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6月も本日まで、今年も早半分過ぎ去りました。32.3度と京都も夏日になり、隠れ熱中病に要注意とのことです。本日は、清水寺から三年坂から円山公園までの散策についてご紹介してみます。 法観寺【八坂の塔】五重塔別の角度から 三年坂 【台所坂】の長い石段を降りますと、「ねねの道」に至ります。降りたところに、 【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作と云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。円徳院庭園【霊山観音像】「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。 霊山観音 維新の道「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、 京都霊山護国神社北側に【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく、航空機でも存在が判るほどです。幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓があり、 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。 龍馬たちは京都の都を見守っているようです。 高台から京都の街が見おろせます。霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 ねねの道 石塀小路 大雲院・祇園閣 大雲院は、浄土宗で、本能寺の変でなくなった織田信長・長男信忠の天皇勅命による菩提寺で、墓地には、碑が立っています。そして盗賊「石川五右衛門」の墓があり、墓石があちこちあやかりたいとして欠けているそうです。因みに戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」 贈り名に 十字と多いこと 寺格の院を配するなど、従来高位の人、社会に著しく貢献した人に、贈られるもので、正に当時の義賊と賞賛されたことが伺えます。非公開寺院ですが、予め申し込まれると拝観可能のようです。円山公園、音楽堂の前に佇んでいます。円山公園円山公園の坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像
2012.06.30
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本日は、大切なねねさんの希望で旦那が高所を望んだので同じ東山三十六峰の低い地に葬られ静かに阿弥陀が峰を見守りつつ眠っておられます。高台寺庫裏の入口 【高台寺】 臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てたお寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を弔うべく建てられたようです。徳川家康も普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った【薬医門】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています。当時広い境内でしたが、焼失したり、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で規模が現代のように縮小されました。三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」と「うさぎ」が飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと三門【薬医門】蟇股の中に兎裏には狐 【臥龍池】(がりゅういけ)が「蓬莱形式庭園」として広がります。鶴島・亀島はおおきいです。 鶴島・亀島の庭園池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。東山からの出る月の眺めは、侘びを感じます。 観月台【開山堂】北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井がみものです。 開山堂【臥龍廊】「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げられています。 臥龍廊【霊屋】北の政所は、寛永元年(1624年)9月6日77歳で逝去。此処に眠っておられます。「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ちが痛々しく伝わるようでした。「花筏」「浄土の様楽器」の蒔絵には、ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が飾られていました。 ねねさんの御廟【霊屋】 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺められた事でしょうか。「つゆとをち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ」 秀吉辞世の句。更に高台に、【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています。中には自由に入れます。 傘亭時雨亭【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽しめます。【方丈庭園】では、近代的に「ライトアップ」の行事もあり、観光京都の存在を謳歌しておられます。 方丈庭園観月台から南東の山を眺めますと、【阿弥陀が峰】が見上げるように見えます。ねねさんはひとりどうにもわがままを通した秀吉の菩提を弔っていたのでしょう。 高台寺の石段を降りますと、市民から誰が名付けたか「ねねの道」があります。見下ろすと【八坂の五重塔】が見えます。 法観寺の八坂の塔 大雲院の祇園閣石川五右衛門の墓
2012.06.29
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京都の佳いところばかりでなく、時には歴史上の弱者の悲哀を偲ぶことも、知っておくことが大切とも考えました。浄土宗のお寺です。 【瑞泉寺】(ずいせんじ) 山号 慈舟山 浄土宗禅林寺派 前関白豊臣秀次公御一族四十九宝塔菩提寺 坂本龍馬寓居の址【酢屋】(すや)と高瀬川を境にほんのそば三條通木屋町下がった位置に、人知れず菩提寺が有りました。太閤秀吉の姉「とも」の子、従弟にあたる【秀次】が、秀吉に実子が恵まれず、後継者として、関白の位まで授かってもらった処淀君との間にやや【秀頼】が産まれるや否や、難癖をつけて関白職を奪うばかりでなく、高野山に追放の上自刃に追い込まれました。それだけでは気が済まず、何の罪も無い秀次に仕えた女官及びその若君・姫君も三條河原で斬首。天下人の用心は、肉親をも信頼出来ないで、世にも恐ろしい地獄絵を見せ付けました。後に高瀬川を開削した【角倉了以】が、刑場の址地とされる此処に菩提寺を建てたとあります。 記この堂の中央に安置された地蔵菩薩は、秀次公一族の処刑の際、刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に引導を授けたと伝わる尊像です。極楽浄土へ死者を導く【引導地蔵尊】として京洛の人々に今日なお崇敬されています。 寺伝では「定朝作」 秀次公四十九の供養等四十九の供養等秀次の墓と四十九の供養塔 墓標 鐘の棒の漣のような響きは、悲しみを訴えているようでした。安らかに憩われるようにお祈りしました。 首塚の前に「南無阿弥陀仏」と記された鐘棒五個が鳴らすと、共鳴してカランコロンといとも悲しい音色が境内を奏でていました。 殉職した四十九柱絵図 秀次の首塚三條河原の刑場で四十九柱の遺体を地中に埋め,その上に高野山からの秀次の首を西向きに晒し、三條大橋を渡る人々に晒したという、寺伝が残されています。昨日の侵略による野蛮的「耳塚」と共に、一番に訴えたかった京の街の繁華街に近い,「酢屋」と【瑞泉寺】へ写真を撮りにいきました。殆ど人は、存在をご存知有りません。でも歴史で悲しい出来事は、太閤の栄華の蔭で歴然と残されていました。秀次の無念さを考え、四十九の御霊の菩提を祈ってまいりました。豊国廟500の石段豊国廟の入口豊国廟 慶長3年(1598)8月18日63歳で伏見城で歿する 秀吉の遺言により、京の都が一望出来る「阿弥陀が峰」に葬られました。然し 元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に廟は破壊され、墳墓に弔ずる人もなく、空しく風雨にさらされていました。 明治30年(1897)秀吉300年忌に際し廟宇が再建され現在は五輪宝塔が建てられています。 豊国神社は明治15年に建てられました。 歴史の真意は、計り知れませんが。京都の遺跡により、何か真意が見えてくる感じを受けます。 布団着て寝たる姿や東山七条大橋からの東山右がわ一段と高い山が阿弥陀が峰【頭の形】真ん中清水山【お腹を突き出したような形】左側の低い山は高台山【足元】明日はねねさんの高台寺へ、旦那が高いところなら私は地中深く低いところで、旦那をそっと見守りたいと。
2012.06.28
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梅雨も中休み曇ったり晴れたりしています。本日は、昨日の三十三間堂の直ぐ側にある、豊臣秀吉に関係する遺跡をご紹介します。 あの天下人でありながら、辛うじて、墓はあっても、秀吉独自の菩提寺がないことに、気付きます。 明日は、「瑞泉寺」をご紹介します。 京都駅から、七条通りを東へ、「七条大橋」西詰めから、車を停めて「東山三十六峰」を眺めやりますと、頭を南に大きいお腹をつきだして、脚を伸ばす姿が、正に人が寝ている姿にも見えます。 「布団着て寝たる姿や東山」 豊国廟の500段石段下正面この阿弥陀が峰頂上に豊臣秀吉が眠っています 頭が豊国廟のある太閤秀吉の墓で、「吾が屍を都の見下せる場所に葬れ」と言うことで「阿弥陀が峰」の頂上に置かれています。石段500余段有り、脚がわらってしまうほどです。石垣に包まれた五輪塔の石碑があるのみでした。 寧々夫人は、脚元の「高台寺峰」に、「旦那が高い所ならば、わたしは地中深く掘り下げたところに」と謙虚に高台寺に眠っています。お腹は、「清水峰」で、東山区では、代表的な【清水寺】が有ります。 豊国神社豊国神社前 【豊国神社】(とよくにじんじゃ) 太閤秀吉を祭神として祀られて居ます。徳川家康により焼き払われましたが、明治時代に再建され、拝殿は伏見城の遺構を持ってきています。 方広寺の釣鐘白塗りの部分に「国家安康・君臣豊楽」の銘が書かれています。 【方広寺】釣鐘に有名な「国家安康・君臣豊楽」 の銘があり、徳川家康の曲解で「大阪城冬・夏の陣」と豊臣家は滅びてしまいました。 家康の名を安の字で分断・豊臣が栄えるの意。 方広寺の岩だけ当時のまま残っています。耳塚供養塔 【耳塚】「豊国神社」の前の道の側にあり、秀吉が韓国に野望を広げて攻め入り、韓国の罪無きひとびとの耳や鼻を船で日本に持ち帰り、その数で論功功賞を図った惨い仕打ちに、目を覆いたくなるのですが、その被害の霊に対して「供養塔」が建てられています。「瑞泉寺」での、身内でも痕跡無くなるまでの自己防衛の仕打ちと重ね、歴史上真意は如何に。一方神にまで奉じられている現実、太閤贔屓の方も多いでしょうが、その蔭も京都には遺されて居ます。人間の神格化。野望に残忍な犠牲そして、釣鐘によっての大阪城の滅び。因果報応が、この一画に集められた異様な場所でもあります。
