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【陰日向に咲く】2008年1月26日に東宝系で公開になりました。この日は【母ベー】と公開日が重なったため観に行けませんでしたが再来週3連休がありますので観に行こうと思っています。劇団ひとりのデビュー作の映画化作品で、生きるのが不器用な人たちの物語です。でひ観ておきたい作品の一つです。(11月26日 ブログから)【陰日向に咲く】2008年1月26日 東宝系公開劇団ひとりのデビュー作【陰日向に咲く】の映画化作品配役:岡田准一・西田敏行・三浦友和・宮崎あおい・伊藤淳史・緒川たまき・塚本高史不器用でもいいかっこ悪くてもいい冴えなくてもいい人を愛するこころさえあれば人を抱きしめるこころさえあればお金や地位があっても人をいじめたり人を差別したり人を押しのけるそんな人よりもずーといい不器用でかっこ悪くて冴えなくてお金もなくてでもこころはあったかくて人のことばかり心配してくれて一緒になって泣いてくれる一緒になって笑ってくれるそんな人に囲まれて僕はこれまでの人生を生きてこれた僕はその人たちに感謝をこめて言うことができる≪ 僕の傍にいてくれて ありがとう!!≫陰日向に咲く公式HP幻冬舎陰日向に咲くYAHOOブックス陰日向に咲く 劇団ひとり著 原作の一部立ち読みができます 陰日向に咲く、9つの花 ~勝てない僕らが咲けるまで~ 東京に住む“どこか日の当たらない人たち”をユーモア溢れる優しい視点から綴った、劇 団ひとりのベストセラー小説が原作、岡田准一、宮崎あおい、塚本高史ほか豪華キャスト を迎えて映画化した「陰日向に咲く」のメイキングDVD。 (発売日:2008/1/9) ホームレスを切望するサラリーマン、老婆を騙そうとする小心ギャンブラーら、落ちこ ぼれたちの純真を愛と笑いで包み込んだ珠玉の連作小説。お笑い芸人として活躍する著 者のデビュー作。 著者: 劇団ひとり 出版社: 幻冬舎 発行年月: 2006年01月
2008年01月31日
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【今月の詩歌】トップ記事 UPしました、【息子よ!】 母衣崎健吾いのちかけ君を生みし母のこと 君の五感に刻まれているたまきはるいのち授かる初の日に暁突いて登りき霧島山(やま)に遥かなる彼方に見ゆるふるさとの山の麓に君は生まれきいつの日も我に聞こゆるふるさとの海鳴り響く 君の耳にも 暁に出船のドラ鳴る さにつらふ君の生誕祝うがごとく浜にいで母と拾いし蛤を千尋なれよと葉(かしは)に包みて
2008年01月30日
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【篤姫】NHK大河ドラマ 第4回 「名君怒る」篤姫は益々魅力的なお姫様に成長しています。当時の時代背景ではありえないことだけど、それもあったかかも知れないと思えるほど違和感がないのは脚本の巧みさと宮崎あおいの好演によるものでしょう。藩主となった島津斉彬はまず、藩のお家の騒ぎで傷ついた藩内の人心の掌握に乗り出す。米価を引き下げるため、藩に集積した米を放出し、藩内の信望を集めていく‥‥そんな折、斉彬と篤姫が初めて対面する。その席で、斉彬になぜ藩主斉彬実現のために働いた人たちが許されないのかを問う。その時、斉彬は篤姫に近づき諭すのだった。 力は力を呼び 刃は刃を向けさせる 民の力がなくなれば 国の力もなくなるこの言葉は、今の時代にも必要とされるのではないだろうか。そう思っている内に、次の展開に繋がる言葉が斉彬から発せられる。 また篤姫に会いたいものよ明治新政府で活躍することのなる西郷隆盛、大久保利通ら下級武士の生活を丹念に描いているのは、この境遇が彼らの精神形成に大きく影響してくるからでしょう。彼らの動向からも目が離せません。 (1月21日 ブログより)期待以上の素敵なドラマです。場面は明治政府になって活躍する西郷隆盛、大久保利通らの青春期。薩摩藩のお家騒動に巻き込まれ、大久保正助・後の大久保利通(原田泰造)も謹慎処分となる。その友人西郷吉之助・後の西郷隆盛(小澤征悦)は藩からの制裁の危険を顧みず、変わらぬ友情を誓います。そして、圧巻は大久保正助の母・フク(真野響子)の毅然とした口上です。正助の妹たちが内職に追われる姿を見た於一が、自らのかんざしやくしさえ渡そうとする、於一の純真さゆえの親切に、次のようにきっぱりと告げるのです。「私たちは、貧しい生活をしているけれども、物乞いではありません。‥‥ 誇りを持って生きているのです」素敵な場面です。番組が終わってから、何度もこの場面が心の奥底でフラッシュしました。私の友人も、誇り高く生きている人がたくさんいます。自分が差別されているのに、他人のために身を粉にして自分のことのように、その人のために頑張っている人たち!この人たちから、私は多くのことを学んできました。そして、その友人たちは、底抜けに明るいのです!まさに、誇りを持って生きているからなのでしょう!そして、私にとって最も大切な人・母を大久保正助の母・フク(真野響子)の姿に重ねたのでした。さわやかな日曜の夜でした。第4回はいよいよ薩摩の藩主になった斉彬の薩摩入りです。 (1/6 ブログより)【篤姫】NHK大河ドラマ 開始!NHK大河ドラマ史上最も若い宮崎あおいさんが主役を演じる【篤姫】が本日スタートしましたオープニングは原作者宮尾登美子と主人公が女性であることを意識したすてきなデザインで、好感が持てました。脇役には重厚な布陣、女優陣も華やかです。第1回は期待以上の出来でした。篤姫の生まれた里は薩摩の指宿。私にとっては、懐かしく思い出される場所です。開聞岳のある風景は、青春の一シーンだけでなく、その後の人生の1シーンとして私のこころに、今も熱く語りかけてきます。今、連載中の【白山へ】は、この生地の友への鎮魂の紀行なのですから!これから1年間、日曜の夜はこのドラマを期待をもって見守っていきます。篤姫NHK鹿児島放送局公式HPNHK篤姫公式HP
2008年01月29日
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映画【結婚しようよ】2/2からロードショー主演:三宅祐司 真野響子いよいよ映画【結婚しようよ】が公開されます。吉田拓郎の数々の名曲(20曲)が映画のシーンに流れます。フォークソングファン、拓郎ファンにとって必見の映画といえます。そうでなくとも、1970年代に青春を送った現在中年と言われる世代にとっては懐かしいシーンが再現されたスクリーンに懐かしさを覚えることでしょう。【結婚しようよ】 今どき毎日欠かさず家族揃って夕食を共にする家族なんてちょっと珍しい。しかし、こと香取家においては、こうした決まりと習慣が今日まできちっと守られている。 香取家の主人・卓(52歳)は不動産会社に勤める平凡なサラリーマン。妻の幸子(51歳)は専業主婦で、目下ポジャギ(韓国に伝わるパッチワーク)に打ち込んでいる。お嬢さんタイプの長女・詩織(22歳)は大学4年生。すでに就職も決まっている。そして次女の歌織(20歳)は目下スターを夢見てバンド仲間3人と活発に動き回っている。 会社帰りの夕刻、卓が駅前広場で「吉田拓郎」を歌う若者バンドに合わせて口ずさんでいた時、充という青年と知り合った。卓は我が家の夕食に充を誘った。 充は十年前の阪神大震災で家族を失い上京。一流の蕎麦打ち職人をめざして、毎日毎食コンビニ弁当の生活。そんな充の境遇に心優しい詩織が同情した。ある日、卓は顧客である菊島夫婦から、老後の田舎暮らしに適した物件を頼まれて、山間の古い家付き土地を紹介した。菊島夫婦が気に入って売買契約が成立。早速、卓は湧き水の水路作りを提案し、率先して働いた。 充が持参した豆腐で寄せ鍋を囲む香取一家の夕食時。仲の良い詩織と充に、卓はひどく不機嫌になっていた。それに歌織もバンドがライブハウスのオーディションに合格し、これまでのように家に早く帰ることができない。ライブハウスのオーナー・榊は、歌織が使っているギターに見覚えがあった。その昔、若い卓が愛用していたものだ。榊は、歌織が卓の娘と知って二度びっくり。当の榊は若い頃、卓とデュオを組んで歌っていたのだ。その頃、大学同級生の幸子が、このライブハウスでウェイトレスのアルバイトをしていて、卓と恋に落ちたという。歌織は両親の恋物語と、卓が歌を断念した事情も初めて知ることとなった。 詩織は手作り弁当を持って、充が修行中の蕎麦屋を訪ねた。その帰り道で充がプロポーズ。一方、歌織もライブハウスで榊や丸山、バンド仲間と夕食。帰宅しない娘二人に、卓は子供のように怒り、幸子に八つ当たりした。 妻の幸子からも自立を仄めかされて益々意気消沈。 翌日、「ボクに詩織さんを下さい」と勇気を振り絞って言う充に、卓は思わず手を挙げてしまった--。 (CINE MOVE HP作品紹介 から) 結婚しようよ公式HPCINEMA TOPICS ONLINE映画【結婚しようよ】解説 CINE MOVE映画【結婚しようよ】作品紹介
2008年01月28日
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【今週の短歌】トップページ 短歌3首 更新しました!我が友の想い包みて北辺のハクサンコザクラ群れて咲きいるいつの日か再び見むと言いし友トムラウシの谷に抱かれて眠るここそこに友が愛せしイチゲ咲く羅臼の峰を一人旅する
2008年01月27日
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モーニング娘。X宝塚歌劇(元宝塚トップスター 麻路さき)新宿コマ劇場 8月公演 決定か?新宿コマ劇場のオフィシャル広告に掲載されていました。でも、まだ、関連のHPでは発表されていません。実現したら見てみたい舞台です!新宿コマ劇場公式HPモーニング娘。ハロープロジェクト公式HP宝塚歌劇公式HP宝塚音楽学校公式HP麻路さきフリー百科事典・ウィキペディア これからもヒット曲を連発してくださいね!
