全11件 (11件中 1-11件目)
1

今日はお昼から家で長男とおとなしく過ごしています。お天気も曇ってて、寒そうなので外に出たくないな~って思って。明日は幼稚園なので、私も少し緊張気味です。長男は全く分かってないようですが・・・・長男を出産して、ずっと結婚指輪を外していました。正確には出産の前からムクんでたので、外していました。産後も赤ちゃんに触れるときに指輪が気になるので外していました。その後・・・・・体型が少しポッチャリしてしまって、そのお肉が指にまでついたようではめられなくなっていたんです(泣)もうこれは一生はめられない・・!!って思っていました。次男のツワリの時も痩せたので、はめてみたけど…何とか入ったって感じで血が止まりそうでした。なので、せっかくのリングだったのに自分のせいで。と本当に情けない思いだったのです。主人は男性の割りに指が細いらしく、13号あたりで、今もしっかり薬指にはめています。その指を見るたびに、私は切ない気持ちになっていました。それが、今日ふと思って、恐る恐る指にはめてみたのです。はいりました~~~~~^^v嬉しい♪嬉しい♪嬉しい♪数年前に流行った「ラブリング」私達の結婚指輪はコレです。私の短い指には似合わないんですが・・・主人が当時は「細いリングより太めのリングだったら、はめる」なんて言ったのでドキドキ緊張しながら『カルティエ』に入った記憶があります。結婚して、私は細いリングを買えばよかったと後悔したものです。(指もほっそり見えそうだし~)でも、今はそんなの関係なく、はめれたことが嬉しいです。ずっと指輪無しの生活だったので、とっても違和感を感じていますが・・・次男が退院したら、また指輪が邪魔になって外すことにはなりそうです。そのまま、また入らない。なんてことにならないようにしないと!!指輪って・・・・私は少しサイズに余裕があるくらいが好きなんです。(落ちない程度に)ピッタリサイズって締め付けられてるようで、苦手です。購入当時は少し余裕があったこの「ラブリング」その余裕は今はありません。(苦笑)やっぱり結婚当初は今より痩せてたんだ~次男を出産後、毎日毎日忘れずに体重計に乗って、油断しないようにしています。いつまでこの体重をキープできるでしょう???・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・我が家の長男。かなり体力もついてきて、お昼寝もしなくなりました。今日は無理やり寝かせたって感じです。その長男。冬になってからずっと口の周りがカサカサしているんです。クリームを塗ってもダメ。お口周りがとっても汚いんです。人が見たら「きれいにしてあげたらいいのに…」って思われそうなくらい。どうしたら美しくなるのか、悩んでます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜にお買い物に出たときに、「サンマルクカフェ」で『チョコクロ』を買いました。5個入りを買ったので、昨日お友達におすそ分けしました。1人で5個は絶対ダメです。主人も食べないし・・・息子にはもったいない!!なので、今から食べようかな~~~もちろん1個です!!これ、お店で温かいのを食べたらチョコが熱くて絶対私はヤケドします。猫舌なのもあるし。本当はお家でも温めたらいいんだけど、私はあえて冷たいままです。それでも十分美味しい^^毎日間食はダメだけど、たまにはね~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日イオンでトーマスのミニカー盤を買いました。あんまり買い与えるのはよくないんですが。ついついトーマス好きな長男に。今、家にあるオモチャは長男独り占め状態ですが、次男が大きくなったらきっと毎日喧嘩で大変なんでしょうね・・・恐ろしい。男の子2人なので、服もオモチャも共有♪って思っていたけど仲良く遊んでいただきたいものです。
2007/02/27
コメント(0)
今日は出産してから始めて、息子と2人で近くの郵便局とイオンへ行ってきました。車を運転して・・・本当は暖かかったので、自転車に乗って行けばよかったのですが、いくら暖かいとはいえ、まだ冬なので風が冷たいのです。そんな風くらい…なんですが。私は「寒冷じんましん」という嫌な体質をもっているので、直接風があたる部分がかゆくなってしまうのです。空気が冷たいのはもちろん、冷たい水にも少し長い時間触ると痒いです。コレ、かなり辛いです。真っ赤になって、更にひどいときは赤紫みたいな、、、とにかく気持ち悪い色になっていきます。手や耳や首などが。夏以外にズボンなどの上から冷たいジュースなど置いていても痒くなります。もうこんな体質になって何年かな~~?5年は経ちます。逆に、冷たい水で顔を洗ったりしていても痒くならないと、暖かくなったんだと自分の肌を通して分かります。ある意味便利。冬の始まりも分かります。。。。「あ~~~~~、また冬がやってきた」って感じですね。・・・ということで、車でお買い物に行ってきました。ブラブラと結局2時間くらい外出していました。今週水曜に長男の通う幼稚園の、導入保育1回目が始まるのでその準備のために。油性ペンやハンカチ、買わないといけないものは結構あります。持ち物などに長男の名前を書いていると、『私も親なんだな』って実感がわいてきました。何もかもがまだ小さいので、名前を書くのも一苦労です。今思い出せば、私が小学生のころ裁縫道具の中身全部に母が手書きで名前を書いてくれたのを思い出します。小さいまち針の1本1本にも・・・今でもそのまち針持っています。裁ちばさみも、糸切りはさみも持っています。これからは、私が子供達の持ち物全部に名前を書いていくんだな~~~水曜の導入保育、楽しみです。どんな感じなんだろう??きっと制服と黄色い幼稚園バックを持った長男は、嬉しい顔するんだろうな♪その前に、自転車で行くことになるので、私は自分の皮膚が心配です。カユカユにならなきゃいいけど。今日の時点での天気予報は、晴れ!しかも暖かいって言ってたから、それを期待したいものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・我が家の主。少し天然ボケなところがあります(ごめんよ~)今日は朝、会社の入り口のシャッターで思い切り頭(額)をぶつけたそうです。なぜ、普通に歩いていてぶつけるんだか?写メまで送ってくれたので、よっぽど痛かったんでしょうね・・・(苦笑)帰宅した主。額と目尻の上に、しっかりと傷を作っておられました。痛そうです。ぶつかったのが、シャッターじゃなかったら、きっと彼は流血して病院に行っていたことでしょう。くれぐれも歩く時は前に気をつけてもらいたいものです!!!
