2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全13件 (13件中 1-13件目)
1
前にこんなエントリーを立ててたら、こんなニュースがありました。メールだけじゃなくトラックバックや書き込みにも適応して欲しいところ。もう一息だね。ついでにスリーストライク法も導入してくれ。しつこい奴は3回目で死刑確定でいいよ。
2008.02.27
コメント(0)
テレビを見ていると、世界の怖いお化け屋敷ベスト3というのをやっていた。1位にランキングされたのは日本のお化け屋敷で、手術の失敗が原因で潰れてしまい廃墟と化した病院という設定だった。病院というのは現役で使われていても不気味な雰囲気が漂っている。夜ともなれば怪しい現象がたびたび見られることもある。廃墟というのは病院でなくても気持ちの悪いものである。現に世間には廃墟マニアという存在があり、有名な廃墟は肝試し感覚のマニアたちで賑わっているという。この二つが交われば怖くないはずがない。廃墟になった病院は何も手を加える必要もなく、ただただその存在そのものが怖い。そこに来てこのお化け屋敷ではスタッフ達がおどろおどろしいいでたちでお客たちを怖がらせている。白塗り、血まみれの医師や看護士(看護婦って言葉を使わせろよ)、包帯だらけでぎくしゃく動く患者、そんなのが潜んでいたり死角からいきなり現れたら驚いて当然だ。しかも不気味に震えていたかと思うと突如としてお客を追いかけてくる。はっきり言って呆れてしまう。べつにこんなギミックを使わなくても、暗がりで突然追いかけられたら驚くに決まっている。こんなの卑怯の極みだ。エンターテーメントとして稚拙もいいところ。不気味なものと怖いものと気持ちの悪いものといきなり驚かせるものを足し込んだだけの、よく考えているようで何も考えていない思考停止の産物である。僕はかねがね邦画に見られた和製ホラーブームというものに危機感を抱いていた。なぜなら怖がらせるという演出は一番簡単だからである。もちろん作品の中には名作と呼ぶに相応しいものもある。ブームの先駆けとなった「リング」などは素晴らしい完成度であった。過去を遡ると「四谷怪談」や「生きている小平次」などの不朽の名作もある。だがそれらは怖さをいう前に物語としてよく出来ていた。そこが他の和製ホラーと比べ一線を画すところであった。質の悪い和製ホラーでは、ひたすら不気味な設定に気持ちの悪い登場人物、使い古しのストーリに後味の悪い終わり方、適当なところでいきなりオドロオドロシイものを出して客の悲鳴を誘うという安直な演出、正直いって製作者の才能の無さに目を覆いたくなる御粗末さである。廃墟病院のお化け屋敷にはそれと同じ凝ってなさを感じるのだ。大仕掛けで凝りに凝っているように見えて、実は簡単な足し算だけの子供騙し。お化け屋敷なんて所詮そんなもんでしょと知ったふうなこと言ってしまえばそれまでである。が、番組で紹介された2位3位のお化け屋敷の方が演出も設定も数段上のように感じた。廃墟病院のお化け屋敷を簡単にたとえると、ウケないとなると急に下ネタに走ったり客を弄りにくる三流芸人を彷彿してしまう。
2008.02.27
コメント(0)
2007シーズンのNFLは、レギュラーシーズン全勝のペイトリオッツがプレイオフでもファイナルへと進むも、一旦は逆転しパーフェクトシーズン達成かと思われたが、最後の最後でインターセプトでのターンオーバーのチャンスを逃してしまい、そのワンチャンスを物にしたジャイアンツが再逆転でペイトリオッツの夢を打ち砕いた。ペイトリオッツの敗けはわずかひとつ。それがファイナルであっただけに、あと数cmでキャッチングが確かなものであったのなら、それだけに切ない。07ー08シーズンのTOPリーグは、レギュラーシーズン全勝の三洋がマイクロソフトカップでもセミファイナルで奇跡の逆転でのファイナルへと進むも、一旦は逆転しパーフェクトシーズン達成かと思われたが、サントリーに再び逆転を許し、最後の最後で痛恨のノックオン、そのミスで難を逃れたサントリーが三洋の悲願に立ち塞がった。三洋の敗けはわずかひとつ。それがファイナルであっただけに、あと数cmでキャッチングが確かなものであったのなら、それだけに切ない。しかし先のNFLを知っている観戦者はゲーム中にもその嫌な空気は嗅ぐことはできた。おそらく選手たちにも意識はあったように思う。そしてこのようなことは、PK戦での連鎖のごとく、意識すればするほどその方向へと引き込まれていくものなのだ。形は違えどルーツを同じくするスポーツで、日米で同じような結果になったことに奇遇を感じる。ということで、今季のパ・リーグもソフトバンクが1位通過になると非常に危うくなりそうだ。w同じ球技だし。wま、ならんか。ガチンコで勝てそうなのは西武ぐらいしか見当たらなくなったし。いや、いっそ最下位なんてことも有り得る布陣だぞパ・リーグは。