2008年01月27日
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【母べえ】愛する家族と・愛する恋人と・ぜひ観てください のいちご文学館・【特選】主演 吉永小百合、監督 山田洋次。家族!愛すること信じること喜びも悲しみも共に生きること!昨日観た映画の感動が今も 胸を震わしています何が真実で何が大切なことなのか忘れ去ってしまったような混迷する現代に大きな声を張り上げるのでもなく静かに語りかけてくる戦争と平和生と死生きていくことさえ困難な時代にかくも 清冽に生きた野上 滋妻を愛し子供たちを愛し妻を信じ子供たちを信じひたすらにただ ひたすらに誠実に生きた!夫はなにか悪いことをしたのでしょうか妻 野上佳代の悲痛なこころの叫び特高から蔑まれても父親から勘当されても夫を愛し夫を信じ子供たち初子と照美を守ったその家族に寄り添う山崎徹上野久子純真で真っ白なこころを持ったあなたたちの瞳が眩しい!この映画に出逢えたことこの映画を送り出した全ての人に感謝いたします! のいちご文学館館長 2008.1.27 記す(キャスト)野上 滋(坂東三津五郎)野上佳代(吉永小百合)初子(志田未来)照美(佐藤未来)山崎徹(浅野忠信)上野久子(壇れい)藤岡久太郎(中村梅之助)藤岡仙吉(笑福亭鶴瓶)(あらすじ) 原作は、長年に渡り黒澤明監督のスクリプターを務めた野上照代が、幼い頃の家族の思い出を綴ったノンフィクション作品。 昭和15年の東京。父と母、娘の初子と照美の野上家は、お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と愛称で呼び合う仲睦まじい家族だ。小さな家庭の穏やかな日常は、文学者である父・滋が治安維持法で検挙された朝から一変する。戦争に反対することが、国を批判するとして罪になる時代だった。 不安を募らせる母と娘たちのもとに、温かい思いやりを持った人々が次々に訪れる。父の教え子で出版社に勤める山崎は、父との面会申請のために奔走し、やがて一家から「山ちゃん」と呼ばれる大切な存在になる。父の妹で美しく快活な久子は、思春期を迎えた初子とおてんばな照美の良きお姉さん役で、いつしか山ちゃんにほのかな想いを寄せるようになる。そして、変わり者の仙吉叔父さんは、あけっぴろげで遠慮のない性格のため、いくつもの騒動を巻き起こすのだった。離ればなれになった家族をつなぐのは手紙だった。まるで日記を書くかのように毎日の出来事を父に綴る初子と照美。そんな娘たちの成長を見守ることが母べえの心の支えだった。そんなある日、野上家に思いがけない便りが届く・・・。 (母べー HPより) (11月9日 ブログより) <なにもなくても、母の手があった 悲しくても、母の胸があった>このキャッチコピーだけで涙が出てきます。母の顔が浮かんできます。母のぬくもりが想いだされます。きっと何回も観にいくでしょう!母の愛に触れたくて!母の胸に抱かれたくて!悲しくても、悲しくても母さえいれば、幸せだった貧しくても、貧しくても母さえいればなにもいらなかった母の牽くリヤカーで母の子守唄を聞きながら田んぼにいった薪拾いにいったもう、決して戻れない子供のころの自分を出逢うために母べえ
2008年01月27日
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【母べえ】吉永小百合主演 山田洋次監督の作品待ちに待った映画がやっと今日、一般公開されました。この映画だけは一般公開初日に観たかったで、朝1番を並んで観てきました。期待通りというか、期待以上の映画でした。日本の映画の良心を観る想いでした。吉永小百合さんの映画は浜田光男と共演していた青春ものから最新作まで、ほとんど観てきていつも感動するのですが、今回のも凄い作品でした。いまでも、感動で胸が震えています!!!山田洋次監督の人間を観る暖かい視点がこの作品を素晴らしいものにしているのでしょう。吉永小百合の代表作の資格充分です。吉永小百合ファン、山田洋次監督ファンだけでなくこの素晴らしい映画をぜひ観てください!!
2008年01月26日
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【だいすき】TBS 香里奈 主演昨日、【だいすき】2話はらはら、どきどきの連続です。子育てって、本当に大変なんです。つい、頑張れって応援したくなります。でも、本人にしたら、これだけ頑張っているのにあと何を頑張るんだ!言いたくもなりますよ!健康な人でも育児ノイローゼになるんですから主人公はどれほど大変なことでしょう。香里奈さんは体当たりの熱演です!これから子供がどんどん成長していくと、もっとどきどきするんでしょうね。重い課題のドラマですが、これからも見守りたいと思います。(あらすじ)2歳になった ひまわり (松本春姫) は、行動も活発になり、手の掛かる時期になっていた。母親として 柚子 (香里奈) も同じように成長してきているが、ひまわりの成長に追いついていない。何かあるごとに駆けつけている母・美代子 (岸本加世子) にも疲れが見え始めてきていた。そんな様子を知った 勝川 (余貴美子) は、ひまわりを保育園に通わせることを提案する。安西 (紺野まひる) のアドバイスもあり、まずは保育園を体験させようとしたが、柚子はひまわりと一時も離れようとせず、友達を知らないひまわりも柚子から離れることができない。さらに、受け入れ先の保育園を探すのも大変なのが現状だった。 ( → ) (HP あらすじ から) (1月17日 ブログから)【だいすき】TBS 本日10時から障害抱え子育てに奮闘するドラマ 今日からです!前評判上々ですだいすきTBS公式HP主人公・福原柚子 (香里奈) は軽度の知的障害がある23歳。父親亡きあと、女手ひとつで子供達を育ててきた母・美代子 (岸本加世子) と、ぶっきらぼうだがいつも姉を見守る弟・蓮 (平岡祐太) の愛情に包まれて、柚子はのびのびと育ってきた。ある日、柚子は同じ職業センターで働く 沢田草介 (中村俊介) が亡くなったという知らせを受け、センターのスタッフ・安西 (紺野まひる) と病院へ駆けつける。しかし、柚子は草介の死を理解することができずに、その場で倒れてしまう。美代子は医師から柚子が妊娠していると告げられる。父親は草介だったのだ。 (HP あらすじ から)福原柚子 … 香里奈 福原 蓮 … 平岡祐太 沢田琴音 … 福田沙紀 安西真紀 … 紺野まひる 藤川夏梅 … 臼田あさ美 岡本拓也 … 蓮 ハルク 田中桃花 … 近野成美 田中清一郎 … 相島一之 勝川節子 … 余貴美子 沢田草介 … 中村俊介 (特別出演) 福原美代子 … 岸本加世子
2008年01月25日
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我が青春の山々 (2) 槍ヶ岳絶唱 母衣崎 健吾 山で遭難した君へ! 槍ヶ岳に登ったのは1994年、今から14年前のことだ。 その年の夏、山の友が北海道大雪山系で遭難した。遺体は現地でダビにふされ、面会したときは、白い布に包まれ、お骨になっていた。今でもその時の光景を、昨日のように覚えている。 初めて友に会ったのは、山岳サークルの「やまびこ」の隊長事務局長として第2次北海道遠征隊を編成する日だった。挨拶では私よりも年齢は上のようだったが、私よりも遙かに若く見えた。何よりも、気持ちが若かった。 コースは、本隊は旭川から大雪山最大のトレイル・トムラウシまでを縦走し、石狩岳からの縦走してくる別動隊と合流し、トムラウシ温泉に下山、その後、北海道最奥の幌尻岳に登るという壮大なものだった。 幌尻岳は川を遡行しなければ登れない。問題は水量だった。腰までの水量ならば困難を極めることになる。その年の天候では、冬の多雪と梅雨時の降水量から水量は多いことが推測された。隊員の安全確保のため、今年は中止か、との議論の最中に、友が発言を求めた。「今年いけなければ、わたし、もう登れないかもしれない。天候を見定めて決行しましょう!」 私は応募者のうち、夏合宿初参加の人は訓練登山に参加し、体力の増強を図るべし、その上で、天候、参加者の能力を確認した後決行するとの条件をつけて同意した。 それからというもの、奥多摩縦走、日光連山縦走、丹沢縦走と続訓練登山を重ねること数度、雨天時歩行、谷川歩行を重ねて、友情と体力に確信を得て、決行した。 その成果は充分あった。大雪山からのロングトレイルも全く苦にならなかった。友は、高校時代、山岳部だったとのことで、30キロにも及ぶ食料を担ぎ、隊の先導役を努めた。 高山植物が僕たち隊員を迎えてくれた。本州では見たこともないような、全山花に覆われていた。 幕営地・ヒサゴ沼では沼を埋め尽くす高山植物に囲まれ、友は泣きながら叫んだ。「来てよかった!来れてよかった!すごいです!すごいです!」「君のおかげだ。君があの時強硬に決行を主張しなければ、僕は注視したかもしれない。ありがとう」「また、来たい!何度でも来たい」 友は、笑いながら泣いていた。 その時、友の脳裏に、トムラウシに向かう渓谷がよぎったのだろう。 ≪あの渓谷を辿って、いつかまた、トムラウシに立つ!≫ 石狩岳縦走の別動隊ともトムラウシ幕営地で無事合流し、幌尻岳も完登した。それから、数年たって、友はその時芽生えた渓谷からトムラウシへの想いを実行に移した。たった二人で!しかも、名前も知らないようなパートナーと組んで! 友のトムラウシへの想いは知っていたが、全国の山に登っていた僕は友となかなかスケジュールが合わなかった。 遭難のその日、僕は白峰三山縦走のため、北岳の麓・広河原で幕営していた。 テントの中で食事をしていたら、誰か私の名前を呼んでいる女性の声がしたので、外に出て周りを見渡したが、僕のテントの傍には誰もいなかった。 ≪気のせいかな≫ 天気がいいのに風が強く、テントを風がはためかしていた。 山から下りてきて、友の遭難を知った。 取るものを取らず葬儀に駆けつけた。 「妻は山が大好きでした。その山で死んだのですから、本望でしょう」 と、友のご主人が、悲しみを堪えた振り絞った声で、別れの挨拶をした。 ≪時間を作ってやればよかった≫ 友は、先頭で水量が腰まである沢を遡行中、流された。雪解け水ではひとたまりもない。ザックを背負ったまま、もがく暇もなく即死だったと知らされた。 北海道の山に誘っていなければ、山登りを再会することもなかった! 僕とパーティを組んでいたら、こんなことにはならなかった!居たたまれなかった。 ヒサゴ沼で最高の笑顔の友の写真を胸ポケットに入れて、友が大好きだと言っていた槍ケ岳に向かった。稜線にでると高山植物がポツポツ咲いていた。 ≪君が好きだった花が咲いているよ!≫ 水晶岳分岐まで来たとき、疲れ果てたようなご婦人を見かけた。 「大丈夫ですか」 「疲れました」 「今日はどちらまで」 「今日は三俣蓮華山荘泊まりです。明日、主人が待つ槍ヶ岳までですが、このままでは無理かも知れません」 「私も今日はその山荘までです。これから、水晶岳を登ってきますから、もしよろしければ、ご一緒しましょう」 「助かります。お願いしますわ」 「すこしおなかに入れて休んだほうがいいと思います。では」 水晶岳を往復して戻ってくると、待っていてくれた。 「顔色がだいぶよくなっていますから、もう大丈夫でしょう。ゆっくり歩きますからついて着いてきてください」 「心強いですわ。ありがとうございます。」 鷲羽岳を越えて三俣蓮華蓮華山荘に無事到着した。「僕はテント泊まりですから、ご安心を。」「明日は槍ヶ岳までですが、ご一緒していただけますか。今日のようなことがあると不安で。 