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今日、社員にお客さんからメールでこんな画像が送られてきた。提出していた見積書を、届いていないとカン違いして督促があったそうで、ご丁寧?にお詫びのメールをいただいたようだ。いい年をしたオッサン同士?のこの遣り取り・・・(笑)。仕事の中にも遊び入れて楽しまないとね!・・・クリックよろしく!。よびりん学校で素晴らしい女性とお会いしました。壮絶な人生を歩んで来られた7777ハリーさんの『夢』と『行動』に感動しています。チャレンジネットワーク!(↑クリックしてジャ~ンプ)『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/28
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第15話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第15話スタート!●故郷に帰る前の、ひと時の休息?店頭販売の会社が騙されて倒産してからは、営業が嫌になり、しばらくは肉体労働の毎日でした。夜の仕事が金になるので、深夜の倉庫内作業をしたりして食いつないでいましたね。会社が倒産してからは、なんかやる気がなくなり其の日暮らしのような生活でした。苦学生を気取って大学の夜学に行っていたのに、「行っても意味がない」と中退して仕事をしていたものですから、それが駄目になって余計に投げ遣りになっていたのかもしれません。店頭販売の会社のKさんが、「あなたは学校まで辞めて・・・」と言ってくれましたが、辞めたのは私の意志ですから、Kさんに何の責任がありましょうか。しかし、中退したのが家にばれて、母に泣かれた時だけは参りましたけどね。親不孝なことをしてしまいました。そんな日が続いていた夜勤明けに、横浜の下宿で寝ていると、突然ドアを強く叩く音がして起こされました。誰かと思ったら、訪問販売時代に一番仲が良かった四国生まれの色黒のNさんでした。色黒だったということは強く覚えています(笑)。当時電話もなかったですから、何の前触れもなく突然来て、そのまま連れていかれて、太陽熱温水器の販売をやることになったわけです(笑)。この会社は、知らない間に太陽熱温水器の販売を始めていたんですね。しかし、この時の心境は、正に『捨てる神あれば拾う神あり』でした。やっと其の日暮らしから抜け出せるのと、それも以前の仲間と一緒に仕事が出来るのですから、こんな嬉しいことはなかったですね。但し、私は営業はやる気がなかったので、今度は工事部の所属になり、水道工事の経験がある色黒のNさんの下で主任として働くことになりました。慣れないことばかりで、最初は大変な思いをしました。怪我もしましたし屋根から太陽熱パネルを落とす事故等々色々ありましたが、一番困ったのは人の問題でした。予想外に台数が売れ始めたのはいいのですが、やってもやっても工事が追い付きません。もうくたくたでした。そしてまたここでも私の悪い虫が出てしまい、「人を増やして欲しい」と社長に食って掛かったのですが、予想外に「わかった、わかった」と怒りもせず認めてくれたのは、嬉しかったですね。嬉しかったのはいいのですが、『捨てる神あれば拾う神あり』なんて言った舌の根の乾かぬうちに、この有様ですから、「バカに付ける薬はない」・・・ですね(笑)。それにしても、訪問販売時代は売れないセールスマンで、おまけに出戻りの私だったのに、その社長からは本当に可愛がっていただきました。待遇も良くしていただき、今から約25年前に5万円から10万円毎月実家に仕送りしながら、10万円前後のお金を歓楽街で使っていました。お人好しの私は、一人で使うより煽てられて年上の人にまで奢ったりしていたんですね。もし、あの当時よびりんさんのように『半分の法則』でお金を貯めていたら、私は20代半ばで会社を興していたかもしれません。やっぱり「バカに付ける薬はない」・・・ですね(笑)。ただ、訪問販売の会社だけあって、出入りする男たちは奇人変人ばかりで楽しかったですね。当然揉め事も耐えませんでしたが、どれもこれも、今ではやろうと思ってもできない、若さでエネルギーがあり余っている時代でした。貴重な経験をさせてもらったことに感謝です。しかし、そんな生活が1年続いたころ、父危篤の知らせがあり、長男である私は仕事も生活もすべて整理して、福岡に帰ることになったのでした。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。訪問販売の会社、店頭販売の会社。今思えば、大学へ行くことよりも本当に貴重な経験をしたと思います。その後、武骨者の私が選んで営業職をやったのは、この原点とも言える経験があったからだと思いますね。・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/27