2012.06.27
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世界文化遺産並みお堂と考えられます。 【蓮華王院】【三十三間堂】天台宗 開基 後白河上皇 山号 なし外人観光客・修学旅行には、人気の高い寺院です。明治の煉瓦風の建物「京都博物館」の南向いに有ります。受付を入りますと、長方形に三十三の間の扉で仕切られた、日本一長い建物に驚きます。観音さまは、人の願いに応じて、三十三身に変化される数に合わせているようです。更に堂内に入りますと、これまた観音さんの立ち姿の多いことに、感歎の声を発せられます。 何せ、真ん中に十一面千手観音菩薩坐像【国宝】(仏師法印湛慶作)が蓮華坐に安置され其の両脇に五百体づつそして、その裏手に一体の十一面千手千眼観音菩薩立像が所狭しと整然と並んでいます。 そして観音菩薩の護身役として前列に二十八部衆と風神雷神【何れも国宝】が並んでいます。左右対称の場合は、本尊より左手が上位です。(私達より向かって右側)例えば。「雷神・風神」「仁王の阿・吽形像」「梵天(宇宙)・帝釈天(太陽)」この形式は、「清水寺」も観られましたし、外でも良く観られますので、参考にされるには、最も身近に大きいお姿で拝観出来ます。 何でも「後白河上皇」頭痛持ちだったそうで、夢のお告げにより、紀州「熊野権現」の附近で、自分の頭蓋骨にすすきが生え、その穂が揺れる度に、ずきん・ずきん痛むと。そのことにより34回に及ぶ「熊野行幸」され参詣されると共に、「平清盛」に命じて、数の量の多い仏を祀り頭痛納めに努められたと言う伝説も有ります。お守りの中にも「頭痛封じ」が有るのは珍しいです。 廊下を巡ると「通し矢」の歴代の名人の額が掛っています。現代でも伝統として、正月成人の日に、女性による「通し矢」の行事が行なわれています。何故? 「昔紀州の殿様が鷹狩りをしていました、すると大事な鷹が、柳の枝に絡みつき離れず、短気の殿様が家来に命じて、木を切ってしまえと、其の時弓の名人横曽根平太郎が名乗り出て、枝を払うことで無事、鷹が救われ、柳の精が喜んだ」後に弓の名人の許に「お柳」(おりゅう)と言う別世の美人が訪れ、お嫁にと二人の間に「緑丸」が産まれました。平和な家庭でしたが、ある時、お柳が悲しくも「私は実は貴方に助けられた柳の精です。京の都に狩り出されることに成りました」と実は此処三十三間堂の「棟木」に供出されることになったのです。でも誰の手でもびくとも動かなかった柳の木に、「緑丸」が優しくお母様と泣く泣く言って、手で優しく摩ると、動き出したと言います。廊下の壁に「三十三間堂と柳の棟木」と題して、掲示されています。皆様、急がれるため殆ど見ておられません。 仏師「西村公朝和尚」さんの二十八部衆の面白い観方を一部披露します。【神母天王像】は【鬼子母神】(きしもじん)関東では信仰が厚いそうです。シンバルを両手で鳴らし、その音を目を真中に細め、静かに聴こうとしている彫刻。 我が子が500人も有りながら、他人の赤ちゃんを見ると全て食べてしまう鬼女でした。お釈迦さんが堪らず、彼女の子1人を隠されましたところ、彼女は気が狂ったように泣き叫び探したそうです。其処でお釈迦さんは「500人の内一人でも亡くした母親の悲しさ、喰われた他人の母親の嘆きや如何ばかりか」と諭されました。心を180度改め,幼児を護る安産の福の神に成りました。【阿修羅王像】(あしゅら)喧嘩・闘争を好み、梵天・帝釈天とも闘いました。これも、お釈迦さんに諭され仏の味方と成りました。眉間にも目がある三つの顔を持ち合わせています。奈良・興福寺の【阿修羅像】は、東京でも大人気となりました。私個人としても、仏像で最も愛好しています。【迦楼羅王像】(かるら)コブラ(蛇)を常食の巨鳥。鳥頭人身の形を採り、横笛を吹き、右足先で リズム・調子を採るユーモアな像に観られます。インドの神さまです。【帝釈天王像】(たいしゃくてん)右手に太陽をあしらった鏡を持っています。【摩喉羅王像】(まごら)眼が眉間も合わせ5個もありますよ。 こうして観ていきますと「仏像」にも興味が沸いて来るのではないでしょうか。【十一面千手千眼観音菩薩】(じゅういちめん・せんじゅ・せんげん・かんのんぼさつ)形として両方に20の手しか有りませんが、一つの手に25の法力を持たれ40×25で1000とされ、実際千の手に近いのは、奈良・唐招提寺の観音菩薩。大阪葛井寺(ふじいでら)そして京都府京田辺の宝壽寺です。
2012.06.26
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今朝から生憎の小雨が降っています。浄土真宗を広められた、親鸞上人さんも、天台宗の門跡寺で僧になる、得度式を迎えられ、隣接する知恩院の境内で、お師匠さんとして、法然上人さんの教えを確りと会得されました。このあたりは、天台宗→浄土宗→浄土真宗の経緯が生まれた聖地かもしれません。 【青蓮院】(青蓮院) 天台宗 開基 最澄 山号 なし天台宗五門跡寺の一つとして、【粟田御所】とも云われる、格式の高い寺院です。 玉座「天明の大火」で御所も焼失した時に、「後桜町天皇」は此処を「仮御所」とされ、その玉座の間も残されています。 樹齢八百年目楠門前には樹齢800年の楠が、迎えてくれます。5本の筋塀を見ながら 親鸞上人童形像 表御門を入り、受付より、履物を脱ぎ、廊下伝いに「勅使門」からの玄関間に至ります。その勅使門の院内に歌碑が有りました。実は、【親鸞上人】がこの寺院で、【得度】 (とくど)(出家なさること)されました。未だ幼少の身で、出家の決意に悩まれた結果の句が書かれています。 歌碑 「明日有りと 思う心の仇桜 夜半(よわ)に 嵐の 吹かぬものかわ」 宸殿前の左近(さこん)の梅・右近(うこん)の橘 宸殿前庭 廊下伝いに【宸殿】に、此処には、堂内に「親鸞上人・得度をされた場所」として、立て札が立っていました。此処も「宸殿」の前は、左近の「梅」右近の「橘」が配置されていました。本堂の西部屋には、「浜松の襖絵」が、東部屋には、【青不動三尊】【国宝模写】の掛け軸が、掛けてありました。【日本三不動】園城寺(おんじょうじ)(滋賀・三井寺)黄不動・高野山明王院の赤不動が有ります。黄は、人間の皮膚の色、赤は動脈そして、青は静脈、を表わすとか。更に渡り廊下を進みますと、先ほどの「後桜町天皇」の玉座の部屋が有ります。格式の高い「格天井」(ごうてんじょう)の間に中国風の襖絵がきらびやかに画かれていました。 滝と池を伴う回遊式庭園が最も相応しく、鑑賞出来る部屋でも有りました。 「一文字の手水鉢」更に廊下伝いに、【一文字手水鉢】一の字が長く彫られた手水鉢が、目立ちました。そして 庭園書院造りの間】へ、此処からの庭園の眺めも落ち着きが有って良いものです。亀島・鶴島・石橋・滝そして灯篭・茶室が眺められました。一旦、履物を履いて、庭園を巡る事も出来ます。 昔は、庭園の芝生の上で、舞妓さんたちが、お琴の演奏を興じて居られた時がありました。一般には、出来ませんが、庭園の奥から山道を辿りますと、【将軍塚】に、至ります。【青蓮院別院】としての尼寺に成っています。
2012.06.25
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曇り勝ちの天気の日曜日です。京都観光では、室町時代の【足利家】に関する寺院が要所を占めてているやに思われます。金閣寺・銀閣寺・天龍寺・相国寺そして等持院です。 【等持院】(とうじいん)臨済宗天龍寺派 開基 夢窓疎石 歴史上に登場する人物で、時代に応じて、イメージで印象の悪いと考えられていた者が、理由が有って善良な人物とも取れる事がよく。出てきます【足利尊氏】がそのひとりです。戦前歴史で朝廷に背いた国賊と教えられました。然し現代に残されている寺院からは、そうとも思えない足跡が観光によって感じられました。 牧野省三銅像 等持院然りです。映画監督「牧野省三像」が立っているその奥に玄関口門前に大きく「等持院」と書かれた門標がありました。足利尊氏の戒名「等持院仁山妙義」から付けられたとされます。寺院の格式から「寺・院・坊・庵・軒」とされています。戒名は残った人がその人の遺徳を偲んで贈名とするとすれば、「等持」の漢字に寺が二字含まれて居ます。慕われ尊敬された方と思えます。そして寧ろ何か原因があったのでしょう。敵であった、「後醍醐天皇」の菩提の為に、建設費を「天龍寺船」での貿易で立派な「天龍寺」を建て、その立役者の足利家は等持院で、一歩下がって礼を尽くしているように思えて成りません。庫裏の入口蟇股に「二引きの家紋」【順路】•1. 表門に等持院の額が掛っています。•2. 玄関口の瓦及び蟇股には二引きの足利の家紋が見られます。 達磨の絵•3. 廊下の突き当たりにダルマの絵が目立ちます。天龍寺の管長さんが描かれたそうです。座禅を続けていますと足が立たず、それがダルマさんの姿に成られた、「ダルマ禅師」の絵です。•4. 方丈前の廊下は、「うぐいす張り」できゅっ・きゅっと歩くと音がします。 方丈庭園•5. 方丈(本堂)には、釈迦三尊が祀られて居ます。 霊光殿•6. 【霊光殿】正面に尊氏の母堂が大切に振興つき「地蔵菩薩」を尊氏のの仏の庇護のため賜った尊氏の念持仏両脇に禅宗の祖師「達磨大師」と「夢窓疎石」が、足利将軍15代の像(5・10は除く)何故か徳川家康の像有り。 足利尊氏の墓頭の部分が欠けています 7..【足利尊氏の墓】上部の宝塔が欠けています。何でも三條大橋東詰で御所に向かって、平伏している像、「高山彦九郎」が朝敵として刀で切り付けたと言う伝説が有ります。バック立命館キャンパス手前に茶室【清蓮亭茶室】8.【池泉回遊式庭園】夢窓疎石作庭「芙蓉の池」と称し、蓮の形した「亀島」書院正面の這い松の「鶴島」「石橋」「滝の石組み」天龍寺の庭園形式になぞらえています。9.【清蓮亭茶室】八代足利義政が建てた武家床の貴人席があります。等持院型灯篭と自然石で出来た司馬温公型手水鉢が有り、茶席からの庭園の眺めもやや高台からとなり素晴しいです。 借景に、衣笠山が近年まで、眺められたのですが、時代の波に逆らえず、「立命館キャンバス」の校舎で、遮られてしまい、致し方がないとは言え残念です。石組みの池泉回遊式庭園 奥の池奥の池 天龍寺・金閣・銀閣と足利将軍の関係する「菩提寺」としてひっそり佇んでいます。
2012.06.24
