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通常舞台公演の2週間前に稽古を7日間も休むなんてあり得ない。しかし稽古に使っている公共施設は年末年始は休み、正月は頼み込んでスタジオを4日から使わせてもらうことにした。年末年始は人に会う機会も多いからチケットも売らなきゃいけないし。で、この7日間に何をしておこうかと考えたものの、もう3日間過ごしてしまった。しまったぁ!飲んで潰れて、実家に帰り、また戻って打ち合わせご接待、そして実家に逆戻りで明日はおせちの追い込みである。自分のウチの大掃除と年賀状は諦めなければならない。そんな中、外回りの用事に追われる夫が本を買ってきてくれた。前から買おう買おうと思っていた保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』。『カンバセイション・ピース』で、夫はもう保坂の書いているのは小説じゃなくなってきてるんじゃないか?とやや食傷気味だったので、この本はわたしから読む。これはただ小説という形を借りていないだけで、他の作品と書いてあることにじんでくるものは同じじゃないか!という感想。でも元気がでる。もしかしたら保坂作品の一番の入門書かもしれない。実家を行ったり着たりの電車の中で読み進む。そうか稽古がないからゆっくり読めるのだ。ちなみに夫が最近、ものすごく面白いと夢中になっていたのが橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』。唐突に普段の会話にこの本の話をし出す程だった。「本当に薄皮をはぐように丹念にねっちっこく、本質を暴いていく容赦のなさが面白い」んだそう。なので、同じく三島論の面白い加藤典洋の『日本風景論』を貸してあげた。ホモがホモを追求する容赦のなさとしつこさを面白がる夫の、ちょっと粘着質な気質もまた怖いような。疲れのせいか昨日から背中と胸の間(つまり体の内の方)に鈍痛が続いて横になりがち。動悸もおさまらない。ちょっとばかりまずい雰囲気。それもいいか休みのウチならば。横になったまま坂口安吾。思いがけず兄と妹の短編。死のうと思って妹の顔を見たら「永遠」を見てしまって死ねなくなったと泣く兄の話。夫に読んだと聞いたら「悲しくなるから安吾は読めないの」だって。わやしの趣味って結局読書か?それともただの怠けものか?久々の料理、実家に帰る前に冷蔵庫を空にしてしまうべく。これが一番休日っぽいか。
2003.12.30
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妹の彼氏がこちらで正月を過ごす為、やってきた。イギリスに帰国してから半年振りの再会。スノーボードとビールを山ほど背負ってやってきた。前日メールで「シャブシャブ待ち切れない!」というメッセージそのまま歓迎しゃぶしゃぶ会を催す。わたしと夫は連日までの五連チャンでかなり疲れ果てていたものの、彼との再会に胃薬を分け合って駆けつけた。彼のいいところはその育ちの良さ。日本語を話す時と英語で話す時の顔つきや表情・語調が変るいわゆる西洋人というのが多い中、彼の調子が全く変らないのは、すごく貴重なことだという友人がいた。その気弱で幼そうにも見える外見にして、以外にも、腰の据わったスローライフ兄ちゃんなのだ。そして夫と仲がいい。お互いサッカー好きなので話も弾むし、夫の冗談がよく通じるのだ。ドイツ開催のワールドカップには一緒に行く約束をしているらしい。彼がいつ自分の弟になる日が来るのか全くわからない。子供の数が二倍に増えた食卓というのはすごく不思議だ。わたしと妹が子供の頃のままにじゃれているのを、40過ぎた九州男と25歳のイギリス人がやれやれと顔を見合わせながら眺めている台所。ふと自分とあまり似ていないと言われつづけていた妹の首やうなじや肩のラインが、自分と同じ線を描いていることに気がついたり。妹の目のあたりが母方の祖母に似ているのが浮き出るように見てきたり。ただ一番小さい単位の家族が、もっと別のものに見えてくる。ちょっと言っただけなのだけれど、日本には一年ぐらいしかなかったBOOTSで買って以来ずっと愛用しているアイブロウセットを、彼が白い目で見られつつも探し出して買ってきてくれた。それからビールのお供に、ドライトマトやキノコのピクルス、チーズにドライフルーツ、ソーセージ。それからバスソルト。わたしも妹も何故かこのきっつい匂いのあちら製のものが妙に好きなのだ。そんなものが一同に開封されたテーブルでふけていく夜でした。
2003.12.29
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デン子と飲むことになった。もちろんあの東京電力のデン子に似ているからそう呼んでいるのである。仕事の時赤いリボンで髪を束ねていたせいもあるが、あのどことなく漂うユルさがデン子を彷彿とさせるのだ。今年前半まで勤めていた職場を辞めて以来の再会。ウチの近所に越してきた連絡を機に飲むことになったのだ。デン子は酒癖が悪い。だからあまりみな飲みたがらない。わたしだってあの酔い方を見てしまったし、しつこくせがまれてセッティングした合コンもすっぽかされた事がある!でも自分も酒飲みだし、彼女は人なつっこく、ココロザシのある人なので大目に見れるのだ。一度彼女の飲み方があんまりひどいので、(それも合コンみたいな席だったのだが)モテたかったらここを直せ!というヤツを箇条書きに書いて持たせたことがある。○食事や飲み会の時は、髪留めやゴムを携帯しておけ! (彼女は髪をよく食ったまま、飲んだり食べたりしてしまう)○笑い話しになっていない不幸話はするな(彼女は相手構わず不幸な恋愛話をする)○ロックで酒を飲んでいいのは、気のおけない人とおしゃれバーだけ。○上目遣いと猫背と肘をつくのは禁止もっと細かなこともあったのだが、あまりにも基本事項で愕然とする。女同士なので意に添わない仕事の話から、そんな不幸な恋愛話もたっぷり聞く。どうしてそうなるの?なんで後から後から「離婚調停中」だの「本意じゃない結婚をしている男」ばっかりと付き合うんだろう。そしてどうしてこんなデン子に後から後から手を出す男がいるんだろう?自分もそういう恋愛の経験はあるし、自分と同じ年で結婚してない友人達の相手が既婚者であることも少なくない。でもこんなに陰惨な雰囲気はない。恋愛の楽しさ、好きな人がいる喜びというものをもう少し持っていると思う。「だってさびしいんだもん」って言うな!いつも人の店に来て「なんか面白い話して」って言うな!本当に・・。壁に当たる度に『コニミケーション100の法則』なんて本を読んでしまう自分が言えることじゃないかもしれないが、もっと幸せになろうとしてくれよ!こんなことを言ったらアレだが、モテない女は一目でわかる。きちんと化粧をしていても、それなりの服を着ていても雰囲気がズズ黒いのだ。目線や姿勢、言葉の端にも表れてしまう。それが悪循環を呼んでしまうのだ。本意じゃないかもしれないけど明るい服を選んで欲しい。語尾をだらしなく伸ばさないで欲しい。本当にこんな日記ばかり書いているわたしがいうのもアレだけど。わたしも不幸なオーラの女だった。(今でもそうかもしれないが)どうして幸せそうにしていられるかと思いもしたし、それを全く苦にもしていなかった。それを劇的に変えてくれたのはテレビに出たことだった。テレビには言い訳じみた暗さは許されない。初めてから騒ぎの収録に行ったとき、持参した一番小ぎれいな服は地味すぎて却下された。制作会社の女性スタッフの服にそのまま着替えさせられて出演をした。当初3カ月と言われていた出演は毎回更新された。だから毎週のように新しい服を買った。買い物は大嫌い、特に服と靴と化粧品を買うときに店員に声をかけられるのが苦痛なのだ。アルバイトの収入のほとんどを費やして、時には泣きながら服を買った。それも普段の自分が絶対に着ない類の服を。そして同じくらい化粧品も買った。初めてアイラインも引いたし、マスカラも買った。そしてある時気がついた。