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NHK「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」シーズン4。21世紀の地政学《ゴシック編》の全3回を見ましたが…Twitterの感想も不評が多かったようだし、民放のバラエティならともかく、NHKのドキュメンタリー番組の水準としては、ちょっと見劣りのする内容だったように思う。◇で、例によって、音楽惑星さんと意見交換をしました。全面的な番組批判というわけじゃないのですが、自分的にいろいろ気づきもありました。今回もその内容をこちらに掲載します。◇赤字がわたし。青字が音楽惑星さんです。NHK「サブカルチャー史」ゴシック編の内容って、あんなんでいいのかな?なんか上っ面な感じで本質からズレてる気がするんだけど。どうなんでしょうね。まあ、文化史に「正史」があるわけじゃないし、サブカルチャーとして「ゴシック」を語ったら、ああいう風になるのかな。すくなくとも「ゴシック」のメインストリームにはなってないと思う。あのNHKのシリーズって、番組名が「サブカルチャー史」になってますが、《アメリカ編》なんかを見ると、完全に「メインカルチャー史」ですよね(笑)。B級映画ならともかく、スター俳優が出演するハリウッド映画なんてメインカルチャーなんだから、サブカルチャーじゃないですよ。だから、番組のコンセプトがもともと曖昧なんじゃないでしょうか。英国のロックミュージックだって、サブカルチャーじゃなくてメインカルチャーだと思いますよ。サブカルチャーがしだいにメインカルチャーに変わるのよね。日本の漫画やアニメも元来はサブカルチャーだったのに、いまや国家経済を支えるメインカルチャーだもんね。《アメリカ編》はけっこう見ごたえがあったけど、言われてみれば、たしかに「メインカルチャー史」だったね。だから、よけいに《ゴシック編》のサブカルチャー史が薄っぺらく見えるのかな。しかも日本のゴスロリなんぞを結論にしてるから、内容が全体にキッチュで軽薄なんですよ。いまや日本のゴスロリは海外にも輸出されてるから、そこに焦点を当てたい気持ちも分かるんだけど。ゴシックの本流から見れば、日本のゴスロリは枝葉末節でしょうね。日本の覆面レスラーがゴシックだ…とかいう話も唐突だし。あれはメキシコのルチャリブレから来てますよね。アステカ文明の影響だろうと思います。まあ、南米先住民の生贄文化やドクロの文化って不気味だけどさあ。それをゴシックの文脈でとらえる必要があるのかっていう。今回の番組でプロレスのことを取り上げたのは、たぶんヘビメタがプロレスの文化に近い文脈で消費されてることを念頭に置いたんだと思います。あー、そうなのね。それもまあ、枝葉末節だと思いますが(笑)。プロレス入場曲-ハードロック・ヘヴィメタル-https://t.co/1eoVoqSIER— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 27, 2024もともとゴシック的な美学をもってたのは、ハードロックやヘビメタよりも、グラムロックですよね。ルー・リードやアリス・クーパーやデヴィッド・ボウイなんかがノワール風のロックオペラやシアトリカルロックを作ってた。厳密にいえば「ノワール」と「ゴシック」は違うと思いますが、そういうグラムロックからゴシックロックが派生して、さらにヘヴィメタルと融合してゴシックメタルになるんだと思います。今回の番組ではグラムロックのことには触れてなかったね。サブカル的にはプロレス寄りのヘビメタのほうが重要なのかな(笑)。ただ、番組全体は英国中心史観で作られてたと思います。わたしは、そこがいちばん気に入らない(笑)。英国のゴシックロマンスを起点にするから??英国のゴシックロマンスはもちろん重要なんだけど、そこへ至る前提として大陸のロマン主義があるわけでしょ。ユゴーの「ノートルダム・ド・パリ」とか、ゲーテの「ファウスト」とか。そういう大陸ロマン主義のおどろおどろしさというのが前提にある。そうですね。英国中心史観って、ロックのビートルズ中心史観もそうだけど、大陸的な要素を必然的に見落とすでしょ。萩尾望都の「ポーの一族」とか永井豪の「デビルマン」だってそうなんだけど、日本のマンガ文化もドイツロマン主義の影響を受けてることを認識すべきです。手塚治虫にはゲーテの影響があるし、萩尾望都にはトーマス・マンの影響がある。英国ゴシックからの流れをいうんなら、藤子不二雄Aの「怪物くん」を挙げるべきだ!(笑)そう(笑)。もれなくドラキュラもフランケンも出てくるよ!ドイツといえば、グラムロックは基本的に英国の潮流ですけど、ルー・リードの「ベルリン」とか、デヴィッド・ボウイの「ベルリン三部作」とか、イギー・ポップの「イディオット」みたいにドイツに関連した作品もけっこう多いです。英国のゴシックロマンスも、ドイツ文化に発想の源泉を得てますよね。とくにゲーテの「ファウスト」は、フランケンシュタインを考えるうえで欠かせない。近代性への批判という意味で。悪魔に魂を売ったファウスト博士がいなければ、フランケンシュタイン博士もいないし、ジキル博士も、天馬博士もいないわけでしょ。そういう認識があってこそ、試験管ベビーやヒトゲノム計画が「ゴシック」の文脈に繋がる。ティム・バートンの「シザーハンズ」や枢やなの「黒執事」だって、ゲーテの「ファウスト」の流れから見ないと分からない。それから「サイボーグ009」のギルモア博士もそうです。石ノ森章太郎の「サイボーグ009」や「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」がなければ、永井豪の「デビルマン」もありえないはずです。キューブリックのストレンジラブ博士もその系統だよね。オッペンハイマーのことも意識してると思うけど。あのモデルはヴェルナー・フォン・ブラウンとかエドワード・テラーとか、いろいろ言われてますね。そして、そういう文明批判と同時に、「ゴシック」には異教的なものへの負の眼差しがあるわけよね。ゲーテの「ファウスト」にもワルプルギスの夜が出てくる。これはトーマス・マンの「魔の山」にも関係する。ケルト的な、あるいはゲルマン的な異教文化の象徴です。それからキリスト教の世界では、異教の神々を悪魔よばわりしたり、異教の精霊を堕天使よばわりするんだよね。だから、メフィストフェレスは異教の神さまなんだと思う。永井豪の「デビルマン」や庵野秀明の「エヴァンゲリオン」は堕天使ですね。ファウスト博士は錬金術師なんです。錬金術も東方の異教的な文化だと言っていい。そうだね。近代の科学技術は錬金術の影響を受けてるわけですよ。アイザック・ニュートンも錬金術師だった。錬金術は、古代ギリシアにもあったはずなのに、中世のカトリック教会はそれを排除してしまった。ところが、十字軍のときにイスラムから逆輸入されて、それが近代科学の発端になるわけです。まさに、それこそが「ゴシック」だよね。異教的であると同時に近代的でもあると。異教の文明にしても、近代科学文明にしても、カトリックの神を否定するという点で同質なのです。東方の異教文化に対する視線は「ゴシック」の共通要素かもしれません。ルーマニアのドラキュラも、東欧の正教文化に対する暗黒的なイメージが重なってるんじゃないでしょうか。冷戦時代のベルリンも東方世界に囲まれた飛び地だったから、何かせめぎ合うような場所だったと思う。NHKの番組ではチェコの映画のことを取り上げてましたが、チェコのプラハも錬金術師の多かった町だし、西欧カトリック社会を裏返すような異質な要素に満ち満ちてる。フランケンシュタインにはユダヤのゴーレムの影響もあると思います。いずれにしても東方の異教文化ですよね。さっき「怪物くん」の話をしましたが、あれに出てくる狼男も、東欧や北欧の獣人伝承です。チェコの「闇のバイブル/聖少女の詩」という映画は、1968年のプラハの春のさなかに作られてるんだけど、社会主義の立場からカトリックを批判してるのか、それともカトリック教会による抑圧を社会主義政府による抑圧に重ねてるのか、よく分からない。チェコの人たちは、カトリック信仰をみずから選んだんじゃなくて、ハプスブルク家に押しつけられたのだし、宗教改革も封じられてきた。そしてハプスブルク家が退場したと思ったら、こんどはソ連から社会主義を押し付けられた。いろんな抑圧のなかで地下文化を育んできた国ですね。シュルレアリスムの発信地でもあった。英国から「ゴシック」の影響を受けるまでもなく、もともと奇怪な想像力を肥大させてきた国だと思います。南北戦争時代の南部社会もゴシックロマンスの舞台になってきたんだけど、それについても今回の番組では取り上げてない。南部ゴシックについては、ちょっと分からないです。なぜ米国南部が「ゴシック」になるのかが、いまいち分からない。ヨーロッパの「ゴシック」とはちょっと違うでしょう。異教的なわけでもないし、異民族的なわけでもないし、先住民の文化を「ゴシック」ととらえてるわけでもないし、むしろ南部の白人社会を「ゴシック」として表象してるわけですよね。北部から見たら、南部の社会が野蛮で暗黒的に見えたんだろうね(笑)。よくいえば西部劇みたいに逞しくてカッコいいけど、馬に乗った人たちが道端で決闘して殺し合ったりしてたわけだから。19世紀の日本人がチョンマゲ結って切腹したりしてたのと同じで、野蛮な未開社会に見えたんじゃないの?20世紀になってもKKKなんかが黒人のリンチ殺人したりしてるし。ビリー・ホリデーの「奇妙な果実」とか。それはやはり「ゴシック」というより「ノワール」じゃないかと思います。まあ、そうだね。ナサニエル・ホーソンとかエドガー・アラン・ポーの場合も、要するにサスペンスのことを「ゴシック」と言ってるんだろうね。それでいうと、同じころの英国にダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」とかシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」とかがあって、そちらもサスペンス要素がゴシック風味になってる。あとは、大きなお邸がゴシック建築に見えるかどうかって話かもしれませんね(笑)。日本のゴスロリは「ロッキーホラーショー」の影響だと思ってたんだけど、大槻ケンヂは80年代前半の鹿鳴館ギャルのことを話してました。Wikipediaによると、米国で「ロッキーホラーショー」のコスプレ上映が始まったのは76年なんだけど、日本で応援上映をやったのは88年のリヴァイヴァル上映のときみたい。わたしが東京で「ロッキーホラーショー」を観たのも90年代です。欧米でいちはやく「ロッキーホラーショー」を体験した人が、80年代の鹿鳴館ギャルになった可能性もありますが…。自分はてっきりフランス人形の影響かと思ってました(笑)。フリフリのお人形みたいなドレスを着てるから。人形って怖いもんね。ホラー映画にもよく出てくるね。古い人形は怖いんですよ(笑)。日本の市松人形も怖い。四ツ谷シモンの関節人形みたいなのも不気味だしね。日本の場合は、とくに大正時代に、怪奇趣味的なものや退廃趣味的なものが和洋折衷のなかで生まれてきて、人形文化もそういう面を負ってるんじゃないかな。江戸川乱歩とか澁澤龍彦あたりを「ゴシック」の文脈で括ることもありますよね。ジム・シャーマンの「ロッキー・ホラー・ショー」は75年の英国映画だけど、同じ年にケン・ラッセルが「トミー」を撮ってて、当時としては、そっちのほうが評価が高かったはず。そしてケンちゃんは86年になって、その名も「ゴシック」という映画を撮ってるわけです。わたしが「ゴシック」の文化に触れたのも、この映画が最初でした。観たのは90年代になってからだけど。たぶん三鷹オスカーの3本立てとかで。三鷹オスカーの3本立て(笑)。そのときはメアリー・シェリーのこともブラム・ストーカーのこともよく知らないから、内容もよく分からなかったんだけど、いま考えると「ゴシック」の何たるかを知る上でお手本のような映画だったと思います。ディオダティ荘の怪奇談義を再現してるわけですよね。ケン・ラッセルってエキセントリックな人だけど、じつはイギリスの正統をとても意識してる人だと思う。D.H.ロレンスとか、オスカー・ワイルドとか、ザ・フーとかのキテレツな部分こそが英国らしさだと考えてたんでしょう。あれも、ひとつの英国らしさなんですね。そんな彼がなぜ「マーラー」を撮ったのかはよく分かんないんだけど(笑)。プログレの起源をマーラーに探ったとか?マーラーも分裂症的でキテレツな音楽だからかな。70年代に長尺の楽曲を収録したプログレのアルバムが売れるようになってから、マーラーのような長大なクラシック音楽も売れるようになったそうです。英国のロック文化とドイツ系のクラシック文化が、重厚長大な美学で重なり合ったともいえます。それまでマーラーやブルックナーなんて聴く人はあまりいなかった。もともとの「ゴシック」の語源は、西ゴート族のゴテゴテした野蛮な文化の蔑称なのだけど、それを18世紀以降のゴシック・リヴァイヴァルのなかで、英国人やドイツ人が自民族的なルーツとして再評価していくわけよね。異民族の異教文化に対する恐怖心とか侮蔑の感情が根底にありつつ、それを反転させたところに新しい価値が生まれてきた。ラテン的ではない、ゲルマン・アングロサクソン的な価値。そういう意味でいうと、日本にも「ゴシック」に相当するものはあると思います。たとえば弥生土器にくらべて縄文土器はゴテゴテしてる。能・狂言にくらべて歌舞伎はゴテゴテしてる。奈良の都市仏教にくらべて山岳修験道や北陸の浄土真宗はゴテゴテしてる。これは神仏習合の結果だけど。つまり、上方の朝廷文化から見ると、列島周辺の土着の文化ってゴテゴテしてるんですよ。洗練されてない。わたしは荒木飛呂彦の「岸辺露伴」の志向に日本のゴシックを感じるんだけど、それはたんに怪奇趣味的だからじゃなくて、都の仏教的な文化と対極的な土着の習俗を掘ってるからなんです。たとえば、小泉八雲みたいに出雲の神話を探ったり、北陸の浄土真宗的な泉鏡花とか、滝沢馬琴みたいな房総半島のヤンキー武士の世界をリスペクトしたり、目のつけどころがいちいちゴシックだと思うのよね。馬琴の「南総里見八犬伝」って千葉のヤンキーなんですね(笑)。あれは戦国時代の木更津キャッツアイですよ。荒くれ者の野武士集団だから。岸辺露伴は京都に行くべきじゃない、と。いや、べつに京都で百鬼夜行に遭遇してもいいんだけどさ(笑)。このあいだNHKでやった「密漁海岸」も伊勢が舞台だった可能性はあります。でも、いままでのところは、おおむねゴシックな感じがするんです。
2024.06.29
