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11月も本日限り、選挙戦の前触れが乱立で、真に日本の危機に応えられる、実行可能な政党が選ばれるべきと思います。 本日は弘法大師さんが清滝川上流で、神護寺を創建され、嵯峨天皇(桓武天皇の皇子)と深い都造りの相談者でもあり、此処嵯峨野を歩かれ、風葬の亡骸を鄭重に埋葬に心されたと思います。 【嵯峨野巡り9】 嵯峨野を【寂】と選ばれた作家としての「寂聴」さん。正にその一言に尽きると思います。法名の名付け親は、同じく作家で天台宗の僧で【今 東光師匠】でした。 【寂庵】を後にして、先ほどの「石仏の三叉路に戻り、散策道を北へ、其処には「化野念仏寺」が有りました。 【化野念仏寺】(あだしののねんぶつじ) 浄土宗 開基 弘法大師 山号 華西山(かさいざん) 参道 受付を入りますと、石仏の群れが一杯に拡がる光景に、驚きを隠せません。 十三塔の前のお釈迦さん「十三搭の前に、「お釈迦さん」が坐り、周りを群れとして石仏が中央に向けて配置されていました。「寂聴」さんの「嵯峨野散策」の本に、お釈迦様が皆様に、お説教されている姿の様に見られます。と記されていました。今は亡き霊が、仏の慈悲で守護され憩うて居られる様にも感じられました。 西院の河原お客様からよく質問を受けます。「石仏は幾つ位ありますか?」毎年お盆の終わり頃の、8月23・24日には、【千灯供養】としてローソクをお供えする行事が有ります。千は数の多いことを意味し、毎年増えつつあるようです。 寺伝によりますと、「二尊院」から「念仏寺」に掛けてこの当たりを「化野」(あだしの)と呼ばれていました。約1,100年前「弘法大師」が「五智山如来寺」を開創され、野晒しと成っていました遺骸を鄭重に弔い埋葬されたと伝えられ、その後「法然上人」の常念仏道場として、「華西山 東漸院念仏寺」(かさいざん・とうぜんいんねんぶつじ)を建てられて、浄土宗とされたそうです。本尊・阿弥陀如来 浄土宗として、本尊は、西方浄土から東向きで【阿弥陀如来坐像】(湛慶作)が祀られて居ます。受付に至る石段参道の側に、かなり彫が見にくくなった「釈迦如来・阿弥陀如来の石仏も鎌倉時代の作とされています。 本堂前の地蔵菩薩堂の中を覗きますと、正面の両側に、極楽図と地獄図が画かれていました。【西院の河原】(さいのかわら) 「空也上人」御作【地蔵和賛】にあの世で嬰児(みどりご)が河原の石をとり回向(えこう)の塔を積み重ねます。「一重積んでは父のため、二重積んでは母のためと・・・」やっと少し積み上げると、鬼が来て潰す姿が思い遣られます、罪も功も無き幼子の死界を、この世で回向の大切さを説かれているやに思われました。石仏群の囲いには、多くの「石積み」の形が訪れる人の真心が微笑ましい形で一杯見渡せます。 京の都には、東山清水寺の附近に【鳥辺野】そして船岡山の麓北区千本十二坊に「上品蓮台寺」がありますが其のあたりを【蓮台野】と言います。【化野】と三箇所の亡骸の風葬の場所でした。 本堂より、少し奥に行ったところに、【水子地蔵尊】が祀られていました。多くのお参りの「千羽鶴」や「お人形」等が飾られていました。親の姿もこの世で見ずして、あの世に悲しい現実です。 孟宗竹 更に「孟宗竹籔」を越えますと、墓地がありその入り口には、六体のお地蔵さんが立ち、夫々「六道」の担当で持ち物が変わっていました。常にお地蔵さんが側に付いていて下さっている様です。 古語「あだし」は「悲しい」・「悲しみ」と言う意味から「あだしなる野辺」が「化野」と言われる様になりました。「無情」を端的に表現、「嵯峨野」の風情の一部とも考えられます。 紅葉時の境内 次回はいよいよ嵯峨野巡りの終着点、【愛宕寺念仏寺】(おたぎじねんぶつじ)へと進みます。
2012.11.30
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11月もあと僅か、今年も1か月になりました。北海道の停電復旧はまだです。気掛かりでなりません。平家物語と嵯峨野は深い関係の、遺跡でもあります。 人間関係がままならなかつたのですね。【嵯峨野巡り7】 「祇王寺」のご感想は如何でしたでしょうか?苔の庭を一周するだけでも、大自然の美しさと侘びしさを感じとる事が出来ます。白拍子の「祇王さん」の華やかさの影に世の無情を身を以って体験され、心の癒しに、仏道に出家され、此処「嵯峨野」の静かな地で、漸く人間の尊厳を会得されたのではないでしょうか。【平家物語】「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無情の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者(じょうしゃ)必衰の理(ひつすいのり)を顕わす(あらわす)。奢(おご)れる者久しからず。ただ春の夜の夢の如し、猛(たけ)き人も遂に滅びぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ琵琶法師の語りが深々と聞えそうです。 祇王寺に隣接した滝口寺の門【滝口寺】 (たきぐちてら)浄土宗 開基 良鎮 山号 小倉山 「祇王寺」の出入り口から、少し山手に隣接して、「滝口寺」が有ります。ここもお寺とは言え、庭先のこじんまりした部屋に訪れるだけですが、「平家物語」「重盛高野の巻」に登場する、平重盛の家臣【滝口入道時頼】と「建礼門院」に仕えた侍女【横笛】の悲恋の舞台となった場所でも有ります語り部とし、縁先で訪れる人ごとに、無表情で滔々と語られたお婆さんも、この世から、浄土に召されました。同じ事柄を終日多くの人々に述べられたご労苦は察するに余りありました。【物語】 清盛の西八条殿での「花見の宴」に於いて、「建礼門院」侍女「横笛」の「舞い姿」を、重盛の侍「斎藤滝口時頼」が繁々と見て、ひと目惚れして恋しく想う様になり、恋文を送る様になりました。ところが時頼の父がこのことを知るや「お前は名門の身にして、将来平家一門に入る身上でありながら、横笛ごときを想い染めるとは」と激しく叱られました。 時頼は、主君の信頼に背いて恋に迷う自責から「これこそ仏道に入る為の仏の尊い導き」と決心して、此処嵯峨野の【往生院】で出家し、名を【滝口入道】と改めました。 【横笛】は、都で「滝口入道」が出家したということを伝え聞いて恨めしく思い、自分の恋心を持って居ることを打ち明けたいと、都から嵯峨野の往生院を探し求めて辿り着いた時はもう日も暮れて、夕闇の迫るころでした。荒んだ僧坊から念仏の唱える声が聞えました。心をときめかして、滝口入道の声と聞き澄まして、真の恋心を打ち明けたく女の身で訪れたことを告げてみると、裾は露で濡れ、袖は涙でぬれ、痩せこけた顔付きは、本心で求め尋ねてきた様子は、誰しも抱き閉めてやりたい気になるも、仏道に仕える者として心を鬼にして、同宿の僧を遣わし「全く此処にはそのような人は居りません、何かの間違いではないでしょうか」と言わせました。襖の陰で涙しながら 「横笛」は、悲壮な悲しみで帰る時「眞の心を伝えたく」庭の近くに有った石に歌を「血染め」で書いて帰りました。 「山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我れを導け」 そして保津川に身を投じたという説もあります。 「滝口入道」は、未練が残ったまま別れた「横笛」に住まいを見つけられたからには、修行の妨げと思い【高野山】に移りました。これを知った「横笛」もその後直ちに、奈良の【法華痔】で尼に出家しました。現在本堂に紙製の小さな「横笛像」並びに「横笛堂」があるとのことです。 「法華寺」で尼に成ったと聞いた「滝口入道」は、一首の歌を「横笛」に送りました。 「そるまでは 恨みしかも 梓弓(あずさゆみ) まことの道に 入るぞ嬉しき」 「横笛」やっと心の通じた「歓喜」と「幸せ」をかみ締めて、返しの歌 「そるとても 何か恨みむ 梓弓 引きとどむべき 心ならねば」* 【あずさゆみ】神事に使う弓ですが、詩の「枕詞」として「春」(張る)に掛け、心の春をイメージしているようです。 「横笛」は、仏道を全う出来た心の安らぎのまま、間もなく法華寺で亡くなりました。これを聞いた「滝口入道」も仏道修行を積み【高野の聖(ひじり)】といわれる高僧に成られたと言う事す。【本堂】滝口入道・横笛の木像鎌倉後期の作で眼が水晶(玉眼)竹薮に平家の供養等が建っていす。【小松堂】平重盛を祀る【横笛歌碑】参道の庭にあり、横笛が指を切って「血染め」で、歌を書いて帰ったと言う石碑嵯峨野の雰囲気は、文学で女性の悲話を以って語られています。現代人としてその昔を偲びつつ訪れるのも自然にも触れ、祈りの気持ちにもさせてくれるようです。 次回は化野の念仏寺を訪れたいです。
2012.11.29
