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確かアトムおじさんの日記に載っていたと思うのですが、「俄(にわか)浪華遊侠伝」という司馬遼太郎の歴史小説を読みました。長男君の大好きな司馬遼太郎です。「竜馬が行く」や「功名が辻」と同じ流れの作品で、主人公は実在の歴史上の人物です。幕末から明治にかけて活躍した任侠人です。公儀隠密として大阪で暮らしていた父親が行方知れずになり、丁稚に出ていた主人公万吉は、勤めを辞め、母親と妹の明日の糧を稼ごうとする。まず母親に勘当してもらい、次に名主さんに過去帳から自分の名前を消してもらう。自分に何があっても家族に迷惑がかからないようにして、どつかれ屋稼業を始める。まだ子供なので、子供博打に場に行き、賭けられているお金の上に覆いかぶさる。当然どつかれるが、全く反撃せず、ひたすら耐え、お金を懐に入れる動作を繰り返す。耐えていると、叩いている方があきれるというか恐ろしくなり、放免される。それを自分や人に頼んで、母親の家に投げ入れる。それを繰り返していると、顔を見るなり向こうから何がしかのお金を渡され、「これで勘弁を・・・」。段々名をあげ、痛い思いをしなくてよくなるが、収入は減っていく。次は、大人の賭場で同じ手を使う。当時は、米相場が大阪で立っていた。幕府がお金に困ると、江戸の御用商人を使って、米を買い捲り米相場を高騰させてしのいでいた。しかし、米の値段が上がると、庶民が苦しみ、防戦側に回る大阪米商人がバタバタ倒産する。防戦側の米問屋組合が、名が売れていた万吉に、米相場を無茶苦茶にして商いが立たないようにしてくれるよう相談する。相手方の雇っている数十名の荒くれ者に対抗し、1日で200名の腕自慢を集め、相場に殴りこむ。相手は刃物だが、こちらは手ぬぐいに石を入れて、相手の鼻目掛けて振り回す。鼻血でひるませることで勝機をうかがう作戦。表では、庶民が万吉側を応援するが、幕府方からの連絡で捕り方が大勢駆けつける。しかし、相場の敷地内に入れない。なぜなら、当時の相場は、役人の不正を防ぐために、役人は入れないように決められていたようだ。万吉側の大勝利に終わったが、さてどうして脱出するか?全員を集め、一気に四方に逃走させ、万吉1人悠然とお縄になる。万吉側への依頼者と、金の出所を白状させようと、数々の拷問にあうが、口を割らず、奉行が反対に感心してしまう。そして、次に奉行から仕事が舞い込む。というように、我慢で信用を得て、自称子分が集まり大阪一の大勢力を持つようになる。新撰組との関わり。武士になり大阪警護。警護中に長州藩士を助ける。鳥羽伏見の戦いに参戦。などなど、男の子ならたまらない痛快なエピソード・・・すごい人がいたものです。文庫本なのですが、800ページもある分厚い本です。普通なら、上下巻とかに分けるだろうと思えるほどの分厚い本でしたが、面白く読ませてもらいました。任侠道の人なので、偉人・賢人のようなスマートさはありませんが、当時の市井の人のベタなしたたかさをを垣間見た感じがしました。
2006/04/29
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今日もJR事故1周忌の話です。3日も続いちゃって、読んでいただいた方には、あまり楽しい話題でもなくて申し訳ないです。でも、この複雑な心境を日記に残しておきたくて、今日も書きます。JR事故でお嬢さんを亡くされたAさんは、うちで昔働いていただいていた方で、私は一応代表と言う肩書きをもらっている以上、きちんとおうちに行かないといけないと思うんです。でもどうしても行けません。1年前のお通夜には、うちの両親と従業員Bさんが参列しました。翌日お葬式で、随分迷ったのですが、まともにご両親の顔を見ることは出来ないと思い、葬儀会館の外の路上で立っていました。お通夜の様子を行ってもらったBさんから聞き、泣きはらして顔が変わっていたと聞いていたこともあり・・・どう繕っても、幸せそうな顔の私では・・・葬儀会館から車道を隔てて反対側の歩道です。「報道の方はお断りします」と、お葬式でも掲示されていて、変な所に立っている私は、変な目で見られ、「どなたですか?」って質問もされました。名刺を渡したのですが、不信そうな目は変わりませんでした。そういう目を光らせていた人が3~4人いました。でも別にそんなの気になりません。Aさん家族の心境に比べれば、それぐらいの目で見られた方が、気持ちが楽になります。葬儀会館から出て行く車に手を合わせて、帰ってきました。Aさんは、流産を数回して子供を諦めて、うちで仕事をし始めた頃でした。子供が出来やすいある方法を伝授したところ、暫くして妊娠し出産までこぎつけました。そりゃ喜ばれました。うちのお店はお辞めになったのですが、家が近所なので、赤ちゃんを連れてしょっちゅう店に来られ、家内とも仲良しでした。次に2人目のお子さんが出来たのですが、これがうちの長男と同じ年で、先輩お母さんということで、家内が気軽に相談していました。小学校に上がり、うちの長男と同じ少年野球に入り、仲良くあっちの家に行ったり、こっちに来たりしていました。Aさんのお子さんは野球がとてもうまく、不動のキャッチャーでキャプテン。その頃、離婚してうちの次男の1才下のお嬢さんをお持ちのBさんが、うちで働くようになりました。うちの店という共通の土壌の上で、お嬢さんを育てている先輩お母さんという形で、よく相談していたようです。Bさんのお嬢さんの一昨年の成人式では、特にいろいろ相談したと聞いています。Aさん、Bさん、そしてうちの家族は、職場の繋がりもあるが、同世代の子供を持つ親としての繋がりもある。子供の成長に合わせて、「七五三」「入学」「卒業」・・・節目節目で、何処行くの?、おめでとう、がんばってるね・・・ってやってきた。いつも子供の節目が親の私たちに笑顔を運んできてくれた。「成人式のきものって借りてもそんなに高いの?それじゃあ、うちのを使ったら?女の子いないから、使ってもらった方がいいんだけど・・・」なんてやってきた。Aさんのお嬢さんは、一番年長だから何でも一番最初です。がんばり屋さんでとても難しい大学に入学した。「うわあ、すごい」大学卒業も一番早く、外国語の語学力を生かす仕事についた。おまけに近所で評判の美人だから・・・どんな将来があったか・・・お父さんの自慢のお子さんだったのに・・・そしてこの事故。Bさんは強い。お通夜にも1周忌にもきちんと行かれて・・・うちは仕事があるとはいえ、私の父母だけです。でもどうしても行けないです。まともに顔が見られないんです。1年経っても同じでした。なんか小さい時見た婆ちゃんの顔がダブります。毎年田舎に帰って長居していたお盆、婆ちゃんは天井にかかっている2人の息子さんの写真を指差して、「おまえの父さんは・・・」の話をします。3人赤紙で兵隊に取られて2人帰って来ませんでした。「お国に息子を取られていもうた」と無念そうに写真を見上げています。爺ちゃんは、そういうことは言いませんでしたが、食事の時家長だけ(爺ちゃん・長男のおじさん・さらに長男の従兄弟)が座るテーブルに、親父と私を座らせるので、親父が帰ってきたことをどれだけ喜んでいるか分かります。戦争の方がもっと理不尽だと思うけど、婆ちゃんや婆ちゃんの周りの人の心境が少しわかったような気がします。Aさんの前ではとても言えないけど、でもやっぱり、「がんばれ~」って言いたい。
2006/04/28
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昨夜家に戻り、食卓で日経の私の履歴書を読みながら食事をしていました。ふと前を見ると、立てかけてある本の上に、JR事故で犠牲になった方から一昨日もらったお礼の品があった。四角い缶に入って口がセロテープで留まっている、多分クッキーかなにかです。横にいた家内に、「1周忌で訪ねてくる方の為に用意したのかなあ?それとも、常に更新しながらいくつかストックしているのかなあ?」って聞きました。社会に大きく報道されたああいう事故だから、友達や知り合いも、気持ちの整理がつかないから、バラバラと訪れるのかもしれない、なんて想像しました。1年前もそうだけど、その後道ですれ違っても、ほんとに掛ける言葉がありません。特にうちは子供同士が遊んでいただけに、気を使います。ただ頭を下げるだけしか・・・朝の挨拶のようでもあり、霊前にという気持ちもありです。家内のお店では、お店の者とお客さんとして、今までどおり会話をしているのだろうか?朝通勤で家の前を通ると、いつも彼女が使っていたスクーターが置いてあるんだよね。家内は、「1周忌で用意したんじゃないかなあ・・・」って、それ以上会話が進みませんでした。数日前、「フォーブスの今月号買ってきて」って仕事場に家内からFAXが届いた。届いたフォーブスをパラパラとめくると、長男君の会社の挑戦が載っていた。長男君の部署は、社内で一番の稼ぎ頭らしい。そういえば数日前、TVに「・・ch・・時、必ず見ること」って赤字で書いたメモが貼ってあった。ちょうどその時間に仕事から帰ってきたら、熱心に家内は見ていた。やはり長男君の会社の挑戦のことが特集されていた。うちは楽しみがさらに大きくなって・・・何か複雑です。
