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第4週終わり。◇どんなに忙しくても、ゴハンは一緒に食べたほうがいい。家族にとっては、そういうの、案外大事なことやで。こう話す青木課長は、意外に、湯布院のお父さんの感性に近いのかも。で、木綿子も、ハルカも、がんばって食事の支度して待ってたのに、どっちともすれ違いで、結局、2人がはじめて一緒にゴハンを食べることができたのは、職場の外のベンチで、「コンビニのおにぎり」だったんですね。たった30分の、母娘の食事。でも、このときのハルカはちょっと嬉しそうだった。田舎から都会にやってきたばかりのハルカにとって、都会の真ん中で働くカッコいい女の人が、気づいたら、自分にとっていちばん近い存在の人だったってことが、誇らしいというか、頼もしいというか、そんな嬉しさだったのかも。たぶん、それまでのハルカは、木綿子が「母親らしい母親」であってくれるのを期待してたんだろうし、正直、このわたしも、いつか木綿子がそうなってくれるんじゃないかと期待してたんですけど、考えてみれば、「母親らしい母親」とか、そういう固定観念にしばられる必要はないかもしれない・・。いろんな「母親像」があっていいのかもしれない。会えてうれしい!仲良くしようね。これって、「母親」というより「友達」のような感じだと思う。たとえば、ニコにとっての美冬というのも、「母親らしい母親」なんかじゃなくて、なんというか、「遠いところにいる憧れの存在」みたいな、そんな母親像でありえたのかもしれない、と、今になって思う。そういう母親像だって、あってもいいのかもしれません。ハルカは「母親らしい母親」を求めていて、アスカは「父親らしい父親」を求めていて、お父さんは「家族らしい食卓」を夢みてるのかもしれませんけど、そんな「家族らしい家族」とか、「母親らしい母親」とか「父親らしい父親」とか、そんなの、ただの幻想、ただの固定観念かもしれない。木綿子や、美冬のような母親がいてもいいかもしれないし、陽介みたいな父親でもいいのかもしれない。家族の食事が外で食べるコンビニのおにぎりだっていいのかもしれない。そういう、とらわれない家族の姿を、大森美香ちゃんは描きたいのかなあと思う。◇東京のアスカ。「何でもいいから早く書け」と言わんばかりの編集者。この様子だと、やっぱりアスカのほうが、ハルカよりも先に挫折して湯布院に帰ってきてしまいそうな雰囲気。もし、そうだとすると、アスカのために出稼ぎに行ったハルカが大阪にいる意味もなくなってしまう。たぶん、アスカの夢=ハルカの夢は、どちらも、思い描いたようには叶わないんじゃないでしょうか。だって、このドラマのテーマ自体、「どこかに小さな幸せが見つけられればいい」ってことみたいだし、アスカが小説家として成功する、なんていう展開は、たぶんないと思う。何ひとつ夢が叶わなくて、何もかもうまくいかなくても、それぞれが、その中で小さな幸せを見つけられればいいじゃないですか、・・みたいなことになるんだろうと予測します。でも、とりあえず、湯布院のお父さんだけは、着々と新しいメニューを開発しつつあるみたいだし、レストランの復活ぐらいは、夢がかなうのかもしれません。とはいっても、そこに「家族の食卓」が実現するかどうかは、やっぱり微妙。お母さんが大阪の恋人と別れて湯布院に戻るってのは、やっぱりないだろうなあ、と思うから。ま、わたしとしては、そういう、まとまりのない家族で終わってもいいです。この際、大森美香ちゃんには、今までにないような、新しい「朝ドラ」のスタイルをつくってほしい。「家族らしい家族」とかじゃなくて、ぜんぜん「家族らしからぬ家族」のありかたみたいのを、思いっきり、NHKで朝っぱらから国民に見せてやってください。◇今までにない朝ドラのスタイルといえば、この朝ドラのヒロインって、もしかしたらハルカとアスカの2人じゃない?だいいち、朝ドラのヒロインが1人でなきゃいけない理由もないんだし。っていうか、そろそろ男の子が主人公の朝ドラが出てきたっていいくらいなんだから。そういうわけで、このドラマのヒロインは、ハルカとアスカの2人だと思うことに決めました。で、その、ハルカとアスカの電話のシーンですけど、びっくりするぐらいのカットの割り方!怒涛のような勢いでしたね。あれよあれよという間に、すごく引きこまれました。電話のシーンで、あんなにカットを切り替えるのって見たことないです。現実の世界では、電話する2人を同時に見るなんてことありえないわけだけど、でも、まるで電話してる2人をほんとに見てるかのようにリアルでした。会話の内容も、あっちに飛んだりこっちに戻ったりするんだけど、逆に、そういうところがリアルで、不自然じゃなくて、さすがはセリフの名手と思わせる脚本だったし、演出も上手だった。その、怒涛のような電話の会話の中にも、聞き逃せないセリフが。「結婚とかしそう?」「いや、そういうんやなさそう。なんか、安全な同居人っていうか」「とかいって、そのうち弟とか妹とかできたりして!!」「うわっ、きついなぁ。あんたの小説みたい。」木綿子と青木課長、ほんとに結婚はないんでしょうか?そういわれれば、なさそうですけど、かといって、陽介との復縁もなさそう・・。そして、アスカの小説には、血の繋がらない兄弟の話とかも出てくるんですか?売れないぐらい内容が暗くて、眠くなるほど難しいらしいけど。(~~;;◇お父さんも、いい人さがせばいいのに・・。(アスカ)恋かあ・・。恋したいな・・。(ハルカ)という話の流れから・・どうしてお父さんと百江さんのツーショットになるんですか?!それがわたしには解せない・・。いくらなんでも、この二人の恋愛はないと思うんだけどなあ・・。無いでしょう。だって、母親の恋人の存在を電話ごしに気づいてたアスカでさえ、父親と百江さんのことなんて、気にもしてなかったし、やっぱり、ないでしょ。この二人は。・・それはそうと、このシーンのときの、カゴいっぱいのきりぼんちゃん人形。耳が可愛い。(*~~*)◇せっかく野菜を送り続けても、木綿子に食べてもらえない陽介。木綿子は木綿子で、せっかくパンプスを買ってきても、ハルカに受け取ってもらえない。みんな、ちょっとずつ擦れ違うんですね。ハルカは、おしゃれなパンプスなんかより、動きやすい運動靴のほうが好き??だったのかもしれないし、湯布院出身の木綿子にとっては、湯布院の野菜なんて、珍しくもなんともなかったんでしょうね。むしろ、湯布院の野菜を喜んで食べてたのは青木課長だったってことで。ってことは、陽介は、青木課長のために野菜を送り続けてたんですね。(~~;;なんて不憫な・・◇たこ焼き器は、湯布院の実家に、もともとあったんですか?なんとも不思議な家です。で、まさか父親に「ひとりでたこ焼き食べてね」って意味で“たこ焼きの素”を送ったわけじゃないんだろうから、やっぱり、あれは、「エプロンつけて、たこ焼き器もって、みんなのところに行って食べてね」って意味なんでしょう。そこまで考えて、父を思いやってプレゼントしてるハルカって、頭がいいのか、そうとう発想が個性的なのか、・・よく分かりません。◇支店長、3番にカメラマンの猿丸さんよりお電話です!ハルカが旅行会社に入社できたのは、青木課長のコネというより、もっと上のほうのコネのようなんだけど、ここの支店長って、木綿子のことも、ハルカのことも、青木課長のことも、さらには、「たこばあば」から「猿丸」とかいうカメラマンのことまで、何もかもを知ってるキーパーソンみたいですね。なんか、支店長ってちょっと怪しい。たしかに、そういう意味では怪しい。あの子は、ああ見えて、お母さん似なのかわからんなぁ・・ふーむ・・。 これも意味深なセリフ。