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突然の大雪で、広範囲に停電騒動、酷寒の生活に暖房も取れず健康状態がとても心配されます。今更、電気の必需性を感じる文明社会になったものです。嵯峨野の人気は高く、その嵐山にマイカーの方は、市内より2時間掛ったということです。そして駐車場が満杯で身動きも出来ない状態だったそうです。電車利用がのぞましいです。 【嵯峨野巡り6】【祇王寺】 (ぎおうじ)真言宗大覚寺派 開基 祇王尊尼 山号 高松山祇王寺 本堂入口萱葺の門孟宗竹苔庭手水鉢 「嵯峨野巡り」の中心的叙情に溢れた観光が味わえると存じます。「平清盛」の寵愛を失い、余生を尼になって過ごしたと伝えられる「平家物語」に名高い白拍子(しらびょうし)「祇王」にゆかりの寺です。此処にも女性の哀話が話題と成ります。 平家全盛の頃。都に「平清盛」の寵愛を受けた白拍子「祇王」と妹「祇女」が仕えていました。後日加賀の国の「仏御前」が清盛の屋敷に、白拍子として出仕方申し出ましたが、清盛は「祇王には適うまい」と門前払いを受けました。心の優しい祇王は清盛に取り成して。「一度舞いを観られては」と取り成し受け入れられました。 「今様の歌」七・五調の宮廷の舞の歌で 「君を始めて 見る折は 千代も暦(へ)ぬべし 姫小松 御前の池なる 亀岡に 鶴こそ群(むれ)いて 遊ぶめれ」 (大原寂光院の池) 繰り返し三度歌ったが声も筋もすこぶる上手で、清盛の幼児の頃母御から聞いた懐かしい歌に清盛は、涙してたちまち心を「仏御前」に移したと言います。 清盛の館から追い出される「祇王」は、せめての忘れ片身にと、障子に書き残されました。 庭園の片隅に石碑として建っています。萌えいずるもの歌碑 「萌えいずるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわではつべき」 草木が芽を出し初々しく萌え出るのも、枯れてしまうのも、同じ野辺の草(自分たちのこと)の宿命。そして秋が来ると、哀れにも姿を消していく、そうした同じ道を辿るものです。 あくる春清盛より祇王に、「仏御前が退屈しているから、舞を舞うて慰めてくれぬか」と使者をよこすも、あまりの屈辱に祇王は行く気は無かったのですが、清盛の権勢と母「刀自」(とじ)の哀願に抗し切れず,館に赴き歌いました。 「仏もむかしは 凡夫(ぼんぷ)なり われらも遂には 仏なり いずれも仏性 具せる身を 隔(へ)つるのみこそ 悲しけれ」 並み居る諸臣も、祇王の心を察して、涙を絞ったと言う事です。「祇王」は母と妹を伴って、此処嵯峨野に身を寄せ、「仏門」に入られました。暫し年を経て、母子三人が念仏している所へ、竹で編んだ網戸を静かに叩く音がしました。以外や「仏御前」でした。 あれほどの仕打ちを受けたにも拘わらず、祇王も今は仏に仕える身と、心を赦して優しく迎え容れられました。 寺とは名ばかり、こじんまりした苔の庭園の側に二部屋の本堂があるだけです。昔は祇王桜が有りましたが、枯れて今は見られません、秋には、紅葉の葉っぱが苔に散らばり、彩なす光景は心癒されます。訪れられれば、必ず、履物を脱いで、「本堂」に上がって下さい。ボタンを押すと、上記のお話しが、流れます。そしてもう一つ、別室から観られる「虹の窓」を鑑賞してみて下さい。篠竹を斜めに交差した外側に「孟宗竹」が縦に構え、障子を閉めると篠竹から「虹」が写る趣向になっています。 虹の窓本堂の側に親子三人の墓があり、嵯峨野で静かに揃って憩うて居るようです。世の無情から解き話された様に 祇王・祇女そして母刀自の墓 次回は、【滝口寺】が隣接して居ます。同じく女性の哀話が潜んでいます。
2012.11.28
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昨日は、一日中冷たい雨がふりつづきました。本日は曇りがちで、晴れ間が少し見える、晩秋を感じます。 【嵯峨野巡り5】 【二尊院】天台宗山門派 開基 円仁(慈覚大師) 山号 小倉山 嵯峨野は、文学にも各所に足跡が有ります。短歌・俳句・古書等に耽るのに最も良き環境でも有るようです。「去来の小さき墓」に一礼して、更に歩を進めますと、伏見城から移したと言う、総門に辿り着きます。瓦の端には、豊臣秀吉の「五七の桐の紋」が見られます。此処が、「二尊院」の入り口となっています。 伏見城から移築された総門 何故、「二尊」と言いますと、本尊が「釈迦如来」「阿弥陀如来」と如来が二体揃うのは、大変珍しい事で、実際本堂で、仏像を拝しますと、立ち姿で全く同形に見えます。よくクイズで違いを探すような感じです。ならば何処が違うのでしょうか?以前仏像の見方で説明させていただきました様に「手先の指」がお釈迦さんは、手の平を広げ指も揃えて全て伸ばしておられます。一方阿弥陀さんは、此処では、親指と人差し指を丸く結んで居られます。 以前は、仏像の前まで入れましたが、今は観られなくなっていました。でも確かめたいですね。 発遣(はっけん)の釈迦如来はこの世で一切の衆生の往生を勧め、来迎の阿弥陀如来は、彼の浄土に迎えられる。即ち「勧める仏」と「招く仏」とで漏れなく衆生を救済しょうとする仏の悲願から、此処に二体祀られて居ます。 【小倉百人一首】の発祥の地とも言われ、本堂の横には、古式のカルタが販売されています。【時雨亭跡】「常寂光寺」と同様に、小山に登り詰めた処に「藤原定家」の「山荘」である「時雨亭跡」の石碑が建てられて居ました。 参道 参道も「紅葉の名所」で、百人一首では、その美しさを表現する歌が読まれています。 「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば いまひとたびの みゆき 待たなん」貞信公 藤原忠平 小倉山の峰に彩なすもみじ葉よ、もしそなたに心があるならば、このまま、そっと散らないで、もう一度の天皇の行幸を待つておくれ。(紅葉のあまりの美しさを強調された歌) 「宇多法皇」が始め大井川行幸として、訪れておられました。 わが子「醍醐天皇」に見てもらいたい意と考えられます。【厭離庵】(えんりあん) 「二尊院」から本通りに出て右手少し行きますと、北側に有ります。日頃、非公開ですが、紅葉のシーズンには、特別拝観出来るようです。外の喧騒から、別天地の様に静かな雰囲気を味わう事が出来ます。 入口玄関庭園への門居間中心山荘の跡地本堂 苔生す庭園愛宕水の湧く泉懸崖上の茶室茶室への路地 懸崖の上に「茶室」を構え、愛宕水の名水で、一幅のお茶は、何とも言えない美味です。「中心山荘の跡地」も有りました。 嵯峨野は、時雨時が多く、こうした文化も発祥したのでしょうね。 作家も良く来られて、文章を綴られるそうです。昔、静かにお話を伺い、お逢いした年取られた「庵住さん」も今は、この世から浄土へ召されました。時の流れを切なく感じました。 次回は、いよいよ本番【祇王寺】です。【嵯峨野の中心的訪問地】と心得ます。誰しも心の打たれるところ存じます。
2012.11.27
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今朝の京都は、朝から雨が降っています。此処10日ほど、今年の京都のもみじの名所を更新してきましたが如何だったでしょうか、早くから冷えた気候だったためか、例年より美しい紅葉を見せてくれました。 本日は、貧しさの中でも芭蕉の十大弟子のひとり「向井去来」の棲家「落柿舎」が嵯峨野の風情にぴったりで、田園風景と共にご案内します。 落柿舎【嵯峨野巡り4】 「常寂光寺」の門を後にして、直ぐの所に、のどかな嵯峨野を連想する広い畑に至ります。写真に撮られるには、畑の手前から、彼方にひそかに佇む、【落柿舎】(らくししゃ)は、一幅の絵に成ります。 田園風景【落柿舎】は、松尾芭蕉門下十哲の一人【向井去来】(むかいきょらい)が閑居した、極めて貧しそうな藁葺きの田舎風の一軒屋で、蓑笠が掛っているのが、印象的です。庭の片隅には 「柿ぬしや 木ずえは近き あらしやま」と記された「句碑」が立っています。 そもそも「落柿舎」の名の由来は、 去来が貧しい生活で稗飯(ひえめし)を食していました。ある年の秋に、庭の柿が豊かに実ったので、売買が商人との間で纏りました。「よし久方振りに、白い飯が食べられるぞ」と夢を膨らませて一夜を過ごしました。ところが夜半から嵐が吹きまくり、柿の実が全て落下していて商談は、不成立と成ってしまいました。「1升升は1升升だな」と観念して「落柿舎」と名付けたそうです。無念の句碑が、嵐と嵐山に懸けている気持ちがよく理解できます。 更に歩を進めますと、右手の墓地と句碑に立ち寄りますと、【去来の墓】がありました。 去来の墓 犬・猫の墓の様な、三角形の小さな自然石が置かれていました。石には「去来の墓」と書かれていました。その直ぐ横に、句碑が並んでいますその中に【虚子】の句碑を見付けました。 「おおよそ天下に 去来ほどの 小さき墓に 詣でけり」 虚子の歌碑 広い一帯は多くの歌碑で囲まれています。その一つです。 実は、左京区【真如堂】内の塔頭に、「向井去来」の菩提寺が 実は、左京区【真如堂】内の塔頭に、「向井去来」の菩提寺が 有り、そこには立派な墓があるそうですが、嵯峨野の居心地も、まんざらと未だにひそかに眠っているようです。 次回は、小倉山百人一首の基地であるとされる【二尊院】を尋ねたいです。
2012.11.26
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今年の京都の紅葉は何処も綺麗で人出が多いです。本日は、法然上人さんのゆかりの寺院【くろ谷・金戒光明寺】紫雲の庭園のもみじをご紹介致します。 この時期に特別拝観されています。紫雲の庭は、法然上人を祀る御影堂に面する場所で、池泉回遊式に散策鑑賞できます。 東福寺から始まって、東山方面の一角の紅葉狩りでした。
2012.11.25