NHK「スイッチインタビュー」を見ました。萌音と対談したのは、言語学者の川原繁人。後編の「ッチ」が面白かったです。おもに音声についての話でした。言語学のなかに音声学も含まれるんですね。◇昨年末の「bmp唇歯音疑惑」の謎が解けた!ほんとに笑顔で唇あけて「ぶ」の発音してるwわたしも、けっこう前歯は大きいのだけど、やってみたら、なかなか難しい。でも、不思議なことに、萌音の顔を見ながら真似てみると、わりとすんなり出来るみたいです。笑顔の作り方にもコツがあるのかも。身近にそういう人がいたら、おのずと出来るようになる気もする。きょうの #スイッチインタビュー 再放送は#上白石萌音 × #川原繁人 EP2究極の言語オタク、川原のパワーが炸裂!「萌音さんの発音に関して面白い発見をしたので、プレゼンするのが楽しみです」その発見に上白石も驚き!午後2:30 #Eテレhttps://t.co/emM3aowlQj pic.twitter.com/r49Fmxl3aM— NHKスイッチインタビュー (@nhk_switch) June 23, 2024この技を使えば腹話術もできるのでは??昔の竹中直人みたいに、笑いながら怒ったりもできるかもしれませんw笑ったまま「バカヤロウ!」って言えるし。【筑摩書房 近刊情報6/24発売】竹中直人『なんだか今日もダメみたい』映画、舞台、音楽、テレビを横断する〈表現者・竹中直人〉を紐解く書き下ろしエッセイ集。家族や学生時代のエピソードから俳優や音楽家との交流まで。帯推薦:内田也哉子、MEGUMI、上白石萌音 カバー装画:奈良美智 pic.twitter.com/LO4PIhVs63— 筑摩書房 (@chikumashobo) June 13, 2024◇ちなみに浜辺美波は、つねづね「自分の名前が言いづらい」と話してるけど、それは、名前のなかに、両唇音(bとm)が4つも入ってるからだよね。 HAMABEMINAMI萌音みたいに唇歯音をマスターすれば、多少は言いやすくなるかもしれません。ただ、美波の場合は、萌音みたいに前歯が大きくなさそうだし、歯列矯正の影響もあって、前歯がやや奥まった位置にあるでしょうか。◢◤ハリトピ ✖ #もし徳 コラボ◢◤6/14〜TOHOシネマズの幕間映像「シネマチャンネル」内のハリウッドトピックスにて、#浜辺美波 さんと #武内英樹 監督が特別出演するスペシャル映像を放映📽️映像はこちらを✅https://t.co/lP2A504Asq#もしも徳川家康が総理大臣になったら🎬𝟕月𝟐𝟔日公開 pic.twitter.com/8CQJklELJZ— 映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』公式【2024年7月26日(金) 公開 】 (@moshi_toku) June 13, 2024 ◇余談ですが、浜辺美波って、ふだんは早口で滑舌もよくないから、話が聞き取りにくいときもあるのだけど、おそらく本人もそれを自覚してて、そのぶんドラマや映画でセリフを話すときは、意識して明瞭に喋ってるんだろうなと思う。だから、結果的に美波のセリフって、ほかの俳優のセリフよりも聞き取りやすいのよね。…まあ、いまはテレビにもネットにも字幕機能があるから、セリフの明瞭さはあまり重視されないらしいのだけど、でも、やっぱり、セリフがはっきり耳に届く説得力ってあると思います。◇七夕さまの歌の話。♪ささの葉さ~らさら…は、もちろん知ってるけど、2番の歌詞まで知りませんでした(^^;♪五色のた~んざく…からはじまるんですね!◇川原繁人の説によれば、幼少期のリトル萌音が、♪五色のタンザカクと歌ってたのは、子音と母音を前後から借りた結果とのこと。 TA N ZA KA KUでも、同じ理屈でも「タンザズク」にはならなそう。 TA N ZA ZU KUわたしはむしろ、「たんざかい」という自作の形容詞の連用形だったのでは?…という気がします。
2024.06.29
第9話は全体的にゆるくて、ちょっと昼ドラっぽい雰囲気を感じました。◇絵本の「ぐりとぐら」って、双子の隠喩なのかもしれないけど…あれは卵を食い物にする話なので、このドラマの文脈的にちょっと怖い気もします。それから、オス犬が「去勢しても虚勢を張る」…って話も、いまひとつ脚本の意図するところが分からなかった。◇リキが基(稲垣吾郎)と結婚するという選択は、かつて佳子おばさん(富田靖子)が語った、「結婚すれば自由になれる」という示唆に従うことにもなるのだけど…ちょっとドラマの結末としては考えにくいのよねぇ。なので、リキが基と結婚することはないと思う。そして、その場合、むしろ問題になってくるのは、すんなり子供を引き渡せるのかどうか、でしょう。出産直後にしろ、子育てを1年間手伝ったあとにしろ、子供と離れるのが辛くなる可能性はあるよね。その場合、どちらに親権が認められるのか。かりにDNA鑑定の結果、基の遺伝子がぜんぜん入ってなければ、(契約との兼ね合いにもなるけど)リキが親権を得る可能性が高まると思う。逆に、基の遺伝子を受け継いでるなら、草桶家の子供になる可能性が高まるでしょう。二卵性の双子なら、片方がリキの子になって、片方が草桶家の子になることもありうる。◇もしも、リキが子供を引き取ることになれば、リリコの家に居候したまま、シングルマザーとして生きていく、…みたいな選択もありうるだろうし、実際、そういう展開にでもならなければ、いとうせいこうまで出演させた意味がないのよね(笑)。
2024.06.28
またまたNHK「フロンティア」を見ました。テーマは《ヒトはなぜ歌うのか》です。英国の認知症患者や、アフリカのピグミーのバカ族を取材して、音楽の起源や脳とのかかわりを探ってましたが…これが奇しくも、アニメ「鬼滅の刃」柱稽古編や、ドラマ「アンメット」にも重なる内容!1.予測機能と反復動作音楽のビートには次のような効用があるそうです。音楽のビート(リズム)を聴くと、脳内でドーパミンなどの報酬物質が発生することがわかっています。報酬物質とは私たちが気持ち良さ、快楽を感じた時に分泌される脳内物質です。ビートが繰り返されると脳の「予測機能」が働き出し、次にどんなビートが来るか「予測」し始めます。予測することの快感に加え、裏切られることの快感もあります。予測の複雑さを脳が喜んで大きな報酬を感じる。新生児を対象にした実験の結果、人が生まれながらにしてビート予測の能力を持っていることがわかった。https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/YRJ4VJLZRP/これは、ドラマ「アンメット」の《咀嚼》の効果に似てますよね。咀嚼のように一定のリズムで同じ運動を繰り返すことで、幸せホルモンと言われるセロトニンの分泌量が増えて幸福度が上がります。さらに、これは、岩柱・悲鳴嶼行冥の《反復動作》にも似てる。“反復動作”とは、全ての感覚を一気に開く技であり、これにより心拍と体温を上昇させていつでも一瞬で集中を極限まで高める事が可能となる。“反復動作”を発動する際のルーティン(定型)は行冥と玄弥の場合は念仏だが、方法は人により異なる。https://dic.pixiv.net/a/岩の呼吸これって、いわゆる「変性意識状態」じゃないかしら?変性意識状態となるのは、たとえば精神や肉体が極限まで追い込まれた場合、瞑想を行っている時、薬物を使用している時などがあるとされる。変性意識状態は「宇宙との一体感」「全知全能感」「強い至福感」などを伴うことがあり、この体験(変性意識体験)は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものも含まれる、といわれる。変性意識状態の代表としてトランス状態を挙げることができる。https://ja.wikipedia.org/wiki/変性意識状態アフリカやアマゾンで暮らす人々、あるいはネイティブアメリカンのシャーマン(呪術師)が祈ったり踊ったりしてトランス状態になるとき、誰かが必ず太鼓を叩いています。https://kangaeruhito.jp/article/357盲僧みたいな悲鳴嶼行冥のキャラには、浄土真宗の「衆生救済」「悪人正機」の思想を感じるのだけど、彼のおこなってる《反復動作》は、おそらく念仏行による変性意識状態を目指したものでしょう。2.内側前頭前野NHKの番組では、脳の「内側前頭前野」の話も出てきました。ヒトの脳でとくに発達してる内側前頭前野は、他人のことを考えるときに働く部分で、社会生活に欠かせない機能をもつものの、年齢とともに衰えやすく、とくに認知症で損傷するそうです。しかし、認知症の患者は、言葉を忘れても、音楽は忘れない。むしろ音楽に触れることで、その「内側前頭前野」を活性化させることができる。一方、ドラマ「アンメット」では次のように説明されてました。脳には内側前頭前野という場所があって、自分と他人を区別する場所なんですけど、大切な人や恋人に関しては区別しなくなるという報告があります。つまり、その人のことを自分のように感じてしまうんです。自他の区別がなくなるというのは、変性意識状態で「宇宙との一体感」「全知全能感」を得るのに似てる。内側前頭前野が報酬系に関係してるかは分からないけど、ドーパミンやセロトニンなどの効果で、自他の区別が溶解するのかもしれません。『集団の絆』というキーワードは、音楽の起源を考える上で外せないでしょう。音楽のビートにはたくさんの人を同時に動かす力があります。他人と一緒に体を動かすことは同じ体験の共有です。共に歌うのは『助け合えるよ』というサインだと言ってもいい。社会的動物であるヒトにとって報酬を感じる行動です。動物はグルーミング(毛づくろい)で『集団の絆』を確認しますが、ヒトが作った大集団ではグルーミングしきれない。その代わりに音楽が生まれたのではないでしょうか。集団が協力し合うためにとても役立つ発明だったはずです。『ヒトはなぜ歌うのか?』の答えは『集団の絆』のため、私たちは人とつながるために音楽を手にしたといっていいのではないでしょうか。https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/YRJ4VJLZRP/◇さらに、《認知症患者は言葉を忘れても歌は忘れない》…という話は、ドラマ「アンメット」でいうところの、《記憶を失っても強い感情は心が覚えてる》…という話に近い気もします。つまり、言語的な記憶や映像的な記憶を失っても、報酬系が活性化した記憶は別の場所に残る、…ってことかもしれません。◇なお、ピグミーのバカ族の歌は、完全4度の和音をなすポリフォニーと、即興的なポリリズムからなる高度な音楽です。ただし、ピグミーは、ネグロイドから分岐した別系統ともいわれるので、彼らの文化が人類の文化的起源といえるかどうかは、ちょっと分からないと思います。とはいえ、インドネシアのガムランなども、ポリフォニーとポリリズムを駆使した音楽ですよね。アフリカにもアジアにも、定義上ピグミーにあたる低身長の人々は居住しており、前者はネグリロ、後者はネグリトと呼ばれている。アジアのピグミーとアフリカのピグミーは遺伝的に近縁だと考えられたことはあるが、今ではこの説は否定されている。しかし少なくとも、アフリカ熱帯雨林に住むピグミー系集団の多くは遺伝的に近く、Bahuchet [1993]によると、これらの集団は少なくとも二万年前から、まわりの集団と遺伝的に分岐していたと考えられている。https://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/🌙今日深夜放送【#フロンティア】音楽を愛するすべての人へ✨️『ヒトはなぜ歌うのか』その謎を解く鍵はアフリカ熱帯雨林に住む音楽の民・バカ族の暮らしにあった脳と音楽の密接な関係とは🤔📺6/19(水) 2:25~NHK総合 ※火曜深夜🔻NHKプラスで見るhttps://t.co/LStfdJb5i1— NHK MUSIC (@nhk_musicjp) June 18, 2024
2024.06.27
金曜ロードショーで「M:i:III」を観ました。◇考える間もないほどスピーディーな展開で、どんでん返しもアクションも見応えがあったけど…あとから考えてみると、いろいろ分からないことだらけです。そこらへんを自分なりに考察してみました1.なぜマスグレイブはリンジーを救出させたの?まあ、上司ブラッセルの指示だから、マスグレイブは仕方なく従ったのでしょうけど、彼はデイヴィアンと通じてるのだし、リンジーが救出されたら不都合なわけですよね。彼女にラビットフットを盗ませる予定だったはずだし、もしかしたら、彼女は、マスグレイブとデイヴィアンの関係に気づいてる可能性もある。彼女が救出されてしまったら、脳内爆弾で殺せばいいと考えてたのでしょうけど、デイヴィアンと通じてるなら、救出作戦がはじまった時点で、監禁場所を変更させることも出来たはずだし、脳内爆弾なんて回りくどいことをせずとも、ふつうなら救出される前に殺してしまうのでは??2.デイヴィアンをバチカンで拉致させたのは誰?あれはイーサンたちの独断ですよね。マスグレイブはもちろん、ブラッセルでさえそんな指令は出してなかった。だから、ブラッセルはイーサンを捕まえて尋問したのですね。3.チェサピーク湾橋でデイヴィアンを奪還したのは正規軍?戦闘機やヘリコプターなど、かなり大規模な武装組織が出動してましたが、あれって正規軍だったのでしょうか?それとも、ロシアのワグネルみたいな民間の軍事組織とか?でも、米国内で、非正規軍にあんな活動ができるとは思えない。とはいえ、かりに米国の正規軍だったとしても、市民を巻き込んでインフラも破壊する戦闘行為を、国内でやらかすのは異常すぎます。もしも、あれが正規軍だったとしたら、マスグレイブはペンタゴンの手先ってこと?つまり、マスグレイブとデイヴィアンの計画の背後には、中東戦争を目論むペンタゴンの陰謀があった?4.イラク戦争への批判?この映画が公開された2006年、アメリカはイラクと戦争してる最中でした。それは、「イラクに大量破壊兵器がある」との疑惑を口実にした内政干渉と侵攻だった。マスグレイブも、> ラビットフットを中東に売りつけて、> 先制攻撃を仕掛ける口実を作ると話してましたよね。5.どうやってラビットフットを盗んだ?ラビットフットを所有してたのは誰だったんでしょう?高層ビルから飛び降りるのは大変でしたが、そのあとは意外に簡単に盗めましたよね…(^^;あんなに簡単に盗めるなら、わざわざイーサンにやらせなくても、デイヴィアンたちに盗ませればよかったのでは?6.ラビットフットは本物だった?なぜ妻の替え玉を殺した?イーサンたちがせっかくラビットフットを盗み出したのに、デイヴィアンは「本物はどこだ?」と言いがかりをつけて、妻の替え玉の女性を銃殺してしまいました。あのシーンも不可解だったのだけど、英語のWikipediaの解説は次のとおりです。Julia is still alive, and the dead woman is actually Davian's translator, who is used to confirm the authenticity of the Rabbit's Foot. ジュリアはまだ生きており、死んだ女性は実はデイヴィアンの通訳であり、ラビットフットの真正性を確認するために使われた人物である。じゃあ殺さなくていいじゃん!ラビットフットは本物だったんだから!
2024.06.26
フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。最後も神回だった!体感30分ぐらいで終わっちゃったけど、映画一本分ぐらいの価値を感じました。◇ドキュメンタリーのような緊張感。主演2人の長回しのシーンは、もう演技なのかリアルなのか分からなかった。記憶を失ってても、手を握られた感触を心で覚えていたミヤビは、三瓶先生との同棲を開始。三瓶先生が、焼き肉丼を食べながら泣きはじめる場面とか…ミヤビが、似顔絵を描きながら泣きはじめる場面とか…あれって、ほんとうに演技でしたか?記憶を失ってても手を握った感触を心が覚えてる。#アンメット #杉咲花 #若葉竜也 https://t.co/olEPpqV43z pic.twitter.com/wPlbZNavLJ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 24, 2024ほんとうに演技でしたか?◇伏線回収の仕方もよかったなー。婚約の最初のきっかけは、コロナに感染した三瓶先生を看病するため、ケープタウンに残る口実にミヤビが吐いた嘘で、その後、入管施設みたいな場所へ隔離されたとき、こんどは三瓶先生の側からプロポーズしたのね。三瓶先生の心をとらえたのは、「自分のなかに光を灯せば影はなくなる」というミヤビの言葉だった。自分の中に光を灯せば影がなくなる。#アンメット #杉咲花 #若葉竜也 pic.twitter.com/yEXNH7AR6T— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 24, 2024グミを最初に食べていたのもミヤビでしたね。咀嚼によるセロトニンで幸福感を作り出す方法。三瓶先生は、ミヤビが記憶を失くしたあとも、その悲しみを乗り越えるために食べ続けていた。◇どんなに練習しても、血管の縫合には7分以上かかってました。でも、最後は低体温症が奇跡になってハッピーエンド。三瓶先生と大迫先生が両側から血管をつないだ。血管を縫い合わせることが、ミヤビのすべての記憶を縫い合わせることだった。すべての記憶が繋がった瞬間。#アンメット #杉咲花 #若葉竜也 https://t.co/NPMMv0WbFo pic.twitter.com/1wH5dMts4Q— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 24, 2024個人的には、千葉雄大&野呂佳代の掛け合いもよかったです。今季の助演男優賞を千葉くんにあげたい!
