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木昌1777 @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) こんばんは。これだけの鉢を出した整理も…
かずまる@ @ Re:荒れ放題の我が家の「雑草園」 先ずは植木鉢の整理(04/02) クマタツさんお疲れ様です! 野菜の苗を植…
かずまる@ @ Re:おはぎ(03/27) クマタツさんお久しぶりです! ワタシの持…

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2011.10.10
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カテゴリ: 鹿児島の歴史

鹿児島市武岡は現在私の住む町である。そして終の棲家になるであろう街でもある。
場所は新幹線の鹿児島中央駅西口側の数百メートル先の常盤トンネルを抜けて行った先の台地である。
小学校が二つ、中学校が一つ、高校が甲子園でも大活躍の樟南高校と県立高校の二つ、養護学校が一つある。33年前の1978年(昭和53年)から少しづつ開発された比較的新しい団地といえる。

このところの私のルーツ探しともいえる“歴史散歩”の中でいろいろ興味を惹かれることが出てきた。
先日来ここに書いた佐志島津家の墓地や我が家の墓地のあった笑岳寺墓地跡はその武岡団地の下に位置する。つまり鹿児島中央駅西口から出て、常盤トンネルの入り口周辺が笑岳寺墓地跡にあたるのだ。

こうしてみると、私の生まれた場所もこの近くであり、私がこの周辺を離れたのは疎開をした3年間、清水町の8年間、北九州・長崎・徳山の20年間の31年間である。
この周辺で40年間棲息? したことになる。「この辺のことをもっと知らなきゃご先祖さまに申し訳ない」というのは大げさだが、この辺のことを少し調べてみようという気になった。

そこで、得意の? ネット検索を始めたのだが、武岡の歴史については、なかなかヒットしない。
それでも、幾つかのホーム・ページとブログに行き当たった。
数少ない情報の中の「鹿児島市のホームページ」に次のようなものをみつけた。

 八田知紀誕生地   所在地  鹿児島市常磐町八七八
    解説
知紀(喜左衛門)は1799年(寛政11年)西田村に生まれました。
知紀は25歳で京都の薩摩藩屋敷の蔵役人になり、桂園派の歌人 香川景樹の門弟になったのです。
よく歌をよみ号を「桃岡」(とうこう)としました。後に自分の歌集「桃岡雑記」をまとめ明治になると、宮内省の歌道御用掛に選ばれて活躍し、1873年(明治6年)、東京で74歳の生涯を終えました。
なお、八田知紀の閑居の地であった桃岡公園には「桃岡八田先生幽栖之地」の記念碑が建っています。
(出典 「鹿児島市の史跡めぐりガイドブックー四訂版ー」
                      鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)

早速翌日現場をたずねた。場所は鹿児島中央駅から常盤トンネルを抜けてしばらく歩き左側の階段を途中踊り場はあるが、全部で200段以上登った樟南高校のグラウンドの上の広場だった。
そこには、もちろん八田知紀の記念碑が建っていた。
そしてそこで某学舎が設置した案内板を見つけたのだが、それには「ここは昔、谷峰城と呼ばれた山城の跡である・・・・八田知紀の号にちなんでこの地を『桃が岡』と呼ぶようになった」とある。

そこで今度は谷峰城について調べてみた。ところが日枝神社の前に常磐町の町内会が町誕生100周年を記念して建てた史跡案内板の谷峰城の跡は「桃が岡」とは違う場所になっている。私はすぐその足で、町内会案内版に書いてある谷峰城跡をたずねた。そこは水上坂を武岡に向かって左折し急な坂を登った場所である。
周囲を歩き回ってみたが、城の跡を示す表示はそこには無く、民家が密集している。しかし、地図の通りの道筋をたどって行ったので間違いはない。某学舎の案内板の「桃が岡」が、谷峰城跡というのには疑問符がついた。どちらが正しいのか。両方の場所が離れ過ぎている。もう少し調べる必要があるが、ここでは常盤町内会の説が正しいのかなと思う。

それと「桃が岡」と「八田知紀」の石碑自体の場所が某ブログと某エッセイによると、昔とは違う場所に移ってしまったということになっている。これも調べてみようと思い、昔の「桃が岡入り口」の石碑が水上坂に登る途中にあるということでそれを先ず探した。あった、あった常盤1丁目に小さな石碑を見つけた。CIMG1571.JPG

そこを先に進むと、段々鬱蒼とした場所に行き当たり、先のほうに石段が見えてきた。この上に違いないと思い階段を登っていくと、常盤トンネルのすぐ上の先日私が行った「桃が岡」に登った階段に地下道を通ってつながっていた。これはどう解釈すればいいのか。某ブログ等が正しいとすれば、先日行った山の上ではなくて、常盤トンネルの少し上のこのあたりが昔の公園の場所で常盤トンネルや道路が出来たために、200段も階段を登った上に移されたのだろうと考えるべきだ。

しかし、前記「鹿児島市ホームページ」等にある通りとすれば、昔の「桃が岡公園入り口」の石碑の通り、進んだ山の上にあってもおかしくない。どちらが正しいのか考えながら引き返していると、道路を掃いている80歳くらいのご老人とお会いした。これは地元の長老に間違いないと思いこれまでの疑問をぶつけてみた。またちょうどそこに私と同じくらいの年配の方も通りかかられて、お二方から話を聞くことができた。特に私と同年配の方は、常磐町100年記念にも関わられた方で詳しく話を聞くことが出来た。正にラッキーそのものだった。