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第14話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第14話スタート!●騙すより騙される方がいいなんて、嘘だ!あの演説会?から3ヶ月が経ったというのに、今までと変わらずスーパーで店頭販売の毎日。あの夢のような全国展開の話は、どこに行ったのでしょう?。指導員として全国を飛び回っているはずなのに、今までと何の変化もない。仕事に身が入るわけがありません。ある日、マネージャーのKさん、いや、総務課長のKさんから呼び出しがありました。京橋の事務所に、スーパーが閉店したら必ず来るように・・・。高田馬場の新事務所ではなく、京橋と聞き悪い予感がしましたね。Kさんの声も元気がありませんでした。本来なら合併する前の本拠地に用はないはずです。京橋の事務所には、H社長、奥さん、Kさん、他の社員のNさんとIさん、それに私の合併する前のメンバーが揃いました。おもむろに社長が困惑の表情で口を開きました。「会社を閉める事になった。おまえたちには申し訳ないが、私の不徳が原因としか言いようがない。」あまりに驚いて、社長が何を言っているのか全くわかりませんでした。若い社員は、狐につままれたようで呆然としているだけでした。この言葉も記憶が曖昧です。そして、冷静になってよく聞いてみると、合併した時、あの社長と本部長の会社は、すでに破綻していたようです。合併して、直ぐに地元にちょっと帰るから100万円用意して欲しいという話から始まったようです。ある地方出身だったその社長は、地元にも親族と共同経営の会社を持ち、それも倒産寸前だったのです。慌てて帳簿を見てみると、もはや破綻状態。財布の中身も殆んどカラッポだったのです。負債は、約25年前で数千万。何故、そんなことに気付かなかったか?。社長もKさんも、それほどバカではなかったと思いますが、仲を取り持ったコンサルタント会社のM先生に、全幅の信頼を寄せていましたので、何の疑いも持たなかったと言うのです。「あのおっさんの責任じゃないですか。あの男から金を取りましょう。」私は、一人で興奮して社長やKさんに訴えました。もちろん、こうなるまでかなりの修羅場があったようです。コンサルタント会社のMも騙されていた、と社長もKさんも言うのです。そんなこと、信じられるわけがありません。私だけでなく他の社員も納得出来きませんでした。すると、それまで黙っていた奥さんが目に涙を浮かべて・・・。「○○君、もう何もかも終ったのよ。ごめんなさいね」こんな意味のことを言われたものですから、私は、もう言葉が出ませんでした。これ以上話しても、奥さんを苦しめるだけになってしまいます。もちろん、当時20代前半の私ですから、興奮しているだけで何の役にも立たなかったのは間違いないですね。何の相談もなかったのは、当然のことでした。こんなことになっているのは露知らず、能天気にフランチャイズの指導員の夢を見ていたのですから、情けないとしか言いようがありませんね。結局、社長は家も土地も手放すことになったようです。一度だけ、自宅で奥さんの手料理を御馳走になったことがありました。その一戸建ての家は、確か山の手線の内側か?、記憶が曖昧ですが、とにかく直ぐ近くに山の手線が通っていました。バブルの頃だったら、どれくらいの値がついたんでしょうね。 社長は全てをなくしましたが、誰にも迷惑は掛けていません。凄いことだと思います。そんな社長ですから、旧くからの友人の方からのお誘いで、その方の会社に就職。女性マネージャーのKさんは、優秀な女性でしたから、やはりお誘いがあり再就職。同僚のNさんは、人柄も良かったので、Kさんのご主人の会社に就職。そして、Kさんが私に言ってくれました。「あなたは、どこに行ってもやっていけると思うわ・・でも」でも、なんだろう?・・・・。Nさんのようにどこかに紹介は?・・・ないの・・・でしょうか?。「あなたは、S急便に入ってお金を貯めて何か自分でやりなさい。その方がいいと思うわ」ガッ~ンと来ましたね(笑)。確かに当時のS急便のドライバーは、大変なお金を稼いでいました。Nさんと違って、私は、組織の中でやっていくのは、無理だろうと思われたんですね(笑)。しかし、今考えると、よくそんな私を我慢して使っていただいた、と感謝しかありません。仕方がないので、その後しばらくは、どこにも入らず肉体労働で食いつなぐことにしました。この店頭販売の会社に勤めたのは、たった1年でしたが、KさんとNさんとは今でもお付き合いがあり、私が平成14年に首の手術した時は、メールや電話で励ましてくれました。社長とは、その後私が父の病気で福岡に帰ることになり、帰る前に一度お会いしただけです。今、どうなさっているか知る由もありませんが、お元気で平穏に余生を送られていますように祈るしかありませんね。それにしても、何か、夢を見ているような1年でした。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。あの社長は、逃げもせず全ての責任を全うしました。騙されはしましたが、今世間を騒がしている社長たちに比べたら遥かに立派な方でした。徳が高い、とはあんな人のことを言うのかもしれません。・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/22
