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私の過去の記事に関して、ブログ仲間から善意でもって「歌詞を載せているけど、著作権の問題もあるし、過去にそれでブログ閉鎖まで行った例があるから消した方がいいよ」と忠告をもらった。今回は幸いにも、楽天ブログの場合は去年に歌詞を三つの例外を除いて使用しても良い協定が結ばれていたので問題は無かったのである。
ただ、私はこの機会に、歌詞、或いは詩、或いは詩歌についての私の意見を明らかにしておきたい。その三つをまとめて、ここでは私は〈詩〉と表現したいと思う。〈詩〉の役割とは何か、に関する私の意見でもある。
私は〈詩〉は、基本的に、広く大衆に口ずさまれ、引用され、世間に広まってこそ、価値を持つと信じている。いくら日本文学史を変えるような素晴らしい〈詩〉が、ある天才の机の引き出しの中にあったとしても、それは発表されて広まらなければ、価値はないと、ひとまず私は言っておきたい。その意味で〈詩〉は〈流行語〉と似ている。だから、コピーライターという生業は、今昔の詩人、俳人、歌人であったのである。
思えば「第二芸術」と揶揄されたのは俳句だった(私は先日藤沢周平の俳句を堂々と十数句も載せた)。歌詞も、今回ブログ使用が許されたのもそういう〈詩〉の役割を鑑みての決定だと信じている。
その意味で、楽天が設定した「引用に際しての三つの例外」は、ネット時代の〈詩〉の引用についての一つの叩き台になるだろう。
曰く。
(2)アーティスト別、曲別などのインデックスを用意し、大量の歌詞を掲載するなど、歌詞閲覧サービスとみなせるような利用
(3)歌詞を訳詞、替え歌など改変して掲載する行為
大まかには賛成。営利を目的にして引用してはいけない。ただし、3番目の替え歌は、「営利を目的とする替え歌」と変えて欲しい。替え歌は、いつの時代でも、庶民のささやかな「抵抗」「楽しみ」として巷に広まったという歴史があるからである。よって、いつも大抵は「作り手不詳」として歴史に記録される。
2015年に〈流行〉した〈詩〉は、宮尾節子氏の「明日戦争がはじまる」だ。著者がネット等での拡散を許可している数少ないものだ。しかしホントは、私にはもっともっと拡散したい〈詩〉が数多くある。
「明日戦争がはじまる」
まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった
インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった
虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった
じゅんび
は
ばっちりだ
戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる
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