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天(そら)が泣いたら雨になる山が泣くときゃ水が出る俺が泣いてもなんにも出ない意地が涙を・・・泣いて泣いてたまるかヨ通せんぼ・・・・・・・・昨日、私が下手な字で書いた歌詞が何なのか?分かった人はいるだろうか。余りに唐突すぎて、意味不明でしたかね。私がまだ小学校の頃のテレビドラマ『泣いてたまるか』のテーマ曲の出出しでした。『男はつらいよ』以前の今は亡き渥美清が主演で、毎回完結のテレビドラマでした。毎回、笑いあり涙ありの感動的なドラマで、子供心にも強烈な印象が残っている。冒頭に書いたのはテーマ曲の一番。特に三番の歌詞がなんとも言えません・・・・・・・・上を向いたらキリがない下を向いたらアトがないさじをなげるはまだまだ早い五分の魂・・・泣いて泣いてたまるかヨ夢がある懐かしい渥美清さんの歌で『泣いてたまるか』(YouTube)それではまた。渥美清の演技力、そして毎回の脚本の素晴らしさ、今のテレビではもう無理か???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/05/30
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至福の時?なんて言ったら大袈裟すぎるが、最近万年筆で字を書いている時、細やかではあるが幸福感とも言える気分になる。若い頃、万年筆でスラスラと文章を書いている作家に憧れていたが、如何せん字が下手で、おまけにスラスラと書けるほど頭が回転しなかった(笑)。猫に小判、豚に真珠、みたいなものになりそうな気がして使うことはなかった。自然とその憧れも忘れていた。あれは、いつだったか?。現在の仕事の業界に入って間もない頃だったと思う。ある得意先を訪問した時、そこの社長が万年筆で書類か何かを書いておられた。「カッコイイ~~~」口にこそ出さなかったが、一瞬釘づけになった。「そうか、仕事で使えばいいじゃないか」至極当たり前のことが、私にとっては新鮮だった。そんなことがあっても、漸く手に入れたのは、30歳を過ぎ独立してからだった。安価なものだったので、書き心地はそんなに良くなかったが、6畳間の事務所で書く誰も見る人がいない日報は万年筆で書いていた(笑)。そんな愛着がある万年筆を、3ヶ月程前不覚にも無くしてしまった。会社のジャンパーの胸ポケットに、ボールペンと万年筆は入れて営業に出ているのだが、どこかで落としてしまったようだ。残念ながら今でも出てこない。仕方がないのでネットの通販のサイトを見たり、通りすがりで文房具店を覗いたりしていたが、手に取って試すことが出来ない。地元でも有名な店の情報を聞いても、行く時間がない。暇な時行ってみよう、と諦めていたら、たまたま入った文房具店で試し書きすることが出来たではないか。幾つか試させてもらって、硬筆の中細字が私の手にフィット!。その場で即決。「いくら?」値段を見て思わず「半分の5千円ぐらいのないやろか?」と言ってしまった(笑)。「2割引きますよ!」と言ってくれたので、私にしてみれば贅沢な買い物となったが、「箱はいらん」とそのまま胸ポケットに入れて店を出た。セコイ、セコイ話になるが、8個も残っていたスペアのインクは、無くしたものと偶然同じメーカーなので、そのまま使える。得したような気分になる俺は、セコ過ぎる?(笑)。惜し気もなく、その万年筆と下手な字を公開。それではまた。この下手な字で書いている歌詞、何の歌詞か分かる人はいるだろうか?。何故かこの歌詞を思い出した。あの名優を思い出すような書き味、と言ったら大袈裟かな???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/05/29