この女の子達の、きれいで明るくて楽しそうな事を。こんな女を軽蔑していた。きゃぴきゃぴと明るくて、外見ばかりに気を使うバカ女と。でも明るく楽しく、きれいなことがどうして悪いのだろう。目から鱗が落ちるような発見だった。そして初めてズズ黒い自分が見えたのだ。見てしまったからには戻りたくない。そんなわたしを、ちゃらちゃらしてるだの、病弱だから男に好かれるだの言う人はいる。でもわたしはこの明るさを知ったこと、この世界の変化を見れたことの方が、そんなそしりを気にするより重要なのだ。デン子は多分ココロザシさえあればいいと思ってる。ココロザシは立派だけれど、それさえあれば人は尊敬もしてくれるけど、ココロザシを掲げた当の本人はカラッポなのだ。楽しいことをたくさん見つけて、感じて、自分を満たしていって欲しい。そんなデン子に夫と芝居をするのを辞めたいと話すと、「あんたが一番工夫して克服していかなきゃいけない問題でしょうが」と一喝される。まあそうだな。そう考えてみよう。今日日誰も「頑張れ」とは励まさない。そうか頑張ればいいのか。叱ったり叱られたりしながら、トイレから戻るとカウンターに突っ伏して吐きながら寝ているデン子を起こしタクシーで帰ったのでした。デン子に幸あれ。
2003.12.28
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稽古おさめ。昨日のヒデさんの「明日オレ来れやんよ」で一同足元をすくわれるも、なんとか彼のいない場の完成度を上げる稽古に変更。夫もこれで終われば良しと一応のオーケーが出た。連日だけど、ささやか4人で忘年会。舞監さんと、イトウセイコと夫とわたし。不思議だけれど、この4人はこの一年で出会ったのだ。一年前は夫はセイコを、舞監さんもセイコと全く面識がなかったのだった。随分前からみんな知り合いのような気がする。実質3本やってるしね。そんなセイコと久しぶりに語らう。編み物のこと、恋人のこと、芝居のこと、芝居の不安のこと、彼女のアイデンティティーについて。結婚のこと、家族のこと、彼女が求める生き方について。この一年、ほとんど10年近く付き合いのなかった彼女との再会というのも一大事件だったんだなあと実感。そのことでぐちゃぐちゃに悩んだり泣いたりもしたけれど。久々にセイコペースに合わせて、本格的に飲む。帰りに夫とケンカ。酔ったせいかな。夫は『ファインデイ』のビデオを見てから寝てた。ちょっと年の暮れっぽい夜でした。
2003.12.27
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昨晩から1999年からの公演アンケートを参考にDM書きした100通あまりを発送する。残りも100通くらい。これにわたしの個人的な友人や、夫の関係者や友人知人であと200通くらいか。今年は年賀状出せないなあ、引越したばかりなのに。ある人から連絡があり、店にチラシを置いてくれるというので行ってみる。最近鬱々としているので、昔からの知り合いと話しができることが嬉しい。時間を空けてくれていたのだが、仕事や来客があり、じっくり時間はとれなかった。それがかえってよかったような気がする。その人とあうことだけに稽古前の貴重な時間を全部費やしてしまったら、すっきりしたとしても自分のことにかまけすぎた後悔が残るから。昨日密かに決心した事を初めて他人に話してみる。彼女はものすごく勘のいい人なのだけれど、稽古中にわたしがイトウセイコに呼ばれている呼び方(わたしをこう呼ぶ人は2人しかいない)でわたしを呼び始め、夫の芝居には頻繁に出てくるけれど、彼女のボキャブラリーにも、世間一般の日常会話でもそんなに出てこないであろう「無意味」という言葉を使って話しをし始めた。(彼女は諸事情によりわたしや夫の舞台を見に来れない・見たことがない)シンクロニティなんていうとニューエージぽくってインチキくさいけど、彼女にはなにかそういうところがあるのだ。彼女が通う30年ほど続くクラブ(同好の志の集まる店)の話しをしてくれた。無意味という言葉をたくさん使いながら。今まで会った人物の中で一番自由で奔放な人に見える彼女が、最近40代後半になり、そのクラブに通い始め、初めて「自分は不自由だ、全然人生を楽しんでいなかった」と思ったんだそう。自分一人で仕事をしていたから、休んでも罪悪感を感じていたり、損得で人付き合いもしてたように思えてきたのだそう。「無意味な事って本当に大事」と彼女は言う。そして「続けることも」と。そのクラブが30年続いてきたのは、無意味なことを一生懸命続けてきたから。その無意味への努力が新しい人とも繋がりや結びつきを作りつづけ、人を惹きつけ続けたのだと彼女は思うのだそう。そして人が損得でなくて無意味なように見えることで繋がれる貴重さも。仕事以外のつきあいなんて家族と親戚以外なくなってしまったから、音楽や芝居で人と何かが出来ることが羨ましく思うのだとも。続けることって凄い。続いていくことって凄い。それは少しわかる。人間関係なんてあとからあとから取り替えのきくものだと思っていたから、少し前までは目の前の出会いを全然大事にできなかったし、ケアもしなかった。今では切ったり捨てたりそんな不遜なことは怖くてできない。こんなに強くて、自由奔放な彼女がまだ、自由になりたい、人生をもっと楽しみたいと思っていることに本当に驚いた。そして鬱々としたこんなわたしとの繋がりが絶えないことすら、とても喜んでくれる。少しの時間だけれど、とても温かく軽い気持ちになることができました。麻布ディープラッツに置きチラシ。久々に東京タワー(新年仕様の)を眺める。今日の稽古、夫に「あんた今日初めて本気だしはったなぁ」と言われる。
2003.12.26
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稽古も佳境。あと3日間で作り上げなければいけない。集中度も上がれば、親密度もました雰囲気。稽古後時間も忘れるくらいラーメン屋で話し込む。楽しければ楽しい程、自分がここにいてはいけないような気がする。自分さえいなければもっと世に中は楽しくうまくいくように感じてしまう。そんな時期だとは思っても、やはり元に、いつも辿り着く不安があるから。やっぱりもうやめよう。ここで芝居をやることを辞めようと思う。もう夫と芝居をすることは辞めようと思う。
2003.12.25
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振り込み。外で一人ランチ。それから夫の遣いで国会図書館。本日の国会図書館は大盛況、今年は今日と明日で終わりだから。資料がなかなか出てこず随分と待たされる。それから納品、月島。備品を買いに銀座伊東屋へ(ここも大混雑)。はからずも、クリスマスイブ・年末の銀座の雑踏に巻き込まれる。財布を落とした夫に新しいのをプレゼントしたいのだが、歩くのに時間かかりすぎ、妥協して靴下でも買ってあげようと思えど、図書館で時間かかりすぎたのと、この混雑で断念。稽古に間に合う方を選択。だって今年の稽古はあと4回だもの。いろいろと動きの整理し始め詰めの稽古へ。まだまだ課題はいっぱいだけど。休憩中にヒデさんが、みんなにケーキを買ってきてくれたのでいただく。一人分の大きさのかわいいブシュ・ド・ノエル。それぞれにサンタさんも乗っている。混雑でケーキなんか諦めていただけにありがたくて、嬉しい。稽古後はまっすぐ帰るかと思いきや、イトウセイコに誘われて安く飲む会。ま、クリスマスイブだし。今年があとほんのちょっとという現実をちょっとだけ忘れたのでした。
2003.12.24