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清水寺に2年ぶりに、もう歩くのは無理と思いつつ、新装なった【子安の塔】を確かめるために訪問しました。紅葉も壮大でした。もみじと清水の舞台タクシーは、近所までは車の大渋滞で近寄れず、下から歩きました。三重塔 本坊【成就院】玄関前の池特別公開してラッキーと思いきや、庭園撮影禁止と受付で掲示またもあきらめました成就院の玄関 成就院玄関前で寛ぐ若者たち 和服姿の女性この辺りは、人影が少ないです 三重塔 清水の舞台から 今年5月1日開眼供養された大日如来坐像陸前高田市の流木松で彫刻された仏像東日本大震災復興祈願のため本堂内陣に祀られました 以前にご紹介しました内陣の大きい鐘の側に大日如来さんが座っておられます 奥の院解体中の前からの清水の舞台 殆ど改装された子安の塔 テレビでは、内陣がカラフルな仏画で彩られています何れ公開されることでしょう 子安の塔からの清水寺の全景以前は木立が邪魔でしたが、綺麗に写せるようになりました 下から写した清水の舞台大勢の人人です東北の英雄 【アテルイ・モレ】両雄の顕彰碑生花で飾られていました 三重塔 この賑わい 清水山を背景に人の行列嵐山も車は市内から2時間かかったといいます。明日は黒谷さんのもみじをご紹介します。
2012.11.24
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勤労感謝の祝日、朝から冷たい雨昨夜ご紹介しましたように、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】 真言宗泉涌寺派広い庭園を囲んで赤い毛氈がひかれた畳部屋からの眺め悟りの窓 障子越しに紅葉鑑賞悟りの部屋から庭園拝観清浄の間から紅葉鑑賞この和服姿の方は殆ど動かれず 観想の世界へ 掃除の行き届いた美しい庭園大輪の間 大石良雄の額 (大輪の間)伯父様が来迎院の住職で此処にもよく来られた 霊明殿 霊明殿前提燈籠の下菊花のご紋徳川慶喜が寄進した燈籠本堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られています障子4枚に夫々ガラス窓を配し しきしの景色を部屋から味わう梅・燈籠・楓・松と4枚違った眺めを間接的に観る仕組み玄関に真言宗ですが、龍の絵が皆様を迎えてくれました東福寺そして清水寺の大勢の観光客に押されることなく、静かにそしてお部屋の仕組みで間接的に紅葉を鑑賞をゆっくりたのしめました。足腰の悪い人のために部屋からも腰かける小さい座椅子が用意されお寺さんの心遣いが籠っていて嬉しかったです。明日はいよいよ現在の清水寺にご案内します。
2012.11.23
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本日は、良い夫婦の日でしたね。仲良く過ごされたと思います。 昨日、再び泉涌寺に特別公開寺院があるとして、泉涌寺本坊の隣接してある雲龍院にも、訪問してきました。此処も生まれて初めての観光で、広々とした庭園を囲んで、各座敷部屋から、観想的に眺められる落ち着いた紅葉狩りに感動しました。訪れる人は少なく写真のように、身動きせず庭園を鑑賞されておられる和服姿の女性の後ろ姿に、この寺院の佇まいの素晴らしさを表現されていると思いました。特別拝観はライトアップの催しで、普段でも観光できると思いますので、是非に此処へも立ち寄られることをお薦めいたします。 この雰囲気を大切にしたいです障子に四角ノガラス窓がありますが窓越しにしきし4枚の違った景色を眺める風情です 広々とした庭園ライトアップノセットがみえます 真言宗ですが玄関に飾られていました明日詳細更新します。東福寺・清水寺の大混雑から別世界の紅葉狩り鑑賞でした。明後日は、いよいよ現在の清水寺をご報告します。
2012.11.22
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今回乗せてもらった、タクシーの乗務員の方に「泉涌寺さんに行かれたら是非そのそばの来迎院によってみられては、もみじがきれいですよ」と私も初めての訪問です。そこで関東から来られた紳士に出会いました。「JR関東では、泉涌寺を今年の京都の推奨寺院としてますのできました」と【御寺泉涌寺別当・来迎院】 真言宗ですから、弘法大師さんが 唐の国で学ばれた【荒神尊】を奉安されました。またの名を【胞衣荒神】(えなこうじん)と言われる、安産祈願に参拝する方があります。大石蔵之助の伯父さんが、当院のご住職の関係で都在住中は山科の住まいから身を寄せられた場所でもあります。尚、茶の湯を好み、茶室合翠軒があり、弘法大師さんが、掘られた【独鈷水】(どっこすい)から湧き出た清水で茶をたてられたとされています、入り口の門 門をくぐるともみじの歓迎です 右の建物 荒神堂です 左・荒神堂 右奥本堂 小さい庭園へ 茶室・合翠軒大石蔵之助が茶をたしなまれた茶室 苔の緑 此処で関東の紳士と出会いしばし美を讃え合う 荒神堂来迎院からさらに渓谷伝いに、西国巡礼三十三箇所霊場第15番札所【今熊野観音寺】があります。今熊のかんのん 西国三十三箇所観音霊場第15番札所参道清水寺は16番札所です。今回も、84歳にして京都に住み、初めて知りえた寺院でした。寧ろ、地方から来られる方の方が情報でよき場所を教えられて来られることに感心しました。
2012.11.22
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関東からお見えになった紳士とのお話に「JR東海の今年の京都のお薦めは、「泉涌寺」という」ことでご来訪ありました。皇太子殿下もよく参詣に来られます。【泉涌寺】(せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山 御寺と書いて、「みてら」と称します。皇室に縁あり、天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。 「山門」をくぐりますと、左側に「楊貴妃観音像」の祀られたお堂があります。 楊貴妃観音堂そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。仏殿が坂下にそして仏殿にまつられた三尊像の高さと門をくぐる人間と同じ高さに仕組まれています。 【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。 霊明殿 特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。本坊霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。御陵の入口 十二帝御陵東山が背景【舎利殿】(しゃりでん) 御釈迦さんの分骨を祀る舎利殿 【泉涌水屋形】 (せんにゅうすいやかた)今でも泉が涌いて居ます。泉涌水屋形 【清少納言の歌碑】屋形のそばに建てられています。清少納言の歌碑並んだ位置屋形のもみじ菊花展 華道のお師匠さんが和服姿で泉涌寺境内にぴったりでした。明日は、此処泉涌寺境内の【来迎院】に参ります。
2012.11.21
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11月も下旬を迎え、紅葉便りもほとんどよき季節を迎えました。京都で一番紅葉で人気のある東福寺に昨日行ってきました。 通天橋の周りは、もみじ鑑賞の人たちで行列ができるほどでした。 通天橋前のもみじ 人の行列 もみじの絨毯明日は、皇室に関係の深い泉涌寺にまいります。
2012.11.20
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本日 京都の代表的な、紅葉便りを確かめるために東福寺・泉涌寺・来迎院そして清水寺に、一日がかりて行ってきました。快晴で何処も観光客で賑わっていました。明日以降に、順次画像をご紹介したいと思います。代表的画像を更新します。東福寺 泉涌寺のいけばな展来迎院 泉涌寺のそば 清水寺のもみじ 何年振りかの復元 子安の塔
2012.11.19
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気温がいささか、低くなってきました。皆様ご用心ください。常寂光寺は紅葉の名所昨年秋の写真です。 多宝塔 【嵯峨野巡り3】 大河内山荘を後にして、暫く歩くと、「トロッコ鉄道」「嵐山駅」が有ります。春秋には、桜・紅葉の鑑賞で「保津川」の景勝地を満喫出来る事で、利用する方が多いです。【常寂光寺】 (じょうじゃくこうじ)日蓮宗 開基 究竟院日愼上人 山号 小倉山 日蓮宗としての観光寺院は、極めて珍しいです。「紅葉」と「歌碑」で訪れる方が多いです。小倉山の山腹にあって静寂で清らかな「常寂光土」に遊ぶような趣が有ると言うので「寺名」が付けられたそうです。 日愼上人は、日蓮宗大本山本圀寺(ほんこくじ)「山科区御陵大岩町」にて僅か18歳で法灯を継がれ「修学」「歌道」への学問及び文化に深く達して居られました。 入口の門 拝観受付 仁王門 【仁王門】仁王さんは「運慶」の作と言われています。 本堂への参道 本堂前【本堂】一般に外からしか拝する事が出来ません。 多宝塔 【多宝塔】紅葉をバックに、よく写真を撮られます。 紅葉の境内京都市街の展望 【歌仙祠】(かせんし)歌人藤原定家の祠(ほこら)定家像が安置されています。【時雨亭跡】嵯峨には「時雨亭」は三箇所有ります。「常寂光寺」「二尊院」「厭離庵」(えんりあん)何れも、定家山荘の跡と称して居られますが、昭和10年国文学者の考証では、定家の「小倉山山莊跡」は、常寂光寺仁王門の北即ち「二尊院」南に位置し、「厭離庵」近辺は、定家の子「為家」の住まい、「中院山荘跡」の定説と言われています。寧々さんの寺【高台痔】の山上に「時雨亭茶室」があります。 定家は、このあたり山荘「時雨亭」を構えて【小倉山百人一首】を編纂したとも言われています。【二尊院】と共に往時を偲んで訪れる人も多いのでしょう。 時雨亭は、小高き山に登った所に有り、この辺りからも京都市街が見渡されます。「紅葉」はとても美しいです。【角倉資料館】「角倉了以」は保津峡等を開発した立役者で有り、「藤原定家」の落ち着いた小倉山麓に隠棲所を提供したのが「角倉了以」と言うことで、展示されています。 次回は【落柿舎】(らくししゃ)を経て【二尊院】を訪れたいです。