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京都は曇り空ですが、降水確率ゼロです。妙心寺の側に、NHK大河ドラマ「平清盛」で当初よく演出された「鳥羽天皇」の中宮として、権威を持った「白河上皇」に愛でられ、女性としての生き方に不本意のままに過ごされ、出家されて建てられた、法金剛院とされています。一つの哀話ともかんがえられます。偲びつつ誰も訪れないひっそりした御陵を訪問しました。 【法金剛院】奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院 (たいけんもんいん) 山号 五位山 JR「花園駅」駅前に有ります。昨日の「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞出来ます。自家用では、嵐山に向かわれる途中に道路沿いにあり、駐車場もゆったりしています。入口の門自動車道路を隔てて、JR花園駅があります。 蓮の開花季節7月中旬から8月初旬には、門前にその旨の案内が掲げて有ります。 庭園入口常時では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、「定朝様式」(じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】 が私たちの礼拝する、目の間近前に拝する事が出来ます。八角九重型の蓮坐は、阿弥陀さんを一際引き立てているようです。阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池が保たれて現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った【十一面観音菩薩】がお厨子の中に立像として拝する事が出来ます。 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、「律宗」となっています。寺の荒廃により、「待賢門院」が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」(ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に「五位山」がありそこに法金剛院が建っています。 庭園 仏堂が見えます。 背景が【五位山】五位山の右手裏手に御陵があり待賢門院さんが静かに眠っておられます。 【待賢門院】お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の逝去後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。 参道花園西陵 待賢門院さんの皇后陵 【青女の滝】(せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。 【歌碑】待賢門院の侍女【待賢門院堀河】の百人一首。尚【西行法師】も訪れたということです。 「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 歌碑
2012.06.23
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妙心寺境内・七堂伽藍突き当りが龍の見られる本坊受付【妙心寺】(みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)JR「花園駅」の近くにあります。「妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。 殆どが拝観謝絶で開放されていません。 三門 外塔頭の代表格が【龍安寺】で本堂の名札に全国の外塔頭の寺院数千を数えるほどに掲げて有りました。 法堂このお堂の中に、壮大な狩野探幽の龍が天井に描かれ説明が入ります。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた【龍の絵】でした。【狩野探幽法眼】(かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。 先ず「本坊受付」にて20分置き時間制で案内されます。其の後「明智風呂」にも案内されます。本坊で待機中に、本堂の名札を見上げられる事と、内陣には「釈迦三尊」が祀られ前庭は、「方丈庭園」に成っています。 内塔頭・退蔵院入口の門 【退蔵院】(たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも、鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。理屈っぽい人間を指します。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。方丈の襖絵 画家元信の庭 元信の庭【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 院の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】(すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。 一番奥からの景観 水琴窟 【東林院】【沙羅を愛でる会】と沙羅双樹(夏椿)の咲く頃(6月15日から末日予定)精進料理(阿じろ料理)を賞味しながら、苔の丘に落ちる花を愛でる催しが有ります。沙羅の大樹から朝開花、夕べには散る、儚さを平家物語で語っています。【涅槃】(ねはん)お釈迦さんが入滅されるときに、周りに「沙羅双樹」の樹が有ったそうです。今年も6月15日~7月1日 9時30分~16時お抹茶付き 1,580円精進料理付きは5,570円満席になる可能性が高いので、予め予約されてもと考えられます。電話 075-463-1334 妙心寺・東林院(とうりんいん)
2012.06.22
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浄土宗総本山の大きい寺院の境内を出ますと、【祇園】の街です。舞妓さんの踊る、祇園歌舞練場に隣接して、雰囲気は、一転して清楚に掃除の行き届いた、禅寺 臨済宗【建仁寺】に至ります。国宝・風神・雷神と天井の龍が有名で、そして庭園が美しいです。 風神・雷神図 国宝の模写 【建仁寺】臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山 京都最古の禅寺で、鎌倉時代建仁2年(1202) 二代将軍源頼家(よりいえ)の庇護のもとに建立。年号を採って【建仁寺】とされました。 足利義満が定めた禅宗「五山の第三位」に属します。 栄西(ようさい)禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖です。【建仁寺の学問面】(がくもんづら)秀でた禅僧排出されたことから。 禅問答の掛け軸唐子の襖絵兎の襖絵風神・雷神の襖絵 【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。方丈庭園 本尊は、十一面観音菩薩 【徳川秀忠・江】の娘 和子姫(まさこ) 後水尾天皇の中宮。【東福門院】寄贈三尊石の庭園【潮音庭】四方正面の三尊石 四季折々に苔も美しい。 【茶席・東洋坊】茶室の西側に有名な「建仁寺垣」が観られます。法堂天井に双龍が描かれ云います 天井・双龍絵【法堂】(はつとう) 釈迦如来と脇侍に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)尊者が祀られ、天井に平成14年画かれた【双龍】小泉淳作筆が観られます。(あうん)の口をした2匹の龍が描かれ、阿形の手には玉を掴んでいます。禅寺では、龍を飾っていますが、龍は仏法守護として、また水の神として、雲を呼び、仏法の教えの慈法雨を降らせるとしています。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、江戸時代。見事で有名です。現物は、京都博物館に保存。 十六羅漢像【陶製一六羅漢像】明治から大正にかけて作成 龍の襖絵【雲龍図】海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵橋本関雪の襖絵 昭和15年大修理で60面描かれました。 祇園花見小路歌舞練場の側に、建仁寺が広い伽藍で、静寂の境内に臨みます。今回、ブログでご紹介しました【両足院】【半夏生】はその塔頭の一つでした。建仁寺・塔頭【両足院】半夏生京都観光寺院として、堂内は全て、写真撮影禁止とされていますが、驚きと感動を覚えました【建仁寺】は全て写真撮影可ということでした。皆様にご紹介出来て嬉しいです。
2012.06.21
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台風4号が過ぎ去りました。本日は曇り樹木の葉つばも静かです。5号が続いてやってきそうですね。充分お気を付けて下さい。 世界文化遺産17箇所もおわりましたが、それに匹敵する社寺が京都には、多く観られます。その一つが【知恩院】です。法然上人が説かれた、【浄土宗総本山】です。弟子の親鸞上人も同じく【浄土真宗】として、本願寺があります。全国から法要のため多くの信者さんたちが、お参りにこられます。 鐘楼-【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 御影堂(みえいどう)大河原の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります【知恩院】(ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ【南無阿弥陀仏】と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、【左甚五郎】の作と言われています。 過日、疑問にずっと感じていましたが、信仰の対象と成るはずの【阿弥陀堂】が西側に小さくって、聖人とはいえ【御影堂】がとても大きいことに、和尚さんの説明では、阿弥陀堂は【礼拝堂】であり御影堂は、【説法堂】として広く多くの人達が法話を聞くお堂と。やっと納得できました。 長い竹の棒で位置を説明します。 有名な【忘れ傘】が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として、最も恐ろしいのは、【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。 各観音開きの高さ3mはありましょう扉も、指一本で動くほどに。真っ直ぐ削られた名工が証明されます。錠前の下部にカッパとかスッポンが出入り口を守る魔よけとして存在していますよ、実に微笑ましい存在です。 西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があり、阿弥陀像の両手の指をよく見ますと、親指と人差し指を交えて居られます。皆様の仏壇を観察してみてみられては!、(仏像の観察) 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、多くの人を救いとるの意。 あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。日本一大きい三門 一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方) 三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】があります。七不思議のひとつ【瓜生石】 二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。 以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます。庭薗も観られます。 知恩院境内の最も聖なる地法然上人御廟所石段を登りつめた場所 御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた【千姫の墓】があり、京都の市街が、美しく見渡せます。千姫の墓千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。 東照宮への庭園 御影堂の東側から勢至堂・御廟への石段登り口
