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アメリカでは、狂牛でないヘタリ牛も食べてきたし、ヘタリ牛でない狂牛も食べてる可能性が大なので、そーだとすると、これまで、日本人は「クジラ喰らい」、韓国人は「イヌ喰らい」だったわけですが、さしずめ、アメリカ人は「狂牛喰らい」ってことになるわけで、いったいなにが文明的なのかワケがわからなくなっている昨今、ブッシュ大統領は、毎日のようにヘタリ牛を食べていると語りながら、「(たとえアメリカに狂牛が流通していようと) 私はこれからも牛肉を食べつづけるだろう。」と公言してもいます。アメリカは全頭検査をやりません。理由のひとつは、コストがかかるからですが、日本への輸出分にかぎってさえ、アメリカは全頭検査をやろうとしません。日本に輸出する分にかんしてなら、その検査コストは、けっきょく日本の消費者が負担することになるんですが、それでもアメリカは、全頭検査をやろうとしない。ナゼか。それはおそらく、「検査をすればするほど狂牛が見つかってしまうから」だろうと言われています。検査をして次々に狂牛が発見されたら、アメリカの畜産業は壊滅的な打撃を受けます。全米の生産体制全体を改善せざるをえなくなります。そりゃもぉ、「検査コスト」どころでは済みません。「そんなことなら、このまましらばっくれたほうがいい」というのがアメリカ側の本音のようです。アメリカの畜産体制全体を改善するとしたら、それには相当な長い時間がかかります。検査体制はもちろんですが、生産体制全体が根本的に改善されるまで、長い時間、じっと待つ以外にないと思います。そのためには、日本はやはり輸入禁止を続けて、改善されるのを待ってやるしかないんだろうと思います。
2004.02.26
今日のなべつね「編集手帳」。「モノクロ映画では黒と白の間に無限のグレーがある」という宮川一夫の映画にかんする言葉をもちだして、それを、フセインの大量破壊兵器疑惑の問題に絡めています。イラクは「限りなく黒に近いグレー」だったってわけです。それじゃまるで、黒澤や溝口の映画が、白から黒まで「疑惑」の濃淡でできあがってるみたい。こんな珍解釈をされたら、たまったもんじゃありません。>「国宝級」と評された宮川魔術から話頭を転じるのは>いささか気がとがめるが、って、じゃあ書くなよ。この編集手帳を書いている記者は、いつも自分の教養をちらつかせながら、それを保守的な結論に結びつけようとするので、しばしばこうやって日本の文化を汚すようなことをします。そして自分でそのことに気づかない。まぁ「バカ」といえば、それまでなんだけど。(上の表現は、村上龍だっていい迷惑だと思う。)ところで、CIA顧問のデビッド・ケイが、「大量破壊兵器はなかった」と表明したことにかんして、読売新聞は、最近になって、「デビッド・ケイ氏の真意は戦争支持のほうにある」と騒いでます。でも、残念ながら、世界が注目しているのは、デビット・ケイの政治的主張のほうではありません。彼が政治的に戦争を支持しようが支持しまいが、問題なのは、彼がどんな「事実認識」をもっているかです。読売新聞は、14日の社説そのほかで、「増大する脅威こそが大義だったんだ」などと、壮絶なまでの開き直り工作に出ています。「増大する脅威があった」などというのは、当時のただの主観的な判断にすぎませんでした。客観的根拠はどこにもありませんでした。そもそも、主観的な判断でも「大義」になりうるなどと、何を根拠にして読売はそんなことを社説に書くんでしょうか。挙句の果てに、ふたを開けてみたら、「増大する脅威」などどこにもありませんでした。無根拠な思い込みで「黒に近いグレー」だとした判断が、主観にすぎなかったことが分かってもなお、読売は、すさまじい開き直りに徹するつもりらしい・・。
2004.02.25
今朝のNHKの日曜討論みてたら、石破ちゃんが、「日本は侵略戦争なんて絶対しないわけですよ」と言ってました。その言葉だけを聞くと、あたかも、それで納得しちゃいそうだけど、いったい石破茂が、この「侵略」という概念をどう定義してるのか、それを確かめないと、まったく信用なんてできません。たとえば、石破茂は、イラク戦争のことを「侵略」だと思ってるんでしょうか。本来、「侵略戦争」を認めないんだったら、イラク戦争なんて支持できません。もし石破茂が、「イラク戦争は侵略戦争じゃない」と思ってるんなら、「日本は侵略なんかしませんよ」なんて言ったとしても、「イラク戦争のような戦争なら、侵略じゃないから可能だ」という話になってしまいます。「非戦闘地域には行かない」と言いながら「イラクには行く」、「侵略は認めない」と言いながら「イラク戦争は支持する」、とかく彼は、法律の概念をたくみに愚弄しながら、国民をだましてきたわけです。そういう石破茂が、いくら「侵略なんてしませんよ」と口先で言ったとしても、そもそも彼が「侵略」という概念をどう定義してるのかを確かめないかぎり、まったく信用できないのです。