2007/02/26
コメント(1)
退院したその日の夜。主人にも私の実家に泊まってもらい、私の両親と話をしました。私は今まで両親に(特に母親に)自分の気持ちをなかなか話せませんでした。忙しい母親なので、時間をとって話をすることが無くて…でも、今回私の精神状態を含めて今までの思いを話してみよう!って思いました。きっと1人だと切り出しにくいので、主人にいてもらいました。結果は・・・主人がいてくれたおかげで、何もかもを話せた感じです。(100%話せて、理解してもらったわけではないですが)包丁を持ちかけた。と話した瞬間に両親の態度はガラリと変わりました。それまでは、「また…そんなことでどうする?」くらいでしかなかったのですがその一言で私の緊迫した状況を分かってくれたらしく、今までよりは、少し私の気持ちを理解してくれたようでした。私も話せてよかった・・・と思えました。一緒にいてくれた主人に本当に感謝です!!!涙をボロボロ流しながら親と話したのも、この日が初めてかも?!それから母は、色々アドバイスもしてくれて、嫁として、妻として、母としての色んな意見をしてくれました。大先輩になるので、私も真剣に聞いて考え直したことも沢山ありました。でも、今まで主人と喧嘩するのが嫌で我慢していた部分もあるのでこれからは色んな意味で「我慢」をしすぎるのはやめようと思ったのです。時と場合によっては、我慢も必要ですから。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次男が産まれるまでの8ヶ月間。私にとっては、苦痛のほうが多かったように思えます。ツワリも切迫流産&早産も・・・ そして、精神的にも。長男のときも同じようにツワリや坐骨神経痛などで辛いこともありましたが産んでしまえば笑って話せる程度でした。今回は、気持ち的に笑って話せる日は少し遠い感じですが、もう少し時間が経って、心が落ち着いてきたら、この苦しかった日々を笑って話せる日が来るんだろうな~と思っています。自分が色々体験して思ったことは、私の親やそれ以上年上の母親の先輩達は、本当に強いんだということ。特に私の母は、大変だったんだと思います。仕事をしながら、自分の親、そして父親の親を見ながら、私達の育児。ゆっくりしている母をあまり見たことがありません。動いてないと死んでしまうのではないのか?っていうくらい毎日毎日、よく動いています。そんな母を見ていると、私は恥ずかしくなります。結婚して子供が産まれるまでは、よく喧嘩をしていましたが、今はそんな自分が恥ずかしいです。何も分かっていなかったような。ずっと迷惑をかけてきて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからは、迷惑や心配を沢山かけてきた分、恩返しをしたいと思っています。多分一番の恩返しは、私が元気になって子供二人をちゃんと育てることなんだと思います。母の言葉は厳しいけれど、私に対する愛情なんだな~って今ようやく分かりました。子育ては、イライラしたり悩んだり、想像もしていなかったこともありますがその反面、嬉しいことや楽しいことも沢山あります。もう1人子供が増えたことで、その大変さも倍になりますがそれ以上の喜びがあるということを忘れないでいたいです。私の元に産まれてきてくれた二人の可愛い息子達に感謝です!!!そして、私と結婚してくれた主人にも・・・・そして、そして、何よりも私を産んで育ててくれた両親に感謝です。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::話は変わって・・・・(変わりすぎですが)今の私の心の癒し?!は。お昼に放送している韓国ドラマ。『Loving you』です。何気なく見ていたら、ハマってしまいました・・・パク・ヨンハ。冬ソナの時は、何とも思わなかったのですが、このドラマでカッコいい・・・・!と思ったのです。平日のお昼2時が今はとても楽しみです。明日は残念ながらお休みのようなのですが…私の韓流ブームは、何年か前に放送した深田恭子とウォンビンのドラマからです。ウォンビン→クォンサンウ→パクヨンハ。って感じでしょうか・・・もちろん今でも、みんな好きですけどね~こんな私を冷ややかな目で見る主人。今日ついに、主人に「韓国に行ってこい!!」って言われました(笑)行っていいの???って一瞬思いましたが、行ったところで誰にも会えない。当たり前です。すぐにドラマの役に影響されて好きになる私。どうやら、しっかりオバちゃんになっているようです(汗)
2007/02/25
コメント(0)
久しぶりのブログです。今日まで実家に帰っていました。主人の短い出張に合わせて。。。。またまた甘えてきました!!!で、どこまでを書いてきたかな~?って思って…あと少しで私の退院までの記録が残せます。もうしばらくお付き合いください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・入院7日目。いよいよ翌日が退院です。先日退院前の検診があったのに、この日も検診がありました。どうやら、大きい病院では担当医のほかに部長先生による検診もあるらしい。でも、何も問題なく、OKでした。恐る恐る内診室の前に置いてある体重計に乗った私。驚きました!!!!!だって、妊娠前の体重より5キロも落ちているんです。(妊娠前があまりにも太ってたんですが…人生で最も重かったのです)一気に気分はウハウハモードになりました。この体重を一生キープするぞ!って変な気合が入ったほどです。この日も何とかNICUへ面会に行ってきました。次男は私の体調とは関係なく、本当にすくすく育っています。まだまだ体重は生まれたときの体重だけど、よく寝ています。 いつも掃除に来てくれるオバチャンが、色々教えてくれるんです。 