2006/04/27
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昨日は、忙しく日記を書けませんでした。昨日といえば、このあたりは鎮魂の日であります。午前中からヘリコプターの飛ぶ音が聞こえます。1年前とは、大分違いますが、それでも数機飛んでいるようです。JR宝塚線脱線事故から昨日でちょうど1年経ちました。「ああ、ヘリが飛んでるなあ・・・」なんて思い、外に出て上空を見上げたりしていました。お昼になり、「それじゃあ、お先に食事に行かせて頂きます」「ああ、どうぞ」「・・・あのう、今日・・さんの家に花束でも持って行こうと思っているのですが・・・どう思います?」「ああ、そりゃいいなあ・・・気づかんかったわ。うちにも噛ましてもろてええかなあ・・・お花代はうちで全部持つから・・・」「いえ、私個人で行かせてもらおうと思ってるんですけど、社長やないから、私が行ってもいいかなあと思って・・・お通夜のときも、一緒に葬儀屋さんのバスに乗ったとき、ご近所の方から、「どなた?」という顔をされたし・・・」「そうか、御免。そしたら、うちの分も持っていってくれるかなあ」「はい、わかりました。いくらぐらいのお花を・・・」「任せるわ」ということで、お子さんを事故で失われた方のところに、うちのお花も持っていってもらった。うちで前働いてくれてはった方の上のお子さんがあの電車に乗っていました。その子の弟君と、うちの長男君は同学年で、少年野球のバッテリーを組んだこともありました。うちの子は本職はファーストでしたが、少年野球ではピッチャーの投げる回数が制限されているから、必ずリリーフが必要です。そういうリリーフピッチャーでした。長男の一番の友達で、あの兄弟とは、家の行き来もあり、親同士ももちろん交流が続いていた。1年前、亡くなったと知ったとき、愕然としてしまった。「・・さんの家の前にカメラが数台来てるよ・・・」とお客さんから聞いたとき、まさかと思ったが、新聞で名前を確認し・・・「報道の方はお断りいたします」って、当時小さな紙が玄関に貼ってあった。大きく書くと、時節柄公表しているようで・・・また書かないと報道陣に囲まれてしまうし・・・心情を察することができた。お通夜は、ちょっと離れた隣町で行われた。従業員さんと、うちの父母が参列した。私は、翌日の葬儀に参列したが、私服警官かJR社員か本人の勤めている会社の人かわからないが、写真を撮られないようにプロテクトしていました。それにしても、私はヘリを見上げて思いにふけるばかりで、お花を持って行こうという知恵が浮かばない。ほんま、いろんな方に教えてもらいます。昨夜自宅に帰ると、食卓の中央に、「ありがとうございます」と書かれた品が、お亡くなりになったお嬢さんの名前で置いてあった。今朝、昨日行っていただいた方が出勤して来られた。昨夕方、花束を玄関で渡して帰ろうと思ったら、線香をあげていってほしいとご両親に言われ、上がったそうだ。うちを媒体に長い間のご両親と知り合いで、ともにお嬢さんの親だったから、そのことでもよく話していた間柄。30分ほどいたそうだが、いつも気さくな旦那さんがずっと無口にうつむいていたそうだ。お嬢さんの思い出で、泣きはらした顔をしておられたそうだ。最後、お暇するとき、ポツリと、「去年の今ごろは、病院を走り回っていました」と小さな声で・・・その言葉で、彼女も後から後から涙があふれてきたそうだ。そう言えば、あの日の晩、ニュース映像を見ながら、ドキドキして家内に、「長男君は乗ってないよね」って聞いたな。「車がないから車でしょ」って返事で、なんかすごくホッとしたことを思い出します。人生なんて紙一重・・・ご冥福をお祈りいたします。
2006/04/26
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息子は光の世界に帰りました。病気を治すいろんな機械を買いました。その他多くの事をやりました。でも今から思えば、もっともっと楽しんであげればよかったと思います。日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を私たち夫婦は精一杯看病しました。自分では歩くことさえ出来ない息子をおんぶして、そのままお風呂に入った時、痛みが少し和らいだ息子の顔はとても幸せそうでした。もういけないなと思い、病院に連れて行く車中で、意識が定かでない息子がこう言うんです。「お父さん、お母さん、信じて助け合って分かり合って生きていくんだよ」「悲しい時や苦しい時ほど笑うんだよ」「自分を責めることが一番いけないことなんだよ」などと、強い口調で私たちに言うんです。病院で最後のとき、たんが気道を満たして声にならない声で言った最後の言葉が、「ありがとう」なんです。それまで痛みで抱くことができなかったのですが、最後は母親に抱かれながら息を引き取りました。私たちは、「ありがとう」と言うために生まれてきたのかもしれません。最後の言葉に、「ありがとう」を残せる一生でありたいです。ということが書いてある本を読んだと流れてきた。どんな本か知らないが、子供ってほんとにすごいと思う。私も子供からいろいろ教えてもらった。何気なくしてしまったことや言ってしまったことで、ぷいと横を向かれた時、生き方を学んだ気がする。
2006/04/24
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「今日われ生きてあり」という神坂次郎さんの本を読みました。特攻隊の事が書かれた本ですが、作者は違いますが「男たちの大和」同様、丹念に集めた手紙や生き残った方の話、交流があった方の話を、資料的に並べられた本です。この日記にも、何度も書きましたが、私は絶対戦争反対の考えでいます。自衛隊基地が近くにある場所で育ち、隊員の子供が多数クラスにいた環境で育った。戦争になれば、真っ先に目標にされる場所であり、真っ先に命を投げ出す人たちが身近にいた。いつも遊ぶ公園で、迷彩服の隊員が数名走ってきて、無線交信したり、家の前を肩に銃を担いだ隊員がきれいに並んで歩いていく。戦車だって、家の前を移動していた。今では考えられないし、うちの周辺でもこういう光景は見られなくなった。でも基地からは、時間になるとラッパの合図がなり、銃声まで聞こえる。少年兵として参加し、外地で捕虜になって帰ってきた親父からは、子供の時に戦争の一面だけ聞かされていた。本当の生臭い面は、子供にしゃべれないのだろう。心に秘めたまま世を去るのだろう。 親父は20名ほどの部下を持っていたらしいが、ある日の攻撃にマラリアの高熱で出撃できなかった。そのとき帰ってきたのは2~3人だけで、親父の隊は壊滅した。親父のお尻と背中には、弾が通った傷跡がある。小さい頃お風呂に入ったとき、その傷を触ったものだ。「ここから入って、ここから抜けたんや」と笑って話してくれた。ばあちゃんには、親父はてっきり死んだものと思われていたらしく、終戦半年後門の前に立っていた親父は幽霊だと思ったらしい。ばあちゃんは、5人の息子のうち2人戦争で失っている。外地から帰ってきたのは、親父だけだから、何故か親父やその子である私には、やさしかった。田舎の元庄屋なので、古い仕来たりがずっと残っていた。家長である爺ちゃんと、その長男であるおじさん、そしてさらにその長男である従兄弟の3人しか座らない上座のテーブルに、親父と私はいつも座らせてもらっていた。お盆に、無念そうに天井に掛けてあるおじさんたちの写真を見ているのが、今も思い出される。戦争の話をしない、そして国への恨みを言わないばあちゃんからは、もっと深い国への思いを感じた。靖国神社でゴタゴタしているが、赤紙によって戦争に行かされた者や、命令によって最前線で戦った者と、戦争指導者が一緒に祀られているんだ。戦争指導者を切り離さないと・・・こういう本を時々読むようにしています。私自身に戦争体験がないから、本で疑似体験して、再びそういう道に進まないようにしようと思っている。うちの子達も20才を過ぎ、どうやら最前線で戦うことはないようだ。でもまだ見ぬ孫は、どうか分からない。世の中の動きの本質を見るよう心がけて、自分の意志をしっかり持とうと思う。