところです。眼下のラバスの町。向こう側の斜面を登りきった高原が、前日に結婚式に行ったエル・アルトです。空港がどのあたりかは、さすがによく分かりません。この写真は、以前にも紹介したことがあります。ラパスは大都会ですが、そこから直線距離で10kmもいくと(道なりではもっと遠いですが)こんなひなびたインディヘナの村です。さらに高度が上がり、人家もなくなってきました。眼前にワイナ・ポトシ(6088m)の雄姿。が、残念ながら山頂部が雲に隠れています。残念ですが、雨季ですから仕方がない。目指すチャカルタヤ山です。ラクダの仲間、リャマの群れがいました。遠い遠い昔、ラクダの仲間の祖先は北アメリカに分布していました。その中の1グループがユーラシア大陸に分布を広げ、ヒトコブラクダとフタコブラクダになり、別のグループが南米に渡り、リャマ・アルパカ・ビクーニャ・グァナコの祖先になった。しかし、本家本元の北米では、そのラクダの仲間は絶滅してしまいました。ワイナ・ポトシ。先ほどは山頂部だけが雲に隠れていましたが、だんだん雲が増えてきました。1本の木もなく、草もまばらですが、神秘的な池の色が印象的です。人の気配はないのですが、人家(の跡)はあります。かつて、このあたりで鉱山があったそうです。1994年のボリビア旅行で行ったポトシのセロ・リコ(約4400m)より、さらに高度は上と思われます。過酷な作業現場だったろうなあ。同じく、海抜5000m近い高さの池です。ついに車道の終点に到着。海抜5260mでしたか。確か、天文台があって、その少し上にこの看板のクルブ・アンディーノ・ボリビアーノ(ボリビア・アンデス・クラブ)のクラブハウスがありました。ギネスブックには、世界最高所のスキー場として掲載されており、かつてはリフトもあったようですが、近年は地球温暖化のせいか雪の量が減っており、スキーは難しい状態になっています。チャカルタヤ山です。雪はあります。スキーは、この状態では、やってできなくはない、というところでしょうか。たいした距離は滑れそうにありませんが。正確な気温は分かりませんが、海老の尻尾が見られたので、氷点下だったことは確かです。12月半ば(北半球で言えば6月半ば)で氷点下なんだから、雪は1年中降ると考えてよさそうです。ボリビアは冬が乾季なので、むしろ夏(雨季)の方がアンデスの高地は雪が多いようです。以下、次回に続きます。
2015.06.17
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前回の続きです。右手に橋がかかっているのが分かるでしょうか。ラパスの中心街を流れる、チョケヤプ川です。坂の町だけあって、大都市のど真ん中にもかかわらず、断崖絶壁の深い峡谷です。ところが、橋の上から川を覗き込むと、大峡谷はゴミだらけ、なのです。(今は知りませんが、2001年当時はそうでした)100万都市で、ゴミ回収などもちゃんとしていない生なのでしょう。何とも残念な話です。ライカコタの丘から市街地に下っていく道。ボリビア共産党の宣伝の落書きがありました。「ボリビア共産党51周年、人民とともに、5月1日戦闘的(以下、写真からはみ出ています)」とあります。調べたところ、ボリビア共産党は1950年結党なので、2001年当時50周年、つまりこの落書きは書かれて間もないものだったわけです。ちなみに、党勢はほぼ泡沫政党です。現在、社会主義運動(MAS)を率いる左派のエボ・モラレス大統領を党として支援しているものの、国会の議席は0です。市街地に下ってきたところ。チェスのチャンピオンらしき人が、子ども相手に百面指し(相手が100人かどうかは知りませんが)大会を開いていました。日本でも、将棋でこういうイベントが時々ありますね。どういうイベントかまったく分かりませんけど、ステージ上に金髪のおねーさんが何人か立っています。ラパス一番の目抜き通りです。正面のビルは、当時はラパスで一番の高層ビルでした。今は一番かどうかは知りません。確か、ドイツ資本のビルだったように思います。1階にはフォルクスワーゲンの車の展示があり、ビルの上方左側の張り出しには、この前、1994年に行ったときまでは、ルフトハンザの広告があった。ところが、ラパスに乗り入れていたルフトハンザ航空が、ちょうどこの頃、乗り入れを休止してしまい、広告も消えてしまいました。この日だったかどうか覚えていませんが、この写真の近辺で、泥棒の被害に合いそうになりました。見知らぬ男が私の脇を走り抜けて行った際、何かを落としていったのです。そうしたら、「通りかかりの人」がその落し物を拾い上げて、私に見せるのです。なんだか分厚い財布で、お札がいっぱい入っています。「あの人、走って行っちゃったよ、もらっちゃおうぜ」みたいなことを言うわけです。どう考えたって、シチュエーションが怪しすぎ(笑)。頭の中で危険信号がチカチカと点滅。だいたい、私は根が日本人なので、他人が落として行ったものをくすねよう、と言われても、そんな話には乗れません。だから、一切相手にせずに歩き去ったら、追いかけてきて、「山分けしよう、山分けしよう」と。もちろん、完全無視。たまたま前から警官が来て、私とすれ違ったので、それ以上勧誘することはあきらめたようです。後で杉山さんに聞いたところ「それは典型的な手口だよ」と。「山分けしよう」の言葉に乗って、財布に手を付けたとたんに、財布の「落とし主」が舞い戻ってきて、「俺の財布に手を付けたな」と言って、カモをボコボコにしてあり金を巻き上げる、という寸法だそうで。いや、危ない危ない。でも、あんな、一見して明らかに怪しい手口に引っかかる人がいるのかな、とも思いました。それにしても、何で私が狙われたのか、でかい一眼レフをデイバックから出して撮影したところを見て、金があると踏んだのでしょう。油断も隙もない話ですが。それとは別に、ムリージョ広場にいたときに、見知らぬ男性が寄ってきて、「私はヒカ(JICAのスペイン語読み)で働いているんだけど、あなたは日本人か」と。で「母親が病気でお金がなくて医者代が払えなくてどうのこうの、お金を工面してほしい」というわけです。うーーーん、これっと本当の話?つくり話?本当の話なら、無視するのは鬼だよなあ、とは思いましたが、「ごめんなさい、私にはあなたを助ける手立てがありません、何もしてあげられません」と言って、その場を逃げ出しました。サガルナガ通り付近の織物店。この日だったか、翌日だったかは忘れましたが、街中で、偶然、前回、前々回に紹介した「パクシカナ」のメンバーの一人と遭遇したら、「今日、俺の兄弟の結婚式で演奏するんだ、よかったら参加しないか?」というのです。結婚式?今日これから?招待もされていないのに、いいの??と思いましたが、パクシカナを主催する杉山さんも参加するというので、行くことにしました。結婚式の場所は、てっきりラパスだと思っていたのですが、杉山さんも合流して、コレクテイーボ(乗り合いタクシー)で向かった先は、何とエル・アルトでした。空港のある、海抜4000mの高原です。前述のとおり、エル・アルトは低所得者の多い街で、空港以外は観光客がまず近づくことのない場所です。しかも夕方から夜にかけて。自分ひとりだったら、絶対行かないところですけどね。それにしても、新郎新婦と何の縁もゆかりもない、招待すらされていない私(新郎の親族から式当日に招待された、とも言えますが・・・・・・)が参加してもいいの、と思いましたが、ラテンアメリカの結婚式ではそういうのはごく普通らしいです。招待者は、一応いる。でも、招待者の友人などが飛び入り参加で招待者より多くの参列者というのは当たり前だそうです。その代わり、結婚式だからと言って食べ物はあまり出てこないのだと。(そりゃ、当日飛び入り参加の出席者に食べ物は用意できないでしょうね)だから、杉山さんと私は、エル・アルトに着いて、結婚式場をちょっと見て、まだ式の始まりに時間があることを知ると、まず市場を歩いて、それから腹ごしらえに食堂には行ったのでした。エル・アルトの市場は、その名も「泥棒市場」、大通りを占拠して開かれる市場で、興味津々ではあったのですが、場所が場所だけに、名前どおり泥棒が大勢いるはずで、一眼レフを取り出すのは「盗んでください」というようなものなので、撮影はあきらめました。新郎新婦と、その家族一同。結婚式の飾りつけ。前回紹介したライブの写真も同じですが、屋内の写真が黄色っぽく写っているのは、ポジフィルムの特性です。ポジフィルムは屋外用と室内撮影用でフィルムが異なるのです。もっとも、室内撮影用のフィルムは買ったことがありませんけど。屋外用のフィルムで室内撮影するためのフィルタもあるのですが、このときはもっていなかったので、どうしても黄色っぽい色調になっています。飾り付けの前で記念写真を撮りました。結婚式での「パクシカナ」の演奏です。モセーニョという笛の合奏です。モセーニョはリコーダー型の笛で、横笛タイプも縦笛タイプもあります。左端の人物が横笛タイプを吹き、あとは縦笛タイプを吹いているようです。何曲か演奏した中で、シクリアーダ(サンポーニャの合奏)は、私も知っていて、日本で演奏したことのある曲でした。なので、この曲だけ私も演奏に参加。海外で、知り合いでもない人の結婚式に当日飛込みで参加した挙句、演奏に参加というのは、なかなか得がたい経験かもしれません。結婚式が何時まで続いたのかは知りませんが、演奏が終わると、杉山さん、私、それにパクシカナのメンバーであるオスカルさんの3人は会場を辞去して、一足先に帰ることにしました。もちろん、もう真っ暗です。結婚式の会場から、ラバスに向かって徒歩で少し下り、空港とラパスを結ぶハイウェーに出たところでコレクテイーボを止めたと記憶しています。杉山さんには散々脅されました。ここはとても危ない場所だから、と。パクシカナのメンバーのだれそれは、前歯がないでしょう、あれは、このあたりで強盗にいきなり殴りかかられて、前歯が全部折れちゃったんだよね、とか。今日の結婚式に招待してくれた新郎の兄弟氏も、一度強盗に身包み剥がれて、素っ裸で家に帰ったことがあるよ、とか。ひーーー、と思いました。ボリビア生まれの生粋のボリビア人が強盗に襲われるくらいでは、右も左も分からないおのぼり外国人など、いちころです。3人固まって歩いていたので、怖いとは思いませんでしたけど、一人ではとても歩けません。さらに、次回に続きます。