2008.02.25
コメント(2)
この時期になってもCS局からパ・リーグ開幕の音沙汰がないので心配に思い、さては例のGTEが取得した放送権の転売が難航してるなと思う今日この頃、世間ではその事についてどう思っているのかを探るために検索をかけてみた。キーワードは「パ・リーグ 放送権」とかを適当に。なんだかなぁ……………ほんと、なんだかなぁ…だかが理想論を平気で自分の意見はこうだとか書かれてもねぇ。それができるのなら苦労はしないよなぁ。しないよなぁというか、ここまで苦労の連続じゃなかったろうになぁと言ったほうがいいぐらいだろうな。リーグの1球団のオーナー会社であるソフトバンクの子会社に売ったことをどうしたものかとしている声もあるね。それが歪に見えるというのもどうかしてると思うのだけど。だって今回の目的はメジャー流のパッケージ化戦略だもの、窓口さえひとつになれば目的は達成される。その看板がパシフィック野球連盟直轄か間に企業が噛むかというだけだ。連盟そのものにその手の専門企業がするであろう交渉力はないみていい。あればもっと早くからやってるはずだ。今回だってもうしてるはずだ。できないからやらないに決まってる。およそ天下りのような職員連中なのだろうし。そもそもGTEにまとめて売ったというだけで各球団の意志が統一されている。(日ハムはGAORAとの契約が残っていたにすぎない。)すなわちこれは連名がGTEに売ったということに等しいはずだ。しかもこれは権利を売ったというよりも、権利を一任させるためのエージェントに立てたと考えた方が妥当だろう。観客動員が伸びたとはいえキャパシティーの限られた球場では入場料収入は頭打ちだ。セ・リーグとパ・リーグの差は放送収益にある。だからこそパ・リーグ黒字化の望みは放送権利料に集約される。その最大の武器を遣わすのに必要なのはコンテンツマネージメントの実績であり、パーティーの仲間にその経験値の高い者がいれば装備させるのは当り前だろう。わざわざ「痛みを知らないよそ者」を招く必要はない。そう考えれば全てが必然になっている。僕からしてみればパ・リーグが一枚岩になりつつあると見て頼もしさすら感じる。そしてこのような連体が出来上がったのも、(親会社は違ったが)ホークスが十分な戦力を持ち優勝に一番近かったにもかかわらずプレイオフを進んで受け入れたからだろう。しかも二度も1位通過していながらプレイオフで優勝を逃したことにより、他球団は借りを感じていたのかもしれない。しかしなぜ世の人は赤字興行をみればやれ放送権でなんとかというくせに、その放送権の値を上げようとすると態度を変えるのだろう?評価を上げさせ価値を認めさせ高く売ろうとするエージェントを、いざ話がこじれだすとなぜ悪くいうのだろう?交渉というのは成立させてナンボというものでもないのだぞ?決裂という手札も持っておかないと最後は必ず売り手が手放さざるをえなくなる。足元を見られるというやつだ。それがわかっていっているのか?本当にパ・リーグを応援しているのなら、夏のキラーソフトである放送権の価値をもっと評価し、CS局に高くなっても買うように薦めるべきだろうに。現に地上波での全国放送が皆無に等しいパ・リーグでは、ビジターの放送も試合終了まで見られるCS放送は必需品のアイテムだ。だいたい自分からして加入した理由もそうだから、パ・リーグの放送は真にキラーソフトなのだ。CS局には、馬鹿高い欧州サッカーリーグの放送権を買う余裕があるのなら、その何分の1かのパ・リーグの放送権ぐらい買ってくれといいたい。そしてブロガーたちには、矛盾したごたくを並べて的外れに憂いでるふりをするなといいたい。
2008.02.25
コメント(2)