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本日は昼・夜と稽古である。気合いも入るが、入るハズなのだが、来てしまった!どどーん、と体の中に冷たい重たいものが入ってきたような、ウツである。まったく芝居するどころの気分ではない。フリーズしてしまったような感覚。見るもの、聞くものが全部他人事にしか感じられない。笑い声は全部自分を笑っているように思えるし、楽しくみなが会話していても、自分がそれに加われるとは夢にも思えないし、加わった途端それは成立しなくなると感じる。とにかく気持ちがわさわさと揺れ、追い立てられるように感じる。それを押さえようとすると、体に震えが来る。生理の前には声が低くなる。弁当の店頭販売をしているときに気がついた。その時は自分のコンプレックスである高くて細い声が、幅広くなるような感覚を面白がっていたけれど。芝居となると、たいへんやっかい。ただでさえ気分がひどいのに、そんな変化も手伝うと、自分の声の響き方・コントロールの勝手が狂う。いつもと違う所(体の部所)に声が響いて、まるで自分が喋っているのではないような気がする。自分の声までが他人事のようなのだ。先週新聞でアミノ酸やビタミンB6が有効とあったので、帰ったら絶対飲もうと思う。もともと孤立癖も、引きこもりグセもあったのだけれど、自分の行動がとても大人とは思えない。余計に萎縮する。例えば母や家族の知り合いの前では、本当に大人しくなってしまうし自分を出せない。どっちにしろその人が見ているのは自分ではなく、母や家族のように思えてしまうからか。何をやっても、親の評価する自分の範疇だからか。他人として対峙するのに絶対必要とするポーズが成り立たないから(内情を知られてそうだから)、何も出来なくなってしまうのか。最近だんだん、夫の影響下の自分が、それと同じようになってきているように思う。みな夫を信頼し、夫に話す。夫がしっかり関係を作ると思うから、わたしは誰とも意志の疎通をしようとしなくなるのか。まあそんな状態でも芝居はするのだ。特にわたしの役はそんな役なので、そこから入っていくことは可能なのだ。こんなわたしを見て、夫はこの役を書いたから。全体的に暗い芝居かもしれないけれど、たくさんのメッセージが込められている。仕事をしていなくて後ろ指を差されてる人、病気の人、欲を前面に押し出すことをためらって前に進んでいけない人。「何もしてない人」が本当に何もしていないのか、結婚出来ない人、仕事してない人がそんなに責められるべきものなのか?正当なことをいう人ほど、本当は足元危ういのじゃないか?そういう正当な非難や忠告をされ続ける人達の側を主役にした芝居なの。でももう正当なことをいう人達の側からの芝居って面白くないでしょう?「弱い人」というマイノリティー。こんな底もたまには必要。だって先週なんかは、結婚したから「役のどんより感が感じられなくなった」なんて悩んでたんだから!(なんて贅沢な)前回公演で役の「ヒカル」さんが双子の妹だという夢を見た。そういう夢や思い入れって珍しいと言われましたが、そういう妹を演じる感じで、やっていきます。
2003.12.23
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下北沢トリウッドに、白畑真逸さんの出演している『田園の阿呆』を観に行く。新宿タイニィ・アリスより通い慣れたトリウッド。白畑さんの出演作品を観るのは今日が初めてでした。(白畑さん出演、新井澄司監督の『呪蔵地帯』絶賛公開予定です。)面白かったよ『田園の阿呆』。ちょっとつげ義春タッチのお父さんとか。田園も暇という時間もそうとうに作りこまれたものだったけど。音響はもうちょっとどうにか検討する余地はあると思うけれど。セリフのない抑制加減とあからさまにならない虐待加減が、若い人達もこれくらい辛抱して映画作るんだなあという発見と関心でした。お金も相当かかってそうだし。今日は午後・夜間と稽古。ひさびさにがっつりやりました。芝居の佳境である「シナのルーレット」のゲームのシーン。立ち稽古ではほとんど初めて。しかしこの全員の空気は申し分なし。今後の展開に期待大。そういう長丁場の稽古の中、相手役と相変わらず私語はなくても芝居の距離は近づきつつある感触。少し楽になる。一週間ぶりの飲み会。よいチームになってきてるんじゃないかと希望を描く夜でした。
2003.12.21
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今日は午後稽古。役者のスケジュールの都合で夜の稽古はカットになる。下北沢トリウッドに稽古帰り知り合いの出演する映画を観にいかなければならないので、山ほどのチラシと若ぶった格好で家を出るも、途中のメールのやりとりで上映会は明日なことが判明。ちょっとほっとする。本日も稽古も細かい。そして厳しい。わたしは夫からそこまで細やかな矛盾を突かれるような演出をされたことがないので、けっこうきている。言わずもがなに、口を開いた途端何を言おうとしているのかわかっちゃってるところがツライかな。相手役とも息まるで合わず。本日も絶望しながら帰途につく。同じ年で、同じ大学に行ってるんだからもう少し話題があってもよさそうなものだが、未だ私語交わせず。実家から持ってきた『コミニュケーション100の法則』を携帯しているのを夫に笑われる。もちろん駅伝のように1区から2区、2区から3区、と走ってみなければ絶対に7区が走れない種類の芝居だから、いきなりアンカーとしての二人の稽古は無理があるのかもしれない。けっこうくじけてる。実は一昨日稽古に行く前、自分に絶対禁止しているんだけど、ウォッカの小瓶を買ってしまった。もうよっぽど撮影スタッフが露悪的だっていうときくらいしか飲まないし、実際若い時大物演出家と呼ばれる人に芝居を観て貰うときに初めて飲んだ。まあ、かなり反省して本番までに、酔いをさまして、水飲んで、水ぶっかぶって気合い入れ直したけど。今の夫と初めて客演で共演した時も実は飲んでた。もうほんとうに険悪で、芝居以外に口なんか聞かなかったし、キャリアは違うし、演出家でもあったから。本番中劇場の前で泣きながら当時の恋人に電話してたりしたし。でも、何の役にも立たないことは自分がよく知っている。何かを麻痺させると、何かが置き去りになる。そっちの方がたいてい致命的なのだ。まあこのウォッカを使うときが来るのか来ないのか。まだまだ頑張ります。稽古が夕刻で終わったので、帰宅して、夫は仕事、わたしは事務作業をひとしきりしたのち、久々の外食に出かける。向かうは「中野で一番おいしい焼き肉屋」と小指のない不動産屋のおいちゃんに教えてもらった中野坂上の某店。いやー本当においしかった。吉祥寺の李朝園よりおいしかった。何を食べてもおいしいの。チヂミも粉っぽくないし。お肉もおいしい。お肉以外の料理にも何一つ外れはない。向こうもののお酒もおいしい。上機嫌というのがおいしいものを食べた後にしか訪れない私にとって、本日は久々の上機嫌。ありがとうおっちゃん。
2003.12.20
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芝居で前回「なんてことない、ただ『友達の妹』ってだけのこと」というセリフに引っかかり、世間一般、男性の間では「友達の妹」っていうのはどんなニュアンスがあるんだろうと検索してみた。そしたら出るわ出るわアダルトサイトばっかり!「友達の妹」は一ジャンルを形成していたのね。知らなかった。(知り合いにめんどくさいから「セーラー服を脱がせて」で検索するという人がいるけど、そういう意図ではなかったのです。念のため)同じく「兄と妹」でも調べてみるか?でもなんとなくわかるような気がするからやめとく。妹キャラというのは、かわいそうな扱いをうけるなぁ。体験談とも妄想とも創作ともつかないこの混沌のエロジャンルでは。一番手近な異性というか・・。何かあったとしても絶対本気じゃないって、わかるだろ、って感じか。でも本当に実際兄のように異性を慕ってみせる女の子って、結構戦略でしょう。本当にうっかり手を出したらなかなかただでは済まないと思う。(と長女だから言う)「兄と妹」問題は文学と観察に頼ろう。本当に安易に妄想世界に流されそうだから。池澤夏樹の『花を運ぶ妹』とか、よしもとばななの『哀しい予感』とか(姉と弟だけど)。よしもとばなな賛成。瞬間とか転換点がすごく丁寧に描かれるし。『温室』の元になっている岸田國士の『温室の前』という戯曲もすごくカッコイイ。スタイリッシュ、これが昭和2年に書かれるおしゃれさと言ったら。(『温室の前』は鐘下演出はじめ、わりと頻繁に上演されています)これも再読。あともう一つ検索してるものがある。送られたりすると困るし、人前で言える種類のものではないのでアレだけど。あとはマンション建設反対運動をやっている人達のHP。すごい盛り上がりよう、そして意外に面白いの。そんな検索役作りの時間でした。本日は少人数で、非常に細かい稽古。わたしには「プチ新派」とも言われる癖があり(初めてやった芝居がそんな感じのものだったから)、悪戦苦闘中。あと興奮すると左に3~4センチづつ移動しながらしゃべる癖もあるらしい。本当にそういう癖が指摘されるとこっぱずかしい。動きを極力まで押さえるシーンだから。これも克服させてみます。
