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明日お嫁入りする我が娘?を、今日の夕方ボンゴに積み込む。一昨日、そして昨日と、東京からお客さんが来られて立会試験があり、現場での宿題を残しつつも何とか無事に送り出すことができそうだ。今回は、ちょっと遠い鳥取へのお嫁入りということで、花嫁衣装は豪華なステンレス製だ(笑)。おまけに、現地の室内温度が40度を超えるため、今回は文金高島田の代わりに盤用クーラーを頭の上に乗せる予定。数十キロあるけど、我慢しておくれ(笑)。現地の某飲料メーカーでの試運転調整は、お盆前まで続く予定。この暑さのなか、社員の体調が気掛かりだが、なんとかやってくれるだろう。それではまた。コメントの返事が出来ておりませんが、どうかお許しを!。
2007/07/28
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漸く夏らしくなってきたと思ったら、それもそのはず今日は暦の上では大暑。 大暑と聞いて、何故か武田鉄矢率いる海援隊を思いだした。 ここまで書くと、分かる人は分かるはず(笑)。 ちょっと寒かったかもしれませんが、この辺りで失礼します。 それではまた。
2007/07/23
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今日は、私も社員も全員オフ日。 仕事柄日曜でも誰か出ていることが多いが、今日は全員休養が出来たので嬉しい。 自然と休養?と書いてしまうのが泣けてくる(笑)。 昨日は、鳥取の仕事から一人の社員が無事に帰還!。 明日は、二人の社員が朝6時から長崎へ。 本来ならもっと近場の仕事を増やしたいものだが、なかなか思うようにはいかないものだ。 それでも、うちを必要としていただく客先があり、それに応えてくれる社員がいることに感謝しよう。 そんなわけで、オフ日となった今日の夕方、近くの運転公園でウォーキング。 スタスタ?と歩きたいところだが、情けないかなテクテク?としか歩けない。 それでも、5キロほど歩き、沈みかけた夕陽を見て、スタスタと歩く人生もいいが、テクテクと歩く人生、これもまたヨシッと思う。 私がテクテクとしか歩けなくなったのは、不摂生してきた天罰のようなものだ。 しかし、最近は急がば回れ、と天が教えてくれたような気がしている。 自分に都合のいいように考えるのも悪くはない(笑)。 今日は、いつもより多めの晩酌で少し酔ったせいか、柄にもないことを書いてしまった。 これも、人に酔い酒に酔い人生に酔う、ということか(笑)。 それではまた。
2007/07/22
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先日のビール会で、2年振りに長崎でフレンチレストランを経営されているあかだまさんとお会いした。あかだまさんと最初に会ったのは、3年前の第1回目のよびりん学校だった。あの当時は、私はいわゆるどん底?状態で、これから先どうやって生きて行こうかと模索していた。どん底という言葉が当てはまるかは別にしても、悩んでいたのは事実だ。そんな私を、長崎から来たあかだまさんは、黙って遠くから見ておられたような気がする。何を話したかは、あまり記憶がない。そして、それから1年後である2年前のビール会で再会した時、こんな言葉を掛けてもらった。『いい顔になりましたね』一瞬驚いたが、正直に嬉しかった。1年前は、悩んでいることを悟られまいと、自分ではポーカーフェースを気取っていても、心の奥底を見透かされていたのかもしれない。その1年後に『いい顔』になったというのは、自分では気付かなかった悲壮感が、かなり消えていたのだろうと思う。・・・と言っても、元々『いい顔』とは、よく?言われる(笑)。それから2年が経ち、今回も意外な言葉を掛けてもらった。『以前は生き残ることだけを考えておられたようですが、今は上を目指そうとされてますね』私を励ますための御世辞だとは思うが、それでも今回も正直に嬉しかった。あかだまさん、ありがとう!。あかだまさんは、レストラン&ホテルのオーナーとして、客に張り付くようなサービスではなく、客が寛げるよう一歩引いたサービスを心掛けておられるようだ。それだからこそ、多弁でなくても一言で相手を喜ばせるツボが分かっておられるのだろう。日頃、口が悪い人たち(誰だ?)と接することが多いので、新鮮な驚きさえ感じた(笑)。私も、少しでも見習いたいが、なかなか出来そうもない。・・・人の揚げ足を取るのは旨いかもしれないが(笑)。いつの日か、あかだまさんのレストランに是非とも行ってみたいものだ。一緒に行く人募集中?。それではまた。フレンチ島宿 「オーベルジュ あかだま」 口が悪い人は誰だ?・・・おまえに言われたくない、とは言わないでね???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/16
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12日は、よびりんさんの会社の屋上にて博多山笠ビール会が催されました。私は仕事の都合で6時半過ぎからの参加となったのですが、もう既に凄まじい盛り上がりで、小心者の私はなかなか直ぐ入り込めないほどでした。仕方がないので?ビールを駈け付け2杯で、なんとか溶け込みホッとひと息(笑)。今回のビール会は、タイミングよくよびりんさんとハリーさんの共著『自分の人生を変える方法』の出版と重なり、出版元のPHP研究所の編集局長も参加されていました。その編集局長から、担当した国内でも有名な製造業の社長の面白くそして素晴らしい発想を聞かせてもらって、ラッキーでしたね。予約受付開始!(↑クリックしてジャ~ンプ)それにしても、ビール会参加の皆さんは、個性?豊かな方ばかりで、市川雷蔵の系譜を継ぐ?と勝手に言っている私としては、付いて行くのがやっと・・・(笑)。それでも、とても楽しい夜となりました。よびりんさんを始め皆さんに感謝です。幹事のsfpさん、他にお世話していただいた皆さん、お疲れ様でした。ところで、此処にきて仕事が重なり忙しくしています。暇な時もあると思えば、仕事が重なって断らなければいけない時もありで、なかなか旨くはいかないものですね。今日も外注さんに組み立ての応援に来てもらっていました。明日も明後日も社員は現場です。一人の社員は、鳥取に約1週間の出張工事で、今日はその準備に追われていました。私はというと、睡眠不足気味なのに、夜明け方に目が覚めて眠れなかったりと、ちょっと神経が昂っているようです。まっ、とにもかくにも忙しいというのはいいことです。暇でどうしようもないほど怖いものはありませんからね(笑)。ビール会に参加された皆さんの前では、私は借りてきた猫?。もっと個性的にならなければいけませんね???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/14