2012.06.20
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台風4号が日本列島に近付いています。今夕近畿地方にたつするようです。皆様充分にお気を付けて下さい。 昨日、テレビで紹介されあまりの苔の美しさに、私としても始めて訪問してきました。嵐山の側にあり、別荘のように思っていました。 苔の庭【宝厳院】(ほうごんいん) 臨済宗天龍寺派の塔頭庭園は、夢想国師の孫にあたる「聖仲栄光禅師」が開山で創建されましたが、本堂は、平成20年に再建され真新しいものでした。 入口 小柴垣とあじろ垣参道 嵐山が側に見えます 小石で須弥山への「苦界」の道程を船石とうで表現 雲上の三尊石 【獅子吼の庭】獅子吼えるとは「仏が説法する」の意写真は中でとれませんので、雰囲気だけ味わって下さい 十三塔と本堂 襖絵に三十三人の老若男女の違った表情の人が描かれていました。本尊十一面観世音菩薩脇に三十三体の観世音菩薩が祀られていました。本堂の横の庭園観察の場 入場禁止同じく小川が流れ小橋が様になっています 撮影している女性の方も満足そう その同じ目線で小川と苔をパチっと 嵐山を借景に 橋桁が遺跡として(おおいがわ) 門の外に羅漢さんたちが 大堰川
2012.06.19
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この時季のみ、特別公開される、【建仁寺】臨済宗建仁寺派の塔頭【両足院】半夏生(はんげしょう)庭園一杯に白く葉っぱに化粧しているように見える姿は皆様を楽しませました。 半夏生季節語で言えば 夏至(6月21日)から数えて11日目の7月2日~7月7日まで5日間を半夏生といわれています。 「チュウ(夏至)は、はずせ、ハンゲは待つな」ということわざの通り、田植えは、半夏生の前にやることが好ましいとされています。 両足院の玄関 例によって、龍の蛇腹型の石畳半夏生の庭 庭園を取り巻く建物 庭園一杯に半夏生 建物の向かいの丘から 茶室 茶室でお茶のお手前 正に幽玄の境地に酔って居ます。 今朝更新しょうとしましたが、アクセス混雑とのメツセージで、写真も載せられない状態でした。 テレビで昨日、紹介された、嵯峨天龍寺の塔頭【宝厳院】の初めての特別拝観ということで、訪問してきました。苔の庭がとても美しく映えていました。明日更新したいと思います。
2012.06.18
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梅雨の雨が降り続いています。本日で、世界文化遺産シリーズ終了です。京都の主な寺社の代表として、纏めて見ました。次回からは任意に順不同で続けられるだけ更新したいと思っています。よろしく。 阿弥陀堂 阿弥陀如来像 阿弥陀堂前に【水琴窟】【比叡山延暦寺2】 昨日、ご紹介しました【根本中堂】が主たる本堂で、山岳仏教に相応しい落ち着きと豪華さと聖地としての歴史を感じ取る事が出来ます。【世界宗教サミット】が開催されるに相応しい雰囲気を持っています。根本中堂の本尊が、薬師如来でした。 同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。現代風のたてものでとてもカラフルに感じます。阿弥陀如来が本尊です。参拝目的では訪問しますが、観光では、お供した事は有りません。寧ろ「西塔」「横川」に時間の赦す方には、ご案内致します。 常行堂と法華堂弁慶が担ったという。【西塔】 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。この両堂で、修行僧が、「朝題目」そして「夕念仏」日毎に唱えておられます。【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。 国宝・釈迦堂【転法輪堂】(てんぽうりんどう)【釈迦堂】三井寺の「金堂」を移築された建物で、山内で最も古いものとされています。 【横川】(よかわ)【横川中堂】慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩【恵心堂】(えしんどう)恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が念仏三昧にすごした所です。【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。「横川中堂」からの道中に、西国三十三ヶ所観音霊場が第1番から順次観音像を辿っていきますと、「元三大師堂」に至ります。殆ど人気がなく、静かな雰囲気で回れます。山頂の回転展望台【四明ケ嶽】(しめいがたけ)839m比叡山の頂上に、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 苑内各所に「モネ」の絵が見られます。 花壇 「将門岩」(まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。以前は「将門岩」の標識が立っていましたが、今は苑内の案内書からもなく、苑内の管理女性に聞いて確かめました。ロマンがなく惜しまれます。将門岩眼下に琵琶湖が見渡せます。琵琶湖帰りは、京都方面に、「空中ケ-ブル」と「ケーブル」で 「八瀬」(やせ)に降りました。 空中ブル 空中ーブル ケーブル 八瀬(高野川の上流)
2012.06.17
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本日も朝から、雨がしとしとと、降り続いています。薄ら寒ささえ感じます。 世界文化遺産17箇所も最終となりました。比叡山延暦寺は 【天台宗】です。わたしの子供時代は、今はこの世に居ませんが伯父たちがが大僧正として、延暦寺のお寺関係は懐かしく育ちました。子供心にも、伝教大師の遺訓に心がける風に育ちました。比叡山は、京都からも常に北東に美しく姿を見せ、東山三十六峰の最北端に位置します。 国宝・根本中堂(こんぽんちゅうどう)家光再建 【比叡山延暦寺1】天台宗本山 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録【東搭】【西塔】【横川】(よかわ)の諸堂を総称して延暦寺と称しています。 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、現在でも子供さんたちの書初めにも登場しています。【亡己利他】(もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。(わたしのプロフィルの座右の銘) 【一隅を照らす。これ国の宝なり】その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。大講堂 此処で法話と祈りが捧げられます【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩高野山を本山とする、弘法大師を始祖として、「真言宗」が「派」として分かれていますが、延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、 各宗教の始祖として、分かれて生きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。 鐘楼【根本中堂】【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺(りっしゃくじ)【山寺】の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】のことばが生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。清水寺の本堂でもお話しました。 滋賀県坂本から尾山へのケーブルカー 遥か「琵琶湖」が見下ろせます。 次回は西塔・横川に参りましょう。
2012.06.16
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蒸し暑い、どんよりと曇りの一日でした。ゲートボールの競技は、健闘空しく1勝3敗でした。今夜から大雨が降り続き、来週木曜日まで、ず~と傘マークの予報となりました。露本番ですね。 オウム高橋克也容疑者が17年の逃走の結果、逮捕されました。多くの罪無き人々の尊い命を奪った行為は、償いきれないものがあります。 【二条城3.】大広間を過ぎますと、更に奥に、【黒書院】と【白書院】があります。【黒書院】は、奥御殿で、将軍と親しい諸藩の大名の内輪の対面所です。特に紀伊・尾張・水戸の「御三家」で、「大政奉還」の審議は、この部屋で行なわれたといわれています。注目すべき襖絵は、「狩野探幽」の弟「狩野尚信20歳」の桜の絵が、描かれ、兄の豪壮に対して、とても和やかな、優しい落ち着きを感じさせる襖絵です。【白書院】いわゆる、【大奥】で、将軍を囲み、将軍にお茶を運ぶ「女官」控える「局」と控える「女官」が、人形で表しています。襖絵は、狩野兄弟のお師匠「狩野興以」の「山水画」です。此処より、折り返し、牡丹の間・ソテツの間そして、二条城から手渡される、パンフレットに「鷹」の図がありますが、大広間の裏「四の間」に豪快な「老松にとまる鷹」の絵に、目を輝かせてくれます。この部屋の左方の欄間には、牡丹、往路大広間の三の間がその裏側になり、同じ欄間に「孔雀」が彫られている事に、ご注目下さい。厚さ35cmkの幅で、異なった「彫刻」がなされています。老中の間そして最後に「勅使の間」を見て、下足した場所に戻ります。部屋数33室・畳数800畳余り有るそうです。 とても広くって、第一段階ここから時間がないので、引き上げるが多いです。 特別史跡・二の丸庭園更に、玄関の出て、右手に「庭園入り口」があり、【二条城二の丸庭園】(特別名勝・国宝並み)小堀遠州作庭。豪壮な石が並び、瀧が流れ、石橋・鶴島・亀島と配置良く、庭園の「要素」を備えています。 庭園入り口を入って、直ぐ右手に、先ほど巡った「二の丸御殿廊下」の軒下をのぞいてみますと、「鴬張りの仕組み」が見えます。本丸への門 内濠 本丸此処で、引き返す方も有ります。堀の橋を渡りますと第三段、【本丸御殿】天明の大火で、焼失、現在は京都御所に在った、旧桂の宮御殿を移築されました。庭園は明治時代に作庭、精洋風に作られています。 天守閣があった跡地【天守閣跡】天明の大火の直前、落雷で焼失しました。現在平坦な空き地に、なっています。帰路。【清流園】江戸時代に「角倉了以屋敷」から建物の一部と庭石800個を譲り受け全国から名石300個と集め、「和風庭園」と「洋風庭園」を作庭。茶室もあり、大茶会とか、国賓の接待所に利用されました。土蔵。収納庫(米蔵)そして台所・御清所には、人形が有り、「お毒見役」も、見られます。 清流園
