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台風17号が大接近しょうとする日曜日となりました。運動会等の行事は延期となりました。皆様方充分にお気を付けて下さい。 妙心寺の側に、NHK大河ドラマ「平清盛」で当初よく演出された「鳥羽天皇」の中宮でありながら、権威を持った「白河上皇」に寵愛され、女性としての生き方に不本意のままに過ごされ、夫たる鳥羽天皇には、美福門院に片寄られ、白河上皇崩御後は何の権威も持てず、出家されて建てられた、法金剛院とされています。一つの哀話とも考えられます。偲びつつ誰も訪れないひっそりした御陵を訪問しました。 【法金剛院】奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院 (たいけんもんいん) 山号 五位山 JR「花園駅」駅前に有ります。昨日の「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞出来ます。自家用では、嵐山に向かわれる途中に道路沿いにあり、駐車場もゆったりしています。入口の門自動車道路を隔てて、JR花園駅があります。 蓮の開花季節7月中旬から8月初旬には、門前にその旨の案内が掲げて有ります。 庭園入口常時では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、「定朝様式」(じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】 が私たちの礼拝する、目の間近前に拝する事が出来ます。八角九重型の蓮坐は、阿弥陀さんを一際引き立てているようです。阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池が保たれて現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った【十一面観音菩薩】がお厨子の中に立像として拝する事が出来ます。 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、「律宗」となっています。寺の荒廃により、「待賢門院」が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」(ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に「五位山」がありそこに法金剛院が建っています。 庭園 仏堂が見えます。 背景が【五位山】五位山の右手裏手に御陵があり待賢門院さんが静かに眠っておられます。 【待賢門院】お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の崩御後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。近所の人も関心を持たないほどでした。 参道花園西陵 待賢門院さんの皇后陵 【青女の滝】(せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。 【歌碑】待賢門院の侍女【待賢門院堀河】の百人一首。尚【西行法師】も訪れたということです。法師は、源氏の武士で詩歌の精通で恋慕するも、出家して地方を行脚したと云います。 「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 歌碑
2012.09.30
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9月もあと僅かになりました。そして台風がまたやってきます。みなさま充分にお気を付け下さい。京都観光で基礎的内容の濃い大きなお寺ですら妙心寺を本山とする臨済宗の外塔頭でした。 妙心寺境内・七堂伽藍突き当りが龍の見られる本坊受付【妙心寺】(みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)JR「花園駅」の近くにあります。「妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。 殆どが拝観謝絶で開放されていません。 三門 外塔頭の代表格が【龍安寺】で本堂の名札に全国の外塔頭の寺院数千を数えるほどに掲げて有りました。 法堂このお堂の中に、壮大な狩野探幽の龍が天井に描かれ説明が入ります。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた【龍の絵】でした。【狩野探幽法眼】(かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。 先ず「本坊受付」にて20分置き時間制で案内されます。其の後「明智風呂」にも案内されます。本坊で待機中に、本堂の名札を見上げられる事と、内陣には「釈迦三尊」が祀られ前庭は、「方丈庭園」に成っています。 内塔頭・退蔵院入口の門 【退蔵院】(たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも、鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。理屈っぽい人間を指します。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。方丈の襖絵 画家元信の庭 元信の庭【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 院の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】(すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。 一番奥からの景観 水琴窟 滅される【東林院】【沙羅を愛でる会】と沙羅双樹(夏椿)の咲く頃(6月15日から末日予定)精進料理(阿じろ料理)を賞味しながら、苔の丘に落ちる花を愛でる催しが有ります。沙羅の大樹から朝開花、夕べには散る、儚さを平家物語で語っています。【涅槃】(ねはん)お釈迦さんが入ときに、周りに「沙羅双樹」の樹が有ったそうです。今年も6月15日~7月1日 9時30分~16時お抹茶付き 1,580円精進料理付きは5,570円満席になる可能性が高いので、予め予約されてもと考えられます。電話 075-463-1334 妙心寺・東林院(とうりんいん)
2012.09.29
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今年の中秋の名月は、9月30日と成っていますが、台風の影響で鑑賞が危ぶまれています。龍安寺の石庭を見て、大抵の方は、元、来た同じ景色の道をオーム返しに、いそいそと帰途に付かれる片がほとんどですが、池を巡りて帰りは違った道をたどりますと、新緑または紅葉のトンネル伝いにそして素晴らしい、池面に写った美しい光景を観る事が出来ます。 鏡容池に写された衣笠山私のブロクの張り紙もその意味で採用しました。【龍安寺4.】 表玄関から、石段を降りて、来られた道を戻らず、更に西へと秋には、紅葉のトンネルを、春には桜の園を観る事が出来ます。時間が無くって戻る人が多いですが、素晴しい風景を、見損じて勿体無いです。 新緑・もみじの帰り道 【藤棚】の手前に、湯豆腐の食事処が有ります。店内の入り口から、少し入った所に、【猪脅し】(ししおどし)が見られます。本家は比叡山の麓に位置する、【詩仙堂】の庭園内で見られます。 しし脅ししし脅しを庭園とする湯豆腐の食事処 本題に入りまして、その藤棚周辺から、大きな池に目を遣って見てください。何となく眺めるだけでも、心の洗われる感動を覚えられる事でしょう。弁天島を望む鏡容池 池の名称は、【鏡容池】(きょうようち)そして背後に【衣笠山】(きぬがさやま)が、そして池の水面に、くっきりと衣笠山を映し出しています。この鑑賞方法は、外人の方も良く心得て、シャツターを切っておられます。心して観ないと、見損なう風景です。 金閣寺も同じで、池に写し出された金閣を見損なう方が多いです。 日本の漢字は良く出来ていまして、見えると観る 聞えると聴くを分けて表現しています。やはり観光は、後者の心構えで、訪れられると、数倍楽しくなるようです。 私なりに、私のお客様に説明していますと、周りから少しでも聴こうとして、お客さま以外の方から質問までされる有様に戸惑います。 鏡と付く池が、京都に三箇所有ります。 此処龍安寺の【鏡容池】・金閣寺の【鏡湖池】そして、銀閣寺の【錦鏡池】で、鏡に映し出した姿を作庭者は、望んだのでしょう。 そして、【衣笠山】の名称の由来は、仁和寺から眺められた、【宇多上皇】が夏の暑い季節に「朕はあの山の雪景色を観たい」と、所望され、山上の樹木に白衣(しろきぬ)を一面に被せて、雪景色を再現されたそうで、扇子を扇ぎながら、冷気を味わい満足されたそうで、その後、何時しか衣笠山と呼ばれるようになったそうです。 借景として、金閣寺そして等持院も採り入れていましたが、等持院の場合は、立命館大學の学舎によって、完全に遮られてしまいました。時代の推移を感じます。 外人の方は、弁天島に架かった。円形の橋が池に映し出されている部分も撮っておられ、共感を覚えました。 しばし、池を巡り、【水分石】(みくまりいし)の立て札が立っていました。庭園の要素の一つで、池全体を眺めますと、鶴島(弁天島)そして亀島もありました。 池を後にして、駐車場へ何とも余韻を多く残しつつ。 いかがでしたでしょうか?龍安寺は、観光に何かと深い要素が含まれていました。
2012.09.28