参りましたよ。ええ、参りました。人間の傲慢さには思い切り白旗です。これが何の話なのか知りたいときは、「中国」だとか「自給率」だとか「輸入食品」だとかで適当に検索をかけてみてください。云わんとするところをお察し頂けると思います。でもまぁこれはブロガーだけが悪いんじゃない。似たようなことを、というかブロガーに先んじてテレビのエセ文化人のコメンテーターが宣ったことを、観ていた人間が共感して自分の意見として書いてるだけなんだろうけど。だってね、自給率の低さを農業の所為にしたり、農政の問題にするのは責任転嫁だと思いませんか。「日本は何故自給率が低くなったのか?」を考える前に、「人々は何故農業から離れていったか?」を考えてみればわかりやすい。飛ぶ鳥を落とす勢いの中国でも農村部と都市部との経済格差は著しいものになっている。南米でも一次産業に頼っている国々では、そうでない国との格差が広がっている。経済が発展すれば産業は一次から二次、二次から三次へと移っていくという法則をうたったのはペティさんとクラークさんだが、経済の発展というのは金への臭覚と執着でもあるから、より儲かるところに人々の関心と挙動がシフトしていくことが結果としてそのようになるとも言える。つまり一次産業は儲からない。おそらくそれは常識だろう。何故ならその産物には鮮度があるのだから。そもそも通貨とは鮮度を気にせずにいられるように、価値の保存のために考案されたものだ。一次産業では産物の鮮度が落ちれば無価値になってしまう。だからといって鮮度を保つ技術を使えば、今度はコストがかさんでくる。だから早いうちに売らねばならない。買い手はそれを知っているから当然ながら足元をみる。儲けるためには沢山売らなければいけないが、そだけの商品を確保しておく必要が出てくる。だが早いうちに売らなければならないものを沢山の在庫を抱えるにはリスクが高すぎる。技術が発展したといっても相手にするのは自然である。災害や不作とのリスクを負いながら、かといって豊作や大漁では値崩れを起こしてしまう。金儲けだけを考えれば割にあわない職業なのだ。儲けることが難しい仕事をどうして人に薦められる?自分は安定した月給取りをやりたいが、農地を持ってる人はもっと頑張ってくださいよとでもいいたいのか?農家に生まれた人間は責任を持って農業を続けろとでもいうのか?それでは武士の発想だろう。「農民は生かさず殺さず」とまではいかないが、「儲けさせずに生活できる程度の収入で」と言ってるようなものだ。本当に自給率について真剣に考えているのなら、農業に従事する者の生活を保証してやらなければ嘘だ。しかし近代日本の政治の歴史でもある政府・自民党がこれまで行ってきた農業優遇の政策は、ことあるごとに批判の対象にもなってきた。農地に余剰があれば収穫が上がりすぎ値段が下がり、値段を安定させるために破棄すれば勿体ないといわれれ、農地を削れば不作のときには問題視される。政府が農家の保護政策をとれば過保護だと批判され、規制を緩和して市場を開放すれば農家は厳しい現実に晒されてしまう。今の御時世ならそういった農政の見直しも許されるだろう。しかし消費者がどこまでそれを認知しているかは疑わしい。農業を保護するということの選択肢はそう数の多いものではない。もし無条件に補償金を渡すようになれば必ず似非農家が横行するだろう。もし輸入食材に重い関税を設ければ世界から日本が輸出する工業製品に対し報復処置をとられかねない。もし政府が介入して価格の安定をとるとすると、それは食糧配給制度の入口である。そしてもっとも覚悟して想定しておかなければいけないことは、外国産食材が全て100%安全で衛生的で安心できるようになっても、そういったことは続けなければいけないということだ。そうでなければ保護とはいえない。安くて美味しく安心な外国産が出回っても、消費者は国産を指示し続けてやらなければいけない。「日本は何故自給率が低くなったのか?」農家が農業から離れていったからだろう。「人々は何故農業から離れていったか?」国民が農家を見捨てたからだろう。裏切っておいて今さら何を言い出しているのだろう。高い物を身に着ける余裕があるのならエンゲル係数高めてでも国産を喰え。安物を食べすぎて太り、ダイエットのために出費するぐらいなら、始めから国産を腹八分目めだけ喰らっとけ。覚悟もないのに憂いでるふりをするなといいたい。
2008.02.23
コメント(0)
![]()