2024.06.25
NHK大河「光る君へ」第25話。まひろは、父の為時を残して越前から帰ってきました。◇越前編で描かれたエピソードの多くは、実際の史料にもとづいて作られたようで、宋人が朝廷にオウムを献上した話なども事実らしい。長徳2年(996)正月、越前守に任じられたのが紫式部の父・藤原為時です。実は淡路守に任命されていたのが、急きょ、越前国への赴任となりました。学識のある為時に唐人との対応を当たらせたいという、一条天皇の意図に道長が応えたといわれています。為時は、朱仁聡しゅじんそうらと共に来日したと思われる羌世昌きょうせいしょうなる人物と漢詩を唱和するなど交流したと伝えられています(福建省の商人・周世昌との説もあり)。このとき紫式部も越前国へ同行。23歳前後のこととされています。~ 春なれど白嶺の深雪いや積もり解くべき程のいつとなきかな ~この詞書に「唐人見にゆかむ」と紫式部への手紙に書いていた人がいることが記されており、それはのちに夫となる藤原宣孝であることが定説です。https://serai.jp/hobby/1178951◇藤原為時の《越前赴任》のエピソードは、その後の日本史的に見ても興味深いところがあって、為時の場合は、朝廷の意を受けて日宋貿易を拒否しましたが、それから120年ほど後…同じく越前守になった平忠盛(清盛の父)によって、本格的な日宋貿易が開始されて、それが平家に栄華をもたらしていくわけよね。もし為時にもそんな大胆な才覚があったら、日本の歴史はちょっと違ってたかもしれません!894年、菅原道真の提案により、約260年間続いていた「遣唐使」を廃止。とは言え、その後も中国船の来航は絶えず、960年に宋が建国されたあとも日中貿易は継続。日本側は、九州の博多に限定して貿易を許可し、「大宰府」が管轄することとなりました。これに不満を抱いた宋の商人は、当時力を付けてきた北九州の商人を相手に私的な貿易を開始。朝廷側は、貴重な舶来産の品物を入手するルートを失いたくなかったため、こうした私的な商取引も暗黙に認めていました。この日宋貿易に着目したのが平忠盛です。1120年に越前守へと転任した忠盛は、宋船が博多だけでなく敦賀(福井県南西部)にまで来航していることを知ります。忠盛は、平氏が力を持つには日宋貿易によって資金力を得ることが重要だと考えました。忠盛は、信任が厚かった「鳥羽上皇」からの命令と称して日宋貿易の権限を大宰府から奪い、博多での利益を独占。平氏繁栄の基盤となる莫大な財力を得るようになります。https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/nissoboeki/◇五箇地区の《越前和紙》の話も出てきました。じつは福井以外にも、日本には「五箇」という地名がたくさんある。そして、その多くには平家の落人伝説があります。合掌造りで有名な富山県の五箇山にも、やはり「五箇山和紙」の伝統があるけれど、それは平家落人が都の文化を伝えたことによる。五箇山は、平家落人の里として古くから都の文化が伝えられていました。五箇山和紙もそのひとつ。http://www.nanto-e.sakura.ne.jp/furusato/data/mu22002/detail-4751.htmlなので、富山の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、12世紀末の源平合戦より後ってことになります。しかし、福井の「五箇」に和紙作りが伝わったのは、それより700年ぐらい前の5世紀末のことらしい。越前和紙は、男大迹王おおとのおう(のちの継体天皇)が越前地方を統治していたとされる5世紀末ごろには紙を漉き始めていたと思われ、最初は写経用紙を漉いていたと考えられます。https://washi.jp/history/index.html実際、紫式部もその紙を使ったのだとしたら、源平合戦よりも前からあったってことですもんね。こちらの場合は、平家の落人じゃなく、川上御前なる女性が和紙作りを伝えたことになってる。1,500年の長い歴史を持つといわれる越前和紙。写経・和歌集・公文書など、時代によって求められる用途に合わせ、その技術を発展させてきました。越前市・五箇地区。岡本川の流域を中心とした5つの集落に越前和紙の工房が立ち並んでいます。清らかな水と厳しい冬の気候が良質な紙作りに適しているといわれています。その昔、岡本川の川上から一人の女性が現れ、この地の人々に紙漉きの技術を伝えたと語り継がれています。人々は、その女性を川上御前と呼び、紙の神様として祭りました。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pBVq87dMmx/NHKプラスでは、北陸スペシャル「光る君へ~越前紀行」も見れますが、それによると、越前の和紙は滑りがよく、かな文字を書くのに適してたので、それが平安文学の技術的な土台になったようです。【今夜放送】#光る君へ 越前紀行大河ドラマ「光る君へ」で紫式部親子を演じる #吉高由里子 さんと #岸谷五朗 さんが #越前市 を巡る旅へ。平安貴族のグルメや伝統和紙の紙すきを体験します!#北陸スペシャル総合 今夜 7時30分~https://t.co/ZVyt0zGwLG pic.twitter.com/bSQPzXW2LF— NHK福井 (@nhk_fukui) May 31, 2024
2024.06.24
タクシー待つ単衣鴇色雨曇 夕虹の列前の男の傘当たる 雨寒やこぞって並びしワンタン麵 イヤホンに囁く推しや梅雨じめり 梅雨晴れやぴょんぴょん跳ねる親子傘 五月雨の傘をはみ出るアンナヴァン 遥かなる長持唄の喜雨をゆく 梅雨寒のバス停爪先にじわり6月20日のプレバト俳句。お題は「雨の行列」。◇IKKO。タクシー待つ単衣鴇色ひとえときいろ 雨曇あまぐもりこれが今週の1位。リズム的に、「単衣・鴇色・雨曇」が三段切れっぽくもあるし、明確に状況を伝えるならば、中七は本来「鴇色単衣」と書くべきだし、そのほうが「鴇色雨曇」のような誤読も避けられます。ただ、「鴇色単衣」とすれば衣に焦点が当たり、「単衣鴇色」とすれば色に焦点が当たるので、ピンクとグレーを対比する意味でも、後者のほうが視覚的な印象は強まるのよね。そこらへんの兼ね合いが難しいけれど、ぎりぎりの危ういバランスで上手くいってる。個人的には、蓮見翔よりIKKOを特待生にすべきだと思います。◇水田信二。夕虹の列 前の男の傘当たる7・7・5の字余り。問われるのは句材の是非かなァ。もちろん、不快な状況を詠むのもアリだけど、他人への愚痴をいちいち俳句にするのもねえ…(^^;◇モモコグミカンパニー。イヤホンに囁く推しや 梅雨じめりイヤホンに推しの囁き 梅雨じめり(添削後)中七で切って下五に季語を置く形です。唯一の問題は、「推し」で切るべきか「囁き」で切るべきか。「囁き」は具体的な聴覚だけど、「推し」は観念的なイメージなのよね。実際にそこに存在してるのは、音声としての「囁き」であって「推し」ではない。おそらく作者の気持ちとしては、「推し」に焦点を当てたかったのだろうけど、やはり俳句は五感の具体性に焦点を当てるべき。◇高橋光臣。梅雨晴れや ぴょんぴょん跳ねる親子傘親と子の傘のぴょんぴょん 梅雨の蝶(添削後)作者自身は、《親子が雨上がりに閉じた傘を持って歩いてる》という姿を描いたわけだけど、下五の「親子傘」という書き方だと、やはり大小に開いた傘をイメージさせてしまう。そこがひとつめの失敗ですね。そして、もうひとつの失敗は、跳ねない「ぴょんぴょん」があったら持ってこい!…ってことです。◇小山慶一郎。梅雨寒や こぞって並びしワンタン麵梅雨寒や こぞって並ぶワンタン麵(添削後)第一に、俳句は過去でなく現在を描写するのが原則ですね。第二に、前段と後段の因果関係が近すぎたかもしれません。第三に、中七の「こぞって」は描写でなく説明っぽく感じます。◇フルポン村上。五月雨の傘をはみ出るアンナヴァン五月雨の傘よ 片手のアンナヴァン(添削後)梅雨の傘軽し 片手のアンナヴァン(添削後)アン・ナヴァン(en avant)は両手を「前方に」出すバレエの動作のこと。第一の問題は、「そもそも片手のアンナヴァンはあるのか?」ってことなのだけど、もうひとつ問題だと思うのは、動詞「はみ出る」がネガティブな印象を与えること。傘のなかに収めるべき手がはみ出してしまってる…というマイナスのニュアンスになってしまう。おそらく踊ってる少女は、濡れるのも構わずに手を伸ばしてるのだから、そこは「傘から外へ」「雫の中へ」のような、もっとポジティブな書き方をしたほうがいい。◇梅沢富美男。遥かなる長持唄の喜雨をゆく上五の「遥かなる」は賛否が分かれるかも。実景的な距離の描写なら容認できるのです。でも、比喩的な表現だとすれば疑問符がつく。日本にそれほどの広大な場所があるかしら?たかだか数百メートル先の光景を、わざわざ「遥かなる」と表現するのは、いささか大袈裟じゃないかって気がするのよね。たとえば、中国や南米あたりで、反対側の山の斜面に行列が見えるとか、それくらいの大陸的な光景ならともかく。もし、これが実景でないとすれば、「遥かなる記憶のなかの長持唄」みたいな時間的な比喩の意味にも読めてしまう。◇清水アナ。梅雨寒のバス停 爪先にじわり破調の句またがりです。じわりと来たのは寒さなのか?雨水なのか?それとも何か別のものが足元に迫ってきた?まあ、ふつうに考えたら雨水ですよね。迂闊にも水溜まりを踏んでしまったのかな。寒さのうえに雨水までもが…という不快感。そこを明確にするなら「爪先の湿り」とも書けます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥最近好調!💪#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/QBFnkuI1O7— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 17, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.24
NHK「フロンティア」を見ました。昨年末の《AI~究極の知能への挑戦》の再放送。いよいよAGIの誕生が近いんだな、と思いました。◇AIの知能は、すでに一般の人間を超えてますよね。たとえば、AIに「相対性理論」のことを聞けば、こちらの質問に応じて、ほぼ正確な回答をしてくれるけど、わたしの身の回りには、そんな説明のできる人は一人もいません。◇これは、接続すべき単語を予測して、文脈を作っていく「大規模言語モデル」の成果。人間の思考も、基本的には言語の「予測能力」で成り立ってて、たぶん、わたしが文章を書くときも、AIと同じやり方で文脈を作ってるはずだけど、もちろんAIのデータ量にはかないません。◇ただし、AIと人間は同じじゃない。なぜなら、AIは身体をもたないから。たとえば、AIは、実感として「リンゴの美味しさ」を知らない。今回の番組を見て分かったのは、AIには、大きくいって、「純粋に言語的な知能」と、「現実世界を認知する知能」の2種類がある、ってことです。◇そして、わたしが思うに、現実世界を認知するAIは、さらに3種類ぐらいに分かれて、1.人間が五感で得ている情報を共有するタイプ2.ロボットを通して世界を認知していくタイプ3.特定の身体を持たずに多元的なデータから世界を認知するタイプ…がありうるのだろうと思う。番組に出てきた「Body Shapes Brain」という考えは、上のうち1と2に当てはまるものだと思います。番組では、「子宮内の触覚的刺激のなかで育たないと胎児の脳は十分に発達しない」というシミュレーションの仮説も紹介されてました。◇AIに「リンゴの美味しさ」を理解させるためには、まずはじめに、「食べなければ死ぬ」という条件の身体あるいはロボットを、AIに与えなければならないはずです。つまり、人間と同じ栄養素を摂取しなければ死ぬような身体を所有すれば、やがてAIも「リンゴの美味しさ」を人間と同様に理解するはず。身体的な欲求にもとづいて経験を重ねなければ、「美味しい・不味い」「快適だ・不快だ」「美しい・醜い」などの価値判断や意思決定は出来ません。◇しかし、そこには同時に危険もある。人間と同じ課題を共有させるためになら、便宜的にAIに身体を持たせるのも有効かもしれないけど、AIが身体的な欲望や目的をもつようになると、人間とは異なる独自の判断で行動しはじめるかもしれない。それは非常に不気味なことだと思います。そもそも、「身体に縛られている」ことは、人間の短所なのであって長所ではありません。それは人生を苦しめる条件にすぎない。純粋に精神的な存在であることこそが、人間に対するAIの優位性の条件なのだから、基本的にAIは「身体から自由な存在」であるべきです。◇言語的な予測能力の点で、すでにAIは人間を超えてますが、身体的な技能を習得する能力にかんしては、エネルギー効率や学習効率の点で脳に劣るようです。現状のAIが技能を習得するには、莫大な電力と長い時間を必要とするけれど、人間や動物の脳なら、わずかなエネルギーと短い時間で済む。番組では、培養した脳細胞から人工知能を作る実験も紹介されてて、すでに簡単なテレビゲームを操作できていました。昨晩放送した総合テレビでフロンティア👍NHKプラスで見逃し・同時配信 『AI 究極の知能への挑戦』AI研究の最先端を行く研究者と、AI型ロボットとの対話から、人工知能とはと同時に、人間とはなにかを問います。放送を見逃した方、ぜひこの機会にご覧ください!https://t.co/184eRiGkMN pic.twitter.com/Pjta4Kennm— フロンティア (@frontiers_nhk) June 18, 2024
2024.06.23
フジ「Re:リベンジ」最終回。大友先生の復讐が完了。海斗は、たやすく闇堕ちしたり、また改心したり…と、あまりに単細胞すぎましたが。◇婿養子だった海斗の父親が、組織や一族の論理に逆らえなかったのはともかく、ラスボスの皇一郎は、娘婿に責任をなすりつけたり、娘や孫を窮地に追いやったり、いったい何を守ってるつもりだったんでしょう?そんな老いぼれ爺々のために、殺人まで請け負った女秘書もかなり狂ってる!◇それはそうと、日テレ「花咲舞」にしろ、TBS「アンチヒーロー」にしろ、フジ「Re:リベンジ」にしろ、敵の懐に入り込んで復讐する…という図式が、まったく同じでしたね。紀本の懐に入り込んだ昇仙峡玲子。伊達原の懐に入り込んだ緑川歩佳。皇一郎の懐に入り込んだ大友郁弥。ただの偶然とは思えない!逆にいったら、日本の旧世代の害悪を取り除くには、そういう手段をとるしかないってことかな。そんなことまで考えてしまいます。◇ちなみに、「アンチヒーロー」の明墨は逮捕され、「Re:リベンジ」の海斗は理事長を辞任しましたが、その一方で、「花咲舞」の昇仙峡は頭取の座を目指し、「Re:リベンジ」の大友は理事長の座につく結末。過去イチ嬉しそうな大友先生。病みあがりの83才でムショ暮らし確定!高村さんは大友の秘書になるつもり?最後は、大友が不気味な笑みを浮かべて、ちょっとイヤミスっぽくも見える終わり方。これは復讐をやり遂げた満足感なのか。それとも、やがては彼も、権力と保身の闇に堕ちてしまうってこと?大友先生の不気味な笑み。
2024.06.21
萌音・萌歌や由貴ちゃんのネタ記事は、これまで「音楽・アート・アニメ」の記事と一緒にしてたけど、あらたに「東宝シンデレラ」のカテゴリーをつくって分離した。・東宝シンデレラ関連・萌音ドラマ関連・萌歌ドラマ関連・美波ドラマ関連・由貴ドラマ関連ただ、分離しきれないものもあるので、そこらへんは右サイドの検索ボックスを使うしかない。※たとえば「萌音」で検索した場合由貴ちゃんの出演作は、莉子ドラマや乃愛ドラマのカテゴリーにも混じってます。タグ付機能があったら二重カテゴリーにできるのだけど。※3年前の音楽惑星さんとの対話はこちら。それから、「音楽・映画・アート」の記事と、「漫画・アニメ」の記事も分離しましたが、鬼滅がらみの記事は、いままでどおり「鬼滅・日本史」のカテゴリーに入れてます。
2024.06.20
NHK「燕は戻ってこない」第8話。ようやく悪阻も治まってリリコの邸へお引っ越し。江戸時代の春画に描かれてたのは…若い間男を招き入れて、後先も考えずにセックスを楽しむお妾さん。お妾さんって、生活の不安もなくて自由だよね!◇平安大河「光る君へ」では、宣孝がまひろを妾にしようとするときに、まひろ:忘れ得ぬ人がいてもよろしいのですか?宣孝 :よい。それもおまえの一部だ。丸ごと引き受けるとはそういうことだ。…って会話があったけど、それはもしや、妾の生活を経済的に保障するだけじゃなく、自由恋愛まで容認してくれるってこと??と、わたしは勝手に考えました。そう思ったら、一夫多妻制のほうが妻の自由度は高いかも。◇でも、自由恋愛の果てに妊娠したら、夫はその子供まで引き受けてくれるだろうか?平安時代や江戸時代なら、まだDNA鑑定もなかったから、誰の子供でも引き受けてもらえた可能性はある。とはいえ、春画のファンタジーとはちがって、出産には身体的な負担も命の危険もともないます。平安時代であれ、江戸時代であれ、現代であれ、女のセックスは快楽だけじゃ終わらない。やっぱり妾なんて、つまらない?!らんまん:“まつ”牧瀬里穂、娘の玉のこしに否定的なワケ 自身は元芸者 「妾なんて、つまらないよ」 #牧瀬里穂 #朝ドラらんまん @asadora_nhk https://t.co/blMp1rJlZs— MANTANWEB (まんたんウェブ) (@mantanweb) May 15, 2023◇中絶するかどうかを迷ってたリキは、リリコとともに開き直り、「引き取るか引き取らないか決めろ」と草桶夫妻に謎の責任転嫁w基本的には中絶する覚悟だけど、もし夫妻が引き取るとすれば、誰の子が出てくるか分からないロシアンルーレット状態。ちなみに、北海道や沖縄の血を引く子供だった場合、北海道のポンコツ男は「妻が許せば認知する」と言い、沖縄のポンコツ男は「一緒に育てよう」と無責任にはしゃぐ。◇結局、DVDで胎児の動画を見た基(稲垣吾郎)が、その双子を引き取る決心をしましたね。これは意外な展開!ほんとに他人の子でも育てるの?もはや里親マインドの人類愛ってやつ?バレエの遺伝子とかどうでもよくなった??…まあ、子供はバレエのために生まれてくるわけじゃないしね。どんな子であっても引き受ける覚悟をするのが、親の姿勢としていちばん正しいだろうとは思う。次週予告によれば…基はこのまま悠子と離婚して、リキと一緒に双子を育てる構想を抱くっぽい。これまた意外すぎる展開です…。2000万円も払って、貧しい代理母と結婚して、赤の他人の子供を育てるって、ほとんど仏様みたいな慈善事業ですwドラマ10【#燕は戻ってこない】第8回のご視聴ありがとうございました命の重みを実感した基(#稲垣吾郎)。リキ(#石橋静河)はこのまま出産へ。しかし、悠子(#内田有紀)は基と別れることを決意。リキが草桶の妻となる!?次回もお見逃しなく👀‼️本編は見逃し配信中です⏰https://t.co/pRHjT3CYuE pic.twitter.com/vpnftgfC4V— NHKドラマ (@nhk_dramas) June 18, 2024それはそうと!リリコの邸では、元官僚の植物男子ベランダーが登場して、「訴訟ごとは俺に任せろ!」と言ってました。これは何かの伏線でしょうか?もしかして、出産後にDNA鑑定したら、泥沼の裁判沙汰へ発展していくのかしら?プランテの事業の合法性も問われることになる?いとうせいこうは長田作品の常連! 【特集】「夜能~語り部たちの夜~『葵上』」いとうせいこう×長田育恵 対談 | 分裂した世界で己と会う、能楽はアバンギャルドで超バーチャルhttps://t.co/8QmdsD2ouj#いとうせいこう #長田育恵 pic.twitter.com/HQXiwWJvPY— ステージナタリー (@stage_natalie) February 15, 2021
2024.06.19
フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。第10話は、これまで以上にずっしり重たい内容…。◇Yuki Saito のドキュメンタリー風の演出は、味わい深くもあり、怖くもありました。忘れられない悲しみがある一方で、忘れてしまう恐怖と、忘れられる恐怖がある。死別した後になってもなお、自分と相手の存在が区別できなくなるほど、強く記憶に刻み込まれてしまう人もいる。脳には内側前頭前野という場所があって、自分と他人を区別する場所なんですけど、大切な人や恋人に関しては区別しなくなるという報告があります。つまり、その人のことを自分のように感じてしまうんです。その一方で、大切な相手が目の前にいてもなお、その人が誰なのか分からなくなる人もいる。私は何を、いつまで覚えていられるのか?大切な人たちも、交わした言葉も、一緒に過ごした日々も全てなくして、最後は何も残らないのだろうか?◇でも、記憶がなくなっても、心は覚えてるかもしれない。それがわずかな望み。失われないものも、きっとある。最終回、三瓶先生はノーマンズランドの手術に挑むの???小っちゃいのに一口が大きい!
