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けっこうシャキッ!と生きておられる方でも80を過ぎたあたりから あれれ?ということが多くなるように思います。体力的にも 健康的にも 精神的にもで 少し前までは ず~~~~~っと息子らの面倒は見れないし 見ていてもかえってダメだと考えて70歳くらいを限界として“父さん母さんは もう おじいさんおばあさんなんだよ・・・”と 気づけるようにと70で 老人ホームへバイバイ(@^^)/~~~計画を立てていました。がBのこともありまして Aのことと共に考え直しま 80くらいまでは 頑張るか・・?と 思い直しました。幸い 今度の家の主人&私の部分は コンパクトにして トイレもお風呂も老後を考えて居室に近く 使いやすくしましたので80までがんばれそうです主人は「きっと まる子が先に 寝たきりになるよ。」と いつも言うので主人が元気なうちは 何とかやってくれるでしょう。掃除 洗濯 皿洗いは 私よりうまいのであとは料理ですかね・・最近は わん娘の食事を手作りするようになりましたからだんだん ですね。でも 最終的に介護を頼れなくて 老人ホームを希望しているのでこの家を処分しなくては いけませんそして 簡単で処分しやすい遺産にして 彼らが 「どうしたらいいの?」と 迷わなくていいように手はずを整えなくては・・・きっとそういう立場にない方は そんなこと今から考えてどうすんの?なんとかなるのよっ!と 思うでしょうけれど ねいろいろないろいろな場面を見てきているのでできるだけの準備はしたいのです。 親亡きあとのことは 何ともしようがなく 彼らに頑張ってもらうしかないですけどできることは しておきたいのです。
2014.11.30
そういえば 最近ゴキブリ捕獲シートの CM見ませんよね。最近の家は サッシ パッキンとかで気密性があるからでしょうか・・一昔前の家は 流し シンク の配管を伝って下水管からとか 隣家とかからとか窓から飛んで入ったり木枠の窓や玄関 洗面所の配管・・等々すきまだらけでしたからねいやァ 結婚して入居した公団住宅は ひどいものでして隣家のゴミ屋敷部屋から どんどんやってくるので 夜中に ゴキブリが足を伝うので 飛び起きたり・・・しましたねェ半年に一回は ばるさん 焚いていました。それでも 隣家からやってくるので仕方のないこととして 共存していました。今は そういうのも少ないのでしょうか・・・時代ということで言えば昔 私が子供の頃は 「ノミ」もいましたよ。夜中にモゾモゾするのでガバッと 起きて布団をはいで ピョーンと飛ぶノミを捕まえたりしました今どきは ノミなんてことを聞きませんからきっと ゴキブリもそのうち死語になるかも しれませんね。
2014.11.29
翌日になって 夜 メールで「何の映画見てきたか 教えてもらえたら うれしいかも・・」と 送信すると10分ほどしてBはやってきた「実は 映画 時間が合わなくて見てないんだ。 でも 普通なことをしたいと思ってさ・・」と 話し出しそのうちに「僕って ちょっと なんていうか・・常識がないというか 普通わかるだろ?的なことに気づかないってところがあるんだ。 クリニックに一人で初めて通院したときも 手順がわからなくて ずっと順番待ってて・・ ずいぶん時間をロスしたんだけどね・ 普通の人は すぐに対処できるのかな?」と言う初めてBの口から そんな言葉を聞いた「いやァ 普通の人だって 初めてのことはとまどうんだよ。 あわてたように見えないだけかもしれないよ。 父さんなんて オイオイ!!なんてこといっぱいあったよ。 世の中に普通な人なんかいないよ。 みんな どっかおかしいよ。」すると「そうなのかァ・・・」とお母さんなんかね 今振り返ると とんでもないこと無数にしてきたよ。図太いところはさ「私ってユニークじゃん!」と全然反省してないところ「こんな母さんだって ここまで生きてきたんだから 無問題! 失敗して 知って 経験して いくらでも修正していけるよ。」ってね伝えた
2014.11.28
