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今日は、11月の最後の日です。ということは、明日から12月です。最近は、街のクリスマスへの盛り上げ開始が前倒しになっているのですが、私は、やっぱり12月に入らないと、「もうすぐクリスマス」という気分にはなりません。明日からは、有線放送でかかる音楽がクリスマスバージョンになります。今夜から、家の飾りつけのために、電飾関係のものを引っ張り出し、セットし出そうと思います。子供が小さな時は、小さなクリスマスツリーを室内に飾っていましたが、小学校高学年になると、もうお蔵入りになってしまいました。数年前、通勤で通る道にある家が、クリスマスイルミネーションで飾られるようになりました。そして、1軒、また1軒と増えていきました。今では、たった5分の通勤の間に、3軒の常連さんがいます。阪神大震災があり、翌年から市内で追悼ろうそくが始まり、神戸でも追悼のイルミネーション、ルミナリエが始まりました。暗い夜に、思いっきり明るい光の飾りつけは、心をウキウキさせました。それが、ごく普通の家に飛び火して、クリスマスイルミネーションとくっついたような感じです。特別な何かを持っていない、ごく普通の人が、あの震災から学んで、自分だけじゃなく近所のみんなと一緒に歩き出した感じがしました。あの時は、ライフラインがみんな止まり、遠くまで水汲みに行きました。もっとひどい親戚の住む町に行き、家を失って被災してるのに、親戚のおばあさんを家から助け出してくれ、体育館で世話を焼いていてくれました。初日なのに、体育館の避難者名簿が出来ていて、学生さんなどの若い人が、忙しく立ち回っている姿を見て、「今の若いもんは・・・」なんて思ってた自分が恥ずかしくなりました。「この子らの方がよっぽどすごいじゃん」家族に相談して、親戚のおばあさんを家に連れて帰ることになり、そのことを話すと、いつも通っている教会の信者さんの家に行くことが決まっていました。その体育館に毎日カイロを1箱ずつ運び、おばあさんの周りの人に配りました。あの時は、それがごく普通にできる雰囲気でした。あの時の気持ちが、このクリスマスイルミネーションに宿っていると感じます。12月に入ると、それらの常連さんの家に一気に火が入ります。最初にはじめた家は、毎年バージョンアップして、一昨年は1週間ほどかけて飾り付けされていました。12月1日になると、スイッチが入り、通勤途中で車を止めて、見入ってしまいます。私以外にも、パラパラと来られて、写真を写したりしています。そのとき、思ったんですよね。ここの家の人は、どれだけたくさんの人に、幸せを配っているのだろうと。そこで私も、5年ほど前から真似することを始めました。交通量の多い道路に面しているわけではないけど、ハチドリの一滴じゃないけど、自分にできることをやればいいんですよね。最初クリスマス用の屋外電飾コードを買ってきて、ベランダに巻きました。次は、スノーマンの電飾を玄関に飾りました。クリスマスツリーをベランダに置いて、それに電飾飾りを巻きました。電源を室内から取るので、防犯対策をしないと行けません。始めた年は、夕方一旦自宅に戻って電源を入れ、再び仕事に行くようにしましたが、翌年からは、お料理用のタイマーを元コードに繋ぎ、朝タイマーをセットして出かけるようにしました。家族は誰も手伝ってくれず・・・というか、十分1人でできるので、親父の楽しみを取っちゃ悪いなという感じでいます。これをやりだして、人を楽しませようと始めたけど、作業をしている自分の方がよっぽど楽しいことに気づきました。昨年は、夜、チャカチャカ音を立ててベランダに電球を巻くので、数軒向こうの家の子が窓を開けて見ていました。少しすると、お母さんを呼びに行ったみたいで、大人の顔が出てきました。それから、サンタさんのいろいろを紹介するHPを立ち上げました。小さな甥や姪、その子供へのクリスマスプレゼントに、絵本を贈るようになりました。いつも私が選んでいます。その候補を選ぶために、毎年11月は、数冊の子供向けや幼児向けの本を読みます。これも、楽しい作業で、絵本作家さんというのは、小さな子にも理解できる少しの簡単な言葉と絵で、ピュアな心を伝える物語を作る、これってすごいなあと思うようになりました。世界一有名なおじさん、サンタクロースに変身できる月です。年に1回しかないこんなチャンスを逃しちゃ、もったいないです。明日は、小学生から大人まで読んで楽しめる本を1冊、紹介しようと思います。
2006/11/30
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(昨日の続きです)次男は、前半2日間の強風で成績は奮いませんでしたが、後半の2日は、得意の軽風までは風が落ちなかったけど、大分風が落ちたそうで、もっと前を走れたと、悔しそうでした。1レースだけダントツで最初のマークを回ったそうです。3番マークまではトップだったそうですが、次の風上に向かうコースで、違うコースを選択した数艇に抜かれてしまったそうです。前の全日本でも、こういう状況があり、つぼにはまれば、ドーンといっちゃう非凡なものを持っています。楽しい経験が出来たね。2艇のクルーは両方とも1回生なので、彼らは大きなお土産が出来たと思います。帰りの準備をしていていろんな方に会いました。ジュニアヨットクラブのお子さんの練習に来ていたKさん、お子さんがこの大会に出場しているSさんやKWさん。Sさん、KWさんは、年取らないね。相変わらずお綺麗でした。レーサーでは、次男の高校ヨット部の先輩M君、今回2番でした。次男と同じジュニアクラブの同級生のWちゃんは、女子優勝でした。私の母校ヨット部の後輩、I君・S君・・・。船の積み込みをしていると、息子の大学ヨット部OBのKさんが来られました。横浜在住と言うことですので、近いのですが、OB会のワッペンをつけたジャケットで来られました。最初船のところで息子としゃべっておられたようで、「お父さん、OBさんが来られて、閉会式後に一緒に食事どうかな、って誘ってもらったんやけど、待っててくれる?」そりゃ、もちろんです。伝統あるクラブというのは、多くの先輩方の努力があってこそ。父親の私が生まれた頃の卒業生だそうで、ありがたいことです。「いつも息子がお世話になっています。わざわざ、ありがとうございます」と、挨拶に行くと、今年のOB総会で東京に来た時、ご一緒だった方でした。私までご馳走になっちゃいました。「横文字(時間内にフィニッシュできずに着順なし)がずらりで・・・、速報をOB会に流すことになってるけど、いいか?」とキャプテンに笑顔で言っておられます。最近、一時の低迷を脱して、全日本に出るようになって、レベルあがってるなと、成績は別にして、後輩の雄姿を大きな大会で見れるのが嬉しそうです。その気持ち、とてもよく分かります。帰りの車で、助手席に座っている息子と、いろいろ話しました。伝統のある体育会のクラブって、こういうのが面々と続いているのがいいね。いいクラブにお世話になってるよね。息子からは、ジュニアの時の1年下のI君がどんどんうまくなってるなあ。もう2強と肩を並べるぐらいになってる。昨年、トップスピードが遅い学連艇で、ナショナルチームに入ったのはすごいわ。I君はほんとにすごいけど、息子君だって、2年前の選考会では、最終日まで7位だったから、最終日も吹かなかったら、入っていたかも、すごいよ。強風がなければという限定かもしれないけど、ほんまにヨット上手になったと思います。今大会は、結局トップ10全員が、ジュニア出身レーサーでした。月曜日の朝4時過ぎに琵琶湖の艇庫に着き、朝6時半に自宅に戻りました。とうとう24時間、一睡も出来ずでした。1週間前からの睡眠管理もあり、往路・復路とも1人で運転できました。何とか、選手である息子の疲れを少しでも和らげることができ、我ながらがんばりました。今週は、十分睡眠をとって、この無理を取り戻さないとね。
2006/11/28