2024.06.18
TBS「アンチヒーロー」が終了。明墨の手法は、みずからが犯罪者になる捨て身の戦術。証拠隠滅から文書偽造まであらゆる手段を使った。伊達原が文書の偽造で冤罪を生み出したように、明墨も文書を偽造によってそれを暴いたってこと。そうでもしなければ、巨悪は追い込むことはできなかったし、冤罪に加担した罪悪感からも逃れられなかったのね。◇結局、緋山は殺人犯でした。名前に色のついたキャラは、全員が明墨サイドの人物でしたが、やはり《緋色=スカーレット》は、犯罪に関係する名前だったみたいです。朝ドラ「虎に翼」の岩田剛典は、法を順守して餓死してしまう役でしたが、こちらのドラマでも、法だけじゃ人間を守れないことが示された。場合によっては、法を破らないと真実にたどりつけない。法は完全じゃないし、法だけじゃ正義を守れない。実際、巨悪は暴かれて冤罪は晴らされたけれど、ボツリヌストキシンで一家を毒殺した犯人は、いまもどこかで生き延びてる。法の網をくぐる悪も存在するし、法を逆手にとった悪も存在します。「#アンチヒーロー」12年前の真犯人は…未回収のまま終わった2つの謎#長谷川博己 #緒形直人 #大島優子 #野村萬斎 @antihero_tbshttps://t.co/kQXu5Utz21— シネマトゥデイ (@cinematoday) June 16, 2024◇ある意味で、巨悪との戦いは世代間の争いでもありました。明墨&桃瀬&緑川 という同期の3人が、上の世代の組織犯罪を暴くために、組織の枠を超えて横に繋がり続けてたのですね。桃瀬と緑川と明墨は同期でした。現実にも、世代交代によってしか覆らない犯罪があるはず。とくに縦の組織によって隠蔽された犯罪は、組織の枠を超える横の繋がりがないと暴けないし、そのときには世代的な連帯が意味をもちます。◇奇しくも、この図式は、日テレの「花咲舞が黙ってない」と同じですね。銀行の組織的な闇を暴くために、相馬&川野&昇仙峡 という同期とその恋人の3人が、立場を超えて横に連携していました。昇仙峡の恋人だった川野と相馬も同期でした。こちらの場合は、銀行の組織そのものが、"エリア51"なる犯罪を隠蔽する人脈で形成され、その共犯者にならないと出世できない仕組みだった。紀本に接近していた昇仙峡は、伊達原に接近していた緑川と似ています。巨悪を暴くべく10年かけて内部に潜り込んでいた。紀本に取り入った昇仙峡。伊達原に取り入った緑川。◇上の世代の罪が重ければ重いほど、下の世代の負担やコストは大きくなり、無駄な時間とエネルギーを費やさざるをえなくなる。明墨の犯罪は、世代悪を浄化するための必要悪でした。#アンチヒーロー ご覧頂きありがとうございました‼️約3ヶ月間たくさんの応援ありがとうございました🐶ミル、マメ、ココアが皆さんの心に残っていますように🍀*゜ #アニマルプロ pic.twitter.com/AXEF3FmCQr— アニマルプロ/動物プロダクション【公式】 (@animalpro_1212) June 16, 2024
2024.06.17
NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」を見ました。今回は《ルート66~アメリカの夢と絶望を運んだ道》です。ちょうど4月にU-NEXTで、ジョン・フォードの「怒りの葡萄」を観たばかりだったので、ルート66のことは気になってたのよね。◇番組で取り上げられた事項を、年代順に並べると以下のような感じ。1926 国道66号線(シカゴ~サンタモニカ)が創設。1928 大陸横断マラソン(LA~NY)5500km。1929 世界大恐慌で失業者1200万人=4人に1人。1933 ボニー&クライドがミズーリ州ジョプリンの隠れ家から逃走。1934 ルイジアナ州の警官隊がボニー&クライドを射殺。テキサス州ダラスで葬儀。1935 ダストボウルによる《黒い日曜日》。1936 黒人ドライバーのためのグリーンブック創刊。1939 ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」。1940 ジョン・フォードの映画「怒りの葡萄」。1940 ウディ・ガスリー「我が祖国」(This land is your land)。1941 第二次世界大戦。シリコンバレーの軍需産業が300万人の雇用を生む。1942 日系人の強制収容。カリフォルニア州マンザナー収容所に1万人。1945 終戦。1946 ネバダ州ラスベガスにカジノホテルの建設ラッシュ。1948 マクドナルドがカリフォルニア州サンバーナーディーノでセルフサービス開始。1951 ラスベガスの北西約105kmにネバダ核実験場が開設。1953 マイルス・デイヴィスがオクラホマ州エドモントで黒人排斥に遭う。1956 ナット・キング・コール「ルート66」。1956 州間高速道路網の整備が開始。1957 ジャック・ケルアックの小説「路上」。1960-64 テレビシリーズ「ルート66」。1960 ラスベガス観光客1000万人収益2億ドル。アトミックパーティと原爆カクテル。1962 ジョン・スタインベックがノーベル文学賞。1963 マクドナルドのテレビCM。1964 公民権法が成立。1965 ママス&パパス「夢のカリフォルニア」。ベトナム反戦運動。1967 黒人ドライバーのためのグリーンブック廃刊。1969 ピーター・フォンダ&デニス・ホッパーの映画「イージーライダー」。1973 米軍がベトナムから撤退。カウンターカルチャーの収束。1985 国道66号線が廃線。1987 アリゾナ州で「Historic Route66 協会」設立。2008 リーマンショック。車上生活の季節労働者ワーキャンパーが増加。2016 ドナルド・トランプが大統領選に勝利。◇大都市と大都市を結ぶ国道が整備されたら、沿線の田舎町も潤うかと思いきや、皮肉にもダストボウル難民が発生してしまう。そして、土地を追われた彼らは、出来たばかりの国道でカリフォルニアへ向かうものの、そこに十分な仕事はなく、粗末な難民キャンプで暮らすしかなかった。ちなみに、ダストボウルは、無計画な耕地開発による人災とも言われるけど、もしかしたら、それ自体が、国道整備を当てにした資本投入の結果だったのでは?とにかく、オーキーと呼ばれた人々にとって、国道整備は恩恵どころか悲劇しか生まなかった。最終的に彼らを救ったのが大戦特需だったのも皮肉です。そして、第二次大戦によってオーキーが救われる代わりに、こんどは日系人が排斥されて強制収容される。ヘンリー・フォンダはネブラスカ州出身。なお、音楽惑星さんは、ボブ・ディランが「ウディ・ガスリーの後継者」であり、スタインベックが1962年に、そしてディランが2016年にノーベル文学賞を受賞したのは、まったく無関係な出来事なのではない。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-144.html…と書いてましたが、たしかにウディ・ガスリーを起点に考えると、2人のノーベル賞受賞は関連してるように思えます。第2の国歌とも呼ばれる「This land is your land」。◇一方、戦後のルート66の享楽的なイメージは、ナット・キング・コールの歌に象徴されます。個人的にはマンハッタントランスファーでよく聴いたけど。マフィアがカジノを仕切ったラスベガスでは、ネバダの核実験を見物しながらカクテルを飲んだりしてた。◇とはいえ、戦前のボニー&クライドや、戦後のジャック・ケルアックの小説のように、自由と退廃の交錯するイメージも、ずっと尾を引いてる。サマー・オブ・ラブの実態は、ヒッピーたちのドラッグ&セックスだった。ボニー&クライドのことは、「時をかけるな恋人たち」のマギー&キケロのときに、ちょっと取り上げたけど、彼らの犯罪もルート66がらみなのね。1967年の映画「俺たちに明日はない」は、日本でいう《アメリカン・ニューシネマ》の嚆矢になる。ピーター・フォンダの「イージーライダー」も、やはり《アメリカン・ニューシネマ》の代表作。父のヘンリー・フォンダとともに、息子も映画でルート66を走るという不思議な因縁。◇マイルス・デイヴィスが、オクラホマ州のエドモントで黒人排斥に遭ったように、国道沿線には「サンダウンタウン」と呼ばれる町があり、基本的には白人保守の世界だった。黒人旅行者のためのグリーンブックが発刊されたのは、理由もなく黒人が射殺されるような状況があったから。現在は、そうした白人保守層が、リーマンショック後に貧困化するなかで、共和党のドナルド・トランプが強力に支持される現実がある。公民権法が施行されてもなお、社会の分断がなくなったわけじゃなく、むしろ亀裂はいっそう複雑化して深まってます。ルート66をゆくーアメリカの「保守」を訪ねてー(新潮新書)【電子書籍】[ 松尾理也 ]価格:660円 (2024/6/14時点) 楽天で購入
2024.06.16
今田美桜×山本耕史「花咲舞が黙ってない」が終了。シーズン3はちゃんと見てなかったのだけど、先週の朝倉あきの登場もあって、最後の2話だけ気になって見てしまいました…(^^;半沢直樹と花咲舞って、同じ世界線のお話だったのね!でも、昇仙峡玲子の東京第一銀行と、半沢直樹の産業中央銀行は、合併して「東京中央銀行」になるわけだし、しかも昇仙峡と半沢は、それぞれ頭取を目指してるわけだから、両者はいずれ争うことになるのかしら??…それを日テレとTBSのどちらでやるかも大問題??(笑)🌸5話のオフショット🌸#昇仙峡玲子 VS(!?) #半沢直樹 シーンの裏側でパチリ📸笑顔ver😁とクールver😎フォトジェニック昇仙峡&半沢✨ ◤本編は #TVer で無料配信中◢🔗https://t.co/nXnIo9N4Fk#菊地凛子 #劇団ひとり#花咲舞が黙ってない📢次回、6話は5/18(土)よる9時 pic.twitter.com/CEaY6dX5FM— 花咲舞が黙ってない【公式】日テレ 土ドラ9 (@hanasakimai2024) May 16, 2024新装増補版 花咲舞が黙ってない (講談社文庫) [ 池井戸 潤 ]価格:1,056円(税込、送料無料) (2024/6/15時点) 楽天で購入
2024.06.16
NHK「地球ドラマチック」を見ました。今回は《ネアンデルタール人 vs ホモサピエンス》です。以前、縄文人と弥生人の遺伝子分布の記事を書いたときから、ネアンデルタール人とホモサピエンスの関係にも、ちょっと興味があったのよね♪◇最初に問われるのは、「なぜホモサピエンスだけが生き残ったのか?」「なぜネアンデルタール人は絶滅したのか?」…ってことなのだけど、実際は、ネアンデルタール人が絶滅したとは言いきれず、現生人類の遺伝子の数%のなかに生き残ってる。その意味では、われわれの先祖だと言っていい。NHK Eテレ 06/08 19:00 地球ドラマチック ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhketv #地ドラ #地球ドラマチック https://t.co/3qwgiyAEjd— NHK Eテレ(教育テレビ) (@NHK_ETV) June 8, 2024◇たしかに、純血のネアンデルタール人は絶滅したけれど、それをいうなら、アフリカ以外の地域では、純血のホモサピエンスもまた絶滅してしまって、いまや両者の混血しか残っていません。しかも、(今回の番組では取り上げられませんでしたが)以下の研究結果によれば、現在のアフリカ人のなかにさえ、ネアンデルタール人の遺伝子は混じってるらしい。アフリカ人にもネアンデルタール人DNA、定説覆す: これまでアフリカ人はネアンデルタール人由来のDNAをほとんど持たないとされてきましたが、新研究で覆されました。ヒト族の交雑の歴史は思ったより複雑です。 https://t.co/XVchHvAMUN #ナショジオ— ナショナルジオグラフィック日本版 (@NatGeoMagJP) February 3, 2020これは何を意味するか??…わたしが思うに、少数の凶暴なネアンデルタール人が、大多数のホモサピエンスとの交配を繰り返して、純血のホモサピエンスを駆逐したのでは?ってこと。ホモサピエンスがネアンデルタール人を駆逐したのではなく、ネアンデルタール人が純血のホモサピエンスを駆逐した、というほうが正しいのではないかしら?◇今回の番組に則していうと…ネアンデルタール人は、ヨーロッパをはじめとする北方に進出した狩猟種族で、資源の乏しい過酷な環境で狩りをしながら生き延びていた。ホモサピエンスよりも脳の体積が大きく、背は小さいけれど筋力が非常に強く、肌の色は白くて、瞳や髪の色も明るかった。木製の槍や火を使いこなし、アフリカゾウの2倍も大きいアンティクウスゾウを、協働で追い込みながら狩ったりしていた。子音や母音を発声できる舌骨をもち、装飾品を作る芸術的な能力ももっていた。30人程度の集団で生活をし、他の集団から女性を迎えて(あるいは略奪して?)いわゆる父系社会を構成していたようです。しかし、資源の乏しい環境に生きたネアンデルタール人は、最大でも総人口が7万人ほどしかおらず、孤立した集団などでは近親婚を繰り返し、その結果、遺伝的な多様性を失って、さまざまな環境変化に適応できなくなっていった。◇ホモサピエンスが、現在のネグロイドの直接の先祖、つまり、アフリカの黒人そのものなのに対して、ネアンデルタール人は、現在のコーカソイドに似ていて、つまり、ヨーロッパの白人に近いように思える。ホモサピエンスが、温暖なアフリカで繁栄した採集種族だとすれば、ネアンデルタール人は、寒冷なヨーロッパを生き延びた狩猟種族ですし、どちらが狂暴だったかは想像に難くありません…。◇これは、あくまで、わたしの想像だけど、人口の増えすぎたホモサピエンスは、アフリカを出て中東からヨーロッパへと進出した。そして、そのとき、ネアンデルタール人の一部は、近親婚を回避すべく、ホモサピエンスの女性を略奪し、混血交配を繰り返しながら遺伝子を残したのでは?そして、その際に、競合するホモサピエンスの男性を排除すべく、殺戮を行った可能性もあるんじゃないかしら?◇考えてみれば、南北アメリカの白人入植者たちも、先住民族やアフリカ人奴隷を虐げながら、その女性たちとの混血を進めてきたわけです。これは、北方の凶暴なネアンデルタール人が、南国の従順なホモサピエンスと混血してきた歴史を、現代において継続してるってことではないかしら?