十分体力はあると思っていたのですが‥‥」「いいですよ。僕でよろしければ、ご主人の待つ槍ヶ岳までご同行しますよ」 「よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」 次に朝早く、支度を整えていたら、ダックを背負って山小屋から出てきた。「おはようございます。本当にすみません」「いいですよ。僕も一人で歩くよりは、楽しいですから」「足手まといにならなければいいんですけど」「大丈夫です。ゆっくり歩きますから。疲れるようでしたら遠慮せず言ってください」「お心遣い ありがとうございます」 予定した時間通りに槍ヶ岳山荘に到着した。「着きましたよ。もう安心です。私はこれで。」「ありがとうございました。」 幕営手続きをしていたら、戻ってきて「主人です。お礼を言わせて下さい」 と、紹介してくれた。「どうも、妻がお世話になったそうで、命の恩人です」「いえ、こちらこそ、奥さんには励ましてもらいました」「なにかお礼をしたいのですが」「いいえ、僕はお礼を戴くほど、なにもしていません」「それでは妻が納得しません。なにかお礼を」「お気持ちだけで充分です。本当に僕の方が助けられたんです」「ありがとうございました」 テントを設営してから槍の穂先に登った。 山頂に立って、ポケットから友の写真を取り出した。≪来てよかった!来れてよかった!≫ 友がヒサゴ沼で叫んでいた言葉が、耳元で反響した。 ≪バカ野郎!なんで山で死んだんだ!なんで‥なんで‥なんで‥‥≫ (6月7日 ブログより再録)絶 唱 (一) 母衣崎 健吾雪渓の風にゆられてエゾツツジ今年も咲けるやトムラウシの峰に 拙書『かぜにゆられて』より) 今年の夏、友が山で遭難した。あまりに突然のことで、遭難の知らせの電話を握ったまま、しばらく立ちつくしていた。 山に魅せられ、山を愛し、こころに花を咲かせて、いつも笑顔の絶えぬ人だった。 トムラウシ山は北海道の尾根、大雪山系の最奥にある。山頂には巨大な岩が累々と重なり、山麓にはお花畑が広がり、瞳のような湖沼が点在する。 その山に友と登ったのは九〇年八月の事である。雄大な山の広がり、山麓を埋め尽くす高山植物の群生は、友の山への想いを募らせるのに充分だった。 その後、友は、海外の山々をはじめ、国内の山々にも次々と足跡を印してきた。近年は、ご子息が海外青年協力隊員として活躍されている、ケニヤに聳えるアフリカ最高峰キリマンジェロに登頂することが夢なんですと、明るく語っていた。 夢を実現する前に、もう一度、山への想いを募らせてくれた山、トムラウシ山への再登を思い立ったのだろうか。雪渓のまだ残る七月、トムラウシ山に続くクワウンナイ川を遡行、横断中転倒し、雪解け水に二〇〇メートルも流され、帰らぬ人となった。 悲しみのなか、友が青春時代によく登ったと話していた北アルプスに入ったのは告別式から一〇日目のことである。 信濃大町から高瀬ダムを抜け、鳥帽子岳、野口五郎岳、水晶岳、鷲羽岳を越え、槍ケ岳の山頂に立った。強い風が谷から吹きつけ、岩肌は冷たかった。友が幾度となく立った山頂からは、友が幾度となく踏んだ山々が俯瞰できた。その山々のいたるところ、砂礫地にも、崖っぷちまでも、僅かばかりの土に根を張り、小さい葉や茎に水滴をつけ、雪にも、風にも、嵐にも耐えて、花が咲いている。友が愛した花が今日も咲いている。 君の分まで生きるよ、そうつぶやいたら、とめどもなく涙が溢れてきた。 のいちごつうしん NO,412 カット作品:赤ずきんちゃんの散・歩・道
2008年01月25日
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【最新版 日本百名山】(朝日新聞社)第2号 1/31発売第2号は槍ケ岳・常念岳です。私にとって、槍ケ岳は友が山で遭難し逝った後、友の写真を胸にしまって登った山。そこで、すばらしい人と出会います。常念岳は、その数年後、その槍ヶ岳の展望しながら友の追悼登山で登りました。 (1月15日のブログから)朝日新聞社から【最新版 日本百名山】全50冊が 1月17日刊行されます前ページ完全新編集で最新の写真を掲載するとのこと。登山愛好家として、期待の本です。毎週木曜日、1冊に2山が収録されます。創刊号は富士山と丹沢山。私にとってホームゲレンデである丹沢山が富士山と共に創刊号を飾ります。粋なことをしてくれます!全50回とのことなので、全集終了までちょうど足掛け1年!山に登らない人も楽しめるといいですね!私にとっては、素敵な1年の開幕です!朝日新聞の本opendoors公式HP最新版日本百名山出版案内公式HPasahi.com BOOK 朝日新聞社の書評サイト公式HP
2008年01月24日
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【LIFE 天国で君に逢えたら】大沢たかお、伊藤美咲主演昨日、観てきました。勇気いっぱい いっぱいもらいました。夢は叶う!夢は叶える!自分を信じ愛する人を信じまっすぐ進むその先に夢はあるんだね大沢たかおさん 素敵な笑顔でした伊藤美咲さん 美しい笑顔でした子供たち みんなみんな かわいかったよ愛する家族そして 信じられる友!!いい人の周りにはいい人が集まるんだね昨日は母の誕生日母が僕にくれたたくさんのこと思い出しながら素敵な記念日になりました! (1月11日 ブログから)【LIFE 天国で君に逢えたら】8/25公開から4ヶ月余り経ちましたが、今度は新宿のシアターアプルで1/21~23日まで公演されます。前回観逃した人や、あの感動を再び!という人はぜひこの機会に!シアターアプル<BOOK> 天国で君に逢えたら 著者: 飯島夏樹 出版社: 新潮社 発行年月: 2004年07月 末期ガンで余命宣告を受けた世界的プロウィンドサーファーが綴る、美しく切ないラブストーリー。 ガン患者の心の叫びを手紙に起こす“手紙屋”を開いた精神科医・純一。陸サーファー、放蕩を尽くした眼科医など、今日も一癖ある面々が家族や恋人への手紙の依頼に訪れる。我がままな患者達に翻弄される日々、純一に届けられた手紙には、美しく壮絶な生きざまが綴られていた。生死の狭間で産み落とされた、奇跡のような物語。 <MOVIE>1991年、プロウィンドサーファーの飯島夏樹は、ワールドカップに出るため、妻の寛子と世界各国を転戦していた。家賃も払えず、公園に寝泊りするような、ドサ周りの日々だったが、献身的な妻寛子の支えで、オーストラリア大会で夏樹は見事優勝。晴れて結婚式を挙げ、4人の子宝にも恵まれた。それからも夏樹は世界中のレースに出場し、連勝を続けた。ある時、体の異変を感じた夏樹は、精密検査を受けた。検査の結果、肝細胞ガンであることがわかった…。LIFE 天国で君に会えたら公式HPGOO映画LIFE 天国で君に会えたらYAHOO映画LIFE 天国で君に会えたら主題歌:桑田佳祐 「風の詩を聴かせて」
2008年01月23日
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わが青春の山々 初夏の丹沢(3) 母衣崎 健吾 シロヤシオツツジを訪ねて 次の日早く山頂を辞した。空には星が瞬いていた。月は富士山をしっかり照らしていた。すべてはまだ寝静まっていた。 陽が東の空に昇る頃には騒がしくなってきた。 石がゴロゴロして歩きにくい急な道を下った。その道の端に地蔵様が淋しそうな顔をして、ぽつんと立っていた。 下りきると、シロヤシオツツジが群生していた。うす緑の木立に混じって、ひと際光って見えた。 白砂山では、笹を刈ったばかりの道を歩かなければならなかった。 振り返ると蛭ケ岳がシルエットになって、どっしりと聳えていた。丹沢山系の主峰の名に恥じない山容だった。 臼が岳は林に中で、展望はなかった。その東面は浸食作用で赤い山肌を晒して痛々しい限りだった。 神の川乗越の水場に降りると、冷たい水がこんこんと湧いていた。頭にも水を浴びせた。ツーンとしたものが体を走った。乗越に戻ると風が吹き抜けていた。 そこからすこし登ると、木立が途切れて焼山への連山がきちんとした姿を見せていた。 桧洞丸への最後の登りを喘ぎながら登った。うっそうとした原生林を抜けて若い人達の華やいだ歌声が聞こえてきた。 山頂直下の青ケ岳山荘では餅つきの最中だった。愉快そうな、善良な顔だけがあった。私も 浮き浮きした気持ちになった。「おはよう」「おはよう」 それだけで気持ちは通じ合った。 広葉樹に覆われた広い山頂にはあまり人はいなかった。 しばらく休んでいると高校生らしい大パーティが続々と登ってきた。聞けば開山祭だという。先ほどの餅はお供えなのだろう。 頂上は人でいっぱいになりつつあった。 豆桜の真っ白い小さな花びらが敷きつめられた道を西丹沢のバス停に向かった。 (完)丹沢の地図
2008年01月23日
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【母べえ】吉永小百合主演 山田洋次監督の作品今日のNHK朝のニュースで取り上げられました。昨日開催された、今月26日封切られる吉永小百合主演 山田洋次監督の作品【母べえ】の川口市民特別試写会、及び、出演者の挨拶舞台の模様を放映しました。川口は吉永小百合が出演した【キューポラのある街】の撮影場所だったところ。懐かしそうに語る吉永小百合の笑顔が印象的でした。益々、美しくなる吉永小百合さん!劇場公開前から、日本アカデミー賞の声が上がっていますよ!私は、初日に行く予定です。チケットは特別前売り券を購入済みです。
2008年01月22日
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わが青春の山々 初夏の丹沢(2) 母衣崎 健吾 シロヤシオツツジを訪ねて 私の後にいた女性が追いついて草原に長々と横たわった。彼女の額には汗が吹き出ていた。「こんにちは。どちらまでですか」親しく話しかけてくれたので,うれしくなった。「蛭ケ岳山荘までだけど水があるかしら」 山行までの数日間、雨がふっていなかった。蛭ケ岳山頂で会うことを約束してその場を離れた。 丹沢山頂はそこからすぐだった。山頂は広々としていて気持ちが大らかになる。 蛭ケ岳から来たという三人のパーティが私の傍で休んだ。 「蛭ケ岳には水がないとのことでしたよ」《 水がなければ今日は山を降りてユーシン小屋まで足を伸ばせばいいさ 》 一人旅はこんな時は気楽なものである。 丹沢山から蛭ケ岳に延びる銃走路の急な下りを一気に降りた。そこからは草地の気持ちのいい登りだった。 登りつめた不動の峰直下の緑の大地には可憐な名前も知らない小さな花がポツンと咲いていた。 振り向けば塔ケ岳から鍋割山に続く尾根がくっきりと浮かんで見えた。秘かに期待していた不動の峰の非難小屋の水溜りには水がたっぷりとあった。思わず喜びの声を上げた。《 これで今日、明日は山の中で過ごせる》 水筒に水をいっぱい入れ、ゆっくりと土を踏みしめて蛭ケ岳への道を辿った。ブナの明るい広葉樹に包みこまれるように道は延びていた。山頂は広くて見晴らしが良かった。眼下には熊木沢が黒い山塊に向かって真っ直ぐに走り下っていた。左に眼を転じると、富士山が見慣れた姿で迎えてくれた。 陽はまだ高かったが、小屋に入った。髪の長い若い小屋番だった。寝室で暫く休んで外に出ると、野性の鹿の親子が野草を食べていた。微笑ましい光景だった。西の空はだんだん赤く染まっていった。日没はなんとなく淋しいものだ。野原に腰を下ろして夕陽を眺めた。 若いグループの人たちが静かな歌を歌い出した。「来て良かったわ」 振り向くと、途中で出逢った女性が立っていた。頬には涙が伝っていた.