時をかける少女素晴らしいの一言。『あらしのよるに』、『ゲド戦記』、『ブレイブ・ストーリー』などの営業的強敵を抑えて第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞(アニメ作品賞はこの回に初めて設置される。)を獲得したのは当然だろう。何しろ宿敵らは営業的に強敵であっても作品の出来栄えで判断すれば結論は容易に出てくる。何しろ僕自信が『あらしのよるに』、『ゲド戦記』、『ブレイブ・ストーリー』を見ていないのだから。見る機会がなかったわけではない。放送があってもその時見たいと思わなかったのだ。人にその気にさせられるかどうかというのが表現・作品においては第一関門である。そういう意味でこの『時をかける少女』だけが観たいと思った作品だった。この『時をかける少女』は昨年の夏にCXで放送されたらしいが、その時は放送されたことすら知らなかった。が、今回はCSで観ることができ、かねてからの評判が真実であったことを確認できた。この作品の成功の要因は、原作を現代にリメイクしたのではなく、続編として綴られたことが大きい。そして前作品の主人公が今作品の主人公の叔母として、重要な役割を担いつつも控えめに絡んでいることに好感が持てた。ラベンダーをさりげなく飾るなどして、あくまでメタファーとして当時の観客層に伝える演出は心憎いまでである。おそらく映画館で観た人にとってすれば、いまさらこんなエントリー書いて褒めているブログは遅れていると思われるだろう。でもいいのだ。ここでDVDさえ買ってくれれば。w
2008.02.20
コメント(0)
![]()
宇多田ヒカルって、どうしてああも色気を感じないキャラなんだろ?デビューした頃はまだ子供だったから感じないで当り前だったけど、気がつけばもう25才になってるらしいし、しかも人妻を経験したことを通り越してバツイチになってるし。なのになしてああもセックスアピールを感じないんだろ?謎だ、謎。いや、そんなキャラの女はゴマンといるだろうけど、何が謎かっていえば、あの藤圭子を母に持っているにもかかわらず、色気が遺伝しなかったってとこがなんだな。『カニバケツ』の芳谷圭児とか、『実験人形ダミー・オスカー』の叶精作とか、『ワニ分署』の篠原とおるとか、藤圭子の容貌からはどうしてもそっち系の劇画や艶漫画を連想してしまうのにね。宇多田ヒカルが父親似っていうこともあるのかもしれないけど、決しておっさん顔というわけでもないし、どちらかといえば女の子らしい可愛い顔はしてるんだけど、だけどどうしてもそんな気分になれない何かを体から放っているんだな。もしかしてアンチフェロモンなんてものがあるのかね?それともフレンドリーすぎて親戚のような気分にさせるとか?ま、こんな感覚がどこまで続くかは、裸になって寄り添ってみないと何ともいえないけどね。w☆宇多田ヒカル待望のNEWアルバム!宇多田ヒカル/HEART STATION【代引き料無料】スーパーベストASB-1027藤圭子ベストアルバム男たちの神話 全3巻★初版★ 滝沢解/作・芳谷圭児/画実験人形ダミー・オスカー 全19巻 小池一夫/作 叶精作/画さそり 〔文庫版〕全11巻 篠原とおる/作そういえば昔聞いたことある話では、藤圭子って見た目は妖艶で若くしていろんなことを経験してそうだったけど、本当の中身はかなり幼かったとか。それで最初の旦那である当時プレイボーイで鳴らしてた前川清を、あっち方面で満足させられなかったのが別れた原因だったとか。って、まさかこんなことをこの時代に蒸し返されるとは藤圭子も思ってなかったろうな。ま、所詮は噂、噂。娘がボロ儲けしてるんだから有名税、有名税。
2008.02.18
コメント(2)
![]()
以前このブログでバタフライ・エフェクトという映画の感想を書いた。もう一度おさらいすると、ジャンルでいえばタイムトラベラーもので、自分の人生をやり直すためだけにその能力を使うのではなく、次第に自分も含めた身辺の人の幸福までもを視野に入れるがゆえに妥協点が見付からず、苦悩する様が新しかった。これをいうとネタバレになってしまうのかもしれないが、結局主人公は自分を省いた身辺の人の幸福を優先して考えるようになり、ラストではその切ない結末に何とも言えない気持ちを味あわされた。ちなみにこの映画にはデレクターズカット版と劇場版があり、劇場版は切なく、デレクターズカット版は衝撃的だった。しかしそれ以上に切なく味わい深いタイムトラベラーものがあった。エイドリアン・ブロディ/ジャケット主演は戦場のピアニストでオスカーを獲得したエイドリアン・ブロティ。