2003.12.19
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牡蠣ご飯を仕掛けて稽古場に行く。(牡蠣を買ってきたのはわたし、仕掛けたのは同居人)もう帰ったらご飯を作る気力が失せてしまうので、ある程度用意して出るに限る。基本的に友達の役者カップルなんかもそうだけれど「本番のある方が王様」ルールが定番らしい。ウチもそうだけど、ほとんど同じ舞台なので意味をなさない。だいたい同居人は稽古しながら脚本書いてるし(朝と昼は別の仕事)、わたしはその同居人の仕事の隙を縫って制作の事務仕事をする。部屋は荒れるし、食生活も荒れる。しかし引越して、緊縮財政になったので年内は内メシ令がしかれた。年末は稽古の後仲間内で飲むより、外の忘年会に行ってもらってチケット売って貰った方がいいし。しかしウチの夫婦の忘年会予定はゼロ。師走の夜を二人でしのぐのだ。深夜食して、少し飲んで、0時50分からの「ハッチポッチステーション」を見るのが完全に習慣的楽しみになってしまった。夫のはしゃぎっぷりったら凄いね。どまん中なんだろうな。夫が知り合いから、奥さんの日記が辛そうだ、相談にのってあげようか?と言われたらしい。検索にかからないようにしてたんだけど、トップに出てきちゃうのね。恥ずかしいけれど「排水」だから。こんな長くて暗い日記を継続して読める人なんかいないとタカを括って続けます。
2003.12.18
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ウチには「銭金金太郎」という番組の制作スタッフから問い合わせが何度かあった。もちろん「おたくの劇団に凄く貧乏な人いたら紹介して下さいよ」というオファーである。だいたいウチは劇団じゃないし、某中小企業の三男が家業手伝いながらやってたり、きちんと芸能活動をしていたり、年齢層が高くて芝居を続けていたりするとそれ相応の糊口のしのぎかたというのは確立しているものだと思う。それはおいといて、本日の問い合わせは某情報番組から。4週間後のステージ情報の候補を探しているとのこと。条件は協賛やスポンサー企業がついていない事。もちろんついていないし、広告料もいらなのでチラシ・あらすじ・企画書を送ることを承諾する。あんまり期待はしない。テレビに。前回の『温室』の公演の前にも、告知してくれる、という条件で「ケータイ将軍」という番組の出演を承諾したのだ。お宅訪問コーナーで。そんなに隠すようなアレでもないけれど、でもやっぱりこんなわたしにも以前から応援してくれる人がいるわけで、夫ともどもテレビに出るというのは結構決断だったのだ。まあ結果はさんざん。深夜1時台の放送がスーパーボール中継の為に、深夜3時台になり。おまけに番組中も番組HPにもいっさいの告知はなし。一応「から騒ぎ」に出演していた方をというピックアップだったのだけれど、そういう風に紹介されてないからテレビを見てただけの人は「誰だよ!」だよ。(わたしは女優としてテレビなんかに出たことはないのだ。事務所の人はめんどくさいのでわたしを舞台女優と説明する。それも舞台の人が怒ると思う。三流モデルあたりが適当な肩書きだと思う)結局自分のお馬鹿っぷりを露呈しただけで終わったのでした。(ギャラは一人分だし)チケットの予約や問い合わせの電話はまだないけれど、広告出しませんか?とかそういう問い合わせが今回から増えた。ぴあに掲載・委託したからか、本多グループの劇場公演だからか。とにかく、無冠の夫と(すまん!)本当に誰にも知られないところで、ひっそり芝居をしているような孤立感がずっとあったので、人が自分たちが芝居をやることを知っているというのは不思議な気分だ。もちろんありがたい。本当にありがたいのは、実際に劇場に来て何の評価も棚上げにされている夫の作品を観て貰うことなんだけれど。そしたらわたしの役割も終わる。もっとこれに興味を持てる人なり、評価してくれる人に、出演も作品も託すことができる。わたしはその中でチャレンジすることができる。本当にその世界を体現できるのにふさわしいかどうか。世間と繋がって芝居があるのは嬉しい。ちょっと今日はそんな気分で稽古場へ行ったのでした。
2003.12.17
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発注したチケット届かず。1月からのリハーサルのスタジオと契約に行く。てんこ盛りにチラシも担いで、置きチラシも忘れずに。スタジオの管理人のおばちゃんは相変わらずパワフルでハイテンション。わたしの生活圏内で唯一夫をクンづけ、もしくは「あの子」と呼ぶ人である。吉祥寺を久しぶりに徘徊。チラシを置いてもらえそうなところを探して回る。(あんまり時間がないので、他にいけないのだ)半日一人でいると、どっぷり考え事ができる。病院のこと、病気のこと、家族のこと、まだほとんど私語を交わしていない(コミニュケーションをとっていない)役者さんのこと。前はこんなに考えなかったなあ。鬱屈というのは、当たり前にあることだったから。稽古では、そんなことを踏まえ、距離をつめたり、明るくしたり、子供っぽくなったりの試行錯誤。いくら考えてみたとはいえ、だからといってそうすんなり行くものでもなく。もう、年を追うごとにに自分の芝居が下手になってるような気がするし。たくさんの関係や言葉や気配や、思いつきや気づきで空気も気持ちもまったく変わっていく。それが日常。その空気や話題や気持ちが変わっていくのを丁寧にリアルにすくい取って成立していくのが夫の芝居である。だからそれを感じたり追えたりしなければ、駅伝で言ったら、1区から3区へは絶対にたどりつけない。1区だけ2区だけを区間賞で走りきる実力を持ち合わせていたとしても。どっちにしろ自分の人嫌いとか、人見知りとか、男性恐怖症とか(特に体の大きい、同年代から下の人。今回は男性キャストがその条件にもろかぶりなのだ。本当に申し訳ないけど)、いろんな自信の無さからくる怯えとかに、直面してます。仕事なんてみんなそういう面はあると思うけれど。だから稽古は楽しい。明日のチャレンジです。
2003.12.16