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大阪で23.9度の運動場で秋の運動会の練習中に37名の児童が熱中症と、朝の冷気に油断の水補給の不足からか発生しました。お互い体調に気を付けたいものです。 【龍安寺3.】 【知足の蹲】 懸魚 蟇股 【蔵六の茶室】前庭に本物の【知足の蹲踞】があります。興味ある方は、売店のおばさんにそっと頼んでみてください。別と志納金で見せてもらったことがあります。 本堂の方丈の前庭と後庭で、同じ意義深い教えを学ぶ事が出来ます。【知足の蹲】が回廊の東北角に、有りました、手水鉢で、這い蹲って、手を洗う所から、つくばいというのでしょうね。【蹲踞】(そんきよ)(つくばい)大相撲でのお相撲さんが土俵上で、仕切るときに、おこなつていますね。真ん中四角の水を入れた区画の、上部に【吾】(われ)右側に【唯】(ただ)下部に【足】(たるを)左に【知】(知る)水戸の黄門さんが発案されたつくばいで、「吾、唯、足るを知る」と読めます。立て札には、茶道の精神と称されていました【知足の蹲踞】 そしてその横に、 「知足の者は、賎しくと雖も、富めり」 ちそくのものは、いやしといえども、とめり 「不知足の者は、富めりと雖も賎しい」 ふちそくのものは、とめりといえどもいやしい これで充分です。足ること知った人は、外見貧しそうに見えても、心は満足で豊かな人といえましょう。 足らんたらんと、まだあれも欲しいむ是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 人目、貧しそうなおばあさん、笑顔で、お陰さまで元気に生かしてもらって、ありがいことや、此れで充分と幸せそうです。 金縁のメガネ掛けた、一見貴婦人のお金持ち、隣は外車を買ったわ、あの人はダイアモンドの指輪何カラットかしら、あれも欲しい、これも欲しいは心満たされず、却って貧しい人といえましょう。 表の石庭の様に、13~14見えてて、腹八分目で健康をたもてそうです。 黄門さんが、【大日本史】編纂に当たり、資料を龍安寺から提供を受けたお礼に置かれたものだそうです。 実は、ここに飾られた物は、イミテーションで、本物は、東向かいに見える【蔵六の茶室】の前に、本物が据え付けて有ります。燈籠の下部に見え隠れしています。非公開ですが、売店の係りの人に頼んで特別志納金で見せてもらった事があります。 此処龍安寺を拝観するだけで、寺社の見所の、基本と申しましょうか、他でも、共通した形式の現し方が、伺えそうです。【枯山水】然り【方丈庭園】【龍】そして、これから述べます【懸魚】(げぎょ)【蟇股】(かえるまた)は、日本全国の寺社で観られる建築様式の一部に飾り取り付けられています。 龍安寺の売店の東側、陳列棚に、建て替えた昔の物品を並べ【名札】に上記の名前が、紹介されていました。その位置は何処に、実は庫裏を出た所で、建物の上部を見上げましたら、屋根の交差の軒に、【懸魚】がありました。正に魚の頭が下がってぶら下がっているようでした。そしてその下部に【蟇股】が見かけられました。蝦蟇(がまがえる)が構えているように見えます。そこでお客様にクイズを出してみました「双方の共通点は何でしょうか?」とお聞きすると「水」と答えられました。「ピンポン」正解です。建物で最も恐ろしいのは、「火災」です。従って魔除けの意味に於いても、守護の意味に於いても、装飾の意味に於いてもと、採用されて居るようです。知恩院の左甚五郎の忘れ傘然りでした。 そして屋根の先に丸い円の中に三つ巴があしらって居ます。三つ巴は、雲を表現していますね。更に民家でも屋根の形は波を表現「甍(いらか)の波と・・」 更に庫裏から西へ少し歩を運べば、本玄関(国宝)があり、其処の蟇股の中には、尻尾の多い、浦島太郎が乗った様な【亀】が他にも【龍】が刻まれていました。 日光東照宮の有名な【眠り猫】も蟇股の中に存在していますよね。各地で試してみてください。 こうして、解かり易く観光して行きますと、興味は倍増するのではないでしょうか。ご来訪の切は、是非探し求めてみて下さい。
2012.09.27
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今朝は10度台の冷え込み青空がくっきりしていました。【龍安寺2.】 世界文化遺産 【石庭】 左 仏の世界【三尊石】 5石右奥 鯨 2石 作庭者の名が刻まれています。エリザベス女王にまで、ご紹介したと言う【石庭】世界的にも写真に映し出され、謎解きが深まります。 一言で、言えば現実には、15個の石が設置されていることは事実です。でも廊下の見る位置によって、15個が数えられないミステリーです。 修学旅行生など、予備知識で得て居るので、真剣に数を数えている風景をよく見ます。 長方形の横長の正面及び西側廊下から右側は、【油土塀】で、前庭を引き立てるような、落ち着いた感じを受けます。石の配置として庭前方左側2石は【鯨】右方向に塩を吹いて前進しています。この石の裏側に作庭者思われる、阿波の徳島【小太郎】【清?二郎】の名が刻まれています。右奥2石が亀右方向へ手前 水鳥3石 羽2石の右側の小さい石が見え隠れします左 虎の子渡し3石 子の1石が見え隠れします。 前方右隅の二石は【亀】 廊下沿いの手前右側三石は【水鳥】この三石の右端の石が左側の廊下では隠れています。 そして中国伝来の【虎の子渡し】の三石これも虎の子の一石が隠れます。 そして仏の世界の五石の内の真ん中【三尊石】の左側の石が、右側廊下から見えません。石は一見無造作に置かれているようですが、石をなぞらえて一字を描くと【心】の字が描けます。 心の目で見て下さいと言う意味でしょうか。 隠れた心で鑑賞して下さいと。 夫々動物たちが、大海を泳ぎ、大きく右回りに、仏の世界へと、進む姿が描かれているようです。 鯨2石 亀2石 水鳥3石 虎の親子3石 仏の世界5石 計15石1石見る位置で欠けます。石庭全景 そして、【15】と言う数字は、中国では、満ちた数、完成した数、真理の数といわれているそうです。だから【十五夜満月】と言うでしょう。とバスガイドさんが説明されると、一同"どぅ"と感歎の声が、沸き起こりました。因みに 15歳・元服。七五三の祝い三三九度の杯何れも合計すると15になります。お祝い事の完成です。 足利・徳川も奇しくも15代で幕を閉じています。何故か自民党宮沢政権も15代で中断。不思議な数です。 意義としては、真実は15の石が有りますが、人間の目では、欠けた13~14しか見えない、知恩院の置き瓦と同じように、謙虚さを問うて居るのかもしれません。白砂は白川砂で、枯山水の庭園として、水がなくっても、水・池・海を表現 石は山や島を表そうとしています。石に苔が備わり風情を増しています。 白砂を海と考えれば、石群は、島の様に、 白砂を雲として見れば、石群は、山の峯とも見られます。 禅僧は、更に瞑想によりもっと深い意義を感じられているやに思われます。さて皆様はどの様に観賞されることでしょうか。 土塀に囲まれた小さい秘境のようにも思われます。 廊下を右に回りますと、苔庭で樹木の根が龍がうごめいて見えるところから、【雲龍の庭】と称され、特別拝観の時は、その奥に、龍安寺の創設者、応仁の乱の東軍の将、【細川勝元】の御廟の建物があります。 更に裏側に、これまた表の思想そのままの徳川光圀公の【知足の蹲】があります。次回にご一緒に味わって見たいです。
2012.09.26
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すっかり涼しい季節になったようです。此処も室町時代の応仁の乱に関係する細川勝元が創建した寺院で非公開ですが、【細川勝元廟】があり像が祀られています。 【龍安寺1.】臨済宗妙心寺派 妙心寺の外塔頭の一寺。【世界文化遺産】石庭 早速、世界文化遺産の龍安寺(りょうあんじ)にご一緒しましょう。 お客様から、良く聞かれるのは、「京都に余り滞在時間がないのですが、運転手さんの、ここ一番のお寺を紹介して欲しい」とその時「往時、英国のエリザベス女王が西本願寺へはその祖父さんが訪れられ、僧侶とテニスをされたから、御意志で来られました。 京都に来られ、せめて一個寺でも、ご紹介しょうと京都観光局が推挙したのが。【龍安寺】でした。いわゆる「ロックガーデン【石庭】」でした。外国でも話題に成り、旅行案内にも紹介されているのでしょう、外人の観光客が多く見かけられます。」「それならその龍安寺を案内して下さい」此処1個寺だけでも意義深いです。 参道入口石庭に向かう道すがら、広大な池を左手に、そして離れ島に橋が架かり、渡ると【弁天さん】の祠が有ります。弁才天は、水を司る神様で、他にも金閣寺でも見かけます。鏡容池弁天さんの祠左手に手水鉢があります。牛若丸・弁慶の旧五条大橋の橋桁です。横になって手水鉢になっている旧五条大橋 そしてさらに、進むと両側に菱形に竹で編んだ【龍安寺垣根】と風情がとても落ち着いて、歓迎してくれています。シャツターチャスですね。庫裏(くり)に入る前にこの龍安寺垣根に囲まれた石段は絵になります。美しい菱形の龍安寺垣 庫裏に入りますと正面に【韋駄天】(いだてん)が祀られて居ます。禅宗では、多いです庫裏の守護神で。足が速く、お釈迦さんの骨が盗まれたとき、一途に捉えたというエピソードがあります。 玄関口に韋駄天さんを祀るいよいよ【石庭】です。 石庭は、禅宗の本堂とも言われる、【方丈】(ほうじょう)の前に廊下を越して拡がる、方丈庭園として存在します。 方丈とは、仏壇を前にして、一丈四方の位置に坐られる最高位の僧侶のことを【方丈さん】と称されています。ここ龍安寺本堂の前額に【方丈】と書かれた額が飾られています。本尊に対して一礼したいです。 そして内部を見渡すと、襖に昇り龍と降り龍の絵が描かれています。龍は雲を呼び雨をもたらす意義もあるそうで、禅宗は各地で、存在します。 方丈庭園を前にして、僧侶は廊下で座禅を組み、瞑想に耽られるそうです。 従って、石庭の真の意義を解明出来ませんが、皆さんが「なるほど」と思わせる解釈が、種々為されます。私なりに過去何回かお客様と訪れるごとに、お寺さんの昔のスピーカーによる説明とか、バスガイドさんの説明を横で聴かせてもらって、会得した幾つかの内容をご参考に、披露したいと思います。「なるほど」と皆様もご一緒に瞑想してみて下さい。何も知らないより、ご興味が沸くと思いますし教訓にも成ります。 次回有名な石庭の解釈についてご案内したいと思います。
2012.09.25
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朝の冷気の内に全く久し振りに、杖を頼りに廻りを少し散歩に出掛けました。通勤の人、車の流れ、働く人の活気がたのもしく眺められました。足利シリーズ見落としてならないひとつの寺院です。 戦時中、神戸湊川神社に参拝時、「ああ忠臣楠子の墓」として畏敬の念で対しました、碑は水戸光圀公とあるので尚更でした。そして足利尊氏は朝敵として、悪しき人物として、教えられました。でも、平和に成って、冷静に遺跡としての寺院の佇まいを見る限り180度見直したくなりました。足利尊氏は後醍醐天皇を【天龍寺】を建てて菩提寺にしました。息子足利義詮は、楠木正成の子「正行」を慕い、墓所の側に崇めて塔と首塚を隣接して眠っています。親子の武将として相手への思い遣りが遺された記しを感じます。嵯峨釈迦堂に隣接して建っています。もみじの隠れたお寺をご紹介します。ちょつと寄られるに相応しいです。 二代将軍足利義詮の墓と楠正行の首塚【宝篋院】(ほうきょういん)臨済宗天龍寺派 「清凉寺」仁王門の西に位置します。二代将軍足利義詮(よしあきら)の塔所で戒名から寺名にしています。有名なのは楠正成の子「正行」(まさつら)の首塚が義詮の墓所に隣接して、義詮の墓所が三重の搭」そして正行の首塚が「五重の搭」として石塔が隣接して立っています。南北朝の敵ながら。義詮が正行の人柄を慕い、其の側に葬るように遺言されたということです。父 【足利尊氏】が対戦相手であった、【後醍醐天皇】を慕いその菩提寺として、立派な【天龍寺】を建てたように、父子ともに相手を人間的には慕い、菩提を弔っています。 秋には【紅葉】の素晴しい穴場ですのてで、是非覗いて見て下さい。 本堂 何れも境内 【森嘉】(もりか)仁王門の東へ直ぐの所に「嵯峨の豆腐」の老舗が有ります。「愛宕水」の名水で作り上げた豆腐は、朝一番に売切れてしまうほどです。ひろす・湯豆腐等
