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長らく更新していませんでしたが。昨年5点及ばすで落ちてしまった中国語検定2級に向けて、今から取り組むことにしました。自分でやるのも心細いので、10回のマンツーマン対策にお金を払ってチャレンジ。身銭を切ると「元を取らないと」という気持ちになります。中国語検定2級徹底攻略こちらのテキストを徹底的にやり込みます! ちゃんとやると準1級の土台も作れるとのこと。11月まで時間があるのでちゃんとやろう。
2009年08月09日
ずっとほったらかしなブログですが、検索でいらっしゃるかたも日々何人かいらっしゃるみたいです。ありがとうございます!コメントとトラックバック、掲示板を閉じて、本格的に放置態勢を整えにきました^^語学関連で何かあればまた書き込みはしようと思うのですが。スパムだらけになっているのを見るのは忍びなく…。設定を閉じればいいと気がついたのがつい最近^^;よろしくお願いします~
2009年05月28日
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初めて受けた9月のTOEIC。ネットで結果が分かった。リスニング 270リーディング 285トータル 555!!初めてにしてはよくやった!!英語アレルギーから考えると結構奇跡。もう受けないほうがいいかも。…いやいやいや。これからもちびちび行こう。↓この本のお世話になりました大学受験レベルの単語も怪しい人にはいいレベル。
2008年10月20日
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初めて受けた9月のTOEIC。ネットで結果が分かった。リスニング 270リーディング 285トータル 555!!初めてにしてはよくやった!!英語アレルギーから考えると結構奇跡。もう受けないほうがいいかも。…いやいやいや。これからもちびちび行こう。↓この本のお世話になりました大学受験レベルの単語も怪しい人にはいいレベル。
2008年10月20日
6月から、4人のクラスで韓国語を習い始めた。教科書は前に留学していたカナタ韓国語学院の教科書。初級1,2と中級1,2があるけれど、初級の2の初めからやることに。開いたら当時の書き込みがいろいろある。自分が書いたはずなのにさっぱり思い出せない。駄目だ。昨日2回目のレッスンが終わり。マンツーマンもよいけれど、いろんな人と確かめながら進んでいくのも面白い。人によって聞きたい単語が違うのでそれも参考になるし。でも家で復習をしながら進めないと意味がないかもしれない。毎回単語テストもある。10個くらいだけど、強制力があると覚えようと思うからいいことだと思う。ちゃんとこの教科書が終わったら、もうちょい理解できるようになってるかなあ。
2008年06月14日
昨日、またマンツーマンでレッスンをしてもらう。土曜日の朝に早起きして予習するつもりが、早起きをしたけれど調べる単語が多すぎて時間オーバー。宿題まで手が回らず待ち合わせに行く。結局、フリートークにしてもらう。いろいろよもやま話をして、学校の勉強の話になる。前に家庭教師のバイトをしたとき、中国の小学1年生は算数で文章題を解かないと聞いたことがある。「りんごが3つ、みかんが2つ、合わせていくつ」みたいな問題。なぜなら、中国の小学1年生はまだ文章題で使う漢字を習っていないので、解けないから。日本はひらがながあるので、1年生でも文章題が読める。昨日の先生に聞いたら、たぶん3年生になって初めて文章題を解くとのこと。九九は2年生らしい。それは日本と同じか。あと、担任の先生のクラスへの関わり方が違うらしい。日本だと低学年から高学年までほとんどの科目を担任の先生が教えて、音楽や図工のような特別な科目だけ専門の先生がいた。中国では担任の先生がいるものの、算数の先生と国語の先生と社会の先生は違うらしい。へえ。中学や高校もそうなっているらしい。高校には、受験生専門の先生がいるらしい。どう解けば入試を突破できるかとか、応用題はどう導くと答えが出るのかなどなど。高1のときにその先生に当たってしまって、能力がある先生だけれど基礎がない人にはさっぱり分からなかったとのこと。質問しても「なんで分からないんだ!」と怒られるので、その先生がいないときに別の先生に聞いたりとか。そういう事情とか気遣いはどこも一緒なんだな。今は小学3年生から英語の授業があるらしい。従姉妹が持っていた教科書を見たら、大学を卒業した人も分からない単語があったらしい。日本も最近高学年から習うようになったんだっけ。中国語的にも「文章題」は「応用題」というとか、世間話用の単語をいろいろ知ることができたので面白かった。
2008年04月27日
去年の4月に英会話60回分のチケットを12ヶ月払いで購入することを決めた。あれからそろそろ1年。レベルアップするまではコンスタントに通っていたのが、夏と秋にあまり行かなくなってしまい。1月から焦り始めて2月から怒涛のように予約。ここ1ヶ月は週3回行くこともある。それも2回分を使用してマンツーマンにしてもらったり。その甲斐あってかゴールが見えてきた。今、予約を入れている分を数えると、54回分くらい。4月の初めまで期間があるので、このまま行けば消化できそう。毎回いろんな先生になるけれど、最近は手加減をしない先生が増えてきた。いきなりパーッとナチュラルなスピードで、かつ、お国訛りもそのままで話される。何となくお互いのスピードが分かって(主に先生がこちらの理解力の低さに気づいて)後半は楽しく会話ができるようになった。英語アレルギーだったことを考えるとかなりの進歩。先生それぞれに聞いてみても、楽しい授業や退屈になってしまう授業などいろいろあるらしい。話してくれない人が困るらしい。自分はとりあえず間が開いてしまうのが損な気がして、何でもいいから思いついたことを見当はずれの単語でもいいから口にするようにしている。間違えたら正しい単語を教えてもらえるし。アルクの教材は12冊のうち4冊目が終わりそう。今までいろんな英語関連の本を買ってみたけれど、理屈より何より、とにかく簡単な文でもたくさんたくさん読むに限るのだなと最近思う。日本語もそうやって覚えたのだし。いくつかの文章が頭に入った後に理屈を読むと、納得する。でもまずカタチからだと、土台がないのでほとんど身につかない。自分は今まで、その「とにかく体で覚える」という段階の重要度も知らずに、食わず嫌いでここまで来た感じ。やってみたら、少しわかって少し楽しいし、もっと知りたくなるともっと楽しい。中国語も何かのきっかけで「文法ってこういうことか」と納得してから、面白くなった。英語もきっと同じなんだろう。昨日、語彙を増やすために語源から単語を紹介している本を買った。「Miniーmax英単語倍増計画」というタイトルで、仲間わけをしていろんな単語が紹介されている。これをぱらぱら見て、今日初めて和英辞典に語源の説明がついているのを発見した。いつも「意味にたどり着くまでに随分余計な文章が挟まってるなー」くらいにしか思っていなかった。これを手がかりにしたらもっと簡単に覚えられるのでは。英英辞典もついているのでジャンプしてみた。そうしたら、結構分かる。思っていたよりも平易な言葉で説明してあって、和英やとっさの一言にはない文例も載っている。そこに書いてある文章を丸暗記するのでも役に立ちそう。この期に及んでいろいろ発見が。
2008年03月08日
たまたまNHKの『北京バイオリン』を見た。映画で見たことがあるし、それが良い話としてまとまっていたので、ドラマで長くなるのを見てもなあ、と思って今までチャンネルを合わせる気がしなかった。昨日はその時間帯にチャンネルを変えていて、偶然見た。せっかくなので、副音声のみで耳を鍛えるつもりで見てみた。そうしたら。子役の言葉は結構分かる。7割か8割くらい。大人の話は分からない部分が多いけれど。まあストーリーを知っているから想像がつくからか。自分としては「思ったより分かる!」というのが発見だった。子役の台詞くらいのレベルなんだろうな。
2008年02月24日
去年の4月に英会話学校に申し込んで、そのチケットが4月あたまに切れる。1年間で60回レッスンが受けられるのを、夏過ぎからずいぶんお休みしていて、1月の時点で実は20ぐらいしか消化していなかった。1月から気にはなっていたけれど、年明けから風邪を引き続けてしばし動けず。2月から一念発起して予約を入れまくるように。秋と冬もちょびちょび予約しては「仕事でいけなくなりましたー」とキャンセルしたりしていたのに、やろうと思ったら結構いけるもの。最初からこの意気込みでやっていればもうちょい順調だったのかな…。最近は週2回以上、下手したら2コマ取っている日もあって、昔に比べるとかなり英語漬け。前よりは英語の文章を考えている時間が、レッスンの時間以外にも増えた。その時間がたぶん上達をさせるのだと思う。レッスンで言いたいことをなるべく言えるようにするために、並行してやっているのがアルクで購入した「イングリッシュ・キング」。これは実は10年前に買って、温めていた教材。3万円くらいしたので、使わないからといって捨てるのも忍びなく、引越しのたびに一応持ってはきていた。これが今やっと日の目を見た感じ。超簡単な(でも自分では思いつかない)中2か中3レベルの文章を、まず英語で暗誦できるくらいにして、日本語訳が聞こえたらそれを英語で言うのを繰り返す。簡単だから初心者でも覚えやすいし、英語力ゼロに近い自分が2つ3つ英語のフレーズをよどみなく口にした、という事実だけでも自信になる。それがまた、次のフレーズを覚える原動力になったり。捨てないでよかった、これ。まさか10年後に真剣に向かうことになるとは思わなかった。というか、真剣に向かうために買ったはずだけど調べてみたら、今は6ヶ月分になっているらしい。自分のは12ヶ月分。でも休みの日にユニットの本文部分だけリピーティング練習して、日本語を聞いて英語が出るようにして、本文の日本語を見たらとりあえずそれを言えるようにする×4ユニット、これが1時間で済むことを発見。1時間ずっと英語をつぶやきっぱなしだけど。プラス、1日の通勤時間に同じようなリピーティングを聞く×3ユニットくらいいけることが判明して、週のうち3日くらいマイペースでやれば、本文の本当にコアな部分だけだけど1週間で1冊いける。実際にこの1週間でVol.2の12ユニット分の本文は頭に入った。旦那にランダムにに日本語文を読んでもらっても、それを英語で言えた。よーし。3月中になるべくチケットを使うことと、そのために準備として「イングリッシュキング」を蓄積させること。これが当面の目標。英会話コエダス英会話コエダス10カ月コンプリート・プランいろいろあるんだな、今は。でも効果はあると思う。やらないよりははるかに。下の小学校の教科書が、「自分でも分かる英語がある」というのを知ったきっかけ。「イングリッシュキング」は初心者向けだけど、自分にとっては第2段階なのかも。
2008年02月23日