2005.10.29
湯布院にいたときの伸び伸びした表情とはちがって、大阪に来たハルカの顔は、終始、こわばってますね。でも、みんないい人そうだし、お母さんのマンションも生活環境としては申し分ないし、大阪の街のシーンで流れる音楽も、こころなしか「吉本新喜劇」的なホンワカパッパな雰囲気だし、なんだか、あんまり心配なさそうです。この際、ケータイも、スーツも、お母さんに買ってもらっちゃってください。どっちかというと、大阪のハルカより、東京のアスカのほうが心配です・・。◇かつては大変な優等生だったというお母さん。この人は、ほんとに湯布院の町には似合わない人です。都会にいるときのほうが、カッコいいし、様になってる。彼女は、やっぱり「田舎のお母さん」というよりは、都会の教育ママとか、学校の先生みたいなタイプの人です。そこが、ハルカとあわないところなんだろうけど。逆に、東京生まれのお父さんは、田舎の暮らしのほうが良く似合うタイプの人だし、今さらながら、この2人、よく結婚しましたね。(~~;;◇同じ職場にお母さんの愛人がいるってことで、ハルカはショックを受けている様子。朝、お母さんの話をろくに聞かずに、プイッとマンションを出てきてしまったからですが、もし、事前にその話を聞いてたら、かえって出社する気がなくなっていたかもしれません。こういうコミュニケーションの擦れ違いが、これからも、色んな出来事につながっていきそうな予感。そういえば、お母さんは、前の日の夜にも何か言いかけてましたね。あなたの会社ね、私の上司の・・どういう話だったのか分からないけど、お母さんの上司とハルカの通う旅行会社が関係あるってことは、お母さんと、別所哲也も、仕事上の関係で知り合ったのかな。◇お母さんの話によれば、子供のころ、ハルカはガイセイバーが大好きだったけど、アスカのほうは、そういうものには興味を示さなかったんですね。逆に、アスカはピアノが得意だったけど、ハルカのほうは、まったくそういうものに興味なかったんだと思う。この、2人の基本的な性格とか嗜好のちがいってのは、現在でも、ほとんど変わってないんでしょうね。(~~;;◇えっ!今回の週間ブックレビューでアスカの小説が取り上げられるんですかっ?!・・って、現実の週間ブックレビュー見ても、やってるわけありませんが。(~~;この番組内容は、DVD化したときに特典映像で入れておいてください。今日は、酒まんじゅう。
2005.10.24
はっ!そういえば、ここで叫んだお願い、今まで一個もかなってなかった・・。・・はい、いまごろ気がつきました。(~~;;ハルカにとって、湖で見た「龍」の思い出は、“両親の離婚”とか、“少年の死”とか、そういう悲しくて、忌まわしい出来事とは、あまり結びついてないようです。あの時、初恋の男の子は死んでしまったけれど、幼いハルカにとっては、まだ「初恋」というほど自覚的なものじゃなかったのかもしれないし、むしろ、あのときの少年の死という出来事は、奈々枝の一家の失踪という、少女の感受性では消化しきれない嵐みたいな出来事として、目の前を通り過ぎてしまっただけだったのかもしれません。むしろ、あのとき龍にたくした夢は、ハルカにとって、そのあとでレストランを立ち上げた頃の記憶に繋がってるのかもしれないし、そして、そこに抱いていた夢は、いま現在も、レストランの再開にむけて進行中なのかもしれないですね。どんだけ泣いたあとでも、もっかい目開けて、“おはよう”っちゅう力も持っちょる。ひとつの夢を失っても、また別の夢をつないでいく。ファンタジーがひとつ壊れても、それでファンタジーを失ったりしない。「都合がいい」って言ったらそれまでだけど、現実には、人間って、そうじゃないとやっていけませんし。ひとつやふたつ、夢を失くしたって、どってことありません。(爆)◇ところで、昨日、小学校のハマグリ先生が、アスカの書いた小説のラストのことを、「キラキラしてファンタジックな最後」と言ってましたが、先週の15日の放送では、お父さんが、その最後の部分の原稿を、深刻な顔で読んでいました。そして、ハルカに「読まないほうがいい。」と言ってた。アスカの小説のラストって、読む人によって受け止め方が違うような内容なんでしょうか?じつは、この15日の放送の時に、原稿の最後の2枚が、画面にも映っています。そして、断片的にですが、その文章も読むことができます。それによると、小説の最後の部分は、主人公の父親が、泣きながら廃屋に火を放って、炎に包まれる。といった内容になってるんです。そこだけ読むと、とても「キラキラしてファンタジックな」ラストには思えないんですが、どうなんでしょうか??このあたりは、今の段階では謎のままです。◇大阪に行くトラックから降りて、そこから見下ろした湯布院の景色は、ほんとに「綿あめ」みたいでしたね。盆地のなかで、雲がクルクルと渦巻くんですね。母親の「木綿子」って名前と、ハルカの「風をあつめる綿あめ」みたいな性格って、どこかつながるのかな・・。ん。待てよ。盆地のなかで、雲がうず巻いて、盆地のなかが霧で満たされていく。霧の湯布院。盆地の霧。盆霧。・・霧盆。・・・きりぼん??あ、これだったりして。
2005.10.22
お父さんの前で、ハルカは自分の気持ちを話しました。ああいうとき、ハルカは、素直でいい子だなーと思う。母親が送ってきた10年分のバースデーカードを見て、大阪へ行く決心をしたのかな?と思ったんだけど、考えてみりゃ、そんなに簡単に母親へのわだかまりは、消えないですよね。わたしは、忙しいからって、外を見ることとか、お母さんと向き合うこととか、愛の告白するとか、そういうことから全部逃げてきた・・でも、このままの自分でいるのは嫌。だから、この町を出てみたい。これが、今のハルカのほんとうに正直な気持ちなんだと思う。同時に、お母さんにも、「すこし会ってみたい」って気持ちは生まれてきたみたいです。 ☆ ☆ ☆観念的で救いのない話やったのに、最後の最後はキラキラ。ファンタジックな感じがしたけん。むむー。小学校のハマグリ君から聞き逃せない情報が!じつは、アスカも、まだ心のどこかでファンタジーを信じてるんですね・・。アスカの小説の世界をいちばんよく理解してくれていたのは、おじさんでもなければ、イトコでもなければ、文学賞の審査委員の人たちでもなく、アスカにとっては一番どーでもいい、小学校のハマグリ先生だったんですね・・。(~~;世の中、そんなもんです。意外な人にこそ、感謝しなきゃなりません。そして、龍のウロコがアスカの手に渡りました。あのウロコが、幸運をもたらすものなのかどうかは微妙なんですけど、(~~;これからのアスカのためにも、あれは「ファンタジーを信じ続けるためのアイテム」と解釈することにします。ところで、アスカの書いた小説の内容が、すこしずつ明かされてるけど、この「インサイド小説」って、大森美香ちゃんの手によって、ほんとに実在してるんでしょうか?だとしたら、スゴイ。わたしたちの前に、いつかその全貌が明らかになるんなら、ほんとにスゴイです。「インサイド小説」」なんて、前代未聞かも・・ ☆ ☆ ☆ハルカが、母親からの10年分のバースデーカードを目にして、いっとき、10年前の「子供」に戻ってしまったように、今日は、アスカも、ハルカの前で「妹」に戻ってしまいました・・東京へ行く前日、アスカは重圧に耐え切れずに泣き出してしまった。オバケ屋敷を怖がってた頃のような、泣き虫のアスカに戻ってた。わたしは、>田舎志向で、夢見がちなハルカと、>都会志向で、現実主義的なアスカ。