2004.02.08
今日付ナベツネ社説です。↓>活動中にテロ勢力などに襲撃され、>反撃すれば「武力行使」になるから自衛隊は撤退すべきだ、>という主張がある。>民主党は、国連安保理決議に基づくPKOなら容認できるが、>イラク復興支援特措法による自衛隊派遣には反対だ、という。>だが、PKOなら「安全」というわけではない。テロとの交戦が「武力行使」に当たるのかどうかについては、この文章では明確な見解は出していません。ただ、「PKOだって安全じゃないんだから、 結果的に武力行使になろうがなるまいが、しょーがないじゃないか」みたいな内容です。派遣前はひたすら「安全性」を主張していた勢力が、派遣された途端に「危険性」を強調しはじめて、話を「武器使用基準の緩和」などにもちこもうとしています。メチャクチャです。これが、既成事実にもとづく「なし崩しの政策」の典型であることは、言うまでもありません。けっきょく、この新聞は、最後は「ふつうに武力行使のできる国」にまでもっていこうとしてる。(「ヒロシマへの侮辱」upしました。)
2004.02.04
サブ・ページのほうでも、この問題は取り上げていますが、根本的に「自衛」と「侵略」の区別というのは不可能です。それはそうなんですが、ゆうべの『朝生』を見ていて驚いたのは、憲法改正の論議をしている当人たちまでが、「自衛と侵略の区別は微妙ですよね」などと、あっさり開き直ってること。区別できないと分かってたら、憲法に自衛権なんか明記しても意味ないじゃん。軍隊なんか持てるわけないじゃん。まして集団自衛権なんて書けるわけないじゃん。かりに「侵略しません」と明記したところで、自衛と侵略の区別がつかなきゃ、書いても書かなくても同じこと。>憲法をムリに拡大解釈するのはもう限界だから、>憲法そのものを書き換えて、「法治」を取り戻す。そういう名目で改憲の議論してるクセに、はなから「自衛と侵略の解釈は微妙ですよね」などと認めてるわけです。そしたら、憲法改正したって、けっきょくは「解釈」が暴走することに変わりありません。朝生の連中は、ほんとうに何言ってるかわかんない。田原バカ一朗とその他の連中は、有事法制のときと同じバカ論議をくりかえしてる。
2004.01.31
きのう、エイズにかんする厚生省の発表がでたんで、今日はその話です。これについては、とにかく「コンドームつけろよ。」ってことにつきるんだけど、問題は、社会的な対策がどうあるべきかってことです。「性」のことにかかわることは口にしにくいから、あるいは「差別」につながるといけないから、という理由で、あまり日本の社会は大ぴらな議論にしないんだけど、やっぱり正確な情報を提供することは急務です。しかも、効果的にやらなきゃダメです。教育現場の問題もあるし、テレビや公共広告の対応も考慮すべきだと思うけど、今日はそれ以外に、ひとつ提言。少年少女が読む雑誌。いわゆるティーン誌。とくにエッチ系の雑誌。こういう雑誌の出版社は、エイズ・性感染症にかんする若者への情報提供を、自主的に行なうよう心掛けるべきだと思う。たとえば、雑誌の最後の1ページは、かならず「エイズについてのページ」にするとか。こういう雑誌の出版社は、大きな社会的な責任があるんだから。そのぐらいのことはやってもいいと思う。努力義務として。なぜなら、日本の実際の「性教育」の中心は、学校でもなく、家庭でもなく、何より「雑誌」だからです。ついでにいえば、アダルトビデオとか、世間のエロオヤジが読むような週刊誌にも、そういう情報はのせておいてやったほうがいい。◎エイズがどんな病気なのか、◎感染状況はいまどうなっているのか、◎予防するにはどうすればいいのか、知ってるようで、ちゃんと理解してないことが多いし、じゅうぶんな危機意識には、ぜんぜんなってない。そういう情報を利用するかしないかは、読者や利用者の自由なんだから、それなら教育現場のように押し付けがましいものでもないと思う。必要なときに、必要な人が、必要な情報を得られる体制をとること、それが一番重要だと思います。
2004.01.28