特攻隊員には、当時のエリートである学徒出陣の方も、中学から志というより、苦しい生活から自分の食い扶持を減らすために、自ら兵を志願した方もいます。いろんな境遇の方がいますが、残されている手紙のやり取りを読むと、みなさん家族への思いに集約されるようです。親父が、農家出身で中卒、垢抜けていない。でも至って真面目に働く。母親は、商家出身で大学出。とても賢い。戦争中、商家は食べ物がなくて農家に頭を下げて回った。その経験から、親戚に1人くらい農家と縁を持った方がいいと言うことで親父と結婚したらしい。何度も何度も子供の間、今一な親父の文句を聞かされて、そうならないようにと言われていると、ほんとうに母親が嫌いになる。両親のどちらがより収入がいいか、子供なりにわかる。商才がどちらの方が上かわかる。どちらが賢いかわかる。でも、そんなことを親父には言わない。分かってても言わない。だって親父が悲しむもの。見入りが少なくても、真面目にコツコツ決まったように仕事に行く親父が好きだ。自分の優位への自慢がにじみ出ているしゃべり方をする母親はあまり好きではない。子供なんて、親がお金持ちだから好きになるんじゃない。賢いから好きになるんじゃない。元から好きに生まれてきている。余計なことをしなけてれば、ずっと好かれるようになっている。特攻隊は、国から真っ先に解散命令が出て、即刻解散したらしい。米軍を非人道的な作戦で困らせたから、指導者はできるだけその事実を隠匿したかったらしい。知覧特攻基地で、ずっと通信兵をしていた方の話が載っていた。250kg爆弾を抱えてよろよろ飛び立つ特攻機を誘導するために、滑走路の脇から、「もっと右・・・」とか無線機に向かって叫び、艦艇に突っ込む時に発する特攻機からの最後の信号を、雑音の中から聞き分けていた方。玉音放送を聞いて、一度に力が抜け、翌日深い穴を掘ってその無線機を埋め、その足で基地を後にした。その時、ずっと思っていたことは、「どうせ負けるなら何故あと半年早く降伏しなかったんだ」という無念な思い。この基地から特攻が始まったのが2月、たった半年・・・多くの若い命を必ず数時間後に死ぬ為に、飛び立たせてしまった・・・沖縄の海に散華なさった方も、親父のように帰ってきた方も、精一杯家族を守ろうとした。国を守ろうとした。戦争が終わったからと言って、そういう存在をなかったものにしようとしたり、商才や頭のよさという尺度でそういう人を下に見たりするのが下品だと思う。過ちにはしっかり謝り、ある面からだけ人を見ないようにしないと・・・精一杯生きてる人は、結果に関わらず、素敵な人だから。今日の日記は、自分でもおかしいぐらい支離滅裂になってしまった。相当に感情が揺さぶられたようだ。そのまま残しておこう。それが今日の自分だから。
2006/04/22
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4/9に行われた地元ジュニア主催レースの日記で、居眠り君として登場したU君のお母さんからメールが届きました。私が運用しているHPに、たくさん撮った写真の中でコメント付きで紹介し、その後記念になるかなあと思って、メール添付で送っておきました。先にHPの写真集で見て、家族で笑っていたそうです。U君本人は、「ばれたか~」ってニコニコしていたそうです。ブービー賞は、結構いい賞品だったので、喜んでいただろうか・・・サッカーでも野球でも卓球でも・・・学校のクラブではなく、親が我が子をサポートできる少年スポーツはいいですね。いずれ、学校のクラブなどに子供の世界が変わってしまい、先生や同級生・先輩後輩との関係が重要になって行くのでしょうが、こういう親子の時間が持てたかどうかは、将来の親子関係に影響すると思います。ジュニアヨットのスタート
2006/04/21
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昨日は仕事で時間がなくなり日記をお休みしました。今日はまた日曜日のことを書きます。海上でのYさんを偲ぶ会後、レースに出場し、レース終了後ハーバーに帰ってきました。陸に上がり解装をしていると、朝に続きセールメーカーさんが来られました。速いTさんに紹介してもらった、田中さんと同じセールを購入したのですが、メーカーさんがセールのパフォーマンスが気になって我が艇の様子を見に来られたようです。前のセールより十分速いです。我が艇のオーナーS先輩も満足そうにメーカーさんと話されています。着替えて6時から始まる「陸上Yさんを偲ぶ会」に備えます。ちょうどこの日は、ハーバーでフローティングボートショーをしています。毎年、春と秋に東西で開催されているイベントで、西日本はいつもここ西宮です。船が水に浮かべられていて、沖に出て試乗も出来ます。クルージング用の船に回って、朝乾かしておいたコクピットサイドボックスを閉め、ボートショーが開催されているゲストバースの方に行きます。ボートの出品の方が多く、お客さんも多いです。私はあまりボートには興味がないので、ヨットの方に向かいます。ヨットの方は羨ましいものが多数浮かんでいます。一番気に入ったのは、ハンゼというドイツのヨットです。いつも乗っているクルージング艇と同じ34フィートですが、随分大きく感じます。代理店さんの説明によると、頭の高さが室内の端まで高いので圧迫感がないからそう感じますということです。でも横幅も広く感じるんだよなあ。ただただ「いいな~」でした。さらに桟橋を進むと、後輩のI君がいました。彼は今日売る方です。卒業後、先輩の会社に入り、ヨットの販売とメンテナンスをしています。「こないだは修理ありがとう」「ああ、おおきにです」相当力がかかる重要な部品が壊れてしまったので、素人修理はやめてプロの彼に頼みました。うちのOB関係の船の修理は彼のところが一手に引き受けているので、電話して修理箇所を示しただけで、適当に船に行ってちゃんと直しておいてくれます。ありがたいことです。ボートショーでのハンゼ
2006/04/20
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日曜日は、海上でのYさんを偲ぶ会後、徐々に上がってくる風の中、ポイントレースに向かいました。3人乗りレーシングヨットのドラゴン級が8艇揃っています。今回はスキッパーという舵と大きい方のセールを担当することになりました。一番重要なミドルをオーナーさんがされます。クルーという小さい方のセールと、追い風の時展開するセールを担当する部署は、何となくできるようになったのですが、ミドルはまだ私では役に立ちません。前と後を臨機応変に助けボート全体のバランスを整えるミドルは、3人乗りではとても重要です。この日のスキッパーとしての課題は、ランナーというマストを支えるワイヤーもちゃんとすることでしたが、何度も忘れてしまいまだまだです。ツイーカーという3枚目のセールを制御するシートもうまく動かさないといけませんが、今一でクルーに大分迷惑をかけました。速い船は、3人のコンビネーションがとてもいいです。真っ直ぐ舵を引くだけしかできない半人前というところです。しかしながらこの日のレースでは手ごたえがありました。10月のインターポートでT先輩所有の一番速い船でスキッパーをさせてもらい、ボートバランスというか、セールの風の流れる具合というか、速いボートの感触を感じたのが大きかったと思います。11月の最終ポイントレースで我がダンシングクイーンでもある程度再現できました。一緒に乗ってくれたGさんからボート上で学んだことや、桟橋でTさんが教えてくれたことで、段々ドラゴンが分かってきた感じがします。1レース目は2位で上マークを回航できました。Tさんには負けましたが、昨年のラッキートップより嬉しかったですね。前回は誰も西に行かないところを1艇だけで行って、いい風が入ってきてトップでしたが、はっきり言ってうちはまだ遅いので、他艇からケアーされていないからフリーで行けた感じがします。でも今回は、走り負けしていません。私はレースで参加できなかったのですが、1週間前の整備で船が速くなっています。全日本王者Hさんも来てくれて、Hさんの船のチューニングをオーナーS先輩とクルーSN先輩がコピーしたようです。他艇との接近戦の中、走り勝っての2位はすばらしいです。上マーク回航後、T艇に近づく場面もあり、先行艇に後ろを気にさせる時もありましたが、ブランケットコーンという先行艇の風を奪う位置に置けず、下マークでは差を広げられてしまいました。Sさんから「今日は順位守ろうぜ」と声がかかりました。スピードの感触がよく自分でも守れそうな気がします。下マーク回航がまだドラゴンの回航半径がつかめずいつも今一で、先行艇をリーバウに置けません。この状況では段々遅れていくのですが、案外粘り、少しづつ高さを上がって、左有利?