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土曜日の午後、会社から東へ一つの峠を越えて1時間程車を走らせ、ある病院へ知人を見舞った。2度目の入院で、今回は手術をされたようだ。この知人のことは6月にも書いたが、私が今生業としている業界に入った四半世紀前からの付き合いだ。私がサラリーマン時代、そして、独立してからもお世話になった。両手両足に強い痺れや麻痺が残る難病指定になっている頚椎の疾患で、最初の入院の時は、回復はあまり見込めないとのことで手術はしなかったようだが、今回は、僅かな可能性に賭けてみたとか。この病院は、国内でも数少ない脊椎脊髄専門病院で、実は、私が首の手術をしたのもこの病院なのだ。金曜日の夜に、ちょっと早目の忘年会があり、そこで各自これからの経営計画についての発表をした。私の経営計画の中に『障害者や弱者に優しい会社にする』と書いていたが、説明する時間もなかったので、聞いている人は、何でこんなことを言うのか理解出来なかったかと思う。エエカッコしているのは事実だが、これは、私がお世話になった病院で見聞きした経験が影響している。話を戻そう。病室に入ると驚いたことにお嬢さんがベット上がり、横になっている知人の首や肩をマッサージしていた。お嬢さんは、私の顔を見て一瞬恥ずかしそうにしてベットから降りたが、お嬢さんの優しさと如何に心配しているかが伝わってきて直ぐには言葉が出なかった。実は、私は知人に冗談を言って、からかおうと思っていた。6年前逆に私を見舞ってくれた知人は、冗談を連発して、人をからかって帰っていった。私の周りにいる人は、私同様に口が悪い(笑)。自分の経験からも術後10日近く経てば少々冗談を連発しても問題ないし、むしろ笑うことは回復に繋がる。奥さんから、入院していた時のことや退院してからのことを尋ねられ、体験したことを答えていたら、またお嬢さんがベットに上がりマッサージを始めた。本当に優しいお嬢さんだ。脊椎疾患からくる痺れは、男の力でマッサージされるより非力な女性ぐらいが丁度いい。私は今でも右の脇腹から足先までの痺れは取れないが、そこをマッサージされると痛みを堪えるより辛い何とも表現し難い気持ち悪さなのだ。私の場合、マッサージしれくれる人は誰もいなかったので、羨ましい光景でもあったが(笑)・・・。しばらくすると、冗談が言えるような雰囲気になってきた。「私の場合夏だったから、首のカラー(装具)は夏にトックリセーターみたいなものやったね~」お嬢さんの頬が少し緩んだ。「隣の病室の人は、夜中に暑くて無意識に外してしまったんで、次の日、看護婦からガムテープで巻かれとったよ」知人やお嬢さんが漸く笑ってくれた。「お父さんは、首のカラー(装具)を付けた私を見て何と言ったと思う?」「エッ、何て言ったんですか?」とお嬢さんも聞きたそうだ。「ドラえもん」・・・と私が笑いながら答えると、お嬢さんが、とうとう声を出して笑いだした。「お父さん、ひどいやろ?」と私。「すっ、すみません」と言いながら笑っている。「鍛冶屋君が、頭を坊主にしとったし、首がないから、ドラえもんそのものなんよ」知人も、大きな声で笑い出してしまった。ドラえもんと言われた勇姿?(入院中、友人が撮ってくれました)あまり長居しては迷惑なので、小一時間で病室を出たが、お嬢さんが廊下の途中まで笑顔で見送ってくれた。帰りに、6年前入院中に朝の散歩をしていたグラウンドに行ってみたが、懐かしいというより、何か気が重くなり、病院は見舞い来ることはあっても、もう2度と入院などしたくないと痛感した次第でした。見送ってくれたお嬢さんの笑顔が印象的で、やはり最後は「笑い」で人は救われる気がする。笑ってくれるなら、ドラえもんでもオバQにでもなりますよ(笑)。それではまた。社長ブログランキング、いつの間にか82位になっていました。こうなったら、50位以内を目指します。皆さん、よろしかったら応援してください!クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/30