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中国語に飽きたら韓国語、韓国語に飽きたら英語、とバラバラと手を付けています。英会話学校で今までよりはアレルギーが減ったものの、何かをやっぱり体系的にやらないと先がないなあと思う今日この頃。良いモノを見つけました。 『イギリスの小学校教科書で楽しく英語を学ぶ』。中学レベルからさらに下げて、小学校レベルですが。イギリスで使われている「オックスフォードリーディングツリー」なる体系立てた教科書の、レベルごとの一部分を抜き出して構成された本。ここには8冊分が収録されているけれど、実は全200冊以上の小冊子群から成るものらしい。最初の解説の中に、日本で出版されている英語版『白雪姫』で「I kill her.」と表しているところは、自然な英語だと「I'll kill her.」でなければ意味が成り立たない話が載っていたり、実際に本文を見て、物語仕立てなので動詞がまず過去形であることにも納得。自分が文章を作ろうとしても動詞の原形がまず浮かんでしまって、起こったことが言い表せないもどかしさが。それはたぶん頭の中に過去形としての動詞がないからで、こういう簡単なところからそれを補うのもよいかなと。ほぼ絵本の状態から小学生高学年手前が読むレベルまで、というのは英語学習者からはものすごい低いレベル(子供が初めて英語に触れるときの教材として使う人もいるらしい)けれど、一つ一つの表現を自分の口で言えるのかというと、言えない。ということはこのレベルが必要なんだろうな。何より、出てくるキャラクターや絵柄が楽しいので、ストーリーを知りたい気持ちにさせてくれる。ストーリーに関係ない部分の絵も遊びがあって、眺めているだけでも楽しい。全200冊以上を集めたくなる人もいるらしい。何か分かる。自分はまずステージ3から。中1の2学期後半くらいの語彙なんだと思う。でも同じ表現が1つの小話の中に何度も出てくるので、頭には刷り込まれます。「こんな簡単なもの」と思うところから始めないと、自分はやる気が起きなそうです。こちらのお店でいろいろ案内があります。
2008年01月19日
こないだペラリと来た中検2級結果。予想していたとはいえ実際に「不合格」の文字を見るとへこむ。ヒアリングは合格点70点のところ、65点。筆記は60点のところ、55点。答え合わせをしてみたら、迷って書き換えていたいくつかが実は直す前のが合っていたというのを発見してさらにへこむ。ものすごく運が良かったら通っていたかも。でもここで「たられば」な話をしてもねえ。そもそも6割行かないようなら、やっぱりそこまでの実力はついていないということ。来年頑張ろう。
2007年12月21日
いつかはやらないと、ということで申し込んだ中検2級。手元にあったのがちょっと前の問題集で、とりあえずそれで準備して臨んだら。ヒアリングの質問文が印字されてないわ、正誤問題がなくなって慣用句の選択問題になっているわ、そもそも問題のレベルが比べ物にならないくらい上がっているわで、結局ボロボロでした。迷ったところがたぶんほとんど駄目。迷って書いている時点で「身についていない」ということなので、それはもう自分のせい。迷いなく答えられるようにならないと、その先の勉強もしんどいということ。いい薬になりました(泣)
2007年11月25日
前に漫画喫茶で横山光輝の『三国志』にチャレンジして、10巻くらいで止まっていた。一念発起して、Yahoo!オークションに出ていた文庫版30冊を購入。夜長を利用して何とか読破しようかと。中国語に関わらず、中国文化に触れようとしたら『三国志』は避けて通れない。あちらの漫才でさえ三国志がネタになっている。たぶん日本の桃太郎とか浦島太郎みたいなもので、小さい頃からみんなが当たり前のように知っている話なんだろうな。故事成語や言い回し、人を形容するときの比喩などなど、いろんな場面で使われている。中国語を勉強していて三国志を知らないというのはちょっと、とずっと思っていて、いつまでも克服できていなかった。今度こそ。
2007年09月23日
中国を離れてもう1年半。HSKの効力は2年らしいので、それもそろそろ切れる頃。というかまったく話す機会がないのでおそらく力は落ちまくり。せっかく身に着けたものまでなくしてしまうのはもったいないなあ。今さらながら、中検にチャレンジしてみることに。10月下旬のテストに向けて、今からだったらまだ間に合うはず。HSKは8級を取ったけれど、中検は3級しかない。まず2級を取らないと話にならない。単語のピンインや厳格な意味が苦手なので、そこを集中的にやらねば。仕事を持ちながら勉強の時間を取るというのは本当に難しい。それを考えると、生活のすべてを中国語の勉強に充てることができた留学生活は贅沢だったなー。大変だったけどそれだけやっていればよかったといえばよかった。昔の教科書をペラペラめくったりして。気分だけでも早く戻して、がんばりましょう。
2007年09月17日
昨日、また英会話の学校に行ってきた。平日の時間が読めないので、5月から数えてもまだ3回目か4回目。今日はマンツーマンで、たまたま前に教わったことのある先生だった。前の話題を覚えていてくれたり。やっと5W1Hの疑問文のカタチがわかってきて、知っている単語の範囲なら何とか組み立てることができるようになった。たぶん中2レベルだな。単語を知らないのはどうにかしないと。帰り際、受付のお姉さんに「レベルアップしましたよ!」と言われる。入会のとき、レベルアップが見込まれる人には先生が秘密でレベルアップチェックをしていて、1回では計れないので2回やるという話は聞いていた。自分がチェックされているとは。11段階あるうちの下から3番目だったのが、4番目にアップ。3番目は「単語のみの会話で、外国人が少し困るレベル」らしいので、それを脱したということで。でも英語で何か「成果」があったのは中学のときの英検3級以来だ。ちょっとうれしい。
2007年06月07日
2回、レッスンをした。一回目はマンツーマン。Does she ~?などの文型を復習。英語を話せる人からしたらどうしようもないレベルだけれど、実際ここから復習しないとわかってない。語彙も少ないし。先生が途中で困った顔をしたのがとても印象的。でもまあ英語だけで数十分もたせること自体が自分には画期的なのでよしとする。2回目は2人で。同じようなレベルの人と受ける。初対面だけれど、先生がお互いに話しやすい話題で長く話せるように振ってくれるので、それなりに楽しめた。人が間違っているのを見ると自分の間違いにも敏感になる。マンツーマン以外にも上達する手がかりがあるものだなー、と思う。自分の身の回りの紹介くらいは丸暗記しないと。
2007年04月21日
発作的に、英語を始めることにしました。今までのように本を買ってというのではなく。習いに行きます。この先1年間はお金を払い続ける手続きも済ませました。元を取らないと。HPやいろんな資料請求をして選んだところに体験レッスンに行って、特に不満もなかったのでそこで1年間頑張ることを決意。英会話を誰かに評価してもらうこと自体がどのくらいぶりだろう。中学生で英検3級の試験を受けたとき以来? 20年ぶり近い。理解力、発音、語彙、文法、会話力、コミュニケーション力などなどの項目を30分くらいの英語圏の人に判断してもらってレベル決定。一番下はないだろうけど下から2番目くらいを覚悟していたら、コミュニケーション力と理解力を高評価してもらって下から3番目になった(あまり変わってないか)。海外の経験が多い人のパターンらしい。国内で勉強をしっかりした人は語彙と文法が強いけれどコミュニケーションが苦手。自分は「よくわからないけど雰囲気で乗り切る」感じらしい。まあ、それしかできることないしな。発音を褒めてもらったのは意外。その代わり文法は中学生レベルのものも満足に表現できず。自分の中の第一外国語が中国語なので、変換するとまずそれが頭に浮かんでしまい、下手をすると口に出てしまう。それほどまでに中国語に染められているのは嬉しいけれど、英会話中は邪魔。それを週に1回か2回くらいのペースで改善していくのが目標。一つ発見だったのが、その後に聞いたポッドキャストの中国語コラムの理解力が上がったこと。英語よりは馴染みのある言語で、体験レッスンであまりにもわからない言語を聞きすぎたあとに聞いたので脳が嬉しくなったんだろうな。今までわからなかった部分が「あ、わかった、この意味」とピンと来やすくなった。韓国語も…おいおいやります。
2007年04月07日
久しぶりにここに書き込み。自分のHPについて人に話をする機会があって、話しながらも「うわー全然触ってない」と少し反省。週末で時間もあるし、本当に久しぶりに自分のページをめぐってみた。ここ以外のリンクは、最新情報の日付が05年だったりする。放置しすぎ? パソコンは1年前くらいに買い換えて、それから更新作業をしていないことになる。でも自分のランチャーにちゃんとFetchが置いてあるのを再発見して心の底から驚く。そういえばHP用のコンテンツを入れてあるフォルダもすぐ開けるところに置いてある。というか置きっぱなし。Fetchの使い方覚えてるのかな、自分。あとで試してみよう。 最近はまたフルタイムで働き始めて、朝に会社に行き、夕方に家に戻る。×5回のあとに2日のお休み。それはそれでリズムができたし、朝早くに電車に乗って目指す場所がある有り難みが身に染みる。所属していいよ、と許される場所が家以外にもあるというのが嬉しい。 中国語も韓国語も触れる機会が全くなくなって、これはやばいと思い始めた。で、この前にやっと辿り着いたのがiPodのポッドキャスト。それまでは中国語学を検索しても「一言レッスン」とか「文法ワンポイント」みたいな番組しかヒットしなくて、正直それでは物足りないのであまり興味がなかった。でも先週ヒマに任せてぷらぷら探していたら、「これを登録した人はこんな番組も聞いてます」リンクを追っていった先に最適の番組を発見。 1つ15分くらいで、中国の社会トピックスに2人の女性が解説をしている。きれいな標準語で、スピードもナチュラル。2人の会話以外にトピックにまつわる対話があって、その中で使われている辞書にない語句についても中国語の説明がついている。自分にとってほしい情報が満載。留学先で授業を聞いているときの感覚を思い出した。最初は耳がなまっていてわからないところが多かったけれど、聞き続けていると何となくわかってきた。通勤に片道1時間弱なので、1日だと2時間近く聞ける。積み重ねたら結構すごいよ。 初日は突然の大量中国語で朝から頭がクラクラした。久しぶりに動かした筋肉のように、使われてない脳が運動をしたんじゃないか。でも心地よい。毎日くり返していたら慣れてきたし。番組名は「ChinesePod 随時随地学習中文」。番組内ではちゃんと簡体字で表記されます。ChinesePod.comでは他にもいろんなレベルの中国語番組を提供しているらしい。無料ですよ。無料。どこで稼いでるんだろう。 この会社?が提供しているHPに行ってみたら謎が解けた。ここからもポッドキャストに載せている音源を聞くことができて、なおかつ有料会員になるとテキスト(PDF)で内容を確認できる。これかあ。バリバリの中国語HPなのでちょっと敷居が高いけど。英語で説明ページもあるらしい。料金説明のページには一応円建てでも書いてあった。月に1000円くらいから。へえ。コンテンツの質が良いので、そのくらいの有料は納得ができる。でも自分はやめておこう。文字で見たら絶対耳から理解しなくなる。http://zh.chinesepod.com/ 韓国語も同じような番組ないかなー。もうちょっと初心者向けの。
2007年03月31日