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日曜日は、朝一に起きて、近所の駅まで原付を走らせました。江ノ島でやってる470全日本に次男が出場しているので、その船の運搬のためです。東京に住んでいた時は、何度か電車で江ノ島に行きましたが、大阪から江ノ島まで電車で行ったのは初めてかもしれません。新幹線のぞみで品川まで出て、東海道線を名古屋の方に数駅バックして藤沢駅に着きます。ここからは、小田急か江ノ島電鉄に乗り換えて、江ノ島で下りたら、あとは徒歩です。往路は、小田急を利用したので、日曜日は江ノ電にしました。東京勤務時代に乗った江ノ電は、もった左右に揺れて、線路脇の家がもっと迫っていた印象でしたが、安全面の向上か?乗り心地も良くなっていました。ちょうど、お揃いのワッペンを貼り、同じパンフレットを持ったウォークラリーの集団さんと一緒になりました。自治体とかが募集したものか、リーダーらしき人が皆さんを束ねている風ではなく、馴染みの数人同士がおしゃべりしながら乗っています。そのお子さんが、1両目の運転席の後に陣取って、運転手さんの動きと前の景色を見ています。本当は私がその場所で見たかったのですが、かき分けて行くことも出来ず、一番前のドア脇に立って、前方を見ていました。カーブが多く、とても急なので、すぐにブレーキを入れ、できるだけ揺れないように運転していました。途中の無人駅では、ポツンと券売機があるだけで、買わずに道からホームに上がり、電車に乗り込む方もいます。運転手さんが、外に出て、切符を受け取っています。なんか、ほんわかしていい電車です。往路に利用した小田急は、もっとスマートですが、なんか江ノ電の方に惹かれます。江ノ電を選択して正解でした。江ノ島駅を降り、懐かしい風景を左右に見ながら海まで歩きます。サーフショップ、ウェットスーツでボードを脇に抱えたお兄さん、古着屋さん、喫茶店、今でも需要があるのだろうか下駄屋さん・・・もちろんおみやげ物屋さんも・・・江ノ島の砂洲の上にかかる橋を渡りながら、キスを狙っているのか?投げ釣りのおじさん。ここには、日本で一番大きなジュニアヨットクラブがあり、その練習が遠目に見えます。クルーザーが1艇、セールアップして、沖に向かっています。土産物屋を覗き、得意の岩のりを1ビン買ってしまいました。海沿いの観光地で、岩のりを買うのは趣味みたいなものです。いつの間にか、食べちゃいます。江ノ島観音に上がる道を上がりながら、左右のお店を覗きます。孫の手・杖・・・行楽地の定番だなあ。ハーバーに向かい、2Fの大会事務局に上がりました。トレーラーを点検すると、ラックをやり変えた方が良さそうです。駐車場の土手に上がり、レース海面を見ると、思いっきり遠くにいるようです。双眼鏡で、とか言う距離ではありません。水平線に白いかすみがかかっているようにしか見えません。車で寝ているつもりでしたが、ラックの底上げの板を買いに行かなければなりません。ハーバー事務所でホームセンターの場所を聞くと、詳しく丁寧に教えてくれました。無事買って戻ってくると、駐車場が満車です。前から4台目ぐらいになって満車になったようで、出る車がないと入れません。それでも、後にどんどん並びます。まだましな方です。やっとこ車を置いて、材木を抱えてトレーラーに戻り、ラックを固縛しているシートを外し、材木をかまそうとしたら、どうやら1人でやるのは無理そうです。ちょうど、そういうタイミングでレース艇がハーバーに上がってきました。次男達を捜しに行くと、船に水をかけている所でした。今回は、初日からの強風で、振るわなかったそうですが、2年前の和歌山でのワールド選考会の最終日に吹かれて、他艇に置いていかれた頃に比べると、随分ましになったようです。沈(ひっくり返る)するかも?という場面はなかったようです。そういう意味では、余裕があったけど、他艇を見てレースコースを考えるほど余裕はなく、ただ走っていただけだったそうです。風の弱い琵琶湖では、強風のレベルが低く、沈艇続出でレース中止になる状況で、2日間レースできたことで、うまくなったと感じれたそうです。学生枠で出場した後輩のK君の艇の方は、数え切れないほど沈したそうです。いい練習になったね。これを肥やしにしたらいいね。
2006/11/27
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いつものように仕事をしていました。「ありがとうございました」って、買い物をしていただいたお客さんに声を掛けました。幼稚園ぐらいの小さなお子さんを連れたお母さんです。綺麗なお母さんだなあと、名残惜しそうな目を向けていたからか?「あのう、ちょっといいですか?」と、手に持ったバインダーから、A4の紙を出されました。「今度、クリスマスコンサートをするんです。NHKに出てるこの人を呼んで、子供達にできるだけ本物を触れさせようと思ってるんです。スポンサーになってくれませんか。パンフレットに名前を載せます」こういうスポンサー依頼は、たくさん来ます。全部引き受けていたら、ちょろちょろお金が出て行ってしまいます。この手のパンフレット広告で、広告として元を取ることは、まず出来ません。お付き合いなだけです。そこで私は、1つの基準でそれを種々選択しています。まず犯罪性がないかどうか。プロでないかどうか。そして、その人のやる気や意気込みを感じるかどうかです。一時、駅前での災害義援募金活動が、単なる騙しだったことが問題になりましたが、そういう類のはいっぱいあります。この方は、うちのお店の会員さんでもあるし、そういうのは問題ありません。パンフレットを見ながら、説明を受けました。実績もあるようだし、全国的とまではいかないようだが、いろんなところで活動をしているようです。印象に残ったのは、一人称で話されていたことです。最後に名刺を頂きましたが、・・支部長となっていました。多分、支部長と言いながら、会の趣旨に賛同してほとんど1人でここの地区組織を立ち上げて活動し始めたのでしょう。組織と言っても、1人で何もかもやってるのだろうことは、容易に想像できました。協力させてもらおうと決めて、申込書をもらいました。「じっくり読ませていただきます。またお越しください」即決するけど、いつも一呼吸置くようにしています。そこまで終わって、「いつも手紙を読ませて頂いています。手紙を頂くのを楽しみにしています。本の話やお子さんとの事など、楽しく拝読させて頂いています」って、言われました。「それはどうも、恐縮です。下手な文章を読んで頂いて、ありがとうございます」毎月お客さんに、商品情報と共に、下手な文章を送っています。毎月のように、お買い物ではなく、私の文章の感想を言いに来てくれる人さえいます。いろんな素人コンテストに応募している人から、「応募してみたら」なんて言われたこともあります。私が書いている事から、子供に対する温かさを感じるようで、きっと賛同いただけると思って、やってきました。みたいな事を言われました。これだけ持ち上げられると、こそばい限りですが、確かに、手作りの感じや、趣旨を読むと、私の琴線に触れてしまいます。大学を卒業してすぐ立ち上げたジュニアヨットクラブも、今や大所帯ですが、クラブとは結婚する前からの付き合いで、手弁当というか持ち出しばかりでやってきました。何度つぶれかかったか分かりません。もし、1人でやってたらとっくにつぶれていたでしょう。熱心な方が数人いたから、続きました。その熱心さを生み出す元は、子供がそれを楽しんでいることです。このお母さんが立ち上げた組織も、いつまで続くかとかいう将来のことなど、あまり考えていないんじゃないかなと思います。「自分の子が楽しめるように」という思いで走っていると思います。これが、一番の原動力ですね。こういうの好きです。そういう人が3人集まれば、ぐっとしっかりできると思います。マネージメント力、広報力、企画力・・・組織を維持発展するさせる上で大切なものはたくさんありますが、最も大切なものはパッションです。組織なんて当てになりません。個人の・・をしたいという感情が、周りを動かし、他はなくても唯一なくてはならないものだと思います。過去に手紙に書いたことを、よく覚えておられました。このお母さんとは、感じる部分が似ているようです。ついてきているお子さんの上に、2人お子さんがいるそうです。子育てもあって、大変だろうけど、がんばって欲しいなと思いました。
2006/11/25