2012.06.15
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本日の京都は31度と夏を思わせる暑さでした。明日は、早朝よりゲートボールの大会に臨みますので、15日朝の更新を早めて、お送りします。夕方には、二条城3.を掲載したいと思っています。 国宝・二の丸御殿の玄関内部は、写真が撮れないので、説明文のみと成ります。【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が、目立ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。短いですからね利用されると面白く見られます。【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。•1. 【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。秀吉の造って壊した聚楽第の遺稿といわれています。豪華ですね。•2. 【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の心を和らげる雰囲気があります。虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したのでしょう。何れも【狩野派】の絵とされています。3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、仕掛けが解かります。4.【式台】式台の間・老中の間。老中の間 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を向きます。5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井(ごうてんじょう)この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。
2012.06.14
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梅雨の期間で、本日は朝から佳く晴れています。世界文化遺産も後2ヶ所までご紹介が進んできました。本日は、修学旅行生では、欠かせぬ二条城です。【二条城1.】世界文化遺産登録 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が増えて来ました。一見贅沢の様ですが、安内による【見所】貴重な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何より大切な事は、【安全管理】要所に先生方が、待機して生徒さんたちに、安堵感を与え、微笑ましい光景が、見られます。二条城の外周 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を多く見かけます。それだけに、観光コースも三通り1.二の丸御殿の内部だけ見て帰られる2.二の丸御殿と池を廻って帰る。3.本丸庭園も観られる方。でしょうか。 二条城のあらまし•1. 徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営•2. 徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれました。•3. 家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。後水尾天皇の中宮が、家光の実の妹で【和子】(まさこ)後の【東福門院】で尚更に盛大にお迎えの設備が整いました。•4. 家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛が有りました。•5. 1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、建物一部焼失しました。•6. 1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】が二の丸御殿大広間で行なわれました。•7. 1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。•8. 【国宝・二の丸御殿】•9. 【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭 順路•1. 駐車場前の受付。•2. 東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。東大手門 •3. .番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。坐姿は、番士の人形です。•4. 土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】と称し、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。寧ろ「飾り」と思えます。•5. 【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。 国宝・二の丸御殿•6. 二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真をと待機しています。 他でも、シャツターチャンスと考えてよいでしょう。次回は、御殿内へ。
2012.06.14
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梅雨らしく、少し雨が降りました。本日もどんよりとした曇りです。 西本願寺 醐影堂(ごえいどう)【西本願寺】浄土真宗本願寺派本山 世界文化遺産に登録 親鸞上人の年忌記念として、【平成大修理】が行なわれ、昨年立派に完成しました。見るも豪華で鮮やかに模様替えされました。東本願寺と同じく、御影堂は、本堂阿弥陀堂より、大きく広く造られています。位置関係だけ、何故か、地元で呼ばれている、【お東さん】の方は、御影堂が北側、そして阿弥陀堂は南側に位置し、【お西さん】の方は、その逆に成っています。大きいお堂に入ると 心が落ち着き、旅の疲れも癒され、聖なる場所だけに、心の引き締まる思いもします。 ここで、今まで疑問に感じて居ました事は、信仰の対象となる阿弥陀さんのお堂が小さく、法を説いた 人間親鸞さんのお堂が大きく建てられたことに、宗教で説く傲慢さに見えていましたが、過日テレビに本願寺の和尚さんのお話で氷解しました。阿弥陀堂は、【礼拝堂】そしてこ親鸞上人を祀る御影堂は、【説法堂】とされ、多くの信者が共に、お説法を聞く道場との説明でした。因みに、法然上人を祀る浄土宗本山知恩院でも同じ形式を採り御影堂を(みえいどう)と呼び方を分けて呼ばれています。 通常は拝観出来ない、国宝の数々も、今は、行事の機会に特別拝観の機会が有りそうです。寺努所に前以て、問い合わせなさる必要があると思います。 国宝白書院・黒書院・対面所の内部の豪華なこと、私も一度しか訪問したことが無く再度機会が有れば、お目にかかりたいです。同じく国宝能舞台、池に伴う飛雲閣(ひうんかく)京の四閣、金閣・銀閣・呑湖閣(どんこかく)大徳寺塔頭芳春院、加賀前田家の菩提寺。 特別名勝(国宝)【虎渓の庭】枯山水 機会が有れば、是非ともご鑑賞をお勧めいたします。 国宝・唐門 常時、観られる国宝【唐門】(からもん)は、西本願寺の南通用門の側にあり、 龍谷大学・大宮学舎正門附近に存在します。伏見城の遺構で、とてもカラフルで豪華な門構えです。タクシーも門前まで行けるので、ご案内します。 黄石公の馬上 張良が沓をおし戴く 中国の故事が、表裏で物語っています。良く観ると馬上の白髭を生やした師匠 【黄石公】(こう せきこう)の沓(くつ)が片方脱げて有りません。その左側に跪いて、沓を捧げ持つ人物が観られます。【張良】その人でした。 黄石公が兵法の教示を願う張良を試す為に、幾たびか、沓を投げ飛ばし、それを、堪えて沓を捧げたと。結果黄石公から太公望の兵書を授けられたそうで、後に天下統一を果たしたと云います。NHK大河ドラマ【坂本龍馬】の第1回の、堪えるシーンが、一国の大事に関与することを改めて脳裏を巡りました。 瀧の水で汚れた耳を洗っている 下流で牛に水を飲ませるのを汚れた水として、手綱を引きとめてのまさないように 裏側は、通用門の守衛さんに、挨拶して入れてもらえます。滝が流れ一人の人物【許由】(きょゆう)が耳を洗っています。側に川流れに牛を連れた【巣父】(そうほ)が立っています。 許由は、中国の神話上の穏者で、当時の皇帝【堯帝】(ぎょうてい)が許由に帝位を譲ろうとしました。許由は思いも掛けない誘惑と大層心を乱す言葉を聞いたと汚れた耳を洗って清めています。一方その事を知った巣父も汚れた川の水を牛に飲ませまいと手綱を引き挙げている姿が観られます。 何だか現在の政界に学ぶべき、要素と再掲載させて頂きました。
2012.06.13
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葵祭りの上賀茂神社と下鴨神社が共に世界文化遺産に登録されています。国宝の建物があるからでしょう。歴史を感じる神社で、勅祭とされ、勅使の使わされる伝統行事でもあります。 【下鴨神社・賀茂御祖神社】(かもみおやじんじゃ)世界文化遺産に登録本殿【東本殿】【国宝】祭神【玉依姫命】(たまよりひめのみこと)娘【西本殿】【国宝】祭神【賀茂建角身命】(かもたてつのみのみこと)玉依姫の父 京都の街を高台から眺めますと、京都御苑と賀茂川と高野川とがY字型に挟まれたところにこんもりした森が目立ちます。 糺の森【糺の森】(ただすのもり)と称して、参道がとても自然界の様に親しまれます。隣接地に「家庭裁判所」があります。神様の時代でも「糺された事」があったのでしょうか?今一つ川の「三角州」の事を「只洲」とも言うそうです。 さざれ石【さざれ石】 国歌「君が代」に歌われています。【連理の榊】2本の榊の木が上部で1本に繋がる不思議な木が【相生社】の横に見られます。 参道鳥居 楼門 神楽殿 御手洗社 【御手洗社】(みたらししゃ)葵祭りの前に【斉王代】(さいおうだい)が【禊の儀】(みそぎのぎ)をされます。また土用の日には【足つけの儀】が行われ、無病息災を祈ります。常には水が流れていないのですが、土用が近付きますと、自然に水泡がこんこんと湧きでるところから、その形から【御手洗団子】(みたらしだんご)の発祥の地としたそうです。 立秋の前夜【矢取り神事】が行われます。お判りの様に、上賀茂と下鴨は(かも)の字を変えています。上賀茂の祭神は、「天神の子」として、雷即ち農耕の神様の様で、「賀茂別雷命」そして下鴨神社の祭神は、母上「玉依姫命」と「祖父の賀茂建角身命」と言われています。賀茂建角身命は、【松尾大社】の祭神でもあります。 5月15日の葵祭りには、京都御苑から下鴨神社経由、上賀茂神社へと行列が、その年の未婚の 斎王代の輿【斎王代】が選ばれ、のどかに牛車の輿に乗られて進まれます。 頭に葵の葉を装う【葵の葉】が象徴しています、雨乞いの祭りでもあり、何れ梅雨季を迎えることに成ります。【玉依姫丹塗りの矢】の伝承玉依姫が「瀬見の小川」で川遊びされていたときに、「丹塗りの矢」(にぬりのや)が川上から流れてきました。貴重な品として、持ち帰られ、床に就かれるとき、床の側に置かれたそうです。その後、孕(はら)まれて立派な「男の子」を産まれました。「別雷の神」です。男、不用で神の子誕生とされているようです。キリストのマリアさまからこの世に神の子として遣わされたように。【賀茂建角身命】玉依姫の父にあたります。農耕を広め民生の安定に努められました。「五穀豊穣」「古事記」「日本書紀」には、「金鵄八咫烏」(きんしやたのからす)として神武天皇に使え、御功績が多く「導きの神」とも崇められ、厄除け・学問・旅行・方除け祈願に訪れる参詣者も多いです。私たちタクシーの乗務員の為にも、交通安全を祈願したいです。【加茂族】山背(山城)の古代氏族で、朝鮮からの渡来人とされています。賀茂と地名にも成りました。太秦の「秦族」も渡来人の一族です。京都の丹後は、日本海に面し朝鮮に近く、琵琶湖又は、山越えで、京都に移り住んだとも考えられます。とても博学多識、努力家で「治山・治水・農耕・絹織物」等、現在の京都の有り方に貢献されたものと、改めて敬意を表したいです。