元気に寝てたよ。とか、会いに行けなくても心の中でいつも思ってあげなさい。とか すくすく寝ているときは大きくなっているときなんだよ。とか お母さんが安定していると、赤ちゃんにも伝わって落ち着いているんだよ。とか… 「先生?」と思ってしまうほど、よく知っているのです。 掃除の時間よりも、そんな人生の先輩としての話のほうが長いことが多かったな~たまに、目を開けようと頑張っている姿を見ると、私に勇気をくれているような・・・「頑張って!お母さん」て。触ると温かい、当たり前のことが本当に幸せに感じました。抱っこもできない、ただ手を保育器の中に入れて撫でてあげるだけ。それでも、息子はしっかり感じ取ってくれているんです。早く産んでしまって・・・と後悔していた私。だけど息子は早く産まれてこれてよかったと言っているようにも思えました。私のお腹の中は居心地悪かったんだと思います。そんなお腹にいるよりは、保育器の中で、優しい看護士さんのほうが良かったのかも(笑)いよいよ明日退院!となったこの日の夕方。夕食が運ばれてきたと同時に、また吐き気が・・・(泣)すぐに看護士さんを呼んでしまいました。先生もタイミングよく来てくれて・・・事情を話すと、それは退院前だから不安になってるんだよ!って。その言葉をかけてもらえただけで、安心しました。病院で寝るのもこの日が最後。薬を飲んで、眠りについたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・退院当日。主人が着替えを持ってきてくれて、私も頑張って身支度をしました。パジャマから、いつもの服へ・・。お腹もペッタンコになってて、何の問題もなく服が着れたことは嬉しかったです。一度着替えて、その足でNICUへ。退院したら、毎日面会には行ってあげられないので、、、、、次男には週に1.2回しか会えないけど、この日は長男に会える嬉しさでいっぱいでした。1週間まったく会わなかったのですから。長男が産まれて今まで、会わない日なんてなかったので、入院中は辛かったし知らない間に成長して、私のこと嫌いになってるんじゃないかって不安にもなりました。だから、どう接してくれるのかが楽しみで仕方ありませんでした。お昼すぎに、すべての手続きを終えて私は無事に退院したのです。主人と一緒に病院の玄関から出た瞬間に『シャバの空気はうまいぜ~~』なんて言ってました。でも、廊下と部屋とNICUしか見てなかった私には何でもない外の景色が新鮮でした。普通の人間に戻れた気がしたのです。一度自宅へ戻って、荷造りをして、そのまま実家へ。長男は私の親と一緒に会社へ行っていたので、すぐには会えませんでした。手土産に新幹線のオモチャを持って、長男が帰ってくるのを実家で待っていました。どんな顔をして会おう?泣いてしまうだろうな~~~~。って思いながら。夕方、母と一緒に戻ってきた長男。いつもなら鍵がかかってる玄関があいているのに気づいたらしく、軽快な足取りで上がってくるのが分かりました。私はもうドキドキです!!!!!居間の扉を開けた長男。すっごい笑顔で私に抱きついてきてくれました!!!私は嬉しくて、嬉しくて、、、、、やっぱり泣いてしまいました。長男は、なぜ私が泣いてるのか、とっても心配そうにのぞいてくれました。ポロポロ出てくる涙に驚いたのか、テーブルに置いていたハンドタオルで涙を拭いてくれたのです。長男の初めての行動で、またまた私は感動して大粒の涙が。1週間、長男も我慢していたはずなので、しっかり抱っこして、抱きしめました。この日は寝るまでずっと私の横にピッタリくっついていてくれたのです。改めて・・・・・「この子が私の息子でよかった」と感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うまく書けませんでしたが、私のこの入院から退院までの1週間。本当に色々あった1週間でした。長男がいてくれたから、元気になれたこと。次男が早く産まれてきて、命の重さを改めて考えたこと。家族の大切さを痛感しました。強いようで、弱い自分や、小さくても頑張って生きている子供。NICUには本当に色々な赤ちゃんがいました。あまりキョロキョロは出来ないけれど、いくつもある保育器で色んな赤ちゃんが頑張っている。それは事実です。その赤ちゃんの親たちも頑張っている。そんなNICUで私は勇気と元気をもらえたような気がします。2/24 現在の次男は・・・・保育器からは脱出して、退院間近な部屋(GCUだったかな?)へ移動してしかも、次男はポツンと1人みんなの列から離れたところに寝ているのです。ちょっぴり寂しい感じが。でも、NICU卒業間近だということのほうが嬉しくて。ミルクもしっかり飲めるようになり(今日は50ccのようです)体重も2170gと増えていました!1600gからの増え方には本当にビックリします。細かった足や手も、少し肉がついてきて、しっかりしてきました。私は泣いているところを見たことがないので、看護士さんに、「お腹すいたら、泣くんですか?」なんてアホな質問をしてしまいました(笑)すると看護士さんは「泣きますよ~~~」って言ってくれて。安心したのです。今は泣くのか?って心配している私も、退院して数時間おきに泣かれたら「もう泣かないで~~~」って思うのかな?確実に退院の日は迫ってきています。賑やかな毎日が楽しみなような、怖いような…そんな今日この頃です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2007/02/24
コメント(0)