2015.06.16
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1回間が空きましたが、ボリビア2001年12月の写真の続きです。ボリビアの着いた日の夜、「グルーポ・パクシカナ」というグループの練習に参加させていただけるというので、行ってみました。ラパス在住の杉山さんが主宰するアウトクトナ(笛と太鼓だけの、フォルクローレの原型の一つとなった音楽。スペイン人が来る以前から続く音楽)のグループです。みんな、仕事のあとの練習なので普段着です。私も、ちょっとだけ参加させていただきました。練習のあと、みんなでお酒を飲んだような遠い記憶があります。シンガニという蒸留酒、かなりアルコール度数の強いお酒で、夜行でボリビアに到着したその日、しかも3600mという高地なので、私はほとんど飲まなかったように思います。翌日、ラパスの中心地、ムリージョ広場。ラパスの市街地。どこから撮った写真かは忘れましたが、泊まっていたホテルからだったかもしれません。ボリビアの国花、カントゥータの花。パクシカナの皆さん集まって、ビールを飲んでいます。右端が杉山さん。何をやっているかというと、実はライブなのです。パクシカナの演奏です。どういうイベントだったか忘れました。杉山さんに教えてもらって足を運んだと記憶しています。場所も、ちゃんとしたホールではありませんが、おそらくペーニャ(ライブハウス)ではなかったかと思います。普通、ペーニャは夜営業するものですが、このときは日中の演奏なので、おそらく日曜日だったのでしょう。サンポーニャ(アイマラ語ではシーク)と笛の合奏、シクリアーダです。でも、演奏したのは彼らだけではありません。Alaxpachaというグループだそうです。エストゥディアンティーナという、スペイン起源の演奏スタイルです。ケーナとギターのほか、マンドリンとコンセルティーナが加わっています。上記のグループの伴奏で、クシャグアダという踊りです。同じくジャメラーダという踊り。ジャメラーダというのはリャマ(ラクダの仲間、スペイン語圏ではしばしばジャマという発音になる)を追う姿を模したという意味です。帽子にリャマの絵があります。写真は残っていますが、どんな演奏だったかは記憶がありません。(踊りと演奏の写真を見れば、どういうタイプの演奏か想像は付きますが)実は、ライブがあれば録音しようと日本からMDレコーダーをもって行ったのです。ところが、到着早々、ザックの中に入れてあったシャンプーの中身が噴出する事件があって、MDレコーダー(ウォークマンサイズの小さいやつ)が、噴出したシャンプーの直撃を受けていたのです。いざ録音しようとしたら、壊れていて、うんともすんとも言わない。なので、録音は残っていません。さらに翌日です。ライカコタの丘という、ラパス市内の小高い丘に登りました。ラパスの中心街は、近代的な高層ビルが立ち並んでいます。同じくライカコタの丘からの景色です。「坂の町」というのがよく分かりますね。ラパスの中心街は3600m、空港のあるエル・アルトは4000m、さらに、高級住宅街はラパスの中心街より低い位置にあり、町全体としては標高差が700m近くあるそうです。もっとも、行政区分上は、エル・アルトはラパスとは別の自治体ですけど、もはや町は連続しています。ライカコタの丘からの景色です。中央やや右に、サッカー場が見えます。エルナンド・シレス競技場、世界最高所のサッカースタジアムです。さらに次回に続きます。
2015.06.15
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2001年のボリビア旅行記の第2回をアップする予定でしたが、それは明日にして、今日は「とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ6・14国会包囲行動」に参加してきましたので、その報告など。最近、相棒ばかりがこの種の集会に参加していて、私はちょっと腰が重かったのですが、さすがに今回は私にも危機感があって、行かなくちゃという気になりました。私は、まず日比谷公園にいって笛の練習をして、それから国会前に向かいました。集会の一番末端付近。首相官邸。ここに、安倍がいる。(この日、この時間に在邸していたかどうかは知りませんけど)だいぶ人が増えてきました。相棒も参加していたのですが、私より先に行っていたので、どこにいるか分からず、落ち合うのに苦労しました。かいじゅうたちの いるところ。人がぎゅうぎゅうになってきました。こりゃ、相棒を見つけるのは無理か、と思いました。道の奥は国会前庭です。後から考えると、この黄色いのぼりの集団の中に相棒がいました。FB憲法9条の会だそうです。国会真正面からの写真。こんなことでもないと、国会の前なんてなかなか来ませんから。(と、言いつつ、「こんなこと」が毎年1回か2回は必ずあるんですけどね)前に進むのも大変になってきましたが、このあたりでやっと相棒と落ち合うことができました。でも、頑張ってさらに先に進んでみた。ついに、スピーチをおこなっている集会の中心に到達。各所にスピーカーが配置してあったので、スピーチはここまで来なくても聞くことはできるのですが。このときは、日弁連の弁護士がスピーチをしていました。この場には数分しかいませんでしたが、前述のとおり、スピーカーを通じてスピーチは聞いていました。鎌田慧、石坂啓、鳥越俊太郎が話していました。他にも何人か話をしていたと思いますが。フェイスブック憲法9条の会。私自身は参加していませんけど。ずいぶん人が多いと思いましたが、主催者発表で参加者2万5千人だそうです。感覚的にはもっと多いような気もしましたが。憲法審査会で自民党推薦の長谷部恭男・早大教授が安保関連法案について「憲法違反」と明言して以来、世論の流れが変わったように思いますが、それでもまだまだ集会に集まる人が多い、とはいえません。10万20万と集まるようにならないとね。で、集会の前に日比谷公園で笛の練習はしてきたものの、ちょっとまだ吹き足りないなあと思っていたところで(フルートを吹き損ねたし)、目の前に国会前庭があります。入口の注意書きを見ても、音楽禁止とは書いてありません。音出しOKのようです。ここで練習しない手はない。というわけで、国会前庭で笛の練習をしてきました。目の前に首都高があり、その向こうに隣接して内堀通りがある。車の走行音が大きくて、ケーナやサンポーニャの音も、ややかき消され気味でした。日比谷公園のほうが、音は圧倒的に通りますが、この際そんなことは言っていられません。楽器はデイパックに詰めてきました。サンポーニャが割れる可能性があるので、普段はそういうことはせず、管楽器ケースを持ち歩くのですが、今日はひょっとしてデモ行進とかあるのかな?と思ったので、管楽器ケースはやめました。ケーナ3本とケナーチョ1本、サンポーニャのマルタとサンカ1組ずつ、それにフルートを持っていきました。自分がフルートを吹いている写真を撮ったのは初めてかもしれません。
2015.06.14
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断続的に続けてきた、過去のラテンアメリカ旅行の写真、いよいよ最終シリーズです。(いや、今後また旅行に行けば、最終シリーズではなくなりますが、当分予定が立たないので)ボリビアには3回行った3回目であり、かつ独身時代の最後の海外旅行でした。(行った時点では、結婚の予定などまるでなかったので、独身最後、とは思っていませんでしたけど)12月13日に成田出国、23日に帰国のスタンプが押してあるので、旅行期間は11日間だったようです。ただし、往路は丸1日かかるし、帰路にいたってはマイアミで1泊するので、2日かかります。ボリビアには14日入国で21日出国(14日は朝到着でしたが、21日も早朝出発だったので、現地滞在は実質7日間)という短い旅でした。学生時代とか、転職の合間ではなく、休暇を取っての旅行では、それが限界です。というか、今ではそんな日数すら、休める気がしません。飛行機は、アメリカン航空で成田-シアトル-マイアミ-ラパスという、途中2回乗り換えの長い行程でした。成田-シアトル間の機種はよく覚えていないのですが、MD11だったか、B777だったか。多分B777だったのでしょう。シアトル-マイアミ間は、どういう手違いか分かりませんが、ビジネスクラスに案内されて(スチュワーデスに「これ、ファーストクラスでは?」と(ビジネスクラスというスペイン語が出てこなかったので)聞いたところ「乗り継ぎ客はこちらでいいんです」と)、ラッキーだったのですが、ついつい「次もこういう機会が」などと期待してしまったら、そのあとは二度とそんな機会はありませんでした。で、12月のボリビアは、南半球なので季節は夏ですが、雨の多い雨季でもあります。ただ、雨季といっても日本の梅雨のように一日中降っているという感じではなく、ザッと降ってまた晴れる、という感じです。マイアミからラパスに到着直前、時間は朝7時前ですが、この時は快晴でした。眼下にイリマニ山が見えます。後から考えると、この時がイリマニ山がもっとも天気の良かった時間だったかもしれません。世界最高所にある国際空港、ラパス・エルアルト空港には7時頃到着しました。この空港に降り立つのは、この時が4回目でした。滑走路こそ4000mという、成田空港と同じ長さですが、これは高地で空気が薄い事情ゆえで、ターミナルビルは極めて小規模です。そして、この空港には公共交通機関は、一応バスの便はあるらしいのですが、使ったことはありません。事実上、タクシーしか交通手段がない。で、空港とラパスの中心街は、高速道路で接続されています。高速道路なのですが、路肩を人が歩けたりします。で、タクシーの運ちゃんが、景色のよいとろころで車を止めてくれ、上から見下ろすラパスの街や周辺の山々の写真をいっぱい撮らせてもらいました。