朝は6時に起きて、7時に開店しているという近所のアワビのお粥屋さんへ行く。一番乗り。そして貸し切り。お客が多い時期やお昼時ならもう少し人がいたのかもしれない。日本語も何となく通じる。アワビのお粥の「(特)」を頼んでみる。アワビが丸々2つ分。おおお。だしの色なのか薄い緑色でゴマ油の香りがする。ついてくるキムチや海苔もおいしかった。8時過ぎに店を出たら、周りのおみやげ屋さんも開いていた。のんびり覗きながら買い物。日本語オッケー。みんなそうだ。9時に集合でチェックアウト。ガイドさんに連れられて空港方面へ。ツアーの組み込みで途中空港前のおみやげ屋さんに寄る。さっきと同じモノがさっきの3倍の値段で売られている。連れと「先に買っておいてよかったね」と小声で話す。時間が心配だったからあまりこのおみやげ屋さんに寄りたくなかったのだけれど、寄ったことでちょっと幸福感が。塞翁が馬。釜山空港でチェックインの人がずらーっと並んでいる。一瞬「乗り遅れそう」と思ったけれど、実は預ける荷物がない場合は後ろにあるガラガラのカウンターでチェックインできる。ガイドさんはそれを知っていて時間設定をしたらしい。荷物があったらあと30分か1時間くらい早く集合しないといけなかったらしい。出国のゲートをくぐるときにガイドさんとお別れ。親切だったけれど「アカスリはどうですか」とか、たぶんノルマや歩合の関係で一生懸命いろいろ勧めてくれる人だった。気の弱い日本人だと「はい」と言ってしまうかもしれない。釜山空港は小さめですぐに出国審査がおわった。天津の汽車の駅を思い出した。そこの中にある小さな本屋さんで韓流グッズを見たり。ハン・ソッキュの『淫乱書生』がDVDになっていたので、迷わず買う。たぶん日本で公開してくれなそうな映画だし。飛行機はやっぱり1時間くらいで関空に着いた。早いなあ。外国っぽくないなあ。***友達にも会えたし、地元の人と遊んだり勉強させてもらったり、ツアーっぽくない時間を過ごさせてもらった。3日間というかほぼ2日くらいだったけれど、1週間くらい滞在していたような気分。さて、韓国語がんばろうか。そうしないと英語に行けない。
2006年07月14日
朝は8時半にホテルの前で待ち合わせ。同学の彼女の家はバスですぐらしい。朝からありがとう。バスに乗って彼女の大学へ。彼女の後輩も交えて4人。中国語を勉強しているらしい。午前中は学校の売店で少し食べものを買って、空いている教室でしゃべりまくる。中国語が結局ほとんど。久しぶりで話せなくなっている。でもどちらも同じようにレベルが下がっていて、知っている範囲内で話せるのは心地よい。これがネイティブの中国の人だったりすると、如実に自分のレベルが落ちているのを実感するんだろう。外国人同士ならではのいいんだか悪いんだかの一面。次に彼女に連れられていったのは、学生さんたちが10人くらいいる教室。「授業?」と思ったら中国語を勉強している人たちの勉強会だった。同学の彼女は留学を経験しているだけあってやっぱり流暢。他の学生さんたちはたどたどしく一生懸命例文を口に出して読んでいる。ある人は「ここに留学している日本人と友達になったから」と日本語がペラペラ。まだ日本に行ったことがないらしい(厳密にいうと乗り換えの時間待ちのときに成田山には行ったらしい)。勉強を始めて3年くらいだという。3年であのレベルってすごいや。ワーホリでオーストラリアにも行ったことがあるらしく、英語もできる。連れの彼女と英語で交流したりしている。英語は大事だよね。と毎回思うのだけど。そこで携帯で出前を取ってお昼。チャンポンを食べる。釜山でもチャンポンというらしい。日本語がそのまま残ったらしい。辛かったけれどおいしかった。午後になって先生が来て、授業。自分たちは退散する。一瞬だけど大学生に戻ったような、面白い気分だった。地元の現役大学生と話す機会なんてなかなかない。最初に合流した友達は授業があるのでお別れ。その代わり、隣の馬山市に住んでいる友達と合流。彼女と、今日いろいろ案内してくれている彼女はルームメートだったので、両方とも知り合い。久しぶりの再会を喜ぶ。また痩せたんじゃないかな、と思ったら昨日半月の中国旅行から帰国したばかりだという。疲れているところをありがとう~。彼女は好きなバスケ選手を追いかけて北京や上海まで行ったらしい。汽車移動をするときにうっかりキップを買うのが遅れてしまって、14時間立ったまま乗っていたらしい。そのキップを見せてもらった。普通は「硬座(普通の座席)」「硬臥(普通の寝台)」などが書いてある場所に「無座」と書いてある。本当に席がない! こんなキップ初めて見た。おまけにトイレのそばだったので本当に死ぬかと思ったらしい。そりゃあ痩せたりするよね……。学内の本屋さんで、連れが韓国語の教科書を買う。英語も中国語もできるのに韓国語もか。勉強を始めたらあっという間にマスターしそうな人なので、こちらも負けないように勉強しないと。またお菓子を買って学生休憩室でしゃべる。同学の彼女が1コマだけ授業があるので、ちょっと解散。というか、残った3人で西面に行って、昨日作ったメガネを取りに行く。一緒に行ってくれたルームメートの彼女は地元の釜山人ではないのでみんなで少し迷いつつ。バスの料金が前は900ウォンだったのに1000ウォンになっていた。日本語ペラペラの店員さんからメガネを受け取り、地下街でぶらぶら買い物。髪留めを買った店で「これ下さい」と言ったら「どこの国の人?」と一発でバレた。なんか悔しいなあ。授業が終わった同学の彼女と合流、サムギョプサル(三段腹肉という意味らしい)を食べにお店に入る。ここは肉1人前で3500ウォン。昨日のところはやっぱりぼってるなあ。久しぶりのサムギョプサルは舌の中でとろけてうまい。一口一口感動しながら食べる。韓国の味。年に何回か食べたい味。そのあと、マッコリを飲みに近所の店に入り直す。そこで海鮮チヂミも。彼女の携帯を借りて同学たちに電話をかけたり、写真を撮ったり、飲んだり。マッコリは甘酒みたいに白くて甘くて、するっと飲める。そんなに強い感じがしない。そこで満足ゆくまで飲み食い。タクシーでホテルまで送ってもらう。みんなはそこからバスで帰るらしい。さすがに明日は2人とも用事があるので、ここで今回の再会はおしまい。でもまた会うような気がする。惜しみながらバイバイ。ホテルの1階にあるセブンイレブンでアイスを買う。そこに「涼しいアイスあります」とワープロ打ちの文章があったので「どういう意味だろう」みたいなことをつぶやいたら、そばで買い物をしていたフロントのお兄さんが「すみません、どこか間違っていますか」と日本語で尋ねてきた。友達と別れたばっかりなので連れと突然中国語で会話したりしていたら「中国の方ですか」と日本語で聞かれる。日本人ですと韓国語で言ってしまう。ぐちゃぐちゃだ。あとで打ち直すので書き直してほしいとペンを渡されて、連れと旧字体の部分と単語が違う部分を訂正。せっかくなのでそのお兄さんと書き直した紙とで記念写真。そのお兄さんは韓国語と日本語と中国語と英語と、ひょっとしたらロシア語もいけるらしい。すげ。
2006年07月13日
前回の日記をいつ書いたのかもわからないくらい久しぶり。ひょんなことから釜山に2泊3日で行けることになった。12日から今日まで。お金と時間とパスポートさえあれば、本当に世界中どこに行ってもいいんだなあ。韓国は3月のソウル以来なので4ヶ月ぶり。あれから帰国してほとんど韓国語の復習をすることなく今まで来てしまった。でも今回はチケットとホテルがついているツアーなので、主な移動はガイドさんがいる。知り合いと2人旅。ちょっと安心しながら出発。成田は何度も乗り降りしたけれど関空は初めて。本当に孤島だった。ここがないときは関西方面の人は成田まで出ていたのか。日本を出るまでも小さな旅だ。関空から釜山までは飛行機で1時間くらい。近すぎて機内サービスが忙しそうだった。乗ったのは大韓航空だけれど、大体みんな日本語が話せる。人によって韓国語で話しかけられたり、日本語で話しかけられたり。どういうところを見て国籍を判断するんだろう。服装か化粧か髪型か。短い旅なので預ける荷物もなく、降りたらそのまま出口へ。ガイドさんと合流してホテルに向かう。観光客が多い時期はバスを借りたりするらしい。今回は底値の一番お客さんが少ないときだったので、自分たち2人とガイドさんでタクシー移動だった。ラッキー。窓から見えるハングルの看板がすでに懐かしい。意味はわからないのに囲まれていると安心する。たぶん「わからなくてもいい」というのが安心できるのだと思う。日本語で書いてあったら理解したり情報を吸収しなければいけないような気になる。連れは韓国初上陸で、英語と中国語ができるけれど韓国語は本当に初めて。あまりにも意味がわからなくて変な笑いがこみ上げてくるらしい。わかるわ、その感覚。空港からホテルまでタクシーで1万2千ウォンだったらしい。ホテルは日本語が通じる。たぶんツアーを通さなくてもそれなりに安く泊まれるホテルだけれど、普通にきれい。部屋に荷物を置いて、ツアーに組み込まれている免税品店巡りへ。ロッテ百貨店にある免税品店をぐるっと回って、そのあとホテルの地下にあるメガネ屋さんに行く。どこも日本語で大丈夫。非球面のレンズでも思ったより安く作れることがわかったので、そこで普通のメガネと度入りのサングラスをあつらえる。受け取りは明日。ガイドさんもメガネを新調していた。そのあとツアーに組み込まれている夕飯。カルビとプルコギなどからひとつと、チヂミやビビンバからひとつを選べる。カルビとビビンバと冷麺を頼む。お肉のおかわりもできるらしいけれど1人前1万5千ウォン。韓国生活をしていた身からは「激高」と思う。その辺の焼き肉屋さんだったらたぶん高くても8000ウォンとか9000ウォンで同じくらい食べられるのを知っている。でも久しぶりの韓国焼肉だし、せっかくなので2人前追加。お店は日本人の団体観光客でいっぱいだったので、かなり儲かってるんだろうなあ。ツアーの一環でミリオレも。思ったより安くなかった感じ。「安くして」という韓国語は思い出したものの、最初に店員さんに呼びかけるときどうすればいいか忘れている。ほかの韓国のお客さんを見ていて「オンニー」と呼びかけるのを聞く。ああそうか。そうだった。駄目だ。1時間くらいぶらぶらして、ガイドさんに連れられてホテルに戻る。今回の個人的なメインは、釜山に住む天津時代の同学たちに再開すること。自分は携帯を持っていないので、ホテルの公衆電話からいろんな人に連絡を取る。事前にお知らせはしていたので「おー、来たか」という感じで歓迎してもらう。あれよあれよという間に、今晩これからみんなで出かけることになった。ひー。車を持っている同学が他の友達を拾ってホテルまで来た。自分の連れも中国語ができるので、一緒に交流。初対面だけれど楽しい人たちだったので問題なし。みんな昼間の用事(仕事とか学校とか)で疲れているはずなのに、全力で歓待してくれる。毎回毎回本当にありがたい。前にも行った飲み屋さんで海鮮コースを頼みながら焼酎を飲む。それぞれ状況は少しずつ変わっているけれど、会えばやっぱり楽しい。久しぶりに大笑い。さすがに今回はこちらがお会計を済ませる。毎回おごってもらってばかりだと本当に申し訳ない。3人の韓国人の友達のうち2人は今回はしばしお別れ。握手をして別れる。もうひとりとは明日も再会を約束してお開き。夜中の1時を回っていた。ツアー旅行とは全然違う空気。
2006年07月12日
韓国語の教科書も、中国語の教科書も、結局ろくに開かないままダンボールの中に。友達に電話をしても、中国語すらやばくなっている。韓国語は元が少ないので消えかけている。うう。引越しのための詰め込み準備のほかに、捨てる作業も並行してやっている。最近読んだ風水の本に「古いものを捨てて新しいものを取り込める場所を作らないと運の代謝がなくなる」とあって、納得。服やら靴やらも、今までの自分にしては大胆に処分。肥やしになっていたものがいっぱいあったなあ。確かに頭の片隅でいつも「あれどうにかしないと」と思っていたものがなくなるとすっきりする。そのことについてもう考えなくていい。同時に、人間関係でも去るもの追わずで新しい友達を作ったりするほうがどんどん回転していっていいのかなあと思ったり。もちろん仲良く付き合っている人を切ったりはしないけれど、いろんな事情で離れていった友達についてうだうだ考えている時間がある。それも、もうそういうご縁なんだろうと割り切ったほうがいいのかもしれない。ご縁があるならまた何か続くだろう。自然体で行こう。
2006年04月24日
