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AI娘が欲しい。たまに娘に愚痴りたくなることはあるが、忙しいだろうし、年寄りの愚痴など聞くのも面倒だろうし、結構我慢している。こんなとき、娘AIがあったらなあ。娘のことを学習したAIと対話するのだ。AIなら下らない悩みでも夜中でも朝でも遠慮はなかろう…と書いていて気付いたが、朝は愚痴をいう気にならないことが多い。ギリギリまで寝ているせいか。悩みはあるのだ。サボりたいとか。娘にラインをして娘AIが欲しいと書いてみた。娘は❓️マークである。つまり、下らない悩みでも合理的な娘に判断してもらえたら気楽になりそうなのだ、と書いた。「直接相談してくれたらいいのに」そうはいかないからAIが欲しいのだ。「で、何を悩んでるの?」それがまた母や叔母のことなのだ。でも詳しくは書けない。暗すぎるし、娘は長文ラインが嫌いだし…ユーモアを交えて短文で書いたらこうなった。「ばあばや叔母さんのことで、もうアタマにきてアタマ沸騰しそうなの。でもママが沸騰したって作れるのはインスタントラーメンくらいだからさ」娘はまたしても❓️マーク。私のユーモアが全く理解不能だったようだ。「chatGPTでも入れたら?」はあ…でもさ、あれは誰かの知能を入れてるわけだ。先日タモリと山中伸弥先生の番組でAIについてテレビでやっていた。たとえばタモリを学習したAIタモリとソクラテスを学習したAIでは返事が異なるのだ。だから私は娘AIが欲しかったのだ。AIは、諦めて土屋賢二先生のエッセイを読みまくっている。私にあのユーモア精神が学習できないだろうか。無理だった。土屋先生はかなりふざけたエッセイを書いておられるが、何しろ東大で哲学を学び、お茶大の名誉教授なのだ。同じ頭を私にインストールすることは無理だ。でも少しはインストールできるかもしれない。部分的には。還暦をとっくに、過ぎた私には遠い道のりだ。ゴールにたどり着く前にあの世行きだろう。今日もピックルボールをやったが、テニス歴の長い皆さんにお相手していただくためにはかなりの、努力が必要だ。技術というより脚力の問題だと痛感する。歩いていると私はヨタヨタしていて、お年寄りにも抜かれてしまう遅さだ。先日はヨボヨボと、駐輪場へ行ったらシルバーのおじさまに、心配されてしまった。「足が悪いのですか?」と聞かれ、悪いと言えば悪い。膝関節症だし股関節は奇形だ。「ええ、膝が悪くて…」弱々しく答えたら高齢者用の入り口近くの駐輪場に停めさせてくれた。ふーむ、高齢者の定義は65才からなので64才の私は申し訳ないが甘えさせてもらった。歩くのが遅いのに走るのが速くなるわけはない。これが、ピックルボールでの悩みだ。球に追い付かないことしばしばなので。ウォーキングでも、やれたらいいが、股関節はともかく膝に悪いし。個人プレイのダンスではまだいい。ノロマでもチームブレイじゃないから自分のペースでやれる。ただ、下手なのがめだつところにいては迷惑なので、なるべく、端っこで気配を消す努力は怠らない。しかし、毎週通っているので、顔馴染みが増えて「今日もどこで踊っているか見えたよー」と声をかけられ、気配を消す作戦は失敗していると痛感している。どうしたら気配を消して運動できるだろうか。土屋先生のエッセイを読んでみよう。解決策はもちろん、書いていない。
September 20, 2025