石破ちゃんは、>「国または国に準ずる者」との戦いでないかぎり、>憲法で禁じる「武力行使」には当たらない。>だから、イラクで戦闘行為があったとしても、>それは「武力行使」ではない。>ただし、イラク特措法の場合、>派遣先は「非戦闘地域」でもなければならない。>ちなみに、「非戦闘地域」といっても、>それは、かならずしも「安全な地域」ではない。・・みたいな、常人には理解不能なことを言い続けています。「武力行使」もなくて、「戦闘行為」もなくて、でも、それでも「安全とはいえない地域」って、いったい「どんな地域」なんでしょうか??さらに昨日の小泉首相はこう言いました。>派遣先が「戦闘地域」かどうかは、>現場の部隊長等が、>計画性、組織性、継続性等の観点から攻撃主体などを総合的に勘案して、>そのつど、個別・具体的に決めます。・・イラク特措法で規定された「非戦闘地域」ってのは、それがいったい「どんな地域か」が、まだ決まっていないんだそうです。現場の人が、むこうで決めるんだそうです。・・・この国は本当に法治国家なんでしょうか?国の安全保障政策の基本概念を、現場の人がそのつど決めるとき、文民統制の根拠って、いったいどこにあるんでしょうか。日本はいま、公明党もろとも、ゴロゴロ転がり落ちてるところです・・・。
2004.01.24
楽天に来てちょっと気になったのは、「リストカット」の話題に若い少女が集まってること。(少年もいる?)・・女は、基本的に「血ぃ出す生き物」だから、血出すと、ちょっと気持ちいいのは、何となくわかる。女は、調子わるいときはきまって鬱血してるし、定期的にちゃんと血がでないと、精神的にも鬱屈してくる。だから針灸院なんかに行くと、肩こりやなんかで、女の人に「瀉血」してくれるところがあると思うけど、たぶん昔の医学では、血出して流れを整えることが医療として行なわれてたと思う。女の人の場合はとくに。もちろん、細菌感染とかしないように、衛生的な管理もして、しかも、まちがっても動脈切ったりはしない。そういうときに切る静脈は、ある程度きまってるんだと思う。だって、医療としてやる以上、それは当然「生きるため」であって「死ぬため」じゃないから。いろいろ個人的に、やりきれないことがあるのはわかる。でも、そのことと「血ぃ出す」ことを結びつけるのが、やっぱりちょっと安易だと思う。もうすっかり「流行」みたいになってるわけだし。精神的に自己嫌悪におちいって、「自分を傷つけたくなる」気持ちはわかるけど、それをリスカに結びつけるのは、本当はちょっと違うと思う。自傷の精神的な衝動と、リスカの「生理的な気持ち」よさを、すこし混同しちゃってるんじゃないかな・・。医者じゃないから、あんまりいい加減なことはいえないけど、静脈切るのは、たぶんある程度、血の循環を整える意味があって、生理的な根拠があるんじゃないかと思う。それならそうとわりきって、「鬱血してるかも」ぐらいの発想をもてばいいわけだし、すくなくとも、血ぃ出しても「心の傷」が解決するわけじゃない。もし、血出して解決するんだとすれば、それは「心の傷」じゃなくて、ちょっと生理的に気分がわるいだけなのよ。治療院にでも行って「ちょっと血出してくれませんか」って頼んでみれば、話を聞いてくれるかも。まちがっても、そんなんで動脈切って死なないで。
2004.01.23
いまの政府の見解だと、>主権国家の存在しない地域での戦闘行為は、>「国際紛争を解決する手段」としての「武力行使」には当たらない。>つまり、憲法が禁じる「戦争」じゃない。>だから、主権国家のない無政府地域でなら、>自衛隊がケンカをしたって、ぜんぜん構わないんだ。みたいな話になってます。とくに石破ちゃんあたりは、完全にそういう意識です。でも、もし、無政府地域を舞台にして、「背後でテロリストを支援する」みたいな形で、じつは主権国家どうしが衝突しているのだとしたら、それは完全に「戦争」と言えるんじゃないでしょーか・・・。じっさい、主権国家が、背後でテロリストに武器供与をしたりすることは、いくらでもありえることだし、それはもともと、アメリカやソ連が、地域のゲリラを支援したりしたことから発展したものです。アメリカが、ウサマ・ビンラディンたちを使って、彼らに代わりに戦争させていたことは、よく知られています。テロやゲリラをおもてに立たせた「代理戦争」は、実質的には主権国家どうしの戦争にほかならないと思う。そして、そういうところで自衛隊が「戦闘」をおこなうとすれば、これは戦争をしているのと同じことです。じつは、いまのイラク戦争は、決済通貨としてのドルとユーロをめぐって対立する、アメリカとEUの代理戦争じゃないかとも疑われています。すくなくとも、いまの「イラク治安維持」は、公平な立場のもとでおこなわれているものではなく、アメリカの一方的な利益を肩代わりしておこなわれています。無政府地域での治安維持に当たるかどうかは、「国連」の管理に基づくのかどうかを厳正な基準にしないと、これから先、とんでもないことになると思う。
2004.01.21
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