韓国の下宿で中の良かった友達と久しぶりに会い、映画を見てきた。「連理の枝」。「タイフーン」とかほかにもいろいろあったけれど、なんとなくチェ・ジウを見る感じでこっちの映画にした。レディースデーだったのでおばちゃんがたくさん。男の人はなかなかあえて来ないよな。ストーリーは難病でもう長く生きられない女性と、プレイボーイだったけれど本当の愛情に目覚めた男性の恋愛模様。それだけの予備知識で行ったので、もっと暗い話なのかと思っていた。でも前半はコメディー映画かと思うほどにぎやかで、それがまた後半の深刻な話を引き立てているというか。映画を見て始めてわかる秘密もある。それがわかったあとでもう一度見ると、それぞれの台詞や表情の奥にある意味がまた見えてくるかもしれない。「連理の枝」というのは、もともと2本だった木の枝がつながって、1本になったような状態を指すらしい。そのタイトルのきれいな印象はこの映画のイメージを作るのに大きく貢献している気がする。難病で恋愛ものだと、見ながらも「八月のクリスマス」を思い出していたのだけれど、それよりはアクティブで力がある映画。個人的には「八月の~」の静かな時間の流れ方も気に入っている。それにしても韓国の映画は男の人も臆面なく泣く。ここぞ、というところと、ここも、というところで泣く。山場がたくさんあるので、ついていけずに冷めて見てしまった。友達はちょっと涙をぬぐっていた。会場でもすすり泣くような声が聞こえていた。エンディングも静か。韓国の映画館だとみんなあっと言う間に立ち上がって帰ってしまう。日本だとそのあたりがゆっくり余韻に浸れていいな。
2006年04月20日
帰国して2週間ほど。結局、まだ教科書を開いて勉強してない……。知らない間にブログに新しい機能がついていたり。帰国して4日くらい、毎日韓国映画を1本見ていた。字幕は日本語だったり中国語だったり。でも韓国語の字幕がついていないものもあるので、何を言っているのか細かくはわからない。スカーレットレターの日本版DVDを買ったら、韓国語版と吹き替え版の他に、監督とハン・ソッキュが映像を見ながらずっとトークしている音声が入っていた。日本語の字幕が付いていたから意味はわかる。いいなあ、こうやっておしゃべりできればなあ。最近は拉致事件のニュースがたくさん流れて、その中のキム・ヘギョンちゃんのインタビューを聞いていたら、内容がわかった! ものすごく簡単なことを言っていたのだけれど、韓国に行く前はそれすらわからなかったのだし。ささやかな成果だけどちょっと嬉しい。こないだ韓国の友達に中国語で電話したら、さっそく言葉が出てこなくなっていた。あっという間だな。本当に。
2006年04月13日
昨日帰国して、今日は昼近くまで寝ていた。今まで下宿の2階がカラオケだったので、ほとんど何の音もしない場所で寝るのが久しぶり。ぐっすり。でも起きたとき自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。あれっ、という感じで。届いた荷物を開いたり、光ファイバー環境を楽しんだり。中国、韓国、と続いていた留学生活もここでおしまい。HSK8級の証書もちゃんと確かめた。時間にしてみると1年半で、決して長いわけではないのだけれど、その間にいろんなものを見聞きして、いろんな人に会って、いろんな話ができた。今までニュースや本でしか知らなかった事柄を、住むことで肌で理解したりした。それは日本にいたら絶対に経験できなかったし、経験できなかった感情を留学することでいろいろ持つことができた。友達も増えたし。今まで帰国しても「次はどうしよう」というのがあったけれど、今回はここでおしまい。それがちょっと寂しいけれど、今回得たことを日本でも生かせるようにしないと。このページもどうしようかな。残してはおくつもりだけれど、新しく書き込むことは少なくなる予定。アジア映画を見たら感想書こうかな。そんなわけで、またここで2度目の区切りです。読んでいただいていた皆さん、ありがとうございました。また気が向いたら遊びに来て下さい。m(__)m
2006年04月03日
完徹で4時半くらいから活動。要らないものは処分して、忘れ物がないか確かめて。スーツケースを持って階段を下りる。雨は幸いぽつぽつ程度。近くの空港バスの停留所で立って待つ。飲み客待ちのタクシーのおじさんが「1万ウォンで空港までどう」とか「8000ウォンで」と声をかけてくるけれど無視。バスで8000ウォンで行ける。タクシーで8000ウォンはあり得ないと思うんだけど。バスが来て、乗り込むときにスーツケースも一緒に乗り込み。横の荷物入れじゃないのか。ちょっと時間がかかりながら乗車。荷物がほとんどない状態で乗り込む人もいる。こんな時間に空港に迎えかな。霧が出てきた。うっすら白い高速道路を走る。夜も明けてきた。来たばっかりのときは同じ道を通りながら、あまりにも看板ハングルがわからなくて空笑いしてたな。それに比べれば目が慣れたし、意味がわかる言葉も増えた。ちょっと嬉しい。でもこれで離れてしまうのはちょっと寂しい。空港には1時間ぐらいで到着。6時半前。そんなに混雑していない。チェックインを済ませて、搭乗口へ。この時間が一番眠くてしんどかった。音楽を聴きながら足でリズムを取ったりして、なるべく体を眠らせないように。飛行機に乗ってから30分くらい離陸待ちをする。でも飛び立ったら2時間足らずで成田。日本航空だったけれど日本人以外の人がたくさんいてびっくり。中国からの日航は日本人ばっかりだったのに。朝ご飯で軽いちらし寿司みたいなものが出る。中国帰りのときはその醤油と日本的味付けに感動したのに、今回は寝不足から胃が働かず、感動薄。それ以外にも韓国の食生活にあまり不満がなかったせいかもしれない。日本食が恋しいとも思わないし。アジュンマの料理もおいしかったし。着いたら日本。何だかいろいろなことが機械的に感じる。サービスの質なら日本が一番のような気がしていたけれど、発券カウンターの中で世間話に興じる人がたくさんいるし、言葉は丁寧だけれど態度が全然丁寧じゃない人もいる。日本の質も落ちたなあと思う。トイレの紙を便器の中に捨てることにはどうも抵抗がある。詰まりそうな気がする。変なの。空港シャトルバスの料金が3500円だった。4万ウォン近いよ。家に帰るだけなのにソウルから釜山行きのけKTX並み。釜山が無理でも東大邱までは確実に行ける値段。高。バスに乗って電車に乗って、親に迎えに来てもらって帰宅。いない間に我が家にIT革命が来ていて、光ファイバー化していた。エアマックOK。おお。家の景色は何も変わっていなくて、入ったときによその家の匂いがした以外は普通だった。数時間でもう感覚が慣れてきた。韓国に行ったのが嘘みたい。本当に行ったけど。夕ご飯は寿司だった。食べたらおいしかった。そのあと、寝ようと思ったけれどついつい中国で買ってあったDVD「四月の雪」を見る。韓国語の音が懐かしい。毎日聞いてたんだよな。ヨンさまの演技を初めてちゃんと見る。鼻から下のラインが格好いい人なのかな。いろいろ言われるけれど、悪い演技ではなかった。この映画の微妙な関係を表す感じもよかった。言っていることが簡単なことなら聞き取れた。勉強続けないとーー!
2006年04月02日
ソウルは朝から雨模様。こんなにちゃんと降るなんて珍しい。午前中は荷造り。スーツケースに詰める。大体のものを送ったつもりだったけれど、いざ詰めてみるとかなりギリギリ。詰めているときに昼過ぎに会う予定だったオンニから電話が。待ち合わせ場所を変えて、時間も早められないかと。一番年が下のお兄さんが食事をおごってくれるらしい。下宿の友達にも知らせて、少し早めに出ることにした。こないだの待ち合わせがうまく行かなかった3人なので、会えるまで結構緊張。電車を反対に乗ったりしないように。お兄さんはカルビをごちそうしてくれた。韓国生活最後のカルビ。その後、午後から予定があったはずが急になくなったので、ドライブがてら競馬公園へ行くことに。競馬場もある。日本でも入ったことのない競馬場へ。雨なのにお客さんはたくさん入っている。一度屋根付きのスタンドからレースを見る。遠くのほうから馬が走り始めて、しばらくすると目の前まで走ってきてゴール。賭けている人たちは立ち上がって罵声を上げたり、応援したり。その雰囲気が面白い。一度外に出て、小さい場所(名前を知らない)で馬の様子を確認して、中で馬券を買うことに。みんな馬の見方を知らないので適当に好きな馬の番号を言って、お兄さんが1000ウォンくらいをかけて券を買ってきた。複式?買うときもマークシートのやり方がわからないので、競馬新聞を読み込んでいるおじさんに聞きつつ。女性客は少ない。たまに気合いが入っていそうなおばちゃんとかいるけど。お兄さんは初めて来たという割にペンをくわえて考えている姿が様になっている。レースが始まるとたとえ1000ウォンでも賭けていると気分が違う。周りも立ち上がって大声援。レースが終わると「っしっ!」という感じの悔しそうな声があちこちから。結構ポピュラーな罵声語。みんな悔しいときは悔しいと表す。日本だと「あーっ」くらいで終わりそうだけど。自分たちはどうもうまく賭けていたらしく、1万ウォンになって返ってきた。おおお。ビギナーズラック。お兄さんは1万ウォンを賭けていなかったことにちょっと悔しそう。でも面白かった。その足で、競馬場の真ん中にある公園へ。そこから馬を見ることもできるし、テレビ画面でレースを見ることもできる。熱心だな。ちなみに韓国の競馬は「KRA」だった。日本が「JRA」だから、そうか。そのあと、現代美術館に連れて行ってもらう。行きたかったけれど時間がなかった場所だったので嬉しい。韓国の現代芸術を堪能。題名見てもよくわからないのとかいっぱいあった。無題ってのはやめてほしいな。地下鉄の駅まで送ってもらってお別れ。面白い経験をいろいろありがとうございました。夕方、違う友達と待ち合わせ。その友達とも2回待ち合わせがうまくいかなかったので、会えて感動ひとしお。よかった。一緒にタッカルビを食べて、喫茶店でコーヒー。中国語で会話をしていたらお店の人が中国人かと聞いてきた。韓国人と日本人が中国語で話していたら、まあ奇妙な感じだろう。中国に行ってから自分の要望をいろいろ表に出せるようになったと言っていた。自分もそうだ。有り体に言えばおばちゃん化しているというか。自分の写真を撮ったりすることも慣れた。韓国の人は本当に写真が好き。戻って、荷造り続き。と掃除。12時過ぎに終わったけれど、朝4時半には起きないといけない。一度寝に入ったものの、眠れなくてそのまま起きていることにした。
2006年04月01日
教科書は終わったので、ワークブックと復習。いろんなことを習った割には応用がきかず。まだまだ練習の余地あり。口語のテストだけあるので、ひとりひとり別室に呼ばれて行く。その間にみんなで写真を撮ったり、住所を交換したり。最後っぽい。昼に約束をしていた友達とまたうまく会えず。戻ったらケータイが壊れたとネットで連絡が。ソウルで待ち合わせるのは本当に大変。ここ数日で思う。
2006年03月31日