もうそれだけで感傷的な演技が保証されたようなものだろう。ヒロインはパイレーツ・オブ・カリビアンのキーラ・ナイトレイ。脇から地盤を固めていった彼女には、影のある役の方が嵌まっている。あらすじは面倒なのでこっちを見て欲しい。この映画の素晴らしいところは、主人公が人に宛てた手紙に集約されているといっていい。主人公の残した言葉は人生へのテーマであり、普遍的にいつの時代でも誰にでも当て嵌まる格言である。しかしその言葉はおそらく、主人公の立場だからこそ説得力を持って人に伝えられるのかもしれない。この映画のラストシーンは、その切なさも覚える感動も、確実にバタフライ・エフェクトを凌いでいる。僕は、涙を流さずにはいられなかった。PSどうやらバタフライ・エフェクト2が出ているようだ。バタフライ・エフェクト2 デラックス版バタフライ・エフェクト
2008.02.11
コメント(0)
![]()
僕は梅かつおが好物で、梅干しを買うときでもかつお風味があればそれを選んで買ってます。でも本当に美味しいものはそれなりの値段になります。上のリンクでも価格範囲を2000~5000円に設定してあるのはそれが理由です。まぁそれは好みにもよるのですが、安いものはカリカリ梅だったり、小粒すぎて飯の友というより酒の肴になってしまうからです。でもそういうときはこんな商品を買ってます。ごま入かつお梅肉200g実際買ってるのはこの商品じゃなく、スーパーで売ってる300円ほどのだけど。wそんな梅好き鰹好きの僕が喰いついた商品がこれだ。【12月3日新発売】カルビー 65gポテトチップス 梅かつお味 12入カルビーかっぱえびせん 紀州の梅 12入近所にスーパーで山積みされていて初めて気づいた。発売はもっと前だったのかな?試しにポテチの方を買って帰ったら速攻完食。で、今日はポテチとえびせんの両方を買ったら1日で食べてしまった。小腹が空いたときのために置いておこうと思ったのに。太らせる気かよ。お味は説明するまでもなく、梅とかつおです。wかつおの風味が食欲を誘い、梅の酸味が食後感をさっぱりしたものにしてくれます。だから若くないない体に油っこいポテチを食べても無問題。実はこれ書きながら完食です。こんな夜中に。太らせる気かよ。
2008.02.11
コメント(2)
日本に必要な法律エロサイトからのスパムほど迷惑なものはない。だいたい今どきそんなものに引っかかる奴なんていないだろ。そんな景気の悪さは当の業者が一番よくしっているはずだし、本当の狙いはなんなんだ。個人情報でも売り流すつもりか?それとも繋げに来たPCに何かを仕込ませるのが目的か?よくわからん。しかしこれだけ大勢の人が不快な思いし、無駄なパケットでネットワークに負荷をかけ、子供の教育にもよくないというのに、政府はなぜ警察権を使って取り締まろうとしないのだ?取り締まる法律がないなら即刻作ればいいだけの話。民事では一件あたり100円の罰金で、しかも払うまで保釈なし。本人だけでなく家族も逮捕監禁してしまうぐらいでいい。国家の治安法は暗黒社会より恐ろしいぐらいでないと誰も守ろうとはしないだろうから。当然、刑事罰では死刑なのだ。
2008.02.11
コメント(2)
確かに「羊水が腐る」という発言は、売れっ子芸能人の言動からすれば軽率であることに間違いない。少なくとも指摘された年齢の女性に関しては立腹してしかるべきだと思う。が、誰それが傷ついたといってあたかも人を庇うかのように正義をかざし、正論を楯に人を叩くのはいかがなものだろう。叩く側はひとつき小突く程度でも、叩かれる側からすればケンシロウのあたたたたの如く素早く鋭い手剣である。この場合、たとえ最初に言った本人が悪いといっても、傷つく度合からすれば倖田側がより深手を負ったことは明らかであろう。それは金銭的な問題だけでなく、心の問題でも言えるのではないだろうか。もちろん人の心の傷などは比べようもないし、比較する問題でもない。現に傷ついた人がいることは否定しようがないわけだが、だからといってそれを庇う態度が意趣返しとして人を傷つける権利を得るわけではないということを言いたいだけである。この発言に関しては「不妊の女性」というワードが出てきているが、それはリスナー側が「不妊の女性だっているのに!」と当て嵌めたのではないのか。それはまさに「庇うふりして実はそのように見ている」ように映るのだが。