最近、とってもディープな内容のブログばかりだったので・・・気分転換?!に。今月終わりから、春から長男の通う幼稚園の導入保育が始まります。今月来月とで1回ずつ。4月になって3回。先月、制服や幼稚園バッグなどをもらいに行って、すっかり気分は幼稚園児になっている長男。最近、幼稚園バッグを持ってきては、首からぶら下げて「行ってくるね~~~」とやってます。よほど嬉しいのでしょうね~廊下を行ったり来たり。私も何回も「行ってきます」という挨拶に付き合っていました。で、何か入れないと・・・・と言った私。息子はクロネコヤマトのミニカーを3つ、カバンに入れていました。コレ、本当に幼稚園に持って行かないといいけど・・・と今から不安です。でも、絶対に1回は持って行ってそうな予感。ちなみに、この他にカルピスのペットボトルも入れてました。本当にこんなもの持って行ったら先生から怒られそう(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は夕方、次男のところへ行ってきました!!!ドキドキワクワクしながらNICUへ行くと。保育器から脱出して、新生児用の箱?!みたいなベッドに寝ているわが子が!ちょうどミルクタイムだったようで、抱っこしながら初ミルクをあげてきました。一生懸命飲もうと頑張る息子。30ccなんだけど・・・・ 彼には相当の量。何回も休憩をはさみながら、途中で遠い目をしながら頑張ってました。私も、大丈夫なのかな~~?と心配になりながら、看護士さんに聞きながらゆっくり飲ませました。でも、残り20ccでどうしても先に進まないんです。このまま終わりはヤバイよね~と思いながら、無理やり口に入れて。。。思いが通じたのか、30分近くかけて飲み干してくれました(涙)嬉しかった・・・・こんなに早く口から飲んで、ちゃんと飲み干せるなんて。夢のようです。ゲップをさせるために、縦に抱っこしてはみたけど、とっても軽くてぬいぐるみみたいで・・・息が出来てるのか不安だったけど、すっかり赤ちゃんになってました。2人目だから、一応横抱っこも縦抱っこも慣れてる私。ヒョイと肩に頭を乗せて、意外に普通にしている自分にビックリ!!保育器から出た途端に本当に赤ちゃんになってました。目も大きく開いて、私を見ているような・・・・明日にでも退院して、家に帰ってきそうなほどでした。ちなみに、主人は「もう退院するぞ~~~」って鼻息荒くしています。いやいや、いくら保育器から出たからって、そんなまだ退院は無理です。早くても来月始めなんだって~~~~~って、喧嘩になりそうなくらいでした。でも、そのくらい早くお家に帰ってきて欲しいんですよね。私も主人も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな嬉しい時間の反面。私の体はまだまだ産後の体らしく、、、、悪露が終わりません。まだ赤い出血をたまにして。。。。退院して2週間ほどで家に戻り家事をしていたので、動きすぎ?!と思い、最近は洗濯と掃除機をたまにするくらいにしていました。それでも、まだたまに思い出したように出てきます。来週1ヶ月検診があるので、その時に見てもらうつもりではいますが。長男のときには、順調に1ヶ月検診頃には終わっていたのでちょっぴり不安です。あと・・・・・・お尻も切れちゃって(泣)トイレが辛いです。これは治るまで時間がかかりそうな予感。長男のときと今回は違います。何もかも・・・・・同じようになるなんてありえないんですね。心も体もバッチリ!!になる日が待ち遠しいです。
2007/02/17
コメント(0)
入院4日目。睡眠薬&お薬のおかげで、随分変わってきた私。息子にも会いにいき、保育器の中で頑張っている息子をみて初めて大粒の涙を流しました・・・そのあと、しっかりと頭を触って、私も何だか落ち着きました。まだまだ小さい息子。でも、ミルクの量も確実に増えて少しずつ大きくなっているようでした。体重も一時減ったけれど、元に戻り、むくみがあったのもキレイになくなっていました。小さな小さな手、足。でも触ると暖かく、手を触るとしっかりと握り返してくれます。この子を産んで本当に良かったと心から思えました。夜。看護士さんが入ってきた・・・と思ったら同じマンションのママ友達さんでした。1階下のママ友達は、私が入院している病院の看護士さんなんです。私が出産したことを知り、お見舞いに来てくれました。ビックリして・・・ママ友達の顔を見た瞬間、ボロボロと泣いてしまいました。1時間くらい話をして、、、、このお友達は精神科病棟の看護士さんで、心強い存在です。「焦らずゆっくり進んだらいいんよ~」と言ってくれ他のマンションのママ友達も心配してたよ。と聞き私は恵まれてるな~と改めて思ったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・入院5日目。今日は病室を一つ横に変わる日。主人が来るのを待ってはいたけど・・・・その前に、妊娠中から相談を沢山していた元同じ職場の先輩がお見舞いに来てくれました。本当に本当に色々相談をしていたので、嬉しくて嬉しくて。。。またまた大泣き。色んな話をしました。育児は本当に色々あります。自分では気づかないうちに、心の中で何かが起こっていることも・・・差し入れも嬉しかったです。広島名物「もみじまんじゅう」広島県人は買ってまで食べないものなので、嬉しかったです。宮島に行くと焼きたての「もみじまんじゅう」がお店ごとにあり美味しいんですよね~~~~で、部屋移動の時間になったので、その先輩を捕まえて荷物の移動手伝ってもらいました。ありがとうございました!!助かりました~~~~この日も看護士さんに付き添ってもらい、NICUへ。1人ではまだまだ行けないけれど、こうして会いにいけることが本当に幸せでした。酸素ももう必要ないくらいに、元気で、たまに呼吸を忘れることがあるくらいらしいです。部屋移動が終わった頃に、主人がノコノコやってきて、一通りの荷物を置いてすぐにNICUへ嬉しそうに向かっていました。普通に主人と子供の話が出来ること。嬉しかったです!!