「きょう会社休みます」 見てるんだけど親の立場で見ちゃいますなァ・・・・・30過ぎてんだし 人生の転機をいいか悪いか知らんけどどっちにしても 邪魔しちゃいかんそう思いながらも心配不安どう考えたって マズイっしょ?と思えても それは たったの親が考えた狭い考えだし我慢ガマン言っちゃァいかんで わが家でも・・いつものように 夕飯を作り 主人と二人ニュースを見ながらアーダ コーダ言いながら食べて部屋に戻り携帯を見るとBからのメール「今日これからちょっと買い物と 映画見てくるから遅くなる 夕飯は後で取りに行く。」と・・・あちゃーーーパニくってからいや もう10年くらいは 映画も見ていないし(一回誘ったけど音量におびえてすぐ帰ってしまった)買い物だって・・・ しかもこの冷たい雨の日の夕方から・・・あり得ないしかも どこへ行くとも いつ帰るとも書いてないし・・パニくって家を出て 半日行方不明になったあの時を思い出してしまうだけど主人と二人お互いに 「いいんだよね もう30過ぎてんだし 聞きすぎちゃいかん。」「そうそう このところ大丈夫だから 買い物にだって行くさ 映画だって見るさ。」とでも「もしかしたら 急に夕方出ていったってことは クリニックで知り合ったあの女の子と デートかな・・?」「もし そうだとしても 邪魔しちゃいけないね。」「今日帰ってくるかな?」「状態が悪化しないかな?」とかとかでも 我慢して「了解 寒いから風邪ひかないようにね。」なーーんて 的外れな 返信をした。私もそうやって親に心配かけたんだなァ・・とか今になってわかることそうやって 待っていたらさっき10時半ころに帰ってきたホッ何も聞かないで 今日は おやすみーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここからは ワインでちょっとヨッパですこれまではもうずいぶん親として 主人も私も頑張ってきたしこれから老いていくんだから 限界も見えてきたある程度見通しが立ったら この家 土地処分して 主人と老人ホームへ逃げよう行こうそう思っていましたが夫婦二人で 互いにフォローできるギリギリまでは ここでやっていこうそして できる限り 彼らが必要とするなら 見守ろうそう思えてきましたそれってきっと 自分たちを 息子たちを 状況まるごと 受け入れ始めたのかな?そう思っています。きっときっと これからも大変なことも起きるだろうし山あり谷ありだろうけれども未来を今から限定して悲観して 生きるのはやめようと思います
2014.11.26
2時間ほどで終わってしまう映画・・それでも凝縮しているからか レベル高い?かのように思われるけど 数日かけて見る連続ドラマもいいな と思う「さよなら私」見てるいろいろ考えるそんなとき Bから携帯で電話があった明日の予定についての話だったけど終わり際に 私から「ねえB Bが生まれてから ずっと母さん一緒にいろんな時を過ごしてきたなと思う。 辛い時も一緒にいてくれて ありがとう。 大丈夫 これからも近くにいるからね ゆっくりやっていこうね。」と伝えた「ああ うん わかった・・・おやすみ。」っていいんだ いいんだ この時点 未来のその時それを どうのこうの判断せずに 一緒に がんばってやっていけばいいや・・本当に ありがとう巡り合えてうれしいそれで いいなァどんな人にもあるのですね乗り越えがたいこと悲しいこと 辛いこと大変だけど やりがいがあると思えることあまりに突然のことに 気力も失くしてしまいそうになるそれって まれなことでもないのですねだから 必死にやってきて今命があること今 生きていることそれを すばらしいと思いましょうこれからも何とか生きて やっていきましょうそうして 静かに人生が終わるまで やっていきましょう私も振り返りますあのときのBの顔あの時の 笑顔窮地に立ったあの時の気持ちみんな覚えているそれで その上で やっていきましょう生きてきた自分が 愛おしい
2014.11.25