2008年01月22日
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【篤姫】NHK大河ドラマ 第3回 「薩摩分裂」期待以上の素敵なドラマです。場面は明治政府になって活躍する西郷隆盛、大久保利通らの青春期。薩摩藩のお家騒動に巻き込まれ、大久保正助・後の大久保利通(原田泰造)も謹慎処分となる。その友人西郷吉之助・後の西郷隆盛(小澤征悦)は藩からの制裁の危険を顧みず、変わらぬ友情を誓います。そして、圧巻は大久保正助の母・フク(真野響子)の毅然とした口上です。正助の妹たちが内職に追われる姿を見た於一が、自らのかんざしやくしさえ渡そうとする、於一の純真さゆえの親切に、次のようにきっぱりと告げるのです。「私たちは、貧しい生活をしているけれども、物乞いではありません。‥‥ 誇りを持って生きているのです」素敵な場面です。番組が終わってから、何度もこの場面が心の奥底でフラッシュしました。私の友人も、誇り高く生きている人がたくさんいます。自分が差別されているのに、他人のために身を粉にして自分のことのように、その人のために頑張っている人たち!この人たちから、私は多くのことを学んできました。そして、その友人たちは、底抜けに明るいのです!まさに、誇りを持って生きているからなのでしょう!そして、私にとって最も大切な人・母を大久保正助の母・フク(真野響子)の姿に重ねたのでした。さわやかな日曜の夜でした。第4回はいよいよ薩摩の藩主になった斉彬の薩摩入りです。 (1/6 ブログより)【篤姫】NHK大河ドラマ 開始!NHK大河ドラマ史上最も若い宮崎あおいさんが主役を演じる【篤姫】が本日スタートしましたオープニングは原作者宮尾登美子と主人公が女性であることを意識したすてきなデザインで、好感が持てました。脇役には重厚な布陣、女優陣も華やかです。第1回は期待以上の出来でした。篤姫の生まれた里は薩摩の指宿。私にとっては、懐かしく思い出される場所です。開聞岳のある風景は、青春の一シーンだけでなく、その後の人生の1シーンとして私のこころに、今も熱く語りかけてきます。今、連載中の【白山へ】は、この生地の友への鎮魂の紀行なのですから!これから1年間、日曜の夜はこのドラマを期待をもって見守っていきます。篤姫NHK鹿児島放送局公式HPNHK篤姫公式HP
2008年01月21日
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わが青春の山々 初夏の丹沢(1) 母衣崎 健吾 シロヤシオツツジを訪ねて 大勢の登山者で賑う塔ケ岳山頂から丹沢山への道を少しばかり下ると、シロヤシオツツジの木立が低い草木ばかりの斜面にポツンと1本あった。荷を降ろして急斜面を木立の直下まで降りた。風に揺られて真っ白い小さな花びらが戦いでいた。木立越しに西丹沢の山々が見渡せた。道に戻ってパンを頬張った。充実した気持ちが満ちてきた。 下り道が緩やかになった。道のすぐ傍にシロヤシオツツジが群生しているのがみられるようになった。木立が密生していて陽を遮ってくれたが、立ち止まると汗が迸り出た。突然草原に出た。背の短い雑草が吹き上げてくる風になびいていた。東の方を見やると、大山の形のよい姿があった。 丹沢に登りはじめてから十数年になる。最初は山麓の大倉から塔ケ岳までを日帰りで往復しているだけだったが、山行を重ねるごとに丹沢の魅力が奥へ奥へと導いていった。 夏の照りつける太陽を真夜中に登る時の、相模平野に蛍と見間違うかのような民家の灯り、秋には落ち葉を踏んで静寂の中に身を任せ、冬には由紀を踏んで山頂に立つと、伊豆や箱根の山々、富士と南アルプスの山々が出迎えてくれる。春は。イチゴを摘み。サクランボを頬張りながらの愉快な山行を約束してくれる。 四季それぞれに思いはあるが、最も素晴らしいのは丹沢の名花シロヤシオツツジの咲く初夏の頃に指を折ってしまう。 背丈を超えるほどの幹にびっしりと白く咲くこの花を見たときは腰が抜けるほどの驚きであった。 九州育ちの私にはこれほどの大木のツツジを見たことはなかった。
2008年01月21日
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【篤姫】NHK大河ドラマ 今日は第3回!「薩摩分裂」もうすぐです。後の西郷隆盛、大久保利通ら、明治になって活躍すること人物が描かれていきます。先週は、「桜島の誓い」でした。薩摩藩の財政が危機に瀕し、年貢の取立てが厳しくなっていきます。藩士や農民たちの生活は困窮を極めていきます。そんな折、藩士や農民たちから信認の厚い島津斉彬(高橋英樹)の子どもたちが、立て続けに幼くして亡くなってしまうのです。藩主・島津斉興(長門裕之)の側室・お由羅(涼風真世)が調伏したとの疑いが露見し、反発が強まっていきます。そして、改革派は粛清され、分裂の局面を迎えます。 (1/6 ブログより)【篤姫】NHK大河ドラマ 開始!NHK大河ドラマ史上最も若い宮崎あおいさんが主役を演じる【篤姫】が本日スタートしましたオープニングは原作者宮尾登美子と主人公が女性であることを意識したすてきなデザインで、好感が持てました。脇役には重厚な布陣、女優陣も華やかです。第1回は期待以上の出来でした。篤姫の生まれた里は薩摩の指宿。私にとっては、懐かしく思い出される場所です。開聞岳のある風景は、青春の一シーンだけでなく、その後の人生の1シーンとして私のこころに、今も熱く語りかけてきます。今、連載中の【白山へ】は、この生地の友への鎮魂の紀行なのですから!これから1年間、日曜の夜はこのドラマを期待をもって見守っていきます。篤姫NHK鹿児島放送局公式HPNHK篤姫公式HP
2008年01月20日
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友 よ (二) 母衣崎 健吾白百合を手向けし墓標 真向かえば 君が顔見ゆ 君が声聞こゆ恥じらいて「白百合が好き」言いし友 ひたむきに生き ただひたむきに 友が逝って、三年が過ぎた六月、嫁ぎ先を初めて訪ねた。 友と初めて出会ったのは中学の頃だ。私はバスケが飯より好きな少年で、雨の日もドロンコになってコートを走り回り、日曜日も練習に明け暮れていた。そんな時、顧問の先生が奔走して隣村の中学の女子バスケ部との対校試合を持ち込んできた。友はその隣村の中学のキャプテンだった。 隣村の中学の男子部は、例年地区大会の最大のライバルで、まじかに迫ったその年の大会でも私たちのチームと、郡大会に出場できる優勝をかけて激突するはずだ。その学校の女子部との対戦ということが気がかりだった。「きっと、偵察される。それになぜ女子部と:」私の質問に顧問の先生は笑った顔を崩さなかった。 当日、隣町の中学に着くと、バスケコートを取り囲んで何重にも輪ができていた。その中央には既にメンバーは整列していて、私たちを拍手で迎えてくれた。 私たちの整列を待って、友が片手をあげて、「大会前の貴重な時間を私たちのために割いてくれてありがとうございました。胸を借りるつもりで、本気で戦います」 堂々の宣誓だった。背丈は私たちと同じ位だったが、ずっと大人に見えた。何よりも半袖にブルマ姿が眩しかった。私たちの中学は体育の時間は男女別々で、一緒に競技することはなかった。 試合が始まってすぐにリードされた。すぐにタイムがコールされた。 日頃は柔和な顧問の先生が厳しい声で怒鳴りつけた。「キャップテンの君がそれでどうする。彼女たちは県大会の優勝候補だよ。忙しい日程を空けて、君たちと対戦してくれているんだ。彼女たちを女子と思うな。素早いパス、正確なシュート、ドリブル力、ジャンプ力、いずれも君ら以上だ。全力で立ち向かえ」 タイムが終わってコートに戻ると、恥ずかしい気持ちは消えていた。 徐々に差が詰まり接戦になった。応援の人たちも総立ちになって声を嗄らした。経験したことのない一体感が全身に押し寄せてきた。試合が終わると彼女たちが駆け寄ってきて、握手をしてくれた。「いい試合だったわ。ありがとうございました」「ぜひ県大会で優勝してください」 笑顔いっぱいの彼女たちは、コートの中央で円陣を組んで、私たちのチーム名を連呼した。私たちは、分け隔てなく応援してくれた隣村の生徒たちに正対して四方にお辞儀した。波のような拍手がコートを包んだ。顧問の先生はいつもの柔和な顔に戻っていた。 友は高校を卒業すると、幼稚園の先生になるのが夢だと言って、故郷を離れ、働きながら学べる夜間の短大に進んだ。成績は抜群であったが、親に負担をかけたくなかったのだろう。村中が貧しかった。運命は自分で切り開くしかなかったのだ。 無事に保母の資格を取って、故郷の幼稚園に職を得た。数年を経て、友を励まし続けていたSさんと結婚した。 運命を自分で切り開いてきた友を病魔が襲ったのは三年前の春のことだった。責任感の強い友は、新学期の始めの忙しさも災いして、変調を感じながらも、大好きな園児たちと接し続けた。立って歩けないほどの状態になって、病院の門を叩いた時は、もう手の施しようがないほど、病気は進行していた。 せめてもと、友の教え子が通う小学校の校庭が見える病院に移ったのが秋、友が逝ったとの知らせを受けたのは、春がそこまできていた三月のことだった。 バス停から友の嫁ぎ先まで歩いた。 路地に入ると、一人の少女が待っていた。友との出会いのころからこれまでのことに想いを巡らしながら歩いていたので、危うく声をあげそうになった。目鼻立ちが端整なその少女は、出会った頃の友にそっくりだった。 軒先までくると、少女ははにかみながら踵を返していなくなった。友の遺影がある仏間に通された。「文集がやっとできたよ」 静かな時間が流れた。お墓参りに向かうと、少女が再びやってきて、先立って案内してくれた。 墓標は海を見下ろす高台に、海に向かって立っていた。「お母さん、お母さんがよく話をしていた人がきてくれましたよ。お母さん、会いたかったでしょう。よかったね」 少女は私に一礼して下りていった。 私を気遣ってくれたのだろう。 一人になって、友が好きだといっていたユリの花を手向けると、止め処もない新たな悲しみが襲ってきた。 カット作品:赤ずきんちゃんの散・歩・道
2008年01月20日
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わが青春の山々 プロローグ 母衣崎 健吾 『日本百名山』『礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を、私は忘れることができない。』 この書き出しで始まる『日本百名山』(著者 深田久弥)という本に出会ったのは、山に出かけるのに便利な阿佐ヶ谷に住んでいた頃だからもう二〇年も前のことになる。それまでは山の本と言えば案内書ばかり買っていたので、この本に出会ったときは驚いた。 紀行文のようで単なる紀行文でない。かといって小説でもなく、随筆とも趣が違う。ましてや無味乾燥な記録文や報告文でもない。何と言っても文章に品がある。なによりも奇をてらっていない。一作品の長さはほとんどが見開きの二ページに収まっている。長いものでも三ページしかない。それでいて、読み終わると爽快で、豊かな気持ちにさせてくれる。 この本に出会ってますます山が好きになった私は、休日がくるのがまちどうしくて仕方がなかった。山の仲間は、結婚や子供の誕生を境に山を離れていったけれど、私はむしろ山に登る機会が増えた。新婚時代は妻と一緒に登り、子供が誕生してからは子供と登った。息子が小学六年生の時、東北の山々を一〇日かけて巡ったことがある。卒業記念を兼ねてのこの息子と二人だけの山行の思い出は私にとって宝物になっている。息子にも印象が深かったようで、卒業文集にこの山行のことを書いていた。山に登り続けていなければこの様な企画さえも思いあわさなかっただろう。 気が付いてみると、『日本百名山』のすべての山に登ったことになった。数えてみたら全部で三〇〇を超える山に登っていた。何事にも中途半端であった私は、何かをこれ程の長い期間にわたり続け、最後までやり遂げたということは無かった。 『日本百名山』と出会い、その感動を胸に抱いて登った日本の山々。その追憶は田舎の祭りに母と連れ立って出かけるときに感じた、なんともいえぬ気持ちを思い出させてくれるときでもある。 のいちごつうしん NO.205