2012.09.24
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今朝の京都は冷たい雨が降り続いています、最高26度の予報です。京都観光も多くの寺社を一つのテーマーで関連して行きますと趣が豊かに成ることを知りました。南禅寺の中に南禅院があり、此処も「夢想国師」の作庭とされています。規模は小さいですが、庭園の基礎要素の瀧・石橋・鶴島・亀島などが全て備わって、調和の素晴らしさが鑑賞できます。 【南禅院】開基 無関普門 南禅寺の境内で、【水路閣】レンガ造りのアーチ形を潜り石段を少し登った所に有ります。同じく「水路閣」を更に登り詰めますと、疎水の勢い良く流れる水路を眺める事が出来ます。 こじんまりした庭園ですが、【夢窓疎石】の作庭で、庭の要素は、瀧を始め揃って存在しています。南禅寺の発祥の地で、徳川綱吉の母に当たる「桂昌院」の寄進により再建されました。紅葉の時期も素晴しい景色を見せてくれます。 苔の庭園 池のある庭園 夢想国師の作庭鎌倉時代の中頃【亀山天皇】が風光明媚のこの地に離宮禅林寺殿をたてられました。また天皇は禅宗帰依されて寄付されました。南禅寺の発祥の地とも言われています。 応仁の乱で焼失、現在の建物は元禄16年綱吉の母珪昌院によって再建されました。 【水路閣】このアーチを潜り抜けた場所に南禅院の小さいお寺があります。案外知られていない紅葉の名所でもあります。
2012.09.23
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半袖では、いささか肌寒さを感じるようになりました。京都観光で、主たる場所が、足利家と夢想国師に関連することに、リンクして関連してきますと、世界文化遺産も多く評価されていることが興味深く感じました。。 南禅寺は、臨済宗禅宗の【京都五山の上】でした。【京都五山第1位】は世界文化遺産の天龍寺でした。ご紹介済み。【京都五山第2位】は世界文化遺産の金閣寺・銀閣寺を外塔頭とした本山は【相国寺】なのです。足利尊氏は、良き協力者【夢想国師】に恵まれその基礎が宗教としても現在に評価されて遺産となつています。【法堂】の「鳴き龍」は龍の絵の特定の場所で 手を叩くと、「るるるん」と龍が反応するように反響がありました。 【相国寺】(しょうこくじ)臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。足利義満が、室町幕府として、【花の御所】とも称した、北西にあります。 法堂 「鳴き龍」 外人さんも関心有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華な美術館です。【開山塔】開山 夢窓国師を安置する。前庭 開山塔の「龍淵水の庭 【大光明寺】(塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、 大光明寺 【塔頭】寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。 左から【藤原定家】 南中【足利義政】 右【伊藤若冲】 の墓「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。宗旦稲荷 【花の御所跡】同志社キャンパス内にあり、当時の立派な「敷石」が窓越しに、観られるように構えています。足利義満が建てたものです。 【足利義満】の墓が相国寺にあるはずが、未だなぞとなっています。一休さんと頓知比べする様子でしたが、自らを唐の国主に「日本の国王」となのるほどに、次男を寵愛し過ぎた為とか、長男より忌み嫌われた節があつたようです。 【大文字】の位置。 お盆の送り火に、「大」の字がともされますが、一説に京都御所に向かって、とあり、杯(さかずき)に酒を酌み、揺れる「大」の字を写して飲んだと、風流な光景ですが、銀閣寺の上にある「大文字」は、やや北西に向き、大本山「相国寺」を正面に「金閣寺」の「左大文字」と対向の位置に、有る事を、意識された方は、殆ど少ないと思います。 室町時代の栄華そして悲劇、歴史上の真実は判りませんが、関連して考えるとき、奥深さを覚えます。 こうして、観光も、一箇所を部分的で見るよりも、関連して、総合的に観ていくと、興味が沸くのではないでしょうか。 又、各宗派を知って、観ることも意識的に見方が深くなると思います。ガイドブックには、見る所を網羅していますが、観光の順路・見所・所在位置は、個人で行動される方にとつては、至難な業と思います、京都に住む友人から、「夫婦で、昨年清水寺に行ったが、舞台を観ただけで、今回のを見て、もう一度、確かめて観光してみたい」と励ましのメール戴きました。この方の為にも、可能な限り、進めて行きたいです。
2012.09.22
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嵯峨天皇が偉大な弘法大師との間で、都造りの基礎を作られたように、足利尊氏も偉大な高僧夢想国師に恵まれ、良き世の中を治めることができたようです。此処苔寺もその夢想国師の作庭で親しまれています。 事前に拝観申込受付制に成っていますので、庭園内は荒らされず美しさを保っています。 【西芳寺】(さいほうじ)(苔寺)臨済宗 開基 行基 特別名勝・史跡 世界文化遺産に登録 嵐山から阪急電車嵐山線の「松尾」「上桂」で下車の位置にあります。然しバスかタクシーを利用された方が便利です。 昔は一般寺院並みに観光客に拝観出来ていたのですが、心なき訪問者より、貴重な「苔」がむしり取られ、あちこち「はげ状態」になったようです。従ってお寺さんも「寺は、観光目的でなく参詣と言う目的で、来訪を受けたい」とその後「予約制となり、【参拝冥加料】として、3,000円」として受け入れられるようになりました。「1ヶ月前までに予約」 もう一つの理由は、狭い山道に掛る場所にあり、駐車場が狭く、多くの自家用車での観光客により、地元の方々にご迷惑を掛けた。との意向もありました。 当時は、表総門より入場、「洗心の道」を伝って奥に入りましたが、現在では、裏の通用門に、予約時間に成れば、僧侶が受付、直接【本堂】(西求堂)に案内されます。先にご紹介しましたとおり、「銀閣寺」は、西芳寺を模して造られました通り、銀閣寺では、(東求堂)と称します。本堂には、禅宗では珍しく、阿弥陀如来が本尊で、東を向き、浄土から向かわれて居られる様でした。僧侶3名と50名の参拝者とで、「般若心経」を一諸に唱え、お寺に訪問したと言う、貴重な体験もさせてもらいました。 庭園は、【夢窓疎石】の作庭で、池泉回遊式、【黄金池】と山腹に掛る枯山水の瀧との上下に分かれ、これも銀閣寺が真似ている様です。苔は100余種あり、天龍寺の広大さはなく、こじんまりして、幽玄の世界を垣間見る落ち着いた庭園と思われます。池の側に【湘南亭】(しょうなんてい)の茶室があり、千利休の次男、少庵が再興したと言われ幕末には、「岩倉具視」が一時滞在したとのことです。訪れる人も限られ、静かに心身共に和やかに癒せる苔寺でした。 近くに【地蔵院】(竹の寺)参道竹薮に囲まれ、外人婦人お一人で、書を眺めながら訪問され印象的でした。【華厳寺】(鈴虫寺)修学旅行生に人気のようです。年中欠かさず鳴いています。
2012.09.21
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今朝は可也冷えびへとした気持ちの良い外の様子でした。彼岸の入りか、昨年度の日記の記録で9月20日以降の気温で30度以上の数値から消えていました。今年は? 京都観光では、室町時代の【足利家】に関する寺院が要所を占めてているやに思われます。何れも臨済宗即ち禅寺です。金閣寺・銀閣寺・天龍寺・相国寺そして等持院です。 【等持院】(とうじいん)臨済宗天龍寺派 開基 夢窓疎石 歴史上に登場する人物で、時代に応じて、イメージで印象の悪いと考えられていた者が、理由が有って善良な人物とも取れる事がよく。出てきます【足利尊氏】がそのひとりです。戦前歴史で朝廷に背いた国賊と教えられました。然し現代に残されている寺院からは、そうとも思えない足跡が観光によって感じられました。足利尊氏は、陰に偉い僧に恵まれ、庭園作庭の基礎も造られた、禅僧【夢想国師】の存在が大きく土台作りもされたとも考えられます。 牧野省三銅像 等持院然りです。映画監督「牧野省三像」が立っているその奥に玄関口門前に大きく「等持院」と書かれた門標がありました。足利尊氏の戒名「等持院仁山妙義」から付けられたとされます。寺院の格式から「寺・院・坊・庵・軒」とされています。戒名は残った人がその人の遺徳を偲んで贈名とするとすれば、「等持」の漢字に寺が二字含まれて居ます。慕われ尊敬された方と思えます。そして寧ろ何か原因があったのでしょう。敵であった、「後醍醐天皇」の菩提の為に、建設費を「天龍寺船」での貿易で立派な「天龍寺」を建て、その立役者の足利家は等持院で、一歩下がって礼を尽くしているように思えて成りません。庫裏の入口蟇股に「二引きの家紋」【順路】•1. 表門に等持院の額が掛っています。•2. 玄関口の瓦及び蟇股には二引きの足利の家紋が見られます。 達磨の絵•3. 廊下の突き当たりにダルマの絵が目立ちます。天龍寺の管長さんが描かれたそうです。座禅を続けていますと足が立たず、それがダルマさんの姿に成られた、「ダルマ禅師」の絵です。•4. 方丈前の廊下は、「うぐいす張り」できゅっ・きゅっと歩くと音がします。 方丈庭園•5. 方丈(本堂)には、釈迦三尊が祀られて居ます。 霊光殿•6. 【霊光殿】正面に尊氏の母堂が大切に信仰された「地蔵菩薩」を尊氏の仏の庇護のため賜った尊氏の念持仏両脇に禅宗の祖師「達磨大師」と「夢窓疎石」が、足利将軍15代の像(5・10は除く)何故か徳川家康の像有り。 足利尊氏の墓頭の部分が欠けています 7..【足利尊氏の墓】上部の宝塔が欠けています。何でも三條大橋東詰で御所に向かって、平伏している像、「高山彦九郎」が朝敵として刀で切り付けたと言う伝説が有ります。朝敵思想の右翼存在も歴史に残ります。バック立命館キャンパス手前に茶室【清蓮亭茶室】8.【池泉回遊式庭園】夢窓疎石作庭「芙蓉の池」と称し、蓮の形した「亀島」書院正面の這い松の「鶴島」「石橋」「滝の石組み」天龍寺の庭園形式になぞらえています。9.【清蓮亭茶室】八代足利義政が建てた武家床の貴人席があります。等持院型灯篭と自然石で出来た司馬温公型手水鉢が有り、茶席からの庭園の眺めもやや高台からとなり素晴しいです。 借景に、衣笠山が近年まで、眺められたのですが、時代の波に逆らえず、「立命館キャンバス」の校舎で、遮られてしまい、致し方がないとは言え残念です。石組みの池泉回遊式庭園 奥の池奥の池 天龍寺・金閣・銀閣と足利将軍の関係する「菩提寺」としてひっそり佇んでいます。次回は夢想国師が造られた「苔寺」世界文化遺産に参ります。