遠方の山は、ワイナポトシ6088mです。ラパスから最も近い6000m峰なのですが、ラパスの中心街からは、直接見ることはできません。その隣の途中で切れている茶色い山は、数日後に登ることになったチャカルタヤ山5395mです。ラパスは海抜3600mの高さですが、空港のあるエル・アルトはもっと高い海抜4000mです。アルティプラーノと呼ばれる、荒涼たる高原から、谷底に少し下ったところにあるのがラパスの街。ワイナ・ポトシのアップです。いつかは登りたい。多分、今の私の冬山能力なら登れる。もちろん、単独では無理です。ガイドをつけなくては。ラパス発で1泊か2泊、費用もわずか1~2万円のワイナポトシ登頂ツアーが結構あるようです。ただ、登るとすると、雨季は難しいだろうな。乾季(5月頃から10月頃まで、つまり南半球の冬)でないと。写真に写っているあたりは、だいたい海抜4000mくらいです。この高さまで住宅が立ち並んでいるのが分かります。住宅の広がりがよく分かります。このあたりは低所得者の多い地域(ラパスでは、上流階層ほど空気が濃くて暖かい、標高の低い場所に住み、低所得者は空気が薄くて寒い高地に住む傾向があります)ワイナ・ポトシとは反対方向、雲海の向こうにラパスの象徴イリマニ山が見えます。イリマニ山は、ラパスからの距離はワイナポトシよりだいぶ遠いのですが、谷底の中心街からもよく見えます。早朝、飛行機から見たときは、下層の雲はなかったのに、この時間(まだ、朝8時か9時頃でしたが)にはすでに雲海の上になっています。ワイナポトシの右隣に位置するチャカルタヤ山です。ラバスに到着しました。宿はその場で探したのですが、だいたい「ここにしよう」というめぼしは事前につけてあって、ホテル・サガルナガという宿にしました。1泊20ドル近くする、(私の旅行としては)高級な宿でした。何しろ現地滞在が7日間だけですから、宿代をそんなに気にすることもありませんでした。写真は、おそらく、その宿の部屋から撮ったものだと思います。よく覚えていませんが。実は、到着早々、バックパックが大変なことになっていました。日本からシャンプーをもって行ったのですが、未使用品ではなく、使いかけを持っていったら、高地で気圧が低いため、中身が噴出してしまい、ザックの内側がシャンプーまみれになっていました。シャンプーを裸で入れていたわけではなく、ビニール袋に入れていたはずですが、それでもザックに飛び散っていました。。ザックの中を拭くのに、だいぶ時間をとられました。宿からちょっと坂を下ったところにある、サンフランシスコ教会付近です。同じ場所を大通りの向こう側から撮影。サガルナガ通り。以前のボリビア旅行でも、ここの写真はアップしたことがあります。民芸品、楽器のお店とペーニャ(ライブハウス)の並ぶ一角です。以前は、「ペーニャ・ナイラ」という、有名なお店がありましたが、このときにはすでに閉店していました。クリスマスの近い時期で、日本で言えば歳末大売出し、という感じでしょうか、教会の前には露天がたくさん軒を連ねています。以下、次回に続きます。
2015.06.13
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安保関連法案:集団的自衛権は違憲にあたらず…防衛相強調安全保障関連法案を審議する衆院平和安全法制特別委員会は5日、一般質疑を行った。中谷元防衛相は4日の衆院憲法審査会で憲法学者が集団的自衛権の行使容認などを「憲法違反」と批判したことを「あくまで自衛の措置としての武力行使に限られる。他国防衛を目的とする国際的な集団的自衛権ではない」と述べ、違憲との指摘は当たらないとの考えを強調した。これと関連し、安倍晋三首相は5日、東京都内の会合で「日本を取り巻く安保環境は厳しくなっている。何もしないのは政治の責任放棄と同じだ。批判にたじろがず、政策を前に進めていく」と今国会で成立を図る方針を強調した。---なんだか、「日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなっている」というせりふを掲げれば、何をやっても許されると思っているんじゃなかろうか、と思えます。具体的に、どこがどう厳しさを増しているというのでしょうか。国名を名指しにはしていないけれど、要するに中国脅威論だということは一目瞭然です。でも、今の中国が軍事的脅威だとすれば、冷戦時代の旧ソ連はどうなの、と思います。1970年代から80年代初めにかけて、ソ連脅威論が声高に叫ばれ、空母ミンスクと強襲揚陸艦イワンロゴフが極東に配備されたときは、明日ソ連軍が北海道に上陸してくる、みたいな架空戦記もたくさん出版されました。あとから考えれば、まったく噴飯ものの話に過ぎません。いや、実は当時の時点でも、冷静に考えればそんなことは明らかだったのです。空母ミンスクにしても強襲揚陸艦イワンロゴフにしても、米軍の同種の艦より圧倒的に能力が劣り、数も少なかったのです。それでも、当時のソ連が強力な核戦力を持っていたこと、最新鋭の戦車や戦闘機を独自に開発して大量に配備するだけの技術力は持っていたことは事実です。今の中国も核兵器はもっていますが、数はかつてのソ連ほどではありません。戦闘機をはじめとする最新鋭の兵器も、今のところは輸入であったりライセンス生産やコピーであったりで、自力で開発できる段階にはなっていません。それを考えれば、中国の軍事的な脅威など、冷戦時代の旧ソ連に比べればたいしたものではないのです。(前述のとおり、その旧ソ連の軍事力だって、実態はたいしたものではなかった)そもそも、中国が日本に攻め込んでくるなんて事態が仮にあり得るとして(実際は、そんな能力はありませんけど)、それに反撃するのは個別的自衛権に属する問題であって、集団的自衛権とは関係ありません。もっとも、純軍事的な面は度外視して、経済力という意味では、今の中国は冷戦期の旧ソ連より強力かもしれません。冷戦時代の旧ソ連は、GDPの正式な統計が公表されていなかったので正確なところは分かりませんが、おおむね1980年代には日本が旧ソ連を追い越していたと推定されています。しかし、現在中国のGDPは日本を追い越して、その2倍にも達しようとしています。だけど、安保法制で戦争に参加できるようになると、経済面の勝負を覆せるのでしょうか。そんなこと、できるわけがありません。結局、集団的自衛権を認めることで安全保障環境が好転するなんて事態は、ほとんど想像が付かないのです。
2015.06.11
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「あまりに傲慢」自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判自民党の村上誠一郎衆院議員が6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会に出席し、自民党の執行部を「あまりに傲慢」と批判した。会場には弁護士や野党議員ら190人が参加し、それぞれ安保法制に批判的な意見を述べていたが、集会の途中で、与党・自民党に所属する村上議員が姿を見せ、マイクを握ると大きなどよめきが起きた。(中略)●村上誠一郎議員の発言全文は次の通りただいまご紹介にあずかりました村上誠一郎であります。実は私は、そこにいらっしゃる山岸(良太・日弁連憲法問題対策本部本部長代行)先生と、大学の同級生、同じクラスでした。まさか、43年後に、こういう集会に出るとは、夢にも想像していませんでした。正直申し上げます。私も自民党員です。本来ならば、こういう集会は、実はご遠慮申し上げようと思っていたんです。だけど昨日の総務会で執行部とやりあって、これはもう困ったなあと。やはり本当のことを国民のみなさん方に知っていただくことが大事だと。特に私は、柳澤先生(※集会で講演した元内閣官房副長官補の柳澤協二氏)に申し訳なく思っているんですが、昔の政治家は、柳澤さんのようなきちっとした議論をみんな聞く耳を持っていました。ところが昨今、やはりこれもマスコミの人に反省してほしいんですが、小選挙区になって、公認と比例と、人事まで党幹部に握られてしまって、なかなか昔のように自分の考えていることが言いにくくなってしまいました。もっと反省してほしいのは、特定秘密保護法のとき。28年前には(※1985年に国会提出されたいわゆる『スパイ防止法案』について)、大島(理森)さんや谷垣(禎一)さんまでが「おかしい」と言って廃案にしたんです。ところが(2013年の特定秘密保護法については)、いちばん被害を受けるというか、当事者であるマスコミの人たちが、最後の総務会で私が指摘するまで、誰も指摘しなくなった。それからもう一つ、バッジを付けている先生方も反省してほしいのは、去年の公務員法の改正ですよ。私は最後まで反対した。なぜならば、600人の人事を全部官邸に持っていった。こうなれば官僚諸君は、もう正論も本音も言わなくなるよ。私は最後まで総務会で抵抗したんですが、これも官邸の意向ということで通ってしまった。案の定、それから、公務員は正論も本音も言わなくなりました。もっと重要なのは、そのように外堀を埋められるために、今回の安保法制について、本来いちばんモノをいわなきゃいけない国会議員が、口を閉ざしたままになっている。●6月9日の自民党総務会で今回、まず昨日のことから申し上げますと、私が申し上げたのは、このような問題は、国会議員の政治的良心・使命に関わる問題であるから、党議拘束を外すべきだと。そしたらですね。ハッキリ言いますよ。あなたたちの先輩の、ある代議士が「お前は最高裁判決を読んだことがあるのか」と言ってきた。砂川判決を。だから私は言った。「あなただけですよ、砂川判決が根拠だと言っているのは」。そしたら何て言ったと思いますか?「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言ったんですよ。それで、私は激怒したんです。3人のオーディナリーな学者が違憲だと言っていることに対して、自民党がそれを無視するということは、あまりにも傲慢ではないか。