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今日は、会社から1時間程車を走らせ隣の県の工業団地へ。その中にある1部上場の企業の九州工場に訪問。独立する前勤めていた会社と取引があり、当時私はこの会社の担当者とは懇意と言っていいくらい親しくしていただいた。当然、独立した時は真っ先に訪問したが、予想に反してけんもほろろの応対だった。当時の私は余りにも甘かった。世間知らずだった。大企業は、起業したばかりで況して一人でやっている会社など相手にしてくれない。そもそも会社とは認知してくれない。担当者と仲が良いなんて、そんなものは会社対会社の取引の中での話で、屁の足しにもならない。最後は「悪いね」と担当者は言ってくれたが、自分の無力を思い知った時だった。もちろん、例外はあるもので、一人で起業した私を迎えてくれた大企業もあったので、世の中捨てたもんじゃない、と小躍りするぐらい嬉しかったのを覚えている。あれから10年以上の月日が経ち、あのけんもほろろに追い返された大企業に我が社の会社案内を持参。あの屈辱をなんではらさでおかりょうか・・・なんのこっちゃ?。リベンジだっ~~~~なんて思っていたが、そんな気持ちは月日が洗い流してくれたのか不思議と沸かなかった。親しかった担当者も、6年程前のリストラで希望退職したとは聞いていたが、その時と同じような、いや、それ以上の厳しい状況のようだ。そんな状況なので、今まで取引がなかった会社の話を聞き選択肢を広げようとしているとのこと。それにしても、大企業は走り出すと日の出の勢いのようになるが、ブレーキがかかると、背負っているものが大きすぎて、雪崩のように滑り落ちているように見える。なんと厳しい現実だろう。零細企業も厳しいとは言え、背負っているものがまだ軽いので増しかもしれない。リベンジとかそんなことを考えるより、前向きな情熱で夢に向かって燃えに燃えて進んで行きたいものですね。それではまた。屈辱を忘れる必要はない。それは時として前に進むバネになるから???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/26
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先日、数ヶ月前窮地に陥っていた友人と電話で話をした。驚いたことに、予想していたものとは違い電話から聞こえてくる声は明るいではないか。聞けば、当初はアルバイトをやりながら次の展開を考えようと思っていたらしいが、ある会社から声が掛ったとか。おまけに、社員というよりアドバイザー的な役割と言うから、これには驚いた。こんな嬉しいニュースを聞けるとは思ってもいなかった。『芸は身を助く』というが、彼が今まで蓄積してきたスキルを放っておくのは勿体無いと思われたのだろう。匠の技、資格という『芸』ではなく、一つのことをやり続けてきた姿を、ちゃんと見てくれている人がいる。自然と胸が熱くなるではないか。嬉しくなる知らせを聞き、我が身を振り返れば、私にこんな『芸』があるだろうか。スキル?・・・カタカナで言えるようなものは何もない(笑)。あるとすれば・・・己の生き様ぐらいか???。敢えてうそぶくのも悪くはないだろう。それにしても、私の周りには不器用で世渡りは下手だが打たれ強い人が多い。皆、なかなかしぶとい(笑)。私も、このしぶとさを見習いたいものだ。それではまた。打たれ弱い方?・・・打たれ強くなりたかったら私に会いに来なさい。但し、もっと打たれるかもしれないのでご用心を???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/25
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昨日、家に関して少しだけ書いたら、興味深いコメントを幾つかいただいた。人それぞれ想いはあると思うが、人が立ち寄りやすい家、人が寄ってきて集まる家、こんな家が私にとっては理想だ。今までの経緯は、あまりに個人的なことでここに書いても仕方がないが、両親が亡くなってから都市部に移ろうと以前は思っていた。ところが、なかなか・・・(笑)。こんな冗談は別にしても、日頃お付き合いをしている友人や知人は殆んどが都市部に住んでおり、何か催しで集まる時などは羨ましくもあったが、それは「住む」ということとは別に考えたほうが良さそうだ。都市部で人と会うのは殆んどがどこかの店であったりするし、たまたま友人のマンションに行っても車を停める所がなく探すのが大変だったりする。そもそも、自宅に人を招くということは少ないのかもしれない。招かれたとしても、車で行くなんて失礼なことかと思う。こうなると、田舎暮らしに慣れた私には窮屈で仕方がない。都市部で人が集まっても気にならない家が理想だが、そうはなかなか出来るものではない。衣食住の中で、優先順位をつけることなど出来ないが、敢えてつけるとすれば『住』ではないだろうか。衣は清潔にさえしていれば安いもので事足りるし、食は質素なもので日頃は済まし、時折細やか贅沢が出来れば十分だ。ところが、住に関しては、人同士が接し語り合う場になるので、その雰囲気は重要だと思う「人が寄ってきて集まる家は運気がいいといいますからね」こんなコメントいただいたが、正にこれだと思う。私は、これを余りに疎かにしてきた。特にこの10年、いろいろなことがあったとは言え、肝心なことを怠ってきた。もちろん、広さや豪華さなど関係ないが、それにしても忘れていた。仕事のことばかり考えても、私生活が充実していないと意味がないですね。来年の経営計画などを考える時、先ずは『家』のことを考えることが優先のような気がする。それを中心にして仕事のことを考えたほうが良さそうだ。それではまた。「ちょっと寄っていかんね」と言える『家』にしたいものだ!!!。クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/24