2012.06.12
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梅雨の晴れ間が今日も続きます。世界文化遺産 17箇所 臨済宗5 真言宗4 そして清水寺宇治の平等院・宇治上神社と12箇所ご案内してきしました。あと上賀茂神社・下鴨神社・二条城・西本願寺そして比叡山延暦寺と続きます。 【賀茂川】 京都バス終点「岩屋橋」から更に山道を遠く辿りますと、【金光峰寺・志明院】(雲が畑)修験道の修練場で「岩不動尊」が祀られて居ます。岩から染み出る、一滴の水が源流となり、「賀茂川」が人々の心の憩いを与える景観を観られます。時季により、「ユリカモメ」が渡り鳥として、遠くシベリアから飛来し、賀茂川で群れ遊んでいます。とても人懐きで、平和を感じます。夜になると、比叡の山を群れで超え琵琶湖にて、憩うそうです。京都の街で、最も景勝を楽しめる通りでもあり、「大文字」も見られ、タクシーで走るときも、出来るだけ、賀茂街道を通るように心掛けました。春には、「桜並木」で誰しも感動されます。 その賀茂川の上流に、「上賀茂神社」がそして下流に「下鴨神社」が鎮座まします。「加茂族」と言う先祖が築いた北方の、静かな住宅街でも有ります。 大原を源流とする、高野川と合流する地点を「出町」と称し「今出川橋」から下流を「鴨川」と字が変わります。何れ淀川にそして大阪湾に至ります。 上賀茂神社 国宝本殿 【上賀茂神社・賀茂別雷神社】(かもわけいかづち)世界文化遺産に登録祭神(賀茂別雷神)下鴨神社に祀る「玉依姫」の御子【本殿・権殿】【国宝】本殿の前には、「山城一の宮神社」と表示してありました。 母君 玉依り姫を祀る 片岡社本殿の楼門を出た直ぐの側に【片岡社】がありました。玉依姫を祭神として祀られています。 神楽殿【神楽殿】の前には【立砂】が白川砂で三角錐が飾られていました。何でも真上に松葉が差され神様が光臨されるそうで、清めの砂ともいわれています。 神楽殿の前に 立砂神社の後ろの小山は、【神山】として神聖な山で、人の立ち入らない山とされています。【御神徳】欽明(きんめい)天皇の時、雨は降らず作物実らず大飢饉でありました。天皇が勅して占われたそうで、人心が大変乱れているその祟りと言うことで、本殿でお詫びの祭祀行なわれたところ、「護国豊穣・天下泰平」となったと日本書紀に記されているそうです。「雷の神」の由縁でしょう。【葵祭り】この「欽明天皇」の起源により、毎年5月15日【京都三大祭り】として、全国から大勢の方が、観に来られます。 くらべうまの行事が行われる境内【行事】【競馬】(くらべうま)【烏相撲】【八咫烏】(やたのからす)神武天皇が東征の時「加茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)が先導した際に、天皇の弓の先に止まったとされています。当時の「加茂族」を「烏族」ともいわれています。【百人一首】 風そよぐ楢(なら)の小川の夕暮れは 禊ぎ(みそぎ)ぞ 夏のしるしなりけり 藤原家隆楢(なら)の小川 【社家】(しゃけ)神社の表通りに、小川が流れその小川に一軒【社家】(しゃけ)神社の表通りに、小川が流れその小川に一軒ごとに橋が架かって母屋に入ります、神主さん・神道の方の屋敷が並んでいます。京都の風物詩とも観られます。
2012.06.11
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梅雨も早一休み、これからゲートボールの大会に行ってきます。予告しました、阿弥陀さんの指と手の形の組み合わせしるしてみました。浄土にも段階があるようです。 【平等院】宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に昨日の「宇治上神社」と対峙して存在しています。国宝・鳳凰堂池に写される 初代仏師【定朝】(じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で、「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 丸い窓を設けて、庶民にも阿弥陀さんのお顔だけ拝せる仕組み 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 国宝・鳳凰堂 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高尾・神護寺」 日本三名鐘の形の美本物は宝物館で観られます。【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、【御来迎の図】が画かれ、九壁画に分かれているそうです。平等院の阿弥陀如来像は、【上品上生印相】(じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」「中指」「薬指」と円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」(施無畏・与顔) (せむい・よがん)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土へのランク付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 宇治上神社から宇治川を渡って平等院への橋 魚の供養のための十三重の塔 源氏物語・紫式部の像宇治橋の側に建っています。 宇治橋
2012.06.10
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近畿地方では、昨日「梅雨入り」が宣言されました。久し振りに小雨が降り続いています。あまり、世間で著名でなかったと思われる、古い歴史を残す宇治に【宇治上神社】の方が世界文化遺産に登録されました。直ぐ隣接して、゜宇治神社」が有りますが、戸迷う感じでした。 宇治上神社の鳥居【宇治上神社】(うじかみじんじゃ)日本最古の神社形式(平安・鎌倉時代)世界文化遺産に登録 京都に世界文化遺産に登録17箇所もあと七ヵ所となりました。 宇治橋京阪宇治駅を宇治川に沿って、上に直ぐの所に、「宇治神社」が有ります。 宇治神社 近代的でまさかと思いきや、【さわらびの道】を さわらびの道 更に通り過ぎて、少し坂を登った所に【宇治上神社】が有りました。世界文化遺産と言うことで、訪問しても、実にこじんまりとして、古さだけが目に映ります。 参道の紫陽花の花でも歴史的には貴重な建物【本殿】【拝殿】共に【国宝】に指定されています。 拝殿 清めの砂 上賀茂神社にもありました。 本殿 阿吽の狛犬 祭神が【応仁天皇・仁徳天皇】そして【菟道稚郎子皇子】(うじのわきいらっこ) (応仁天皇の皇子で仁徳天皇の弟)宇治の地名の基とも言われています。父応仁天皇の寵愛を受けていましたが、兄との皇位継承を譲り合い、自殺して兄仁徳天皇を立てたと言われています。珍しく心優しい弟でしたね。宇治上神社の蟇股 ここでの見所は、【日本三蟇股】(かえるまた)【宇治上神社本殿】【上醍醐・薬師寺】(上醍醐ブログに記述)【奥羽中尊寺金色堂】【龍安寺】で由来を記していますが、 日光東照宮の左甚五郎作の有名な【眠り猫】も、蟇股の中で眠っています。裏には鼠が居るとか、要は、木製の建物は、火災から魔除けのために、水に関係する、蟇を飾ったと全国的に採用されています。 宇治の名水 桐原水 もう一つは、【桐原水】(きりはらすい)と言って、「宇治の七名水」の一つとして、未だに、清水が、湧き出ています。【源氏物語】にも関係するようです。 次回は。宇治の平等院に参りましょう。最高の阿弥陀如来さんがお待ちです。
2012.06.09
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上醍醐と雰囲気が、一転して、豪華な建物・庭園がみられます。五七の桐紋の垂れ幕 花見行列の馬場 【醍醐寺2】【下醍醐】豊臣秀吉が【醍醐の花見】として63歳1598年(慶長3年)3月15日北政所ねね・淀君・秀頼同席で秀吉の生涯をしめくくるに相応しい豪華絢爛な宴を催しました。そして其の年の慶長3年8月18日伏見城で逝去、秋には紅葉狩りを考えていた醍醐三宝院の庭園も完成を観ずして終わりました。 国宝 五重の塔【五重の搭】【国宝】京都府内で最も古く、「応仁の乱」から免れました。 国宝 金堂【金堂】【国宝】本尊薬師如来・日光菩薩・月光菩薩鎌倉時代の仏像で何れも【国宝】です。薬師三尊は、前に説明しましたが、日光菩薩は【慈悲】太陽月菩薩(がっこう)は【智慧】冷静な月で薬師如来の脇に仕えてます。 【御影堂】大師堂とも呼ばれ「弘法大師」並びに「開山理源大師」の木像を安置されています【宝聚院】醍醐寺の霊宝舘で、国宝・重要文化財の展示物が多数観られます。勅使門 【醍醐三宝院】1勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、桐・菊・菊・桐の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問するときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。 京都で此処の庭園だけ、写真禁止で、見張り役を置くぐらいでとても残念です。藤戸石・醍醐棚は、Google画像で確かめてみてください。2.表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると「能舞台」になります。中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。3.加茂の三石。川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。4.【藤戸石】(ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも「真正面」に観られます。「三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。5.庭園に「橋」が三種類あります。「石橋」「木橋」「土橋」と変化を表現しています。6.庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな雰囲気の音も聞えます。そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。7.護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が祀られて居ます。前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。藤吉郎時代、ねねの進言で、「功績」を成すにも誰も喜んでくれずだだをこねる主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか、「千成瓢箪」8.【奥宸殿・玉座】正面に「藤戸石」が眺められます。【日本三棚】「醍醐棚」「修学院離宮棚」「桂離宮棚」見所豊富で、桜の咲くころは、訪れる人で満杯となります。京都観光も此処まで訪問できれば最高と思います。次回は宇治へ参りましょう。