と思わせて先行艇のミスを狙ったりしましたが、百戦錬磨のTさんは慌てず、うちが無理した分、より先行を許しました。しかし後続のI先輩艇から徐々に風を奪い、苦しくなって悪い海面に行き、順位を落とさせました。東海面は良くなかったようです。ヨットレースは先行艇有利なので、よくある後続艇の失敗パターンです。次の上マークで3位と開いたので、最終見通しをルーズに取りましたが、風が6m/sほどに上がってきた状況では、スピードアドバンテージがなくなっているようです。ボートバランスが悪くなってきて、いろんなチューニングシステムを変更しましたが、トラベラーで風を逃がしてパワーダウンして逃げている感じになっています。まだまだフルパワーで走れるはずです。後続艇を離せません。むしろ詰められている嫌な感じでフィニッシュしました。2レース目は、本部船有利のスタートラインです。ここまで風が西に振っているようです。皆さん本部船狙いのようで、上に放り出されるのを嫌い、上のデンジャラスライン内に早めに入りました。しかし、メインシートを出しすぎていたようで、いいタイミングで引き出したつもりでしたが、完全に遅れてしまいました。メインシート自体を引ききれず、メインがシバーして風が逃げてしまう、完全な失敗スタートになってしまいました。まるで素人です、かっこ悪~。下2艇目でスタートしましたが、下3のTさんに上突破され終わった状態でしたが、船のバランスが去年よりよく案外粘ります。後で考えれば、その他の艇が即タック気味に西に行き、自艇も西に行きたかったのだから、セールを緩めスピードを落として早めにタックを入れた方が良かったです。田中艇に接近しすぎて、ついていけていたから、積極的な次の行動が出来ませんでした。やっと諦めがつきタックして方向転換して西に向かいます。暫くは、下先行艇に負けていない感じだったのですが、レグ中盤から窓から見えていた下艇が窓の前に消えていきました。つまり、前にいかれてしまいました。西に風が回って、より西有利になっているようです。下艇がタックして来て10艇身以上前を切られる状況で交差しましたが、そのまま切られたのはミスでした。ここはバウを切られる前にタックを入れて東に行った2艇にミートしに行くべきでした。東の艇はうちよりもっと悪い状況でしょうから、彼らの前をを切れたはずです。下受けしなかったからタックのタイミングが遅れ、結果オーバーセールで、東海面艇にもやられてしまいました。風が上がってセーリングに余裕がなくなり、タックの基本動作にまだ自信がないので、どうしても動作を少なくしようと考えてしまいます。6位回航でした。やはり東に行った艇は4位が精一杯です。次のスピンランは風が上がったので基本動作が今一になってしまい、下マークで1艇やられてしまいました。下回航後、みんなについて西に行きながら、西に大きめに振れる状況になり、バウが落とされ先行艇のブランケットが来ました。ここでタックです。フレッシュウインドをつかみなおすことになり、いいタイミングのタックでした。上マークが前に見え、ブローも入ります。うちよりさらに西に行った先行艇はオーバーセールです。マークに近づくと下振れがきて、先行艇との差を詰めることができました。バタバタ気味ながら、何とか大きなトラブルなしに下マークを回航し、一路西に向かいます。先行艇が牽制しあってか、タックを返し東海面に出ました。希望が出てきました。ここでスキッパーが走れば、きっと西有利に振れるはずだから逆転も可能です。「ようし、諦めないぞ~」って言ってしまいました。そしてフィニッシュマークに向けてタック。これがオーバーセールでした。ロングの見通しは難しいです。ドラゴンの風速ごとの登り角度がまだよくわかっていないので、かなりのオーバーです。西に行き過ぎました。それでもフィニッシュでは先行艇に追いついて、ジャストミートの4位争いに食い込めました。3艇カモって、4位だと思ったけど、最後はよくがんばりました。あと1つ2つミスが減れば3位もいけたと思います。あの失敗スタートからでも十分戦える感触を得ました。陸に上がり解装をしていると、朝に続きセールメーカーさんが来られました。Tさんに紹介してもらったTさんと同じニューセールを購入したのですが、気になったのか我が艇の様子を見に来られたようです。前のセールより十分速いです。オーナーであるS先輩も満足そうにメーカーさんと話されています。
2006/04/18
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昨日の日曜日は、ハーバーで「Yさんを偲ぶ会」でした。Yさんは、ミュンヘンオリンピックのフライングダッチマン級ヨットの日本代表選手です。学生の時、遠目で見たトラピーズでフルハイクして快走する山村兄弟艇はかっこよかったなあ。数年前からドラゴン級に乗るようになると、近年ドラゴン級に情熱を燃やしておられた山村さんとレースができるようになりました。雲の上の方と同じ場所にいる自分が不思議な感じでした。雨模様を覚悟していたのですが、朝は曇空です。適当に風も入っており、このままの天気ならいいのになあと船に急ぎました。先週作ったトイレの使い方をパウチしたものをクルージング用の船に置こうと少し早めに行ったのですが、船にに乗ろうとした時、「ザザー」って水の音がしました。「あれ~」、とても嫌な予感です。船に上がってみると、ステアリング横のボックスから水がコクピットに流れ出ています。ドキンとしてしまいました。「船内も水びたしなら、今日のドラゴン級のレースどころではありません」すぐにカギを開けて中を覗くと、船内はドライで安心しました。水をかい出しながら原因を探っていると、ボックス内の排水網が詰まってしまったようです。そこを指できれいにすると、排水ホースの方に流れ出しました。幸いコクピットの排水穴は塞がっておらず、ここ数日の雨は流れ出していたようですが、もしここが詰まっていたら、イグニッションが水浸しになり、エンジンがかからなくなったかもしれません。今後点検しておく必要があります。本当はもう少し掃除をしたかったのですが、ドラゴン級の約束の時間8:30が迫り、乾かすためにボックスを開けたままにしてドラゴンに急ぎました。久しぶりのドラゴンの艤装でしたが、思いの他スムーズに運び、9:30のハーバーの下架作業開始時間を待つ余裕がありました。ハーバーインフレータブルボートに引っぱられ、Yさん海上偲ぶ会場所に移動です。芦屋YHからも、ジュニアやレーザーフリートの方が多数出てこられており、かなりの数のボート・ヨットが集まりました。生でトランペットを吹いています。各艇に花束・ホーン・御骨が配られ、私は御骨の役です。ゆっくり時計回りに全艇が回り出し、トランペットの調べで黙祷、ホーンの合図で御骨を、そしてお花を流し、最後は各艇の鳴らす長音一声でお別れをしました。生前の行いの賜物でしょうが、大勢の方に送られて御霊も幸せでしょう。ドラゴン級の美しさは、いつかはドラゴンと私の心をひきつけてきました。かつてのレーサー仲間に話すと、羨ましがられます。夕方6時から「陸上偲ぶ会」が始まりました。出身のK大学関係者がメインで、レーザー級やドラゴン級関係者、ハーバー関係者、それに多方面のヨット関係者が100名以上集まりました。挨拶に立たれた方々が、生前のエピソードを交えてスピーチをされます。それを聞きながら母校先輩が多いのに気づきました。各方面の世話役をしておられます。頭が下がります。最後に山村さんが好きだった「海、その愛」(加山雄三)を全員で肩を組んで歌いお開きになりました。「命に限りのない向こうの世界で、Yさんは思いっきりセーリングを楽しんでいるでしょう」という言葉が印象に残りました。5000円会費の立食ということで、ジュニアや学生は無料ということもあり、あまり食べられないだろうなあと思っていましたが、余るほど食べ物があり満足でした。人間お腹が膨れると、満足するものですね。
2006/04/17