なんて思ってたんだけど、実はそうでもなかった。じつは、ハルカのほうが現実への適応能力が高くて、アスカのほうは、ずっとずっとナイーブなんですね。こんな「裏側」をサラリと見せて、それまでの図式をコロッと逆転させてしまうところが、大森美香ちゃんのセンスの、卓越してるところです。 ☆ ☆ ☆公式ページの予告に、「アスカはハルカと和解して東京へと旅立った」なんて書いてあったので、いったいどんな和解シーンがあるのかと思ったけど、「和解」というようなものじゃありませんでした。そもそも、この2人はべつに和解なんてする必要もなかったんだから。むしろ、アスカが本当に和解しなきゃらないのは、ハルカとじゃなく、父親と、のはずです。結局、お父さんは、最後までアスカに何も言えなかった。アスカも、お父さんから目を背けたまま、東京へ行ってしまった。ハルカが大阪で母親と和解しなきゃならないように、アスカも、いつか父親と和解しなきゃならない・・。それが、これからの物語だとおもいます。ドラマの舞台は「大阪」に移るってことですけど、ハルカの大阪も、アスカの東京も、両方とも描いてほしい。【今日の小ネタ】冒頭で、「あー、今日もいい景色!」って言ったときの由布岳の景色は、ほんのり霧がかってて、ほんとに綺麗でした。 神々しいくらい!やっぱり、きりぼんちゃんは「霧」ぼんちゃんなんでしょうか・・エンディングの「はと麦饅頭」もかなり魅力的でした・・。
2005.10.21
昨日と今日の放送で、木綿子と、ちいと、百江さんと、3人の母親のことが描かれました。おせっかいぐらいで、ちょうどいい。これで開き直った母親の自信が、ハルカの心をゆり動かしたみたいです。◇今日の内容は、見た目は地味でしたけど、脚本と演出は、なにげに絶妙な気がしました。どんなふうに大阪行きを決断させるのかなと思ってたけど、木綿子が、切られた電話をすぐさまかけ返して、娘に考える時間も与えないうちに、「だから大阪に来なさい!」とたたみかける、あのときの自信に満ちた母親の機転みたいなのが、すごくうまく出てて、ハルカのほうは、話し終わって、ただポカンとしてるんだけど、そのときの表情が、電話をかける前とはあきらかに変化してるのが分かりました。なんていうか、ふっきれたような表情になった。そして、その直後に、その場の勢いで、「あたしは都会に出稼ぎに行くんです!」なんて、断言かつ宣言してしまって、それで、自分でもワケわからなくなって、お風呂にはいったり、おばあちゃんと話したりしてるうちに、どんどん心が動いている様子がわかった・・。身勝手なほどの母親の“おせっかい”が、ハルカの心を一瞬にして「子供」にしてしまったんですね。夕暮れどきに、バースデーカードを読みながら、ハルカは10年前の「子供」になってしまったんだと思う。◇お母さんの物語。昨日と今日の放送で、3人の母親のそれぞれの気持ちが、すこしわかった気もするけど、でも、「母親」については、これからももっと深く描いてほしいです。まだまだ足りないと思う。◇ちなみに、今日の放送で、渡辺いっけいと佳乃ちゃんが、倉田旅館の中で話をしてましたけど、たとえば、あのうしろで、ガイセイバーとゾルディオス女王がふつうに宿泊に来てたりしたとしても、わたし的には何の問題もありません。たぶん、倉田旅館って、なんでもありだと思うので。
2005.10.20
テレ朝はノーマークでした‥。(T_T)テレ朝のドラマなんて、まったく期待できるとも思ってなかったから。『熟年離婚』てドラマの視聴率がいいらしいので、ためしにわたしも見てみたんだけど、いいです。このドラマ、面白い。ドラマそのものも面白いけど、テレ朝がこういうものをつくりはじめたってことじたいが面白い。なにか、テレ朝で新しいことが起こりはじめてる気がする。これがもし、日テレのドラマだったなら、(たとえば『87%』あたりの枠だったら)わたしとしても、これほどの驚きはないんだけど、これが「テレ朝のドラマだ」ってことが、すごく新鮮です。テレ朝がこういうものをつくりはじめたことで、なんか面白くなってきたなあって感がある。こうなってくると、逆に、フジとかのドラマがかすんで見える。(~~;じっさい、わたしがテレ朝のドラマのことを取り上げるのは初めてです。今まで、テレ朝のドラマで見たいと思えるものなんて、せいぜい、『京都迷宮案内』ぐらいだったから、あえてとりあげたいと思うようなものはありませんでした。ドラマにかんしては、NHK、日テレ、フジあたりの保守系メディアのほうが、ずっと斬新でリベラルなことをやってる状況が続いてたし、それに比べて、TBSとか朝日とかのリベラル系のメディアは、不思議と旧態依然のままのことをやってました。この『熟年離婚』というドラマが、内容的に、斬新で大胆でリベラルな内容なのかといえば、べつにそういうわけではありませんし、そもそも、テレ朝が保守的なものをつくったって構わないんだけど、話の内容はともかく、ドラマのつくりそのものが、今までのテレ朝とは全然ちがうってことが、わたしには斬新です。◇脚本は橋本裕志なので、どうしてもTBSの『Mの悲劇』を思い出してしまいます。『Mの悲劇』と、『熟年離婚』じゃ、内容的にはまったく共通するところありませんけど、それでも、やっぱり同じ脚本家だなと思わせるところはある。橋本裕志の脚本って、その都度その都度、起こりうるもっとも極端な状況が次々に起こって、おまけに、そのなかの登場人物も、考えうるもっとも極端なことを口にするので、可能なかぎり、ドラマティックな展開がたたみかけてくるんです。そのへんは『Mの悲劇』にも『熟年離婚』にも共通して見られる。そして、脚本が同じだからなんでしょうか?不思議と、映像の雰囲気まで、『Mの悲劇』に似てる気がします。しっかりとして、どっしりとして、なおかつ美しい映像。そこにオリジナリティがあるかといえば、まだちょっと微妙だけど、でも、今までのテレ朝のドラマにはなかったスタイルなのはたしか。ちなみに、TBSの『Mの悲劇』というのは、現在のTBSに作れる最良のドラマだと、わたしは思ってて、そのドラマの脚本家を、テレ朝にもってきたところが興味ぶかいところ。いまのところ、TBSにも、テレ朝にも、まだはっきりとしたオリジナリティは見出せないけど、今後、両局が、この路線でドラマを作り続けるなかで、どんなスタイルをつくっていくのかが、すごく楽しみに思えてきます。テレ朝が、今回の『熟年離婚』みたいに、大人向けの、ものすごくオーソドックスなメロドラマをつくるという路線も、それはそれでありだと思うし、「石原軍団でメロドラマをやる」って発想も、なかなか面白いと思う。これは、テレ朝だけじゃなく、渡哲也みずから石原軍団を変えようとしてるってことかもしれないけど、現在の圧倒的なジャニーズ・ドラマに対抗するという意味でも、これが、かなり面白い挑戦になる可能性はあります。
2005.10.20
ハルカには、家を守りたい気持ちと、、アスカを大学に行かせたい気持ちと、二つの思いがあって、その両立しがたい二つの気持ちに、同時に必死の情熱を傾けようとしてるように見える。ハルカが、アスカのために進学費用を作ろうとしてるのは、たんに意地をはってるだけじゃなくて、やっぱり、アスカへの気持ちがあるんだと思います。今日のドラマの中の、わたしの一番のお気に入りは、新聞に載った妹の写真うつりを見て言った、ハルカの、このセリフです。や~、いまいちやんね・・。この顔、なんか頬っぺが目立ちすぎ。ほんとはもっと美人やのに・・。なんか、ハルカの、妹に対する思いが出てる気がする。前に、アスカが文学賞を受賞したときのお祝いの席で、ハルカは、アスカの言葉に怒って、彼女を突き飛ばした。あのとき、わたしは一瞬、ハルカはアスカを平手でぶつかと思ったんだけど、そうじゃなくて、思いきり突き飛ばしました。ああやって、平手でぶつんじゃなくて、妹のことを体ごと突き飛ばす感じが、なんだか“姉妹”っぽくて、わたしは好きでした。なんか、ああやって突き飛ばすのって、実はほとんど「抱き締める感覚」と同じみたいな気がするから。アスカが成長するにつれて、ハルカとアスカの関係は昔とはだいぶ違ってしまったけど、わたしは、いまのハルカがアスカに対して抱いてる想いのあり方が、すごく好きです。ハルカは、アスカが美人で、頭が良くて、自分を主張するようになるのが、すごく嬉しいんだと思う。