2012.09.20
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昨日の雨も一日だけでした。お彼岸も近付きましが、蒸し暑さは依然続いています。室町時代の三代足利義満の金閣寺そして八代の義政の銀閣寺に対し、初代尊氏は、天龍寺を嵐山に遺しています。 世界文化遺産 清水寺は「北法相宗」奈良の宗派金閣寺・銀閣寺・龍安寺・そして天龍寺は何れも臨済宗(禅宗)あと12箇所あります。【天龍寺】臨済宗天龍寺派本山 世界文化遺産に登録 開基 夢窓疎石 五山第1位庭園 特別名勝・特別史跡(国宝第1号の庭園)世界文化遺産の御紹介も清水寺・金閣寺・銀閣寺・龍安寺そして天龍寺まだまだ観尽くせませんね。嵐山渡月橋から「美空ひばり館」の前を経て、天龍寺に着きます。 【足利尊氏】が南北朝の戦で、吉野で崩御された【後醍醐天皇】の菩提を弔うために、開山【夢窓疎石】を迎えて建立されました。この地は、元々後醍醐天皇のご幼少の頃の学問所で御霊の安らぎを考えての尊氏の配慮と想いが有ったものと考えられます。建設資金捻出のために、途絶えていました中国「元」との貿易を再開し【天龍寺船】を往来して経済や文化の輸入にも貢献しました。私たちの高齢の歴史観では、天皇に背いた逆賊の謀反者と教わり、神戸湊川神社では、「ああ・忠臣楠氏の墓」と「楠正成」を謳歌してまいりました。でも京都でのお寺の遺される事で、又の日に述べさせていただきます【等持院】は、尊氏一族「足利」の菩提寺で、「寺」と「院」では寺格が違い、尊氏の思い遣り、一歩引く謙虚さが、見えるように思えるのです。順路として「山門」から静かな敷地を歩み、心を静めます。1.【法堂】(はつとう)は選仏堂(座禅堂)ともいわれ、正面から覗きますと【釈迦・文殊・普賢三尊】と天井に【雲龍図】「加山又造画」が描かれています。 法堂 天井に龍の絵2.受付でパンフレットを見ますと表紙の庫裏の写真で、庫裏の実物を見上げながら、龍安寺でご説明させてもらった「懸魚」「蟇股」が大きく見られます。そして「三尊石」も在ります。 庫裏。三尊石3.【方丈】白砂と苔の境界線で、「心字」が画かれています。屋根瓦の端には「天龍寺」の文字が設けられています。 方丈4.【曹源池】 日本で最初の庭園形式に基づいて、夢窓疎石が作庭した素晴しい庭園で、嵐山愛宕山を借景して、更にスケールが大きく感じます。正面に枯山水「瀧」をそして「三尊石」日本最古の「石橋」周りに「鶴島」「亀島」そして「船石」と庭園の要素を採りいれています。 国宝第1号の曹源池5.「亀島」から道なりに進むと池にそそぐ「遣り水」(やりみず)が【曲水の宴】形式になっています。 亀島6.【多宝塔】 後醍醐天皇の尊像を安置、紫宸殿形式で、左近の紅梅・右近の白梅が備わり、 多宝塔その前庭の苔に包まれた小高い位置に後醍醐天皇の菩提塚が古びて立っています。 後醍醐天皇の菩提塚 足利尊氏は、敵であった後醍醐天皇のために菩提寺として、自分の菩提寺「等持院」より大きい敷地の文化的にも最高の庭園建設に努力しました。 天龍寺は、後醍醐天皇の幼少の頃の学問所でそこに安らかに憩われる為の計らいと考えられます。並の天下人としては為し得ない思い遣りが史跡として未だに遺されています。次回は足利家の菩提寺等寺院をご紹介します。
2012.09.19
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台風の余波ですか、京都も朝から雨で25度と温度も低いです。集注豪雨で、床上浸水した、太平洋側は、各地で被害が出ています。 八代足利将軍義政は、政治を 忌とみ 詩歌に興ずるため将軍職 を譲ることで、京都の不幸な出来事応仁の乱がおこりました。その戦が終わった頃に、財政苦しい中、銀閣寺が建てられました銀閣寺の全景が眺められます。手前が「吉田山」遥か奥が「愛宕山」真ん中が「双ケ丘」仁和寺【銀閣寺2.】【洗月泉】の瀧の側から、山道が始まります。その坂を見て、登るのを諦めて平坦な帰路に向かわれる人が、多いです。思い切って登ってみましょう。苦労した甲斐が、待っています 苔の庭 坂を登り詰めた所に、石組みの崖が、眼前に広がります。ある人は、「何だ瓦礫の山崩れの様だ」とガッカリする人も有りますが、枯れ山水の瀧石組み瀧石の麓 実は、「枯山水の瀧」を敢えて作成されたもので、「西芳寺の庭園」にも、存在している貴重な石組みとして、観察して欲しいのです。側には義政が茶の水を汲んだとされる、「お茶の井」が存在しています。 近年、開発された順路として、更に平坦な山道を辿りますと、先ほど観た、銀閣寺庭園を眼下に全景を観る事が出来ます。その他前方に、「三高校歌」で有名な、「くれないもゆる・・・」の吉田山が眼下に眺められ、京都市街の一部の景観も眺められます。吉田山の向こうが、京都大學が広がります。苔の庭 大文字は、この位置の真上となり、如意が嶽と称し、同様の眺望とも考えられます。 道なりに、下山、真正面に、「錦鏡池」に映し出された「銀閣」が見所で、 【銀閣】(観音殿)国宝屋根には「宝形造・?葺(こけらぶき)」金銅製の【鳳凰】(ほうおう)が輝き、上層を「潮音閣」観音坐像が祀られ、下層「心空殿」千躰の地蔵尊が祀られて居ます。 此処も、禅宗のお寺の雰囲気として、掃き清められ、訪れる人への癒しともなるでしょう。【応仁の乱】1467~1477 京の都で、最も悲劇は、一女性から発端。11年間の戦火で、殆どの文化財と言える物が、焼失してしまいました。数少ない、社寺に対して、「応仁の乱を免れた」と添え書きしています。足利家の奥様は、代々「日野家」(伏見区醍醐の南部日野)から選ばれています。義政の正室「日野富子」に男子が死産。義政は、政治を嫌い、文化的方面に興味を持ち、将軍職を実弟「義視」譲ると約束した、矢先に、男子「義尚」誕生。富子は、黙っておられず、わが子を次期将軍にと、 実弟「義視」は「細川勝元」そして、「富子の押す義尚」「山名宗全」との戦が、11年間続きました。勝敗の尽きぬままに、双方の将が、夫々病死。幕は閉じました。結果義政は、義尚に九代目将軍職をゆずりました。義政【観音殿】起工式 1489 義尚25歳戦死(近江の国で先陣として)その霊を弔う為に、大文字を設置(詳細不明・一説に拠れば)・義尚の初盆1490不思議と同じ年の7月 父義政55歳逝去。歴史は悲しいことも、物語っています。
2012.09.18
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「愛国無罪」と暴動化している中国デモ隊、車、企業の建物破壊、そして商品の略奪、人に危害を及ぼす、無法が、世界はどうみているのでしょう。中国政府への不満が問われていることに冷静に見て行きたいです。 金閣寺も銀閣寺も臨済宗です。本山は相国寺でその塔頭的存在に なります。室町時代の足利家が建てた京都の名所で訪れる人が多いです。銀閣寺に大文字があり、金閣寺にはその陰として左大文字があります。その中間点に相国寺があり、大文字は、御所の方向から斜めにみられます。金閣寺・銀閣寺は世界文化遺産に指定されています。 銀閣やはり錦鏡池に写された姿も美しいです。金閣寺が観光スポットとすれば、銀閣寺も世界文化遺産として、関係は、足利三代将軍義満と孫の八代将軍義政との間柄になります。【銀閣】は国宝で、煌きはありませんが、歴史は感じます。金閣が太陽とすれば、銀閣は月を愛でるという、優雅さを感じます。銀閣寺の裏山が如意嶽で、【大文字】の送り火が、有名です。民家の玄関の軒先に、燃え残った薪を飾り、無病息災のお守りとして現場から拾ってきて飾っています。軒先に、送り火の燃え残りの薪を飾って息災を祈っています。 【銀閣寺1.】(慈照寺)臨済宗相国寺派 世界文化遺産に登録【慈照】(じしょう)は、八代将軍足利義政の戒名から名付けられています。開祖が【夢窓疎石】(むそうそせき)で造園にも、著名な僧でもありました。嵐山の「天龍寺」・西芳寺(苔寺)そして南禅院 等、此処銀閣寺は、義政が「西芳寺(苔寺)」に模して、作庭しているのが、特徴です。 みやげ物の賑やかな、参道を経て、慈照寺の門を潜りますと、背の高い潅木に包まれた、【洗心の道】を歩みます。娑婆から禅の世界へ招かれた落ち着きを取り戻します、 洗心の道受付を終えて、 受付二番目の門を潜りますと、こじんまりした、「五葉の松」と白砂で築かれた庭園が観られ、本坊の五葉の松 正面の「花頭窓」越しに、本庭園の姿が、垣間見られます。 いよいよ庭園入り口に差し掛かったときに、発する言葉が「何だ、これは」とがっかりの表情が有り、金閣寺からの期待感からか、感歎の声は、余り聞かれませんでした。銀箔が張られたものでなく、古い二層の「銀閣」が佇んでいました。修学旅行生では、その印象が多かったようです。然し、関東の生徒さんが、「銀閣は、歴史を感じる」と評価してくれました。嬉しかったです。その通り、銀閣は、【国宝】に指定されています。本堂の前からの【銀砂灘】(ぎんしゃだん)は、白河砂で、向月台となっています。銀砂灘中国の西湖(さいこ)に模して造られました。夜に月の光で白砂が煌く姿が浮かびます。 中国に良い印象を壊して欲しくはありません。向月台本堂前から銀閣は、シャツターチャンスです。本堂【東求堂】(とうぐどう)【国宝】義政の持仏堂。西芳寺には、「西求堂」義政の木像を安置しています。東求堂しばらく歩を進めますと、二つの池が有り、手前の池には、鶴島を現し、道から【三尊石】が見られ、その側に、立て札で、「大内石」としるされていました。何の関心もなく、殆どの人は見向きもせず、通り過ぎますが、これには、「いじめ」の深い意味が潜んでいました。義満が各首領に、その地の名石を命じた時に、和泉・紀伊を治めていた大内石「大内義弘」は、「将軍に捧げるは、武力であって、優雅な、庭園如き贈り物は如何なものか?」と拒否した所、義満より冷遇を受けたそうです。従って、此処、義政には、一番に贈ったとされる「名石」です。 もう一方の池には、銀閣を水面に写す「錦鏡池」には、亀島が構えています。洗月泉【洗月泉】(せんげつせん)・【月待山】瀧があり、月待山からの月を写して、月を洗うの意味です。 "我が庵(いお)は 月待山の麓にて かたふく空の 影惜しぞ思う"義政の詠んだ詩です。
