経理は地味だが役に立つ〜ウルトラランナー経理部長の経理の仕事とマラソン日記〜

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2024年05月14日
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テーマ: ニュース(99710)
カテゴリ: スポーツ関連


定年再雇用の任期を3年残して、電撃的な退職です。

尾車親方は三重県津市出身、佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1977年初場所で19歳で新入幕を果たします。
佐渡ヶ嶽部屋の同期入門には、後に関取になる琴若、琴千歳の2人がいました。

新入幕から順調に出世し、大関候補と言われた矢先、左膝の大けがで4場所連続休場となり、幕下30枚目まで陥落します。
不屈の闘志で幕内に復帰し、再び大関候補となりましたが、またしても同じ左膝のケガで球場、番付を下げます。

このような数々の苦難にめげず、1981年9月場所で初優勝を遂げ、大関に昇進します。
「地獄を見た男」の不屈の闘志での大関昇進は多くの人の心を打ち、自身の経験を歌詞にしたようなレコード「まわり道」は50万枚のヒットになりました。

大関時代も安定した成績を残しますが、度重なるけがで休場となり、大関を陥落。その後も休場が続き、1985年11月場所中に28歳の若さで引退しました。
引退後は年寄尾車を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋から独立して尾車部屋を興します。


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関脇豪風、嘉風、幕内矢後、友風など多くの関取を育て、協会でも№2の事業部長を務めました。
2022年4月に65歳の定年を迎え、尾車部屋を閉鎖して、再雇用の参与として協会に残っていました。

しかし、再雇用の定年となる70歳まで3年を残し、この度協会を退職されました。
「老兵は消えるのみ」との言葉を残して、相撲協会を去ります。

私は10年ほど前に、尾車親方の講演を聞いたことがあります。
とても話がお上手で、ユーモアもあって、非常に楽しく、分かりやすい講演でした。
その後の懇親会で名刺交換をして、けがから大関に昇進された頃のお話を聞かせていただいたことをよく憶えています。

数々のけがに病気と、ご苦労が多かった力士、親方人生だったと思います。
本当に長い間お疲れ様でした。
また、是非解説者として姿を拝見したいものです。






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最終更新日  2024年05月14日 18時26分17秒
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