2005.10.19
わたしは車に全然興味がないので、いちども見にいったことありませんけど、毎年テレビで見るかぎり、このショーの最大の目的は、自動車をとおして「未来的なイメージ」をかきたてることなんだろうと思う。でも、わたしには、その「未来」のイメージってのが不十分に思えます。わたしは、車社会というのがあまり好きじゃないし、車にもべつに興味ない。そして、このモーターショーが提起している未来イメージというのは、わたしみたいに車がべつに好きじゃない人たちが、一般的に「自動車」というものに感じているストレスを、スカッと払拭してくれるようなものにはなっていません。人々が、自動車に対して感じるストレスというのは、いろいろあります。たしかに、燃費とか、排気ガスとか、環境にかんする問題もあるし、騒音の問題もある。それから、安全性の問題もあるし、操作の利便性なんかについてのこともあると思う。でも、現代人が車に対して感じている最大のストレスは、「道路」それじたいに起因するものだろうとわたしは思います。道路公団の問題もありましたけど、なぜ、わたしたちが車社会にストレスを感じるのかといえば、それは、わたしたちの住む世界が、際限もなく、道路だらけ、アスファルトだらけ、車だらけ、になっていくという現実があるからです。それじたいがストレスです。人間の歩く道がない。人間が互いに交われるような辻もない。子供が走って遊ぶ場所もない。ぜんぶ道路。 ぜんぶ車。 何もかもアスファルト。かりに、アスファルトの道路の上を、どんなに進化した「近未来的な車」が走ったとしても、その道路じたいに何も変化がないのなら、このストレスは、決してなくなることがありません。うんざりするほど道路だらけです。「未来の車社会」を考えるというのは、道路のうえの「車」だけを考えるってことじゃなく、「道路」も含めて考えていくってことでなきゃならないはず。ていうか、ぶっちゃけ、まず「道路」から考えるべきです。モーターショーが「新しい車社会」を描くのなら、「未来の道路」も含めて提案すべきじゃないでしょうか。☆道路は今の広さでいいんですか?☆灰色のアスファルトでなきゃいけないんですか?☆家の前まで道路でなきゃいけないんですか?そういうことを、根本的にイメージしなおしてほしい。もう100年以上たったんだから。・・そういえば、昔、手塚治とか松本零士のアニメなんかだと、未来の道路は、空中に張りめぐらされてたような気がする。あれは「道路」というより、もはや「レール」だったかもしれない。たぶん、乗ってる人は「運転」なんかしてないはず。そのほうが、安全だし、速いし、遠くまで行けそう。わたしも、出来ることなら、車の道路は、細くてしなやかなレールぐらいにしておいてほしい。
2005.10.19
ちょっと重たすぎたいままでの内容から、今日はまた、思いっきりはじけた展開に。この路線、いいです。ハズレに決まってる宝くじでムダに盛り上がる面々とか、佳乃ちゃん登場シーンの切れ味するどい姐御っぷりとか、こういうの、このまんまシリーズ化してほしい。(~~;倉田旅館のオヤジも、とっぴな発想で、派手にかきまわしてくれそうです。彼の意味不明なアイディアがあれば、等身大のガイセイバーが暴れまわる日も遠くありません。升毅と宮崎美子のおじおば夫婦も、あれでいて、ハルカのことを心配してくれてる様子。それにしても、升毅と木綿子のデコボコ兄妹ぶりは、すごすぎます。まったく血が繋がってるとは思えないくらいのギャップの大きさ。ハルカとアスカは、あそこまではひどくないと思う。◇子供時代の映像って、じつはまだまだ撮ってあるのかもしれませんね。今までの10年間にあったこと、すこしずつ、ハルカに思い出してほしいです。ハルカだけじゃなく、アスカにも、お父さんとお母さんにも。その中で、未公開映像もいっぱい見れそうだし、いろんな秘密が明かされていくのかもしれません。レストランの経営のことも。そこでのハルカとアスカの成長の物語も。大阪で木綿子が10年間に秘めてきた思いとかも。(↑これは、わたしにとって美冬の物語でもある)それから、佳乃ちゃんの、倉田旅館10年間の「若女将奮闘記」も見てみたいです。そういえば、佳乃ちゃんと、渡辺いっけいの、あの2人の変な“目配せ”はなんなんでしょう?前に佳乃ちゃんが、オンボロ中古車の車検証を届けにきたときも、ちょっと佳乃ちゃんは彼の前でキョドってる風だったし、まさか恋愛感情があるとは思えないけど・・?!旅館が忙しいはずなのに、町はずれのオバケ屋敷までわざわざ出向いてくるのも不思議。都会人どうし、二人は密かに支えあってきたんでしょうか?トランペットが2人を結び付けたとか・・?◇キリボンちゃん。きりぼんちゃん。桐ぼんちゃんなのか、霧ぼんちゃんなのか、切盆ちゃんなのか、いまだに分かりませんけど、「霧の湯布院」という名のご当地ソングがあるのを発見してしまって、はげしくイヤな予感がしています。(笑)倉田旅館が、変なディナーショーとかやらなきゃいいけど・・。そうだとしても、何でウサギなのかは、まったく不明。
2005.10.18
「ハルカ」と「トトロ」について、これまでの日記にもいろいろ書いてきましたが、もっと本格的に考えなくちゃいけないような気がしてきた。「風のハルカ」第一週の内容は、「となりのトトロ」を逆説的に引用してる。先々週ぐらいに、わたしは、そう考えてたんだけど、でも、トトロの引用は第一週だけにとどまらないかもしれません。もしかしたら、ドラマの全編にわたって、「となりのトトロ」は重層的に引用されて、それが、ドラマの構造にさまざまな影響をあたえていくのかもしれません。しかも、それにともなって、元の「トトロの世界」それじたいがバラバラに分解されていくかもしれない。◇ ◇ ◇とりあえず、いままで書いてきたこともふくめて、「ハルカ」と「トトロ」の関係を整理しておきます。1. なぜ「ハルカ」は「トトロ」を引用したか。たぶん、NHKの朝ドラの場合、舞台になる土地(今回は大分県の湯布院。)を発想の原点にして、物語を構想しなきゃならないっていう条件があるんだろうと思います。大分・湯布院という土地から、いろんなアイディアが生まれてるんだと思うけど、その中のひとつに、「由布岳の形がトトロに似てるから、由布岳をトトロに見立てる」みたいな発想があったんじゃないでしょうか。それに、大分県は、もともと『となりのトトロ』にゆかりがあるみたいです。・・そのあたりから、日本人なら誰でも知ってる『となりのトトロ』の世界を引用しつつ、大分県に「トトロの物語」みたいなのをつくる構想が出てきたんだと思う。2. 「ハルカ」はどんなふうに「トトロ」を引用しているか。とくに第一週では、「トトロ」の引用っぷりは徹底してます。言うまでもなく、、ハルカ&アスカは、『となりのトトロ』のサツキ&メイです。2人の年頃も同じだし、子役の顔立ちも似てる。髪形は完全に同じ。(10年後の今でも同じまま。)それぞれの性格もそっくりだし、何より姉妹の関係がそのまんまです。