今日は 友人のお宅を訪問することになりネットで調べたペット散歩OKの公園の近くを通ると知りわん娘を連れ行ってみました。うちのわん娘 生後2カ月半で我が家に来て それからほとんど他のワンちゃんと触れ合うことも無く 早や8歳自分をあまり犬とは 思っていないようで今の我が家の周りの散歩は 緊張しまくりで あまりしません。唯一 人通りの少ない明け方とかに 半径100メートルくらいの近所を 主人と恐る恐る歩きます。オシッコだって外では絶対しません家に帰ってから トイレでします。車の音 子どもの声 人通り などがあると 固まって動かなくなり結局抱っこして帰ってくることになります。なので そのほかで外を感じるのは家のバルコニーで 日向ぼっこするくらいで ちょっと肥り気味大型タイプのチワワなのですけど 3kgくらいが標準とかなのに4kgなんです。動物病院では ダイエットしてください!と言われています。最近は ベッドにジャンプして上がるのも やっとになってしまい筋力も 体力も 衰えてきたかと心配です。で冒頭のペット散歩可の公園に早起きして(静かな方がいいなと)向かいもちろんリードはつけて 置いてみたらスタスタ歩くではありませんか?!いやーーー 驚いた途中 フリーな猫が 道をふさぎ 「フゥーー!!!」と威嚇した時は 後ずさりしましたけどあとは 落ち葉を踏み踏み 風を感じ 芝生を早歩きし 池のそばまで行って 興味深そうに眺めていて主人と 私と わん娘で 楽しい時を過ごしました。きっと 孫がいれば じいじとばあばとして こんなふうにたくさん写真をとり滑り台を滑り 走りまわるのでしょうけどわん娘で十分でした↑主人の足こうでなきゃ・・と思いこんでしまったらそうでなきゃ 不幸ですけどあんなも こんなも 有りかもねー・・・・と ゆるくやっていけば案外 幸せかも久しぶりに 朝食を家で食べずに サンドウィッチを作って 芝生のベンチで主人と食べましたおいしかったです
2014.11.23
今日は Aが受診してきた。去年までは 半年? もっと?診察に行かなかったAでそれでか ずいぶん荒れていたのだが今夏 Bが こういうことになって大変だ! 自分もちゃんとしなくちゃ・・と「きちんと飲んでいるんだ。」そうだ。そのせいかおとなしい というかちょっとやる気もない就職時代は リスパ1mgだったのが きちんと?2mgのんでいるそうなので元気のないおじさんになっている治療について あれこれは言わないまあ 言っても聞かないし自覚もしているから 葛藤してもこうして必要とあれば 続けると思うしなにより 親亡き後 一人でやっていかなければならないのだから揺れ幅があっても 見守っていくしかないAとBは あまりにタイプが違い発達障害でも 千差万別というからこの病気だって ひとくくりにはできないんだろうだから私もBのことを 見抜けなかったBは ほとんど荒れたり攻撃的になったりしなかったからきっとAとおなじ治療ではいけないんだと思う今はエビリファイ3mgだけだ私としては ちょっと少ないんじゃないか?と心配だけど人格を変えるほどでもいけないのかも本来の持っている人格を生かしつつ フォローアップする用量なのかもしれない。発達障害の治療現場でも コンサータ、ストラテラ、リスパダール、エビリファイ・・・など服薬によって完治させるなんてことはできないので 不具合を調整するということで昨今いろいろな薬が使われるようだ初めに受診したとき 医師に血圧の高い人、糖尿病の人・・他でも 足りないところを補う薬を服用していれば なんとかやっていけるということがあるようにそんなつもりで 長い目で調整していきましょうと いってもらったことを覚えてる最初にかかる医師の治療には恵まれたと思うあとは家族それぞれが どう対処し受け止めてやっていくかそれがベースなんだろうなと思っている
2014.11.21