お話によると、「谷峰城は常盤町内会案内板の位置が正しい」「桃が岡公園と八田知紀の碑は昔から同じ所にある」ということだった。そこで私が「別の説もあるようですが・・・」と問いかけたら、お二人とも「ここに何十年も住んでいるが、そんな話は聞いたことがないですよ」とのことだった。
これだけで、私としても断言は出来ないが、他の文献も調べてみたい。

この「桃が岡」と「八田知紀の石碑」のことだけで、今日は終わってしまったが、まだまだ沢山の史跡がこの周辺にはあることが分ったのので追々書いていきた。






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Last updated  2011.10.13 11:37:15
コメント(8) | コメントを書く


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Re:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
つき指  さん
 文体が変わったというのは悪い意味ではなく、読みやすさが独特の味わいになっているということです。大先輩、歴史散歩、いい言葉ですね。 (2011.10.11 16:54:41)

こんばんわ!  
クマタツさんの歴史調査は、着々と進んでいるようですね^^
いろんな資料が残っているあいだに、調べておきたいものですね!
古いものは段々風化されてなくなっていくかも知れないし、写真などに撮って、残しておくのも私たちの努めかも知れませんね。 (2011.10.11 19:43:47)

Re[1]:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
つき指さん
> 文体が変わったというのは悪い意味ではなく、読みやすさが独特の味わいになっているということです。大先輩、歴史散歩、いい言葉ですね。
☆つき指さんの文体が変わりましたね、というご指摘は全然悪い意味にはとっていません。かえってありがたく受け取りましたよ。
「歴史散歩」は我ながらいい表現だと思います(爆)
これをやるようになって散歩の歩数が大幅にのびました(笑)
(2011.10.11 20:37:28)

Re:こんばんわ!(10/10)  
春の陽だまりさん
>クマタツさんの歴史調査は、着々と進んでいるようですね^^
>いろんな資料が残っているあいだに、調べておきたいものですね!
>古いものは段々風化されてなくなっていくかも知れないし、写真などに撮って、残しておくのも私たちの努めかも知れませんね。
☆歴史散歩が勢いよく進んでいます。
やり始めたら、止められなくなりました。カッパえびせんに似てきました(爆)
明日は又 図書館に行ってきます。
(2011.10.11 20:41:32)

Re:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
クマタツさんのルーツ探しともいえる“歴史散策”私も自分の身に置き換えて~興味ありますね!
元気な内に子孫に伝える必要もあるので、調査しておきたいものです。
今はネット検索などで情報を得る場もあるので便利ですね!
(2011.10.12 07:58:19)

Re[1]:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
ガーべラ9475さん
>クマタツさんのルーツ探しともいえる“歴史散策”私も自分の身に置き換えて~興味ありますね!
>元気な内に子孫に伝える必要もあるので、調査しておきたいものです。
>今はネット検索などで情報を得る場もあるので便利ですね!
☆自分の住んでいる地域の歴史を調べると面白くて次々にテーマが出てきます。
元気なうちに何か一つやりたいと思います。
(2011.10.12 10:16:55)

Re[2]:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
クマタツさん、こんばんは、やまももです。

武岡についての歴史散歩がますます進捗し調子を上げて来ましたね。またそれだけ疑問もどんどん多くなり深まってきますね。

さて、私も谷峰城(たにみねじょう)という山城(鹿児島県に六百余の中世山城があったといわれますが、その一つでしょうね)について興味を持ちましたので、また、前に紹介させていただきました『鹿児島県の地名』(平凡社、2004年12月)を見ましたら、同じ「満家院」についての解説文中の同じ169頁に「谷峰城」に関しても次のようなことが書いてありましたので参考にしてください。

「康永四年(一三四五)九月三日の渋谷重興軍忠状(岡元文庫)に『鹿児島谷峯城』とみえ、渋谷重興は八月二七日、二八日の合戦における軍功を畠山貞久から賞されている。観応元年(一三五〇)五月、島津貞久は敵方が上山(うえやま)城を攻略するために谷峯城に結集したとして比志島範平などに援軍を依頼している(五月二三日「島津貞久書状案」比志島文書)」
(2011.10.12 19:49:54)

Re[3]:鹿児島市武岡周辺の歴史散歩(10/10)  
やまもも2968さん
>クマタツさん、こんばんは、やまももです。

>武岡についての歴史散歩がますます進捗し調子を上げて来ましたね。またそれだけ疑問もどんどん多くなり深まってきますね。
☆調べれば調べるほど色々な問題に整合性がないことが分ります。これを一つづつつきくずしていく楽しみはありますが、苦労しています。
>さて、私も谷峰城(たにみねじょう)という山城(鹿児島県に六百余の中世山城があったといわれますが、その一つでしょうね)について興味を持ちましたので、また、前に紹介させていただきました『鹿児島県の地名』(平凡社、2004年12月)を見ましたら、同じ「満家院」についての解説文中の同じ169頁に「谷峰城」に関しても次のようなことが書いてありましたので参考にしてください。

>「康永四年(一三四五)九月三日の渋谷重興軍忠状(岡元文庫)に『鹿児島谷峯城』とみえ、渋谷重興は八月二七日、二八日の合戦における軍功を畠山貞久から賞されている。観応元年(一三五〇)五月、島津貞久は敵方が上山(うえやま)城を攻略するために谷峯城に結集したとして比志島範平などに援軍を依頼している(五月二三日「島津貞久書状案」比志島文書)」
☆いつも助言やご教示いただきありがとうございます。
明日にでもアップできると思いますが、常盤町内会の史跡案内板で矛盾を明らかにしたいと思っています。
今日図書館に行って再度調べてみましたが、なかなか決定的なものは、見つかりませんが・・・。
またよろしくお願い致します。 (2011.10.12 20:52:37)

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