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部屋を片付け始めました。家内との約束で、本の整理をして、家内が新たに購入してくれた本棚や仕事場の倉庫に運ばなければなりません。長男君の部屋の掃除から、一番の問題の本の整理・・・そして私の部屋の本の整理に飛び火・・・まあ我ながら雑然としているのは認めるし・・・本の整理は私の担当になりました。でも長男君の部屋は本棚が多く、自分で整理もしていたので、床のは家内がチョチョイとやってしまいました。結局私の部屋の私の本が残りました。数日前に家に帰ると、大きなダンボール空箱が玄関にあり、「これ、どうしたの?」「いいもの見せてあげるから、こっちに来て」って長男君の部屋に行くと、新品の本棚が組み立ててありました。次に私の部屋に行って、「ここをね整理したら、あの本棚が置けるから、きれいになるでしょ」って。「はい」っていい返事をしてしまいました。私の為に買ってくれてやさしいと言うか・・・空っぽの本棚があれば、片付けるだろうと無言のプレッシャーを与えるためか・・・素直に従って、整理をし始めました。まずはライフワークで購入しつづけているヨットの雑誌と、ヨット協会から送られてくる会員会報紙を箱に詰めて、倉庫に運ぶことからです。なんと言っても高校生の時から購入し始めたものだから、膨大な量があります。20年分ほどは、既に運び終えたのですが、まだ10年分以上あります。そのとき、Dカーネギーの「人を動かす」の本が目に付きました。これは、随分前、多分20代に買った本だと思いますが、長男君にも会社から同じ本が送られてきました。「新入社員みんなに、まずこの本を読ませるんだ」と思いました。ここから社員研修を始めるのでしょう。将来の社長君、がんばってくれたまえ。ヤツは、いつもどおり、明るく楽しく会社員生活を過ごしているだろうなあ。今年の正月に、家内の実家のお墓参りと初詣に行った時に撮った、長男君とその彼女です。火に当りながら、神社で振舞われていた甘酒を飲んでいます。長男君の髪型は、大学に入るとそれまでのごく普通カットから、茶パツになり、黒髪に戻り、戦闘的な丸坊主にかわり、そしてこのカットへ。今は新入社員カットです。あ、横に座っているのは私の家内でした。この写真から、家内の部分を切り出し、今PC待ち受け画面になっています。
2006/04/15
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少し前、鹿児島県沖で、高速水中翼船にくじらが衝突して、乗客の方が大勢怪我をするという事故がありました。外洋ヨットレース、特に南氷洋を突っ走る世界1周レースでは、鯨との衝突事故はよくあります。畳数畳もある浮いているマンボウに衝突してリタイヤ、なんてのもあります。高速水中翼船って、70km/hもスピードがでるのですね。こんなスピードでぶつかったら、大変なことになるのは無理もありませんが、水中翼が折れたりしなかったのには、丈夫だなあと逆に感心しました。あまり大きくない鯨だったのでしょう。ん? Are you sleepy?堀江さんなどは、単独で外洋を走ります。ヨットは乗員が寝ているときも走っています。というより、安全な場所に停まっているということが出来ません。刻々と波や風が変わり、流れまで変わります。風が上がると自然にスピードがあがります。予期せぬ事態に備えて、各種のセンサーをつけてアラームを鳴らすようになっています。もっとも怖いのは、氷山や鯨にぶつかることです。タイタニック号のように沈没してしまいます。それへのセンサーもついており、無人監視して警告も発っします。そういう装置はありますが、時速70kmで走りながら、水面部分の物体を探査するのは難しいでしょうね。ところで、この船って、長男君が先月末に屋久島に行った時乗った船だよな。1週間のニアミスでした。すやすや
2006/04/14
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久しぶりに読んだ本について書きます。ダンブラウンの「ダヴィンチ・コード上中下」を読みました。この本は、ついに・・・ついに・・・手に入れました、と言う感じです。高いわけでも、品切れしていた訳でもありませんが、私の中の位置付けとして中途半端でした。昨年かな?一昨年だっただろうか?何気なく階段に置いてあったこの本を目にしました。ダヴィンチと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチだと思いましたが、何か変な名前の本だなあと思いました。私よりはるかに読書家の長男の本であるとは察しがつきましたが、芸術に興味が深いとも思えないし、ダ・ヴィンチの科学的なところにでも興味を持ったのかなあと思うぐらいでした。パラパラとめくり、表紙のモナリザの微笑みを見ながら、よくあるモナリザの微笑みの秘密か・・・、表紙がレンブラントならなと、そのまま置いていました。その後、この本が欧米での大ベストセラーであると知り、さらに興味深い内容を知るにつけ、いずれはどうしても読まなくては・・・と思うようになっていきました。しかしながら、キリスト教には興味があるものの、温かい心が流れている作品が好みの私には、アガサ・クリスティーのような知的ミステリーという色分けで、優先順位は高い方ではありませんでした。偶然に先月のある日、新聞下欄に文庫本発売の広告を見つけました。映画化されるので文庫化されたのでしょう。そのときが来たのかなあと、その日のうちに近所の私御用達書店に注文しました。いつものように、数冊の本を気の向くままつまみ読みをしながら、この上中下3冊の本が気になります。そしてついにメインに読んでいた斉藤茂太さんを置いて上巻を手に取りました。やはり予想通り、読み止らなくなりました。3巻一気に読んでしまいました。ルーブル美術館の館長が館内で他殺体で発見された。彼の予定表に今夜会うと書き込まれ、最期の時に書き残した言葉にも名前が書かれていた、ハーバードの宗教象徴学教授ラングルトンのパリの宿泊先に警察がやってきた。表向きは奇妙な死に協力してほしいと言うものだったが、実質は第一容疑者。ラングルトンは、逃げ場のないルーブル美術館で、司法警察敏腕警部ファーシュと会話をしながら奇妙な殺人現場を見ている。裏では、警察がラングルトンがボロを出すところを逃すまいと発信機まで彼につけている。そこに、司法警察暗号解読官のソフィーがやってくる。ソフィーは殺害された館長の孫で、暗号解読科に送られてきた殺害現場に残された謎の言葉は彼女へのメッセージだとすぐにわかり、そこに頼るように書かれていたラングルトンを警察の手から逃がすためにやってきたのだ。警察の手から逃れた彼と彼女は、警察から逃げながら謎の言葉を紐解き、謎の死の核心、そして館長が彼女に残そうとしたものに迫っていく。実は数世紀に渡り、世界で最も大きな力を保っている、カソリック教会の根幹を揺るがす聖杯の秘密を秘匿している秘密結社の総長が、館長だった。過去の総長、ダ・ヴィンチ、ニュートン・・・ジャン・コクトーなどが長年秘匿してきた秘密に誰が挑戦してきたのか?秘密は守れるのだろうか?総長と3人の理事しか知らない本当の秘密が、4人全員殺害された今、永遠に闇に消えていくのか?秘密結社が強大な力を持つカソリック教会から巧妙に隠れながら、ダィンチの最後の晩餐などの絵画にヒントを隠し守ってきた秘密の謎解きと事件解決へのミステリーが、様々な登場人物が絡み合いながら始まる。さらの家族の愛・家系の秘密、師と僕の絆・・・ 秘密の核心を知る老婆に行き着き、ダングドンは、「・・・(キリスト教会を根底から揺さぶる)この真実を隠したままなら、永遠に失われてしまう」と聞く。彼女は、「そうかしら?周りを御覧なさい。この真実は芸術・音楽・本の中で語られているわ。日々増えてさえいるかも。振り子は振れているのよ。人類の破壊の道の危うさを、誰も理解し始めている。そして聖なる女性を復活させる必要性も」と答える。作者がこの作品を通して語りたかった、今の世の中へのメッセージを聞いた感じがしました。人気作家ダン・ブラウンの作品を読むのは初めてでしたが、評判にたがわずワクワクする作品でした。前作「天使と悪魔」に続く主人公ラングルトン・シリーズで、映画化されることで、ハリウッドはインディージョーンズ・シリーズのようにしようとしているのかもしれません。一気に読めた楽しい作品でしたが、1つ残念なのは、ミステリー映画のロードショーでストーリーを知っていることほどつまらないものはありません。映画を観た後に本を読んだほうが良かったのでは・・・と。
2006/04/12