●安保条約の時を思い出してまさにこのような重要な問題を、本当に国民の皆さん方が、お一人お一人本当に理解なさっているのかと。みなさん、思い出してください。いまから55年前の、日米安保条約のときには、この国会の周りに十重二十重とみなさんが集まって、全国民、全マスコミ、全学者で喧々がくがくと議論しておりました。いま、どうでしょうか。ハッキリ申し上げましょう。2年前に、私が「この問題は実は民主主義の根幹に関わる問題である」と。こんなことを天下の自民党がやっていいのかと言ったときは、マスコミは無視したものでした。私がどうしても、ここへ来てお話したくなったのは、今いちばん問題なのが「ダブル先生」ですよ。ダブル先生って分かりますか? 議員バッジと弁護士のバッジを付けている、その先生たちです。責任、大きいんですよ。結論を言うと、議論して、つくづくおかしいと思うのは、弁護士の資格を持っているものですから、自分の言っていることが正しいんだと。他の学者さんや、他の普通の国会議員が言っていることは、とるに足らないんだ。そういうような、いまの状況であります。特に、執行部に、3人の先生がおります。言わないでも分かっていると思います。結論は、もう簡単です。今日お集まりのみなさん方は、そうそうたるみなさんです。それぞれの国会議員や、多くのマスコミの方を知っていると思います。我々が財政の危機を言っても、この憲法の危機を言っても、残念ながら門前の小僧でしかありません。説得力がありません。(弁護士の)先生方が、お一人お一人の国会議員や、国民や、マスコミのみなさん方に説明していただきたい。●「自民党は、いつからこんなに惻隠の情のない党になってしまったのか」なぜ私が、あえてこのような場所に来たか。2つあるんですよ。ひとつは、前から申し上げているように、もし憲法に書いていないことを、内閣の一部局である法制局が解釈で変えることができたら・・・。まあ、自民党にある方が「ナチス憲法のマネをしろ」と言ったんですが、もちろんナチス憲法はありません。戦前のドイツで、議会において、全権委任法を通して、民主的なワイマール憲法を葬り去ったという、一番悪しき例があるんです。すなわち、このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。たいへん、民主主義の危機にあるということです。それから、もう1点。来年から18歳の人たちが有権者になります。私は、次の世代が気の毒です。このままでいけば、財政がおかしくなる、金融がおかしくなる、社会保障もおかしくなる。そのうえ、地球の裏側まで行くことになる。自民党は、いつからこんなに惻隠の情のない党になってしまったのか。●「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」実は私の父は、増原惠吉さんと、吉田さんに頼まれて、警察予備隊を立ち上げた男です。一次防も二次防もやりました。父が死ぬまで言っていたのは、防衛予算は少なくて済むなら少ないほうが良い。もう1点は、自衛隊の諸君の身の安全について、万全に期すべきだと言って死にました。私は、父の言ったことが自分の政治命題だと考えております。この民主主義を守ることと、そしてまた、次の世代のために・・・。私は、みなさん方のお力を、なにとぞ、一人でも多くのみなさん方に、この問題がどこにあるのか(伝えていただきたい)。特に、私は最後に、あえて言います。私がいちばんいま危機を感じているのは、民主主義の危機、すなわちファシズムの危機であります。私が大学のときに、ある先生が言っていました。「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」。結論はどういうことかと言いますと、もしこういうことで突破されれば、次の世代は、アメリカの要求を断ることもできません。歯止めもありません。そういう中で、こういうような非常に不完全な法制というものを、短期間で180度転換するようなことを、軽々としていいものだろうか。最後に、もう本当にお願いします。弁護士の先生方。我々では説得する力がありません。自民党には、まともな大学で憲法を学んだ人が数います。そういう人たちひとり一人に説得していただきたい。そして、一番重要なのは、国民の皆さん方に、この法案ならびにいままでの手法が、どこに大きな間違いがあるかということを、やはり一人でも多くのみなさん方に伝えていただきたい。以上であります。●「国民が絶対自分のこととして考えなければいけないこと」不肖・村上誠一郎が、ただでさえやせ細った身体で、国会に来て必死にお願いをしたのは、後輩である(福島)瑞穂先生が、体重では負けないだろうからというんですが・・・。本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。ですから、先生方、みなさん方も、本当にこの問題の重要性にお気づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方に、その問題点を伝えていただいて、国民お一人お一人が、自分が現憲法とどのように立ち向かうのかということを、ご理解いただけることを、切に切にお願い申し上げまして、簡単ではございますが・・・。今日は応援演説ではないんですよ。言っておきますけど、これは絶対ね、国民が、自分のこととして考えなければいけないことです。そしてまた、自分自身のこととして判断すべきことであって、一部の国会議員で決められることではないということです。よろしくお願いします。---あまりに正論なので、発言全文をそのまま掲載しました。自民党の中にも、これだけの見識のある議員はいる。でも、一人しかいないのでしょうか。村上自身も言っているように、かつての自民党には、ゴリゴリの保守派も大勢いたけれど、こういった見識を持つ議員だって少なくはなかった。それが、自民党という政党の懐の深さ、強さの源でもありました。しかし、今では小選挙区制の下、二世議員、ネトウヨ議員、要するに安倍と安倍の同類ばかりです。小選挙区制のおかげで議席数は水ぶくれしていますが、得票率が増えているわけではなく、人材の多様性という意味では、むしろ貧弱になっているのでは、という気がします。まあ、野党についても、似たようなことはいえますけど(特に、維新の党)。それにしても、ある代議士が「お前は最高裁判決を読んだことがあるのか」と言ってきた。砂川判決を。だから私は言った。「あなただけですよ、砂川判決が根拠だと言っているのは」。そしたら何て言ったと思いますか?「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言ったんですよ。というやり取りには驚かざるを得ません。砂川判決については、昨日の記事で触れましたが、砂川判決を読んだことがあるのかと言い放った代議士は、その文面をちゃんと検討したことはあるのでしょうか。個別的自衛権と集団的自衛権の区別が付いているのでしょうか、判決当時の自民党政府の、集団的自衛権に関する憲法解釈を検討したのでしょうか。検討したとは思えません。その挙句に「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」とはね。唯我独尊もここにきわまる、というものです。
2015.06.10
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憲法学者への反論文書、自民が作成し議員に配布自民党は、安全保障関連法案に関し、先の衆院憲法審査会で憲法学者が「違憲」と断じたことに反論する文書を作成し、党所属国会議員に配布した。文書は7日に実施した一斉街頭演説向けに党政務調査会がまとめた。「憲法判断の最高の権威は最高裁」と明記した上で、自国の存立を全うするために必要な自衛措置を容認した1959年の最高裁の砂川事件判決に触れ、「集団的自衛権の行使は憲法に反するものではない」と強調した。さらに「国民の命と日本の平和を守るための安全保障政策に責任を持つべきなのは政治家だ」との認識を明示した。---自分の党が推薦した参考人に安保法案を憲法違反と断じられてしまったものだから、頭に血が登ってこんな文書を出したのでしょうか。それにしても、「国民の命と日本の平和を守るための安全保障政策に責任を持つべきなのは政治家だ」というのはどういう意味でしょうか。政治家以外は口を出すな、ということか、学者はすっこんでろということか。そういうことなら、そもそも憲法審査会に自民党推薦の参考人など出すべきじゃなかったのではないでしょうか。自民党推薦の参考人はいません、必要ありません、というべきだったでしょう。で、1959年の最高裁の砂川事件判決に触れ、「集団的自衛権の行使は憲法に反するものではない」と強調したそうですが、砂川判決は集団的自衛権とはまったく無関係の判決であることは、当ブログでは1年以上前に指摘しています。自衛権(個別的自衛権)と集団的自衛権の混同もう少し補足すると、砂川事件の最高裁判決当時、政府も被告も、もちろん裁判所も、集団的自衛権はまったく争点にしていませんでした。集団的自衛権の行使は憲法上認められない、という政府見解が閣議決定されたのは1981年ですが、それは過去の政府の見解と無関係に唐突に出されたものではありません。それ以前から政府は集団的自衛権は行使しない、できないということを国会で繰り返し答弁しています。日本は独立国なので、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つ。しかし、憲法第9条により、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段である軍備を一切持たないことにしている。