2008年01月19日
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【蕾】コブクロ第80回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に!コブクロの「蕾」が第80回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に内定致しました。蕾は僕の大好きな曲のひとつ。行進曲になるなんて考えてもいませんでした。どんなアレンジになるのでしょうか。でも、嬉しいですね!コブクロ公式HP
2008年01月18日
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【だいすき】TBS 本日10時から障害抱え子育てに奮闘するドラマ 今日からです!前評判上々ですだいすきTBS公式HP主人公・福原柚子 (香里奈) は軽度の知的障害がある23歳。父親亡きあと、女手ひとつで子供達を育ててきた母・美代子 (岸本加世子) と、ぶっきらぼうだがいつも姉を見守る弟・蓮 (平岡祐太) の愛情に包まれて、柚子はのびのびと育ってきた。ある日、柚子は同じ職業センターで働く 沢田草介 (中村俊介) が亡くなったという知らせを受け、センターのスタッフ・安西 (紺野まひる) と病院へ駆けつける。しかし、柚子は草介の死を理解することができずに、その場で倒れてしまう。美代子は医師から柚子が妊娠していると告げられる。父親は草介だったのだ。 (HP あらすじ から)福原柚子 … 香里奈 福原 蓮 … 平岡祐太 沢田琴音 … 福田沙紀 安西真紀 … 紺野まひる 藤川夏梅 … 臼田あさ美 岡本拓也 … 蓮 ハルク 田中桃花 … 近野成美 田中清一郎 … 相島一之 勝川節子 … 余貴美子 沢田草介 … 中村俊介 (特別出演) 福原美代子 … 岸本加世子
2008年01月17日
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芥川賞・直木賞 決まる!いずれも三十才台の女性芥川賞 川上未映子さん「乳(ちち)と卵(らん)」直木賞 桜庭一樹さん「私の男」受賞おめでとうございます!!芥川賞文芸春秋社公式HP直木賞文芸春秋社公式HP文芸春秋各賞紹介芥川賞、直木賞の他、文芸春秋社の各賞の歴代受賞者が閲覧できます
2008年01月17日
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森光子 【放浪記】7日から始まりました。 3月30日までのロングラン公演ぜひ観たい舞台!1900回という偉業に到達する今回いい機会です。 (12月23日 ブログより)森光子 【放浪記】来年2月23日 前人未踏の1900回公演!でんぐり返しで有名な森光子【放浪記】が来年2月23日 前人未踏の1900回公演を迎える。これはすごいことで、お祝い申し上げたい。でんぐり返しはもうやらないとの記者会見もあったようだけれどそれはたいしたことではない森光子が演じる放浪記が大切なのだから!お年がいくらいっても、なお一層精進して演じてみせる森光子がいいのだから!新年が楽しみだ!!2008年1、2、3月公演 『放浪記』 2008年1月7日(月)~2008年3月30日(日)前売開始 〈1.2月分〉2007年11月24日(土) 〈3月分〉2008年1月19日(土) 料金 13,500円(全席指定・税込)出演 森光子 高畑淳子(1/7~2/6) 黒柳徹子(2/7~3/30) 米倉斉加年 有森也実 斎藤晴彦 大出俊 山本學 他 シアタークリエ公式HP放浪記放浪記名場面読売ONLINE
2008年01月16日
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朝日新聞社から【最新版 日本百名山】全50冊が 1月17日刊行されます全ページ完全新編集で最新の写真を掲載するとのこと。登山愛好家として、期待の本です。毎週木曜日、1冊に2山が収録されます。創刊号は富士山と丹沢山。私にとってホームゲレンデである丹沢山が富士山と共に創刊号を飾ります。粋なことをしてくれます!全50回とのことなので、全集終了までちょうど足掛け1年!山に登らない人も楽しめるといいですね!私にとっては、素敵な1年の開幕です!朝日新聞の本opendoors公式HP最新版日本百名山出版案内公式HPasahi.com BOOK 朝日新聞社の書評サイト公式HP
2008年01月15日
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君に逢いたい 作詞 母衣崎健吾 作曲 一乗谷 優君に逢いたい夕べ逢ったのに君に逢いたい笑顔の君にいつも笑ってるいつも歌ってる細い肩先降り積もる雪を振り落とさないで僕を見つめてるつぶらな瞳に僕が映ってる いつも笑ってるいつも歌ってる細い指先絡ませながら明日に向かって歩いていけるよう語りかけてくる君に逢いたい
2008年01月14日
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白 山 へ ( 37) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (10)荒島岳登頂! ≪今回の山行も今日で最後か≫ スキー場で水をたっぷりと水筒に入れ、リフトに沿ってつけられた小道を登った。白山への登りを思えば、たいした登りではない。それに、重たい荷物もない。テントやら炊飯道具は、デポ(山中に置いて、後で確保する)してきたから、ザックに入っているのは雨具と水筒と朝調達した食料だけだった。 途中会ったのは一人きりで、荒島岳山頂に着いた。朝霧が懸かって何も見えなかった。 ≪ここ数日天候は最悪だったからな。登れただけでも良しとするか。今日は時間がたっぷりある≫ 腰を落ち着けてパンを頬張った。頬張りながらこれまでの長い道のりを想った。 ≪山にくると、いつもたくさんの出逢いがある。今回もそうだった。それに、今回は一人で登ったから、登りながら思索できた。自分の命を自ら絶った友ともじっくり向き合うことができた。これからだ!前を向いて、友の生きらなかった分までしっかりと生きていかなければ!これからだぞ!≫ 涙が頬から溢れ出た。その瞬間、涙の向こうに友の顔がはっきりと脳裏に浮かんだ。笑っていた。 ≪泣き虫なんだから!私といるときはいつも笑っていたじゃない!私はあなたが想ってくれれば、いつも傍にいるわ。大丈夫!大丈夫!≫ 友の懐かしい声だった。大丈夫!が口癖だった。 涙が止まらなくなった。 どのくらい経っただろう。 見納めと思って立ち上がり、白山の方角を見た。昨日越えてきた尾根越しに、白山が鎮座していた。 白山だ!白山だ!白山が見える! 知らず知らず、大きな声で叫んでいた。 完
2008年01月13日
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トップページ【今週の詩歌】更新しました 母衣崎健吾 母逝きて一七年の歳月流る 今もなお《強く生きよ》の母の声聞く 昇りくる朝日に迎(むか)いて合掌(あわ)す手に 母の顔見ゆ 父の顔見ゆ 限りある生命(いのち)見つめて今日もまた所為なき我を母に悔いたり 【身延の春】より三首 <のいちごつうしんNO443所収>
2008年01月13日
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【田川寿美】コンサート2/26 渋谷C.C.Lamon ホール(渋谷公会堂)「雪が降る」「ここは港町」などの楽曲で知られるアーチスト 田川寿美さんのチケットが手に入りました。僕は田川さんの歌の中では「女人高野」が好きです。生の声で田川さんの歌をいつか聴きたいと思っていました。嬉しいです。新人の頃から、坂本冬美さんと共にこころの奥に届く歌を裏得るアーチストとして期待して見守ってきました。今回のコンサートは、その坂本冬美さんのコンサートを聴けた同じ場所。着物姿がお似合いの田川さん!楽しみにしています。.C.Lamon (渋谷公会堂)田川寿美 コロンビアミュージックエンターテイメント公式HP田川寿美歌詞一覧 listen japan 公式HP 田川寿美のすべて
2008年01月12日
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白 山 へ ( 36) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (8)伊勢湾台風以来の豪雨に遭遇! 中村口での乗車は私一人だった。大きな岩は取り除かれたのかなかったが小さい石がまだ散乱していて、その石に乗るたびバスは小さく揺れた。《小学校の通学道もこんな道だったな》 変なことで故郷を思い出していると、地元の人らしい人が乗りこんできて、すぐに馴染みらしい運転手に話し掛け始めた。「昨日は凄かった」「凄いって言うものじゃなかった。伊勢湾台風以来ではないか」「なんでも、福井では雷が落ちて、亡くなった人がいるらしいよ」「運が悪いって言うか…気の毒な」「それだけ凄かったということだ」 「今日はバスは来ないと思ったよ」 「山から下りてくる人がいたらと、朝早くから人手だしてとりあえずの道を確保したから。お客さんがいてよかった」 「どこまで行きなさる」 再び訪れることはないだろうとの思いで車窓から白山方面を眺めていた私に、それまで運転手と話していた乗客が不意に私に聞いた。 「これから勝原駅にでて、荒島岳に登ります」 「それだったら、次のバス停で降りると登山道への近道がある」 慌てて前方を見ると、集落が近づいていて、その一角に小さい商店が目に入ってきた。 バス停のすぐ傍だった。 「ありがとう」 「気をつけて」 旅の途中の親切は嬉しいものだ。 商店で、ほとんど底をついた食糧を補給することができた。《これで安心して登ることができる》 林の中に延びる細い道を辿り、徐々に勾配が増してきたら、視界が開け、駅方面からの舗装道路に合流した。その行きつく先に、荒島岳の登山口になるスキー場がはっきりと確認できた。 ほっとしたら、急にお腹がすいてきた。今日の食糧と水筒と傘と地図の他はビニールに包んでデポして、腹ごしらえをした。 地図を見ると、登山道はスキー場からリフトに沿って高度を上げ、リフトの尽きたところから大きく左に曲線を描いていた。
2008年01月12日
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【LIFE 天国で君に逢えたら】8/25公開から4ヶ月余り経ちましたが、今度は新宿のシアターアプルで1/21~23日まで公演されます。前回観逃した人や、あの感動を再び!という人はぜひこの機会に!シアターアプル<BOOK> 天国で君に逢えたら 著者: 飯島夏樹 出版社: 新潮社 発行年月: 2004年07月 末期ガンで余命宣告を受けた世界的プロウィンドサーファーが綴る、美しく切ないラブストーリー。 ガン患者の心の叫びを手紙に起こす“手紙屋”を開いた精神科医・純一。陸サーファー、放蕩を尽くした眼科医など、今日も一癖ある面々が家族や恋人への手紙の依頼に訪れる。我がままな患者達に翻弄される日々、純一に届けられた手紙には、美しく壮絶な生きざまが綴られていた。生死の狭間で産み落とされた、奇跡のような物語。 <MOVIE>1991年、プロウィンドサーファーの飯島夏樹は、ワールドカップに出るため、妻の寛子と世界各国を転戦していた。家賃も払えず、公園に寝泊りするような、ドサ周りの日々だったが、献身的な妻寛子の支えで、オーストラリア大会で夏樹は見事優勝。晴れて結婚式を挙げ、4人の子宝にも恵まれた。それからも夏樹は世界中のレースに出場し、連勝を続けた。ある時、体の異変を感じた夏樹は、精密検査を受けた。検査の結果、肝細胞ガンであることがわかった…。LIFE 天国で君に会えたら公式HPGOO映画LIFE 天国で君に会えたらYAHOO映画LIFE 天国で君に会えたら主題歌:桑田佳祐 「風の詩を聴かせて」