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本日は稽古休み。置きチラシ行脚に出かけるハズが出てしまってからモリエールの前で、50部ほどしか持って出てないことに気がつき路線変更。まずは封筒印刷を発注に。新しいバイトに応募。それから大宮駅へ。観光協会に立ち寄って、チラシを置かせてもらいがてら、案内所の人と世間話に花を咲かせる。わたしにとってここが地元の玄関口。こんな風に人と話しをするのも久しぶり。地元のチケットカウンターも回り実家へ。両親が旅行に出ていて、昨日から妹が家に一人なのだ。ロンドンで同棲していたというのに、妹は昨日からお菓子しか食べていないらしい。まだ日も暮れないうちから「しょっぱいもの作ってぇ」とねだられる。昔から両親が家を空けると、わたしなんかは羽を伸ばしてデートや外泊を楽しみたいのだけれど、妹が本当に一晩何も食べずに待ってたりするから帰って愕然としちゃうのだ。彼女は車も免許もお金も持ってる。友達も多い。なのに人(母かわたし)にご飯を作ってもらわないとダメらしい。母もわたしも、家族に食べさせるならちゃんとしたものをと料理を作ってきたから、妹は食すことに関しては育ちがいいというか保守的だ。どんなにグレてた時も、バブリーに貢がれていた時も、外食を続けたり、偏ったもの、まずいもの、買ってきたものが食べられない(食べ続けられない)のは救いか、弱点か?先月から怪我で入院している祖母を見舞う。家にいっぱなし(無職の)妹は何度も通っているのか、見舞い慣れしていた。普段ならちょっとした外出にも過剰なおしゃれを欠かさない妹が、眼鏡にノーメイク、部屋着のまま病院に行く。一直線に病室のベットに辿り着き、お見舞い品も笑顔もない。祖母の話しを聞きながら、片手だけでシャツのボタンを留めてやったりする。祖母は子供のようにわがままになっている。もともと末っ子気質の顕著な人だったけど、いったん入院したらみんながかまって、言うことを聞くので、もうベットから動かないもんという感じ。医者に隠れてアリナミンも飲んでるし、骨も折れてないし、いつでも退院できるらしいけれど。病院の気持ちを思い出す。今芝居では「どっちかっていうと看病してた人っていうより、されてた人に見えるよ」と注意されてる。心臓手術なんて大げさな入院をしてたから、そっちに引きずられるんだけど、祖父の看病や、病院でたくさんの看病する人をみている訳で。その妙にひっそりとした雰囲気や、無駄のない言葉や動線を思い出した。祖母の洗濯ものを抱えて帰宅。愛猫に挨拶。ネコは両親がいなくてすっかり拗ねている。ご飯を炊いて、カブのみそ汁、肩ベーコンで洋風煮込み、ブリの照り焼き。妹と二人の食卓。昨日あれほど知りたいと思ったことが、全部目の前にある。不思議な休日。
2003.12.15
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と大声で報告したくなる一日稽古の終わり。再演の難しさよ。スランプと言ってしまえばまた違う、壁っていうのは案外楽しい。ああ壁だと思えばもう乗り切るしかない。次の段階が見えてきたってこと。まあとはいえ壁は壁・・・。再演にあたって、禁句にしているのは「前回はこうだった」ということ。だけれど、前回をなぞらぬようになぞらぬように慎重に聞き耳を立てながら、台本に愚直に忠実になりながら、やることのもどかしさ。のびのびと演技し始める初めてのメンバーを横目に。そうやって、新たな人と創っていくウチに新解釈の別の芝居になっていく。前回は当初1場しかなくて、稽古しながら最終場まで、半ば当て書きのようにドラマは作られていったのだった。だから今回は純粋に本と向かいあわなければいけない。多分それが一番の壁。兄弟役はわたしの10年来の先輩であったし、男性を意識したこともないではなかった。久しぶりの再会を果たす同級生は本当に5年ぶりに再会する同い年の友人だった。地元の幼なじみはもう弟のようなものだったし、ぽっこり異物となる女の子は本当にそれが初めてのつかみ所のない異なる人でもあった。だから安心して目の前に起こる事件や確執に集中していられた。温室の中から外に対する憧れや葛藤を躊躇無く感じられた。今思うと、なんとわたしは現実の関係に助けられていたことか!自分の不甲斐なさにびっくりする。一番苦しんでいるのは、たくさんの気持ちが出せないこと。もともとの関係をベースにしてたら、自虐的だけど考えないでもできたから。鬱屈とか看病とか世話をする人でいようとすると、最後までそのまま。兄を好きという気持ちを秘めていようとすると、まったく冒頭から兄を好きな女になっちゃう。どっちも両方あって、何かをきっかけにぽーんと別の方向に弾んだり、ぐいっと捻れていったり、そういう動く気持ちのダイナミズムができない。まあ、壁としてはなかなか越え甲斐があるではないか。負けず嫌いなの。こうなった方が燃えてきたりするのよ。
2003.12.14
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同居人より早く起き出す。たいていは彼の方が早く起き、仕事を始めているのだけれど。以前から断続的に続けている「朝のノート」をやろうかと思ったりもするが、思いがけず体が働く体勢になっていて、流しに溜まった洗い物に取りかかる。一昨日人づてで手渡された、作曲家兼ピアニストの男の子のCDを聴きながら。オリジナルのCDが終わると、ショパンを演奏しているCDも聴いてみる。朝ショパンだ。散乱する新聞も整理し、朝食の支度を始める。落ち着きや、一人の感覚が戻って来て、「なんだ自分の為に皿も洗って、ご飯も食べてればいいじゃないか」という単純明快な答えが浮かんでくる。市販のCDよりは少したどたどしい感じのショパンを聴く。これを弾いている人の事を知っているので、やりたいこと以外にもこういうものが弾ける素養とか訓練とか、同時に当たり前に求められてしまうんだなって事とか、わたしもピアノを12年くらいやったのだけれど、弾きこなすまで楽譜を何度も何度も見ながら一日何時間も練習するんだろうな、っていうこと(わたしは一日何回台本をたどるんだろう?)を思ったりした。癒されつつ、励まされつつ。稽古前に下北沢に寄り劇小にチラシを1000部持ち込む。ついでにトリウッドにも寄って、置きチラシのお願いをしていると支配人の大槻さんに「moe-mewさんでしょう?」と言われる。あっ、覚えていてくださったとは。「映画監督の佐藤信介さんのコメントが載ってるのでチラシ裏面を表に置いて下さい」と頼んでくる。ぴあから来た販売状況報告では、販売・予約とも未だゼロ。死ぬ気で人呼ばなければ!明日から活動開始です。
2003.12.12
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バイトの面接に出かける。行ってみたらあんまり働きたくない雰囲気の店だった。でも、履歴書と条件的にはほとんど採用とのこと。(前回もそうやって不採用だったのだが)チラシが刷り上がり送られてきた。上がりはよくない。ムラも多いし、指定していた色も違う。白抜きの上に乗せた色がズレている。途中の経過をチェックすることができないところに頼んだからしょうがないのだ。次回こそは早めに始めて、丁寧に作らなければと決意する。そのチラシを7000部ほど、同居人と抱えて雨の中、折り込み業者の所へ行く。重いよ7000部。両手で抱えたら傘はさせない、傘なんかいりやしないのに、同居人は「傘持って来て2本」とそのうちの2000部ほどを抱えたわたしに言う。面倒だと傘を持たないわたし、重いものなんか心臓手術以来もったことのないわたしが両手でいっぱいいっぱいなのに、1本でなく、さらに2本持てというのか!どうしても無理なのでバックに傘を2本差し込んで、チラシを抱える。もちろんバックの中のものはびしょぬれである。雨の中濡れながらようやくタクシーを捕まえ、業者に納品。それから稽古場へ。今日は結構遠い稽古場。帰りも電車を何度も乗り換える。バスにも乗って帰宅。買い置きの豆腐とタラで湯豆腐の支度をする。昨日も今日の日中もろくな食事を摂っていなかったので、ゆさしぶりにゆっくり味のきつくない家での食事である。この同居人と暮らし始めてからわらしの食生活はひどく乱れた。朝は食事をしたがらないし、夕飯も仕事の区切りがついたり、間食をしてしまうのでお腹がすかないからと遅い時間まで食べない。食べるときは飲む。味は濃くないとダメ。これに合わせたらみるみる太った。向こうは食べる量も多いから、一つ皿に盛ると、わたしの食べる分がなくなってしまう、どんなに手をかけた料理を作ったとしても。遅刻しても朝御飯を食べなければ家を出してもらえなかったわたし。6人の食卓でいつも他の人の分まで食べないように、自分の食べていい量を計算しながら食事をしていたわたしにはそういうことが気に障って仕方がない。もちろん彼も大人であるので普段は優しいのだけれど、こういう疲れた夜にはまったく無頓着になってしまう。湯豆腐のおたまの柄をわたしの顔に当てたりする。(彼はすごく不器用で不注意なのだ。よくものにぶつかるし、皿も頻繁に割る)疲れているのはおたがいさまなのに、わたしは晩御飯の支度をしたのだ。なのに人の分まで食べ、一緒にいても何の優しさも、感情のやわらかさも伝わってこない。ただ受け取るだけ。だんだん自分が不機嫌になっていく。食べるってことがしっかりしないのが一番嫌なせいもある。わたしは何かしてあげて、してあげて、当然ある程度しておく・・ような奥さんにはなれないと思う。「何であんたのためにそこまで!」としか思えないのだ。無償の愛っていうのか。自分のエネルギーがただただ奪われていくような関係なんて疲弊するだけだ。未熟なのかな?無償っていうのはネコになら注げる。ネコに教えてもらった。こいつは本当に見返りがない。でも注ぐ。夜中や明け方に何度起こされることか。その都度起きて部屋に入れてやったり出してやったり、水を飲ませたりする。いつどこで粗相をしても早急にかたしてやる。噛んだり、ひっかいてはいけないことを辛抱強く教え込む。でも人だとできない。ほっといても大丈夫だからか?母性愛がたりないのか?どんどん不機嫌に辛くなる。風呂に入ってみる。別室に籠もってみる。寝てもみる。けれどイライラが募って、大きな声をあげてもまだおさまらない。昨日幸せ過ぎた反動か?わからない。明日は早起きをしようと思う。