そして(意図的かどうかはわからないけど)、妹のアスカ役を演じてる、桝岡明ちゃんと黒川芽以ちゃんが、考えてみりゃ、2人とも「メイちゃん」だった・・というほどの徹底ぶりです。それから、「お父さんと引っ越してきたところがオバケ屋敷」という設定も、このドラマが「トトロの物語」であることを明示している部分です。さらに、脚本の大森美香ちゃんが、公式HPの中で、このドラマのタイトルにある「風」という言葉について語っていて、それによると、「春風のような爽やかさ」みたいなのが、このドラマの基本的なイメージのようなんですが、じつは、宮崎駿もトトロの世界を描くときに、「5月」という季節をイメージしていたようなので、その部分も、両方で共通するところなのかもしれません。そして、何より、満月の夜に湖から龍が昇っていくというエピソードが、「子供だけが見ることのできるファンタジー」として描かれるところも、ハルカの第一週はトトロの世界の再現だったんだ、と感じさせます。トトロの世界もまた、子供だけにしか見えない世界だったから。◇ ◇ ◇でも、第二週になると、こうした「トトロ的な世界」は、すべて壊れてしまう。満月の龍にたくした少女たちの願いは、無情な現実によって、何もかも打ち砕かれてしまいます。両親は離婚して、病の床にあった少年は死んでしまい、友達の一家は夜逃げして、父親のレストランも失敗に終わってしまう。このドラマにおける『トトロ』の引用が、かなり「逆説的なもの」だというのは、そういうことです。◇ ◇ ◇でも、それだけじゃないかもしれない。もしかしたら、トトロの引用は、第一週にはとどまらないかもしれません。「ハルカ」と「トトロ」で、もうひとつ似てるところがあります。大森美香ちゃんが、このドラマを構想し始めたとき、だだっ広い一本道をお父さんと小さな女の子が手をつないで歩いているというイメージがあったそうなんですが、たぶん、最初、主人公の少女は、姉妹じゃなくて、一人だけだったんだと思う。たぶん、大森美香ちゃんは、「トトロ」の世界に近づけるために、主人公の少女を、ひとりじゃなく「姉妹」にしたんじゃないかと思うんだけど、じつは、宮崎駿自身も「トトロ」を作るとき、最初は、一人の少女の物語を構想していたのに、脚本の辻褄あわせのために、後から「姉妹」という設定に変えたんだそうです。でも、大森美香ちゃんの場合、この姉妹を、たんにサツキとメイの実写版のように描くのではなくて、2人をあえて分裂させることで、それぞれを別のベクトルに向かわせて、そこから、、新たなドラマのダイナミズムを生み出そうとしています。「トトロ」ではほとんど一心同体だったはずの姉妹が、「ハルカ」では互いに分裂して、それぞれにちがう方向へ進み出してしまう。それが、新たな物語を生んでいく。わたしたちが見ているのは、サツキとメイの「その後の物語」なのかもしれません。その意味でも、このドラマは、外見的には「トトロ的」でありながらも、じつは、内容的にかなり「反=トトロ的」な要素を孕ませています。トトロをまねながら、じつはトトロを解体しようとしてるかもしれない。もちろん、このドラマが、「トトロ的なファンタジー」へのアンチテーゼになっているのかどうかは、ドラマを最後まで見てみないとわかりません。今日の放送で、アスカはこう言いました。お姉ちゃんも早く「自由」になったほうがいい。いつまでも「この家の犠牲者」でいることはない。お姉ちゃん、一生ここに縛られてれば?あたしは、春になったらここを出る。アスカが何から自由になろうとしてるのか。それは、この家(=お父さんが連れてきたオバケ屋敷)からです。そして、その家は、「トトロ的な世界」の象徴です。言いかえれば、アスカは、「トトロ的な世界」の幻想から抜け出そうとしてるのかもしれない。トトロ的なファンタジーは、第二週で壊されてしまったんだけど、じつは、姉のハルカのほうはまだ、それを信じてるのかもしれない。でも、妹のアスカは、その子供みたいな幻想を捨て去ろうとしてる。こういうハルカとアスカのちがいは、そのまま、お父さんとお母さんのちがいにも重なってます。幻想を信じる父親。現実だけを信じる母親。アスカから見れば、「トトロ的なファンタジー/子供じみた幻想」をいちばん信じているのは、ほかでもない、父親だってことになる。自分たちは、父親の子供じみたファンタジーの犠牲になってきた。アスカは、そういうふうに思ってる。じっさい、だれよりも「トトロの世界」に住もうとしていたのは、じつは彼女たちの父親だったのかもしれません。トウモロコシがどうとか言ってる場合じゃないんだよ・・これは、先週の最後の放送で、お父さんが言った何気ないセリフですが、この“トウモロコシ”というのも、じつは「トトロの世界」を象徴したアイテムです。『となりのトトロ』の中に出てくる“トウモロコシ”は、子供だけが見たファンタジーの片鱗を、大人に伝える役割を果たしてます。ハルカの父親は、まだこの“トウモロコシ”を信じようとしてるかもしれません。◇ ◇ ◇こんなふうに考えていくと、今後も、「トトロ」」の世界というのは、いろんなかたちで、このドラマの背景でありつづける可能性があります。(「となりのトトロ」については、こちらのサイトを参照しました。)
2005.10.17
日テレドラマは、もはや独走しつつある。NHKとも、フジとも違う独自のスタイルを、日テレはほぼ確立したと言っていいんじゃないでしょうか。今回の『野ブタ。をプロデュース』にも、映像を見ただけで、すぐそれと分かるような、“日テレスタイル”みたいなものが出来上がってます。映像が大胆なところは、フジも日テレもそうだけど、フジのドラマが「スケール感」で押しまくるのに対して、日テレドラマには、繊細でスタイリッシュな雰囲気があると思う。そして、ここには、いろんな点で、日テレドラマがここまで積み上げてきたものが、生かせてるような気がします。『ごくせん』で味をしめたキャスティング。『ぼくの魔法使い』の演出と、『すいか』の脚本。それから、タイトルに「。」がついてることもありますけど、どこか退廃的な映像のテイストってのが、『彼女が死んじゃった。』に通じるものを感じさせます。◇ごくせん2の経験から、“ジャニーズで視聴率”みたいな発想に味をしめちゃったんだろうけど、べつに、それが悪いことだとも思いません。あたらしいタイプの作品に意欲的に取り組んでるかぎり、それを視聴者に見せるための手段をとることも構わないと思うし、そもそも、ジャニーズのタレントたちは決して演技が下手なわけじゃない。むしろ、かなりレベルの高い演技をしてる子たちのほうが多い。亀梨くんについて言えば、彼のルックスは、切れるような危険な雰囲気を醸すほうが合ってるので、どちらかというと、今回の役よりも、「ごくせん」のときのほうがハマり役だったとは思うけど。むしろ、役柄的には、山下くんのほうが今回は見逃せないです。物語のなかでは、山下くんも「プロデュース」されていくのかもしれないけど、それで彼のキャラがまともになってしまったら、かえって面白くない。◇山下くんのキャラのこともそうだけど、物語の内容的な面でも、あんまりヒューマニスティックになりすぎると、このドラマの魅力は、いっきに失われることになる。ごくせんみたいな、勧善懲悪的なサクセスストーリーになってしまうのも、話としては、そのほうがわかり易いのかもしれないけど、日テレドラマの斬新さは、それによって後退してしまうことになる。そのへんのバランスが、むずかしいと思います。夏木マリとか、木村祐一、岡田義徳あたりも、変てこで理解不能なキャラを最後までつらぬければ面白いけど、それがヒューマニズムにまとまってしまうようだと、全然つまらない。高橋克実とか、忌野清志郎も、同じだと思います。日テレは、「ぼくの魔法使い」「すいか」「彼女が死んじゃった。」みたいな意欲的な試みをやってみせたんですから、その路線を、ここでもつないでいってほしい。ヒューマニズムと、日テレドラマの斬新なスタイル。そのぎりぎりの境界線のところでドラマを踏ん張れたら、この作品は成功です。