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来る12日は、もはや好例となった博多山笠ビール会!(勝手に命名)です。よびりんさんの会社の屋上で開催されますが、早い時間に行ける人は、ビルの真ん前を駆け抜ける山笠を、文字通り目の前で見れます。どなたでも参加できます!。申し込みは、心優しき幹事さんへ大至急!。私は仕事の都合で夕方からの参加ですが、私に会いたい方?はこの機会に是非どうぞ!。誰もいないか???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!私の人生の転機となったよびりん学校。そのよびりん学校で天使のよな女性にお会いしました。壮絶な人生を歩んで来られた7777ハリーさんの『夢』と『行動』に感動しています。よびりんさんと7777ハリーさんの共著。「自分の人生を変える法」7月、PHP研究所よりの新刊発売予定。チャレンジネットワーク!(↑クリックしてジャ~ンプ)会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/10
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『敗者復活戦』《凡人の独立編》 第16話(メルマガ敗者復活戦保存版)訪問販売、そして店頭販売での経験は、大学へ行くより貴重なものでした。しかし、故郷に帰ってその経験を活かすことが出来るのか?。現実の壁の前では立ち往生するしかないのか?。第16話スタート!●故郷に帰っては来たけれど!それは、横浜での生活が5年を過ぎようとしている頃でした。文字通り青春を謳歌していたのですが、そんな時に突然父危篤の知らせが入り、慌てて帰郷し某大学病院へ駆けつけました。担当の医師の説明では、石原裕次郎と同じ病気だということでした。裕次郎はまだ肝臓が丈夫なので手術できたようだが、父の場合は肝臓がかなり悪いので、手術はできない。大動脈瑠?が、1週間から1ヶ月で破裂する。そして・・・ということでした。(記憶に間違いがなければ、このような説明だったと思います。)大きな瘤が出来ているように見える動脈の画像を見ながらの説明でしたので、疑う余地はありませんでした。そこまで言われれば、母一人では不安でしたから、長男である私は、横浜での仕事や生活をすべて整理して福岡に帰る決意をしました。当時私は、訪問販売の会社で工事をやっていたのですが、社長や先輩に可愛がられ優遇して頂いておりました。家に仕送りしながら、歓楽街で遊ぶことも出来るような生活でした。あんな生活は、あれから今日まで残念ながら味わえないままです(笑)。父は、私が幼い頃は鍛冶屋を生業にしていましたが、時代の流れで食べていけなくり、その後幾つかの会社で鉄骨建築を覚え、自営ではありますが鉄工所をやっていました。昔気質の頑固者でしたので、商売は下手で儲ける術を全くと言っていいほど知りませんでした。しかし、現在零細企業とは言え経営者となった私から冷静に見て、昔の尋常小学校しか出ておらず、新聞の字も半分も読めなかった父が、よくぞ独立独歩の道を歩んだものだ、と感嘆という言葉を使いたいほどです。大正生まれで戦地にも行った世代の気骨、そして胆力は、現代人が失ってしまったものだと思います。見習うべきものがありますね。それでも、いよいよ食べていけなくなり、鉄工所を諦め、病に伏せるまでは運送会社で働いていたようです。もうじき60歳に手が届くという年齢でしたので、若い頃は力自慢だった父も、さすがに応えたのでしょう。私が、横浜で青春を謳歌している間に、こんなことになっていたのですから、家業を継ぎもせず、親不孝なことをしました。・・・ここまで書くと、なんと素晴らしいお父さん、と誤解されそうですね。実際は、暇があれば真っ昼間でも酒を飲む、というしたい放題でしたので、商売しても儲かるわけがありません。ぐうたらで、憎たれ口をきく、どうしようもないオヤジでもあったわけです(笑)。話が逸れてしまいましたので、帰郷してからの話に戻しましょう。さて、辞めたくない会社を辞めてまで、帰って来たのですから、後は、父が天国に逝くのを見届けるだけ、のはずでした。ところがどっこいです!。な、なんと、後一月以内に大動脈瑠?が破裂する、と画像を見て大学病院の先生が、御墨付、否、太鼓判を押した (こんな時適切な日本語は・・・笑)父でしたが、それから、なんと約10年生き延びたのです(笑)。入退院を繰り返しながら、体調の好い時は、近くの川に釣りにまで行って、マガママ放題で、病院からは、「お父さんに、文句をあまり言わないように、言い聞かせてくれ」と何回呼び出しがあった事か。「ダマサレタッー!」「俺の青春を返せ!」と言いたいくらいでした(笑)。皆さん、ご家族が余命・・・・と言われても、希望を持ちましょう。それにしても、大学病院に半年後に検査に行った時、先生が目を白黒させていたのは忘れられませんね(笑)。・・・続きをお楽しみに!。それではまた。父は、最後に入院する時、初めて「俺は死ぬとか?」と言った。余りにワガママ放題なので本人に告知しても、全く聞く耳を持たず、死ぬことなど考えてもいなかったようだ。この意志?が10年生きさせたのか???・・・クリックよろしく!。『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2007/07/02
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