笑顔で話ができる・・・ 数日前の私は絶対に出来ませんでした。1日1日次男は成長しています。カメラにしっかり残しておかないと!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・入院6日目。担当の先生の内診がありました。貧血・傷口など私の体自体は問題なし!退院の日は、2日後に決定しました。この日は、マンションのお友達2人が別々にお見舞いに来てくれて・・・またまた大泣き。1人の友達は同じ年で、この友達の子供もNICUに数日入っていたのです。なので、とても詳しくて。。。。「頑張ったね~~~」と抱きしめてくれました。チェキまで持ってきてくれて、主人が写真を撮ってきたのを持って帰っていました。お昼過ぎ、私の両親もお見舞いに来てくれて・・・ただ、私の精神状態がとても不安定なことなどを主人が説明していたので腫れ物に触られるような感じで、会話が出来なかったです。(今思っても、何であんなにぎこちなかったのか不思議です)夕方もう1人の友達が来てくれて・・・・(この友達は薬剤師さんです)私も落ち着いていたので、お友達が先に安心したようで泣き始めてしまいました。とっても心配してくれてたのが伝わってきて。実は産まれる前日にその友達(薬剤師さん)のお家に遊びに行っていたのです。その翌日の出産だったので、「私が長居させたから・・・」って自己嫌悪に陥っていたらしく、「関係ないですからね!」って私は説得していました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・退院の日も決まり、色々あった5日間。この5日間、私には10日以上に感じていました。長くて長くて、真っ暗なトンネルにいるようでした。自分がどこにいるんだろう?という不思議な感覚。最初はこのままの状態がずっと続くんじゃないかと本当に辛かったです。でも、必死のアピールでお薬を処方してもらい、薬の力で嘘みたいに元気が出てきて。。。。辛い時は薬に頼っていいと思いました。我慢は一番よくないと。色んな人に話をして、とにかく溜め込むと自分が後で辛くなる。私は、主人と喧嘩になったりするのが面倒で、我慢していたことがたくさんあります。今思えば、喧嘩になっても言えばよかった。我慢しなければ良かったと…実は年明けてすぐの頃、1度だけですが、本当に精神的にキテる時がありました。イライラがすごくて・・・・とにかく何か良くないことをしてしまいそうなほどでした。包丁をもちそうになったのです。まだ私には理性が残っていたので、ペットボトルを握り締めて耐えていました。その時から私の心は不安定なままだったんですよね・・・今こうして落ち着いて振り返ることが出来るけれど、当時の自分は本当に普通ではありませんでした。無邪気な笑顔で笑っている長男と、お腹にいる次男が私を止めてくれたんですよね。ダメな母親だ・・・と何度も思っていました。だけど、子供の姿を見ているとパワーをもらえます。妊娠してから色々あり、長男もそんな私の姿をずっとまじかで見ていて不安にさせたこともありました。小さいながら、きっと我慢してたことたくさんあるんだと思います。NICUにいる次男も、私の気持ちを汲み取って早く出てきてくれたんだと。春には長男が幼稚園に入園するし、その準備もあり、入園式もあり正直、予定日に産まれてきたら大変だな~と思っていました。張り止めの薬もしんどくて、毎日のように「早くでてきて~~」って思っていた私。きっとその私の気持ちを察知して、私を早く楽にさせてあげようと出てきたんだと思います。そんな親孝行な息子。2人の可愛い息子のためにも、私も頑張っていかないと!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日主人がNICUに行き、次男が保育器から出ていた。と興奮して帰ってきました。産着も着せてもらって、普通にベッドに寝ていたそうです。体重も1900gを超えて・・・急に赤ちゃんらしくなってたそうです。そんな話を聞くと会いたくて、会いたくて…今日明日と、もちろん会いに行くつもりです。このまま順調に行けば、退院の日も近そうです♪ 長々と書きました。意味不明な点もあるかと思います。 読んでいただいてありがとうございます。
2007/02/17
コメント(0)
入院3日目。この日も私は朝からベッドの上でした。でも、担当の先生が「赤ちゃん見に行ったら?」と言ってくれたのでこの日は会いに行こうという気持ちになりました。主人も午前中に来てくれたので一緒に、看護士さんにも付き添ってもらって、初めてNICUの中に行きました。とっても厳重な感じがして・・・・まず、うがいをして、手を洗って(肘まで洗うんです)その後は肘を使って自動ドアを2つ開けます。保育器がたくさんあって、私の子供がどこにいるのか分かりませんでした。看護士さんに連れられて行った先には、小さい小さい息子が寝ていました。私、きっと小さい息子を見ると絶対に泣くと思っていました。なのに・・・・・ニヤニヤしながら、まるで子犬を見ているような感覚の自分。友達の赤ちゃんでも見ているかのようでした。「可愛い~~~~」って言いながら、触って・・・・看護士さんは、「大丈夫ですか?」と何回か聞いてくれました。最初は大丈夫だったのですが、何回か聞かれているうちに血の気が引いていくような感覚に・・。イスに座らせてもらって、少し説明を受けました。時間にして10分もいなかったような。。。閉塞的な場所で、異空間を感じて、ずっといたい気持ちもありながらすぐに部屋に戻ったのです。次男は一生懸命呼吸をしながら、鼻に細い管を通してもらって(ミルクを飲むための)生きようと頑張っていました。後になって、自分で冷静に考えて。。。「なぜ私は泣けなかったんだろう?」「自分の子供なのに、人の子を見ているような感じだったな・・」と分析していました。