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木昌1777さんComments
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鹿児島市武岡は現在私の住む町である。そして終の棲家になるであろう街でもある。
場所は新幹線の鹿児島中央駅西口側の数百メートル先の常盤トンネルを抜けて行った先の台地である。
小学校が二つ、中学校が一つ、高校が甲子園でも大活躍の樟南高校と県立高校の二つ、養護学校が一つある。33年前の1978年(昭和53年)から少しづつ開発された比較的新しい団地といえる。
このところの私のルーツ探しともいえる“歴史散歩”の中でいろいろ興味を惹かれることが出てきた。
先日来ここに書いた佐志島津家の墓地や我が家の墓地のあった笑岳寺墓地跡はその武岡団地の下に位置する。つまり鹿児島中央駅西口から出て、常盤トンネルの入り口周辺が笑岳寺墓地跡にあたるのだ。
こうしてみると、私の生まれた場所もこの近くであり、私がこの周辺を離れたのは疎開をした3年間、清水町の8年間、北九州・長崎・徳山の20年間の31年間である。
この周辺で40年間棲息? したことになる。「この辺のことをもっと知らなきゃご先祖さまに申し訳ない」というのは大げさだが、この辺のことを少し調べてみようという気になった。
そこで、得意の? ネット検索を始めたのだが、武岡の歴史については、なかなかヒットしない。
それでも、幾つかのホーム・ページとブログに行き当たった。
数少ない情報の中の「鹿児島市のホームページ」に次のようなものをみつけた。
八田知紀誕生地 所在地 鹿児島市常磐町八七八
解説
知紀(喜左衛門)は1799年(寛政11年)西田村に生まれました。
知紀は25歳で京都の薩摩藩屋敷の蔵役人になり、桂園派の歌人 香川景樹の門弟になったのです。
よく歌をよみ号を「桃岡」(とうこう)としました。後に自分の歌集「桃岡雑記」をまとめ明治になると、宮内省の歌道御用掛に選ばれて活躍し、1873年(明治6年)、東京で74歳の生涯を終えました。
なお、八田知紀の閑居の地であった桃岡公園には「桃岡八田先生幽栖之地」の記念碑が建っています。
(出典 「鹿児島市の史跡めぐりガイドブックー四訂版ー」
鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)
早速翌日現場をたずねた。場所は鹿児島中央駅から常盤トンネルを抜けてしばらく歩き左側の階段を途中踊り場はあるが、全部で200段以上登った樟南高校のグラウンドの上の広場だった。
そこには、もちろん八田知紀の記念碑が建っていた。
そしてそこで某学舎が設置した案内板を見つけたのだが、それには「ここは昔、谷峰城と呼ばれた山城の跡である・・・・八田知紀の号にちなんでこの地を『桃が岡』と呼ぶようになった」とある。
そこで今度は谷峰城について調べてみた。ところが日枝神社の前に常磐町の町内会が町誕生100周年を記念して建てた史跡案内板の谷峰城の跡は「桃が岡」とは違う場所になっている。私はすぐその足で、町内会案内版に書いてある谷峰城跡をたずねた。そこは水上坂を武岡に向かって左折し急な坂を登った場所である。
周囲を歩き回ってみたが、城の跡を示す表示はそこには無く、民家が密集している。しかし、地図の通りの道筋をたどって行ったので間違いはない。某学舎の案内板の「桃が岡」が、谷峰城跡というのには疑問符がついた。どちらが正しいのか。両方の場所が離れ過ぎている。もう少し調べる必要があるが、ここでは常盤町内会の説が正しいのかなと思う。
それと「桃が岡」と「八田知紀」の石碑自体の場所が某ブログと某エッセイによると、昔とは違う場所に移ってしまったということになっている。これも調べてみようと思い、昔の「桃が岡入り口」の石碑が水上坂に登る途中にあるということでそれを先ず探した。あった、あった常盤1丁目に小さな石碑を見つけた。
そこを先に進むと、段々鬱蒼とした場所に行き当たり、先のほうに石段が見えてきた。この上に違いないと思い階段を登っていくと、常盤トンネルのすぐ上の先日私が行った「桃が岡」に登った階段に地下道を通ってつながっていた。これはどう解釈すればいいのか。某ブログ等が正しいとすれば、先日行った山の上ではなくて、常盤トンネルの少し上のこのあたりが昔の公園の場所で常盤トンネルや道路が出来たために、200段も階段を登った上に移されたのだろうと考えるべきだ。
しかし、前記「鹿児島市ホームページ」等にある通りとすれば、昔の「桃が岡公園入り口」の石碑の通り、進んだ山の上にあってもおかしくない。どちらが正しいのか考えながら引き返していると、道路を掃いている80歳くらいのご老人とお会いした。これは地元の長老に間違いないと思いこれまでの疑問をぶつけてみた。またちょうどそこに私と同じくらいの年配の方も通りかかられて、お二方から話を聞くことができた。特に私と同年配の方は、常磐町100年記念にも関わられた方で詳しく話を聞くことが出来た。正にラッキーそのものだった。
お話によると、「谷峰城は常盤町内会案内板の位置が正しい」「桃が岡公園と八田知紀の碑は昔から同じ所にある」ということだった。そこで私が「別の説もあるようですが・・・」と問いかけたら、お二人とも「ここに何十年も住んでいるが、そんな話は聞いたことがないですよ」とのことだった。
これだけで、私としても断言は出来ないが、他の文献も調べてみたい。
この「桃が岡」と「八田知紀の石碑」のことだけで、今日は終わってしまったが、まだまだ沢山の史跡がこの周辺にはあることが分ったのので追々書いていきた。
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