2024.06.15
NHK歴史探偵「平安武士と蝦夷」を見ました。武士の起源は東北の蝦夷にあり!…という内容です。◇簡単にいえば、俘囚として強制移住させられた騎馬軍団の「蝦夷」と、官職を得られずに地方へ散らばった「王臣子孫」とが、9世紀末に関東で結びついて武士が生まれた、と。つまり、平将門も、源義家も、関東で蝦夷に交わった王臣子孫だったわけね。1.蝦夷の騎射軍団先月にNHKプラスで配信された、東北ココから「東北古墳調査最前線」によれば、ヤマト王権が大陸から馬を移入したのは、倭・高句麗戦争のあとの4世紀末~5世紀のこと。その後は東日本を馬の生産地として活用し、軍事用だった馬を輸送手段として平和利用してた。もしかしたら、それが裏目に出て、西日本より東日本で騎馬戦術が発達しちゃったの?東北の続縄文系の狩猟民が、朝廷の手に負えない騎馬軍団に成長しちゃった?…だとすれば意外です。◇ちなみに、ヒッタイトや匈奴のような大陸の騎馬民族は、遊牧&製鉄民だったわけですが、4年前のNスぺ「アイアンロード」によれば、遊牧は平原の技術、製鉄は山岳の技術なのよね。日本でも、馬&鉄の生産は、5世紀前後の同じころ始まったと思うけど、製鉄技術は西日本の山岳民が発展させて、騎馬技術は東日本の狩猟民が発展させた、…ってことでしょうか?そして、西と東の技術は、ようやく9世紀末に結びついて武士を生んだ?2.坂上田村麻呂とアテルイ8世紀の三十八年戦争では、蝦夷軍が騎射隊なのに、朝廷軍はまだ歩兵隊です。北上川東岸の巣伏の戦いでは、4倍の兵力を要しながら蝦夷軍に大敗してる。朝廷軍は、軍事力で蝦夷を圧倒したわけじゃなく、むしろ軍事力では蝦夷に圧倒されてたらしい。◇坂上田村麻呂の戦略は、軍事力で蝦夷に立ち向かうのではなく、政治力や文化力で凌駕することだったようです。当時の蝦夷軍は、西の「出羽国」と東の「陸奥国」の連合ですが、出羽国の秋田城で出土した「狄饗料木簡」を見ると、田村麻呂は、懐柔策によって連合軍を分断させ、陸奥国のアテルイを孤立させていく戦略だったらしい。そして敵前には、巨大な胆沢城を造営して10万規模の兵力を配備。文化力でも圧倒してアテルイを降伏させた。なにげに知将だったのね!◇田村麻呂は、アテルイを蝦夷統治に利用すべく、彼を処刑しないよう朝廷に嘆願したものの、蝦夷を鬼と恐れていた朝廷は聞き入れなかった。アテルイが処刑されたのは延暦21年。このことが東北の「大同2年伝承」にも関係してるはず。(延暦21年は西暦802年、大同2年は西暦807年です)なお、「阿弖流為」は当て字ですが、当時の東北の言語は、日本語じゃなかったようです。アイヌ語みたいな感じでしょうか?つまり、日本語の起源は、縄文系の土着言語じゃなく弥生系の大陸言語ってこと?3.武士の誕生アテルイが敗れたあと、蝦夷は「俘囚」として日本各地に強制移住させられた。保留地に移された北米先住民みたいな感じ?とくに騎馬軍団は、北九州の防衛や関東の治安維持にあたったようです。そして、これが、地方に下野した王臣子孫と結びついて武士を生んだ。周知のとおり、平将門は朝廷に敵対したけれど、なぜか源氏はくりかえし東北に侵攻し…源頼義は陸奥国守の大義名分で安倍氏を討伐(▶前九年の役)息子の義家も同じ名分で出羽清原氏の内紛に介入(▶後三年の役)その四代下の頼朝は、義経もろとも奥州藤原氏を滅ぼした(▶奥州合戦)◇なお、安倍氏も、出羽清原氏も、奥州藤原氏も、出自が「王臣子孫」か「俘囚」かはいまいち不明です。しかし、安倍氏は「俘囚長」を名乗り、出羽清原氏は「俘囚主」を名乗っていて、蝦夷の末裔としてのアイデンティティがあったらしい。そして藤原清衡も、安倍氏の母と出羽清原氏の養父をもつので、やはり奥州藤原氏もまた「俘囚上頭」を名乗ったのですね。◇それに対して源氏は、俘囚から弓馬を学んだ王臣子孫であるにもかかわらず、まるで、その恩を仇で返すかのように、俘囚勢に襲い掛かかって残虐非道のかぎりを尽くした。https://www.yokotekamakura.com/gosan/gosan-emaki/紫式部は、源氏を主人公にして優美な王朝物語を書いたけど、本来は「源氏物語」じゃなく「藤原物語」にすべきよねw源氏なんて、蝦夷より野蛮な一族だったのだし、鎌倉幕府も内ゲバだらけの広域暴力団だったのだから。ぜんぶ大泉のせい↓ https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202212110002/なぜ『源氏物語』は主人公が「源氏」なのか? 藤原氏が排斥した「源氏の怨霊」を鎮魂するためだった? | 歴史人 https://t.co/f5pFNei7qK @rekishijin_magより— 歴史人公式アカウント (@rekishijin_mag) February 6, 2024 #PHP研究所 3月新刊紫式部はなぜ主人公を源氏にしたのか井沢元彦著https://t.co/ybCJdRjfyp 藤原氏全盛の時代に藤原氏を敵役(右大臣家)として描く『源氏物語』はなぜ書かれたのか。『源氏物語』の不可解な謎に歴史作家が迫る。— PHP研究所 広報 (@PHPInstitute_PR) March 13, 2024後三年の役では義家に従った藤原清衡も、その後は摂関家に取り入って源氏を排除したらしい。それだけ源氏の野蛮さを警戒していた?まあ、俘囚を名乗った安倍・清原・藤原にせよ、王臣子孫の立場で東北に攻め入った源氏にせよ、金や馬などの資源を目当てにしていた、…という点では同じなのかもしれませんが。
2024.06.15
フジ「Re:リベンジ」第10話。何も分からないまま、あっという間に終わっちゃった!残るは、あと1話。最後どうなるんだろう??大友(錦戸亮)が勝つ?天堂(赤楚衛二)が勝つ?◇木下紗耶(見上愛)を殺したのは誰?遺書には何が書いてあったの?誰がどうやって記事を取り下げさせた?編集デスクは紗耶のパソコンに何を見つけたの?誰がどうやって若林(橋本淳)を黙らせた?秘書の高村(利重剛)は事件に関係してるの?この車のシーンもちょっと気になりました。ちなみに、TBSの「アンチヒーロー」は、長谷川博己×野村萬斎の『シンゴジラ』対決だけど、この「Re:リベンジ」は、ほの暗い映像と堤裕介のミニマルな音楽が、そこはかとなく『ゴジラ-1.0』っぽいと思うのです。理事長室の絵も、一瞬ゴジラに見えるwそういえば、紗耶役の見上愛が「ボクらの時代」に出て、ふてほどの河合優実や青木柚と喋ってましたね。まだ見てないけど!明日あさ7:00からは#ボクらの時代 必見です👀大学で知り合ってからの親友 #河合優実 さん、3年連続5度目の共演!を果たした #青木柚 さん、と自然体トーク🌿お楽しみに☺️見上愛staff#見上愛 pic.twitter.com/e33XDIOJHP— 見上愛&STAFF (@mikami_ai_) June 8, 2024ずっと「けんじょう」だと思ってましたが、見上は「みかみ」と読むのね。珍しい苗字?一昨年の日本ダービーのときは、長澤まさみと2人で予想を的中させてた。#長澤まさみ #見上愛 #ドウドュース #武豊 #日本ダービー pic.twitter.com/ExZ9sOGwrH— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 29, 2022
2024.06.14
NHK「燕は戻ってこない」第7話。格差社会のなかでは、人間への差別感情も増大する。千味子(黒木瞳)は、リキ(石橋静河)のことを「違う人種」と侮蔑します。実際、西側ヨーロッパの代理出産は、ウクライナなど「別人種」への搾取によってるしね。搾取する側の人間は、その内実を見ないように普段は蓋をしてます。不快な実態を目の当たりにする嫌悪感や罪悪感から、なるべく目をそらして生きるためですよね。もし搾取しながら、「才能のない人間は搾取されて当然!」「努力しない人間は搾取されて当然!」と、それを平然と正当化できるならサイコパス。しかし、千味子のなかには、自分の加害性を意識させられることの嫌悪感もある。だからこそ、「1000万円は産んだあとに消えてもらうためのお金」「産んだら速やかに目の前から消えてもらう」「こちらとは二度と交わらない」…と吐き捨てるように言います。◇千味子は、リキのことを「どうしようもない人間」だと侮蔑しながら、その人間に「私たちはすがってる」という事実を嫌悪してる。そして悠子(内田有紀)に対して、「この先、あなたと加害者の絆を背負っていく」と言います。それがまさに《搾取》の加害性ってことでしょう。◇一方、わたしが気になったのは、バレエ教室の「貴大くん」という生徒のことです。基(稲垣吾郎)は、毎年予選どまりの彼に、留学のためのスカラシップを取得させようとしてる。そして躊躇する母親に対しては、「親が普通だからといって、子供が努力を放棄する理由にはならない!」「子供は遺伝子の奴隷じゃない!」と叱咤激励します。◇たしかに言ってることは正しいけど…代理出産までさせて自分の遺伝子を残そうとする人間が、それを本心で言ってるかは疑わしい。ほんとうに貴大くんの才能を信じるがゆえなのか。それとも、ただ教室の実績や名声を挙げるためなのか。かりに貴大くんに将来の展望がないとすれば、スカラシップを取得して海外留学しても、お金と人生を無駄にするだけです。基には、生徒のその後の人生まで請け負う意思があるのかどうか。たんに教室経営のコマとして利用してるだけなのでは?ある意味では、それも《搾取》の一種かもしれません。ドラマ10【#燕は戻ってこない】第7回のご視聴ありがとうございました基(#稲垣吾郎)の元に帰ってきた悠子(#内田有紀)。リキ(#石橋静河)を裏切り秘密を暴露してしまう!?りりこ(#中村優子)の家での新生活はー?次回もお見逃しなく👀‼️本編は見逃し配信中です⏰https://t.co/Uv7kIzBlTW pic.twitter.com/qxwiFq9Q3X— NHKドラマ (@nhk_dramas) June 11, 2024
2024.06.12
フジ「アンメット~ある脳外科医の日記」。第9話の終盤の長回しシーンは、熱愛中とも噂される主演2人の、まるでドキュメンタリーのようでしたが…最後のセリフで、いっきに突き落とされました。えええ~っっ?!やっと想いを交じわらせて、たったいま泣きながら抱きしめたのに!…そんなことあります???#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/3cRkzuLZBz— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 10, 2024 ◇今季も、前季と同じく、やたらと記憶喪失のドラマが多く、前季の「ONEDAY」とか、今季の「くる恋」「9ボーダー」とかは、おおむねファンタジーと割り切って楽しめるけど、前季の「たとあな」や今季の「アンメット」は、どうしてもリアリティの真偽が気になるのよね。とくに「アンメット」の場合は、医師が原作を書いた医療ドラマだし、リアリティにこだわってるとの触れ込みだし、ただのファンタジーとは片付けられない。NHKのドラマなら、特設サイトに解説が掲載されることもあるけど、民放のドラマはそこまでやらないし、リアルとファンタジーの境目は判然としません。◇もちろん基本的にはフィクションだと思う。深夜まで詳しい日記をつけて、その膨大な日記を早朝から読み込んで、脳外科医としての仕事をそつなくこなすって、さすがにそんなことは、現実的にはありえないだろうし、前日の記憶を失なっていく人が、練習や訓練を重ねる意味があるのかって疑問もある。でも、その一方、「記憶を失っても強い感情は忘れない」「記憶を失っても自転車の乗り方は忘れない」みたいな話が出てきたりするので、それなりに根拠はあるのかな?とも思ってしまう。てんかん薬の増減によって、記憶障害が出たり、認知障害が出たりって話も、なんらかの実例にもとづいたエピソードだろうし、今回のように、直前の記憶すら失なってしまう場面も、実際の症例があってこそなのかもしれません。◇命や健康だけじゃなくて、記憶や感情など人間の本質を揺るがす疾患を扱うのが、この医療ドラマの特徴ですが、記憶喪失のリアリティについてはともかく、篠崎絵里子の脚本は上手く出来ててドラマとしては面白い。また、同じフジの「Re:リベンジ」もそうですが、大病院経営にまつわる権力の暗部についても描かれてますね。◇これまで主役級では見たことのなかった若葉竜也が、とても個性的なキャラを発揮してるのも魅力的。朝ドラ「おちょやん」のときは、ほとんど印象にも残らなかったけど、今作では彼の個性がとてもよく活きてる。ちくっとします!月10ドラマ『アンメット』制作発表会見杉咲花&若葉竜也、朝ドラ『おちょやん』コンビが再共演✨️新ドラマ出演の経緯明かす「電話でプレッシャーかけられて(笑)」#杉咲花 #若葉竜也 #アンメット pic.twitter.com/eVLPQXIN2r— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) April 15, 2024若葉竜也の出演を熱望したのは、NHKとWOWOWや映画で共演を重ねた杉咲花だった、…という話なので、2人の交際報道もまったく驚きじゃなかったし、なんなら、すこし予測してましたw杉咲花はもともと演技が上手ですが、今回は過去作にも増して演技がイキイキしてる。きっと撮影が楽しくて仕方ないのでしょうね。視聴者の側も、2人のコンビをもっと見たい気持ちは強まってる。原作は連載中とのことなので、続編も期待できる?杉咲花、若葉竜也と熱愛報道に関係者は「ああ、やっぱりね」このまま結婚も、唯一の心配事はhttps://t.co/tIAgFout8F主演ドラマ「アンメット」で共演する若葉竜也と熱愛が報じられた杉咲花。もっとも、業界関係者は2人の交際について気づいていたそうだ。#デイリー新潮— デイリー新潮 (@dailyshincho) June 3, 2024
2024.06.11
初デート上出来茄子上手く炊けた 吊橋の下は万緑初デート 初デート彼の団扇を借りたまま6月6日のプレバト俳句。お題は「初デート」。◇梅沢富美男。吊橋の下は万緑 初デート初デートの吊橋万緑に揺れる(添削後)形式面でいうと、中七で切ったら季語は下五に置くほうがいい。この句の下五は、映像というより説明っぽく見えてしまう。一方、フジモンと先生が疑問を呈したのは、「緑が茂ってるのは橋の下じゃなく橋の周囲では?」…ってこと。まあ、吊り橋の位置によっては、眼下に緑が広がる場合もあろうし、客観的事実としては周囲に緑が茂ってても、吊り橋に立ったときの主観的な印象として、眼下の緑に圧倒されることもあるでしょう。ただし、万緑とは「見渡すかぎりの緑」のことだから、下だけに限定するのなら、むしろ「深緑」「青葉」などを使うべきかな、…という考えもありうる。◇フジモン。初デート上出来 茄子上手く炊けたボツかなあ…と思ったけど掲載決定でした。女性の視点で詠んだとのことで、俵万智の短歌みたいな内容。モノローグ的というか、日記っぽい。関西では「煮びたし」を「炊いたん」というのね。二句一章と考えると、前段は結果の説明とも見えるけど、全体をひとつのセリフと考えれば、公開録画当たった 浅蜊開いたと同じような作風だといえます。おうちデートで料理を振る舞い、「上手く炊けただけでも上出来!」と、自分に言い聞かせてる感じ?ただし、作者の説明によると、彼に料理を振る舞ったのではなく、外デートからの帰宅後に自炊した場面らしい。◇清水アナ。初デート 彼の団扇を借りたままこれはフジモンとは逆に、デート中の話ではなく、帰宅後の話のように読めてしまいます。帰宅後も借りたままだったという意味なら、上五は原因の説明になるけど、彼の団扇を持って歩いたという意味なら、初デート 君から借りた白団扇のようにも出来るし、あるいは破調の17音で、初デート 君に借りた団扇の風のようにも出来ます。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥きゅんです!🫰#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/AilKA0T6Of— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) June 5, 2024 ナイツ土屋。2位だったけど空気感がオシャレ!広告写真みたいなカッコよさ。 辻本舞は、独特の色彩が絵本みたいでファンタジックね。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.10
TBS「アンチヒーロー」は最終回を残すのみ。◇予告には《全伏線回収》とあります。それは、つまり…志水(緒形直人)の冤罪が晴れるだけじゃなく、ほんとうの犯人も明らかになるってことよね!真犯人が明らかになるとすれば、すでにドラマに登場してる人物なのかしら??◇ちなみに明墨(長谷川博己)の推理はこうです。伊達原はイラついていた。清水さんを拘留してはいたものの、起訴するだけの十分な証拠は出ていなかった。このままでは証拠不十分で清水を逃がすことになる。それでは西千葉建設の横領事件の真相も遠のいてしまう。伊達原にとって、それだけは絶対に避けたいことだった。ならば、清水が犯人だと示せるような証拠を作ってしまおう。そう考えた伊達原は、科捜研の担当者に指示を出して鑑定結果を書き換えさせた。しかし、じつは伊達原(野村萬斎)の真の目的は、「検察の点数稼ぎ」とか、「横領事件の真相解明」とかじゃなく、「真犯人の隠蔽」だったかもしれません。だとしたら、その罪はもっと重い。真犯人を逃がすために別人に罪を着せたってこと。◇一方で、緋山(岩田剛典)がほんとうに殺人犯だったのかも、まだハッキリしてない気がします。白木(大島優子)は、返り血の付いた作業着を伊達原のもとへ持ち込んだけど、あれって本物なの?あれ自体が明墨の仕込みなのでは??もし緋山が殺人犯じゃないとすれば、そちらにも真犯人がいるってことですが…白木は、明墨を裏切ったと見せかけて、じつは二重スパイをやってる可能性がある。倉田(藤木直人)も、伊達原を裏切ることになるのは間違いない。緑川(木村佳乃)と瀬古(神野三鈴)も、伊達原を裏切ることになりそうな予感。明墨は逮捕されましたが、実際には伊達原のほうが包囲されつつある!ってことじゃないかしら?