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先週の金曜日、零細企業経営者5人での勉強会に参加した。今回の教材は、やずや創業者・故矢頭宣男氏の経営講演会ビデオ。亡くなられて10年近いのに、未だに影響を与え続けておられる魅力はどこにあるのか。『深く穴を掘れ、自然に直径は広がる』このことを御自身の体験を踏まえて分かり易く話されておられたが、驚くことに、44歳までは我々と同じような凡人だったのだ。おっと、我々ではなく私に訂正(笑)。44歳の時に何があったか。神の啓示があったとか、そんな話ではない。それは、まるで潜在意識にまで擦り込まれたような確固たる目標設定が出来たこと。それまでは、健康食品の販売の傍ら結婚式の司会業もされていたようだが、ある勉強会での先輩の強烈な一言で目覚め、健康食品一本に邁進する。それからは、一つの穴を深く深く、より深く掘り続ける。その直径は、ものの見事に広がっていく。『魚を獲るのは船員(社員)の仕事、魚を探すのは船長(社長)の仕事』社長が進むべき方向を決めなければ、社員は力を発揮できない。船長が船員の仕事をしていては、魚を探すことなどできようはずがない。いやはや、本当に耳が痛い。私などは、何でもこなすオールラウンドプレーヤー?と自称してごまかしているが、未だ船長に成りきれていない。会社の規模とかは関係なく、船長のいない船は沈没するしかありませんからね。『経営計画書作成セミナーとの出会い』この講演ビデオの時期売上が30億程になってはいたが、西暦2010年に1000億の目標と吹かれた大法螺?は、驚くなかれ現実のものと成りつつある。死して名を残すどころか、死してなおその威光は輝き続けている。威光?、これは違う。威光という威圧的な言葉は適切ではない。数年前、矢頭宣男氏の奥様である現社長矢頭美世子氏の講演ビデオを拝見した。九州ベンチャー大学『第101回 通心販売やずやの矢頭美世子社長』その中で、涙ながらに語られていたこの言葉。『財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上、感動を残すは最上』矢頭宣男氏の残したものは、威光などではなく『感動』ではなかったか。だからこそ、今もなお影響を与え続けているのではないだろうか。こんな感動的なビデオを見た後の2次会は、下ネタ?まで飛び出す場と化し、余韻に浸っていた品行方正?な私には付いて行けない面もあるが、次の会がまた楽しみだ(笑)。語り合う場が、二つとか三つとか分かれるのではなく、一つのままという少人数でやるのも、良いものですね。最後に、私が44歳の時はどうだったか、を敢えて書こう。私の場合、首のヘルニアで動けなくなり、病院のベッドで寝ていた時期と重なる。なんと言おうか、呪われたような44歳でありました(笑)。しかし、アイツはもう駄目だと噂されながらも、今こうして活躍(とは誰も言わない)出来ているのは、年齢は関係ない、ということだと思う。あの伊能忠敬は、49歳から人生が始まったのだ。比較する対象は他にないのか?、とは言わないように(笑)。もっと書きたいことが他にあるのだが、今日はこの辺りで止めて帰ろう。それではまた。この勉強会の名称は『おっさんの会』『21世紀の会』『てんびんの会』と候補があるけれど『オガチの会』で決定か?。2003/12/27に書いたブログ『飛べやオガチ!』を思い出した。メンバーの皆さん、賛成だよね???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/05/24
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会社の玄関の両脇にブーゲンビリアが鎮座?していた。ところが、何回かの台風に煽られているうちに、とうとう一昨年の台風で片方は根こそぎ吹き飛ばされ、残った片方も最近になって枯れようとしていた。仕方がないので、死んでしまった枝を切ってみたら、見事に元気が出てきて、アッという間に御覧の通り。アッと、はちょっと大げさ?(笑)。おまけに、挿し木したわけでもないのに、吹き飛ばされた後にもアメーバ?の如く育ってきた。この生命力に感動!。このブーゲンビリア、私が植えたものではなく、以前の家主が植えて育てていたもの。私はと言えば、最初見た時名前すら分からず、おまけに水をやるわけでなく、栄養になるようなものをまくでもなく、ただほったらかしていただけ。どうやら、それが良かったらしい(笑)。皆々様、人でも動物でも植物でも、やっぱり過保護よりほったらかし・・・ですな(笑)。それではまた。こんな写真は、鍛冶屋の息子には似合わない?。まっ、たまにはいいかな???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/05/13