授業はさくさく進み。今日はこの一ヶ月で最後のところを勉強する。昼を食べて、安重根祈念館へ行った。地球の歩き方を見ると地下鉄の駅を降りたら徒歩12分らしい。降りたものの、道がよくわからず隣の駅のソウル駅まで行ってしまった。東京駅を模して作られたという旧駅舎を初めて真ん前から見る。迷ってよかった。駅舎の前では何か大規模なデモが行われていた。警察の人もちらほら。道を戻って、祈念館を探す。道が大きく交差しているところの坂を登って、丘の上へ。ソウルタワーの麓の公園にあるらしい。徒歩12分とあるけれど自分の足では20分くらいかかって、そのほとんどが急な上り坂と階段。登山だな。上の方の公園では年配の人がテニスをしたり、アスレチックみたいなもので運動している。みんな運動が好きだな。辿り着いた祈念館からソウルタワーが見える。けど徒歩で来る場所ではないな、ここ。ひとりで良かった。友達とだったらちょっと申し訳ない距離。安重根は韓国では英雄になっている。自分は、伊藤博文を暗殺したのは知っているけれど、どんな人なのかは基本的に知らない。チケットを買ったら係員の人に映像の部屋を勧められる。日本語バージョンもあるらしい。20人くらい入れる部屋で、ひとりでそのビデオを見る。貸し切り。生い立ちやどんな思想を持っていたか、どんな裁判だったかなどなど。日本からすると真逆に近い立ち位置から見るので、奇妙な気持ち。人を殺すことで讃えられるというのが生理的に違和感。韓国の科挙に合格した父親がいて、伝統的な儒教に沿っていたのが途中からクリスチャンになる。布教活動をしていたけれど独立運動に参加するようになる。クリスチャンになったときフランス人の宣教師の影響を受けていたらしいけれど、「外国語を学ぶとその国の奴隷になってしまう」「韓国が覇権を握れば世界中の人が韓国語を学ぼうとするだろう」という考えから、外国語の勉強をやめてしまったらしい。それを聞いて、あの時代の人はどの国でも同じような考え方を持っていたのかなと思った。大日本帝国も同じだし、韓国の人も自分の国を強くしたかったし、そのために武力闘争も辞さない。たまたま日本が力を持って韓国を植民地にしたけど、もし韓国が勝っていたならたぶん日本と同じことをしたんだろうなあと想像した。あのとき負けたから、今こういう文脈で言えるのだろうと。闘争のときに日本軍の50人を殺して、10人を捕虜にしたという。かなり誇らしげな口調でそう言われると、やっぱり「人を殺したのに?」というのが先に来る。10人を国際法に則って釈放したら、その日本人が彼らの居場所を密告して、そのせいで壊滅に近い打撃を受けたらしい。「彼らが密告しなければもっと戦果を上げていただろう」というけれど、戦争ってそういうものじゃないかとも思う。だからしたらいけないとも思うし。伊藤博文を殺すことで韓国が他国に取り込まれていく流れをストップさせたかった。その義挙(韓国ではそうだよな)は中国なども勇気づけた。でも裁判はロシア管轄地で韓国人が起こした事件なのに日本の法律で日本人裁判官、日本人弁護士のもとで行われた不当裁判だった。それは確かにそうかもしれない。裁判をする前から極刑が決まっていた。まあそうだと思う。その点は公平ではないなと思う。彼の左手の薬指は第一関節から上がない。前にも彼の書いた書と手形を見たことがあった。指がないのはてっきり日本から受けた拷問とかそういうものだったのかと思っていたら、独立運動をしているときに断指同盟を作って、みんなで指を落として誓い合ったらしい。その血で血判書を作ったり。そうだったのか。先入観はいけないや。係員の人に聞いたら、ビデオは韓国語版と日本語版があって、中国語と英語は字幕で説明をしているらしい。日本人もよく来るという。ただの暗殺者としか習っていないし、それ以上を知ろうとしたことがなかったのと、韓国ではどんなふうに扱われているのかを実際に目で見て帰ってきたので、それは勉強になった。戻って夕ご飯を食べる。アジュンマと写真を撮ったり。チムチルバンに行ってのんびり。戻ってきて友達に電話したり。明日試験なんだけど。
2006年03月30日
そういえば昨日は雪が舞っていた。最低気温が零下すれすれなのに、ソウルの人は一回着始めた春物を替えたりしない。コートの人もいるけど、だいたいみんな春物の薄手コートだったり、スカートを穿いていたり。気温だけ見たら立派に日本の冬だよ。ソウルの人は寒くないのか。今日は休み。午前中に銀行で両替。2万円が163000ウォンくらい。ひと頃よりはよくなっているのかなあ。下宿に郵便局のEMSの人が来てくれたので、段ボールで2つ荷物を送る。その人が言っている韓国語がよく聞き取れなくて、わかればとても簡単なことだと知るのだけど、それすらわかっていないことにショック。まあ仕方ない。午後は、クラスのスイス人の友達と観光地巡り。待ち合わせがまたうまく行かなくて、駅で30分以上待つことになった。出口の横の風よけできる場所で立っていたら、道を聞かれる。見て日本人だってわからないのかな。市場に行けば何も話さなくても一発で日本人だとばれて、思いっきり日本語で話しかけられるのに。一人目は韓国のおばちゃん。「3番出口はどこか」という質問がわかって、なおかつそれが自分がさっきまで立っていた場所だったのでわかった。でもどう説明していいかわからないので、言葉が出てこずに手だけで「真っ直ぐ行って右」とジェスチャー。おばさんはそれでわかったらしくて、お礼を行って去っていった。道を聞かれて初めて役に立った!!二人目は西洋だけど英語圏ではないファミリー。若いお母さんらしき人が「インサドンはどこ」と聞いてきたのはわかった。それなら6番出口だ。韓国語で「6番出口」としか言えなかった。6番出口はどこか聞かれたけれど、説明できない。うう。「わたしもわかりませんー」と答える。三人目は韓国のおじさん。50代くらい。どこに行きたいのかぱっと聞き取れなかったので「わたしもわかりませんー」と言ってもまだ何か続けたそうな感じ。大体の人はこういうと発音を聞いて外国人だとわかって離れていくのだけど。なので「日本人なんです」と付け加えたら、おじさんが日本語で「日本の方ですか」と続けてきた。旅行ですか、と聞かれて勉強で来てますと答える。3ヶ月勉強したとか、もうすぐ帰るとか。「じゃああなたの韓国語はこどもですね」と言われて「えっ」と聞き返したら「あなたの韓国語は素人ですね」と言われる。その通りなだけに何ともいえない……。「韓国語がわかりますか」と韓国語で聞かれて「ちょっと」と答える。「ここで寒くないですか」と韓国語で言われて「友達を待って……」と言いよどんだら、正しい韓国語で「友達を待っているんですね」と言われる。そう言うのか。なるほど。おじさんは「すいませんでした」と言って去っていった。日本語で道を聞いてくれてもわかったかもしれないのに。友達が来て、宮を2つ回る。ひとつはガイドと一緒に回るところ。時間によって韓国語、日本語、中国語、英語のガイドがあるらしい。自分たちはたまたま韓国語ガイドが始まる時間に入ったので、韓国語。さっぱりわからないけど。途中、日本語ガイドグループと遭遇したので、そっちに混ざったり、自分たちで歩いてみたり。友達とは本当に初歩の韓国語で交流するしかない。でも文法めちゃくちゃでも、何となく言いたいことがわかる。初心者の七不思議だ。カメラが好きで、デジカメでもいろんな機能を使いこなしている。ちょっと教えてもらったりして。連写がついているのを初めて知る。もっとたくさん使えばよかったー。自転車専用道路、と言いたかったけれど韓国語がわからない。友達が「スペシャル・ちゃじょんご・ロード」と言う。それでわかった。言ったあとに「konglishあんでよー」と笑っていたけれど意味が通じるからすごいよな。初心者の韓国語って本当にこんな感じ(もちろんもっと上手い人はたくさんいるけど)。お兄さんから電話があったりして、そのときはドイツ語を話している。イタリア語を勉強していて、韓国語も勉強していて、すでに英語とフランス語とスイスードイツ語はできるらしい。ドイツ語とスイスードイツ語はちょっと違うので難しいと言っていた。いや、もう充分だと思います。ミョンドンでコーヒー。今まで撮った写真を見せてもらう。カメラを楽しんでるなあ。自分もこのカメラでもっといろいろできたなあ。地下鉄で戻る。友達から電話が来ていたのでかけ直してしばらく話す。たぶん韓国はまた来ると思うので、会えると思うんだよね。これから宿題をやらないと。
2006年03月29日
最終日にテストがあるらしい。筆記はなくて会話だけ。でも最近習ったものは前に語幹がつくのか、変化させたやつがつくのかいまいちわかっていないので、どこかで復習しないと。昼は、前のクラスで一緒だった中国人のクラスメートとお昼を食べることに。同じクラスだった日本人の友達も一緒に。中国人の友達は今違う大学で勉強をしている。そっちのほうへ行くことにした。4番線の「ふぃひょん」という駅だと思っていたら「ふぇふぁ」駅だった。約束した4番出口に立ってお互い電話して「どこ? 見えないよ!」。そりゃそうだ。人と待ち合わせるときは本当に難しい。3人でチゲを食べて、共通語は韓国語になるので初歩韓国語で何とか話す。日本人の友達は先に戻ったので、中国人の友達とコーヒーを飲みながら話す。韓国は喫茶店がいっぱいあって助かる。いろいろ韓国に来た経緯を聞くと、苦労している感じ。それと、今まで日本に対して良い感情を持っていなかったけれど、韓国に来てみて外から中国や世界を見ると違って見えてきたらしい。自分もそうだった。中国に行かなかったら絶対韓国に来ていない。4時間くらい話して、夕ご飯も一緒に食べてお開き。友達は韓国の人と結婚したのでずっと韓国にいる。上達していくんだろうな。
2006年03月28日
授業が終わってから、3級の人たちと昼を食べる。3級は今日クラス会みたいなのがあって、先生も一緒にカラオケに行くらしい。スイスの人とウズベキスタンの人も一緒にお昼を食べた。英語がわからないので、韓国語で話すしかない。それでも簡単ながら意思の疎通ができると嬉しい。全然違う国の人と交流するのは面白い。英語ができるといろんな場所でこういう実感があるんだろうな。戻って昼寝。そろそろ帰国が近いので、いろんな人に電話をしまくる。釜山の友達はこないだ卒業したけれどまだ仕事を探しているらしい。中国語はクラスで一番できるほうだったので今でも危なげがない。貿易の仕事に就きたいので英語を勉強しているらしい。週末はTOEICを受けたらしい。どのくらい取れそうか聞いたら「300点」と言っていた。自分とあんまり変わらない……。でも続けて勉強してどこかで結果を出す人なので、きっと大丈夫だろう。
2006年03月27日
オンニと一緒にミョンドンへ行く。昨日の写真を受け取る。メガネをかけて行ったのでお店に入っても気づかれなくて「予約はしましたか」と聞かれる。昨日撮影した者です、と答えていたら、お客さんで来ていた日本人のおじさんに「お金払ったらもう顔なんて覚えてないんだよ」と声をかけられる。その人はおばさんの撮影に付き添いで来ている感じだった。靴を探しながら歩く。途中、お茶を飲みに喫茶店へ。オンニに教科書でわからないところや、微妙なニュアンスを聞いてみたりする。急に、オンニのお兄さんの家へ行くことになった。下宿の友達と合流していくはずだったのが、待ち合わせがうまく行かなくて結局自分だけ行くことになる。待っている間に靴を1足買った。15000ウォン。安いや。サムギョプサルは3段腹だけど、オギョプサル(=5段腹)をごちそうになる。そのあと、お兄さんの家にお邪魔する。年が離れているお兄さんなので、もう小学生の息子さん2人と奥さんと、犬1匹。普通の家庭にお邪魔するのは初めて。オンドルの床にペタンと座る方式なんだなあ、居間が。不思議な感じ。畳でないところにペタリと座るのが。お兄さんは政府機関で働いていて、日本に出張することも多いらしい。韓国語の東京観光地図を見せてもらう。日本人は日本の観光地図なんて見ないからな。面白かった。仕事をしながら日本語を勉強しているらしく、片言だけれど話せていた。仕事両立するのがすごい。帰りは地下鉄。でも少し遠い場所だったので終電になってしまった。「最後」の意味の韓国語を聞き取れたのでよかった。最寄りの駅の1つ手前が終点で、結局そこから歩いた。まだ人影がある。賑やかな場所でよかった。それから宿題をやって寝たら3時過ぎだった。
2006年03月26日