2012.11.19
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昨日は、天気予報通り、全国的な雨になりました。本日は冷え込みながらも晴天になりました。 役者として、常に健康管理のため、山荘内を散歩そして精神的にも持仏堂を建てて祈りは大河内伝次郎も日常から大切にしたようです。名演技の陰の努力でしょう。 【嵯峨野巡り2】 山荘内の持仏堂毎日参詣してお散歩山荘の入口 野々宮神社から「小柴垣」の散策路を選ばれるも良し、急がれる方は、【天龍寺裏出入り口】から外に出た所から、豪壮な竹薮の路と成ります。嵯峨野の風情たっぷりの雰囲気です。突き当たった所を左に行きますと、「亀山公園」経由嵐山に辿り着きます。本日はその突き当たった所にある「大河内山荘」に入山してみましょう。 お茶券で和菓子とおうすをよばれる。 【大河内山荘】 映画俳優・大河内伝次郎の別荘 2万平方メートル(6,000坪)故大河内伝次郎は、常に「二枚目」を維持する事によって、この景勝地を確保すべく、精神的には、山荘内に「持仏堂」を祀り信仰も厚く、体力維持には、広々とした我が所有地内を「ジョギング」して努力されたとのことです。獲得に30年要されたそうです。 別荘の邸宅 嵐山を借景 散歩道と茶室 茶室亀山に隣接し、小倉山にも望める別荘で、坂道も含む、自然の亀山に隣接し、小倉山にも望める別荘で、坂道も含む、自然の 起伏のある庭園です。小高き丘から、京都市街の眺望も素晴しく、比叡山も良く見えます。向きを変えると、嵐山の桜の遠景も目を見張る景勝に歓喜を覚えます。場所を変えると、保津峡の直ぐ側に面し、「山紫水明」の絶景も観られます。 保津峡の景色 京都市街地の眺望バックは東山三十六峰 暫し、故大河内伝次郎を偲びつつ山道を巡られるのも、良い想い出に成ると思います。 故大河内伝次郎の「執念」でしょうか?茶室の一つの「壁」に染みが自然に浮き出て、主役「丹下左膳」の「顔」が浮かび挙がっているように見えます。片目が刀傷で失明している姿も、敢えて、指摘しないと、判らずに通り過ぎられるようです。みなさんで探してみて下さい。 記念館大河内伝次郎の写真展示 「記念館」もあり、「お食事処」も有ります。受付で貰った「お茶券」で、ゆっくりお菓子と「薄茶」で一服されるのも、心落ち着いて暫しの憩いとなりましょう。 次回は、トロッコ列車「嵐山駅」を経て、【常寂光寺】【落柿舎】へと参ります。
2012.11.18
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京都の紅葉便りも、最中になってきました。 【嵯峨野巡り1】 歴史の真相は定かでは有りませんが、伝説では、いにしえにも女性の「哀話」が隠れています。そして【嵯峨野巡り】にも、静かに潜んでいます。従って女性には京都の観光で、一番人気があります。勿論春は桜、秋には紅葉の景勝地でも有ります。文化・詩歌にも史跡を見出し、世相の喧騒から人間らしさの原点に戻れそうでも有ります。 既に【嵐山】【渡月橋】そして【天龍寺】世界文化遺産はお話しました。特に【琴聞き橋】と【小督局】は、筆頭に御紹介しました。 天龍寺を後にして、「小柴垣」の道を歩み最初に辿り着いた社が嵯峨野巡りの入り口 野々宮神社本殿【野々宮神社】です。祭神は「野宮大神」(天照皇大神)が祀られて居ます。「黒木の鳥居」をくぐるも、こじんまりした小柴垣に囲まれた神域で、小さい苔と池のある庭園も見られます。 苔の庭園 「伊勢神宮に仕える前に「斎宮」(さいぐう・いつきのみや)に選ばれた未婚の皇女が「潔斎」(けつさい)のため1年間篭られるそうです。 【源氏物語】第十帖【賢木の巻】(さかきのまき)に登場します。【光源氏】(ひかるげんじ)と【六条御息所】(ろくじょうみやすどころ)の別れの場面です。 光源氏(23歳)は、少女のような「紫の上」と結婚したものの、気持ちが充たされなかった。それにつけても、青春時代を埋めてくれた「六条御息所」(30歳)が、愛おしかった。その御息所が源氏を待ち切れず、「斎宮」とともに伊勢神宮に下向するという。源氏は嵯峨野を尋ねて会おうとするも、会ってくれない。源氏は「榊」(さかき)を持って来て、強引に会うことが出来たが「神聖な榊を折って来られたの」と責めて伊勢神宮の下向を思い止らなかった。源氏は、この年上の恋人の深い愛情を無視して心奢って、ないがしろしたことを悔いた。 【嵯峨野の竹薮の道】野々宮神社を後にして、小柴垣から。大らかな嵯峨野の竹薮の道を歩みます。とても豪壮な「孟宗竹」でコマーシャルの背景によく出てきます。 孟宗竹林と小柴垣 「孟宗」とは、中国の古事【二十四孝】にでてきます。孝行息子【孟宗】のお話です。「冬の雪の積もる季節に、母上が、筍を所望されました。孝行息子の誠意の念力と願いが適い、竹薮から「筍」を掘り出す事が出来ました。それを聞いた村人は、感動して「孟宗竹」と名付けたそうです。ここでも中国の良い面があります。この程共産党トップ書記長が【習近平氏】に代わりましたが、日本との外交政策は、如何成るのでしょうか? 次回は「大河内山荘」へご一緒しましょう。
2012.11.17
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衆議院国会も一日で重要法案急ぎ早にも可決、、本日は参議院本会議で可決、衆議院解散 。各党の乱立で、衆議院選挙も有権者として、決め難いですね。 本日は、清凉式釈迦像(仏像に縞模様)の原点の国宝釈迦像の祀られた。嵯峨釈迦堂に参ります。 【清凉寺】(せいりょうじ)【嵯峨釈迦堂】浄土宗 開基 ちょう然(ちょうねん) 山号五台山 正面・仁王門仁王さん 嵯峨野巡りも終えて、嵐山の方に戻った位置に「嵯峨釈迦堂」があります。 この一帯は「源氏物語」に登場する「源融」(みなもとのとおる)が営んだ山荘(栖霞観)(せいかかん)と言われています。「源融」は嵯峨天皇の皇子で、「源氏」の性を受けました。 奈良の東大寺の僧、「ちょう然」が中国「宋」から帰国し、中国の五台山にならって、「愛宕山」を五台山に見立てて「清凉寺」を建立、「栖霞寺」内に釈迦堂を建てました。完成を待たずに逝去、弟子によって其の意志が完成しました。 有名な【三国伝来の釈迦如来像】【国宝】(インド・中国・日本)仏像に独特の筋が入り、頭髪は渦巻きのように現されると言う「清凉寺式釈迦」として異色の雰囲気を持つ、「お釈迦さん」です。全国に100体あるそうです。 釈迦堂・本堂 本堂 多宝塔 背景が嵐山 【阿弥陀堂】阿弥陀如来・観音菩薩勢至菩薩(両脇侍)【国宝】左大臣「源融」は、晩年、阿弥陀如来像の建立を発願しましたが、完成を待たずに他界しました。息子達は亡父の意思を継ぎ、一周忌に完成しました。 死後極楽浄土を願っての造像は、後に「藤原頼通」発願の宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像に繋がりました。 【釈迦堂内】の【釈迦十大弟子】足には靴を履いています。奈良の興福寺は草履を履いているようです。 十大弟子像には【通肩】(つうけん)は少なく、「右肩」を出している姿が多いようです。この着方を「偏担右肩」(へんたんうけん)と言い、仏や師匠を礼拝するときの恰好とされています。 「十大弟子」にまつわる二題【阿那律】(あなりつ)釈迦の従姉妹にあたり、お説教中居眠りし、反省して「私は、一生眠りません」と誓い、目がわるくなって失明します。顔を右に向け必死で目を見開いている姿。結果彼は失明しますが、「天眼智恵の目」を得ました。【優波離】(うばり) 阿那律の従者でありながら、主人より先に出家してしまいました。奴隷の身分で、自分のように身分の低い者でも釈迦の弟子に加えられた歓喜の表情を浮かべています。次回は宝筐院 紅葉の名所に参りります。JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」ホーム左が嵐山・右が小倉山です。
2012.11.16