もし倖田が若くして子沢山で、「女は子供を産んで育ててこそ本物」などと発言したのであれば間違いなくたちが悪い。なぜならそのような発言の裏には選民意識が潜み、「子供を産まない女性」を軽蔑し「子供を産めない女性」の気持ちを汲まずに踏みにじっているからだ。ならば田嶋陽子でなくても怒るだろう。しかし倖田はそのような発言はしていない。そして忘れてはいけないのは、倖田自身も女であること。未婚であり、出産経験もないこと。(たぶんw)本人は結婚願望が強いことを口にしているようだが、だからといって35才までに母親になれるとは限らない。ましてや不妊の悩みは子供を産むまでつきまとうものであるし、愛した男性が原因となることも考えられる。つまり、同じリスクを背負っているからこそ出た発言ではないか。選民意識どころか、同じように子供が欲しいと願う女性目線なのである。このところが、以前あった大臣の「子供を産む機械」発言とは違う。「人を傷つける」のポイントは、意図する意図しないはあるにせよ、「人を見下す」か「見下していない」かにあるように思う。「人を見下して」おいて人を傷つけて、「意図していなかった」とは言わせない。だが「見下していなくて」人を傷つけてしまったら、「意図していなかった」は受け入れられる範囲である。そんな時は素直に謝るべきであるし、謝れば許してあげられるのではないかと思う。実際に傷ついた女性に好きになれとはいわないが、もういいんじゃないのとは言ってあげられる気がするのだが。最後に大人の解決案をひとつ。高齢出産の女性を励ます歌を歌えばいい。命懸けで子供を産んだ女性が子供にその気持ちを語る歌がいい。他の子のママより年上でごめんね、でもどうしてもあなたを産んで育てかったの、なんて歌詞だとなかなか泣かせると思うのだが。そして売り上げというか著作権まるごと不妊治療の助成金に寄付すればいい。結局これをきっかけに新しい命が生まれれば倖田もバッシングを受けた甲斐があったというものだろう。
2008.02.07
コメント(4)
![]()
今度はガッチャマンがCMに出てきた。やっぱりCR機のCMかよと思っていたら、今度は本当にディアゴスティーニのDVD付きブックだった。だけど楽天にはディアゴスティーニのアフィリが無いようなので、【DVD】科学忍者隊ガッチャマンII COMPLETE DVD-BOX/アニメーションDVD-BOXにでもリンクを貼っておこう。
2008.02.07
コメント(0)
中国産冷凍餃子に関して検索をかけてみた。こういう事件が起こると例のごとく「それみたことか」なエントリーが増えている。いや、楽だろう、事が起こってからそういうことを書くのは。で、そういう人達の多くは、知ってか知らずか話の鉾先が妙なところに飛んでいる。おそらく自分では全うに筋を通して書いているつもりでいるのであろうが、それを自分に向けると言い訳をするに違いない。結局のところ、「誰もが肯定せざるをえないところ」を文中に忍ばせておけば、それなりに正論のように見えてくるものなのである。しかしそれなりの知性を持っている者からすれば、部分部分で「それは違うだろう」というところが出てきて当然だ。だがそこについて意見を述べているのもかかわらず、全てを肯定してくれないということは反論であり、反論するからには全てについて反論されているととってしまうのが議論のできない人の典型である。ここでは今回の件について、大雑把ではあるが意見を分類して検証したいと思う。しかしそれが本当に「意見」といえる程のものなのかどうかも怪しいのだが。1:中国産が危ないのはわかっていたじゃんか系いまさら何いってんだと世間を冷笑するタイプ。結局最後は「自分はそんなことわかっていたから大丈夫」と自画自賛するナルシストでもある。が、根本的なことを理解できていないことに自分ではわかっていない。中国産というカテゴリは、中国の外から見ているから言えるだけで、中国の内から見ればまた違う。中国人ならおそらくこう言うだろう。「中国にだって日本と同じぐらい管理のしっかりしら食品工場があります。中国食品全てがこんなものだとは思わないでください」と。中国内では○○製の問題が、中国の外では中国産の問題へと広げられてしまう。つまりそこから離れれば離れるほど、大きな集合にスポイルさせて見てしまうというわけだ。ただし、そうなってしまうのは、やはり中国産に問題が多いからなのだが。