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タモリと山中伸弥さんの番組をオンデマンドで観た。認知症がテーマである。詳しいことはもう一回か二回か三回か…観ないとわからないのだが、認知症は脳内にゴミがたまって脳が圧迫されて縮んでいく、みたいな感じかな。このゴミと呼ばれる物質は害ばかりではない。免疫力として体を守ってくれている。この遺伝子を持っている人は人類の繁栄に寄与してきた。多産系なのである。おまけに、若いうちはアタマもいいらしい。45才くらいから衰えていくのだけれど。昔は人生50年だったからこれで良かったのかもしれない。しかし、人生80年、100年と予想外に長生きするようになったので認知症の問題が出てきたわけだ。それにしても、認知症の遺伝子を持つ人はアタマがいい、という説には驚いた。我が母が「賢い人ほどボケる。私は賢くないから大丈夫」というのは一理あったのだ。私は単純にもともとアタマがよろしくないとされる人はボケても違いがよくわからないだけだと思っていたのだが。その論理でいくと私もボケないはずだ。しかし、そんなに単純な話ではなさそうである。難しい話はともかく、認知症予防の話をもっと聞きたかったが意外にさらっと終わったので残念。よく言われる栄養、睡眠、運動のことにはそれほど触れられていなかった。予防の一つに「ワンちゃん」が出てきたのには驚いた。犬がいると家族に会話が増え、散歩に出かけるので自然に体もアタマも動かすし、同じく犬連れの仲間もできて会話が弾む。母が「犬がいるから散歩に行くの。この子は私の足になってくれる」と犬をほめそやしていたが、認知症予防にも役に立っていたとは!猫じゃダメなのかな。ま、確かに散歩には行けないが、生き甲斐になってくれているんだけどな。運動は別途するからいいや…と思うがよくサボる。犬の散歩はサボりにくいことは認める。あとはひきこもり、孤立化がダメなんだとー。私はすぐにひきこもるからなあ…犬じゃなくて猫飼いだし、今は多少なりとも仕事をしているけれど65才までの契約だ。仕事をやめたらひきこもりまっしぐらになりそうな自分が怖い。あまり、触れていなかったけれど、睡眠と運動で頑張ろうかな。犬がいいのはわかったが、私はここちゃんが好きすぎて、変えるつもりはない。趣味はこれといって得意なものもないし、極めているものもない。何にでも首を突っ込んでいるだけ。これは無意識のなかに、こども時代、あれもこれもやりたいのに、禁止ばかりされていたので埋め合わせようとしているのではなかろうか。それに、趣味は趣味。極められず劣等感をさらに増やしてるとは認めるが、そのときはそのときで没頭しているのだから仕方ない。こんなことをして何の役に立つのかと自分でも呆れるが、やっているときは上手くなりたいと一応向上心を持っているのだ。何の役にも立たないことほど面白い。役に立つなんて思ったら遊びじゃなくなる。人生は遊ぶためにある、と最近は開き直っている。本音はちょっとは社会貢献したいんだけどね…若いときは体力があったからボランティア活動もしていたけれど、かなり大昔の話だ。料理が出来ないからこども食堂でも邪魔になるだろうし…今は働いているからほんのすこーし寄付もできるけど、働けなくなったら…かといって衰える一方の体で前期高齢者になっても働けるとはちょっと思いにくい。働けばいいじゃん、と言われてももう肉体労働できるほど体力がないのだ。こんなに体力が落ち、足腰ガタガタになるとは3年前には思ってもみなかった。ということは3年後には…私は認知症の心配より体力の衰えを心配した方が良さそうだ。賢くないのでボケてもあまり違いがないような気がする。老後のことは先輩に聞こう。土屋賢二さんの最新エッセイ「記憶にありません 記憶力もありません」を図書館で予約した。買おうか借りるか迷っていたが、本はなるべく増やしたくない。片付けられないから。と言いつつ、時々買う。でも、予約すれば他のの図書館から取り寄せてもらえる。近隣の図書館には残念ながらなかったのだが、この、取り寄せは、ありがたい。老境を面白おかしく土屋節で書いておられるそうなので楽しみにしている。番組では触れていなかったが、読書は認知症予防にはいいんじゃないかと勝手に妄想している。
September 13, 2025
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