だから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念(警察予備隊を国外の軍事行動に使用する)のようなことは断じてやってはいけないし、また他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる」(西村熊雄外務省条約局長・第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会1951年11月7日)「自衛隊は自衛隊法によって明らかであるように、外部からの不当な攻撃に対して我が国を防護することを任務としている。ここに限界がある。~日本の自衛隊は、海外に派遣するというようなことは、任務、性格になっていない」(木村篤太郎国務大臣・第19回国会衆議院内閣委員会1954年5月6日)「平和条約でも、日本国の集団的、個別的の両者の自衛権というものは認められているが、しかし、憲法の観点から言えば、憲法が否認していないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり、自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきである。集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛又は相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということであって、つまり、自分の国が攻撃されてもいないのに、他の締結国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは、一般の国際法からはただちに出てくる権利ではない。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれてくる権利である。ところが、そういう特別な権利を生み出すための条約を日本の現憲法下で締結されるかどうかというと、できない。」(下田武三外務省条約局長・第19回国会衆議院外務委員会1954年6月3日)「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」(林修三内閣法制局長官・第31回国会参議院予算委員会1959年月16日)「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権は、日本の憲法上は持っていないと考えている」(岸信介首相・第34回国会参議院予算委員会1960年3月31日)※国会での答弁は「憲法第9条と集団的自衛権―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る」より引用砂川裁判前後の時期における、集団的自衛権に関する政府の見解は以上のとおりです。政府自身が、「集団的自衛権は憲法上認められていない」と言っており、この点に関しては検察側と被告側に争いがありません。裁判で検察が「自衛権は憲法上認められる」と主張し、被告側と争いになったのは、個別的自衛権についてです。だから、最高裁判決が認めた自衛権というのも、個別的自衛権なのです。もっとも、15人の裁判官のうちただ一人、裁判長の田中耕太郎だけが、補足意見中に一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。と、集団的自衛権(らしきもの)を匂わせる主張をしています。あるいは、自民党はこの補足意見を論拠にしているのかも知れません。でも、15人の裁判官中1人だけの意見です。そして、補足意見の部分には、判例としての拘束力がありません。この補足意見をもって「砂川裁判の最高裁判決が集団的自衛権を認めている」といっているのだとすれば、明らかにおかしいのです。いずれにしても、砂川判決は集団的自衛権合憲の根拠になど、なりようがありません。
2015.06.09
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Apple、「iOS 9」を発表――Siriやプリインアプリの拡張、ニュースアプリの提供などAppleが6月8日(現地時間)iOSデバイス向けの新OS「iOS 9」を発表。2015年秋にリリースする。対応機種はiPhone 4s/5/5c/5s/6/6Plus、iPod touch(第5世代以降)、iPad 2、iPad(第3/第4世代)、iPad Air、iPad Air 2、iPad mini、iPad mini 2/3。Siriの正確さや反応速度を40%向上、より柔軟なリクエストが可能になる。Safariでチェックした内容をリマインダーに登録、特定の期間の写真を探すなど。ユーザーの利用パターンを学習し、次の操作内容を予測、提案する。例えば朝起きて音楽を聴いている場合、毎朝ロック画面に音楽再生のボタンを表示する。アドレス帳に登録していない人からの電話も、電話番号が過去の受信メール署名に記載されていれば着信画面に名前を表示。Spotlightの検索機能も拡張し、天気、スポーツの結果、YouTube動画、簡単な計算、祝日なども検索できるようになる。過去の行動履歴から、Spotlightでは最近連絡を取った人や、ユーザーが興味を持ちそうなアプリや場所を提案。「メモ」アプリを拡張し、フォントの変更やToDoリストの作成、写真・動画・手書きメモの追加などが可能。作成したノートは、iPadやMacで共有される。iPadの操作性も改善。文字入力の予測変換候補表示バーに、コピーやペースト操作アイコンを追加、画面上キーボードをなぞり、トラックパッドのように使う。iPad Air 2では2つのアプリを分割して1画面に表示して、同時に利用できる。ほかのiPadでも、表示中のアプリ画面の一部に覆い被せて、別のアプリを起動できる。動画を小さいウィンドウに表示し、他のアプリを使いながら動画を視聴できる。約1時間バッテリーの持続時間が延びる省電力モードを用意。パスコードで入力する数字を4桁から6桁に増やしセキュリティ面を強化。他のiOSデバイスを新たに使う際、もう一方のiOSデバイスにパスコードを表示させる2段階認証も採用。より多くのユーザーが端末単体でアップデートできるよう、アップデート用のファイル容量をiOS 8の4.58Gバイトから1.3Gバイトに軽量化。Apple Payを英国でも導入「マップ」アプリでは、バスや地下鉄を含めた乗換案内が可能。「ニュース」アプリを提供。(いずれも日本では対応不明または非対応)(要旨)---うわさでは、初代iPad miniはiOS9のサポート対象外になるのでは、と言われていましたが、初代iPad miniも対象となったようです。もっとも、画面分割とかマルチタスクという新機能は非対応のようですが。また、iOS9では新機能の追加は限定的で、動作の安定性向上やパフォーマンス向上が中心との事前予測もありましたが、そのあたりはどうなのでしょうか。ざっと探した限りは、バッテリーの持続時間が延びる点以外は、安定性やパフォーマンス向上に関する言及がないようですが。私のiPad miniは、2013年に購入した時点ではiOS6でしたが、iOS7、さらにiOS8とアップデートしてきたわけですが、メールとネット中心の使用なので、この間の機能向上を実感することはほとんどなく、逆に動作がだんだん重くなってきた実感しかありません。戻せるものなら元のOSに戻したいところですが、戻し方がよく分からないですし。(Windowsパソコンなら、たいていのことは何とかなるのですが、iOSはなかなか思うに任せません)もっとも、動作の重さは、ネットの通信速度とも関連があるでしょうから、一概にOSだけの問題とはいえませんけど。一時期は、自宅でもパソコンはあまり起動せず、iPad miniばかりを使っていたこともありましたが、昨年秋にパソコンを更新してからは、パソコンの起動が非常に速くなったせいもあって、自宅では再びパソコンばかりを使っている状況です。前述のとおり、iOSはアップデートすると、元に戻したいと思ってもなかなか上手く行かないので、iOS9にすぐ飛びついていいものかどうかは何ともいえません。いずれにしても、リリースは秋ですか、少し先の話です。
2015.06.08
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先週丹沢に行った際、iPad miniで撮影した写真は公開しましたが、一眼レフで撮影したポジフィルムの写真が、やっと完成しました。というか、すでに完成していたのですが、スキャナに取り込む時間がなくて、今日まで先送りになっていました。大倉から塔ノ岳へ登る途中、花立山荘近辺から撮影した富士山です。スマホやタブレットのレンズにはズームがないので、こういう写真は撮れません。眼下に相模湾が見えます。酒匂川らしき川があり、その向こうに真鶴半島でしょうか。海の向こうにぼやっと見える陸地は大島でしょうか、それとも伊豆半島?塔ノ岳に到着して、富士山を撮影しました。同じく塔ノ岳の山頂から、丹沢のさらに奥の山々を撮影しました。右端手前の山が、丹沢山、その左奥(小さなピークは飛ばしてその奥)が丹沢最高峰の蛭ヶ岳のようです。同じく、左端が蛭ヶ岳、小さなピークは飛ばしてその右手前が塔ノ岳です。それにしても、すごい数のベンチ(代わりの材木)が並んでいます。これがいっぱいになるくらい登山者が押し寄せる、ということなのでしょうか。実は、このとき(往路、10時半過ぎ)でも登山者は結構いましたが、丹沢山まで行って引き返してきたときは、登山者がさらに多くて、このベンチが結構埋まっていました。さすがに、8割9割ということはなかったですけど。塔ノ岳を後にして、さらに奥の丹沢山を目指します。塔ノ岳までに比べて、登山者は格段に少ない。それでも、結構いましたけど。左側が丹沢山です。丹沢山に到着。塔ノ岳より、人ははるかに少ないですが、それでも、結構います。樹木が多いので、塔ノ岳に比べると展望は限られます。丹沢山から塔ノ岳に引き返す途中です。この尾根道は、雰囲気がよくて気持ちがよかったです。同じく丹沢山から塔ノ岳に引き返す途中、塔ノ岳の少し手前から塔ノ岳を撮影しました。尊仏山荘が見えます。気持ちのよい尾根ではあるのですが、ずっと鹿よけのフェンスが続いています。丹沢はニホンジカの食害がひどいため、鹿の侵入を防ぐフェンスが多数設置されています。塔ノ岳から丹沢やままでは、ほとんどフェンスと並行に歩く感じです。おなじく塔ノ岳のアップです。塔ノ岳を越えて、花立山荘まで下ってきました。かき氷がおいしかった。それが食べたくて往路と同じコースをたどったのですが、実は、当初予定していた鍋割山コースの鍋割山荘にもカキ氷はあったそうです。そうだったのか。でも、鍋割山経由だと大回りで時間もかかるし、疲れてもいたので、分かっていてもこちらのルートを下山したかもしれません。大山です。10年くらい前に、冬、降雪の中を登ったことがあります。下山して、渋沢の駅前から丹沢を撮影しました。