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(昨日の続きです)でもこれで済まなかったのです。高速を下りるまで、あと30kmの足柄サービスエリアで最後の休憩を入れました。ここは確か、高速道路のサービスエリアで最も売上が多い。さあ出発と思った時、オートマチックのギアが入りません。その他は正常ですが、パーキングレンジに入ったまま、うんともすんとも言いません。素人療法は大ケガの元なので、JAFに連絡を取りました。40分で来てくれるそうです。ボヤッとしてても仕方ないので、食事したりトイレに行ったり・・・後では、フルフラットに倒した座席に布団を敷いて、3人が毛布に包まってスヤスヤ・・・オ~イなんて、次男も後輩達を起こしません。「もし車が動かんかって、船を江ノ島に動かす方法が、どんなのがあるかなあ」って次男。「レンタカートラックを借りて運ぶ。牽引装置の付いた車にトレーラーを引っ張ってもらう」「牽引装置の付いた車って、ほとんどないもんなあ」「あるよ。大会会場には、全国からいっぱい来てるよ。牽引して来てる知り合い、たくさんいるやん」「・・さんと・・さんと・・・。でもなあ、全日本やから、練習時間を削って助けてくれるかなあ?」「ジュニアのレースだったら、面白がってホイホイ来てくれるお父さんいっぱいいるのにね。まあ何とかなるって」いつもの癖で、何ともなりそうもないなと思う時でも、「大丈夫」って笑顔を作ってしまいます。2時までに、大会計測に船やセールが合格しないとレースに出場できません。霧が出てきて、へんてこな雰囲気の中、JAFさんが、やってきました。事情を話すと、ササッとシフトレバーを動かし、車を前進・後退させます。あれれ?何で動いたの?次男も、あれだけ動かなかったレバーが、簡単に動いているのに、目を見張っています。「シフトレバーのここに強制解除するボタンがあるんです。ほらここ、分かりますか?一度ご自身でやってみてください。はい、前進して。じゃあ次は後退。車屋さんに見てもらった方がいいですが、とりあえずはこれで走れるはずです」「後のトレーラーの重量が車にかかってるからでしょうか?」と次男が訊いています。「直接は関係ないと思いますけど」今朝は、JAFさんが神様に見えてしまいました。ということで、1時間遅れの出発です。ここで遅れたので、茅ヶ崎の海岸道路の渋滞が始まり、朝7時着予定が、1時間半遅れになってしまいました。「またかよ」なんて思ってしまいました。あれは、次男が中学生になったばかりの初めての世界選手権代表選考レースで、ここに来た時です。高速で車両火災があり、通れなくなってしまいました。仕方なく地道に下り、通れる次のインターまで急ぎました。途中、道に迷ったり、船を乗せているのでくぐれないトンネルがあったりで、すっかり遅くなってしまいました。やっとこ茅ヶ崎道路に着いたときは、すでに渋滞が始まっていました。船の計測終了時間や、第1レースへの準備を考えると、出艇まえのミーティングをしている時間がありません。そこで運転を他のお父さんに頼んで、選手4人と私で、車の後部座席でミーティングをはじめました。結局、動く車でレースのインストラクションを読んだのがダメで、途中で1人が気持ちが悪くなり中途半端になってしまいました。思い出したそのことを次男に話すと、「そんなんあったっけ?」と。時間がないとあせっていたのは、親だけだったようです。車の故障で1時間以上遅れるなんて、まあ、いろいろあります。1日でいろんなことを学びました。大会期間中に、次男が車屋さんで車を見てもらうことになりましたので、まだまだ何があるか分かりません。でもまあ、これも人生の経験です。何もない人生なんて面白くないですから、これも人生を豊にしてくれる糧です。第一、息子との関係がまた深まりました。かなり参った状況でも、イライラせず、温和に次の手を考える次男を見ていると、間違いなく私より器が上だなと思います。決して、その人の指摘されたくない本当の弱みを口にしないです。今回だって、軽くは「車の点検してんの?」に始まって、「やっぱりお父さんに頼まんかったら良かった」・・・もっとひどいことも言えます。いくらでも、責任転嫁できます。でも、相手の弱みは言わない。私も、「重心と言うの、分かってるの?」「去年やったやろ」・・・いくらでも言えるけど、そんなことを言っても、前向きな気持ちが起こる訳がない。分、家内の影響が大きいと思います。私自身が、家内からの影響をたくさん受けてるから、よく分かります。私も含めて、我が家の男3人は、家内の子供みたいなものです。いずれ生まれてくる孫が物事を理解できるようになった時、今日の事を面白おかしく、爺ちゃんと父さんが、「こんなことがあったんやで」と漫才みたいにしゃべれたら、おもろいです。ドタバタで始まった全日本、これからも続きそうです。笑い飛ばして、明るく乗り越えようと思っています。江ノ島まで、結局1人で運転しました。選手である次男を少しでも休ませようと思って、眠たくなるまで引っ張りましたが、1週間前から睡眠を多く取るようにしていたのが良かったようです。江ノ島に入る道路で車を降り、小田急片瀬江ノ島まで歩き、藤沢まで出て、JRで横浜、横浜市営地下鉄で新横浜、そして新幹線で大阪に帰ってきました。さすがに新幹線では、ずっと眠っていました。
2006/11/23
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次男の江ノ島遠征の往路が終了しました。次男が、ヨットの全日本選手権に出場するのに、ドライバーが足らず、ヘルプをすることになりました。うちの車に牽引装置をつけ、ボートトレーラーを引っ張り、その上に2艇のレース艇を乗せて運びます。ゴソゴソ準備があって、昨夜出発です。仕事を終え、琵琶湖の艇庫に向かうために、京都駅までやってきました。湖西線の最寄の駅まで、車で迎えに来れるかなと次男に電話をすると、「う~ん、あかんわ」どうやら、荷物の積み込みなどをしているようです。徒歩で艇庫に着くと、準備は整っているようです。ただ、約1名が、下宿に荷物を取りに帰っています。布団と毛布を車に積んで、メンバーが揃い、出発です。高速に乗り、最初のサービスエリアで、船の固縛の弛みなどをチェック。次男が、タイヤの空気圧を点検したいといい、それもチェック。彼曰く、どうも車の後が下がりすぎてるのが気になるようです。確かに他の方の車を借りた前回までよりも下がっています。船を積むラックの位置がおかしいのと違うかな?と思うんやけど・・・と言っています。そう言えば、ラックの位置がトレーラーのタイヤの位置より前にあり、この位置では、120kgの船2艇分とその他の重量の半分が車の後輪が支えている感じです。前回も次男が指揮して固縛したのですが、前回の事を忘れてしまっているけど、何か違う感じと不安視しています。それを聞き、状況を見ながら、このままじゃ車の負担が大きいなと思いましたが、それとは別に、私が子供の時、自分のミスかもしれないと思うことを親に正直に言っていたかなあと思いました。私はむしろ隠していました。いつも失敗を怒られるので、なんとか何も起こらず過ぎ去ってくれたらなあと思っていました。そして大抵それが見つかり、また怒られ、ダメなヤツだと言われる悪循環に陥っていました。次男の自分から自分の失敗かもしれないことを話しだす姿勢は、小さな時から、子供を怒らなかったからかもしれないと思えました。多分、私が親を見るのとは違う感じで、親という存在が次男の中にあるんじゃないのかな?うちの親は、僕のミスを怒ったりしない。これからどうしたらいいかだけを考える親だ。そんな信頼をもらっているように感じ、とても嬉しくなりました。「こいつ、いいヤツやな。周りの人にも、そういう風に接することが出来たら、多少ぼんくらでも信用され、人から救いの手が差し出される存在になれるんじゃないかな」「今からやり変えようか、車に悪そうやし」と提案されましたが、トレーラーの上の重量は約300kg、その半分の150kgが車の負担になるなら・・・この車は8人乗りだから、運搬重量は大人60kgの8人だから約500kg・・・今乗ってるのが5人だから、なんとか許容範囲の感じ。やり変えたら、ロス時間は1時間から1時間半。う~ん。「このままでいいんじゃない。もつと思うよ。運転してて、おかしな感じがあったら、そのときやり変えよう」「お父さん、後輪の空気圧をガソリンスタンドで、何度かチェックしながら行った方がいいんじゃない」「そやな、そうしよう。じゃあ行こか」という感じで出発しました。もし、これが原因で何かが壊れても、それは仕方ないです。何か違和感があってからだと思うから、最悪の事態は避けられると思う。それから、かかっていた音楽を消して、車の声に耳をすませながら走りました。でもこれで済まなかったのです。(後編につづく)
2006/11/22