2008年01月11日
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白 山 へ ( 35) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (7)豪雨 バス運休! その夜は予期したよりも格段の豪雨だった。夜中、頭上でこれまでに体験したこともないような雷音が轟き続けた。余りの雷音とテントを押しつぶす程の豪雨に宿への一時避難をと思ったが、これまでも登山中に三度の直撃台風に遭いながらも山小屋に避難したことがなかったので、辛うじて踏み留まった。 幕営続行と決めたら、雷音もテントを打ちつける雨音も、オーケストラの演奏のように心地よい響きであった。 翌朝、テントを撤収して宿の前のバス停に行ったら、張り紙があった。昨日確認した時は何もなかったのでその張り紙をみると、昨夜の豪雨でバス道が寸断され、駅から中村口までの降り返し運転になるとの注意書きだった。 地図で確認すると、鳩ケ湯から中村口までは三キロもあった。 宿にお礼を言って渓谷沿いの道に踏み出した途端、道の至るところに大きい岩が転がり落ちていた。《何ということだ。こんなに雨が凄かったのか。これではバスが運休するはずだ》 中村口までの道や渓谷や山肌の惨状は目をおおうほどであった。台風一過で、空は雲一つない青空であったが、私の心は暗く重たかった。
2008年01月11日
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今月26日封切られる吉永小百合主演 山田洋次監督の作品【母べえ】が、2/7~2/17 開かれるベルリン国際映画祭に出品されることが決まったという記事を朝日夕刊は配信した山田洋次監督作品がベルリン国際映画祭に出品されるのは4度目日本を代表する女優 吉永小百合が主演のこの作品期待が膨らみます <なにもなくても、母の手があった 悲しくても、母の胸があった>このキャッチコピーだけで涙が出てきます。母の顔が浮かんできます。母のぬくもりが想いだされます。きっと何回も観にいくでしょう!母の愛に触れたくて!母の胸に抱かれたくて!悲しくても、悲しくても母さえいれば、幸せだった貧しくても、貧しくても母さえいればなにもいらなかった母の牽くリヤカーで母の子守唄を聞きながら田んぼにいった薪拾いにいったもう、決して戻れない子供のころの自分を出逢うために
2008年01月10日
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白 山 へ ( 33) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (5)大雨洪水雷注意報 発令! 小池野営場までは沢に沿って歩いた。もう急ぐことはない。ほどなく管理棟に着いた。周辺は山奥には不釣合いな程に整備されていたが管理棟の内部は酷く汚れていた。そこからは渓谷を見下ろしながら車道を歩くことになる。桧谷にかかる滝を右に見る。打波川にかかる善五郎橋を過ぎ、今にも落ちそうなゴトゴト谷の橋を渡った。観音谷を右に見ながら暫く歩き、新しい鉄橋の三吉橋を過ぎると今日の幕営地、鳩ヶ湯に着いた。十一時五二分だった。 鳩ケ湯はたんどう谷が打波川に流れ込む出合地点にあり、三階建ての堂々として風格のある一軒宿だった。天候は好転せず、悪化の兆しがあったから、大雨や雷に備えて林の中の高台ににテントを設営し、早速風呂に入れてもらった。内湯は二階にあった。久しぶりの風呂だった。 湯に浸っていると念願の白山を登り終えたなんとも言えない充実感が沸いてきた。《来てよかった》 越えてきた山々、出迎えてくれた友、可憐な花々、乱舞する蜻蛉や蝶、そして野鳥のさえずり、沢のせせらぎ、流れゆく雲や風の香りまでもが想いだされてくる。 つい長湯になって、外に出ると雨が降っていた。宿の縁側に寝転んで、時計の針が止まったような時を過ごした。 そのうち雨が強く振り出したのでテントに戻り、携帯ラジオのスイッチを入れると、福井地方一帯に大雨洪水雷注意報が発令されていた。新たに発生した台風十一号が前線を刺激して、今夜はここ数日来の最大になる予感がした。
2008年01月10日
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白 山 へ ( 32) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (4)待望の日本海が見えた! 別れを告げて下山路に踏みだした。時計を確認すると六時三〇分だった。遠くでは雷が頻繁に鳴り続けていた。《いい青年達だった。いい青春いい人生が待っているといいな》 昨夜の先生と生徒の会話や、仕草を思い出しながら下っていると、すぐにお花畑になった。《ここら一帯は黒坊上平というところかしら、晴れてさえいれば、花を愛でながら歩ける素敵なところだろうに》 と思いながら足早に通り過ぎた。 小さなこぶをいくつか超え、剣が岩が近くになるころ願いが叶った。すーと霧が引いたのだ。友が霧の神を追い払ったのであろうかと思えるほどの急転であった。新劇でもこれほどの急転はめったに出会えない。待望の日本海が姿を見せた。 「見えた。見えた。日本海だ」 嬉しさのあまり、オクターブの高い声が自然に迸り出た。 《すごいよ。すごいよ》 その美しさに圧倒され、暫く立ち竦んだ。 友の顔が浮かんだ。 ≪この景色を友と見ろ事ができたなら、どんなにか素晴らしいだろう。 その友はもういない!もういないんだ!≫ どのくらい時間が経っただろうか。雷が近くで鳴り出した。《こんなところで死ぬわけにはいかない。僕は友の分までいきるんだ!》 稜線では危険が倍加する。足を速め、森林帯に駈け込んだ。森林帯は大丈夫だ。森が守ってくれる。息を整え、次の森まで走るように歩いた。二つ目のこぶを越えて下ると六本檜と呼ばれる分岐だった。雷に打たれ、焼け爛れた老檜があって、あまりいい気はしないが、ここまでくれば、稜線はもう無い。この先は人工植林の杉や、ブナが生い茂った原生林の森のなかを歩くだけだ。雷が頭上で鳴り始めたが、もう脅威ではなかった。 身繕いをして、一気に下った。沢の音が聞こえるとすぐに登山道入口の標識があった。沢に降り、靴やヤッケに付いた泥を落とした。すこしばかり晴れ間が覗いた。最後の林檎を頬張った。
2008年01月09日
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第8回「60歳のラブレター」応募しませんか今回で第8回を迎える住友信託銀行主催の「60歳のラブレター」で現在、原稿を募集中です!愛する人へ、あなたの想いを伝えてみませんか。住友信託銀行では、2007年も11月22日(いい夫婦の日)から2008年1月31日まで、人生のセカンドライフを応援する「60歳のラブレター」を募集いたします。今回で8回目を迎える「60歳のラブレター」は、人生の大半を連れ添った“夫から妻へ”“妻から夫へ”感謝の気持ちや今だから言える素直な気持ちを、はがき一枚に書き綴って応募していただくものです。是非とも奮ってご応募ください。応募資格応募者本人または配偶者が50歳以上の方(2008年1月31日現在で本人または配偶者が該当すること)。アマチュアに限る。ペンネームは不可。応募内容“夫から妻へ”“妻から夫へ”のラブレターこれまでを振り返りあらためて思う感謝の気持ち、今だから言える素直な一言など、パートナーに宛てた「60歳のラブレター」をはがき一枚に綴ってください。60歳のラブレター公式HP
2008年01月08日
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白 山 へ ( 31) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (3)未来は青年のもの! 食事の後片付けが終わると、夜は大急ぎでやってきた。高校生達は今日の風雨を突いての登山を語り合っていた。《若いってことはいい。希望がある、夢がある、勇気がある、ちょっとやそっとの失敗では挫けず、何かに挑戦しようと気概がある。時代がどんなに変わろうが、このことは何時の時代も変わらない》 嬉しくなって、風雨が激しく小屋を打つ音を子守唄にしながら眠りに就いた。 翌朝、学生達の食事の物音で目覚めた。外に出てみるとガスに包まれて何も見えない、白一色の世界だった。《雨は降っていない。風は弱まっている。だが前線はまだ停滞しているはずだ。温度が落ち着いている今のうちに下山すれば少なくとも森林帯に入るまでは持つかも知れない》小屋に戻り、急いで腹を満たした。《民家までは六時間はある。雨が降り,風が強ければ食事もできないだろう》 昨夜ささやかな宴を行ったので食料が乏しくなっていた。残っていた二食分の食料と、一日分の非常食を濡れないようにビニールに包んでザックに詰めこんだ。《事故に遭えば民家まで辿り着けない。この食料は命綱だ》 意を決して避難小屋を出た。学生達は白山に向けて出発の準備をしていたが、挨拶をしてくれた。 「無事を祈ります」 「いい山旅を」
2008年01月08日
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【篤姫】NHK大河ドラマ 前作の武田信玄に負ける!?【篤姫】の初回の視聴率が前作を下回ったとの報道がありました。僕は言いたい!主人公は一般の人には馴染みが薄いし、NHK大河の視聴者は年配層が多いので、史上最年少の主役宮崎あおいさんにとっては最初からハンデを背負ってのスタート!でも、僕は、【篤姫】に熱いエールを送りたい!視聴率なんか気にするな!小さくならないで、威風堂々 前へ!時代の先頭には、常に若者がいるのだから未来は若者のもの!夏ごろには、きっと賞賛の声が届けられるに違いない!フレー!フレー!篤姫!フレー!フレー!あおい!(1月6日 ブログより)【篤姫】NHK大河ドラマ 開始!NHK大河ドラマ史上最も若い宮崎あおいさんが主役を演じる【篤姫】が本日スタートしました。オープニングは原作者宮尾登美子と主人公が女性であることを意識したすてきなデザインで、好感が持てました。脇役には重厚な布陣、女優陣も華やかです。第1回は期待以上の出来でした。篤姫の生まれた里は薩摩の指宿。私にとっては、懐かしく思い出される場所です。開聞岳のある風景は、青春の一シーンだけでなく、その後の人生の1シーンとして私のこころに、今も熱く語りかけてきます。今、連載中の【白山へ】は、この生地の友への鎮魂の紀行なのですから!これから1年間、日曜の夜はこのドラマを期待をもって見守っていきます。篤姫NHK鹿児島放送局公式HPNHK篤姫公式HP
2008年01月07日
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国会図書館の本 全国で閲覧可能に!日経夕刊(2008.01.07付)は<貴重な名著をいつでもどこでも読めるように‥3000万冊を超える国会図書館の蔵書をデジタル化して全国で閲覧可能にするための法改正に着手>という記事を配信しました。2009年の通常国会での法改正を目指すとのこと!吉報です!これが実現すれば、国会図書館の膨大な蔵書、06年年度現在で3364万点の閲覧が、全国で、どこにいても、いつでも、閲覧できます!日本の文化向上に資することは確実です!!一日も早い法改正を!のいちご文学館は賛同します!国立国会図書館公式HP
2008年01月07日
