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今日は学校のレクリエーション「単科ゼミ」と称して余暇活動があります。つりとか模擬デート、NHK訪問、遊園地「花やしき」などからひとつ選びます。息子は「花やしき」を選びました。私は前日に、現地の駅に集合するのに何時の電車に乗ればいいのか、ジョルダンで調べておきました。でもその時間になっても2ちゃんねるをやっていました。「遅れるでしょうが」「そうだね」と、全く平気です。時間にルーズです。唯一家を行き来するLD発達のお友達との約束でもよく遅れます。人に迷惑をかけることになるのが分からないのでしょうか。自分の時間に生きているからなのか・・・・。そう言うことだと思うのですが、将来、どうなっていくのか、心配です。息子には、電車待ちのときに学校に遅れる旨、連絡するように言いましたが、果たしてちゃんと連絡するでしょうか。学校から来ていませんの電話があるんじゃないかと気が気ではありません。
2004年12月13日
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息子の2チャン的な発言に疲れてイラついています。過激な思想や、汚い言葉、差別的発言、2ちゃんを読み上げること・・・・。一方、引きこもりの私はやる気は起こらないけど時間はある。息子の2ちゃんねる言葉を聴きたくない。パソコンを息子に占領されている、本が読めない、等々の理由からテレビを垂れ流しにするようになりました。息子は昔からテレビがついていると集中できない体質で、イラついています。テレビに逃げる私にイラつく息子。お互い苦しめあっています。新しくなったパソコンの説明書を読めないで設定を変えたりソフトを入れられない私。顔文字変換もできず、イラつく息子。そう言うことでもいらいらは続いています。19時半ごろになると自分からいらいらしたときの薬を要求する息子。私もテレビ垂れ流しから逃げたいのですが、ついつけてしまいます。何も考えないで住むし、現実から逃げられるからです。内容はある程度興味の持てる番組でしかも疲れないもの。ドクターからも「お互いを思いやるように」といわれましたがなかなか実行できずにいます。
2004年12月12日
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息子が学校からお知らせをもらってきました。担任が、検査入院、約1ヶ月との事です。詳しいことは分かりませんが、息子のことを一番分かっている先生が、入院されたのはショックです。でも代わりの先生と、教頭先生が一生懸命やってくださっているようです。昨日も指の怪我のガーゼ交換のために通院するので、授業が終わったらすぐに返してくださいと、臨時の担任にお願いしていました。でも帰ってきたのは4時過ぎでした。午前中に、担任に伝言していたことがありました。16日のメンタルクリニック通院に担任が付き添って下さることになっていたのがどうなるか、ということです。ガーゼ交換から帰ったら電話がありました。ほかの先生が、ついてきてくださるそうです。そして、帰りが遅くなったのは、ガーゼ交換に行きたくない(ひどく待たされるので)という息子を説得してくださったからだということでした。連絡があればもっと良かったのですが、(待っている間、あせりまくりでした)相変わらず色々と迷惑をかけているようです。昔から一人で3人分ややこしいといっていましたが、今も変わらないようです。
2004年12月10日
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先日、学校でマラソン大会がありました。全校、3クラス=3学年で走ります。80数名くらいかな。男子は基本的には4キロです。風邪や喘息の男子は女子と同じ2キロを走ります。直接会場に集合だったのですが、前日休んでいたので、ジャージが、学校においたままだったのでジーパンで参加。4キロでなくて2キロにしたほうがいいかなぁ。走れるかなかぁと心配しました。帰ってきて表彰状のコピーを見せてくれました。6位でした。ジーパンにベルトで走って6位はすごい、ジャージだったらもっといけたかもしれない、と思いました。よく切れちゃう、こつこつは苦手な息子ですが、マラソンは大丈夫なんだ、と思いました。この頑張りが普段にも生かされるといいなぁ、と思いました。「さすがに4キロはしんどかった」というのが感想でした。月曜日に本物の表彰状をもらって帰ってきて大事にクリアーファイルにはさんでいます。昨日はメンタルクリニックの日でした。本当は血液検査だったのですが、食器棚を殴ってガラスで指を切って、救急車で病院にいったこともあり、診察に変わりました。かなり早くつきました。待っている間に退屈したのか、建物の外に出てしまいました。呼ばれたらどうしようかとはらはらしました。幸い呼ばれるまでに戻ってきましたが。食器棚を殴ろうとしたときにやめておいたらよかった。我慢すればよかった、先生、すみませんと謝っていました。先生は「僕が悪いんだからいいよ、でも痛かったね。損したね」「やっぱり僕が悪いんです、我慢できなかったから」「我慢できないのを助けるのが僕の仕事なんだから、救えなくて悪かったと思う、ごめんね」といった会話でした。このところ、息子が2ちゃんねるに夢中になり、かなりショッキングな発言を読み上げるのがつらくて、テレビをつけていました。息子にはそれがイライラの原因のひとつになっていました。先生の前ででも「お母さんはテレビに逃げてるんだから」「でもテレビつけ流し、9時からのテレビはやめてよ」と、言い合いになり、「お互いがお互いを思いあってやっていこうよ」といわれました。恥ずかしいことですが私には余裕がありません。欝の薬も増えました。どうしたらいいのか、読み上げること、過激的だったり差別的な考えをやめてくれたら、と心から願います。この読み上げるという行為は自傷のひとつだとドクターは言いました。今までのお薬も少し増えましたし、不安時の薬が処方されました。心につらいものを抱えての息子の言動。でも私もつらいのです。いらついてしまいます。どうしたらいいのでしょうか。