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私の赤目もましになってきましたが、遠征の帰りの日曜日までは、大事を取ってTVやディスプレーモニターを見る時間を減らしています。日記の訪問も書き込みも減らしているのに、訪問して頂いてありがとうございます。来週から、通常ペースに復活しようと思っています。今夜、江ノ島遠征に出発です。次男は、車で琵琶湖にある大学の艇庫に行って、彼の艇と後輩の艇を積み込みます。私は、仕事後電車で琵琶湖に急ぎ、到着次第出発の予定でいます。ノンストップで6時間、次男と2人で交代運転です。早朝に向こうに着いて、私はそのまま新幹線に乗り、昼頃大阪に戻り仕事です。そして日曜日朝一番に新幹線で江ノ島に向かい、夕方向こうを発ちます。月曜夜中に琵琶湖で船とトレーラーを外し、大阪に戻って仕事です。今回は、道中の安全第一で、レースを見る余裕はなさそうです。今年は何番になるか楽しみです。去年学部ヨット部を引退してから、かなり勉強にシフトして、あまりヨットに乗っていなかったのですが、気晴らし、遊びのつもりで出た夏の地方予選で、危なげなく上位6艇に入ってしまいました。おまけのような全日本なので、気楽にレースに臨むでしょう。今までの最高は、男子ランキング10番ですから、それを突破できたら最高ですね。このレース前の数日は、取らぬ狸の皮算用で夢を思いっきりふくらませることが出来ます。今度、うちの車にトレーラー牽引装置を付けたのですが、陸運局への届出が必要で、車検証にその旨載ります。直接陸運局に出向いて時間は少しかかったけど、手数料が60円でした。それと、ETCも変更しておかなければなりません。トレーラーを牽引している時は、中型車料金になるんじゃないかな?牽引していない時は、普通車料金に自動的になるそうです。ETCの変更をしていないと、ETCゲートが、トレーラーの前で下りて来たりするそうです。実際に知り合いがそのままにしてたら、ETC出口のバーが上がらず、ヒンシュクを買ったそうです。そのときは現金で払い、慌ててETCの変更に出かけたそうです。何か面白いね。
2006/11/21
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今日、お店で素敵なことがありました。今日はちょっと人手が足らない日でした。毎月の定期訪問で訪れた仕入先の方と、接客の合間に短い話をつないでいると、他の方の接客中に、80才を越えているだろう男性がゆっくり、本当にゆっくり入ってこられました。「いらっしゃいませ」他の接客が終わり、その方の方に目を向けると、かすかに口が動きます。何を言ってらっしゃるのかなあ?「すいません、もう一度お願いします」すると、他のお客さんだと思っていた女性が、「・・が欲しいそうなんですが・・・」近くの道で、このおじいさんを会われたそうです。多分おじいさんは、人の良さそうなこの女性に、・・を売ってるお店を尋ねられたのでしょう。「・・が欲しいと言われたので、ここに連れてきたのですが・・・よく分からなくて・・・」60才を越えているだろう女性にお礼を言い、おじいさんに椅子を勧めました。女性と2人で、おじいさんが何を言われているのか解読しようとしましたが、分かりません。おじいさんは95才だそうです。これも、女性がおじいさんとうちに来る道すがら訊かれたようです。うちも、へんてこなものをお出ししてもいけないし、第一本当におじいさんが必要だと思っているものかどうかも怪しい。痴呆の人もいる。こんなおじいさんなら、悪さをしようと思えば、いくらでもできる。おうちの住所や電話番号が分かれば、身内の方に電話を掛けることができるのだが・・・どうやら、おじいさんが欲しいという商品が見つかり、購入いただけたけど、お札を出されたので、小銭のお釣りを渡すと、小銭で大きく膨らんだお財布にそれを入れられた。計算がよく出来なくなってるんだなと、すぐに分かりました。買い物で、きちんと出そうとして間違うのをかっこ悪いと思ったり、お店の人に迷惑だと思う方が、そういう出し方をします。さてと、どうしたものか?普通のお客さんのように、このまま「ありがとうございました」では、このおじいさんがどうなっちゃうか、かなり心配です。お財布に定期券が入っていたので、「バスで帰るのですか?」と聞くと、よく知ってる降りるバス停名を、今度はスラリとおっしゃる。「私がついて行きます。これぐらいのお年の方のご家族は、住所とか電話番号とか書いたものを入れとかなくちゃダメね」と言いながら、「じゃあ行きましょうか?」って出ていかれました。「見ず知らずの方なのに・・・すごいなあ」あのぐらいの年齢の方は、人としての生き方がしっかりしているなあと思いました。翻って、振り込め詐欺をする10代20代、バイクに2人乗りし、お年寄りの女性からバッグをひったくる10代。私がその年頃の頃は、そういう事件は、まずなかった。なんなんだろうと思う。PCが出来なくても、携帯電話を持っていなくても、老眼鏡を掛けないと細かい字が読めなくても、生き方の芯は見習わなくちゃと思いました。あの女性の周りには、幸せがいっぱいあるような気がしました。
2006/11/20
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む、む、左眼が何となく重い。鏡を覗くと、目が赤い。どうやら、疲れ目で血管が切れたようです。目を酷使しすぎたかな・・・ということで、最も目に悪い、ディスプレーを見ることを火曜日から減らしています。翌日が一番ひどく、涙の多い1日でした。炎症止めの入った目薬を頻繁に挿して、大分ましになってきましたが、もうしばらく用心しようと思います。来週半ばと週末に、大阪から神奈川まで、トレーラーを引っ張ってのレースがあるので、それはクリアしなければならないからなあ。
2006/11/17
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来週、大阪から江ノ島まで遠征をします。次男のオリンピッククラスヨットの全日本です。今年も地区予選上位6艇に入って、全日本にチャレンジします。彼の全日本最高ランキングは、10位だったので、さらに上を行けるかな?でも学部を卒業してから全然練習してないから・・・予選も、遊び程度で出ただけだったのに、思いのほか走ったそうです。学生枠で、大学の後輩の艇も行ける事になり、「お父さん、手伝ってくれへんかなあ」って、ご使命を受けました。2艇で4人行くのに、日頃から運転して安心なのは息子だけです。神奈川県までは遠いので、行き帰りの運転を、息子と2人ですることになりました。過去2年同様、トレーラーにレース艇を2艇乗せて、車で引っ張って行くのですが、過去2回は、トレーラーを引っ張る牽引装置のついた車を借りました。でも、今回は自分の車で、牽引装置を付けていくことにしました。この装置は、ディーラーさんの整備でもほとんど付けたことがないようで、マリン関係や4WD関係の車屋さんが得意なようです。早速、そういう店を見つけて注文しました。待つこと2日で、うちの車に付く牽引装置が店に入り、車を持っていくと4時間ほどで付きました。車の土台(シャーシーというのかな?)にそれをガッチリ付けて、ブレーキランプなどの電装関係のソケットがついています。トレーラーのジョイント部を牽引装置のパイプにつないで、トレーラー側の電装プラグをソケットに繋げたら、それでOKです。牽引装置といっても、バンパーの下に隠れ気味なので、そんなにいかつい感じではありませんが、そいつがついただけで、ちょっとがんばってる車に見えてしまいます。来週は頼んます。
2006/11/16
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朝日新聞の「いじめられている君へ」というコラムに、あさのあつこさんが寄稿していました。あさのあつこさんは、『バッテリー』の作家です。お題は、『生きていれば必ず、だれかの支えになる』「おれはおまえの文章が好きだ。才能があるぞ」。中学校のとき、先生は私の作文をそんなふうにほめてくれました。作文の内容は忘れましたが、先生の言葉の内容だけはよく覚えています。何となく「もの書き」になりたいと思っていた私は、1夢を捨てなくていいんだ」と、自信を持つことができました。そのころの私は、勉強も運動も真ん中の下くらい。「ほかの人とちがう人でありたい」と考えているのに、「ちがいを出すにはどうすればいいの」と迷っていました。「あまりちがいすぎてもこわいな」とも思っていて、「だれか答えを教えて」という気持ちでした。先生がほめてくれたのは、そんなときです。もし前日に私がいなくなっていたら、こんなすばらしい瞬間に出会えませんでした。こうした瞬間が来るのは明日かもしれないし、10年後かもしれません。でも、君たちより何十年も長く生きてきた大人として、これだけは言えます。「すばらしい瞬間は必ず来ます」中学野球が舞台の小説「バッテリー」を読んだ若者から手紙をたくさん受け取りました。「元気が出た」「明日、学校へ行ってみます」。「自分がだれかを支えている」と、とてもほこらしく感じました。「もし、私がいなかったら、その人を元気づけるものが一つ減っていた」と。