2003.12.11
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朝からキャストに応募してくださった方に、キャストが決定してしまった件、そして次回公演の募集もおこなっている件、まあその前段階として今回公演のお手伝いもしくは見学にきませんかとお誘いの文章を送る。(タダで手伝わせるつもりかよ、と思われるかしら。 台本が出来てからキャスティングされても、その人に合わせて書き直すし、 新作だったら、人となりをいかす当て書きだから。 実際前回公演は前々回そうやって手伝いに来てくれた人が出てるんだし、 そうそうこちらの都合ばかり押しつけているつもりはないんだけれど)実家の母にチケット印刷のデータを渡しに行く。行き帰りの行程が長いので、今までご無沙汰していた方々に携帯からメールを送る。と、芝居の事も入れると、「実は芝居やりたくて」という返事が2件も来たわよ。どちらも年下の女の子なんだけど。朝も応募の返事を書いていたから、世の中若い女の子はみんな女優志望みたいに思えてきちゃったわよ。一人は「恋のから騒ぎ」で一緒だったコなんだけど、経験はないけれど大人計画の新人募集受けるって言うし。どちらにもそれならと稽古場見学とお手伝いを勧めてみる。ウチはちょっとでも会場整理や受付をやって貰ったらタダでみてもらうし、お礼も渡せるから(今回は予算的に危ういが・・)。両方とも来たいという返事。助かるけどなんか複雑な気もする。でもまあ、二人ともウチの芝居は見たことがあるし(そうそう楽しい芝居じゃないと知ってるし)、稽古をみて(厳しいし細かい)、何か感じてもらえればいいかなと思う。ただわたし自身があんまり姉さん気質ではないので、人を巻き込んじゃって面倒見きれるかどうかが心配なのだ。わたしも「芝居します」って周囲に表明できるまで時間かかりました。照れ隠しのように演劇科のある大学を受けて、受かったのに演技じゃない方の科に進んだりして、本当に回り道しました。(その前に別の大学に行ってたし)辞めるっていいながら何度も再開して、病気しちゃって、社会復帰してみた頃には芝居くらいしか選ぶ道がなくなってました。こんなわたしに、「実は本当は女優になりたい」と打ち明けに来た友人は少なからずいました。その重さというか、いたたまれなさというか、何か忘れ物をしたまま次の段階へ進めない、そんな感じでした。彼女たちは、その後オーディションを受けてしばらく女優として仕事をしたあと、環境になじめず、もっと彼女の才能を生かすような仕事に転職していった人もあり。思い切って演技の勉強を始めたら、シナリオや評論に興味を持ち映画関係の記事を書く仕事についた人もいます。どちらも思い切って一歩を踏み出してみたからこそ、新しい展開やこれ以上進めない壁みたいなものを得たのだと思います。彼女達がもんもんとしたまま、最初の仕事なり路線のまま10年を過ごしてしまうよりは絶対によかったと言えると思う。わたしはそうやって撓めたバネが伸びるような、瞬発力で人生を転換させたことがないからなあ、「かわいそうな」人生なのかもしれない、今のところ。やってみることを、だから、勧める意見なのかな。まあ「やってみたい」っていう人につきあう芝居はしませんけど。(「やる」人なら可)「女優」っていうのは、もしかしたら彼女達が押さえて気持ちの代償の表し方の一つであるだけかもしれない。女の子らしく振る舞うことへの抵抗だったり、人からもっと注目されてみたかった(もちろんされに値しないように思いこんでいる自分もあって)とか、ずっと感情を素直に出すことができなかった(それを損だと思っている)とか、人目をずっと気にしすぎていた反動とか。誰もそれを悪いとは言わない。でも本当に芝居を始めたら代償は大きい。若かったら学校や養成所を出てからまた考えればいいけれど。仕事を辞めたりまでして、続けて欲しかったものが得られると思えない。そういう気持ちを満たすにはやっぱりそれなりのラインに立たないと無理だと思うし、立てなかったらまた忘れ物を抱えたように何かを押し殺したり、避けたりしながら生きていかなければいけくなってしまうと思う。もし、本当の理由がそういう隠れた気持ちの中にあるのなら、生活の中に自分の時間や楽しみや好きなものを増やすところから始めて、自分の心が本当は何を求めているのか自分で見つけて欲しい。わたしだって、未だにわからないのだ。そこまで入り込んで分析して返事はしないので、経験と条件だけみて応募にはこたえています。一緒にあるレベルの芝居をつくれるかが一番大事で、サークル活動じゃないから。でも知り合いの突然の「女優になりたい」カミングアウトには、いろいろと考えてしまうのでした。
2003.12.08
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今日は稽古3日目。本日は昼の稽古。稽古初参加のヒデさんが合流。初めて「鏑木」としての彼の声を聞く。帰り道、夫はご機嫌でありました。チラシ・チケットの件でトラブルが発生。自分のこういう内向的な性格が仇になったというか、なんというか印刷屋さんの対応があんまりよくなかったとも言えるのである。演劇のチラシを専門的に扱っている会社で、劇団を切り盛りする友人から「親切だし、安いし、ネコだらけでよいところだから」と紹介されて、今回が2度目だった。だけど全然前回と対応が違ったのだった。忙しいかったのだろうか?でも前回もお盆前でかなり忙しかったはず。(予約して行ってるんだし)今思えば、赤字でお金をかき集めるので、入金が期日より遅れた事が響いているのか・・。チケットは前回、チラシのデータからその場で簡単にレイアウトを指定して入稿してもらったので、今回もその要領のつもりでレイアウトを考えて出向いたのだけれど、「チケットもデータを持ってきてくれないと入稿できない」とのこと。「前回はこちらで作っていただいたのですが・・」と言うと、「別料金をいただきます」とのこと。翌日中メールでデータだけ送ればいいというので、デザイナーと演出に相談してからと、とりあえず引き上げてきた。でも申し込みの控えすら貰っていないんだよね。超多忙を極めるデザイナーは最後の受け渡しの晩から連絡とれず。出演者は増えるし、その連絡を、という矢先、データを送ってくださいと催促の留守電。折り返すともうチラシは先に発注してしまったとのこと。そして期日もこのもたつきで遅れるとの事。言われた翌日中にデータを送れなかったのはこちらの明らかな不手際だけど、前回と今回の対処の違いは何なのかがはっきりしなくて、何かすっきりしない。前回はあんなに親切で説明も明快、チケットなんかすぐ作れますよと言ってくれたではないか。それとも前回は本当に急いでいて、多少の出費をいとわないという状態だったのかな?自分の方が?でももうデザイナーにチケットのデザインまで追加で頼む事はわたしも夫も、もう心情的にできない。(とにかく多忙なところ深夜に個人的にやってくれていたのだから)できたとしても間に合わない。