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昨日の日記の続きです。日曜日の事です。本当は琵琶湖の大学ヨット部試乗会に行きたかったけど、ジュニアのレースの手伝いに駆り出されました。さて、朝一番にクルーザーに寄り、船のスピードメーターのチェックです。スピードメーターは船の底に差し込むようになっています。外に出ているプロペラが回ることでスピードを測ります。しかし小さな部品ですので係留していると、フジツボなどがついて羽根が回らなくなり計測不能になります。本来係留中は抜いておくらしいのですが、抜くと代わりの栓をしないと海水が流れ込んで船が沈んでしまいます。その栓が行方不明になっています。その栓を発注するためにはメーカーや品番が必要ですが、それがわからず船に見に行きました。どうやらSILVA社らしいですが、部品に品番などがなく、これでヤマハに問い合わせることにします。その後芦屋に回ると、既に大勢の方が来られていました。四国・西は山口県、東は横浜から来てくれています。兵庫ジュニアの隆盛とともに、年々参加者が増えている感じで、ありがたいことです。天気予報では、終日1m/sの風速と、あまりいい風は望めそうもありません。でも今は、北東の風が3~4m/sぐらいは入っている感じです。いつも安定しない東寄りの風が予報されていたので、朝の風のある間に出来るだけ多くレースをしたいものです。今日の役目は、BG号に乗ってブロンズクラスのレースサポートです。BG号は、日本財団から寄付してもらったレスキューボートです。こういう寄付をいただけるので、クラブのホームページが表彰されたのは、かなり値打ちがあります。このレースは上位1名にOP全日本の参加資格がありますが、ブロンズクラスは最初からその資格を捨てて、レース経験を積むのが目的です。だから、本来レース中は入ってはいけないレース海面に入ってアドバイスします。朝Tお母さんから、「ブロンズの数人は沈したら1人で船を起こせないからお願いします」と言われましたが、小学校低学年なんて、まだ体が小さいから出来ないのが普通ですね。それより、いつもハーバーの前の波のないところで練習しているのに、あんな沖のレース海面まで行くだけですごいです。この子達にとっては、それだけでも「冒険」の類じゃないかなあ。普通、岸から米粒ぐらいにしか見えない海の上で1人で船に乗ってるだけで同世代にとってはとんでもないことです。ハーバーでフラッグが上がり、出艇して行きます。ジュニアの大きい子達が小さな子をサポートして海に出しています。勝手の分からない他クラブの子達にもさりげなくサポートしています。大きいと言ってもまだ中学生なのに、偉いなあと思いました。親達から時々言われているのかもしれませんが、義務とかやらなきゃという感じではなく、さりげなくというのが伝わってきます。自分たちもチビの時困ったから小さい子の気持ちが分かるのでしょうね。BG号は、一番最後から遅れた数艇を引っ張ってレース海面に急ぎましたが、こんな遠くまでの大冒険を1人でやってのけたブロンズクラスの子達が数艇既に着いています。Kさんが、「スプリット、もう少し上げて」とか声をかけています。風は4m/sを越えそうな勢いですが、恐怖でこわばった顔がありません。優秀です。そして第1レース。スタートラインから段々離れていき、スタートできない子もいるかなあと思っていましたが、第3線スタートであっても、ちゃんとスタートしていきます。「みんなスタートできるやん」とKさんに声をかけると、「スタートは出来ます。でも朝のミーティングで”リコールしよう”と言ったのに、第3線はあかんなあ」と、えらい高いレベルの答えが返ってきました。リコールというのは、スタート号砲時に、既にスタートラインを出ていることで、ペナルティーを食らいますが、どうしても大きい子に圧倒されちゃって遅れてスタートしがちになるので、ギリギリを狙う気持ちがある子の方が将来伸びます。ブロンズクラスのK主任コーチは、なかなか上手に教えているようです。レース艇団を追いかけながら、クローズが明後日の方向になってしまう子を追いかけて、「テルテール見てごらん」「もっと上れるよ」「シートが甘いよ、シート引いて」「もうすぐ上マークだよ」って、まあ忙しい。言い過ぎてもいけないので、ちょっとアドバイスしては離れてしばらく放っておく。このバランスがとても大事で、自分で考えて自分でやってみる時間がないと上達しません。上マークを回ると、後から風を受けるようになり、スイスイ行きます。最初のレースは広島から来てくれたジュニアヨットOPクラスを始めて1年のS君がビリになっちゃったけど、これはセールのセッティングの問題が大きかったようです。マストのピークとセールが離れていてセールが浅くなりすぎて、パワーがありません。メインシートが引ききれず、しかもバングがゆるいので風でリーチが開きすぎています。さらにラフがきつすぎてスピードリンクルもなく、走りにくそうです。レース後広島のコーチボートにそのことを言いに行ったら、Tちゃんがコーチとして乗っています。Tちゃんは去年OPを卒業したんじゃないかなあ。お兄ちゃんもやってたので、TちゃんがOPを始めた頃から知っています。いやあ久しぶりです。Tちゃんもニコニコ笑っています。OP卒業して今は高校生用のに乗ってるのかなあ?2レース目からきれいにセットしてもらいS君もスピードが出てきました。各クラブのコーチボートを見てビックリしました。藤沢ジュニアはこっちで借りたのか?ハードボートに乗ってるし、なごやなどは今話題のスロベニアのインフレータブルボートです。TOYOTAのロゴがトランサムに書いてあり、羨ましい限りです。TOYOTAヨット部のコーチのお子さんがOPを始めたので、会社から借りたのでしょう。本当は、ヨット部なんてどうでもよく、なごやのコーチとして子供さんと一緒にヨットをしたいでしょうね。気持ちわかります。私も、出身大学の監督を断って、子供のコーチになったからなあ。オリンピックチームが使うような支援艇で、儲かってる会社は違います。全部で4レースできましたが、最後の方のレースでは、ブロンズクラスの数名がもう限界になっていました。一番面白かったのは、Uさんとこの子で、参加最年少子かな?クローズで完全に寝ていました。遠目ではちゃんとしているように見えなくもありませんが、どうも船の前に顔が向いていないです。小型ヨットには横を向いて座り、顔だけ前を向くのが定番のスタイルでが、なにやら変です。少しうつむき加減で、船の中の下の方を向いていて、顔があまり動かない。長年OPをやっていると分かります。sleepy modeに入っているようです。気づかれないように近づいて、写真をパチリ。しかしながら、それなりには走っているから不思議です。内田君は天才かもしれません。Kさんがアカクミに少し水を入れて「パチャ」ってかけます。驚いて目が開いたU君に、「波や」なんてうそ言っちゃってます。アハハでした。上マークにいたお父さんが息子を見て、「もう限界ですね~」って。全レースが終わり、ハーバーに戻って、クロージングセレモニーです。レース結果は、さすがに今年のナショナルチームは速く、みんな上位です。その他に飛び賞があり、ブービー賞のU君が嬉しそうです。次男君が初レースの関西選手権で、ブービー賞や参加賞をもらってすごく喜んでいたのを思い出します。小3でした。大人にとっては大したことないことでも、こんな小さな子には宝物です。これがU君の長いヨット人生の出発点の1つになればいいなと思います。レースとレースの合間には、ソワソワしてる子や「おしっこ」って寄ってくる男の子を船に上げて、ドライスーツを脱がせて・・・、「うわあよかった~、もれるかと思った~」って、スッキリした顔でまた自分のヨットに乗って行く。小さな子は、自分でドライスーツが脱げないから、BG号で寄って来る私の顔が救いの神に見えたことでしょう。小さな子は、ほんと無邪気で面白い。いっや久しぶりのOPは面白かったです。
2006/04/11
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日曜日は、ジュニア主催レースのヘルプに行って来ました。本当は、琵琶湖の次男君大学ヨット部新入生歓迎試乗会に行きたかったのですが、今ジュニアのブロンズクラスコーチをしているKさんからの電話で・・・。Kさんのお子さんと次男君はジュニアの同級生で、結局大学ヨット部までずっと友達でありライバルでした。K君は、ヨット部のある中学に入学した次男君が羨ましくて、高校から同じ学校に入ってきました。そして大学は別になりましたが、同じ近畿北陸フリートで琵琶湖を本拠地にしのぎを削りました。自宅の家内の部屋の子ども達のトロフィーや賞状・写真が置いてある棚に、唯一置いてある大学ヨット部時代のトロフィーが、近畿北陸ブロック2位のもので、K君が優勝でした。全日本では次男君の方がいい成績だったけど、彼がいたから次男君も上手になれました。Kさんは、ご自身はヨット部ではないので、私のように子供が卒業したら別のヨットの世界に行くことはなく、そのままジュニアを指導しています。一番手間がかかり、一番その後ヨットを続けるかに影響する初心者クラスを担当しています。地元のレースということで、ブロンズクラスの子をみんな参加させるのですが、他のお父さん達は、レース運営に関わるので、1人でブロンズ選手達を見なければなりません。本来レース中、選手に声をかけてはいけませんが、風が上がってくると泣いちゃう子もいるので、ブロンズクラスや他チームの初心者向けに張り付きます。「1人じゃ無理だから、手伝って」と声をかけられると、「いや」なんて言えません。