しかし日本で同じことが起こり、外国から日本製という枠で叩かれれば、おそらく日本人も同じことを言うだろう。大切なのは、こうなってしまった理由と責任を追求することであって、安直にレッテルを貼ることではない。2:中国政府を批判する系外国に毒食品を垂れ流しておきながら、中国は謝罪もしないと怒るタイプ。どうなのだろう。もしかすると中国内では日本でいうところの「遺憾の意」ぐらいは表明しているのかもしれない。日本がそれを謝罪とは受け取らずに報道に載せないというだけで。しかし、していないならしていないとして、そもそも国内企業の失態を政府に謝罪する責任があるのだろうか。日本の場合は、値打ちがなくなるほど「遺憾の意」を表明しているように思う。しかしそれは本気の謝罪かどうかも疑われ、同じことが外国に対しても言えるだろう。ここで中国政府が謝ったところで、「本気で謝罪してるのか?」と疑ってしまえばそれまでである。結局のところ、「嫌いな奴が謝っても簡単には許さない」というのが人の常ではあるまいか。無意味な謝罪ならしない方がマシというのが、もしかすると国際感覚なのかもしれない。3:企業の体質を批判する系コスト削減の為に中国に依存しすぎるという点と、どうして輸入の際で調査しておかないのかと責めるタイプ。輸入元と輸出元の関係は売り手と買い手である。この場合、買い手にも責任があるというのであれば、それは一般物流における買い手、つまり家庭にもその責任があるというのが筋である。輸出元の検査など信用せずに、輸入元独自でも検査はしてくべきだというのであれば、家庭においてもそれぐらいやっておけという理屈が通ってしまう。つまり「1」のタイプに揶揄されるのだ。しかし消費者の言い分は違う。「我々は商品の安全も含めて買っています。」となるだろう。ならば輸入元とて同じはず。輸出元からは「安全も含めて買っている」というはずだ。ここで反論があるとすれば、「企業は利益の為に商売でしているが、家庭はそれで商売をしているわけではない」だろうか。しかしそれもおかしい。企業が利益を出したいばかりにコストカットをするのと、家庭が他に家計をまわしたいがゆえに価格の安い輸入商品を選ぶのは、本質的には同じである。企業のコスト削減の理由は、価格競争に勝つため、消費者の購買意欲を誘うため、つまるところ、値段の安さを選んでいるのは消費者なのである。4:安かろう悪かろうと言いたがる系。値段の安いものは粗悪品だとわかっておけと、昔ながらの言葉で説教するタイプ。「1」と似ているが、中国産だけでなく、一般論を用いているところが違う。しかしそんな簡単なものではない。物流がグローバル化され、技術が急激に躍進している現代では、「安かろう悪かろう」などという格言は簡単には当て嵌まらないのだ。日本の古典的な物流システムから中間業者を一つ抜くだけで、価格に1、2割は還元できる。工場直販となれば5割にはなる。商品がダブつくとか、早々に現金化が必要だなどの弱味が売り手にあれば、大量注文と現金購入で2割3割の価格で買い叩くこともできる。その工場が運営コストの低いところでともなれば、驚く程の低価格になる。「安かろう悪かろう」というのは、ひとつの方程式から導かれた場合の格言である。今や方程式にも多様性があることを忘れてはならない。また逆にいうと、「安かろう悪かろう」を逆手にとった詐欺も横行している。さほど価値のないものに大袈裟な値段をつけ、高級品を装うなどしばしである。問題なのは、その低価格が、無駄をカットした企業努力なのか、必要を無視した怠慢なのかが消費者に見えないことなのだ。「安かろう悪かろう」なのか、「企業努力でのコスト削減」なのか、一般消費者は何を材料に判断しろというのだ。事が起こってから「安かろう悪かろう」というのは誰にでもできる。しかし「良い物をより安くした商品」まで見逃してしまっては、賢い消費者と言えるわけがない。何かが起こると常に責任の追求が始まる。それは当然必要であるし、無責任であることが罪であることも確かである。が、話をややこしくしてしまうと元凶がぼやけてしまう。修復すれば十分使えるものを、捨ててしまうのはあまりにも惜しい。それにしても、今後、本場の味であるはずの中国の餃子が、敬遠されることになるとは皮肉なものだ。
2008.02.03
コメント(4)
全13件 (13件中 1-13件目)
1

![]()
![]()