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私は広井君と同時にキリスト信者となりし名誉を有します。
今よりちょど50年前、明治の10年6月2日北海道札幌において、私ども青年6人は米国宣教師エム・シー・ハリス氏よりパプテスマを受けました。
広井君はその当時殊に信仰に燃えまして、日曜ごとの我らの小なる集会において君の教理研究の結果を我らに供して我らの信仰を助けられました。
まことに一時は君自身が伝道師になられて、不肖私が今日居るべく余儀なくせられし地位に君が立たるるのではあるまいかと思われたくらいでありました。
然し君にくだりし神の命は他にあったのであります。
君は伝道師になられずして土木学者になられました。
そして君は一日正直にその理由を私に語られました。
『この貧乏国に在りて民に食べ物を供せずして宗教を教うるも益少なし。僕は今よりは伝道を断念して工学に入る』と。
私は白状します。
君のこの告白は私の若き心に強き感動を起こしました事を。
私はその時思いました。
『もし広井が伝道をやめるならば我らの仲間の中より誰かが起ってその任に当たらなければならない。
自分は嫌である、さて如何にしたならばよろしかろう』と。
そして後に至りて種々のやむを得ざる事情よりして、私が広井君に代わりて、キリストの福音を我が国に唱えざるに至り、その困難の多きを味うて、時には旧友を怨まざるを得ませんでした。
然しながら神はすべてを知り給いました。
広井君が工学に入りしは君にとりて最善の事でありまして、そしてまた私が伝道に入りしは私にとり最善の事でありました。
諸君、君達の生き方は手に表れるのです。… 2024.02.18
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