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嵯峨天皇陵から200mのそぱに【直指庵】があり、女性の方で恋に疲れた方々らが「思い出草」に静かに記帳して、庵に遺す部屋が用意されています。何冊もあり、可なりの人々が訪問されているようです。 本日は昨年の秋に訪問した、もみじと女性の駆け込み寺とも云われる。こころの癒しの名所とも云えます。 【嵯峨野の飛び地】 愛宕道とは外れますが、女性の哀話として、欠かせない閑居が有ります。NHK大河ドラマ【篤姫】が鹿児島から都の近衛家に養女となり、其のときの理解者が、【津崎村岡】でした。 【直指庵】(じきしあん)浄土宗 開基 独照性円(どくしょうせいえん) 山号 祥凰山 入口【直指庵】石塔参道本堂の前庭本堂本堂奥庭への道 大覚寺の北方に位置します。やはり孟宗竹籔に包まれたひっそり佇む庵が建っています。 隠元禅師の高弟「開基独照性円」が草庵を結びました。 「直指人心見性成仏」(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)禅宗の悟りを示した言葉です。荒れ果てた「庵」を幕末の勤皇家、近衛家老女「津崎村岡」によって再興されました。「村岡局の胸像」は、亀山公園の敷地内にひっそり座しています。 【村岡局】は「大覚寺」の寺侍(てらさむらい)津崎の娘でした、名を「矩子」(のりこ)といい、8歳で近衛家に仕えました。「勤皇」のこころざし厚く、女性でありながらも、国事に、奔走されました。「安政の大獄」の際、投獄されるはめにまでなりました。その後釈放後に、嵯峨野に帰り、「直指庵」にて、静かな余生を送り、88歳で亡くなりました。 津村 村岡の墓所嵯峨野の心を癒し鎮める適所なのでしょうか、「悩める女性」の「かけ込み寺」しても世に有名でして、その悩み事を記した【想い出草】として、大學ノートが侘びしく置かれて居ます。 【想い出草】のノートを記帳する部屋恋に破れた女の方が此処で心を鎮めるかなりのノートが置かれていました。 境内には、【想い出草観音像】が優しく見守って居られる様に思えます。 帰り道 帰り道 次回は、【嵯峨釈迦堂】に参ります。
2012.11.15
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野田総理やっと本日 党首会談で16日衆議院解散を表現しました。日本の危機に当たり、国内経済の上昇、外交政策そし て被災地の早期復興計画等、実現出来るリーダーが選挙で選ばれてほしいです。 わたくしこと、みなさまのご支援のおかげで、アクセス110,000頂きました。罹病で諦めていましたが、励ましも戴いたこと感謝しています。
2012.11.14
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本日の党首会談でどの様な結果になるでしょうか。身内の民主党の中からも総理大臣おろしのご都合よしの声が必死に聞こえているやに思われます。 本日は、大覚寺に関係ある嵯峨天皇の御陵が嵯峨野の小高き山上にあり昨年登ってきました。 ブログで観て頂きたい一念で、過去一度も訪問出来なかった箇所にも参りました。昨今の【名古曾の瀧跡】もそうで、本日は嵯峨野の山上にある、京都の都を本格的に定められた、桓武天皇の皇子【嵯峨天皇】陵に初めてあえぎながらも、極めてきました。 【嵯峨天皇御陵】は山道を登ること、二百段、杖をついて登ってきました。再三申しあげますが、794年に桓武天皇によって、【平安遷都】が行われましたが、その皇子さん【嵯峨天皇】によって、大覚寺で弘法大師さんと共に、まことの都造りを成し遂げられました。今でも、小高き山上より、嵯峨野を通して、京の都を見守って居られるようです。嵯峨天皇御陵 参道入口 坂道 坂道振り返ると嵯峨野 まだまだ目的地が見えません。やっと見えてきました とても清々しいかんじです。 嵯峨山上陵と書かれています 帰途は獣道から しだがはえています。 裏山には、小倉山そして愛宕山が見えました。この愛宕山の頂上には愛宕神社があります。 小倉山を見下ろす、別の風景です。 漸く嵯峨野の景色にもどってきました。 山道にこんな林も麓にありました。達成感は、清々しい感じでした。然し疲れ切りました。
2012.11.14
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日本の政局もいよいよ大詰めとなってきました。 世界文化遺産に大覚寺はご指摘もありましたが、有名であって国宝級の建物・仏像が無く、世界遺産に登録されていませんが、京都の都造りを嵯峨天皇と弘法大師さんと常に親しくご相談あって基礎的な都が生まれた、由緒ある嵯峨御所として貴重な歴史を持っています。 【大覚寺】真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇 山号 嵯山 玄関 嵯峨菊 華道嵯峨御流 「大覚寺」は「嵯峨天皇」の離宮を寺に改め、代々法親王が継がれた格式の高い門跡寺院でも有ります。境内は渡り廊下で繋がり、広く、今でも御所風の雰囲気に満ちて、優雅な気持ちを味わう事が出来ます。 玄関(何故か「明智門と言います)の門を潜りますと、豪華な「御嵯峨流」の生花が歓迎してくれます。明智門 各部屋の襖絵には、狩野派の画家によるものが、観られます。【宸殿】(しんでん)後水尾天皇の中宮(皇后)「東福門院」の旧殿を移築されたものです。 宸殿前庭に、「左近の梅」「右近の橘」が構えています。「桜」のはずが、100代後小松天皇まで「梅」でした。【勅使門】 勅使門 【御影堂】嵯峨天皇・後宇多法皇が祀られて居ます。【御霊殿】後水尾天皇の御法体尊像が祀られて居ます。【五大堂】弘法大師御作と言われる「五大明王」は「嵯峨天皇」が祈願される「本尊」でした。【霊明殿】嵯峨天皇・後宇多法皇を始め歴代御門跡の尊牌、全国華道の師範の霊が納められています。【心経殿】般若心経の写経場。 嵯峨天皇が弘法大師のお勧めで、写経された所、世の悪病が鎮まり、その後も引き継がれています。若い訪問者も増えています。【正寝殿】南朝・北朝が講和された歴史的場所と成っています。結果南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇(一休和尚の父君)へ譲位されました。境内のもみじ 境内から大澤の池を望む。池を眺める展望舞台 京都観光の人気の高い嵯峨野巡り、スケールの大小、壮大さ、侘びしさ、祈りの場、紅葉・桜の名所、景色の名勝、竹や苔の美しさ、悩める人には慰めてくれる環境。変化があって、四季を通じて、又感想が違うそして、詩歌の跡の文化を味わう観光地でした。次回は嵯峨天皇陵へご案内します。
2012.11.13
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中国の共産党幹部の交代が行われつつあります。日本も大詰めに国会も行われていますが、またも野田総理はうそを貫き通したい雰囲気を持っています。本日は、真言宗として、大覚寺をご紹介します。 【大覚寺】真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇 山号 嵯山 。現代で有りながらも、未だに「時代劇のロケ地」として、大自然の趣を見せています。「大沢の池」池畔からのシーンが多いです。中国の洞庭湖を模して造られ、向いに「遍照山」(遍く照らす太陽のこと)が池面に写され、舟を浮かべて観月にも興ずることが出来ます。池の随分北の方面に歩みますと「名古曽の滝跡地」が、ひっそりと存在していました。百人一首に歌われています。 「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名古曽流れて なを聞えけれ」 藤原公任(きんとう) この状況で、作詞家 永六輔は、「女ひとり」1節「大原三千院」2節に「栂ノ尾高山寺」そして3節に「らんざん大覚寺」を「京都」として選ばれました。ディュクエイセスの歌 「京都らんざん大覚寺 恋に疲れた女がひとり 塩沢かすりに名古屋おび耳をすませば滝の音 京都らんざん大覚寺 恋に疲れた おんなが ひとり」「直指庵」も近くにあり、女性の心の癒し安らぎ憩いが得られる環境に嵯峨野はあるようです。 大澤の池 池の一番奥に【名古曽の瀧跡】がありました。 瀧の鑓水の流れの跡大澤の池に注ぎます。 瀧の水が池に注ぐ場所背景の山は、嵐山です。遍照山が大澤の池に映っています。遍く照らす即ち仏の慈悲この池に写す手法は龍安寺・金閣寺そして銀閣寺でも見られます。そして千円札にも富士山の富士五湖が採り上げています。観音堂時代劇に常にロケに利用されます。次回は大覚寺の境内をご紹介します。
2012.11.12
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朝方は曇っていますが雨の京都になりそうです。 昨日に引き続き、神護寺の聖域を巡ります。楼門を過ぎれば、平らな境内で、一安心しました。何といっても中心は、【金堂】で。国宝の薬師如来像が祀られています。そして重要文化財の薬師さんのセット日光菩薩・月光菩薩(がっこう)十二神将そして四天王【持国・増長・広目・多門】天が揃ってみられます。金堂(本堂)国宝薬師如来像がまつられています。 金堂への石段 石段 登りつめた場所石段の下時代劇でよくここのシーンが出てきます かわらけなげ2枚百円 清滝川渓谷かわらけ投げ みなさん楽しく試みておられます上手の人の場合は、長時間遠くへ飛行続けます下の川から此処まで登るのです。絶景 何れもかわらけなげ付近の情景です 。かわらけ、買ってみるか記念にシャツター長い石段を登りつめて、弘法大師さんの、護国のため建てられた聖域からの、渓谷に掛けての絶景は、みなさま満足気味でした。猛暑よ去って、早く紅葉の季節を迎えたいものです