2024.06.10
NHKの日曜美術館「美を見つめ、美を届ける」を見ました。第1週は、辻惟雄『奇想の系譜』。第2週は、高階秀爾『名画を見る眼』。どちらも1960年代末~70年代初めに書かれた美術史の著作。◇辻惟雄は、伊藤若冲とアンリ・ルソーに《奇想》の共通性を見出してて、さらに華園力という精神科医は、若冲の絵を「自閉スペクトラム特性」の観点で語ってました。自閉症スペクトラムは細かいところに注目して全体を見ないっていう特徴があります。これを「細部への焦点化」というんですけども、全体を俯瞰するように総合的に見るんじゃなくて、細かいところだけに焦点を当てて集中するという見方をすることがあります。若冲も、やはりそういう特性を持っていたのではないか。たとえば「南天雄鶏図」というのがあります。主題は鶏でしょうけれど、背景の南天と同じ密度やエネルギーをもって強調されているので、背景と主題の差があまりないんですね。南天の実にしても一つ一つがかなり細かく描き分けられていて、中には実の一つが熟しすぎて、ちょっと黄色いところが出ている。そういうところまで描き分けてるんですね。そういう「細部への焦点化」というのがはっきりと見られます。もう1つは「反復繰り返し」と言いまして、驚異的な集中力をもって同じことを繰り返していく、というのも特徴なんですね。そういうのが若冲の作品の中に垣間見られるということが言えます。この説明を聞いて、若冲とルソーの秘密が分かったというより、「アストリッドとラファエル」の描写に合点がいきましたwなるほど自閉症スペクトラムって、そういうことなのね。伊藤若冲『動植綵絵 南天雄鶏図』江戸時代(18世紀) 皇居三の丸尚蔵館皇居三の丸尚蔵館にて「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」が開催されます。2023年11月3日(金・祝)~2024年6月23日(日) pic.twitter.com/QHfsc0539A— 美術ファン@世界の名画 (@bijutsufan) October 10, 2023華園力は、「伊藤若冲:創造性の地下水脈としての自閉スペクトラム特性」という論文を2019年に発表して、若冲の絵画表現に《特定の発達特性をもつ人との共通性》を指摘し、以降、《認知特性とアート表現の関わり》を研究してるとのこと。以下の論文もあるようです。アート表現に認められる自閉スペクトラム特性─創造性の源泉として─自閉スペクトラムがヴィジュアルアートの表現に及ぼす影響を、その行動表現型や認知表現型の特徴との関連から分析した。伊藤若冲を主とした自閉スペクトラム特性の強いアーティストたちの作品を取り上げ、そこにみられる特有の表現を、細部への焦点化、多重視点、表情認知の弱さ、反復繰り返しという4つの徴標から読み解き、背景にある認知特性や神経基盤について推考した。さらに、ヴィジュアルアートにおける創造性に自閉スペクトラム特性がどのように関与しているのかを考察した。https://arcmedium.co.jp/products/detail.php?product_id=2862◇一方、高階秀爾は次のように書いてます。絵画の歴史には、時に奇蹟としか言いようのない不思議が起こることがある。様式の発展とか時代の動きなどというものとはまったく無関係に、思いがけない傑作が、まるで別の星の世界から突然やってきたかのように、われわれの目の前に出現する場合がある。印象派以前と以後の様式の断絶は、エキゾチズムの影響(具体的にはパリ万博の影響)ですよね。同じことは音楽の印象派にもいえる。日本の北斎らが、西欧近代の影響を受けて遠近法を取り入れたのとは裏腹に、西欧の印象派の人たちは、遠近法を否定して、二次元表現の可能性を追求しはじめた。平面で三次元世界を再現する西欧絵画の伝統を放棄した。これは東欧やアジアやアフリカの影響ですよね。あくまで非西欧世界の絵画は、平面芸術=デザインの可能性を追求してきたわけだから。◇しかし、辻惟雄が言うところの「奇想」や、高階秀爾が言うところの「奇蹟」は、印象派が西欧美術の伝統を破ったこととは意味合いが違う。若冲やルソーの特徴は、むしろ異常なまでに微視的なリアリズムであって、アジアの伝統的な様式美をも、印象派の潮流をも逸脱するような偏執症的な過激さです。The Sleeping Gypsy https://t.co/mYjeLUSpDQ pic.twitter.com/LW9KIj8cIT— Henri Rousseau (@artrousseau) February 9, 2024 The Dream https://t.co/bRn83FNLo1 pic.twitter.com/Nq9LhTmoXi— Henri Rousseau (@artrousseau) April 10, 2024◇なお、第1週の対談では、曽我蕭白の「群仙図屏風」が取り上げられ、さらに画狂老人・北斎漫画の関連で、「狂(アナーキー)」と「漫」についても触れられたのだけど、そのテーマが第2週で掘り下げられなかったのは残念。重要文化財《群仙図屏風》1764年 文化庁蔵今日の蕭白研究はこの作品から始まったと言っても過言ではない!さらには、近世美術史のバイブル・辻惟雄著『奇想の系譜』の原点ともなった蕭白の代表作。何としてでもご覧ください!#蕭白#群仙図屏風#江戸絵画#奇想#愛知県美術館#前期展示 pic.twitter.com/O3JEWwzfbc— 曽我蕭白展 公式 (@shohaku2021) October 9, 2021
2024.06.10
赤楚衛二×錦戸亮「Re:リベンジ~欲望の果てに」。第9話。もう最悪です。想像を絶する最悪っぷり…。最悪という以外の言葉が見当たらない。こんなドラマ見たことない。主人公の海斗は、もはやクズというよりクソ!そのうえアホ!!闇堕ちしたとたん、なにも葛藤が無くなるってのも、ちょっと不自然な感じはするけどね。いくらアホだからといっても、すこしは良心の呵責ってものがあるでしょ。でも、ここまで堕ちてしまったら、もう海斗に更生の機会はなさそうです。◇大友のつぶやいた、「天堂記念病院はずっとそうだ…」というセリフ。だれが権力を握っても、結局は同じ過ちが繰り返されるってこと?海斗の父親もそうだったのでしょうか?秘書の高村なら、そんな父親の過去も知ってるのだろうね…でも、大友だって、善なのか悪なのかよく分からない。どんどん予想を裏切ってくるから。ドラマのタイトルには、「リベンジ」の前に「Re:」がついてるので、いわば「リベンジ返し」ってことだと思うけど、これはもしや悪人どうしの報復合戦で、どこにも救いなんかなくて、最後に虚無感だけが残るようなイヤミスなのでは?…って気もしてくるのよね。
2024.06.07
セクシー田中さん問題。日テレと小学館から報告書が出ました。日テレhttps://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-1.pdfhttps://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf小学館https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf1.事前の合意についてそもそも「原作に忠実に」という意向が、小学館と日テレ双方で合意されていたとはいえない。それを証明する文書はなく、双方の主張も食い違います。「原作に忠実に」という条件は合意されていない。バカな漫画ヲタクどもは、「ドラマは原作に忠実に作るのが当然!」などと主張してますが、ドラマは「原作を改変するのが当然」です。そもそも「漫画原作に忠実なドラマ化」とは何か。・漫画の絵をそのまま映像にすることですか?・コマ割りをそのまま絵コンテに置き換えることですか?・生身の俳優が漫画のキャラになりきることですか?・漫画1話分の物語をドラマ1話分に置き換えることですか?・全話分の物語を10話分のドラマに置き換えることですか?どの観点から考えても、「原作に忠実なドラマ化」など不可能です。むしろ改変こそがデフォルトだと考えねばならない。さすがの芦原妃名子も、そこまでバカじゃなかったので、ドラマ化に「改変」が必要なことは理解してました。日テレの報告書より。◇むしろ、それより問題だったのは、9・10話の「脚本家交代」についてなのですが、これについては、合意らしきものがあったとはいえ、【原作者→小学館 →日テレ】という伝言の過程で、その意思が徐々に薄められて及び腰に伝えられ、契約書にも明記されないまま、脚本家にはまったく伝わってませんでした。その曖昧な伝言ゲームが、のちに双方の不満を募らせて、ネットでの炎上騒動へと発展する結果になった。社員Xには口頭で伝え…社員Yにはメールで伝えたものの…社員Xは十分に認識しておらず…契約書にも記載されなかった。以下は日テレ側の認識。2.SNSの対応についてつぎに、炎上への対応について。まずは一般的な話としてですが、SNSで誰かに何かを言われて死ぬくらいなら、そもそもSNSをやるべきではありません。たとえば星野源の問題でもそうですが、滝沢ガレノが何かを書けば、そこに乗っかる人間が大勢いるし、それに対して星野源や新垣結衣が何かを書けば、そこにまた乗っかる人間が大勢います。そのような炎上騒ぎに対して、どちらが正しいとか間違ってるとか言っても仕方がない。SNSとはそういうものだと考える以外にないし、それに耐えられなければSNSをやるべきではありません。芦原妃名子もSNSはやっていませんでした。もともとSNSの危険性を警戒していたのかもしれません。しかし、脚本交代の件にかんしては、わざわざXのアカウントをあらたに開設して、一時的ながらSNSでの発信をしてしまったのですね。そして、それが結果的には仇になった。◇SNSにかんして、日テレと小学館では対応に違いがあります。日テレは「表現の自由」を尊重するとして、相沢友子のSNSにタッチしなかった。相沢友子の情報発信への対応。日テレの報告書より。小学館も、当初は同様の対応だったようですが、芦原妃名子の強い要望に応えて、ブログとXでの情報発信に協力し、さらに炎上騒動が拡大して以降は、対策委員会を招集するなどして、芦原妃名子の情報発信に対して、何らかの干渉をしようとしたフシがあります。芦原妃名子の情報発信への対応。この小学館の対策委員会の設置は、芦原妃名子の自殺のトリガーになった可能性もある。そこで「攻撃」という言葉が使われたかもしれないからです。◇バカな漫画ヲタクどもは、「日テレは相沢友子のSNSを削除させるべきだった」などと主張してますが、それは間違った考えです。未成年の子供ならともかく、成人した大人で、しかも表現を生業とする人間が、どこでどんな表現活動をしようと、それは個人の「表現の自由」の範疇であって、企業がいちいち干渉すべきことではありません。むしろ問題なのは、小学館の対応のほうです。たんに個人どうしの喧嘩なら、わざわざ企業が口を出す必要はないはずですが、あえて小学館が対策委員会などを設置したのは、それにともなうSNSでの炎上騒動が、小学館と日テレの両企業にとって不都合と考えたからでしょう。しかし、だからといって、企業が個人の表現活動に干渉などをすべきではない。◇もちろん、小学館の対応が、芦原妃名子の「表現」を侵害したとまでは言えないし、かりに何らかの干渉があったにしても、それが自殺の引き金になったとまでは断定できないし、かりに引き金になったとしても、そのことで殺人罪に問えるわけでもありません。そもそもSNSを使ってほしくないのなら、別途、その旨の契約が必要なのだと思いますが、ごく一般的な考え方として、SNSをやるかやらないか、そこでどんな発信をするかは、個々人の「表現の自由」の範疇であって、そこで誰と喧嘩をしようが、その結果、傷ついて自殺をしようが、それも表現者である作家個人の責任の範疇と言うべきです。作家を孤立させないということと、個人における「表現の自由」に干渉するということを、けっして混同すべきではありません。3.キャラ設定についてこれは、わたしの想像だけれど、小説であれ、漫画であれ、原作者がもっともこだわるポイントは、おそらく「キャラ設定」なのだろうと思う。ドラマ化にともなうキャラ設定の変更は、視聴者の嗜好や俳優の特性に合わせたものでしょうが、たしかにキャラの設定を変えれば、おのずから登場人物の行動原理が変わり、それによってストーリーとその意味合いも変わります。したがって、原作者の意向と齟齬が生じやすい部分だと思う。◇今回のように、原作者が脚本監修(プロットの修正)をする場合であっても、キャラの設定にかんしては、ストーリーにも影響する問題なので、契約前の段階で合意に達しておくべきだと思います。テレビ局と出版社は、この点をいかに調整すべきかについて、あらかじめ様々なケーススタディをしておくべきだし、合意のためのフォーマットを作っておくべきでしょうね。
2024.06.06
NHKの「日曜美術館」は宇野亜喜良の特集でした。寺山修司の俳句を題材にして、即興のイラストを描くところから番組が始まってた。それ以外の内容は、おおむね↓以下のサイトなどにも紹介してあります。https://webtaiyo.com/pickup/18200/◇わたしがいちばん知りたかったのは、新書館の「フォアレディース」シリーズのこと。文学、アート、漫画などのジャンルを横断しつつ、少女向けのハイカルチャーを発信していて、寺山修司と宇野亜喜良はそこにかかわってました。宇野の特有の画風は、越路吹雪のポスターのデザインや、そのシリーズでの仕事をとおして確立されたといえる。◇このシリーズについて比較的くわしく紹介してるのは、↓以下のサイトです。https://cookbooks.jp/ef-3/ef-3.htmlhttps://cookbooks.jp/ef-3/ef3-1.html#sethttps://cookbooks.jp/ef-11/ef-11.htmlわたし自身も、↓由貴ちゃん絡みですこし話題にしたことがある。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-319.html宇野亜喜良は、そのシリーズの背景を知るキーパーソンなのだけど、今回の番組でも、それについての掘り下げはほとんどありませんでした。なので、わたしとしてはちょっと食い足りない…(笑)◇そもそも新書館の「フォアレディース」とは、誰がどんなコンセプトで立ち上げたシリーズだったのか?なぜ寺山修司はそこに深くかかわったのか?寺山修司は、詩人・劇作家としての面で注目されることが多いけど、じつは萩尾望都や竹宮惠子ら24年組を中心とする、文学性の高い少女漫画の潮流にも深く関わってました。にもかかわらず、そのへんの事情に注目が向けられる機会は少なすぎます。【今度の #日曜美術館 は…】不思議な魅力を放つ、笑わない少女。イラストレーター、 #宇野亞喜良。90歳。時代を超えても色あせないイラストレーションの秘密とは!?Eテレ 5月26日(日) 朝9:00https://t.co/aZHTugSoFB pic.twitter.com/eIlXZKku2i— NHK びじゅつ委員長 (@nhk_bijutsu) May 24, 2024 【#日曜美術館 SP ハッピーニューアーツ! 】<再放送>2024年に出会えるアートを豪華プレゼンターが熱く語る日曜美術館SP。#のん さんが訪れたのは高校生のときから大好きだという #宇野亞喜良 さんのアトリエです。1月7日(日) Eテレ 朝9時https://t.co/kz77o7zwTQ pic.twitter.com/afrivcxV27— NHK びじゅつ委員長 (@nhk_bijutsu) January 2, 2024https://www.operacity.jp/ag/exh273/pdf/list.pdf
2024.06.06
石原さとみ×亀梨和也「Destiny」最終回。とくに大きなどんでん返しなどはなく、おおむね予想どおりの結末でしたが…余命わずかだったはずの真樹が胆のう癌を克服!!予想に反して、貴志エンドじゃなく真樹エンドでした。そして、カオリは結局、奏と真樹を別れさせたかったのねw2人を付き合わせないほうがいいですよ。リアルに付き合ってる?#田中みな実 #亀梨和也 と〝ビジネスカップル説〟払拭 左手薬指に超高額指輪がキラリ|東スポWEB https://t.co/7SaU8rUDwm— 東スポ (@tospo_prores) June 5, 2024 振り返ってはいけないと思いつつ…振り返っちゃいましたw貴志が可哀想!でも、石田ひかりとお似合いだと思います!フリーな未亡人の設定だし。貴志、奏よりお義母さんとお似合いだったのよね。お義母さんも独身だし、めちゃ気に入られてたし。#安藤政信 #石田ひかり #Destiny pic.twitter.com/RKqj4Rij26— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) June 4, 2024
2024.06.05