2012.06.08
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女人堂 女人堂 真ん中の山の上に観音堂がありました 西国三十三箇所札所で最も巡礼で厳しい山道を登ります。観音堂が、電気関係の事故で全焼今は、下醍醐の女人堂で納経がされています。 【醍醐寺1】真言宗醍醐派総本山 開基 聖宝(しょうほう)後に理源大師世界文化遺産登録真言宗の世界文化遺産が東寺・高山寺・仁和寺そして醍醐寺と四箇所続きました。目立たない観光地ですが、文化遺産には、高度の要素を備えている事が、窺い知れます。醍醐寺は、京都盆地の東山を東に越えて、山科の盆地にあります。 上醍醐と下醍醐に分かれ、上醍醐は、西国三十三ヶ所観音霊場十一番にあり、最も訪れるのに、難所とされています。正面から3.5km往復3時間を要し山道は、険しく、100mごとに石標が一丁目・二丁目・・・と立てられ、息を弾ませて、希望の目安を確かめつつ登り詰めます。要領を知っている者は、宇治の笠取(京都国際カントリークラブへの途中)からですと、山道1kmで同じ目的地に達します。但しタクシー代は高いです。勤務中醍醐寺の表参道の入り口で、昼食の弁当を食していましたら、山形県最上の方が、自家用で来られ、足の悪いおば様が居られるので、誘導して欲しいと頼まれ、自家用の先導で、山道もご一緒して目的地に、ご案内しました。とても表からは無理と思われたのでしょう。その達成感の歓喜を未だに、年賀状が絶えず、懐かしい想い出を残されたのでしょう。 僧侶も同じで、上醍醐【清滝宮拝殿】(せいりゅうぐう)【国宝】の側にある【醍醐水】【あかいの水】について、理源大師が真言布教の霊地を求めてこの地に来られたとき、白髪の老翁が現れ、落ち葉の下に湧き出る泉の水を飲まれ「ああ醍醐味なるかな」と嘆賞されました。大師は、この吉兆に驚喜して寺名も「醍醐寺」とされたとか。苦しみながらも、山道を登り詰めての霊水は、美味なもののようです。【准胝堂】(じゅんていどう)観音霊場。昨年落雷により、全焼、再建まで、下醍醐【女人堂】で納経の扱いをされているようです。消防自動車もすべなく「聖宝」(しょうほう)も嘆いておられることでしょう。【薬師堂】【国宝】くりぬき式の蟇股 【日本三蟇股】宇治上神社本殿・平泉中尊寺金色堂【五大堂】本尊「五大明王」【五大力さん】大きい鏡餅を持ち上げる競技ですが、現在は、下醍醐で行なわれています。【如意輪堂】豊臣秀頼が建立しました。【開山堂】理源大師聖宝の像が安置されています。一般には、目的が無ければ、山岳の聖地を訪れるのは、至難な事のようです。次回は、下醍醐・醍醐三宝院の庭園にご一諸しましょう。
2012.06.07
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7時10分金星が太陽を横切り開始しました。午後1時すぎまで天体ショーが観られそうです。 【仏像のセット形式】 ゼスチアーで、【仏】を無言で表現するには、「右手」を上にかざし、「左手」は膝前に、手の平を開けた姿で、直ぐ解かりますね。奈良の大仏さんを想像して見て下さい。昨日ご紹介した「故西村公朝和尚さん」の著書「祈りの造形」は、初めて仏像に接するに優しく判り易く書かれています。其の中に書かれています 【施無畏・与願】(せむい・よがん)の形と称し、「右手」をかざして居られるのは、「不安・悩み等の畏れを取り除く、恵みを施しましょうの仏の意向と考えられ、一方「左手」は、お願いすれば、与えましょうの意向の姿と考えられます。 人間自由意志があり、「求めよさらば開かれん」とも言われ、寺社への参拝は、その現れにあるようです。ご家庭の仏壇の仏さんを見ていただくと殆どがその形のようです。 奈良の法隆寺の金堂に【三世三仏】の思想が有ります。南正面に本尊の釈迦如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【現在】釈迦尼仏東に薬師如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【過去】薬師瑠璃光仏西に阿弥陀如来三尊 来迎の如来(らいごう) 【未来】阿弥陀仏人は、太陽の出る東方浄瑠璃世界から送り出され、現在釈迦の教えに基づき、太陽の沈む、西方極楽浄土に迎えられる三世の思想の表現とされているようです。 ここでお釈迦さん・阿弥陀さんそしてお薬師さんの主だった仏像の見分けたが、興味あります。 皆様、両手の指を開いてみてください。その形がお釈迦さんです。そして親指と小指を交えて下さい。それが阿弥陀さんです。 次に左手薬指だけ曲げて下さい、それがお薬師さんのかたちで右手に薬壷を持っておられることが多いです。 但し、阿弥陀さんの場合は、親指と小指以外に他の指と交えた仏像がたまにあります。平等院のとき詳細を述べます。 次に仏像単独だけでなく、セットの法則のようなものを見受けます。【脇侍の教え】(きょうじのおしえ)釈迦三尊の場合【智恵の文殊】(左)【慈悲の普賢】(右)阿弥陀三尊 【慈悲の観音】(左)【智恵と意志の勢至】(右)薬師三尊 【暖かい光の日光】(左)【冷たい冷静な智恵の月光】【釈迦如来の眷属】文殊菩薩・普賢菩薩 十大弟子 【涅槃図】(ねはんず)【阿弥陀如来の眷属】観音菩薩・勢至菩薩 二十五菩薩 【御来迎の図】(ごらいごうのず)【薬師如来の眷属】日光菩薩・月光菩薩(がっこう) 十二神将【観音菩薩の眷属】二十八部衆 東京博物館で一大人気になった【阿修羅像】(奈良・興福寺所蔵)も含まれます。既に、ご招介しました【清水寺】そして何れ記します、【三十三間堂】で観られます。次回は、「真言宗」の「醍醐寺」豊臣秀吉の花見の行列で有名です。ご案内したいです。
2012.06.06
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仏像については、お寺さんで、殆どが撮影禁止で、許可なくしては撮れません。従って皆様方には、Google画像で検索していただくと観られますので、参考にして下さい。 【仏像の種類】 京都・奈良の観光も、景勝地・史跡を訪ねることも多くありますが、寺院が多く、従って【仏像の豆知識】は知って置かれると、観光の興味が倍加することでしょう。仏像は、経典により考え出されたもので、釈尊入滅後後200~300年後造りだされました。種類分けも、悟りの高い仏様から順次表現されています。判り易い様に、会社組織で表してみました。 【如来】(会長) 大日如来(真言密教の根本仏) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)奈良東大寺の大仏、唐招提寺の本尊 【如来】(社長) 薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒(唐招提寺)阿しゅく(あしゅく)・宝生(ほうしょう)不空成就(ふくうじょうじゅ)(東寺密教) 【菩薩】(専務・常務)日光・月光 文殊・普賢・観音・勢至 弥勒・虚空蔵・地蔵 金剛宝・金剛薩睡(こんごうさった)・金剛業・金剛宝(東寺密教)【六観音】 聖(しょう)観音・十一面・千手・准提(じゅんてい)・馬頭(ばとう) 如意輪(にょいりん) 天台宗以外 不空羂索(ふくうけんじゃく) 【明王】(部長) 不動・愛染・孔雀・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ) 【天部】(課長) 梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)金剛力士(仁王)・風神・雷神四天王(持国・増長・広目・多門)・十二神将・二十八部衆(観音を護る)吉祥天(毘沙門天と夫婦)・弁才天(梵天と夫婦)・聖天・鬼母神(きしもじん)技芸天(奈良秋篠寺)大黒天・韋駄天・毘沙門天・執金剛神(三月堂) 【羅漢】(らかん)(係長)釈迦の十大弟子・十六羅漢・五百羅漢・維摩居士(ゆいまこじ)・無着・世親空也・聖徳太子・弘法大師・伝教大師・法然上人・親鸞上人・日蓮上人達磨大師・祖師・高僧 【一般の人間】(平社員)
2012.06.05
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6月3日京都市西京区、小畑川中央公園で京都市ゲートボール連合主催の京都市長杯の大会が開催され、役を果たしてきました。小畑川中央公園内の植木 大会の様子 以前、長岡京の、呪われた都として、僅か10年の都とご紹介しましたが、その洪水・水害・疫病の元と成った、【小畑川】の様子の現在を写してみました。 現在の小畑川です。 その上流に、ゲートボールの出来る小畑川中央公園が存在しています。
2012.06.04