2012.09.17
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早朝は涼しい風で肌に優しく爽やかに感じるようになりました。人間って、前ばかり見て自然行過ぎますが、時には振り返ってみる景色の 素晴らしさも、人生見落としがちと悔いが残ります。金閣寺垣根 【金閣寺2.】 美しい金閣を中心に、池泉回遊式庭園として、本来は池の周りを巡れるように造られていますが、半周は入れません。 庭園は【特別名勝・特別史跡】(国宝級)に指定されていますが、金閣は、昭和25年7月25日未明に、学僧の放火により焼失しました。"三島由紀夫著作"の「金閣炎上」が有名です。従って国宝ではありません。龍門の瀧 池を後にして、道なりに進みますと、【龍門瀑】(りゅうもんばく)の瀧が見られます。鯉魚石(りぎょせき)が、瀧に今や登らんとして、斜めに構えています。鯉が瀧を登ると、龍と化す。中国の故事で有名です。安民沢の池 更に坂を登り詰めますと、【安民沢】(あんみんたく)が在り、池の中央に「白蛇塚」が島に立っています。白蛇は、弁天さんの化身で、水神ともいわれています。この池の手前に背の低い竹垣で、これを【金閣寺垣】となづけられています。夕佳亭茶室南天の床柱が有名難を転じて福をもたらす。 【夕佳亭茶室】(せっかてい)金閣も此処からの眺めも佳しとされています。床の間に「南天の床柱」(難を転じて福となす)が、「萩の違い棚」が有名です。 茶室より3個目の石は、大切にされています。この石の上にお客さまに立ってもらって右回りに360度廻ってもらいます。色々見逃す貴いものを発見します。 茶室前の飛び石に、丸い大き目の石が有り、「見回り石」と称します。その場所に立って、一周すると、銀閣寺を建てたね八代将軍「義政」が寄贈したと言われる、「富士型の手水鉢」があり、更に見返ると、金閣が美しく、そして更に廻ると、安民沢が、眺められます。 人間、前ばかりの景色に捉われず、たまに後ろを振り返ってみると、素晴しい、ものが見られるもので、「反省」の心構えも、時には必要では、と私のお客様に説明していましたら、横から、紳士風の方が、「その話貰った」と声掛けられ、添えて云われるには、「明日の会社の訓示に、使わして貰う」ということでした。とても恐縮しました。でも、関心持って聞き耳をされる紳士にも感心しました。雨だれの軒下に、炭が一面に敷き詰められています。雨だれの音が侘しく聞かれる工夫です。茶室の雨だれの下に敷き詰めた「木炭」は、雨だれのしぶきが飛ばないで工夫と、静かな音の楽しめるように設けて有りました。岩不動【石不動堂】(いわふどうどう)弘法大師作といわれます。 足利義満は、天下人として、その栄華を極めますが、37歳で4代義持に、将軍職を譲り、享年51歳 戒名「鹿苑院太上法皇」として、何故か墓は無く、戒名の位牌が、嵐山の「臨川寺」にあるだけで、足利氏菩提寺は、「等持院」にあります。親子の仲関係が(子供達兄弟の弟への偏愛)もたらしたとのことです。 天下人と云え親子は大事に送れる事が宝であるべきと思います・次回は、「銀閣寺」をご一緒しましょう。表街道から【左大文字】が直ぐ側にあります。
2012.09.16
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足利義満も宇治の平等院と同じく、生前中に天下人として極楽浄土の世界を再現を試みた金閣です。京都観光として欠かせない場所かも知れません。 【金閣寺1.】(鹿苑寺)(ろくおんじ)臨済宗相国寺派・世界文化遺産鹿苑は、三代将軍・足利義満の戒名から、名付けられました。 "好き・好き・好き・好き・愛してる。一休さん"頓智問答で有名な相手の将軍足利義満が建てた、禅寺です。何故将軍と対等に話せたのでしょうか、実は、一休さんのお父上は、第100代・後小松天皇で、側室とは言え、皇子さまでした。寺社奉行でも、「一休殿」と敬称で漫画でも、一休さんと呼んでますねちなみに、一休さんの墓所は、京田辺市「一休寺【酬恩庵】(しゅうおんあん)境内」に宮内庁の御陵があります。入口の門 門には禅宗の五戒が書かれていましたる 京都観光では、清水寺に次いで、観光のお客様が多いです。禅寺で共通に感ぜられることは、修行僧のご苦労か、塵一つ無く掃除の行き届き清浄感で有る事に感心させられます。従って訪問する者も、心洗われます。拝観券飼う本堂と庫裏 雑音の街から、境内に入ると、洗心の道を辿り、拝観券を買って、入り口の門をくぐり、暫し、建仁寺垣根のたたずむ通路を曲がった途端に、燦然とした金閣が目の前に現れます。殆どの人が、思わず歓声を口にされます。そして池の側に立ち寄り、記念写真を金閣をバツクに撮影されています。池に映る金閣 そこで、見所は、金閣そのものも、さることながら、池に映し出された、素晴しい光景を見逃さないで、下さい。作者も【鏡湖池】(きょうこち)と称しています。鏡に映す姿も是非観て下さい。義満が盆栽で植えたと言う【陸舟の松】西向きに向いています。 暫し、歩を進めますと、右手に、本堂が垣根越しに見られ、(非公開)そして更に進みますと、皆様左手の金閣だけに、見とれられ、見損じられるのが、右手に、「五葉の松」であしらった、【陸州の松】が【帆を揚げた宝船】の様に見えます。 義満が盆栽から育った物といわれています。船は、西向きで、なぞらえているようです極楽浄土を、この金閣寺庭園に、。「池泉回遊式庭園」で、池に浮かぶ、島・名石そして松は、各地諸大名から寄贈させたものです。金閣の正面には、鶴島・亀島そして葦原島(日本列島を表現)の中央に【三尊石】が構えています。鶴島の左方に醜い石がありますが、豊臣秀吉の名石狩から、逃れた、中国から採り入れた「九山八海石」(くせんはっかいせき)の名石が、観られ、葦原島の先に船頭が船を漕ぐよう、「細川石」が見られます。金閣には、一般に入れませんが、此処からも衣笠山が、池に映し出されるそうです。 金閣の初層は、「寝殿造り」公家 二層は、武家風造り、そして三層は、「仏殿造り」金箔は、仏殿造りと、武家風造りに施され、寝殿は、真下で構えて、金箔は貼られていませんね。義満の意図が計られます。(仏と武士の下に公家) 調和としては、芸術的にも美しいです。他に、「畠山石」「赤松石」が見られます。 金閣の裏側から見た鏡湖池緊急に1週間ごとに国立病院にて血液検査1ヶ月前最悪血小板が【133から】【4】まで、急転下降その後輸血と投薬で不思議にも再生不良とされた貧血が徐々に回復し昨日は【45】までもどりつつあり、ホットしています。未だ生命の与えられていることに感謝しています。
2012.09.15
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孔子・孟子という誇り高き歴史を持ちながら、今や 平和的スポーツ・音楽文化交流そして観光までボイコットに半日感情の中国の人々の激化しつつある、反日教育か矛先が日本なのかはたまた中国政府への憤懣なのか、いずれにしても、不幸な人生をあゆみつつあります。悲しいことです。 【清水寺5.】 清水寺の名の由来となった【音羽の瀧】 ここも。人気があり、水を救って呑まれる人の列は、堪えません。27. 【音羽の瀧】 数千年来、音羽の山中から湧き出る清水です。【日本十大名水の筆頭】と称せられ、【清水寺】の名が付けられました。バスガイドサン達は、観光客に興味を持たせる為三本の瀧を分けて説明されていますが、お寺では、水の出所が1箇所で、水垢離の行をされる為に三箇所に分けています。と迷惑そうでした敢えて、聞く所では、向かって左から、若い人には、1.ロマン2.智恵3.健康年長者には、1.家内安全2.商売繁盛3.不老・長寿で、真剣に取り組んで居られる姿をよく見掛けます。28.【舞台下から見上げる】奥の院も含み、139本の柱が、崖に架かっています。過去幾人かの人が、実際に飛び降りたことはあるそうです。生死の程は判りません。29.【舌切り茶屋】(近藤)後述しますが、西郷隆盛の居場所を突き詰められ、(近藤正慎)が舌を噛み切って自害。その忠臣の子孫のために現代にも遺されています。 舌切茶屋拷問にも耐え舌を切って西郷隆盛達勤皇の士を護った為その子孫に境内で茶屋を営むことを与えられました。30.【忠僕茶屋】同じく、(忠僕・重助)が、近藤氏に仕えていました。 忠僕茶屋同じく近藤正慎に仕えた忠僕重助の子孫にも茶屋が与えられました。31. 【アテルイ・モレの顕彰碑】 坂田田村麻呂の蝦夷征伐の際連れてこられました。平安遷都1200年を記念に清水寺に建てられました。坂上田村麻呂は制裁をかばったのですが、お上は訊き入れませんでした。東北の英雄「アテルイ・モエ」の碑32.【念彼観音力の石碑】故大西良慶和尚の筆観世音を念ずればね観音の妙智力によって、世間の苦を救い給うと、和尚さんは、説かれていました。 観音力の碑 清水寺境内に多くの姿の変えられた観音さんが祀られています33.【岸駒の虎の石碑】(がんく)32.と同じ広場に在ります。虎の目は三方から見ても、正面に向ってきます。(七不思議の一つ) 絵師岸句の描いた八方睨みの虎 成就院最後に、特別公開ですが、【成就院の庭園】故大西良慶和尚さんが、109才まて゜、音羽の水で、長寿を全うされた住寺です。一名【月の庭】とも称せられ、とても静かで趣の深い庭園です 清水寺の着た法相宗寺務所左の高い建物に、仏足石が飾られ吹き抜けの二階から妙なる音楽の雰囲気で散華を撒きます。うまくお釈迦さんの足の絵の上に乗っかりますと一斉に歓声がわきおこりました。ご利益ありと。前もって予約されて訪問されことが肝要です。。最も感動的なのは、清水寺北法相宗の寺務所【大講堂】です。講堂の屋内では、高い場所から、底に大きい【仏足石】が画かれています。(西村公朝和尚画)妙なる音律と共に、「散華」を撒くと、別世界に、誘われます。この体験は、私の場合会社の外商から、依頼しました。皆様も、予約で、寺務所に問い合わされて見られてはと、存じます。 勤皇の士を護った「近藤正慎」ならびに勤皇の僧「月照・信海僧」歌碑が立っています。成就院から、清水寺の拝観受付に向かう途中に、先に記しました、勤王の師【月照・信海和尚】に使えた、【近藤正慎】と【忠僕亀助】の石碑が建っています。西郷隆盛と成就院で蜜会されていたと伝えられています。 忠僕「重助」の碑上位の人たちの枠から離れた場所で仕えています。 「清水寺」何回参詣しても、尽きぬ想い出を残してくれます。
