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朝目が覚めたら、ゴモスケが壊れていた。ゴモスケとは抱き枕のこと。心臓病の手術の直後に購入、今年でちょうど10年のつき合いだった。もちろん嫁に来るときも一緒で、本当に夫より長く一つ布団に一緒に寝てきたのだった。もう彼を覆っていた布も裂け、綿が露出し、千切れていたのだった。本当にこの数日で。長いこと、ありがとうね。
2007.09.20
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昨日、ネットのなにかのコラムで、「レストランなどのサービスの検定試験」のことが書いてあり、「2級は取れるが、1級を取得するのは本当に難しいらしい」とあり、例えば「お客さまの前で冷えてないシャンパンを音を立てずに開ける」などの課題があるらしい。そのコラムは「その前に冷えてないシャンパンを出すこと自体サービス的にどうよ」と結ばれていたのだけれど、結構飲食店にいると「冷やしてないビールください」などとお願いされることも間々あったりして。中国系の方には「冷えてないコーラ」を頼まれることもあるし。だから、可能性としてはそんなシチュエーションもあり得るかもしれないなあなどとぼんやり考えたりしていました。しかし翌日の今日、本当に冷えてないシャンパンを開けるハメになりました。シャンパンを使ったカクテルのウエルカムドリンク(VIP用)が、バンバン出て、シャンパンの冷蔵ストックがなくなり、倉庫から出してもらったもの。グラスや他のリキュールが冷えていたのと、必要な量がわずかだったので、開けましたよ。本当にお客さまの前じゃなくてよかった。厨房に響き渡る景気のいい音!あまりの音に主任が走ってきましたよ。「また何かやらかしましたか?」と。「あ、いえ、冷えてないシャンパンを開けただけです・・・」とわたし。なにをどうしたら音を立てず、そして吹き出させずに、スマートに開けられるんだろう?剣や刃物を使って、瓶ごと切って開ける演出なんてのも最近多いじゃないですか?(茶漉しで漉してから注いで欲しいと思うのはわたしだけでしょうか?)お誕生会やクリスマス会のウソっこシャンパンは音がするから嬉しかったんだけど。とにかくまだまだ修行は足りないようですな。。
2007.09.19
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ワインショップの入口で、ビンテージのシャンパンを試飲した。あらららら。久々に口にするシャンパン。この世にこれ以上美味しい飲み物があるのだろうか?というくらいクラリとする。抑えていた「シャンパン欲」が、爆発しそうになる。今週は仕事で、本当によくシャンパンを注いだ。連日注いだ。毎日毎日その香りだけを楽しむ日々。一度、○ン○リニヨンのビンテージ試飲会の担当になったことがあったけれども、(もちろん日本人は一人もいないトップだけの食事会)指をくわえて見ているとはまさにそのことでした。シャンパンだけを用意する先方の日本人スタッフは、残りを飲んでましたけどね。一生飲むことができないようなそのシャンパンの香りだけを吸い込んできました。母の誕生日という言い訳で、お馴染みのヴーヴクリコのイエローラベルを散々に迷った末購入。今日はどうしてもカヴァや、いわゆるスパークリングワインでは気が済まなくなっていたのだった。ケーキも買って、ささやかながらプレゼントも買って実家へと。しかし母は梅酒を少し舐めて、ほぼシャンパンには口をつけず。(わたしの母と妹はとてもとても弱いのだった)結局わたしがいただいてしまいました。自分に好きなものがあるなんてこと、久々に思い出しました。毎日発泡酒のロング缶1本我慢したら、月に1本買えるんだよなぁ。泡のような後に残らぬ贅沢を夢見つつ。
2007.09.15
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朝からレッスンのため家を出て、そのあと用足し。空きっ腹をなだめなければならないし、小切手を換金しに行かないと生活できないし(換金まで2日かかる)、いい加減にコンタクトレンズの交換にもいかなければいけない。母と妹の誕生日も来週だ。枕カバーの古いのを捨ててからひと月近く新しいものを買い忘れている。モデルとしてのギャラは小切手で支払われるのだけれど、このお金を自分のために使うことはない。そっくりそのまま、いつもすべて公演の支払いにあてる。芝居でパートを休んだ分くらいの額なので、収入的にはチャラなのだけれど、自分のひと月分の給料は必ずつぎ込んでしまうということになる。(都合収入-一ヶ月分)公演前にはまた劇場の契約料・もろもろの前払い金として、やはり給料のひと月分は飛ぶ(夫もということである)。(合計-2ヶ月分)だから毎年暮らし向きは悪くなる。誕生日に20代のころは恒例だったシャンパンでさえ、もう何年も開けることはなくなった。そんなことは気に病むことではないのだけれど、もういい年をした大人なのに、母親や外国に住む妹にママゴトみたいなものしか贈れないというのがこたえる。わたしはモノにあまり執着しない方だし扱いも雑なのだけれど、人から贈られたものというのは手元に残る。元気のないときはそれらのモノにくれた人の思いを感じて元気をもらう。舞台の本番前には必ず妹からもらった水溶きアイライナーでメイクをするし、使わないけれど昔の恋人が安全ピンで自分のイニシャルを引っ掻いて刻んで持たせてくれたコームはいつも持っている。特に妹が海外で暮らすようになって、選んで贈ってもらうものが、他のものとは違う温かみを帯びていることを意識するようになった。年のせいかもしれないけど。だから自分が選んであげられないことが残念。本当にいつもささやかなものばかり。選べないモノは、たくさんある。服も衣裳で使うモノ以外はめったに買うことができないし、化粧品にいたってはすべて廉価な通販だ。それ自体を苦にすることはもうなくなってきたのだけれど、でももし選べたとしても、自分は何が欲しいのか?どんなものが好きなのか?今の自分には解らないと思う。そんな服を着る自分の世界や趣味など、自分の内側にあるのだろうかと不安になってしまう。そんな自分が芝居をつくり、そんな芝居がまた自分を貧しくしていくのだろうかと思ったりもする。お金と同時になくすのは友達で、芝居ごとに知己は減っていくように思える。その打撃というのが一番辛いのかもしれない。お金なんて、後でいくらでも稼げばいいんだし、借りることもできるけど。一定期間、毎日一緒にいて、一つのものを作ったと思った人達が、もう二度と現れないこと。本当に悲しいこと、あの時間はなんだったんだろう?そんなことを考えながら街でまたかみかくし。彷徨うこと6時間。帰宅して、何ヶ月かぶりに夕食を作った。通称「手羽芋」。手羽を芋(ふつうジャガイモ、季節になったら里芋でも)と一緒に、ショウガと醤油で甘めに煮込むだけ。芋でとろみがつくので、タレがよく絡んでおいしい。シシトウの袋詰めを買ったので、半分は小口切りにして胡麻ふってジャコ炒めにし、もう半分はおかかで甘く煮含める。ほうれん草はおひたしで、みそ汁はシジミ。最近知り合う人には「料理なんかできなさそう」と言われることが多くて、自分でも「もしかしたら作れなくなってるんじゃないか?」と半信半疑だったのだけれど、できました。。久々の家ごはんでほろ酔いになり、ロンドンの妹に電話をかける。奇しくも翌日は妹の結婚記念日(9・11なのね)でもあり、最近ミクシィでお仲間もできた『世界ふれあい街歩き』はその時間ロンドンのシティの散策だった。電話の向こうでリューノスケの声もする。今年は何度夜中に助けを求めるような気持ちで電話をとったことだろう。(実際かけることはまれだったけれど)家族しか残らないのかとも思うし、家族がいるから大丈夫とも思えたりもしながら。
2007.09.10
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