久しぶりにジュニアのレースだなと手伝うことにしました。本当はコーチを頼まれている次男君の出身大学ヨット部の新入生試乗会に行く予定だったのですが・・・というより行きたかったのですが・・・昨年の試乗会では、レスキューの運転手をしました。レスキューを沖に停めて大勢の新入生をヨットに乗せる手伝いでした。大学受験をくぐって入学式を終えたばかりのティーンエイジャーと話をしながら、手伝いができるのは楽しいことです。中でも最も嬉しかったのは、トラピーズハーネスを着ける時です。これは、電柱に登って作業する人が命綱を結ぶために体につけているようなもので、ちょうどおへそのところに金属のフックが来るように着ます。ここにヨットのマストの上の方からぶら下がってるワイヤーを引っ掛けます。そのワイヤーに全体重をかけ、足でヨットの舷側に立ちます。全身が海の上で、ヨットの舷側から真横に出ています。風が強くなってくると、ヨットは横に倒れるように傾きますが、それを体重で押さえるという原理です。これを体験すると、大抵感激します。猛スピードで突っ走るヨットに乗っているのに、体の下は海です。まるで自分が海の上を飛んでいる感覚です。このトラピーズハーネスがはずれると、海にボチャンと落っこちるので、きちんと着なければなりません。男には指示するだけで、おかしな所があると手を貸すだけですが、女性には当然もっと親切に着せてあげます。だってきちんとつけていないと事故の元ですからね。でも、時には腰に手を回していい感じに着せなければならないので、合法的な微妙な・・・です。腰のベルトがゆるいといけませんし、肩ベルトも・・・。時には胸の前で固定するベルトを締めなければなりません。「ハーネスを履く時フラフラするなら私の肩につかまってもらったらいいよ」なんて実に親切です。「役得やなあ」なんてチラッと頭をよぎります。しかも、しかもですよ。今年は、京都女子大からマネージャー志願者を琵琶湖まで運ぶ運転手に立候補してたのに・・・ジュニアのレースとは・・・確かに若いけど若すぎるなあ・・・ローティーンやそれ以下だものなあ・・・。琵琶湖に参加する次男君が少し羨ましくもありました。ヤツは、OB1年生なのでちょいと立場が強くなり、京都女子の運転手なんぞ何気なくやりそうです。今月の日曜日は全部試乗会らしいですが、来週は3人乗りヨットのレースだし・・・貴重な日曜日を・・・ああ、残念です。
2006/04/10
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昨朝、いつものように着替えをして洗濯物を干していると、TVが「リリーフランキー」と言い始めました。なんだ~と思って目を移すと、「東京タワー」が本屋大賞を取ったそうです。しかもドラマにもなるそうです。リリーさんは、予想通り味のある感じの方でしたが、リリーさんの自叙伝東京タワーを映像であの味を出すのは、難しいような気がするんだけどなあ。オカンだけがまともで、オトンとボクはハチャメチャで・・・でも親がボクを思う気持ちは最高で・・・元気だったオカンが病気になって、30才をとうに過ぎたボクがオカンへの思いを強くする・・・それにしてもこの本屋大賞、選者が本屋さんの店員さんだけあって、受賞作品の感性が若い感じがします。「博士を愛した数式」「真夜中のピクニック」そしてこの作品。テーマが重過ぎなく、温かいものが漂っていて、読後とてもいい気持ちになる作品です。世の中がどんどん厳しく、高い能力を求められるようになり、帰る家や家族、そして仲間に安らぎを求めている若者像が透けて見える気がします。芥川賞などと違って、作家や編集者という本のプロじゃないこういう普通の人が選ぶ賞に、マスコミが目を向けるなんて、本好きとしてはなんかいい感じです。長男が就職で家を出て行ってから、毎日彼の部屋の片付けで家内は大忙しです。と言っても夜1~2時間しか出来ないので、なかなかはかどりません。プリントはゴミ箱行き、地図など使えそうなものは別のところに移動、教科書・ノート・専門書などはとりあえず箱の中・・・家内にとって一番の問題が本です。長男は家一番の読書家なので、本棚はもちろん、押し入れの中にも本棚を買ってきて並べているのですが、床にまであふれています。家内は、「捨てたら」なんて軽々に言うのですが、本好きの私は、「本はその人の歴史やから・・・」って反対している。「また読むの?」と言われると、「そりゃあ・・・そういうことも・・・」なんて形勢不利になります。私が片付けることになってしまいました。あえて片付ける必要はないと思うのだけど・・・。さらに、長男と同様の部屋の状態になってる私の部屋にも矛先が向いて、ダンボールに入れて仕事場の倉庫に動かすことで談合が成立しました。ほんま、このままでいいと思うんだけど・・・混沌とした中の整然っていうのもあるのに・・・でもきれいに片付いてきた長男君の部屋を見ると、気持ちがいいんだけど・・・まあ家の中心は家内なので、「はい」って従っておきます。その方が、何かと平和です。あ~あ。
2006/04/07
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桜が咲いてきました。通勤で通る近所の公園では、梅の花が散り始め色が少なくなっているすぐ横で、桜が次々に咲いてきています。それを見ながら、辺見じゅん作「男たちの大和」を読んだとき、心に引っかかったことを思い出しました。原作は、映画と違って、雰囲気を盛り上げる演出とかはあまりなく、史実に基づいて淡々と記録してあるという本です。辺見さんが、元乗組員や遺族、その他の方を丹念に長年に渡って取材したもので、新刊が出るたびに新たな書き加えがあるライフワークのようなものです。その中で、大和沈没後、友軍の駆逐艦に救助された乗組員が帰って来るところがあります。時は4月、桜の季節です。大和出撃、そして沈没は、極秘で他に漏らすことが出来ません。生存者は、すぐに原隊に復帰して次の任務に着くのではなく、長崎の人里はなれた島?半島?にしばらく隔離されます。何もすることがないから、桜の印象が強かったのかもしれませんが・・・数名の生存者が、満開の桜を美しいとか、再び本土の桜を見ることが出来た幸運を喜ぶのではなく、「何故、自分や仲間が生死を賭けた激戦を闘っているさなか、何事もなかったかのように桜は咲いているのか」と語っています。国や家族を守らんが為に、また無謀な戦いと思っている者は、破れることで日本の目を覚ます礎になろうと、必ず死ぬ途に向かったのに・・・多くの友人を失ったのに・・・何故何事もなかったかのように・・・出撃する時に見た桜とは、たった数日で、違った印象を持たれています。今でも桜の花を、正面からきれいだと見ることが出来ないと語っている方もおられました。作者の辺見さんは、何故長年、大和にこだわり、大和を海の底から引き上げようとまでされたのか?女性なのに・・・この人はどういう人?これも漠然とあった疑問でした。朝日新聞夕刊に数日前から連載されている桜の記事中に、辺見さんが登場してきて、そのこだわりの心の一部が見えた気がしました。辺見さんは、角川書店の創業者の娘で、映画の製作をした角川春樹さんのお姉さんなんだそうです。不覚にも全く知りませんでした。角川書店の創業家一族と言えば聞こえはいいが、春樹さん自身が狂気の家族と例えるほど、複雑な人間関係が絡み合った家族です。それを知り、もっと単純な家族がいいなと随分前に思ったことがあるので、逸見さんと角川書店がくっついて、なるほどなんて思いました。桜はきれいで散り際が鮮やかであるけれども、古くから日本人の心に、妖艶であるとか、愛憎であるとかのイメージが桜に宿っている。桜に惹かれる・・・戦艦大和と桜・・・鮮やかで羨望のまなざしを受ける部分と、心に深く刻まれた思い・・・角川家と通じるものを少し感じます。そういうところからいい作品が生まれるのか・・・「男たちの大和」「女たちの大和」
2006/04/06