2012.09.14
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政界があわただしくなりました。本当に身を挺して国民のために成果を出してくれるリーダーは存在するのか、模索の状態です。暑さも彼岸まで、といいますが、あと10日ほどの辛抱でしょうか。 【清水寺4.】 明治時代になって、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの価値ある仏像が、消されましたが、その後、神仏一体の形式が採られ、此処清水寺でも、お寺の境内に、神社・祠が存在します。鎮守の神様と一体に存在します。 地主神社 恋占いではしゃぐ若い人に人気18. 【地主神社】 (じしゅじんじゃ)若い人に人気が有ります。大国主命を祭神としています。 恋占いの石神前の広場に、恋占ないの石が両サイドに設置され、一方の石に触った後、両目を瞑り、もう一方の石に辿り付き、振れることが、出来れば、その人の想いを寄せる恋が実る、と言うことで、皆真剣にアタックしているようです。若し誘導を受けて、達成すれば、その人の援助も必要とのこと。拝殿天井に龍の絵が画かれています。狩野元信筆です。地主桜も歌に読まれ、有名です。19. 【西国三十三所観音霊場第16番札所・納経所】地主神社の石段を降りた、直ぐ左側(東側) 西国観音霊場三十三箇所霊場の納経所 善男・善女が掛け軸とか納経帳に真剣辿り着いた歓びで受けておられます。20.【釈迦堂】釈迦三尊が祀られて居ます。釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩21.【百体地蔵尊】愛児を亡くした人がここに詣でると、亡き児によく似ている地蔵尊があるといわれ、その冥福を祈られます。22.【阿弥陀堂】法然上人が、最初の常行念仏を始められた場所。23. 【奥の院】 阿弥陀堂の直ぐ南隣にあります。国宝の本堂と同年代に建立されました。本堂の仏像のミニ形式で、観音菩薩及び二十八部衆及び風神・雷神が祀られて居ます。此処奥の院の舞台から、本堂の茅葺(かやぶき)の屋根を含め、写真の絶好のシャツターチャンスです。 此処からの写真が素晴らしいです外陣の絵馬を良く観られますと、過日、記しました、行叡居士が延鎮さんに霊木を授けている図が描かれています。24.【濡れて観音】奥の院の裏側に居られ。常に観音さんが、濡れて立って居られます。医者から見離された病も癒されると言う、信仰があり、折鶴などお礼の印が廻りに掛けられています。 不思議とこの観音さんは乾くことなく常に濡れて居られます。皆様が水を絶やさず掛けられることもありますが、25路】奥の院より、南へ約5分ほど歩かれた所に23..絵馬の実際有っ.【変形四交差た場所。石像群が有ります日記、(清水寺縁起でご紹介) 延鎮和尚と行叡居士の会われた場所にお地蔵さんが祀られ由来の立札が立っていますが、皆様殆ど気にも留めず通過。26. 【子安の塔】三重の搭が建っています。ここからの清水寺全景のパノラマは、最高の絶景です。現在塔は残念ながら大修理中です。清水寺全景ここがとても素晴らしい眺望です。27.【泰産寺】(たいさんじ)お産が安らかにの意。「今年の漢字」で有名な【森管長】の住持のお寺でもあります。子安の塔の側に位置します。次回は、【音羽の瀧】から、ご案内したいと思います。
2012.09.13
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今朝は22度冷気を感じる気持ちのよい日を迎えました。日本ゲートボール3級の審判員資格試験を教えた人々伏見地区5人が合格してくれてその賞状の授与式がおこなわれます。残念ながら式にでられないのが申し訳有りません。 【清水寺3.】 現在は、【五条大橋】は五条通りに有り、橋の西側緑地帯に、【牛若丸と弁慶】の石像が飾られていますが、「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶が・・・」の橋は、鴨川の一つ北に架かった【松原橋】が、当時の橋とされ、松原通りを、東へ行くと、「清水道」となります。以下昨日の続きです。昨日の4.【鐘楼】と坂上田村麻呂が射止めた雌鹿の供養等【鹿間塚の塔】 鐘楼 鐘楼の側に鹿間塚の供養塔が大切に安置されています。 9.【参拝券受付】京都市内で最も安いです。10.【轟門】本堂への入り口の門です。門前に手水鉢が有り、龍があしらって有ります。 龍の手水鉢11.【仏足石】(ぶっそくせき)廊下伝いに、北の庭に外れた所に、見掛けられます。お釈迦さんの歩かれた、足跡で、盛んに手に触って、お願い事している方を見掛けます。扁平足にご注意。お釈迦さんは、全てに平等に慈悲を与えられる意。12.【弁慶の杖と下駄】13.【弁慶の爪跡】 本堂の周りに、深くえぐられた筋が残されています。実は、信者の【お百度詣で】で、籤を堂の周りに沿って、筋が370年もすると、深く刻まれて出来たものだそうです。(七不思議) 是非お堂の周りをご覧下さい。 建物の傷では有りません、お百度巡りで竹棒をこすった370年経過の信仰の証です。14.【大黒天】15.【清水の舞台】 皆様の一番観光の楽しまれる景色が一望出来る場所です。139本の柱に支えられ、釘は使われていません。京都市街が美しく広大に眺望されます。思わず飛び降りたくなる心境も、何事も一大決心する時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と表現されます。京の商人は、「ええい、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、まけときまひょう」と掛け声するようです。舞台では、舞楽も有ったようで、両側に楽器を鳴らす人の坐る場所も兼ね備えています。京都市街の景観もさるものながら、紅葉の景色も素晴しいです。向かい正面に「子安の塔」が構えていますが、現在工事中で、幕が張られて残念です。その背後に、東山三十六峰の一つ【阿弥陀ケ峰】が見られます。【豊国廟太閤坦】(ほうこくびょう・たいこうだいら)山の頂に、豊臣秀吉が遺言により、「京の都が見下ろせる位置に葬れ」と言うことで、眠っています。 向かいの山の頂に「豊臣秀吉の墓」がある阿弥陀が峰です。手前が子安の塔です。擬宝珠には寛永拾年建之の銘が彫られています。家光の再興の年です。1633年(33箇所札所16番)と覚えます。16.【本堂】 先に述べましたように、内陣に入って拝んで下さい。付け加えて、観音菩薩の両側に、厨子が二つ有ります。一つは【地蔵菩薩】一つは【毘沙門天】が祀られて居ます。坂上田村麻呂が蝦夷征討(えみしせいとう)の際に、苦戦したため、延鎮上人が、戦勝祈願をされたことで、未だに祀られているそうです。 たまたま本堂に達したとき、その周りの観光客に「土足禁止」とかかれていますが、靴を脱げば本堂内に入れて中の仏さまたちがしっかり拝め、大きい鐘を撞くことも出来ますよ。と声掛けしましたら、写真のように「ほんと」と喜んで鐘を撞く順番を待っておられました。あの有名な清水寺で、大きい鐘をゴーンと鳴らした後の余韻を頭を垂れて両手を合わせ聴き入るひとときは、参拝に来た佳き想い出ににきっとなられると思います。地主神社・奥の院そして音羽の瀧にっていては,次回に記します。
2012.09.12
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久々に本格的な雨の朝となりました。 【清水寺2..】 清水寺の参詣は、お姫様と一寸法師の鬼退治のおとぎ話にまでに、多くの方々が、訪れられます。時間の急ぐ方、じっくり見所を観光したい方も居られます。その方のご都合で、主だった所、または詳しく時間を掛けてご案内する方に分かれます。二日間は、貴重な場所の紹介と、お寺の由来を記してまいりました。本日は一般の観方と特別の見所に就いて、ご一緒しましょう。 観光バスの大広場の駐車場の、登り詰めた辻に、【七味屋】さんがあります。その角から、三年坂(産寧坂)(さんねいざか)が始まります、石段だけでも、一服の絵に成ります。「お産が安らかに済ませるようにの願いをこめて」 三年坂【産寧坂】 左の建物「七味屋」観光のお客様を「ようこそ」と歓迎しているようです。多くの人は、記念写真を撮って参詣道を多くのみやげ物屋さんを突き当たると、広い石段に出くわします。正面に【仁王門】があり、その前には、珍しく二体両方とも、口を空けた狛犬が皆居られます。正面【仁王門】狛犬が珍しく両方とも口を開けて歓迎 問題は、石段を登らないで、下の広場から、向かって左方を見て下さい、小さい祠が有り、如意輪観音像が見かけられ、その横には、地蔵菩薩が、手には赤ちゃんをだっこして居られます。 善光寺 中央「如意輪観音菩薩」左に幼子を抱っこされた「地蔵菩薩」そして有名なのは、祠の外に、 1.【首振り地蔵】が安置されています。舞妓さんが、ご贔屓(ひいき)の人の方角に首を回し、お願い事をされたと言う事で、どなたでも地蔵さんの首を方角に回す事が出来ます。有名な首振り地蔵2.【馬留め】石段の左側に有ります。今で言う駐車場。馬を繋ぐ柱の1本の金具が、違った角度になって居る。(七不思議)3.【仁王門】一名【赤門】とも呼ばれています。両サイドの桟の端を拳骨で叩くと、奥の桟の端で、もう一人の人が耳を添えると「こつこつ」と音が聞こえると言う、370年経つと、えぐられている事に驚きです。(七不思議) 380年の人間の叩くことでへこんでいます4.【鐘楼】の北側に、坂上田村麻呂が射止めた、雌鹿の供養として、【鹿間塚】の燈篭があります。5.【爪観音の燈籠】【隋求堂】(ずいくどう)の前に存在します。平家の家臣、悪兵衛影清(あくひょうえかげきよ)が爪で観音像を彫って燈籠内に納めたと言われます。 景清の爪観音の治めたと灯篭6.【隋求堂】(ずいくどう)【隋求観音菩薩】が祀られています。その人の望まれる求めに随って、何でも適えて下さる観音さんです。 何でも求めに応じて願い事をかなえられる観音さん7.【三重の搭】家光の再興。わが国最大の三重の搭。大日如来を祀っています。子安の塔から眺めると、一段と極めて存在します。 大日如来を祀る【三重塔】8.【開山堂】坂上田村麻呂夫妻・延鎮上人・行叡居士像が安置。 開祖坂上田村麻呂を祀る【田村堂】延鎮和尚・行叡居士そして田村麻呂夫人も一緒に祀られています。秘仏 参拝受付から次回でご紹介しましょう。清水寺は、何回参詣しても、新発見があり、見所の夢が含まれて居ます。