1月半ばの芝居のチラシを今頃作ってることにかなり問題もあるが、これはもの凄いケンカをして、6人しか出ない芝居で出演者の名前が揃わなければ意味がない、という夫の芝居に対するスタイルというか考え方の方を尊重したものだ。(制作からみたら、再演だし、自信作なんだから、名前なんかなくても10月半ばごろには仕上げて時間をかけて宣伝したかった)夫は浮動票みたいなものをまったく信じていない。芝居をそんなに見も知らない人が見に来るものだと思っていない。だから自分(役者)の自覚と努力と責任によってのみ、お客さんは来るものだと思っている。だから自分の名前も載ってないチラシではそれらが発揮できないという言い分なのだ。編集や文系の仕事をする両親に、いかに多くの人にアピールするかという俗っぽいあり方を子供の頃からさんざんに吹き込まれ、昔の演劇人でもないわたしはそんな考え方は全然納得できない、事ではあるけれど。とにかくチケットである。そこの会社の社長より年齢も押しも上で、芝居の世界も印刷も世界も長い夫が話をした。チラシの納期は最初の期日でなんとかなる。チケットをこちらでデザインすることはもう絶望的である。チラシとチケットを一緒に発注しなければ、セット料金にならないのでまた割り増しだ。こうなればチケットぴあに手売り分のチケットを発券してもらうしかない。一枚発券につき10.5円、それを1000枚。思いがけない痛い出費である。それにウチは回数券という名の割引券を発行している。ぴあのチケットと同じチケットに回数券だの割引金額だの、当日精算だの入れてしまうのはなんかよくないような気がするし。夫が美術さんと舞監と劇場の下見に出かけてから実家の母に電話する。母は印刷会社の出版部門でもう20年近く働いているのだ。高校時代から台本のコピー等々困ったときにいつもお世話になってしまう。前々回も母にを経由してチラシを頼み、デザイナーさんまで紹介してもらったのだけれど、ただお金をとってくれなかったのだ。ありがたいけれど、かえってつらい。夫は恐縮して、もう母をあまり頼らないでやって行こうとその印刷屋に頼むようになったのだった。事情を話し、チケットのレイアウトと印刷ができないかどうか聞いてみる。ああもう!こんなときまで親頼み。自分の不甲斐なさにどんよりする。一応紙代だけでできるけれど、レイアウトと納期はわからないという。「明日データもってく」とわがままごり押し。すまなさと恥ずかしさでぶっきらぼうになってしまう。(息子みたいだ)こうやって人に迷惑をかけつつ、やるだけやってみます。夫と二人だけでやり始めてから本当にトラブル続き。全部自分の体力のなさと、人見知りが足を引っ張ってるんだけどね。やっぱりわたしがなめられただけなんだろうか?社会性を少しでも取り戻そうと、深夜また折り込みの求人広告に食い入るわたしでした。
2003.12.07
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ネットで募集告知を出したその晩に、一人応募してきてくれた女の子がいた。果敢にも会うことをすぐに快く承諾してくれた。で、会ってきた。人見知りの激しい自分は、社交という社交は全部夫に任せている。だから緊張するが、相手だって得体の知れない劇団の芝居(ウチは演劇企画ユニットですが)に出ようとか、接触しようとするのは勇気のいることだ、まして22歳の女の子である、口数を増やそうと試みる。22歳、某専門学校の演劇科卒、舞台の経験は2回、好きな芝居は大人計画、ナイロン、ガジラという情報のみの、その人に会ってみた。よい顔をした女の子ではなく女性という印象の、しっかりとした演劇少女だった。ウチは基本的に経験がないとついて来れない細かい演出や要求があるので、養成期間を修了した人、劇団や芸能プロダクションである程度経験を積んだ人を対外的には求めてはいるけれど、決めては全部顔なのだ。覇気のない顔、惹きつけられるところのない顔、年不相応な幼い顔の人を本当は断っている。それからやる気。探している役に年齢や雰囲気が合っていなくてもやりたいと言ってくれたら、その人の為に役を作る。(実際そうしているし、そうしてきた)ただ、「やってみたい」と「やりたい」だけは自分の中で区別をつけてから来て欲しい、だけ。彼女も当初意図していた役と随分異なる感じの人だったけれど、彼女が彼女でやってみるのもまた面白いのかもしれない。そうやってまた一から芝居を作っていけるのだ。これが再演の醍醐味なのかな。
2003.12.06
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本日チラシ入稿。予約の時間より早く着いたので駅ビルでこの『花のような女』(大田垣晴子著)を買った。何とか段取りを済ませ、「久しぶりに外でご飯でも食べてゆっくりすれば」との夫の言葉に甘えて、引越以来初めての一人外食。女の一人メシに文庫本(もしくは手帳、最近は携帯か)はつきもの、早速さっき買った本を読み始める。前面手書きのイラストエッセイ。そしてカラーである。最近どうも色鮮やかな絵に惹かれるなぁ。花をお題にして女性を考察するエッセイで、絵柄もかわいめなんだけれど、食後のお茶を飲みながらわたしはじわじわ、そしてぽとりと涙を落としてしまった。全然泣くような内容じゃないんだけどね。どこで泣いたかはわざわざ書かないけれど、今度やる芝居の一番破滅する場面で、わたしが言うセリフにとても重なったのだ。今まではありがちな、よそでもいいそうな言葉だなと思って、このセリフが恥ずかしかったし。さらに何重もの怒気と視線の中での言葉だったから内容どころではなかったし。オンナがオンナを見て考えて描写するのって、別に真新しいことってあんまりないけれど、すごくスキをつく。わたしは20代後半まで、女の子同士でお茶も食事も買い物すらしたことがなかった。(もろ女受けしないタイプだったのかも)芝居をやるにしても、たいてい男性との関係性の中に役があるから困らなかったけれど、今回の芝居は「女対女」のシーンが結構あって、相手が本当に自分にないものばかりを持っていると思っている女友達(お互いに)だから自分にとっては一番避けていたものを突きつけられる感じなのである。「わたしとあの人は違う」「あの人みたいになりたい」女が女に感じるそういう優越感や侮蔑や羨望や憎しみ。わたしはどうしてわたしという花であってはいけないのか、こういう花でもわたしは花なのだ、(口に出せば途端に「お前は花じゃない」って男に言われるかもしれないが)6人の人間がそれぞれ繋がる何重もの線の中でこの叫びは一つの側面だけかもしれないけれど、ちょっと糸口を一つ見つけたような気がした。今日は稽古初日であります。
2003.12.05
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朝、稽古場チェックをすると予約が抹消されていることに気がつく。同居人が慌てて問い合わせ、急遽窓口申し込みのみの稽古場を何とか確保。夕刻、昨日面接した女優さんから電話をもらう。やっぱり職場で10月に舞台のために休みを取って、1月も休むとなれば仕事はクビという話になってしまったらしい。辞退の申し入れだった。仕事は大事だ。かくいうわたしも本日あるべき面接の結果の連絡が未だきていないのだ。ダブルショックである。昨日の感触で、明日にチラシの入稿の手筈を整えてしまった。20歳~26歳くらいまでの女の子の役者さんいないかな~。一応募集なんかをかけてみる。(これで来たことないけど)チラシの折り込み計画を立てる。明日の稽古の為にスケジュール表をつくる。毎度毎度キャスティングの難航するのにはまいってしまう。自分達の年齢が高くなるほど、若い役者さんにあてがなくなるのだ。紹介とかキャスティングというのは、比較的得意な分野だったのに。わたしは自分がそうだったから、お芝居したいけれど、チャンスと場所がないという人を絶対忘れない。そういう人は本当に頑張る。だけれどもう回を重ねて、自分が内向的なこともあるけれど、もう絞り出せない。でもまあやるしかない、お願い行脚の旅に出るか!!