(おかしいですよね)その後、看護士さんが部屋に来てくれて、食事をあまり取らない私に「どうしたら食べれそう?」と言ってくれその優しさに感動した私は、ポロポロと自分の気持ちを話していきました。親切に聞いてくれるベテランの看護士さんで・・・・何が私をここまで悩ませてるのか・・・?○母乳で育てたい思い○早く産んでしまったことこの2つがどうやら私の中で納得していない部分だったようです。看護士さんには、母乳をあげたくてもあげれない人もいるし、初乳をあげなくても元気に育つこと、自分の体を早く治すのが一番ということ、早く産まれたのは私に早く会いたかったから・・・と色々言ってもらえて、少し気持ちの整理ができました。精神科の先生も来てくれるという安心もあり、私は少し食欲も出てきてご飯もいつもより多めに食べれました。母乳をあげるには、薬を飲めません。でも、飲まなかったらこのまま元気になるどころか、どんどん悪くなっていくのは自分でも分かっていました。私も1人ベッドで考えて、母乳よりも自分の体を早く元気にして、復活することを選びました。これから先私は二人の子供の育児をしていかないといけません。こんな状況では自分のこともままならない。薬の力で元気になるなら、それがいい!!母乳は無理に止めないで、出るならそのまま搾乳していって薬を飲まなくなった時点であげれるようにしていたい。そう自分で決めたのです。その日、夕方(もう夜になっていた頃)精神科の先生が部屋に来てくれました。少し話をしていると、「もう何か決心されたお顔ですね」と言われ、ハッとしました。どうやら分かったようです。先生には・・・親身になって話を聞いてくれた看護士さんも勤務終了なのに私に付き添ってくれて一緒にいてくれました。本当に良い先生&看護士さんばかりで、私は今回この病院で出産できて良かったと心から思いました。少し気持ちの整理も出来て、先生にも薬を処方してもらい安心したようです。もちろん、スイッチを切り替えるように簡単ではありませんが、この日から私も少しずつ、少しずつ変わっていったんだと思います。でも、相変わらずNICUには目に見えない分厚い壁が私の前にあって1日に何回も面会には行けなかったのです・・・それでも、会いたいと思う気持ちが大きくなってきただけでも嬉しかったです。「会いたい」と思えるようになってから、胸も張り始めて母乳も少しずつ出るようになりました。そんな体の変化を見て、私も嬉しかったです。ようやく頭と体が子供を産んだと結びつき始めたんだと・・・・・母乳が出始めた最初は、痛いです。私は長男の時に1ヶ月で母乳をやめたので、ほとんど初めての母乳とかわりません。あの硬くなった胸を看護士さんにマッサージしてもらって柔らかくするのは本当に痛いです。 長男のときも、タオルを握り締めながら痛みに耐えていたのを覚えています。でも、今回はこの痛みは嬉しい痛みでした。逃げるわけにはいきません。1日に何回かしてもらいながら、自分でも頑張って搾乳しました。この日から、薬の効果もあって私は少しずつ復活していき始めたのです。3歩進んで2歩下がるといった感じではありましたが・・・。
2007/02/15
コメント(0)
入院2日目。朝からほとんど食べることができないままでした。看護士さんを捕まえては、辛いこと苦しいことを訴えていました。さすがに先生、看護士さんも私の気持ちを察してくれたらしく「精神科の先生に診てもらう?」と言ってもらえました。前日から、私が心療内科に行っていたこと、薬を飲んでいたことを伝えていたので、私もお願いします。と言いました。この日1日、私は次男に面会に行くことが出来ませんでした。主人は相変わらず私のお見舞いに来てくれ、嬉しそうにNICUに行っていました。その後姿が羨ましくて・・・・私だって行きたい。けど、どうしても行けない。先生には、赤ちゃんにたくさん会うことで産んだって認識が出来るよ!と言ってもらえたのですが・・・なかなか部屋から出ることができませんでした。この日も夜、気持ち悪くなり主人にいてもらいました。2人の息子の話が出来ないなんて・・・本当に辛かったです。朝昼晩、ご飯を数口ほどしか食べていないので、体力もなくトイレに行くのもまだまだ不安で。恥ずかしいのですが、側に誰かいないと怖くてトイレに行けませんでした。看護士さんは、本当に親切で、私の話を聞いてくれ「車椅子でNICUに行くこともできますからね」と言ってくれました。この日私は、翌日には精神科の先生に診てもらえる。というのを心の支えにして眠りについたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、次男の面談の日でした。主人と二人でお昼から行ってきました。ブログでは私の最悪な体調しか書いていませんでしたが、今は薬の効果もあって、元気に過ごしています!!1530gで産まれた次男も今は1800gを超えています。先生には早ければ来月始めにも退院できるかも。と言ってもらえました。そして、何よりも今日初めて、抱っこできたのです。主人も初抱っこでした。感動しました・・・・命の重み。本当に小さいけど、腕の上にいた息子は本当に重かったです。口からミルクも飲めるようになっていて・・・驚きばかりの1日でした!こんな記念すべき日に、カメラを持っていくのを忘れていた私たち。なんて情けないことなんでしょう。でも、順調に成長している息子をみていて私も元気をもらえました。
2007/02/14
コメント(0)