2012.09.11
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世界文化遺産のトップにかかげましたが、「写真があると」とのご指摘もありましたので、順次写真挿入で再度掲載します。 【清水寺1.】北法相宗(きたほっそうしゅう)大本山(奈良の宗派) 世界文化遺産【音羽山・北観音寺】 京都観光に訪れられる、ベスト1.が此処清水寺です。世界的にも有名で、外人の観光客が多いです。そして修学旅行生の生徒さん達も、必ずと言ってよいほど、訪れられます。何が魅力なのでしょうか?多分【清水の舞台】に有ると思います。 清水の舞台から京都市外眺望地主神社の【恋占いの石】も生徒さんは、はしゃいで居られます。 恋占いの石【音羽の瀧】日本名水の筆頭にあるところから、【清水寺】と称せられるようになったそうです。名称の由来 音羽の瀧 でも、殆どの方が、最も大切な場所を見損じて、ただ廻ってきたと言う、勿体無い箇所が2箇所ありますね。皆様にだけ、ご紹介しましょう。 一つは、清水の舞台に在る。本堂です。内陣を覗いて、参拝される方が、殆どです。内陣の入り口に【土足禁止】の立て札が置かれています。入場禁止と、勘違いするのでしょう。靴等土足を脱げば、内陣に入れるのです。但し靴は各自持って入って下さいね。そして内陣の奥には、本尊は秘仏ですが、【お前立ち像】として、両手を頭の上まで、挙げられた。【清水型観音菩薩】が奉じられ、何とその周りに、観音さんの眷属である【二十八部衆】及び【風神・雷神】が観られるのです。外からは、その存在すら、判らずに9割の観光客は、通り過ぎられます。そしてお客様が一番歓ばれた事が、観音さんに願い事されるときに、【大きい鐘と大きい叩く棒】で、座して、一礼した後、ご自分で、鐘を叩かれます。鐘の音の余韻を聞きつつ手を暫し、合わせて、此処有名な、清水寺で、体験された事。とても感動したと。とても大きい鐘の余音は、生涯良い想い出になりました。と、礼状をよく戴きます。今年の年賀状にも、山形の方が20年ほど前のこと懐かしいと添え書きありました。 大きい鐘を撞くと清水寺に詣でた感動を覚えます 本堂の内陣に素足なら入れます 本堂には、太い檜柱が何本か有ります。その太さは、原木の1/4で、建築では真ん中の芯部は弱いので、避けています。だから原木の太さが4倍と想像できます。現在日本には、無く台湾あたりから輸入されています。 今一つは、奥の院から5分ほど歩くだけで、変形四交差路に出ます。殆どの人は、宝物を失って、迂回して、音羽の瀧の方に向かわれます、多分人間の本能がそうさせるのでしょう。此処を【子安の塔】への道標に従い。僅か二十歩山道を登る事で清水舞台全景の眺望の出来る【子安の塔】から 、【清水寺の全景】の眺望の開ける絶景の場所に至るのです。外人さんは素直ですが、その交差点で、日本人の連れに言葉を掛けても、無視されます。素直で有りません。外人さん「ベリーワンダフル」そして「ありがと」と。 【子安の塔】は是非ご訪問して見て下さい。清水寺で一番景色の美しい場所でしょう。NHK京都放送の気象通報のバックの景色は、この場所で、日毎に京都の良さを味わっています。
2012.09.10
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京都観光と言えば、清水寺が群を抜いて人気が有ります。清水の舞台がその注目となるからでしょうか。そこで本日の清水寺の縁起を理解しているともつとその見所の意義が生きてくると思います。清水寺を一口でいえば、 【安産の祈祷寺】【三年坂】(産寧坂しもいいます)・【子安の塔】の配置からも頷けます。 清水寺 延鎮と行叡居士と出遭った場所 (奥の院)【清水寺の縁起】794年平安遷都される前のこと。昔々、奈良は高市郡の【小島寺】にとても足の速い、小僧さんが仏に仕えていました。名を 【延鎮】(えんちん)と称しました。或る日 【夢のお告げ】 があり、むしょうに足はある方向に向かってとまりませんでした。何と、未だ京の都も制定されていない、少し前に、東山の山麓で、足が止まりました。不思議や、延鎮の前に、杖を突いた白髪の仙人が現れました。【行叡居士】(ぎょうえこじ)と言う方で、庵を設けて、修行されていました。【行叡居士】は、【延鎮小僧】さんに 「この霊木で観音さんを彫り、祀って護りなさい」 と伝えて、姿を消されました。8年がかりで、彫った観音さんを、山中で、祠を建てて護りました。或る日、鹿狩りで、「雌鹿を射止めた」 【坂上田村麻呂】(さかのうえたむらまろ)と、ばったり出くわしました。 延鎮は、「何故そんな殺生するのか?」と問いただすと「妻が腹ぐみ、雌鹿の生き血を飲むと安産する」との迷信に、延鎮は、戒め「私の彫ったこの観音さんに祈る事によりきっとお恵みが有ると」と説得。事の理をわきまえた田村麻呂は、雌鹿を鄭重にこの地に葬り、妻と一緒に観音さんを日参されました。日も満ちて、【玉のような男の子】が誕生しました。大喜びで、貧しい、祠を素晴しい大きい御堂を田村麻呂は寄進しました。この噂は、村中に広がり、われもわれもと参詣する人が増え、御堂前は、混雑しました。そこで、岩間に懸崖を造り、出来上がったのが、現在の 【清水の舞台】 と成りました。 【清水寺は安産の祈祷寺】 が本来の姿で衆派も奈良の 【北法相宗】 (きたほつそうしゅう) とされています。 京都一観光客が多いにも拘らず、写真の場所に歩を止める方は、皆無に等しいことが残念で成りません。立札にも説明が載せてありますが、忙しくって、目にも触れられません。清水の舞台の入口には、 【開山堂・田村堂】がありますが、非公開もあって、目にとまりません。坂上田村麻呂夫妻・延鎮和尚・行叡居士の像が祀られています。次回、拝観順に4回シリーズで見所をご紹介したいと思っています。
2012.09.09
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最近、プロフィルで、アクセス数が倍化し、新しくコメントを下さる方の ご要望もあり、再度京都観光のご案内を徐々に始めたいと思います。既に読まれた方にとっては、申し訳有りません。 NHK大河ドラマ「平清盛」像がいまひとつわかりにくいのですが、白河上皇・鳥羽上皇そして後白河上皇のイメージがとても暗くって当時の世の乱れが目立ちます。歴史をどう解釈していくべきか、史跡は、幾分語ってくれそうです。昨日まで、私の住む京都でも最南部地区の伏見について暫し報告しましたが、京都全体を見回しますと、過去歴史上人物の夫々の遺跡から、当時を偲ぶことも趣が深いと思います。世界文化遺産17箇所を含む寺社を始めとして、観光地が多く存在します。エムケイタクシー乗務員として、25年の現地観光ご案内をお客さまによって学んだ視点で見所を強調して見たいと思っています。京都タワーのうしろの山 比叡山・東山三十六峰 左の方向 愛宕山 小倉山 この京都の街にどんな物語が潜んでいるのでしょうか。お楽しみに。
2012.09.08
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本日1週間目の血液検査の結果、奇跡的に13から29に回復傾向を味わいました。3週間前、4と言う最悪の血小板数値が、自力で再生出来ない難病として、輸血を繰り返す覚悟だっただけに、とても信じられません。お恵みに感謝です。国立病院からタクシーでワンメーターの範囲に位置します。更新が遅れてすみません。伏見の代表は【伏見稲荷大社】に尽きます。 全国初詣でも10の指に加わるほどで、商売の神様として、参拝する自家用車の殆どが大阪ナンバーでひしめいています。参道入口参道背景が稲荷山楼門 就学旅行生記念写真お使いの狐楼門の裏手本殿前の建物本殿奥の院への千本鳥居鳥居のトンネル鳥居を奉納する数の多さに圧倒されます奥の院のおもかる石外人さんにも人気 両手で持ち上げておられるおもかる石灯篭の前で願い事を祈念して石灯篭の空輪(頭)を持ち上げそのときに感じる重さが自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い重ければ叶わないとする試し石で一般には「おもかる石」で親しまれています。
2012.09.07
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太閤が名石狩りで、唯一ものにした【藤戸石】を中心に特別名勝指定庭園【国宝】池泉回遊式の豪華な庭園がありますが、京都観光で見張りをつけてまでの撮影禁止はここだけで、残念ながら皆様に言葉で説明せざるをえません。 上醍醐と雰囲気が、一転して、豪華な建物・庭園がみられます。五七の桐紋の垂れ幕 花見行列の馬場 【下醍醐】豊臣秀吉が【醍醐の花見】として63歳1598年(慶長3年)3月15日北政所ねね・淀君・秀頼同席で秀吉の生涯をしめくくるに相応しい豪華絢爛な宴を催しました。そして其の年の慶長3年8月18日伏見城で逝去、秋には紅葉狩りを考えていた醍醐三宝院の庭園も完成を観ずして終わりました。 国宝 五重の塔【五重の搭】【国宝】京都府内で最も古く、「応仁の乱」から免れました。 国宝 金堂【金堂】【国宝】本尊薬師如来・日光菩薩・月光菩薩鎌倉時代の仏像で何れも【国宝】です。薬師三尊は、前に説明しましたが、日光菩薩は【慈悲】太陽月菩薩(がっこう)は【智慧】冷静な月で薬師如来の脇に仕えてます。 【御影堂】大師堂とも呼ばれ「弘法大師」並びに「開山理源大師」の木像を安置されています【宝聚院】醍醐寺の霊宝舘で、国宝・重要文化財の展示物が多数観られます。勅使門 【醍醐三宝院】勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、菊・桐・桐・菊の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問するときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。 京都で此処の庭園だけ、写真禁止で、見張り役を置くぐらいでとても残念です。藤戸石・醍醐棚は、Google画像で確かめてみてください。表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると「能舞台」になります。中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。加茂の三石。川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。藤戸石】(ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも「真正面」に観られます。「三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。庭園に「橋」が三種類あります。「石橋」「木橋」「土橋」と変化を表現しています。庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな雰囲気の音も聞えます。そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が祀られて居ます。前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。藤吉郎時代、ねねの進言で、「功績」を成すにも誰も、「千成瓢箪」 【奥宸殿・玉座】正面に「藤戸石」が眺められます。喜んでくれずだだをこねる主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか【日本三棚】「醍醐棚」「修学院離宮棚」「桂離宮棚」見所豊富で、桜の咲くころは、訪れる人で満杯となります。京都観光も此処まで訪問できれば最高と思います。