2005.10.16
このドラマは、「父と娘の物語」という面ももってるし、「母と娘の物語」という面ももってる。そして、わたしは、どっちにしても、ここで『ニコニコ日記』と同じテーマが変奏されているように思います。でも、このドラマには、それ以外に、もうひとつ大事な部分がある。それは、このドラマが、「姉と妹の物語」になってるってことです。これは、『ニコニコ日記』にもなかったことだし、いままでの美香ちゃんのドラマの中でも、はじめての試みになるんじゃないかと思います。今、わたしは、このことにとても興味をもってます。ニコニコ日記は、たった一人の少女の物語だったけど、風のハルカは、それとはちがって「姉妹の物語」です。そこが、2つのドラマで大きくちがうところです。ハルカとアスカは、性格もタイプもまるっきりちがう。父親に似て、田舎志向の強いハルカと、母親に似て、都会志向の強いアスカ。すべての事において、2人のベクトルは正反対になっていく。でも、第一週の子供時代のときに強く印象づけられたけど、この姉妹のあいだにある感情とか絆って、すごく深い。この姉妹の関係が、これからどう描かれるのか、わたしはとても楽しみにしてます。一筋縄じゃいかないくらい、2人で、それぞれの気持ちを、激しくぶつけあってほしい。それで、お互いのことを、また見つけ直してほしいです。ドロドロになったってかまわないから、姉妹の深い想いが、もう一度つながれるようなストーリーが見たいです。◇ ◇ ◇今日になって気がついたんですけど、番組エンディングとか公式HPとか、いろんなとこにウサギの「キリボンちゃん」がいるんですね。(~~;なんで「ウサギ」なんでしょう?しかも、なんで「キリボンちゃん」なんですか??あ、それと、昨日のまぐろのかぶと焼きもHPで見れるんですね。たしかに怖すぎです。(~~;グロいっていうか、黒い・・。海をバックに花まで添えて、マグロの頭を崖っぷちに飾る必要があったんでしょうか・・・
2005.10.15
やっぱりハルカは、龍のウロコをまだ持ってるんですね。これからも、このアイテムが大事なキーになると思う。ただ、ハルカが、このウロコに対してどんな思いを抱いているかは、けっこう複雑なはず。もしかしたら、ハルカはまだ夢を捨ててないのかもしれないし、あるいは、龍のウロコに、懐かしい記憶のかけらを見てるだけかもしれないけど、でも、そこには、もう何もかも信じることが出来なくなってしまうくらい、忌まわしくて、悲しい記憶だってあったんだから。これからも、龍のウロコのエピソードは、その部分をちゃんと踏まえて描かなきゃいけないと思う。◇それから、木綿子のことですけど、手紙の返事も書かず、由布院にもぜんぜん姿を現さないってことですが、電話はちゃんとかけてくるんですね・・・ここが、いまのところ、ちょっと意味わからんとこです。◇ ◇ ◇で、わたし、やっぱり黒川芽以ちゃんに胸キュンです。(~~*!!!いちばん最初に、オバケ屋敷の家から、ボテボテ歩いてくるところなんか、可愛くて、何回も見かえしちゃいました。・・どうして、彼女の愛称は“モキュ”なんですか??だれか知ってる人いたら教えてください。(T_T)【小ネタその1】このドラマ、たぶん、見た人が由布院に行きたくなるように作られてると思うけど、まさかウサギの「キリボンちゃん」とかいうのを、第2の「ゴーヤーマン」にでもするつもりなんでしょうか・・(~~;あるいは第2のガイセイバーとか・・。【小ネタその2】姉と妹の主従関係が、子供時代とはすっかり逆転してますけど、最後にアスカが文学賞受賞の電話を受けてるシーンでも、受話器を囲むハルカとアスカの位置が、子供時代とまるっきり逆になってました。(~~;;
2005.10.14
(今日ふたつめの日記。)出ましたね、大奥。じゅうぶん面白いと思いましたけど、予備知識がぜんぜんなかったので、今日いきなり見て、本筋とは関係ないところで、いろいろびっくりしてしまいました。まず驚いたのは、今回は「綱吉」なんですねー。だって、フジテレビは、ついこのあいだ、一話完結で「ツヨシ版ツナヨシ」やったばっかりじゃん!当然、それも踏まえてのことでしょうけど。忠臣蔵を裏から眺めて、綱吉を“隠れた名君”として描いた「ツヨシ版ツナヨシ」が、わたしはけっこう気に入ってたんだけど、今回はまた、例によって、綱吉を、稀代のバカ殿、うつけのイヌ将軍として描くわけですね・・(~~;で、もっと驚いたのは、ツヨシ版のときの綱吉の側近だったはずの吉保が、今度は綱吉に妻を寝取られるほうの人になってる・・!!(←田辺誠一)でもって、吉保のほうは、徳川家定??(←北村一輝)あたまぐーるぐるです・・そして、綱吉役が谷原章介っ?NHKで、妻を麻酔手術の実験台にしたときは、残酷とはいえ、高潔で立派なお医者さんだったのに、今度は妻をほったらかしにして、いろんな女につぎつぎ手を出す最低将軍なんですか・・。◇今回、ちょっと残念なのは、あんまりコギャルらしいコギャルがいないこと。池脇千鶴とか、星野真里とか、ああいう、ぜったい時代劇に似つかわしくないコギャルが出てくるのが楽しかったのに、今回のキャストは、ちょっとまともになりすぎてる気がする。なので、とりあえず、江波杏子のバケモノぶりだけが楽しみです。
2005.10.13
こりゃまた果敢なことをやりましたね。。両親は離婚して、初恋の男の子は死んじゃって、友達の一家は失踪して、お父さんのレストランも失敗して、お母さんも帰ってこない。何ひとつカタルシスがないまま、ひっそりと「子供時代」が終わって、いきなり10年後になってしまうんですね。。あいかわらず、大森美香ちゃんは、怖いもの知らずというほかないです。でも、わたし的には、今日の内容が、いままでの中でいちばん印象深かった。◇第一週は、となりのトトロの再現だったけど、それは、かなり内容的な部分に踏み込んだうえでの、逆説的な引用でした。本来、トトロ的な世界で描かれるはずの、「子供のファンタジー」は、ボロボロに打ち砕かれてしまいました・・。でも、わたしは、このドラマの「ファンタジー」が完全に死んだわけじゃないと思う。たしかに、両親は離婚してしまったし、初恋の男の子は死んでしまったし、レストランもつぶれてしまいました。でも、きっと大人の世界にも、「子供のファンタジー」とは別の、なにがしかの夢とかファンタジーとかがあるんだと思う。それがどんなものかはわからないけど、それは、このドラマの脚本家が、半年かけて、彼女なりに提示してくれると信じてます。だって、曲がりなりにも、ハルカたちは龍が満月に昇るのを見たんだし、「龍のウロコ」ってアイテムも、まだ残ってるはずです。きっとまた、それがドラマの中で生きてくると信じたい・・。(ちい) どんだけ泣いたあとでも、 もっかい目開けて、“おはよう”っちゅう力も持っちょる。(ハルカ) 意味分からん・・このシーン、ハルカの“即答”がちょっと笑えるけど、同時に、ここでわたしは、なんだかじーんとしてしまいました。きっとハルカはこれから、少しずつこの「意味」を分かっていくんじゃないでしょうか。◇ところで、母親の木綿子のことですけど、「手紙の返事を書かなかった」ってことですが、なにか彼女なりの理由があってのことなんだろうとは思うけど、そういうとこが、こりゃやっぱり美冬だ。と思ってしまう。