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今日は、会社に行くこともなく完全休養の日となった。そこで、普段は決してやらないことを思い立った。新聞の折り込みチラシを見ていたら、驚くような中古住宅が売りに出ているではないか。いくら田舎でも、この土地の広さこの建坪にしてこの価格?・・・。家をどうにかしたい、と思っている自分にとっては飛び付きたくなるようなものだった。自宅から数キロ離れたその家に着くと、不動産会社のネームが入った車から一人の女性が出てきた。見学に来る人を車の中でじっと待っていたらしい。早速その営業ウーマンに案内されて家の中を見たが、「ほっ~~~」と溜め息をつくしかなかった。2日間の見学で、大工や造園などその道の専門家も来たらしいが、建物だけでこの販売価格ではできない、と言ったとか。15年経っているとは言え、この敷地の広さを考えるとこの価格は何なのか。よくよく聞けば、思っていた通り元々競売物件。栄枯盛衰は世の習いとは言え、何か物悲しいものがあった。それだからか、元々買う気などなくその金もないが、 冷やかしで済ますのは申しわけない気がした。しかし、買えないものは仕方がない。それにしても、火が点いていた家への欲望が今度はいよいよ本格的に燃えてきた。甲斐性無しの自分ではあるが、来年はどうにかしたいものだ。シルヴェスター・スタローンのランボーも舌を巻く男!百万で家を建てた開拓父ちゃんにアドバイスしていただこう!。それではまた。人が立ち寄りやすいような家がいい。広さや豪華さを追ってもキリがないな。持たない者のやっかみかもしれないが???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/23
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昨日、仕事を終え自宅に車を走らせていると、驚くようなニュースがラジオから流れてきた。急成長で上場までした不動産会社が破綻したという。ふと時計を見ると、もう直き午後10時になろうとしていた。これは、日本最強の自動車メーカーが失速し、営業利益の予想を大幅に下方修正して、期間労働者を大量に解雇したニュースよりある意味衝撃的だった。地元ではあるし、創業者の成り立ちを見聞きしていたので、余計にそう感じたのかもしれない。大企業であれば、景気の波を直接被ることは致し方ないが、それにしても予想を遥かに上回る大波のようだ。しかし、僅か数人の零細企業が、景気の波云々などと話すのは、臍で茶を沸かすと笑われるのが落ちだ。我が社のような会社が景気云々などと言いだすのは、こんな絶好の言い訳?はないからだろう。もちろん、下請けの仕事が多い我が社のような零細企業は、もろに波を被ることもあるが、この言い訳を口にはしたくない。口にすることで、精気が削がれるような気がする。薄くなった頭が、余計に薄くなる(笑)。先日、熊本の現場の社員から部品が足らないとSOSがあり、別の社員と夕方から熊本へ向かった。現場に着いてみれば、問題は既に解決したようなものだったので事なきを得たが、一人の社員と熊本往復のデート?の時間を持てたのは良かった。往復4時間余り、普段では聞けそうもない本音が出たりして、遅くなったのに助手席の私は眠ることなく話ができた。そして、最後にはこんな結論?となったような・・・。卑下するわけではないが、所詮我が社は大したことない社長と大したことない社員の集まり。考えすぎても、問題の解決にはならない。ジタバタしても無駄なこと。ケセラセラ、なるようになる!。こう考えれば、零細製造業の未来は眩しいほどに明るいではないか!。それではまた。破綻した不動産会社の創業者は、生まれた家が貧しく中学を出て大工になり、それから叩き上げの社長として、あそこまでの不動産会社にしたと聞いている。そのバイタリティーで、必ずや会社を再建していただきたいものだ!!!。クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/15