2015.06.07
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安保法制、3学者全員「違憲」 憲法審査会で見解衆院憲法審査会で4日、自民党など各党の推薦で参考人招致された憲法学者3人が、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示した。国会の場で法案の根幹に疑問が突きつけられたことで、政府・与党からは、今国会中の成立をめざす法案審議に影響を及ぼしかねないと、懸念する声が上がっている。参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人。憲法改正に慎重な立場の長谷部氏は、集団的自衛権の行使を認める安保関連法案について「憲法違反だ」とし、「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判。9条改正が持論の小林氏も「憲法9条2項で、海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」との見解を示した。---自民党自身が推薦した参考人が「安保法案」を違憲と断言するという、自民党の自爆大作戦になってしまったようです。でも、これってそもそも、まともな憲法学者で、安保法制を合憲なんていう人はいない、ということなのではないでしょうか。別の記事によると、自民党は当初佐藤幸治京都大名誉教授に要請したが、調整がつかず、長谷部恭男早稲田大教授を選んだのだそうです。だけど、佐藤幸治京都大名誉教授なら、安保法制は合憲だという意見を述べたのでしょうか?検索したところ、佐藤幸治名誉教授のインタビュー記事が見つかりました。朝日新聞夕刊に佐藤幸治先生のインタビューが掲載されましたこのほど『立憲主義について 成立過程と現代』を刊行した、憲法学の第一人者・佐藤幸治先生のインタビュー記事「人類の英知・立憲主義、悲劇の背景を忘れるな」が、朝日新聞夕刊(2015年6月1日)に掲載されています。~気がかりなことがある。憲法9条の下で集団的自衛権は行使できないとする長年の政府解釈を変更した昨年7月の閣議決定、今国会成立を目指すとされる安保法制をめぐる動きだ。佐藤さんは言う。「政府がずっと許されないとしてきたことを許されるとするなら、それにふさわしい慎重な手順と説得的な説明が必要だ」 だが、首相は国会答弁で、「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と断言する。 「丁寧な審議を通じて事柄の内容と問題点を国民に明らかにしないままに突き進むとすれば、日本の議会制・立憲主義の将来にどのような結果をもたらすか大変心配している」---朝日新聞を購読していないので、ブログからの孫引きになりますけど、これを読む限り、どう考えたって安保法制に対しては批判的です。「安保法制は合憲」だなんて意見を述べるはずもないことは明らかです。「調整がつかず」とありますけど、日程調整とか、報酬の調整とかではなく、そもそも主張の内容の調整がつかなかった、ということでしょう。この結果を受けて、菅官房長官は強気にこんなことを言っているそうで。違憲指摘「全く当たらない」 菅氏、衆院憲法審査会参考人質疑に反論菅義偉官房長官は4日の会見で、同日開かれた衆院憲法審査会の参考人質疑で、3人の参考人全員が審議中の安全保障関連法案について「憲法違反」としたことに関し、「法的安定性や論理的整合性は確保されている。全く違憲との指摘はあたらない」と述べた。~自民党などが参考人として推薦した早稲田大の長谷部恭男教授が憲法違反だと指摘した点に関しては「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べ、今後の法案審議への影響は限定的との見方を示した。---「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」というなら、その人の名を具体的に挙げてくださいな。「たくさん」というからには、5人や10人は名が挙がるんですよね。「著名」というからには、少なくとも、自称学者の類ではないはずですよね。ということを、その記者会見で官房長官に質問した記者はいなかったんでしょうか。いなかったとすれば、本当に記者というのは権力に対してズブズブの関係なんだなと思わざるを得ないのですかが。すでに見たように、自民党の「本命」であった佐藤幸治京大名誉教授は、安保法制を合憲とは思っていないことが明白(多分、それが理由で断った)、次に頼んだ長谷部恭男早大教授も、安保法制は違憲だと憲法審査会で明言したわけです。要するに、人選で詰んでしまった、ということでしょう。この経過は、要するに安倍の安保法制案を合憲などと考えている、まともな憲法学者はいない、ということを示しているんじゃないでしょうか。そりゃもちろん、別分野の著名人で、安倍万歳、安保法制万歳、という人はいくらでもいますけどね。憲法の専門家でそんなことを考えているのは、産経の憲法改正案の起草委員になった西修と百地章くらいじゃないでしょうか。※他の起草委員、田久保忠衛は外交評論家・政治学者、佐瀬昌盛も国際政治学者、大原康男は宗教学者であり、憲法の専門家ではない。だけど、西修や百地章は、ほとんどトンデモの部類であって、「まとも」な憲法学者とはとても言えない。さすがの自民党も、世間に「こんなトンデモ学者しかいないのか」と受け取られることを警戒したのでしょうかね。もっとも、安倍自身がトンデモ以外の何者でもないわけですが。要するに、トンデモ首相の提案するトンデモ法制に賛成するような専門家は産経新聞御用達のトンデモ極右文化人しかいない、ということでしょう。
2015.06.06
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左派の本質は「老人保守政党」 --- 城繁幸久々にお笑いネタを。例の公務員労組がまた面白いことを書いている。老人の投票権剥奪し老人の老人による老人のための政治なくせという辛坊治郎氏や池田信夫氏らの大ウソ意訳「日本は老人の貧困率が高く、老人天国じゃない。むしろ老人地獄だ!若者と高齢者は連帯しよう!」ちょっとでも社会保障に興味のある人間なら知っていると思うが、公務員労組が使っている“相対的貧困率”は所得をベースにするものであり高齢化が進むとどうしても高くなる傾向がある(普通は老人になったら、それまでの貯蓄と年金でマイペースで暮らしたいと思うだろう)。だから、格差問題を「真面目に」語る人で、この数値を使う人はほとんどいない。たとえば、持ち家に住んで、貯金が数千万円あり、毎月13万円ほどの年金を受け取っている老夫婦が貧困層だと言い切れる人がどれだけいるだろうか。フルタイムで働いて手取り20万円ほどのフリーターやシングルマザーの方が貧しいと考えるのが普通ではないか。そうした現役世代から搾り取って高齢者に仕送りしている現状はどう考えてもおかしいと感じるのは、筆者だけではないはず。さらに言えば、今搾り取られているフリーターやシングルマザーが今から数十年後に受け取れる社会保障の額は、今の高齢者が受け取っているそれより大幅にカットされていることは確実だ。で、筆者が笑ったのは、こういう事実は当の公務員労組さまご自身もちゃんと認識している点。以下の記事もご照覧あれ(笑)ピケティの言う格差上位1%、日本では金融資産だけで少なくとも1億円以上、申告所得のみなら5千万円以上意訳「公務員が所得上位5%に入る富裕層だって!?所得じゃなく資産で見ないと意味無いだろムキー!」文中では盛んにアベノミクスで富裕層の純金融資産が〇割増えただのなんだの言っているが、その6割を65歳以上の高齢者が保有している点はもちろんスルーである以上の点を考慮すると、公務員労組さまの本音がはっきりわかるだろう。・公務員の既得権は死んでも離さない・高齢者の既得権も擁護する・若い世代の弱者がどうなろうが知ったこっちゃないこれが普段は偉そうに世界平和だの格差是正だの御託を並べている彼の本性であるちなみに、12年衆院選時のYahoo共産党候補者アンケートを見ても明らかなように、こうしたスタンスは既存左派に共通するもののようだ。若者が共産党をはじめとする既存左派を支持するメリットなど何もないということを最後に明言しておこう---何というか、読んでいるだけでムカムカしてくる不快な文章です。例によって城繁幸という競争原理至上主義者の暴論です。城があてこすっている「例の公務員労組」というのは、リンク先を見れば分かりますが、国家公務員一般労働組合(国公一般)です。一般労働組合というのは、雇用形態に関わりなく誰でも入れる組合のことですが、公務員関係で「一般」と名の付く労働組合は、私の経験則では、非常勤職員が多数を占めるはずです。国公一般も国公一般は、国の機関や関連法人(独立行政法人や公益法人など)で働く仲間の労働組合です。職場に組合がなくても、常勤・非常勤、派遣・請負などどんな雇用形態の方でも、一人でもいつでも入れる労働組合です。と自己紹介をしています。正規公務員も加入できるようですが、おそらく少数派でしょう。それぞれの省庁には正規職公務員の労働組合があるので、わざわざそこに加入せず、あるいは二重加入で国公一般に加入するほどの人が大勢いるとは思えないからです。