人は生きていれば必ず、だれかに支えられるだけでなく、だれかを支えています。もし、あなたがいなくなれば、あなたに支えられるはずだった大勢の人を悲しませることになるのですから。これを読んで、市川拓司さんの『もう一つの恋愛写真』の中で語られていた、「あなたは、誰かの幸せを握っている」という意味の言葉を思い出しました。神様は、世の中に必要な人にしか生を与えません。みんな、何かの使命を帯びて生まれてきています。自分がつまらない人間に思えても、誰かがあなたを好きになる。誰かが、あなたのそばにいることで幸せになる。あなたは、誰かの幸せを握っていることも忘れないで欲しいです。最近の学校のいじめ報道を聞きながら、おかしいなと思うところがあります。いじめられている子といじめている子がいたら、どっちが悪いのだろう?いじめている方が悪いと私は思う。でも、いじめられている方が学校に行けなくなり、いじめている方がそのまま同じ学校に通っている。これって、なんかおかしくないかなあ?犯罪があったら、加害者を除外するのが普通で、被害者を除外することなんておかしい。いじめている子はほんの一握りの生徒で、ほとんどの子は、いやだなあと思っていたり、注意したいけど出来ない子じゃないかな。見てみぬ振りをする子を責められません。私は、いじめと言うか、嫌がってるのにしつこくからかったりするのがとても嫌で、そういう子にすぐ「もうやめたれや」と言ってた。それで時々喧嘩になり、弱くて毎回泣かされるくせに、多勢に無勢、1人で突っかかっていった。教室のみんなは、大抵見てみぬ振りをして、誰かが先生を呼びに行ってた。いじめている子を除外すれば、いじめられている子はそのままその学校で、普通に勉強が受けられる。友人の子供さんも、学校のいじめから私立に転校し、そこではいじめなどなく、普通に卒業した。ということは、この友人の子に社会的に適応できないような瑕疵はなかったのではないか。数人のいじめる子がいたのが原因で、転校せざるおえなかっただけ。なんで、被害者やその家族が苦しみ、余計な事をしなければならないの?加害者が、その罰として、転校などするのが、普通じゃないかなあ・・・学校側の対応を聞いていると、「気づいてやれなかった」「保護できなかった」というのが時々出る。被害者を保護する必要なんてないんじゃないのかな?加害者のリーダーを転校処分にしたり、悪質グループがいるなら、それぞれを別の学校に転校させればいい。そのために通学が遠くなったりするのは、罪に対する罰として当然だと思う。いじめをした生徒がそのままその学校にいれば、「いじめが罪だ」というメッセージを、生徒に送っていないのと同じことになるんじゃないかな。行動が伴わない言葉だけの注意では、伝わらないですね。全校生徒を集めて、いじめの話をするより、いじめた子を近隣の学校に転校させる方が、ずっと生徒に伝わります。幾度かの警告を発してなお、いじめを止めないようなら、いじめる方を除外するのがいいと思う。いじめられた子が、フリースクールなんかに行ってるのを見ると、いじめられる方が悪いような印象を受ける。これは教育になってないと思うのですが。教育と言うのは、知識も大事だけど、それを使う心の方がもっと大事です。技術は、常に諸刃の刃を持っている。原子力は、発電にも使えるが、爆弾にもなる。原子力が悪いのではなくて、それを使う人の心の問題です。その心を教えるのが学校だと思う。学校が知識の習得に偏重してしまえば、塾と一緒です。知識と心、どっちが大事かというと、私は心の方がずっと大事だと思う。
2006/11/14
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日曜日は、義理母のお見舞いに家内の実家近くの病院に行って来ました。家内はそのまま夜まで病院にいるのですが、私は別行動になるので、駅まで私はバイクです。駅で切符を買い、改札で家内を待ちます。なんかこういうシチュエーションは、いつ以来だろうと考えてしまいます。ニコッと笑って、向こうから家内がやってきます。並んで電車を待ち、電車に座って、乗換えで駅で待ち・・・ほんと、いつ以来だろう。新婚さんだった頃以来だろうか・・・新婚旅行以来かもしれません。あの頃は、いろんな話をしただろうが、今は子供たちの事た親たちの事が話題です。明石海峡大橋を横に見ながら、海を行く貨物船を見ながら、家内の横顔をチラッと覗く。また、チラッと。「美人やなア」と今でも思います。「顔なんてのは、すぐ飽きるから、そんなんで別にええねん」と言ってるヤツもいたけど、あれは嘘です。飽きません。やっぱり女性は、綺麗な方がいい、綺麗にしていようとしてる人がいい。「お婆ちゃん、2週間前に来た時より、ちょっとやつれちゃったかなア」寂しいなあと思いながら、私だけ病室を後にしました。その後琵琶湖に行き、全日本遠征のために借りるトレーラーをチェックして、息子がジュニア時代に知り合ったお父さん方と、ゴチャゴチャおしゃべり。また1年手伝いを頼まれた大学ヨット部のミーティングに参加しました。8時を回って帰宅したけど、30分くらい遅れて家内が帰宅。表の扉が開く音がして、玄関を開け、迎えに出ます。帰りに買った重そうな大きな食料の袋を受け取り、玄関を開け、お先にどうぞ。黙々と、食料を片付けながら、「やつれちゃったでしょう・・・」とポツリ。何も言えませんでした。
2006/11/13
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数日前、家に帰ると、家内から、「お婆ちゃん(私の母親)から、うちの次男が東京に行っちゃうかもしれない、どうするのって、言われたよ」って。詳しく聞くと、爺ちゃん(私の父親)がまた先週入院したので、次男が彼女を連れてお見舞いに行ったようです。そこで、3人でいろんな話をしたそうです。その中に、彼女さんが来年就職で東京に行くというのがあったそうです。母親が父の病室に行った時、孫が彼女を連れてきてくれたと父が嬉しそうに話したのでしょう。それを聞いて、母は、次男も東京に行っちゃうと心配して、それを阻止すべく家内に言ってきたようです。それを聞いて、「あ~あ、またか」と思ってしまいました。何で母親は、肉親みんなを手元に置いておきたがるのだろう・・・長男が高校生の時、「あなたは長男だから、家を守らないといけない。だから・・・」って、彼の今後を制限するような事を言った。私と家内は、子供たちには、家なんかに縛られず、好きな事を伸び伸びやってもらおうと、そういうことは一切言わないようにしてきたのに・・・そういうことは、親が言うことではなくて、子供が自分で決めることだと思っている。もし実家近くに住んだとしても、自分が決めて暮らすか、言われて暮らすかは、大きな違いです。すぐに実家に行って、「孫の将来を制限するようなことは言うな」と強く釘を差しました。「彼らが、好きな事をして、何処ででもいいから活躍している姿を見ることが親の楽しみです。家に縛られて、やりたいなと思ったことを辞めたりしたら、たとえ近所にいても、全然楽しくない。彼らが、笑顔で楽しんで生活しているのが、一番です」と、僕ら夫婦の考えを伝えた。家内には、もし私が先に死んだら、子供たちを連れて実家に帰るようにと、言ってあります。親が文句を言わないように、遺書のように、ちゃんと文章にもしてあります。どうやら、子供たちも学部を卒業したので、そういうことをしなくて大丈夫そうですが、私がいなくなったら家内は嫁の立場なので、子供たちに、「ああしろ、こうしろ」というのに抗しきれないと思って、そうするように決めた。私は、母親から見れば子供だからいいけど、私の子供は、家内の子供でもある。子供が自分の意志で自由に世の中に羽ばたくためには、私の親のちょっかいから守らなければならない。母親は、長男が東京に就職したから、次男までいなくなったら・・・なんて自分が寂しくなるという自分の事だけを考えているのだろうが、それより彼のやりたいことが東京にあったら行ったらいい。次男に「東京に行くな」などと言うことを言ってないようなので、何も言わないが、もし言ったらまた言いに行かなくちゃならないなと思っています。私は、生を受けてから一番世話になったのは母親だと思っています。だから、今でも近所に住んでいます。病気がちな親のサポートを、結婚してからずっとしているが、親子だからという血のつながりがそうさせているだけで、心のつながりではないように思う。自分が1人で生きられない時、一番世話になったのに・・・って、自分が薄情な人間に見え、情けなくなりますが、心のつながりは取り戻せそうにありません。保育園ぐらいから高校生まで続いた過剰期待、失敗や忘れに対する叩き・・・もうあれで心は切れた。