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先程まで、インタビュー番組「カンブリア宮殿」を見ていた。ゲストは、日本理化学工業(株)の大山泰弘会長。この会社は、主にチョークを作っているのだが、驚いたことに従業員の7割が知的障害者だという。50年近く前、最初は養護学校の先生から頼まれ2週間の研修だけの約束だったが、一生懸命働く2人の姿に心を打たれ、次第に障害者を雇用するようになったという。最初は同情からだったが、その一生懸命に働く姿に、逆に教えられることが多かったとか。養護学校を卒業しても、障害者施設に入っていれば、無理して働く必要はないのではないか。満員電車に揺られてまで通勤し、生き生きと喜びながら働いている。何故なのか?。大山会長は答えが分からなかった。そんな時に、偶然出会った禅僧に尋ねる。禅僧は、人の幸せについて四つを説く。人に愛されること人にほめられること 人の役にたつこと 人から必要とされること働くことによって愛以外の三つの幸せを得られる。大山会長は、後年こうも考えるようになった。「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」青息吐息の我が社を何とか変えようと、売上を、利益は、こんなことばかり日頃私は考えている。零細企業とは言え、それは経営者ならば当り前のことだが、それ以外のことをどこまで考えているだろうか。もちろん、社員には幸せになってほしいとは思っている。しかし、それを具体的にどうしているか、と問われると何もしていないのに等しい。況してや障害者を採用するなんて、今の私には出来ない。出来ない、というのは私にその発想がないことを意味する。ただ単に同情だけでは、従業員の7割が知的障害者の会社が、物を作り販売し利益を出し、その商いをやり続けることなんて出来ないだろう。そこには、ヒューマニズムに裏打ちされた仕組みが出来ている。これは凄いことだ。今の私には到底出来そうもない。こんなことが出来るようになるためには・・・。根本的に発想を変えないと、考え方を改めないと出来そうもない。『愛』と言葉にするのは簡単だが、実践となると今の私には、まだまだ難しい。経営者としてより、一人の人間として、大山会長のようになれればいいのだが。まだまだ未熟な自分を感じた次第でした。それではまた。あんな人を見ると、会社にしろ人にしろ、評価を気にすること自体が阿呆らしくなりますね???・・・クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/03
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11月の初日の土曜日、仕事の合間に友人を見舞った。彼とは、小学校から高校まで一緒だった。いや、正確に言えば幼稚園から(笑)。昨年までは、頭は黒々として顔に皺もなく、同級生の中では飛び切り若く見えていた。口の悪い私は、彼に会えば一言毒?を吐くのが常だった。「おまえは、苦労してないのがそのまま顔に出とるっちゃないや」などと言いつつ、彼が同級生の中では一番丈夫で長持ちするな、と勝手に思っていた。病院の玄関まで私を向かいに来た彼は、見違えるように痩せ眼尻には皺も見えた。頭にも白髪が増えたことが一目で分かった。それでも、「禿げとらんけん」と私の頭を見て笑ってはいたが。思えば、彼の両親は早く亡くなっている。彼も同じ病気のようだ。病気とは怖いものだ。それでも、幸い彼の症状は深刻なものではない。無理をしなければ、仕事も続けられる。寧ろ、より摂生に努めれば、やはり一番丈夫で長持ちするかもしれない、と思ったほどだ(笑)。来週には退院できると言う。帰り際、私を見送りながら一言。「痩せにゃいかんばい」それに私は毒?で答えた。「ご家族を呼んでください、と言われんごとしとけ」・・・誰にでも、こんな毒を吐いている訳ではないので、ご安心を(笑)。先程、よびりんさんの日記を見たら、計ったように「ストレスは体重に比例する!?」というテーマだった。最後に、こんなことが書いてあった。『精進は「雑念」を払う意味があります。減量で雑念を払いましょう。』雑念多き私へのメッセージと勝手に思っている(笑)。地位や名誉を追っても、健康でなければ意味がない。地位や名誉など、所詮符号のようなもの。心身の健康が一番ですかね。そんなことを考えた月の初めとなった次第。それではまた。俺の身体は、ストレスと雑念の塊かな?。減量して両方ともぶっ飛ばすぞっと???・・・クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/11/02
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