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木昌1777さんComments
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最近、あるエッセイを書くために戦前 伊敷の練兵場があった場所の近くの電停を調べる必要があった。
そこでネットで調べていたところ、「鹿児島の市電と街」から「鹿児島市電
の思い出」にたどり着き、当時の地図に出会えた。そこからたどっていき
ブログ「ポンコツ山のタヌキのたより」の“やまもも2968さん”が主宰され
ていることが分った。またやまももさんはカテゴリも豊富であらゆることに
精通されているが、その中にエッセイも発見した。これが素晴らしく、エッ
セイもどきを趣味の一つとする私は「他にもあったら読ませてください」と
お願いをしたことから、ネット上での交流が始まった。
私に対しても、地図を調べて書き上げたエッセイを楽しみにしている旨のお話があり、私も書きあがった時点で厚かましくも、メールで添付した。
するとやまももさんが「鹿児島市電の思い出」のところにアップしてくださった。私としては嬉しいことだが汗顔の至りでもある。
少しづつ、やまももさんの過去に書かれたものを読ませていただいてい
るが、「鹿児島の市電と街」のなかの「一色次郎と幻の『名山堀』」を読んで現在の鹿児島市役所の海側の街などは埋立地であることなど、鹿児島
に生まれ育った私が知らないことが多く興味深く読んだ。
私自身、名山堀のある名山町には行った記憶もないが、隣の易居町にはかかわりがあるので、書いてみたい。
易居町には高校時代の親友の自宅があり、よく遊びに行っていた。
彼の家は、野菜を中心に食料品を商っていたが、お客さんは近辺の飲み屋
さんが多かったようだ。高校卒業後彼は東京の大学に進学したが、私は地
元に残っていたので、彼が帰郷する夏休み、冬休み、春休みには毎日のよ
うに清水町から自転車で遊びに行っていた。いま考えるとずいぶん商売の
邪魔をしていたのではなかったかと思う。近くの温泉銭湯“朝日湯”にもよく
一緒に入ったものだ。
せめてもの罪滅ぼしは、ご両親が亡くなったのが私が帰鹿した昭和56年の
後だったので、野辺のおくりが出来たことだ。
易居町にはもう一つ思い出がある。
小川町に住んでいたこれも高校時代の友人が地元の大学を中退することに
なり、彼がやっていた家庭教師の後を私が引き受けた。そこは助産婦さんの
お宅で生徒は小学校中学年だったように思う。このいわゆる産婆さんは肝っ
玉かあさんであった。当時の易居町近辺は“夜のお姫様”が出没する場所
だったが、純情だった私?に気を使って彼女たちに「この方はうちの先生
だから、引っ張らないで!」といつも言ってくれていたらしい。
今頃あの親子はどうなっているのだろう。と思って地図を検索してみると今は
あの産婆さんと同じ姓の「○○アパート」となっている。産婆さんもご存命なのか
それとも子供だった息子さんの代になっているのか、いつか消息をたづねて
みたい。
食料品店だった彼の家は妹さんが建て替えて住み、彼は福岡に住んでいて今でも行き来している。
今日は近くまで行ったので“みなと大通り公園”を写してきた。
写真の左側が易居町である。前面に桜島の南岳がみえる。
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