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白 山 へ ( 30) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (2)高校生と同宿 雑記帳に書きとめながら、友と出逢ったころのことを思い出していた。 一六時頃、大阪の高校生グループが到着した。びっしょりに濡れていた。着替えで一気に賑やかになった。ホッと一息着いた頃、先生らしい一人が到着するなり怒鳴った。 「水は汲んだのか」 「まだです」 「着替えていたらまた濡れるだろ。水場は坂の下だぞ」 高校生は、緊張した面持ちで、大急ぎで着替えた服を脱いで濡れた服に着替えた。「気をつけて行け」「はい」 上ずった緊張した声が小屋に残った。 その場の雰囲気を和らげようとその先生に声を掛けた。「どこから来ました」「石徹白道を登ってきました。明日は中宮温泉に向かう予定です」 「毎年白山には来るんですか」 「ええ、今年で白山のルートは全部登ってしまいます」 話しながら、その頃には笑顔になっていた。 「でも今日の雨は凄い。明日もだめかもしれない。そのときは中宮温泉への下山は諦めて、市の瀬に下りることになるでしょう。なにしろ大切な子供達ですから」 水汲みに行った高校生がびしょ濡れで帰ってくると、着替えや炊事の準備で大声が飛び交い戦場のようになった。 「今日は賑やかでいいね」 同宿の年配の人と私は同時に発した。《息子と同じ高校生、それが何人もいる。この年代の子供達が何を考え、何に感動し、どんな将来を描いているのか、今日は聞けるかもしれない》 さっきの緊張感はすっかりどこかに飛んでいったきりで、皆てきぱきと役割を果たしていた。食事の片付けで外に出ると、風は相変わらず強かったが雨は止んでいた。ひょっとしたら、と急いで水場の方に行き、見上げると別山がその大きな山容を見せていた。それも長くは続かず、雨が再び降り出すと姿が見えなくなってしまった。
2008年01月07日
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【篤姫】NHK大河ドラマ 開始!NHK大河ドラマ史上最も若い宮崎あおいさんが主役を演じる【篤姫】が本日スタートしました。オープニングは原作者宮尾登美子と主人公が女性であることを意識したすてきなデザインで、好感が持てました。脇役には重厚な布陣、女優陣も華やかです。第1回は期待以上の出来でした。篤姫の生まれた里は薩摩の指宿。私にとっては、懐かしく思い出される場所です。開聞岳のある風景は、青春の一シーンだけでなく、その後の人生の1シーンとして私のこころに、今も熱く語りかけてきます。今、連載中の【白山へ】は、この生地の友への鎮魂の紀行なのですから!これから1年間、日曜の夜はこのドラマを期待をもって見守っていきます。篤姫NHK鹿児島放送局公式HPNHK篤姫公式HP
2008年01月06日
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白 山 へ ( 29) 母衣崎健吾 第5章 友よ、君の分まで僕は生きる! (1)台風直撃か!初体験 停滞 翌日、目が覚めるとものすごい風と雨で、早々と停滞を決めた。ラジオは大雨、洪水、雷注意報を繰り返し告げていた。台風十一号も気になるところだ。 しかし、私のとっては初めての停滞だ。これまで台風にも、集中豪雨にも何度か遭遇したが、その時にも停滞しなかった。今回は余分に休暇がある。危険を冒してまで、風雨を突いて下山することもあるまい。それに食料もまだある。 ハチミツを溶かしたお湯を飲むと体中に元気がみなぎってきた。 小屋の隅に雑記帳が置いてあった。その分厚い雑記帳を広げると、びっしりと字が書き込まれていた。《どんな思いでこの山に登ってくるのだろう》 と興味深く捲っていった。 事前に地図で下山道を探したときには、三の峰は白山、別山からの稜線上の一峰との印象だった。 しかしその雑記帳には、この山だけを目指して登ってきた人達がこの山への思いを書き綴っていて驚いた。 改めて地図を広げてみた。たしかに飛騨側の石徹白から延びている南縦走路、越前側の鳩ケ湯からの鳩ケ湯新道の他にも加賀側三ツ谷を経ての登ってくるコースや越前勝山から法恩寺山、赤兎山を経てくるコースなどがこの三ツ峰に通じていた。後日、麓の刈込湖からの写真の載っているパンフレットを見せてもらったら、扇を逆さに目いっぱい広げたような稜線を有していて、堂々たる山容であった。 この風雨では、今日は外に出ることもできない、一日を掛けてこれまでのことを振り返ってみるか、と決めて雑記帳に向き合った。するとこの数十年間の出来事が次々に蘇ってきた。 嬉しいことがたくさんあった。山にも随分登った。山を通じて友もできた。一人前に人を好きになり、恋もした。悲しいこともいっぱいあった。大切な母が、そして友が遠いところに逝った。
2008年01月06日
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【世界の中心で愛を叫ぶ】長澤まさみ主演1月3日 TVで【世界の中心で愛を叫ぶ】映画版が放送された。映画公開のあと、綾瀬はるか主演でTVドラマ化され好評だった作品。改めて観てみると、長澤まさみの演技が初々しく、交換がもてる。暴力もの、SF的なものが幅をきかせていた映画界に、こういう映画もあるんだよという、かってよく観た純愛路線を再び銀幕に呼び戻した記念碑的な作品としての価値がある。この映画公開から、多くのこの流れの作品が登場するようになったという一点でも、価値がある作品だと思う。【世界の中心で、愛をさけぶ スタンダードエディション】 ジャンル DVD 【恋愛】 公開 2004年 ある日、朔太郎(大沢たかお)の婚約者・律子が突然書置きを残して失踪した。彼女の行き先が四国である事を知った朔太郎は、後を追いかける。四国は朔太郎の故郷でもあり、高校時代の初恋の思い出が眠る場所でもあった…。 片山恭一の大ベストセラー純愛小説を『GO』の行定勲監督のメガホンで映画化し大ヒットを記録した作品。ドラマの中心となるのは、高校2年の朔太郎(森山未来)と同級生アキ(長澤まさみ)との初々しくも哀しい初恋。監督:行定勲 原作者:片山恭一 出演者:大沢たかお 、柴咲コウ 、長澤まさみ 、森山未來 、山崎努 、天海祐希 、杉本哲太 (12月16日のブログから)【そのときは彼によろしく】長澤まさみ主演今年6月2日から公開された映画【そのときは彼によろしく】を今月6日新宿のシアターアプルで観ました。6ヶ月前に観たときよりも、感動しました。新宿の街がそうしたのかもしれません。2日間興行の最終日のラストはほぼ満員状態係りの人が空いてる席を探して案内するほど混雑していました新宿独特の女性たちがたくさんいたけど、あちらこちらですすり泣きの声が漏れてきました見かけや格好ではないのです一番大切なことは心の奥にある大切なものに届くか届かないか響くか響かないかきっと届いたんでしょう彼女たちは本当は純な心の持ち主なんですそんまま帰るのがもったいなくて懐かしい新宿の街を久しぶりに散歩しましたあー、あそこは歌声喫茶のあった店だあー、あそこは友が結婚したビルだあそこ付近はは、夜行列車で山に行くとき食事をしていたところだ、とそれは懐かしい新宿の空気を吸うことができ、いい映画に再び再会でき、二重に嬉しい日になりました(12月5日 ブログより)【そのときは彼によろしく】 著者: 市川拓司 出版社: 小学館 発行年月: 2004年11月 そのときは彼によろしく公式HPTBS映画そのときは彼によろしくYAHOO映画そのときは彼によろしく
2008年01月05日
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白 山 へ ( 28) 母衣崎健吾 第4章 (7)三の峰避難小屋 しばらく感激に浸っていると三の峰の避難小屋から来たという私よりも年配の男性が登ってきた。カメラ一つしか持っていない。 「どこから来たのですか」 「三の峰の避難小屋からです。別山まで行って、花の写真を撮ってきます」 私の怪訝そうな顔を見て取ったのか、荷物は小屋において来ました、と付け加えた。 「それじゃ、また小屋で」 と言って別れた。 そこから三〇分程緩やかに下ると、三の峰との鞍部に着いた。この辺まで下るとさすがに笹の道になる。笹はきれいに下刈りされていたが、草息がする。規模は小さいがまだ斜面の下部にはお花畑があった。 そこからは笹原の急登で、その上、陽が照って暑い。我慢して登りきると三の峰の山頂だった。 山頂は笹に覆われていて展望はない。道標が立っていて、南竜七・六キロ、室堂九・五キロ、下小池六・八キロと記されていた。 笹原を下るとすぐに赤い屋根の非難小屋が見えてくる。一二時三四分、ほぼ予定通りに小屋に着いた。足も痛くない。 小屋は周りをトタンで覆っていて、冬の風雪にも耐えられる頑丈な造りだった。小屋の前にはケルンが積まれていて、そこから先は広いお花畑になっていた。ゆっくり花と対面した。 僅かに陽が差してきたので濡れた衣類を広げて干した。携帯した水が少ないので、ヤキソバの水を少なめにしたら半煮えだったが、明日の水も残さなければ、と我慢して食べた。 小屋に入ると奥のほうに、途中で会った年配の人の荷物が広げられていたので、入口の近くに荷を降ろした。ここからも別山が見えるはずと石徹白道の方に下りてみたが見えなかった。石徹白道は南縦走路と呼ばれ、かっての禅定道だ。分岐付近は道がかなり抉られている。 十五時頃先程会った年配の人が戻ってきた。夕食の準備をしながら、せめて雨水があれば、と嘆いていたら、その人が、すぐ下の雪渓から水が得られるよ、と教えてくれた。地図には水場の表示はない。 「本当ですか」 「昨日、一昨日とそこで汲んできた。少し砂が入るが大丈夫だ」 予想もしていないことだったので、とても嬉しかった。今日は水を節約しながらの旅だった。 早速鍋に残りの水を移し、水筒を空にした。教えてもらった通り石徹白道を少し下ったところで、谷に向かって踏み跡のある急坂を、足元を注意しながら下り切ると、雪渓の裾から水が流れ出ていた。コップで掬い取り、ゴクゴク飲んだ。 「おいしい」 我慢していた分、おいしさは格別だった。 目いっぱい水筒に水を入れて小屋に戻りかけると、ものすごい雨が降ってきた。衣服はすぐにびっしょりに濡れたが、それでも水を得た喜びの方が大きかった。 「これで明日も頑張れる」 足も軽くなったようだ。一気に急坂を登って小屋に入った。 「水、ありました」 「よかったね」 この広い小屋に二人だけだ。 この雨では今日はもう降り止まない、と決め込んで食事の準備に取り掛かった。 「何日もここに」 「ああ、写真を撮りに登ってきたんだが、天気がよくなくてね、ここは三日目だ」 一人で淋しかったのか、喋る相手を見つけて話を始めたら止まらないらしく次々と話をしてくれた。「今日は君が居てくれるから心強いよ」「いえ、こちらこそ。水をどうしようか、とずっと心配していたんです。水が足りなくなれば餅や果物など火を使わないもので凌ごう、と覚悟していたので本当に助かりました」 食事をする頃になっても一向に火を使う様子がない。「燃料でも切れたのですか。ガスだったら予備がありますけど」「カメラが好きで、何台も持ってきたので燃料や炊事道具は節約して持ってこなかったんだよ。ずっと火は使っていない。冷たいものばかりたべているから体調が悪いよ」 自分の食料は、まだ余裕がある。餅を入れた味噌汁を提供すると、久しぶりに暖かいものを食べる、と喜んでくれた。 天気予報を聞くと、前線が南下するので雨とのことだった。日本海に停滞していた前線はこの山行に来る前からぐずぐずとあった。これが南下すれば大雨は免れない。≪明日は雨か 十五時頃先程会った年配の人が戻ってきた。夕食の準備をしながら、せめて雨水があれば、と嘆いていたら、その人が、すぐ下の雪渓から水が得られるよ、と教えてくれた。地図には水場の表示はない。 「本当ですか」 「昨日、一昨日とそこで汲んできた。少し砂が入るが大丈夫だ」 予想もしていないことだったので、とても嬉しかった。今日は水を節約しながらの旅だった。 早速鍋に残りの水を移し、水筒を空にした。