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第13話(メルマガ敗者復活戦保存版)奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第13話スタート!●悪の演説に酔いしれて・・そして、乗っ取られ?合併話が舞い込んだのは、突然でした。実は、もう1社同じ商品を売っている会社があり、その会社がコンサルタント会社を通じて、合併を申し込んできたのです。知らない会社ではありませんでした。コンサルタント会社が同じでしたので、紳士協定と言おうか、無駄な競争はしませんでしたね。しかし、何故突然にそうなったのか?。私が勤めていた会社は、社長、奥さん、マネージャーのKさんと社員3人。社員は全員、例?の怪しい英会話教材の会社のOBです (笑)。全員、あの管理職からの紹介です。(↑第7話 訪問販売から華麗なる転身?・・その前に! を読んでください。)合併話を持ち込んできた会社は、3倍位の規模でしたので対等合併?には何のメリットもなかった筈です。社員は、スーパーと自宅の往復だけで殆ど会社に行くことがなかったものですから、聞いたのは決定した後でした。合併した会社は、確か高田馬場辺りだったと思います。結局その会社に行ったのは、ほんの数回だけでしたが・・・。最初に、その会社の社長と本部長に会った時、私は胡散臭いものを感じました。若かったですが、訪問販売時代に色々な人間を見ていましたので、悪の臭い?が分かるようになっていたのかもしれません。早速会議です。しかし、胡散臭いと思っていた本部長の演説に、私は圧倒されました。全国展開の構想を聞いたのですが、その話の中で、商品を九州のB電気にも卸すと言うのです。B電気は、今では当たり前になった全国展開の大手電気店の先駆けです。今でも、年商3千数百億の大企業です。B電気に卸す、という話を聞いて、福岡出身の私は舞い上がってしまいました。他にも、全国フランチャイズ構想、などなど・・・。私達は、その指導員として全国を飛び回るのです。何が悪の臭いが分かるとか偉そうなことを言っているのでしょう。私は、その本部長をいつの間にか尊敬の眼差しで見ていました。そして、合併する前の会社のH社長は会長に、女性マネージャーのKさんは総務課長に。私は、その人事さえも当然と思うくらい本部長の演説に酔いしれていました。頭がキレル男とは、こんな男のことだろうと、もう前が見えなくなっていました。本当にバカでしたね。この本部長が合併に際してのH社長の決断を「大英断」と持ち上げた場面は、今でも強烈にまぶたに焼き付いています。何もかもかっさらいに来たハゲタカが言った「大英断」、忘れようにも忘れられませんね。要は、完全な乗っ取りでした。私のようなはみ出し者でさえ優しく見守ってくれていた、本当に人が好かったH社長は、おそらくこの話術に会社の将来を託すことになったのでしょう。そして、たった3ヵ月後に・・・。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。ハガタカは、お人好しの臭いを簡単に嗅ぎ分ける。人から「好い人ね」と言われているあなた?油断したらやられますぞ???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/21
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第12話(メルマガ敗者復活戦保存版)いつの間にか、休んだままになっていた『敗者復活戦ブログ』でしたが、再開することにしました。波瀾万丈や壮絶とは言い難い内容ですので、ちょっと自己満足過ぎるかな、とも思ったのですが、このままだと欲求不満のまま終わってしまいそうで、どうせならとことん自己満足を追求して、また書いてみようと思った次第です。それに、自分探しをしている若者や今から起業しようとする人にとって、為にはならなくても参考にはなるかもしれません。とにかく楽しみながら書き続けることにしましたので、今後ともよろしくお願いします。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!さて、始まり始まり。奇人変人?が集う訪問販売の世界を卒業し華麗なる転身を遂げるはずが、今度は店頭販売の世界へ。溺れる者は藁をも掴むと言います。その掴んだ物は一体なんだったのか?。第12話スタート!●短気は損気・・・今日も反省の色なし!前回は、店頭販売の実際の売り方についての話でした。それでは、商品を売っていただいたお金は、どうするのでしょう。現金、クレジット、二つの方法です。低周波治療器が35,000円、アルカリイオン水製造器が、40,000円?だったでしょうか。現金の場合は、そのままスーパーに入金するわけです。それから2割をスーパーに取られて、後で8割が会社に入金されることになっていました。 前回書きましたが、商品の性質上初日から売れることはありません。最初の1週間位は売れませんので、スーパーの売り場担当者や店長、副店長などから当然白い目で見られます(笑)。 ある大手スーパーで販売している時でした。私は、お客さんが警戒しないように背中を向けて本を読んでいました。本といっても専門書ではなく、私の好きな時代小説です(笑)。やってはいけないと思いつつ、お客さんが寄って来るまでの間だけと思い、読んでいました。読んでいた、というより没頭していました。すると、ようやく背後にお客さんの気配がしたのです。私は、本を置きいつもの調子で「何か、お困りですか?」と言おうとして、後ろを振り向きました。すると、な、な、なんと、副店長が仁王様のような顔をして私を睨んでいるではありませんか。内心「しまった」と思ったのですが、平静を装い「なにか?」と言ってしまったんですね(笑)。