今日は 研修会に行く前に 夕飯を主人が予約してくれたふぐ料理のお店に向かっためったに食べないけれどこの夏のBの件の 慰労会として二人で食事をした。わん娘がいるから 遠くへの宿泊での旅行もできないし我が家には 不安な息子らもいるし主人とランチとか・・ こんなふうに食事をすることで自分たちに 「いいじゃないか このくらい」ってことだ結構なお値段だったけどそんなに飛び上るほどまいうーでもなかった仲居さんが あれこれやってくれて ただゆったり食べるだけ・・ってので充分かも実際は いいお肉や魚で 家で好きなように料理するのが一番うまいと思うそれでもこうやって非日常を時々するのが 気分転換になるのかもBのガラケーが 壊れた本当はだいぶ前からおかしかったらしいがいよいよ 相談センターのYさんからの電話に出ることが難しくなっていよいよスマホか?と思ったがBは またガラケーにするという確かにメールと通話以外は ほぼ音楽アプリを利用するくらいで今のガラケーで 使い放題で月6000円くらいだから それでいいのだってしかも ガラケーの中でも 一番最新のでなく ちょっと古いやつにって・・ショップの方も「なぜ 最新のこれではだめですか? なぜ2年前のがいいのですか?」って Bに聞くで「え? 大きさといい デザインといい 機能といい これがいいと思ったんで・・」と応えてました。手続きするのに 身分証明がいるわけですが免許証とか健康保険証を・・と 求められて免許証を 出してましたがもう少し病後の状態が悪かったら 休止?停止?になるところだったので(これは本人には言ってません)ごく当然に持っていられる状態が続けばいいなと 思いますさて 就労支援センターでの体験講習が終わって 来週からは 手続きやら実際の研修やらに進むらしいまあ なるようになるでしょ
2014.11.20
何回か 家族相談ということで Aの時も Bの時も医師に面談したけれど精神科の医師自体が けっこう疲れているというか 恐れているというかなかなか 余裕があって どっしりと頼れるというのはむずかしいで 先日見たTV番組でもODをしていたり 希死念慮のある人を診察拒否?することが多いという大きな それこそ長期入院も可能なような病院に すぐ紹介状を書いたり 当院では無理と断ったり・・それもわかる気がするずっと見ている患者が そういう危険があったり 結局はそこへ至ったりだと医師といえども気持ちが落ちることだろう薬だけで はい飲んでみてあ 効かないか・・じゃ これはどうかな?という実験じゃないんだからさもっと 錦織くんのテニスじゃないけど コートの中に入って勝負しないとね入り込んで 医師自身が縦横に理解するエネルギーを持ったらもっと 柔軟に対応できるのではないかそれも 医師の苦悩を実感していないから言えるのかもしれないけど・・その番組では北海道のその病院でのデイケアで 患者本人の分析?研究?を みんなでするのだそうだ患者ならではの 共通の傷み落ち込み深み それをお互いが理解できるそうして「そういうときは こう自分に声をかけてやったら?」とか「それは あなたを助けている言葉なのかも?」とか気持ちに沿ったアドバイスをしあう案外自分一人では わかっていたつもりが 第三者の言葉ですっと理解できたりやっぱりそうか・・と納得できる らしいで 立ち位置もわからず不安で途方に暮れていた患者が落ち着いて 自分を見つめることができる人も見守ることができる孤独がいけないんだろうな荒野で独りぼっちそれは つらいことだろうから
2014.11.16
先日 不動産を検索するのが好きだと書きましたがうっかり やほーとからくてんとかのページに出ているCMをクリックして そうですねえ 何日か遊んでましたらこのところ 電話がかかってくる かかってくるなぜに 私の名前と電話番号と 不動産についての売込みがこんなに立て続けにやってくるのか・・・・?日ごろから できるだけ検索ワードにヒットしないように この日記だって こっそり書いているのですがいやあ 社会問題とかに興奮してワードを入れちゃうととたんにアクセスが増えちゃいますもんねうっかり そうやって 個人情報を自分からさらしているんですね きっと参りました・・・仕事になりません「えーーーー ●●さまですか? 当方◆◆と申します。東京麻布に資産活用に最適なマンションが出ていますが・・」で「不動産? ぜーんぜんまったく要りません。失礼します。」「あ あ 勧誘ありますかァ?そうですよねえ・・・でも当社の・・・・」「ごめんなさい 忙しいので。」そんなやり取り仕事中やってきますから もうッ!!