2012.11.11
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健脚の方は、高雄に来られれば、昨日・一昨日ご紹介しましたとおり栂尾高山寺・槇尾西明寺そして高雄神護寺とセットでお参りされると意義が深いと思います。 本日は、将軍塚で、平安遷都を推挙した「和気清麻呂」の墓と京都の都の礎を「嵯峨天皇」と築きあげられ護国のために神護寺を建てられた弘法大師に偲び昨秋訪れたものを二日に亘って再録します。弘法大師は、山岳仏教として、北国・高雄にまで、布教の為寺院を創られました。 【神護寺】【高尾山神護寺】高野山真言宗別格本山 開基 和気清麻呂 山号 高雄山 高尾は、京都では、「紅葉」の名所で、シーズンでは、自家用も身動き出来ない大渋滞と成るほどです。従って駐車場も何処も満杯となります。 山岳仏教の一つで、街道から一旦、清滝川の清流へと降り、再び石段を山へと登り詰めます。年老いた人には、険しい難所でも有ります。1.【仁王門】(両側に藤原時代の「持国天」「増長天」が護法神として構えています)に着いて、ひと息つき受け付けを通じて入門します。2.直ぐ右手に【和気清麻呂公霊廟】奥には墓が有ります。常に桓武天皇の側近として、「平安京」を進言された立役者でも有ります。現在でも「高雄山」から「京都」を見守り「京都御所」の西側では「護王神社」として、朝廷に仕えた形としても、祀られて居ます。3.【鐘楼】日本三名鐘の一つです。神護寺は、「銘文」として、宇治平等院は、「形」として、そして滋賀三井寺では、「音色」として讃えられています。4.【金堂】【国宝】の薬師如来(貞観時代)神護寺の本堂に当たり最も大切な場所です。脇侍に「日光菩薩」「月光菩薩」(がっこうぼさつ)(重要文化財)十二神将及び四天王が祀られ極めて落ち着いた感じで、薬師さんのお顔を拝するとき、荘厳な感じで何時までも眺めたい気持ちに成ります。ここも「時代劇」に広くって多い石段を背景にロケが採り上げられています。5.【多宝塔】【国宝】の【虚空蔵菩薩】が祀られて居ます。秘仏で観られません。6.【大師堂】本尊【弘法大師】京の都を隅から隅まで仏典に基づき護国のため奔走されて、その足跡は、至る所で、拝する事ができます。7.【かわらけ投げ】壮大なパノラマが開ける眼下に断崖、緑の林があり、「清滝川」「錦雲峡」の景勝が美しく、茶店で「かわらけ」を買って水平に飛ばすと、上手にすると、「遠く」「長く」渓谷に吸い込まれて行き、周りの人の喝采を帯びます。自然界で和やかな雰囲気を味わう事が出来ます。 本坊には、【国宝】の【源頼朝の絵画】は有名です。 高雄橋・ もみじと高雄橋 参道途中の茶屋息が苦しく、足が痛み出し、勇気の撤退をしょうとしましたが、ままよと再発進参道の茶屋 参道から振り返った景色 休み休みして漸く神護寺楼門に辿りつきました 平安京の立役者・和気清麻呂公の霊廟 明王堂その側に日本三名鐘の鐘衝き堂があります銘が有名宇治平等院・形 滋賀・三井寺の音明日に続きます。
2012.11.10
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アメリカ大統領がオバマ氏に決まり、今度は大国・中国の共産党大会で次期 習近平氏への政権が誕生することになります。貧富の差が著しくその思想に疑問を感じます。対日に対しては予断が許せません。 今回、高山寺に写真を撮ることを目的で、もみじももそこそこでした。帰途、空車のタクシーも通らず、次のJRバス停前で、小さいうどん屋さんで昼食、二組6人のお客さんが外人さんでした。店の地元のおばさんの勧めで高雄方面の最も早く紅葉するといわれる西明寺が直ぐ側だから是非にということで、既に弱い脚を使い切っているので、そろりと訪問してきました。此処もタクシー観光では通過地点ですので、初めての訪問となりました。【槇尾山西明寺】 真言宗大覚寺派江戸時代の再建には、徳川綱吉公の母君 桂昌院が寄贈したとされています。門前やはり此処も石段を登り、山中にお堂が建っていました。門前のもみじ門前では手箒てで常に掃除しておられました。本堂前の戸灯篭釣鐘1回百円・撞いて来ました。静かさが山に響きました。虎の絵の屏風もみじの庭門前のもみじ清滝川指月橋から清滝川を渡る重い足も、心癒されました。京都にはまだまだ良いところが有りました。高雄三尾 高雄神護寺 槇尾西明寺 そして 栂尾高山寺 でした。これから紅葉も最盛期となり、交通停滞が心配されます。明日は、昨年の神護寺をご紹介します。
2012.11.09
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きょうと とがのを高山寺 恋に疲れた女が ひとり此処も京都の人気スポットのようです。前回まで此処の写真を撮っていなかったため、思い切って出掛けました。紅葉は始まったばかりでした。でも中国人そして外人の方はじめお客様が多かったです。【高山寺】(栂尾高山寺)(とがのお・こうざんじ)真言宗 開基 明恵(みょうえ) 世界文化遺産に登録 【高雄】は、京都では、紅葉の名所で、其の周辺に【槇尾】(まきのお)【栂尾】(とがのお)と紅葉が美しく、【三尾】(さんび)と言われています。その最も奥に高山寺が有ります。大きい駐車場から、急な山道を登り詰めた所に、急な坂道中国語で話す女性達もお寺の玄関口に辿り着きます。 高山寺 石水院の入口の門廊下伝いに暫し歩みますと、国宝【石水院】(せきすいいん)があり、廊下には、影絵の様な形で【蟇股】(かえるまた)のシルエットがとても芸術的に美しいです。 国宝建物【石水院】此処が一番趣の深い写真と思います。観る人によって感動は違ってくるでしょうね。本間で坐って外の景色も、山が見え、紅葉は一段と美しいです。 たまたま思いに耽っておられる女性のかたみうごきなしでした額には、「日の出先ず高山寺を照らす」と漢文で書かれています。鎌倉時代、後鳥羽上皇の勅額で寺名ともなりました。この山の向こうから日の出が見られるのでしょうね。床の間には、国宝【明恵上人の樹の上で座禅姿】の屏風が飾られています。 国宝の掛け軸です。明恵和尚さんが樹の上で瞑想されているお姿です。又、本間の横に、国宝【鳥獣人物戯画】全4巻の写しが置かれ、蛙と猿が人物的表現で戯れている図で、愉快に成ってきます。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の筆と言うことです。ガラスケースでしたが、何とか写せました この様に【国宝級】が3個あるだけでも、寺の建物は小さくても、文化的価値は、高いと、思われます。京都検定1級の試験に出題されました。又本間に運慶作の可愛い「子犬の像」が何とも微笑ましくお客様を迎えています。仏師 運慶が彫ったという子犬です可愛いですね 外に出ると、日本最古の茶園が狭いですが、存在し「明恵上人」が「栄西禅師」から、中国から持ち帰った茶の種を贈られ。馬の歩む足跡に従って植えることを教えられました。「日本最古の茶園」 茶園の様子 宇治の「黄檗山万福寺」にも門前に有ります。今回は時間のゆとりがあるので、初めて広い境内をめぐって来ました。大杉の階段を登りつめました開山堂(明恵上人)を祀っています一番奥に本堂【金堂】がひつそり建っていました。このお堂の前で、杖を付いた痛ましい老人の私に二人の女性がいたわり思い遣りの優しい気持ちで「大丈夫ですか、ご一緒しましょうか」と声がけあり、ブログの取材で来ましたというとブログの名をとなり聞けばお二人とも、遠く北海道からの観光なさる方たちでした。絆も生まれ不思議な出会いに恵まれました。金堂前の急な石段高山寺参道出口 再び、大駐車場から道路を奥に進めますと、直ぐのところから、有名な【北山杉】の植林地が広く広がっています。一幅の絵にも成ります。 皇太子殿下・妃殿下もご訪問為されました。
2012.11.08
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世界の注目の中で、アメリカ大統領オバマ氏が再選されました。わが国のように、選挙で選ばれて、与党の支持率は初は高くても政権担当の日浅くして、支持率が著しく下がるに対して再選されると言う意義は、信頼性が衰えていないことになるのでしょうか。 本日、栂尾(とがのを)高山寺が画像なきため、出向いていきました。そして時間に制約無い為、石水院だけでなく、初めて山内寺の境内奥深く歩きました。紅葉はまだ始まったばかりのようでした。次いで、食事処の地元のおばさまが、槇尾(まきのを)西明寺は高雄方面で一番紅葉が早いと薦められ、此処も何時もは、素通りするところでしたが、初めて訪問し紅葉の美しさを見る事が出来ました。その前に国道を高山寺より更に進めますと、北山杉の群生が見られました。北山杉と清滝川国道と紅葉高山寺の石壁西明寺の紅葉高山寺と西明寺は、明日・明後日に更新します。
2012.11.07