ミッション系の中学の教育で、「みんな神の子」「親は神様から子供の一時的な養育を委託されてるだけ」「あなたの心に浮かぶ・・したいは、神様からのメッセージ」を聞き、親の言葉を受け流す術を得た。基本的に自分の経験から、「親なんてろくなもんじゃない」と思ってるので、子供に対する親である私にも、そう思ってる。だから、説教じみた事も言わない。ただ、正直に誠実に人に優しくしていたら、勝手に親を見て学ぶだろうぐらいです。だって、彼の心に神様からのメッセージが直接届くんだから、私の下手な考えより素晴らしいに決まっています。親子がおかしくなる原因は、ほぼ100%親に原因があると思う。子供は、生まれた時から100%親を信じてる。でも親から見れば、子供は何も出来ない。悪さ・嘘・乱暴・忘れ物・・・いろんな事をするが、子供に対して「この子はいい子」の空手形をどんどん切ってやったらいい。それが子供を成長させ、いい子になっていくと思う。一番身近な親が信じない子が、よそ様に信じてもらえるはずがない。明日、また義理母の見舞いに家内と行くつもりです。家内は入院以来、毎週行ってるが、私は2週間に1度です。退院しても義理姉夫婦と暮らすようで、我が子が小さな時に決めた私が死んだら実家に帰る作戦の実家がなくなり、かなり寂しく思っています。「あんないいお母さんが・・・」って、実の母親の入院より悲しい気持ちになっています。書き始めは、こういうことを書こうと思ってなかったのに、なんか変な方向の話になってしまったが、書きたかったのは、次男が彼女を父の病院に連れて行ったことです。母からの変てこな報告で、それを知ったけど、我が息子も中々やるなあと思いました。彼女とは、もう数年になると思いますが、うちにきたときでも、親からは特に何も、彼女の家の事など彼女に付属する条件を訊きません。息子が好きになった子だから、いい子に決まっています。何も言わなくても、向こうから教えてくれます。息子も親に対してオープンだから、家内のPCのデスクトップ画面を息子が彼女の顔に変更しちゃうぐらいです。母は、自分が損しないように、子供にこうするように指示します。出来なければ、言葉でおとしめ、叩いてさせようとしました。家内の母親は、家内を叱ったことがありません。家内が連れてきた私に質問もしません。家内は、自分の子を自分と同じように育てました。そうさせようとした親が好かれず、何も言わずに信じた親は好かれる。人の心と言うのは、こうなってるようです。面白いね。
2006/11/11
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今日も本の感想を書きます。「ナゲキバト」 ラリー・バークダル 片岡しのぶ訳 あすなろ書房9才の少年ハニバルは、両親を交通事故で無くし、祖父ポップに引き取られ、2人で暮らすようになった。そこで祖父の話から、行動からいろんな事を学んでいく。そして最後に祖父の過去の秘密を知り、祖父の宝物の意味を知る。祖父の生き方の根源は、人の素敵な生き方に繋がる。ハニバルから見た物語になっているが、多くの学びをもらったような気がする。平易な文章で誰にでも読めるが、漢字にフリガナがふっていないので、親が子供への読み聞かせに最適な一冊ではないかと思いました。叱咤ではなく、微笑と寛容と信じる心が溢れていました。私はどうもこの手のものに弱いようです。ハニバルが、祖父と一緒にかつて両親と住んでいた我が家に保険証書を探しに行ったときのことを引用しておきます。『大人達もやはり善意から、「苦しまないで死んでよかった」「いつかまた、きっと会えるよ」などと言ってくれたが、それもなぐさめにはならなかった。父と母にまた会える。そう信じたかったし、信じようとしてみたが、この世で会えるわけではないのはわかっていた。それに、「死んでよかった」とだれが思えるものか。だまって肩を抱いてくれる人、しつかり抱きしめてくれる人のほうがずっとありがたかったのを、今でも覚えている。母の宝物は階下にあり、祖父は、証書はここかもしれないよ、と言った。母は几帳面な人で、どんなものもきちんと箱におさめ、その箱に品名を書いたラベルを貼っていた。祖父と私は箱のなかみを調べていった。そのうち、私は、すばらしいものを見つけた。あったことさえ忘れかけていた、あるものを。それは幼稚園のころに描いた絵で、「作品」と記した箱の底の紙ばさみに入っていた。紙ばさみには、「ハニパル。幼稚園」と記されていた。実際、幼稚園児の描いたものだとひと目でわかる、へたな絵ばかりだったから、九つになっていた私は、恥ずかしさで顔が赤くなるような気がした。なんだ、こんなもの、今だったらもっとうまく描けるぞ・・・。だが、どの絵にも右上の隅に銀紙の星が貼られ、その下に「じょうずにかけました」と書き込まれていた。銀色の星を貼ったのも、褒め言葉を書いたのも、母だ。母は、私の絵を見ると、かならず、「ハニパルはお絵描きがうまいわ。天才よ」と言ってくれた。そんなふうに言ってもらえるかぎり、幼稚園でどんな評価を受けようと気にならなかった。もちろん私は天才などではなかったが、母は心からそう思ってくれていたのだ。今、あのころよりいくらか賢くなった私はこんなふうに考える。母は、私の描いた幼い絵に、息子が将来どのような人間になるのかを見たのだ、と。息子の中に眠っている可能性が母には見えたのだろう。幼い子どもには自分の可能性など見えるはずはない。そこで、母は、ただ息子をほめ、息子の行くべき道を明るく照らしてくれたのだ。それはまた、息子が自分を振り返るときの力ともなった。母は、いわば目に見えない糸で私を導いてくれていたのだ。紙ばさみの絵をどんどんめくっていくと、見おぼえのある絵が出てきた。それはこの家の絵で、初めて描いた水彩画だった。絵の具が乾いてごわごわになったその絵をじっと見ていると、そのときの得意な気持ちがよみがえった。家に持って帰り、「ほら、母さんにあげるよ」と言って渡すと、母は目をまるくして、なにも言えずにただ見ていた。それから、私を抱きしめ、「すばらしいわ!ハニパル、よく描けたわね、母さん、うれしい!」と言い、それから一時間くらいも、おなじ言葉を繰り返していたような気がする。その絵にもいつものように銀紙の星が貼られ、「とてもうまくかけました」と書きこまれた。母は、夕食のデザートにチョコチップクッキー(パンケーキくらいある大きなやつ)も焼いてくれた。父は、冷蔵庫のドアに貼っておこう、よく見えるところにな、と言い、その絵は一カ月くらいそこに貼られていた。それ以来、冷蔵庫のドアは私の絵を貼っておく特別の場所になった。その日見つけた家の絵は、星がはがれてなくなっていた。残された星の跡を見ていると、さまざまなことが思い出された。私がなにかをして、それがどんなにへただったとしても、母はかならず、すてきよ、と言った。ほんとうにそう思ってくれていたのだ。そんな母をがっかりさせることなど、できるわけがなかった。もちろん、私はへまもやった。人間のするおろかなまちがいのうちでも最大級のまちがいをやらかしたこともある。それでも、母は、ハニパルはいい子だと思っていた。そう思われているかぎり、たとえ転んでも立ち上がる力が出た。よし、がんばろう、と思えた。いい子だと思われているのは、なんとすばらしいことだろう。ときには、心ない人の言葉にしょげてしまうこともあったが、そんなときも家に帰れば話を聞いてくれる母がいた。それに、なんといおうが私にはあの「星」があった。だからこそ、どんなときでもまた元気を取りもどすことができたのだ。絵を紙ばさみにもどし、箱にしまい、その箱をもとの場所に置いた。』甥や姪の小さな子に贈るクリスマスプレゼントになりそうです。
2006/11/10