教えてもらった通り石徹白道を少し下ったところで、谷に向かって踏み跡のある急坂を、足元を注意しながら下り切ると、雪渓の裾から水が流れ出ていた。コップで掬い取り、ゴクゴク飲んだ。 「おいしい」 我慢していた分、おいしさは格別だった。 目いっぱい水筒に水を入れて小屋に戻りかけると、ものすごい雨が降ってきた。衣服はすぐにびっしょりに濡れたが、それでも水を得た喜びの方が大きかった。 「これで明日も頑張れる」 足も軽くなったようだ。一気に急坂を登って小屋に入った。 「水、ありました」 「よかったね」 この広い小屋に二人だけだ。 この雨では今日はもう降り止まない、と決め込んで食事の準備に取り掛かった。 「何日もここに」 「ああ、写真を撮りに登ってきたんだが、天気がよくなくてね、ここは三日目だ」 一人で淋しかったのか、喋る相手を見つけて話を始めたら止まらないらしく次々と話をしてくれた。「今日は君が居てくれるから心強いよ」「いえ、こちらこそ。水をどうしようか、とずっと心配していたんです。水が足りなくなれば餅や果物など火を使わないもので凌ごう、と覚悟していたので本当に助かりました」 食事をする頃になっても一向に火を使う様子がない。「燃料でも切れたのですか。ガスだったら予備がありますけど」「カメラが好きで、何台も持ってきたので燃料や炊事道具は節約して持ってこなかったんだよ。ずっと火は使っていない。冷たいものばかりたべているから体調が悪いよ」 自分の食料は、まだ余裕がある。餅を入れた味噌汁を提供すると、久しぶりに暖かいものを食べる、と喜んでくれた。 天気予報を聞くと、前線が南下するので雨とのことだった。日本海に停滞していた前線はこの山行に来る前からぐずぐずとあった。これが南下すれば大雨は免れない。≪明日は雨か≫とつぶやいて眠りに就いた。風雨が強くても今日は堅牢な造りの小屋だから、と安心だった。
2008年01月05日
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ZARD 坂井泉水 NHK紅白に復活!今年の大晦日、NHK紅白歌合戦の1部・2部の間にZARD 坂井泉水が復活!!一緒に歌えたよ!涙がとまらなかっよ!【負けないで】あなたがくれたあなたが残してくれたメッセージ!こころの深いところまで入ってきたよ!僕は負けない!僕らは負けない!あなたの歌声があなたの詩が僕を僕らを励ましてくれるから!さよならは言いませんあなたの残した歌は僕に僕らにあなたが生きていたことをそして今もなお伝わっているから!坂井泉水 永遠に生きる!(12月15日 ブログから)ZARD 坂井泉水 NHK紅白に復活!31日夜NHK大阪ホールで坂井さん未公開映像によるフィルムコンサートを開き紅白歌合戦で中継するとNHKが発表大晦日はすてきな素敵な夜になりそうです今から、もう涙がでてきそうです(8/25のブログから) ZARD/坂井泉水さんへもっともっと生きていたかったでしょうもっともっと歌いたかったでしょうもっともっと詩を綴りたかったでしょうあなたの歌声があなたの詩があなたの言の葉がこころ震わせこころを揺さぶりこころに染みた あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けてマイフレンドであなたが歌った光景は青春そのものもっともっと生きていたかったでしょうもっともっと歌いたかったでしょうもっともっと詩を綴りたかったでしょうあなたの歌声があなたの詩があなたの言の葉が生きる力を生きる勇気を生きる希望を あなたがそばにいると 何故か素直になれた この距離通り抜ける 風になりたいマイフレンドであなたが歌った光景に青春が見えたみんなのこころに刻まれてみんなのこころに歌い継がれみんなのこころに生きていますZARD・坂井泉水さん公式HP歌詞一覧
2008年01月04日
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白 山 へ ( 27) 母衣崎健吾 第4章 (6)別山山頂 一〇分程で神社のある山頂に着いた。山頂部は小石が露出しているが、周りはハイマツに覆われていた。神社の石積みで風を避けて梨と林檎を食べた。ガスに包まれて一人ぼっちの山頂だったが、心は満ち足りていた。《永い間心の片隅にあった別山、そこに今立っている》 楽しみにしていた白山連峰の大展望はガスに阻まれ全然見えないけれど、石川県側の谷越しに、弥陀ヶ原の奥に白山の峰々が鎮座しているはずだ。《今日は僕が山頂にいるから恥ずかしいのだろう》 別山の頂を踏んだことで永年の想いは達成されたのだ。素直な私がそこにいた。 別山神社で、山旅の幸運と、家族の健康と、先に逝った父や母、友の冥福を心ゆくまで祈願した。私だけのために神様が待っていてくれたような気がした。 充分な休憩を取って、三の峰に向かって急坂を下りた。 一〇分程で鞍部に着いた。そこからは低いハイマツの道で、小さい上下降を繰り返していたら、緑の草原にポツンと池が一つ見えてきた。御手洗池と名づけられた可愛らしい池だ。晴れていれば別山の姿を水面に映すのであろうか。数分で池の傍を通った。一帯は別山平と呼ばれ、大草原だった。尾瀬を思い出させてくれる程の広がりで、ニッコウキスゲが咲き誇っていた。こんな山上にこんな大草原があるなんてなんて素敵なんだろう。 そこからは草原の中に付けられた快適な道で、ゆるやかな下りになっていた。こんな素敵な道はゆっくり歩くに限る。 いつのまにかガスが飛び、晴れ間が見えた。先ほどの神社への祈願が実ったのだろう。三の峰へのルートがはっきり見えた。足元の谷に向かう斜面にはお花畑が広がっていた。《人が余り通らないこんなところにも花が咲いている、精一杯咲いている。》 涙が出るほど嬉しかった
2008年01月04日
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創刊から22年 『のいちご』 新年の願い『のいちご』一号の発行から21年が経ちました。“ 常に自分らしく” 『のいちご』が提唱したメッセージは今なお新鮮です。いや、混迷する世相だからこそ、『のいちご』のメッセージはますます凛として私たちの胸に迫ってきます。 親殺し、子殺し、無差別殺人、銃乱射、いじめ、暴力、偽装、虚偽‥‥、悲しい、おぞましい事件が続き、心が痛みます。 世界に目を転じみますと、民族対立、戦争、抑圧、貧困、飢餓、環境破壊、自然災害‥‥、人間の強欲な所作や無力さに心が凍ります。 今、改めて『のいちご』創刊の頃を思い出しますと、希望に満ちていました。子供たちに心を届けたい!子供たちの行く道に明かりを灯したい!そして、僕らの歩いていくこれからを、どうやって歩いてきたかを伝えたい!その一念で、『のいちご』を創刊しました。パソコンもワープロもない時代、全てを手作りしました。徹夜でガリ版を起こし、完成と思った矢先に、せっかく苦労して作ったガリ版原紙が破けたこともありました。 それでも、頑張れたのは、その熱い想いがあったればこそでした。≪発 刊 の 言 葉 に か え て≫ <世はまさに出版ブームであり、電車には次々と創刊号なる雑誌の広告が吊られ、店頭には毎日のように雑多な新刊本が所狭しとばかりに並べられ、いかにも出版文化が隆盛を誇っているかのようにみえます。 しかし、それらは私達の精神生活を潤しているでしょうか。私達ははっきり否と断言できます。性を商品化し、暴力を肯定して何等恥じることのないジャーナリストや物書人。 当然、彼らの作品には人間の尊厳がみじんも描かれていません。そのような作品では、どんなに巨額の宣伝費を使っても、高価に見える装丁を施しても、どんなに文章が達者で、すばらしい言葉を行間にちりばめても、人間の心を感動させることはできないのです。 私達は、私達自身の作品を持たなければなりません。それは可能なことなのです。日常生活のいたるところに真理や真実が存在するからです。すこしでもそれらと共にある人々には、思索し、創造する喜びが満ち溢れてくるからです。 私達は、人間の尊厳に立脚している限り、文章が未熟であっても、それは文芸作品であることを信じます。そこには、人間の悲しみ、人間の喜び、人間としての勇気、人間らしく生きる誇りが描かれているからです。 私達は私達の道を歩きましょう。私達にしかできない文芸作品を作りだしましょう。私達が、今、ここに生きていることを証明するためにも、人間のありのままの素晴らしい姿を描きだそうではありませんか。1986・04・27 創刊よびかけ文より > 又、創刊から9年後の1995年元旦に発表した第2次のいちご宣言!には次の文書が添えられています。 <今からみれば、思い上がりのような言葉が見うけられますが、文学状況においては何等変わっていないと言えるのではないでしょうか。 今年は、戦後50年。それぞれが、これまでの自分自身の歩いて来た道に、それぞれの思いを重ねあわせて振り返るには、またとない記念する年でありましょう。 『のいちご』創刊号には「私達は、私達自身の作品を持たなければなりません。それは可能なことなのです。日常生活のいたるところに真理や真実が存在するからです。すこしでもそれらと共にある人々には、思索し、創造する喜びが満ち溢れてくるからです。 私達は、人間の尊厳に立脚している限り、文章が未熟であっても、それは文芸作品であることを信じます。そこには、人間の悲しみ、人間の喜び、人間としての勇気、人間らしく生きる誇りが描かれているからです。」とのメッセージが掲載されています。 今こそ、自分の言葉で、自分の心のままを表現することが最も求められているのではないでしょうか。多くの方々が再刊号に作品を出品して下さることを願ってやみません。 1995年1月1日 第2次のいちご宣言より > 創刊から20年を期して構想した20周年の記念事業で、昨年5月【のいちご文学館】を創設し、『のいちご』は新たな歩みを始めました。“自分自身の歩いてきた道にそれぞれの想いを重ねあわせ、人間の悲しみ、人間の喜び、人間としての勇気、人間らしく生きる誇り”を今こそ自分の心のままに綴って、成長した子供たち、そして、その子供たちが新たな生命・いのちを生み出すその子供たちに、あの熱い思いを!愛とロマンを!人間として最も大切なこころの奥に伝えたい! そのことが、やがて大きな潮流となり、賢治が残した≪世界中の子供たちが幸せにならなければ ほんとうのしあわせはない≫とのメッセージに答える一助になることではないでしょうか。 一昨年、20周年事業のもうひとつの柱・記念出版で得た基金全額をユニセフに寄贈しました。すこしでも世界中の子供たちの病気を治す薬や教育のお役のたてばと思います。 昨年は、ユネスコの呼びかけに応え支援ハガキを購入しました。又、三浦綾子文学記念館の募金への呼びかけを行いました。 今年も『のいちご』【のいちご文学館】が、すこしでも世界中の子供たちの、また、文学を愛する人たちに、『のいちご』のこころが届きますように! そして、いい作品に巡り愛ますように! なによりも、読者の皆様のこの1年が最良・最高の年でありますように! 2008.1.1 館長
2008年01月03日
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年頭詩信 じ て ご ら ん 作詞 母衣崎 健吾 作詞 一乗谷 優信じてごらん君の瞳に話しかけてくれる友がいることを信じてごらん君のこころに喜び伝えてくれる仲間がいることを休めてごらん傷ついた翼を一人じゃないよ悲しんでいるのは飛び込んでごらん僕の胸にきっと言うよ生きるんだって淋しいときには歌ってくれる悲しいときには励ましてくれる友がいるよ仲間がいるよ信じてごらん君の瞳に話しかけてくれる友がいることを信じてごらん君のこころに喜び伝えてくれる仲間がいることを
2008年01月02日
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2008年01月01日
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