2004年12月09日
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昨夜の10時半ごろです。太らないでおなかにたまるものが食べたいと言い出しました。普段、レトルテのご飯を2つくらい夜中に食べておなかが出てきたので気にしてのことです。ヨーグルトを薦めました。そうしたら暖かいものがいいと。シチューのスープとたまねぎだったらいいんじゃないかというと、馬鹿にするなといって、暴れだしました。いすを投げ、蹴り、壁を殴り、とうとう食器棚のガラスを割ってしまいました。そのとき、左指をかなり深く切りました。新しい布巾で包みましたが、間から血が滴り落ちます。「どうして暴れても怒ってくれないんだ。助けて、こんなことしたくない」救急車を呼びました。この間ODしたときに手当てをしてもらった救急病院にいき、何針か縫いました。私は眠る前の薬を飲んで30分くらいたっていたので眠たくて仕方がありませんでした。処置の間も寝そうでした。タクシーで帰り、私は寝てしまいましたが、息子は父親が帰るまでおきて、父親と話したようです。今日は再診と夕方からメンタルクリニックなのに、眠いといってなかなか起きてきません。
2004年12月08日
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今日は息子の学校はスケート体験の日です。スケートは、幼稚園のころ、住んでいたところの市の情緒障害教室から行ったことがあります。それから2回、冬休みに、市のスケート教室へ通いました。子供って、身が軽いのか、一度のスケートで滑れるようになりました。他動もあるからほかの子ととちょっと違う。でもどうにかついていって、バックなども滑れるようになりました。今日は本当に久しぶりのスケート、滑り出したら思い出すと思うけど、楽しんできてほしいです。息子はまだ心の中で思ったことをうまく構築して話せません。聞き出さないとダメなんですが、こちらが聞きたいことはなかなかうざいとか言って話してくれません。どうだったか、聞きたいんだけど。
2004年12月07日
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昨日、夕方の4時過ぎに、家を出て群馬県の高崎に息子は向かいました。最終電車に乗って帰ろうとしたら品川どまりでした。家に電話がかかってきて父親に品川まで迎えに来てほしいと。雨風の中、主人は車を出しました。道もわからず迷いながら(ナビがついてないので)走っていると携帯に電話があり、「迷惑をかけることになるし、眠たいからここで寝る」と。息子は品川駅で一夜を過ごしました。私は先日息子が私の眠剤を飲んだので足らなくなって1昨日は飲みませんでした。で、昨日飲んだら驚異的に薬が効いて熟睡しており、雨も風も知らず平和に寝てました。朝早く息子から電話があり、横浜へ出て、地下鉄に乗ればいいものを、遠回りして小田急の新百合ヶ丘に出て、バスという経路を選んだら、線路に木が倒れており、電車の中に閉じ込められたと。かなり長く電車は止まっていましたが、9時半ごろ電話があり、新百合ヶ丘についた、これからバスに乗ると。夜を駅で過ごしたことは初めてです。私一人ならすごく心配したと思いますが、薬も効いて主人がいたので私はのんびりと寝てました。「いい経験だよ」「お母さんがおきていたら、パニックになっていたかもしれないから寝ていてくれてよかった」と、主人は言っています。
2004年12月05日
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夜に眠れない息子が私の欝のお薬をいろいろ飲んでしまいました。寝る前と、不眠時の薬です。朝から顔色が悪かったのですが、ODしているとは思わず、テストの日だったので行かせました。10時ごろに主人の携帯に学校から電話が入りました。脈拍と血圧に異常があり、ろれつも回っていない。今、寝かせていますが、病院に行ったほうがよいと。主人が急いで帰ってきて私も一緒に学校へ行きました。息子から聞き出した薬をメモして、かかりつけのクリニックに電話しました。途中で養護の先生と代わりました。クリニックから折り返し電話があり、救急車で病院にいくように言われました。意識がはっきりしていたので主人の車で救急病院へ連れて行きました。車の中で再度薬を確認したら、学校で聞いたより少なかったのでちょっとほっとしました。夜中の1時ごろに飲んだのでたぶん薬は残っていないと思われるが、念のために胃洗浄をしました。後は点滴。息子は寝ていました。途中でトイレに行って、しっかりしてきました。点滴を終わって会計をして、帰りましたが、待っている間におにぎりを食べたりして落ち着いていたのでやれやれでした。疲れました。2日後にクリニックへ行きました。きっと厳しく言われるだろうな、と思っていたのですが、「約束してくれるね、もうこんなことはしないと。僕が悪かった。辛かったね」息子も謝りました。「できないからクリニックに来ているんだから謝らなくてもbいいんだよ」ドクターの言葉に涙が出そうになりました。信頼できるドクターに出会えた、そんな気がしました。
2004年12月03日
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