今日は、写真スタジオで写真を撮った。いろんな衣装を着てメイクもちゃんとやるやつ。中国にいたときもやったみたかったけれどできなかったので、今回は気合いを入れて行ってみた。同じ下宿の友達も見学についてきてくれるという。ネットから予約して行ったお店は普通に日本語を使える。でも旅行じゃなくて勉強でソウルにいる話をしたら、韓国語で話をしてくれるようになった。友達も自分も1級を終えただけのレベルなのでわからない部分が多い。自分がメイクをしている間、友達はお茶を飲みながら待機。店員さんも「日本語禁止、韓国語だけね~」と冗談半分で言っているのが聞こえる。自分はどんどんファンデーションを重ねられて白くなっていく。湿ったスポンジでとんとん叩いて馴染ませている。へえ。眉毛も自分が描いたことがない形に描かれている。へえ。つけまつげもつけた。へえ。メイクのお姉さんは黙々と仕事をしている。日本語は話せないらしい。隣の会話に参加したりしている。間が持たないので、衣装を選ぶときに「疲れてるんですか」と聞いてみたら「どうして」と聞かれて「ちょっと怖いので」と言ったら笑ってくれた。そこから韓国語でいろいろ話をしてくれるようになった。チマチョゴリとアオザイとチャイナドレスにした。がちがちのマネキンみたいにポーズを決められたけれど、顔の向きや目の向けかたは今まで自分でやったことのない角度だったので、こうすれば写りがよくなるのかと感心しつつバチバチ撮られる。他に2人くらい日本人のお客さんがいて、その人はチマチョゴリ3着コースでお姫様みたいな格好になってた。あれも楽しそうだ。ウエディングドレスやパーティードレスのコースを選んだ人もいた。友達は待っている間にその人たちと話をしてる。店員さんとも韓国語で世間話をしたり。それが聞こえてくると結構面白いので、カメラマンの女性に「笑って~」と言われたときに自然に笑える。一緒に来てもらってよかった。メイクのお姉さんは在中国の韓国人と5年文通をしているらしい。会ったことがあるのか聞いたらお金がないので飛行機チケットが買えなくて、写真だけだという。あとドイツ語を勉強しているとか。日本の大学はいつに始まって夏休みはいつかとか。日本語のひらがなは形が似ていてよくわからないとか。逆に自分は漢字の中に意味があるからわかりやすいと思っているとか伝えたり。そういうのを簡単な言葉だけれど直接その人と話せるというのは嬉しい。で、もっとうまくなりたいと思う。撮ったあとは選ぶ。自分は最初一番安いコースで少なくするつもりだったのが、今までやったことのないメイクと服装がだんだん勿体なくなってきて、アルバムとCDーROMをつけることにした。大奮発だけど中国の分も足したと思えば。明日できるらしい。旅行の人だとホテルまで届けてくれるらしいけれど、住んでいる人はもう一度。でもミョンドンだからまた来る。昼はミョンドンマントウのお店でカルグクスとマントウ。友達が春のコートを買いたいので、お店を見て回る。ミョンドンで服を買うために真剣にお店を見たことがなかったな。だんだん韓国のセンスに慣れてきている。それに日本の今の流行もわからない。ミョンドンの端っこにある教会にも足を伸ばす。韓国最古の煉瓦建築らしい。これは日本に壊されなくてすんだのかな。教会に初めて入った。天井が高くて荘厳で、神様がいるところだけ明るく照らされている。毎週通ったらキリストが特別な存在だと思うようになるよなあ、これは。でも自分はどうも「よその神様」感が強くて、お祈りをしたりする気持ちにはなれなかった。お祈りしても届かないような気がして。日本の神社仏閣だと、ちょっと手を合わせようという気持ちになるのだけど。キリストと自分は繋がっていない感じ。コーヒーを飲んでひと休み。また服を探しに歩く。友達がコートを買ったお店で自分もニットとTシャツを買う。Tシャツが2枚で12800ウォン、1500円足らず。お買い得。地下鉄で戻る。今日は近所の映画館で、「天国の階段」のクォン・サンウが映画「青春漫画」のために舞台挨拶に来るらしい。友達がそれを聞いて、朝、写真屋さんに行く前に映画館でチケットを押さえていた。夜2回、挨拶があるらしいのであとのほうを選ぶ。日本の留学生で彼を見に行く人が何人もいた。というか、ドラマの名前は知っていたけれど俳優さんの名前を知らなかったし、顔も知らなかった自分が行ってよかったのか。映画館は日本語が飛び交っていて、ファンの年齢層はかなり高め。たぶんこれに合わせて旅行で来たんだろうなあ。一番気分が高揚しているときだと思うので、結構にぎやか。ちょっと恥ずかしい。近くに座った韓国人が「日本語だらけ」みたいなことを言っていたのが聞こえた。挨拶するときは通路まで日本人が前に出て行く。立ち上がる人がいるので、韓国の人が「あんじゅせよ~(座って下さい)」と声をかけるのだけど、たぶん聞こえてないだろう。挨拶は3分くらいだったけれど、フラッシュはすごいし、花束を渡しに行く人もいるし、みんな熱心。挨拶のあとに映画を見るのだけど、挨拶が終わったら帰ってしまう人もたくさんいた。何だかなあ。もう見たのかもしれないけど。映画はもちろん字幕なし。コメディ系ラブストーリー。でも所々で台詞がわかって、それは面白かった。字幕が付いている映画を何度も繰り返してみたら覚えられそうな気がしてきた。画面上で何かがあると大ウケするエリアがあるので、そこは韓国人が見ているのだろう。静かな場所はたぶん日本人。どうしてウケているのかはやっぱり最後までわからなかった。そしてエンドロールでみんな席を立ってしまう。映画が終わって10時半。週末なので酔った人も多い。友達と話して歩いていたら、後ろでカップルの男のほうが盛んに「タケシマ、タケシマ」とこちらの気をわざと引くように言うのが聞こえる。彼女に「前にいるのは日本人」みたいなことを言っている。そこでそういうことを言ってどうしたいんだろう。そういう韓国の人がいるとやっぱり腹が立つ。話し合い以前の問題で。明日も休み。ゆっくり寝よう。
2006年03月25日
朝、体の調子が悪くてよっぽど休もうかと思ったけれど、教科書を見たら語尾の「じょ」があったので、これは休めないと思い、少し遅めに出発。地下鉄に乗ると全然余裕で到着。2級の文法はすべての基礎だと思う。ひとつでも落とすとあとが大変。といいつつ、前の日にやったことをすっかり忘れていたりして、授業に出たら出たで成果はあるものの、それを生かせるかどうかは自分次第なのだった。お昼を食べて、帰り道、また前のクラスで一緒だったフランスのクラスメートと再会。下宿がこのそばらしいので、同じような場所でよく会う。大学で勉強を始めていて、日本人がやっぱり多いという。お互い拙い韓国語で交流しつつ。交わす言葉は短いけれど何となく気が合う人っている。午後は部屋に戻って昼寝。しんどいけれど寝たら少し楽になる。夜は中国でお世話になったオンニとミョンドンでご飯。カルグクス(韓国風うどん)が有名なお店で、隣に座った人が日本人だった。オンニ曰く、茶碗を置いてご飯を食べていたら韓国人、掻き込んでいたら中国人、持って口から離して箸でご飯を運んでいたら日本人だという。合っていると思う。あと、日本の人はスプーンの存在を忘れがちですべて箸ですまそうとする。隣で話している日本語が全部わかって、でもオンニとは中国語と韓国語ちゃんぽんで話していて、実は隣の人が何を話しているのか逐一通訳してみたりして、ちょっと面白かった。緊張したけど。そのあとコーヒーを飲みながら日本や韓国や中国の話をいろいろ。韓国語のわからないところやこんなとき何を言っているのか、聞き取れないところを教えてもらったり、有意義だった。もうちょっと頻繁にやり取りしていればよかったなあ。
2006年03月24日
速度は相変わらず速いけど、習っていることは間違いなく大事なことばかりで。独学でやっていたらきっとわけわからなかっただろうなということが多い。2級は特に。すべての基本はここからという感じ。それを後半残して日本に戻るので、力を入れて自分で勉強しないと。スイス人と日本人のクラスメートとお昼を食べる。スイスは生まれたらパスポートが発行されて、4年ごとに更新して、大人になったら10年有効になるらしい。へえ。友達はここで韓国語を勉強しつつ、学校の勉強(イタリア語)とかもやっているらしい。大変だ。部屋に戻ってくる。春めいているけれど風が強い。宿題がないけど、何かやろうか。
2006年03月23日
そんなに遅く寝たつもりはないのに、11時くらいまでずっと寝ていた。疲れているのかな。同じ下宿の友達が自分の語学学校にマンツーマンで習いに行くという。自分もちょうど教科書を買っておきたかったので、一緒について行く。そこのパソコンで、うちのパソコンではできないことをやってくる。韓国語のサイトを使うとき、マックではどうにもならないことが結構多い。帰り道、近所のグランドマートで食料品を買い込む。あともう少しで帰るのだなあ。午後はしばらくイデの教科書のCDを聞いてみる。そんなに集中して聞いていたわけではなくて、何度も何度も流していただけだけど、夕ご飯の時にアジュンマや他の人たちが話していることが前よりも聞き取れた。耳を慣らすのは本当に大事。夜になって残っていた宿題を始めたらずいぶんかかった。なんだかんだで2時過ぎ。3時頃うとうとしていたら釜山の友達から電話。別にお酒を飲んだりしているわけではないらしいけれど。自分もうとうと対応していたのでよく覚えていないや。
2006年03月22日
日本が占領していた時代を伝える建物として、歴史館になっている。日本人3人で行って、自分ともうひとりは中国留学を経験していてハルピンの731部隊の施設にも行ったことがある。入り口は日本が建てた当時の壁が残っていて、ハルピンの施設と煉瓦の積み方や印象が似ている。1500ウォンで入場できる。韓国語と英語の説明は大体についていて、日本語の説明も数カ所を除いてはついている。韓国の独立のために運動をした愛国烈士たちが紹介されている。その人たちがどんな訴状で刑務所に入ることになったのかも資料が並んでいる。刑務所の独房を模した中に人形があって、ずっと「万歳(マンセー)」を叫んでいたり。実際に収容された人は拷問や仕打ちに対抗して、独房の中からも独立を叫んでいたらしい。日本が独立運動家たちを痛めつけるためにどんな方法を採ったか、どんな拷問をしたか、どんな非人道的な場所に閉じこめたか、等身大の人形や再現モデルで展示してある。ツアーで来ているらしい韓国のおばあちゃんたちに囲まれたときはちょっと怖かった。日本語を話せなかった。友達から離れて見ていたけれど、友達はおばちゃんの中のひとりに「何人死んだと思ってるんだ」みたいなことを、今さっき言われたらしい。そう言われたら何も言えない。おばちゃんたちは子細に見るわけではなく、結構スルーしているので「そんなものか」とも思ったけれど、実際に体験している世代だと思うので今さらつらいことを思い出したくないのかもしれない。壁には韓国語で日本に対する罵詈雑言がたくさん落書きされている。不当な裁判でその場で死刑にされてしまう体験ができる場所や、爪にダメージを与える拷問や、電気ショックを与える場面なんかも人形で再現されている。女性が痛めつけられている場面もある。いろんな台詞や悲鳴がテープで流れている。言葉がわかったらもっと気持ちが沈んだと思う。実際の死刑場も残されている。地球の歩き方には「誇張気味に再現」とあったけれど、実際に自分が感じたのは「たぶんもっと残酷でひどいことをしていただろう」ということ。それでも国が無くなってしまうことに比べればまだ耐えうると考えて、抵抗を続けていた韓国の人がたくさんいる。国が無くなるという感覚は、日本で生まれ育っていると本当に実感がない。力のあらん限り「マンセー」を叫び続けている人形を見ると、そのときの韓国の必死な状態が前よりもわかるような気がした。731とはまた違う印象だった。重かった。人を苦しめる目的で作った施設だったせいかもしれない。友達と「なんで同じ人間なのに、どうすれば苦しむとかどうすれば痛いと思うかとか考えるんだろうね」と話をした。日本人だからというよりも、戦争や国と国が争うような状況下では人間が変質していってしまうんじゃないかという話になった。重いまま、近所のインサドンに行き。そこで国営のおみやげ屋さんに入ってモノを買う。お姉さんが日本語ペラペラな人で、包装してくれているときに話を聞けた。友達は自分よりヒアリングができるので、それを後ろからついていって聞いている感じだったけれど。お姉さんは留学したこともないし本を買ったこともないけど、日本のドラマが好きでずっと見ていたのだという。でもそれだけでこんなに話せるのか。それと自分のヒアリングのなさを痛感。ここで勉強はしているけれど、実際に触れて交流する時間が少なかったのは確か。中国語のほうが出番が多かった。日本に戻ってもたくさん聞き続けることはやらないと。刑務所で重たい気持ちになったけれど、明るいお姉さんに会えたのでよかった。