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『人生が二度あれば』・・・などとは言いたくない。連休中に、ある男を追ったドキュメンタリーが放映されていた。博多の歓楽街中洲で36年営んできたバー「ドーベル」を畳み、新たな人生を踏み出そうとする男を追ったものだった。その男の名は、池永正明。言わずと知れた元西鉄のスター選手。5年足らずで100勝を挙げた大投手だった。23歳の時に「黒い霧事件」に巻き込まれ、プロ野球選手にとっては死刑の宣告に等しい永久追放という重い処分となり、池永氏の運命は一転する。先輩から土下座して頼まれ、男気溢れる氏の性格が仇となり、先輩の顔を立てるためにお金だけは受け取ってしまったようだ。刑事事件としては不起訴処分となったが、同じようなケースの他の選手は厳重戒告処分で済んだというのに、氏はスター選手であったがために、見せしめの為に永久追放となってしまった。この時の同じようなケースの他の選手?が、引退後に地元の放送局の解説者として活躍されていた現実を考えると、永久追放から復権までの35年という絶望的な長さは何なのか。このことは、3年前このブログ一度書いている。『人生が二度あれば・・・(2005/3/17)』永久追放から2年経って、生きていくために食べていくいために、中洲でバーを開業。氏の友人の証言によれば、開業して2年ぐらいは、お客さんを見送る時でも「ありがとうございました」という言葉が出なかったらしい。元プロ野球のスター選手が、客に水割りを作り、そして「ありがとうございます」・・・。こんなことが出来ようはずがない。普通ならこの砂を噛むような現実から逃げだすために、「堅気」の道から外れると思うのだが、驚くことにその後36年水割りを作り続けていたのだ。最近、『自分探しの旅』をする若者の話をよく聞く。私は、それを否定するつもりなどない。見聞を広め大いに悩み考え抜くことは悪いことではない。ただ、復権を夢見て目の前のことを36年やり続けるという重みの前では、余りにも軽い。嫌なことでも、やり続ける『自分探し』があってもいいではないか。否、これが現実だ。比較するのがおかしい、と言う人もいると思うが、これが私の本音だ。例えが飛躍するかもしれない・・・。ベストセラー『鏡の法則』も、山口県光市の母子殺害事件の遺族本村洋さんの前では、余りにも説得力がない。これも現実だ。話を戻そう。このブログを書きながら思うのは、池永正明氏の人生と比べて、私の人生はなんと幸せなことか。いろいろあったが、そんなことは大したことではない。池永氏は、今年ラジオでプロ野球の解説をされるという。なんと素晴らしいことか。これからの池永さんの素晴らしい人生に乾杯!。否、ちょっと違う。今までの池永さんの素晴らしい人生に乾杯!。それではまた。俺はやっぱり天の邪鬼?、ひねくれた性格は直しようがない???クリックよろしく!『敗者復活戦』の物語を初めから読みたい方は⇒こちらへジャ~ンプ!会社のサイトです。こんな仕事をやっています。
2008/05/08
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夕方、いつもの公園でいつものようにウォーキング。 ゆっくり歩いていたら、前にそれ以上にゆっくり歩いている若者がいた。 追い抜きざま、その首のつけねにパチンコ玉が2個並んでいたので目を疑った。 よく見るとピアスのようだった。 野郎の首すじにビアス・・・。 振り返る気にもならず、追い抜いたが、どう理解すればいいのか。 理解する必要もないか(笑)。 ただ目立ちたいだけかもしれないが、どうせなら、ボーリングの玉を頭のてっぺんに付けたらどうだろう。 御辞儀は簡単にできないだろうが(笑)。 こんな冗談も正夢のようになるかもしれませんぞ。 それではまた。
2008/05/06
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