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「手紙」の原作を読んで、映画の方も観にいきたくなりました。でも、遅い時間にやってないので、中々行けません。でも何としても劇場で観たい映画です。原作「手紙」に続いて、「心にナイフをしのばせて」という物騒な表題の本を読みました。「手紙」は、犯罪加害者の家族のフィクションですが、「心にナイフ」は犯罪被害者の家族を中心に、加害者の側も取材したノンフィクションです。対になっているような本ですが、断られても被害者側への加害者側からの謝罪のあるなしが、その後に大きな影響を及ぼすなと感じました。私も、仕事で万引きや暴力の被害に遭いましたが、事件後に本人やその家族から謝罪があると、心がスッキリします。自分でも変なのですが、店の棚を壊され、傘の先を私に向けて突いてくる被害にあった後でも、刑事さんに「大分お酒が入ってはったし・・・」。「怪我をしたことをここに書けば、相手を人身でもっと重い罪に出来ますよ」と事情聴取で言われても、「まあかすり傷だし・・・」と、相手を庇ってしまいます。暴行の方は謝罪があったけど、謝罪がないとなんか気になってしまいます。気になると言うことは、それに捕らわれて、次に進めていないということですね。起きてしまったことは後戻りできませんが、「ごめんなさい」は大切なことです。加害者が被害者に向かって言う言葉ですが、お互いの心のトゲを抜くことになります。「神戸の少年A事件」の本を読んだ時も感じましたが、辛くても忘れたくても、「ごめんなさい」から逃げたらいけないように思います。自分だけじゃなくて、周りにも、そして一番大切な子供にも影響してしまいます。一時的に辛くても、結局顔を上に上げて世間を見る生活に戻れるような気がします。そういえば、次男が小1の時、友達と教室で「プロレスごっこ」をしていて怪我をさせてしまったことがありました。かすり傷程度で全く大した事なかったのですが、それを先生から聞いて、向こうのお父さんの帰りを待って、次男と2人でお宅まで謝りに行きました。平身低頭、謝り倒す親の姿を見て、何かを感じてくれたらと思ったものです。
2006/11/08
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日曜日は、10時船集合で、沖に出ました。ハーバーに着いて、出艇申告をしていると、先輩方がやってきました。出艇申告というのは、「どの方面に行きます」「何時ごろ出発します」「何名乗っています」「緊急電話番号はこれです」というのを、申告することです。そして帰ってきたら、帰着の申告をしておきます。山での遭難ではありませんが、もし予定の日に帰着がなかったら電話などでハーバー所属艇の安否を調べます。船の用意をしながら、「何処に行く?」「西?東?」と・・・まあ皆さんOFFの日の息抜きですので、何処でもいいのです。燃料でも入れようか、ということでハーバー内のスタンド桟橋に船を動かし給油しました。結局、USJと海遊館に行くことにしました。風が弱いので、エンジンを動かしながらの帆走です。甲子園と防波堤の間を抜け大阪湾にでます。大阪湾といっても、埋め立て島がいくつもできて、すぐに陸地が見えます。かつて計画された大阪オリンピックのメイン会場になる予定だった舞洲という埋め立て島が正面で、方角的にはその向こうにUSJがあります。舞洲とその南の咲洲という埋め立て島の間の橋の下がくぐれるか?その広い水路の水深は十分あるだろうか?14mほどのマストと3m弱船のそこから出ているキールという錘がクリアできないとあきません。ヨットというものは不便なものです。でも荒天になった時は、これが威力を発揮します。同じぐらいの大きさのモーターボートでは、波で左右に揺れて怖い海面でも、ヨットは一定方向から風を受けて進むので、傾いてはいますが安定して走れます。重い錘がぶら下がってるキールがあるので、たとえ横倒しになっても、起き上がりこぶしのように、必ず立ち上がります。ととても安全な乗り物なんですが、高さのない橋の下はくぐれないし、浅いところも底が当たって通れません。咲洲の向こうを回って行くことになりました。島の角には、ランドマークがあったり、小さな灯台が設置されていたりします。昼間は特に必要ありませんが、夜はこれほど頼もしいものはありません。常に水深計をオンにして、その角を回ります。水深計をオンにしていると、適当な間隔で、現在の水深を表示します。これがどういう間隔なのか良く分からないのですが、十分深いところでは、中々表示せず、浅くなってくると頻繁に表示するような感じがします。咲洲をまわり、大阪北港の灯台を抜けると、右手に海の科学館の銀色のドームが見えます。海上から見ると、海にドームが浮いているような感じに見えます。左手は、コンテナを船に積み下ろしするコンテナクレーンが数本立っています。色も黄色だし、きりんさんのようです。大阪港の積み下ろしは、大阪南港の方に主力が移っているし、10マイル西には震災までは日本一の積み下ろし量だった神戸港もあります。きりんさんが寂しげです。海の科学館の横を通り過ぎると、正面に海遊館の独特の建物とその横の観覧車がはっきり見えてきます。更に近づくと、海遊館の周りにお客さんがたくさんいるのが見えてきます。どうやら遊覧船のサンタマリア号に乗り込んでいるようです。サンタマリア号は、海賊船のような形をしています。色も暗色だし、海賊船をイメージして作られているようです。サンタマリアの前に、大きな4本マストの船があります。こりゃ練習帆船のようです。海というより、河口という雰囲気になってきたので、ここでセールダウンです。更に近づくと、ちょうどサンタマリアがちょうど出発します。その御尻を追いかけるようにUSJの方に川をさかのぼります。4本マストの帆船は、日本丸でした。ここで日本丸とご対面とは、ついているかもしれません。大きいです。前に回ると、この船を守る女神かな?の像が付いていました。USJはこっちから見ても、何も面白くありません。再び海遊館の下ってきて、海遊館横の桟橋に着けられるか偵察です。前はおんぼろ桟橋があったようですが、商業桟橋と水上警察の桟橋しかありません。こりゃ、あかんみたいですが、船が停まってないし、接岸して聞きに行くことにしました。しかし、やっぱりダメで、艦載戦闘機のタッチ・アンド・ゴーのように、もやいを取ったと思ったら即出発になってしまいました。予定では、ここで何か食料を調達する算段だったのですが・・・
2006/11/07
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ずっと少しだけ協力させてもらってる障害者自立支援施設から、年数回届くニュースが届きました。今回の理事長さんの言葉は、今年から施行された「障害者自立支援法」についてでした。30代の青年が、毎日休まず仕事して、最も高い工賃で月3万円だそうです。少額の障害者年金を合わせて、やっとこ暮らしていけるそうです。そこに、利用料の1割負担が法律で決まり、やっていけなくなったそうです。「働くのになぜお金を払うの?」「仕事に行けなくなります」という障害者からの声を生で聞いて、生活を見て、「障害者自立支援法」ではなくて、「障害者自立阻害法」ではないかと、書かれていました。障害者が働くと言うのは、経済的効率で言えば、とても非効率なものなのでしょう。働くために必要な通勤が1人で出来ないので支援者が必要だとか、いろんな公共の支えが要るのでしょう。それに比べて、働くことで得られる金額が少ない。家で何もしないで寝ていた方が、周りも楽なのでしょう。でもこれは本人にとっては、かなり辛いことではないのかなあ。数年前まであった、店員の半数以上が障害者の小さなスーパー。安いとは思わないし、変に馴れ馴れしかったりするけど、なんかがんばってるなと感じ、そこの前を通る時は、利用させてもらっていた。毎日のように行く銀行の前が、そういう施設に通う方達の集合場所のようで、朝はいつもいてる。少し時間がずれると、そこで小さなテーブルに自分達で作ったのであろうクッキーなどを並べて売ってる。場違いな大声で、「ありがとう」とか言うけど、何度かそこで購入した。自分の不注意からの事故で障害者になったり、生まれながらだったり、程度の差もいろいろでしょうが、それでも自分で働くことで自立しようとする姿は、効率で計れるものではないように思う。私でも、「がんばってるな」と感じるぐらいだから、何も言わなくても、多くの人がその姿を見て何かを感じていると思う。「神様は、世の中に必要な人を授けます。みんな、必要な人で、神様からの使命を帯びています」福祉支援を逆に取って、障害の程度を大きく査定させて、働けるのに公的支援を多く受けて、遊んでいる人もいるが、ほとんどの方は真面目に、生き甲斐を求めて働いている、あるいは働こうとしていると思う。こういう部分には、支援して欲しいなと思います。自分が、そして家族が明日から障害者になることもあり、高齢者の介護ということも含めると、ほとんどの人がいずれ支援される側になることです。
2006/11/06