2006年03月21日
昨日から電話が繋がらない韓国の友達がいて、待ち受けの曲が昨日は普通の曲だったのに、今日は韓国の応援歌になっていた。出るのを待つために30秒くらい聞き続けなければいけない。電話に出ないイライラと、韓国の応援歌を延々聞かされるイライラがまざって思わず「ケンカ売ってんのかー」と電話に叫んでしまった。韓国人はすでに臨戦態勢なのか。それまでは日韓野球もあまり興味がなくて、映画館なら空いているのかなくらいに思っていたのに、その応援歌を聞いてから急に大和魂に火がついて、リアルタイムで試合を見たくなった。日本にいたら別に興味がないままかもしれない。でもソウルの駅とか、大画面で中継が映されていてみんな集まって見ていたりする。テレビもずっとその話題ばっかり。周りが韓国を応援する人たちばかりだと「ちょっと待って」と言いたくなる。下宿で仲の良い友達と見ようと思って部屋に行く。よく考えたら友達は在日なので、「どっちを応援する?」と聞いたら「韓国」と返ってきた。友達曰く「すごい韓国が好きな友達(日本人)がいるから、その人に聞いてみたら、応援するのはやっぱり日本なんだって聞いて不思議だった」と言われる。まあ、自分も在日の人は日本で暮らしているのだから日本かな、と予想したりしたのが外れたので、不思議なのは同じかもしれない。小さい頃から、いつの間にか韓国を応援していたらしい。こっちを応援しなさいとかしようとか意識したことなくそうだったらしい。お父さんお母さんも韓国人だけど、そういう影響以外に、いつの間にかという感じらしい。日本が何かファインプレーがあると「ちょっと日本ーー!!」と叫んでいたりするらしい。結局友達の部屋で観戦。友達はそんなに興味がないらしく、勉強しながら。7回で点が入って「よっしゃー」と思わず声が出てしまう。そこから韓国の守りが甘くなってきて、日本としてはいい感じ。雨で中断したときに部屋に戻る。違うチャンネルで、本当のリアルタイム、中断後の試合をやっているのを発見。それでリアルタイムで勝ちを確認。そして、今日は韓国の友達の電話はやめておこうと思う。たぶん取らない。東大門市場に行って買い物。春物の服を買う。あと2週間なので残高とも相談しながら。
2006年03月19日
昼間、行ってみた。値段は変わらず5000ウォン。ロッカーがかなり埋まっている割には、サウナの場所には人が少なかった。最近は単語を持ち込んだりしないでただ寝ころんでいる。湿気が少ないせいか、熱い中でも寝ていられるようになった。たぶん日本に戻ってもたまに行きたくなるんだろうな。数日前、銀行で大コケしたためにお尻に大きな痣があるのを発見。青あざではなくて黒に変色している。直径が5センチ以上ある。痛いはずだ。でもこの肉が守ってくれたおかげで骨とか大丈夫だったんだろう。それにしてもちょっと。
2006年03月18日
雨がしとしと降って、雪ではないもののやっぱり肌寒い。授業は普通に進んで、まあ何となく先生も前よりは書き留めてくれるようになった。すべての人に質問を回さないで次に行ってしまったり、生徒の話に興味がなさそうな感じは直っていないけれど、それはもうこの先生の性格なんだろうな。お昼は近所の駅地下にあるフードコートへ。帰る方向と逆のほうにあったので、教えてもらわないとわからなかった。食べ終わったあともお茶を飲みながら日本人4人で話をしていたけれど、いつのまにやらお客さんが集まってくる。日本対韓国の野球があったのだった。みんな熱心にテレビに見入っていて、自分はそこで見ていても平気な感じだったけれど、友達は「居づらい」と言って外に出ることになった。自分があまり野球に興味がないから平気だったのかもしれない。韓国の人は国を挙げたゲームがあると、熱心に応援する。その盛り上がり方は少し羨ましい。日本だと結構醒めている。盛り上がっている中に混ざっていると高揚した気分もおすそ分けしてもらえる気がして、嫌いではない。自分たちが退席して30分もしないうちに、韓国が勝ったらしいのをニュースで知った。繰り返し野球のニュースを流していて、その中でイチローが吠える様子なんかも出ている。悔しそうだ。自分たちの国でも、勝ったらこういう報道の仕方だろうから、それは別にいいやと思う。早めに寝る。
2006年03月16日
学校は休みなので、クラスメートと景福宮へ行った。朝鮮王朝の歴代の王たちが生活していた場所。京都御所みたいな感じ? 地下鉄の駅を出るとすぐに大きな門が見える。今回は日本語の音声案内も借りてみる。歴史とかを知らないからな。いくつもの門がある。王が即位式をする一番厳かな場所や、王が生活した場所、会議をした場所、お后や子供が住んだ場所。ハングルを作り出すときに研究を重ねた場所。お客さんが来たときに宴会をする池の中の建物などなど。建物ごとにも説明書きがあって、韓国語と英語、中国語、日本語の説明がある。実際見学に来ている人も日本人や中国人が多かった。説明を見ると、大体の建物が「文禄・慶長の役のとき焼失」、1800年代後半に再建しても「日帝時代に焼失」「日帝時代に撤去」の憂き目に遭っている。1990年代に景福宮を再現するプロジェクトが始まって、民間交流や政府間の交流で日本が持っていた元の資材なんかを受け渡したり、新しく造ったりして今の景福宮がある。旧朝鮮総督府があった場所。そういえば総督府の建物を撤去するときニュースになっていたな。友達の彼氏は韓国人で、歴史的なものを奪われてしまったことに対してはやっぱり恨みがあるという。もし、京都御所がアメリカによって焼かれたり、ニューヨークに移転されたりしたらたぶん自分も腹が立つ。過去から連綿と続いていた自分の国の歴史をなくされてしまうわけだから。とても大きくてきれいな建物だけれど、それがほとんど1995年以降に再現されたもの。2009年に全部の復元が終わるらしい。守衛の交代式を見ることができたり、付属の民族博物館で衣装を見たり、住宅の様子を見たりして面白かったけれど、日本人としては「そうだったのか」と思うこともいろいろあって、考えさせられた。その足でインサドンへ行く。お土産を探すのにとても良い場所。そこを抜けて銀行で両替。何だか態度が悪くてイヤな気持ちになったのに、階段で足を滑らせて尻を打つという失態もやらかしてますます早く帰りたくなる。部屋に戻って大人しく宿題。月曜日に、ずっと見続けていた83年版「大奥」が終わってしまった。ちょっと気が抜けたなあと思ったら、昨日から03年版の「大奥」が始まって、つい見てしまった。今日は少し眠いので見れないかもしれない。
2006年03月15日
授業の宿題は自分のふるさとを紹介するということだったのだけれど、そのときにどうも気になる。ひとりが話しているときに先生は真ん中に立って「そう、そう」と聞いているだけで、その中に他の人が知らなそうな単語が出てきても書き出すこともなく、紹介の内容に踏み込んで話を盛り上げるでもなく、次の人に「じゃあ、どうぞ」という感じ。立っているだけならわかりづらい単語を書いてくれれば理解の助けになるのに。文の重要な要素である動詞や名詞は学生の発音で聞いただけではわからないこともあるし、人の発表の間に「それって何ですか」と口を挟むわけにもいかない。でも先生ひとりが「ああ、そう」と納得して、他の人は他の人の答えががわからないまま進んでいたりする。韓国人の先生なのだから2級の学生に難しそうな単語に注釈をつけることはできるはずなのに、全然動かない。授業の進み方が速くて、質問があるか聞かれても、質問を考える時間もない。先生は質問がないならみんながわかったと思ってどんどん進んでしまう。唯一の同期だったベルギー人のクラスメートは今日からひとつ下の班へ移ってしまった。前の先生だとそのクラスメートがつっかえていても何か助けになる言葉を教えたり、調べている言葉を一緒に見たり、とりあえず「わかろう」という姿勢があったのに、今の先生は溜息をつきながらただ苛ついた感じで待っているだけ。クラスの中でも「速くてわからない」という人と、「遅い生徒に合わせられるとしんどいから今のやり方がいいと思う」という人がいて、それぞれ。授業が終わったあとで、拙い韓国語で「ひとりひとり話しているときにみんなが知らない単語があるはずだから、書き出してほしい。書き出せば自分で調べられる」と言ったら「みんな程度が違うのだから、誰が何を知らないのかがわからないので書けない」とか「みんな書き出していたら時間がない」とか言われる。そういうことではなくて。語学力がないので直接的なことしか言えず「今までの先生は違った。前の先生のほうがよかった」と言ったら、先生の顔が赤くなってきた。頭に血が昇った様子。でも昇ってくれるくらいでちょうどいい。話を聞いている間も「まだ話すの」という態度がみえみえでイヤだったから、感情の反応があるならしめたもの。血が昇ったあとに先生が「じゃあ、そういうことなら院長先生に直接話しますか」と言われる。おう。結構冷静でいられたので、せっかくの機会だし、韓国語の練習にもなるし、そうしてもらうことにした。こういうことは中国にいたときにだって経験している。先生が出ていったあとに、荷物をまとめながら一緒に話を聞いていた日本人の友達と「自分はこういうことを言いたいんだけど」みたいな話をしていたら、前の先生がたまたまなのか話を聞いてきたのか、教室に来てくれて「大丈夫?」と声をかけてくれた。事務室の前まで行くと女性の院長先生が「昼ご飯を食べているので少し待って」というので、前の先生と座りながらちょっと話す。その先生にも最初の頃に「もっと書き出して下さい」という話をして、ていねいな言葉を習っていなかったときだったので今思えば失礼な物言いでいったのだけれど、それでも先生は「あのときはびっくりしたけど言いたいことはわかった」と言ってくれた。その言葉がものすごくありがたかった。今の先生はコミュニケーション自体を拒否してしまう感じ。語学の先生という仕事をするのならそれはちょっといけないだろ。院長先生が来て個室で話をする。どんな問題があるのか話してみて、と言われたので、とりあえず自分が言える範囲で、言いたいことを言った。今まで自分はいろんな先生を見てきて、みんながいいと判断する先生はこういうやり方だったし、こうした方がいいと思う、みたいな。院長先生が「わかりました」と言ってくれる部分もあったし、「こういう事情もあるからこうもあり得る」と反論されたこともあったけれど、自分が伝えたかったところでは「わかった」と引き取ってもらえたので、よかった。自分ができることはやった。これで次の授業に変化があるならいいし、ないならそういう先生なんだと思って、あとで自分がうまく理解できるように授業を聞くなり、家で工夫するしかない。前の先生はちょくちょく今の教室に顔を出して「どう?」と持ち上がりで2級にいる人たちを気にしてくれる。教え方は1級の前半の先生が上手かったけれど、そうやって学生に関わろうとしてくれる姿勢がとても嬉しい。遅めに家に帰る途中、前のクラスで一緒だった在仏韓国人の友達とばったり出会う。お互いに「あーー!」と言って手を取り合い、でも言葉を知らないので「うぉぉ」と声にならない声を出す。韓国人の彼氏も一緒だった。友達は別の大学で勉強を始めているはず。これからフランス語の家庭教師のバイトに出かけるところだったらしい。友達は英語とフランス語が話せる。自分は日本語と中国語。共通語がお互いに拙い韓国語しかない。勉強しよう……。一足先に帰った日本人のクラスメートとお昼を食べる。その足で延世大のグローバルラウンジに行って、コーヒーを飲みつつ、どんな授業がいいのかいろいろ語る。その友達とは少し意見が違っていたのだけれど、今の先生には踏み込みが足りないんじゃないかという話では一致した。友達の彼氏は延世大の人なので、挨拶をする。彼氏は日本語を独学で勉強したらしく、外国人発音だけれど会話に問題はない。みんなすごいよ。部屋に一度戻って、地下鉄に乗って、一緒に夕飯を食べる約束をしていた中国人の元クラスメートに会いに行く。彼女の旦那さんがまた韓国人。今日はこれで3組目だ。そういえばホワイトデーだ。彼女たちは中国留学中に出会ったらしいので旦那さんは中国語が話せる。3人で久しぶりに中国語。完全ではないにしても、言いたいことを言うときは中国語の方がまだまだ便利だと思う。焼肉とビール。地下鉄に乗って帰る。明日は休み。