公務員の既得権がどうとか、正規職の公務員をあてこするような物言いを国公一般に対してするのは、筋違いもいいところです。要するに、「公務員」という名称だけに反応しちゃって、それが正規職か非常勤かも確認せず、脊髄反射で既得権とか叫んじゃっているだけなのです。で、本題ですが普通は老人になったら、それまでの貯蓄と年金でマイペースで暮らしたいと思うだろうとありますが、この人の言う「普通」って、いったいなんでしょうか。自分の常識の範囲内の狭い狭い範囲での「普通」に過ぎないでしょう。そりゃ、貯蓄と年金が充分にあれば「貯蓄と年金でマイペースで暮らしたい」かも知れないけど、貯蓄も年金も充分ではなかったら、そんなことは言っていられません。だから、働きたい、あるいは働かなくてはならない、という高齢者はかなり多い。しかし、高齢者の雇用環境は厳しいので、働く場がなくて仕方がなくギリギリの年金生活、という人もまた多い。持ち家に住んで、貯金が数千万円あり、毎月13万円ほどの年金を受け取っている老夫婦が貧困層だと言い切れる人がどれだけいるだろうか。これもまた、想定が現実離れしていると思わざるを得ません。夫婦で年金13万円というのは、国民年金(満額で月額約6万5千円)を夫婦でもらっている、ということです。要するに、厚生年金や公務員共済に加入していない、自営業者か、今で言うフリーターのいずれかです。自営業者なら定年なんてありませんから、体が言うことをきく限りはいつまででも働ける。13万の年金で不安なら働くでしょうから、収入が年金だけ、ということには、なかなかならない。一方、フリーターの場合、持ち家+数千万円の貯金がためられる人がどれだけいるのでしょうか。一般的には、持ち家に預金数千万だったら、もらっている年金(厚生年金、公務員共済)は13万よりずっと多いし、夫婦で13万の年金しかなければ、預金はもっと少ないものです。例外が皆無、とは言いませんけど、多くはない。城という人物は、実はあまり一般的ではない「普通」だけをものさしにして、所得ベースの相対的貧困率は意味がないと叫んでいるに過ぎないのです。確かに、資産と所得は完全にイコールではありません。しかし、まったく無関係でもないのです。少なくとも資産は「過去の」所得とかなり関連性が高いことは明らかです。そして、国民年金はともかく、厚生年金は過去の給与額で年金額が決まるので、過去の所得と現在の年金額も、まったく無関係ではないのです。収入は少ないが資産はたくさん、という高齢者が皆無だとは言いませんが、比較的少数の例外に属します。そもそも、理論的には、貯蓄は収入を得た年数に比例するものです。親からの援助を別にすれば、働き始めたばかりの20歳の若者が貯蓄がないのは不自然なことではありません。仮に月に1万円しか貯金しなくても、1年働けば12万、10年で120万、40年働けば480万円たまっているはずです。どんな超一流大企業に就職しようが、新入社員がいきなり、自分で貯めたお金で480万円の貯金を持っているはずがありませんし、そのこと自体を「不公平だ」とは言えません。ただし、実際にはなかなか理論どおりにはいきません。住宅ローンとか大きな病気など、人生の途中で大きな出費があったり、子育てにお金がかかったり、中には浪費の挙句という例もあるだろうけど、高齢者がみんな貯蓄を充分持っているわけではありません。みずほ総研のリポートによると、「金融資産を有しない世帯の割合」は、世帯主の年齢別に見て、20~30代より40~50代、それより60代のほうが低いのは事実です。しかし、60代でも金融資産のない世帯は25%前後に達しています。(同レポート2ページ。もっとも、「金融資産を保有しない世帯」を、そのまま全く余裕資金がない世帯と見ることは早計となる可能性がある」ともあるけれど)確かに高齢者の中に巨額の資産を持っている人はいます。でも、高齢者の大多数が巨額の資産を持っているわけではない、ということです。「今搾り取られているフリーターやシングルマザーが今から数十年後に受け取れる社会保障の額は、今の高齢者が受け取っているそれより大幅にカットされていることは確実だ。」という記述があります。この予測自体は、私も残念ながら同意します。ただし、なぜ大幅にカットされていることが確実なのでしょうか?それは、子どもの数がこれからも増えないことが確実視されているからです。もし、これから急に、合計特殊出生率が2とか3とかに増えてそれが安定すればば、今の20代30代が年金をもらうときも、年金が大幅カットされることはない。つまり、今から数十年後に受け取れる社会保障の額を決めるのは、他ならぬ今現在の若者自身、ということです。そのとき、まだ少子化傾向が続いていれば、またまた老人叩きが繰り返されるのでしょうか。因果はめぐる、歴史は繰り返す、です。何しろ生きている限りは誰でも公平に、かならず年は取るものですから。まあ、かくのごとく、城という競争原理主義者の言い分は、まったく滅茶苦茶と言うしかありません。
2015.06.04
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FIFA会長、一転辞任表明 腹心の関与、表面化直後 汚職疑惑米司法当局による汚職事件の捜査が進む中、17年にわたって国際サッカー連盟(FIFA)を率いたブラッター会長が2日夕、緊急記者会見を開き、突然辞任を表明した。「辞めれば非を認めることになる」と続投を強調していたブラッター氏が一転、辞任を決意したのはなぜか。足元に迫る司法の手、欧州連盟やスポンサー企業の辞任圧力−−。外堀は次々と埋められていた。「私は再選されたが、サポーターや選手、クラブなどサッカーを愛する人たち全員の支持を得られたわけではなかった」。ブラッター氏は記者会見で辞任理由を説明した。転換点になったとみられているのが、側近のFIFAナンバー2、バルク事務局長による賄賂送金疑惑の表面化だ。起訴状によると、南アフリカからの賄賂とされる1000万ドルがFIFAの口座から、汚職で起訴された元副会長のジャック・ワーナー被告が管理する銀行口座に送金された。2010年W杯南ア招致を支持した見返りとされる。バルク氏は事務局長としてFIFAの口座を管理していた。スポーツマーケティング会社で放映権や広告権などを含む商業権ビジネスに携わった前歴を生かし、ブラッター氏の下、商業権の販売でFIFAが多額の収入を得る「錬金術」システムの構築に貢献した。ブラッター氏の信頼が厚く、06年にスポンサー契約のトラブルで訴訟となり、FIFAから謹慎処分を受けた後も、訴訟で和解が成立すると事務局長に出世した。ブラッター氏も捜査対象との米メディア報道が流れる中で、右腕の番頭役が陥った窮地。「(ブラッター氏は)手遅れにならないうちに退くことにしたのだろう」との見方が出ている。ブラッター氏が5選を決めた5月29日の会長選。「数の論理」が腐敗を生む構造に、サッカー発祥の地である欧州の協会の怒りは頂点に達していた。「この結果は悪いジョークだ」。欧州関係者は選挙後、記者団に声を荒らげた。(以下略・要旨)---FIFAが、クリーンとはとてもいえない体質であることは、何を今更ではあったのですが、さすがに現職の副会長2人はじめ、現職・元職の幹部がぞろぞろと逮捕される事態は、驚き、呆れました。その事態にもかかわらずブラッター会長が会長選に出たこと、対抗馬が突然立候補を辞退してやすやすと5選を遂げたこと、いずれもありえないと思っていました。FIFAというのは、そこまで世界からの視線が見えない、自浄能力のない団体だったのか、と。どう考えたって、この情勢で現会長がそのまま会長職を続けて、世界中のサッカー界が納得するはずもない、という程度のことは分かりそうなものですが、会長選の投票に関わった幹部はそうは考えなかったのでしょう。まあ、ラテンアメリカを愛する私がこういうのもなんですが、ラテンアメリカの政治的清潔度を基準に考えれば、こんなものだろうとも言えますけど、それでよいはずがないし、欧米諸国がよしとするはずもありません。で、そのあおりを受けて、来年コパ・アメリカ米国大会が中止になる可能性が取り沙汰されているようです。サッカー:16年南米選手権中止の可能性も南米サッカー連盟のメイズネル事務局長は1日、2016年に米国で予定されるサッカー南米選手権「コパ・アメリカ」特別大会について「開催に大きな疑問符がつく」と述べ、中止になる可能性を示唆した。アルゼンチンのラジオ番組のインタビューで答えた。米司法省は、同大会の放映権などを巡りスポーツマーケティング会社から南米連盟幹部らに3000万ドルの賄賂が渡ったと指摘している。---コパアメリカは4年に1回の大会なのですが、今年はチリで開かれ、何故か2年続けて、来年は100周年記念大会(第1回は1916年アルゼンチンで開催された)を米国で開くというのです。もっとも、過去にもコパアメリカは4年に1回が2年に1回になったり3年に1回になったり何年も開催されなかったり、その時々の都合で開催頻度がコロコロ変わるので、特に不思議なことでもなかったのですが、この大会の背後にもきれいではない金が動いていた、ということなのでしょうね。そして、それ以外のスポーツ大会は果たしてどうなのか、というのもやや気になるところではあります。
2015.06.03