2003.12.04
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本日はバイトの面接日。行く先はやはり、銀座である。6年近く勤めた店を辞めてから、久々に履歴書を書き、面接を受ける。もともと6年前縁もゆかりもない銀座で働こうと思い立ったのは、大病で弱り切った体と、キュウキュウとしていた心が、とても「もう少し南に、もう少し東に」と求めたのだ。自分が疲れたときに、南の方で東の方に行くと気分が明るくなり落ち着くことを以前から感じていたから、弱っていた当時はなおさらそれを欲したのだろう。うまく説明できないけれど。それで上野・東京・銀座と南下しながら仕事を探したのだ。で、探しているウチにあることに気がついた。もちろん通りには買い物客、ひしめく飲食店で食事を楽しむ人、映画を観る人がいるのだけれど、裏通りに入ると遊んでいる人がいないのだ。何もしていない人がいないといった方がいいか。楽しむ街でもあると同時に、それを支える働く人の街でもあるのだった。つまり一番わたしが(多くの人が)辛いと思っている、「何もしていない」という虚しさから一番遠い場所なような気がしたのだ。事実働きだすと、名前と場所ができたような気がした。店ごとに名前や出自や色があり、働くことでそれに帰属できるという感じ。「何者でもない」「何もしていない」怖さがなくなっていく。そして何より働く事に夢があるという感じ。いいものがあって、大人がいて、いつも上の方が見えている。方向性があれば自然と誇りややりがいが見えてくるというのはあるのだなと気がついたのでした。「着物着れます」それだけで職を得てから、そんな風に、自分の停滞しがちなダークな部分がほぐされて、鍛えられていくのを感じた。もちろん銀座が好きなのは、それだけじゃないし、それだけで説明できるものでもない。でもやっぱり働くのなら銀座を選ぶ。場所としては新宿の方が近いし、役者のバイトの定番ホテルの配膳や皿洗いの職もありそうなのだけれど、どうしてもそこへ行きたくないのだ。(映画『シングルガール』を観て、そのままホテルのルームサービス係りのバイトを始めたこともあったけど。)銀座の空は元気が出る。勝手な思いこみだけど。人の中にいるという感じと、わたしはわたしだという気概が蘇ってくる。その先に海も近いと思えば息もつまらない。仕事決まるといいなあ。昨日のわたしの『ヴォーグ』に引き続き、夫がムーンライダースのベスト版を買ってきた。(BOXが欲しいと言っていたのに控え目に1400円のベスト版だった)ムーンライダースの流れる中で夕飯の支度。優しい時間を過ごす。本日の面接は、残り一つの役の面接。わたしの心配をよそに夫は好感触。彼女で大丈夫と踏んだらしい。仕事やワークショップの予定がつまった彼女に猛プッシュをしていた。こちらも決まるといいなあ。
2003.12.03
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稽古場とりの為に早起きをする。が同居人のメモを見るとなんとか予約はとれているらしいし、おまけに携帯は止められている、洗濯をするも足りないものがあるので、駅前に出動する。支払いをし、生活用品を山のように抱えて帰ってみると同居人が戻っていた。気がつけば約束の面接の時間、急いで再び駅前に向かう。電話を止められていたせいで気づかなかったのだが、約束の相手は体調を崩して来れないらしい。同居人とそのまま外食、そして散歩をする事になる。一つ先の駅まで歩き、同居人は美術さんと打ち合わせへ。わたしは散歩の続き。晴れた午後、引越して間もない町を歩く。大きな道路から一歩入ると、入り組んだ路地と密集した家が続く。何度も何度も行き止まりに出会う。傾斜地なので空が広い。舗装していない路地を歩くのは子供時代以来。東京にきて時間の遡ったような景色を歩く事を不思議に思う。そういえば、わたしの中学・高校時代を過ごした桜木町もこんな景色だったような。もの凄い急な開発地区のすぐ足元に小さな建物とそこに住む人がぎゅっとひしめいている。フェンスの破れ目や駐車場、人の住んでいるのかいないのかわからないくらいの古いアパート、唐突に現れる空き地とそこをゲートボール場にしているお年寄り達、を見ながら何度も角を曲がって、塾や家族の仕事場に行く。唐突な対比、一つも安定してそこに存在してない。一週間後にはまた空き地が増えたり、新しい建物が立ったり、遠くのビルが増えていたりする。全部が何かの途中。わたしがよく通い、好きな場所の一つでもある月島もやっぱり極端に長屋と高層マンション、下町の人と広告代理店の人が同居する町だ。きっとわたしはそういう場所が好きなのかもしれない。地上げとかバブルの頃に子供時代を過ごしたからかもしれないけれど、きっとどっちか一方だけではつらいのだ。できれば鎌倉とか京都とか、まあそこまでいかなくても等々力とか佐原とか、町並みのきれいでシックで誰が見ても落ち着いて静かなところで生まれ育って、そこを好きと言えたらそれにこしたことはないけれど。そうじゃないのに、そんなフリのなんだか恥ずかしい。今日はもの凄く久しぶりに自分の為に雑誌を買ってみた。奮発して『ヴォーグ』である。(ついでに求人誌も買いました)めくるめく「きれいなもの」の連続に心なごむ。ここまで日常からかけ離れているとヘンに物欲を刺激されなくていい。きれいなものがいっぱいで楽しい。久しぶりにとても嬉しい。今日は100円ショップでスケッチブックとペンも買ってきたのだ。なんだか楽しい。同居人は引き続いて、別の出演候補者と面接。気持ちのいい人だけれど、見た目と実年齢が若すぎたらしい。前回お会いした人にお願いの連絡をする。これであと残る未定キャストは一人である。
2003.12.02
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本日は9月以降初めてといっていい休日である。この部屋に越してきて初めて夫の仕事がない日なのだ。折からの雨で二人、家でゆっくりと過ごす。リビングに電気カーペットも導入され、快適さもアップ。でもそんな気のゆるみが危ないのだ。夫はここぞとばかり、羽をのばして、甘えたり、だらけたりしたいと思うし、わたしはやっと一人で台所に立つ状態から二人でいる日にしたいと思ってしまうから。で、12時少し前同居人は家を出ていった。せっかく部屋数も間取りも広くなったのに、ケンカしたらやっぱりどっちかが外に出てしまうというスタイルが変わらないのはなんだかおかしくもある。一人になりたい、と置き手紙に書いてあったし、明日の面接の約束にはきちんと立ち会うと書いてあったから、鍵のかけ、防犯ロック各種もすべて施錠して眠る。一人となるとそれはそれで、一人モードになり、お風呂に入りながらのラジオを久々楽しむ。これでロウソクがあれば完璧リラックスタイムだ。(やっぱり寝食をともにする人がいると、気にしてあんまりゆっくり入浴できないものなのだ)引き続きラジオを聞きながら(嬉しいことにちょうど伊集院光の日だ。ちなみにわたしの実家は合わせたように家族全員それぞれTBSラジオを聴く習慣があり、わたしは大掃除などラジオを聴きながらでないと出来ない作業がいくつかある)眠る。物音の度に飛び起きる切ない夜ではあったけれど。
2003.12.01
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