「君は何をしているんだ、本なんか読んでやる気があるのか」・・・副店長「すみません。呼び込んで売れる商品じゃないんで、チョッと・・」・・・私「何がチョッとだ。好い加減なことを言うな、本部に言って出入り禁止にするぞ。いいのか、分かってるんだろうな」・・・副店長私は『出入り禁止にするぞ』という文句に、カチンッときてしまいました。元来直情径行的な性格で、短気で生意気な男でした。この時20代前半、22歳位だったか。バカと言おうか、何と言えばいいのでしょうか。40代と思われる副店長に向かって・・。「出入り禁止、本部に言う、なんやそれは。言いたかったら勝手に言えばよかでしょう。俺の知ったこっちゃなか」こういう時は、福岡弁が出てしまいます(笑)。当然、副店長は怒りで顔は紅潮して「よし、わかった。君は、このまま会社に戻れるのか」と言い残して、その場を去って行きました。 私は、しまった、またやってしもうた、という気持ちで閉店まで落ち着きませんでしたね。夕方、会社に電話して社長とマネージャーのKさんに事情を話し、本部から電話があったら謝っといてくれと勝手な事ばかり言っていたのを覚えています。さすがに、会社に迷惑が掛かったらどうしようと思い、落ち込みましたね。しかし、不思議と社長とKさんは「またか?」と笑ってひどくは怒りませんでした。日頃から同じようなトラブルを起こしていましたし、会社の同僚と飲みに行って隣の客とケンカしたりと、正にトラブルメーカーだったと思います。おまけに、社長やKさんにも食って掛かったりしていましたので、わたしの性格をよく理解してくれていました。小さな会社であればこそですが、私のようなはみ出し者を、手のひらの上でころがすように使って頂いた、と今思えば感謝という言葉しかありませんね。そして、その副店長も本部には言わず、自分の胸の中だけに留めてくれていました。これも、私の人徳が成せるところでしょう(笑)。当時は、私のようなものを活かしてくれる大らかさがまだあったと思いますね。皆さんに感謝です。その店での販売も後半になると、一日10万とか20万とか売れる日がありましたので、その時は、本当に副店長も喜んでくれました。私も、その喜んでくれる顔を見て、やっと餌を与えられたブルドッグのような顔で笑っていました(笑)。その後、この会社に合併話が舞い込み、破綻へと向かっていく事になります。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。あの時代に比べたら身体は随分ま~~るくなったけど、性格も丸くなったかな???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/20
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お久しぶりです。気が付けば、一月近くブログを書いていませんでした。6月に入り仕事の流れが悪く、特に今週は某飲料メーカーの工場での仕事がトラブル続きで、一人の社員などはその工場に缶詰状態でした。今日漸く解放され、さすがにきつかったようで休んでいます。工場の生産設備に関わる仕事をしていれば、こういうことは少なからずあることです。ただ難しいのは、こういう赤字が出るような現場を、如何にして黒字に繋げるか。それを今までは、仕事のやり方の創意工夫で乗り切ってきたつもりでした。今の会社を引き継いで3年近くなり、最近まで業績不振だった会社を再建?したような気分でした。ところがどっこい世の中そんなに甘くはありませんね(笑)。ここに来て、売上も利益もどん詰まりとなり、思うようにいかなくなってきました。どこが悪いのか?。会社は以前より掃除は行き届き、雰囲気もよくなったはずなのに?。殆どの物件の見積りは社員にやらせて、コスト意識を身に着けさせたのに?。何かが足らない?。よくよく考えてみると、売上と利益のことばかり考え、全くお客さんの視線で考えたことはなかった。我社がやった仕事に満足してもらっているだろうか、喜んでもらっているだろうか、こんなことを考えたことは殆どなかった。満足しているはずだ、喜んでいるはずだ、と高を括っていたような気がする。安さを売りにするのではなく技術を売りにしよう、などと言いながら、いつの間にか本末転倒した考え方になっていた。お客さんが喜んでくれる仕事をやって初めて売上と利益が付いてくる。よびりんさんが言われる「人の喜びを我が喜びとする」という言葉の意味が、僅かではありますが漸く分かってきました。まだまだ道半ばです。本当の仕事の意味を考えないといけませんね。我社のロゴの意味する『挑戦』、『信頼』、『執念』で泥臭く頑張っていきましょう追記6月に入り二人の友人から同じことを言われた。一人は、約30年振りに会った高校の時の同級生。もう一人は、約10年振りに電話してきた中学の時の同級生。「お前に会わせたい○○がいる・・・」こんなことが続くとは、遂に幸運の女神が私の許にやってきたのかもしれない。しかし、調子に乗りすぎた?。一人は飲んで騒いでいる私を携帯で撮り、一人は手元にある私の写真を・・・。それから、何の連絡もない???・・・クリックよろしく!。会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/06/16
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