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空港の保安検査、禁止品目の95%を見逃し 米米国土安全保障省が米国内数十カ所の空港で実施した覆面調査で、保安検査を担う米運輸保安庁の職員が95%の確率で武器や爆弾を発見できていない実態が判明した。当局者によると、同省監察室の調査官が乗客を装うなどして禁止品目を持ち込めるかどうか試した。その結果、70回のうち67回は保安検査を通過できてしまったという。同省はこの夏をめどに今回の調査に関する報告書をまとめる予定。広報はこの調査結果について、「決して良い数字とは言えないが、空の安全を継続的に進化させるための要素として欠かせない」とコメント。ジョンソン長官はTSAに対し、今回の調査で明らかになった問題を是正するための対策を指示しており、現在一部の対策が講じられていると説明した。さらに、空の安全は何重もの対策に守られていると強調し、例として乗客名簿と監視対象者リストとの照合、保安検査、探知犬を使った無作為の検査、操縦室のドアの安全対策強化、航空警察官、操縦士の武装、公衆による監視などを挙げている。一方、米下院監視・政府改革委員会のジェイソン・チャフェッツ委員長は、「TSAは6年以上にわたって膨大な予算を費やしてきたにもかかわらず、その成果がほとんど表れていない」と批判、禁止品目を発見できない確率は2007年よりも高くなっていると指摘した。---私が海外旅行に行ったのは2002年夏(新婚旅行)が最後なので、経験としてはかなり古いのですが、その当時、米国の空港の保安検査はザルということは体感しました。そもそも、その当時、米国の空港は出国手続きというものがなくて、見送り客がボーディングブリッジの手前まで入ってこられる状態でした。さすがに、機内には、搭乗券がなければ入れませんが、ボーディングブリッジの手前で「行ってらっしゃい」「さようなら」という光景が見られました。私自身、2001年12月にマイアミの空港で乗り継ぎを待っている間に、空港内をうろうろしていたら、うっかりして空港の外に出てしまった!(14年前のことなので、正確には覚えていませんが、出発客の歩くルートを逆行して出てしまったのだと思います)あわてて引き返したら、X線検査は通過したように思いますが、パスポートチェックも搭乗券の確認もなく、元のボーディングブリッジまで戻れてしまった。かの9.11があった年、そのたった3ヵ月後にして、その状況です。空港は厳戒態勢で、州兵(多分)の歩兵がM16を構えて空港内にずらっと立哨していましたが、そんなものは、いわゆるテロリストを発見するためには、何の役にも立たないわけで。ただし、さすがに米国の空港も、その後しばらくして、ボーディングブリッジまでは、搭乗手続きを終えた乗客だけしか入れないように、システムが変わったと聞きます。さすがにそのあたりは改善されたようです。でも、X線検査のほうはどうなんでしょう。私は今でも銀塩フィルムの一眼レフを使っています。そのため、飛行機にフィルムを持ち込むときは、X線検査で感光しないように、鉛入りの感光防止ケースにフィルムを入れていました。実際は、ISO100のノーマルフイルム程度なら、日本国内の空港ではX線検査で感光することはないようです。でも、海外の空港では一部強力なX線を使っているところもあるので、一応そういうものを用意したわけです。(でも、実は一眼レフを手にする以前は、そんなことを気にもせずに南米とメキシコにフィルムを持っていったけど、感光してしまったことはないんですけどね。)当然、感光防止ケースの中に入れたものは、X線検査では見えないわけです。だから、成田空港のX線検査では、「感光防止ケースがありますね、中身を見せてください」といわれました。当たり前ですよね。そして、意外にも(と言っては失礼ですが)ボリビアのラパス空港でも同じく感光防止ケースの存在に係員が気付き、中身の確認を求められました。ところが、乗り継ぎ地点である米国の空港のX線検査では、何も言われずにまったく素通りです。「え?いいの?」と思いましたよ。感光防止ケースも突き破るほどの超強力X線を使っているのかと一瞬思いましたけど、それだったら中のフィルムが感光しているはずですから、それはないでしょう。つまり、感光防止ケースの中にピストルとか爆薬とかを忍ばせていても、米国の空港ではバレない可能性が高いということです。ザルだなと思いました。10年以上前の話ですから、こちらも今は状況が変わっているかと思っていましたが、引用記事のとおりだとすると、あまり変わっていないようですね。私が南米に行った直後だったと思いますが、靴爆弾という騒ぎがあって、米国の空港で乗客の靴を脱がせて靴検査なんてことが報じられたことがあります。それより最近ですが、ペットボトルに液体爆弾が仕込まれることを警戒して、空港内売店で買ったもの以外はペットボトルの機内持ち込み禁止、なんてこともありました。(これは、確か日本でもおこなわれている)でも、そんなところだけ注意しても、肝心のX線検査がザルではねえ。X線機器の能力がどう、ということより、検査する人間の注意力の問題かな、という気がします。
2015.06.02
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「自衛官のリスク」を仮想する政治の偽善安全保障関連法案をめぐる国会審議は、国家主権や国民の守護など国益に必要か否かより「自衛官のリスク」が先行する。法案潰しを狙い自衛官の命を気遣う偽善はミエミエ。いっそノーベル賞作家・大江某のごとく、防衛大学校生は「現代青年の恥辱」と表現してくれれば「前時代の輩」で片付くが、今の左翼は中庸を装うので始末が悪い。しかも、激烈な火力と対峙する自衛官に、警察官と同じ武器使用基準を強要する隠れ左翼ほど「自衛官のリスク」を叫ぶ。大きなお世話だ。自衛官の命を気遣うフリをする勢力は、集団的自衛権の限定的行使を可能にせんとする政府に「憲法改正が筋」と説教を垂れる勢力とも重なる。本心では自衛官の命などどうでもよく、改憲も嫌がる反動分子なのだ。欠陥憲法・法制で縛られる自衛官は命の危険を克服すべく、限りなく100%に近いリスク回避を求め作戦を練る。それでも、東日本大震災では被曝覚悟の《鶴市作戦》を用意した。民主党政権はリスクを正視する自衛官の決心に心打たれるでもなく、自衛隊など諸組織を前に高圧・感情的な指揮・統率モドキを露呈する。無能・無策でリスクを広げた民主党が「自衛隊のリスクは飛躍的に高まる」と連呼する無様は滑稽である。連呼の矛先は、現行法で自衛隊の活動期間中、戦闘が行われぬ見通しがなくば認められていない他国軍への後方支援を→現に戦闘が行われている現場以外なら実施可能にする-など、新法案の“前提緩和”部分に向かう。民主党は現行法がうたう「非戦闘地域」の存在を信じてきたことになる。驚いた。飛び道具が進化する現代戦で戦況を予言できるのか?過去積み上げた理屈は、国際と日本の間を分断する憲法の壁と、壁を頑迷なまでに護る左翼に手を焼き、一歩でも日本と国際の常識を近付け、自衛隊の活動と国益を結び付けようと、自民党や関係者が「みっともない」と承知でひねり出してきたデキの悪い言い訳であった。(以下略)---私も、このブログでは論評対象の人物は基本的に敬称略で呼び捨てですが(ただし、敵対的か好意的かに関わらず、です)、まがりなりにも日刊商業紙が「大江某」とはねえ。まさしくネトウヨの機関紙です。そのことはともかく、戦争に参加すれば自衛官に命の危険が増える、これは当たり前すぎるほど当たり前の話だと思われます。それが「大きなお世話」だという。いや、自分自身が海外に派遣される立場の人が「大きなお世話」だというなら、それはそれで一つの見識です。しかし、この野口裕之という人物自身は、産経新聞の記者であって、自分自身が戦場に派遣されるわけではない。自分が危険に晒されるわけでもないのに、他人の危険についての指摘を「大きなお世話」とは、それこそ「大きなお世話」じゃないのかね、と思います。確かに、自衛隊というものが存在し、自衛のために戦うという場面を想定すれば、命のリスクは必ず発生します。しかし、その前提条件は、「より多くの命を救うため」です。外国の軍隊が日本に攻め込んできたら、多くの人の命が危険に晒される。そうである以上は、自衛官が戦死・戦傷するリスクを冒しても、それに反撃することはやむを得ません。引用記事が主張する東日本大震災の例も同様です。結果的に、福島第一原発の事故は、4基の原子炉を合計してチェルノブイリの1割余りの放射能流出で収まりましたけど、当初はどこで収束できるという目処はなかった。最悪の場合、首都圏まで避難区域に入る事態すらありえました。そのような事態を避けるために命の危険を冒しても消火活動、というのはやむをえないところでしょう。しかし、集団的自衛権に基づく海外での軍事作戦への参加はどうなのか。必ずしも日本人の命が危険に晒されていないにもかかわらず、「国益」という名の政治的な都合で自衛官の命を危険に晒す、ということです。で、「民主党は現行法がうたう「非戦闘地域」の存在を信じてきたことになる。」だそうです。確かに「非戦闘地域」なんてのは幻想であることは事実です。でも、小泉政権当時、現行法をめぐって激しい論戦が生じ、その結果として自衛隊は当時のイラクの中ではもっとも戦闘の危険が少ない地域に派遣された。その結果、(帰国後の自殺者は少なくなかったようですが)戦闘による死者は一人も出さず、現地の住民からもおおむね好意的な評価を得て任務を終了したのです。非戦闘地域は幻想ですが、それでも比較的危険、比較的安全という程度の差はある。「壁を頑迷なまでに護る左翼」ががんばったから、自衛隊の派遣そのものは止められなかったにはしても、比較的危険の低い地域への派遣でリスクを回避するという結果に結びついたわけです。いや、自民党(小泉政権)や自衛隊の中枢だって、「左翼に手を焼き」だけの理由ではなく、自衛官の命のリスクはできる限り避けたいというのは偽らざる本音だったと思います。それを「みっともない」「デキの悪い言い訳」だという。確かに、そもそも自衛隊派遣などすべきではなかったと私は思うけど(そうすれば命のリスクなど発生しない)、「自衛隊を派遣する」という前提での選択としては、みっともなかろうがデキが悪かろうが、人ができる限り死なない策を考えるのが、よりマシな選択というものです。産経の言い分だと、「かっこよく」「デキのよい切り口上」で自衛官がバタバタ戦死することこそがベストだといわんばかりです。それなら、野口裕之をはじめ産経新聞の勇ましい記者が最前線で先頭に立って弾除けになって、その勇ましさを実践してくれ、と言いたいですね。
2015.06.01
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