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アメリカ大統領選挙投票、本日午後にはいよいよ結果がでそうですね。続いて、中国の共産党大会で、次期党首が代わることで世界は注目しています。 本日より、世界文化遺産も【真言宗】をご紹介します。弘法大師さんが開かれた宗派です。【大子堂】が建てられています。【仁和寺】 真言宗御室派総本山 開基 宇多法皇 世界文化遺産に登録 当初訪問しました、「龍安寺」の隣接した場所に有ります。従って宇多法皇が「夏でも雪景色を見たい」「衣笠山」も近くに望めます。正門には「仁王さん」が逞しく「阿吽」(あうん)の形相で睨んでおられます。仁王門から【国宝・金堂】その背景大内山を望む 阿吽(あうん)の仁王さま 仁王門から、正面に大内山を背景に国宝【金堂】が佇み、京都御所から移された、「紫宸殿」で「現存する最古の建物」とされています。 仁和寺は、888年(仁和4年)年号と同じは、比叡山の「延暦寺」も同様です。この辺りでは、タイムカプセルのように、いにしえの御所の雰囲気で満ちています。本尊は阿弥陀如来そして、「脇侍」(きょうじ)には、観音菩薩・勢至菩薩が祀られて居ます。同じ阿弥陀三尊も、「霊宝館」には、国宝の仏像が有り、常時拝観出来るようです。国宝・金堂 手前には、「五重の搭」があり、春の遅咲きで有名な、御室の桜園が有ります。 五重塔 見所は、仁王門を入って左手に【仁和寺御殿】があり、二条城二の丸御殿と同じく、ボタンを各部屋で押すと、説明が聴けます。1.【本坊表玄関】玄関前の庭には、大きい這い松がみごとです。 仁和寺御殿入口の這い松 中に入ると「御室流の生け花」が見事です。側に孔雀明王の掛け軸が掛けられ、香のかおりが落ち着きを覚えます。 白書院の前庭白砂正面・勅使門 右手に仁王門2.【白書院】四季の襖絵が画かれ、廊下から白砂の向かいに「勅使門」「仁王門」を眺めると雄大さを感じとられます。 宸殿3.【宸殿】前には、「左近の桜」「右近の橘」が備わっています。 五重塔を取り入れた庭園4.【宸殿の北側】に廻りますと、五重の搭が借景で心和む庭園の池にめぐり合えます。 池を取り入れた庭園庭園要素「天龍寺の曹源池」と同じく、瀧は水が流れ、無「鶴島」「亀島」そして石橋が整っていました。部屋の襖絵は、大和絵・春の桜・夏の加茂の祭り・秋の嵐山の「三船祭りの絵」冬の交野(かたの)(大阪)鷹狩り 宇多法皇の居室5.【上段の間】宇多法皇の居室で、最も要と成るお部屋です。此処からの庭園の眺めは最高です。天井は貴賓の方が居られる「格天井」で、螺鈿(らでん)細工の床。違い棚付書院が有ります。 霊明殿への廊下6.【霊明殿】近衛文麿公の額・秘仏薬師如来が祀られ、此処からの高台からの眺めも素晴しいです。7.【黒書院】堂本印象の襖絵。「リス」等動物の存在が可愛いです。
2012.11.07
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本日京都市国立京都国際開館で、世界遺産条約採択40周年記念の会合が開催されました。世界文化遺産についての心得を親善大使であり、茶道裏千家家元の千玄室さん(89)の挨拶文をご紹介します。「相手をもてなす心」を持つ茶道には、和やかな気持ちを生み、人間の絆を強める力がある。世界にはまだ、多くの問題がある。戦争や環境破壊は礼の心を失っていることが起きている。世界の人々が手をつなぎ、文化の力でこれをのりこえなくてはならない。先人が残した遺産を単に観光で訪れるだけでなく、そこで歴史の流れや信仰の尊さを感じ、人々の心を結びつけていく機会にすることが大切になる。 世界文化遺産の観光寺院は、特に見所が多いですが、今更に心して深く味わいたいと尊さを感じました。
2012.11.06
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本日はいよいよアメリカ大統領選挙の日となりました。全く5分の支持で結果は明日になります。下鴨神社が【賀茂御祖】(みおや)即ちお母さんで上賀茂神社はそのやんちゃ息子【賀茂別雷神】(わけいかづちのかみ)の関係にあります。 【賀茂川】 京都バス終点「岩屋橋」から更に山道を遠く辿りますと、【金光峰寺・志明院】(雲が畑)修験道の修練場で「岩不動尊」が祀られて居ます。岩から染み出る、一滴の水が源流となり、「賀茂川」が人々の心の憩いを与える景観を観られます。時季により、「ユリカモメ」が渡り鳥として、遠くシベリアから飛来し、賀茂川で群れ遊んでいます。とても人懐きで、平和を感じます。夜になると、比叡の山を群れで超え琵琶湖にて、憩うそうです。京都の街で、最も景勝を楽しめる通りでもあり、「大文字」も見られ、タクシーで走るときも、出来るだけ、賀茂街道を通るように心掛けました。春には、「桜並木」で誰しも感動されます。 その賀茂川の上流に、「上賀茂神社」がそして下流に「下鴨神社」が鎮座まします。「加茂族」と言う先祖が築いた北方の、静かな住宅街でも有ります。 大原を源流とする、高野川と合流する地点を「出町」と称し「今出川橋」から下流を「鴨川」と字が変わります。何れ淀川にそして大阪湾に至ります。 上賀茂神社 国宝本殿 【上賀茂神社・賀茂別雷神社】 (かもわけいかづち)世界文化遺産に登録祭神(賀茂別雷神)下鴨神社に祀る「玉依姫」の御子【本殿・権殿】【国宝】本殿の前には、「山城一の宮神社」と表示してありました。 母君 玉依り姫を祀る 片岡社本殿の楼門を出た直ぐの側に【片岡社】がありました。玉依姫を祭神として祀られています。 神楽殿【神楽殿】の前には【立砂】が白川砂で三角錐が飾られていました。何でも真上に松葉が差され神様が光臨されるそうで、清めの砂ともいわれています。 神楽殿の前に 立砂神社の後ろの小山は、【神山】として神聖な山で、人の立ち入らない山とされています。【御神徳】欽明(きんめい)天皇の時、雨は降らず作物実らず大飢饉でありました。天皇が勅して占われたそうで、人心が大変乱れているその祟りと言うことで、本殿でお詫びの祭祀行なわれたところ、「護国豊穣・天下泰平」となったと日本書紀に記されているそうです。「雷の神」の由縁でしょう。【葵祭り】この「欽明天皇」の起源により、毎年5月15日【京都三大祭り】として、全国から大勢の方が、観に来られます。 くらべうまの行事が行われる境内【行事】【競馬】(くらべうま)【烏相撲】【八咫烏】(やたのからす)神武天皇が東征の時「加茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)が先導した際に、天皇の弓の先に止まったとされています。当時の「加茂族」を「烏族」ともいわれています。【百人一首】 風そよぐ楢(なら)の小川の夕暮れは 禊ぎ(みそぎ)ぞ 夏のしるしなりけり 藤原家隆 楢(なら)の小川 【社家】(しゃけ)神社の表通りに、小川が流れその小川に一軒【社家】(しゃけ)神社の表通りに、小川が流れその小川に一軒 ごとに橋が架かって母屋に入ります、神主さん・神道の方の屋敷が並んでいます。京都の風物詩とも観られます。
2012.11.06
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今年は【国連教育科学文化機関】(ユネスコ)の世界文化遺産条約採択40周年の記念の年で、京都関係の世界文化遺産は17ヶ所あります。既に清水寺・金閣寺・銀閣寺・二条城・天龍寺・西芳寺・龍安寺までご紹介しました。あと下鴨神社・上賀茂神社・高山寺・仁和寺・東寺・西本願寺・醍醐寺平等院・宇治上神社そして比叡山延暦寺と続きます。葵祭りの上賀茂神社と下鴨神社が共に世界文化遺産に登録されています。国宝の建物があるからでしょう。歴史を感じる神社で、勅祭とされ、勅使の使わされる伝統行事でもあります。 【下鴨神社・賀茂御祖神社】 (かもみおやじんじゃ)世界文化遺産に登録本殿【東本殿】【国宝】祭神【玉依姫命】(たまよりひめのみこと)娘【西本殿】【国宝】祭神【賀茂建角身命】(かもたてつのみのみこと)玉依姫の父 京都の街を高台から眺めますと、京都御苑と賀茂川と高野川とがY字型に挟まれたところにこんもりした森が目立ちます。 糺の森【糺の森】(ただすのもり)と称して、参道がとても自然界の様に親しまれます。隣接地に「家庭裁判所」があります。神様の時代でも「糺された事」があったのでしょうか?今一つ川の「三角州」の事を「只洲」とも言うそうです。 さざれ石【さざれ石】 国歌「君が代」に歌われています。【連理の榊】2本の榊の木が上部で1本に繋がる不思議な木が【相生社】の横に見られます。 参道鳥居 楼門 神楽殿 御手洗社 【御手洗社】(みたらししゃ)葵祭りの前に【斉王代】(さいおうだい)が【禊の儀】(みそぎのぎ)をされます。また土用の日には【足つけの儀】が行われ、無病息災を祈ります。常には水が流れていないのですが、土用が近付きますと、自然に水泡がこんこんと湧きでるところから、その形から【御手洗団子】(みたらしだんご)の発祥の地としたそうです。 立秋の前夜【矢取り神事】が行われます。お判りの様に、上賀茂と下鴨は(かも)の字を変えています。上賀茂の祭神は、「天神の子」として、雷即ち農耕の神様の様で、「賀茂別雷命」そして下鴨神社の祭神は、母上「玉依姫命」と「祖父の賀茂建角身命」と言われています。賀茂建角身命は、【松尾大社】の祭神でもあります。 5月15日の葵祭りには、京都御苑から下鴨神社経由、上賀茂神社へと行列が、その年の未婚の 斎王代の輿【斎王代】が選ばれ、のどかに牛車の輿に乗られて進まれます。 頭に葵の葉を装う【葵の葉】が象徴しています、雨乞いの祭りでもあり、何れ梅雨季を迎えることに成ります。【玉依姫丹塗りの矢】の伝承玉依姫が「瀬見の小川」で川遊びされていたときに、「丹塗りの矢」(にぬりのや)が川上から流れてきました。貴重な品として、持ち帰られ、床に就かれるとき、床の側に置かれたそうです。その後、孕(はら)まれて立派な「男の子」を産まれました。「別雷の神」です。男、不用で神の子誕生とされているようです。キリストのマリアさまからこの世に神の子として遣わされたように。【賀茂建角身命】玉依姫の父にあたります。農耕を広め民生の安定に努められました。「五穀豊穣」「古事記」「日本書紀」には、「金鵄八咫烏」(きんしやたのからす)として神武天皇に使え、御功績が多く「導きの神」とも崇められ、厄除け・学問・旅行・方除け祈願に訪れる参詣者も多いです。私たちタクシーの乗務員の為にも、交通安全を祈願したいです。【加茂族】山背(山城)の古代氏族で、朝鮮からの渡来人とされています。賀茂と地名にも成りました。太秦の「秦族」も渡来人の一族です。京都の丹後は、日本海に面し朝鮮に近く、琵琶湖又は、山越えで、京都に移り住んだとも考えられます。とても博学多識、努力家で「治山・治水・農耕・絹織物」等、現在の京都の有り方に貢献されたものと、改めて敬意を表したいです。次回は上賀茂神社へまいりましょう。