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ここ数日の夕食後の楽しみは、日経新聞の私の履歴書を読むことです。宮沢喜一さんが書かれています。新聞の写真を見ると、寄る年波は・・・の感じですが、自民党の老舗派閥のトップにいながら、飄々としていた雰囲気、時折見せる目を大きく見開いた鋭い眼光、何となく好きでした。私の履歴書は、いつ始まったのか分かりませんが、なんかずっと目を通している感じがします。中学生の頃には、既にあり、母親から「これは読みなさい」と言われた記憶があります。間違ってるかなあ?あまり興味の湧かないときは、語句を追いませんが、興味のひく方の時は、ゆっくり時間をかけて読みます。ここに登場してくる人は、それなりに名を残した方ばかりなのですが、お若い頃は失敗をたくさんしていたり、病気で数年床に伏せっていたりして、特殊な人とは思えないです。自分ではあまり書けない裏の努力はあるのでしょうが、自分の置かれた流れに乗って・・・とか、たまたまというか・・・運というのをよく感じます。むしろ、自分はそういう流れに乗っただけという書き方の方が多いです。多分、偽らざる自分の気持ちなんでしょう。第三者が書いたものではなくて、またプロではない本人が書いた自叙伝ですので、ドラマチックな脚色とかはありませんが、その分淡々と書かれていて、別の面でその人の人となりを感じることが出来ます。本人から見た家族との細かい関係が読み取れるのも中々いいです。最終紙面の左上といういつもの場所に、ずっと鎮座しているこの企画・・・私のように楽しみにしている人が多くいて、変えられずに続いているのでしょう。
2006/04/05
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次の日曜日は、兵庫jr主催のヨットレースです。うちのクラブ主催のレースをやり始めたのは、息子がまだクラブ員で中学生の時でした。私はヨット乗りですが、高校生からヨットに乗り始めたので、子供のヨットに乗ったことがありませんでした。子供が生まれる前に、クラブを作った時は、まだ全国区の力がありませんでした。我が子と同じ学年に、5人も熱心な親が揃って、段々うまくなってきましたが、その時心がけたのが、子供のヨットと大人のヨットは形も違うので、一から強豪の他クラブの親御さんに習うことでした。まあまあみんなが走れるようになってきた時、琵琶湖のクラブの親御さんから、「そろそろ主催レースをしないとね」って言われました。主催レースをすると、練習日を1日削って準備をし、当日は運営で自分とこのクラブ員のサポートはほとんどできなくなる。「だけど、何故か子供達は上手になるよ。親が他の子の為に汗を流していると、少し自立して、がんばるようですよ。そろそろ、そういう段階ですよ。きっとステップアップするよ」って、教えてもらいました。当時のクラブの人数規模では、かなり無理があったのですが、まず始めに「練習レース」をやってみた。正式レースでは、審判などの不備が問われるので、ミスったらごめんなさいレースをしました。これが、地元の西宮はいつも風があるところなので、好評でした。私がレース委員長をしましたが、レース回数を多くしようと、休憩なしにどんどんスタートさせるのも好評でした。「せっかく遠くからレースに来たのだから、たくさんレースをしたい」という要望に合致したようです。教えてもらった通り、子供達はどんどんうまくなりました。レース中以外も親が当てにならないレースを経験し、何でも自分で考え自分で対処することが身に着いたようです。よそから来た子達に施設を教えたりすることも、自立に繋がったようです。それから、よそのレースに行ったときも、船を車から降ろせば、親は何もしなくてもいいようになりました。どうやら、時間があるばかりに、余計なことまで子供の世話をやいていたようです。もう自分でできるようになっていたのに、親の楽しみとして子供の世話を焼いていました。これは、子供の成長をむしろ妨げていたようです。「出来そうかなあ?」と思ったら、失敗には目をつぶって任せることを学びました。私が抜けて2年ほど、次の方達が二の足を踏んでいましたが、他クラブからの要望に押される形で復活し、最近は堂々たる運営をしています。HPを運用しているので、その宣伝、実施要綱、帆走指示書、エントリーリストと、事務局の方から送られてくるのをどんどん載せていますが、山口県から横浜まで、選手が集まって来るようです。復活した時には、皆さん不安で、私が本部船にアドバイザーとしてレース委員長のサポートをしたが、今年はもうレスキュー艇の一乗員として参加するだけです。いい天気といい風をお願いします。
2006/04/04
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昨日は大雨でした。3人乗りレーシングヨットの方の整備の予定だったのですが、「朝雨だったら中止」というのが前日先輩から流れて来ていたので、朝のシトシトを見て諦めました。私の車は今日は京都に遠征してるし、爺ちゃんのは長男が使って、長男のはカギがわからない。ということで、原付で仕事場に・・・小1時間ゴソゴソやって家に戻ろうと思ったら、何やら原付の様子が変です。あれれ・・・あちゃちゃ・・・一番前の部分が割れています。前に停めていた車が後に原付があるのが分からずバックして壊してしまったようです。「もう少し気をつけるべきだったなあ・・・」まあ仕方ありません。壊れたプラスチックの破片を拾って、修繕することにしました。自宅に帰ると、長男君の荷物が玄関にあります。4/1に入社式を済ませ、寮での荷物整理をして、そのまままた自宅に帰ってきました。運転免許の更新と、その他こちらでの用事が残っていたようです。そんなの3月中にしておけばいいのに・・・と思うのですが、もう一度また東京に向けて出発です。レインコートを玄関で脱いでいると、裏口から長男が入ってきて、「ほんじゃあ、行ってくるわ」「おお」「車、どうするかまだ分からないから、一応そのまま置いといて」「はいよ」う~ん、気の利いた言葉をかけてあげられません。長男は、生まれて初めてわが家以外に住むというのに・・・「また帰って来るから」「はいよ」と、玄関で傘を差す後ろ姿を見ているだけ・・・玄関から道路へ降りる階段を歩いていくのをボーっとみていると、ブーと車の音・・・車のドアの開閉音・・・ブー・・・青い車が家の前を通り過ぎていきました。むむ、むむ・・・誰かに乗っけてもらったのかな?そのことを夕方帰ってきた家内に話すと・・・「彼女じゃないの?」ってあっさり。「え~、今入るの?最近車がデコレートされてないよ」車を見ていると、大体分かります。きれいになったり、ぬいぐるみが乗ってたりすると、いい感じで、そういうのが一掃されると、振られたなあって大体分かります。最近はいないと思ってたのですが、家内によるといるらしい。先週行ってたプーケットの旅行は、全日フリータイムで、旅行名に「スイート」って名前が入ってると指摘。「こんなの新婚さんのツアーじゃない」って。なるほど、中々の分析です。私は、何も気にならなかったのに・・・恐るべし、女の感・・・そうか、あの青い車は・・・
2006/04/03
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今日は、エイプリルフールです。今年は、何も仕掛けなませんでした。これまで毎年のように何か仕掛けてきましたが、昨年の不評にはちょっと参りました。「わかってるよ」とか「騙されないよ」、「待ってたよ」というのから、似通ったウソを反対に返されて、人選を誤ったのと、暫くお休みをした方がよさそうだと思いました。こういうのは、仕事仲間には流せないので、オフの時の仲間内に流していました。今までいろんなことを流したが、最初の数年はとても効きがよく、かなり楽しめました。ちょっと大きくなって最初のものは、近所の県立高校のヨット部が出来ることになったとういうもの。それ以前に、「作りませんか?」と話を持っていったことがあったので、「とうとう実現しました」というのに真実味があり、さらに「地域外からも生徒募集があるらしいです」と流した。学校に問い合わせた人もいました。一番参ったのは、ちょうどこの時期アルゼンチンに次男君がレースに行っていた時のこと。前もって次男君と、「中学校からオーストラリア姉妹校への留学が決まったと通知が来た」ことにしようと打ち合わせて、お祝いしてもらった後にエイプリルフールを言うことにしていました。オーストラリアの学校からの英文の招待状と、学校からの通知書を学校の角印までコピーして作成し(有印私文書偽造?)、作戦どおりメール送信しました。国内からは、騙されなかった人、だまされた人、いろんな反応があり楽しめたのですが、肝心の息子自身が打ち合わせを忘れて、本当だと騙されてしまいました。日本チームをサポートしてくれていた現地の商社マン夫婦に、息子の3/28の誕生日も兼ねてチーム全員がレストランに招待してもらってしまいました。その様子が、現地からの通信に載り多数の方にウソが伝わってしまいました。多方面にお詫びをする羽目になりましたが、総じて笑いで済ましてくれました。その事で私のこの日のウソは全国区なってしまい、以降人選に苦労することになりました。今年も数個浮かんで・・・ウズウズしていたんだけど・・・
2006/04/01
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