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昨夜、私が自宅に帰るとすぐに次男君が帰ってきました。数日前から私の車を使っており、車が戻っていて、車内灯が点いていたのですぐに家に戻ってくるのは分かっていた。外の鉄の門扉が開く音がして玄関の方に歩いてくるのがわかったので、「開いてるよ」と外に向かって声をかけた。「開けて欲しいねん」あれっ、ドアを開けると、鍋をいくつも抱えています。文化祭で、おでんを出しているようで、その仕込をこれからするようです。彼は、文化祭というのに縁がないです。中高の文化祭は、秋のこの連休期間が多く、ちょうどヨットの全日本と重なって、いつもどこかに遠征していた。連休の合間も、文化祭の用意で授業がないのでちょうどいいわと言ってましたが、模擬店などをみんなで準備するのは、中々面白いものです。学部に上がり、文化祭が後にずれましたが、これがちょうど一般の全日本と重なる時期で、準備から撤収までやったことがないんじゃないかな。学部を卒業した今年は、どっぷり浸かってやっているようです。いつかは、私の車に柔道部からせしめてきた畳を満載していましたし、今朝はおでん満載の鍋をいくつも積んでいくのでしょう。昨夜風呂から上がると、次男が台所にPCをセットしていました。おでんを作りながら、ゴソゴソするのかもしれません。次男は、ウィンドウズのとマックのを持っています。デザインとかをするので、マックが必要なのだそうです。そのマックをセットしていたので、ウィンドウズとの違いを聞いてみました。まず画面が違いました。「まあ機能には関係ないけど・・・」と言いながら、ウィンドウズとは明らかに違います。マウスポインターが移動すると、そこにあるソフトのアイコンが大きくなります。マウスを動かすと、ウィンドウが右に左に大きくなったり小さくなったりします。第一印象は、「きれい」です。ウィンドウズには、いじくってはいけないブラックボックスの部分があり、基本的なファイルなどが何処にあるか分からないようになっているが、マックはそれがわかりやすいそうです。PC内部が、どういう流れでどうなるか分かるそうです。「それから字がきれい」マックの方が気に入って、日頃もマックを使っているようですが、ウィンドウズにしかないソフトを使うためにそちらを立ち上げると、最初に気づくのが、「字が汚い」ということらしいです。これはウィンドウズでもあるのかもしれませんが、カメラが内臓されていて、ササッとTV電話のシステムを立ち上げました。「TV電話で会議が出来るよ」別々の場所にいるそれぞれの顔を見ながら、会話ができます。静止画も動画も送れます。ウィンドウズの時は、PCの上にクリップでカメラを外付けしていたのが内臓になったようです。操作を見ていると、それぞれのソフトの立ち上げの時間が短く、マックの方が動作が速いのかなあと思いました。私には、特に必要と言うわけではありませんが、確かにマックの方がおしゃれな印象を受けました。時代は、どんどん進化しますね。
2006/11/03
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昨夜、長男から突然電話がかかってきました。「今日11時に駅に着くからさ。いつもの所に迎えに来てくれへん?」「ああ、いいよ」どうして突然帰ってくるかとか。もっと聞けばいいものを・・・父親というものは、必要なことしかしゃべらないなあ・・・電話を切ってから、「なんで帰ってくるんかなあ」なんて思っちゃうんですよね。仕事を終えて自宅に戻り、「長男君、今日帰ってくるんやって」と家内に報告すると、既に知っていました。どうやら先に細かいことは家内とやり取りをしたようです。確か先週帰ってきたばかりなのに、家内は何となく嬉しそうです。駅前で車を停め、本を読んでいると、駅の階段を長男君が降りてきます。ビジネス・スーツケースというのか、コマがついていて、手を持つアームが伸びてゴロゴロ動かすものと手提げを2つ持っています。「ご免な~」「ああ、お帰り」「明日、広島で仕事やねんけど、飛行機に乗り遅れてん。東京は、毎日のように電車のダイヤが乱れるから、しょっちゅうホームに人が溢れるねんで・・・ほんで飛行機に乗り遅れて、新幹線でここまで来てん。明日の朝一番で広島に向かったら間に合うから」「そりゃ、ご苦労さんなことやなあ」「この時間帯に座れると思ってなかったわ。むこうやったら、夜10時でもラッシュとあまりかわらんもん」「お父さんが向こうにいた時より、人が集まってるんやろうなあ」「え、お父さんってさ、東京に住んでたことあるの?」「うん、仕事でな」「ほんまあ」「言った事なかったっけ?」静岡だ、広島だ、大阪だと、毎日のように出張しているようです。人工透析で・・・血が作れなくなった人が・・・学生の時、ES細胞や体細胞から分化させた新しい細胞を作り出す研究をしていたから、何かそういうのに関係するのをやってるのでしょう。よう分かりませんが、仕事で走り回り忙しくしているのは、ありがたいです。武田鉄也ではありませんが、しっかり仕事して、世の中の役にたたにゃあ。家に帰り、風呂に入り、家内が引いていた布団にもぐり、すぐに寝たようです。朝一番に息子と共に起き、駅まで車で送って、一旦自宅に戻ってから仕事に向かいました。駅までの送り迎えしただけだけど、子供の活躍のサポートができて、こっちも楽しいです。
2006/11/02
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小泉さんから安倍さんに代わって、郵政造反議員復党の流れになってきている。「先の選挙は何だったのだ」とかの意見もあるが、私はよかったと思っている。以前の自民党だったら、意見の違いがあっても、刺客候補を送ってまで主流派に反対する勢力を駆逐して、さらに党自体から追い出すことはしなかった。正反対ではないが、一部反対勢力を内包している所が自民党の魅力だったし、強さでもあった。同じ党内所属でも、違う意見の複数が当選する中選挙区から小選挙区になったので、多少の意見の違いは懐深くしないと。首相という最高権力者が、非難されるのは、ごく当たり前で、その声が上がることが社会として健全です。日本もかつてあった反対意見を言えない時代は暗かったし、予後はよくなかった。国家存続の危機にまで至った。小泉さんの悲願であったのかもしれないが、たった1つの法案に対する意見だけで、その議員の白黒を判断するというのは、あまりに性急であるし、幼稚に見えた。かつての学生運動のように見えた。みんなでワイワイやっていたのが、路線の違いから分裂していき、内ゲバという派閥同士の抗争に発展し、日本赤軍などは、仲間を殺していった。大きな目標では同じなのに、小さな違いを涵養できず、自ら弱体化していった。党を追い出された議員の姿を見て、党内の議員は何を思うだろう。「執行部に反対出来ないな」自分の議員報酬を思うと、そう思い、口をつぐむのではないだろうか?「ご機嫌取りで雌伏して、権力を握ったら、極端なことをして反対派を粛清する」長い目で見れば、こういう考えが台頭してくるように思う。力を持っている者が、意見の違う弱い勢力を、力任せに攻撃するのは、昨今の学校内などで問題になるイジメと何ら変わらない。国を動かす者達が、そういうことをしていて、学校やイジメを非難できない。子供に善を言う以上に、見本を見せないと。意見の違いは、大いに意見を戦わせながらも、それ以上人を追い詰めてはいけない。必ず作用に対する反作用がある。親と言う強い立場で子供に意見を言いすぎたり、叩いたり、ひどい言葉で自尊心を潰したりすると、必ずしっぺ返しが来る。無気力な子になり、自立できない子を養ったり、成人した子が孫に同じ事をしたり、親が弱くなり立場が逆転した時に子供から疎んじられたり・・・世の中はそういうものです。小さな時、親父のあぐらの上に乗せてもらって聞いた戦争の現実が甦る。「戦死者で一番多いのが餓死、次が味方から撃たれること。自分が勝っていても、人を必要以上に追い詰めるな。後から撃たれるぞ」小泉さんのやった刺客選挙は、「弱い者いじめ」です。それを肌で体験した子供達の心に、自覚があるなしに関わらず、大きな影響を残したと思っている。結果のためには手段を選ばない手法や、「勝てば官軍」的な思考は、私は好きになれない。小泉さん的手法がエスカレートすると、中庸ではなく極端な政権が成立することになりかねない。安倍さんに代わってすぐ出て来た、小泉さんの刺客発想を修正する動きに、安堵しています。非効率な部分もあるだろうけど、50円で日本全国、ほぼ遅配や紛失なく1~2日で届く郵便を、刺客選挙をしてまで早急に変える必要があるとは思えない。山間部などは、配達の人は登山に近いことをしてまで、届けている。効率をあまりに要求しすぎると、非効率な仕事が切られ、非効率なことしか出来ない人が切られる。安倍さんに代わって、まだ日は浅いけど、中国との関係修復に続いて、小泉さんの負の部分を修正し、中々いいのではないかと思う。
2006/11/01
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