出産当日1日目。個室へ移った私は、ずっとベッドで横になっていました。とても歩くような気力もなく、ただボーっとしていました。夕方、主人が入院用の私の荷物を持ってきてくれて看護士さんに体を拭いてもらい、パジャマに着替えてまた横になっていました。主人もずっといてくれて、夕飯の時間になりました。ほとんど食欲のない私。ご飯を数口食べただけで、もう喉を通らなくなり主人に下膳してもらいました。その後からです、私の体と心がバラバラなんだと分かったのは。。。看護士さんが、赤ちゃんの出生証明書と母子手帳を持ってきてくれ、一通りの説明をしてくれていました。体重、身長、胸囲、頭囲etc……聞いているうちに、吐き気がしてきたのです。吐き気というか血の気が引いていく感じが。とにかく気持ちが悪い状態になりました。主人がその後NICUに面会に行き、私に様子を説明してくれたのですが、このときも吐き気が・・・・話を聞くこと自体に拒否反応が出ているようで、本当に吐いてしまいそうなくらい気持ちが悪くなり、独りになりたくて、主人には帰ってもらいました。1人ベッドの上で吐き気と戦いながら2時間くらい過ごしていくとようやく落ち着き始めました。1人で歩くのも怖い。トイレが部屋にあるのですが、そのトイレに行くのも怖い。何もかもが恐怖に感じました。もちろん、そんな状態をみた先生や看護士さんが心配をしてくれてその日の夜は軽い睡眠導入剤をもらい、眠りについたのです。 夜中何回か目が覚めて、寝たような寝てないような・・・・ 昼間も眠いのに、ウトウトしながら意識はずっとありました。 寝れないのです。この日。私はお腹にまだ赤ちゃんがいるような格好で寝て、胎動も感じていました。妊娠中ずっとあった口の中が気持ち悪いのもあり、唾液もすごい出て。お腹はペタンコになってるのに、まるで産んでないと思い込んでいるような・・・今思えば私は産んだという現実を受け入れてなかったのだと思います。2ヶ月も早く出てきた次男。生まれたはずなのに、一瞬一緒に過ごしただけで離れ離れ。頭はまったくついてきてなかったのです。次男の様子を聞くだけで吐き気なんて。。。。本当なら嬉しくて、可愛くて愛しくて仕方ないはずなのに。この時は「早く産んでしまって、ごめんね…」「早く産まれたせいで、何か病気があったらどうしよう…」「今は生きてるけど、死んでしまうのでは。」と最悪なことしか考えられなかったんです。そして、次男だけではなく長男の話を聞くのもダメになり、携帯の写真さえも見ることもできなくなりました。このまま育児放棄をして消えてしまいたい。そんな気持ちにまでなったのです。外の廊下から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声。元気そうなお母さんの声。本当に辛かった・・・・私も産んだんだ!!って思いたいのに思えない自分。次男は保育器に入っていて、一生懸命頑張っているのに。とっても会いたいのに、会いにいけない私。私の部屋からNICUはとても近いのに、どうしていけないんだろう?母親失格なのかな?ってずっと思っていました。前向きに考えるなんてその時の私には出来ませんでした。その翌日も私は次男に会いに行くことが出来なかったのです。。私にとってNICUは近いのに、とっても遠い存在になりました。・・・つづく・・・・
2007/02/12
コメント(0)
1月22日の夜、陣痛らしき腹痛に襲われながら、でも、予定日より2ヶ月も早いから…と私は陣痛だと思っていませんでした。いつもの張り止めを飲んで、横になっていました。ふと痛みが気になって、時計を見ていると5分間隔。え~~~~!!まさかね。と思いながら、いつも行っている産婦人科の先生へTEL。先生も張り止めを3回→4回に増やして様子を見てと言われ、私もそのようにしていました。夜中にまた張り止めを飲んでウトウトしていました。明け方5時。また痛みで目が覚めて、張り止めを飲んでトイレへ・・・この時、初めておかしい。と思い先生へTEL。でも先生が出てくれないんです(泣)いつも行っている病院では産むことが出来ないので、近々上の子を産んだ病院へ行く予定でした。なので、すぐにその病院へTELをして状況を説明したら「すぐに受診してください」と言われ。何か嫌な予感を持ちながら、主人を叩き起こし、寝ている息子を抱きかかえて車に乗り込み病院へ。車内でも私のお腹は痛いばかり。『どうにでもして~~~~~』って気分でした。息子は目が覚めたらしく、何が起こっているのか分からない状態で外の景色を眺めていました。(まだ外は薄暗かったです)病院について、ここの病院はいきなり入り口が階段なんです。地獄でした。ヘロヘロの状態で看護士さんに「痛いんです」と言って、握り締めていた母子手帳を渡しました。(母子手帳だけは持っていかないと!!と思っていた自分を思い出します)診察の結果、もう生まれる。止められない。と言われ、その時点で私は泣きそうになりました。だって、予定日は3月22日なのに~~~~~~!!もう産まれるって?????どうしよう~~~~~。その病院では、赤ちゃんの対応が出来ないから。と近くにある県立病院へ。救急車まで呼んでいただき、先生も一緒に同行してくれて。。。 今思えば、紹介状も持たない状況で、先生も私の状態が分からないはずだったのに 本当によくしていただいたと思います。人生初めての救急車。まだ痛みが5分間隔くらいだったので、痛くないときは、冷静に会話をして…息子と主人は車で救急車の後を移動していました。私と先生が救急車の中で、週数や痛みの報告をしていました。こんな緊迫した状況の中でも、救急隊の人から年齢を聞かれ「30歳です」と答えた私は正直笑えました。指には心拍を測る機械、腕には血圧を測るものをつけられ横になって、結構揺れる車内で、ひたすら病院に着くのを待っていました。 救急車って、意外に揺れるんですね~~~~ ビックリしました。 *私が救急車に乗っているころ、息子は車の中で 「母さん救急車に乗ってる」と言っていたそうです。県立病院は我が家から見える距離。最初からココに来ていたらよかったの?と思いながら、ストレッチャーで運ばれる私。