ジャマッつい頭に来て 切っちゃうけど今度から会社名と電話番号と住所とその人の名前と きっちり聞いてからー「どうして 私の名前と電話番号を知っているんですか?」とあくまで 大人として冷静に聞いてみようで消費者センターとか消費者庁とかに 相談しよっとなにより こんどから ログアウトしてからにしよっとッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて本日は TVのグルメ番組で紹介されてた ビュッフェタイプのお店が 家から近かったので 主人と 行ってみましたあーーいうのは 収録の時はお店も力が入っていつもよりいいお肉とかいつもよりボリュームアップで対応しちゃうんですかねなんか普通でした。というか ランチだったせいかお肉料理がほぼなかったですめずらしいですねお肉がほぼないって・・・鶏肉と魚がかろうじて・・あ ここにあるって唯一のしっかりが鶏のから揚げでしたでも野菜がたくさんで 老夫婦30分もしたら アッという間に おなかいっぱいになって帰ってきました。
2014.11.13
今日は思い切って 相談センターのYさんに 電話をした。どうなんでしょ? B の就労支援の受講ペースや状態は? とYさん「今日 体験講習についてと 今後の希望をお聞きしました。 ワードもエクセルもパワーポイントも 自己流でちょっとはわかっていたけれど 仕事での使い方とか いろいろ教えてもらって ホホーと思いましたので もう少し講習受けようかと思います。とのお話でした。」とのことまた「少し 早く自立したいと焦っている感じがしましたが 課題をまとめて 人前で発表したりとか レポートの書き方とか コミュニケーションの 定型マニュアルもあるし・・ 自分では要らないと思っていたことも 案外知ってた方が得かも?」と お話しくださり「すぐにアルバイトとかではなくもう少し じっくりといろいろを経験したら?と お話し次回 また相談しましょうということになりました。」とのことでした。ありがたいことです。すべて 自治体にやっていただけるので 無料ですし的確ですし感謝です。
2014.11.11
相談センターの方も クリニックの方ももう30過ぎの大人で 意思も持っている彼との話でことが進むようになってきたので親にはなんも 言ってきません・・・トホ実は先日はこんなこともあって あんなことも言ってて・・これってどうなんでしょ?と聞きたい相談したいけど・・B 本人も 親が出ていくのを もういいんじゃないの?僕 自分でやっていくから・・的でそうだよね・・いつまでも くっついてはいられなくなるんだし見ているしかないのです
2014.11.10
そういえば・・・・2004年だったのだ。Aが あれえ?と思い始めたころに見始めた冬ソナ5月には そうとう混乱して それでも私はわが子Aがそんなことになるとは思わず両親の金婚式まで企画し ホテルのレストランを予約し妹達に連絡を取ったりしていた。6月、7月と事態はだんだん進行し 8月にはBを意味なく蹴り上げ怪我をさせるところまでになったその時には猶予はできないと 病院を探したがどこも予約で2,3週間待ちしかも 私達が勝手にはできない私が思うに この病気では たとえば荒れる船の上でちゃんと立っていられないそういう状態よろよろし 転ぶけれど 意識はどこか清明でもあるレベルにもよるのだろうけれど息子らは どちらも 踏みとどまる力もあってなんとか その悪魔から身をそらし 自己を保とうとしていたから人格を尊重しなくてはならないし大きな体を羽交い絞めにして引っ張っていくわけにもいかないで 主人と私で先に家族相談で予約して事態を相談。パンフレットなどをいただいて Aに渡した。こんなふうに苦しい時は 相談に来てくださいというものだった。Aも認めたくはなかったろうが 翻弄されるだけでなく病識も少しはあって自分で予約を入れてくれた助けてほしかったのだろう苦しかったのだろうからでも予約から2週間は待って受診薬が出て医師は 登校は無理だろうといっていたけれど3日後には登校直後の後期試験も受けたまあ 半分くらいしか単位は取れなかったが結局その後ちゃんと登校し 4年間で卒業した。