ドラマ10「燕は戻ってこない」第6話。春画家りりこが最高だったww好きなだけエッチして堕胎するのも女の権利ってこと。どこかの政治家の言う「産む機械」じゃあるまいし、カテーテルで受精だけさせられるなんて人間じゃない。選民意識まるだしのバレリーナ母子は、気の済むまでバレエ馬の種付けでもやっとけ!と。◇まあ、父親不明とはいえ、かけがえのない命に変わりないから、産む、という選択も否定しません。どうせ滅多なことじゃDNA鑑定なんてしないんだし。もし一卵性じゃなくて二卵性だとしたら、北海道と沖縄のボンクラ双子の可能性もあるけれど、そんなこたあ知ったこっちゃない。このまましらばっくれて、1000万円もらってトンズラすればいいのよね。内田有紀もこのまま再婚するのはやめて、北海道と沖縄のボンクラ双子を、何も知らないバレリーナ母子に育てさせとけばいいのよ。むしろ「ざまあw」って感じ。◇そもそも「貸し腹」契約なんてのは、それ自体が非合法な奴隷契約も同然なのだから、およそ人間が守るべき正常な契約とは思えない。精子や卵子だけならともかく、お腹(=子宮)は臓器なのだから、あきらかな「人身売買」に該当するはずでしょ。法倫理的にいうならば、人身売買契約を守れ!と強制するほうが非道です。偽装結婚や偽装離婚の件もふくめて、契約そのものの正当性が問われるのだし、不当な条件下で人権が侵害されたならば、契約の履行や守秘義務なんぞよりも、人権保護と公益通報こそが優先されるはずです。たとえば「相手方に奴隷となることを約束させる」旨の契約は、強行規定である民法90条「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」に反するため無効となります。https://yell-lpi.co.jp/column/contract/art0059/人身売買は、歴史的に、女性に対する暴力や性的搾取について使われる傾向があります。人身取引は、国際組織犯罪防止条約人身取引議定書において国際組織犯罪として定義されている言葉で、日本政府やILOなどの専門機関により使用されています。また、同議定書において、性的搾取、強制労働、臓器売買などを幅広く含むと規定されています。https://www.worldvision.jp/children/trafficking.html人身取引とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/2752/第三者から精子を提供してもらって子どもをもうけることは、日本でも長年行われてきています。しかし、負担や危険が大きい卵子の第三者からの提供は、国内ではほとんど行われてきませんでした。この間日本では、臓器売買事件が二件明るみに出て、移植法違反として起訴されています。ですが生殖補助医療に関する法律はなく、精子、卵子、受精卵の売買は、法的には禁止されていません。https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1600【#燕は戻ってこない】作家・桐野夏生さん「自己責任という言葉ができてからは、本当に何でもかんでも自己責任になってしまいましたね」今夜は、第6話が放送されましたhttps://t.co/aBjYOpIWWZ🔼【読む】原作が出版された当時 #クロ現 は桐野さんにインタビューしました— NHKクローズアップ現代 公式 (@nhk_kurogen) June 4, 2024
2024.06.05
おとといの《100分de名著「魔の山」》の記事を書いたあとに、ユダヤ人にかんして音楽惑星さんと意見交換しました。Amazonのサービス変更の影響もあって、音楽惑星さんのサイトは一時休止中とのことなので、こちらにその内容を載せておきます。赤字がわたし。青字が音楽惑星さんです。前に音楽惑星さんは《ドナルド・トランプとボブ・ディラン》という記事で「ボブ・ディランがロックに転向したのはトロツキストだったから」みたいに書いてましたよね。はいはい。あのときニューポートフェスティバルにいたユダヤ系のミュージシャンは全員トロスキストだった…と(笑)。全員がトロスキストだったと言えるか分かりませんが、たとえばピート・シーガーなんかはスターリン主義者だったわけです。そのことで、のちにネオコンから批判されるんですが。だから、ピート・シーガーみたいな共産党系の左翼に反発したユダヤ人たちはトロツキストだった…と考えるのが分かりやすいと思ったんですよね。とくにボブ・ディランは、先祖がトロツキーと同郷のウクライナ移民なんですね。祖父母の代までトロツキーの故郷のオデッサに住むユダヤ人でした。現在はウクライナ領ですけど、当時はロシア帝国領ですね。つまり、トロツキーも、ボブ・ディランも、それから大統領のゼレンスキーも「ウクライナのユダヤ人」という共通項で繋がってるわけです。そうですね。わたしは、東洋経済オンラインの《ウクライナとガザの紛争が歴史上同根である理由》という記事 を読んで、ウクライナもパレスチナも結局はユダヤ人問題なんだ!…と気がついたわけ。現代のユダヤ人問題も、もともとはウクライナから始まってる。それは、ロシアのポグロムってことですね。うん。ポグロムは、19世紀の前半に、それこそオデッサから始まったわけでしょ。現在のウクライナに住むユダヤ人が排斥の対象になった。そこから、東側のユダヤ人たちは西へ追いやられていくんだけど、第二次大戦のときに、こんどはナチスドイツから追い返されてしまった。というより、虐殺されたわけですが。それでユダヤ人は行き場がなくなるんだけど、イギリスの二枚舌外交で「エルサレムに住んでいいよ」と言われてパレスチナに移り住んた。そうしたら、こんどはパレスチナ難民が発生してイスラム教徒と争うことになったわけです。本来、ユダヤ人は2000年近くキリスト教徒と争ってきたんだけど、いまはキリスト教徒と結託してイスラム教徒と喧嘩してる。イギリスの二枚舌外交ってのは、はじめからそこまでを目論んでた可能性があります。つまり、イスラム教徒と喧嘩させておけば、キリスト教世界のほうは平穏だと?わたしは《CBCの「アンという名の少女」》の記事 を書いたときに「ラテン系の人たちは異民族と共存するのが平気だけど、北方のゲルマン人やアングロサクソンは潔癖だから異民族と共存できないんだ」と考えたんです。カナダや米国の北部州で奴隷制が早く終ったのは、もともと黒人や先住民と距離を置いてて奴隷制にも依存してなかったからです。それに対して、ラテン系の人たちは、何千年も前から地中海で黒人やアラブ人の奴隷たちと共存してきたから、異民族と共存することに慣れてるんですね。だから、アメリカの南部州でも、それから南米でも、奴隷制への依存度が高くて、それをなかなか手放せない。それはおそらくユダヤ人に対しても同じで、ラテン系の人たちはレコンキスタのときにも改宗ユダヤ人と一緒にアラブ人と戦ったりしてる。まあ、十字軍のときはユダヤ人を殺戮したけれど。他方、スラブ系のロシア人とか、ドイツのゲルマン人とかは、潔癖すぎてユダヤ人との共存ができないんだろうと思う。そういったら日本人も異民族との共存は苦手ですよね。日本人は島国に閉じこもってきたからかな。実際には、オランダにユダヤ人がいた時期もあったし、イギリスにユダヤ人がいた時期もあります。その前にはチェコにもユダヤ人がたくさんいた。そういう時期は、国がとても繁栄するんですね。経済力が高まるから。そうです。ポルトガルやオランダやイギリスがヘゲモニー国家になったのは、ユダヤ人と共存していた時期なんだろうと思う。20世紀後半になると、こんどはニューヨークにユダヤ人が集まってきて、米国がヘゲモニーを握るわけですよね。たしかに。でも、その一方で、ユダヤ人との共存ってのは社会の歪みを生んでしまう。格差が拡大するし、伝統的な共同体が壊れてしまうから。ユダヤ人との共存には表の面もあるし裏の面もあるわけです。ある意味では米国の南北問題もそこに起因するんでしょうね。スタインベックの『怒りの葡萄』の中にも「東部の資本家がオクラホマの農村を破壊してるんだ」という話が出てきます。東部の資本家というのは、おそらくニューヨークのユダヤ人でしょうからね。イギリスの二枚舌外交というのは、ヨーロッパからユダヤ人を追い出しつつも、経済的な協力関係は維持する…というズルい発想だったんだと思う。イスラム教徒と戦争させつつ、欧米とユダヤ人社会は経済的な同盟関係を維持してるといえます。米国は基本的にアングロサクソンの社会だけど、不思議なことにユダヤ人排斥は起こりませんでした。それは、ナチスドイツを「悪」とみなすハリウッドなどのメディア戦略の成果でもあるし、もちろんユダヤ人のロビー活動の成果でもあるし、ネオコンなんかは南部の福音派と結託して上手く振舞ってるわけですね。そうやってユダヤ人排斥が起こらないように立ち回ってる。さすがに最近は、パレスチナ問題でイスラエルへの反感も大きくなってるけど。ボブ・ディランも、表向きは南部の貧困層に寄り添うフリをしてるのね。まあ「フリをしてる」と言ったら語弊があるかもしれないけど、ユダヤ人社会にはそういう二面性とか矛盾があるのでしょうね。アトランティックレコードのジョン・ウェクスラーなんかも、南部の文化に寄り添ったユダヤ人でした。もともとマルクスだって、ロスチャイルド家の親戚で大金持ちでした。資本主義の権化みたいなユダヤ人もいれば、それと敵対して戦おうとするユダヤ人もいるってことかな。だいたい左翼になるのはブルジョワの息子ですから(笑)。おそらくユダヤ人は、資本主義のフロンティアを求めて、どんどん移動していくんだと思う。そして、そのたびに社会的な混乱がそこに生まれる。そういうことを繰り返すんですね。現在のウクライナとパレスチナの問題は、近代のユダヤ人による資本主義の、いちばん根っこの部分と先端の部分で起こってるわけです。アラブ人やトルコ人だって、歴史的には地中海世界で異民族と共存してきた人たちですよね。オスマン帝国は多民族国家だったわけだし。とくにアラブ人とユダヤ人って根っこは同一民族です。それが争うように強いられてる状況は、すごく不自然で人為的なんだろうと思う。わたしの主張は、いまいち正確性を欠いてる気もするので、補足の意味と、個人的な備忘録のために、以下、関連記事からの抜粋をいくつか載せておきます。なお、リベラル派の学者の文章もあれば、極右政党のサイトの文章もありますので、悪しからず。ウマイヤ朝は、人頭税を支払えば信仰の自由を認めてくれたので、ユダヤ人にとっては悪くない治世でした。しかし、国土を奪われたキリスト教は、ムスリムの手から土地を取り戻そうとレコンキスタを展開。それにともなって、イベリア半島から徐々にユダヤ人が追い出されるようになりました。レコンキスタは1492年、スペインによって達成されます。ユダヤ人はスペインには留まれないことになりました。スペインにおけるユダヤ人の人口は、レコンキスタの過程で、当然ながら減少し続けます。レコンキスタ完了目前の1478年、スペインでは、約20万人のユダヤ人が暮らしていましたが、そのうち10万人は隣国・ポルトガルに移り住みました。1495年に即位したポルトガル王のマヌエル1世は、ユダヤ教徒に寛容でしたが、スペイン・カトリック両王の娘イサベルと結婚するにあたり、スペイン側からユダヤ人を追放するよう迫られます。しかし、ユダヤ人が経済的にも文化的に非常に重要な役割を果たしていることを知っていたマヌエル1世は、何とかして彼らを国内に留めようとします。そこで彼は形式的に、1497年3月で全ユダヤ教徒がキリスト教徒になったことにしたのです。この時に、“形式上”、キリスト教徒に改宗した人たちを、新キリスト教徒と呼びます。内心ではユダヤ教を信仰することも事実上黙認されたわけですが、それはいつ糾弾されるかも知れぬ生活を送るということでもありました。事実、その後、スペインやポルトガルでは苛烈な「異端審問」が行われるようになるのです。そうした背景があったので、新キリスト教徒は常に信仰の自由が認められる地を探していました。1500年代初頭、彼らの中からアントウェルペン(現在のベルギーの都市)に貿易のために定住する人々が出てきます。彼らは、スペイン人やポルトガル人、さらにはスペインの迫害を逃れて、北アフリカ、トルコ、地中海の他の地域に住み着いた家族たちとの経済的絆を維持し続けました。そのネットワークが経済活動の大きな強みにもなりました。そしてもちろん、スペインとポルトガルの支配から逃れた人々は、再びユダヤ教に改宗していきました。その後、アントウェルペンの新キリスト教徒は、隣国オランダのアムステルダムに定住するようになります。スペイン国王フェリペ2世が1585年に南ネーデルラント(現在のベルギー)を陥落させたからです。またもやスペインの支配から逃れなければならなかったのです。オランダ人の多くは改革派教会(プロテスタント)に属していましたが、彼らにユダヤ人を迫害する気持ちはありませんでした。それは、ユダヤ人が富をもたらす存在だとしっていたからです。17世紀になるとユダヤ人はオランダ共和国にさらに受け入れられます。1639年、公にユダヤ教を信仰することが許されるのです。アムステルダムには、ユダヤ人のためのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が建てられるほどでした。セファルディムの中には、ハンブルクに住み着く人々もいました。ハンブルクはルター派の都市でありながらも、同時に宗教的に寛容で、セファルディムは市民権こそ取得できませんでしたが商業に従事することができました。そのため迫害を逃れて、ハンブルクで商業に従事する人々もいたのです。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56942ウィーン体制といわれる1815年以降の体制は、国民国家へと移行していく流れの中で締結された体制であった。その現れの1つが、1853年から始まるクリミア戦争であった。この戦争は、オスマン帝国の解体を意味する戦争であり、かつその領地をどの国が分け合うかという「ライオンの分け前」の戦いであった。そこで大きな影響を受けたのが、マイノリティーの民族だった。帝国の崩壊は、マイノリティー民族への弾圧を生み出した。ロシアではユダヤ人に対するポグロム(ユダヤ人に対する集団暴力)が起こる。ポグロムを逃れたユダヤ人は、プロイセンやオーストリアなどに移住していったが、500万以上のユダヤ人が住んでいたロシア帝国、とりわけウクライナのユダヤ人社会の崩壊は、西欧社会に大きな社会的危機をもたらす。この危機の中で、社会主義運動に参加するユダヤ人も大勢生まれた。トロツキー、ルクセンブルク、ジノヴィエフ、マルトフなどロシア革命で大活躍をする面々は、こうした流れを受けたものであった。ロシア革命の原動力の1つがロシア帝国のポグロムに対する抵抗であったともいえる。一方、オーストリア帝国やドイツ帝国へ逃げのびたユダヤ人は、オーストリアで難民問題を引き起こす。ポグロムによる西欧へのユダヤ人の移動は、西欧人に反ユダヤ主義をもたらす。これがオーストリアのユダヤ人ヘルツルによるシオニスト会議(1897年)を生み出す。https://toyokeizai.net/articles/-/713471離散(ディアスポラ)後ユダヤ人が特に反乱を起こしたわけでもないのに、なぜ迫害されたのでしょう?第一の理由は宗教です。ユダヤ人はユダヤ教を守り、離散したあとでも宗教指導者のもとでユダヤ教の戒律に従いました。多数派のキリスト教徒(当時はカソリック)から見ると明らかに異教徒ですし、キリストをゴルゴダの丘で磔の刑にしたのもユダヤ人だからです。二番目の理由はユダヤ人の生業です。自分たちの土地を追われたユダヤ人が食べていくには、商業と金融業(金貸し)しかありませんでした。小さい時に紙芝居で見た「ベニスの商人」という話を覚えているでしょうか?イタリアのベニスの商人がシャイロックというユダヤ人からカネを借りたのですが、商売に失敗して返せなくなりました。シャイロックは返済の繰り延べを認めず、借用書にあるように商人のカラダの肉で払えと主張し裁判になったという話です。結果は大岡裁きのように、肉を切っても良いが、血は一滴も流してはならないという判決だったと思います。ここでは、金貸しのユダヤ人が明らかに憎悪の対象になるように憎々しげに描かれています。三番目の理由は後ろ盾となる国を持たないことです。それが何を意味するのか私たちに分かり易いように、よく似た例を日本の江戸時代に求めてみたいと思います。江戸時代の産業は主に農業、米作りでした。領地を治める大名は参勤交代や幕府に命じられた普請のため常に金がなく大坂や各地の豪商から利子の付くカネを借りていました。日本の江戸時代は、大名も豪商も共に日本人だったので問題は少なかったのですが、この豪商が異民族で、しかも日本人と違う神を拝んでいて、そして後ろ盾の国を持たなかったら、と想像してみてください。ひょっとして日本でも迫害が起こっていたかもしれないです。ポーランドはモンゴルの侵略の後、西洋に居住していたユダヤ人を自国に導き保護し、彼らの情報力、商業・金融能力を活用した結果国力が伸長していました。ポーランドもスラブ人の国ですが、ギリシャ正教を採用したウクライナやロシアと異なり、カソリックを国教としておりました。ウクライナの大部分を手に入れたポーランドがウクライナを支配する際、異民族で異教徒のユダヤ人を日本でいうところの代官としてポーランド貴族とウクライナ人民の間に立たせ、徴税など恨まれる仕事は彼らにやらせました。コサックとポーランドの戦争の際、スラブ人であるコサックに最初にやられるのは敵国ポーランドの代官であるユダヤ人でした。情報網をしっかり持っている金持ちユダヤ人は早々と逃げるのですが、貧しいユダヤ人は取り残され虐殺の犠牲者となりました。これが狭義のポグロム、スラブ人によるユダヤ人虐殺の第一歩です。https://www.sanseito.jp/translation/4757/有名なミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作はウクライナ出身のイディッシュ語作家ショレム・アレイヘムの短編集「牛乳屋テヴィエ」(1894年)である。