訳の分からないうちに、内診台まで到着して、テキパキとした先生や看護士さんたちに言われるがままに移動していました。どうやら進みが速いらしく、すぐに分娩台へ。上の息子の時が、あまりにも時間がかかったので、今回の速さに正直驚きました!!!!分娩台に行った途端に、産む恐怖が襲ってきたらしくブルブルと震える私。寒かったのもありますが、心の準備が出来ていなかったので怖かったのです。点滴の針を刺せる血管が細くて見つからず、看護士さん3人がかりで体を温めてもらい、合計4箇所も針を刺されて・・・でも、私はどうにでもしてくれ~って気持ちが大きかったのでヤケクソになっていました。主人と息子も側にいてくれたのですが、今回は側にいてほしくなかったので(1人で頑張ろうと思っていました)部屋から出て行ってもらいました。赤ちゃんの心音を聞きながら、たまに襲ってくる痛み。段々落ち着いてきて、点滴も確保でき、いよいよ全開になったらしく、私の周りには先生や助産士さん、NICUの先生に看護士さん。とにかく6人くらいはいたと思います。「痛くなったら、いきんでいいですよ~」と言われ、私は「いきむ」ということが分からなかったので、横にいた看護士さんにどうやっていきんだらいいんですか?などと聞きながら適当に踏ん張っていました。1回目に力を入れて、次にいきむと「今はいきまないでくださいね」と言われ(確かに痛くないのにいきんでました)次にまた痛みが来た時に力を入れたら、破水の次に子供が出てきました。朝の8時53分。2回いきんで産まれてきた、赤ちゃん。ドキドキしながら子供の様子を見ているとすぐに大きな声で泣いてくれました!!!よかった~~~~~~~~。すぐに保育器に行くんだろうと思っていたら、私の胸の上にやってきました。小さい小さい赤ちゃん。体重は1530gでした。でも、元気そうなのが私にも分かりました。本当にピンチだったら、そのまますぐにNICUに運ばれるそうです。主人と息子も入ってきて、新しい家族をしばらく眺めていました。『かわいい~~~赤ちゃん。』って息子も言っていました。15分くらいかな?私の上にいた息子。でも、さすがに検査などもあるみたいで、その後NICUへ行きました。私は半分放心状態のまま、産後のケアをしてもらい、点滴をしながらその場に留まっていました。主人は、これからの説明や、お互いの両親へ連絡などをしてバタバタしていたようです。私自身、このときはまだ興奮していたので、普通だったのですがこの後、病室(4人部屋)へ移動して横になって、現実なのか夢なのか、半信半疑でいると私の母が来てくれて、色々会話をして、その後は主人の両親が来て・・・まだ頭はパニック状態だったようです。主人が気を利かせて、個室をお願いしてくれたようで、お昼過ぎに個室へ移動。でも、不思議なことに、自分で歩いて移動したのだけど、あまりハッキリ覚えてないのです。結構距離があったのですが、産後数時間の体で、よく歩いたな。と私は今でも思います。そして、、、、個室に移ってからが、私の心の戦いが始まったのです。本当に辛い時間でした。心と体が完全にバラバラになっていたのです。産んだ現実に頭がついてこなかったんです。・・・・・・この続きはまた・・・・・・・・
2007/02/11
コメント(0)
前回のブログを書いた2日後、突然の陣痛で・・・1月23日に無事に男の子を出産しました。もう、それはそれは急な展開で、私も主人もパニック。もちろん予定日より2ヶ月も早いので、病院に着いて先生から「これはもう生まれるよ」の一言で私は大パニックになりました。そのまま、私の行った病院では対応できないといわれ、すぐに救急車に乗り込み(人生初でした)ずっと訳が分からない状態で、県立病院へ。。。そのまま受診→分娩台。となったわけです。それからは・・・・ものすごいスピードで進んでいき、あっけなくお腹から出てきました。上の子の時は、2日かかったのに、今回は3時間というスピード。私からしたら、陣痛と思ってなかったので、1時間もしないうちに出てきた感じです。小さいので、あまり苦しくもなく(痛いのは痛いのですが…)2回いきんだら、出てきました。(助かった。)1530gという小さい息子。でも、生まれた瞬間に「ギャー」と泣いてくれて、心配ないくらいにずっと泣いてくれたので、私の胸の上で10分くらい一緒に過ごしたのです。でも、やっぱり31週で産まれてきたので、その後は新生児集中治療室(NICU)へ。色々検査をしてもらい、生まれた時点では息子には異常はありませんでした!!主人が説明を受けている間、ものすごい不安でした。しかも説明時間の長いこと、長いこと。。。産んだ私は放心状態のまま時間が流れ、病室へ移動して、母親や、主人の両親などにも会って話をしていました。でも、自分でいて自分じゃないような・・・・興奮状態だったのもあり、その後の私は1人どん底へ落ちていったのです。その後の話は、また落ち着いて。。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・息子は元気に育っていて、今はまだNICUに入院しています。私だけ一足先に退院して、実家に帰っていました。今日は連休を利用して、自宅に帰ってきました。NICUには子供を連れて入れないので、なかなか私が面会に行くことができません。主人と一緒でなければ、上のお兄ちゃんの子守が必要です。なので、毎日面会に行きたいけれど、週末などにしかいけません。仕方ないことなのですが。。。。まだまだ産後1ヶ月経たない体。家事などを少しずつして、慣らしていくために帰ってきたのです。久しぶりの我が家。たった2週間と少しなのに、1ヶ月以上いなかった感覚。順調にいけば、来月にも息子は退院予定です。色々ありましたが、一応母子ともに元気にしています。
2007/02/10
コメント(1)
全11件 (11件中 1-11件目)
1
![]()