資格も取った免許も取った就職もした彼はものすごい意志で自分の人生を修正し補正し 生きてきたのにハードな会社員生活で ドロップアウトしてしまったそのあとはあれができないなら もう就職もうまくいかないのではないか自分は ちゃんと仕事を全うできないのではないか苦しかったしできれば もう働きたくない社会に出たくない いや出るのが怖いそうなのかなァ・・・と退職したあとは「こんなふうに育てたお前が悪い あやまれッ!」「まだ 子育ては完結してないぞ きちんと最後までやれッ!」と 迫ってきたのでしばらくは その葛藤と恐怖で 苦しく切なく母さんだって 必死で頑張ってきたよォー・・と情けなく怒りもあっったけどBも こういうことになったからには腹をくくるしかないと主人と考え 話しているちょっと 諦観というか 眺めるというかどうにか どこかに持っていこうとかの無理やりはなくよいしょと抱えて ま歩きましょうかね・・というところですというわけで 冬ソナ Aのことと同時期に ハラハラしながら見たせいで ちょっとした思い入れで見ていてその頃に見た「白線流し」と共に主人と私は 一時 その世界へ逃げて いや助けてもらっていたように思うのです。でもその時期を そういうことで探し当てられるというのも 不思議なものです。だから あれから10年なんですねでも 今から考えればもっと前中学で転校した時に すごいじんましんが出て大変だったころには予兆はあったのだろうと思います。転校は良くない環境の激変は良くないですって・・そういう子たちには・・最初の医師が言いました。しかし振り返っても もう後戻りはできないので前を向いて やっていくしかありませんただ寝る前には こんなことを考えているってことですそれだけのことと書いてるところにもうすぐ真夜中っすけどAが 薬について質問があると 私の部屋のドアを小さくコンコンと叩いてきたなにか文句じゃないかと電気消して 寝たふりするんだけど「母さん・・ちょっといい?..」としかたがない「なあに?・・」と応えるで薬についての不安に説明し 応えた。Aは「わかった」と帰っていった
2014.11.09
扇風機に半袖 おふろあがりはまだ暑いです。主人は隣の部屋で 毛布と掛け布団ですから やはり一緒の部屋は無理です。退職後の老夫婦の家のリフォームの番組を見てたら料理が趣味のご主人のために一階にご主人のキッチン2階に奥様のキッチンお部屋も別 趣味三昧ってのがありました。 お子さんが巣立てばそう言うのも可能ですけど・・我が家は 子どもの将来も考える必要もあって・・さて B就労支援施設でパソコンスキルとか 事務のいろいろとか 講習を体験中パニくったあとしばらくは不安があって夜になると 私の部屋にやってきて ウロウロ・・・「えーーーと うんとーーーどうしようかなァ これからどうすればいいかなァ・・・?」と 相談というか 吐き出しというか・・やってきて 長い時間つき合って考えましたが最近は「今日はどうだった?」などと聞いても「ま パソコンとかね・・ま自分のことだから・・・」と細かくは説明してくれなくて頼られなくてさびしい・・・・子供というのは こういうものです必死に自分の足で立とうとしているのですから それが回り道でも もしかして 良く無くてもどう考えても間違っている場合はともかく見ているしかありませんなだってもうすぐ 一人でやっていかなくてはならないのですから心を平らかに と 毎日を過ごしています
2014.11.08
こちらに引っ越してから何年経ったでしょうか義姉が初めて我が家を訪れてくれまして前回が 前の家を新築した時だったので15年ぶりくらいです。ま 我が家以外では何度も会っておりましたが・・・で 前の家は主人が現役の時の新築だったので けっこうデカい家でした。注文で いろいろ工夫したつもりでしたが キッチンが2階だったり・・和室が不要だったり・・と老後にはちょっとなァ・・という家でした。それを売って 郊外に店舗兼自宅&アパートつきを作ったので私と主人の老夫婦の部屋は 将来の介護生活に便利かつ 相当コンパクトにしました。