全4件 (4件中 1-4件目)
1
次のエッセイのお題が「色」なので、文字通り色彩感覚のない私には難しいお題である。色、というと困ったことばかり思い出される。以下図工の時間に色鉛筆で絵を描かなくてはならなかった。私は兄のお下がりの色鉛筆セットを持たされ、それは何色も欠けていた。「ごめん、ピンクを貸してくれる?」「緑を借りていい?」隣の席の子に頼まなければならなかった。その子はとうとう言った。「貸してあげるから、緑のところは全部緑に塗って、何度も借りないで」それは難しかった。風景を描いていると、地面の草も緑だし、木葉も緑だし、それらをすべて想定して色別に描いていくのは困難だった。ここにも木を増やそう、あ、でも葉っぱは緑だからやっぱり描いちゃいけないか…なんで緑やピンク、黄色もない色鉛筆セットなんか持たされるのか悲しかった。確か、これは母に報告したと思う。何色も欠けている色鉛筆セットで、隣の席の友達に借りたら嫌がられたと。「文房具は自分のお小遣いで買う約束だよ」そう言われてしまえばどうにもならない。私は月に一冊は本を買ってしまうので、文房具を買う余裕がなかった。色鉛筆で絵を描く機会はそんなになかったので、結局、その色鉛筆不足のセットを使い続けた。クレヨンや絵の具のときはホッとした。これも兄のお下がりだが、色が欠けているということはなかったからだ。その後「フランダースの犬」という児童文学を読み、炭だけで絵を描く少年の姿に感動した。黒だけで表現し、それが評価されるのだ。調子に乗った私は、図工の時間、草をクレヨンで全て同じように緑で表現した。いかにも雑な絵で、先生は呆れた。「この緑はなんなの?」「草…のつもり」「草のつもりねえ」先生はスタンプを押した。みんな「たいへんよくできました」のゾウサンスタンプなのに、私のだけとらマークの「よくできました」スタンプだった。私はフランダースの犬の少年とは大違いだと現実を知った。人前で絵を描くことが嫌いになった。家庭でも「下手な絵を描くな」と怒られていたので、先生のせいだけではない。どうせ、下手と言われるのだから開き直ってしまい、ますます雑に描いて早く終わらせようとするようになった。短大でも美術の時間があった。端っこで目立たないように描いていると、逆に目立って先生がそばにつくようになった。版画など、色々手伝ってもらったが、私のは実にセンスがない。それを先生が付き添いながら「よく出来てるよ。いいじゃないか。きみはコンプレックスを持っているんだね。でもそれは君が悪いんじゃない。君を教えた先生の責任だよ。きみはできるんだよ」ずっと励まし続けてもらった。私は再びペンをとり、友達の似顔絵や姿を四コマ漫画で表現するようになり、友達からは受けた。絵がいいのでなく、ストーリーが面白かったようだが「あんたの漫画面白い。もっと描いて」と言われ、調子に乗った。いつも節約家の友達を描きながらアイスを買う場面で「おばちゃん、一番安くて美味しいのちょうだい」と言わせたりして、ずいぶん失礼な漫画だった。友達は大笑いしていた。つまらない授業のときは端に人が走る場面をかき、ペラペラめくると走り続ける人が登場し続けるのでこれも受けた。そう言えば全部黒鉛筆で描いていた。やがて、私は母親になり、こどもが小学生になると張り切って16色の色鉛筆セットを用意した。でも娘がよく描くのはやはり黒なのだった。ストーリーを付けるのも好きだったようだ。色がなくても表現はできる。短大の美術の先生には今でも感謝している。
February 16, 2025
コメント(2)