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昨日は朝早くから、ゲートボール京都市大会で、終日PCに向けられませんでした。 世界文化遺産の真言宗の三個寺目です。 春に撮った写真です 【東寺】【教王護国寺】東寺真言宗 開基空海(弘法大師) 世界文化遺産登録 その土地で、1個の【国宝】が有れば、有名になり、誇りを持ちます。此処東寺だけで、建物・仏像・曼荼羅(まんだら)の絵画・書等50点余有り、何だか麻痺しそうで、有り難味が薄れる感じです。京都には、恵まれ過ぎかも知れません。中でも【東寺の五重の搭】【国宝】は、新幹線等で、「京都駅」に降りられたとき、京都の街の「南西」に京都のシンボルとしても建っています。高さ57mは「日本一高い塔」といわれています。三代将軍徳川家光が再建しました。お坊さんに教えてもらったので、解かったのですが、塔の下層の軒四方に、「邪鬼」が軒を支えるように、踏ん張っていました。よく仏像で、「邪鬼」を踏みつけているように見られますが、実は言う仏を支えていると風にも採れる事が教えられました。訪問されたら是非よく見てやってください。 邪気が軒を踏ん張ってささえています。あまりはっきりうつりませんでした。Googleの【画像】で東寺の邪気で検索してみてください。修学旅行生が、「おじさん、ジャッキーの役目しているのですね。」とジョウクを飛ばしていました。 「平安京」が誕生した頃は、東寺の西に【羅城門】(らじょうもん)があり、都の中心【大内裏】(だいたいり)から「朱雀大路」の南端にありました、そして更に、「羅城門」を挟んで、西に「西寺」がありました。今は広い公園に、「西寺跡地」として石碑が建っています。だから京都の中心は、京都駅前の「烏丸通り」(からすまとおり)延長に京都御苑があります。ではなく東に移動しているようです。 薬師如来の祀られる金堂 【金堂】建物が【国宝】です。豊臣秀頼により落慶しました。堂内に入りますとわが国最大の薬師如来のセットが祀られて居ます。真ん中に【薬師如来像】そして仏側から見て「左」に【日光菩薩】(にっこう)「右」に【月光菩薩】(がっこう)そして薬師如来の周りに【十二神将】が観られます。「左の日光菩薩が上位」 多くの国宝の仏像が配置された講堂 【講堂】建物は(重要文化財) 学僧の学問所で立体曼荼羅(密教浄土の世界)を学ばれる場所でもあります。 現在学校の講堂は、ここから名が生まれたのでしょう。 仏像が21体の内国宝が15体有り、実に壮観です。中央に【大日如来】を中心に【如来群】がそして、仏から見て「左」に【菩薩群】そして「右」に【明王群】が祀られて居ます。「菩薩が上位は確たるものです。【四天王】四隅に夫々、「邪鬼」が踏ん張っています。これも修学旅行生に覚え方を教えてくれました。「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」じ・ぞう・こう・た(お地蔵さんを買った)と覚えおじさんの好きな麻雀の「とん・なん・しゃ・ぺ」東南西北に当てはめればよい。と 夫々の担当守護方面に成ります。【明王】は、大日如来の化身と言われ、怖い形相は、世の中で、幾ら仏法を説いても頑固で聞き分けの無い衆生も居るので、そういう者を強化するためとも言われています。【梵天】(ぼんてん)(宇宙を司る)ガルダ鳥に跨り【帝釈天】(たいしゃくてん)(太陽を司る)象に乗っています 弘法大師が祭られた大師堂【大師堂】(だいしどう)建物【国宝】弘法大師の宿坊。「不動明王秘仏」が祀られ、弘法大師の命日に当たる21日に毎月「弘法さん」として庶民に親しまれ、市が立ち縁日として大勢の人で賑わっています。 京都並びに奈良の観光で、仏像のことを知って置かれると、とても観光の興味が倍化します。 宝物館宝物館内に、ミニ五重塔が飾られています。京都に併せて五箇所にあることになります。仁和寺・八坂・醍醐・東寺に二つ。次回仏像の種類について、少し,ご紹介したいです。「東寺」その意味で貴重な文化を知る機会と存じます。
2012.06.04
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今にも雨がふりそうな朝です。このところまとまった雨が振りません。真言宗の二箇所目です。 常に弘法大師さんの大師堂があります。 【高山寺】(栂尾高山寺)(とがのお・こうざんじ)真言宗 開基 明恵(みょうえ) 世界文化遺産に登録 過日、世界遺産でペルーの【マチュビチュ遺跡】で豪雨のため邦人595人が取り残されられたニュースが有りました。世界遺産と言うことで、海外まで出向かれる魅力が有るのでしょうね。京都だけで、17箇所有ります、魅力の有る無しに拘わらず、先ず御紹介して参りたいと思います。辛抱してお付き合い願います。 臨済宗(禅宗の一派)が続きました。池泉回遊式庭園・枯山水の庭園が評価されたのでしょうか、いずれにしても、何処の臨済宗の寺院は、手入れが、【修行】の一つとなって、心が清く洗われそうで、清々しい気持ちで訪問できました。 今回、【真言宗】は、弘法大師の説かれた宗派で、【高野山】が大本山に成っています。 【高雄】は、京都では、紅葉の名所で、其の周辺に【槇尾】(まきのお)【栂尾】(とがのお)と紅葉が美しく、【三尾】(さんび)と言われています。その最も奥に高山寺が有ります。大きい駐車場から、急な山道を登り詰めた所に、お寺の玄関口に辿り着きます。廊下伝いに暫し歩みますと、国宝【石水院】(せきすいいん)があり、廊下には、影絵の様な形で【蟇股】(かえるまた)のシルエットがとても芸術的に美しいです。本間で坐って外の景色も、山が見え、紅葉は一段と美しいです。額には、「日の出先ず高山寺を照らす」と漢文で書かれています。床の間には、国宝【明恵上人の樹の上で座禅姿】の屏風が飾られています。又、本間の横に、国宝【鳥獣人物戯画】全4巻の写しが置かれ、蛙と猿が人物的表現で戯れている図で、愉快に成ってきます。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の筆と言うことです。 この様に【国宝級】が3個あるだけでも、寺の建物は小さくても、文化的価値は、高いと、思われます。京都検定1級の試験に出題されました。又本間に運慶作の可愛い「子犬の像」が何とも微笑ましくお客様を迎えています。 外に出ると、日本最古の茶園が狭いですが、存在し「明恵上人」が「栄西禅師」から、中国から持ち帰った茶の種を贈られ。馬の歩む足跡に従って植えることを教えられました。 宇治の「黄檗山万福寺」にも門前に有ります。 再び、大駐車場から道路を奥に進めますと、直ぐのところから、有名な【北山杉】の植林地が広く広がっています。一幅の絵にも成ります。 皇太子殿下・妃殿下もご訪問為されました。
2012.06.03
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昨日は、28.5度と蒸し暑かったです。8週間置きの国立病院への通院で、半日がかりで、かなり疲れました。本日より、世界文化遺産も【真言宗】をご紹介します。【仁和寺】真言宗御室派総本山 開基 宇多法皇 世界文化遺産に登録 当初訪問しました、「龍安寺」の隣接した場所に有ります。従って宇多法皇が「夏でも雪景色を見たい」「衣笠山」も近くに望めます。正門には「仁王さん」が逞しく「阿吽」(あうん)の形相で睨んでおられます。仁王門から【国宝・金堂】その背景大内山を望む 阿吽(あうん)の仁王さま仁王門から、正面に大内山を背景に国宝【金堂】が佇み、京都御所から移された、「紫宸殿」で「現存する最古の建物」とされています。 仁和寺は、888年(仁和4年)年号と同じは、比叡山の「延暦寺」も同様です。この辺りでは、タイムカプセルのように、いにしえの御所の雰囲気で満ちています。本尊は阿弥陀如来そして、「脇侍」(きょうじ)には、観音菩薩・勢至菩薩が祀られて居ます。同じ阿弥陀三尊も、「霊宝館」には、国宝の仏像が有り、常時拝観出来るようです。国宝・金堂 手前には、「五重の搭」があり、春の遅咲きで有名な、御室の桜園が有ります。 五重塔 見所は、仁王門を入って左手に【仁和寺御殿】があり、二条城二の丸御殿と同じく、ボタンを各部屋で押すと、説明が聴けます。1.【本坊表玄関】玄関前の庭には、大きい這い松がみごとです。 仁和寺御殿入口の這い松仲に入ると「御室流の生け花」が見事です。側に孔雀明王の掛け軸が掛けられ、香のかおりが落ち着きを覚えます。 白書院の前庭白砂正面・勅使門 右手に仁王門2.【白書院】四季の襖絵が画かれ、廊下から白砂の向かいに「勅使門」「仁王門」を眺めると雄大さを感じとられます。 宸殿3.【宸殿】前には、「左近の桜」「右近の橘」が備わっています。 五重塔を取り入れた庭園4.【宸殿の北側】に廻りますと、五重の搭が借景で心和む庭園の池にめぐり合えます。 池を取り入れた庭園庭園要素「天龍寺の曹源池」と同じく、瀧は水が流れ、無「鶴島」「亀島」そして石橋が整っていました。部屋の襖絵は、大和絵・春の桜・夏の加茂の祭り・秋の嵐山の「三船祭りの絵」冬の交野(かたの)(大阪)鷹狩り 宇多法皇の居室5.【上段の間】宇多法皇の居室で、最も要と成るお部屋です。此処からの庭園の眺めは最高です。天井は貴賓の方が居られる「格天井」で、螺鈿(らでん)細工の床。違い棚付書院が有ります。 霊明殿への廊下6.【霊明殿】近衛文麿公の額・秘仏薬師如来が祀られ、此処からの高台からの眺めも素晴しいです。7.【黒書院】堂本印象の襖絵。「リス」等動物の存在が可愛いです。
2012.06.02
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本日より6月に入りました。一週間予報でも、雨マークがありません。降るとゲリラ的でこまったものです。アクセス88,888に対し応援のコメント戴き感謝です。特に【たがめ48さん】は88,889だったそうです。世界文化遺産で臨済宗のお寺4個目です。さすがと思います。 嵐山・渡月橋 【天龍寺】臨済宗天龍寺派本山 世界文化遺産に登録 開基 夢窓疎石 五山第1位庭園 特別名勝・特別史跡(国宝第1号の庭園) 世界文化遺産の御紹介も清水寺・金閣寺・銀閣寺・西芳寺・そして龍安寺まだまだ観尽くせませんね。 清水寺を除き、あと4個寺は、臨済宗の掃き清めた寺院が選ばれています。 嵐山渡月橋から「美空ひばり館」の前を経て、天龍寺に着きます。 【足利尊氏】が南北朝の戦で、吉野で崩御された【後醍醐天皇】の菩提を弔うために、開山【夢窓疎石】を迎えて建立されました。この地は、元々後醍醐天皇のご幼少の頃の学問所で御霊の安らぎを考えての尊氏の配慮と想いが有ったものと考えられます。 建設資金捻出のために、途絶えていました中国「元」との貿易を再開し【天龍寺船】を往来して経済や文化の輸入にも貢献しました。私たちの高齢の歴史観では、天皇に背いた逆賊の謀反者と教わり、神戸湊川神社では、「ああ・忠臣楠氏の墓」と「楠正成」を謳歌してまいりました。でも京都でのお寺の遺される事で、又の日に述べさせていただきます【等持院】は、尊氏一族「足利」の菩提寺で、「寺」と「院」では寺格が違い、尊氏の思い遣り、一歩引く謙虚さが、見えるように思えるのです。順路として「山門」から静かな敷地を歩み、心を静めます。1.【法堂】(はつとう)は選仏堂(座禅堂)ともいわれ、正面から覗きますと【釈迦・文殊・普賢三尊】と天井に【雲龍図】「加山又造画」が描かれています。 法堂2.受付でパンフレットを見ますと表紙の庫裏の写真で、庫裏の実物を見上げながら、龍安寺でご説明させてもらった「懸魚」「蟇股」が大きく見られます。そして「三尊石」も在ります。 庫裏3.【方丈】白砂と苔の境界線で、「心字」が画かれています。屋根瓦の端には「天龍寺」の文字が設けられています。 方丈4.【曹源池】日本で最初の庭園形式に基づいて、夢窓疎石が作庭した素晴しい庭園で、嵐山愛宕山を借景して、更にスケールが大きく感じます。正面に枯山水「瀧」をそして「三尊石」日本最古の「石橋」周りに「鶴島」「亀島」そして「船石」と庭園の要素を採りいれています。 嵐山を借景した曹源池 国宝第1号の庭園 愛宕山を借景 正面・三尊石と石橋5.「亀島」から道なりに進むと池にそそぐ「遣り水」(やりみず)が【曲水の宴】形式になっています。 亀島の石組み6.【多宝塔】後醍醐天皇の尊像を安置、紫宸殿形式で、左近の紅梅・右近の白梅が備わり、 多宝塔その前庭の苔に包まれた小高い位置に後醍醐天皇の菩提塚が古びて立っています。 菩提塚 境内から一歩出たところ、大河内山荘への道には竹林が映えます。孟宗竹の竹林
2012.06.01
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