2005.10.13
アスカちゃんが、電車の中からお姉ちゃんを呼ぶシーンは、番組予告やら何やらでなんども見てたから、もうドラマの途中ぐらいから、「あのシーンがくる・・」と分かってはいたんだけど、「来るぞ、来るぞ」と思いながら、来る前からすでに泣いているわたし・・。エ~ン。(T_T)あのアスカ役の女の子。ただの天然とも思えない、あの演技力は何なんでしょうか。。◇木曜日から「大人のハルカ」が始まるってことなんですが、そう考えると、子供時代の最後の部分になる、この第二週の前半の3回(月・火・水)が、ドラマの中でもかなり重要な意味をもつことになるんじゃないかな。通常、朝の連ドラの場合は、第一週の内容がドラマ全体のテーマを暗示する場合が多いので、(たとえば『ちゅらさん』がそうだったから。)わたしは、一週目をかなり気合いれて見てました。でも、このドラマの場合、もしかすると一週目の内容は、ドラマの設定を説明するだけにとどめたのかもしれません。雰囲気的にも、「トトロ的な世界」に徹することで、できるだけ物語を明るく明るく描こうとしてたように思います。でも、第二週の前半で、大森美香ちゃんは、それを一気に落っことしてみせる。・・トトロ的なファンタジーはボロボロに壊れて、物語は、悲しみの底に沈んでしまう。予告を読むかぎり、たぶん、そういうふうになるはずです。一週目からそれを出してしまうのは、あまりに酷だという判断だったのかもしれません。それで、悲しい話は二週目にもってきて、そして、その週の後半には、また前向きに「大人時代の物語」がスタートできるように。そんなふうな作りになってるのかもしれません。なので、明日の放送は「子供時代の最後」になると思うので、そのへんをすこし覚悟して観るつもりでいます。
2005.10.11
8日の日記に、どうやってキャスティングしたのかが不思議なぐらい、子役のふたりは『トトロ』の姉妹に似てるし、村川絵梨と黒川芽以は、その子役のふたりに似てる・・。ってなことを書いたんだけど、さらなる事実が判明。アスカの子供時代を演じたのが桝岡明ちゃんで、今週からアスカを演じるのが黒川芽以ちゃんで、つまり、2人とも『トトロ』に出てくる妹の「メイちゃん」と同じ名前。え~っっ!!これって、たんなる偶然なんですか??ますますナゾは深まるばかり。◇さて、わたしはこのドラマを見ながら、ついつい『ニコニコ日記』のことを思い出してしまうんですが、わたしは、今まで、『ニコニコ日記』のことを、あれは“お父さん探し”の物語だったんだ、と考えてました。でも、このドラマを見ていて、ほんとうは、『ニコニコ日記』って、“母と娘”の物語、つまり“お母さん探し”の物語だったのかも、と思うようになった。これから『風のハルカ』のなかで語られていくことになる、“ハルカと木綿子の関係”というのは、ちょうど、『ニコニコ日記』でいうと、“ニコと美冬の関係”にあたるから・・。もしかしたら、あのときのスタッフは、『ニコニコ日記』でやり残したことを、『風のハルカ』の中でやろうとしてるんじゃないかって気がする。◇で、さらになんだけど、今後の『風のハルカ』に登場する、(松岡充くん演じる)「猿丸啓太郎」というフォトジャーナリスト。ちょうど『ニコニコ日記』にも、「森村勇樹」ってフリージャーナリストが登場してたし、あるいは、(成宮くん演じる)風船アートの青年なんかも登場してた。あのへんの人物って、『ニコニコ日記』の中ではけっこう謎の残る役だったんだけど、今回の「猿丸啓太郎」にも同じニオイを感じる。「スナフキン風のジャーナリスト」ってことなので、『ニコニコ日記』に出てきた2人の人物を混ぜ合わせたような存在かも。
2005.10.10
てなわけで、ハルカ一週目おわり。由布岳がトトロなんじゃないの?って説を確認すべく、ネットで由布岳の写真なんか見てまわったんですけど、こちらのサイトでオープニングの映像にもそっくりな写真↓を見つけました。(直リンごめんなさい)http://www.yado.co.jp/yama/o_yufudake/yufudake33.jpgね!ねっ!もう、まんま、トトロじゃないっっ??ってことで、「由布岳=トトロ説」は確定とさせていただきます。◇っていうか、そもそも第一週の内容じたい、完全に「トトロ」の物語そのものだったわけです。これはあきらかに意図的な引用だと思いますが、いったい、これって何を意味してるんでしょうか。。姉妹の設定も、トトロに出てくる姉妹とおんなじ。子役のふたりも、トトロに出てくる姉妹に顔立ちがよく似てたし、髪型まで、トトロの姉妹とおなじになってた。自立心が強くて、自分でものごとを判断する姉と、お姉ちゃんの真似をするだけの妹。でもって、ふたりを見守る由布岳(=トトロ)。お父さんが連れてきたオバケ屋敷。これは、完璧なぐらいに「トトロの世界」になってる。◇ ◇ただし、このドラマの姉妹というのは、『トトロ』のなかに出てくる幸せな姉妹とは違う。そこが、たぶんこのドラマのテーマなんでしょう。いつもお父さんとお母さんに見守ってもらえる、トトロの姉妹のような幸せな子供じゃない、ってこと。◇来週の予告を読むと、10年後、妹のアスカは、姉をしのぐほどの、すごく自立心の強い少女になっているみたいです。子供だったアスカは、もう子供じゃなくなってしまう。もともと、「トトロの世界」というのものは、<子供だけに見ることができる世界>でした。(満月の湖から昇る龍も同じ。)でも、いずれ、みんな子供じゃなくなってしまう。そのことが、来週以降のドラマの中で描かれていくんだと思う。◇たぶん、最初のアイディアは、<由布岳がトトロに似ている>みたいな単純なとこから始まったのかもしれないけど、こうやって、第一週目を、徹底して「トトロの世界」として描いたことが、今後、このドラマの中で、かなり逆説的な意味をもたされていくんだろうと思います。(それを見て、宮崎駿がどう思うのかはともかく。。)◇ま、宮崎駿の話は措いといて、わたしにとって、物語の内容よりもっと「謎」なことがあるんですけど、いったい、このドラマのキャスティングって、どうやって決めたんでしょうか??普通なら、主役の女優をまず決めてから、その女優に似た子役を探すもんだと思うんだけど、このドラマを見るかぎり、まず最初に「トトロ」の姉妹に似た子役を決めて、そのあとで、その子役に似た女優を探したんじゃないかって気がする。そのぐらい、子役の2人は、トトロの姉妹に似てたし、これから出てくる女優は、その子役の2人に似てると思います。☆ ☆ ☆ ・・さて。話は変わるんですけど、来週から「アスカ」役で登場するのが、“黒川芽以”って子らしいんですが、この人、ひさびさに、わたし好みなアイドルの予感。。ネットでこの子の写真をアサってたら、うまく言えないんだけど、ちょっと胸キュンにさせるところあります。プルプルなのに、それでいて、どっか媚びない感じ。といっても、まだ動いてる映像を見たことないんですが。歌も歌ってるらしいし、矢野顕子の「ひとつだけ」なんか歌ってるらしい。自分で作詞なんかもするんだそうです。むむー。この子のことをよく知ってる男性諸氏のかたがた、いろんな情報キボンコです。(*~~*)
2005.10.08
ほんとに由布岳の形は、トトロそっくりですね。ちょうど耳と目の部分が白かったりして、可愛い山!あの姉妹2人も、たまらなく可愛いです。少年に一目惚れをする瞬間のハルカちゃんの表情とか、電話してるアスカちゃんの、あの歯並びの感じとか・・。ああ、大森ドラマだなあって。今日は、とくにそう感じさせる内容だった。一目惚れの瞬間に流れたメロディも、聞きのがせません。でも、「子供時代」の回は、今週と来週ぐらいで終わってしまうんですよね。それがちょっと寂しいかな。