2012.09.06
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京都市には、11行政区に分かれています。そのひとつ我が町【伏見区】にも、世界文化遺産に登録された歴史的古寺が近くに有りとても恵まれた環境にあります。でも地元ほど関心が薄く宝の持ち腐れかも知れません。エムケイタクシーの乗務員として、人に歓ばれる観光の勉強がお客さまにご案内することで、一生大切な観光を学ぶことが出来ました。宝物として大事にしそして感謝します。【醍醐寺】世界文化遺産 京都府で一番古い五重塔【国宝】醍醐天皇を弔うために建てられました。高さ38m、屋根の上の相輪は約13m相輪が塔の1/3を占め、安定感があります。 【国宝】金堂です。醍醐寺の本尊【薬師如来坐像】【国宝】が祀られて居ます。 弁天堂と取り巻く池の水面にも新緑が美しく映っています。【醍醐三宝院】の特別名所の庭園並びに仏像は、一般に撮影禁止で御紹介出来ないのが残念です。詳細は、グーグルで検索して見て下さい。【上醍醐】西国三十三所観音霊場第十一番札所 彼方に見える山が、「上醍醐」です。山道3キロ、西国観音霊場の最難コースとされています。新緑が美しいです。 【女人堂の蟇股】(にょにんどうのかえるまた)上醍醐の「准胝堂」(じゅんていどう)が雷により焼失、再建まで、下醍醐の女人堂で納経の受付されています。今の内なら、難所へのお参りは、助かります。【蟇股】やっと写真で説明できそうです。蝦蟇が構えている形式で、何処でもみかけられます。水に関係し火災から免れたい気持ちが、宮大工として、飾られたのでしょう。此処には、「五七の桐」の文様が飾られていました。豊臣秀吉の家紋でもあります。 国宝【唐門】勅使門真中が豊臣秀吉花紋「五七の桐勅使が入られるときは真中は開かれ菊の御紋でお迎え帰られたら桐の紋が真中に治まります。秀吉の考えそう?
2012.09.05
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小野小町の伝説も此処でその環境を感じられる醍醐地区です。6月、新聞に【勧修寺】(かじゅうじ)の睡蓮が美しいとして、見てまいりました。京都盆地の東隣山科盆地の中央辺りに存在します。その南に【醍醐】があります。借景の睡蓮の池の背景の山が、【亀甲山】(きっこうやま)です。亀の甲羅を意味し吉兆を伴うことを願っての自然の配置です。伏見・深草より「深草少将」が醍醐・小野に【小野小町】を慕って「百代通い」をした山すその道が、労しいです。小野小町は「榧の実」(かやのみ)を99まで集めて、満願の日に深草の少将が病に倒れ恋は実らなかったとも云われています。 樹齢750年のはいびゃくしん 水戸光圀公寄贈の勧修寺形燈籠 観音堂 睡蓮と緋鯉勧修寺のカキツバタと睡蓮の池あまり知られていない、こじんまりしたお寺にも、自然との調和のとれた名勝がありました。醍醐天皇のおばあちゃまの霊を弔うために建てられました。【勧修】の名は、おじいちゃまの諡号から付けられたそうです。静かに眠られるには、素晴しい環境と偲ばれました。 【小野小町】 伝説は、日本各地に点在しているようですが、此処醍醐地区に隣接した小野の【隋心院】には、深草の少将の百夜(ももよ)通いのたびに、小町が遺した【榧の実】(かやのみ)が、展示されています。そして老婆百歳の小野小町像も他の仏像とともに、飾られており、長寿とはいえ、人生感の無情を感じさせられます。
2012.09.04
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伏見区【日野】は、足利将軍の代々奥方の出身地でもあり、あの京都の悲劇応仁の乱の主役「日野富子」も此処の出でした。一方、浄土真宗(本願寺)の開祖【親鸞上人】のお誕生の地として【日野誕生院】がのこされています。側には、宇治の平等院並みの国宝阿弥陀如来(定朝模様)の祀られた坐像が、【日野法界寺】として幼き頃より、親鸞さんも手を合わせていたのでしょう。 【親鸞上人お誕生日・承安3年(1173)5月21日】【日野誕生院】楠が樹齢800年。得度を受けられた京都の【青蓮院】の4本の楠と同時期。 浄土真宗の開祖【親鸞上人】は今から約800年前、ここ「日野の里」でお生まれに成りました。醍醐寺の南方少し、離れた場所で京都市伏見区に属します。父は日野氏の一族で【日野有範卿】(ひのありのりきょう)母は、清和源氏の出身で【吉光女】(きっこうにょ)日本全国に浄土真宗の信者さんが多いですが、此処がその発祥の地とは言え、至って静かな、簡疎の地でも有ります。 【えな塚】 【産湯の井戸】【えな塚】とバックに【日野法界寺】の屋根が見えます。【乳薬師】とも云われ、安産・子育ての「薬師如来」が祀られて居ます。えな塚は、幼稚園の園内に属し、お断りをして、撮らして戴きました。さでした。 【日野法界寺】日野法界寺・国宝阿弥陀堂宇治の【平等院】の「阿弥陀如来坐像」は、仏師 【定朝作】(じょうちょう)で、此処も【定朝様作】として、本尊【阿弥陀如来坐像】も国宝に指定されています。建物は、鎌倉時代に再建されたもので、「応仁の乱」からは、焼失を免れています。写真の右手に屋根だけ見えますのが。【乳薬師堂】で、昨日の「えな塚」「産湯の井戸」と隣接した位置にあります。親鸞上人は、幼少のころより、この眼差し優しい「阿弥陀さん」に手を合わせ御育ちになったといいつたえられています。 親鸞上人9歳のお姿の銅像です。「日野誕生院の境内」に建てられています。 出家決意のおん歳9歳での歌碑です。お父上は、4歳時そしておん母上は、8歳のときに浄土に召されました。世の中で最も大切なご両親を幼児期に亡くされ、阿弥陀さんにすがりつつも、仏道に決意なさったのでしょう。明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に 嵐の 吹かぬものかわ 京都の【青蓮院門跡寺】【天台宗】で 【得度式】(とくどしき)を挙げられました。そして 比叡山で修行を受けられました。今や、「西本願寺」「東本願寺」を初め全国に、【浄土真宗】の信者さんが多く居られます。難しい、お経を唱えて救われるものでない。ただ「南無阿弥陀仏」と【念仏】を唱えることで浄土に召されると。大衆庶民を対象に布教されました。
2012.09.03
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秋も未だと、待ちあぐねている時節に、桜はないでしょうが、と叱られそうです。でも【伏見】の名は、よい水が伏せている水に恵まれた【伏せ水】からされてます。銘酒で有名な【月桂冠】の醸造の蔵も絵になります。 私の住む伏見に寺田屋のまえから、三十石舟が観光で動いています。 【宇治川派流】(うじがはりゅう)として、大阪難波へと運行していました宇治川から入りこんだ運河です。その上流では、伏見の酒【月桂冠】酒造の蔵を眺めながら十石舟が運行し、川沿いの桜・柳・そして雪柳 を眺めて乗船する方がおおかったです。寺田屋の前からは三十石舟十石舟の乗船場 予備舟 月桂冠の酒蔵 柳を背景に酒蔵ここの写真はポスターでよく見かけます。 酒蔵と運河ガマッチしています。【伏見】は【伏せ水】から長まれたようで、地下水(伏流水)がとても良水で醸造のためには最適の水に恵まれています。
2012.09.02
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9月に入りました。気分一新です。坂本龍馬の「維新八朔」にかけて、「維新の会」が党首も橋下徹氏にきまり、無駄を外し、実行性の政治特に教育を見直す政治と言います。日本の政治は変わるのでしょうか。北朝鮮、拉致問題に議題の可能性が少し出てきたことは一途の灯火と考えたいです。 【寺田屋】NHK大河ドラマ【龍馬伝】【寺田屋の母】が過去放映されました。、写真に収めるべく過日行って参りました。かなりの方が訪問されていましたが、月曜日は、休館日で、中には入れませんでした。でも、【お登勢明神】は、背の高い、エムケイタクシーの親切な乗務員の方が、門越しに、辛うじて撮って下さいました。寺田屋の全景です。向かって右手に庭に入る門があります。立て札の奥に、本日話題の【お登勢明神】の祠がありました。赤い、鳥居が見えますね。ドラマは、勝海舟の神戸海軍庁舎の閉鎖により、気落ちして此処、伏見の船宿に、立ち寄ったところ、龍馬の18年前に亡くした、母親に全く瓜二つの、船宿の女将【お登勢】に出会い夢を取り戻すシーンで、その後、寺小屋の子供たちと、【お龍】下働きとして、寺田屋にお世話になるところでした。 お龍は、働き者てすが、苦境の生活か、【笑顔】がなくぶっちょ面で、お登勢から、「客商売だから、笑顔で」と望むも直せず、龍馬から 「う・み」と言ってごらんと繰り返す内に笑顔は、形作られましたが、未だ無理の様でした。いくいくは、養女となり、女将の仲立ちで、龍馬と夫婦になります。従って、【縁結びの神】として、若い人達に人気が有ります。
2012.09.01
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