ちょっと疲れた。月曜日は川柳教室へ。片道一時間くらいかかるところだが、月曜日にやっているところがここしかなかったのである。月曜日休みだからと話したら、会員の方に第三週月曜日にも川柳サークルをやっているから参加しませんかと言われて返事を保留した。更に遠かったのと、他の月曜日はフラダンスを再開するつもりだったからだ。フラダンスと川柳、どっちがいいんだろう。多分、向いているのは川柳の方だろう。フラダンスはいくらやってもそう上手くはなるまい。ただ、体を動かす趣味も捨てがたいので迷っている。火曜日もお休みだったので(祝日)高校の友達とランチした。本当は映画くらい設定してあげたかったがチケットを用意する余裕がなかった。高校の友達で連絡を取っているのは部活時代の友達ばかりで、この友達は私のような嘱託的な働き方なので予定を合わせやすい。孫のいる友達だとちょうど手のかかる時期なので予定を合わせにくい。なので話も合いやすく、ありがたい存在だ。私をよくランチに誘ってくれるのはこの友達と、元職場の先輩、あとは娘くらいなので、昔の友達ってどんどん減るなあ。ママ友は一人も残っていない。職場も退職してしまえばこんなもんである。親戚付き合いは全くしない。ろくな親戚がいない。父方の親戚には会ってみたいが、母に断絶されてしまっている。水曜日は仕事をして、帰りにホットヨガをやってきた。超寒かったので生き返った気がした。いつも冬に言う言葉だが「凍ってた血管が溶けていく」感じである。木曜日には二度めのゴスペルに参加。予習をしていかなかったのでぶっつけ本番になり、音を取ったり歌詞を読んだり先生の指揮に合わせるのにアタマをフル回転させ、声を張り上げるもんだから酸欠になるかと思った。でもやはり歌うとスッキリする。ネガティブな感情が消えていく。私の生活に歌は不可欠だ。もともと中高生のときは合唱コンクールが大好きだったし、音楽の授業で歌うのも好きだった。前職では毎日歌う機会があった。それが嘱託になってから、生活に歌が消えて寂しかった。金曜日、ホットヨガヨガとフラダンスをやる。どちらもハードではなかったが、この辺でくたびれてきた。今日はお休みでやはりヨガとフラダンスの予定だったが起き上がれなくなった。よって、サボってしまった。週に一度くらい、なにもしない日があってもいいだろう。明日は娘夫婦とランチの予定だ。しかし、そろそろ次回のエッセイに取りかからないとまた推敲不足の作品になってしまう。今週は立て続けに三冊、遠藤周作の小説を読んだ。戦国時代が舞台だったので、私は改めて織田信長を怖いと思った。彼は天才だが、サイコパスである。人の命などなんとも思わず、罪のない子供たちまで惨殺しまくっている。ちょっと、しばらく明るめの作品にしなくちゃ。さて、私は何をやりたいんでしょうか。よくわからなくなってきた。始めたものは続けている。今しかできないんだから。60代は貴重なのである。
February 15, 2025
コメント(0)
あれ、私、これ買ったっけ?と忘れた頃になって山中恒氏の「頭の先と足の先」という児童書の古本が届いた。なぜ古本がというと、これはもう絶版なので、古本として手に入れるしかなかったからだ。これを読んだのは小学校六年生の時だから、41年も前である。山中恒は「ぼくがぼくであること」が児童書として売れ、有名になっていた。山中恒氏は今でいう「毒母」のようなものをたくさん書いていて、ストーリーはテンポがよく、それこそハラハラドキドキして読んだものだ。「頭の先」は片足が不自由な少年が主人公で、今なら差別用語として、絶対使ってはいけない言葉が連発されており、ストーリーとしては面白いのだが、多分、それで絶版なのだろう。戦後のまだ多くの国民が豊かとは言いがたい生活を送っていた頃、この少年は生まれた。ここにも「毒母」登場なのだが、他の作品と違って、この少年の母は息子を溺愛するあまり、過干渉となっていた。足が不自由なのが不憫で、助けてやろうという母心なのだが、少年は高学年になって自立しようとしている。足のことでからかわれてもいいから、自分で解決したいのに母親がしゃしゃり出てくるから、友達ができそうになってもぶち壊されてばかりいる。何しろ、この母、高学年になっても息子の遠足に付き添うと言って聞かない。