2005.10.06
てっきり、ハルカたちはお父さんを失うのかと思いました。ニコと同じように、また、お父さんを失った少女の話がはじまると思ってた。でも、来週の予告を読むと、逆だったみたいです。彼女たちは母親から離れてしまうんですね。大森美香ちゃんは、ハルカに、お母さんではなく、お父さんを選ばせたんですね。もしかしたら、彼女は、『ニコニコ日記』とは反対のことをやろうとしてるのかも。あ、でも、実の母親と離れざるをえないという意味では、やっぱりニコと共通する部分もあるのかな。いずれにせよ、存在しないお父さんと、存在するお父さん。どちらも、ドラマになりうるほど少女にとっては難しい。
2005.10.05
今日ふたつめの日記。やっぱり、あれはガイセイバーだったんでしょうね・・まっ、小ネタ中の小ネタですね。(~~;それはともかく、内容的にも、このドラマ、やっぱり『ニコニコ日記』を思わせるところはあります。『ニコニコ日記』って、あれは、とことん父親が不在の物語でした。ケイちゃんも父親がいなくて、ニコりんにも父親がいなくて、もしかしたら、美冬にも父親がいなかったのかもしれない。今回も、いるんだかいないんだか分からないような父親。葛藤をかかえる母親と、もの分かりのよすぎる娘。女だけで受け継がれていく家族。たぶん、母親(真矢みき)にも、父親がいない。なんだか、テーマは似てる気がします。でも、渡辺いっけいが存在してるだけでも、『ニコニコ日記』に対する何がしかの答えがあるのかなァ。それはそうと、あの、お化け屋敷のうえの風見鶏みたいのって、『ミニモニ・ブレーメン』のと同じに見えるんだけど?!
2005.10.04
内閣府に「少子化対策推進室」が設置されるそうです。そういうものを設置することに対しては、だれも文句なんか言わないだろうし、実際、少子化に対して何もやらないわけにもいかないのでしょう。でも、そうかといって、そのぐらいの試みで、現実に有効な対策が立てられるのかというと、これといった見通しもほとんどないのが現状だろうと思います。わたし自身のことをいえば、いわゆるマクロ的な意味での「少子化問題」には、あまり関心がありません。マクロ的な視点で「少子化問題」を語る人たちは、早い話、「経済」(もっと言えば「財政」)のことしか頭にない。でも、少子化というのは、たんなる「マクロ経済的な問題」で済まされることではありません。子供を生み、育てることができなくなってる、これは、ほかでもなく、「人間社会」そのものが崩壊しつつあるってことだから。人間が、人間自身を再生産できなくなってきている。種としての人間が、世代を引き継ぐことができなくなりつつある。わたしから見れば、これは「財政」とか「国債」とか「年金」とかいったこと以上に、もっと、生物学的で、実存的な危機を意味してるんじゃないかと思います。◆少子化の原因として、しばしば、経済的な貧困とか、女性の労働環境のことなどが言われます。もちろん、そういった原因もあると思う。でも、「経済的な基盤さえあれば子供ができる」というのは間違いです。子供を生み、育てるためには、まず、その背後に“共同体”というものがなければ無理だと思う。いくら経済的な基盤があっても、共同体から切り離された核家族だけで子供を生んで育てるというのは、根本的にいって無理があると思います。たんに人間の「数」を殖やせばいいだけなら、それでもいいかもしれない。つまり、マクロ的な問題として、経済的に処理すればいいのかもしれないけど、そもそも、人間というのは、パンダやらトキなんかとは違います。「数」だけ殖やしときゃいいってもんじゃない。人間は、人間の社会がなければ育ちませんし、生きていけません。それは、子供だけでなく、大人も同じです。人間の社会や、共同体というものがなければ、大人の人間でさえ、自分自身を日々再生産することはできないと思う。親や子をふくめ、すべての人間にとって、共同体の存在は不可欠だと思います。けれど、今から、地域の共同体や、地縁、血縁、親族などで結ばれた、濃密な共同体のつながりを取り戻すことも不可能に近い。だいいち、もはや現代人は、そういうものの復活を望みません。だから、新しい共同体の形を構築しなおさなきゃならないと思います。◇それは、地縁とか、血縁とか、婚姻といった関係だけで結びつく共同体じゃなく、まったくの他人どうしが、自由な意思だけでつながりあえるようなものじゃないといけない。たとえば、わたしは、ドミトリーみたいな共生の形態が増えればいいんじゃないかと思う。ドミトリーというと、従来なら、学生とか、一人暮らしの独身者とか、経済的に余裕のない単身者などが住む場所ってイメージでしたけど、でも、わたしは、ドミトリーのようなスタイルの生活空間には、もっともっと多様な可能性があってもいいんじゃないかと思ってます。じっさい、最近は、「ルームシェア」みたいな形で、血縁関係でも、婚姻関係でも、いわゆる同棲でもなく、まったくの他人どうしが、お互いの事情と自由な意思とでもって生活空間を共有しよう、みたいなスタイルも出てきています。それは、経済的な事情もあるだろうけど、その背景には、共同体から切り離された個人が潜在的に抱えてる、「不安」とか「孤独」ってのもあると思う。わたしが考える「ドミトリー」というのも、「ルームシェア」みたいな発想に近いかもしれません。もっと多数の人間によって、システム的に生活空間を共有するような、「ルームシェア」の延長のようなかたちのドミトリー。しかも、そこに住むのは、単身者だけでなく、核家族や、老人をふくむ生活集団であってもいいんじゃないかと思う。もちろん、シングル・ペアレントとその子供だって構わない。従来のドミトリーでは、結婚したり、子供を生んだりすれば、ドミトリーを出て行くのが普通だったと思うけど、べつに、ドミトリーの中で結婚をして、子供を生み、世代を交代したっていいと思うんです。◇ドミトリーというのは、そこに住むメンバーが、互いに協働しながら生活を作っていく場所です。それぞれのプライバシーを守りながらも、お互いが、お互いに対して、ほどよく開かれていて、共有する物や空間ももっている。じつは、こういう生活形態は、現代の「大量生産、大量消費、大量廃棄」を克服するための、有効な手段にもなりえるものです。お互いに協働し、さまざまなものを共有するという点で、それは、従来のマンションやアパートみたいなものとは違います。老人ホームとも違う。たとえば、従来のマンションというのは、それぞれのプライバシー空間が完全に遮断されてるし、ほとんど互いに接点はありません。共有するものもほとんどない。マンションの住人というのは、全員がマンションのサービスを享受するだけで、たがいにサービスを供給しあったり協働したりはしません。それは老人ホームも同じで、老人ホームの住人は、スタッフのサービスを享受するだけです。それぞれがサービスを消費するだけの共生集団というのは、ものすごく我がままになりがちであると同時に、じつは非常に孤独です。そういう場所に生きる人間が、精神を病んだり、生きる自信をなくしたりするのは当然だと思うし、まして、子供を生み育てていく自信なんか持てないと思う。その点でも、ドミトリーみたいなものには、可能性があると思っています。(このテーマ、しばらく続けようと思います)
2005.10.04
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