前の家を見ていた義姉はあまりのコンパクトさに驚いたようで(農家に嫁いだ義姉は 大きな家に住んでいます)ダイニングキッチンの隅には わん娘のトイレもあるし そんなで・・・「お茶はいいわ もうお墓に行きましょ。」と そそくさと お墓参りに出かけました。そうなんですよ・・わかってもらえたでしょうか・・我が家の現実でも この2DKの家「おーーーーーい!」と主人を呼べば 必ず聞こえるしもし車いすになっても 最短でトイレ(広く開けられるドア)にもお風呂にも行きやすいし部屋を出ればすぐキッチンだし・・部屋のサッシを開ければ デイサービスのお迎えワゴンにすぐ乗れるなーーんてね息子らに介護を期待できない今 老人ホームにといろいろ考えていますが案外この家でも 自宅で支援を受けながらできるかも・・・と 思ったりして・・デイサービスを駆使して 自己負担が増えても 有料老人ホームへ二人で入るよりはいいかもなーーーんてまあねいろいろ考えています。 元々一か所に住めないたちなのか 落ち着かない人なんですね 私って今は この家を売って私達の老人ホーム入居金と 息子らの小さな家が工面できないかなァ・・とネットで 小さな中古住宅とか 555万で家が建つとか 見るのが息抜きです。アクセサリーとかブランドバッグとか まったく興味がないのですが家とか土地とか 見てると癒されます妄想が広がって 夢を見れます
2014.11.06
綾瀬はるかさんのドラマ見ているんですけど30過ぎた子供と親我が家の場合と同じ ま、うちは息子ですが・・ どっちかというと親の立場で見ています。確かにねェ30過ぎた恋愛も縁遠いような娘が やっと恋愛の気配?ってことで バタバタしてみたら相手は大学生って・・・?そりゃあ普通 問題外でしょきっと若気の火遊びだ結婚を考えられない相手だと親は考えますよね はい 普通にでもねそこを反対しちゃいかんです親の人生ではなくて 子の人生なので 選ぶのは子でどんな道を選んでも それで失敗しても 許し 受け入れ 支えるのがベストなんでしょう無難な常識的な よしッという相手を選ぶまで待ちますか?親の思う相手に巡り合わない可能性もあります埒が明かないと 勝手に選んで理想の相手を引き合わせて それでうまくいかない場合はどうしましょうか・・親が引き合わせたら 全責任を負わねばなりません子供の選んだ道の場合でも「もう知らんッ!」ではなく フォローはしなくちゃねそういうのが 親の愛なんですね 我が家も間違ったといえば大学を中退して 専門学校に通った息子に「派遣じゃダメだよ 正社員を探せ。」と制限したんですけどそれで 就職氷河期で まあどこもダメで そこからえーーーーーーと 10年近くが経ちましたあのとき いいよどこでもアッと思えたところに まず取り掛かってご覧? と応援したら今どうなってたかなァダメダメって判断わかりませんよ結局は いいってことになるかもしれないわが子の ここでやってみたいまたは この人とやってみたいという 危なっかしいけど真剣な気持ちを せっかく育てたわが子を信じて 見守ってみるかそんな気がしています
2014.11.05
それでも 甘いのかもしれないけど 疲れてる
2014.11.04
我が家に 義姉が遠方からきてくれました。昨年亡くなった義父のお骨を納骨した 新しい我家のお墓参りです。私は仕事だったので 主人と水入らずで行ってきてくれました。私は基本的に 主人の家族を信頼しています。それは なにより主人を信頼しているからです。Bが パニックったときも 義姉にいろいろ頼ったことでした。ありがたい後ろ盾です。我が家のことを ちゃんとお話したことで理解してくれました。で義両親を 義姉家族の地元の老人ホームに呼び寄せてくれたのです。今回の上京で義姉は 高校で同窓の登山部の仲間たちと再会したそうです。深い付き合いをしているんだなァと思います。私が仲間とのすべての絆を絶ったのとは 対照的ですまだ 何が正解か 何が最良か 全然わかりませんただただ 一寸先を求めていくだけです
2014.11.01
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