2006年03月14日
昨日の夜、遠出から戻ってきたら、部屋からネットができなくなっていた。今までは差し込むだけですぐつながってくれたのに、パスワードだかユーザー番号みたいなものを入れないとダメみたいなことをいわれる。今までも急につながらなくなって(まるで回線を繋いでいないかのようなつながらなさ)、でも次の日はよくなっていたりしたので、今回もそのくちかもしれない。そんなわけで今は学校から打ってます。この先直らなかったら外から更新する事になりそうです。面倒だ~~。ソウルは一週間前なら13度とか12度の春めいた天気だったのに、今日はマイナスの天気で雪が舞っている。冬物大活躍。家でおとなしくしています。宿題と復習やらないと。***家に戻って試してみたら、普通に繋がった。昨日今日は何だったんだ?でも宿題と復習はやらないと駄目です。
2006年03月13日
3日ほどお休みします~。
2006年03月10日
授業はつつがなく終わり。前の先生たちに比べると、やっぱり少し流れ作業的な部分もあり。生徒も先生もサバサバやっているのは大学にない特徴かもしれない。3級の友達と同じクラスの友達と4人で、弘大の近くのトンカツ屋さんでお昼を食べた。美術系の学校の周りだけあってお洒落な感じの店が多い。トンカツも柔らかくておいしい。世間話もはずんで、お勘定もすんで、道を歩いていたら。お店の人が追いかけてきたので、てっきりお勘定を間違えたのかと思った。ら、友達のうちのひとりにキレイに結んだメモを渡して頭を下げて戻っていった。友達がメモを開いたら、英語で「もう一度会いたいので、ぜひ連絡を下さい」と書いてある。おおお、ラブレター。友達は可愛い人なので、それもありだと思う。でもそういう現場を初めて見た気がする。世間話ではその友達の彼氏が韓国の人なので、結婚はどうするんだとか、さんざん盛り上がっていた(日本語で)。その間もずっと気にしていたのかなあ。その手紙の是非はともかく、直接そういうものを手渡せる勇気はすごいと思う。他の友達も、タッカルビ屋のお兄さんとご飯を食べる約束をしたら、いつの間にやら家に呼ばれて家族に紹介されたりしていたらしい。日本男子とは何か違うものさしが働いている感じ。何かピピピッと来たら真っ直ぐなんだろうな。
2006年03月09日
スイス人のクラスメートと待ち合わせて、東大門市場へ春物の服を買いに行った。お互い韓国語が入門者レベルなので、韓国語でやり取りするものの、表情の読み合いの方が重要だったかもしれない。両替が必要ということで、東大門駅近くのショッピングビルで両替。生まれて初めてスイスのお金とパスポートを見た。ユーロじゃないんだ。へえ。うろうろしながら、自分は着るもの、友達はカバンと靴を見る。安いカバンを見つけて2万ウォンと言われて、自分はもっと値切れると思ってお店の人に言おうと思ったら、友達は「大丈夫大丈夫」と言ってそのままの言い値で買っていた。お国の違いなのか、友達が若いせいか、お金を持っている人の感覚なのか。友達は89年生まれ。自分はうろうろして迷ったりする時間が長いのだけど、友達はぱっと欲しいものを見つけて、ぱっと買っていく。買い物がうまいなあ。お店の人も、友達は韓国人とのハーフなのでちょっと西洋風な顔立ちなのと、ばりばり東洋系の自分の顔を見て、何語で話しかけていいのか迷っている感じ。英語で話せば友達が反応して、日本語で話すと自分が反応する。韓国語は簡単なのだったらみんなで共有できる。お店の人に「友達にこう伝えて」と言われるけれど、英語ができない自分は無理。友達曰く、スイスは英語とフランス語が必須で、スイス語を家で話しているらしい。英語は2年学校で勉強して話せるようになったという。羨ましい。なので10年勉強してなぜ話せないのか、心の底から不思議そうな顔で聞かれる。こちらも心の底から不思議な顔で返すしかない。ちなみにスイスではドイツ語を選択して勉強することも可能らしい。クラスのハンガリーの人も「ヨーロッパの人は3つ4つ話せても普通」みたいなことを英語でばばばと言っていた。日本語だけで一生行ける日本人にはちょっと不思議。春用の羽織るものとニットを買って帰ってくる。英語の必要性を痛感した一日。韓国語の次だな。いつになるかわからないけど。
2006年03月08日
学校に行く途中、前のクラスの先生にばったり会う。すでに懐かしい気持ち。4日しか経ってないけど。クラスは日替わりで席を替えていいらしく、今日は英語圏のど真ん中に席を取ってしまった。というか自分が座った周りに英語を話す人が後からたくさん座ったのだけど。簡単なことは何とか聞き取れるけれど返事が韓国語(それも文法と単語が怪しさ満点の)。でもその席のおかげで、明日スイス人の女の子と服を買いに行くことになった。春に着るものがない。彼女はおばさんが韓国人で、スイスから来たお兄さんも一緒に住んでいるらしい。お兄さんはドイツ語を話すらしい。でも家では英語ばっかり話しているらしい。自分も下宿にいると日本語だけの生活になってしまうので、彼女と無理矢理にでも韓国語を使う状態にいたほうがよさそう。お互い通じなくてもどかしいと思うけど。最初はみんなこうだし。お昼は通学途中にあるトースト屋さんで。ベーコンハムトースト。コーンを入れ込んだ卵焼きと、はちみつも入っている。独特の甘みでおいしい。疲れているときに効きそう。部屋にちょっと戻って荷物を置いて、近所の映画館へ。平日なのでかなりガラガラ。チケット売り場も人が並んでいない。「淫乱書生」の韓国語読み「うむらんそせ」を1枚、と言ったら「2時半からのですか」と言われて「はいー」と答えてホッとしていたら、わからないことをババババっと言われて「すみませんわかりませんー」と答える。1人か2人か聞かれて1人と答えたら、チケットが手に入る。7000ウォン。地下のスクリーンだった。400以上の座席があるらしい。でも埋まっていたのは4分の1くらい。休日はすごいんだろうな。この映画はこのシネコン内で3カ所かかっているのだから。興行収入が2週連続1位だったらしい。流行りの映画を現地で見られるのはやっぱり楽しい。映画が始まる。韓国語なのでほぼわからない。たまに本当に簡単な言葉がわかってちょっと嬉しかったり。内容は、ハン・ソッキュが演じる昔の官僚階級の士人が、官能小説に出会って自分で書き始めたことから巻き起こるいろいろ。コメディ。言葉がわからなくても俳優さんの仕草の間や表情が面白いし、何を言っているのか大体想像がつくので結構笑えた。大の大人が頭付き合わせて、真面目な顔しながらどうしようもない相談をしていたり。あの時代の韓服は格好いいなあと思う。布を贅沢に使って男の人の衣装でもふんわりしていて。映画の中の衣装は中間色の落ち着いた色が多かったので好印象。ハン・ソッキュは「真面目だけど、どこかとぼけた感じ」を出すのがうまくて、それを見ただけでも今回は行った甲斐があった。前半はコミカルな状態が多かったけど、後半は愛情が絡んでちょっと重い感じ。最後はいいのかあのオチで。真面目な顔をすればするほどおかしみが。というか本人は大真面目なんだろうな。こういうの大好きだけど。日本でも公開されたら見たい。何を言っているのか知りたい……。
2006年03月07日
また新しいクラス。回転が速い。持ち上がって勉強するのは5人。新しく来た人が5人。日本人が6人、在日韓国人が1人、ベルギー1人、ハンガリー1人、スイス1人。英語を話せる人が5人。休み時間はやはり英語圏。中国語を話す人がいなくてちょっと寂しい。先生も替わった。キレイな人だけど字が小さい。もっと大きく書いてほしいといったら「席を替える」とか「もっと前に来れば」みたいな話になるのだけどそうではなくて。黒板で仕事をする人にしては罪作りなほど小さい。大きく書くと疲れるといわれるけれど、それは先生の仕事の範疇なので頑張ってやって下さい。先生の会話が急にグレードアップした。というか、今まで習ったことをふまえて話すのではなくて、本当にナチュラルなスピードで自由に話している感じ。これが本当の話し言葉だろうから慣れた方がいいんだろうな。隣のハンガリーの人は自分よりあきらかに年上。英語が話せないと言って韓国語で対応しているのに、ナチュラルスピードの英語で話される。わかるときもあればまったくわからないときもある。英語が話せる日本の人に助けてもらったりして。でもその人の韓国語はクラスの中で一番流暢だと思う。なんで使わないのかなあ。1級の初っ端に比べると、先生にお任せではなくて自分である程度準備をしたり復習をしたり、新しいことを仕入れたりしないといけない感じ。級が上がるに連れてこういう傾向になりそうな気がする。お昼はクラスの日本の人と、偶然会った3級の人と、下宿の人とでタッカルビ炒飯を食べる。3級も1級も、後半のクラスは2人とか3人らしい。いいなあ。前半のクラスはどこも混んでいる様子。その足で映画館に行って、ハン・ソッキュの映画「淫乱書生」(書くとすごいタイトルだけど一応コメディ)の上映時間を確かめる。観客動員数が先週1位だったらしく、その映画館もスクリーンが9個あるうち3つでかけている。1時間ごとにどこかでその映画が始まっている計算。韓国語がわからなくても笑えるという情報があったのでそれを信じて明日行ってみよう。途中、アイスクリームを買って部屋へ。急に暖かくなった。釜山に行く前に春物を買わないと着るものがない……。CDで今日の復習をする。イデの教科書もちょっと見る。
2006年03月06日
下宿の友達は在日の人で、日本人と結婚する予定だけれど、そのままだと国際結婚で子供とも苗字が違う状態になってしまうらしい。そんな諸々がいやなので結婚を機に帰化(という単語も変な感じがする)をするつもりらしい。友達は三世で学校も日本の学校に通っていて、国籍以外は本当に日本人と同じ。でも帰化するためには裁判所に行って手続きが要る。いろんな条件をそろえて、それでも時間がかかるという。日本人と結婚、なおかつ日本で教育を受けているなら簡単だと思ったのだけれど「結婚は理由としてまあまあ有利な方」程度らしい。家族全部が帰化、とかならまだ認められやすいけれど、ひとりだけというのはしづらいことらしい。いろんな世界があるよな。イデの教科書で勉強して、昼寝して、チムチルバンへ。そこでその教科書のダイアログを日本語に書き直したのを持ち込んで、ひとりで寝そべって韓国語の文章をぶつぶつつぶやく。覚えていると思っても曖昧な場所があったり。急に春めいた陽気になったせいかチムチルバンは空いていて、のんびりできた。アカスリのタオルを持っていって磨く。一週間に一度くらいは行きたい場所。湯船につかるとやっぱり気持ちがいい。心地よい疲れで家路に。
2006年03月05日
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