2012.11.05
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毎日冷え込むため紅葉だよりも聞かれます。晴れていても、急に時雨にも遇いました。大徳寺非公開文化遺産の特別公開で、聚光院と真珠庵を目指して訪問しましたが、偶然大徳寺塔頭では、初めての公開とも云える二ヶ所をたまたま訪問することができました。金毛閣の直ぐ側に建てられている興臨院に先ずまいりましょう。【興臨院】石川県能登の戦国大名 畠山義総 の戒名からの命名で畠山家の菩提寺です。火災に逢いその後加賀の前田利家により再興以後前田家の菩提寺でもあります。興臨院唐門は室町時代のものムラサキシキブ方丈庭園蓬莱山方丈裏の庭園 もみじ みつけました茶室【黄梅院】 織田信長公28歳のころその父君 織田信秀の追善菩提のため当時の羽柴秀吉により小庵を造営しました。 開祖の僧の出身地中国黄梅県破頭山により寺名がつけられました。従って日本の禅寺で一番古いとされています。秀吉は、庭園として千利休に命じ【直忠庭】を遺しています。三尊石を中心に広々とした苔の庭でした。後に信長公が本能寺の変で急逝するや、庵では、小さいとして【総見院】を建て大徳寺焼香も盛大に催しました。後に、毛利元就の子小早川隆影が普請奉行となって、両親元就夫婦の墓も信秀と共にあります。庵を院に改めました。黄梅院の入れ口玄関前の苔庭参道間口は小さいので小さい寺院と思いました女性群写真撮って居ます。もみじがありました茶室直中庭回廊があって向かいまで廻ります。広さを感じます。恐らく織田信長の菩提寺総見院と同じ広さ枯山水の一部破頭庭の方丈枯山水三尊石と一直線の砂の紋単純的ですが中国の景勝地そして厳しさの伝統を忍ばせますこの一週間大徳寺について、ご紹介しましたが、歴史の流れが追悼菩提でささえあっているようで、戦国時代の様子が偲ばれました。活躍した秀吉の足跡面影が此処に存在しないのが不思議です。禅宗と枯山水の庭園は見所が飽きることがありません。
2012.11.04
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秋は紅葉のたよりもそこそこに、京都では期間限定で日頃非公開の中で、京都非公開文化財特別公開寺院が20箇所ほどあります。昨日から始まった、大徳寺に予告通り、心弾ませて行ってきました。然し、襖絵とか内部の様子は、撮影禁止は理解できますが、美しい庭園まで写すことが禁じられ、がっかりして帰ってきました。外の塔頭で、素晴らしい枯山水の庭園の様子がみなさまにご紹介してきただけに、残念というより悔しく感じました。それでも、可能な限りご紹介します。大徳寺通用門入口の良かったことは、予定していました外に思いがけずも2ヶ所も特別公開されていました、然も過去初公開のようです。【興臨院】と【黄梅院】でした。明日ご紹介します。金毛閣 問題の千利休木像を二階に弟子が飾りその下を豊臣秀吉を潜らしたとして、利休に切腹を命じました門外人さん、団体観光客が見えます。大徳寺本坊玄関ともみじ聚光院の門聚光院の玄関千利休の墓京都に住みそして観光に何回か大徳寺をおとずれましたが、84歳にして初めて、念願の千利休さんのお墓詣でが実現しました。受付の方の計らいで、「お参りしたい」意向で案内を受けました。感激。【聚光院】 (じゅこういん)織田信長が眠る、【総見院】の東隣に位置します。三好義継の父長慶の菩提寺でその戒名から名付けられました。開祖 笑嶺和尚さんは、大阪堺に海眼庵の茶室も建て、そこでの俗弟子に千利休が居りました関係で、縁となり、茶道三千家の菩提寺ともなっています。【笑嶺和尚の面影を偲ぶ挿話】「太閤記」によりますと、織田信長の「大徳寺大焼香」の葬儀にあたり笑嶺和尚が焼香の纏め役に当たり、織田家の嗣子に対する秀吉の取り扱い方に誤りのあることを感じ、衣装の間に短刀を秘して秀吉の態度如何によっては、彼を刺そうと構えました。弟子の古渓がそれを知り驚き、強いて退席させ、代わって古渓がその役を務めたので、焼香場の争い無く済んだと伝えられています。 秀吉の野望が見え隠れします。【方丈の襖絵】狩野永徳画 4箇所 国宝指定真珠庵 特別公開左参道は、【大仙院】です真珠庵の入口受付の女の方に尋ねましたが、此処も庭園全て撮影禁止でお寺さんが決めておられるのでとのことでどうもとで、諦めました。七五三の庭園が有名で、一休さんが僧侶として務められたお寺でもあります。大仙院前のもみじです大徳寺境内を西へ出たところに今宮神社が゛ありました。昨今ご紹介した【弧篷庵】です。弧篷庵境内弧篷庵玄関弧篷庵大徳寺への参道左邸宅の御婆さんと立ち話杖をついて、弧篷庵へその面前の邸宅のおばあさんに呼び止められ「どちらまで」「どちらから」此処はとても静かなええとこやけど、最近一人で話す機会がないので、とても淋しおすわ、京に住んでまだ二条城にも行ってまへんわ、何時もこの坂道からご来光をおがましもろてます。ありがたいことですわ。あんたはんも気を付けて下さいや。今回此処で心が癒されて家路に着きました。
2012.11.03
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11月に入って、冷え込むように成りました。徳川家康には、日光東照宮という、豪華な祀られた場所がありますが織田信長の祀られた此処建勲神社は、人知れず密かに建っています。 枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る【建勲神社】があります。 入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます【船岡山】と称します。昨日ご紹介しました大徳寺塔頭の弧蓬庵(こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。平安遷都で、都造りにも、中国の易を大切に、【四神相応】【風水】を基盤に、厄害呪い等を避けるべく、大切に扱いました。船岡山は、風水の霊地として存在価値があります。四神 百虎(東) 西龍(西) 朱雀(南) 玄武(北)亀・黒これから大徳寺に行ってきます。
2012.11.02
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とうとう今年も、11月に入りました。アメリカ大統領選挙も其処に近付きました。「チェンジ」との意向で、世界が良くなるよう主張しましたが、経済事情そして紛争は悪化するばかりです。 日本ハム1対0巨人 延長12回の接戦で、2勝2敗のタイに持ち込みました。 夕べ、一湿りがあったのか、朝起きて外をみると、地面が濡れていました。曇りの一日になりそうです。大徳寺境内より、飛び地になったやはり塔頭の【弧蓬庵】が今宮神社の参道を越えたところに位置します。此処も非公開で、特別に予約して、見せていただいても、撮影は全て禁止で、とても残念です。 大徳寺は、戦国時代の各武将家の菩提寺が集結しています。でも此処には、豊臣も徳川もありません。【弧蓬庵】 (こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、菰の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室 【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」 (とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事を忘れてしまう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩は、随所に、ことば短くして至言を伝えます。中国の歴史に、何故中国の人たちは、誇りを持てないのでしょうか、惜しまれる現実です。明日、特別公開の【真珠庵】と【聚光庵】を訪れた後に更新します。
2012.11.01
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