少年は何とか母親を撒こうとし、すったもんだしている。当時、6年生だった私はこの少年の気持ちに共感しすぎて、何とかならないものかと気を揉みながら読んでいた。なんて嫌な母親!過干渉な母親というのは本当にこどもにとって迷惑なのである。幼稚園のころと思春期のころとの区別ができないのだ。41年ぶりに読んでみた感想としては、やはり6年生のときと違う。この母親を哀れに思う気持ちが湧いた。当時は全然そんな気持ちになれなかったから、私もそれなりに人生経験を積んだということか。この母親は多分、知的にもグレーゾーン。だから小さいときと大きくなってからの区別がつかず、自分が嫌がられていることにも気付けない。盲目的に息子を愛している。こんなふうな読後感を持つとは意外だった。少年の自立したい気持ちは今でもよくわかるのだが。私は二十歳の時に引っ越しをしたのだが、ある日帰宅すると愛読書だった児童文学がすべてなくなっていた。「図書館に寄附してきたから。あんたは二十歳なんだから、こども時代の本なんて必要ない」ちょ、ちょっと、私には思い出のつまった愛蔵書だったんだぞー。山中恒もそうだし、赤毛のアンもムーミンもメアリー・ポピンズも、二十歳になったって捨てられるもんじゃない。そんなことを言ったって読書習慣のない母には理解できなかったし、必要ないの一点張り。買い直すのにその後どれだけ金を使ったか。諦めた児童書も多かったけれど。そんな中で絶版の憂き目に合う本も多かったからこうして還暦過ぎても時々、アマゾン中古で買い直してしまうのだ。今は図書館が身近なので、昔読んだ本を借りては感激しているけれど、本というのはいつでも手に取れる位置にある方が本当は楽しいのである。積ん読にもつながるが。この小説はもちろんフィクションだからその後の少年の成長は読むことができない。きっと立派に自立しただろうと読者は想像を膨らませるだけだ。障害を扱った児童文学はそんなに多くはなかったので、私の心にかなり響いた。20代、飲み歩きの遊び人と化していた私はやたらにいろんな人と知り合い、なぜかめったに恋愛に発展することなく、友達がどんどん増えていった。その中で印象的だった青年がいる。彼は大工さんで、顔はなかなかのイケメンだった。彼は当初、私の友人を目当てにナンパしてきたわけだが、友人が相手にしなかったので、仕方なく私と悪友関係を続けていた。数人でボーリングに行ったことがある。仲間はその人の地元の同級生たちがメインで、野郎共ばかりではつまらないからと私も誘われた。その時、足の不自由な人も参加していた。やはりボーリングはバランスが取れないとうまく投げられないから、その人はガーターを連発した。驚いたことに、その人がガーターを出すたびに、大工さんもその友達も笑顔で大拍手する。私は呆気に取られた。ちっともばかにしている風情ではなく、足の不自由なこともひっくるめて、彼らはこども時代から善き友人であり、ありのままを受け止めて冗談を言い合っていた。私はちょっと軽いやつだと思っていたその大工さんを改めて見直した。私はいい友達を持ったのだ。それは「頭の先と足の先」で、描かれていた、たとえハンディがあっても遠巻きに見るのでなく、本気でありのままを受け止めた友達付き合いを始めたあの少年の未来形だったのである。が、しかし、男と女の友情は続けるのが難しい。相手に恋人ができたり、こちらも結婚したりなどしているうちに付き合いにくくなっていった。自分達は友達だと思っていても、若い恋人はやはりいい気持ちがしないものなのである。お互いに遠慮しているうちに切れてしまった男友達は多かったなあ。あまりそういうことを気にしない外国人の方が、それこそ、ジェンダーフリーで今でも連絡を取り合うくらいだ。残念ながら、各国に散らばってしまったため、SNSでしか連絡は取れませんけどね。そんなことを、いろいろ考えさせられた児童文学でした。今の時代はジェンダーフリーも進んできたし、娘は一応、結婚後も男友達とたまに飲みに行ったりしている。いいことだ。まあ、婿さんがどう思うのか、ばか親の私はちょっと気にしてますけれどね。児童文学からジェンダーフリーまで話がいってしまい…え?ジェンダーフリーの視点が違う?まあ、いいじゃん。私は20代の頃が人生で一番楽しかったので、60代も楽しもうと必死になっている。年は取っても好奇心は止まらない。