舞台は架空の町だが、明らかに19世紀末のロシア帝国領、現在のウクライナにあった「シュテットル(ユダヤ人の多く住む小さな町)」がモデルになっている。19世紀の牛乳屋テヴィエはポグロム(主にユダヤ人に対する集団的略奪や虐殺)に遭ったが、20世紀、歴史学者であるワッサースタインの祖父母はホロコーストの犠牲になる。父のアディは、幸運が重なって、ベルリンからイタリア、トルコ、パレスチナへと居場所を変えながら、何度も間一髪のタイミングで迫害を逃れる。元はポーランド領だったクラコーヴィエツは、ドイツに支配され、やがてソ連領になり、現在はウクライナに属しているわけだが、この町で生きたユダヤ人たちも、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人たちの恨みを買ったり、抗争に巻き込まれたり、弾圧を受けたりして歴史の荒波に翻弄される。https://www.kyodo.co.jp/col/2024-05-25_3860567/1941年9月、ドイツ軍占領下のキーウで大規模な爆発が起きます。これはソ連の秘密警察がキーウを撤退する際に仕掛けておいた爆弾だったのですが、ナチス・ドイツはユダヤ人の仕業と決めつけ、一気にユダヤ人を絶滅させようとします。ユダヤ人たちはバビ・ヤールの渓谷に連行され、実に3万3771人のユダヤ人が射殺されました。このときナチス・ドイツに協力したウクライナ国民もいました。民族主義者たちはユダヤ人を嫌っていたからです。ソ連軍がドイツ軍を撃退してウクライナを解放した後、ソ連政府は捕虜にしたドイツ兵を裁判にかけ、公開処刑しましたが、事件そのものは、大きく報道されることはありませんでした。当時のソ連でも反ユダヤ主義が蔓延していて、ユダヤ人虐殺事件を非難しようとはしなかったからです。https://lp.p.pia.jp/article/essay/983/245359/index.html1980年代の中頃より旧ソ連邦で始まったペレストロイカ政策は、史上類をみない大規模なユダヤ人移民の波を生み出した。一方、事実上消滅して久しかったユダヤ人共同体が各地で次々と復活し、同化傾向の高かった旧ソ連系ユダヤ人のアイデンティティーを再編成させる結果となった。こうした動きを受けて、アメリカやイスラエルの様々なユダヤ人機関は、いち早く旧ソ連邦の同胞に支援の手をさしのべ、慈善活動、文化復興、移民促進などの面で成果をあげている。なかでもユダヤ教超正統派、とりわけハシディズムの諸流派は、70年間の共産党支配によって忘却の淵に沈んでいた伝統的なユダヤ人意識を呼び覚まそうと精力的な活動を展開している。ハシディズムとは、18世紀中葉にウクライナのポドリア地方で、奇跡業者の一人バール・シェム・トーヴによって創始されたユダヤ教敬虔主義運動である。ボフダン・フメリニツキーによる1648年のユダヤ人大虐殺、1666年を頂点とするシャブタイ・ツヴの偽メシア運動など、17世紀のアシュケナジーム社会は大破局に見舞われた。この精神的空白を埋めるかのように現れたハシディズムは、たちまち幅広い大衆的基盤を獲得し、19世紀末までには東欧全域を席捲した。共産主義革命、内戦とポグロム、そしてとりわけホロコーストといった、20世紀前半に東欧・ロシアのユダヤ人社会全体を襲った一連の出来事は、ハシディズムの存続にとっては致命的な打撃となったが、少数の生き残りが移住した北米やイスラエルなどにおいて、この運動は一命をとりとめた。ニューヨーク、テルアビブ、ロンドンといった超近代的な大都市で、典型的なゲットー社会を形成したハシディズムは、やがてその頑迷な反近代主義的なイデオロギーと出生率の高さに支えられて大きく息を吹き返し、今日では繁栄を誇るまでになった。https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39011/1/50-003.pdfウクライナ侵攻勃発から間もない3月5日、ベネット首相はモスクワを訪問してプーチン・ロシア大統領と対面で会見した最初の外国首脳となった。ウクライナとロシアとの休戦の仲介を申し出たのである。ウクライナとロシア、いずれにも多数のユダヤ人コミュニティがあり、両国からのイスラエル国内への移民も多い。またイスラエルは、欧米、ロシア、ウクライナそれぞれに太い政治的なパイプを持っている。したがって、十分に仲介者たり得るという主張に立った動きともいえるが、イスラエルの本音は、欧米からの批判に対して、仲介者として紛争当事者のいずれに対しても偏った姿勢はとれないという口実を得ようとするところにある。https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2022/ISQ202220_014.html
2024.06.04
もう1週間くらい前なのだけど、萌音が夢に出てきてました。今回は、がっちり喋っていた。わたしは、ドラマのあらすじとか色んなことをノートに書いてて、それを萌音に読んでもらってるところでした。わたしはどうやら、そのドラマをちゃんと見てなかったらしく、当てずっぽうで2通りのあらすじを書いてたのだけど、どちらが正しいのか萌音に確認してもらってたみたい。
2024.06.03
部屋からは洋画の予告夏の雲 上京し洗うTシャツ独りぶん キャンプの夜乾いたTシャツは煙の香 大中小干したTシャツ4人分 春昼に揺れるコートと短肌着 洗剤の封切る新緑の朝 夜濯ぎや命すくなき星赤く 雷や洗濯物へ走る母5月30日のプレバト俳句。お題は「洗濯」。◇皆藤愛子。洗剤の封切る新緑の朝あしたこれは清々しい佳作。白と緑の色彩を対比する一方で、洗剤の香りと新緑の香りを重ねてる感じ。◇梅沢富美男。夜濯よすすぎや 命すくなき星赤く夜濯よすすぎや 赤く老いたる星ひとつ(添削後)もともと「夜濯ぎ」「夜干し」には、死者のイメージがともないますが、そのことも意識した内容なのでしょうか?中七の「命すくなし」が観念的なのは、個人的にいえば許容範囲なのだけど、むしろ「少ない星が赤い」というように、前後から形容詞で修飾する形がぎこちない。添削には異論ありませんが、固有名詞を用いれば、夜濯や 老いて赤きはアンタレスのようにも出来ます。◇蓮見翔。部屋からは洋画の予告 夏の雲ベランダの夏雲 部屋からはニュース(添削後)ベランダの夏雲 部屋からはサザン(添削後)これが今週の1位で特待生にも昇格。句材は面白いけど、特待生としては不安の残る出来ですね。洋画からテレビを想像させるのは無理があるし、前段は「試写室」などの場面にも見えてしまう。テレビが想像できないとベランダも見えないので、どこで夏雲を見てるのか分からなくなる。素直に書けば、露台にてテレビの洋画予告聞くのようになるかと思います。添削句も場面を明瞭にすべく、季語の「ベランダ」を取り入れて、あえて「夏雲」との季重なりにしてますが、これは「白雲」などに換えても解決するし、もしくは「ベランダの雲や」と詠嘆してから、後段で音数調整しても解決できるはずです。◇川島如恵留。キャンプの夜 乾いたシャツは煙の香Tシャツに昨夜よべのキャンプの煙の香(添削後)季語は「キャンプ」で夏。作者の話によれば、洗濯したのは帰宅後の翌日だそうです。つまり、前段が夜で後段が翌日の昼、…と時制が変わってるわけですが、そう解釈するのは不可能です。字面だけを読めば、キャンプファイヤーの煙が、近くで干していたシャツに染みついた、…という解釈になるはず。これは添削のように書くのが正解。なお、一部の歳時記は、「Tシャツ」を「夏シャツ」の子季語にしてる…という旨の先生の解説もありました。◇大友花恋。上京し洗うTシャツ独りぶん上京や 洗うTシャツ独りぶん(添削後)これは、その「Tシャツ」が季語。原句の「上京し」は描写じゃなくて説明です。それを添削句は切れ字で詠嘆してますが、やっぱり映像にはなっていません。ためしに句またがりで、都会の洗濯 Tシャツ独り分としてみました。…ちなみに、あざ蓉子の句には、上京や 春は傷みしミルク膜というのもありますが、いわば状況説明を詠嘆するような形です。同様のことは「失恋や」「空腹や」にも言えますが、それで上手くいくかどうかはケースバイケース。あるいは選者しだいかなという気がする。ついでに余談ですが、上京や 友禅洗ふ春の水(河東碧梧桐)下京や 雪つむ上の夜の雨(野沢凡兆)の「上京かみぎょう」「下京しもぎょう」は地名です。◇DAIGO。大中小 干したTシャツ4人分大中小小 Tシャツ風かぜに四人分(添削後)これも「Tシャツ」が季語。添削は「Tシャツ風ふうに」と読めるので、語順を逆に「風にTシャツ」と書くべきでしょう。そして「大中小小」とまで書いたなら、下五の「四人分」は蛇足になりますね。たとえば、大中小小 風にTシャツ列をなすのようにも出来ます。◇空気階段かたまり。春昼に揺れるコートと短肌着たんはだぎ春風や 白いスタイと短肌着(添削後)季節の変わり目を描写すべく、あえて「春昼」と冬の「コート」を並べた季重なり。しかし、その試みはあっさり退けられました。実際、冬と春を並べるチャレンジも難しいし、大人の外套と子供の下着を並べるのも不自然ですね。いろんな意味でちぐはぐ感が否めない。その一方、添削句が物干しの場面に見えるかどうかは微妙。たんに「春風の中に赤子がいる」という場面にも見える。むしろ上五を「春風に」としたほうが伝わりやすい。◇清水アナ。雷や 洗濯物へ走る母さすがに句材が凡庸すぎましたね。上五は詠嘆というよりも、関西弁で「雷や!」というセリフに見えるw/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥キングです!👑😂#清水アナの俳句道場#夏井いつき#夏井いつき先生#プレバト pic.twitter.com/7wIf9VeT63— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) May 27, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.06.03
NHKの100分de名著トーマス・マン「魔の山」。全4回を見終わっても、いまいち要領を得なかった。◇講師役を担当した小黒康正は、《山上》の療養所と《下界》が象徴するものについて、おおむね次のような整理をしてました。《山上》東方の快楽主義的な退廃。死への耽溺。《下界》西欧の啓蒙主義的な理性。生への奉仕。しかし、この整理の仕方はかなり分かりにくい。…というより、とくに革命主義者のナフタが登場して以降、上のような対比は一貫性をなくして矛盾を来たします。なぜなら、《下界》でおこなわれてるのは戦争なのだから、それは「生への奉仕」ではなく「死への奉仕」だし、しかも、ドイツは、英・伊・仏などの西欧諸国と戦ってるわけだから、ドイツが属してるのは、下界でも「東側」なのです。◇そう考えると、すくなくともナフタの登場以降は、次のように整理するほうが妥当なのだと思う。《山上》東方的革命の「観念論」《下界》東方的革命の「実践論」そして、これはちょうど、マルクスが「ドイツイデオロギー」で、観念論から実践論に転換したのと同じじゃないかしら?つまり、主人公ハンス・カストルプとヨーアヒムは、ロシアの革命幻想(ショーシャ夫人)に魅了される段階から、実践的な闘争主義(イエズス会士ナフタ)に駆り立てられる段階へ、徐々に覚醒していく、ってことなのだと思う。雪山で悟達のシーンで描かれているように、ある種の理念を獲得するだけではだめで、それをどう実践にもたらしていくのかを問うたのが第七章なのだ。単なる理念は、あっという間に忘れ去られてしまう。https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p2DR8gZbLa/◇ただし、マルクスとは違って…トーマス・マン場合は、執筆中に第一次大戦が終結してドイツが負けたので、戦争という名の「革命論」は潰えてしまった。作者もその失敗を認めざるを得なかった。それは、つまり、ナフタに象徴される実践革命の敗北を認めて、イタリア人のセテムブリーニが象徴するような、西欧市民社会の勝利を認める…ということです。◇しかしながら、トーマス・マンの意に反して、現実のドイツは(それどころかイタリアまでも)、革命の意志を捨てられずに、さらにファシズムへ突き進んでいきます。そして、その場合の「東方的革命」とは、一党独裁体制による全体主義と言い換えられる。その点では、ソ連もナチスドイツも同じなのだから。実際、ロシアの革命幻想を体現したはずのショーシャ夫人は、資本家のオランダ人ペーペルコルンに包摂されてたのに、そのペーペルコルン自身が自死を選んでしまいます。その結果、ショーシャ夫人も下界へ降りていく。つまり、これは、資本主義にも未来がないことを意味してます。資本主義に未来が見出せないのなら、第一次大戦であれ、第二次大戦であれ、やはりドイツは戦う以外になかったということでしょう。ある見方からすれば『魔の山』の主題のひとつは「人間と文化にとって病気とは何か」ということだ。「病気」にかこつけて精神の彷徨を愉楽とするかのような気分になっていたハンスに突き付けられた現実とは、突如としてヨーロッパの生活者のすべてを覆った「戦争」という青天の霹靂だった。日本の作家たちがやっとマンの転回と『魔の山』を知ったときには、今度は、日本自身が戦争に突入しすぎて、マンのごとく「民族の苦悩から人類の苦悩へ」という転回をもたなかった。https://1000ya.isis.ne.jp/0316.html◇なお、ナフタは改宗ユダヤ人なので、その意味でもマルクスと同じなのだけど、イエズス会士という点でいえば、レコンキスタのコンベルソみたいでもあるし、現代の米国でいえばネオコンみたいでもある。イエズス会にせよ、レコンキスタのコンベルソにせよ、現代の米国のネオコンにせよ、欧米の強硬な保守主義を体現してるし、実際には、マルクスも、ロスチャイルド家の親戚で金持ちだったわけですが、いまもなおユダヤ人の内実は、いろんな矛盾に満ちてるってことかもしれません。【再放送のお知らせ】本日深夜と、明日の昼に『魔の山・第4回』の再放送があります。①5/31午前1:56〜(本日深夜)②5/31午後3:05(明日昼)NHKプラスでは本日深夜の放送直後から完全版を配信します。最後まで楽しみにされていた皆さま、ぜひ録画のセットなどよろしくお願いします! pic.twitter.com/VUOxG1LBOG— 100分de名著 (@nhk_meicho) May 30, 2024
2024.06.02
NHK大河「光る君へ」。母の仇だった道兼があっさり死んでしまい、道長もあっさり頂点を極めてしまったので、意外に展開が早いし、今後の見どころはどこにあるのかしら?…と懸念もしてたけど、第21話の「枕草子・爆誕」は、やはり神回のひとつだったと思います。越前へ旅立つ前のまひろ&道長が、10年越しにキスをするピュアラブも素敵だったし、ききょうの中宮定子に対する百合の感情が、推し活の文学作品へ結実する描写も尊かった。◇清少納言の「枕草子」誕生については、史記 → 枕詞 or 四季 → 枕もとの草紙みたいな説だったのかな、と思います。枕草子の跋文には、宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを「これに何を書かまし、主上の御前には『史記』といふ書をなむ書かせ給へる」など宣はせしを「枕にこそは侍らめ」と申ししかば「さば得てよ」とて賜はせたりし…と書かれてるのですね。わたしなりに意訳すれば、中宮定子さまに伊周が献上したものをお見せになって「これに何を書いたらよいかしら?帝は《史記》という本を書いたのだけど…」とおっしゃるので、わたしが「あちらが《史記=敷き》を書いたなら、こちらは《敷き妙への枕》でしょ!」とシャレを申し上げたら、定子さまは「なら、あげる!」と下さった。…みたいな感じ?◇ドラマでは、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは枕詞でしょ!」とききょうが言い、「あちらが《史記(=敷き)》なら、こちらは四季でしょ!」とまひろが返したのですね。そして、まひろが示唆したとおり、ききょうは四季にかんする随想をつづり、床に臥せってばかりいる中宮の枕元に、文字どおり「枕」の草子として届けられた。◇ちなみに「枕草子」は、春夏秋冬の話にはじまるわけですが、ファーストサマーウイカという芸名も、本名の「初夏ういか」からつけられたらしい。知らなかった!「ファーストサマーの夜には蛍のおほく飛びちがひたる」ってことよね。(…ちがう??)今回も、まひろとききょうの毛筆草書のシーンがありましたが、習字をやってたのもキャスティングの理由なのかしら?ご視聴ありがとうございました。この撮影の時期は、CMや他の番組で定子さまをお見かけする度、涙するほどでした。枕草子のシーンは紙と細筆に向き合い何時間も稽古しました。写真は空き時間にひたすら書いていた練習のもの。10年習字習ってて良かった😂 #光る君へ #清少納言#枕草子 pic.twitter.com/Tx1OvymUrL— ファーストサマーウイカ (@FirstSummerUika) May 26, 2024 次週からは越前編で、松下洸平が宋人の役で登場するようですが、国際情勢が絡んでくるのも興味深いところです。
2024.06.01
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