February 6, 2025
コメント(2)
今日は寒くて一歩も外に出なかった。雪予報や雨予報が出ていて、昼間から空がどんより。本当に何が降ったのかさえわからないまま、ひきこもっていた。本を読む気力もなく、TVerとオンデマンドにしがみつく。テレビは受け身でいられるからいい。主体的に動かなくていい。こういうのが続くとボケると思いますが、仕事があるおなげで、毎日こういうことにはならない。つくづく専業主婦に向かないタイプだと思うが、仕事ができるわけでもないので、何をしても情けない状態が続いている。TVerでは御上先生を観ることにした。その前にやっていた「海に眠るダイヤモンド」があまりに好きだったため、次作は観ないと決めていたが、他に観るものがなかったのだ。教師ものなんて、久しぶりだなあ。金八先生以来かも。あ、宙わたる教室も観てたか。御上先生はミステリーっぽいような、なかなかの秀逸作品である。官僚が天下りというか左遷のような形で私立の進学高校の教員に派遣されるというびっくりなスタートだった。それにしても、東大にバンバン入ってしまうような高校なんて我が人生に全くもって縁がない人生だったので描き方が面白い。学習指導要領の話まで出てきて、生徒がディベートしていく。そう言われてみると、中学までは義務教育だから、検定を通っていない教科書を使った授業というのはなかったな。高校に入ると、先生たちがかなり自由に、教科書と関係ない話をする人が増えたのは覚えている。特に社会科系。教科書を使う先生の授業はつまらなかった。しかし、教科書を一ページも使わないのに、試験問題は教科書から出されるので、自学で覚えないといけないのには参ったけれど。高校は義務教育ではないから、あんなことができたんだなあと今さらながらに思った。このドラマは、超進学高校なので、生徒のレベルの高いこと。精神年齢と知性はやはり比例するのか。なかなか闇の深いドラマなので観ていて明るくはならないのだが、問題提起としてはいいのではないかと思う。「べらぼう」も面白くなってきた。最初は吉原を出されると花魁たちが気の毒で辛い気持ちになったが、まあ、べらぼうのテーマが花魁ではない。江戸文化なのである。それにしても、どの、時代でも女性たちが同じような顔をした、絵巻ばかりなので、不思議に思っていた。日本美人の基準がうりざね顔で目細なのだろつけれど、本当にみんなこういう顔ばかりだったのか。いつから変わったのかと不思議に思っていたのである。昔から弥生系と縄文系の顔があったわけだが、絵巻になる方が弥生系なわけですね。縄文系の顔は品がないとされていたらしい。明治くらいから評価が変わったわけですな。開国したからですね。これから、日本人の顔はまたどんどん変わっていくでしょう。少子化なので、移民の子供の方が多くなり…今でも東京はかなりそうなのですが、全国的になるでしょう。どんどんミックスされていくことと思います。今から100年後くらいになると、東南アジア系のハーフ顔がすごく増えていきそうです。優秀な人達というのも、日本人がメインではなくなりそう。そうやって変わっていくんだろうな。江戸文化は面白いから、もう少し勉強したいですね。顔は変わっても文化は受け継がれていきますように。私も江戸文化の川柳教室に入ったことだし、ぼーっとしていないで勉強しなくちゃ、ですね。
February 2, 2025
コメント(2)
全4件 (4件中 1-4件目)
1